なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)
千日尼御返事⑤
故阿仏房尼御前御返事
追申
絹染の袈裟一つまいらせ候ふ。
豊後房に申さるべし。既に法門日本国にひろまりて候ふ。北陸道をば
豊後房なびくべきに学生ならでは叶ふべからず。九月十五日以前にいそ
ぎいそぎまいるべし。
かずの聖教をば日記のごとくたんば(丹波)房にいそぎいそぎつかわ
すべし。山伏房をばこれより申すにしたがいて、これへはわたすべし。
山伏ふびんにあたられ候ふ事悦び入りて候ふ。
【現代語訳】
千日尼御返事⑤
しかるに故阿仏聖霊は日本国北海の島のえびすのみ(身)なりしかど
も、後生ををそれて出家して後生を願ひしが、流人日蓮にあひて法華経
を持ち、去年の春、仏となりぬ。尸陀山 の野干 は仏法にあひて、生をい
とひ死を願ひて帝釈 と生まれたり。阿仏上人は濁世の身を厭ひて仏に
なり給ひぬ。その子藤九郎守綱はこの跡をつぎて一向、法華経の行者と
なりて、去年は七月二日、父の舎利を頸に懸け、一千里の山海を経て甲
州波木井 の身延山に登りて法華経の道場にこれにおさめ、今年はまた七
月一日身延山に登りて慈父のはかを拝見す。子にすぎたる財 なし、子に
すぎたる財なし。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
も、後生ををそれて出家して後生を願ひしが、流人日蓮にあひて法華経
を持ち、去年の春、仏となりぬ。尸陀山 の野干 は仏法にあひて、生をい
とひ死を願ひて帝釈 と生まれたり。阿仏上人は濁世の身を厭ひて仏に
なり給ひぬ。その子藤九郎守綱はこの跡をつぎて一向、法華経の行者と
なりて、去年は七月二日、父の舎利を頸に懸け、一千里の山海を経て甲
州波木井 の身延山に登りて法華経の道場にこれにおさめ、今年はまた七
月一日身延山に登りて慈父のはかを拝見す。子にすぎたる財 なし、子に
すぎたる財なし。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
七月二日 日 蓮 花押
故阿仏房尼御前御返事
追申
絹染の袈裟一つまいらせ候ふ。
豊後房に申さるべし。既に法門日本国にひろまりて候ふ。北陸道をば
豊後房なびくべきに学生ならでは叶ふべからず。九月十五日以前にいそ
ぎいそぎまいるべし。
かずの聖教をば日記のごとくたんば(丹波)房にいそぎいそぎつかわ
すべし。山伏房をばこれより申すにしたがいて、これへはわたすべし。
山伏ふびんにあたられ候ふ事悦び入りて候ふ。
【現代語訳】
話をご夫君の聖霊のことに戻しますが、故阿仏房殿は、日本国は北海の島の夷の身分
のものでありましたけれど、死んでから悪道に落ちることを恐れて出家し、念仏して極
楽往生を願っていましたが、流人として御地に赴いた私に会って法華経の信仰を持ち、
去年の春、亡くなって仏になられました。それは、あたかも、尸陀山の狐が、仏法にめ
ぐりあって生を厭い死を願って帝釈天と生まれ変わったようなものです。阿仏上人は濁
った現世の身を厭って仏におなりになったのです。その子の藤九郎守綱は父の遺志を継
いで熱心な法華経の行者となって、去年は7月2日、父の遺骨を首にかけ、一千里の山
を越え海を渡って甲州波木井の身延山に登り、法華経の道場に納骨を済ませ、今年はま
た7月1日、身延山に登って慈父の墓を拝みました。子ほどすばらしい財宝はありませ
ん。子よりも秀れた財宝はありません。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。
のものでありましたけれど、死んでから悪道に落ちることを恐れて出家し、念仏して極
楽往生を願っていましたが、流人として御地に赴いた私に会って法華経の信仰を持ち、
去年の春、亡くなって仏になられました。それは、あたかも、尸陀山の狐が、仏法にめ
ぐりあって生を厭い死を願って帝釈天と生まれ変わったようなものです。阿仏上人は濁
った現世の身を厭って仏におなりになったのです。その子の藤九郎守綱は父の遺志を継
いで熱心な法華経の行者となって、去年は7月2日、父の遺骨を首にかけ、一千里の山
