なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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まさにこのように、劣ったものに対して信順の志を持つという性分が私たちにあるこ
とを、指導者は了解されて、『あなたたちは、ブッダとなるであろう』『声聞である
あなたたちは、確かに私の息子たちである』とはおっしゃりませんでした。
世間の保護者は私たちに対して、『迦葉よ、最上にして最高の覚りへと出て立った菩
薩たちに、それを実践してブッダとなる、この上ない道を説くがよい』と要求されま
した。
人格を完成された人は、大いなる力を持つそれらの多くの菩薩たちのために私たちを
遣わされ、私たちは菩薩たちに対して数え切れないほど多くの譬喩や因縁によってこ
の上ない道を説き示しました。
勝利者の息子である菩薩たちは、私たちから教えを聞いて、覚りのための最善の善き
道を修行しました。そして、その瞬間にそれらの菩薩たちは、『あなたたちは、この
世間においてブッダとなるであろう』と予言されたのです。
あたかもその資産家にとっての信頼できるその貧しい男のように、私たちはこの法(
真理の法)の蔵(法蔵)を護りながら、また勝利者の息子である菩薩たちにそれを説
き示しながら、保護者のためにこのような仕事をしたのであります。
このブッダの所有する法の蔵を菩薩たちに授けながら、私たちは自分が貧しいもので
あるという思いを抱いていました。私たちは勝利者のこの知を自ら求めることなく、
勝利者の知を菩薩たちに説き示していたのです。
私たちは、自分自身の煩悩を消滅することをそれ程に勝れたものと見なして満足して
おり、この勝利者の知はそれ以上のものではなく、ブッダたちの諸々の国土における
荘厳について聞いても、私たちには、いかなる時にも決して歓喜さえも生じることが
ありませんでした。
『確かに、これらのあらゆるものごと(諸法)は、煩悩の静まったものであり、汚れ
を離れていて、滅することも生ずることもありません。だからこの世に、ものごと(
法)は何も存在しない』。私たちはこのように考えても、勝利者の知に対して信を生
ずることはありませんでした。
私たちは、長い間、ブッダのこの上ない知を熱望することに無関心でありました。そ
れに対する熱望は、私たちに全くありませんでした。その時、勝利者は、『これが、
最高の完成である』ともおっしゃっていました。
ラジギールの七葉窟(ここで、摩訶迦葉を中心に第一結集が行われた)
涅槃で終わりとなるこの身体において、私たちは長い間、あらゆるものごとには実体
がないこと(空法)を考察し、迷いの世界である三界の苦しみと悩みから解放されま
した。そして、私たちは勝利者であるブッダの教えを成就しました。
今、最上の覚りへ向けて出て立っている勝利者の息子である菩薩たちのために、私た
ちはその勝利者の教えのもとで説き示しました。私たちは、それらの勝利者の息子た
ちのために法を幾らか説きました。けれども、私たちには、その法を願望することは
全くありませんでした。
それ故に、世間の人々の師であり、独立自存するものは、説くべき時機を観察しなが
ら、私たちのことを放置しておられました。私たちの信順の志が何であるのかという
ことを探っておられて、言葉と意味との真実の関係を説かれることはありませんでし
た。
まさに、その大金持ちの資産家にとって、常に劣ったものに対して信順の志を持って
る息子を、適切な時に巧みなる方便によって馴らし、馴らして後に、その息子に財産
を与えたように、
そのように世間の保護者は、非常になし難いことをなされます。巧みなる方便によっ
て説き示しながら、劣ったものに対して信順の志を持っている息子たちを馴らしなが
ら、馴らして後にこのブッダの知を与えられます。
貧しい男が財産を得た時のように、今、私たちは思いがけず不思議な思いにとらわれ
ました。ブッダの教えのもとで今、私たちは初めて汚れを離れている卓越した果報を
獲得したのです。
世間のことをよく知る人の教えのもとで、私たちが長い間守って来た戒、私たちがか
つて実行してきたその戒の果報を、保護者よ、私たちは今、獲得いたしました。
指導者の教えのもとで実践した最高にして清らかな純潔の行ないの卓越した果報が、
今得られました。その果報は汚れを離れ、心が和らいでいて、勝れたものです。
釈迦苦行像(パキスタン・ラホール博物館蔵)
保護者よ、今、私たちは〔ブッダの声(教え)を聞くだけでなく、ブッダの声を聞か
せる人として〕真の声聞であり、最高の覚りについての声を人々に聞かせるでありま
しょう。また、私たちは覚りの言葉を宣言しましょう。それによって、恐るべき決意
に立った声聞なのであります。
保護者よ、私たちは今、真に供養を受けるに値する人(真の阿羅漢)となりました。
私たちは、神々や悪魔、梵天に伴われた世間の人々から、またすべての生きとし生け
るものたちから供養を受ける資格があります。
量り知れないほどの長い時間、奮励したとしても、そもそも、誰があなたのご恩に報
いることができるでしょうか。この死すべきものの住む世界において、そのように極
