なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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すると、それらの500人の阿羅漢たちは、世尊の面前で自分自身の未来にける成仏についての予言を聞いて、満足し、高揚し、心が満たされ、狂喜し、喜悦と歓喜を生じ、世尊のおられるところに近づいた。近づいてから、
「世尊よ、私たちは、『これが、私たちにとっての完全なる涅槃なのだ。私たちは完全なる涅槃に入ったのだ』という考えをこのように常に抱いていました。しかし、私たちは、過ちを犯していたことを懺悔いたします。なぜならば、世尊よ、私たちは明晰さを欠き、未熟で、道理に暗いからです。それは、どんな理由によってでしょうか?世尊よ、そもそも、ブッダの知に精進するべきであったにもかかわらず、そうしなかった私たちは、このように取るに足らない知で満足していたからです。
その後、世尊よ、横になっていたその男は〔眠りから覚めて、〕立ち上げって旅立ちました。その男は、他の国に到るでありましょう。その男は、そこにおいて困難な目に遭います。食べ物や着るものを求めるために困難に陥ります。大変な苦労をして辛うじて何か食べ物を得て、その男は、それに満足し、狂喜し、歓喜するでしょう。その後、世尊よ、あの値段をつけられないほど高価な宝石をその男の衣服の縁に結び付けたその旧友が、その男を再び見て、その男に次のように言いました。
『ああ、友よ、あなたはなぜ食べ物や着るものを求めるために困難に陥っているのか?あなたが幸福を享受できるように、あらゆる欲望を実現できるだけの値段のつけられないほど高価な宝石をあなたの衣服の縁に私は結び付けておいたのに……。ああ、友よ、まさにその時、私は、あなたにその宝石を与えていたのだ。その時、宝石を衣服の縁にこのように結び付けておいたのだ。
ああ、友よ、しかしながら、あなたは、〈私のために何が結び付けられているのか?あるいは誰が結び付けたのか?理由は何なのか?いかなる動機でこれは結び付けられたのか?〉と、実に調べることもなかった。ああ、友よ、苦労して食べ物や着るものを求めながら、その得たもので満足しているあなたは愚かである。
ああ、友よ。あなたは、行きなさい。この宝石を持って大きな町へ行き、お金と交換しなさい。そのお金でなすべきことのすべてを、あなたはなしなさい』と。
まさにこのように、世尊よ、かつて菩薩としての修行を実践しておられたブッダは、私たちにも一切知者たることを求める心を発させようとされました。しかしながら、世尊よ、私たちはそれらの心について知ることもなく、気づくこともありませんでした。世尊よ、その私たちは、阿羅漢の位において実に涅槃に到ったと思っていました。私たちは、困窮して生きていました。その故に、世尊よ、私たちはこのように取るに足りない知で満足するに至っていました。
世尊よ、その私たちは、一切知者の智慧を求める請願を常に失っていなかったので、ブッダであるあなたによって次のことを気づかせられています。
『男性出家者たちよ、あなたたちはこれを真の涅槃だと考えてはならない。男性出家者たちよ、絶え間ない連続を繰り返しているあなたたちの身心に、私がかつて成熟させた善い果報をもたらす立派な行ないが見出される。またその際、あなたたちが今、涅槃であると考えているものは、まさに説法の際の言葉による私の巧みなる方便なのである』と。
そして、私たちは、このように世尊によって気づかせられて、今、この上ない正しく完全な覚りに到るという予言をされたのです」
世尊と 阿若憍陳如 ら5比丘
するとその時、 阿若憍陳如 をはじめとするそれらの自在を得た500人の阿羅漢たちは、次の詩を告げた。
「最高にして最も勝れた覚りに到るという予言がなされたということ、すなわちこの
ような無上の激励を聞いて、私たちは喜び、まことに歓喜いたしました。無限の視力
を物指導者よ、私たちは、あなたに敬礼いたします。
人格を完成された人の教えの中にあって、私たちはまさに愚かで、無理解で、無知な
ものたちのように、〔煩悩の火が消えた内心の安らぎという〕涅槃だけで完全に満足
していたという過ちを犯していたことを私たちは、あなたに懺悔いたします。
譬えば、まさに誰かある男がいたとして、その男が今、友人の家にやって来て、その
男の友人である裕福な資産家のもとに達したとしましょう。その資産家は、その男の
ために、多くの堅い食べ物や、軟らかい食べ物を供するでしょう。
食べ物でその男を満足させてから、その資産家は高価な宝石を与えるとしましょう。
