なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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さらに、宿王華よ、もしも女性がこの法門を聞いて、それを会得し、受持するならば、その人にとって、現在女性であることは、まさに最後となるであろう。
誰であれ、後の500年において、この『薬王の過去との結びつきの章』を聞いて、修行する女性は、ここで死亡して、極楽(スカーヴァーティ)世界に男性となって生まれるであろう。
その世尊である、阿弥陀(無量の寿命を持つもの)という正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダが、菩薩の群衆に囲まれて、滞在し、存在し、時を過ごしているところに、その人は紅蓮華の胎の中にある獅子座に坐って生まれるであろう。そして、貪愛・憎悪・迷妄〔、すなわち貪欲・瞋恚・愚痴の三毒〕や、自分を自慢すること、もの惜しみ、怒り、悪意が、その人を煩わせることはないであろう。しかも、その人は、そこに生まれると同時に、5つの神通を得るであろうし、何ものも生ずることはないという真理を認める〔無生法忍の〕知も得るであろう。
誰であれ、後の500年において、この『薬王の過去との結びつきの章』を聞いて、修行する女性は、ここで死亡して、極楽(スカーヴァーティ)世界に男性となって生まれるであろう。
その世尊である、阿弥陀(無量の寿命を持つもの)という正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダが、菩薩の群衆に囲まれて、滞在し、存在し、時を過ごしているところに、その人は紅蓮華の胎の中にある獅子座に坐って生まれるであろう。そして、貪愛・憎悪・迷妄〔、すなわち貪欲・瞋恚・愚痴の三毒〕や、自分を自慢すること、もの惜しみ、怒り、悪意が、その人を煩わせることはないであろう。しかも、その人は、そこに生まれると同時に、5つの神通を得るであろうし、何ものも生ずることはないという真理を認める〔無生法忍の〕知も得るであろう。
しかもなお、宿王華よ、何ものも生ずることはないという真理を認める知を得たその偉大な人である菩薩は、72のガンジス河の砂の数に等しい多くのブッダたちに会うであろう。そして、その人には、そのように完全に清められた視覚の能力が具わるであろうし、完全に清められたその視覚の能力によって、それらの世尊であるブッダたちを見るであろう。
そして、それらの世尊であるブッダたちは、この人に対して、次の感嘆の言葉を発するであろう。
『素晴らしいことである。素晴らしいことである。良家の息子よ、あなたが、「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を聞いて、その正しく完全に覚った尊敬されるべき世尊の釈迦牟尼如来の教えのもとで、教示し、独りで読誦し、修行し、熟慮し、考えをめぐらし、さらに他の衆生のためにこの法門を説き明かしたということは。
良家の息子よ、あなたのこの福徳の生成は、火で焼き尽くすこともできないし、水で運び去ることもできないのだ。あなたのこの福徳の生成は、1000人のブッダたちでさえも説き尽くすことはできないのだ。あなたは、悪魔という対抗者を打ち破り、恐怖の集まりを克服し、敵という棘を粉砕したのだ。あなたは、幾100・1000ものブッダたちによって加護されているのだ。
良家の息子よ、神々に伴われ、悪魔に伴われ、またブラフマー神に伴われた世界において、沙門やバラモンに伴われた生きとし生けるものたちの中で、あなたに匹敵するものは、ブッダ一人を除いて、見出されないのだ。声聞であれ、独覚であれ、菩薩であれ、福徳の点で、あるいは智慧の点で、あるいは三昧の点で、あなたに勝ることのできる人は、ブッダを除いて他に決して誰もいないのである』
宿王華よ、その菩薩は、このようにして知の力を獲得するに到るであろう。誰であれ、この『薬王の過去との結びつきの章』が語られているのを聞いて、『素晴らしいことです』という感嘆の言葉を発するならば、その人の口からは青睡蓮の香りが漂い、また、その人の身体からは栴檀の香りが生ずるであろう。この法門に『素晴らしいことです』という感嘆の言葉を発するならば、その人には、私が今説いたこれらのこのような現世的な功徳と称讃があるであろう。
それ故に、宿王華よ、〔恐るべき〕後の時代、後の状況において、後の500年が進行している間に、このジャンブー州においてこの章が流布して、消失するに到ることがないように、また悪魔のパーピーヤスがつけ入る機会を得ることがないように、悪魔の集団に属する神々たちも、龍たちも、ヤクシャたちも、ガンダルヴァたちも、クンバーンダ鬼たちもつけ入る機会を得ることがないように、私はこの『一切衆生喜見という偉大な人である菩薩の過去との結びつきの章』を付嘱しよう。