めてなし難いことを、あなたはなされました。
手によって、足によって、また頭によって礼拝してでさえも、ブッダの好意に対する
恩返しをすることは、実に困難なことであります。ガンジス河の砂の数のように多く
のまるまる一劫もの長い間、頭によって、肩によって、ブッダを担うとしても、
堅い食べ物や、軟らかい食べ物、衣服、飲み物、寝具や座具、清らかな上衣を差し上
げたり、栴檀で造られた精舎を建造させ、それを、一揃いの錦で覆ってから差し
上げるとしても、
病気に対する多くの種類の薬を、供養のために人格を完成された人に常に差し上げる
としても、ガンジス河の砂の数のように、このように多くの幾劫もの長い間、差し上
げるとしても、いかなる時にも決して恩に報いることはできません。
偉大なる知性に富んだ特質(法)を具え、比類のない威徳を有し、大いなる神力を具
え、忍耐力に熟達しているブッダたちは、偉大なる王であり、汚れのない勝利者であ
り、これらのブッダたちは、愚かなものたちのために、これらの状態を寛大に耐え忍
ばれるのであります。
このように、いつも外見にとらわれて行動するものたちに随順しながら、そのような
ものたちのために、ブッダは法を説かれます。ブッダの法は自在者であり、また全世
界における自在者であり、偉大なる自在者であり、世間の人々の指導者の王でいらっ
しゃいます。
ブッダは、衆生の立っているところを了解されながら、多くの種類の方策を示されま
す。それら〔の外見にとらわれて行動するものたちに〕にはさまざまな信順の志があ
ることを知って、幾千もの因縁によって法を説かれます。
ブッダは、あらゆる衆生の行為や、人間たちの不安を了解しておられ、この最上の覚
りを示しながら、実に多くの種類の法を説かれるのであります」
以上が、聖なる「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門の中の「信順の志」という名前の第4章である。
(信解品第4おわり)
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摩訶迦葉(中村晋也作『薬師寺・釈迦十大弟子』)
するとその時、尊者摩訶迦葉は次の詩を述べた。
「ブッダの声を聞いて、私たちは、このように実に不思議な思いを抱き、また驚くべ
き思いを抱き、実に大いなる歓喜を得ました。実に思いがけずに私たちはこのように
今、指導者の心にかなったこの声を聞きました。
今ここに、私たちは、これまで考えもせず、決して求めることさえもしなかった、極
めて勝れた大量の財宝を瞬時のうちに得ました。そのブッダの声を聞いて、私たちは
すべて実に不思議な思いになりました。
私たちは、ちょうど愚かな男が、愚かな人にそそのかされたような存在であります。
その愚かな男は、父親のもとを去り、極めて遠い他の地域に行くとしましょう。
その時、父親は実に自分のその息子が遁走させられたのを知って、悲しみました。そ
の父親は悲しみながら、50年以上の間、四方八方に息子を探しに行きました。
そのように、その人は息子を探しながら他の大きな町へ行って、邸宅を建てさせ、〔
色・声・香・味・触を対象とする〕5つの世俗的欲望(五欲)を満たして、そこに滞
在しました。
その人には、多くの金貨や金銀、穀物、財宝、螺貝、珊瑚があり、さらに象や馬、歩
兵たちがいて、同様に牛や羊という家畜がいました。
利子を取って金を貸すこと、富の蓄積はまさにそのようであって、その人には多くの
土地や、下女や下男という召使いの集団がありました。数え切れないほど多くの人た
ちに大変に尊敬され、その人は常に王に寵愛されていました。
町長たちや村々に住む人たちもまた、その人に合掌しています。多くの商人たちは、
その人のそばに行って、多くのなすべきことをなして奉仕しています。
その人は、このように裕福であるが、年を重ね、老齢となり、年老いて、昼夜に常に
息子についての憂いを抱きながら過ごしておりました。
「ブッダの声を聞いて、私たちは、このように実に不思議な思いを抱き、また驚くべ
き思いを抱き、実に大いなる歓喜を得ました。実に思いがけずに私たちはこのように
今、指導者の心にかなったこの声を聞きました。
今ここに、私たちは、これまで考えもせず、決して求めることさえもしなかった、極
めて勝れた大量の財宝を瞬時のうちに得ました。そのブッダの声を聞いて、私たちは
すべて実に不思議な思いになりました。
私たちは、ちょうど愚かな男が、愚かな人にそそのかされたような存在であります。
その愚かな男は、父親のもとを去り、極めて遠い他の地域に行くとしましょう。
その時、父親は実に自分のその息子が遁走させられたのを知って、悲しみました。そ
の父親は悲しみながら、50年以上の間、四方八方に息子を探しに行きました。
そのように、その人は息子を探しながら他の大きな町へ行って、邸宅を建てさせ、〔
色・声・香・味・触を対象とする〕5つの世俗的欲望(五欲)を満たして、そこに滞
在しました。
その人には、多くの金貨や金銀、穀物、財宝、螺貝、珊瑚があり、さらに象や馬、歩
兵たちがいて、同様に牛や羊という家畜がいました。
