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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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ブッダの生涯 その1

 ブッダを知りませんか?

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 Buddha、すなわち「目覚めた人」である。何から目覚めたのか?苦悩に満ちた闇の世界から脱し、心安らかに生きる智慧、真理に目覚めたのである。ブッダの残した教えにより多くの人が苦しみから救われてきたが、目の前の享楽のみを追い求める今、ブッダの姿が見えなくなってしまった。僕と一緒にブッダを探しに行こう。 (遺跡の写真はトラベルサライの提供です)

 ブッダ、その人の名はガウタマ・シッダールタ。ガウタマは「最上の牡牛」、シッダールタは「目的を達成した」という意味。今から2500年あまり前、インド大陸の北方にあったシャカ族の国、カピラヴァットゥの王子としてお生まれになった。現在ネパール領のティラウラコートとインド領のピプラワーがカピラヴァットゥ遺跡の候補にあがっていて、両国がうちが本物だと言い争っていて決着がつかない。僕は考古学者でもないし、政府関係者でもないんで、どっちでもいいや。

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ティラウラコート遺跡

 お父さんのお名前がスッドーダナ。「清らかな米飯」という意味で、漢訳仏典では浄飯王と訳される。3人の兄弟がいたんだけど、これがスッコーダナ、ドートーダナ、アミドーダナといって、4人兄弟ともに「Odana」(米飯)がついているところをみると、シャカ族はお米を作って食べていたんだね。ということは、シャカ族は麦を食べていたインド・アーリヤ系民族ではないということだ。

 お母さんのお名前はマーヤーといって、コーリヤ族のスプラブッダの娘さんだ。日本と同じように実家でお産するために、デーヴァダハのお城に里帰りしようとしたんだけど、その途中のルンビニーというところで産気づかれてシッダールタは生まれてしまう。紀元前463年の4月8日のことだ。(生誕年は中村元先生の説によっています)
 
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 ルンビニーはカピラヴァットゥから20キロほど離れたところにある。

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 現在は公園として整備され、シッダールタが生まれた場所を特定したマーカーストーンをを覆うようにしてマヤ堂が建っている。煙突みたいなものが建っているけど、これはアショーカ王柱。 アショーカ王はブッダが亡くなってから200年ほどしてインドを統一したマウリヤ朝の王さま。インドを統一する過程であまりにも多くの犠牲者を出したことから、仏教に深く帰依し、仏教の教えにもとづいた政治を行った。アショーカ王がブッダの聖地を巡礼し建立したのがアショーカ王柱。1896年にルンビニーの石柱碑が発掘されたことでブッダの生誕地が特定されたんだ。

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 石柱碑にはブラーフミー文字でこんなことが書かれている。「アショーカ王は、潅頂20年に自らここに来て、崇敬した。ここで、仏陀釈迦牟尼が生誕したからである。それで石柵を設営せしめ、石柱を建立せしめた。(これは)ここで世尊が誕生されたことを(記念するためである)。ルンビニー村は租税を免ぜられ、また(生産の)8分の1のみを支払うものとする」。インド人は輪廻を信じているから歴史書をまったく残さなかったんで、ブッダも伝説上の人かと思われていた時代があった。それを覆したのがアショーカ王柱の発見だった。

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 ルンビニーの苑で休息していたマーヤーは、アショーカ樹(無憂樹)の花があまりにも美しく咲いていたので、一枝折ろうとして右手を伸ばされた。その時、シッダールタはマーヤーの右脇から「オギャ~」と、この世にお生まれになられた。偉大な方は普通には生まれない。イエスさまは処女懐胎だしね。

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 写真は金沢の卯辰山にある善妙寺というお寺にお祀りされている摩耶夫人像。あの文豪・泉鏡花が小さい頃に亡くした母の面影を慕ってお参りしたという有名なお像なんだけど、ちゃんと右の袖から生まれたばかりのシッダールタが顔を出してるよね。手には無憂樹の枝も持っておられる。悲しいことにマーヤーは産後の肥立ちが悪くて、一週間後に亡くなってしまうんだ。養母となったのが、マーヤーの妹のマハーパジャーパティー。シッダールタの叔母さんにあたる人だけど、後に出家されて尼さん第1号となられた方だ。

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 これはルンビニーにある誕生レリーフ。もともとのものはイスラーム教徒に削られてしまったので、復元したものなんだけど、マーヤーの後ろにいるのがマハー・パジャーパティー。左手にいる二人のおっさんはブラフマー神(梵天)とインドラ神(帝釈天)。ブラフマー神が絹布を手にしてシッダールタを抱き上げようとしているところだ。

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 これは日本から贈られた誕生仏。シッダールタは誕生してすぐに四方に7歩ずつ歩き、右手で天を、左手で地を指して、こう言った。生まれたばかりの子供が歩けるわけないし、しゃべれるわけないじゃん、ってか。もちろん後世の人がブッダがこの世に誕生された意義をわかりやすく人々に教えるために考えたエピソード。

