なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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新羅は習慣的に「しらぎ」と呼んでいるが、本来は「しんら」で、朝鮮語では「シルラ」。『三国志』魏志東夷伝によれば朝鮮半島南東部には3世紀頃辰韓諸国があったというが、356年にそのなかの一国・斯盧【しろ】 国が中心となり部族連合的国家が成立、同世紀 70年代には新羅と称した。『三国史記』では前57年の建国としているが、これは伝説であって史実性は低い。韓国の国定教科書はこの説を採用しており、400年も鯖を読んでいる。都は現在の慶州で、新羅では金城と称した。
法興王
新羅は6世紀初頭まで高句麗・百済と対立しつつ統一国家形成をはかった。新羅王国の最初の基礎を定めたのは法興王 (在位 514~540年) で、対外的には任那の中心金官加羅を合せて日本に脅威を与え、中国南朝の梁に朝貢して高句麗に対抗し、国内的には律令や年号を制定して王権の強化をはかった。
次の真興王 (在位 540~576年) は積極的に対外発展を進め、百済と戦って554年に聖明王を殺し、また残存任那を 562年打倒して日本の朝鮮支配を阻止した。聖明王と言えば、日本に仏教を伝えた百済王としてその名が知られている。日本への仏教伝来の年については戊午説(538年)と壬午説(554年)があるが、当時の状況から考えれば、当然、壬午説に軍配があがる。聖明王は日本の援助を期待して仏教を伝えたわけだ。
善徳女王
632年、新羅初の女王として即位したのは善徳女王(在位632~647年)であった。先王・真平王には男子が無く、3人の娘がいた。当時の新羅の王室では、父と母の両方の家系に王系の血縁を持っている貴族を「聖骨」といい、彼らが王になれる最優先権を持ってた。それが有名な特権的身分制度である骨品制だ。骨品には聖骨と親の片方だけが王族の血縁である「真骨」、そしてその下は、六頭品から一頭品までの六つの貴族階級があった。聖骨の男子がいなかったことと、呪術者的性格を有していたことから、徳曼【トンマン】が王位を継いで、善徳女王となった。
642年に百済と高句麗が同盟を結び、国際的に孤立した新羅は唐に救援を求めたが失敗に終わった。その後、国内では親唐派と反唐派の対立が起き、毘曇【ピダム】が女王の廃位を求めて内乱を起こした。女王は陣中で没し、従妹の真徳女王(在位647~654年)が即位した。
642年に百済と高句麗が同盟を結び、国際的に孤立した新羅は唐に救援を求めたが失敗に終わった。その後、国内では親唐派と反唐派の対立が起き、毘曇【ピダム】が女王の廃位を求めて内乱を起こした。女王は陣中で没し、従妹の真徳女王(在位647~654年)が即位した。
武烈王
654年、新興貴族階級の支持で武烈王(在位654~661年)が即位する。660年、唐の高宗は百済征討の軍を起こし、新羅にも従軍を命じた。唐軍は水・陸から、新羅は陸上から攻撃する水陸二方面作戦によって進軍、唐13万・新羅5万の合計18万の大軍であった。660年7月、ついに百済は滅亡した。
しかし、鬼室福信【きしつふくしん】らによって百済復興運動が展開され、日本に救援を求めて来た。日本は積極的にこれに応え、662年に船170艘、兵5000余人を送ったが、唐の水軍と戦って大敗した。これが名高い「白村江【はくそんこう】の戦い」である。
白村江の戦いは663年8月27日から翌日にかけて行われた。当時の世界帝国・唐と戦ったという点で、日本史上でも特異な体験の一つである。『旧唐書』には、「その舟400艘を焚【や】き、煙焔【えんえん】は天に漲【みなぎ】り、海水はみな赤く、賊衆は大いに潰【つい】ゆ」とある。完敗であった。
文武王