下着の衣類の縁にある結び目に宝石を結びつけて、その男に与えて今、満足させたと
します。
さらにまた、その愚かな男は、〔眠りから覚めると〕立ち上がって、〔放浪の旅へ
と〕出発します。その男は、他の町に到達しました。その男は、困難な目に遭って
哀れで、艱難辛苦しながら食べ物を捜し求めています。
その男は、得られた食べ物に満足していて、豪勢な食べ物について考えることもあ
りませんでした。さらにまた、まさにその宝石は下着に結びつけられたままで、気
づかれることもありませんでした。この男には、〔宝石が結びつけられたという〕
記憶はありません。
自分の家でこの男に宝石を与えたその旧友は、後日、その男に会いました。その男
をしっかりと叱った後で、衣服の中にある宝石を示しました。
その宝石を見て、その男は最高の幸福で満たされました。その宝石には、このような
力があります。そして、その男は大長者となり、頑丈な蔵を持ち、〔色・声・香・味
・触を対象とする〕5つの世俗的欲望によって満足するでありましょう。
「最高にして最も勝れた覚りに到るという予言がなされたということ、すなわちこの
ような無上の激励を聞いて、私たちは喜び、まことに歓喜いたしました。無限の視力
を物指導者よ、私たちは、あなたに敬礼いたします。
人格を完成された人の教えの中にあって、私たちはまさに愚かで、無理解で、無知な
ものたちのように、〔煩悩の火が消えた内心の安らぎという〕涅槃だけで完全に満足
していたという過ちを犯していたことを私たちは、あなたに懺悔いたします。
譬えば、まさに誰かある男がいたとして、その男が今、友人の家にやって来て、その
男の友人である裕福な資産家のもとに達したとしましょう。その資産家は、その男の
ために、多くの堅い食べ物や、軟らかい食べ物を供するでしょう。
食べ物でその男を満足させてから、その資産家は高価な宝石を与えるとしましょう。
下着の衣類の縁にある結び目に宝石を結びつけて、その男に与えて今、満足させたと
します。
さらにまた、その愚かな男は、〔眠りから覚めると〕立ち上がって、〔放浪の旅へ
と〕出発します。その男は、他の町に到達しました。その男は、困難な目に遭って
哀れで、艱難辛苦しながら食べ物を捜し求めています。
その男は、得られた食べ物に満足していて、豪勢な食べ物について考えることもあ
りませんでした。さらにまた、まさにその宝石は下着に結びつけられたままで、気
づかれることもありませんでした。この男には、〔宝石が結びつけられたという〕
記憶はありません。
自分の家でこの男に宝石を与えたその旧友は、後日、その男に会いました。その男
をしっかりと叱った後で、衣服の中にある宝石を示しました。
その宝石を見て、その男は最高の幸福で満たされました。その宝石には、このような
力があります。そして、その男は大長者となり、頑丈な蔵を持ち、〔色・声・香・味
・触を対象とする〕5つの世俗的欲望によって満足するでありましょう。
世尊よ、まさにこのように、私たちが過去の誓願に基づいているということを私たち
は知らないでいるのです。実にこの誓願は、この世における諸々の過去の生存におい
て長期にわたってブッダによって与えられました。
世尊よ、私たちは今、愚かな知性を持っていて、人格を完成された人の教えについて
実に無知であって、まさに私たち、それ以上に求めることもなく、また考えることも
なく、煩悩の火が消えた内心の安らぎという涅槃だけで満足してしまいました。
しかしながら、世間の人々にとっての朋友〔であるブッダ〕は、私たちを目覚めさせ
てくださりました。『このようなものは、決して真の涅槃ではない。人間の中で最上
の人たちの知が、真の涅槃、最高の安穏に導いてくれるのである』と。
保護者よ、この高貴で、広大で、多くの種類のこの上ない未来における成仏の予言を
聞いて、また、私たちが相次いで順次に予言をなすであろうということで、実に大き
く高揚した歓喜が生じました」
以上が、聖なる「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門の中の「500人の男性出家者たちへの予言の章」という名前の第8章である。
(五百弟子受記品第8おわり)
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摩訶迦葉(中村晋也作『薬師寺・釈迦十大弟子』)
その時、それらの自在を得た1200人の阿羅漢たちに次の思いが生じた。
「私たちは、実に不思議な思いにとらわれ、実に驚くべき思いを抱いております。これらの他の偉大なる声聞たちが、世尊によって未来における成仏の予言をされたように、もしも世尊が私たち一人ひとりにも未来における成仏の予言をして下さるならば……」と。
