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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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カラクリ湖でおしっこ

8月22日(火)

2006_0824シルクロード 本淳0214 
 今回の旅の主目的は仏教東漸の道をたどりながら、羅什・玄奘・法顕ら先人達の苦労を偲ぶことや、ガンダーラ仏を鑑賞することなのだが、日本では絶対に見ることの出来ない7,000メートル級の山々の姿を鑑賞することも楽しみの一つであった。ところが、ブロン湖を出発した頃からしだいに雲が厚くなり、1時間程バスを走らせてカラクリ湖に到着した頃には雨が降り始め、羊飼いも慌てて羊の大群を追い立てている。

2006_0824シルクロード 本淳0217 
 
 天気が良ければ、エメラルド色の湖の向こうに、万年雪をいただくコングル峰(7,719メートル)やムスターグ・アタ峰(7,546メートル)の雄姿を見ることが出来るはずなのだが、雨に煙って何も見えない。おまけに寒い。
 バスを降りてすぐオシッコに走った。レストランにトイレはあるのだが、入らなくてもどんな状態か想像出来る。中国のトイレ事情について語り出すと、あっと言う間に紙面を埋め尽くしてしまうので割愛するが、出そうになっていたオシッコやウンチが引っ込んでしまうほど壮絶なトイレが多いのだ。(あとから女性陣に聞いたら、案の定「二度と入りたくない」とおっしゃっていた。)
 中国では青空トイレが一番。とは言っても、観光客がちらほらといるので、場所を選ぶ必要がある。人影のない所を探してうろうろと歩き、ゲルの陰に隠れて用を足しているうちに本格的に雨が降って来た。傘を持っていないのでレストランまで走ったら、動悸息切れがする。心臓が悪くなったわけではない。なにしろ、ここは標高3,600メートル。富士山の頂上と変わらない高さなのだ。
 昨年のインド旅行でご一緒したTさんが我々を「呑ん兵衛グループ」と評されたように、我々は昼食時でもビールを欠かしたことがない。しかし、寒くてビールを飲む気にならない。あんまり美味しくない中華料理をお茶で掻き込んで、レストランをあとにした。

2006_0824シルクロード 本淳0220 

 午後5時30分、ようやくタシクルガンのパミール・ホテル(帕米爾賓館)に到着した。部屋に入って、早速トイレをチェック。トイレは無事流れたのだが、ドアの立て付けが悪く閉まらない。放って置くと、自然にドアが開いてしまう。これじゃ用を足す時にかなり無理な姿勢でドアを引っ張っていなければならない。おまけに前についていたドアノブの穴がしっかり開いたままで、誰も覗かないとはいえ、中が丸見えだ。でも、この方が秘境を旅しているという実感がわく。

 石頭城【せきとうじょう】まで散歩に行こうとしたが雨が降り続いている。夕食まで時間があるので、ホテルの売店でタレントの千秋によく似た店員さんをからかって時間をつぶした。玉の龍の置物を買おうとしたんだけど、どうしても値引きしないのでキャンセル。しかし、彼女なかなか日本語が上手だ。こんな辺境で日本語を話す中国人がいるとは思わなかったが、それだけ日本人がたくさんやって来ているということだ。

 午後8時より夕食。我々は高山病を恐れて酒も飲まずに静かにお食事。韓国の学生さん達がビールやら白酒【パイチュウ】で飲めや歌えやの大騒ぎ。高山病、大丈夫?

2006_0824シルクロード 本淳0221 

 午後9時に夕食を終えたが、外はまだ明るい。タシクルガンは中国で一番西にある町。西に40キロも行けば、隣の国タジキスタンである。北京時間では9時だが、日本との実際の時差は4時間もあり、まだ夕暮れ時なのだ。雨もあがったようだし、散歩に出ることにした。

2006_0823シルクロード 文子0103 
 民家の軒先に可愛い僕がいたので写真を撮ろうとしたら、お母さん(お祖母ちゃん?)が出て来た。タシクルガンの住人は、隣国タジキスタンと同じタジク族。中国に住む55の少数民族のうち唯一のインド・ヨーロッパ語系の民族で、イラン系である。イランと同じイスラーム教シーア派を信仰していると聞いていたので、てっきり写真撮影を断られると思ったら逆。「私モ一緒ニ撮シテ」と言っているようなのだ。
 「えっ、イスラーム教徒の女性は旦那以外の男に顔見せちゃいけないんじゃないの?」と言ったが、しっかりポーズをとり待っている。
 じゃ、撮しますよ。ハ、ポーズ!

