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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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法華経の女人 月水御書⑥

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

月水御書がっすいごしょ

 但し女人の日の所作は苦しかるべからずと覚え候歟。元より法華経を

信ぜざる様なる人々が、経をいかにしても云うとめんと思ふが、さすが

にただちに経を捨てよとは云えずして、身の不浄なんどにつけて、
法華

経を遠ざからしめんと思ふ程に、又不浄の時、此を行ずれば経を愚かに

しまいらするなんどをどして罪を得させ候也。
此事をば一切御心得候

て、月水の御時は七日までも其気の有ん程は、
御経をばよませ給はずし

て、暗に南無妙法蓮華経と唱させ給ひ候へ。
礼拝をも経にむかはせ給は

ずして拝せさせ給ふべし。

 又不慮に臨終なんどの近づき候はんには、魚鳥なんどを服せさせ給ふ

ても候へ。よみぬべくば経をもよみ、及び南無妙法蓮華経とも唱させ給

ひ候べし。又月水なんどは申すに及び候はず。

 又南無一乗妙典と唱させ給ふ事、是同じ事には侍れども、天親菩薩・

天台大師等の唱させ給ひ候しが如く、只南無妙法蓮華経と唱させ給べき

歟。
是子細ありてかくの如くは申し候也。穴賢穴賢。  

文永元年卯月十七日                 日蓮  花押   

大学三郎殿御内  御報

【現代語訳】

 ただし女性の一日の所作には差し支えないと思います。元より法華経を信じていない

ような人々が、法華経をなんとかして嫌わせようと思うが、さすがにただちに経を捨て

よとは言えないので、身の不浄などとかこつけて、法華経を遠ざけようと思うので、ま

た不浄の時これを行ずれば経をおろそかにすることとなるなどと脅して、罪を得させよ

うとするのです。この事を一切心得られて、月水の時は7日ほどもその気のある時は、

御経を読まれずに、暗唱して南無妙法蓮華経と唱えるようにすればよいでしょう。礼拝

も経に向かわずに拝みなさい。

 また不慮に臨終などが近づいた時には、魚や鳥などを食べておられる時でも、読める

ならば経を読み、そして南無妙法蓮華経とも唱えたらよいでしょう。また月水などは言

うに及びません。

 また南無一乗妙典と唱えられることは、これと同じ事ですが、※ 1親菩薩・天台大師等

が唱えられたように、ただ南無妙法蓮華経と唱えるべきです。これは詳細があるのでこ

のように申し上げるのです。穴賢穴賢。

文永元年卯月十七日                        日蓮  花押   

大学三郎殿※ 2内  ※ 3

【語註】

 
※1 天親菩薩:新訳(玄奘訳)では世親。現在は世親の名が用いられている。5世
            紀頃の北インドガンダーラの論師。瑜伽・唯識思想の大成者無著の肉弟として
            生れ、初めは小乗を信じ、カシミールに入って『大毘婆沙論』を研鑽したが後
            に無著の教化を受けて大乗に転じた。『十地経論』『摂大乗論釈』『仏性論』
           『涅槃論』『妙法蓮華経優婆提舎』(『法華論』)など多くの論釈を著した。
            小乗にいるとき500部、大乗において500部の著があるとされ、世に千部の論主
            と称される。日蓮は天親を、法華経の真髄を会得しながらも、仏滅後遠からぬ
            正法の世に、概して清善の機根の人々に対し、龍樹などと同じく、内には法華
            経の真髄を蔵しながら、外には権大乗の弘通を行った人としてとらえている。

