なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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3月1日(火)
出迎えてくれたガネーシャも、なんとも豪華。
レストランも当然のごとく凄い。
夜中の1時30分に夕食をとって、寝たのが2時30分。で、5時に起きたから、2時間半しか寝てない。そのうえ、昼食の時間との兼ね合いもあって今朝は出発が早いので、6時40分に朝食。これじゃ、なんぼご馳走が並んでたって、食べられないって。!
ホテルを出てタージ=マハルに向かったのが、午前7時30分。人生で数回しか泊まれないような5ツ星ホテルの滞在時間がたったの7時間。風呂入って、飯喰って、糞して、寝ただけじゃんか。忌々しいインドの鉄道め、くそぉ。
タージ=マハルの入場券はQRチケット。入場料250ルピーに、ADAという考古学局に払う別料金500ルピーを足して750ルピー(1,500円)。でも、これは外人観光客の値段で、インド人はたったの30ルピーだってさ。この差はあんまりじゃないですか。
でも、この値段は今月いっぱい。来月(2016年4月)から外国人1,000ルピーになるんだってさ。日本円で2,000円だから、それくらいいいんじゃないの、ってか。日本のお城で一番高い入場料取ってるのが姫路城だけど、それでも1,000円だからね。日本とインドの物価考えたら、やっぱり高過ぎる。
さあ、この赤砂岩の門をくぐれば、いよいよタージ=マハルだ。
じゃ~ん。あれっ、工事中かよ。ミナレットに足場が架けられてる。
人が少ないから、こんなアホなこともできた。
4本のミナレットがあるのでモスクだと思っている人がいるが、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが愛するムムターズ・マハルのために造った霊廟、すなわちお墓だ。ムムターズ・マハルは本名アルジュマンド・バーヌー・ベーガム。ムムターズ・マハルは“宮廷の選ばれし者”という意味の称号。写真を見ての通りの可愛子ちゃんで、シャー・ジャハーンに愛されて18年間に14人の子供を産み、産褥【さんじょく】熱で37歳で亡くなった。おー、愛しのマハルちゃん、可哀想に。僕が君を愛していた証拠を見せよう、ということで、22年の歳月と2万人の職工に命じて造らせたのがタージ=マハル。恐らく世界で一番豪華なお墓だろう。でも、考えてごらん。お前が悪いんだろう。一夫多妻制で他にも奥さんはいたのに、ムムターズ・マハル一人に毎年のように子供を産ませて。本当に愛してるんだったら、もっといたわってやれば良かったんだよ。
さあ、次はアグラ城だ。(つづく)
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昨夜、いや今日の深夜に予定より3時間程遅れて着いたので、写真とる余裕無し。てな訳で、写真はネットからの借り物。なんとも立派なホテルは、Jaypee Palace Hotei。もちろん5ツ星。
出迎えてくれたガネーシャも、なんとも豪華。
玄関はアグラ城と同じ赤砂岩造り。
廊下がこれまた立派で、タージ=マハルと同じ白大理石造り。
中庭も凄い。なんせ庭園の広さが25エーカーだと。アラブの大富豪が奥さんにタージ=マハルを見せてやりたけど、ろくなホテルが無いってんで、自分でホテル建てちゃったんだってさ。部屋数が400以上、レストランは5つもある。ただ、難点が一つ。広すぎて部屋からレストランまでが遠く、途中で迷子になることだ。
レストランも当然のごとく凄い。
夜中の1時30分に夕食をとって、寝たのが2時30分。で、5時に起きたから、2時間半しか寝てない。そのうえ、昼食の時間との兼ね合いもあって今朝は出発が早いので、6時40分に朝食。これじゃ、なんぼご馳走が並んでたって、食べられないって。!