『素晴らしいことである。素晴らしいことである。良家の息子よ、あなたが、「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を聞いて、その正しく完全に覚った尊敬されるべき世尊の釈迦牟尼如来の教えのもとで、教示し、独りで読誦し、修行し、熟慮し、考えをめぐらし、さらに他の衆生のためにこの法門を説き明かしたということは。
良家の息子よ、あなたのこの福徳の生成は、火で焼き尽くすこともできないし、水で運び去ることもできないのだ。あなたのこの福徳の生成は、1000人のブッダたちでさえも説き尽くすことはできないのだ。あなたは、悪魔という対抗者を打ち破り、恐怖の集まりを克服し、敵という棘を粉砕したのだ。あなたは、幾100・1000ものブッダたちによって加護されているのだ。
良家の息子よ、神々に伴われ、悪魔に伴われ、またブラフマー神に伴われた世界において、沙門やバラモンに伴われた生きとし生けるものたちの中で、あなたに匹敵するものは、ブッダ一人を除いて、見出されないのだ。声聞であれ、独覚であれ、菩薩であれ、福徳の点で、あるいは智慧の点で、あるいは三昧の点で、あなたに勝ることのできる人は、ブッダを除いて他に決して誰もいないのである』
宿王華よ、その菩薩は、このようにして知の力を獲得するに到るであろう。誰であれ、この『薬王の過去との結びつきの章』が語られているのを聞いて、『素晴らしいことです』という感嘆の言葉を発するならば、その人の口からは青睡蓮の香りが漂い、また、その人の身体からは栴檀の香りが生ずるであろう。この法門に『素晴らしいことです』という感嘆の言葉を発するならば、その人には、私が今説いたこれらのこのような現世的な功徳と称讃があるであろう。
それ故に、宿王華よ、〔恐るべき〕後の時代、後の状況において、後の500年が進行している間に、このジャンブー州においてこの章が流布して、消失するに到ることがないように、また悪魔のパーピーヤスがつけ入る機会を得ることがないように、悪魔の集団に属する神々たちも、龍たちも、ヤクシャたちも、ガンダルヴァたちも、クンバーンダ鬼たちもつけ入る機会を得ることがないように、私はこの『一切衆生喜見という偉大な人である菩薩の過去との結びつきの章』を付嘱しよう。
それ故に、宿王華よ、私は、このジャンブー州においてこの法門を神通力によって加護するのだ。病気にかかって衰弱している衆生にとって、真の薬となるであろう。この法門を聞いて後、病も、老衰も、不時の死も身体に近づくことはないのだ。
さらに、宿王華よ、もしも、誰であれ、菩薩のための乗り物によって出で立った人が、この経を受持する男性出家者を見るならば、その男性出家者に栴檀の粉末や、青連華をふりかけるべきである。ふりかけた後で、次のような心を発すべきである。
『この良家の息子は、覚りの座に赴くであろう。この人は、草を取って、覚りの座に草の敷物をしつらえるであろう。この人は、悪魔とヤクシャを征服するであろう。この人は、法の螺貝を吹き鳴らすであろう。この人は、法の鼓を打ち鳴らし、この人は生死という生存の大海を渡るであろう』
宿王華よ、このように、良家の息子であれ、良家の娘であれ、その菩薩のための乗り物によって出で立った人は、この経を受持する男性出家者を見て、以上のような心を発すべきである。
以上のように、ブッダの私が説いたそのような功徳と称讃が、その人に生じるであろう」
さて、この「薬王と過去との結びつきの章」が説かれている間に、8万4000人の菩薩たちに、すべての音声に精通し、随順するダーラニーの獲得があった。そして、その世尊である多宝という正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダは、次の感嘆の言葉を残した。
「素晴らしいことである。素晴らしいことである。宿王華よ、実にここにおいて、あなたは、このように考えも及ばない威徳と美徳を具えたブッダに質問をしたのだ」と。
以上が、聖なる「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門の中の「薬王の過去との結びつきの章」という名前の第22章である。 (薬王菩薩本事品第23おわり)
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さらにまた、良家の息子であれ、良家の娘であれ、この上ない正しく完全な覚りを求めてその菩薩のための乗り物によって出で立った人が、ブッダのチャイティヤにおいて足の親指を燃やしたり、1本の手の指か、足の指、あるいは1本の足、あるいは腕を燃やすならば、その菩薩のための乗り物によって出で立った人は、より多くの福徳を生ずるのである。それほど多くの福徳は、王国を喜捨することからも、決して生ずることがなく、愛する息子や、娘、妻を喜捨することからも生ずることがなく、森や、海、山、泉、池、湖、井戸、園林を具えた三千大千世界を喜捨することからも生ずることがないのである。