を越え海を渡って甲州波木井の身延山に登り、法華経の道場に納骨を済ませ、今年はま
た7月1日、身延山に登って慈父の墓を拝みました。子ほどすばらしい財宝はありませ
ん。子よりも秀れた財宝はありません。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。
七月二日 日 連 花押
故阿仏房尼御前御返事
追伸
絹染の袈裟を一領さしあげます。
豊後房にお伝えください。「すでに私の説く法門が日本国に広まってきました。北陸
道方面は豊後房が布教しなければならないわけですが、学問のある者でなければ不可能
なことです。九月十五日以前に大急ぎで身延山へいらっしゃい」と。
数々の聖教を、日記に書いたように丹波房に大急ぎで渡しなさい。山伏房を、私が言
った通りに身延山へよこしなさい。山伏房をあわれんで扱ってくださったことをとても
悦んでいます。
【語註】
※1 阿仏房:阿仏房は俗姓を遠藤為盛といい、承久の乱で佐渡に遷された順徳上皇に
随従した北面の武士であった。上皇崩御の後、阿仏房夫妻は入道・尼となってこ
の地に留り、御陵の傍らに庵を結んで上皇の冥福を祈り、念仏する毎日を送っ
た。文永8年(1271)11月1日、日蓮聖人は塚原の三昧堂に居住し、かくして
配所の生活が始まったが、このことを聞いた阿仏房は配所を訪れ、宗敵の情を懐
いて聖人をせめ、かえって論破されて教化に浴した。阿仏房は身延に入山された
日蓮聖人を追慕し、国府入道と共に文永11年(1274)と建治元年(1275)6月
と弘安元年(1278)7月の3度までも佐渡から90歳という高齢にも拘らず身延を
訪れている。
※2 尸陀山の野干:尸陀山はインドの毘摩【びま】大国にあった山。野干は狐の一
種。未曾有経巻上によると、この山に住んでいた野干が師子王に追われて涸かれ
井戸に落ち、三日を経て餓死する寸前に、万物の無常を嘆き、仏に帰命して罪障
消滅を願う一偈を説いた。これを聞いた帝釈は諸天を率いて説法を請うたといわ
れる。
【解説】
阿仏房の妻千日尼は、夫の阿仏房と共に日蓮聖人に帰依し、佐渡における聖人の有力
な外護者となっており、その千日尼の法号は、聖人が在島した2年5ヵ月の間、約1000
日間の尼の供養に因んで授けられたものといわれている。
阿仏房は弘安2年(1279)3月21日に91歳で寂した。その子藤九郎守(盛)綱は、
その年の7月2日に父の舎利を頸に懸けて日蓮聖人を訪ね、身延の地に遺骨を埋葬し
た。さらに翌年の7月1日に再び身延の父の墓に詣でた。その折、藤九郎に委ねた、母
・千日尼にあてたお手紙である。
日蓮はまず、阿仏房の魂は「霊鷲山にそびえている多宝塔の中に、東向きに坐って、釈
迦・多宝の二仏と対面している」と、阿部房が成仏しているという確信を伝えている。
阿仏房が成仏できないのなら、「諸仏は地獄に落ちる」と、かなり歌劇な表現までも加
えられている。
そして、はるばる佐渡から身延の道場に亡き父の供養に来た遺子藤九郎守綱の姿を語
っている。その行為は、三度老体をひっさげて身延の日蓮に詣でた亡父の心ざしを身を
もって継承する法華経孝養の姿として日蓮は褒め称えたのである。それは「安足国王と
馬と父子」の故事にも似ており、さらに母の苦を救った目連や父母の邪見を改めさせた
浄蔵・浄眼二子のありように勝るとも劣らない法華経孝養者の生き方であったからであ
る。
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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)
千日尼御返事④
そもそも子はかたきと申す経文もあり。「〔世人、子の為に衆の罪を
造る〕」の文なり。嘉・鷲と申すとりはをやは慈悲をもつて養へば子
はかへりて食とす。梟鳥と申すとりは生まれて必ず母をくらう。畜生か
くのごとし。人の中には、はるり王は心もゆかぬ父の位を奪ひ取る。阿
闍世王は父を殺せり。安禄山は養母をころし、安慶緒と申す人は父の
安禄山を殺す。安慶緒は子史師明に殺されぬ。史師明は史朝義と申す子
にまたころされぬ。これは敵と申すもことわりなり。善星比丘と申すは