すると、世尊は、まさに自分の心で、それらの偉大なる声聞たちの心の思いを了解して、尊者摩訶迦葉に語りかけられた。
「迦葉よ、今、私の目の前にいるこれらの自在を得た1200人の阿羅漢たちのすべてに対して、私は直ちに未来における成仏の予言をなすであろう。
迦葉よ、その中で、偉大なる声聞である男性出家者の憍陳如は、620万コーティ・ナユタもの数え切れないほど多くのブッダたちの次に、さらにその次に、世間において普明(あまねき輝きを持つもの)という名前のブッダとなるであろう。
「私たちは、実に不思議な思いにとらわれ、実に驚くべき思いを抱いております。これらの他の偉大なる声聞たちが、世尊によって未来における成仏の予言をされたように、もしも世尊が私たち一人ひとりにも未来における成仏の予言をして下さるならば……」と。
すると、世尊は、まさに自分の心で、それらの偉大なる声聞たちの心の思いを了解して、尊者摩訶迦葉に語りかけられた。
「迦葉よ、今、私の目の前にいるこれらの自在を得た1200人の阿羅漢たちのすべてに対して、私は直ちに未来における成仏の予言をなすであろう。
迦葉よ、その中で、偉大なる声聞である男性出家者の憍陳如は、620万コーティ・ナユタもの数え切れないほど多くのブッダたちの次に、さらにその次に、世間において普明(あまねき輝きを持つもの)という名前のブッダとなるであろう。
さらには、迦葉よ、この同一の名前で500人のブッダが生ずるであろう。それ故に、500人の偉大なる声聞たちのすべてが、立て続けにこの上ない正しく完全な覚りを覚り、実にすべてが、普明という名前を持つブッダとなるであろう。それは、次の通りである。伽耶迦葉 、那提迦葉 、優樓頻螺迦葉 、哥羅 、迦留陀夷 、阿㝹楼駄 (天眼第一)、離婆多 、劫賓那 、薄拘羅 、周陀 (チュンダ)、莎伽陀 、というこのようなものたちをはじめとする自在を得た500人である」

すると、世尊はその時、次の詩を述べられた。
「憍陳如という氏族に属する私のこの声聞は、限りない劫の未来の世において、
世間の保護者であるブッダとなって、幾1000・コーティもの数え切れないほど
多くの生命あるものたちを教え導くであろう。
その憍陳如は、輝かしく、ブッダの力を具え、十方に名声が鳴り響いており、幾1000
・コーティもの数え切れないほど多くの生命あるものたちによって尊敬され、最上に
して最高の覚りを説き示すであろう。
実にそれらの菩薩たちは、熱心であって、天上の乗り物の中でも最上のものに乗って、
そこを経巡りながら熟慮し、清らかな戒をたもっていて、常に行ないが立派である。
両足で歩くもののうちで最上の人の法を聞いて、それらの菩薩たちは、常に他の諸々
の国土にもまた行き、それらの菩薩たちは、幾千人ものブッダたちを讃嘆して、それ
らのブッダたちのために広大な供養をなすのだ。
さらにまた、それらの菩薩たちは、その時、一瞬のうちに、普明という名前の人間の
最上者であるこの指導者の国土に帰ってくるであろう。修行の力は、このようなもの
であるだろう。
その人格を完成した人の寿命の長さは、まるまる6万劫であるが、保護者が完全なる滅
度に入った後で、その法はそれよりも2倍の長さにわたってこの世に存続するであろ
う。
そして、このブッダの正しい教えに似た教えは、さらにそれより3倍、実にそれほど
長い期間にわたって存続するであろう。その保護者の正しい教えが滅した後、その時、
人間たちも、神々も苦悩することになるであろう。
それらの500人の声聞たちは、その普明という同じ名前を持つ勝利者であり、人間の
最上者であって、まるまる500人の指導者たちは中断することなく連続して順次に出
現するであろう。
500人の指導者たちのすべてにとって、国土の荘厳は、それぞれ同様であり、神通力
も、ブッダの国土も同様であり、声聞と菩薩たちの群衆も、正しい教えもこのように
まさに同様であり、さらに正しい教えの存続期間も等しいであろう。
私が既に、普明という人間の最高者を讃嘆したように、その時、500人のブッダたち
すべてにとって、その名声は、神々に伴われた世間においてそれぞれに同様であるだ
ろう。
まさに私が、一切世間の人々に教えているように、まさにそのように、人々の安寧の
ために憐憫 の情を抱いているそれらの500人の声聞たちは、中断することなく連続し
てブッダとなって、順次に他の声聞たちに、『今、この人は私に続いてブッダとなる
であろう』と予言をなすであろう。
迦葉よ、あなたは今ここにおいて、これらの500人を下らない自在を得たものたちと、
さらにまた、私に属する他の声聞たちとを、まさにこのように把握するべきである。