 ※2 御内:手紙の宛名に添える言葉で、相手の妻、または一家全体にあてる場合に
            用いる。

 ※3 御報:身分の高い人に出す文書での返事を意味する。

【解説】

 この手紙の末尾に日蓮自ら、「大学三郎殿御内御報」と記しているように、鎌倉在住

の比企大学三郎能本の妻の質問に答えた手紙である。

 大学三郎は、鎌倉幕府の有力御家人であった比企能員の子で、四条金吾と並ぶ相模の

有力な信徒であり、龍口の法難の時は、命を賭して日蓮を護ることに奔走している。そ

のため、何らかの難に遭ったようだが、それも乗り越えて日蓮に帰依し続けた。

 その夫人からの質問は、①『法華経』の1部28品をすべて読誦すべきか、あるいは、

薬王品の1品を読誦すべきか、そして、②月水(月経)の時は読誦すべきか否かーの2

点にまとめてみることができよう。

 
①に対して日蓮は、方便品と寿量品の読誦、および南無妙法蓮華経を唱えることを勧

めている。

 ②について質問した夫人は、一度も「月水」という言葉を使わず、2回も「例の事」

という表現を用いている。それは、当時の女性たちの恥じらいだけでなく、忌み嫌われ

ているものを言葉で表現するのがはばかられるという意識の表われであろう。日蓮は、

6回も「月水」という語を用いていて、日蓮のほうは、何のとらわれもなく、あっけら

かんとしている。

 これまで、多くの女性が尋ね、多くの人が答えて来たけれども、一代聖教に月経を忌

み嫌う言葉がないからか、示されていない。そして、日蓮自身も、釈尊在世の女性修行

者たちが、月経の時だからと言って、忌み嫌われることはなかったと答える。

 そして、日蓮は月経について、①外からやってくる不浄(穢れ)ではない、②女性の

体に生理現象として現われる単なる変調、③生命の種を継承する原理に基づいたもの、

④体調が崩れるのは長病のようなものーだとして人体から排泄された屎尿と同じで

浄化して清潔にすれば、何の忌み嫌うこともないと結論する。これを読むと、日蓮の合

理的かつ道理にかなった思考を読み取ることが出来る迷信じみた発想は欠片もない。

 釈尊も徹底して迷信を排除していた。バラモン教の「穢れ」という観念を否定した。

旃陀羅【せんだら】と漢訳されたチャンダーラ(不可触民)は、排泄物や血液などの穢

れに触れるから、穢れているとされていたが、釈尊はこれを完全に否定した。

 迷信を徹底的に排除していた本来の仏教からすれば、月経は忌み嫌うことでも何でも

ない。生理現象の一つにすぎない。けれども現実的には、日本では身の回りに忌み嫌う

風習が根強い。そこで、日蓮は「随法毘尼」の考え方を提示する。仏教の根幹に抵触し

なければ地方、方面の生活習慣に随ってもいい、というものだ。日本国は神国として、

忌み嫌う人が多いのだから、それに敢えて逆らう必要はないとしつつも、日々の勤めに

は何の問題もないと言う。「其の気の有らん程」、すなわち体調が勝れない時には、無

理に経典を読まなければならないことはなく、「暗に南無妙法蓮華経と唱へさせ給ひ候

へ」という柔軟な思考を示している。
 
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【 2024/04/18 05:39 】

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法華経の女人 月水御書⑤

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

月水御書 がっすいごしょ

 又御消息の状に云く、日ごとに三度づゝ七の文字を拝しまいらせ候事

と、南無一乗妙典と一万遍申し候事とをば、日ごとにし候が、例の事に

成て候程は、御経をばよみまいらせ候はず。
拝しまいらせ候事も一乗妙

典と申し候事も、そらにし候は苦しかるまじくや候らん。それも例の事

の日数の程は叶うまじくや候らん。いく日ばかりにてよみまいらせ候は

んずる等云云。

 此の段は一切の女人ごとの御不審に常に問せ給ひ候御事にて侍り。又

いにしへも女人の御不審に付いて申したる人も多く候へども、一代聖教 しょうぎょう

