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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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法華経安楽行品第14 「4つの在り方」を実践する人の多くの功徳

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降魔成道仏(インド・クシナガラ)

 するとその時、世尊はまさに以上の意味を重ねて示しつつ、次の詩を述べられた。

 「人格を完成された人たちによって称賛された卓越した経であるこのような法を、常
 に慈悲の力を示しつつ、常にあらゆる衆生を憐みながら、説き示すべきである。

 〔恐るべき〕後の時代において、在家であれ、出家であれ、また覚りを求めない人で
 あれ、それらのあらゆる人々に対して、その菩薩は、その時、慈悲の力を現わすべき
 である。『法を聞いて後に、それらの人たちが、法をののしることがないように。

 しかも、覚りを得て後、私がブッダの位に立った時、その時、私は巧みなる方便に立
 脚して、それらの人たちを導き、この最高の覚りを聞かせてやりたい』と。

 もちろん軍隊を統率する転輪王は、戦士たちの活躍に満足して、いろいろな種類の黄
 金の飾りを戦士たちに与えるであろう。さらに、象や、馬、戦車、歩兵、町や村を与
 えるであろう。

 転輪王は、ある戦士たちの活躍に満足して、手の飾りや、銀と黄金の糸を与え、さら
 に、その転輪王は満足して、真珠、宝石、螺貝、碧玉、珊瑚、そして種々の召使いを
 与えるであろう。
 
 しかも、そこにおいて、誰かある戦士が、最高の勇敢さによってその転輪王を驚かせ
 る時、『この戦士は、希有なることを成し遂げた』と了解して、その転輪王は王冠を
 はずし、もとどりの中の宝石を与えるであろう。
 
 
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初転法輪像(インド・サールナート)

 まさにそのように、ブッダである私は、法の王であり、忍耐力を具え、多くの智慧の
 蔵を持ち、私は、人々の安寧のために憐憫の情を抱き、同情しつつ、法によってこの
 全世界を統治するのである。

 また、その時、衆生が苦しめられているのを見て、私は幾1000・コーティもの多くの
 経を説く。この世において、煩悩を打破している清らかな衆生の勇敢な前進ぶりを知
 って、

 その時、偉大なる医者で、法の王である私もまた、幾100・コーティもの多くの法門
 を説きつつ、衆生が能力を具え、智慧を有しているのを知って、髻の中の宝石のよう
 なこの経を私は説いたのだ。

 私は世間において、この最後の経を説こう。それは、私のすべての経の中で最高のも
 のであり、私が長い間、保護してきたもので、これまで決して説くことのなかったも
 のである。私は今、それを説き聞かせよう。あなたたちはみな、聞くがよい。

 私が完全なる滅度に入った後で、実践されるべきこれらの4つの在り方は以上のよう
 なものである。だから、最高で最上の覚りを願い求める人たちで、私のために仕事を
 してくれる人たち、

 その人には、憂いも、障害も、醜さも、病もない。さらに、その人には皮膚の黒さも
 なく、粗末な町に住むこともないのだ。

 その偉大なる聖仙は、常に麗しい容姿を持ち、あたかもブッダのように供養されるべ
 きで、その聖仙には常に、侍者として若々しい神々の子たちが伴っているのだ。

 その偉大なる聖仙の継続する身体には、いかなる時にも短剣や、毒薬、さらには棒や
 つちくれでさえも及ぶことは決してない。その偉大なる聖仙に罵りの言葉でさえも言うよ
 うなことがあれば、その人の口は閉ざされてしまうであろう。

 
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 私が完全なる滅度に入った後に、この経を受持する人は、この世において生命あるも
 のたちにとっての親族であり、光明を発し、幾コーティもの多くの生命あるものたち
 の暗闇を取り除きながら、太陽を活発に遍歴しているのだ。