利子を取って金を貸すこと、富の蓄積はまさにそのようであって、その人には多くの
土地や、下女や下男という召使いの集団がありました。数え切れないほど多くの人た
ちに大変に尊敬され、その人は常に王に寵愛されていました。
町長たちや村々に住む人たちもまた、その人に合掌しています。多くの商人たちは、
その人のそばに行って、多くのなすべきことをなして奉仕しています。
その人は、このように裕福であるが、年を重ね、老齢となり、年老いて、昼夜に常に
息子についての憂いを抱きながら過ごしておりました。
『私のその息子は、このように愚かであり、今まで50年間も遁走させられている。私
には、この広大な倉庫がある。けれども、私の死期が近づいた』と。
その時、その人の愚かな息子は、常に貧しく、哀れで、村から村へ順次に歩き回りな
がら食べ物と切るものを求めていました。
何かを求めながら、ある時は何かが得られ、ある時は全く何も得られませんでした。
その愚かな男は、他人の小屋に転々として移り住んで痩せ衰え、発疹や疥癬で汚い
体をしています。
そして、その男は父親がいるその町に到り、食べ物と着るものを探し求めながら、自
分の父親の邸宅のあるところへと次第に近づいて行きました。
多くの財宝を所有するその裕福な人は、門のところで獅子座に坐っていて、数え切れ
ないほど多くの人たちに取り囲まれ、その人のために日傘が空中に拡げられていまし
た。
その人の周囲には、忠実な人々がいて、ある人たちは財宝や金貨を数え、またある人
たちは文書をしたため、ある人たちは、利息を得るために資本を投じています。
しかしながら、その貧しい男は、そこにある資産家の荘厳されたその邸宅を見て、
『一体、俺は今、どこに来たのであろうか。あの人は王様か、王様と同等の権威を持
つ人であるだろう。
いま、ここでひどい目に遭うことも、捕まえられて強制労働をさせられることも、ご
免こうむりたい』と考えながら、その男は貧民街のありかを尋ねつつそこへと逃げま
した。
には、この広大な倉庫がある。けれども、私の死期が近づいた』と。
その時、その人の愚かな息子は、常に貧しく、哀れで、村から村へ順次に歩き回りな
がら食べ物と切るものを求めていました。
何かを求めながら、ある時は何かが得られ、ある時は全く何も得られませんでした。
その愚かな男は、他人の小屋に転々として移り住んで痩せ衰え、発疹や疥癬で汚い
体をしています。
そして、その男は父親がいるその町に到り、食べ物と着るものを探し求めながら、自
分の父親の邸宅のあるところへと次第に近づいて行きました。
多くの財宝を所有するその裕福な人は、門のところで獅子座に坐っていて、数え切れ
ないほど多くの人たちに取り囲まれ、その人のために日傘が空中に拡げられていまし
た。
その人の周囲には、忠実な人々がいて、ある人たちは財宝や金貨を数え、またある人
たちは文書をしたため、ある人たちは、利息を得るために資本を投じています。
しかしながら、その貧しい男は、そこにある資産家の荘厳されたその邸宅を見て、
『一体、俺は今、どこに来たのであろうか。あの人は王様か、王様と同等の権威を持
つ人であるだろう。
いま、ここでひどい目に遭うことも、捕まえられて強制労働をさせられることも、ご
免こうむりたい』と考えながら、その男は貧民街のありかを尋ねつつそこへと逃げま
した。
すると、獅子座に坐っていたその裕福な人は、その自分の息子を見て、大いに喜びま
した。そして、その人は、『お前たちは、あの貧しい男を連れて来なさい』と、使い
の者たちをその男のもとに派遣しました。
それらの使いの者たちは、直ちにその貧しい男を捕まえました。しかしながら、捕ま
えられた途端にその男は、気絶してしまいます。そして、『私への刺客が近づいて来
たに違いない。今は、着るものや食べるものなんかどうでもいい』と考えました。
賢く、大いに裕福なその人は、その男を見て、『この男は、愚かで、無知で、劣った
ものに対して信順の志を持っている。この男は、〈これらの荘厳されたものが自分の
ものである〉ということを信ずることも出来ないし、さらにまた〈これが自分の父親
である〉ということを信ずることも出来ないだろう』と考えました。
そこで、その人は、背骨が湾曲し、片目と片足が不自由で、襤褸を身にまとい、色が
黒く、身分の卑しい侍者たちを派遣して、『お前たちは、あの男に、仕事をする気が
あるかどうかということについて尋ねよ』と命じ、
『屎尿にまみれ、悪臭を発する私のこの肥溜めを綺麗にするために、お前は仕事をし
ろ。そうすれば、私はお前に2倍の賃金を払うであろう』と、侍者たちを使って貧し
い男に言わせました。
このような言葉を聞いて、その男はその邸宅にやって来て、その場所を綺麗にしまし
た。そこで、その男は邸宅のうちの〔一隅にある〕藁葺き小屋に住所を定めました。
そして、その裕福な人は、いつも窓からその侍者を見守ります。そして、『私のこの
息子は、劣ったものに対して信順の志を持っていて、肥溜めを綺麗にしている』と思
います。
その人は邸宅から降りて来て、〔屎尿を入れる〕容器を手に取り、薄汚れた衣服を着
て、『お前は、今しばらく仕事をするな』と荒々しい口調で言いながら、その男のそ
