fc2ブログ

なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

カテゴリ

最新記事

fc2カウンター

Facebook

月別アーカイブ

最新トラックバック

最新コメント

リンク

検索フォーム

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

世界史のミラクルワールドー全裸の行者・ジャイナ教

トリシャラー妃とシッダールタ王  
父シッダールタと母トゥリシャラー

 ヴァルダマーナは、ガンジス川中流域のヴァイシャーリー市近くのクンダプラに、クシャトリヤに属する豪族の子として生まれた。父親は高貴な氏族の族長シッダールタ、母親はヴァイシャーリー王の妹トゥリシャラーであった。両親ともジャイナ教の前身にあたるニガンタ派に帰依していた。生没年については前444年(中村元の説)など諸説あるが、仏教の開祖ガウタマ=シッダールタと同時代の人らしく、六師外道( 仏教の立場からみて異端とされた自由思想家)の一人とされ、ニガンタ=ナータプッタと呼ばれている。ナータプッタは「ナータ族の子」の意味で、彼がナータ族の出身であることから呼ばれた別名である。

Mahavira_convert_20190101163500.jpg
ヴァルダマーナ

 結婚して一人の娘をもうけるが、30歳の時に両親との死別に直面し出家。ニガンタ派の修行者の群れに入り、13カ月の瞑想を経てすべての衣服と履き物を捨てて裸形となった。12年間激しい苦行と瞑想にその身を捧げ、42歳の時にリジュクラ川の河畔ジュリンビカ村での修行を完成し、2日半にわたる瞑想のあとの夏の夜、ジュリンビカの沙羅樹(ブッダはこの樹の下で亡くなったんだったよね)の下で最高智に達して悟りを開いた。その後は、マガダ国の都ラージャグリハを中心に修行と教化の日々を送り、72歳で没したという。

第2代祖師ゴーマテーシュヴァラ

 悟りを開いたあと、ヴァルダマーナはジナ(煩悩に打ち勝った勝利者)、マハーヴィーラ(偉大な英雄)などの尊称で呼ばれた。ジャイナとは「ジナの教え」、またその教えの信者という意味である。ジャイナ教の伝承によれば、ジナはティールタンカラと呼ばれる24人の救済者(祖師)の最後の聖者であるという。つまり、彼は当時ニガンタ派の改革者とみられていたということで、ユダヤ教の改革者であるムハンマドと立場は同じだ。

 イスラーム教でもアダムやノアなど25人の預言者がいて、ムハンマドを最後にして最大の預言者としている。写真はカルナータカ州にある聖地シュラヴァナ・ベルゴーラにある第2代祖師ゴーマテーシュヴァラの立像。高さ17.5メートルもある。不謹慎だけど、チンチンもさぞかし大きいんだろうなあ~。

IMG_6086-672x372_convert_20190102125543.jpg 
 ジャイナ教の聖地ジュナーガル

 ジナの教えはブッダの教えと重なるところが多いが、ジナも生きることを「苦」と考え、その苦から脱する道を求めた。彼によれば、その苦の原因は、霊魂が行為(カルマ・業)の結果に縛られて、地獄、畜生、人間、天界という迷いの世界の中で生死を繰り返すところにある。天界も安住の場所ではなく、そこに生まれた者もいずれ別の世界に墜ち、苦しみを味わうことになる。

 その苦から脱するためには、世俗の束縛を断ち、出家して沙門となり、最高智を求め、また苦行によって霊魂を浄化せねばならない。完全に浄化された霊魂は、もはや輪廻転生(サンサーラ)することはないからである。これがジナの説く解脱の状態である。修行生活の最終段階では、あらゆる行為をやめて断食死することが理想とされた。今日でも老齢のジャイナ行者で、こうした死を選ぶ者は多い。

 ジナの許には、彼に従って修行し解脱をえようとする者が集まり、ここにジャイナ教団が成立した。教団に入った者には、不殺生、真実語、不盗、不淫、無所有という五大戒律を厳守することが求められた。仏教の五戒は不殺生、不偸盗【ちゅうとう】、不邪淫・不妄語・不飲酒だから、不飲酒にかえて無所有が置かれている。

23_convert_20190101162432.jpg

 このうち無所有は衣服をまとうことの禁止にまで及んでおり、出家者とくに空衣派では写真のように一糸まとわないことを意味する。在家信者の場合は裸になる必要は無く、自ら設定した限度以上に得た財貨の全額を教団に寄付することが無所有の意味だ。この戒律はお寺にとっては最高だよね。いちいち寄付を頼まなくてもいいもんね。

27478562-ジャイナ教-不殺生の宗教的なシンボル
ジャイナ教の不殺生のシンボルマーク

 あと4つの戒律は仏教と同じなんだけど、ジャイナ教の不殺生(アヒンサー)は仏教よりも徹底していて、とにかく絶対に命を奪ってはいけない。だから、ジャイナ教徒は動物を絶対に殺さない。だから、肉はもちろん禁止だし、牛から乳を搾ることも、牛に対する暴力にあたるため、乳製品も一切食べない。また、卵を食べることも、卵から育つはずのニワトリを殺すことになるので駄目。まあ、結局植物しか食べないんだけど、ジャガイモ・レンコン・ゴボウなどの根菜は駄目。それを抜く時に虫を傷つけるからだそうで、なんせ徹底的にアヒンサーを貫き通す。