また、〔この会座 にいない〕他の声聞たちにも語るべきである」(つづく)
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富楼那彌多羅尼子(中村晋也作『薬師寺・釈迦十大弟子』)
世尊は、以上のことをおっしゃられた。そして、実に人格を完成された人である師は、さらに次のように告げられた。
「男性出家者たちよ、巧みなる方便をよく学んだ私の息子〔である〕菩薩が、どのよ
うに修行を行ない、どのようにこの覚りへの修行を実行したのかというこの意義につ
いて、あなたたちは私から聞くがよい。
これらの衆生は、劣ったものに信順の志を持っており、勝れた乗り物に対して畏れを
なしている。そのことを知って、〔私の息子である〕これらの菩薩たちは、方便とし
て声聞となったり、独覚の個別の覚りを示したりするのである。
そして、幾百もの多くの巧みなる方便によって、多くの菩薩たちを成熟させるのであ
る。けれども、私の息子たちは、次のように語るのだ。『実にわれわれは声聞であり、
われわれは、最上にして最高の覚りから遠くにいるのだ』と。
劣ったものに信順の志を持つ、幾コーティもの数え切れないほど多くの怠惰な衆生が、
それらの私の息子たちからこの修行を学びつつ、まさに成熟へと到り、それらの衆生
はすべて、続けてブッダとなるのだ。
また、これらの私の息子たちは、密かに菩薩としての修行を行ない、その一方で『私
たちは、なすべきことの少ない声聞である』と言い、死と生のすべてを厭い離れるふ
りをして、自分の国土を完全に浄化するのである。
それらの私の息子たちは、自分自身が貪愛(貪欲)を抱いていること、さらにまた
憎悪(瞋恚)を抱いていること、愚かさ(愚痴)を持っていることを示して見せ
るのだ。また衆生が誤った見解に執着していることを知っているけれども、それ
らの衆生の誤った見解にさえも依存するふりをするのだ。
私の多くの弟子(声聞)たちは、このように実行しながら、巧みなる方便によっ
て衆生を解脱させるのである。もしも、〔それらの弟子たちによって方便として〕
「男性出家者たちよ、巧みなる方便をよく学んだ私の息子〔である〕菩薩が、どのよ
うに修行を行ない、どのようにこの覚りへの修行を実行したのかというこの意義につ
いて、あなたたちは私から聞くがよい。
これらの衆生は、劣ったものに信順の志を持っており、勝れた乗り物に対して畏れを
なしている。そのことを知って、〔私の息子である〕これらの菩薩たちは、方便とし
て声聞となったり、独覚の個別の覚りを示したりするのである。
そして、幾百もの多くの巧みなる方便によって、多くの菩薩たちを成熟させるのであ
る。けれども、私の息子たちは、次のように語るのだ。『実にわれわれは声聞であり、
われわれは、最上にして最高の覚りから遠くにいるのだ』と。
劣ったものに信順の志を持つ、幾コーティもの数え切れないほど多くの怠惰な衆生が、
それらの私の息子たちからこの修行を学びつつ、まさに成熟へと到り、それらの衆生
はすべて、続けてブッダとなるのだ。
また、これらの私の息子たちは、密かに菩薩としての修行を行ない、その一方で『私
たちは、なすべきことの少ない声聞である』と言い、死と生のすべてを厭い離れるふ
りをして、自分の国土を完全に浄化するのである。
それらの私の息子たちは、自分自身が貪愛(貪欲)を抱いていること、さらにまた
憎悪(瞋恚)を抱いていること、愚かさ(愚痴)を持っていることを示して見せ
るのだ。また衆生が誤った見解に執着していることを知っているけれども、それ
らの衆生の誤った見解にさえも依存するふりをするのだ。
私の多くの弟子(声聞)たちは、このように実行しながら、巧みなる方便によっ
て衆生を解脱させるのである。もしも、〔それらの弟子たちによって方便として〕
なされたことのすべてを明らかにするならば、無智な人たちは惑乱状態になるであろ
男性出家者たちよ、私の弟子であるこの富楼那は、このブッダの智慧を探求しながら、
かつて幾1000・コーティもの数え切れないほど多くのブッダたちのもとで修行したの
であり、それらのブッダたちの正しい教えを獲得したのだ。
あらゆる場合に、この富楼那彌多羅尼子は、最高の声聞であったし、大変に学識があ
り、雄弁で、何ものも畏れるところがなく、人々を歓喜させ、常に怠ることがなく、
常にブッダの仕事をなすことによって衆生に奉仕してきたのだ。
常に大いなる神力に通達しており、4種類の何ものにも妨げられない智慧の獲得者で
あり、衆生の能力の及ぶ範囲を知っていて、常に清浄な法を説き示している。
この上ない最上のこの乗り物において、正法の中で最高のものを説き示しつつ、幾