 なぜブッダはこの世に誕生されたんだろうか?シッダールタはこう言われた、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)、三界皆苦我当安之」。いろんな解釈があるけど、僕はこう考えている。この宇宙に私という存在はただ一つしかなく、これ以上に尊い存在はない。同じようにすべての生命はそれぞれただ一つのいのちを生きており、かかがえのない存在である。だから、一つ一つのいのちを大切にし、苦しみ悩む人々に安らぎを与えるため私はこの世に生を受けた。人間の尊厳をまもりぬこうという高らかなる宣言であった。
 
 
 手塚治虫の『ブッダ』には、こんなふうに書かれている。

 4月8日のあけぼのの前 奇蹟は天と地に満ち広がり それは生きとし生けるものの 
 心を感動で押しつつんだ  あるものは天上から美しい音楽を聞き 
 あるものはかぐわしいにおいをあびたという そして心の中にだれかが告げるであった
 「見よ 見よ その人が生まれた」と  (つづく)


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【 2014/05/15 10:56 】

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ブッダの生涯 その2


 ブッダを知りませんか?

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 シッダールタ誕生の7日後にお母さんのマーヤーは亡くなってしまったけど、妹のマハー・パジャーパティが後妻としてスッドーダナ王に嫁ぎ、愛情をこめてシッダールタを育てられます。そのうちに弟も生まれたんだけど、弟の名前は何だ。ナンダだ。だから何だ。だからナンダという名前だって。人の名前で遊ぶんじゃない。は~い。
 
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 シッダールタはいずれ王位を継ぐ立場だったから、何一つ不足のない境遇だったみたいだね。インドには乾季(10~3月)、雨季(6~9月)、暑季(3~5月)があるんだけど、その季節ごとの3つの宮殿をもち、シッダールタのために作られた池には青・赤・白の蓮華が咲いている。雨季の4カ月は女性だけで行われる伎楽に取り囲まれ、一歩も外に出ないような生活を送っていたというから、なんとも羨ましいかぎりだ。シッダールタが使うお香はカーシー産の超高級品の栴檀【せんだん】香だけ。カーシーって今のヴァーラーナシーのことだ。身にまとうものはといえば、上着から下着にいたるまで全部カーシー産。今で言ったら、上から下までフランスやイタリアのブランドを身につけてるとiいう感じかな。

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手塚治虫『ブッダ』より 
 
 まあとにかく何不自由のない生活を送っていたんだけど、やっぱり実のお母さんがいない寂しさからだろうか、シッダールタは物思いにふける傾向があったみたいだ。そんなシッダールタが14歳の時のことだ。郊外の遊園地に行くために東の城門を出たシッダールタは一人の老人に出会う。髪や歯が抜け、腰は曲がり、杖をついてやっと歩いている、そのよぼよぼな姿に驚いたシッダールタは従者に尋ねた。「あれは何だ?」「老人でございます」「誰でも年をとると、ああなるのか?」「さようでございます」「おまえも、ああなるのか?」「はい」「私もああなるのか?」「はい」。意気消沈したシッダールタは遊びに行くのをやめて城に戻ったそうだ。さらに南の城門を出て病人に会い、西の城門を出て死者の葬列に出合う。そのたびに「あれは何だ?」と従者に説明を求め、最後に北の城門から出て出家修行者に出会い、その清らかな姿と円満な容貌を見て、これこそ自分の理想であるとして、出家を決意した。有名な「四門出遊【しもんしゅつゆう】」というエピソードだ。


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 宮沢賢治の有名な『雨ニモマケズ』の詩にこんな一節がある。

東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 
西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負イ 
南ニ死ニソウナ人アレバ 行ッテコワガラナクテモ イゝトイヒ
北ニケンクワヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ

 「四門出遊」では、東(老)→南(病)→西(死)→北の順で、賢治は東(病)→西(老)→南(死)→北の順だから、順番が違うけど、明らかに「四門出遊」に影響されてるよね。順番が違うのは詩としての語呂か、東西南北という単なる順番にしたんだろう。ちなみち、北の方角は「生」を意味していると僕は考えてる。そうすれば生・老・病・死の「四苦」になるもんね。賢治にとっての「生」は、人間が生きることは喧嘩や訴訟、つまり争い、修羅の世界を意味していた。

 ブッダとなられた後、自分の若き日々を回想して、修行僧たちに向かってブッダは次のように述べておられる。

 「わたくしはこのように裕福で、このようにきわめて優しく柔軟であったけれども、このような思いが起こった、ー愚かな凡夫は、自分が老いゆくものであって、また、老いるのを免れないのに、他人が老衰したのを見ると、考え込んで、悩み、恥じ、嫌悪しているー自分のことを看過して。じつはわれもまた老いゆくものであって、老いるのを免れないのに、他人が老衰したのを見ては、考え込んで、悩み、恥じ、嫌悪するであろう、ーこのことは自分にふさわしくないであろう、と思って、わたくしがこのように考察したとき、青年期における青年の意気(若さの驕り)はまったく消え失せてしまった」(『アングッタラ・ニカーヤ』

