なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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8月5日(土)
午後6時15分、ガンガラーマ寺院を出て、15分余りで独立記念ホールに到着。
独立記念ホール(インデペンデンス メモリアル ホール)は、イギリスから自治領セイロンとして独立した記念として1948年2月4日に建てられた建造物。
この建物覚えてますか?キャンディの仏歯寺にあった「王の集会所」と呼ばれていた建築物でしたね。1815年、ここでキャンディ王国がイギリスの植民地となる調印式が執り行われている。実は独立記念ホールはこの「王の集会所」を模したデザインとなっている。イギリスに130年余り支配されたシンハラ人の悔しさが何となく分かるよね。
だいぶ薄暗くなって来てるので分かりずらいけど、記念ホールの周囲にはスリランカのシンボル的ライオンのオブジェが置かれている。
ホールの前にある像はドン・ スティーブン・ セナナヤケの像。彼はセイロンの独立運動を指導した建国の父であり、初代大統領でもある。
ちょっとスリランカの政治も勉強しとこうか。1815年にスリランカを支配下においたイギリスは、"少数派"のタミル人を行政府官吏に重用して、"多数派"のシンハラ人を統治させる「分割統治」を行った。「分割統治」はイギリスがインドでもやった汚い政治手段。内部対立を煽ることで自国への反抗心を削ごうとするもので、その結果ヒンドゥー教のインドとイスラーム教のパキスタンに分離独立してしまう。この分割統治の結果、シンハラ人は貧しい農村でコメの生産などに従事する一方、タミル人のみが優れた教育を受け、官吏以外にも商人や資本家など社会的に高い地位を占めるようになった。これが後に民族間の確執へと発展する火種となってしまう。
1951年にスリランカ自由党を創設したバンダラナイケは「シンハラ人優遇政策」を掲げ、1956年の選挙で圧勝。シンハラ語を唯一の公用語とするシンハラ・オンリー政策など急進的な政治を展開。タミル人はこれに強い反感を抱き、同年以降、シンハラ人との間で大規模な衝突が頻発。1983年には本格的内戦となり、2009年に内戦が終結するまでに約7万人が戦死、約28万人ものタミル人が国内避難民となるという悲劇となった。
イギリスが自らの責任を認め謝罪したという話は聞いたことがない。それはスリランカ内戦だけの話ではない、パレスチナ問題もしかり。大英帝国が聞いて呆れるね。

午後7時15分、夕食。スリランカ最後の食事は海岸近くにあるSeaFish Restaurant & Bar。
みんなお腹がすいているのか、我先にと店内へ。
人気の店なのか店内はかなり混んでいる。レストランというよりもバーと言ったほうが良いが、ブルーの照明でなかなかいい雰囲気だ。
まずは生ビールで乾杯したあとシーバースをロックで。しかし、今回の旅ではよく呑んだね~。いきなりバンコクの空港でちょっとしたつまみで呑んだのが37,000円。その後、昼食5回と夕食5回の飲み代が〆て109,980ルピー、日本円で82,210円。これ6人で呑んだんだからね。飲み代だけで一人20,000円だぞ。

メインデッシュはワタリガニの唐揚げ、海老の天ぷら、烏賊リング。
それに、カジキマグロの香味焼き。日本と同じく四方を海に囲まれているだけあって、シーフードが絶品。なっちゃんはカジキマグロ2枚をペロリ。あとは要らないと言うんで、おつまみ用に烏賊リングを全部貰った。
食後のデザートは奥村君が途中で買ったランブータン。マレー語で〝毛の生えたもの〟という意味だそうで、何とも奇妙な果物だ。
皮を剥くとこんな感じ。楊貴妃が愛して止まなかったと言われているライチ(茘枝)や龍眼と同じ仲間で、味もよく似ている。
午後9時、レストランをあとに空港へ。午後9時30分、空港に到着。タイ国際航空TG308便はやや遅れて、午前1時30分テイクオフ。使用機材はエアバスA330-300。
スリランカ時間の午前1時55分、夜食。チキンカレー。
バンコク時間の午前6時にスワンナプーム空港に到着。バスでターミナルビルへ。ここで愛知県からおいでたIさんとお別れ。6日間も一緒にいたから、分かれる時についホロリ。
午前8時55分、30分遅れでTG672便は大阪に向けてテイクオフ。使用機材はエアバス380-800。
午前9時20分、朝食。シーフードの焼きうどん。これが結構美味い。
奥さんはオムレツ。