1000・コーティ・ナユタもの数え切れないほど多くの衆生を成熟させたし、自分の最
も勝れた国土を浄化している。
さらに、未来の世においてもまた、まさにこれまでと同様に幾1000コーティもの数え
切れないほど多くのブッダたちに供養をなすであろうし、正法の中でも最高のものを
獲得し、そして、自分の国土を完全に浄化するであろう。
その富楼那は、何ものも畏れるところがなく、幾1000コーティもの数え切れないほど
多くの方便によって常に法を説き示し、汚れのない、一切知者の智慧において多くの
衆生を成熟させるであろう。
その富楼那は、人々の指導者たちに供養をなし、常に正法の中で最高のものを受持し
て後に、世間おいて十方に広く知られた法明という名前の独立自存するものであるブ
ッダとなるであろう。
その法明の国土は、七宝からなり、極めて清らかで、常に卓越したものとなるであろ
う。その劫は宝明という名前であり、その世界は善浄という名前であるだろう。
善浄という名前の世界には、大いなる神力に精通している幾コーティもの数え切れな
いほど多くの菩薩たちで、それらの清浄で大いなる神力を具えている菩薩たちが遍満
するであろう。
しかも、その時、その指導者には、大いなる神力を具え、8種類の解脱によって禅定
を行じていて、4種類の何ものにも妨げられない智慧に精通している声聞たちのいる
幾1000・コーティもの数え切れないほど多くの集団もまた存在するであろう。
そのブッダの国土において、すべての衆生は清らかであり、純潔の行ないを修し、す
べてが両親なしに自然発生したものたちであり、金色で、32種類の特徴を具えた身体
を有するであろう。
また、そこには、法の喜びと禅定の楽しみという食べ物を除いて食べ物の概念はない
であろう。さらにまた、そこには女性もいなければ(この部分は後世に付加されたと
考えられる)、頽廃もなく、悪しき境遇に対する恐怖もないであろう。
完全なる徳を義えた富楼那の最も勝れた国土は、このようであり、大変に立派な衆生
で満ちているであろう。以上のことは、ほんの少しだけが明かされたにすぎないので
ある」(つづく)
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かつて幾1000・コーティもの数え切れないほど多くのブッダたちのもとで修行したの
であり、それらのブッダたちの正しい教えを獲得したのだ。
あらゆる場合に、この富楼那彌多羅尼子は、最高の声聞であったし、大変に学識があ
り、雄弁で、何ものも畏れるところがなく、人々を歓喜させ、常に怠ることがなく、
常にブッダの仕事をなすことによって衆生に奉仕してきたのだ。
常に大いなる神力に通達しており、4種類の何ものにも妨げられない智慧の獲得者で
あり、衆生の能力の及ぶ範囲を知っていて、常に清浄な法を説き示している。
この上ない最上のこの乗り物において、正法の中で最高のものを説き示しつつ、幾
1000・コーティ・ナユタもの数え切れないほど多くの衆生を成熟させたし、自分の最
も勝れた国土を浄化している。
さらに、未来の世においてもまた、まさにこれまでと同様に幾1000コーティもの数え
切れないほど多くのブッダたちに供養をなすであろうし、正法の中でも最高のものを
獲得し、そして、自分の国土を完全に浄化するであろう。
その富楼那は、何ものも畏れるところがなく、幾1000コーティもの数え切れないほど
多くの方便によって常に法を説き示し、汚れのない、一切知者の智慧において多くの
衆生を成熟させるであろう。
その富楼那は、人々の指導者たちに供養をなし、常に正法の中で最高のものを受持し
て後に、世間おいて十方に広く知られた法明という名前の独立自存するものであるブ
ッダとなるであろう。
その法明の国土は、七宝からなり、極めて清らかで、常に卓越したものとなるであろ
う。その劫は宝明という名前であり、その世界は善浄という名前であるだろう。
善浄という名前の世界には、大いなる神力に精通している幾コーティもの数え切れな
いほど多くの菩薩たちで、それらの清浄で大いなる神力を具えている菩薩たちが遍満
するであろう。
しかも、その時、その指導者には、大いなる神力を具え、8種類の解脱によって禅定
を行じていて、4種類の何ものにも妨げられない智慧に精通している声聞たちのいる
幾1000・コーティもの数え切れないほど多くの集団もまた存在するであろう。
そのブッダの国土において、すべての衆生は清らかであり、純潔の行ないを修し、す
べてが両親なしに自然発生したものたちであり、金色で、32種類の特徴を具えた身体
を有するであろう。
また、そこには、法の喜びと禅定の楽しみという食べ物を除いて食べ物の概念はない