さらにまた、良家の息子であれ、良家の娘であれ、菩薩のための乗り物によって出で立った人が、この三千大千世界を七宝で満たして、すべてのブッダ、菩薩、声聞、独覚に対して布施を施すとしても、その良家の息子、あるいは良家の娘は、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門の中から、4つの句で構成されたただ一つの詩でさえも受持するその良家の息子、良家の息子、あるいは良家の娘が生ずる福徳に比べれば、それほど多くの福徳を生ずることはないのだ。
その後者の人の福徳の生成のほうが、より多いものであると、私は言うのであり、この三千大千世界を七宝で満たして、すべてのブッダ、菩薩、声聞、独覚に対して布施を施しているその前者の人の福徳の生成は、決してその後者の人より多いことはないのである。
宿王華よ、あたかも大海が、すべての泉、池、湖の第一のものであるように、まさにこの「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門は、ブッダによって説かれたすべての経の第一のものなのである。
さらにまた、良家の息子であれ、良家の娘であれ、菩薩のための乗り物によって出で立った人が、この三千大千世界を七宝で満たして、すべてのブッダ、菩薩、声聞、独覚に対して布施を施すとしても、その良家の息子、あるいは良家の娘は、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門の中から、4つの句で構成されたただ一つの詩でさえも受持するその良家の息子、良家の息子、あるいは良家の娘が生ずる福徳に比べれば、それほど多くの福徳を生ずることはないのだ。
その後者の人の福徳の生成のほうが、より多いものであると、私は言うのであり、この三千大千世界を七宝で満たして、すべてのブッダ、菩薩、声聞、独覚に対して布施を施しているその前者の人の福徳の生成は、決してその後者の人より多いことはないのである。
宿王華よ、あたかも大海が、すべての泉、池、湖の第一のものであるように、まさにこの「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門は、ブッダによって説かれたすべての経の第一のものなのである。
あたかも山の王であるスメール山が、すべてのカーラ山や、チャクラヴァーダ山、大チャクラヴァーダ山の第一のものであるように、まさにこの「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門は、ブッダによって説かれたすべての経の王であり、第一のものなのである。
あたかも光を発する月が、すべての星宿の最高のものであるように、まさにこの「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門は、幾100・1000・コーティ・ナユタもの月にも勝って輝くものであり、ブッダによって説かれたすべての経の最高のものなのである。
あたかも日輪が、すべての暗黒を消滅させるように、まさにそのように、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門は、あらゆる善ならざる暗黒を消滅させるのである。
あたかもシャクラ神(帝釈天 )が、三十三天の神々の王であるように、まさにそのように、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門は、ブッダによって説かれたすべての経の王なのである。
宿王華よ、あたかもサハー世界の王であるブラフマー神(梵天 )が、ブラフマー神群に属するすべての神々たちの王であって、ブラフマー神の世界において父親のなすべきことをなすように、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門は、まだ学ぶべきことのある有学 と、もはや学ぶべきことのない無学のすべての衆生、またすべての声聞たち、独覚たち、そして菩薩のための乗り物によって出で立った人たちのために、父親のなすべきことをなすのである。
あたかも須陀洹 (聖者としての流れに入ったもの)や、斯陀含 (天界から人間界にもう一度だけ還ってきて覚りを得るもの)、阿那含 (二度と迷いの世界に還ってこないもの)、阿羅漢 (一切の煩悩を断じ尽くして、もはや学ぶことのなくなったもの)、師なくして独自に覚りを得た独覚 が、すべての愚かな人や凡人たちに勝っているように、まさにそのように、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門は、ブッダによって説かれたすべての経に勝って、ずば抜けており、第一のものであると知られるべきである。
宿王華よ、実にこの経の王を受持する衆生もまた、第一のものであると知られるべきである。
