なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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舎利弗(中村晋也作『薬師寺・釈迦十大弟子』)
舎利弗よ、このことを以上のように見ている私は、あなたに命ずる。『あなたは、こ
の経典を愚かな人の前において決して説いてはならない』と。
しかるに、この世において頭脳明晰で、多くのことを学んで思慮深い人たち、賢く、
学識のある人たち、最上にして最高の覚りへと出て立った人たち、それらの人たちに、
あなたはこの最高の真理を聞かせるがよい、
数え切れないほど多くのブッダに出会ったことのある人たち、また無量の善い果報を
もたらす立派な行ないを積んだ人たち、さらには堅固な志を持つ人たち、それらの人
たちに、あなたはこの最高の真理を聞かせるがよい。
常に努力精進を具え、慈しみの心を持ち、この世において身体を打ち捨て、生命も同
様に打ち捨てて、長期間にわたって慈しみを実践する人たち、それらの人たちの面前
で、あなたはこの経典を語るべきである。
互いに意志が通じ合っていて、尊敬する心を持ち、しかも愚かなものたちと知り合い
がない人たち、さらにまた岩の洞穴の中に住むことに満足している人たち、それらの
人たちにあなたはこの立派な経典を聞かせるべきである。
善き友に交わり、悪しきを避けているこのようなブッダの息子である菩薩にたちにあ
なたが会ったなら、それらの人たちにあなたはこの経典を説き示すべきである。
の経典を愚かな人の前において決して説いてはならない』と。
しかるに、この世において頭脳明晰で、多くのことを学んで思慮深い人たち、賢く、
学識のある人たち、最上にして最高の覚りへと出て立った人たち、それらの人たちに、
あなたはこの最高の真理を聞かせるがよい、
数え切れないほど多くのブッダに出会ったことのある人たち、また無量の善い果報を
もたらす立派な行ないを積んだ人たち、さらには堅固な志を持つ人たち、それらの人
たちに、あなたはこの最高の真理を聞かせるがよい。
常に努力精進を具え、慈しみの心を持ち、この世において身体を打ち捨て、生命も同
様に打ち捨てて、長期間にわたって慈しみを実践する人たち、それらの人たちの面前
で、あなたはこの経典を語るべきである。
互いに意志が通じ合っていて、尊敬する心を持ち、しかも愚かなものたちと知り合い
がない人たち、さらにまた岩の洞穴の中に住むことに満足している人たち、それらの
人たちにあなたはこの立派な経典を聞かせるべきである。
善き友に交わり、悪しきを避けているこのようなブッダの息子である菩薩にたちにあ
なたが会ったなら、それらの人たちにあなたはこの経典を説き示すべきである。
完全な戒をたもっていて、マニ宝珠のように清らかであり、広大な経典(大乗経典)
の受持に専念しているこのようなブッダの息子たちの前であなたはこの経典を説く
べきである。
常に怒ることがなく、誠実で、すべての生命あるものたちに思いやりがある人たち、
人格を完成された人に対して尊敬の念を抱いている人たち、それらの人たちの前で
あなたはこの経典を説くべきである。
集会の真ん中で法を説き、滞ることなく心を集中して、数え切れないほど多くの譬
喩によって語る人たちにあなたはこの経典を説き示すべきである。
心を集中して、一切を知るものの存在を探し求め、頭におしいただき、合掌する人、
またよく法を説く男性出家者を十方に探しながら歩き回る人、
諸々の広大な経典を受持して、決して他の諸々の〔小乗〕経典を喜ぶことがなく、
他の〔小乗〕経典からは一つの詩でさえも受持することがない人、この人にあなた
はこの最も勝れた経典を聞かせるべきである。
ブッダの遺骨を探し求めて、ブッダの遺骨を受持する人のように、この経典を探し
求め、それを得て、頭上におしいただいて受持する人、
その人は、他の諸々の〔小乗〕経典について考慮することも、外道や他の諸派の諸
々の論書について考慮することも決してない。このような諸々の〔小乗〕経典や論
書は、愚かなものたちの能力の範囲内のものであり、あなたはそれらの愚かなもの
たちを避けて、〔これまで述べてきたような人たちに〕この経典を説き示すべきで
ある。
舎利弗よ、私は、〔この他にも、この経典を説くべき対象者の〕数え切れないほど
多くの特徴をまるまる一劫の間でさえも語ることができるが、〔結論として言えば〕
最上にして最高の覚りへ向かって出で立った人たち、それらの人たちの前で、あな
たはこの経を語るがよい」
の受持に専念しているこのようなブッダの息子たちの前であなたはこの経典を説く
べきである。
常に怒ることがなく、誠実で、すべての生命あるものたちに思いやりがある人たち、
人格を完成された人に対して尊敬の念を抱いている人たち、それらの人たちの前で
あなたはこの経典を説くべきである。
集会の真ん中で法を説き、滞ることなく心を集中して、数え切れないほど多くの譬
喩によって語る人たちにあなたはこの経典を説き示すべきである。
心を集中して、一切を知るものの存在を探し求め、頭におしいただき、合掌する人、
