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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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法華経如来寿量品第16 私は、繰り返して衆生の世界に出現する

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 そこで、世尊は、まさに以上の意味するところをさらに重ねて示しながら、その時、次の詩を述べられた。

 「その時、私はこの最高の覚りを得た。そして、その量が決して知られることのない
 幾1000・コーティ劫もの考えることもできない間、私は常に法を説いているのだ。

 私は多くの菩薩たちを教化して、ブッダの知において確立させ、そしてこのように幾
 コーティ・ナユタもの多くの衆生を、幾コーティもの多くの劫にわたって成熟させる
 のである。

 そして、衆生を教化するために、私は巧みなる方便を示して、完全なる滅度の境地を
 現わすのだ。けれども私は、その時、実際には完全なる滅度に入るのではなく、まさ
 にこの世において法を説き続けているのである。

 また、私は自分に神通力をかけてここに
示現 じげんしている。私は、すべての衆生にもまさ
 に同様に神通力をかけているのであって、そのため、理解力が倒錯し、そして愚かで
 ある人々は、私がまさにここに存在し続けているにもかかわらず、私を見ることがな
 いのだ。

 私自身の身体が、完全に消滅したのを見て後、それらの衆生は、遺体に対していろい
 ろな供養をなす。そして、私に会うことがないので、それらの衆生は渇望する心を生
 ずるのだ。そこで、それらの衆生の心は、素直さを得るのである。

 それらの衆生が素直で柔軟で、温和で、また愛欲を離れた状態になった時、その時、
 私は、声聞たちの集団を形成して、霊鷲山 りょうじゅせんに自分の姿を現わすのだ。

 そして、その後、私はそれらの衆生に次のように告げるのだ。『その時、私はこの世
 において、完全なる滅度に入ったのではないのだ。完全なる滅度に入ったように見せ
 るのは、私の巧みなる方便なのだ』と。男性出家者たちよ、私は繰り返して、生き物
 の世界に出現するのである。

 他の国土の衆生は、私を尊敬している。私は、それらの他の国土の衆生に私の最高の
 覚りを示すのだ。ところが、あなたたちは、私の声を聞くことがなく、他方において
 『その世間の保護者は涅槃に入られた』と思っている。

 私は、衆生が悲しみに打ちひしがれているのを見る。しかしながら、私はその時、自
 分の身体を現わすことはない。まず第一に、それらの衆生に私を見ることを熱望させ
 ているのだ。渇望した者たちには、正しい教えを説き示すであろう。

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ブッダ釈尊が法華経を説かれたとされる霊鷲山の香室跡

 私のこの神通の力は、常にこのようなものである。そして、考えることもできない幾
 1000・コーティ劫もの間、私は幾コーティもの寝台や座席を具えたこの霊鷲山から別
 の所へと去ることはない。

 衆生がこの世界を焼かれていると見たり想像したりするときにも、私のこのブッダ
 の国土は、神々と人間たちで満たされているのだ。

 それらの衆生には、いろいろな遊びの楽しみや、幾コーティもの遊園、楼閣、宮殿が
 あり、その私のブッダの国土は、宝石でできた山々や、宝石でできた花や果実をつけ
 た諸々の樹木で飾られている。

 上方では、神々が楽器を鳴り響かせ、曼陀羅華 まんだらけの花の雨を私にふり注ぎ、そして声聞
 たちや、覚りに向かって今、出て立った他の賢者たちに注ぎかけている。
 
 また、私のこの国土は、このように常に存在し続けている。けれども他の人たちは、
 この国土が焼かれていると想像し、世界を極めて恐ろしく、苦しめられ、幾百もの憂
 いが散り乱れている所だと見るのである。
 
 さらに、それらの衆生は、幾コーティもの多くの劫を経ても、私の名前、ブッダとい
 う言葉、ダルマ(法)という言葉、あるいはサンガ(
僧伽 そうぎゃ)という言葉〔、すなわ
 ち三宝 さんぼうという言葉〕さえも決して聞くことがない。悪い行ないの結果はこのよ
 うなものである。
 
 しかし、温和で柔和な衆生が、この人間の世界に生まれた時、生まれるや否や、
 立派な行ないの結果によって、私が法を説いているのを見るのである。
 
 また私は、このブッダの仕事がこのように終わりなきものであることを、それら
 の衆生に対していかなる時にも決して話していない。それ故に、久しい時間の後
 に私は姿を現わし、そこにおいてもまた、私は説くのだ。『勝利者たちは極めて
 会い難い』と。