201505010940464b6_convert_20190101170345.jpg 

 写真はジャイナ教の信者さん達だけど、みんなマスクしているよね。2009年に日本でも新型インフルエンザが大流行した時にみんなマスク着けてたけど、この人達はインフルエンザ対策じゃないし、埃対策でもない。なんと、羽虫などの空中の小さな生き物を誤って吸い込まないようにするためなんだ。

india15-55488_convert_20190101162715.jpg 

 それから、このジャイナ教の坊さん達は手に箒【ほうき】みたいな物を持ってるよね。これ払子【ほっす】といって、僕ら仏教の坊さんも使うんだけど、僕らは形式的に使ってるに過ぎない。でもジャイナ教の坊さんにとっては必須アイテムだ。「出家者は路上の生物を踏まぬように箒を手にする」と書いてあることがあるけど、レレレのおじさんじゃあるまいし、道路の掃除はしない。椅子などに座る時にこれを使って椅子を入念に掃いて、椅子にいた虫の上に座って虫を殺すことがないようにするためのものなんだ。どう、この徹底ぶりは。

 イエズス会宣教師がジャイナ教徒に顕微鏡で普段飲んでいる水を見せたところ、それを見たジャイナ教徒は飲み水に微生物があふれていることを知り、飲むよりは衰弱死を選んだという話も残っている。このアヒンサーの影響を強く受けたのが、インド独立の父マハトマ=ガンディーなんだ。

繝・ぅ繝シ繝ォ繧ソ繝ウ繧ォ繝ゥ_繧ィ繝ュ繝シ繝ゥ_convert_20190101162902 
エローラ石窟のティールタンカラ

 ジャイナ教の教団内部では、ジナの死後かなり早くから厳格派と寛容派の対立があった。伝説によると、北インドに大飢饉が発生した時、一部の行者は南に移って厳格主義を貫いたが、北に残った者たちは白衣を着るなど戒律を少し緩めたという。両派は1世紀のころ最終的に裸形【らぎょう】(空衣【くうえ】)派と白衣【びゃくえ】派という二大宗派に分裂した。

 ジャイナ教はその後、インド亜大陸の各地に伝えられて根を下ろした。カーストとヴェーダの権威を否定した仏教とジャイナ教であったが、仏教は13世紀までに亜大陸からほぼ姿を消した。しかし禁欲的なジャイナ教団は庶民に支持され、医療や福祉などの社会活動を通じて民衆生活と密着していたため、独自の信仰集団としてイスラーム教徒支配時代にも生き延び、今日に至った。

繧「繝シ繝・ぅ繝翫・繧ソ蟇コ髯「_convert_20190102165908 
アーディナータ寺院

 ジャイナ教の在家信者は、彼らなりに不殺生戒を守っており、したがって小動物を殺す可能性のある農業や牧畜業を嫌い、多くは商業に従事してきた。ただし、交易商は荷車で虫などを殺す恐れがあるため好まれず、一般には小売商や金融業を営んだ。

 今日ジャイナ教徒は、インド共和国人口の0.5%弱、450万人を数える。人口比率は小さいんだけど、インドのジャイナ教寺院はみんな超豪華に造られている。何故かというと、ジャイナ教徒の商人はインド全域の都市に住み、それぞれの地の実業界で大きな力を持っていて、お金持ちが多い。その上、さっきの無所有戒があるので、ぼんぼん寺院に寄付をするからなんだ。うちのお寺にもぼんぼん寄付して欲しいな~。
↓ ランキング挑戦中  Brog Rankingのバナーをポチッと押してね!

テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2019/02/24 09:17 】

インド古代史  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

世界史のミラクルワールドーすべての人間は平等である・ブッダ


a0274401_6453716[1]


  ブッダは姓をガウタマ、名をシッダールタという。日本で用いられるシャカはシャーキヤ族の聖者を意味する尊称シャーキヤムニの略称である。中村元先生の説では前463年の生まれだが、前563年生まれなど諸説ある。誕生日も諸説あるが、日本では4月8日とされ、花祭りが行われる。だが、非常に残念なことにイエスの誕生日クリスマスは盛大に行われているが、花祭りはほとんど行われておらず、日本人はいつからキリスト教徒になってしまったのだろうか。

郢晄ァュホ冶撻繧・・郢ァ・「郢ァ・キ郢晢スァ郢晢スシ郢ァ・ォ驍・玄豬、_convert_20140327115232_convert_20140327115641
ルンビニーのマーヤー堂

 まあ、愚痴はそこまでにしておいて。シッダールタは現在のネパール南部、ヒマラヤ山麓カピラヴァットゥのスッドーダナ王とマーヤー夫人の子として生まれた。

IMG_0002_convert_20140327162558.jpg
摩耶夫人像

 お産のために実家に帰る途中、ルンビニーの苑で休息していたマーヤーは、アショーカ樹(無憂樹)の花があまりにも美しく咲いていたので、一枝折ろうとして右手を伸ばした。その時、シッダールタはマーヤーの右脇から「オギャ~」と、この世にお生まれになられた。写真を見てもらうと、摩耶夫人の右袖から赤ん坊が顔を出してるよね。偉大な方は普通には生まれない。イエスさまは処女懐胎だしね。

譌・譛ャ縺九i騾√i繧後◆驥亥ー企剄隱穂サ柔convert_20140328094429

 シッダールタは誕生してすぐに四方に7歩ずつ歩き、右手で天を、左手で地を指して、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と言ったといのは有名な話だよね。もちろん後世の人がブッダがこの世に誕生された意義をわかりやすく人々に教えるために考えたエピソードなんだけど、なぜ脇から生まれたのか?