旅の締め括りはやっぱりこれ。焼きうどんをつまみにダブルのロックを3杯。ほろ酔い加減で、午後4時20分関西空港に到着。乗り換え時間があまりないんで、入国手続きを済ませたあと、慌ただしく皆さんとお別れ。金沢組は午後5時14分発のはるか42号に乗車。新大阪駅でサンダーバード39号に乗り換えて、金沢に到着したのが午後8時56分。
今回は6泊7日のわりと短い旅だったけど、中身の非常に濃い旅だった。なっちゃんとも本当の爺と孫の関係になれたし、点数つければ150点かな。
2019年はミャンマーの予定。また来年の9時頃から旅行記アップしますんで、ご愛読のほど宜しくね。(おわり)
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今回は6泊7日のわりと短い旅だったけど、中身の非常に濃い旅だった。なっちゃんとも本当の爺と孫の関係になれたし、点数つければ150点かな。

2019年はミャンマーの予定。また来年の9時頃から旅行記アップしますんで、ご愛読のほど宜しくね。(おわり)
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8月5日(土)
これはヴィシュヌ神かな?青い身体をしていて、手が4本。後ろの左手には法螺貝を持ってるんでヴィシュヌ神に違いないと思うけどね。ただ一つ疑問があるのは、左手にいる鳥だけど、鶏冠はあるしどう見てもこれ鶏だよね。これがヴィシュヌ神の乗り物ガルーダだと言われても、今イチ納得がいかない。ヴィシュヌ神は仏教とあまり関係ないと思ったら、スリランカの仏教徒の間ではヴィシュヌ神はスリランカの守護神であり、かつ仏教の守護神として信仰を集めているんだってさ。
おやおや、とうとうガネーシャのお出ましですか。こうなったら、もう仏教寺院に参詣に来ているという感覚がありません。
ここからが、いよいよ本番の本堂。どでかいブッダ座像。一番右下にOさんが写ってるから、その大きさが分かるよね。
そんなにも広くない空間に仏像が犇めきあってるという感じですな。
壁画もあるからね。
当然、一対で立っておられる。
でも、この部屋に入ってからずっと何か違和感みたいなものを感じてるんだけど、何だろう?天井を見上げて、気がついた。これって、キリスト教会じゃん。
隙間なく空間を埋め尽くしている仏像と壁画。どなたさまかは知らないけれど、空中で手を合わせているおびただしい数の人間(?)
こちらは日本の金剛力士像にそっくり。このお寺は何でもありなんだ。
これは一体何でしょうか。アロエも載ってるけど、仏さまへのお供えなんでしょうね。ジャヤン君に聞くの忘れちゃいました。
このブッダ像はみんな微笑んでいて、並べ方もユニークですね。なんとなくジャワ島のボロブドゥールを思い起こさせます。行ったことはないけどね。(笑)
さあ、本日のクライマックス。ブッダの髪の毛を拝ませていただきます。なんでもバングラデシュで発見されたものが、ここに運び込まれたというのですが、まあ信じましょうね。
これが、その有り難い仏髪。白い綿の上に一筋黒いものが見えるけど、どうもそれが仏髪らしい。この仏髪を拝ませていただいた上に、お坊さんの手で頭に仏舎利をいただかせていただいた。
最後にお坊さんにおまじないの紐を腕に巻いてもらってお終い。現在の生きている上座部仏教を体験させてもらったわけだが、上座部仏教の新興宗教みたいで、違和感があった。坊さんと話す機会があれば、良かったのにね、残念。これで、スリランカの寺巡りはすべて終了。ご苦労さんでした。(つづく)
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午後5時過ぎに博物館を出て、最後の買い物のため雑貨店に少しだけ寄って、5時40分ガンガラーマ寺院に着いた。この寺はコロンボでも最大級の寺院で、改革仏教の指導者の一人であったヒッカドゥウェ・スマンガラ(1827~1911年)により設立された。割と新しいお寺で、格式のある伝統的寺院とは随分趣が違う。
おや、いきなりヒンドゥー教の神さまですか。6つの顔に12本の手、孔雀に乗ってるからスカンダかな。スカンダはシヴァ神の次男で、神軍の最高指揮官。仏教寺院なのになんでスカンダを祀ってあるんだという疑問もわくが、スカンダは仏教に取り入れられて韋駄天【いだてん】と呼ばれ、護法神となってるから、まあ許されるかな。韋駄天と言えば足の速い人のたとえにされてるよね。ちなみに、「御馳走」というのは、韋駄天がブッダのために方々を駆け巡って食物を集めたことから生まれた言葉なんだよ、知ってた?