 私のこの知の力は、決して限界が存在せず。このように、最も輝かしいものであ
 る。しかも、私の寿命は長く、無限の劫にわたっている。私は昔、それを修行を
 して獲得したのである。

 賢者たちよ、あなたたちは、ここにおいて疑いをなしてはならない。そして、疑
 惑を残らず捨て去るがよい。私は、この真実の言葉を語るのだ。実に、私の言葉
 は、いかなる時にも決して偽りではないであろう。
 
ダウンロード (1)

 あたかも、巧みなる方便を獲得したその医者が、倒錯した意識状態の息子たちに対し
 て、生きている自分のことを、『死んだ』と告げたとしても、虚偽という理由で賢者
 がその医者を責めないようなものである。

 
まさにこのように、私は世間の人々の父であり、独立自存するものであり、医者であ
 り、すべての生きとし生けるものの保護者である、そして、凡夫たちが意識の倒錯し
 た患者であると知って、私は、完全なる滅度に入ることはないが、完全なる滅度に入
 った姿を示すのである。

 理由は何か?私を常に見ることで、愚かな無知の人々は、浄信がなく、依存して、愛
 欲に酔いしれていて、怠惰のゆえに、悪しき境遇にするからである。

 私は、常に衆生のそれぞれの行ないを知って、それぞれに応じたやり方で衆生に教え
 を説くのだ。『いったい、どうやって衆生を覚りに到達させようか。どうしたら、衆
 生がブッダの性質を得るものとなるであろうか』と。

 以上が、聖なる「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門の中の「ブッダの寿命の長さの章」という名前の第15章である。     (如来寿量品第16おわり)

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【 2023/02/14 05:26 】

第15章 ブッダの寿命の長さ(如来寿量品第16)  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

法華経如来寿量品第16 ブッダは永遠に菩薩道を実践し、方便として涅槃を現ずる

 ダウンロード (2)

 菩薩の群衆からこのように言われて、世尊は、それらの偉大な人である菩薩たちに次のようにおっしゃられた。

 「良家の息子たちよ、私はあなたたちに告げよう。私はあなたたちに知らせよう。良家の息子たちよ、その人がそれらの原子の粒を下に置いた世界、そして下に置かなかったそれほど多くの世界ーそれらの幾100・1000・コーティ・ナユタものすべての世界における原子の粒は、私がこの上ない正しく完全な覚りを覚った後に経過した幾100・1000・コーティ・ナユタ劫もの多くの数に比べて、それほど多くはないと知られるのだ。その時以来、私はこのサハー世界、および他の幾100・1000・コーティ・ナユタもの世界において、衆生に法を説いているのである。

 そして、良家の息子たちよ、その間において、私が宣説してきた燃燈仏をはじめとする正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダたちの完全なる滅度は、良家の息子たちよ、実に私が巧みなる方便によって法を教授するために作り出したものである。

 しかるにまた、良家の息子たちよ、ブッダはひっきりなしにやって来る衆生の智慧の能力差や、努力精進を開始してからの長さの違いを洞察して、それぞれの国土でブッダとしての自分の名前をそれぞれに名乗るのだ。そして、それぞれの国土で自分の完全なる涅槃について述べ、そして、種々の法門によってそれぞれのやり方で衆生を大いに喜ばせるのである。そこにおいて、良家の息子たちよ、善い果報をもたらす立派な行ないが乏しく、多くの煩悩を持ち、種々の信順の志を持つ衆生に、ブッダは次のように語るのだ。

 『男性出家者たちよ、私は、生まれて後に年若くして出家した。男性出家者たちよ、私が、この上ない正しく完全な覚りを覚ったのは、久からざる過去であったのだ』

 ところが実に、良家の息子たちよ、ブッダは、はるかな昔に覚りに達していても、このように『私が覚ったのは、久しからざる過去であったのだ』と語るということーこれらの法門を語ったのは、衆生を成熟させ覚りに入らせるため以外にはないのだ。また、良家の息子たちよ、ブッダはそれらのすべての法門を、衆生を教化するために説かれたのである。

