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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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チベットの祈り

8月5日(火)

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 午後3時、ジョカン(大昭寺)へ。ジョカンは7世紀に吐蕃【とばん】王国を建国したソンツェン・ガンポ王の元に嫁いだ唐の文成公主【ぶんせいこうしゅ】とネパールのティツィン王女とによって建立されたと伝えられる。チベットで最も聖なる寺である。

文成公主 

 『地球の歩き方』にもそんなふうに説明されているが、本当は文成公主が嫁いだ相手はソンツェン・ガンポ王の息子のグンソン・グンツェン王。王子を産むが、結婚して3年後に旦那が落馬が原因で急死。お父さんのソンツェン・ガンポ王が復位して、公主と再婚した。息子の嫁さんと再婚するなんて儒教道徳ではあり得ないことだが、チベット人には関係ない。せっかく唐から貰い受けた嫁さんを実家に帰すのがもったいなかったんだろう。イギリスのヘンリ8世が兄貴の嫁さんで未亡人となったカザリンちゃん(スペイン国王の娘)と再婚したのと似ている。

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 年間500万人もの巡礼が、ある者は五体投地で、ある者は徒歩で、ある者はトラックで、ジョカンへと押し寄せて来る。彼らはごく普通の日常生活を営んでいる民衆だ。それが、一念発起、日常生活を捨て、ラサのジョカンに向かって歩き始める。野宿を繰り返し、人々の喜捨にすがり、何ヶ月もかけてやって来る。どんなに大変なことか。どんなに思い切りのいることか。

 何のために?

 ただ、生まれ変わりのためだけにである。

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  ここでも写真を撮していると、子供たちが寄って来る。

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 次から次へと寄って来る。

 ジョカンの子供1
 
  再生した写真を見せてあげると、我さきに見ようと群がってくる。

ジョカンの子供2
 
  ところが外があまりにも明るいもんだから、画面が見えない。見えないから顔を突っ込んで見ようとするから、よけいに見えない。押し合いへし合いになって、なんかスターになった気分だ。

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 じぇじぇじぇ~、忘れた~~~~。「中に入りますよ」の声で、ハッと我に帰った。子供と遊んでいて、忘れちゃった。トホホホホ

 何を忘れたかって?写真(当然ネットからの借り物)の「唐蕃会盟碑」。節度使の安禄山が起こした安史の乱を自力で鎮圧できなかった唐は、ウイグルの力を借りてやっとのことで反乱鎮圧に成功する。ところが、これが周辺民族に唐の弱体化を露呈することになり、ウイグルやチベット(吐蕃)が唐に侵入、チベットは一時長安を占領する。そうした緊張状態が半世紀余り続いたのだが、821年に両国は和解する。これを記念して建てられたのが、「唐蕃会盟碑」。対等な両国関係をうたっているが、実質的は唐が下手に出て結んでもらった平和条約だ。なにが、「チベットはもともと中国の領土だった」だよ。いい加減なこと言うな。チベットが紛れもない独立国である証拠がここにあるじゃないか。えっ、どうなんだよ、中華人民共和国。

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 ジョカンの周囲は八廓街【はっかくがい】(パルコル)と呼ばれ、多くの店が建ち並ぶ巨大市場となっているが、巡礼達はマニ車を廻しながらコルラ(聖なる地を右回りに廻ること)を繰り返す。われわれ坊さんも三帀【さんそう】といって本堂の内陣を三回廻るということはするが、三回どころではない。昔、「廻る~廻る~よ、世界~は廻る」という歌があったが、とにかく何回も何回も廻るのである。それもかなりのスピードで。だから八廓街では左回りしようとすると、人間の波が押し寄せて来て、前に進むどころか、後ろに押しやられることになる。

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 彼らが手に持つマニ車は金属の筒の中に印刷された巻物状の経文が入れられており、これを1回廻すと1回経文を読んだことになるという、非常に安直なお詣りアイテムである。「ちゃんと読んだら」と言いたくなるほど、道楽な方法だが、コルラはその正反対である。