ホテルを出てタージ=マハルに向かったのが、午前7時30分。人生で数回しか泊まれないような5ツ星ホテルの滞在時間がたったの7時間。風呂入って、飯喰って、糞して、寝ただけじゃんか。忌々しいインドの鉄道め、くそぉ。

15分ほどでタージ=マハルに到着。近年、工場から排出される亜硫酸ガスや自動車の排気ガスによる大気汚染の影響で、タージ=マハルの白い大理石が汚染と劣化の危機にならされている。というわけで、タージ=マハルから500m以内はガソリン車通行禁止。馬で行くか、ラクダで行くか、歩いていくか、電気自動車で行くしかない。電気自動車が一番ラクダということで、これに乗って入場ゲートに向かう。
タージ=マハルの入場券はQRチケット。入場料250ルピーに、ADAという考古学局に払う別料金500ルピーを足して750ルピー(1,500円)。でも、これは外人観光客の値段で、インド人はたったの30ルピーだってさ。この差はあんまりじゃないですか。

でも、この値段は今月いっぱい。来月(2016年4月)から外国人1,000ルピーになるんだってさ。日本円で2,000円だから、それくらいいいんじゃないの、ってか。日本のお城で一番高い入場料取ってるのが姫路城だけど、それでも1,000円だからね。日本とインドの物価考えたら、やっぱり高過ぎる。

さあ、この赤砂岩の門をくぐれば、いよいよタージ=マハルだ。
じゃ~ん。あれっ、工事中かよ。ミナレットに足場が架けられてる。
無粋なんで、9年前に来た時の写真。この時は日曜日だったんで、滅茶苦茶な人の数だった。
今回は平日の朝一番ということで、人が少ないから、前回は取れなかったこんな写真も撮れた。水に映ったタージもいいね~。
人が少ないから、こんなアホなこともできた。


4本のミナレットがあるのでモスクだと思っている人がいるが、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが愛するムムターズ・マハルのために造った霊廟、すなわちお墓だ。ムムターズ・マハルは本名アルジュマンド・バーヌー・ベーガム。ムムターズ・マハルは“宮廷の選ばれし者”という意味の称号。写真を見ての通りの可愛子ちゃんで、シャー・ジャハーンに愛されて18年間に14人の子供を産み、産褥【さんじょく】熱で37歳で亡くなった。おー、愛しのマハルちゃん、可哀想に。僕が君を愛していた証拠を見せよう、ということで、22年の歳月と2万人の職工に命じて造らせたのがタージ=マハル。恐らく世界で一番豪華なお墓だろう。でも、考えてごらん。お前が悪いんだろう。一夫多妻制で他にも奥さんはいたのに、ムムターズ・マハル一人に毎年のように子供を産ませて。本当に愛してるんだったら、もっといたわってやれば良かったんだよ。
いま、ムムターズ・マハルはタージ=マハルの中で、シャー・ジャハーンと並んで静かに眠っている。みんな一生懸命に写真を撮ってるんで言わなかったんだけど、このお墓はレプリカ。本当のお墓は地下にある。平成5年に来た時は地下にも入れてくれたんだけど、最近は入れてくれない。地下のお墓は撮影禁止だったんだけど、警備の兵隊さんが指一本立ててウインクしたんで、1ドルあげて写真撮らせてもらった。いい加減な国だけど、中国もパキスタンもみんな一緒。お堅いことは言わない。
実はこの写真は前回撮したもの。今回も撮そうとしたら、ガイドのラケシュ君が、「撮影禁止です」とおっしゃる。「えっ、前来た時は撮せたのに」と言ったら、「ずっと撮影禁止です」って。前のガイドさん、そんな事言ってなかったけどな~。まあ、何回撮しても一緒だから、今回は撮すの止めた。
それではしばらくタージ=マハルの写真をお楽しみ下さい。
実はこの写真は前回撮したもの。今回も撮そうとしたら、ガイドのラケシュ君が、「撮影禁止です」とおっしゃる。「えっ、前来た時は撮せたのに」と言ったら、「ずっと撮影禁止です」って。前のガイドさん、そんな事言ってなかったけどな~。まあ、何回撮しても一緒だから、今回は撮すの止めた。
それではしばらくタージ=マハルの写真をお楽しみ下さい。
さあ、次はアグラ城だ。(つづく)
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2月29日(月)
午後2時、昼食を済ませラクナウ駅に向けてホテルを出発。再び、インドの車窓より。早速、インドのギャルを発見。