これはヴィシュヌ神かな?青い身体をしていて、手が4本。後ろの左手には法螺貝を持ってるんでヴィシュヌ神に違いないと思うけどね。ただ一つ疑問があるのは、左手にいる鳥だけど、鶏冠はあるしどう見てもこれ鶏だよね。これがヴィシュヌ神の乗り物ガルーダだと言われても、今イチ納得がいかない。ヴィシュヌ神は仏教とあまり関係ないと思ったら、スリランカの仏教徒の間ではヴィシュヌ神はスリランカの守護神であり、かつ仏教の守護神として信仰を集めているんだってさ。
おやおや、とうとうガネーシャのお出ましですか。こうなったら、もう仏教寺院に参詣に来ているという感覚がありません。
でも、信者さんの捧げた灯明は何とも美しい。
ここからが、いよいよ本番の本堂。どでかいブッダ座像。一番右下にOさんが写ってるから、その大きさが分かるよね。
そんなにも広くない空間に仏像が犇めきあってるという感じですな。
なんか胸一杯になっちゃうね。
壁画もあるからね。
いつもならガードストーンに彫られているヤクシニーも、半端なくでかい。
当然、一対で立っておられる。
でも、この部屋に入ってからずっと何か違和感みたいなものを感じてるんだけど、何だろう?天井を見上げて、気がついた。これって、キリスト教会じゃん。
隙間なく空間を埋め尽くしている仏像と壁画。どなたさまかは知らないけれど、空中で手を合わせているおびただしい数の人間(?)
今までいろんなお寺にお参りしたけど、こんなにごちゃごちゃとした装飾は初めて見た。まるでシスティナ礼拝堂だね。スリランカにはポルトガル人がカトリックを持ち込んでるんで、その影響を受けたというか、キリスト教の要素を取り込んだんかも知れんな。個人的にはあまり好きじゃない。
中庭のダーガバ。ガードストーンが一対、しっかりと据えられている。
象牙が飾られたスタイルはキャンディの仏歯寺を思い出させる。柱の竜の彫刻はなんか中国っぽい。
こちらは日本の金剛力士像にそっくり。このお寺は何でもありなんだ。
これは一体何でしょうか。アロエも載ってるけど、仏さまへのお供えなんでしょうね。ジャヤン君に聞くの忘れちゃいました。
さあ、いよいよ宝物殿です。こちらはピッカピカ。
このブッダ像はみんな微笑んでいて、並べ方もユニークですね。なんとなくジャワ島のボロブドゥールを思い起こさせます。行ったことはないけどね。(笑)
このブッダ像にお供えされている左右の金ピカの蓮の花。一部分しか写ってないけど、僕のお寺にある常花【じょうか】と全く同じですね。
さあ、本日のクライマックス。ブッダの髪の毛を拝ませていただきます。なんでもバングラデシュで発見されたものが、ここに運び込まれたというのですが、まあ信じましょうね。
これが、その有り難い仏髪。白い綿の上に一筋黒いものが見えるけど、どうもそれが仏髪らしい。この仏髪を拝ませていただいた上に、お坊さんの手で頭に仏舎利をいただかせていただいた。
最後にお坊さんにおまじないの紐を腕に巻いてもらってお終い。現在の生きている上座部仏教を体験させてもらったわけだが、上座部仏教の新興宗教みたいで、違和感があった。坊さんと話す機会があれば、良かったのにね、残念。これで、スリランカの寺巡りはすべて終了。ご苦労さんでした。(つづく)
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8月5日(土)
コロンボ市役所。
蓮の花の形をしたジャヤパクサ劇場。
国立博物館ともなれば普通は撮影禁止だけど、スリランカはそんなお堅いことは言わない。僕たちを迎えてくれた紀元8世紀頃のブッダ像。背筋をピンとたて禅定三味に入っておられるお姿。全体のバランス、プロポーションがとても良く、彫刻芸術としても完成度が高い作品だ。この仏像はその昔、今のアヌラーダプラ駅の近くに建っていた精舎に在ったと言われている。
次にヤクシニー像(たぶん)を鑑賞しようと思ったら、その前にすっげえ美人が。ヤクシニーよりももっとグラマラスで情熱的な南欧系の女性。ヤクシニーそっちのけでこの女性を鑑賞しちゃった。写真を撮らせてくれと頼むわけにもいかず、気がつかれないように撮るのは、これが目一杯。何しに博物館に来てるんだ。
銅造鍍金の観音菩薩座像。紀元8~9世紀のもので、アヌラーダプラで発見された。座り方も独特で、なんとも美しい菩薩像。菩薩に対して失礼かもしれないが、妖艶な色気さえ感じさせる至極の名宝だ。
ガネーシャの父シヴァ神。世界史の教科書でもお馴染みの姿で、この場合はナタラージャと呼ばれる。シヴァ神は踊りが大好きで、踊り「ナタ」の王「ラージャ」という意味。
キャンディ時代の玉座。一旦はイギリスが本国に持ち帰ったんだけど、後に返還したらしい。ただ、帰って来た時には宝石はすべてガラス細工に変えられていたんだってさ。非道いよな。
彼女、この菩薩像にそっくりだと思いません?