にさして説れたる処のなきの故に、証文分明 ふんみょうに出したる人もおはせ

ず。

 日蓮ほぼ聖教を見候にも、酒肉五辛 ごしん婬事 いんじなんどの様に、不浄を分明に月

日をさしていましめたる様に、月水をいみたる経論を未だかんがへず候也。


世の時、多く盛んの女人尼になり、仏法を行ぜしかども、月水の時と申

して嫌はれたる事なし。

 是をもて推し量り侍るに、月水と申す物は外より来れる不浄にもあら

ず、只女人のくせ(癖)かたわ生死の種を継べきことわりにや。
長病 ながわずらい

様なる物也。例せば屎尿 しにょうなんどは人の身より出れども能く浄くなしぬれ

ば別にいみもなし。是のていに侍る事。されば印度・尸那 しななんどにもい

たくいむ(忌)よしも聞えず。

 但し日本国は神国也。此の国の習として、仏菩薩の垂迹 すいじゃく不思議に経

論にあひに(相似)ぬ事も多く侍るに、是をそむけば現に当罰あり。

委細に経論を勘へ見るに、仏法の中に随方毘尼 ずいほうびにと申す戒の法門は是に当

れり。此の戒の心は、いたう(甚)事かけ(欠)ざる事をば、少々仏教

にたがふとも其の国の風俗に違ふべからざるよし、仏一の戒を説き給へ

り。
此の由を知ざる智者共、神は鬼神なれば敬ふべからずなんど申す強

義を申して、多の檀那を損ずる事ありと見えて候也。若し然らば此の国

の明神、多分は此の月水をいませ給へり。
生を此国にうけん人々は大に

忌み給べき歟。

【現代語訳】
月水の時と申して嫌われることなし

 また御消息のお手紙には、日ごとに3度ずつ※ 1つの文字を拝しておられることと、※ 2

無一乗妙典と一万遍唱えることとを日ごとにしていますが、例の事になっている間は御

経は読みません。拝することも一乗妙典と唱えることも、暗唱することはよろしいので

しょうか。それも例の事の日数の間はいけないのでしょうか。何日ほどで読んだらよい

のでしょう、とあります。

 この件はすべての女性ごとの不審で、常に問われることでございます。また昔も女性

のご不審について申している人も多くおられます。

 ※ 3代聖教にさして説かれているところはありませんので、証文を明らかに出した人も

おりません。
日蓮がおおよその聖教を見たところ、酒肉・※ 4辛・※ 5事などのように、不

浄をはっきりと月日をさして禁じているように、※ 6水を忌む経論をいまだ検討していま

せん。

 釈尊が在世の時、多くの若い女性が尼になり、仏法を修行しましたが、月水の時とい

って区別はしておりません。このことから考えると、月水というものは外より来た不浄

でもなく、ただ女性特有のもので、生死の種を継ぐべき道理でしょう。また長い病のよ

うなものです。例えば屎尿などは人の身より出るが、よく清くさえすれば、別に嫌うも

のでもありません。これと同じことでしょう。従って
、インドや中国などでもそれほど

嫌うとも聞いていません。

 ただ、日本国は神国です。この国の習慣として、(神は)仏・菩薩の※ 7迹として不思議

なもので、※ 8論にあわないことも多くありますが、これに背けば現に罰があります。委

細に経論を考えますと、仏法の中の※ 9方毘尼という戒の法門がこれに当たります。この

戒の心は大きく違わなければ、少々仏教に違っていてもその国の風俗に違うべきではな

いと仏が一つの戒を説かれたのです。
このことを知らない智者たちは、神は鬼神である

から敬うべきではないなどという強硬な意見を言って、多くの檀那を損なうことがある

ようです。もしそうであるなら、この国の神々は、多分はこの月水を忌むので、生をこ

の国に受けた人々は大いに忌むべきでしょうか。(つづく)

【語註】

 ※1 7つの文字:南無妙法蓮華経の7文字のこと。

 ※2 南無一乗妙典:南無は、サンスクリット語のナマスの変化したナモーを音写し
            たもので、「~敬礼する・帰依する」の意味。その妙法蓮華経が、あらゆる人
            の成仏を可能とするする一乗一仏乗の教えを説く最勝の経典ということで、
           「一乗妙典」と置き換えて、「南無一乗妙典」としたのであろう。

