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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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法華経分別功徳品第17 この法門を受持し六波羅蜜を行ずる人の功徳

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 ましてやアジタこの法門を受持しつつ布施によって修行を完成したり、戒律、あるいは忍耐、努力精進、禅定、智慧によって修行を完成しようとするその良家の息子、あるいは良家の娘が、さらに多くの無量で、数えることもできない無限のブッダの知へと導くべき福徳を生ずることは言うまでもないのだ。

 アジタよ、良家の息子であれ、良家の娘であれ、この法門を受持するか、読誦するか、説き示すか、書写するか、書写させるかする人は、あたかも虚空界が、東・南・西・北・下・上の方角と、〔南東、南西、北東、北西の4つの〕方位において無限であるように、無量で数えることもできないブッダの知へと導くべき福徳を生じるであろう。

 また、その人は、ブッダのチャイティヤ(塔廟)の恭敬に専念し、ブッダの弟子である声聞たちの称讃の言葉を語り、偉大な人である菩薩たちの幾100・1000・コーティ・ナユタもの徳性を讃嘆し、そして他の人々のために解説するであろう。そして、忍耐によって修行を完成し戒律を
たもち、善良な性格で、快く共に暮らすものとなろう。また、耐え忍び、感情を抑制しているものとなり、また、不機嫌であることなく、怒るという心の働きがなく、錯乱した心の働きのないものとなるであろう。また、意識をしっかりとし、気力に満ち、努力精進に努めるものとなり、常に修行に専念するものとなるであろう。ブッダの法を探求することで禅定に励み、独居して沈思黙考することを尊重し、沈思黙考することに旺盛なものとなるであろう。また、質問を分析するのに巧みで、幾100・1000・コーティ・ナユタもの質問に答える人となるであろう。

 アジタよ、ブッダの私が、完全なる滅度に入った後、誰であれ、この法門を受持する偉大な人である菩薩たちには、私が説いたこのような徳性が具わるであろう。アジタよ、その良家の息子、あるいは良家の娘は、次のように知られるべきである。この良家の息子、あるいは良家の娘は、覚りの座へと出て立ったのであり、覚りを覚るために菩提樹の根もとに赴いているのである。
 
 また、アジタよ、その良家の息子、あるいは良家の娘が、立ったり、坐ったり、そぞろ歩きするところには、アジタよ、ブッダのためにチャイティヤが造られるべきである。そして、それは、神々に伴われた世間の人々によって、『これは、ブッダのストゥーパである』と言われるべきである。

ダウンロード
チャイティヤ窟(インド・アジャンター)