カレー屋さん。
真ん中のおっちゃんお札をポケットに入れてるけど、スリに気をつけてね。右の三角屋根についてるマーク、逆の卍に点が4つ。これヒンドゥー教のマークだよ。
バイクが4台停まって入るところが、インディアン銀行のATM。なんか、やばそう。
スクーターの親子三人連れ。赤いスカーフで顔を覆っていると、魅惑的ですね~。
駅が近いのか、だんだんと道が混んできましたよ。
さらに、混んできました。
午後2時30分、ラクナウ駅に到着。駅舎はイスラーム建築の赤と白の立派な建物である。ウッタル・プラデッシュ州の州都の駅だけあって、写真に収まりきらないほど大きい。
まずは、僕らの乗る電車をパチリ。
インターシティ・エクスプレス(ICE)ラクナウ発アグラ行き。ICEはごく普通の急行列車。
A.C.Cはエアコン付座席のこと。インドの電車のエアコンは強か切りしかなく、エアコンをガンガン効かすので、時には震えていなければならないこともある。
鉄道の駅で荷物を運んでくれるポーターは日本では赤帽と呼ばれていたけど、インドは赤シャツ。現地ではクリーと呼ばれている。彼らは凄い身体能力を持っていて、資格認定試験で実際に行われた体力テストがなんと、40キログラムの荷物を担いで40秒以内に200メートルを疾走することなんだって。日本の赤帽さん、脱帽。

電車は午後3時55分、静かに走り出した。インドではアナウンスも無ければ、発車のベルもない。静かに静かに電車は動き出す。考えたら日本は忙しない国だ。インドの電車や飛行機は1時間、2時間の遅れは当たり前。ところが、今日はほぼ定刻通り。これでいけば、午後9時55分のアグラに到着する。ところがどっこい、そうはいかないのがインドだ。
順調に走っていたのは最初だけ。暫くすると停車。走り出したかと思うと、また停車。この繰り返し。日本だと遅れている理由がアナウンスされるけど、インドでは一切そういうことはしない。理由が分からないから、イライラしてくる。が、僕らのグループは慣れたもんで、インドはそんなもんだと思っているから、「また停まった」と言って、ニヤニヤ笑っている。
イライラして来そうになる僕らを救ったのがこの少年。日本人がよっぽど珍しいのか、僕らのところへやって来て、何か言っている。言葉が通じなくてもどかしい。お菓子をあげると嬉しそうな顔をして、お母さんに報告に行く。暫くすると、お菓子を返しに来た。きっとお母さんに「知らない人から物貰っちゃ駄目」って言われたんだろうね。お母さんのところと僕らのところを行ったり来たり。結局名前も分からなかったけど、この子のお陰で時間の経つのも、腹が減ったことも忘れることができた。ありがとうね。
アグラに近づいた頃に3時間遅れになっていることが分かり、急遽2つ前のラジャ・キ・マンディ駅で降りることにした。時間は午前0時10分。荷物は降ろしている暇はないので、ガイドのラケシュ君がアグラまで載って行って、降ろすことになった。
ホテルに着いたのが午前0時40分。奥村君の話では時間が余りに遅いので残念ながらセットメニューになっているということだったが、レストランに入ってみるとスタッフがちゃんと待っていてくれて、通常のバイキングを楽しむことができた。ダールカレーなど最高の味なのだが、腹が減りすぎたのと、遅い時間帯なので、今イチ食が進まない。
食事が終わったのが、午前1時30分。さっとシャワーを済ませ、ベッドに入ってバタンキュー。明日はいいいよタージ・マハルだ。お休みなさい。(つづく)
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2月29日(月)

今年は閏年で、8月5日にはリオデジャネイロ・オリンピックも始まる。というわけで、一日儲かった今日29日は一日かけてタージ=マハルのあるアグラへ移動する。午前7時30分にホテルを出発。午前中はウッタル・プラデーシュ州の州都であるラクナウまでのバスの旅。何もすることがないので、車窓からのインドの風景をお楽しみいただこう。
さっそく、目に飛び込んできたのが、日本ではとんでもないことだが、インドではごく普通の光景。
午前10時過ぎ、変な集団が歩いている。
次から次へと同じような集団が同じ方向を目指して歩いて行く。それも、カラフルに飾りたてた天秤棒のような物を担いで。???何?