 
※3 一代聖教:釈尊の一代で説かれたとされるすべての教え。

 ※4 五辛:辛味や臭気の強い5種類の野菜で、ねぎらっきょうにらにんにくはじかみのこ

        と。薑の代わりに野蒜のびるを挙げる経典もある。情欲・憤怒を増進する食べ物とし
            て、仏教では食べることが禁じられた。

 
※5 淫事:男女の交合のこと。

 ※6 月水:月経のこと。

 ※7 垂迹:仏教と神道とが結びついて生れた思想で,仏や菩薩が衆生を仏道に引き
            入れるために,かりに神々の姿となって示現すること。

 ※8 経論:三蔵の中の、律蔵を除く経蔵と論蔵。

 ※9 随方毘尼:仏法の根本の法理に違わない限りり、各国・各地域の風俗や習慣、
            時代ごとの風習を尊重し、随うべきであるとした教え。随方随時毘尼ともい
            う。毘尼はサンスクリットのヴィナヤの音写で、律(教団の規範・規則)の
            意。仏法では、正法という根本基準を立てた上で、成仏・不成仏という仏法の
            根本原理に関する事柄でなければ、世間一般の風俗・規範を尊重し用いてい
            く。
 
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【 2024/04/16 05:33 】

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法華経の女人 月水御書④

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

月水御書がっすいごしょ

 但し御不審の事法華経はいずれの品も先に申しつる様に愚かならねど

殊に二十八品の中に勝れてめでたきは方便品と寿量品にてはべり。余

品は皆枝葉にて候也。
されば常の御所作には、方便品の長行じょうごうと寿量品

の長行とを習い読せ給ひ候へ。又別に書き出してもあそばし候べく候。

余の二十六品は身に影の随ひ、玉に財の備はるが如し。
寿量品・方便品

をよみ候へば、自然に余品はよみ候はねども備はり候なり。

 薬王品・提婆品は女人の成仏往生を説れて候品にては候へども、提婆

品は方便品の枝葉。薬王品は方便品と寿量品の枝葉にて候。
されば常に

は此の方便品・寿量品の二品をあそばし候て、余の品をば時々御いとま

のひまにあそばすべく候。

【現代語訳】

二十八品の中に勝れためでたきは※ 1便品と寿※ 2量品

 ところで、ご不審に思われていることについて申し上げる。法華経はどの品も先に申

したように大事ではあるが、とくに28品の中で勝れており、立派であるのは方便品と寿

量品です。他の品はみな枝葉です。従って、日常の行ないとしては方便品の※ 3行と寿量

品の長行とを習い読んでください。また別に書き出してもよいでしょう。余の26品は、

身に影がしたがい、玉に財が備わるようなものです。寿量品・方便品を読まれたら自然

に他の品は読まなくても備わります。

 薬王品・※ 4婆品は女性の成仏往生を説かれている品ですが、提婆品は方便品の枝葉で

あり、薬王品は方便品と寿量品の枝葉なのです。従って、常にはこの方便品・寿量品の

2品を読まれて、他の品は時々時間のあるときに読んでください。(つづく)

【語註】

 ※1 方便品:『法華経』方便品第のことで、あらゆるものごとの真実の在り方(諸
            法実相)を明かし、これまで成仏できないと非難されてきた小乗仏教の出家者
            を代表して、あらゆる人の成仏が可能であることが明かされる。

 ※2 寿量品:『法華経』如来寿量品第16のことで、釈尊が40数年前ではなく、天文
            学的な遥かな過去(久遠)において成道していて、それ以来、いろいろな国土
            にそれぞれの名前の如来として出現し説法し、娑婆世界で説法教化してきたこ
            とが明かされる。