 その偉大なる聖仙は、夢の中で〔自分の〕素晴らしい姿を見る。すなわち、その聖仙
 は、自己の身体が獅子座に坐っていて、多くの種類の法を男性出家者たちや、女性出
 家者たちに説き明かしているのを見るのだ。

 その偉大なる聖仙は、夢の中でガンジス河の砂の数のように多くの種類の神々や、ヤ
 クシャ、アスラ、龍たちを見る。夢の中でその偉大なる聖仙は、合掌しているそれら
 のすべてのものたちに最高の法を説いているのだ。

 その偉大なる聖仙は、夢の中で、ブッダが幾コーティもの多くの生命あるものたちに
 法を説いていて、黄金の皮膚の色を持つ保護者が幾千もの光明と甘美な声を発してい
 るのを見る。

 しかも、その偉大なる聖仙は、その夢の中で、両足で歩くもののうちで最上の人であ
 る賢者を称讃しながら合掌して立っていて、その偉大なる医者である勝利者は、四衆
 のために最高の法を説いている。

 また、その偉大なる聖仙は、その両足で歩くもののうちで最上の人の説法を聞いて、
 喜び、歓喜を生じて、その賢者に供養をなす。さらに、その偉大なる聖仙は、夢の中
 でダーラニーを得て後に、不退転の知を速やかに獲得するのだ。

 
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 また、その聖仙の保護者は、その偉大なる聖仙の意向を知って、その偉大なる聖仙に
 牡牛 おうしのように偉大な人の位に到るであろうという予言をする。『良家の息子よ、あな
 たもまた、この世で未来の世において、この上ないめでたい知を得るであろう。

 あなたのブッダの国土もまた、広大なものであるだろう。また、あなたの四衆たちは
 まさに私の四衆たちと同じように、大変に敬虔 けいけんであり、合掌して、汚れのない広大な
 法を聞くであろう』と。

 さらにまた、その偉大なる聖仙は、夢の中で岩の洞穴において法を修行している自分
 の身体を見る。法を修行して後、また〔法を法たらしめる〕根本の理法(法性 ほっしょう)に
 到達して後、三昧 さんまいを得たその偉大なる聖仙は、勝利者に出会うのだ。

 夢の中で、身が金色 こんじきで、幾百もの福徳の相を具えているブッダに出会って、法を聞
 き、聞いて後に、偉大なる聖仙は、集会においてその法を説き明かした。実にその偉
 大なる聖仙の見る夢は、このようなものなのだ。

 夢の中でも、王国や、後宮 こうきゅう、同じく親族一同をすべて捨てて、すべての愛欲を捨て
 去って出家し、このようにして覚りの座に近づいた。

 覚りを求めるその人は、その菩提樹の根もとにあるその獅子座に坐り、こうして7日
 間が経過した後、ブッダたちの知を獲得するであろう。

 覚りを獲得して、その獅子座から立ち上がって、その偉大なる聖仙は、実に汚れのな
 い真理の車輪を転じ、四衆たちに幾1000・コーティ劫もの考えることもできない長い
 間、法を説いた。

 そこにおいて、汚れのない法を説き示し、幾コーティもの多くの生命あるものたちを
 涅槃に到らせた後に、油がなくなって燈明が燃え尽きるように、その偉大なる聖仙は
 涅槃に入って消え去るのだ。その偉大なる聖仙の見る夢はこのようなものである。

 文殊師利よ、〔恐るべき〕後の時代に、私が巧みに説き示したこの最高の法であるこ
 の経を説き明かす人には、無限の多くの功徳が常に具わるであろう」

 以上が、聖なる「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門の中の「安楽の住所の章」という名前の第13章である。          (安楽行品第14おわり)

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【 2023/01/13 05:28 】

第13章 安楽の住所(安楽行品第14)  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

法華経安楽行品第14 髻中明珠【けいちゅうみょうしゅ】の譬えを説く

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 文殊師利よ、過去・未来・現在の正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダたちによって、この法門は常に守護されているのだ。文殊師利よ、多くの世界においてこの法門の説かれる声、あるいは音声、あるいは名前を聞くことは得難いのである。

