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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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なまぐさ坊主の真面目な闘病記⑫ー若しは病床に在っても

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 写真は岩手県石巻が生んだ詩人・童話作家の宮澤賢治。僕が最も敬愛する人物である。彼の名前を知ったのは小学校の国語の教科書であったと思うが、ほんとうの出会いは僕が35歳の時。専任布教師となって初めて金沢市の老人センターの教養講座で話をすることになり、日蓮聖人のほかに法華経に生涯を捧げた人物がいないか探していて賢治に出会った。それ以来、お説教で賢治の生涯と生き方を紹介し、随分とお布施をいただいてきた。(笑)

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 そんなわけで、お礼を申しあげるために平成14年に花巻の身照寺を訪ね、賢治の墓に手を合わせた。五輪塔形式の小さな墓は、デクノボーと呼ばれるような生き方をしたいと願った賢治にふさわしいものであった。

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 宮澤賢治と言えば、誰もが知っている「雨ニモマケズ」の詩。僕が小学校の教科書で出会ったのもこの詩だった。賢治の死後、愛用のトランクから写真の手帳が見つかった。「雨ニモマケズ」の詩が書かれているので、この手帳を「雨ニモマケズ手帳」と呼んでいる。

 この有名な詩が書かれたのは昭和6年の11月3日。賢治が肋膜炎を患い長い闘病生活に入ったのは昭和3年の8月。その後一時平癒と診断され、昭和6年3月に東北砕石工場技師となった賢治は、同年9月20日に商用で上京、着京とともに発病病臥し、9月21日には両親に宛てた遺書をしたためている。奇しくもその2年後の昭和8年9月21日に37歳の若さで亡くなるのだが、病床にあって時折この手帳に詩や戯曲の構想をしたためた。

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 長くなるので省略するが、「雨ニモマケズ」の詩は、もろもろの苦悩を身に負った農民たちの幸福のために献身的な生き方をしたいという思いを綴ったものであり、賢治は菩薩道に生きる誓願をデクノボー精神として表現した。デクノボー的生き方が賢治が法華経から読み取った菩薩のあり方であった。賢治は日蓮聖人が文永10年7月8日に佐渡で書かれた「十界曼荼羅」【じゅっかいまんだら】の複製を御本尊として日常奉掲礼拝していたが、「雨ニモマケズ」の詩句に続けて、曼荼羅の二尊四菩薩を書写していることからも、その信心の深さが読みとれる。

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  賢治は18歳の時に父親の書棚にあった島地大等編『漢和対照 妙法蓮華経』を読み、震えるほどに感動したと伝えられている。それ以来、37歳で亡くなるまで熱烈なる法華経信仰を続け、法華経精神に基づいた人生を生きた。(写真は復刻版)

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 この手帳の扉裏(写真)には、「当知是所 即是道場 諸仏於此 得三菩提」の経文、続けて第2ページには、「諸仏於此 転於法輪 諸仏於此 而般涅槃」の経文が書写されている。いうまでもなく、法華経神力品の「道場観」として知られる有名な経文だ。原典では「阿耨多羅三藐三菩提【あのくたらさんみゃくさんぼだい】」だが、賢治は漢字4文字に揃えるため三菩提と略した。「当【まさ】に知るべし、是のところは即ちこれ道場なり」とは、原典の「若【も】しは園中に於ても、若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、若しは僧房に於ても、若しは白衣【びゃくえ】の舎【いえ】にても、若そは殿堂に在っても、若しは山谷曠野【せんごくこうや】にても、是の中に皆塔を起【た】てて供養すべし」の前文を受けているわけだが、賢治は「若しは病床に在っても」の言葉を補いたい気持ちで、如説修行の覚悟を新たにして書写したものと思われる。

 僕はこのことをベッドで思い出し、この病室を道場として如説修行に励む覚悟を決めた。入院して最初の1週間は呼吸が苦しくてそれどころではなかったが、毎日テレビばかり観ていて時間を無駄にしてはいけないと思い、奥さんに数冊の本を持って来てもらい読書に励むことにした。まずは山折哲雄先生の『死者と先祖の話』と植木雅俊先生の『仏教学者 中村元』と『人間主義者ブッダに学ぶ』で肩慣らし。

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 その上で取り組んだのが、植木雅俊先生が翻訳された『サンスクリット原典現代語訳 法華経』だ。植木先生には7月からうちのお寺で6回にわたる講義をお願いしてある。植木先生ご本人も鬱病に悩まされ、その時読んだ法華経で心が救われ、それをきっかけとしてサンスクリット語を独学で学ばれ、偉大な功績を残された。今まで何回も読んだ法華経だが、その神髄を僕はまだつかんでいない。先生の講義を受ける前に何とか深い理解にいたるように、毎日少しずつ読み進めたが、僕には奇跡のようなことは起こらなかった。凡人じゃ駄目みたいだね。(笑)