またよく法を説く男性出家者を十方に探しながら歩き回る人、
諸々の広大な経典を受持して、決して他の諸々の〔小乗〕経典を喜ぶことがなく、
他の〔小乗〕経典からは一つの詩でさえも受持することがない人、この人にあなた
はこの最も勝れた経典を聞かせるべきである。
ブッダの遺骨を探し求めて、ブッダの遺骨を受持する人のように、この経典を探し
求め、それを得て、頭上におしいただいて受持する人、
その人は、他の諸々の〔小乗〕経典について考慮することも、外道や他の諸派の諸
々の論書について考慮することも決してない。このような諸々の〔小乗〕経典や論
書は、愚かなものたちの能力の範囲内のものであり、あなたはそれらの愚かなもの
たちを避けて、〔これまで述べてきたような人たちに〕この経典を説き示すべきで
ある。
舎利弗よ、私は、〔この他にも、この経典を説くべき対象者の〕数え切れないほど
多くの特徴をまるまる一劫の間でさえも語ることができるが、〔結論として言えば〕
最上にして最高の覚りへ向かって出で立った人たち、それらの人たちの前で、あな
たはこの経を語るがよい」
以上が、聖なる「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門の中の「譬喩の
章」という名前の第3章である。
(譬喩品第3おわり)
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舎利弗(中村晋也作『薬師寺・釈迦十大弟子』)
舎利弗よ、あなたは信順の志が堅い、ましてや、私のこれらの他の声聞たちはなおさ
らである。これらの声聞たちもまた、まさに私に対する信によって智慧に到達するの
であり、信なくしてそれぞれの個人に智慧が見いだされるのではないのだ。
尊大な人や、高慢な人、正しく修行しない人に、あなたはこの経を説くべきではない。
実に愚かな者たちは、常に愛欲に酔っていて、無知であり、説かれた法を嘲笑 する
であろう。
私の巧みなる方便を誹謗し、世間において常に存立しているブッダの導きに対して眉
をしかめることをなし、教えという乗り物を誹謗 るなら、この世におけるその人の果
報は恐ろしいものであるということを、あなたは聞くがよい。
私がこの世に存在し続けている間であれ、完全なる滅度に入った後であれ、このよう
なこの経典を誹謗し、あるいはそれらの男性出家者たちに恨みをなすならそれらの愚
かな者たちの果報がどのようなものであるかを私から聞くがよい。
らである。これらの声聞たちもまた、まさに私に対する信によって智慧に到達するの
であり、信なくしてそれぞれの個人に智慧が見いだされるのではないのだ。
尊大な人や、高慢な人、正しく修行しない人に、あなたはこの経を説くべきではない。
実に愚かな者たちは、常に愛欲に酔っていて、無知であり、説かれた法を嘲笑 する
であろう。
私の巧みなる方便を誹謗し、世間において常に存立しているブッダの導きに対して眉
をしかめることをなし、教えという乗り物を誹謗 るなら、この世におけるその人の果
報は恐ろしいものであるということを、あなたは聞くがよい。
私がこの世に存在し続けている間であれ、完全なる滅度に入った後であれ、このよう
なこの経典を誹謗し、あるいはそれらの男性出家者たちに恨みをなすならそれらの愚
かな者たちの果報がどのようなものであるかを私から聞くがよい。
阿鼻地獄
そのような愚かな者たちが、人間の状態において死んで後、それらの愚かな者たちの
住むところは、まるまる一劫 (天文学的時間の長さ)の間、阿鼻 地獄である。そして、
それよりもさらに多くの幾中劫もの間、何度も生まれては死んで、その度にそこに堕
ちるのである。
地獄から抜け出す時は、そこからさらに畜生界に達し、極めて弱々し犬やジャッカル
に生まれ、他の畜生たちの遊び道具となるのだ。
その場合、それらの犬やジャッカルたちは、外見については、色黒で、斑点があり、
腫 れ物があって、痒 がっている。体の毛が抜け落ち、虚弱で、私の最上の覚りを大い
に嫌悪し続けるのだ。
生命あるものたちの中で、それらの犬やジャッカルたちは常に嫌悪されていて、石を
投げつけられたり、打たれたりして、泣きわめき続けている、あちこちで、棒で威嚇 さ
れ、飢餓と渇きに悩まされ、身体はやつれている。
しかも、ブッダの導きを誹謗した愚かで理解力のない人たちは、ラクダ、あるいはロ
バに生まれる。その上、重荷を運びながら鞭 や棒で打たれ、食べ物についての不安を
いつも抱えている。
しかもなお、それらの愚かなものたちは、そこにおいて片方の目がつぶれ、身体に障
害のある嫌悪すべき野狐に生まれ、村の子供たちから石を投げつけられたり、打たれ
たりして痛めつけられる。
そこで死んで後、それらの愚かなものたちはさらに、700キロ (50由旬 )に等しい
長い体を持つ鈍感で愚鈍な生き物に生まれ、〔腹ばいになって〕体をくねらせている。
このような経典を誹謗したので、足がなくて腹で這 うものに生まれて、極めて長い時
間多くの生命あるものたちに噛まれ続け、それらの愚かなものたちは極めて激しい苦