これもよく意味が分からない。スリランカで1702年に亡くなった東インド会社の社員の墓碑かね。ご存じの方がおいでたら、ご教授お願いします。
これなら分かるかな。なんと、8世紀の水洗トイレでした。(つづく)
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あと1時間ほどでコロンボに着くと思うけど、暇つぶしに街中の写真を少し紹介するね。スリランカには自動車産業がないので、スリランカを走っている車はすべて輸入車。なかでも日本車は人気でトヨタ・スズキ・ホンダの車があちこちで見られる。輸入車には輸入関税と物品税が掛かるので、トヨタのプリウスが600万円ほどになるらしい。
路線バスはインドのメーカーであるアショック・レイランド製。かなり老朽化してる。
バイクもヤマハやホンダが人気で、街中にサービスステーションが作られている。日本企業はこうした見目細かいサービスが得意だから、人気あるんだろうね。
インドでお馴染みのオート・リクシャー。タイではトゥクトゥクの名前で知られる三輪タクシーだけど、スリランカではスリーホイーラー。後ろのスリーホイーラーは車体が随分痛んでいて、かなりやばそう。
コロンボに着いたようだね。植民地時代のコロニアル様式の建物が見えてきた。ジャヤン君の説明では国立病院らしい。
コロンボ市役所。
蓮の花の形をしたジャヤパクサ劇場。
午後4時20分、ようやくコロンボ国立博物館に到着した。この博物館はイギリスのセイロン総督ウィリアム・グレゴリーによって1877(明治10)年に造られた、スリランカ最初で最大の博物館だ。ちなみに日本最古の博物館は東京国立博物館で明治5年の設立。
庭にはブーゲンビリアが咲き誇っている。ピンク色の綺麗な部分が花だと思っている人が多いけど、白く見える小さな部分が花だよ。花のように見えるところは苞【ほう】と言って、つぼみを包んでいた葉のことなんだよ。ホー、って感心した?
国立博物館ともなれば普通は撮影禁止だけど、スリランカはそんなお堅いことは言わない。僕たちを迎えてくれた紀元8世紀頃のブッダ像。背筋をピンとたて禅定三味に入っておられるお姿。全体のバランス、プロポーションがとても良く、彫刻芸術としても完成度が高い作品だ。この仏像はその昔、今のアヌラーダプラ駅の近くに建っていた精舎に在ったと言われている。
次にヤクシニー像(たぶん)を鑑賞しようと思ったら、その前にすっげえ美人が。ヤクシニーよりももっとグラマラスで情熱的な南欧系の女性。ヤクシニーそっちのけでこの女性を鑑賞しちゃった。写真を撮らせてくれと頼むわけにもいかず、気がつかれないように撮るのは、これが目一杯。何しに博物館に来てるんだ。

さあ、よそ見ばっかりしてないで、展示品をしっかり鑑賞しようね。ヒンドゥー教の女神ドゥルガー。戦いの女神で、3つの目を持ち、腕は10本でそれぞれに武器を持っている。
紀元9世紀頃のブッダのサンダル。長さ41センチもある。
銅造鍍金の観音菩薩座像。紀元8~9世紀のもので、アヌラーダプラで発見された。座り方も独特で、なんとも美しい菩薩像。菩薩に対して失礼かもしれないが、妖艶な色気さえ感じさせる至極の名宝だ。
ブッダ立像。
ヒンドゥー教の神ガネーシャ。シヴァ神の息子で商売の神、学問の神として崇拝を集める。
ガネーシャの父シヴァ神。世界史の教科書でもお馴染みの姿で、この場合はナタラージャと呼ばれる。シヴァ神は踊りが大好きで、踊り「ナタ」の王「ラージャ」という意味。
そのシヴァ神のシンボル、リンガとヨーニ。
キャンディ時代の玉座。一旦はイギリスが本国に持ち帰ったんだけど、後に返還したらしい。ただ、帰って来た時には宝石はすべてガラス細工に変えられていたんだってさ。非道いよな。

またまたお会いしましたね。ピンボケっちゃったから、ますます妖艶に見える。
彼女、この菩薩像にそっくりだと思いません?