2006_0824シルクロード 本淳0222 

 さあ、明日はいよいよクンジュラブ峠だ。



【 2013/12/07 06:46 】

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なかなか中国を出られな~い!

8月23日(水)

 さあ、今日は今回の旅行のメイン。クンジュラブ峠を越えてパキスタンへと向かう。

2006_0824シルクロード 本淳0226 
 午前8時に朝食を済ませ、午前9時、昨日行けなかった石頭城を訪ねた。 タシクルガンはタジク語で「石の城」という意味で、この城が町の名前の由来となった。南北朝時代に築かれたと言われ、インドからの帰途玄奘も立ち寄り、20日間滞在している。

 玄奘がこの地を訪れたのは643年のことだが、それより240年余り前の401年に法顕がやって来ている。玄奘がインドを目指して長安を出たのが27歳、血気盛んな年齢であった。しかし、法顕が長安を出たのは64歳の時であり、年齢を考えれば無謀な計画であった。おまけに敦煌を出たあと、タクラマカン砂漠を横断して西域南道に出るという無茶苦茶な旅程で、この町にやって来た。

 法顕自らが「空に飛ぶ鳥なく、地に走る獣なし。ただ死人の枯骨を標識とするだけである」と書いたように、まさに死と隣り合わせの旅であった。死の恐怖をも超える求法の志に頭のさがる重いである。そして、タシクルガンを出た法顕は、我々とほぼ同じルートでガンダーラを目指したのである。

2006_0824シルクロード 本淳0238

 「疲れるから行かない」という怠惰な12名を残し、何でも見ようという好奇心の強い9名が石頭城に登った。石と土の塊がゴロゴロしている歩きにくい道を登ること僅か5分。目の前に広がる景色に息を呑んだ。崑崙【こんろん】山脈から朝日が昇り、煙のたなびく湿原地帯を照らし出す。朝日をうけて輝くカラコルム山脈の峰々。

2006_0824シルクロード 本淳0232 

 そして、昨日見ることの出来なかったムスターグ・アタ峰が雲間にその白い雄姿を見せている。360度の大パノラマである。

 城から降りて来て、残留組の連中に「いやあ、凄い景色だったよ。みんなも来れば良かったのに」と言っても、「どうせ、たいしたことなかったんだろ」と言って、信じてくれない。本当に素直じゃないんだから。

2006_0824シルクロード 本淳0239 

 午前10時に口岸に到着。口岸とは出入国管理事務所のことだが、こんな山奥なのに「岸」という字を使っているのは面白い。国境のクンジュラブ峠は標高4,693メートルもあって出入国審査が出来ないので、130キロも離れたタシクルガンの町に置かれている。ウルムチに到着してから4日間お世話になった趙戈莉さんとはここでお別れ、涙を流しながら、何枚も何枚も写真を撮った。その時、彼女が手を僕の手に絡めて来たんだけど、ひょっとして……かな?
 
 出国審査はお役所の仕事だから本来は午前9時に始まる。でも、ここは辺境の地なので、普通は午前10時始まるそうだ。ところが、10時を過ぎても始まらない。暇なのでクンジュラブ峠への道を撮影していたら、たまたま通りかかった軍隊を写したみたいだ。若い軍人さんがとんできて、データを削除しろって。拘束されてはかなわないので、素直に従った。
 午前10時30分、漸く出国審査が始まった。日本人のグループは我々だけ。乗り合いバスでパキスタンへと向かうウイグル族・モンゴル族、自転車を抱えた金髪のお兄ちゃん(欧米か!?古いギャグですんません)でごった返す。