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 正反対と言えば、五体投地もそうだ。胸の前で合掌し、その手を頭上に持っていく。合掌した手を口元、胸の前へと下ろした後、両手と膝を地面につける。うつぶせになって全身を大きく伸ばし、伸びきった頭上で合掌する。ゆっくりと立ち上がり、胸の前で再び合掌、同じ行為を延々と繰り返す、延々と延々と……。ジョカンの前の石畳は摩耗して、つるつるになってしまっているほどだ。

五体投地 
 ただひたすらにコルラを繰り返し、五体を地に投げる。来世により良く生まれ変わるための、ひたすらな祈りなのである。金持ちに生まれ変わりたいとか、美人に生まれ変わりたいとかいった、下賤な祈りではない。より良い人間として生まれ変わりたいという、必死の願いなのである。そして、彼らにとって、この祈りの時間が至福の時であるという。物質的に豊かな生活を送る中で、日本人が忘れてしまった心である。

 チベットの人々は、生涯こうした祈りの生活を送る。来世のためにのみ、現世を生きているかのようである。(つづく)

【 2014/01/20 14:14 】

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チベットの坊さんって、おカマ?

8月5日(火)

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 いよいよジョカンに足を踏み入れる。内部は暗く、ヤク(牦。高地に棲息する牛の一種で、縮れた長い毛を持つ)の乳で作るバターの灯明がゆらいでおり、動物質の臭いが鼻をつく。巡礼達はポットに入れた溶かしたバターや固形のバターを注ぎ足していく。注ぎ足しながら、ブツブツブツブツ………オムマニ……オム……ブツブツ。オムとしか聞こえないが、実はオムマニベメフムと呟【つぶや】いているのである。オムマニベメフムは、「蓮華にある宝珠に幸いあれ」という意味の呪文で、チベットの人はしょっちゅうこれを呟いている。かのオウム真理教の「オウム」と「オム」は同じ意味だ。

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 ジョカンには多くの仏像が祀られているが、本尊は文成公主がチベットに嫁いだ際に、中国から持参したという黄金の釈迦牟尼仏像である。 12歳のお釈迦さんの姿をかたどったものとされるが、やや違和感はあるものの、なかなかいいお顔をしておられる。このご本尊の前で僕たち夫婦と、79歳のKさんが五体投地をまねごとを試みた。なぜかチベットで五体投地したいというのが奥さんの念願だったので、僕もお付き合いして数回五体投地を繰り返し、身延山で修行に励む息子の身体健全などを祈った。本当は身体を地に投げ出さなくてはいけないのだが、床はヤクバターでベトベトになっている。服が汚れることを恐れ、頭を床につけるだけで勘弁してもらった。(これじゃ~、祈りは叶えられないかも。)

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 祈りと呪文とバターの臭いが混じり合った思い空気のお堂を出て、屋上へ出た。澄み切った陽光(こんな表現は変かな)のもと、法輪と「金色臥鹿」が金色に輝いている。

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 夫婦で記念撮影。

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 李さん、胥君も一緒に記念撮影。金色に輝いているのは、金銅を打ち出して作った法輪。

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 臙脂【えんじ】色の衣をまとった、これぞチベット僧というお顔のお坊さんがおいでになられたので、記念撮影をお願いした。僕たち夫婦の間に入ってもらって、左後方にポタラ宮が遠望できる最高のショットだ。その時は全く気がつかなかったが、プリントした写真を見ると、お坊さんの左手の指が僕の右手の指にからんでいる。

 彼はゲルグ派(黄帽派)のお坊さん。ゲルグ派では妻帯が禁止されている。ということは、ひょっとしてあのお坊さん、おカマだったのかな?いやいや、そんな失礼なことを考えてはいけません………よ。

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八廓街で大きなマニ車を廻して喜ぶみんな

 われわれもチベットの人々の流れの中に入って、ジョカンの周りを4分の3周だけコルラした後、午後6時、八廓街の一角(洒落ではありません)にあるレストランでチベット料理の夕食をとった。チベット料理と言えば、ジャ(バター茶)とツァンパ。バター茶はその名の通り茶にヤクのバターと塩を加えたもの、ツァンパは青裸麦を煎って粉にしたものにバター茶を加えて練ったもので、幼少の頃に食べた記憶のある麦こがし(はったい粉)のようなものだ。(と言っても、今の若い人には分かんねぇ~だろ~な~。)