500px-Rigveda_MS2097.jpg
『リグ=ヴェーダ』

 『リグ=ヴェーダ』では原人プルシャから人間が生まれたとし、4つのヴァルナが生まれた由来を次のように説明している。「その口はバラモンとなれり。その両腕はラージャニヤ(クシャトリヤ)となれり。その両腿からはヴァイシャ、その両足からはシュードラ生じたり」。ブッダはクシャトリヤだから、腕の付け根から生まれたという訳なんだ。

photo.jpg
釈迦苦行像

 シッダールタは生後7日にして母マーヤー夫人を失い叔母に育てられた。16歳でヤショーダーラーと結婚、ラーフラという男の子も生まれ、地位・物質・愛情に恵まれて何不自由ない生活を送っていたが、人間の老・病・死をみて無常観にとらわれ、29歳で出家した。極限まで自らを追い込んだ苦行の結果、シッダールタは立つことすら出来なくなってしまう。写真はパキスタンのラホール博物館にあるガンダーラ出土の釈迦苦行像だ。 眼は大きく落ちくぼみ、身はやせ細り、お腹の部分は木の空洞のように深くくぼんでしまっている。肋骨が一本一本浮き出ていて、血管が走り、腕はまるで枯れ枝のようになってしまってる。

繝悶ム繧ャ繝、縲€繧ケ繧ク繝」繝シ繧ソ蟇コ髯「縺ョ逾蜀・convert_20140403173201
ブッダガヤ スジャータ寺院の祠内部

 あらゆる苦行も解決にならなかったので、シッダールタは苦行林を出て、セーナー村に行った。この時たまたま通りかかったのが村の娘スジャータから乳がゆの供養を受け、体力を回復する。

81APr8XZIJL__SX522__convert_20181227092832.jpg

 スジャータって、聞いたことある?「褐色の恋人スジャータ」のキャッチコピーで知られる、「めいらくグループ」が発売しているコーヒーフレッシュだ。社長さんが仏教に造詣が深くて、乳つながりで命名されたそうだ。

 スジャータは古代インドの女性名で、“良い生い立ち、素性”を意味するそうだが、僕は世界史の授業で彼女をシュードラの娘として紹介していた。前回お話したけど、ヴァルナ制では穢れということを重視するので、階級の違うものが同じ場所で食事をしたり、階級の下位の者から食事を受け取ってはならない。シッダールタはもちろんクシャトリヤだから、シュードラの娘スジャータが差し出す乳がゆを受け取って食してはならない。だから、乳がゆを食べたということは、ヴァルナ制、つまりカーストを否定したということだ。人間はすべて平等である、という宣言であった。ブッダは『スッタニパータ』の中でこう言っている。「生まれによってバラモンとなるのではない。行いによってバラモンとなる」と。

20140410062738c54.jpg

  乳がゆで体力を回復したシッダールタは、近くを流れるネーランジャラー河で身を清め、ブッダガヤの菩提樹の下で座禅して瞑想すること1週間。一切の苦悩を解消し、最高の真理を得て解脱に達し、成道【じょうどう】にいたってブッダ(目覚めた人の意味)の自覚を持った。35歳の時であったとされる。

繝悶ャ繝€莨晞%蝗ウ_convert_20140327113904

 ヴァーラナシー(ベナレス)郊外のサールナートで5人の修行者を相手に初めての説法を行い、ここに仏教教団が誕生した。サールナートはアショーカ王のところでもう一度出てくるので覚えておいてね。

豸・ァ・サ・縺企。・_convert_20140522161800
クシナガラ涅槃堂の涅槃像

 それから45年間、ガンジス川中流域を中心に遍歴修行をしながら布教活動を行い、クシナガラの地で入滅(死亡)する。80年の生涯であった。この時、ブッダは頭を北、顔を西に向けて亡くなられた。そこから北枕は遺体を安置する時に限り、普段北枕で寝るのは縁起が悪いとされるようになった。でも、インドではヒマラヤの方角、つまり北を枕にして寝ることは当たり前のことなんで、ただの迷信だから気にしなくていいよ。

 ブッダは人間の絶対平等を説きカーストを否定した。しかし、そのためにインド社会から一旦は消滅してしまう。その代わり、アジアに広まり世界宗教となった。その逆の歴史を歩んだのが次回お話するジャイナ教だ。(ブッダの教えについては省略しました)

↓ ランキング挑戦中  Brog Rankingのバナーをポチッと押してね!

テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2019/02/21 18:22 】

インド古代史  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

世界史のミラクルワールドーインド人はなぜカレーを手で食べる・カースト制度

shutterstock_266278055-e1536997234143_convert_20181225084554.jpg 

 インドの身分制度として知られるカースト制度だが、これはもとからインドにあった言葉ではない。15世紀末にインドにやってきたポルトガル人が、インド人の間に特異な身分制度があることに気づき、これをcasta(カスタ)と呼んだのが起源とされる。カスタとは「血統」のことである。カーストに対応するインド在来の概念としてはヴァルナとジャーティがあるのだが、ポルトガル人はこれを同一視してカーストと呼んだ。

north_indian_and_south_indian_convert_20181225084506.jpg
  左 アーリヤ人  右 ドラヴィダ人

 ヴァルナは日本では「種姓【しゅせい】」と訳されるが、サンスクリット語で「色」を表す言葉で、肌の色による差別体系のことを指す。もともとは白色系人種であるアーリヤ人がインド西北部に侵攻してきた 際にインドの先住民族であるドラヴィダ人等の有色人種と自らを区別するために作り上げた制度だ。アーリヤ人がガンジス川流域に進出した頃には、先住民との混血も進み、肌の色と身分・階級との対応関係はほとんど無くなったが、ヴァルナという語はそれ以後も、身分・階級の意味に用いられ続け、4つの階級を生み出した。世界史の授業で習った、バラモン・クシャトリヤ・ヴァイシャ・シュードラの4階級である。