2006_0824シルクロード 本淳0240 

 荷物の安全検査だけで一苦労。みんな自分の荷物を持ってX線検査を受ける。おまけに非典(平成15年に大流行した重傷急性呼吸器症候群、つまりSARS【サーズ】のこと)の体温検査まである。なんで今頃こんなことやってるの、と言いたくなる。その上、係官が新人さんなのか、愚図なのか、嫌がらせなのか、パスポートチェックに異様に時間がかかる。時計で計ったら、一人に10分かかる場合もある。結局我々のグループ全員の審査が終わったのが、午前11時45分。1時間以上もかかった。もっと速くやれよ。

 我々の検査はやっと終わったが、運転手さんが来ない。もっと厳重な検査を受けているようだ。

 運転手さんが現れ、さあこれで出発かと思ったら、若い姉ちゃんの係官がバスに乗り込んで来て、パスポートチェックと人数の確認をする。それも終わって、さあ今度こそと思ったら、偉そうな上司が現れて、また同じことを繰り返す。いい加減にしろよ!俺たちの中にテロリストでもいると言うのか!?

 午後12時15分、やっとやっと検問所を出られた。さあ、いよいよ中巴公路【ちゅうはこうろ】(カラコルム・ハイウェイ)を一路パキスタンへ、と思ったら、5分ほど走ってまた検問。国境警備隊が乗り込んで来て、運転手さんに何か聞いている。もう、いい加減にしてくれよ~。

 午後12時25分、やっとやっと検問所を出て、今度こそ本当にパキスタンに向かう。(つづく)



【 2013/11/27 11:44 】

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天空の日中バトル!!

8月23日(水)

 午後12時25分、ようやく検問所を出て中巴公路(カラコルム=ハイウェイ)をパキスタンへと向かう。雪をいただくカラコルム山脈の峰々の壮大な景色を堪能しながら2時間ほど走ったところで、思わぬ敵が現れ、バスはストップした。

2006_0824シルクロード 本淳0243 
 な、な、なんと、舗装工事をしているではないか。アスファルト舗装をするでかい機械(アスファルトフィニッシャーというそうです)が、道路全面を塞いでいる。迂回路はない。工事が終わるまで、4時間も待てというのだ。冗談じゃないよ、4時間も待っていたら日が暮れちゃうよ。だいたいが、中巴公路は中国とパキスタンを結ぶ唯一の幹線道路でしょうが。迂回路を造ってから工事をするとか、それが出来なきゃ片側交互通行にして片側ずつ工事をするとか、それも駄目なら夜間工事にするとか、それが常識ちゅうもんでしょうが。それを、なんだ4時間も待てってか!

 そうだ、中国は賄賂天国。日本でも最近(平成18年のお話)どっかの知事さんが賄賂貰って捕まったけど、中国はそんなもんじゃない。2005年に摘発された人数がなんと4万1447人。(中国で収賄罪は死刑。にもかかわらず、2012年にはもっと増えて、摘発された汚職件数は17万件だそうだ。あきれますね。)作業員に100元も渡せば機械どかしてくれるんじゃないの、というのがみんなの意見だったが、お金を渡そうとしても受け取ろうとしない。下っ端の工事人夫が賄賂を貰って後からそれがバレたら、今よりももっと辺境の地に左遷されてしまうから、頑として受け取らないのだろう。というのが添乗員の奥村君の見解だった。

 だいたいが、工事すると分かっていたんなら、出国審査を正規の時間に始めて、テキパキと処理すれば、こんなことにならなかっただろうが。こんなことで再来年本当に北京オリンピックなんか開催できるのかよ。

 そうこうするうちに、後続のバスやタクシーもやって来るわ、パキスタン側からも次々とバスがやって来て、にっちもさっちもいかなくなった。そんな時、1台のランドクルーザーが道路際の土手から現れて、我々の見ている前で楽々と道路にあがり、タシクルガンの方へと立ち去ったのである。

 それを見た奥村君がとんでもないことを言い出した。「みんなで、迂回路を造りましょう。」
 道路の高さは1メートル弱。路肩にみんなで石を積んだ上、ローラー車を借りて固め、バスを道路から降ろそうというのだ。まあ黙って待っていても埒【らち】が明かない。一丁やるかということで、全員で臨時の道路工事が始まった。