 文殊師利よ、それは、あたかも軍隊を統率する転輪王 てんりんのうがいて、武力によってその自分の王国を征服するようなものである。そこで、その転輪王の対抗者で敵対者である敵の王たちが、その転輪王と戦闘状態に陥ることになる。その時、その軍隊を統率する転輪王には、種々の戦士たちがいて、それらの戦士たちは、それらの敵と戦うのだ。

 そこで、その転輪王は、それらの戦士たちが戦っているのを見て、それらの戦士たちに満足し、狂喜する。その転輪王は、満足するや否や、狂喜して、それらの戦士たちに種々の恩賞を与える。

 すなわち、村か、あるいは村の土地を与え、町か、あるいは町の土地を与え、衣服を与え、帯や、手の飾り、足の飾り、首飾り、耳飾り、黄金の糸、半連の真珠の首飾り、金貨、黄金、宝石、真珠、瑠璃 るり螺貝 らがい碧玉 へきぎょく珊瑚 さんごでさえも与え、象や、馬、戦車、歩兵、女召使い、召使いでさえも与え、乗り物や輿 こしも与える。

 
ダウンロード (6)

 しかしながら、決して誰にももとどりの中の宝石を与えることはないのだ。それは、どんな理由によってか?王には、頭頂の髻の中にその宝石がたった一つしかないからだ。

 しかしながら、文殊師利よ、王がその髻の中の宝石でさえも与える時、王のその〔歩兵・騎兵・象軍・戦車の〕4種類の兵より成る完全な軍隊はすべて、不思議な思いにとらわれ、驚くべき思いを抱くのだ。

 まさにこのように、文殊師利よ、法の所有者でありる正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダもまた、自分の腕の力という軍勢によって征服し、福徳の力という軍勢によって征服した法によって、三界における法の王国を支配するのである。

 ところが、悪魔のパーピーヤス(波旬 はじゅん)が、そのブッダの三界を侵略してくるのだ。そこで、ブッダの聖なる戦士たちもまた、悪魔と戦うのだ。その時、文殊師利よ、それらの聖なる戦士たちが戦っている時、法の所有者であり、法の王である正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダもまた、それを見て、それらの四衆たちを喜ばせるために種々の幾100・1000の経を説いた。そして、これらの人たちに涅槃 ねはん都城 とじょうである卓越した法の都城を与え、〔小乗の〕涅槃によってそれらの人たちを誘引した。けれども、「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」というこのような法門を説くことはなかった。

 文殊師利よ、それは、あたかもそれらの戦士たちが戦っている時、軍隊を統率するその転輪王が、戦士たちの偉大なる雄々しい行動に驚くや否や、自分の所有するすべてのうちの最後のもので、あらゆる世間の人々にとって信じ難く、驚きである髻の中のその宝石を与えるようなものだ。文殊師利よ、あたかもその王の髻の中のその宝石が、頭頂にあって長い間、保護されてきたように、三界における法の王で、法によって王国を支配している正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダもまた、まさにそのように法門を説くのだ。

ダウンロード

 ブッダは、声聞たちと菩薩たちが、しきじゅそうぎょうしき五蘊 ごうん五陰 ごおん)という魔(陰魔 おんま)、あるいは煩悩という魔(煩悩魔 ぼんのうま)と戦っているのを見たり、さらに、それらの〔の魔〕と戦っているものたちが、貪愛・憎悪・迷妄〔すなわち、貪欲 とんよく瞋恚 しんに愚痴 ぐち三毒 さんどく〕を滅して、あらゆる三界から出離し、一切の魔を撃退し、偉大なる雄々しい行動をなした時、正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダもまた、大いに喜ぶや否や、それらの聖なる戦士たちに、すべての世間の人々にとって受け容れ難く、すべての世間の人々にとって信じ難く、未だかつて説かれたことも、示されたこともない、このような法門を説かれるのだ。ブッダは、髻の中の卓越した宝石に似た、あらゆる衆生に一切知者となることを得させる法門を声聞たいに与えるのだ。