 同じように病・死についても語っておられるんだけど、人間が年をとり、病になって、やがて死んでいくということは小学生でも知ってるよね。でも、知ってはいるけど、分かっていないんだ。80歳になっても、90歳になっても、いや100歳を超えた人でも、自分はいつまでも死なないと思っている。口では「早くお迎えが来ればいいのに」って言っててもね。老・病・死は自分自身も絶対に避けられないものであり、超えることができないもものであるにもかかわらず、他人の老・病・死を見て、考え込んでは、悩み、恥じ、嫌悪する自分、避けられないものであるにもかかわらず、それから目をそらそうとする自分がいる。僕らみたいな人間は、そんなこと忘れたふりをして、毎日ふしだらな生活を送ってるんだけど、シッダールタは深刻に受け止め、真剣に反省し、その原因を見いだそうとして、毎日苦悩の日々を送っていたみたいだ。
 
 シッダールタが人生について苦悩し、出家を考えていると知ったスッドーダナ王は慌てちゃった。だってシッダールタに王位を継がせたいと考えてるのに、出家されちゃったら困るもんね。そこで嫁さんを持たせれば、少しは気が紛れるだろうし、子供が生まれれば、嫁や子供を捨てて出家することはないだろうと考えて、ヤショーダラーという嫁さんを迎えたんだ。シッダールタが16歳の時だ。ずいぶん早い結婚だと思うかもしれないけど、インドでは子供のうちに結婚する習慣があって、あのガンディーも結婚したのは13歳の時だ。ヤショーダラーについて詳しいことはわかってないけど、結婚した時は10歳ぐらいだったらしい。
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 やがて二人に男の子が生まれた。名前はラーフラ。シッダールタが出家する前にヤショーダラーが妊娠し、シッダールタがブッダとなった後に生まれたという伝説があるけど、そうするとお腹に6年間もいたことになっちゃうよね。お母さんのお腹に80年いたという老子さんもいるけど、腐っちゃうよ。おそらくシッダールタが出家する少し前に生まれたんじゃないかな。ラーフラというのは「障碍【しょうがい】」、つまり「妨げになるもの」という意味なんだけど、大事な長男になんでこんな名前つけたんだろうか?ーそう、出家しようとしていたシッダールタの決心を鈍らせることになるからだね。でもシッダールタの決心は固く、妻も子も捨てて出家を断行することになる。(つづく)

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【 2014/05/10 16:14 】

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ブッダの生涯 その3


ブッダを知りませんか?

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 小さいながらもカピラ国という一国の王子であり、だれしもが望む男の子も授かって、そと目にはシッダールタは幸福の絶頂にあった。ところがシッダールタの心はうつうつとして、ラーフラの笑顔を見てもひとつも心躍らず、深く人生の問題に悩んでいた。

 
 そしてついに、29歳のとき、愛する妻も子も、王子としての地位も捨て、シッダールタは出家修行者となった。今でもインドにはサドゥーと呼ばれるヒンドゥー教の修行者がいる。


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 この写真、ネパールで出会ったサドゥーだけど、シッダールタもこのんな感じだったんかね。いや、これは観光客相手の偽サドゥー。もっと真面目な修行者だろう。

 仏伝によれば、ある夜、シッダールタは奴僕のチャンダカとともに愛馬カンタカにまたがり城をあとにし、郊外のアヌーピヤ林で王子の衣を脱ぎ猟師の衣と交換し、髪を剃り落としてしまう。

 「若く、髪黒々とたのしい青春にみちた人生の春、両親は納得せず、涙を流して泣き、嘆いたが、私は髪と鬚を剃りおとし、袈裟を身にまとい、家を出て家なき生活に入った」(『中部経典』)


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王舎城南城壁


 髪を剃り落としたシッダールタはラージャガハへと向かった。ラージャガハはカピラヴァットゥから640キロも離れた、現在のビハール州ラジギールだ。今でこそ寂れた田舎町になってしまってるけど、当時はマガダ国の都として繁栄を誇る大都会だった。「ラージャ」は、みんなも知っているマハラジャのラージャで王さまのこと。「ガハ」は家のことなんで、漢訳仏典では王舎城と訳される。だけど、日本やヨーロッパのいわゆる「お城」とは違い、城壁で取り囲まれた都市のことで、今でも城壁の一部が残っている。シッダールタはわずか7日でラージャガハまでやって来たと伝えられているけど、托鉢しながら1日に90キロも歩くのは無理だよね。おそらくシッダールタのはやる心を後世の人が表現したくて7日にしたんで、実際には2週間ほどかかったんだと思うよ。 
 
 シッダールタは郊外のパンダヴァ山の洞窟を住まいとして修行生活を開始した。でも、ご飯を食べないと死んじゃうから、町へ出て托鉢をする。一軒一軒の家を訪ねては、ご飯をもらうわけだ。そんなシッダールタの姿を当時のマガダ国のビンビサーラ王が城の高殿から見つけて、家来にこう言った。