ラサ晩飯
唇の色が悪いね~

 チベットの坊さんが読経の後に、木製の椀で練ったツァンパを口に運び、バター茶をすする映像をご覧になった方もおいでかと思うが、これがまた美味そうに見えるのだ。チベットでは必ず口にしなければと思っていた代物だが、バター茶は塩が効いていてまずまずの味だが、ツァンパは甘みがあって美味くなかった。恐らく外国人が食べやすいようにしたのだろうが、大きなお世話だ。本当のツァンパを食べさせてくれ!

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 その他、チベット風餃子のモモ、ヤクのチーズ、ヤクのチーズの揚げ物、ヤクの焼き肉(指さしているやつ)。嬉しいことに、これに地酒がついている。チャンと呼ばれる青裸麦で作ったチベット風どぶろくだ。やや酸味があるものの、なかなか口当たりが良くて美味い。要らないとおっしゃる方の分までいただいて、3杯飲んだのだが、物足りない。しかし、アルコールは高山病を引き起こす要因になると聞かされているため、酒豪の皆さんも我慢しておいでの様子。流石の僕もおかわりを所望できなかった。

 ここでアクシデントが発生。食事をしながら、チベットの民族舞踊ショーを楽しむ予定だったのだが、ドタキャンされてしまった。政府のお偉方が横取りしていったのだと言う。またか!!平成12年のシルクロードの旅の時も、軟臥車(グリーン寝台)の席を石油会社のお偉いさんに奪われ、無理矢理、硬臥車(1等寝台)の席にさせられて、悔しい思いをしたが、本当にまたかよである。

ホテル玄関 

 そう言えば、泊まっている拉薩飯店の玄関に「熱烈歓迎・北京市代表団」、「熱烈歓迎・張家港市党政代表団」、「熱烈歓迎・上海市長寧区党政代表団」という、赤い横幕がかかっていたが、こいつらが横取りしやがったんだ。お前ら、何様のつもりだ。予約したのはこっちが先じゃないか。黙っていれば、つけ上がりやがって。いい加減にしろ!!、と叫びたいほどだ。

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 ガイドの胥君が機転をきかし、恥ずかしがる店の女の子を舞台にあげての即席歌謡ショーとなった。腹の虫はおさまらないが、彼女たちに免じて許すこととした。(つづく)




【 2014/01/19 14:28 】

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眠れない一夜ー高山病が恐~い!

8月5日(火)

 本当か嘘か分からないが、チベット人は一生の間に3回しか風呂に入らないそうだ。(その3回が、いつなのかは知らない。)なんて不潔な、と思ってはいけない。厳密には入らないのではなく、入れないのだ。チベットは極度に乾燥しているので、風呂に入って皮膚の脂分を落としてしまうと、皮膚病にかかってしまうそうだ。

 郷に入っては郷に従え、とは言うが、従えないこともある。それにチベットにはたった4日しか滞在しないから、皮膚病になることもあるまい。ゆっくり湯船に浸かって疲れを癒そうと思ったのだが、奥村君から禁止命令が出た。高地での風呂は体力を消耗し、高山病の原因となるそうな。仕方なくシャワーを浴びて、寝ることにした。

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 高山病は高地に着いてすぐにかかるのではなく、着いた日の夜、寝ている時に症状が現れることが多いそうだ。用心のために高原安も飲んでいるし、1本30元の携帯用酸素ボンベも買ってある。いざという場合に備えて説明書を読んでベッドに入ったのだが、なんとなく不安で寝付けない。こんな時は酒を飲むに限るのだが、それも出来ない。しばらく悶々としていたが、昼間の疲れからか、いつしか寝入ってしまった。

 ところが2時間程して、尿意を覚えて目が覚めた。身体を起こす前に確認してみる。頭は痛くないか……。ん、痛くない。ほっと、胸をなで下ろす。案ずるより産むが易し。高山病などと大騒ぎする必要はない。安心して、おしっこをして、またベッドに入ったのだが、それから2時間おきにおしっこで起こされた。どうも、高原安の副作用のようである。