 文殊師利よ、実にこれはブッダたちの最高の説法であり、ブッダたちの最後の法門であり、すべての法門の中で、この法門は全く深遠なもので、すべての世間の人々にとって受け容れ難いものでる。

 文殊師利よ、その軍隊を統率する転輪王が、長い間、保護してきた髻の中の宝石を取り外して、戦士たちに与えたように、まさにそのように、文殊師利よ、ブッダもまた長い間、保護してきた、あらゆる法門の頂点(頭頂)にあり、ただブッダによってのみ知られるべきこの法の秘伝を、ブッダは今、説き明かされたのである」と。(つづく)

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【 2023/01/10 05:33 】

第13章 安楽の住所(安楽行品第14)  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

法華経安楽行品第14 第4の在り方=覚りを熱望させる

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 そのほか、さらに文殊師利よ、ブッダが完全なる滅度に入った後、正しい教えが滅亡に向かっている時、この法門を受持することを望んでいる偉大な人である菩薩がいる。その男性出家者は、在家者と出家者たちのそばから遥かに遠く離れて過ごすべきであり、慈しみに基づいた過ごし方をするべきである。

 覚りを目指してまだ出て立っていない衆生のすべてに対して、熱望を生じさせるべきであり、またこの男性出家者は、次のように考えを起こすべきである。

 『ああ、これらの衆生は、ブッダの巧みなる方便である深い意味を込めて語られた言葉を聞くこともなく、知ることもなく、理解することもなく、質問することもなく、信じることもなく、信順することもない極めて愚かな性質を持つものたちである。また、これらの衆生は、この法門に悟入することもなく、理解することもない。けれども、私は、この上ない正しく完全な覚りを覚って後、誰が、どこに住していようとも、まさにそこにおいてその人を、神通の力によって引きつけ、信じさせ、悟入させ、成熟させるであろう』

ダウンロード (4)

 文殊師利よ、以上の4つの在り方を具えた偉大な人である菩薩はブッダが完全なる滅度に入った後、この法門を示しながら他者に苦痛を与えるという過失がなく、男性出家者・女性出家者・男性在家信者・女性在家信者たちによって、また、王や王子、王に仕える大臣、王に仕える高位の人、バラモンや資産家たちによって称賛され、尊重され、尊敬され、供養されるのだ。また、空中に住する神々たちは、この菩薩を信じて、法を聞くためにこの菩薩の後に付き従うであろう。そして、神々の子たちは、この菩薩を守護するために常に付き従うであろう。この人が村の中にいても、あるいは精舎の中にいても、法について尋ねる人たちが昼夜に近づいてきて、その菩薩の解説を聞くことによって満足し、心が高揚し、狂喜するであろう。

 それは、どんな理由によってか?文殊師利よ、この法門は、すべてのブッダたちによって守護されているからである。(つづく)

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【 2023/01/06 05:17 】

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法華経安楽行品第14 第3の在り方=不安な思いを生じさせない

 ダウンロード (2)

 そのほか、さらに、文殊師利よ、ブッダが完全なる滅度に入った後、正しい教えが滅亡に向かっている時、この経を受持している菩薩は、ねたむこともなく、偽ることもなく、欺瞞 ぎまんもない偉大な人である菩薩であって、菩薩のための乗り物に属する他の人たちに非難の言葉を言うこともなく、ののしることもなく、呵責 かしゃくすることもないのだ。

 また、声聞のための乗り物に属するものたちであれ、独覚果に到るための乗り物に属するものたちであれ、菩薩のための乗り物に属するものたちであれ、他の男性出家者・女性出家者・男性在家信者・女性在家信者たちに不安な思いを生じさせることはないのだ。
 