あたかも菩薩が、すべての声聞と独覚のうちの最高のものであると言われるように、まさにこの「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門は、ブッダによって説かれたすべての経のうちの最高のものであると言われるのだ。あたかもブッダが、すべての声聞、独覚、菩薩たちにとって、冠をかぶった法の王であるように、まさにそのように、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門は、菩薩のための乗り物によって出で立ったものたちにとっての真のブッダである。実にまた、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門は、すべての衆生をあらゆる恐怖から救済するものであり、あらゆる苦しみから解放するものである。
宿王華よ、実にこの経の王を受持する衆生もまた、第一のものであると知られるべきである。
あたかも菩薩が、すべての声聞と独覚のうちの最高のものであると言われるように、まさにこの「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門は、ブッダによって説かれたすべての経のうちの最高のものであると言われるのだ。あたかもブッダが、すべての声聞、独覚、菩薩たちにとって、冠をかぶった法の王であるように、まさにそのように、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門は、菩薩のための乗り物によって出で立ったものたちにとっての真のブッダである。実にまた、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門は、すべての衆生をあらゆる恐怖から救済するものであり、あらゆる苦しみから解放するものである。

喉が渇いた人たちにとっての池のように、寒さに悩まされている人たちにとっての火のように、裸の人たちにとっての衣服のように、商人たちにとっての隊商の隊長のように、息子たちにとっての母親のように、向こう岸に渡ろうとする人たちにとっての舟のように、病気の人たちにとっての医者のように、暗黒に取り囲まれている人たちにとっての燈明のように、財産を求めている人たちにとっての宝石のように、すべての城の王たちにとっての転輪聖王のように、諸々の河川にとっての大海のように、すべての暗黒を打ち破る松明のように、まさにこの「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門は、衆生をすべての苦しみから解放するものであり、すべての病を断ち切るものであり、すべての生存領域の循環(輪廻)における恐怖や、束縛、危険な状態から解放するものである。
また、宿王華よ、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を聞く人、また書写する人、また、他者に書写させる人、これらの人たちに生ずる福徳の終わりには、ブッダの所有する知によっても達することはできないのだ。
この法門を受持したり、読誦したり、説き示したり、聞いたり、書写したり、写本の形にした後に尊重し、恭敬し、讃嘆し、供養し、花や、末香、薫香、花環、塗香、焼香、衣、日傘、旗、幟、勝利の旗によって、あるいは楽器の演奏や、衣服、合掌することによって、あるいは酥油の燈明、香油の燈明、チャンパカ油の燈明、スマナス油の燈明、パータラ油の燈明、ヴァールシカ油の超明、ナヴァ・マーリカ(ジャスミン)油の燈明、あるいは多くの種類の供養によって、尊重をなし、恭敬をなし、讃嘆をなし、供養をなす人は、良家の息子であれ、良家の娘であれ、ブッダの知によっても、その終わりに達することのできない、それほど多くの福徳を生ずるであろう。
宿王華よ、良家の息子であれ、良家の娘であれ、この『薬王の過去との結びつきの章』を受持し、読誦し、聞く人は、菩薩のための乗り物によって出で立ったのであり、多くの福徳を生ずるであろう。(つづく)
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そこで、その世尊である日月浄明徳如来は、その一切衆生喜見菩薩に、このように教示してから、まさにその夜の夜半から明け方にかけての後夜に、煩悩を余すことのない涅槃(無余涅槃 )の境地において完全なる滅度に入られたのである。
そこで、その一切衆生喜見菩薩は、その世尊である日月浄明徳如来が完全なる滅度に入ったのを知って、ウラガ・サーラ栴檀を薪 として積み重ね、そのブッダの身体に点火した。ブッダの身体が燃え尽き、消滅したのを知って、一切衆生喜見菩薩は、そこに残った遺骨を手に取り、号泣し、慟哭 し、悲嘆した。
そこで、その一切衆生喜見菩薩は、号泣し、慟哭し、悲嘆した後に、七宝で造られた8万4000個の壺を作らせて、その中にそのブッダの遺骨を納めて、高さがブラフマー神の世界にまで至り、日傘の列で荘厳され、細長い布や鈴が揺れ動いている七宝で造られた8万4000のストゥーパを建てさせた。