Yajna1_convert_20181226085302.jpg
バラモン

 第1のバラモンはヴェーダの聖句に備わる呪術的な力「ブラフマン」を持つ者、つまりヴェーダ聖典を伝持し、ヴェーダの祭祀を執り行う者を意味しており、司祭階層のことだ。原語はブラーフマナで、漢訳仏典では「婆羅門」と音写され、この漢字音のカタカナ表記がバラモンだ。

闍ア髮・す繝エ繧。繝シ繧ク繝シ蜒擾シ医Β繝ウ繝舌う_convert_20181225084752
クシャトリヤ

 第2のクシャトリヤは、クシャトラ(権力)を持つ者という意味で、戦士階層のこと。政治・軍事の職を独占し、バラモンとともに支配階層を形成した。写真はムンバイにあるシヴァージー像。17世紀にマラーター王国を建国した英雄だ。

 これに対し前代の一般部族民ヴィシュは、上位の両ヴァルナから切り離され、生産と貢納を役割とする第3のヴァルナとなった。これがヴァイシャであるが、後世になると商人を意味するようになる。

india0703-2106_convert_20181226085208.jpg 
シュードラ

 ここまでの3ヴァルナはアーリヤあるいは再生族(ドヴィジャ)と称され、これらに属する男性は10歳前後に再生(二度目の誕生)のための入門式を挙げ、アーリヤ社会の一員としてヴェーダの祭式に参加する資格が与えられる。これに対して、再生の儀式を挙げることが出来ない一生族(エーカジャ)とされ、再生族から宗教上、社会上、経済上の様々な差別を受けたのが、第4のヴァルナである隷属民階層のシュードラである。アーリヤ人の支配下に置かれた先住民であるが、後には農耕民・牧畜民もシュードラとされ、上位3ヴァルナに奉仕する義務を持たされた。奴隷と混同されるが、奴隷とは異なり自分の家庭を持ち、僅かながら財産も所有している。

繧、繝ウ繝峨・繧ォ繝シ繧ケ繝亥宛蠎ヲ_convert_20181225084701

 さらに、ヴァルナの枠外におかれ最も差別された不可触民がいる。英語に訳せばアンタッチャブル、その他チャンダーラ、アチュート、アウトカーストとも呼ばれ、不可触民は自分たちをダリットと呼ぶのを好んだ。ガンディーは「神の子」の意味でハリジャンと呼んだが、これはむしろカーストを認めることになるとして反対も多い。
 
001048-1200x796_convert_20181225084340.jpg
不可触民

 『ダルマ=スートラ(律法経)』には次のように定められている。「チャンダーラに触れるとき、かれらと言葉を交わしたとき、かれらを見たときには、穢【けが】れを受ける。その際には浄化儀礼をしなければならない。かれらに触れたときには全身の沐浴、言葉を交わしたときにはバラモンに話かけること、見たときには太陽、月などの光を見ることである」。

 まさしく、触れてはいけない人々、不可触民なのである。こうした集団が生み出されたのは、後期ヴェーダ時代になって浄・不浄の観念が発達し、排泄、血、死などに関する行為や物が不浄視されるようになった結果、それらに関わる職業に従事していた人々が、不可触民の地位に落とされたのである。日本の部落問題と同じく作り出された被差別階級であった。

W237_convert_20181225084626.jpg 

 彼らには清掃、体刑執行、屍体処理などの仕事が割り当てられ、町や村に住むことを禁止された。後世の『マヌ法典』は彼らに対し、死者が身につけていた衣を着ること、壊れた食器と鉄の装身具のみを用いることなどを命じ、また夜間に町や村にはいることを禁じている。不可触民の存在は、ヴァイシャとシュードラにある種の優越感を持たせ、経済活動の担い手である彼らと支配階級との間に生ずる緊張関係を緩める効果をもっていた。これ以後、不可触民制は、ヴァルナ・カースト社会の安定的な維持に不可欠な装置として発達することになった。     

IMGP3026-700x467_convert_20181225084432.jpg


 後世、4ヴァルナに区分された社会の内部に、血縁や職業で結ばれた排他的な集団が生まれた。各集団はそれぞれ独自の職業を世襲的に伝えるとともに、結婚や食事なども集団内部でのみ行った。こうした集団をインドでは「生まれ(を同じくする集団)」を意味するジャーティという語で呼んだ。各ジャーティは4ヴァルナのいずれかに属し、不可触民の間にも多数のジャーティが存在し、その数は約3000あると言われる。一般的にカーストと呼んでいるのは、このジャーティのことである。

 ジャーティがインドの社会秩序においてどのような地位を占めるかの基準は、人格や専門性などではなく、その職業をおこなうにあたっての接触する物体の浄・不浄の度合いによって決められているとされる。写真はムンバイの洗濯屋さんだが、洗濯人(ドービー)、汚物清掃人(バンギ)、皮なめし職人(チャマール)などは、不浄なものに触れやすいとして、特に低い地位におかれている。