ばに近づきました。
『私は、お前に2倍の賃金を与えよう。さらにまた、足に塗る油を2倍与えよう。ま
た、塩気のきいた食べ物をお前に与えよう。さらに野菜も衣も、私はお前に与えよう』
このように、その資産家は、その貧しい男に荒々しい口調で言いました。その時、そ
の賢い人は、さらにその貧しい男を自分に近づけようとします。『お前は、ここで実
によく仕事をする。お前は明らかに私の息子である。そこに、疑いはないのだ』と。
その資産家は、その貧しい男に少しずつ家に入ら黄せ、家の中の仕事をさせました。
また、その資産家は、その貧しい男にまるまる20年もの歳月をかけて、徐々に自信を
持たせました。
その資産家は、金や真珠で造られたもの、また水晶で造られたものをその邸宅に保管
しているでしょうが、その資産家は、それらのすべてを教え、全財産の管理について
貧しい男に考えさせました。
その愚かな男は、その〔資産家の〕邸宅の離れたところにある〔藁葺き〕小屋に一人
で住みながら、自分は貧しいものだという思いを抱き、『このような財産は、決して
私のものではない』と考えています。
その資産家は、その貧しい男がこのようであることを知って、『私の息子は、勝れた
考えを持つに至った。私は、友人や親戚の人々を招いて、すべての財産を息子に贈与
することにしよう』と考えました。
その資産家は、王様や町や村に住む人たち、多くの商人たちを邸宅に集めて、その聴
衆の真ん中で、このように言いました。『これは長い間、行方不明になっていた私の
息子である。
息子で出会うまでに、まるまる50年が経った。それからさらにまた、20年の間、私は
息子を見てきた。何々という町から私のこの息子は遁走したが、私は、息子を捜しな
がらこのようにここにやって来たのだ。
この息子は、私のすべての財産の相続人である。私は、この息子にすべてのものを余
すところなく贈与するであろう。息子は、父である私の財産で仕事をするべきである。
私は、この家の財産をすべてこの息子に贈与する』
その男は、かつて自分が貧乏であったことや、劣ったものに信順の志を持っていたこ
と、父親のそれらの徳とを思い合わせて、『家の財産をすべて獲得して、私は今、幸
せであります』と、不思議な思いにとらわれました。(つづく)
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ところで、世尊よ、その資産家は、その息子が有能な財産管理人に十分に成長していることを知ります。それとともに息子が、勝れた意志によって心が磨かれてはいるが、以前の貧しい心が抜け切れず、恐怖心を抱いたり、大いに恥じ入ったり、自分を嫌悪したりしていることも知っていました。その資産家は、死期が近づくと、その貧しい男を連れて来させて、多くの親戚の人々に引き合わせ、王様、あるいは王様と同等の権威を持つ人の前や、市民や村人たちの面前で次のように宣言しました。
『皆さん、お聞きなさい。これは、私の実の息子であり、まさに私が産ませたものである。何々という名前の町からこの息子は遁走し、それから50年が過ぎ去った。この息子は何の某という名前であり、私もまた何の某という名前である。そして、私は、その町からまさにこの息子を探し求めながらここにやって来たのだ。
これは私の息子であり、私はこの息子の父親である。私が享受しているすべてのもの、その一切を私はこの男に贈与する。しかも、私自身に属している一切の財産、そのすべてについて掌握しているのはこの息子である』と。
しかれば、世尊よ、その貧しい侍者はその時、この言葉を聞いて、不思議で驚くべき思いになりました。そして、次のように考えるでありましょう。
『私は、実にこの金貨、黄金、財宝、穀物、倉庫や収蔵庫、さらには家までも、まさに思いがけずに獲得したのだ』と。
『皆さん、お聞きなさい。これは、私の実の息子であり、まさに私が産ませたものである。何々という名前の町からこの息子は遁走し、それから50年が過ぎ去った。この息子は何の某という名前であり、私もまた何の某という名前である。そして、私は、その町からまさにこの息子を探し求めながらここにやって来たのだ。
これは私の息子であり、私はこの息子の父親である。私が享受しているすべてのもの、その一切を私はこの男に贈与する。しかも、私自身に属している一切の財産、そのすべてについて掌握しているのはこの息子である』と。
しかれば、世尊よ、その貧しい侍者はその時、この言葉を聞いて、不思議で驚くべき思いになりました。そして、次のように考えるでありましょう。
『私は、実にこの金貨、黄金、財宝、穀物、倉庫や収蔵庫、さらには家までも、まさに思いがけずに獲得したのだ』と。
まさにそのように、世尊よ、私たちはブッダの息子たちと類似したものであり、ブッダはあたかもその資産家のように、私たちに『お前たちは、私の息子たちである』と、このようにおっしゃられます。