そこで、その一切衆生喜見菩薩は、その世尊である日月浄明徳如来が完全なる滅度に入ったのを知って、ウラガ・サーラ栴檀を薪 として積み重ね、そのブッダの身体に点火した。ブッダの身体が燃え尽き、消滅したのを知って、一切衆生喜見菩薩は、そこに残った遺骨を手に取り、号泣し、慟哭 し、悲嘆した。
そこで、その一切衆生喜見菩薩は、号泣し、慟哭し、悲嘆した後に、七宝で造られた8万4000個の壺を作らせて、その中にそのブッダの遺骨を納めて、高さがブラフマー神の世界にまで至り、日傘の列で荘厳され、細長い布や鈴が揺れ動いている七宝で造られた8万4000のストゥーパを建てさせた。
その一切衆生喜見菩薩は、それらのストゥーパを建てさせて、次のように考えた。
『私は、その世尊である日月浄明徳如来の遺骨に対して、供養を行なった。しかしながら、私は、ブッダの遺骨に対してこれよりもなおいっそう勝れた供養を行なおう』と。
そこでさらに、その一切衆生喜見菩薩は、その菩薩の群衆のすべてや、それらの偉大なる声聞たち、それらの神々、龍、ヤクシャ、ガンダルヴァ、アスラ。ガルーダ、キンナラ、マホーラガといった人間、人間以外のものたちの群衆に告げた。
『良家の息子たちよ、あなたたちはすべて、〈私たちは、その世尊の遺骨に対して供養を行なおう〉と念ずるべきである』
するとその時、その一切衆生喜見菩薩は、それらのブッダの遺骨を納めた8万4000のストゥーパの前で、幾百もの福徳の相で飾られた自分の腕に火を着けた。7万2000年の間、腕を燃やして、それらのブッダの遺骨を納めたストゥーパに対して供養を行なったのである。
また、一切衆生喜見菩薩は、供養を行ないながら、その集会の幾100・1000・コーティ・ナユタもの数えることのできない声聞たちを教化した。そして、それらのすべての菩薩たちは、現一切色身 (あらゆる姿を顕現すること)という三昧 を得たのである。
『私は、その世尊である日月浄明徳如来の遺骨に対して、供養を行なった。しかしながら、私は、ブッダの遺骨に対してこれよりもなおいっそう勝れた供養を行なおう』と。
そこでさらに、その一切衆生喜見菩薩は、その菩薩の群衆のすべてや、それらの偉大なる声聞たち、それらの神々、龍、ヤクシャ、ガンダルヴァ、アスラ。ガルーダ、キンナラ、マホーラガといった人間、人間以外のものたちの群衆に告げた。
『良家の息子たちよ、あなたたちはすべて、〈私たちは、その世尊の遺骨に対して供養を行なおう〉と念ずるべきである』
するとその時、その一切衆生喜見菩薩は、それらのブッダの遺骨を納めた8万4000のストゥーパの前で、幾百もの福徳の相で飾られた自分の腕に火を着けた。7万2000年の間、腕を燃やして、それらのブッダの遺骨を納めたストゥーパに対して供養を行なったのである。
また、一切衆生喜見菩薩は、供養を行ないながら、その集会の幾100・1000・コーティ・ナユタもの数えることのできない声聞たちを教化した。そして、それらのすべての菩薩たちは、現一切色身 (あらゆる姿を顕現すること)という三昧 を得たのである。
すると、そのすべての菩薩の群衆と、それらのすべての偉大なる声聞たちは、その一切衆生喜見菩薩が、身体に障害を持つものとなったのを見て、涙で顔を濡 らして、号泣し、慟哭し、悲嘆しながら、互いに次のように言った。
『この一切衆生喜見菩薩は、私たちの師であり、教化者である。まさにその人が今、身体に障害を持つものとなり、腕のないものとなってしまわれた』と。
すると、その一切衆生喜見菩薩は、それらの菩薩たちや、それらの偉大なる声聞たち、それらの神々の子たちに告げた。
『良家の息子たちよ、あなたたちは、私が身体に障害を持つのを見て、号泣してはいけない。慟哭してもいけないし、悲嘆してもいけないのだ。
良家の息子たちよ、誰であれ、十方にある際限のない無限の世界において滞在し、存在し、時を過ごしておられる世尊であるブッダたちのすべてを証人となして、この私は、それらのブッダたちの面前で真実の誓いを立てよう。〈ブッダの供養のために私自身の腕を喜捨して後、私の身体を金色 にする真実と真実の言葉によって、私のこの腕は元のようになれ。そして、この大地は6種類に震動せよ、空中にいる神々の子たちは、大いに花の雨を降らせよ〉と』
すると、その一切衆生喜見菩薩が、この真実の誓いを直ちに立てると、まさにその時、この三千大千世界が6種類に震動し、上方の空中から大いなる花の雨が降った。そして、その一切衆生喜見菩薩のその腕は、元のようになった。すなわち、それはまさにその偉大な人である菩薩の知の力の獲得と、福徳の力の獲得によってである。
ところで、宿王華よ、あなたは、疑わしいこと、あるいは考え違い、あるいは疑惑があるかも知れない、その時その情況で、その一切衆生喜見菩薩は、誰か他の人であったと。