0b_R0KO8_400x400.jpg 
アンベードカル

 インドでは、1950年に制定されたインド憲法の17条に、不可触民を意味する差別用語は禁止、カースト全体についてもカーストによる差別の禁止も明記された。この憲法を起草したのがアンベードカル博士だ。

 アンベードカルは不可触民の子として生まれ、刻苦勉励して、コロンビア大学とロンドン大学の博士号及び弁護士資格を取得した。インド独立後は法務大臣となり、憲法起草委員会委員長としてインド憲法の原案作成に当たった。彼がガンディーに語った言葉は有名である。「犬や猫のようにあしらわれ、水も飲めないようなところを、どうして祖国だとか、自分の宗教だとかいえるでしょう、自尊心のある不可触民なら、誰一人としてこの国を誇りに思うものはありません」」。

 彼は不可触民差別の根源はヒンドゥー教にあるとして、1956年に数十万の不可触民とともに仏教に改宗している。

tumblr_n6nib6ueob1tc5nj3o3_r1_1280_convert_20181226101118.jpg

 しかし、憲法で禁止されていながらも、カーストは無くなっていない。インドの新聞の日曜版には、子どもの結婚相手を募集する広告が、数ページにわたって掲載されている。写真を見てお分かりの通り、職業別・出身地別・宗教別とともにカースト別の広告があり、カースト間通婚禁止が今でも生きているのである。Caste No Bar と書かれ、カーストは気にしませんという広告もあるが、本音と建て前は違うようだ。あと、誇大広告が多いのでお見合いしてもなかなか上手くゆかず、インドの若者は何回もお見合いすることになる。

o0510034013679890970_convert_20181226101016.jpg

 インドと言えばカレー。インド人はなぜカレーを手で食べるのだろうか?もちろん、今の時代インド人でもスプーンで食べる人はいる。でも多くのインド人は手で食べている。理由はいくつかあるようで、手で食べたほうが断然美味い。インドの米は粘りが無いので、カレーと米を手で捏ねて粘りを出すと美味い。それから、凄く熱い物を直接口に入れないので、口や胃に優しい。

 そして、何と言っても手で食べたほうが安全だ。自分の前にこのスプーンを使った奴が下位カーストだったら、スプーンは穢れてしまっている。なんぼジョイで洗っても穢れは取れない。だったら、手で喰ったほうがいいということだ。そんなことを現在のインド人は考えていないかも知れないが、身体に染みついてしまってるんだろうね。

o0800060011632477043_convert_20181226101046.jpg 

 もう一つ、インド人の水の飲み方は変わっている。写真のようにペットボトルに口をつけずに飲む。僕も真似してみたけど、外にこぼれたりしてなかなか上手くいかない。これも穢れと関係あるのかもね。

 人間の絶対平等を掲げ、カーストを否定したのが、次にお話するブッダだ。


↓ ランキング挑戦中  Brog Rankingのバナーをポチッと押してね!

テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2019/02/18 17:15 】

インド古代史  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

世界史のミラクルワールドーヴェーダの神々・アーリヤ人

Image307_convert_20181223141014.gif  
世界の言語分布

 1786年、カルカッタ高等法院の判事であり、アジアの古代言語の研究者でもあったウィリアム=ジョーンズはベンガル・アジア協会における講演で、サンスクリット語がペルシア語・ギリシア語・ラテン語・ゲルマン語・スラヴ語などと親縁関係にあることを指摘した。インドで使われていたサンスクリット語とラテン語が親縁関係と言われても俄には信じられないと思う。だけど、サンスクリット語でお父さんはピーター、お母さんはマーター、兄弟はブラーター、これがラテン語だとそれぞれ、ペテル、マーテル、フラーテル、と語彙が似通っている。ウィリアム=ジョーンズはそれに気がついたわけだ。

 これが一つのきっかけとなって諸言語の比較研究が盛んになり、19世紀に入るとジョーンズの指摘の正しいことが証明された。インド=ヨーロッパ語(印欧語)比較言語学の誕生である。 

column17-01_convert_20181224085408.png

 次に学者たちは、それらの言語の祖語の話されていた地、つまりインド=ヨーロッパ語の故郷の探検を始めた。そしてその探索は、動植物の単語で東西の諸言語に共通するものを拾い出すという作業によって進められた。その結果、スカンディナヴィア説、南ロシア説、カスピ海沿岸説などさまざまな説が出されている。

IMG_0001_NEW_convert_20181222144330.jpg

 前2000年頃、インド=ヨーロッパ語に属する言語を話し遊牧生活を送る一団が、中央アジアに移住し、自らをアーリヤと称し優れた血統を誇った。アーリヤとは「高貴なる者」という意味である。そして、牧畜に適したこの地で人口を増加させるとともに、民族としての独自性を育んだ。

 前1500年頃、そのアーリヤ人の一部が南下を開始し、ヒンドゥークシュ山脈(ヒンドゥークシュは「インド人殺し」の意味)を越えてインドに入った。移動の原因としては、人口の増加や気候の乾燥化による牧草地不足、部族間の抗争などが考えられる。

vidya_balan_007_dr_convert_20181223163023.jpg img_aed110ce11214769fad3378fa188d4d3148847_convert_20181223163117_convert_20181223163458.jpg
   インド=アーリヤ人        イラン人