 『良家の息子たちよ、あなたたちは、この上ない正しく完全な覚りから遠く隔たった所にいる。従って、あなたたちは、この上ない正しく完全な覚りの中に見出されることはないのだ。あなたたちは、あまりにも怠慢に過ごしている。だから、あなたたちはブッダのその知を覚ることはできないのだ』と、このようなことを言って、菩薩のための乗り物に属する誰にであれ、不安な思いを生じさせるようなことは決してないのだ。
 
 また、法に関する論争をなさず、あらゆる衆生に対する慈悲の力を捨て去ることはない。すべてのブッダに対して父という思いを抱き、すべての菩薩に対して師という思いを抱く、十方の世間にいる偉大な人である菩薩に対して常に高潔な心を持って、また尊敬の念を持って敬礼するのだ。

 また、法を説きつつも、その人は、法に対する平等な熱意から、より少ないこともなく、より多いこともなく法を説くのだ。また、この法門を説き明かしながら、法に対する熱意からでさえも、誰であれ他より一層勝れた好意を、決して特定の人に対して示すことはない。
 
 文殊師利よ、この第3の在り方(法)を具えた偉大な人である菩薩は、ブッダが完全なる滅度に入った後、正しい教えが滅亡に向かっている時、この法門を説き明かしながら、快い感触を楽しみ、危害を加えられることなく、この法門を説き明かすのだ。

 また、この菩薩が法を詠唱すると、一緒に詠唱する同伴者たちが現われ、さらに、この菩薩から法を聞こうとする者が出現するであろう。それらの人たちは、この法門をこの菩薩から聞き、信じ、信受し、受持し、完全に理解し、自ら書写し、他者にも書写させ、そして写本になしてから、称賛し、尊重し、尊敬し、供養するであろう」

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平家納経・安楽行品第十四

 世尊は、以上のことを話された。人格を完成された人は、以上のことを語られると、その後、その師は次のように話された。

 「説法者は、不正直や、高慢、またずるさも、余すところなく捨て去るべきであり、同
 様にこの経を説き明かすことを求める賢者は、決して嫉妬 しっとをするべきではない。

 その人は、決して誰に対しても非難の言葉を言うべきではないし、また、見解をめぐ
 っての論争も決してなすべきではない。『あなたは、この上ないブッダの知を得るこ
 とはないであろう』と言って、他者に不安な思いを抱かせる状態を決して作り出すべ
 きではない。
 
 人格を完成した人の息子であるその菩薩は、常に誠実で、柔和で、〔侮辱や苦難を〕
 耐え忍んでいる。この法を繰り返して説き示すがよい。その人には、いかなる時にも
 決して倦怠感が生ずることはないのだ。
 
 『十方の世間において、衆生に対する慈しみによって行動する菩薩はすべて、私の師
 である』と考えて、賢者は、それらの菩薩に対する尊敬の念を抱くべきである。

 両足で歩くもののうちで最上の人であるブッダたちを念じて、勝利者たちに対して常
 に父という思いをなすべきである。そして、高慢な思いをすべて捨て去った時、その
 人には法を説くに当たって障害となるものは存在しないのだ。
 
 このような第3の在り方を聞いて、その時、賢者はその在り方を守るべきである。そ
 の賢者は、安楽に過ごすことに心を集中して、幾コーティもの多くの生命あるものた
 ちによってしっかりと守護されるのだ。(つづく)

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【 2023/01/03 05:26 】

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法華経安楽行品第14 第2の在り方=非難せず歓喜と満足を与える

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 そのほかさらに、文殊師利よ、ブッダが完全なる滅度に入った後で、〔恐るべき〕後の時代、後の状況において、後の500年に、正しい教えの滅亡が進行しつつあるとき、この法門を説き示すことを欲する偉大な人である菩薩は、安楽の境地に住していて、体現されたか、あるいは写本にされた法を説くのだ。