ガイドさんに聞いたら、ガンジス川に水を汲みに行く連中だそうだ。村のお寺のシヴァ神を浄めるための水を汲みにガンジス川まで歩いて行くそうな。ネットで調べたらカワルと呼ばれる行事らしいけど、デリーの近辺じゃ8月頃に行われる一大イベントみたいだ。どこまで歩いて行くんか知らんけど、ご苦労さんなことだ。なまぐさ坊主、脱帽。

午前10時45分、大きな町が近いのか、次第に道が混んできた。
混雑の原因は道路工事でした。
インド風コンビニ。
おいっ、あんまり見つめるな。
道路工事による渋滞をようやく抜けたと思ったら、今度は袋に入った積荷を載せたトラクターやらトラックで大渋滞。どうやら袋の中身はジャガイモらしい。この町にはジャガイモの集積所があるらしく、それで矢鱈めったらと混んでいる。
午後12時20分、ようやくラクナウの町に着いた。昼食は La Place Sarovar Portico というホテルのレストランでいただくんだけど、道路工事をしていてバスが入れないため、大通りにバスを停めて歩くことになった。すると、とたんに二人の女の子が寄ってくる。
手にボールみたいなものを持ってるけど、これに金を入れろってか?そんな金ありませんよ~だ。
現地ガイドのラケシュ君が道を間違えたらしく、団地の中をぐるぐる回ってようやくホテルに着いた。こぢんまりとしてるけど、なかなかのホテルだ。
テーブルの上には素敵なカードが。Enjoy your dish your way.Perrfect ! あなたの料理をあなたの方法でお楽しみください。完璧に!あれっ、正しい綴りはPerfectじゃないの。r が1個多いよ。これって、インドリッシュの綴り?
午後12時40分、ようやくお昼ご飯。ぎんぎんに冷えたビールに、いつものインド料理に、いつものナン。いや、ナンはいつものと違ってバターナンにガーリックナン。まあ、都会のホテルだから、田舎とは違うぞ、と言いたいんだろうけど、普通のナンのほうが美味い。
昼からビール飲み過ぎて、おしっこ。写真じゃ分からないと思うけど、インドの便器はえらい高い。インド人は大柄な人が多いから仕方ないんだけど、僕らが用を足そうとすると爪先立ちしないと、チ〇チ〇が便器についてしまう。素面の時はいいけど、酔って足下がふらついていると、もう大変。
やっとの思いでおしっこを終えて席についた時、バリーンという音。ボーイさんがビール瓶を床に落として割っちゃった。でも、二人のボーイさんは知らん顔。おいっ、割れた瓶片付けて、濡れた床を拭かんかい。でも、知ら~ん顔。
そう、これがカースト制度だ!ボーイさん達は上位カーストで床に落ちた物は絶対に拾わない。そんな仕事はもっと下のカーストのやることだ、ってわけだ。噂には聞いていて、世界史の授業で教えてはいるけど、まさか目の前で見ることになるとはね。教材に写真を撮ろうと思ったけど、流石に憚られたんで画像は無い。暫くしてから別の人間が床を片付けに来た。生きた世界史の授業でした。
さあ、午後はいよいよ列車に乗ってアグラに向けて出発だ。(つづく)
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2月28日(日)
午後3時25分、サヘート遺跡に到着。案内板にはJETAVAN、ジェータ園と書かれている。ここがあの有名な祇園精舎の跡で、19世紀半ばにイギリスの考古学者アレクサンダー・カニンガムによって考古学的に証明されている。この地はネパールとの国境に近いオウドの北方約93キロのところにあり、ガンジス川の支流ラプティ川の旧河道に接し、ヒンドゥスタン平原のただ中にある。現在は10万平方メートル(東京ドームの約2倍)もある歴史公園として整備されている。
今日は日曜日なんで参詣者で溢れかえっている。なかなか順番も回ってきそうもないんで、歩きながら祇園精舎の話をしよう。