他の人は全く興味を示さないけど、僕は興味津々。V.O.Cはオランダ東インド会社のこと。1795年というと会社が解散する4年前なんだけど、このプレートは一体なんだろうか?時間がなくて説明を読めんかった、残念。
これもよく意味が分からない。スリランカで1702年に亡くなった東インド会社の社員の墓碑かね。ご存じの方がおいでたら、ご教授お願いします。
最後に面白いものを一つ。さて、これは何でしょう?
これなら分かるかな。なんと、8世紀の水洗トイレでした。(つづく)
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8月5日(土)
と思ったんだけど、シナモン・ロッジ最後の食事になるので、欲張ってラーメンも。ところが麺をお湯で温めてスープをかけるだけなので、ぬるい上に、スープが薄くて不味い。最後のチョイス失敗しちゃった。
午前10時、130キロ余り離れたコロンボに向けてホテルを出発。3日間ありがとうね、いいホテルでした。
1時間半ほど走ったところで買い物のためクルネーガラのスーパーマーケットに寄る。クルネガラは人口3万人ほどの小さな街だが、かつて48年間だけ首都が置かれたこともある。店の名前は CARGILLS FOOD CITUY。日本のコンビニ程度の店舗面積で、品揃えもしっかりしている。
レシートもご覧の通り。日本よりも内容が丁寧じゃないですか。スリランカ名産のカシューナッツ、アーモンド、シナモンスティック、ビスケット、ティーバックなど8種類20点買って、3,383ルピー(2500円あまり)でカード払い。インドだとカード使うことにやや抵抗があるんだけど、スリランカは安心して使える。
この東屋風の建物での食事となるが、店の名前はサルケサ(Saruketha)。SARU(豊かな) KETHA(田んぼ) という意味だそうで、このあたりではかなり有名なレストランらしい。竹林に囲まれていて、自然味あふれるエコフレンドリーなレストランだ。
待ちに待ったビールが来ました。初登場の缶入りライオンビール。ギンギンに冷えていて、これが美味い。
チキンカレー、ダールカレーを中心に、カレーが数種類。
ジャガイモとオニオンのスープ。
午後1時5分、レストランを出て再びコロンボに向かう。しばらく行くと車窓から白い大仏が見える。クルネーガラは別名エレファント・ロック・シティ。かつて王宮のあった象の形をした巨大な岩山の頂上に座す白く輝くブッダ像が、今もクルネーガラの町を見守っている。
午後2時40分、奥村君にお土産にアラックを買いたいと頼んでおいたら、酒屋さんでバスを停めてくれた。店の看板にライセンスナンバーが明示されているところを見ると、酒の販売はかなり厳しいみたいだ。
ジャヤン君が買い求めている赤い果物はランブータン。どんな果物かよく見えない、って。今晩食事の時に出てくるから、お楽しみに。もうすぐコロンボだ。(つづく)
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おはようございます。帰国準備があるので今日の出発は午前10時なんだけど、お腹はいつも通りに空くので、午前7時30分、朝食です。クロワッサンにフライドエッグ、ベーコン、ソーセージといたってシンプルに。
と思ったんだけど、シナモン・ロッジ最後の食事になるので、欲張ってラーメンも。ところが麺をお湯で温めてスープをかけるだけなので、ぬるい上に、スープが薄くて不味い。最後のチョイス失敗しちゃった。
午前10時、130キロ余り離れたコロンボに向けてホテルを出発。3日間ありがとうね、いいホテルでした。
1時間半ほど走ったところで買い物のためクルネーガラのスーパーマーケットに寄る。クルネガラは人口3万人ほどの小さな街だが、かつて48年間だけ首都が置かれたこともある。店の名前は CARGILLS FOOD CITUY。日本のコンビニ程度の店舗面積で、品揃えもしっかりしている。
レシートもご覧の通り。日本よりも内容が丁寧じゃないですか。スリランカ名産のカシューナッツ、アーモンド、シナモンスティック、ビスケット、ティーバックなど8種類20点買って、3,383ルピー(2500円あまり)でカード払い。インドだとカード使うことにやや抵抗があるんだけど、スリランカは安心して使える。