しかも、世尊よ、私たちは3つの苦しみによって苦しめられていました。3つによってとは、何によってでしょうか。すなわち、好ましくないものによって受ける苦しみ(苦苦)、世の中が有為転変していることによって受ける苦しみ(行苦)、好ましいものが変化し崩れていくことによって受ける苦しみ(壊苦)ーの3つによって私たちは苦しめられていたのであります。しかも、〔私たちは地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天界という〕生存領域の循環(六道輪廻)の繰り返しの中で、劣った教えに信順の志を持っておりました。
それ故に世尊は、私たちに肥溜めのような、より一層劣った多くの教えについて考察させられました。私たちは、それらの教えを考察することに専念しました。努力し、精進しながら、世尊よ、その貧しい男が一日の賃金を求めて探し回ったように、私たちは涅槃のみを求めて探し回りました。そして、世尊よ、私たちは、その涅槃の獲得によって満足していました。ブッダのそばでその教えに専念して、努力し、精進したから、多くのものを獲得したのだと私たちは考えていました。
しかしながらブッダは、私たちに劣ったものに対する信順の志があることをご存じでありました。だから、世尊は私たちを放置して、かかわることなく、私たちに、
『ブッダが所有しているこの知の蔵、まさにこれはお前たちのものとなるであろう』
とおっしゃることはありませんでした。ただ世尊は、私たちのために巧みなる方便によって、このブッダの知の蔵の管理人の立場に立たされました。
しかも、世尊よ、私たちは3つの苦しみによって苦しめられていました。3つによってとは、何によってでしょうか。すなわち、好ましくないものによって受ける苦しみ(苦苦)、世の中が有為転変していることによって受ける苦しみ(行苦)、好ましいものが変化し崩れていくことによって受ける苦しみ(壊苦)ーの3つによって私たちは苦しめられていたのであります。しかも、〔私たちは地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天界という〕生存領域の循環(六道輪廻)の繰り返しの中で、劣った教えに信順の志を持っておりました。
それ故に世尊は、私たちに肥溜めのような、より一層劣った多くの教えについて考察させられました。私たちは、それらの教えを考察することに専念しました。努力し、精進しながら、世尊よ、その貧しい男が一日の賃金を求めて探し回ったように、私たちは涅槃のみを求めて探し回りました。そして、世尊よ、私たちは、その涅槃の獲得によって満足していました。ブッダのそばでその教えに専念して、努力し、精進したから、多くのものを獲得したのだと私たちは考えていました。
しかしながらブッダは、私たちに劣ったものに対する信順の志があることをご存じでありました。だから、世尊は私たちを放置して、かかわることなく、私たちに、
『ブッダが所有しているこの知の蔵、まさにこれはお前たちのものとなるであろう』
とおっしゃることはありませんでした。ただ世尊は、私たちのために巧みなる方便によって、このブッダの知の蔵の管理人の立場に立たされました。
しかしながら、世尊よ、私たちはそのブッダの知に対して無関心であって、次のように考えました。
『貧しい男が、肥溜めを綺麗にして一日の賃金を得るのと同じように、私たちがブッダのそばで涅槃を得るということ、これこそが私たちにとって非常にありがたいことである』と。
世尊よ、その私たちは、偉大な人である菩薩たちにブッダの知見について勝れた説法をなし、ブッダの知を明かし、示し、説明いたしました。けれども、世尊よ、私たち自身は、そのブッダの知に対して無関心であり、慢心がありました。それは、どんな理由によってでしょうか?ブッダは、巧みなる方便によって、私たちの信順の志をご存じであります。しかしながら、私たちが世尊の真実の息子であると、世尊が今、語られたことを、私たちは知ることもなく、理解することもなかったからであります。
それでも、世尊は、私たちのためにブッダの知の相続人であることを思い出させようとしておられます。それは、どんな理由によってでしょうか?もちろん私たちは、ブッダの真実の息子であると言われてはいますが、なお劣ったものに対して信順の志を持っているからです。
もしも世尊が、私たちに信順の志の力があることを見出されたならば、世尊は私たちに声聞ではなく、〝菩薩〟という名前をつけられたでありましょう。さらに世尊は、私たちに2つの企てをさせられました。1つには、菩薩たちの面前で、私たちのことを〝劣ったものに信順の志を持つもの〟と言われ、2つには、その私たちを勝れたブッダの覚りへと向かうように励ましてくださったのです。
そして、世尊は今、私たちに信順の志の力があることを了解されて、〔声聞・独覚・菩薩をはじめ、あらゆる衆生がブッダになれるという〕この〔一仏乗の〕教えを説かれました。このようにして、世尊よ、私たちは次のように申し上げます。
『貧しい男が、肥溜めを綺麗にして一日の賃金を得るのと同じように、私たちがブッダのそばで涅槃を得るということ、これこそが私たちにとって非常にありがたいことである』と。