 「汝ら、この人をみよ。美しく、大きく、清らかで、行いも具わり、眼の前を見るだけである。」(『スッタニパータ』)
 

 当時、ラージャガハにはたくさんの修行者がいて托鉢をしてたんだろうけど、シッダールタはよっぽど目立ったんだろうね。家来に後をつけさせてパンダヴァ山の洞窟に住んでいることを知ったビンビサーラ王は、わざわざパンダヴァ山を訪ねてシッダールタとお話したんだって。

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手塚治虫『ブッダ』

 ビンビサーラ王はシッダールタに象の群を先頭とする精鋭な軍隊と財宝をあげるから自分の家来にならないかと提案する。当時マガダ国はパセナーナディ王のコーサラ国とインドの覇権をめぐって争ってたんで、シャカ族を味方につけようとしたんだ。この提案をシッダールタは次の言葉で一蹴する。

 「わたくしはシャカ族の家から出家したのです。欲望をかなえるためではありません。諸々の欲望には患【うれ】いのあることを見て、また出離こそ安穏であると見て、つとめはげむために進みましょう。わたくしの心はこれを楽しんでいるのです。」(『スッタニパータ』)

 けんもほろろに断られたビンビサーラ王はこんどは、シッダールタの身体や容貌を褒めそやし、道を求めることなんかやめて、戦車をもちいて四方を征服し、世界を支配する帝王となったらどうかと提案する。シッダールタの返事は?

 「わたくしは王ではありますが、無上の真理の王です。真理によって輪をまわすのです。ー(だれも)反転しない輪を。」(『スッタニパータ』)

 シッダールタ抱き込み作戦に失敗したビンビサーラ王は、悟りを開いてブッダとなられた暁には、もう一度ラージャガハに来て自分を導いてくれるよう頼んでお別れしたそうな。その日は6年後に訪れることになる。

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 シッダールタが道を求めて最初に訪ねたのが、ヴァイシャリー城外にいたアーラーラ・カーラーマ仙人。この仙人は弟子が300人もいた超有名な仙人だったらしいんだけど、無所有処定という境地を会得していた。無所有処定というのは、欲望をおさえて必要最低限のもので生活することに満足を覚えるように心を訓練する瞑想法によって到達する境地なんだって。ところがこの仙人の弟子となったシッダールタはあっという間にこの境地を体得してしまう。びっくりしたカーラーマ仙人は、「わしと一緒に瞑想塾の経営やらんか」と誘ったんだけど、こんなことやってても真の悟りは得られないと、シッダールタは彼のもとを去ってしまう。


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 次に訪ねたのがウッダカ・ラーマプッタ仙人。インドの二大叙事詩の『ラーマーヤナ』を知ってると思うけど、ラーマ王子ってヴィシュヌ神の化身だったよね。ラーマプッタというのは「ラーマの息子」という凄い名前なんだけど、この仙人が会得していたのが非想非非想処定。非想非非想処定というのは、思考によって作り上げられる観念が、「あるのでもなく、ないのでもない」という境地なんだけど、分かる?つまり、何かを心の中で想っているのでもなく、また想っていないのでもないという境地なんだけど、やっぱりよく分かんないよね。この訳の分からない境地もシッダールタはあっという間に体得してしまい、またも共同経営の話を持ちかけられたんだけど、彼のもとも去ることにした。
 
 二人の仙人のもとを去ったシッダールタは、マガダ国中を遊行した後、ウルヴェーラーのセーナー村で苦行を開始する。(つづく)


 
【 2014/05/08 11:50 】

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ブッダの生涯 その4


ブッダを知りませんか?



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 ウルヴェーラーのセーナー村の森でシッダールタの苦行が始まった。苦行はサンスクリット語でタパスと言うんだけど、本来は“熱”や“熱力”という意味だから、まあエネルギーだと考えればいいね。身体を痛めつけて精神を鍛えることで、体の中に特殊なエネルギー、神通力が蓄えられると考えたんだ。日本でも比叡山の千日回峰行や日蓮宗の大荒行があるし、イエスさまも荒野で40日間断食をされてるけど、苦行の本場はなんと言ってもインド。シッダールタと同じ頃に活躍したマハーヴィーラは12年間苦行を続けてついに悟りを開きジャイナ教の祖となったし、今でもインドには苦行を行っているヒンドゥー教のサドゥー達がいる。
 
 森の中で一人で住むのは怖いよね。夜ともなれば漆黒の闇の中、虎などの猛獣が近づいて来ただろうし、コブラのような毒蛇がまわりをはい回る。僕なんかとてもじゃないけど耐えきれなくて、きっとすぐに逃げ出してしまうよ。大樹の下や石の上で足を組んで座り、出る息と入る息を自在にあやつり呼吸を止める。断眠法や断食法もやった。だんだん食事の量を減らしていって、ついには一日にゴマ一粒米一粒にまで減らしちゃう。夏は暑いままに冬は寒いまま、じっとして蚊やアブや蛭が血を吸っても払いのけることもしない。
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画像はサタン