 ※3 長行:経典は、散文と韻文から成っており、散文の箇所を長行、韻文を偈とい
            う。

 ※4 提婆品:『法華経』提婆達多品第12のことで、悪人の提婆達多と、女人の龍女
            の成仏が明かされている。

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【 2024/04/13 05:31 】

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法華経の女人 月水御書③

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

月水御書がっすいごしょ

 法華経に於ては、仏自ら一句の文字を「正直に方便を捨てて但だ無上

道を説く」と定めさせ給ぬ。
其の上、多宝仏大地より涌出させ給て、妙

法華経皆是真実と証明を加
へ、十方の諸仏皆法華経の座にあつまりて、

舌を出して法華経の文字は
一字也とも妄語なるまじきよし助成をそへ給

へり。
譬へば大王と后と長者等の一味同心に約束をなせるが如し。

 若し法華経の一字をも唱へん男
女等十悪五逆四重等の無量の重

業に引れて悪道におつるならば
月は東より出させ給はぬ事はありと

大地は反覆する事はありとも大海の潮はみちひぬ事はありとも、

われたる石は合うとも、
江河の水は大海に入らずとも、法華経を信じたる

女人の、世間の罪に引れて悪道に堕
る事はあるべからず。

 若し法華経を信じたる女人、物をねたむ故、腹のあしきゆへ、貪欲とんよく

深きゆへなんどに引れて悪道に堕るならば、釈迦如来・多宝仏・十方の

諸仏、
無量曠劫こうごうよりこのかた持ち来り給へる不妄語戒たちまちに破れて、

調達が虚誑罪こおうざいにも勝れ、瞿伽利くぎゃりが大妄語にも超えたらん。いかでかしかるべ

きや。
法華経をたもつ人たのもしく有がたし。但し一生が間一悪をも犯さず、

五戒・八戒・十戒・十善戒・二百五十戒・五百戒・無量の戒を持ち、一

切経をそらに浮べ、一切の諸仏菩薩を供養し、無量の善根をつませ給と

も、
法華経ばかりを御信用なく、又御信用はありとも諸経諸仏にも並べて

おぼし、又並べて思し食さずとも、他の善根をばひまなく行じて時々法

華経を行じ、法華経を用ひざる謗法ほうぼうの念仏者なんどにも語らひをなし、

法華経を末代の機に叶はずと申す者をとがとも思し食さずば、一期の間行

させ給ふ処の無量の善根もたちまにうせ、並に法華経の御功徳もしばらく隠れ

させ給て、
阿鼻大城に堕させ給はん事、雨の空にとゞまらざるが如く、

峰の石の谷へころぶが如しと思し食すべし。十悪五逆を造れる者なれど

も、法華経にそむく事なければ、往生成仏は疑なき事にはべり。

 一切経をたもち、諸仏菩薩を信じたる持戒の人なれども、法華経を用

る事無ければ、悪道に堕つる事疑ひなしと見えたり。予が愚見をもて近

来の世間を見るに、多くは在家・出家・誹謗の者のみあり。

【現代語訳】

法華経を信じたる女人の、悪道に堕る事はあるべからず

 法華経においては、仏は自ら一句の文字を正直に方便を捨てて、ただ無上道を説く

と定められました。その上、多宝仏が大地から涌き出て来られて「妙法華経皆是真実」

と証明を加え、十方の諸仏は皆法華経の座に集まって舌を出して、法華経の文字は一字

たりとも妄語ではないと助証を添えられました。例えば、大王と后と長者等の一味が同

じ心で約束をされたようにです。

 もし法華経の一字でも唱える男女等が、※ 1悪・※ 2逆・※ 3重等の無量の重業に引かれて

悪道に堕ちるならば太陽や月が東より出なくなっても大地が反覆する事があっても、

大海の潮の満ち引きがなくなっても、割れた石が元通りになろうとも、大河の水が大海