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 まずは石運びから。適当な大きさの石を探して来て路肩に積み上げていく。簡単な作業だとは言っても、ここは標高4,000メートル。少し動いただけで息が切れる。

2006_0824シルクロード 本淳0245 
 概ね積み終わり、舗装工事の監督に頼んでローラー車で踏み固めてもらう。あれ、ローラー車についているロゴマーク、なんか見たことあるような。車体に「三一重工」と書いてある。なんだ、三菱重工のパクリじゃん。レコードの海賊版を初めバイク・自動車なんでもかんでも日本のものパクッて、どうせ真似するんなら、出入国管理事務所や日本の道路工事関係者のきちんとした仕事ぶりを真似しなさいよ。

 そんな作業を繰り返していると、だんだん周りに人が集まって来た。「日本人馬鹿ネ。ソンナ事シテモ無駄アルネ」と言い足そうな顔でじい~と見ている。「こら、手伝え。お前らも早く行きたいだろうが」「果報ハ寝テ待テヨ。ジタバタシテモ無駄アルネ」

 結局はその通り。何度チャレンジしてもバスは傾いてしまい、道路から降ろすことは出来なかった。我々が諦めかけた時、学生さん3人を乗せたベンツのタクシーが、待っている数台のバスの間をするりと抜けて、我々が造った道を使って下に降りた。

 ナ、ナ、ナンダ!!どうせその先は行けないことは分かっているが、余りの厚かましさに激怒した奥村君、なんと積んだ石を崩し始めたではないか。完全に崩してしまえば、当然タクシーは道路に上がれなくなる。血相を変えて跳んで出て来た運転手(太り過ぎの金日正みたいな顔)が、奥村君に掴みかかった。
 「☆♂◯∞∂§※&♯」
 「これは我々が造った道路だ!」
以下、翻訳版で。
 「コノ道路ハ中国のモノダ!」
 「日本人が石を運んで造ったんだ!!」
 「コノ石ハ中国ノモンダ。文句アッカ!!」 
奥村君、空を指さして、
 「じゃ、この空も中国のもんか!?」
 なんか子供の喧嘩みたい。殴り合いになる寸前までいったが、何とか一旦は収まった。ところが、T君の言った一言に今度は学生さんが激怒。「誤れ」と言って聞かない。4対19での言い争いとなった。罵声と怒号が飛び交う。危うく国際紛争にまで発展するところだったが、結局奥村君が謝って、事は収まった。
 余りにも大きな騒ぎになったためか、結局機械を退かして通してくれることになった。機械退かせるんだったら、最初からそうしろよ!!

 1時間も時間を無駄にしてしまったが、気を取り直して再出発。ところが、この後、タクシー運転手の復讐が待ち受けていたのである。(つづく)


【 2013/11/27 03:09 】

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タクシー運転手の復讐

8月23日(水)

 臨時の道路工事やら喧嘩やらでお腹がすいた。時計をみたら、もう午後4時だ。お腹がすくはずだよ。手元には腹の足しになるようなものは無いしどうしようかと思った時、タイミング良くアブさんBがナンを配ってくれた。あっ、ウーパール村で趙戈莉さんが買い込んでいたやつだ。なるほど、いざという時の非常食だったのである。

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 さあ、一路クンジュラブ峠だ。

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 と思ったんだけど、30分ほど走ったら、また検問。いったい何回やれば気が済むんだ。サングラスをかけた若い国境警備兵がバスに乗り込んで来た。18歳ぐらいだろうか。偉そうな顔でパスポートチェックをする。なんでそんなに態度でかいんだよ。ほんまに腹が立つ。

2006_0824シルクロード 本淳0264 
 今度こそ、今度こそ、気を取り直して再再出発。あれっ、再再再かな?車窓に雪を頂く峰々を眺めながら走ること10分、午後4時45分、ようやくクンジュラブ峠に到着。標高は4,693メートル。(私の持って行った高度計では4,450メートル。何でも一番じゃなきゃ気が済まない中国のこと、鯖を読んでいるのかも知れない)。宮本輝の『ひとたびはポプラに臥す』を読んで以来、一度はその地に立ってみたいと思い続けてきた、憧れの峠だ。記念撮影をするためバスを降りようとしたら、国境警備兵が「降りてはいけない」と言う。「いつもここで降りて記念撮影してるじゃないか」と、奥村君がいくら言っても頑として首を縦に振らない。