 その時、世尊は、次の詩を述べられた。

 「人間の指導者が、完全なる滅度に入った後、この経を受持する人の福徳の集まりが
 無限であることを、私は繰り返して説いた。

 その人は私に供養をなしたのであり宝石でできた、色とりどりの、見るも美しい、
 非常に立派な遺骨を安置するストゥーパを造らせたことになるのである。

 そのストゥーパはブラフマー神の世界に等しい高さで日傘の列が並び、広大で、光
 輝に満ち、勝利の旗が掲げられている。

 またえわたった鈴の音が鳴り響き細長い布片やひもで飾られている。同様に、勝利
 者の遺骨を安置するストゥーパの上では、鈴が風に揺れ、きらきらと輝いている。

 また花や薫香、塗香によって、また楽器や、衣服、また太鼓によって、それらのス
 トゥーパに繰り返して広大な供養がなされるのだ。

 それらの遺骨を安置するストゥーパのところで、甘美な音色の楽器が演奏され、香油
 の燈明が、それらのストゥーパのためにあまねく施されるのだ。
 
 正しい教えの滅亡の時に、この経を受持し、説き示す人は、私のためにこのような種
 々の無限の供養をなしたことになるのだ。
 
 その人は、栴檀で造られた幾コーティもの多くの最上の精舎もまた造ったことになる
 のである。それぞれの精舎には、高さが8層からなる32の高楼があり、

 寝台や座具を具え、噛んで食べる堅い食べ物や、噛まなくてもよい軟らかい食べ物が
 用意され、卓越した羊毛布が敷かれ、幾千もの房舎が設置されているのだ。

 また、その人は、花園で飾られた園林や、そぞろ歩きの場所、さらにはたくさんの色
 ・形によって飾られた多くの卓越したものを布施したことになるのである。

 指導者が、完全なる滅度に入った後、この経を受持する人は、私の面前で声聞の集団
 に対して種々の供養をなしたことになるのである。

 この経を読誦したり、書写したりする人は、先の信順の志がしっかりしている人より
 も実のさらに多くの福徳を得るであろう。

ダウンロード

 極めて明白に説かれた法を、写本に書写させ、その写本を薫香、花環、塗香によって
 供養する人、

 また、香油の燈明を常に掲げ、ジャーティ樹や、青睡蓮、アティムクタ樹の花や、チ
 ャンパカの花を山のように積んで満たす人、

 諸々の写本にこのような供養をなす人は、量り知ることのできない多くの福徳を生む
 であろう。

 あたかも、十方の虚空界において、その大きさが把握されないように、この福徳の集
 まりは常にこのように把握されないのだ。

 ましてや、耐え忍び、感情を抑制し、心を集中し、戒律を持ち、禅定に励み、独居し
 て沈思黙考している人の福徳の集まりについては、言うまでもないことである。

 怒ることもなく、悪意もなく、チャイティヤに対する尊敬に専念し、男性出家者たち
 に頭を下げ、常に増上慢でなく、怠惰でもなく、

 また、智慧があり、意志堅固で、質問されても怒ることなく、生命あるものたちに対
 する慈しみの心を持って、適切に説き示す。

 誰であれ、以上のようである人、またこの経を受持する人の福徳の集まりには、量り
 知ることは見いだされないのだ。

 もしも、誰かある人が、この経を受持している以上のような説法者に会うならば、こ
 の説法者に対して恭敬をなすべきである。

 その人は、その説法者に天上の花を振り撒き、その説法者を天上の衣で覆うべきであ
 る。また、その説法者の両足を頭におしいただくことによって敬意を表して、『この
 人はブッダである』という思いを生じるべきである。

ダウンロード
菩提樹(インド・ブダガヤ)
 
 そして、その人は、その説法者を見て、その時、考えるべきである。『この人は、菩
 提樹の根もとに行き、神々に伴われた世間の人々の幸福のために、この上なくめでた
 い覚りを覚られるであろ』と。

 
また、どこであれ、そのようなその賢人が、経の中から一つの詩でさえも語りながら
 そぞろ歩きする所、あるいは意志堅固なものが、立ったり、坐ったり、あるいは、寝
 台を設置したりする所、

 そこには、人間の中で最上の人のための輝かしく極めて美しいチャイティヤを造らせ
 るべきであり、そこにおいて、指導者で世尊であるブッダのために、輝かしい供養を
 なすべきである。

 そのブッダの息子である菩薩が住している所、その場所を私は享受し、そこで私は自
 ら進んでそぞろ歩きし、そこに私は坐るであろう。

 以上が、聖なる「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門の中の「福徳の分別の章」という名前の第16章である。        (分別功徳品第17おわり)

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【 2023/03/03 05:36 】

第16章 福徳の分別(分別功徳品第17)  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

法華経分別功徳品第17 この法門を受持する人はストゥーパを造る必要はない

 ダウンロード

 次にアジタ(弥勒)よ、この「ブッダの寿命の長さについての教説」という法門を聞いて、通達し、信順の志を抱き、理解し、覚る人は、先の一度でも信順の志を生じるものの場合よりもさらに無量の、ブッダの知へと導く福徳を生ずるであろう。

 ましてや、このような法門を聞いて、人に聞かせたり、読誦 どくじゅしたり、受持したり、書写したり、書写させたり、さらには写本にして花や、末香、薫香、花環 はなわ、塗香、焼香、衣、日傘、旗、のぼりによって、あるいは胡麻油の燈明、
酥油 そゆ(バターに似た油)の燈明、香油の燈明によって尊重し、恭敬 くぎょうし、讃嘆し、供養し、尊重させる人が、さらに多くのブッダの知へと導く福徳を生じることは、言うまでもないことである。

 また、アジタよ、その良家の息子であれ、良家の娘であれ、この「ブッダの寿命の長さについての教説」という法門を聞いて、高潔な心をもって信順の志を抱く(深心信解 じんしんしんげ)とき、その良家の息子、あるいは良家の娘には、次の高潔な心の特徴があることを知るべきである。すなわち、その人は、私が霊鷲山 りょうじゅせんにいて、菩薩の群衆に伴われ、菩薩の群衆に尊敬され、声聞の集団の真ん中にいて、法を説いているのを見るであろう。