に入らないようになっても、法華経を信じる女性が世間の罪に引かれて悪道に堕ちる事

はありません。

 もし法華経を信じる女性が、物をねたむゆえに、意地が悪いために、貪欲が深いゆえ

に、などに引かれて悪道に堕ちるならば、釈迦如来・多宝仏・十方の諸仏が※ 4量曠劫よ

りこのかた持ち続けてきた不妄語戒は、たちまちに破れて、※ 5婆達多の※ 6誑罪よりも勝

れ、※ 7伽利の大妄語をも超えるでしょう。どうしてそのようなことがあるでしょう。


華経を持つ人はたのもしく有り難いのです。
ただし一生の間、一悪も犯さず、五戒・八

戒・十戒・十善戒・二百五十戒・五百戒・無量の戒を持ち、一切経を暗唱し、一切の諸

仏・菩薩を供養し、無量の善根を積んだとしても、法華経を信用せず、また信用はして

も諸経・諸仏と同じであると思ったり、並べて思わなくても他の善根を常に行じて、時

々法華経を行じたり、法華経を信じない謗法の念仏者などと語りあい、法華経は末代の

機にはあわないという者を罪とも思わなければ、一生の間に修行した無量の善根もたち

まちに消え失せ、法華経の功徳もしばらく隠れてしまい、阿鼻大城に堕ちることは、雨

が空にとどまらないように、峰の石が谷へ転げ落ちるようなものであると思いなさい。

十悪・五逆を造った者であっても、法華経に背く事がなければ、往生成仏は疑いのない

事なのです。

 一切経をたもち、諸仏・菩薩を信じる持戒の人でさえ法華経を用いる事が無ければ悪

道に堕ちる事は疑いなしとあります。わたしが愚見をもって近年の世間を見れば、多く

が在家・出家ともに誹謗の者ばかりです。(つづく)

【語註】

 ※1 十悪:10種の悪のこと。①殺生(人畜等一切の生命をもつものの生命を奪う
            こと。また人の命を縮めたり、間接的に殺すこと)、②偸盗(他人の物を盗む
        こと、また贅沢をすれば余分に物をとり、人に不自由をかけるから一種の盗と
            なる)、③邪婬(自分の色欲を満たすため他人に迷惑をかけること)、④妄語
          (嘘をつくこと)、⑤綺語(無意味に飾り立てた不誠実な語言)、⑥両舌(人の
            仲を隔てる二枚舌)、⑦悪口(人の悪いことを吹聴すること)、⑧貪欲(貧る
            という迷妄の心)、⑨瞋恚(怒る心、わがままな心)、⑩愚癡または邪見(よ
            こしまな見解)。

 
※2 五逆:無間地獄に堕ちる5種の根本重罪をいう。①殺父(父を殺すこと)②殺
            母(母を殺すこと)③殺阿羅漢(悟りを得た聖者を殺すこと)④破和合僧(僧
            団を破壊すること)⑤出仏身血(生身の仏陀の身より血を出すこと)の5つ。 

 
※3 四重:四重罪のこと。殺生・偸盗・邪淫・妄語の4つの重罪。

 ※4 無量曠劫:始めがわからないほどの遠い過去。

 ※5 提婆達多:斛飯王の子で阿難の兄、釈尊の従弟にあたる。釈尊に従って出家し
            たが嫉妬我儘の心があり、大衆を誘惑して新教団をつくり、阿闍世王とともに
            釈尊に敵対して種々の危害、三逆罪(出仏身血、殺阿羅漢、破和合僧)を犯し
            た。その結果、遂に提婆達多は生きながらにして地獄に墜ちたとされる。

 ※6 虚誑罪:妄語のこと。悪心をもって故意に人を欺き、悪道に堕とそうとする
            罪。

 ※7 瞿伽利:釈迦族の出身で、浄飯王の命令によって出家し、釈尊の弟子となる
            が、後に提婆達多の徒となる。舎利弗、目連の所行を故意に誹謗して止めず、
            釈尊は再三にわたって責めたが、瞿伽利はこれを聞き入れず、ついに、その報
            によって生きながら地獄に堕ちたという。