しかしながら、あなたはそのように見なすべきではない。それは、どんな理由によってか?この薬王という偉大な人である菩薩こそが、その時その情況で、一切衆生喜見菩薩であったからだ。薬王という菩薩は、幾100・1000・コーティ・ナユタものそれほど多くのなし難いことをなし、さらに自己の身体を喜捨することをなしたのだ。(つづく)
その一切衆生喜見菩薩の身体が燃え続けている間に、1200年が過ぎ去った。けれども、その火が消えるには至らなかった。1200年が経過した後に、それは消えたのだ。
すると、その一切衆生喜見菩薩は、このようなブッダに対する供養と、法に対する供養を行なって、そこで死んで、まさにその世尊である日月浄明徳如来の説法のもとで、浄徳(清らかな布施をなすもの)という王の家に、〔前世の業 の結果として〕化生 して生まれ、王の膝の上に結跏趺坐 して出現した。
そして、生まれると直ちに、その一切衆生喜見菩薩は、その時、自分の母と父に一つの詩によって語りかけた。
『最も勝れた王よ、これが私のそぞろ歩きの場所であります。そこに立って、私は三
昧 を得ました。いとおしい自己の身体を喜捨して、堅固な努力精進と、大いなる誓戒
とに取り組んだのです』
そこで、その一切衆生喜見菩薩は、この詩を語りかけた後、自分の母と父に、次のように言った。
『母よ、父よ、今もまた、その世尊である日月浄明徳如来は、今、滞在し、存在し、時を過ごし、法を説き示しておられます。その世尊である日月浄明徳如来に対して、供養を行なった後、私は、解一切衆生語言 (すべての音声に精通している)というダーラニーを得ました。そして、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を、800万・コーティ・ナユタのカンカラ・ヴィヴァラ・アクショービア倍という数え切れぬほどの詩によって、その世尊から直接聞きました。
それ故に、母よ、父よ、さあ、私はその世尊のもとにまいりましょう。そこに行って、私は、その世尊にさらに供養をなしましょう』と。
すると、その一切衆生喜見菩薩は、その時、ターラ樹の7倍の高さの空中に上昇し、七宝で造られた楼閣の上で結跏趺坐して、その世尊の所に近づいた。近づいてから、その世尊の両足を頭におしいただくことによって敬意を表して、その世尊の周りを7回、右回りに回ってから、その世尊のおられるところに向かって合掌して、その世尊に敬礼した後、次の詩によって讃嘆した。
『清らかな顔を持つ賢明な人間の王よ、あなたの光明はこの十方に輝いております。
人格を完成した人よ、あなたのために自らの身体を喜捨するという最高の供養をなし
て、私はあなたに会うためにここにまいりました』
そこで、その一切衆生喜見菩薩は、その時、この詩を述べてから、その世尊である日月浄明徳如来に次のように申し上げた。
『世尊よ、あなたは今もなお、この世に住しておられます』
すると、その日月浄明徳如来は、その一切衆生喜見菩薩に次のように言った。
『良家の息子よ、私が完全なる滅度に入る時が来た。良家の息子よ、私がこの世から消滅する時が来た。それ故に、良家の息子よ、あなたは、行って、私のために臥床 を用意しなさい。私は完全なる滅度に入るであろう』と。
すると、その世尊である日月浄明徳如来は、その一切衆生喜見菩薩に次のようにおっしゃられた。
『良家の息子よ、私はあなたにこの教えを付嘱 しよう。また、これらの偉大な人である菩薩たちや、これらの偉大な人である声聞たち、このブッダの覚り、この世界、これらの宝石でできた堂閣、これらの宝石の樹木、さらには私の侍者であるこれらの神々の子たちも、私はあなたに付嘱しよう。また、良家の息子よ、私が完全なる滅度に入った後、私の遺骨を私はあなたに付嘱しよう。
そして、良家の息子よ、あなた自身は、私の遺骨に対して広大な供養をなうべきであり、また、それらの遺骨を流布 させるべきであり、何千もの多くのストゥーパを建てるべきである』(つづく)
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その時、宿王華 (星宿の王によって花で飾られた神通を持つもの)という偉大な人である菩薩は、世尊に次のように申し上げた。
「世尊よ、いかなる理由で薬王菩薩は、このサハー世界を遍歴するのでありましょうか?しかも、世尊よ、この菩薩には幾100・1000・コーティ・ナユタもの多くのなし難いことが見られます。
世尊であり正しく完全に覚られた尊敬されるべきブッダは、何であれ、薬王菩薩に具わる行ないの一部分だけでも、どうか説き示してください。それを聞いて、神々、龍、ヤクシャ、ガンダルヴァ、アスラ、ガルーダ、キンナラ、マホーラガ、人間、人間以外のものたちや、そのほかの世界からやって来た偉大な人である菩薩たち、さらにはこれらの偉大なる声聞たちのすべてが聞いて、喜び、満足し、心が高揚し、心が満たされるでありましょう」と。