であろう。さらにまた、そこには女性もいなければ(この部分は後世に付加されたと
考えられる)、頽廃もなく、悪しき境遇に対する恐怖もないであろう。
完全なる徳を義えた富楼那の最も勝れた国土は、このようであり、大変に立派な衆生
で満ちているであろう。以上のことは、ほんの少しだけが明かされたにすぎないので
ある」(つづく)
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富楼那彌多羅尼子(中村晋也作『薬師寺・釈迦十大弟子』)
また、それらの世尊であるブッダたちの教えのもとで、富楼那は、寿命の続く限り純潔の行ないを実践し、あらゆる場合に人々から声聞であると思われたのだ。実にその富楼那は〔自分のことを声聞であると思わせるという〕この方便によって、無量の数えることもできない幾100・1000コーティ・ナユタもの衆生に利益を与え、無量の数えることもできない衆生をこの上ない正しく完全な覚りに向けて成熟させた。あらゆる場合にブッダの仕事をなすことによって衆生のために奉仕し、あらゆる場合に自分自身のブッダの国土を完全に清らかにし、衆生の成熟のために専念したのである。
男性出家者たちよ、〔過去の世における〕毘婆尸仏を最初として、私、釈迦牟尼が7番目であるその7人のブッダたちにとってもまた、法の語り部のうちで最第一であったのは、まさにこの富楼那である。
もちろん、男性出家者たちよ、未来の世において〔賢人である千仏が出現して衆生を救うとされる〕このバドラ劫に、1000人から4人のブッダだけが少ない〔996人の〕ブッダたちが出現されるであろう。それらのブッダたちの教えにおいてもまた、法の語り部たちのうちでこの富楼那こそが最第一の人となであろうし、るまた正しい教えの護持者となるであろう。
同様に、この富楼那は、未来の世において、無量の数えることもできない世尊であるブッダたちの正しい教えを護持し、無量の数えることもできない衆生に利益を与え、無量の数えることもできない衆生をこの上ない正しく完全な覚りに向けて成熟させるであろう。また、常に自分自身のブッダの国土の完全なる浄化のため、および衆生を成熟させるために専念するであろう。
その富楼那は、このような菩薩としての修行を成熟して後、無量の数えることもできない劫を経てこの上ない正しく完全な覚りを覚るであろう。その富楼那は、世間において、法明(真理の輝きを持つもの)という名前の正しく完全に覚ったブッダでとなり、このブッダの国土に出現するであろう。
男性出家者たちよ、〔過去の世における〕毘婆尸仏を最初として、私、釈迦牟尼が7番目であるその7人のブッダたちにとってもまた、法の語り部のうちで最第一であったのは、まさにこの富楼那である。
もちろん、男性出家者たちよ、未来の世において〔賢人である千仏が出現して衆生を救うとされる〕このバドラ劫に、1000人から4人のブッダだけが少ない〔996人の〕ブッダたちが出現されるであろう。それらのブッダたちの教えにおいてもまた、法の語り部たちのうちでこの富楼那こそが最第一の人となであろうし、るまた正しい教えの護持者となるであろう。
同様に、この富楼那は、未来の世において、無量の数えることもできない世尊であるブッダたちの正しい教えを護持し、無量の数えることもできない衆生に利益を与え、無量の数えることもできない衆生をこの上ない正しく完全な覚りに向けて成熟させるであろう。また、常に自分自身のブッダの国土の完全なる浄化のため、および衆生を成熟させるために専念するであろう。
その富楼那は、このような菩薩としての修行を成熟して後、無量の数えることもできない劫を経てこの上ない正しく完全な覚りを覚るであろう。その富楼那は、世間において、法明(真理の輝きを持つもの)という名前の正しく完全に覚ったブッダでとなり、このブッダの国土に出現するであろう。
しかもまた、男性出家者たちよ、その時、ガンジス河の砂の数に等しい無量の三千大千世界は一つのブッダの国土となるであろう。そのブッダの国土は、掌のように平坦で、七宝で造られており、山もなく、七宝で飾られた楼閣によって満たされているであろう。
このように、そのブッダの国土は、量り知ることができない多くの威徳を具えてものであるだろう。また、その劫は、宝明(宝石の輝くを持つもの)という名前であろう。その世界は善浄(極めて清らかなところ)という名前であろう。このブッダの寿命の長さは無量で、数えることもできない劫の長きにわたるであろう。
また、神々の天上の乗り物は、虚空に留まっており、神々もまた人間たちを見、人間たちもまた神々を見るであろう。男性出家者たちよ、さらにその時、このブッダの国土は、悪が消滅しており、また女性もいなくなっているであろう。(この部分は後世の付加と考えられる)