痛を受けている。
住むところは、まるまる一劫 (天文学的時間の長さ)の間、阿鼻 地獄である。そして、
それよりもさらに多くの幾中劫もの間、何度も生まれては死んで、その度にそこに堕
ちるのである。
地獄から抜け出す時は、そこからさらに畜生界に達し、極めて弱々し犬やジャッカル
に生まれ、他の畜生たちの遊び道具となるのだ。
その場合、それらの犬やジャッカルたちは、外見については、色黒で、斑点があり、
腫 れ物があって、痒 がっている。体の毛が抜け落ち、虚弱で、私の最上の覚りを大い
に嫌悪し続けるのだ。
生命あるものたちの中で、それらの犬やジャッカルたちは常に嫌悪されていて、石を
投げつけられたり、打たれたりして、泣きわめき続けている、あちこちで、棒で威嚇 さ
れ、飢餓と渇きに悩まされ、身体はやつれている。
しかも、ブッダの導きを誹謗した愚かで理解力のない人たちは、ラクダ、あるいはロ
バに生まれる。その上、重荷を運びながら鞭 や棒で打たれ、食べ物についての不安を
いつも抱えている。
しかもなお、それらの愚かなものたちは、そこにおいて片方の目がつぶれ、身体に障
害のある嫌悪すべき野狐に生まれ、村の子供たちから石を投げつけられたり、打たれ
たりして痛めつけられる。
そこで死んで後、それらの愚かなものたちはさらに、700キロ (50由旬 )に等しい
長い体を持つ鈍感で愚鈍な生き物に生まれ、〔腹ばいになって〕体をくねらせている。
このような経典を誹謗したので、足がなくて腹で這 うものに生まれて、極めて長い時
間多くの生命あるものたちに噛まれ続け、それらの愚かなものたちは極めて激しい苦
痛を受けている。
畜生界
それらの愚かなものたちが、人間に身体を得る時も、その場合、身体に障害があり、
片足が不自由で、しかも背骨が湾曲していて、盲目で、愚鈍で、最も卑しい生まれ
となり、私のこの経を信じないでいる。
それらの愚かなものたちは、世間において信頼されなくなり、それらの愚かなものた
ちの口から腐敗した臭いが漂っている。夜叉や病魔が、それらの愚かのものたちの身
体に入り込んで、このブッダの覚りを信じることができないでいる。
貧困で、虚弱で、常に他人からの召使いとして、命令されたことを遂行している、そ
れらの愚かなものたちには多くの苦悩があり、世間において身寄りのないものとなっ
て、過ごしている。
そこにおいて、それらの愚かなものたちが人に奉仕しても、その人はそれらの愚かな
ものたちに何かを与えようともしない。たとえ、与えられたとしても、たちどころに
無くなってしまうのだ。実に、悪事の結果は、このようなものである。
そこにおいて、非常に適切な効能を持つ薬が、熟練した人たちによって調合して与え
られ、それらの愚かなものたちが服用するとしても、それによって、それらの愚かな
ものたちの病気はさらにひどくなり、その病気は決して治ることはない。
しかも、他の人たちによってなされる盗みや、騒動、喧嘩、闘争、また同じく他の人
たちによってなされる財産の強奪の被害が、悪しき行ないをなしたその報いとして、
その愚かなものたちの身の上に降りかかるのである。
私のこのブッダの導きを誹謗したので、その愚かなものは、地上において教えを説い
ている世間の保護者で、主長の中の王〔であるブッダ〕に決して会うことはなく、そ
の人の住所は、まさにこのように〔ブッダに会うことも、教えを聞くことも、修行す
ることもできないという〕不運の中にあるのである。
さらにまた、その愚かなものは耳が不自由であったり、思慮かなかったりして、法を
聞くことがない、このような覚りを誹謗すれば、その人には、心の静寂はいかなる時
にも決して存在しないのだ。
またさらに、ガンジス河の砂の数のように数え切れないほど多くの劫の間、その愚か
なものは身体が愚鈍で、欠陥がある。この経典を誹謗したので、この悪い結果がある
のだ。
この人にとっては地獄が遊園の地であり、その人たちにとっては危険の地が邸宅であ
るのだ。ここに留まっているその人には、常にロバや豚、野狐や〔地面を嗅ぎまわる〕
犬が伴っている。
さらにまた、人間という在り方を得たとしても、その愚かなものは、盲目、聾者、愚
鈍の状態になり、常に貧困で、他人の召使いになる。その時、これらの悪業の結果が
その人にとっての飾りであるのだ。
その人にとっては諸々の病が衣服である。身体には数え切れないほど多くの傷、すな
わち、かさぶた、疥癬 、さらに発疹、ハンセン病や、ハンセン病の白い斑点があり、
さらに腐敗した臭いがある。
この愚かなものには、身体が実在だとする誤った見解が確固としていて、その人の誤
りの力は増大され、その愚かなものは、畜生の生まれを常に楽しんでいるのである。
舎利弗よ、実に私のこの経典を誹謗する愚かなものの諸々の罪悪を私が今、ままるる
一劫の間、説いたとしても、諸々の罪悪の終わりに到達することはできないのだ。
片足が不自由で、しかも背骨が湾曲していて、盲目で、愚鈍で、最も卑しい生まれ
となり、私のこの経を信じないでいる。
それらの愚かなものたちは、世間において信頼されなくなり、それらの愚かなものた