自分用にも買ったのが、やたらに辛そうなカップ麺と袋麺。カップ麺は95ルピー(71円)、袋麺は65ルピー(49円)で、若干日本よりも安いかな。
正午、同じクルネーガラにあるレストランで昼食。おや、聖域を守るガードストーンのようにヤクシー像が。田舎の爺ちゃんの家に入っていくような雰囲気だ。
この東屋風の建物での食事となるが、店の名前はサルケサ(Saruketha)。SARU(豊かな) KETHA(田んぼ) という意味だそうで、このあたりではかなり有名なレストランらしい。竹林に囲まれていて、自然味あふれるエコフレンドリーなレストランだ。
建物は総ヤシの木造り。
外の日差しが強いので、暗く写ってますが、みんなスタンバってビールが来るのを今か今かと待ってます。
待ちに待ったビールが来ました。初登場の缶入りライオンビール。ギンギンに冷えていて、これが美味い。
チキンカレー、ダールカレーを中心に、カレーが数種類。
ジャガイモとオニオンのスープ。
午後1時5分、レストランを出て再びコロンボに向かう。しばらく行くと車窓から白い大仏が見える。クルネーガラは別名エレファント・ロック・シティ。かつて王宮のあった象の形をした巨大な岩山の頂上に座す白く輝くブッダ像が、今もクルネーガラの町を見守っている。
午後2時40分、奥村君にお土産にアラックを買いたいと頼んでおいたら、酒屋さんでバスを停めてくれた。店の看板にライセンスナンバーが明示されているところを見ると、酒の販売はかなり厳しいみたいだ。
ケースに入ったアルコール類が山と積まれているが、店の中に入って品定めすることは出来ない。
なんせ店員さんとの間には鉄格子が。こんなところを見ると、酒を狙って来るのか、現金を狙って来るのか知らんけど、強盗が出るんでしょうね。いや、おっかな。アラックの小瓶1本1,000ルピー(750円)を、息子二人と頑なにスリランカに来たくないと言っていたFさん用に3本買った。
ジャヤン君が買い求めている赤い果物はランブータン。どんな果物かよく見えない、って。今晩食事の時に出てくるから、お楽しみに。もうすぐコロンボだ。(つづく)
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8月4日(金)
正体はこいつ。ネットから借りてきた画像だけど、英語名はIndian Flying Fox、「空飛ぶキツネ」と呼ばれているインドオオコウモリ。確かに顔はキツネに似ている。こいつが羽根を広げると1.5メートルにもなるというから、われわれが知っている蝙蝠に比べ桁外れに大きい。人の生き血でも吸うぞという顔をしてるけど、マンゴーやバナナの果汁を吸って生きているというから、人を見た目で判断してはいけない。あっ、人じゃなく蝙蝠だけどね。写真は撮れなかったけど、インコやリスがその辺にいて、なんとまあスリランカは自然がいっぱいなんだろうね。
それも大群でいるよ。
ルワンウェリ・サーヤ大塔はドゥッタガーマニー王(在位B.C.161~137年)の時代から建立が始まった。ドゥッタガーマニー王はイスルムニヤ精舎の「恋人の像」のサーリヤ王子のお父ちゃん。ドゥッタガーマニー王は、一度は南インドから侵略してきたタミル軍に敗れ、東南部のローハナ地方に身を潜めていたが、晩年、首都アヌラーダプラを奪回した王として名高い。歴史書『マハーヴァンサ』には次のように記されている。
この大塔は、この王の在世中には完成せず、弟の次王サダー・ティッサ王によって竣工した。死が近づき、すでに視力の衰えた兄王を思いやり、弟王は未完成の大塔が今や完成したかのように、竹と白布で大塔を覆い、兄に見せたという。
完成した大塔は、ローマ皇帝アウグストゥスに謁見したスリランカ王の特使が持ち帰ったという地中海産の珊瑚で飾られ、また、仏舎利を納める室は金銀、珊瑚、宝石などで飾りたてられ、大塔の起工式にはインド各地の仏教センターから僧たちが招聘されたという。この未曾有の大建築は東大寺の大仏と同じく、仏教と国威を発揚するモニュメントとしての性格を持ってたんだね。