 また、他の人たちに教えを説き示しながら、その菩薩は、度を越して人を難詰するようなことはない。また、説法者としての他の男性出家者たちを非難することもなく、誹謗を口にすることもなく、中傷を発することもない。声聞のための乗り物に属する他の男性出家者たちの名前を挙げて誹謗を口にすることもなく、誹謗を他者にさせることもなく、それらの男性出家者たちに敵意を抱くこともないのだ。

 それは、どんな理由によってか?もちろん、それは、その人が安楽の境地に住しているからである。その菩薩は、法を聞くことを求めて次々にやって来る人たちのために、快く誰でも受け容れて法を説くのである。口論することもなく、また質問をされても、声聞のための乗り物という教えによって答えることはない。けれども、その菩薩は、質問した人がブッダの智慧を覚ることができるように、そのように答えるのである。

 
その時、世尊は次の詩を述べられた。

 「聡明なる菩薩は、常に安楽の境地に住していて、清らかで、心にかなった場所に高
 い座席を設けて、安らかに坐って、そのように安らかに法を説いている。

 また、その菩薩は、極めて適切な色の染料によって染められた清らかな色の修行者の
 衣を着て同じく黒い衣類を身に着けまた大きくてゆったりとした衣類を着ている。

 足をきれいに洗い、さらにまた頭と顔に油を塗って、足台がついていてカラフルな布
 できれいに覆われた座席に登り、そこに坐っている。

 また、一つのことに集中する熱心な衆生が集まって来た時、この法座に坐って、いろ
 いろな多くの話を簡潔にまとめてしてやるがよい。まさに、男性出家者たちや、女性
 出家者たちにも、

 また、男性在家信者や女性在家信者、王、同じく王子たちにも、その賢者は、常に嫌
 な顔をしないで種々の意味を持つ感動的な話を語るべきである。

 その時、それらの人たちから質問されたとしても、この菩薩は、その人に適切な意味
 をさらに示すべきである。そして、それを聞いて、それらの人たちが覚りを得ること
 ができるように、そのようにその意味のすべてを説き示すべきである。

 さらにまた、賢者は怠慢であることを避け、また怠慢館を生じさせることなく、倦怠
 感をすべて捨て去って、聴衆のために慈悲の力を起こすべきである。

 また、その賢者は、幾コーティ・ナユタもの多くの譬喩 ひゆによって、日夜に最高の法を
 説いて、聴衆を歓喜させ、まさにそのようにして満足させるべきである。また、そこ
 で決して何も見返りを求めてはならない。

ダウンロード

 んで食べる堅い食べ物や、噛まなくても食べられる軟らかい食べ物、同様に飲食物
 あるいは衣服、寝具と坐具、乞食 こつじき修行者の衣、病気に対する薬のことを考えるべきで
 はない。聴衆に対して決して何も要求すべきであはない。


 他方において、聡明な人は、『私も、これらの衆生も、ともにブッダになりますよう
 に。このように願って、私が衆生に安楽をもたらす「白蓮華のように最も勝れた正し
 い教え」
という法門を、私は、衆生の幸福のために世間において説き聞かせよう』と
 常に考えるべきである。

 私が完全なる滅度に入った後で、実に他者を妬むことなくこの法を説き明かす男性出
 家者にはいかなる時にも決して苦しみもなく障害もなく憂いや悩みもないのだ。

 その賢者には、決して誰も畏れさせることなく、打撃を与えることもなく、非難の言
 葉を浴びせることもまたないであろう。さらにまた、その賢者には、追放されること
 も決してないであろう。

 それは、その賢者が、このように忍耐力〔という基盤〕にしっかりと立っているから
 である。

 その時、私が言った通りに実践し、安楽の境地に住している賢者には、幾100・コー
 ティ・ナユタもの多くの威徳が具わっており、幾100劫を経てもそれらを言い尽くす
 ことはできないのだ。

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【 2022/12/30 05:32 】

第13章 安楽の住所(安楽行品第14)  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |
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