これに先立つ661年、武烈王は唐の高句麗遠征に呼応して北上する途上で没し、長子の文武王(在位661~681年)が即位している。666年、文武王は唐に対して高句麗討伐の出兵を求め、668年に高句麗を滅ぼすことに成功。さらに半島を直接支配下におこうとする唐に抵抗して唐の勢力を退け,676年半島の事実上の統一を完成した。
左が釈迦塔、右が多宝塔
武烈王以後約1世紀は新羅の全盛期で,735年には大同江以南の支配を唐に承認させ,領域の拡大をみた。首都慶州は国家の展開とともに、一大文化都市として繁栄した。なかでもめざましいのは、仏教文化の精華であった。仏国寺は751年に建立が始まった。大雄殿(本堂)前方の左右に多宝塔と釈迦塔が建つ。これは、法華経の世界を表していると僕は思っている。仏国寺は石造建築として有名だが、木造部分は豊臣秀吉の侵略の時に焼き払われてしまった。
もう一つ慶州で有名な石窟庵は仏国寺付属の石窟で、4㎞ほど離れた吐含山の麓にあり、自然の巨岩を背景に築かれた。石窟と言っても岩山を開削したわけではなく、ドーム状の主室は花崗岩を組み合わせて人工的に造られている。平成10年に拝観した時は坊さんだということで一般人が入れない主室に入れてもらい、本尊である如来座像を間近で拝むことが出来た。
栄華を誇った新羅であったが、9世紀にはいると唐の衰退に従って新羅も衰退し、各地に地方政権が現れ、910年にはその一人の王建が高麗を建国した。935年、敬順王は高麗に帰順し、56代、992年続いた千年王国もついに滅亡した。
※法興王と善徳女王の肖像は、韓国テレビドラマ『善徳女王』から拝借しました。
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高句麗(コグリョ)は中国東北部から朝鮮半島北部にかけて活動していたツングース系の半農半狩猟の貊【はく】人により鴨緑江流域に建国された。朝鮮最古の歴史書『三国史記』によると、朱蒙【チュモン】(東明聖王)が前37年に建国したとされる。朱蒙の父は天帝の子・解慕漱【カイボソ】、母は河神の娘・柳花【ユファ】。柳花が日光に感じて朱蒙を生み、夫餘【ふよ】王に養われた。朱蒙は「弓の達人」という意味。弓馬の術に優れていたので、夫餘の王子たちに嫌われて南方に逃れ、高句麗を建国したという。
もちろんこれは神話であるが、史実としての高句麗の政治的な結集はこれよりも早い。前1世紀の中ごろ、漢の置いた4郡の一つ玄菟【げんと】郡が衰えたことによって、高句麗が自立したと考えられている。
部族連合国家であった高句麗は、後漢末に遼東の太守公孫氏に追われて、209年、鴨緑江流域に移り、その北岸に丸都【がんと】城を築いた。これが実質的な建国である。中国が三国時代の分裂期にはいると勢力を強め、4世紀初頭、楽浪郡・帯方郡を占領した。しかしその跡、鮮卑族の前燕の侵略を受けて丸都城が陥落、さらに成長著しい百済との戦いで国王が戦死するなど、苦難の時代を迎えた。
広開土王
391年に第19代国王として18歳で即位したのが広開土王である。39歳という若さで亡くなるが、次の長寿王の治世と併せて100年間が高句麗の全盛期となった。広開土王の諱【いみな】は談徳【タムドク】。正式な称号は国岡上広開土境平安好太王で、略して広開土王と呼んでいる。領土を拡大した王という意味であるが、昔日本では好太王という言い方をした。しかし、これでは美称だけの略称になってしまうので、使わない方が良い。
広開土王と言えば、有名な広開土王碑だ。この碑は広開土王の死の2年後の414年に長寿王によって建立され、中国吉林【きつりん】省集安市に現存している。碑石は四角柱の角礫凝灰石【かくれきぎょうかいせき】で、高さ6.3メートル、幅1.3~1.9メートル。碑文の字数は総計1775字で、文字の大きさは平均12センチメートル平方。1880年に発見され、84年に日本陸軍の砲兵大尉・酒匂景信【さかわかげあき】がその拓本を入手し、参謀本部で解読したが、この碑文の倭関係記事の改竄【かいざん】、異なった解読、釈文、欠字推定などの問題が提起されている。