 インドに入った者たちは、今日インド=アーリヤ人と呼ばれている。一方、中央アジアからイラン方面へのアーリヤ人の大規模な移動が、前1000年頃から始まった。彼らの自称「イラーン」は「アーリヤ」と語源が同じだ。僕には詳しいことは分からないけど、アーリヤ Arianaの母音が動いて、Iraan イランになったそうな。だから、アーリヤ人とイラン人はかなり近い親戚だ。だから、ゾロアスター教の神さまとヴェーダの神さまには共通するものが多い。写真のイラン人はみんなも知ってると思うけど、日本で活躍するサヘル=ローズさん。

cf51f71af0229b79b1118fa9e8ea9afc_convert_20181222144251.jpg

 アーリヤ人は前1500年頃カイバル峠を越えてインド西北のパンジャーブ地方に入った。彼らは先住民であるドラヴィダ人を「ダーサ」(やがて奴隷の意味になる)と呼び、騎馬戦士と戦車を使ってその多くを支配下においた。彼らはパンジャーブ地方で牧畜民の生活から農耕技術を身につけ、より肥沃な土地への移動をもとめたらしく、前1000年頃からガンジス川流域に移住し始め、農耕社会を形成していった。

500px-Rigveda_MS2097.jpg


 この間のアーリヤ人の歴史は、神々への讃歌を集めた『リグ=ヴェーダ』から知ることが出来る。リグは「讃歌」を、ヴェーダは「(聖なる)知識」つまり「聖典」を意味している。このヴェーダの神々への信仰からバラモン教が生まれ、そこからヒンドゥー教が発展していく。

s58_02_convert_20181224093329.jpg 

 この中には遠く日本にまで伝わり信仰の対象となっているものも多いので、そのいくつかを紹介しょう。『リグ=ヴェーダ』 に収められた1,028の讃歌のうち、最も多くを捧げられているのは雷神かつ軍神のインドラで、全体の4分の1を占めている。全身茶褐色で,巨大なからだによって宇宙を圧し,2頭の名馬の引く戦車で天空を駆けめぐる。アーリヤ戦士の理想像として崇拝された。神酒ソーマで英気を養い,バジュラ  (金剛杵【こんごうしょ】) で敵を粉砕する。

imgrc0073660068_convert_20181224091034.jpg


 金剛杵は金剛(ダイヤモンド)で出来ていて雷を操る。日本でも真言宗や天台宗などの密教の坊さんが儀式で使っている。もちろん雷は操れない。

2011091617115129a.jpg 
帝釈天(東寺)

 このインドラが 仏法の守護神となって日本に入ると、帝釈天【たいしゃくてん】あるいは釈提桓因【しゃくだいかんにん】と呼ばれるようになる。帝釈天というとフーテンの寅さんの口上にも出てくるよね。「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します」。この帝釈天は柴又の題経寺に祀られていて、江戸時代から大変な信仰を集めた。

s58_03_convert_20181224093358.jpg

 インドラの次に多くの讃歌を捧げられているのは火神アグニで、祭火として、また火中に投ぜられた供物を天上に運ぶ神、敵の城塞を焼き払う神として崇拝された。赤色の体に炎の衣を纏い、二面二臂で七枚の舌を持つ姿で描かれる事が多い。仏教では火天と呼ばれる。

s58_04_convert_20181224093434.jpg

 死者の国の神ヤマ。ヤマの王国は後世には地獄を指すようになるが、『リグ=ヴェーダ』の段階では、善良な人がおもむく楽園とされている。

24989081_624_convert_20181224110153.jpg

 ヤマは日本ではもちろん閻魔大王だ。ちなみに、地獄のことをナラカと言うんだけど、「奈落の底」というのはここから来ている。その他に、サラヴァスティーは知恵と弁舌と財宝の神である弁財天として知られている。また、さきほどの火神アグニである火天・太陽神スーリヤは日天・風神ヴァーユは風天・律法神ヴァルナは水天……等々とされ、世界守護・徐災招福の「十二天」に属する神々として信仰されている。

Skanda_at_Miaoying_Temple_convert_20181224110125.jpg
韋駄天

 なお、この「○○天」という「天」はサンスクリット語の「デーヴァ」に相当し、「神」つまりインド伝来の神を意味する。「天」がついているというと、毘沙門天や持国天などの四天王が有名だよね。あと、烏賊天・海老天・牛蒡天。まあ、これは冗談だけど、韋駄天【いだてん】って知ってるかな?ブッダが入滅した時に、その遺骨(仏舎利【ぶっしゃり】を盗んだ捷疾鬼【しょうしつき】を追いかけて取り返したというので、足の速い神とされ、足の速い人のたとえにされる。2019年のNHK大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」のタイトルにもなってるよね。

 ちなみに、韋駄天がブッダのために方々を駆け巡って食物を集めたとの俗信に由来して、御馳走【ごちそう】という言葉が生まれたんだよ、知ってた?

hassenmai1_convert_20181224114609.jpg

 ヴェーダの祭祀の中心である火に供物を捧げる儀式はホーマと呼ばれるが、これもまた仏教とともにわが国に伝来し、真言密教の「護摩【ごま】」となった。

15876292_1792852214301035_8031556596905541632_n_convert_20181224112902.jpg
クンビーラ神

 先住民の信仰と関係するものとしては蛇(ナーガ)崇拝があり、わが国の竜王・竜神信仰はここに起源の一つをもっている。香川県の琴平町に祀られている金比羅【こんぴら】は、ガンジス川のワニ(クンビーラ)に由来する竜神なんだよ。これも知ってた?なんせ、日本の神さまにはインド出身の神さまが多いということだ。

↓ ランキング挑戦中  Brog Rankingのバナーをポチッと押してね!

テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2019/02/14 17:15 】

インド古代史  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

世界史のミラクルワールドーインダス文明の謎

25283007568_convert_20181219165927.jpg
モエンジョ=ダーロ

 1921年、植民地インド政庁の考古調査局の一員であったインド人考古学者サハニが、パンジャーブ地方のハラッパーにおいて、青銅器時代の都市遺跡を発見した。こうした大発見はえてして続発するものであり、翌22年には同じ考古調査局のインド人学者バネルジーが、約600キロ西南方の「死者の丘」を意味するモエンジョ=ダーロ(モヘンジョ=ダロ)で、クシャーナ時代の仏塔を調査中に、ハラッパーのものとよく似た都市遺跡を掘り出した。

 両遺跡の発見に驚いた考古調査局では、さっそく局長のマーシャルが指揮を執り、1924年からモエンジョ=ダーロの大規模な発掘を行った。前2600年ころ興ったこの都市文明は、中心地域を流れる大河の名をとってインダス文明と呼ばれ、また最初に発見された遺跡の名にちなんでハラッパー文明と呼ばれる。

IMG_NEW_0001_convert_20181219170044.jpg
 

謎その1 インダス文明にはなぜ神殿がないのか?

 モエンジョ=ダーロの都市は、最初の段階から一定の計画に基づいて建設されている。都市の西北地区には、泥レンガの基台の上に築かれた城塞部と呼ばれる小高い丘があり、ここに大浴場、穀物倉、集会堂などの公共の建物が集中している。だが、メソポタミアやエジプトと違い大規模な宮殿・神殿・王墓・王像・戦勝記念碑などは存在しない。大浴場(写真の手前にあるプール状の遺構)は焼レンガ造りの立派なもので、タテ・ヨコ12×7メートル、深さ2.5メートルあり、南北に階段がつけられている。水は隣接する部屋の井戸から汲み上げられ、使用済みの水は排水口から流し出された。ここは恐らく宗教的な沐浴【もくよく】の場であった。沐浴は水に浸かって穢れを取り除くことで、日本でも禊【みそ】ぎというのがある。

cd4a0b202a2c7b21711a6f3935c6674a720fa905_l.jpg 

 ヒンドゥー教徒は今でも沐浴を重視していて、インド観光で必ず訪れるのがヴァーラーナシー(昔のベナレス)のガンジス川での沐浴見学だ。1995年に制作された映画『深い河』では秋吉久美の沐浴シーンが話題になったよね。インド人は5000年も前から沐浴する習慣があり、今でも続いているわけだ。モエンジョ=ダーロには神殿がないから、恐らく沐浴場が神殿の代わりを務めていたんだろうね。

0feb4ebf_convert_20181219171702.jpg 
排水溝

謎その2 水洗トイレがあったって本当?

 市街地には、直角に交わる大小の道路が通じており、それらの道路の多くは焼レンガで舗装されている。道路で区切られた各ブロックには、焼レンガ造りの住宅が並んでいるが、侵入者に対する警戒心からか、戸口は大通りにではなく小路に向かって開かれている。各家には浴室と給水・廃水の施設を供え、使用された水は小路の排水溝を通って大通りの溝に流れ込むようになっており、清掃用のマンホールもあった。腰掛け式のトイレと汚物の沈殿槽も見つかっているが、排水溝が整備されていることから「水洗式トイレ」と考えられる。僕の家のトイレが水洗になったのは40年程前で、それまでは汲み取り式だった。今から4000年も前のインダス文明では100%水洗化が実現されてたなんて、驚きだよね。

IMG_NEW_convert_20181219170009.jpg 

謎その3インダス川流域ではないのにインダス文明?

 インダス文明というとモエンジョ=ダーロとハラッパーが断トツ有名だけど、1990年代にその存在が明らかになったドラーヴィーラー遺跡は、それまでの古代文明観に一石を投じた。それは、この文明がインダス文明に属していると考えられるにもかかわらず、地図を見ておわかりの通りインダス川から300キロほど離れており、そこから河水をひいた形成はないことである。つまり、古代文明は大河の流域に出現したという常識に反していたのである。

繝峨・繝ゥ繝薙・繝ゥ_convert_20181219170238 
貯水槽

 じゃあ、どうやって水を確保したのか?遺跡の中で目立つのが都市を取り囲むように造営されている多くの貯水槽だ。この貯水槽は近くの枯れ川とつながっている。この枯れ川はモンスーン(雨期)になると水量の多い川になる。そこから水を引いて貯水槽に溜めて乾期に備えたと考えられる。つまり、この文明は大河でなくモンスーンがもたらしたものだったんだ。

e162675439_1_convert_20181219171259.jpg
メヘルガル遺跡出土のテラコッタ

謎その4 インダス文明の起源は?
 