ブッダの布教活動は初めマガダ国のラージャガハ(王舎城)が中心だったけど、やがて西北にあるコーサラ国にも広がっていった。マガダ国はガンジス川の中流あたりに位置し、コーサラ国はガンジス川の支流ラプティ川の流域にあり、都はシュラヴァスティーといった。漢訳仏典では舎衛城と訳す。スダッタはこのシュラヴァスティーの大富豪だ。スダッタは「よく布施をする人」という意味なんだけど、その名の通りボランティア精神にあふれた人で、貧しい人々や身寄りのない人に惜しみなく施しをしたので、「身寄りがない孤独な者に食事を支給する長者」という意味で、アナータピンディカ(給孤独【ぎつこどく】)長者とも呼ばれた。
スダッタは商売で成功した新興の豪商で、マガダ国の大富豪の妹を嫁さんにしていたので、よく商用でラージャガハを訪れていた。ある時、スダッタがラージャガハに来てみると、義理の兄ちゃんが忙しそうにあたふたと動き回っている。理由を聞くと、竹林精舎におられるブッダとその教団の修行僧たちをご招待するのに忙しいのだと言う。
スダッタは、ブッダという言葉を聞いただけで驚いてしまう。近頃誰一人知らぬ者はいないというほど高名なブッダがこの町におられると知ったもんだから、落ち着いてはいられない。「私もこれから出かけて行って、すぐにでもお目にかかりたい」と言うのを、義理の兄ちゃんに「明日の朝にしなさい」と止められちゃった。
翌朝、スダッタは夜の明けるのももどかしく、転がるように急いで竹林精舎へと向かった。ブッダはその朝、コーサラ国のスダッタが会いに来るということを知って、道の傍らで待っていた。スダッタが近づくと、「おお、スダッタ、よく来た」 と声をかけた。
スダッタは飛び上がらんばかりに感激してしまった。だってブッダが自分の名前を呼んでくれたんだよ。こんな光栄なことはないよね。嬉しくて、即座にブッダの足元にひれ伏した。スダッタは、「ブッダ、わが名を呼びたもう」と、後々まで語り続けたとのことだ。
ブッダは、はるばる訪ねて来たスダッタに布施と持戒について説き、その果報によって天上に生まれることを教え、スダッタは在家のままでブッダの弟子となった。この時、スダッタは、「ここはマガダ国。どうか、わがコーサラ国へも、教団の皆さんとおいでいただきたい。精舎を寄進いたします」とお願いして、ブッダの承諾を得た。
商用もそこそこに済ませコーサラ国のシュラヴァスティーの自宅へ戻ると、スダッタはブッダの教団のために僧院を寄進すべく、ふさわしい場所を懸命に探した。ちょうど適当な土地が見つかったんだけど、そこはコーサラ国王パセーナディの太子ジェータ所有の園林だった。
スダッタは、ジェータ太子に、「この土地をブッダの教団に寄進したいので売って欲しい」と交渉したんだけど、答えはNO。「買いたい」「売らない」という問答が延々と続いたんだけど、ある時、太子が思わず、「たとえこの土地に金貨を敷き詰めたとしても、売らないよ」と言ってしまった。これを聞いたスダッタはニヤッと笑って、「勝った」と小さく叫んだ。
太子の言葉を聞き逃さなかったスダッタは、『金貨』という言葉が出たんだから、金貨を敷き詰めた部分だけは売ってくれるはずだと考え、車で金貨を運ばせ、その土地に並べ始めた。スダッタにとってはあり余るほどの金貨だったけど、敷き詰めてみると金貨はわずか入り口のあたりを埋めるだけだった。なんせジェータ園の遺跡は考古学者の実測によると19,170坪もある。東京ドームの広さの1.35倍の広さだよ。これに金貨を敷き詰めようというんだから、金貨がなんぼあっても足りない。スダッタはそれにもめげず、私財をなげうって金貨を敷き続け、少しもあきらめる様子を見せなかった。