 ただ、今回の経験から、残された人生を法華経の弘通にかける覚悟だけは出来た。そう考えれば入院も悪くない。かと言って、もう一度入院したくはないけどね。(笑)

 つたない闘病記をお読みくださったみなさん、ありがとうございました。(おわり)

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【 2018/08/20 14:41 】

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なまぐさ坊主の真面目な闘病記⑪ーシーサイドホテルKMUH

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 僕が入院生活は5月2日から25日まで23日間で、お世話になったのが金沢医科大学病院西病棟の958号室で、ナースセンターのすぐ前の個室。ICUにいる時に病室の説明を受けた奥さんが長男の嫁さんと相談して4人部屋にしようと決めていたらしいけど、僕は勝手に担当医のY・Kさんに個室を頼んでおいた。浅ノ川病院で半日だけ入院した時は4人部屋に入った。ところが、人が呼吸困難で苦しんでいるのに、向かいの奴ときたら大きな声で携帯で話しをするわ、看護婦とペチャクチャ喋るわで、怒ろうにも苦しくて怒れない。マナーを守れない奴が多いから、とてもじゃないけど相部屋での生活はできない。というわけで、家計には負担になるけど、無理を言って個室にしてもらった。

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 これが室内の様子。トイレはもちろんシャワーもついている。(シャワー室は狭いので、結局1回も使わず、順番待ちをして共同風呂に入った。)テレビは見放題で、冷蔵庫つき。これで差額ベッド料が1日8,000円。食事が1食460円。パジャマが1日65円。しめて1泊3食付き9,445円。いっぱしのホテル並み。

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  写真は退院してから近くの公園から撮ったもの。僕の病室は上から3番目、左から2番目の部屋。毎日この部屋の窓から、公園で野球をする少年の姿を見て過ごした。

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 病室の窓から左手には白山連峰の山並みが見え、毎日朝日が昇る。角度が悪くて直接には見えないが、昇る朝日に手を合わせ、今日も命を与えられていることを感謝した。

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 病室の右手には日本海。こちらも角度が悪くて直接見えないが、沈む夕日に手を合わせ今日一日を生きられたことに感謝した。景色はなにしろ抜群な環境。僕は名づけてシーサイドホテルKMUHと呼んだ。KMUHはKanazawa Medical University Hospitalの頭文字。

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 5月9日には金沢港に豪華客船MSCスプレンディダ号が入港した。総トン数は137,936トン、乗客定員3,247名、全長333.30m、幅37.92mと、とてつもなくでかい。

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 5月22日には窓辺に珍客が現れた。これハヤブサだよね。恐らく石川県庁で営巣している奴だ。毎日テレビを観て退屈しのぎをしている僕にとっては嬉しいお客さん。海岸が近いからこのほかに鴫の仲間もやってきた。

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 病気でさえなければ、こんな部屋で美人の女医さんや若くて可愛い看護婦さんと過ごせることは幸せなことだ。退院してやがて3カ月になるけど、時々帰りたくなる。(笑)(つづく)

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【 2018/08/15 09:19 】

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なまぐさ坊主の真面目な闘病記⑩ー白衣の天使にかこまれて!

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 今回の入院は僕にとって人生初めての経験。だから看護婦さんの看護を受けるのも、もちろん人生初めての経験。入院患者と看護婦さんが恋に落ちて結婚したという話をよく聞くけど、その理由がよ~くわかった。とにかく優しく、献身的。奥さんには悪いけど、奥さんにもこんなに優しく世話してもらった記憶がない。病気で精神的にも弱っている時だ。痰を吸引するなど、汚い仕事も嫌がらずに献身的な看護をしてくれる人に惹かれないわけがない。

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 写真は金沢医科大学のホームページから借りてきた、僕がお世話になった9階西ナースステーションのスタッフの方々。残念ながら現在のスタッフとは違うので、僕がお世話になった看護婦さんは一人しか写っていない。

 たくさんの看護婦さんにお世話になったが、特に印象に残ったのが5人。もちろん全員若い看護婦さんだ。(笑) 

 目の綺麗なM・Nさん。最初のうちずっとマスクをしていたので目しか見えなかったけど、魅惑的な目に心を惹かれてしまった。マスクをとったらガッカリかなと思っていたら、あにはからんやの超美人。僕が若くて独身だったらプロポーズしたかも知れない。たぶん断られるだろうけどね。前にも書いたけど、僕が「吸引の鬼」と渾名したA・Tさん。彼女には本当にお世話になった。それから、おっとりしたY・Yさんは優しさのかたまりみたいな看護婦さん。まだあどけなさの残るH・Kさんは脈を測る時にきっちり1分間僕の手をとってくれる。たぶん4月にデビューしたばかりの新人さんだね。