教主釈尊の御子なり。苦得外道をかたらいて度々父の仏を殺し奉らんと
す。
また子は財と申す経文もはんべり。ゆえに経文に云はく「〔その男女
追いて福を修すれば大光明有りて地獄を照らし、その父母に信心を発さ
しむ〕」等と云云。たとひ仏説ならずとも眼の前に見えて候ふ。天竺に
安足国王と申せし大王はあまりに馬をこのみてかいしほどに、後には
かいなれて鈍馬を竜馬となすのみならず、牛を馬ともなす。結句は人を
馬となしてのり給ひき。その国の人あまりになげきしかば、知らぬ国の
人を馬となす。他国の商人ゆきたりしかば薬をかいて馬となして御まや
う(吋)につなぎつけぬ。なにとなけれども我が国はこいしき上、妻子
ことにこいしく、しのびがたかりしかども、ゆるす事なかりしかばかへ
る事なし。またかへりたりとも、このすがたにては由なかるべし。ただ
朝夕にはなげきのみしてありし程に、一人ありし子、父のまちどき(待
時)すぎしかば、「人にや殺されたるらむ。また病にや沈むらむ。子の
身としていかでか父をたづねざるべき」といでたちければ、母なげくら
く、「男も他国にてかへらず、一人の子もすててゆきなば、我いかんが
せん」となげきしかども、子ちちのあまりにこいしかりしかば安足国へ
尋ねゆきぬ。ある小家にやどりて候ひしかば家の主の申すやう、「あら
ふびんや、わどのはをさなき物なり。しかもみめかたち人にすぐれた
り。我に一人の子ありしが他国にゆきてしに(死)やしけん、またいか
にてやあるらむ。我が子の事ををもへば、わどのをみてめ(目)もあて
られず。いかにと申せば、この国は大なるなげき有り。この国の大王あ
まり馬をこのませ給ひて不思議の草を用ひ給へり。一葉せばき草をくわ
すれば人、馬となる。葉の広き草をくわすれば馬、人となる。近くも他
国の商人の有りしを、この草をくわせて馬となして、第一の御まやに秘
蔵してつながれたり」と申す。この男これをきいて、「さては我父は馬
と成りてけり」とをもひて、返つて問ひ云はく、「その馬は毛はいかに」
とといければ、家の主答へて云はく、「栗毛なる馬の肩白くぶちたり」
と申す。この物この事をききて、とかうはからいて、王宮に近づき、葉
の広草をぬすみとりて、我父の馬になりたりしに食せしかばもとのごと
く人となりぬ。その国の大王不思議なるをもひをなして、孝養の者なり
とて父を子にあづけ、それよりついに人を馬となす事とどめられぬ。子
ならずばいかでか尋ねゆくべき。目連尊者 は母の餓鬼 の苦をすくい、
浄蔵 ・浄眼 は父の邪見をひるがえす。これよき子の親の財 となるゆ
かし。
【現代語訳】
そもそも、子は敵であるとと説く経文があります。心地観経の「世の人は、子の
ために多くの罪を造り、三悪道に堕ちて長く苦しみを受ける」というのがそれです。嘉
や鷲という鳥は、親は慈悲の心で子を養うのに、育った子はかえって親を食物とします。
梟鳥という鳥は、生まれると必ず母を食います。畜生というのはこのようなものです。
人の中にも畜生と同じようなものがいて、インドでは、玻瑠璃王はむりやりに父波斯匿
王の位を奪い取りました。阿闍世王は父の頻婆沙羅王を殺しました。中国では、安禄
山は養母の楊貴妃を殺し、その子の安慶緒という人は父の安禄山を殺しました。当の安
慶緒は子の史師明に殺されました。その史子明はまた史朝義という子に殺されています。
これでは、子は敵であるというのも当然です。釈尊の関係者でも、前生でのお子さんで
ある善星比丘は苦 得外道と示しあわせて、たびたび父の釈尊を殺そうとしました。
安足国王と馬と父子の物語
また反対に、子は財宝 であるという経文もあります。心地観経に「その男女が追善供
養を修すると大光明が輝き出して地獄を照らし、その父母に信仰心を起こさせて仏の世
界に導く」とあるようにです。いや仏説にまで及ばなくても、まぢかにその例を見るこ
とができます。インドに安 足王という大王がいましたが、この王はあまりに馬を愛好し
て飼っているうちに、やがては飼い馴らして駄馬 を俊馬 に育てるばかりでなく、牛を馬
に変えることもしました。そして遂には人を馬としてお乗りになりました。その国の人
民がそれをあまりに歎き悲しんだので、王は、知らない他国の人を馬としました。ある