8月6日(水)

 そんなわけで、チベット最初の朝は寝不足気味で迎えることとなった。

セラ寺

 午前9時、バスでラサの中心地から北に8キロほどのところにあるセラ(色拉)寺へ。セラ寺は仏教大学とも言えるゲルグ派最大の寺院で、最盛期には4つの学堂があり、5500人もの僧侶がいたと言われる。セラ・ウチェ山の麓に多くの堂宇が建ち並んでいる。

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 チェ・タツァンは顕教を学ぶ学童で、セラ寺で最大の規模を誇る。

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 チベットに密入国した河口慧海や多田等観もこの寺で修行した。河口慧海は「法華経は仏となる方法を示した説明書であって、薬の効能書きのようなものである。薬の実体の部分はない」と言った不埒【ふらち】な方だが、チベット大蔵経を日本に招来した功績は大きい。講堂内にある修学塔の前で読経し手を合わせた。

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 建ち並ぶ僧堂群の中に養老院があった。チベットでは子供のうち一人は坊さんにする習慣がある。厚い信仰心の現れであるとともに、口減らしの意味もあるのだろう。年端もいかない子供が親許を離れ、寺に預けられる。家族が恋しくて泣く日もあったであろう。親を恨んだこともあったに違いない。厳しい修行に明け暮れる毎日。いつしか年老いて、我が家に帰ることもなく、養老院で若い坊さんの世話になりながら、来世へと赴く。そんなことを考えて、切なくなってしまった。

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 午前11時、ノルブリンカへ。ノルブリンカは「宝の庭」という意味で、歴代ダライ・ラマがチベット暦の4月から9月までの夏場に滞在された離宮だ。 1959年に人民解放軍がラサに入った際に、ダライ・ラマ14世はこの王宮から密かに脱出し難を逃れたそうで、彼が使用していたラジオやレコードプレイヤーが今でも残されている。

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 近くで面白いものを発見した。究極のソーラー湯沸かし器だ。ラサは「太陽の都」と言われるように、無茶苦茶に日射しが強い。太陽光をさえぎる空気が薄いからだ。そのため、こんな簡単な器具ですぐに湯が沸くそうだ。でも、当然標高が高いから沸騰はしないんだよね。ということはご飯を炊いたらメッコになるということだけど、圧力釜で炊くんかな?いや、チベット人は米喰わないか。まあ、どうでもいいや。明日はいよいよポタラ宮だ!!(つづく)


【 2014/01/18 15:20 】

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ポタラ宮のトイレ

8月6日(水)

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 午後3時、いよいよ今回の旅のメインであるポタラ宮へ。

 ポタラ宮はマルポリ(チベット語で「赤い山」の意味)の南斜面に建つダライ・ラマの宮殿で、敷地面積は41ヘクタール(東京ドームの約9倍)、高さ117メートルもあり、垂直ベルサイユと称される。ブラッド・ピット主演の映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」でご覧になった方もおいでだと思うが、あれはアンデス山脈に造った偽物だそうだ。

ポタラ宮 

 ポタラ宮は1645年、ダライ・ラマ5世の時に建築が始まり、50年の歳月をかけて完成した。それ以来、300年にわたりチベットの聖俗両界の中心地であったが、1959年にダライ・ラマ14世がインドに亡命してからは主がいない。5つの宮殿の屋根は金めっきの銅瓦が葺いてあり、金色に耀き、気勢が雄偉である。

ダライ=ラマ14世

 チベットで一番偉い坊さんであるダライ・ラマ(ダライは「大海」、ラマは「上人」という意味)は観音菩薩の化身とされ、人々を救うために転生【てんしょう】を繰り返していると信じられている。現在の14世は本名テンジン・ギャムツォ。チベット北東部のタクツェルという小さな農村に生まれ、2歳の時に13世の生まれ変わりと認定された。