世尊よ、その私たちは、偉大な人である菩薩たちにブッダの知見について勝れた説法をなし、ブッダの知を明かし、示し、説明いたしました。けれども、世尊よ、私たち自身は、そのブッダの知に対して無関心であり、慢心がありました。それは、どんな理由によってでしょうか?ブッダは、巧みなる方便によって、私たちの信順の志をご存じであります。しかしながら、私たちが世尊の真実の息子であると、世尊が今、語られたことを、私たちは知ることもなく、理解することもなかったからであります。
それでも、世尊は、私たちのためにブッダの知の相続人であることを思い出させようとしておられます。それは、どんな理由によってでしょうか?もちろん私たちは、ブッダの真実の息子であると言われてはいますが、なお劣ったものに対して信順の志を持っているからです。
もしも世尊が、私たちに信順の志の力があることを見出されたならば、世尊は私たちに声聞ではなく、〝菩薩〟という名前をつけられたでありましょう。さらに世尊は、私たちに2つの企てをさせられました。1つには、菩薩たちの面前で、私たちのことを〝劣ったものに信順の志を持つもの〟と言われ、2つには、その私たちを勝れたブッダの覚りへと向かうように励ましてくださったのです。
そして、世尊は今、私たちに信順の志の力があることを了解されて、〔声聞・独覚・菩薩をはじめ、あらゆる衆生がブッダになれるという〕この〔一仏乗の〕教えを説かれました。このようにして、世尊よ、私たちは次のように申し上げます。
『私たちは、ブッダの知見に対して無関心でありましたが、あたかもブッダの息子(菩薩)たちが、この一切を知るブッダの智慧(一切智)という宝を得たのと同様に、私たちは願望もせず、希求もせず、探求もせず、考察もせず、欲求もしなかったのに、一切を知るブッダの智慧という宝を実に思いがけずに得ました』と」(つづく)
その裕福な人は、円窓や風を通す穴から自分のその息子が肥溜めを綺麗にしているのを見るでありましょう。見てからさらに、不思議な思いにとらわれました。
すると、その資産家は自分の邸宅から降りて来て、花環や装身具をはずし、柔らかく清らかで勝れた衣服を脱ぎ、汚れた衣服を着て、右手に〔屎尿を入れる〕容器を持ち、泥で自分の体を汚し、遠くから声をかけながら、その貧しい男のいるところへ近づきました。近づいてから、次のように言いました。
『お前たちは、〔屎尿の〕容器を運びなさい。立っていてはいけない。屎尿を運び去りなさい。』と。
このようにして、その息子に話しかけたり、談話したりして、その息子に言いました。
『さあ、侍者よ、お前はここだけで仕事をしなさい。もうよそに行かないでくれ。私は、お前に特別に報酬を与えよう。水瓶や、壺、皿、薪、塩の代金の支払いであれ、食べ物や着るもの、何であっても、お前のためになすべきことは遠慮せずに私に要求するがよい。
さあ、侍者よ、私には古着がある。もしも、それがお前のために与えるべきこのような生活用品のすべてを私はお前に与えよう。
さあ、侍者よ、お前は安心しなさい。お前は、私を自分の父親のように考えるがよい。それは、どんな理由によってか?私は年をとっているが、お前は若い。しかもお前は、この肥溜めを綺麗にしながら私のために多くの仕事をしてくれた。人を欺くことや、曲がったこと、不正直なこと、自分を自慢すること、他人を軽蔑することを以前になしたこともなければ、現在にもなすことがないからだ。
他の侍者たちが仕事をしていても、彼らには不正なことが見出される。ところが、お前のすべての点において、邪悪な行為をなすのを私は一度も見たことがない。私にとってお前は今後、私の実の息子のようなものなのだ』と。
そこで、世尊よ、その資産家は、その貧しい男に〝息子〟という名前をつけるでありましょう。そして、その貧しい男は、その資産家のそばにあって父親という思いを抱きました。世尊よ、その資産家は息子に対する愛情に渇えていて、20年間、このようにして、その息子に肥溜めを綺麗させるでありましょう。
こうして20年が経って、その貧しい男は、その資産家の邸宅に気後れすることなく出入りするようになりました。しかしながら、相変わらず全く同じその藁葺きの小屋に住んでいました。
ところが、世尊よ、その資産家に体力の減退が訪れたとしましょう。その資産家は、自分の死期が近づいたのを自覚して、その貧しい男に次のように言いました。
『さあ、侍者よ、お前はこちらへ来なさい。私には、この多くの金貨、黄金、財宝、穀物、倉庫や収蔵庫、そして家がある。私は、体力の衰弱が著しくなり、この財産を誰に与えるべきか、誰から受け取るべきか、何を残しておくべきかを模索している。お前は、この財産のすべてを完全に知っておくべきである。それは、どんな理由によってか?私は、まさにこのようなこの財産の所有者で、お前もまた同じようなものであるからだ。だから、私のために、お前はこの中から何も消滅させるよなうことがあってはならない』
『さあ、侍者よ、お前はこちらへ来なさい。私には、この多くの金貨、黄金、財宝、穀物、倉庫や収蔵庫、そして家がある。私は、体力の衰弱が著しくなり、この財産を誰に与えるべきか、誰から受け取るべきか、何を残しておくべきかを模索している。お前は、この財産のすべてを完全に知っておくべきである。それは、どんな理由によってか?私は、まさにこのようなこの財産の所有者で、お前もまた同じようなものであるからだ。だから、私のために、お前はこの中から何も消滅させるよなうことがあってはならない』