 しかも、その人は、私のブッダの国土であるこのサハー世界(娑婆世界)が、瑠璃で造られ、大地の表面が平坦で、八方に道が伸びるロータリーに黄金の糸が張られ、宝樹で飾られているのを見るであろう。また、その人は、菩薩たちが、そこにおいて、楼閣で楽しみながら暮らしているのを見るであろう。
 
 アジタよ、このように見ることが、高潔な心をもって信順の志を抱く良家の息子、あるいは良家の娘の高潔な心の特徴であると知るべきである。

 しかるにまた、アジタよ、ブッダの私が、完全なる滅度に入った後、この法門を聞いて、この法門をそしることなく、むしろ喜んで受け容れる人たちをも、私は、高潔な心をもって信順の志を抱いた良家の息子たちというのである。ましてや、この法門を受持し、読誦する人たちは、言うまのでもないことである。
 
 その上、この法門を写本に作りなして、肩にになう人は、ブッダを肩に担っているのである。それ故に、アジタよ、その良家の息子、あるいは良家の娘は、私のためにストゥーパを建てる必要はないし、精舎 しょうじゃを建てる必要もない。またその人は、男性出家者の集団のために病気に対する薬品などの生活必需品を布施する必要もないのだ。

ダウンロード (1)

 それは、どんな理由によってか?アジタよ、その良家の息子、あるいは良家の娘は、既に私の遺骨に対して遺骨供養をなしたことになるのであり、また、幅が次第に細くなり、高さがブラフマー神の世界にまで至り、日傘が設置され、勝利の旗を掲げ、鈴がえた音を鳴り響かせている七宝でできたストゥーパを建てたことになるからである。

 また、それらの遺骨を安置したストゥーパに対して、天上界や、人間界のいろいろな種類の花や、末香、薫香、花環、塗香、焼香、衣、日傘、旗、幟、勝利の旗によって種々に恭敬をなし、甘美で心にかなった冴えた音のする種々の小太鼓、太鼓、大太鼓によって、また楽器の打ち鳴らされる音や、鳴り響く音、音声によって、また量り知ることのできないいろいろな種類の多くの歌や、舞踏、歌舞という方法によって、幾100・1000・コーティ・ナユタもの量り知ることのできない多くの劫の間、恭敬をなしたことになるからである。

 アジタよ、私が完全なる滅度に入った後、この法門を受持し、読誦し、書写し、解説するならば、その人は、精舎をもまた経てたことになるのである。その精舎は、大きく、広く、高い、赤い栴檀 せんだんでできた8層からなる32の高楼があり、幾千人もの男性出家者たちの房舎があり、園林や花で飾られ、そぞろ歩きのための森を有し、寝台と座具を具え、んで食べる堅い食べ物、噛まなくてもよい軟らかい食べ物、飲食物、病気に対する薬品などの生活必需品で満たされ、安楽をもたらすあらゆる用具で飾られているのだ。

 それらの精舎は、多くて量り知ることができないのだ。すなわち、幾100、あるいは幾1000、あるいは幾100・1000、あるいは幾コーティ、あるいは幾100・コーティ、あるいは幾1000・コーティ、あるいは幾100・1000・コーティ・ナユタである。

 しかも、それらの精舎は、私が完全なる滅度に入った後であっても、私の面前で声聞の集団のために与えられたのであり、それらは、私によって享受されたのだと知られるべきである。従って、アジタよ、このようなことから、私は次のように言うのだ。『ブッダの私が完全なる滅度に入った後で、この法門を受持したり、読誦したり、説き示したり、書写したり、書写させたりする人は、私が完全なる滅度に入った後で、遺骨を安置したストゥーパを造る必要はなく、声聞の集団への供養もなす必要はない』と。(つづく)


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【 2023/02/28 05:33 】

第16章 福徳の分別(分別功徳品第17)  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

法華経分別功徳品第17 弥勒による釈尊の無限の寿命の讃嘆

 ダウンロード (3)

 これらの偉大な人である菩薩たちがこの法を理解したことで得る確固たる立場を、世尊が説かれると、まさにその時、直ちに、上方の空中から曼陀羅華と摩訶曼荼羅家の花の雨が降った。それらの幾100・1000・コーティ・ナユタもの世界にある宝樹の根もとに降ってきて、宝樹の根もとの獅子座に坐っておられるそれらの幾100・1000・コーティ・ナユタものブッダたちのすべてに花の雨が降り、注ぎ、振り撒かれた。