「世尊よ、いかなる理由で薬王菩薩は、このサハー世界を遍歴するのでありましょうか?しかも、世尊よ、この菩薩には幾100・1000・コーティ・ナユタもの多くのなし難いことが見られます。
世尊であり正しく完全に覚られた尊敬されるべきブッダは、何であれ、薬王菩薩に具わる行ないの一部分だけでも、どうか説き示してください。それを聞いて、神々、龍、ヤクシャ、ガンダルヴァ、アスラ、ガルーダ、キンナラ、マホーラガ、人間、人間以外のものたちや、そのほかの世界からやって来た偉大な人である菩薩たち、さらにはこれらの偉大なる声聞たちのすべてが聞いて、喜び、満足し、心が高揚し、心が満たされるでありましょう」と。
すると、世尊は、宿王華菩薩の願いを知って、その菩薩に次のようにおっしゃられた。
「良家の息子よ、かつて、ガンジス河の砂の数に等しい劫を隔てた過去の世に、その時その情況で、
日月浄明徳 (月と太陽の汚れのない光明によって吉祥であるもの)という名前の正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダが世間に出現したのだ。
しかも、宿王華よ、その世尊である日月浄明徳如来には、80・コーティもの偉大な人である菩薩たちの大集団が属しており、また、このブッダには72のガンジス河の砂の数に等しい声聞たちの集団が属していた。
しかも、その説法の場には、女性はいなかったし、地獄や、畜生、餓鬼、アスラといった4つの悪しき境遇の群衆もいなかった。そのブッダの国土は、掌 のように平坦で、喜ばしく、大地が天上の瑠璃 で造られていて、宝樹や栴檀 の木で見事に飾られ、宝石の網が風に揺れ動いて、連綿とした細長い布片の帯が垂れ下がり、宝石の香炉で香が焚 かれていた。
そして、すべての宝樹の根もとには、矢の射程の高さほどのところまで宝石造りの高楼がそびえ立っていた。また、すべて宝石造りの高楼の頂上には、幾100・コーティもの神々の子たちが、その日月浄明徳如来に対する供養のために、楽器、シンバル、合唱を演奏し続けていた。
さらに、その世尊は、一切衆生喜見 (あらゆる衆生が喜んで見るもの)という偉大な人である菩薩を足がかりとなして、それらの偉大なる声聞たちや、それらの偉大な菩薩たちのために、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を詳しく説き明かした。
ところで、宿王華よ、その世尊である日月浄明徳如来の寿命の長さは4万2000劫であったし、また、それらの偉大な人である菩薩たちと、それらの偉大なる声聞たちの寿命の長さもそれと同じであった。
「良家の息子よ、かつて、ガンジス河の砂の数に等しい劫を隔てた過去の世に、その時その情況で、
日月浄明徳 (月と太陽の汚れのない光明によって吉祥であるもの)という名前の正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダが世間に出現したのだ。
しかも、宿王華よ、その世尊である日月浄明徳如来には、80・コーティもの偉大な人である菩薩たちの大集団が属しており、また、このブッダには72のガンジス河の砂の数に等しい声聞たちの集団が属していた。
しかも、その説法の場には、女性はいなかったし、地獄や、畜生、餓鬼、アスラといった4つの悪しき境遇の群衆もいなかった。そのブッダの国土は、掌 のように平坦で、喜ばしく、大地が天上の瑠璃 で造られていて、宝樹や栴檀 の木で見事に飾られ、宝石の網が風に揺れ動いて、連綿とした細長い布片の帯が垂れ下がり、宝石の香炉で香が焚 かれていた。
そして、すべての宝樹の根もとには、矢の射程の高さほどのところまで宝石造りの高楼がそびえ立っていた。また、すべて宝石造りの高楼の頂上には、幾100・コーティもの神々の子たちが、その日月浄明徳如来に対する供養のために、楽器、シンバル、合唱を演奏し続けていた。
さらに、その世尊は、一切衆生喜見 (あらゆる衆生が喜んで見るもの)という偉大な人である菩薩を足がかりとなして、それらの偉大なる声聞たちや、それらの偉大な菩薩たちのために、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を詳しく説き明かした。
ところで、宿王華よ、その世尊である日月浄明徳如来の寿命の長さは4万2000劫であったし、また、それらの偉大な人である菩薩たちと、それらの偉大なる声聞たちの寿命の長さもそれと同じであった。
そして、その一切衆生喜見菩薩は、その世尊の説法のもとで困難な修行に専念した。その菩薩は、1万2000年の間、そぞろ歩きの場所に立ち、卓越した努力精進への取り組みによって、精神統一に専念していた。1万2000年の経過の後、一切衆生喜見菩薩は、満足して、心が高揚し、心が満たされ、狂喜し、喜悦と歓喜を生じ、その時、次のように考えた。
『この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門の故に、私は、この現一切色身 (あらゆる姿を顕現すること)という三昧 を獲得した。』