また、それらの衆生は、すべて両親なしに自然発生したものたちで、純潔の行ないを修するものたちであり、心によってつくられた身体によっておのずから輝いていて、神力を具え、空中を移動し、努力精進を具え、思慮深くあり、智慧を具え、金色の身体や、偉大な人が具える32種類の身体的特徴によって見事に飾られた姿を持つであろう。
しかもまた、男性出家者たちよ、その時、そのブッダの国土におけるそれらの衆生には2種類の食べ物があるであろう。2種類とは何か?すなわち、法の喜びという食べ(法喜食)と、禅定の喜びという食べ物(禅悦食)である。また、そこには、すべてが大いなる神力を獲得していて、4種類の何ものにも妨げられない智慧に通達し、巧みに衆生に教えを説く幾100・コーティ・ナユタもの無量で数えることもできない菩薩たちが生ずるであろう。また、このブッダには、大いなる神力を具え、偉大なる威徳を持ち、8種類の解脱によって瞑想している計算を超越した多くの声聞たちがいるであろう。
このように、そのブッダの国土は、量り知ることのできない多くの威徳を具えたものであるだろう。また、その劫は、宝明(宝石の輝きを持つもの)という名前であろう。その世界は善浄(極めて清らかなところ)という名前であろう。このブッダの寿命の長さは無量で、数えることもできない劫の長きにわたるであろう。
さらに、その世尊である法明という正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダが、完全なる滅度に入った後、そのブッダの正しい教えは長期間にわたって存続するであろう。
また、その世界は、宝石で造られたストゥーパが遍満しているであろう。男性出家者たちよ、その世尊のブッダの国土は、このように考えることもできない多くの威徳を具えているであろう。(つづく)
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第8章 500人の男性出家者たちへの予言
(五百弟子受記品第8)

富楼那彌多羅尼子(中村晋也作『薬師寺・釈迦十大弟子』)
(五百弟子受記品第8)

富楼那彌多羅尼子(中村晋也作『薬師寺・釈迦十大弟子』)
その時、尊者富楼那彌多羅尼子は、世尊のそばでこのような巧みなる方便の知見という深い意味を込めて語られた教示を聞き、またこれらの偉大なる声聞たちのための未来における成仏の予言や、過去の因縁に関する話、さらには世尊にこの〔牡牛のような〕力強さが具わっていることを聞いて、不思議な思いにとらわれ、驚くべき思いにとらわれた。そして、執着のない、喜悦と歓喜の心で満たされた。
そして、大いなる喜悦と歓喜、および法に対する大いなる尊敬をもって席から立ち上がり、世尊の両足の前に平伏して、次のような考えを抱いた。
「世尊よ、不思議なことです。人格を完成された人よ、不思議なことです。種々の性分をもつこの世間の人々に自分を順応させ、そして多くの巧みなる方便の知見を示すことによって衆生に法を説き示し、あれこれと種々に執着している衆生を、巧みなる方便によって解放する正しく完全に覚られた尊敬されるべきブッダたちは、最もなしがたいことをなされます。世尊よ、この点において、私たちは何をなすことができるでしょうか?〔何もできません。〕ブッダだけが私たちの考えや、過去と結びついた修行についてご存じでありましょう」と。
その富楼那彌多羅尼子は、世尊の両足を頭におしいただくことによって恭しく挨拶してから、世尊に敬礼しつつ、両眼を瞬きすることもなく世尊を見つめながら一隅に立った。
すると、世尊は、尊者富楼那の心の思いをご覧になって、男性出家者の集団のすべてに対して言われた。
「男性出家者たちよ、あなたたちは、この男性出家者の集団の中の法の語り部たちのうちで最第一(説法第一)であると私が決定し、多くの真実の威徳によって称賛し、さらに私のこの教えのもとで正しい教えの獲得のために多くの方法で専念したこの富楼那という声聞を見るがよい。この富楼那は四衆に対して、教えを示し、教化し、励まし、喜ばせる人であり、説法によって倦むことがなく、この法の伝承者にふさわしく、修行の仲間を慈しむ人として適切である。男性出家者たちよ、ブッダを除いてほかには、教えの意味に関しても、あるいは言葉に関しても、理解が富楼那に及ぶことはできないのだ。
男性出家者たちよ、あなたたちはこのことをどう考えるか?この人は、ただ単に私にとって正しい教えの護持者であるのか?しかしながら、男性出家者たちよ、あなたたちはそのように見なすべきではない。それは、どんな理由によってか?