さて、この碑文で最も重要なのが戦争の記録である。即位4年後の395年、契丹族の稗麗【ひれい】に親征。396年は王が百済に親征して、治世最大の戦果をあげた。398年、軍隊を遣わして粛慎【しゅくしん】族を討った。399年、新羅の要請で倭人の撃退策をねった。翌400年、新羅救援軍を遣わし、倭人と安羅【あら】人を撃った。404年、王は親征して倭と海上で戦った。407年、兵を遣わして、たぶん百済と戦った。最後は410年、東夫餘に親征した。
さて、ここで問題となるのが、「辛卯【しんぼう】年条」のうち、欠損により判読できない記述のある、「倭以辛卯年来渡〔海〕破百残■■新羅以為臣民」の19字である。■は欠損部分、〔海〕も風化が進んでいて、「海」と読む人と、読めないという人がいて決着がつかない。
韓国・北朝鮮の学会の異説はあるが、「倭が辛卯年に海を渡り百残・加羅・新羅を破り、臣民となしてしまった」という日本学会の通説が 正しいと僕は思う。素直に読めば、それ以外の読み方は出来ない。また、帝国陸軍による改竄説については、酒匂本以前に作成された墨本が中国で発見されており、偽造・改竄は完全に否定されている。
ところで、韓国のテレビドラマ『朱蒙』をご覧になった方はご存じだと思うけど、写真は高句麗のシンボルマークの三足烏【さんぞくう、サムジョゴ】。中国神話に登場する烏で、太陽に住むとされ、太陽を象徴している。高句麗では天孫の象徴であるとされ、古墳壁画などにも描かれている。
この絵は「日神・乗鳳凰図」。中央の円の中にカラスがいるよね。足の数を数えてみて。はい、ちゃんと3本あるよね。サムジョゴだ。
実はこの3本足のカラスは日本にもいる。写真は熊野本宮大社の提灯に描かれた三足烏。これを八咫烏【やたがらす】と言って、熊野大神に仕える神として信仰され、熊野のシンボルになっている。咫は長さの単位で18㎝のこと。8咫は144㎝になるけど、ここでは単に「大きい」という意味で使っている。
日本神話では、神武天皇御東征の際に、高御産巣日神【たかみむすびのかみ】によって八咫烏が神武天皇の元に遣わされ、熊野から大和の橿原【かしはら】まで案内したとされており、導きの神として信仰されている。知ってるとは思うけど、神武天皇は日本の初代天皇。橿原宮で辛酉年1月1日に即位した。この日を現在の暦になおすと、前660年2月11日。これが「建国記念の日」になったわけだが、「建国記念日」じゃないから、要注意。前660年はまだ縄文時代で、天皇がいるはずがない。あくまでも神話なので、この日に日本が建国されたわけじゃない。だから、「建国を記念する日」にしてるんだ。
ちなみに、池井戸潤の小説『下町ロケット』にも「ヤタガラス」が登場するよね。帝国重工宇宙航空部が進める「スターダスト計画」の宇宙開発ロケットの名前だ。
ちなみに、池井戸潤の小説『下町ロケット』にも「ヤタガラス」が登場するよね。帝国重工宇宙航空部が進める「スターダスト計画」の宇宙開発ロケットの名前だ。
もっと他にも八咫烏がいるんだけど、みんな気がついてるかな?そう、日本サッカー協会(JFA)のエンブレムにも八咫烏がデザインされている。JFAのホームページには、「三本足の烏は、日の神=太陽を表しています。光が輝いて四方八方を照らし、球を押さえているのは私たち日本のサッカー界を統制・指導することを意味しています。」と書かれている。
ところで、2018年12月20日、日本の排他的経済水域 (EEZ) 内の能登半島沖で、海上自衛隊のP-1哨戒機が韓国の駆逐艦から火器管制レーダーの照射を受けて問題になっていることは知ってるよね。この駆逐艦の名前がクァンゲト・デワンだ。これ広開土大王という意味なんだよ、知ってた?照射したことは明らかなのに、韓国政府は「やってない」としらばっくれている。ええ加減にせーや。

※朱蒙と広開土王の肖像は、韓国テレビドラマから拝借しました。
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