 インダス文明の起源については西方文明の影響が指摘されてはいるが、詳しいことはわかっていない。しかし、最近イラン高原とインダス平原の境界地域にあるメヘルガル遺跡の調査で、前7000年頃にさかのぼる農耕文化が存在していることが明らかになってきた。メヘルガルでは小麦・大麦の栽培、羊・山羊・牛の飼育を始めており、金属器も使用、さらに前3000年頃には印章、男女のテラコッタ像など原ハラッパー文化のものと言えるような遺物が出土している。ところが、この地の集落は前2500年頃突然放棄されてしまう。ということは、イラン高原東端部で集落を築いていた人々が、なんらかの事情で東方の平原地帯に移り、都市文明を誕生させたということになる。この農耕文化とインダス文明の連続性を示すものとして双方の遺跡、遺物に見られる牛の崇拝があげられている。
 
2009042421-1_convert_20181219165845.jpg

謎その5 インダス文字は何語?

 写真は都市遺跡から出土した凍石製の印章。恐らく商人が帳簿の押印に用いたり、財産や商品に泥で封をしたあとの押印に用いたんだろう。押印は呪術的な行為であるため、印章の面には牡牛、象、虎など神聖視される動物や神像らしきものが彫られている。牛を神聖視することは現代まで続いており、インドでは牛が大事にされてるので、街中牛だらけで、うっかり歩いていると牛のウンチを踏んでしまう。そして、これらの動物と一緒に象形文字が刻まれいるが、これがインダス文字だ。文字の種類は全部で400程あるが、残念ながらまだ解読されていない。なんせテキストが印章のような短文がほとんどで、最も長いものでもわずか27文字しかない。文字の配列をコンピューター処理するなどしてドラヴィダ系らしいというところまでは分かってきたようだ。

Dancing_Girl_of_Mohenjo-daro_824.jpg
踊り子像

謎その6 インダス文明を築いた民族は?

 インダス文明を築いた人々がどのような民族であったかは、文字が解読出来ていないので正確なことは分からない。だけど、モエンジョ=ダーロ出土の「踊り子像」の唇が厚く、はれぼったい目をしていることから、イラン南部に住んでいたドラヴィダ語系民族だろうと推察されている。

繧ソ繝溘Ν莠コ縺ョ蟆大・ウ驕農convert_20181221092853
タミル人

 ドラヴィダ語系民族は現在は南インドに居住し、全インドの5分の1を占めている。その言語であるドラヴィダ語はインド=ヨーロッパ語族にも、南アジア語族にも属さない。西方からインドに移住し、先住民を征服してインダス文明を築いたと考えられている。しかし、前1500年頃に西北からインドに入ってきたアーリヤ人に押され南インドに追われ、南インドでサータヴァーハナ朝、チョーラ朝、パーンディヤ朝など、独自の文化を持つ国家を展開させた。現在、南インドのタミル人のタミル語はドラヴィダ語を継承しており、彼らはアーリヤ系インド人とは異なるドラヴィダ系インド人として残っている。

4bkad268e57979gbly_800C450_convert_20181221092922.jpg


謎その7 インダス文明はなぜ滅びたのか?


 以前はアーリヤ人の侵入説が有力であったが、年代測定法が発達したことにより、アーリヤ人の侵入と都市文明の終末との間に200年以上の開きがあるとわかり、現在ではほぼ否定されている。それに代わるインダス文明衰退の原因については、大洪水、地殻の隆起による大氾濫、主要河川の流路変更に文明衰退の原因を求める説が出た。しかし、文明圏は広大なので全体が影響を受けることは考えられないし、被害にあった住民がなぜ移住して新しい都市を造らなかったのか、文明圏からすべての都市が消えたのは何故か、という疑問が残る。

 気候の乾燥化と塩害(地中の塩分の増加による肥沃土の低下)とが重なって、農業生産の減退がもたらされたとする説もある。乾燥化の原因としては過度の放牧や焼レンガ製造のための樹木伐採があげられ、人為的な自然破壊が文明を消滅させたとして、自然環境保護の運動家から支持されている。しかし、これにも異論がある。メソポタミアとの貿易の衰退が都市の衰退をもたらしたとする説もあるが、それが都市の消滅をもたらすほど致命的だとも考えられない。

 まあ、結局都市文明消滅の決定的な原因は現在のところ不明である。そんなんでいいんかい?いインダス。

0154a555_convert_20181224162815.jpg


謎その8 インダスって何?

 ところでインダスの意味をご存知だろうか?これがラテン語になるとIndusだ。でも、この川はもともとはサンスクリット語で単に「大きな川」という意味のShindhu(シンドゥ)で呼ばれていた。それをこの地にやって来た西方の連中が地名と勘違いし、インダス川下流域をシンドゥと呼んだ。だから、教科書の地図を見てもらうと、モエンジョ=ダーロがある場所はシンド地方になってるよね。やがてSがとれてHindhu(ヒンドゥ)となり、さらにHがとれてIndhu(インド)になった。だから、シンドもインダスもヒンドゥーもインドも同じ意味で、もともとは川のことなんだけど、地名となったというわけだ。

 ちなみに、インドの正式名称はサンスクリット語で「バーラト・ガナラージャ」で、インドではないんだ。『マハーバーラタ』はバーラタ族間の戦いを描いた叙事詩だけど、インド人はそのバーラタ族の子孫を自認していて、「バーラタ族の国」という意味で自分たちの国を呼んでいる。知ってた?インドではインドのことをインドと言わないなんて、インド人もびっくりだね。


↓ ランキング挑戦中  Brog Rankingのバナーをポチッと押してね!

テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2019/02/11 11:57 】

インド古代史  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |
≪ 前ページ  | ホーム |