当初110メートルの高さを誇った空前絶後の大塔も煉瓦造りの宿命として、外敵の攻撃や王権の弱体化などで十分な手入れが出来ないとひび割れし、そこから植物が茂り崩壊が始まる。このため何度も大修理や修復が重ねられ、そのたびに形も変化していったらしい。12世紀に最後の修理が行われ現在の形になったが、都が放棄されて以降700年間、まったく放置されたままで瓦礫の山と化してしまった。
1893年、仏教教団により再建が始められ1930年代に中世の規模と形式を再現して完成され、今日の姿となった。創建時の110メートルの半分の55メートルとなったが、それでも巨大なダーガバである。インドでは仏塔のことをストゥーパと呼ぶが、スリランカではダーガバ。
ネパール最大級のストゥーパであるボダナートは高さ36メートルだから、ルワンウェリ・サーヤ大塔はその1.5倍もある。有名なインド・サーンチーの第1ストゥーパは16メートルなんで、高さではこの大塔と比較にならない。
遠くから撮すと高さが強調されるが大きさが分からない。近くによって撮すと逆に高さが分からなくなってしまい、悔しいけど素人の写真では今イチその大きさが実感できないだろうな。それにあまりにも純白なので古い建築物であることを忘れてしまいそうになるが、これは5年に1度白さを保つために塗り替えているからだ。日本だったら国宝級の建築物に新しいペンキを塗るなんてことは許されないが、スリランカでは文化財的価値よりも信者さんの崇拝の対象としての価値が優先される。あと、下の部分の赤い帯は信者さんたちによって奉納されたもので、これも取り替えられる。
基壇にはたくさんの象さんが重い仏塔を支えるかのように並んでいる。ジャヤン君の説明では大塔の高さは388フィートで、象の数も同じく388頭いると説明してたけど、これじゃ大塔の高さが103メートルになっちゃうので、象の数も怪しいもんだ。で、何頭いるか調べても分からんかった。
で、なんでこんなたくさんの象さんがいるのかというと、これだけ巨大な建築物を築き上げるためには、不等沈下などを防ぐためのしっかりとした基盤を築く必要があった。そこで、地面を深く岩盤まで掘り下げ、砕石や粘土、鉄の網、樹脂などを充填し、大象に踏み固めさせたんだって。そのイメージで群象が並んでいるけど、これは最近のもの。
大塔の周りを時計回りに1周する。本当は右遶三匝【うにょうさんそう】と言って3回まわるのが正式なんだけど、1回に省略。熱心に祈りを捧げる姿にここにも見られる。
スリー・マハー菩提樹での読経を終えて、ルワンウェリ・サーヤ大塔に向かう。遺跡地区は公園として整備されており、石畳を700メートルほど北に歩く。大きな街路樹がつくる木陰が気持ちいい。
ふと見上げると電線に何かがぶら下がっている。写真じゃ見難いけど、一番上の真ん中少し左よりの所に何かいるの見えますかね。
正体はこいつ。ネットから借りてきた画像だけど、英語名はIndian Flying Fox、「空飛ぶキツネ」と呼ばれているインドオオコウモリ。確かに顔はキツネに似ている。こいつが羽根を広げると1.5メートルにもなるというから、われわれが知っている蝙蝠に比べ桁外れに大きい。人の生き血でも吸うぞという顔をしてるけど、マンゴーやバナナの果汁を吸って生きているというから、人を見た目で判断してはいけない。あっ、人じゃなく蝙蝠だけどね。写真は撮れなかったけど、インコやリスがその辺にいて、なんとまあスリランカは自然がいっぱいなんだろうね。
おしっこに行きたくなって、みんなに暫く待って貰ってトイレに行こうとしたら、こいつがいるよ。ホテルの周りにいっぱいいた奴、ハヌマーン・ラングールだ。なんか、おっさんみたいだ。
それも大群でいるよ。
トイレは2箇所あったんだけど、こいつらと目を合わせないようにしながら、近い方のトイレに駆け込んだ。おしっこが終わってトイレから出ようとしたら、ハヌマーン・ラングールがにょきっと手を出して来た。よく見たら猿じゃなくて怖い顔したおっさん。金くれってか。なんだよ、このトイレ有料か。こんな汚いトイレに金払えるかよと思ったけど、あまりにも怖い顔だってので、いくらか忘れたけど、金払って這々の体で逃げてきた。みなさん有料トイレには気をつけましょうね。