その時、その一切衆生喜見菩薩は次のように考えた。
『そういうわけで、私は、世尊である日月浄明徳如来と、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門に対して供養をしよう』
その時、その菩薩は、その三昧に入った。その三昧に入るやいなや、その時、直ちに上方の空中から曼陀羅華と大曼陀羅華の大いなる花の雨が降った。また、カーラ・アヌサーリン栴檀の雲がわき起こり、ラガウ・サーラの栴檀の雨が降った。
しかも、宿王華よ、そのような香の種類は、価格の点では、その1カルシャ(約18g)の重量が、このサハー世界に匹敵するほどである。
『この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門の故に、私は、この現一切色身 (あらゆる姿を顕現すること)という三昧 を獲得した。』
その時、その一切衆生喜見菩薩は次のように考えた。
『そういうわけで、私は、世尊である日月浄明徳如来と、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門に対して供養をしよう』
その時、その菩薩は、その三昧に入った。その三昧に入るやいなや、その時、直ちに上方の空中から曼陀羅華と大曼陀羅華の大いなる花の雨が降った。また、カーラ・アヌサーリン栴檀の雲がわき起こり、ラガウ・サーラの栴檀の雨が降った。
しかも、宿王華よ、そのような香の種類は、価格の点では、その1カルシャ(約18g)の重量が、このサハー世界に匹敵するほどである。
そこでさらに、その一切衆生喜見菩薩は、しっかりとした意識をもって、思慮深く、その三昧から立ち上がった。立ち上がってから、次のように考えた。
『神力によって奇跡を顕現して世尊に供養をなすことは、自己の身体を喜捨することによって供養をなすことには、はるかに及ばない』と。
そこでさらに、その一切衆生喜見菩薩は、その時、香木の沈水香、トゥルシュカ、クンドゥルカの樹液を飲み、また、チャンパカの〔花から採った〕香油を飲んだ。
しかも、そのようにして、その一切衆生喜見菩薩は、絶えることなく常に香を飲食し、チャンパカの花の油を飲み続けているうちに、12年が過ぎ去った。
すると、その一切衆生喜見菩薩は、その12年の経過の後、自分の身体を天上の衣で包んで香油の中に浸 け、自らに願力を加えた。自らに願力を加えて後、ブッダに対する供養のために、また、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門に対する供養のために、自分の体に火を着けた。
『神力によって奇跡を顕現して世尊に供養をなすことは、自己の身体を喜捨することによって供養をなすことには、はるかに及ばない』と。
そこでさらに、その一切衆生喜見菩薩は、その時、香木の沈水香、トゥルシュカ、クンドゥルカの樹液を飲み、また、チャンパカの〔花から採った〕香油を飲んだ。
しかも、そのようにして、その一切衆生喜見菩薩は、絶えることなく常に香を飲食し、チャンパカの花の油を飲み続けているうちに、12年が過ぎ去った。
すると、その一切衆生喜見菩薩は、その12年の経過の後、自分の身体を天上の衣で包んで香油の中に浸 け、自らに願力を加えた。自らに願力を加えて後、ブッダに対する供養のために、また、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門に対する供養のために、自分の体に火を着けた。
すると、その一切衆生喜見菩薩の身体の燈火から放たれたそれらの光と焔 に照らされて、80のガンジス河の砂の数に等しい世界が明らかに出現した。そして、それらの世界において、まさに80のガンジス河の砂の数に等しいそれらの世尊であるブッダたちのすべてが、感嘆の言葉を発した。
『素晴らしいことである。素晴らしいことである。良家の息子よ、あなたは、実に素晴らしい。良家の息子よ、これこそが、偉大な人である菩薩にとって、真の努力精進への取り組みであり、これこそが、真実のブッダに対する供養であり、法に対する供養である。花や、末香、薫香、花環、塗香、焼香、衣、日傘、旗、幟による供養も、それに及ぶことはなく、喜ばしいものによる供養も及ぶことはなく、ウラガ・サーラ栴檀による供養も及ぶことはないのだ。
良家の息子よ、これこそが、最高の布施であり、王国を喜捨する布施も、愛する息子と妻を喜捨する布施も、それに及ぶことはないのだ。さらに、良家の息子よ、この自己の身体を喜捨することは法に対する供養であって、最上にして、最高であり、最善で、最も勝れ、卓越したものなのである』
そこで、さらに、宿王華よ、それらの世尊であるブッダたちは、以上の言葉を語ると、沈黙してしまった。(つづく)
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