それを見たジェータ太子は、スダッタの信仰の篤さに感心し、とうとう入り口は自分が寄進することを条件に園林を売ってくれることになった。スダッタはそこに精舎を建て、教団に寄進したんだけど、これが有名な祇園精舎だ。さっき書いたけど、スダッタの別名が給孤独長者。広い土地をスダッタに分けてやり、自らは僧院の門を寄進したジェータ太子は漢訳で祇陀【ぎだ】太子。そこで、新しく建てられたこの僧院は二人の名をとって、「祇樹給孤独園精舎【ぎじゅぎつこどくおんしょうじゃ】」、略して祇園精舎(ジェータヴァナ・ヴィハーラ)と呼ばれるようになったという訳だ。
添乗員の奥村君が以上のお話を長々と語ってくれた。僕は知ってるので半分上の空。ところが、僕に耳がある言葉に反応した、奥村君が一度この祇園精舎からヒマラヤを見たことがあると言うんだ。ブッダが雨期の3カ月間雨安居を過ごした場所は6カ所あったようなんだけど、ここ祇園精舎が26回と断トツに多いんだ。第2位の竹林精舎が5回だから、ブッダはほとんどこの祇園精舎で雨安居を過ごしている。その謎が今解けた。故郷カピラヴァットゥはヒマラヤの麓、ブッダは幼い頃から白く輝く山々を見て育った。そのヒマラヤが望むことができる祇園精舎が大好きだったんだね。いや~、新たな発見です。奥村君、ありがとうね。
だいぶ話が長くなっちゃったね。続きは今度にしよう。(つづく)
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午後3時25分、サヘート遺跡に到着。案内板にはJETAVAN、ジェータ園と書かれている。ここがあの有名な祇園精舎の跡で、19世紀半ばにイギリスの考古学者アレクサンダー・カニンガムによって考古学的に証明されている。この地はネパールとの国境に近いオウドの北方約93キロのところにあり、ガンジス川の支流ラプティ川の旧河道に接し、ヒンドゥスタン平原のただ中にある。現在は10万平方メートル(東京ドームの約2倍)もある歴史公園として整備されている。
今日は日曜日なんで参詣者で溢れかえっている。なかなか順番も回ってきそうもないんで、歩きながら祇園精舎の話をしよう。
ブッダの布教活動は初めマガダ国のラージャガハ(王舎城)が中心だったけど、やがて西北にあるコーサラ国にも広がっていった。マガダ国はガンジス川の中流あたりに位置し、コーサラ国はガンジス川の支流ラプティ川の流域にあり、都はシュラヴァスティーといった。漢訳仏典では舎衛城と訳す。スダッタはこのシュラヴァスティーの大富豪だ。スダッタは「よく布施をする人」という意味なんだけど、その名の通りボランティア精神にあふれた人で、貧しい人々や身寄りのない人に惜しみなく施しをしたので、「身寄りがない孤独な者に食事を支給する長者」という意味で、アナータピンディカ(給孤独【ぎつこどく】)長者とも呼ばれた。
スダッタは商売で成功した新興の豪商で、マガダ国の大富豪の妹を嫁さんにしていたので、よく商用でラージャガハを訪れていた。ある時、スダッタがラージャガハに来てみると、義理の兄ちゃんが忙しそうにあたふたと動き回っている。理由を聞くと、竹林精舎におられるブッダとその教団の修行僧たちをご招待するのに忙しいのだと言う。
スダッタは、ブッダという言葉を聞いただけで驚いてしまう。近頃誰一人知らぬ者はいないというほど高名なブッダがこの町におられると知ったもんだから、落ち着いてはいられない。「私もこれから出かけて行って、すぐにでもお目にかかりたい」と言うのを、義理の兄ちゃんに「明日の朝にしなさい」と止められちゃった。
翌朝、スダッタは夜の明けるのももどかしく、転がるように急いで竹林精舎へと向かった。ブッダはその朝、コーサラ国のスダッタが会いに来るということを知って、道の傍らで待っていた。スダッタが近づくと、「おお、スダッタ、よく来た」 と声をかけた。
スダッタは飛び上がらんばかりに感激してしまった。だってブッダが自分の名前を呼んでくれたんだよ。こんな光栄なことはないよね。嬉しくて、即座にブッダの足元にひれ伏した。スダッタは、「ブッダ、わが名を呼びたもう」と、後々まで語り続けたとのことだ。