男性出家者たちよ、私は過去の世における99・コーティもの数え切れないほど多くのブッダたちのことを覚えてる。その時、実にこの富楼那は、それらの世尊であるブッダたちの教えのもとで正しい教えを護持したのである。それは、あたかも現在の私の教えにおけるようにである。
その富楼那は、あらゆる場合に法の語り部たちのうちで最第一であったし、あらゆる場合に空の本性に精通し、〔教えと、その意義と、諸法の原語について衆生に説くことにおいて〕何ものにも妨げられない4種類の智を獲得していたし、あらゆる場合に菩薩の神通に通達していた。確信して疑念なく全く清らかに法を説く人であった。(つづく)
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そして、大いなる喜悦と歓喜、および法に対する大いなる尊敬をもって席から立ち上がり、世尊の両足の前に平伏して、次のような考えを抱いた。
「世尊よ、不思議なことです。人格を完成された人よ、不思議なことです。種々の性分をもつこの世間の人々に自分を順応させ、そして多くの巧みなる方便の知見を示すことによって衆生に法を説き示し、あれこれと種々に執着している衆生を、巧みなる方便によって解放する正しく完全に覚られた尊敬されるべきブッダたちは、最もなしがたいことをなされます。世尊よ、この点において、私たちは何をなすことができるでしょうか?〔何もできません。〕ブッダだけが私たちの考えや、過去と結びついた修行についてご存じでありましょう」と。
その富楼那彌多羅尼子は、世尊の両足を頭におしいただくことによって恭しく挨拶してから、世尊に敬礼しつつ、両眼を瞬きすることもなく世尊を見つめながら一隅に立った。
すると、世尊は、尊者富楼那の心の思いをご覧になって、男性出家者の集団のすべてに対して言われた。
「男性出家者たちよ、あなたたちは、この男性出家者の集団の中の法の語り部たちのうちで最第一(説法第一)であると私が決定し、多くの真実の威徳によって称賛し、さらに私のこの教えのもとで正しい教えの獲得のために多くの方法で専念したこの富楼那という声聞を見るがよい。この富楼那は四衆に対して、教えを示し、教化し、励まし、喜ばせる人であり、説法によって倦むことがなく、この法の伝承者にふさわしく、修行の仲間を慈しむ人として適切である。男性出家者たちよ、ブッダを除いてほかには、教えの意味に関しても、あるいは言葉に関しても、理解が富楼那に及ぶことはできないのだ。
男性出家者たちよ、あなたたちはこのことをどう考えるか?この人は、ただ単に私にとって正しい教えの護持者であるのか?しかしながら、男性出家者たちよ、あなたたちはそのように見なすべきではない。それは、どんな理由によってか?
男性出家者たちよ、私は過去の世における99・コーティもの数え切れないほど多くのブッダたちのことを覚えてる。その時、実にこの富楼那は、それらの世尊であるブッダたちの教えのもとで正しい教えを護持したのである。それは、あたかも現在の私の教えにおけるようにである。
その富楼那は、あらゆる場合に法の語り部たちのうちで最第一であったし、あらゆる場合に空の本性に精通し、〔教えと、その意義と、諸法の原語について衆生に説くことにおいて〕何ものにも妨げられない4種類の智を獲得していたし、あらゆる場合に菩薩の神通に通達していた。確信して疑念なく全く清らかに法を説く人であった。(つづく)
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