ちの口から腐敗した臭いが漂っている。夜叉や病魔が、それらの愚かのものたちの身
体に入り込んで、このブッダの覚りを信じることができないでいる。
貧困で、虚弱で、常に他人からの召使いとして、命令されたことを遂行している、そ
れらの愚かなものたちには多くの苦悩があり、世間において身寄りのないものとなっ
て、過ごしている。
そこにおいて、それらの愚かなものたちが人に奉仕しても、その人はそれらの愚かな
ものたちに何かを与えようともしない。たとえ、与えられたとしても、たちどころに
無くなってしまうのだ。実に、悪事の結果は、このようなものである。
そこにおいて、非常に適切な効能を持つ薬が、熟練した人たちによって調合して与え
られ、それらの愚かなものたちが服用するとしても、それによって、それらの愚かな
ものたちの病気はさらにひどくなり、その病気は決して治ることはない。
しかも、他の人たちによってなされる盗みや、騒動、喧嘩、闘争、また同じく他の人
たちによってなされる財産の強奪の被害が、悪しき行ないをなしたその報いとして、
その愚かなものたちの身の上に降りかかるのである。
私のこのブッダの導きを誹謗したので、その愚かなものは、地上において教えを説い
ている世間の保護者で、主長の中の王〔であるブッダ〕に決して会うことはなく、そ
の人の住所は、まさにこのように〔ブッダに会うことも、教えを聞くことも、修行す
ることもできないという〕不運の中にあるのである。
さらにまた、その愚かなものは耳が不自由であったり、思慮かなかったりして、法を
聞くことがない、このような覚りを誹謗すれば、その人には、心の静寂はいかなる時
にも決して存在しないのだ。
またさらに、ガンジス河の砂の数のように数え切れないほど多くの劫の間、その愚か
なものは身体が愚鈍で、欠陥がある。この経典を誹謗したので、この悪い結果がある
のだ。
この人にとっては地獄が遊園の地であり、その人たちにとっては危険の地が邸宅であ
るのだ。ここに留まっているその人には、常にロバや豚、野狐や〔地面を嗅ぎまわる〕
犬が伴っている。
さらにまた、人間という在り方を得たとしても、その愚かなものは、盲目、聾者、愚
鈍の状態になり、常に貧困で、他人の召使いになる。その時、これらの悪業の結果が
その人にとっての飾りであるのだ。
その人にとっては諸々の病が衣服である。身体には数え切れないほど多くの傷、すな
わち、かさぶた、疥癬 、さらに発疹、ハンセン病や、ハンセン病の白い斑点があり、
さらに腐敗した臭いがある。
この愚かなものには、身体が実在だとする誤った見解が確固としていて、その人の誤
りの力は増大され、その愚かなものは、畜生の生まれを常に楽しんでいるのである。
舎利弗よ、実に私のこの経典を誹謗する愚かなものの諸々の罪悪を私が今、ままるる
一劫の間、説いたとしても、諸々の罪悪の終わりに到達することはできないのだ。
(つづく)
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舎利弗(中村晋也作『薬師寺・釈迦十大弟子』)
舎利弗よ、まさにこのように偉大なる聖仙である私は、衆生の保護者であり、また父
である。それらの愚かで、三界において愛欲に執着している、あらゆる生命あるもの
たちは、私の息子たちである。
また、三界は、あたかも幾百もの苦しみに満ちた極めて恐ろしいその燃え上がった邸
宅のように、幾百もの多くの生・老・病〔・死の苦しみの火〕によって、あらゆる方
向から余すところなく焼かれている。
しかも私は、三界から解脱していて、静穏の境地にあり、林の中の人里離れた所に住
んでいる。また、この三界は私の所有するものであり、そこで焼かれているのは、実
に私の息子たちなのだ。
私こそが、それらの子供たちにとっての保護者であると知って、私は、その三界にお
ける諸々の苦悩を子供たちに示した。しかしながら、それらの子供たちは、すべて愛
欲に執着した見解を持っている故に、愚かであり、私の言うことに耳を傾けることは
なかった。
私は巧みなる方便を用いて、これらの子供たちに3つの乗り物を説くのだ。しかも、
三界に多くの悪しき状態があることを知って、私はそれらの子供たちを三界から脱出
させるために方便を説くのである。
それらの息子たちとは、私を頼って教えを聞き6種類の神力と、3種類の明知を具え、
大いなる力を得た声聞たちであり、ここにいる独覚たちであり、今、不退転の菩薩でである。それらの愚かで、三界において愛欲に執着している、あらゆる生命あるもの
たちは、私の息子たちである。
また、三界は、あたかも幾百もの苦しみに満ちた極めて恐ろしいその燃え上がった邸
宅のように、幾百もの多くの生・老・病〔・死の苦しみの火〕によって、あらゆる方
向から余すところなく焼かれている。
しかも私は、三界から解脱していて、静穏の境地にあり、林の中の人里離れた所に住
んでいる。また、この三界は私の所有するものであり、そこで焼かれているのは、実
に私の息子たちなのだ。
私こそが、それらの子供たちにとっての保護者であると知って、私は、その三界にお
ける諸々の苦悩を子供たちに示した。しかしながら、それらの子供たちは、すべて愛