 苦行の妨げになるのは肉体的苦痛だけじゃないぞ。ときどき悪魔が現れるんだ。ヨーロッパではサタンやデーモンという悪魔がいるけど、インドではマーラー、ナムチ、パピーヤス、ヤクシャなんていうのが有名どころだ。マーラーは“殺す者"という意味。悪魔の「魔」は中国でマーラーの音をとったんだけど、それだったら「麻」の字で事足りるのにわざわざ「鬼」をくっつけて出来た漢字だ。それに悪をつけて、悪魔というわけだ。ちなみに男の人の◯◯を「まら」と言うけど、これはお坊さんの使った隠語。◯◯は修行の邪魔をする性欲のシンボルだからね。あっ、邪魔も悪魔だね。要するに悪魔というのは人間の心の中に潜んでいる欲望のことだ。 

 苦行するシッダールタの前に現れたのはマーラーではなくて、ナムチだ。マーラーはまた後で出てくるよ。ナムチはインド神話ではインドラ神の不倶戴天の敵だ。ああそうだ、インドラ神は仏教に取り入れられて守護善神となって、日本では帝釈天として信仰されてる。『フーテンの寅さん』の切り口上にも出てくるよね。

 そのナムチがシッダールタの苦行を止めさせようと、甘い言葉で誘惑するんだ。

 「あなたは痩せていて顔色も悪い。あなたの死が近づいた。あなたが死なないで生きられる見込みは、千に一つの割合だ。きみよ、生きよ。生きたほうがよい。命があってこそ諸々の善行をなすこともできるのだ。『スッタニパータ』)

 シッダールタはこう答える。

 「 わたくしは修行に専念していて、(呼吸を整するところからくる)激しいこの風は河の流れを涸らすだろう。ましてや我が身の血も涸れるのにちがいない。血が涸れたら胆汁も痰も涸れるだろう。肉がそげ落ちるにつれて、心はよりいっそう澄んでくる。わたくしの正念と智慧と統一した心はますます安定したものとなる。わたくしはこのような状態にあって、最大の苦痛を受けているのだから、わたくしの心は欲望にひかれることはない、見よ、心身の清らかなることを」(『スッタニパータ』) 

 ナムチはさらに次々とシッダールタに攻撃をしかけてくる。

 「 汝の第1の軍隊は欲望であり、第2の軍隊は嫌悪であり、第3の軍隊は飢渇であり、第4の軍隊は妄執といわれる。汝の第5の軍隊はものうさ、睡眠であり、第6の軍隊は恐怖といわれる。汝の第7の軍隊はみせかけと強情と、誤って得られた利得と名声と尊敬と名誉と、また自己をほめたたえて他人を軽蔑することである。ナムチよ、これらは汝の軍勢である。黒き魔の攻撃軍である。勇者でなければ、かれにうち勝つことができない。……命はどうでもよい。わたくしは敗れて生きながらえるよりは、戦って死ぬほうがましだ。」(『スッタニパータ』)


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 ナムチは6年間にわたって執拗な攻撃を続けたが、シッダールタにはつけ込む隙がなく、ナムチは敗れた。しかし、極限まで自らを追い込んだ苦行の結果、シッダールタは立つことすら出来なくなってしまう。立とうと思うと前に倒れてしまい、座禅を組んでいると後ろに倒れるといったありさま。ここにあげた写真は、パキスタンのラホール博物館にあるガンダーラ出土の釈迦苦行像だ。平成18年にパキスタンに行ったんだけど、残念ながら時間がなくて観れなかった。いつも最初に出てくるのはお顔の部分だけだけど、見てごらん。 眼は大きく落ちくぼみ、身はやせ細り、お腹の部分は木の空洞のように深くくぼんでしまっている。肋骨が一本一本浮き出ていて、血管が走り、腕はまるで枯れ枝のようになってしまってる。僕はこの写真を見るたびに涙が出てくるんだけどね。 

 6年間の苦行によって、シッダールタは欲望を自分の思いのままに抑制することはできるようになった。でも、心にうなずくものがない。後にブッダはこう語っている。

 「この実践、この難行によっても、わたくしは人間のレベルを超えた特別のすぐれた聖なる洞察を得ることができなかった。なぜなら、聖なる智慧が達せられていなかったからである。聖なるこの智慧が得られたならば、それは解脱に導くものであり、それに従って行ずる人の苦しみを正しく滅するためのものなのである。」(『中部経典』
  