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【 2024/04/11 08:43 】

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法華経の女人 月水御書②

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

月水御書がっすいごしょ

 然るに如来の世に出させ給て候し国よりしては、二十万里の山海をへ

だてゝ、東によれる日域辺土の小嶋にうまれ、五障の雲厚うして、三従

のきづなにつながれ給へる女人なんどの御身として、法華経を御信用候

は、ありがたしなんどとも申すに限りなく候。

 およそ一代聖教をひらき見て、顕密二道を究め給へる様なる智者学匠だに

も、近来は法華経を捨て念仏を申し候に、何なる御宿善ありてか、此の

法華経を一偈一句もあそばす御身と生れさせ給けん。

 されば此の御消息を拝し候へば優曇華うどんげを見たるまなこよりもめづらし

一眼の亀の浮木の穴にへるよりも乏き事かなと、心ばかりは有り

がたき御事に思まいらせ候間、
一言一点も随喜の言を加て、善根の余慶

にもやとはげみ候へども、只恐くは雲の月をかくし、塵の鏡をくもらす

が如く、短くつたなき言にて、殊勝にめでたき御功徳を申し隠し、くもらす

事にや候らんと、いたみ思ひ候ばかり也。

 然りと云ども貴命きめいもだす黙止べきにあらず。一滴を紅海に加へ

爝火しゃっかを日月にそへて、水をまし光を添ふるとおぼすべし。

 づ法華経と申すは八巻・一巻・一品・一偈乃至題目を唱ふるも、功

徳は同じ事と思し食すべし。譬へば大海の水は一滴なれども無量の江河

の水を納めたり。
如意宝珠にょいほうじゅは一珠なれども万宝をふらす。百千万億の

滴珠てきじゅも又これ同じ。法華経は一字も一の滴珠の如し。
乃至万億の字も又

万億の滴珠の如し。諸経諸仏の一字一名号は、江河の一滴の水、山海の

一石の如し。一滴に無量の水を備へず、一石に無数の石の徳をそなへも

たず。
若し然らば、此の法華経はいずれの品にても御坐おわしませ、只御信用

御坐おわさん品こそめづらしくは候へ。

 総じて如来の聖教は、何れも妄語の御坐すとは承り候はねども、再び

仏教を勘へたるに、如来の金言の中にも大小権実顕密ごんじつけんみつなんど申す事、

経文より事起て候。随て論師人師の釈義にあらあら見えたり。

 詮を取て申さば、釈尊の五十余年の諸教の中に、先四十余年の説教は

猶うたがはしく候ぞかし。仏自ら無量義経に、四十余年未顕真実と申す

経文まのあたり説かせ給へる故也。

【現代語訳】

法華経は一字も一の滴珠の如し

 ところが、如来が世に出現された国からは20万里の山海をへだてた東にある日本とい

う辺土の小島に生まれ、※ 1障の雲が厚く※ 2
従の絆につながれた女性の御身として、法華

経を御信用されることは有り難いことで、どのように申してもきりがありません。

 そもそも一代聖教を開き見て、※ 3密の二道を究められたような智者や学匠でさえ、近

ごろは法華経を捨てて念仏を称えているのに、何なる御宿善があってこの法華経を一偈

一句も唱える御身と生まれてこられたのか。 

 それゆえこの御消息を拝見したら、※4曇華を見た眼よりも珍しく、※ 5眼の亀が浮木の

穴に値うよりも稀れなことかと、心より尊いことであると思いましたので、一言一点で

も随喜の言葉を加えて、善根の余慶にもなるようにと励みましたが、ただ恐らくは雲が

月をかくし、塵が鏡をくもらすように、短く拙いことばで殊勝にめでたい御功徳を隠し

て曇らせる事になるのではと痛みいる思いでございます。

 しかしながら、お尋ねに対して黙っているわけにもまいりませんので、一滴を大海に

加え、火を太陽や月に添え、水を増し光を添えると思っていただきたい。

 まず法華経というのは、8巻・1巻・1品・1偈・1句から、題目を唱えるのも功徳

は同じ事と思ってください。たとえば大海の水は一滴であっても無量の大河の水を納め

ています。如意宝珠は一つの珠であっても万宝をふらします。百千万億の滴や珠もまた

これ同じで、法華経は一字でも一つの滴珠のようなのです。そして万億の字もまた万億

の滴珠のようなものです。

 他の経や諸仏の一字一名号は大河の一滴の水山海の一石のようなものです一滴に