欲に執着した見解を持っている故に、愚かであり、私の言うことに耳を傾けることは
なかった。
私は巧みなる方便を用いて、これらの子供たちに3つの乗り物を説くのだ。しかも、
三界に多くの悪しき状態があることを知って、私はそれらの子供たちを三界から脱出
させるために方便を説くのである。
それらの息子たちとは、私を頼って教えを聞き6種類の神力と、3種類の明知を具え、
いるものたちである。
賢者、舎利弗よ、私はそれらの平等な息子たちのために直ちに、この最も勝れた譬喩
によってブッダに到るただ一つの乗り物(一仏乗)を説くのである。あなたたちは、
それを受け容れるがよい。すべての人が勝利者となるであろう。
最も勝れた乗り物(大白牛車)
しかし、そのブッダに到る乗り物は、この全世界において最も勝れたものであり、大いに心を喜ばせるものであり、卓越したものであって、両足で歩くもののうちで最上
の人であるブッダの智慧である。そのように、それは威厳のあるもので、また人々に
尊敬されるべきものである。
そのブッダに到る乗り物には、そのように多くの力や、禅定、解脱、そして数え切れ
ないほど多くの三昧 が具 わっている。このような車は、最も勝れたものであり、ブッ
ダの息子(菩薩)たちは、常にそれによって楽しむのである。
それらのブッダの息子たちは、この乗り物によって遊びながら、幾日も幾夜も過ご
し、幾半月も、幾季節も、幾月も、幾年も、実に幾中劫 も、数え切れないほど多く
もの劫を過ごすのである。
宝石で造られたこの乗り物は、最も勝れたものであり、それによって多くの菩薩たち
も、人格を完成された人に耳を傾ける声聞たちも、遊戯しながら、この覚りの座に赴
くのである。
舎利弗よ、あなたは今、このように知りなさい。十方をすべて探しても、人間の中で
最上の人の方便を除いて、第二の乗り物はこの世のどこにも存在しないのである。
あなたたちは、私の息子たちであり、私は、あなたたちの父である。私は、数え切れ
ぬほど長い時間、火に焼かれていたあなたたちを、恐怖に満ちた恐るべき三界の苦難
から救い出したのだ。
その時、私は、心の安らぎ(涅槃)についてこのように語った。しかしながら、今、
あなたたちは、まさにそのような心の安らぎに到っていない。あなたたちは、この世
で、6種の生存領域の循環(六道輪廻 )の苦しみから解放されただけなのだ。だか
ら、あなたたちは、ブッダに属する乗り物(仏乗)を探し求めるべきである。
ここに誰かある菩薩たちがいるならば、そのすべては私からブッダの導きについて聞
くのだ。このようにして、多くの菩薩たちを導くのが、勝利者の巧みなる方便なので
ある。
四聖諦を説くブッダ(サンスクリット写本)
その場合に、これらの衆生が卑しく嫌悪すべき愛欲に耽っている時、誤謬 なく語る
世間の人々の指導者は、この世における「苦しみについての聖なる真理」(苦諦 )を
説くのである。
さらにまた、この世において、苦しみの本質を理解できず、それを見ることもない愚
かで理解力のない人たちに私は、『渇愛を生じることが、「苦しみの起源」(集諦 )
である』と道を示すのだ。
人が常に渇愛の制止を目的として無執着であること、これが、私の〔説く四聖諦 の
うちの〕第三の「苦しみの消滅についての真理」(滅諦 である。人を誤謬なく解放す
る道(道諦 )を修行して、人は渇愛の束縛から解き放たれるのである。
舎利弗よ、それらの人たちは何から解放されたのかというと、正しくないことへの執
着から解放されただけなのである。それらの人たちは、未だに完全には解放されてい
ないのだ。だから、指導者であるブッダは今、それらの人たちのことを安らぎ(涅槃)
に達していないと言われるのだ。
『この人は完全に解放されている』と、私が説かないのはいかなる理由であるか。そ
れは、最も勝れた最上の覚りに未だ達していないからである。これが私の意向であり、
私は法の王であり、一切衆生を安楽に到らせるためにこの世間に出現したのである。
舎利弗よ、今、最後に私が説いたこの不の勝れた特徴(法印)を、神々に伴われた世
間の人々の安寧のために、あなたは四方八方において教示するがよい。
さらにまた、誰かある人が、この〔妙法蓮華経という〕経典を頭におしいただいて、
あなたが説いたことに、『私はその教えを喜んで受け入れます』という言葉を語るな
らば、その人を不退転の人であると、あなたは受け取るがよい。
この経を信ずる人は、既に過去世においてブッダたちに会って、それらのブッダたち
に恭敬 をなしたのであり、このような法をすでに聞いている人なのである。
あなたの説法を通して、私が説いた最高の法を信ずる人は、過去世において私にも、
あなたにも、また私のこの男性出家者の集団のすべてにも会っているのである。
この経典は、愚かな人々を惑乱させるものであり、私はこれを神通の智慧を持つもの
たちのために説いたのである。この中には、声聞たちに理解できる対象は全く存在し
ないし、独覚たちにとっても趣くところはここにはないのだ。(つづく)