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ブダガヤ スジャータ寺院の祠内部

 シッダールタは苦行を止めてしまう。「まずは食べて体力することだ」と、シッダールタは森を出て、セーナー村に行った。この時たまたま通りかかったのが村の娘スジャータ。いつも修行僧に乳がゆを供養していた女の子だ。この子からシッダールタは乳がゆの供養を受け、体力を回復する。「褐色の恋人スジャータ」という「めいらくグループ」が発売しているコーヒーフレッシュがあるけど、乳つながりで命名されたそうだ。スジャータは古代インドの女性名で、“良い生い立ち、素性”を意味するそうだが、僕は世界史の授業で彼女をシュードラの娘として紹介している。バラモン・クシャトリヤ・ヴァイシャ・シュードラの4階級からなるヴァルナ制では、穢れということを重視するので、階級の違うものが同じ場所で食事をしたり、階級の下位の者から食事を受け取ってはならない。シッダールタはもちろんクシャトリヤだから、シュードラの娘スジャータが差し出す乳がゆを受け取って食してはならない。だから、乳がゆを食べられたということは、ヴァルナ制、つまりカーストを否定する高らかなる宣言であった、とね。 

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 乳がゆで体力を回復したシッダールタは、近くを流れるネーランジャラー河(尼連禅河【にれんぜんが】で身を清め、あたりに落ちているぼろ布を拾って身につけ、それを衣服がわりにして村や町で托鉢を始めたんだ。このぼろ布をつぎ合わせたものを糞掃衣【ふんぞうえ】というんだけど、サンスクリット語ではカシャーヤ。英語のカーキ色、つまり褐色のことで、僕たち坊さんが身につける袈裟【けさ】のことだ。
 シッダールタの苦行にずっとつきあっていた5人の修行者がいた。実はこの5人は出家したシッダールタの身辺の面倒をみさせるために、スッドーダナ王が同行させた家来なんだ。まあ、親馬鹿というやつで、息子のことが心配でしようがなかったんだよね。この5人は出家してシッダールタとともに修行してたんだけど、シッダールタが森を出て乳がゆを食べる姿を見て、がっかり。「あいつは苦行を放棄した。あいつは堕落者だと」とあきれて、彼のもとを去り、ムリガダーヴァということろに行っちゃうんだ。この5人はまたあとから出てくるから、覚えておいてね。

 
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 このあとシッダールタは 瞑想するためにプラ・ボーディギリという山の中腹にある洞窟に登った。ところが、座ろうとした途端に山が3回にわたって震動したそうだ。山の神が出てきて、「この山は悟りを開かれるのにふさわしい場所ではありません。この地の南東にあるアシュヴァッタ樹の下がふさわしい場所です」と、告げたんだって。そんなわけで、今はこの山を前正覚山【ぜんしょうがくざん】と呼んでいる。 

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 シッダールタが瞑想しようとした洞窟は留影窟と呼ばれているんだけど、残念ながら僕はまだ行ったことがない。なんで留影窟かというと、この山に住んでいた竜がどうしてもここでお悟りを開いて欲しいと頼んだんで、シッダールタが自分の影を置いてここを去ったからだそうだ。

 さあ、この山は降りたシッダールタはついにアシュヴァッタ樹の下で悟りを開くことになる。(つづく)
  
【 2014/05/07 11:01 】

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ブッダの生涯 その5


ブッダを知りませんか?

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 前正覚山を下りたシッダールタは、草刈りをしている村人から青々とした香りのいい草を敷物用にもらうんだけど、この草は吉祥草といってマガダ国では敷物によく用いられていたそうだ。日本でいったら稲藁みたいなものかな。この吉祥草を抱えたシッダールタは、ネーランジャラー河のほとりを悟りを開くにふさわしい場所を探して歩く。

金剛宝座と菩提樹 
 
 やがて、シッダールタはネーランジャラー河の西岸に1本のアシュヴァッタ樹を見つける。アシュヴァッタ樹って聞いたことないと思うけど、シッダールタがこの木の根元で悟りを開いたんで菩提樹と呼ぶようになったんだ。ブダガヤのマハー・ボーディ寺院には写真のような菩提樹があるけど、残念ながらブッダの時代のものではない。ブッダの時代のものは、6世紀にシャシャーンカ王という王さまによって切り倒されちゃったんだって。でも、大丈夫。スリランカのアヌラーダプラというところにスリー・マハー菩提樹というのがあるんだけど、アショーカ王の妹のサンガミッタがもともとの菩提樹から採った枝を運び、スリランカの王さまが大事に育てたものだ。このスリー・マハー菩提樹から育てたのが現在の菩提樹で、3代目ということになる。

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 菩提樹の葉は写真のようなハート形をしていて、ブダガヤではこの葉を葉脈だけにしたスケルトンリーフがお土産として売っている。安いから手軽なお土産として喜ばれていて、僕も何百枚も買ったもんだ。ああ、ちなみに菩提樹のお数珠があるけど、あれは金剛菩提樹とか星月菩提樹とか他の菩提樹で、この菩提樹じゃないよ。菩提樹はクワ科の常緑樹で、高さは30メートルにも達する。だから、酷暑のインドでは、大変にありがたい涼しい木陰を与えてくれる。そして何よりも、この菩提樹は古来より神が宿る霊樹として尊ばれていた。だからシッダールタはこの木の下を瞑想の場に選んだんだ。