ブッダは、はるばる訪ねて来たスダッタに布施と持戒について説き、その果報によって天上に生まれることを教え、スダッタは在家のままでブッダの弟子となった。この時、スダッタは、「ここはマガダ国。どうか、わがコーサラ国へも、教団の皆さんとおいでいただきたい。精舎を寄進いたします」とお願いして、ブッダの承諾を得た。
商用もそこそこに済ませコーサラ国のシュラヴァスティーの自宅へ戻ると、スダッタはブッダの教団のために僧院を寄進すべく、ふさわしい場所を懸命に探した。ちょうど適当な土地が見つかったんだけど、そこはコーサラ国王パセーナディの太子ジェータ所有の園林だった。
スダッタは、ジェータ太子に、「この土地をブッダの教団に寄進したいので売って欲しい」と交渉したんだけど、答えはNO。「買いたい」「売らない」という問答が延々と続いたんだけど、ある時、太子が思わず、「たとえこの土地に金貨を敷き詰めたとしても、売らないよ」と言ってしまった。これを聞いたスダッタはニヤッと笑って、「勝った」と小さく叫んだ。
太子の言葉を聞き逃さなかったスダッタは、『金貨』という言葉が出たんだから、金貨を敷き詰めた部分だけは売ってくれるはずだと考え、車で金貨を運ばせ、その土地に並べ始めた。スダッタにとってはあり余るほどの金貨だったけど、敷き詰めてみると金貨はわずか入り口のあたりを埋めるだけだった。なんせジェータ園の遺跡は考古学者の実測によると19,170坪もある。東京ドームの広さの1.35倍の広さだよ。これに金貨を敷き詰めようというんだから、金貨がなんぼあっても足りない。スダッタはそれにもめげず、私財をなげうって金貨を敷き続け、少しもあきらめる様子を見せなかった。
それを見たジェータ太子は、スダッタの信仰の篤さに感心し、とうとう入り口は自分が寄進することを条件に園林を売ってくれることになった。スダッタはそこに精舎を建て、教団に寄進したんだけど、これが有名な祇園精舎だ。さっき書いたけど、スダッタの別名が給孤独長者。広い土地をスダッタに分けてやり、自らは僧院の門を寄進したジェータ太子は漢訳で祇陀【ぎだ】太子。そこで、新しく建てられたこの僧院は二人の名をとって、「祇樹給孤独園精舎【ぎじゅぎつこどくおんしょうじゃ】」、略して祇園精舎(ジェータヴァナ・ヴィハーラ)と呼ばれるようになったという訳だ。
添乗員の奥村君が以上のお話を長々と語ってくれた。僕は知ってるので半分上の空。ところが、僕に耳がある言葉に反応した、奥村君が一度この祇園精舎からヒマラヤを見たことがあると言うんだ。ブッダが雨期の3カ月間雨安居を過ごした場所は6カ所あったようなんだけど、ここ祇園精舎が26回と断トツに多いんだ。第2位の竹林精舎が5回だから、ブッダはほとんどこの祇園精舎で雨安居を過ごしている。その謎が今解けた。故郷カピラヴァットゥはヒマラヤの麓、ブッダは幼い頃から白く輝く山々を見て育った。そのヒマラヤが望むことができる祇園精舎が大好きだったんだね。いや~、新たな発見です。奥村君、ありがとうね。
だいぶ話が長くなっちゃったね。続きは今度にしよう。(つづく)
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2月28日(日)
おはようございます。今日も昨日に続き7時30分にホテル出発ですので、朝食は6時30分。昨晩は鍋で多少飲みすぎたんで、お粥に鮭茶漬けをかけたものに、目玉焼きと野菜と軽めの朝食。
さあ、コーサラ国の都サラヴァスティー(舎衛城)をめざします。
しばらく走ったところで、国道に象がいたゾウ。びっくりだゾウ。みんな慌ててバスを降りる。知ってる人はバナナやオレンジを持って。僕は何も持ってなかったので、空手で降りた。
あっ、カメラ忘れた。バスに戻ってると、象が行っちゃうので、奥さんのを借りる。バナナやみかんを象にあげるところを撮りたかったのに、間に合わなかった。
それにしても、やっぱでかいね。動物園の檻の中にいるのを見るのと訳が違う。