 また、良家の息子たちよ、ブッダが自分のことを
明瞭 めいりょうに示すことによって、〔あるいは他人のことを明瞭に示すことによって、〕あるいは自分を拠り所として、あるいは他者を拠り所として、ブッダの語られることが何であれ、ここにおいてブッダに虚言は存在しないのである。それは、どんな理由によってか?ブッダは、〔衆生が輪廻 りんねする迷いの世界である欲界 よくかい色界 しきかい無色界 むしきかいの〕三界を、実にあるがままに見ているからである

 三界は、生まれることもなく、死ぬこともなく、消滅することもなく、生ずることもなく、生存領域の循環(輪廻)を繰り返すことなく、涅槃することもなく、真実でもなく、
虚妄 こもうでもなく、あるのでもなく、ないのでもなく、このようであるのでもなく、別のようなものであるのでもなく、虚偽でもなく、真理でもない。ブッダは、愚かな凡人たちが見るような見方で三界を見ることはないのだ。ブッダは、実に三界を明らかに見るものであり、この点においては見誤ることのないものである。

 その場合、ブッダがいかなる言葉を語るとしても、それはすべて真実であり、偽りでもなく、虚妄でもないのだ。衆生は、さまざまな行ないをなし、さまざまな願望を持ち、誤った想念と虚妄によって行動する。その衆生に善い果報をもたらす立派な行ないを生じさせるために、ブッダは種々の法門をさまざまな拠り所によって説くのである。

 良家の息子たちよ、ブッダは、実にブッダがなすべきことをなすのである。ブッダは、それほどに遥かな昔に覚りに達し、量ることのできない寿命の長さを持ち、常に存在し続けているのである。ブッダは、完全な滅度に入ったことはなく、〔衆生を〕教化することを願って完全なる滅度を示してみせるのである。また、良家の息子たちよ、私は、私の過去における菩薩としての修行を今なお未だに完成させていないし、寿命の長ささえも、未だに満たされていないのである。

ダウンロード (9)
釈尊涅槃像(インド・クシナガラ)

 しかもまた、良家の息子たちよ、私の寿命の長さが満たされるに至るまで、私にとって今なおその〔久遠に成道してから現在に至るまでの時間の〕2倍、〔すなわち、現在から未来へとさらに〕幾100・1000・コーティ・ナユタ劫にわたるであろう。だから今、良家の息子たちよ、私は実に完全なる滅度に入ることはないのに、私は、完全なる滅度に入るだろうということを告げるのである。

 それは、どんな理由によってか?良家の息子たちよ、私は、次のようにして衆生を完成させるからだ。私があまりにもこの世に長く存在し続けると、私を絶えず見ることができることで、衆生は善い果報をもたらす立派な行ないをなさず、福徳を欠き、困窮して、愛欲を貪り、盲目のために誤った見解の網に覆われるのだ。
 
 願わくは、衆生が『ブッダは常に存在し続けている』と考えて、ブッダを求める思いが鈍ることがないように、またブッダに対して会い難い思いを生じないことがないように、また、衆生が『われわれはブッダの近くにいる』と考えて、三界から出離するための努力精進をなさなかったり、ブッダにおいて会い難い思いを抱かなかったりすることがないように。
 
 ゆえに、良家の息子たちよ、ブッダは巧みなる方便によってそれらの衆生に、

 『男性出家者たちよ、ブッダがこの世に出現するのは実にまれなことである』

 という言葉を述べたのである。それは、どんな理由によってか?それは、それらの衆生にとって、幾100・1000・コーティ・ナユタ劫もの長い時間が経過しても、ブッダを見ることが可能であるか否か分からないからである。実にそこにおいて、良家の息子たちよ、私はその時、以上のことを拠り所となして、次のように告げるのだ。

 『男性出家者たちよ、ブッダがこの世に出現するのは実にまれなことである』と。
 
 それらの衆生は、ブッダが、この世に出現するのはまれであることをよくよく知って、不思議な思いを生じ、憂いの思いを生じ、そして正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダを見ることがないので、ブッダを見ることを渇望するようになるであろう。ブッダの拠り所に熟慮をなすことによって、衆生が積むその善い果報をもたらす立派な行ないは、長期間にわたってそれらの衆生を利益と善と安楽とに導くであろう。この道理を考えて、ブッダは、実に完全なる滅度に入ることがないのに、衆生を教化するという願望の故に、ブッダは完全なる滅度に入るだろうと告げるのである。良家の息子たちよ、このように言うことが、ブッダのこの法門であって、ここにおいてブッダに虚言は存在しないのである。(つづく)