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 シッダールタが悟りを開いた場所には現在マハー・ボーディ寺院があり、その中心となっているのが本堂にあたる高さ52メートルの大精堂だ。一番古い部分はアショーカ王によって建立されたものだが、 13世紀にイスラーム教徒が侵入した際にこれを土で覆い隠して守ったそうだ。バーミヤンの大仏を破壊したタリバーンのことを考えると、隠していなければ破壊されていたに違いない。重機もない時代にこんなでかいものを隠すための土を運ぶ作業がいかに大変だったか、当時の人々の信仰心の厚さが忍ばれる。その後この塔の場所は分からなくなってしまってたんだけど、1876年にビルマ(ミャンマー)の王さまが3人の官吏を派遣して、600年以上埋没していた基底部を発掘。その後、インド政府も黙って見過ごすことができなくなり、1863年にイギリスのアレキサンダー・カニンガムの指導のもとが発掘に着手したんだ。カニンガムはインダス文明のハラッパー遺跡の発掘でも知られる考古学者で、インド考古局を設立たことでも知られる。
 大精堂の裏手にシッダールタが悟りを開いた場所があり、これを金剛宝座と呼んでいる。われわれ仏教徒にとって一番重要な聖地だ。これを、1881年にベーグラーが探りあて、その下から仏舎利【ぶっしゃり】(ブッダのご遺骨)を発見した。

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金剛宝座(左手は菩提樹)

  話がそれちゃったけど、シッダールタはこの樹の下に吉祥草を敷き、東側を向いて正しく坐り、静かに瞑想に入った。僕がこの場所を初めて訪れたのは平成5年。その時は金剛宝座に触れることも出来て、涙があふれてきたのを今でも覚えている。でも、現在は石の柵で囲まれており中に入ることは出来ない。オウム真理教の麻原彰晃の罰当たりが金剛宝座に上がり、参詣者によって引き下ろされた事件以降、中に入ることが出来なくなってしまったんだ。

 「悟りを開くまで、この座を立たず」という覚悟で瞑想を始めたシッダールタだったけど、またまた悪魔が邪魔をしに現れる。苦行中はナムチという悪魔だったけど、今度はマーラーだ。マーラーは欲望の化身みたいな奴なんで、シッダールタが悟りを開いて、人々に「欲から離れることで苦から救われる」と説かれては、身の破滅。だから、なんとしてもシッダールタの悟りを阻止しようと、しつこく攻撃してくる。

 怪物の姿でシッダールタを攻撃してみたり、世間的な権力の魅力で誘惑してみたり、死の恐怖で瞑想を中断させようとしたり。そして最後は若さと美貌を誇る自分の娘を送る。

 「今はいい季節よ。あなたは若い。この美しい私たちの肢体を見ても何にも思わないの?さあ、一緒に遊びましょうよ。瞑想して悟るなんて無駄なことだわ。」

 僕だったら、「はい、そうですね」と、鼻の下を伸ばして、瞑想止めちゃうだろけど、シッダールタは少しも心動かすことなく、

 「肉体の快楽には悩みがつきものだ。わたしはとっくの昔にそういう悩みを超えている。世の人々は情欲に迷わされるが、わたしはもう欲望から解放されて精神的に自由だ。おまえたちが今そうして天女でいられるのは、昔善いことをした結果じゃないか。ここでわたしを誘惑したらそ、その結果は地獄に堕ちる。やめなさい」

 シッダールタの堅い覚悟と優しい思いやりの言葉にほろりとした娘たちは改心し、花をささげて、父マーラーのもとに帰って行きます。そして、

 「泥の中から抜け出た蓮の花のように清らかな姿、火のように輝く威光のあの方を、これ以上苦しめるのはお止めください、お父さま」とお願いした。もう完全にマーラーの負け。

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 こうして、瞑想を初めて7日後の12月8日。今まさに夜から朝になろうとする時、東の空が赤く染まり、明けの明星が輝いた瞬間、シッダールタはついに最高の悟りに達した。
「われ勝てり」
 ガウタマ・シッダールタはついに「目覚めた者」、ブッダとなられた。シッダールタ35歳の時のことだ。これを「降魔成道【ごうまじょうどう】」と言うんだけど、写真は マハーボディ寺院の大精堂内部の降魔成道仏。本来は黒石だったらしいんだけど、ミャンマーの信者さんによって金箔で覆われて、金ピカピンになったんだって。いつ拝んでも違和感のあるブッダ像だ。 

 さて、ブッダは何を悟ったんだろうね。大澤真幸先生は、それはXだとおっしゃっている(『ゆかいな仏教』)。悟ったのはブッダしかいないから、その内容はブッダだけが知っている。悟っていない人にはそれが何だか分からないからXだ。あなたも悟ればXが何だか分かりますよ、ということなんだけど。それじゃ納得がいかないよね。
 このXが後にだんだん肉付けされて難しい理論に発展していくんだけど、ブッダが悟ったのは、