 また、世尊である正しく完全に覚った尊敬すべき釈迦牟尼如来と、既に完全なる滅度に入って、獅子座に坐っておられる、その世尊である正しく完全に覚った尊敬すべき多宝如来に花の雨が降り、注ぎ、振り撒かれた。そして、天上の
栴檀 せんだん沈水香 じんすいこうの粉末が空から降りまた上方の空中で、心にかなった甘美で深遠な音のする大いなる太鼓が、誰も打ち鳴らしていないのに鳴り響いた。

 そして、幾100・1000もの一揃いの天上の衣が、上方の空から舞い降りた。さらに、首飾りや、半連の首飾り、宝珠、宝石、卓越した宝石が、上方の空中においてすべての方角に遍く垂れ下がった。また、値段のつけられないほど価値のある幾千もの宝石造りの香炉が、ひとりでに空中を遍く動き回った。

 また、偉大な人である菩薩たちが、一人ひとりのブッダのために、宝石で造られた日傘の列を、ブラフマー神(梵天 ぼんてん)の世界に至るまで上方の空中に差しかけた。このようにして、それらの偉大な人である菩薩たちは、無量で数えることもできないそれらのすべての幾100・1000・コーティ・ナユタものブッダたちのために、宝石で造られた日傘の列をブラフマー神の世界に至るまで上方の空中に差しかけたそれらの菩薩たちは、それぞれにブッダを讃嘆する真実の詩を創作して、それらのブッダたちを称讃した。

ダウンロード (4)

 そこで、偉大な人である弥勒菩薩は、次の詩を述べた。

 「人格を完成された人は、希有なる法を聞かせてくださいました。指導者にいかなる
 偉大なる本性が具わっているのか、また、指導者の寿命の長さがいかに無限であるの
 か、私たちは、かつてこのことを決して聞いたことがありません。
 
 そして、今、人格を完成された人によって面と向かって分かち与えられているこのよ
 うな法を聞いて、世間の人々の指導者の実の子どもである幾1000・コーティもの生命
 あるものたちは、喜びにあふれました。

 ある人たちは、最高の覚りに住して不退転であり、ある人たちは、最も勝れたダーラ
 ニーに住しており、ある人たちは、滞ることのない弁舌に住し、ある人たちは、幾10
 00・コーティ回も旋回するダーラニーに住しています。

 また、国土を構成する原子の数のように無数の他の人たちは、最高のブッダの知に向
 けて出て立っていて、同様に、ある人たちは8度の誕生を経て、無限を見る勝利者と
 なるでありましょう。

 しかるに、指導者からこの法を聞いて、ある人たちは4度の誕生を経た後に、またあ
 る人たちは3度、また他の人たちは2度の誕生を経た後に、最高の真理を見る人の覚
 りを獲得するでありましょう。

 さらにまた、誰かある人たちは一度、誕生してこの世に滞在し、その次の生存で一切
 知者となるでありましょう。指導者のこの「寿命の長さの教説」を聞いて、汚れのな
 いこのような果報を得るのであります。

 この法を聞いて、最も勝れた覚りを求める心をおこした幾コーティもの衆生は、8つの
 国土を構成する原子のように、計算によっても量り知れないでありましょう。

 このブッダの覚りを説き明かしておられる偉大なる聖仙は、このように量り知ること
 もできない虚空界のように無量の果てしない働きをなされました。

 幾1000・コーティもの多くの神々の子たちは、曼荼羅華の花の雨を降らせました。ま
 た、ガンジス河の砂の数のように多くのシャラク神(帝釈天 たいしゃくてん)とブラフマー神たち
 は、幾1000・コーティもの国土からやって来ました。

 そして、それらの神々たちは、栴檀の芳しい粉末や、沈水香の粉末を振り撒き、勝利
 者の王たちに規則正しく注ぎかけながら、虚空をあたかも鳥のように動き回っていま
 す。

 それらの神々は、上方の空中にあって、打たれてもいない太鼓に甘美なる音を鳴り響
 かせつつ、指導者たちのために幾1000・コーティもの天上の衣を放って、ひらひらと
 なびかせました。

 値がつけられないほど価値のある香をくための宝石で造られた幾1000・コーティも
 の香炉が、世間の支配者である保護者の供養のために、その空中においてひとりでに
 遍く動き回りました。