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【 2023/02/07 05:32 】

第15章 ブッダの寿命の長さ(如来寿量品第16)  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

法華経如来寿量品第16 久遠における成道を明かす

第15章 ブッダの寿命の長さ
如来寿量品 にょらいじゅりょうほん第16)

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 その時、世尊はすべての菩薩の群衆に語りかけられた。

 「良家の息子たちよ、私を信じなさい。真実の言葉を語っているブッダを信じなさい」

 また世尊は、2度目にその菩薩たちに語りかけられた。

 「良家の息子たちよ、私を信じなさい。真実の言葉を語っているブッダを信じなさい」

 また世尊は、3度目にその菩薩たちに語りかけられた。

 「良家の息子たちよ、私を信じなさい。真実の言葉を語っているブッダを信じなさい」

 その時、実にそのすべての菩薩の群衆は、偉大な人である弥勒菩薩を最前に立たせて、合掌して、世尊に次のように申し上げた。

 「世尊は、まさにこの意味をお話しください。人格を完成された人は、お話しください。私たちは、ブッダの語られたことを信ずるでありましょう」

 また、2度目にそのすべての菩薩の群衆は世尊に次のように申し上げた。

 「世尊は、まさにこの意味をお話しください。人格を完成された人は、お話しください。私たちは、
ブッダの語られたことを信ずるでありましょう」

 
また、3度目にそのすべての菩薩の群衆は世尊に次のように申し上げた。

 「世尊は、まさにこの意味をお話しください。人格を完成された人は、お話しください。私たちは、
ブッダの語られたことを信ずるでありましょう」

ダウンロード (1)

 その時、世尊は、それらの菩薩たちが3度までも懇請するのを知って、それらの菩薩たちに語りかけられた。

 「良家の息子たちよ、それならば、あなたたちは、ここで私が次のような神通の力を持っていることを聞くがよい。良家の息子たちよ、神々や、人間、アスラに伴われているこの世間の人々は、私のことを次のように了解しているのだ。

 「世尊であり、釈迦族出身の聖者であるブッダは、釈迦族の高貴な家から出家して、ガヤーという名前の大きな都城において最も勝れた覚りの座に到ったことによって、今、この上ない正しく完全な覚りを覚られたのだ」と。
 
 けれども、そのように見なすべきではない。それどころか、良家の息子たちよ、実に私がこの上ない正しく完全な覚りを覚って以来、幾100・1000・コーティ・ナユタ劫もの長い時間が経過しているのである。

 良家の息子たちよ、譬えば500万・コーティ・ナユタもの世界が大地の構成要素である原子から成っているとしよう。その時、誰かある人が現われ、一つの原子の粒をつかみ取って、東の方向に向かって500万もの無数の世界を過ぎ去って、その一つの原子の粒を下に置くとしよう。このようにして、すべての大地を構成する原子の粒を東の方角に行きながら、目印として一つずつ下に置いていって、幾100・1000・コーティ・ナユタ劫にわたって、その人がそれらのすべての世界を大地の構成要素がなくなった状態にするとしよう。良家の息子たちよ、そのことをあなたたちはどう思うか。それらの世界を、誰かが考えることや、あるいは数えること、あるいは量ること、あるいは観察することが可能であろうか?

 世尊からこのように言われて、偉大な人である弥勒菩薩と、そのすべての群衆、菩薩の集団は、世尊に次のように申し上げた。

 「世尊よ、それらの世界は計算することもできず、数えることもできず、思考の範囲を超越しています。また、世尊よ、すべての声聞や、独覚たちでさえも聖なる知によって考えることも、数えることも、量ることも、あるいは観察することもできません。先ず第一に、世尊よ、不退転の位に立っている偉大な人である菩薩の私たちにとっても、思考できる範囲が、その領域に及ぶことはないのです。世尊よ、それらの世界は、それほどに量り知ることができないでありましょう」と。(つづく)

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【 2023/02/03 05:31 】

第15章 ブッダの寿命の長さ(如来寿量品第16)  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |
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