クンジュラブ峠 
僕達が立つはずだった国境(画像借りてきました)

 くそっ、さっきのタクシー野郎だ。先回りして、後から来る日本人グループをバスから降ろさないよう頼んでいったに違いない。なんと、せせこましい了見だ、喧嘩の原因をつくったのはお前達じゃないか。他人が汗水垂らして造ったものを、なんの断りも無しに利用しようとしやがって。だいたい、どこのお坊ちゃん・お嬢ちゃんか知らないけれど、学生の分際で、タクシーでクンジュラブ峠見学というのは贅沢すぎませんか。親の顔が見てみたいわ。一人っ子政策なんかするから、こんな我が儘で自分勝手な人間ばっかり出来てしまうんだ。ブツブツ、ブツブツ
 ライフルを構えている国境警備兵に逆らえば、撃ち殺されるかも知れない。国境の標識の横に立つことは諦めるしかなかった。

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  仕方ないので、5分ほどバスを走らせて記念撮影することにした。パキスタンの国境警備兵がにこやかな顔で出迎えてくれる。中国の警備兵とは雲泥の差だ。2005年に起きたロンドンでの同時多発テロ事件や、ついこの前(2006年)の8月10日にイギリスの旅客機爆破テロ未遂事件の犯人にパキスタン人が多く含まれていたため、パキスタン人というと怖いイメージがあったが、聞く見るとは大違い。中国の警備兵が余りにも憎たらしかったこともあって、髭面の男どもが可愛くさえ見える。

2006_0824シルクロード 本淳0275 

 普通なら「はい、チーズ」とやるところだが、「中国人は大嫌いだ」「ベンツのタクシー、馬鹿野郎」「パキスタン大好き」と叫びながらの記念撮影となった。

2006_0824シルクロード 本淳0278 

 さあ、ここからパキスタンのススト側の国境の町スストまでは80キロ。スストの標高は2,800メートルだから、標高差2,000メートルを一気に下ることになる。

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 左手にインダス川の支流であるフンザ川を見ながら、バスはカラコルム山脈の谷を縫うように走る。

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 カラコルムは「黒い岩」という意味。まさに一木一草も生えていない岩山で、随所に土砂崩れの痕が見える。

2006_0824シルクロード 本淳0292 

 カラコルム=ハイウェイはパキスタン側に入った途端に舗装が無くなり、右側通行から左側通行に変わった。僕はバスの左手側に座る癖があり、必然的に谷底が見える位置になる。崖下数十メートルのところを、鉛色のフンザ川が雪解けの水を集めて荒々しくうねって流れている。道路にはところどころに砂利が散らばっており、ガードレールは無い。もしも、スリップしたら……。自然と足に力が入ってしまう。「日本人観光客を乗せた中国の観光バスがカラコルム=ハイウェイでフンザ川に転落。乗客・乗員21名行方不明」という新聞記事が脳裏を横切った。しかし、この程度の恐怖はまだ序の口だったのである。(つづく)


【 2013/11/27 01:08 】

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フンザの満天の星空と大宴会

8月23日(水)

2006_0826シルクロード 文子0013 
 2時間半を費やして、ようやくスストに到着。時差があるので、時計は3時間逆戻りして午後4時15分を指している。今度の旅行で一番心配していたパキスタンへの入国審査が始まる。というのも、パキスタンは厳格なイスラーム教の国で、飲酒は禁じられているのだ。イスラーム教では飲酒罪は鞭打ち80回の刑となる。つくづく日本人に生まれて良かったと思う。外国人がこっそりと飲むのは許されているが、国内への持ち込みは禁止されている。したがって、入国審査の際に酒類が見つかれば没収されてしまう。
 一日たりとも晩酌を欠かしたことの無い者としては耐えられるものではない。そこで、荷物検査があった時に備え、焼酎をミネラルウォーターのペットボトルに詰め替えて(これをミネラル焼酎と呼んでいる)、スーツケースに忍ばせてあるのだ。