 面白い看護婦さんもいる。声が出ないのでジェスチャーか筆談で話をするから、トンチンカンなことが起こる。K・Nさんが「森田さんのお寺は古いんですか?」と聞いたので、「創建して430年くらいかな」と答えた。「何代目ですか?」と聞いてきたので、「35代目だよ」と答えた。もちろん指でね。そしたら、「へ~、430代目ですか」となっちゃった。日本最古の飛鳥寺でもあり得ない。N・Fさんからは「森田さんのお寺は何宗?」て聞かれたので、口の動きで伝えようとしたけど、伝わらない。そこで、洗面台の鏡に指で日蓮と書いた。そしたら、「ヒレンという宗派あったっけ」だって。ニチレンだよ、ニチレン。看護婦さんは人の死にかかわる仕事なんだから、もっと宗教教育をしなきゃ駄目だね。

 そんな彼女たちの献身的な看護を受けて、僕たち僧侶もただ葬式や法事をしているだけでなく、もっと人の悲しみ苦しみに寄り添う活動をしないといけないと、心から思った。「看護婦さんは給料もらってるし、それが仕事だから当たり前だ」という声が坊さん達から聞こえてきそうだけど、僕たち僧侶の本来の仕事は人の悲しみ苦しみを癒すことだし、おまけにお布施をもらってるぞ。目覚めよ坊さん!!!!(つづく)

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【 2018/08/07 10:31 】

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なまぐさ坊主の真面目な闘病記⑨ー美人医師3人にかこまれて!

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 入院生活は苦しく辛いものだが、僕の場合はむしろ楽しく幸せな毎日だった。というのは、治療に当たってくれた4人のお医者さんのうち3人が女の先生で、しかも全員が美人ときたから堪らない。

 主治医のA・S先生はアラフォーでハイヒールにフレアスカートというスタイル。白衣のポケットに手を入れて颯爽と病棟の廊下を歩き、まるでテレビドラマに出てくる美人医師みたいだ。

 担当医のY・K先生は白いズボンにスニーカーを履いた、小柄でお侠な女の子で、年齢は30歳そこそこ。治療方針などの説明を早口で捲し立てる。

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 そして、毎日ガーゼを替えたり、カニューレの入れ替えをしてくれたのが、一番若いアラサーのY・N先生。金沢医科大学病院のホームページから勝手に画像を拝借して来たけど、見ての通り長い髪の可愛い女の子。黒いTシャツに白衣を羽織ったラフなスタイルで、この先生に治療をしてもらうと、痛いはずの治療でも痛くない。

 こんな3人に診てもらっているから、辛い治療も楽しくなってしまう。もう一人男のS・K先生も毎日の治療に当たってくれるんだけど、朝夕の治療時間にS・K先生が病室に入って来ると、がっかりしてしまう始末だ。

 執刀してくれたM教授とこの4人の先生の力で僕は命を救われたんだけど、特に3人の美人先生のお陰で楽しい入院生活をおくれました。本当にありがとうございました。(つづく)

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【 2018/07/30 11:06 】

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なまぐさ坊主の真面目な闘病記⑧ーえっ、また首切るの!!!!

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 喉の奥に溜まった膿を排出するため緊急手術で左頸部を5センチ切開したのが5月2日。その傷がようやく癒え始めた9日の朝、M教授から呼び出された。CT検査の結果、顎のすぐ下の咽頭部に白い影があり、恐らく膿が溜まっていると思われるので、切開して膿を出しましょうとのこと。

 「えっ、また首切るんですか?」

 「CTの画像を見てください。浮腫ということも考えられるけど、たぶん膿です」

 「はあ、でも……(痛いし)」

ここに溜まっている膿を出してしまったほうが、退院も早くなると思います」

「そうですか。それでは宜しくお願いします」

 ということで、午前11時30分、僕はまた手術台の鯉となった。今回も部分麻酔だけ。痛い。でも、我慢しなくては。手術そのものは簡単に終わった。

 今回は顎の真下を3センチ切開。脛に傷持つ身じゃないけど、首に傷2カ所。これじゃ、もうお嫁に行けない。(笑)

 その上、切開してみたけど、膿は無かったそうで、ただの切り損。3月に勤めていた高校の首を切られ、5月には2回も首を切られ、情けなくて涙も出ない。(つづく)

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【 2018/07/22 08:15 】

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