 これらの賢明な菩薩たちは、宝石で造られた、高くて大きな幾コーティ・ナユタもの
 無数の日傘を、ブラフマー神の荘厳された世界に至るまで掲げています。

 また、人格を完成された人の息子たちは、心を喜ばせ、指導者たちのために、極めて
 美しい勝利の旗を立てて、幾千もの詩によって讃嘆しました。

 指導者たちよ、このような希有で勝れた驚くべきことが、今、種々に見られました。
 ブッダの無限の寿命の長さが示されたことによって、これらのすべての衆生は、歓喜
 を得ております。

 今、指導者たちの声は十方に拡がり、その利益は広大であります。幾1000・コーティ
 もの生命あるものたちは、満足させられ、覚りのための因となる善根を得ました」
                                  (つづく)

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【 2023/02/24 05:28 】

第16章 福徳の分別(分別功徳品第17)  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

法華経分別功徳品第17 五波羅蜜の修行よりも一念信解の功徳

 ダウンロード (6)

 そこで、世尊は、偉大な人である弥勒菩薩に話しかけられた。

 「アジタ(弥勒)よ、この「ブッダの寿命の長さについての教説」という法門が説かれている時、衆生が一度でさえも覚りを求める心を発す信順の志(
一念信解 いちねんしんげ)を生じあるいは浄信を生ずるならばそれらの良家の息子たち、あるいは良家の娘たちは、どれほどの福徳を生み出すであろうか?そのことを、よく聞くがよい。また、よく熟慮するがよい。

 私は、それらの良家の息子たちや、良家の娘たちが、どれほど多くの福徳を生むかということを話そう。それは、アジタよ、あたかも次の通りである。

 良家の息子であれ、良家の娘であれ、まさに誰かある人が、この上ない正しく完全な覚りを渇望しつつ、80万・コーティ・ナユタ劫もの間、5種類の完成(五
波羅蜜 はらみつ)ーすなわち、智慧の完成を除いた布施の完成、戒律の完成、忍耐の完成、努力精進の完成、禅定の完成ーに向けて修行するとしよう。
 
 アジタよ、この「ブッダの寿命の長さについての教説」という法門を聞いて、良家の息子であれ、良家の娘であれ、一度でさえも覚りを求める心を発す信順の志を生じ、あるいは浄信を生ずるとしよう。この良家の息子、あるいは良家の娘の福徳の生成と善根の生成に比べれば、先ほどの5種類の完成に関連して、80万・コーティ・ナユタ劫をかけて完成された福徳の生成と善根の生成は、その100分の1にも及ばないし、1000分の1にも、100・1000分の1にも、100・1000・コーティ分の1にも、1000・コーティ・ナユタ分の1にも、100・1000・コーティ・ナユタ分の1にも及ぶことはない。その差は、数えることも、考えることも、計算することも、譬えることも、近づくこともできないのだ。