さて、世尊よ、このようにしてその貧しい男は、その資産家のその多くの金貨、黄金、財宝、穀物、倉庫や収蔵庫、そして家のことを完全に掌握しました。しかしながら、自分ではそれに対して無欲であって、その中からごく僅かの量の大麦の代金分でさえも決して要求しませんでした。そして、自分は貧しいというその思いを抱きながら、相変わらずその藁葺きの小屋に住んでいました。(つづく)
世尊よ、例えば誰かある男が父親のそばから立ち去ったとしましょう。立ち去ってから、その男は他の国のある所に到りました。その男は、20年、30年、40年、あるいは50年もの長い間、その国に住みました。
さて、世尊よ、その男が大人になりました。しかしながら、その男は貧しくて、食べ物や着るものを得るために生業を探し求め、四方八方をさまよいながら、他の国のある所にたどり着きました。
一方、その男の父親も、どこかのある国に出かけたとしましょう。その父親は、多くの財産、穀物、金貨、倉庫、収蔵庫、そして家を所有していて、多くの金、銀、宝石、真珠、瑠璃、螺貝、碧玉、珊瑚、黄金、白銀を所有し、また多くの女召使いや、召使い、職人、雇い人を抱え、さらには多くの象、馬、車、牡牛、羊を所有しています。
その父親は、数多くの侍者を従え、大きな国々の中で裕福な人となって、富の蓄積や、利子を取っての金融業、また農業や、交易で繁盛していました。
さて、世尊よ、その貧しい男は、食べ物や着るものを探し求めるために、村や、町、城市、国、王国、王城をさまよいながら、次第にその貧しい男の父親が住んでいるその町にたどり着いたとしましょう。
世尊よ、貧しい男のその父親は、その町に住みながら、50年もの間、行方不明のその息子のことを常に思い続けていました。そして、その息子のことを思い続けながら、その父親ただ一人が、自分で自分のことを苦しんでいるだけで、その息子のことを決して誰にも語ることはありませんでした。
そして、次のように考えていました。(長者窮子の譬え)
『私は、年老いた老人で、老衰している。私には多くの金貨、黄金、財宝、穀物、倉庫、収蔵庫、そして家が存在する。けれども、私には息子が誰もいない。ああ、実に悲しいことだ。私に死ぬようなことがなく、これらすべてが享受されずに失われることがないことを願いたい』と。
その人は、その息子のことを何度も繰り返して思い出します。
『ああ、もしも、私の息子がこの財宝の山を享受するならば、私は確かに安心するであろう』
その時、世尊よ、その貧しい男の父親は、自分の邸宅の門のところで数多くのバラモン(司祭階級)、クシャトリヤ(王族)、ヴァイシャ(商人)、シュードラ(奴隷階級)の人たちの集まりに囲まれ、尊敬され、金と銀で飾られている足を乗せる台のついた卓越した獅子座に坐っていました。数え切れないほど多くの金貨を取り引きし、毛の扇であおがれながら、日傘が広げられ、撒かれた花が散り乱れ、宝石の花環が垂れ下がった所に、大いなる威厳をもって坐っています。
世尊よ、その貧しい男は、自分のその父親が、邸宅の門のところに、このような威厳をもって坐っていて、数多くの人たちの集団に囲まれ、資産家としての仕事をしているのを見ました。その貧しい男はそれを見て、さらに恐怖し、おののき、悩み、身の毛がよだち、身震いする思いを抱き、次のように考えました。
『思いがけないことに、俺はこの王様か、王様と同等の権威を持つ人に出くわしてしまった。ここには俺のする仕事は
何もない。俺のようなものは、立ち去ろう。貧民街なら俺のようなものの食べ物や着るものが、苦労もせずに手に入るだろう。俺はこんなところで長い間、躊躇なんかしていられない。もちろん、俺はここで捕えられて強制労働をさせられたり、その他のひどい目に遭ったりすることなどご免こうむりたい』と。
世尊よ、その貧しい男は、自分のその父親が、邸宅の門のところに、このような威厳をもって坐っていて、数多くの人たちの集団に囲まれ、資産家としての仕事をしているのを見ました。その貧しい男はそれを見て、さらに恐怖し、おののき、悩み、身の毛がよだち、身震いする思いを抱き、次のように考えました。
『思いがけないことに、俺はこの王様か、王様と同等の権威を持つ人に出くわしてしまった。ここには俺のする仕事は
何もない。俺のようなものは、立ち去ろう。貧民街なら俺のようなものの食べ物や着るものが、苦労もせずに手に入るだろう。俺はこんなところで長い間、躊躇なんかしていられない。もちろん、俺はここで捕えられて強制労働をさせられたり、その他のひどい目に遭ったりすることなどご免こうむりたい』と。
すると、世尊よ、その貧しい男は、自分が捕らえられたならば、苦しみが立て続けに起こるだろうと考えて、恐怖におののいて、急いで逃げ出し、逃走し、そこに留まることはないでありましょう。
その時、世尊よ、自分の邸宅の門のところで獅子座に坐っていたその裕福な人は、まさにその男を見るやいなや、それが自分の息子であることを了解しました。自分の息子を見て、満足し、心が高ぶり、狂喜し、喜び、喜悦と歓喜を生じました。そして、次のように考えました。