日光 

 観音菩薩が住んでいる浄土をポータラカというが、これのチベット訛【なま】りがポタラである。ところで、日本ではポータラカは補陀落【ふだら】と表記される。この補陀落が訛って「二荒」【ふたら】、これが音読され、ついで別の字が当てられて、「日光」となった。「日光見るまで結構言うな」の日光とポタラ宮はともに観音菩薩の浄土なのである。

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 息を切らせて長い階段を上り、ようやく入場口に到着。

看板 

 黒板に「通告。今年7月1日より8月15日までは入場料を50元とする」と書かれている。SARS騒ぎで観光客が減ったため、普段の半額にするというのだ。やったー、SARSも悪いことばかりではない、と一瞬喜んだが、よく考えてみれば、トラベルサライの必要経費が減るだけで、僕には何の関係のないことだと気がついた。

ダライラマ5世廟塔 
ダライ・ラマ5世廟塔
 ポタラ宮は宗教儀式が営まれた紅宮と、ダライ・ラマが政務を執り行った白宮をメインとした複合建築物で、その内部には1000以上の部屋があり、迷宮のように入り組んでいる。極彩色に彩られた部屋と長い廊下いっぱいに装飾された壁画、1万体にも及ぶ仏像、1万幅余りのタンカ(布に書かれた仏画)、立体マンダラなど、おびただしい数の宝物が収蔵されている。 中でも圧巻は歴代ダライ・ラマ9人のミイラが安置されている廟塔である。特に5世の廟塔は高さ12.6メートルもあり、3,721キログラムの黄金と1万点以上のダイヤ・瑪瑙【めのう】・翡翠【ひすい】・宝石・珍珠で飾られている。現在の金相場は1グラム4,300円だから、黄金だけで、ドヘー、160億円にもなる。

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 ガイドの李さんの流暢でかつ時々誤りのある日本語の案内で、狭い廊下を上がったり降りたりして、そのごく一部を見て回った。初めのうちは感心することしきりであったが、次から次へと目に飛び込んでくる目映【まばゆ】いばかりの仏像や廟塔は、500グラムのステーキを次から次へと出されて喰えと言われているようで、次第に気持ち悪くなった。

 と同時に、便意をもよおした。李さんにトイレの場所を教えてもらって、駆け込んだまではよかったが、入ってみてびっくり。

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汚い写真でご免なさい
 8畳敷きぐらいの部屋の真ん中にぽっかりと二つの穴が開いている。ただ、それだけである。どっちを向いて坐ればいいのかも分からない。まあ、どっちでもいいやと、股を開いて足場をつくって下を見て、またびっくり。

 何と最下層らしきところまで吹き抜けになっているのだ。つまり、このトイレは断崖絶壁に張り出して造られており、排泄物は30メートルも落下して、岩に激突する仕組みになっているのだ。小さい方だと、風に吹かれて霧状になり、虹がかかるかもしれない。二度と出来ない体験となりそうだ、と思いながら、おもむろにベルトを緩めた。と、そこへ中国人が入って来て、私の前に立ち、ベルトを緩め始めたのだ。中国人の男とお見合いしながら気張る気は毛頭無い。一挙に便意はどこかに飛んでしまい、這々の体でトイレを逃げ出した。

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 ポタラ宮を参観し十分に満足した後、午後7時より「火鍋」の夕食。火鍋は本来、重慶の名物料理で、要するに日本の「しゃぶしゃぶ」である。四川盆地の中央に位置する重慶は、武漢・南京と合わせて「中国の三大かまど」と呼ばれ、40℃を超す日もある。その暑い夏に、汗だくになりながら、唐辛子で真っ赤になった鍋をつつき、暑気払いするのである。成都では麻婆豆腐を優先したため、食べる機会がなく、ラサでの火鍋となった。

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 火鍋は普通、牛肉や羊肉がメインだが、ガイドの胥さんが連れて行ってくれたのは、「野山菌火鍋」。なんだかバイ菌みたいな名前だが、茸のことである。まあ確かに茸は菌類だから間違いないのだが、名前は余り美味そうではない。ところが、これが絶品。日本ではなかなか口に出来ない「松茸」や「編笠茸」をはじめ、名前の知らない茸がいっぱい。熱々のところを、唐辛子とごま油のきいたタレをつけていただく。