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そして、その人は家の外にいて、その邸宅が突然、燃え上がったとしよう。四方は、
途切れることなく幾千もの炎によって完全に火に包まれている。
火で燃やされた竹や木材、まさに同じく燃え上がった柱や障壁が、重く極めて恐ろし
い音をたて、夜叉や餓鬼たちは叫び声を発している。
また、幾百ものハゲワシたちは炎によって焼かれ、さらに鳩槃荼鬼たちは顔が焼けた
だれておろおろと歩き回り、そこにおいてあらゆる方向で幾百もの猛獣たちが火で焼
かれながら、鳴き、叫んでいる。
そこにおいて、狼たちは死に至り、それらの生き物たちは互いに他を食い合っている。
糞便は焼かれて、不快な臭いが四方の世界に漂っている。
百足たちが逃げ出すと、鳩槃荼鬼たちがそれらを完全に食い尽くす。また、髪の毛が
燃えている餓鬼たちは、気がと大火で身を焼かれながら動揺して歩き回っている。
あらゆる方向に燃え進む幾千もの炎によって、その家がこのように恐ろしいものであ
ることを観察しながら、その家の主人は門のところに立っていた。
その人は、その時、自分の息子たちが家の中でおもちゃで夢中になって遊んでいるこ
とを知り、その人は子供たちを救い出すために速やかにその家に入った。『私の幼い
子供たちが火に焼かれて、まさにたちどころに死ぬことがないように』と。
その人は、息子たちに現在、家のおかれている危険な状況を告げた。『ああ、良家の
息子たちよ、この家は恐ろしくて、苦難に満ちている。ここには、いろいろな種類の
生き物たちがいる。しかも、この火は途切れることなく燃え盛っていて、大きな苦難
に満ちているのだ。
そこには、数多くの毒蛇や、極めて獰猛な心を持つ夜叉、鳩槃荼鬼、餓鬼たちが住ん
でいる。また狼たちや犬とジャッカルの群れ、ハゲワシたちが食べ物を探し求めてい
る。
ここには、このようなものたちが数多く住んでいる。だからこの家は、火がなくても
最高に極めて恐ろしいところであり、このように全く苦難に満ちているのだ。この火
はあらゆる方向で燃え上がっている』と。
そのように促されても、その愚かな子供たちは理解する力もなく、おもちゃのことに
酔いしれていて、話をしている父のことを考えることもなく、それらの恐ろしい生き
物たちのことを考えることもない。
その時、その人はそこにおいて熟慮するであろう。『私は今、息子たちのことが心配
で大変に苦しんでいる。息子たちがいなくなってしまうようなことがあったら、私に
とっていなくなった息子たちが何の意味があるのか。もちろん、これらの子供たちが
今、火によって焼かれるよなことがうあってはならない』と。
その時、その人は方策(方便)を考えた。これらの幼児たちはおもちゃを声望してい
る。しかしながら、ここには、遊びも楽しみも何もない。幼児たちには、ただこのよ
うな愚かさがあるだけだ。
その人は、それらの子供たちに告げた。『子供たちよ、聞くがよい。私が持っている
いろいろな種類の乗り物は、鹿や羊や、最も勝れた牡牛をつないであって、高くて、
大きくて、見事に飾られている。
それらの乗り物は、この邸宅の外にある。君たちは外に出て来て、それらの乗り物で
やりたいことをやりなさい。君たちのために、私が作らせたのだ。それらの乗り物に
満足して一緒に出て来なさい』
それらの子供たちは、その乗り物のことを聞いて、勇気を起こし、実に大急ぎで直ち
に邸宅から走り出て来た。べてのす子供たちは露地に立っている。苦難から解放され
たのだ。
そして、その人は子供たちが脱出したのを見て、村の真ん中にある十字路のところに
行き、獅子のように立派な人のための座席に坐って、それらの人たちに言った。『あ
あ、皆よ、今、私は安心しました。
苦難に遭遇していた私の哀れな息子たちは、20人からなる私の愛すべき幼い実の子供
たちである。それらの息子たちは、過酷で、多くの生き物たちで満ち満ちた、極めて
恐ろしい、危険な家にいたのである。
その家が幾千もの炎で満たされて燃えている時、それらの息子たちは、遊びが楽しく
て夢中になっていた。私は、それらの息子たちをすべて今、危険から解放した。それ
故に、私は今、息子たちと一緒に安らぎ(涅槃に)達したのである』
その父が安楽になったのを知って、それらの子供たちは父に近づき、次のように言っ
た。『お父さん、先ほど僕たちに話されたように、心が楽しくなる3種類の乗り物を
僕たちにください。
お父さんが邸宅の中で話したことが本当なら、それらの乗り物を僕たちにください。
それらの乗り物をくださるのは、今こそ、その時です』
その人は、金や、銀、宝石、真珠の蔵を持つ有力者であって、多くの金貨や、召使を
所有していた。けれどもその人は、ただ一つの種類の乗り物を子供たちに与えるであ
ろう。
それは宝石で造られた卓越した牛の車で、手すりが巡らされ、鈴のついた網で覆わ
れ、日傘と旗で飾られ、真珠と宝珠の網で覆われている。
そして、その牛の車には、黄金の花で作られた花環が、あちこちに垂れ下がってい
て、勝れた布で覆われ、最も勝れた白い布が敷かれていた。
そのように軟らかくて最も勝れた絹の褥が敷かれたそれらの車は、ハンサ島の模様