『たった今、この多くの金貨、黄金、財宝、穀物、倉庫、収蔵庫、そして家を享受するものが見つかった。実に不思議なことである。私は、これまでこの息子のことを何度も思い出した。その息子が今、まさに自分からここにやって来た。しかも、私は年をとった高齢の老人である』と。
すると、世尊よ、息子を渇望して苦しんでいたその人は、その瞬間のそのまた瞬間のうちに、敏速な侍者を派遣しました。
『お前たち、行ってあの男をすぐに連れてきなさい』と。
その時、世尊よ、自分の邸宅の門のところで獅子座に坐っていたその裕福な人は、まさにその男を見るやいなや、それが自分の息子であることを了解しました。自分の息子を見て、満足し、心が高ぶり、狂喜し、喜び、喜悦と歓喜を生じました。そして、次のように考えました。
『たった今、この多くの金貨、黄金、財宝、穀物、倉庫、収蔵庫、そして家を享受するものが見つかった。実に不思議なことである。私は、これまでこの息子のことを何度も思い出した。その息子が今、まさに自分からここにやって来た。しかも、私は年をとった高齢の老人である』と。
すると、世尊よ、息子を渇望して苦しんでいたその人は、その瞬間のそのまた瞬間のうちに、敏速な侍者を派遣しました。
『お前たち、行ってあの男をすぐに連れてきなさい』と。
すると、世尊よ、まさにそれらのすべての侍者たちは、速やかに走り去り、その貧しい男を捕まえました。その貧しい男は、恐れ、おののき、悩み、身の毛がよだち、身震いする思いを抱き、激しく悲嘆した声を発し、声高に叫び、うめき声を上げました。そして、『俺は、お前たちに何も危害を加えてなんかいない』と訴えました。
しかしながら、それらの侍者たちは、うめき声を上げているその貧しい男を力ずくで引きずって来ました。その貧しい男は、恐れ、おののき、悩み、身震いする思いを抱き、次のように考えました。
『俺は、ただ単に、殺されることも、棒で打たれることも嫌だ。俺は死にたくない』と。
しかしながら、それらの侍者たちは、うめき声を上げているその貧しい男を力ずくで引きずって来ました。その貧しい男は、恐れ、おののき、悩み、身震いする思いを抱き、次のように考えました。
『俺は、ただ単に、殺されることも、棒で打たれることも嫌だ。俺は死にたくない』と。
その貧しい男は、気絶して地面に倒れ、意識を失いました。その父は、この貧しい男のそばに来て、それらの侍者たちに次のように言うでありましょう。
『お前たちは、その男をそのように連れて来てはならない』と。
その父は、その貧しい男に冷たい水をかけたが、その後は、さらに話しかけることはありませんでした。それは、どんな理由によってでしょうか?その資産家は、自分自身には威厳に満ちた力があるのに、その貧しい男は、長い貧乏暮らしで心が卑屈になっている。それにもかかわらず、『これは私の息子である』と誰にも話すことはないでありましょう。
そこで、世尊よ、その資産家はある侍者に告げました。
『さあ、侍者よ。お前は行って、あの貧しい男に次のように言いなさい。〈さあ、男よ、お前は行きたいところに行くがよい。お前は解放されたのだ〉と』
資産家がこのように言うと、その侍者はその命令を承って、その貧しい男に近づきました。そして、その貧しい男に次のように言いました。
『さあ、男よ。お前は行きたいところに行くがよい。お前は解放されたのだ』と。
すると、その貧しい男はこの言葉を聞いて、不思議で驚くべき思いになりました。その男は、そこから立ち上がって、貧民街のあるところへ食べ物や着るものを探し求めて近づきました。
そこで、その資産家は、その貧しい男を自分に近づけるために、巧みなる方便を用いるのでありましょう。その資産家は、顔色が悪く、力の弱弱しい二人の侍者を用いました。
『お前たちは、行きなさい。先ほどここに来ていたあの男を、お前たちは自分の言葉で2倍の日給で雇って、私のこの邸宅で仕事をさせなさい。もしも、その男が〈どんな仕事をするのか?〉と尋ねたならば、お前たちはその男に、〈俺たち二人と一緒に、肥溜めを綺麗にするのだ〉と、このように言いなさい。
すると、その二人の侍者たちは、その貧しい男を探し出して、その仕事を与えました。さて、その二人の侍者とその貧しい男は、その大金持ちの人から賃金をもらって、その邸宅において肥溜めを綺麗にしました。そして、その大金持ちの人の家の近くにある藁葺きの小屋に3人は住みます。(つづく)
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『お前たちは、行きなさい。先ほどここに来ていたあの男を、お前たちは自分の言葉で2倍の日給で雇って、私のこの邸宅で仕事をさせなさい。もしも、その男が〈どんな仕事をするのか?〉と尋ねたならば、お前たちはその男に、〈俺たち二人と一緒に、肥溜めを綺麗にするのだ〉と、このように言いなさい。
すると、その二人の侍者たちは、その貧しい男を探し出して、その仕事を与えました。さて、その二人の侍者とその貧しい男は、その大金持ちの人から賃金をもらって、その邸宅において肥溜めを綺麗にしました。そして、その大金持ちの人の家の近くにある藁葺きの小屋に3人は住みます。(つづく)
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