奥さんもびっくり。
牙の先っぽは人間を傷つけないように切ってある。
9時20分、トイレ休憩。
これはオートリキシャ。apeって昔日本で走っていたダイハツ・ミゼットみたいだけど、3輪スクーターだよ。昭和40年代と現代が混在している。インドらしいね~。ちなみに、インドのガソリンはリッター60ルピー(120円)と日本並み。インド人の平均月収は3万円ほどなので、ガソリンがえらい高い。
午後1時30分、サラヴァスティーに到着。いったんホテルに入って、昼食。メニューはいつもの通り。ビールもいつもの通り。
さあ、午後はいよいよ祇園精舎だ。(つづく)
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おはようございます。今日も昨日に続き7時30分にホテル出発ですので、朝食は6時30分。昨晩は鍋で多少飲みすぎたんで、お粥に鮭茶漬けをかけたものに、目玉焼きと野菜と軽めの朝食。
さあ、コーサラ国の都サラヴァスティー(舎衛城)をめざします。
しばらく走ったところで、国道に象がいたゾウ。びっくりだゾウ。みんな慌ててバスを降りる。知ってる人はバナナやオレンジを持って。僕は何も持ってなかったので、空手で降りた。
あっ、カメラ忘れた。バスに戻ってると、象が行っちゃうので、奥さんのを借りる。バナナやみかんを象にあげるところを撮りたかったのに、間に合わなかった。
それにしても、やっぱでかいね。動物園の檻の中にいるのを見るのと訳が違う。
奥さんもびっくり。
牙の先っぽは人間を傷つけないように切ってある。
これ、サーカスなんかで芸をする象じゃなくて、力仕事をする働き象だ。現代風に言えばトラックとユンボを兼ねた存在。こんなのが国道を歩いてるんだから、さずがインドですな。いい一時でした。象さん、ありがとう。象いたしまして。(笑)
9時20分、トイレ休憩。
以前だと男は適当にその辺で、女性陣は豆畑で用を足したもんだ。インド式ドライブインの汚い便所よりも、大空の下でするほうがよっぽど気持ちがいい。最初のうちはやや抵抗があるんだけど、いつの間にか羞恥心は忘れて、子供の頃に帰った気分で堂々とおしっこ、時には大きいほうも出来るようになる。おしり丸出しで、車から誰かが見ていても、平気で用を足すようになる。
でも、インドもだんだん近代化が進み、日本でいう「道の駅」があちこちに出来てきた。ちなみに右手に写っている車はインドの国民車アンバサダー。1958年に生産が開始されてからほとんどモデルチェンジをしていないことから、「走るシーラカンス」と呼ばれる乗用車だ。長い間インドの権力者に愛されてきたアンバサダーは、現在も官僚や政治家、高級将校の運転手付き自動車として使われている。青のアンバサダーは空軍、黒は陸軍、白は海軍と政治家用なんだって。タクシーにも使われていて、1920年代のアメリカがフォードのモデルTで溢れていたように、以前は町中に溢れていた。でも最近が輸入車に押されて販売が低迷し、2014年にとうとう生産停止になったそうだ。
左手の車はロゴマークで分かる通り、スズキの子会社マルチ・スズキの乗用車。マルチ・スズキのインドでのシェアは47%。インドの車の2台に1台がスズキの車だ。スズキ頑張ってるね。
これはオートリキシャ。apeって昔日本で走っていたダイハツ・ミゼットみたいだけど、3輪スクーターだよ。昭和40年代と現代が混在している。インドらしいね~。ちなみに、インドのガソリンはリッター60ルピー(120円)と日本並み。インド人の平均月収は3万円ほどなので、ガソリンがえらい高い。
午後1時30分、サラヴァスティーに到着。いったんホテルに入って、昼食。メニューはいつもの通り。ビールもいつもの通り。
さあ、午後はいよいよ祇園精舎だ。(つづく)
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