のついた考えられほど高価さを持つ最も美しいコータンバカの布が敷かれていた。
宝石で飾られたその車につながれ、多くの侍者たちに従われている牡牛たちは、白
くて、栄養豊かで、力があり、非常に大きくて、見るも美しいものである。
その人は、すべての息子たちに、このように最も勝れた、卓越した牛の車を与えた。
しかもまた、それらの子供たちは、それらの牛の車によって満足し、狂喜して、遊び
ながら四方八方に出かけて行くのだ。(つづく)
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舎利弗(中村晋也作『薬師寺・釈迦十大弟子』)
舎利弗よ、その資産家は、それらの子供たちがその燃え上がる家から脱出したのを見て、安穏で幸運に解放され安全になったことを知り、自分自身が多大な財産を所有していることを知っているので、それらの子供たちにただ一つの勝れた乗り物を与えるであろう。まさにそのように、舎利弗よ、正しく完全に覚られた尊敬されるべきブッダもまた、その時、数え切れないほど多くの衆生が三界から解放され、苦しみや、恐怖、恐るべき苦難から自由になり、ブッダの教えにおける門を通って脱出し、すべての恐怖と苦難という荒野から解放され、心が寂静となった安らぎに達したのをご覧になるのだ。
舎利弗よ、その時、正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダは、大いなる智慧の力と、説法における4つの畏れなきことの蔵が豊富であることを知って、これらの衆生のすべてが実に自分の息子たちであることを了解して、ただブッダに到る乗り物によってのみ、それらの衆生を完全なる安らぎ(涅槃)に到らせるのである。
しかも、ブッダは衆生の個人個人に〔それぞれの意向の違いに応じて相異なる〕完全なる安らぎを説くようなことはないのだ。ブッダは、ブッダの〔場合と全く同じ〕完全なる安らぎ、卓越した完全な安らぎによって、それらのすべての衆生を完全なる安らぎに到らせるのである。
さらにまた、舎利弗よ、三界から解放されたそれらの衆生にブッダは禅定や、解脱、三昧、等至、聖なる最高の安楽、愉快なおもちゃを与えられるのだ。これらはすべて一様なものである。
舎利弗よ、その時、正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダは、大いなる智慧の力と、説法における4つの畏れなきことの蔵が豊富であることを知って、これらの衆生のすべてが実に自分の息子たちであることを了解して、ただブッダに到る乗り物によってのみ、それらの衆生を完全なる安らぎ(涅槃)に到らせるのである。
しかも、ブッダは衆生の個人個人に〔それぞれの意向の違いに応じて相異なる〕完全なる安らぎを説くようなことはないのだ。ブッダは、ブッダの〔場合と全く同じ〕完全なる安らぎ、卓越した完全な安らぎによって、それらのすべての衆生を完全なる安らぎに到らせるのである。
さらにまた、舎利弗よ、三界から解放されたそれらの衆生にブッダは禅定や、解脱、三昧、等至、聖なる最高の安楽、愉快なおもちゃを与えられるのだ。これらはすべて一様なものである。
大いなる乗り物(大白牛車)
舎利弗よ、3つの乗り物を示した後で、それらのすべての子供たちに、同一の大いなる乗り物であり、七宝で飾られ、あらゆる装飾品で飾られた、一様で勝れた乗り物だけを与え、すべての子供たちに最高の乗り物だけを与えたその資産家には虚言がない。まさにそのように、舎利弗よ、前に巧みなる方便によって3つの乗り物を示して、その後に、衆生を大いなる乗り物のみによって完全なる安らぎに至らせるブッダもまた、虚言者ではないのである。
それはどんな理由よってか?舎利弗よ、実にブッダは、多くの智慧の力と、説法における4つの畏れなきことという倉庫や蔵、家を持っていて、すべての衆生のために一切知者の智慧を具えた法を説くことができるからである。これによって、舎利弗よ、次のように知るべきである。
『ブッダは、巧みなる方便の智慧を遂行することによって、ただ一つの大いなる乗り物のみを説くのである』と」
するとその時、世尊は次の詩を述べられた。
「ある人の大きな家が老朽化していて、そのように露台が壊れていて、柱も根元で腐
食しているとしよう。
窓や楼閣は一部が崩れ落ち、壁や、障壁、漆喰は崩壊しており、歳月を経て老朽化し
た垂木は抜け落ち、草葺きの屋根は至る所で崩落している。
そこには、500を下らない生命あるものたちの住み家があり、多くの小さな部屋が密
集し、嫌悪すべき糞便が満ち溢れている。
梁がすべて落ちていて、壁や障壁もまさに同じく崩壊している。そこには数え切れな
いほど多くのハゲワシや、同じく鳩や梟や、その他の鳥たちが住んでいる。
そこには、大変な猛毒を持つ恐ろしい毒蛇や、あらゆる種類のサソリ、ネズミがあち
こちにいて、これらの悪しき生き物たちの住み家となっている。
それはどんな理由よってか?舎利弗よ、実にブッダは、多くの智慧の力と、説法における4つの畏れなきことという倉庫や蔵、家を持っていて、すべての衆生のために一切知者の智慧を具えた法を説くことができるからである。これによって、舎利弗よ、次のように知るべきである。