 アジタよ、このような福徳の生成を具えた良家の息子、あるいは良家の娘が、この上ない正しく完全な覚りから退くことはありえないのだ」

 その時、世尊は、次の詩を述べられた。

 「この知、すなわちこの上ないブッダの知を求めつつ、5種類の完成を得て、この世
 に生きる人、

 ブッダや、声聞たちに繰り返し布施をなしつつ、まるまる8000・コーティ劫もの間、
 修行に専念する人、

 独覚や、幾コーティもの菩薩たちを、
んで食べる堅い食べ物、噛まなくてもよい軟
 らかい食べ物、衣服、寝台、座具によって満足させる人、

 この世において、栴檀で造られた住居や、精舎、さらにはそぞろ歩きの場所を荘厳す
 る、見るも美しい
園林 おんりんを作らせる人、

 さらにまた、ブッダの知の獲得のために、正しく完全に覚った人によって説かれ、賢
 者たちによって称賛された、清らかで完全無欠の戒律を守る人、

 さらにまた、忍耐することを実行し、心が制御された境地に立ち、意志が堅固で、思
 慮深くあって、多くの
はずかしめを耐え忍ぶ人、

 覚りを獲得していると思って増上慢になっている衆生からの中傷を、ブッダの知の獲
 得のために耐え忍ぶ人、

 常に努力精進に奮励し、専念しており、意志堅固な想念を持ち、幾コーティ劫もの間
 他のことに心を奪われることがない人、

 荒野での生活を続けていて、そぞろ歩きの場所に行っては、無関心と眠気を振り払っ
 て、実に幾コーティもの間、修行する人、

ダウンロード

 禅定に専念し、大いに禅定に励み、禅定を楽しんでいて、心を集中して、8000・コー
 ティ劫より長い期間にわたって留まって、禅定する人、
 
 その勇者は、その禅定によって、『私は一切知者となりたい』と考えて、この上ない
 完全な覚りを求めて、禅定の完成に到るとしよう。

 これらの5種類の完成のための行ないを幾1000・コーティ劫もの間、実践して、既に
 称讃された人たいには、福徳が具わるであろう。

 しかしながら、女であれ、あるいは男であれ、私の寿命の長さが無縁であることを聞
 いて、一瞬でも信じるならば、この場合の福徳は無限である。

 諸々の疑惑や、動揺、妄想を捨て去って、瞬時でさえも信順の志を抱くならば、その
 人には、このような果報があるのだ。

 また、幾コーティ劫にもわたって修行してきた菩薩たちは、考えることもできない私
 のこの寿命の長さを聞いて、恐れることはない。

 しかもそれらの菩薩たちはこの経を頭におしいただくことによって敬礼し、『私
 もまた、未来の世において、このような人になって、幾コーティもの生命あるものた
 ちを救いたいものだ。
 
 獅子のように偉大なる釈迦族の人であり、保護者であり、偉大なる賢者である釈迦牟
 尼
が、覚りの座に坐って、この獅子吼を響かせられるように、

 私もまた、未来の世において身体を有するあらゆるものたちによって恭敬され、覚り
 の座に坐ってこのような寿命の長さについて説き示そう』と考えるであろう。

 高潔な心を持って、聞いたことを完全に受持し、深い意味が込められた言葉を了解す
 る人たちに、疑惑は存在しないのである。(つづく)

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【 2023/02/21 05:29 】

第16章 福徳の分別(分別功徳品第17)  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

法華経分別功徳品第17 「ブッダの寿命の長さの教説」を聞く功徳

第16章 福徳の分別(分別功徳品 ふんべつくどくほん第17)

ダウンロード (2)

 ところで、この「ブッダの寿命の長さについての教説」が説かれているうちに、無量の数えることもできない衆生が、利益 りやくを生じた。
 
 その時、世尊は、偉大な人である弥勒菩薩に話しかけられた。
 
 「しかしながら、アジタ(弥勒)よ、この「ブッダの寿命の長さについての教説」という法門が説かれているうちに、68のガンジス河の砂の数に等しい幾100・1000・コーティ・ナユタもの菩薩たちに、何ものも生ずることはないという真理を認める知(無生法忍 むしょうぼうにん)が生じた。また、これらの菩薩たちの1000倍もの多くの偉大な人である菩薩たちに、ダーラニーの獲得があったのだ。

 
この法門を聞いて、さらに、一千世界を構成する原子の数に等しい菩薩たちに、滞ることのない雄弁さの獲得があった。

 さらに、二千世界を構成する原子の数に等しい他の菩薩たちに、幾100・1000・コーティ・ナユタ回も旋回するダーラニー(旋陀羅尼 せんだらに)の獲得があった。

 さらに、三千世界を構成する原子の数に等しい他の菩薩たちは、この法門を聞いて、退くことのない不退転の真理の車輪を転じた。

 さらに、中千世界を構成する原子の数に等しい他の菩薩たちは、この法門を聞いて、汚れのない輝きを持つ真理の車輪を転じた。
 
 さらに、小千世界を構成する原子の数に等しい他の菩薩たちは、この法門を聞いて8度の誕生を経た後に、この上ない正しく完全な覚りに到ることが確定された。

 
さらに、4つの四大洲からなる世界を構成する原子の数に等しい他の菩薩たちは、この法門を聞いて4度の誕生を経た後に、この上ない正しく完全な覚りに到ることが確定された。

 さらに、3つの
四大洲からなる世界を構成する原子の数に等しい他の菩薩たちは、この法門を聞いて3度の誕生を経た後に、この上ない正しく完全な覚りに到ることが確定された。

 さらに、2つの
四大洲からなる世界を構成する原子の数に等しい他の菩薩たちは、この法門を聞いて2度の誕生を経た後に、この上ない正しく完全な覚りに到ることが確定された。

 さらに、1つの四大洲からなる世界を構成する原子の数に等しい他の菩薩たちは、この法門を聞いて1度の誕生を経た後に、この上ない正しく完全な覚りに到ることが確定された。

 さらに、8つの三千大千世界を構成する原子の数に等しい菩薩たちは、この法門を聞いて、この上ない正しく完全な覚りに向けて心を発したのだ」(つづく)

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【 2023/02/17 05:30 】

第16章 福徳の分別(分別功徳品第17)  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |
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