これあるときにかれあり、これ生ずるときにかれ生ず。これ無きときにかれ無し。これ滅するときにかれも滅するなり」ということ。 
 
 いわゆる「縁起の法」というものだ。すべての事象はそれぞれが相互に依存し合い、あるものがそれ自体で存続することはない。かならず何かしらの原因(因)と条件(縁)があって、ある結果が生まれる。要するにこの世の中にあるものはべて関係性のうえにおいてのみ成り立ってますよ、ということだ。僕なりに解説してみようか。なんせ生ぐさ坊主だから、違ってるかも知れないけどね。

  ここに綺麗な花が咲いているとしよう。それは花の種があったから、咲いたんだよね。でも、種があったというだけでは花は咲かない。適当な気温と、水分があって種は芽を出し、土中の栄養分と太陽の光と二酸化炭素があって成長し、花が咲くわけだ。それらのうちどれか一つが欠けても、花は咲かない。そして、花はやがて枯れて種を残し、また次の花が咲くというように、この世の中のものすべてはいろんな原因と条件のもとで常に変化しながら、とどまることがない。
 
 僕はお父さんとお母さんから生まれた。当たり前だけどね。そのお父さんは僕のお爺ちゃんとお婆ちゃんから生まれた。よく坊さんが説教で使う話なんだけど、2代前のご先祖さまは4人、3代前は8人、こうやって10代前までさかのぼると1,024人のご先祖さまがいて、そのうちの1人がいなくても、あなたはこの世に生まれていなかったんですよ、って。だから、僕が今ここにいるということは、奇跡的なことなんだ。もっとスケールの大きな話をすると、人類の起源についてアフリカ単一説というのがある。現在この地球上に約72億人の人間がいるけど、そのご先祖さんはアフリカにいた一つのグループだという説だ。この説が正しければ、地球上の人類はみな共通のDNAで繋がっていて、兄弟みたいなもんだ。クリミヤ半島がウクライナかロシアかって争ってるけど、兄弟争いみたいなもんで馬鹿な話だ。

 すべてのものに原因があるとすれば、苦しみにも原因があるはず。だったら、その原因を取り除けば、苦しみも消えるということになるけど、そのことについてはまたいずれ話そう。

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 ブッダは悟りを開かれたあと7日間、菩提樹の下で足を組んだままの姿勢で「解脱の安楽」を心ゆくまで味わわれたという。その後7日間アジャパーニグローダ樹、さらに7日間ムチャリンダ樹の下で解脱の安楽を楽しまれた。ムチャリンダ樹の下にお坐りになられた時、時季はずれの雨が7日間降り続き、冷たい風が吹いたそうだ。その時ムチャリンダ竜王が釈尊の身体を覆って風雨から守ったという言い伝えがある。竜というと中国の竜を思い浮かべると思うけど、漢訳仏典の竜の原語はナーガで蛇のことだ。インドで蛇と言えば、もちろんコブラ。コブラは興奮すると鎌首を広げるから、傘のようになって釈尊の身体を風雨から守ることが出来る。大精堂の裏手の池の真ん中にはその時のブッダの像があるんだけど、わざわざそんな像を造らなくてもいいんじゃないの。想像するだけでいいの。想像するだけで、十分。 

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梵天勧請(1世紀、ガンダーラ出土)

 ブッダは7日ごとにいろんな樹の下で瞑想を楽しまれたんだけど、7回目の7日の瞑想の時のことだ。ブッダにこんな思いが生じた。

 「私が到り得たこの真理は甚だ深く、見がたく、理解しがたく、寂静であり、勝れており、推論の範囲を超え、微妙であり、賢者だけが知ることができるものである。ところが、この世の人々は感覚による快楽の対象に夢中になり、感覚による快楽の対象を楽しみ、感覚による快楽の対象を喜んでいる。このような人々には、この事、すなわちこれによってそれがあるという縁起の道理は見ることが難しい。またこの事も、すなわちすべての生産活動のしずまること、すべての執着を捨てること、欲望を滅尽すること、貪欲を離れること、煩悩を滅すること、涅槃を見ることもとても難しい。もし私が教えを説いたとしても、他の人々がわたしの言うことを理解してくれなかったら、それは私にとって疲労であるだけだ。それは私にとって苦悩であるだけだ。」(『マハーヴァッガ』)

 要するに、みんなに話したところで、悟りの内容は難しくて分からないだろうし、このまま死んじゃおうと思ったわけだ。でも、そうなるとブッダの教えは現在に伝わっていない、ということは、僕は坊さんしてないということになる。それを救ったのがブラフマー神(梵天)だ。シッダールタ誕生の時にも出てきたバラモン教の神さまだ。このブラフマー神が「願わくは憂いに沈み、生死に悩める衆生を導きたまえ。起【た】て、勇気ある者よ。世間に遊行したまえ。法を説きたまえ」って、3回お願いした。それで、ようやくブッダは、

 「不死の門はいま開かれた。耳あるものは聞きなさい」と、布教を宣言。瞑想の座から立ち上がり、静かに歩き始めた。(つづく)



【 2014/05/06 11:57 】

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