ルワンウェリ・サーヤ大塔はドゥッタガーマニー王(在位B.C.161~137年)の時代から建立が始まった。ドゥッタガーマニー王はイスルムニヤ精舎の「恋人の像」のサーリヤ王子のお父ちゃん。ドゥッタガーマニー王は、一度は南インドから侵略してきたタミル軍に敗れ、東南部のローハナ地方に身を潜めていたが、晩年、首都アヌラーダプラを奪回した王として名高い。歴史書『マハーヴァンサ』には次のように記されている。
この大塔は、この王の在世中には完成せず、弟の次王サダー・ティッサ王によって竣工した。死が近づき、すでに視力の衰えた兄王を思いやり、弟王は未完成の大塔が今や完成したかのように、竹と白布で大塔を覆い、兄に見せたという。
完成した大塔は、ローマ皇帝アウグストゥスに謁見したスリランカ王の特使が持ち帰ったという地中海産の珊瑚で飾られ、また、仏舎利を納める室は金銀、珊瑚、宝石などで飾りたてられ、大塔の起工式にはインド各地の仏教センターから僧たちが招聘されたという。この未曾有の大建築は東大寺の大仏と同じく、仏教と国威を発揚するモニュメントとしての性格を持ってたんだね。
当初110メートルの高さを誇った空前絶後の大塔も煉瓦造りの宿命として、外敵の攻撃や王権の弱体化などで十分な手入れが出来ないとひび割れし、そこから植物が茂り崩壊が始まる。このため何度も大修理や修復が重ねられ、そのたびに形も変化していったらしい。12世紀に最後の修理が行われ現在の形になったが、都が放棄されて以降700年間、まったく放置されたままで瓦礫の山と化してしまった。
1893年、仏教教団により再建が始められ1930年代に中世の規模と形式を再現して完成され、今日の姿となった。創建時の110メートルの半分の55メートルとなったが、それでも巨大なダーガバである。インドでは仏塔のことをストゥーパと呼ぶが、スリランカではダーガバ。
ネパール最大級のストゥーパであるボダナートは高さ36メートルだから、ルワンウェリ・サーヤ大塔はその1.5倍もある。有名なインド・サーンチーの第1ストゥーパは16メートルなんで、高さではこの大塔と比較にならない。
遠くから撮すと高さが強調されるが大きさが分からない。近くによって撮すと逆に高さが分からなくなってしまい、悔しいけど素人の写真では今イチその大きさが実感できないだろうな。それにあまりにも純白なので古い建築物であることを忘れてしまいそうになるが、これは5年に1度白さを保つために塗り替えているからだ。日本だったら国宝級の建築物に新しいペンキを塗るなんてことは許されないが、スリランカでは文化財的価値よりも信者さんの崇拝の対象としての価値が優先される。あと、下の部分の赤い帯は信者さんたちによって奉納されたもので、これも取り替えられる。
基壇にはたくさんの象さんが重い仏塔を支えるかのように並んでいる。ジャヤン君の説明では大塔の高さは388フィートで、象の数も同じく388頭いると説明してたけど、これじゃ大塔の高さが103メートルになっちゃうので、象の数も怪しいもんだ。で、何頭いるか調べても分からんかった。
で、なんでこんなたくさんの象さんがいるのかというと、これだけ巨大な建築物を築き上げるためには、不等沈下などを防ぐためのしっかりとした基盤を築く必要があった。そこで、地面を深く岩盤まで掘り下げ、砕石や粘土、鉄の網、樹脂などを充填し、大象に踏み固めさせたんだって。そのイメージで群象が並んでいるけど、これは最近のもの。
大塔の入り口には自動で表示が変わる看板がある。大塔の天辺のところを頂華って言うらしけど、これはミャンマーから寄贈されたものらしい。写真の右側の写真がそうだけど、かなりでっかい水晶みたいだね。これに太陽の光が当たるとキラキラ輝くそうなんだけど、この日はあいにく曇り空で残念ながら天辺が光り輝く写真は撮れなかった。
大塔の周りを時計回りに1周する。本当は右遶三匝【うにょうさんそう】と言って3回まわるのが正式なんだけど、1回に省略。熱心に祈りを捧げる姿にここにも見られる。
黄金の仏足。純金かね?純金ならもっと警備が厳しいだろうから、たぶん違うね。
参拝を終えての帰り道、ぐうたらな奴が。
ここにも1匹。
またもう1匹。スリランカは暑いから犬が住むとこじゃないよ。どっかへ引っ越したら。嫌だワン、てか。好きのせい、わしゃ構ワン。(つづく)
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