『ブッダは、巧みなる方便の智慧を遂行することによって、ただ一つの大いなる乗り物のみを説くのである』と」
するとその時、世尊は次の詩を述べられた。
「ある人の大きな家が老朽化していて、そのように露台が壊れていて、柱も根元で腐
食しているとしよう。
窓や楼閣は一部が崩れ落ち、壁や、障壁、漆喰は崩壊しており、歳月を経て老朽化し
た垂木は抜け落ち、草葺きの屋根は至る所で崩落している。
そこには、500を下らない生命あるものたちの住み家があり、多くの小さな部屋が密
集し、嫌悪すべき糞便が満ち溢れている。
梁がすべて落ちていて、壁や障壁もまさに同じく崩壊している。そこには数え切れな
いほど多くのハゲワシや、同じく鳩や梟や、その他の鳥たちが住んでいる。
そこには、大変な猛毒を持つ恐ろしい毒蛇や、あらゆる種類のサソリ、ネズミがあち
こちにいて、これらの悪しき生き物たちの住み家となっている。
さらにまた、あちこちに人間以外のものたちがいて、糞や尿が散らばっている、蛆虫
や、昆虫、蛍が充満し、犬やジャッカルの吠える声で満ちている。
そこには、恐ろしい狼たちがいて、人間の死体を貪り食っている。また、多くの犬や
ジャッカルたちが住んでいて、それらの狼が〔死体を食い終わって〕出ていくのを待
ち望んでいる。
それらの犬やジャッカルという弱いものたちは、常に飢餓にさいなまれていて、あち
こちで互いに噛みついたり、喧嘩したりしながら、吠える声が満ちている。その家は
このように極めて恐ろしい所なのだ。
また、極めて獰猛な心を持つ夜叉たちが住んでいて、人間の死体を引き裂いている。
そこには、あちこちに百足や蛇、猛獣たちも住んでいる。
また、それらは、あちこちに巣を作っては、子供を産みつける、夜叉たちは、それら
の次々に産み落とされた子供たちの大部分を食い尽くすのだ。
極めて獰猛な心を持つそれらの夜叉たちは、他の生き物を食べて満足し、他の生き物
の肉で身体が完全に満たされると、そこで激しい争いをする。
そこには、恐ろしい狼たちがいて、人間の死体を貪り食っている。また、多くの犬や
ジャッカルたちが住んでいて、それらの狼が〔死体を食い終わって〕出ていくのを待
ち望んでいる。
それらの犬やジャッカルという弱いものたちは、常に飢餓にさいなまれていて、あち
こちで互いに噛みついたり、喧嘩したりしながら、吠える声が満ちている。その家は
このように極めて恐ろしい所なのだ。
また、極めて獰猛な心を持つ夜叉たちが住んでいて、人間の死体を引き裂いている。
そこには、あちこちに百足や蛇、猛獣たちも住んでいる。
また、それらは、あちこちに巣を作っては、子供を産みつける、夜叉たちは、それら
の次々に産み落とされた子供たちの大部分を食い尽くすのだ。
極めて獰猛な心を持つそれらの夜叉たちは、他の生き物を食べて満足し、他の生き物
の肉で身体が完全に満たされると、そこで激しい争いをする。
持つ〕鳩槃荼鬼たちが住んでいて、いろいろの大きさのものが歩き回っている。
さらにまた、そこにおいてそれらの鳩槃荼鬼たちは、犬たちの足をつかんで、地面に
仰向けにして、首のところを締め付けて威嚇し、苦しませて楽しんでいる。
同様に、裸で色黒で、力が弱くて、背が高い大きな死霊の餓鬼たちが住んでいる。そ
の餓鬼たちは、貪り食うことを欲していて、食べ物を求めながら、あちこちで悲痛な
叫び声を上げている。
それらの餓鬼たちのあるものは、針のように細い口をした牡牛の顔を持つものであり、
人間の大きさを持つものや、また犬の大きさを持つものたちである。それらは、髪を
振り乱し、食べ物に対する貪欲さによって身を焼かれながら、悲痛な声を発している。
また、ここでは、それらの夜叉や餓鬼、諸々の悪鳥獣たちが、食べ物を探し求めなが
ら、窓から四方を常に観察している。
このように恐るべきその家は、大きくて、高く、極めて弱体化していて、老朽化し、
力弱く、頼りにならないもので、一人の人の所有するものであるとしよう。(つづく)
さらにまた、そこにおいてそれらの鳩槃荼鬼たちは、犬たちの足をつかんで、地面に
仰向けにして、首のところを締め付けて威嚇し、苦しませて楽しんでいる。
同様に、裸で色黒で、力が弱くて、背が高い大きな死霊の餓鬼たちが住んでいる。そ
の餓鬼たちは、貪り食うことを欲していて、食べ物を求めながら、あちこちで悲痛な
叫び声を上げている。
それらの餓鬼たちのあるものは、針のように細い口をした牡牛の顔を持つものであり、
人間の大きさを持つものや、また犬の大きさを持つものたちである。それらは、髪を
振り乱し、食べ物に対する貪欲さによって身を焼かれながら、悲痛な声を発している。
また、ここでは、それらの夜叉や餓鬼、諸々の悪鳥獣たちが、食べ物を探し求めなが
ら、窓から四方を常に観察している。
このように恐るべきその家は、大きくて、高く、極めて弱体化していて、老朽化し、
力弱く、頼りにならないもので、一人の人の所有するものであるとしよう。(つづく)
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