無量の水を備えておらず、一石に無数の石の徳を備えもっていません。したがってこの

法華経は何れの品であってもただ信用される品が尊いのです。

 総じて如来の聖教は何れも妄語があるとは聞いておりませんが、再び仏教を考えてみ

ると、如来の金言の中にも※ 6と小・※ 7と実・顕と密などということが経文から起こって

おります。従って学者や人師の釈義におおよそ見えています。肝心を取って言えば、釈

尊の50年余りの諸教の中で先の40年余りの説教は疑わしいのです。仏が自ら無量義経に

「40年余りは未だ真実を顕さず」という経文を明らかに説かれているからです。

(つづく)

【語註】

 ※1 五障:女性がもっている5種の障害。女性は梵天王、帝釈・魔王、転輪聖王、
            仏身の五つになれないとするもの。『法華経』提婆品の竜女成仏段に見られ、
            舎利弗が女人は汚れていて法器に非ずと難じ、更に五障をあげて難じている。
            これに対して竜女は、事実の即身成仏を現じて難に答える。

 ※2 三従:中国で女性の生涯を通じての従属的地位を表した道徳的教え。『礼記』
            など儒学の古典に根拠をもち、婦人は〈いまだ嫁せずして父に従い、すでに嫁
            して夫に従い、夫死して子に従う〉べきものとされた。

 ※3 顕密:顕教と密教。顕教は広く民衆に向かって開かれ、その世界観を明瞭な言
            葉で説くが、密教は真言宗のように、自己を非公開的な教団の内に閉鎖し、秘
            密の教義と儀礼を師資相承によって伝持しようとする。

 ※4 優曇華:球状をしたいちじく科の樹、またはその花、果実をいう。この花は
            3000年に一度だけ咲くといい、如来が下生する時、あるいは転輪聖王が出現す
            る時に咲くといわれる。この木は花なくして実を結ぶともいわれ、経典・論書
            には稀有なこと、あいがたいことをたとえるのに使われ、『法華経』方便品で
            は、諸仏が法華経を説くことは、優曇鉢の華が一度だけ咲くようなものである
            と説かれている。

 ※5 一眼の亀:仏や仏の説く正法に巡り合うことがいかに難しいかを示す譬えに登
            場する亀。『法華経』妙荘厳王本事品第27には「仏に巡り合うことが難しいの
            は、一眼の亀が浮き木の穴に巡り合うのと変わらない」とある。日蓮は「松野
            殿後家尼御前御返事」に、次のように説明している。深海の底に一匹の亀がい
            た。眼は一つしかなく、手足もひれもない。腹は鉄が焼けるように熱く、背の
            甲羅は雪山(ヒマラヤ)のように冷たい。1000年に一度しか海面に上がること
            ができない。この亀の願いは海面で栴檀の浮き木に巡り合い、その木の穴に入
            って腹を冷やし、甲羅を日光で温めることである。しかし、亀の体にあった穴
            がある栴檀の浮き木に巡り合う可能性はないに等しい。もし巡り合ったとして
            も亀は浮き木を正しく追うことができない。人々が法華経に巡り合い受持して
            いくことは、この一眼の亀が栴檀の浮き木に巡り合うのと同じくらい難しいと
            説かれる。この話は、「盲亀浮木」の譬えともいう。

 ※6 大と小:大乗仏教と小乗仏教。

 ※7 権と実:権教と実教。権教は仏が衆生を実教に導き入れるために、衆生の受容
            能力に応じて説いた権【かり】の教え、経典のこと。実教は仏が自らの覚りを
            そのまま説いた真実の教え、経典のことで、天台宗の教判では、法華経のみを
            実経と位置づける。

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テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2024/04/09 05:37 】

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