火鍋

 高地も二日目ということで、紹興酒も存分にいただいて、大満足であった。ウー、ゲップ。ごちそうさんでした。(つづく)




【 2014/01/17 14:25 】

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標高4,750メートルでヤク祓い

8月7日(木)

 今日はいよいよカロ・ラを越えて、江攻(ギャンツェ)へ向かう。カロ・ラってトヨタの車じゃなくて、峠の名前。ラはチベット語で峠のことだから、カロ峠ってことだ。新しい道を通るという手もあったのだが、雄大なチベットの自然をどうしても見たいという、僕のたっての願いで旧道を通ってもらうことになった。

山道 

 午前7時30分ホテルを出発したバスは、ヤルツァンポ川の支流・キチュ川に沿って空港への道を1時間ほど走った後、曲水大橋を渡って右に折れ、山道に入った。ここから一気に標高5,000メートルのカロ・ラを目指す。道は幅4メートル程しかない、舗装してないガタガタ道で、ガードレールは当然のようについていない。それなのに、クラクションをけたたましく鳴らして、追い越しをかけて来る馬鹿が時折現れる。

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 運転手さんはバスを道の右側に寄せる。そう、中国で車は左ハンドル、右側通行。僕の座席は右側の窓側。必然的に僕の顔は右を向く。窓の下は草しか生えていない急斜面で、数百メートル下をヤルツァンポ川が流れている。「猫・馬鹿・坊主の高上がり」と言うが、その二つを兼ね備えているせいか、僕は高い所にはめっぽう強い。しかし、「日本人観光客を乗せたチベットの観光バスが川に転落。乗客・乗員17名行方不明」という新聞記事を想像し、追い越しをかけられる度に肝を冷やした。

 この日のために、わざわざ高度計付きの時計を買って来た。3,800、4,000、4,200、と高度計はその数字を次第に増していく。百メートル高度が上がる度に、「ただ今の高度は◯◯メートル!」と報告するのだが、反応がない。みんな眠っているのだ。ここで眠ったら高山病になる。ラサの初日と同じように、「眠っちゃいかん!!」と励まし合いながらの道中になった。

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 山道に入って2時間ほどでカンパ・ラ(標高4,750メートルの峠)に到着。

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 眼下にはチベット三大聖湖の一つ、ヤムドク湖の碧【あお】い水が広がっている。ヤムドクはチベット語で「トルコ石の湖」の意味。その名の通りトルコ石のように碧く光り、神秘的な雰囲気を漂わせている。

カンパラ 

 峠には経幡(ローンダ)があり、旅の無事を願ってたくさんのタルチョやカタが結び付けられている。前にも少し書いたが、カタは初めて会う人や目上の人などに面会する時、尊敬の意を込めて贈るシルク製の薄いスカーフで、仏さまに掛けたり、無病息災を祈って経幡に結んだりもする。

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 ラサに着いてすぐ李さんから1枚、ホテルからも1枚もらっていたので、家族と檀信徒の方々の身体健全を祈って、僕も経幡に結び付けて来た。ご利益がありますように。

 地上では見ることの出来ない空の青さ、刻々と姿を変える低い雲の流れに見入っていると、いつのまにかヤクを連れた小母さんや子供に取り囲まれてしまった。チベット語で話しかけられても分かるはずがないが、どうも「ヤクに乗っても記念撮影は如何でしょうか。お安くしておきます」と、言っているようだ。

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 うちの奥さんは、小母さんの口車に乗せられて、ヤクに乗せられた。シルクロードの旅の時も、陽関【ようかん】遺跡で古代のロマンに浸ろうと思ったら、「馬に乗れ」、「駱駝【らくだ】に乗れ」と商魂逞【たくま】しい小母さんに囲まれたけど、邪魔するなっちゅうの。

 「ヤクに乗っても何の役にも立たんだろう。あっちへ行け」と、追っ払ってやった。これが本当のヤク祓【はら】いだ。(つづく)



【 2014/01/16 10:02 】

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