 ハラハラドキドキで入国審査に臨んだが、中国の係官とは大違いで、えらい友好的。笑顔で握手を求め、どこから来たのかと聞いてくる。パスポートチェックも5,6人だけやって、あとは省略。そんな訳だから、税関も荷物検査なしでOK。パキスタンのガイドさんが賄賂を渡したのか、Iさんの77歳のお母さんが車に酔って具合が悪かったのを見て審査をさっさと済ませたのか、我々の到着がずいぶん遅れたのが幸いしたのか分からないが、まあいずれにしても、焼酎は無事国境を通過した。ホッと一安心である。

2006_0824シルクロード 本淳0298 
 我々を出迎えたのはマイクロバス2台。二日前の土砂崩れのため大型バスが通行出来なくなったそうだ。一般ツーリスト用のバスで、パキスタン北方政府のものだそうだが、その1台には「政府登録長門市湯本温泉 あなたの明日に 西京銀行」と書いてある。パキスタンでは日本語が書いてある中古車がモテモテらしい。

 午後5時、やっと昼食(夕食の間違いではありません)。中国で午前8時に朝食を食べてから12時間も経っている。途中ナンしか食べていないので、カレーが身に染みるほど美味い。


2006_0824シルクロード 本淳0339 

 パキスタンのガイドはフェイサル=シャー君。イスラマバードの国際近代語大学を卒業した27歳の好青年だ(シャー君はexciteブログにパキスタン便りを書いてるんで是非読んであげて下さい)。彼の案内でフンザへと向かう。予定よりかなり遅れているので、運転手さんは70キロのスピードでぶっ飛ばす。シャー君による簡単ウルドゥー語(パキスタンの国語)講座が始まった。 「サラーム(こんにちは)」「サラーム」、「シュークリア(ありがとう)」「シュークリア」。全員中学生になった気分で声を揃える。

2006_0824シルクロード 本淳0299
 
 雪を抱いた美しい山が見えたので、名前を聞いたら、名前は付いていないと言う。パキスタンには8,000メートル級が5峰、7,000メートル級が25峰、6,000メートル級は約100峰もあり、それ以下の山には名前が無いのだそうだ。3,776メートルの富士山が聞いたら赤面しそうな話だが、高いばかりが能じゃないよね。
2006_0824シルクロード 本淳0301 
 フンザへの途中、パスー氷河を見学。パスー氷河は25キロもあり、毎年2~3㎝動いているそうだ。
 午後8時、フンザの中心地カリマバードに到着。思わぬトラブルもあり、タシクルガンから11時間もかかってしまった。しかし、贅沢を言ってはいけない。
 1902年にこの地を踏破した大谷探検隊の3人はミンタカ峰越えでフンザに入ったのだが、タシクルガンから9日間を要したのである。本多恵隆の日記には「空気希薄。喘喘【せんせん】として進まず。一行頭痛また嘔吐を催す。」とあり、その苦労が偲ばれる。

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 泊まったホテルはダルバール・ホテル。昔はミールと呼ばれるフンザの王様の別荘だったそうだ。何はともあれ、全員無事フンザまで来れたことを祝しての晩餐会となった。フンザの住人はイスラーム教徒のくせに酒には五月蝿【うるさ】くないそうだが、ホテルに置いてある中国産ワインが1本なんと50ドル(6,000円)。荷物検査をしなかった係官に感謝、感謝である。日本からはるばる持って来たウイスキー・焼酎で乾杯。しこたま飲んだ後、ホテルの屋上でさらに二次会。満天の星の下で、心ゆくまでフンザの夜を楽しんだ。

 部屋に戻って風呂に入ろうと蛇口を捻ったら、フンザ川と同じ鉛色の湯が出て来る。いつまで経っても透明にならない。でも、この濁りはカラコルム山脈の岩を削ったミネラル分で、決して汚れではない。じゃ、フンザ温泉じゃないか。ゆっくり浸かり、長い一日の疲れを癒した。(つづく)



【 2013/11/27 00:20 】

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