時、他国の商人が安足王の国に行ったところ、王は薬を使って馬とし、馬屋につなぎま
した。馬とされた商人は、何としても故国が恋しい上、とくに妻子のことが慕われてど
うしようもなかったのですが、王が許可を与えないので帰ることができませんでした。
またもし、たとえ帰れたとしたところで、そのような馬の姿のままではどうしようもな
いでしょう。ただ明けても暮れても歎くことばかりしていたうちに、故国では、一人い
た子が、父の帰国予定日が過ぎたので「誰かに殺されたのであろうか。あるいは病気で
動けなくなってるのであろうか。子の身としてどうして父を尋ねないでいられようか」
と、旅の仕度を始めたものですから、母は歎いて、「夫は他国へ行って帰って来ません。
たった一人しかいない子が私を置き去りにして行ってしまったならば、どうしたらよい
のでしょう」と悲しみ止めたのですが、子は、父があまりに恋しかったので安足国まで
尋ねて行きました。そして、ある小さな家に宿をかりたところ、その家の主人が「ああ
気の毒なことだ。あなたはまだ幼い。しかも人並すぐれて可愛いらしい。私には一人の
子がいたけれど、他の国へ行ったまま戻って来ません。死んでしまったのだろうか。い
ったいどうしているのだろう。あの子のことを思うと、あなたを見てかわいそうで胸が
いっぱいになります。なぜかというと、この国にはとても歎かわしいことがあるのです。
それは、この国の大王があまりに馬を愛好なさって、不思議な薬草を使用していること
です。その薬草の細い葉をくわせると人が馬になります。広い葉をくわせると馬が人に
なります。近ごろも、他国の商人がいましたのを、王がその薬草をくわせて馬とし、第
一の御馬屋におつなぎになって秘蔵のものとしています」と言いました。この子はそれ
を聞いて、「それでは、父は馬となってしまったのだ」と思って質問しました。「その
馬の毛は何色ですか」と。家主は答えて「栗毛の馬で、肩に白いまだらがあります」と
言いました。子はそれを心に止め、あれこれと工作をして王宮に入り、葉の広い薬草を
盗みとって、馬とされた父に食わせたところ、もとのように人となりました。このこと
を知った大王は、思いもよらないことが起こったものだと事のなりゆきを尋ね、子の孝
行な気持ちと行ないに感動して父を返し、それより後は遂に人を馬とすることをお止 め
になりました。この話では、子の親を思う心情と行動とが父ばかりでなく多くの人々の
不幸を救ったことになるのですが、ほんとうに子でなかったならば、どうして危険な他
国へまで父を探しに行くことなどありましょうか。また、目 連尊者は餓鬼道に落ちた母
の苦しみを救い、浄 蔵・浄眼兄弟は父妙荘厳王の邪見を改めさせました。これらは、良
い子が親の財宝となるということを示す例です。(つづく)
【語註】
※1 阿闍世王:頻婆娑羅王を父とし韋提希夫人を母とする中インド・マガダ国の王。
提婆達多にそそのかされ父を殺して王位につくが、後、その罪を恐れ、耆婆【ぎ
ば】のすすめに従って釈尊に救いを求めた。五逆罪を犯した阿闍世王の成仏は、
法華経の功徳の甚大さの証とされる。
※2 安禄山:中国・唐代の叛臣。玄宗皇帝に寵遇され、楊貴妃と結んでその養子とな
る。楊貴妃の兄の宰相楊国忠と対立し、天宝14年(755)史思明(史師明)とと
もに反乱を起こして勝利し、大燕皇帝と自称したが、後、子の安慶緒に殺される。
日蓮の史思明に関する記述は事実に反する。
※3 善星比丘:釈尊の弟子であったが、悪友に親しんで仏法を捨てたばかりか、かえ
って誹謗したので、生きながら無間地獄に落ちた。釈尊の菩薩の時の子てあると
いう説もある。
※4 苦得外道:苦行によって得道すると説く外道のこと。釈迦在世のインドの六師外
道の1つ。この派をジャイナ教とも呼ぶ。教祖はマハーヴィーラ(大雄)。
※5 安足国王:紀元前三世紀ごろペルシア地方に建てられた安足国(安息国)の王。
この王に関する話は平康頼の『宝物集』【ほうぶつしゅう】に載っている。
※6 目連尊者:バラモンの子であったが舎利弗に誘われて仏弟子に加わり、神通第一
として十大弟子の一人に加えられた。餓鬼道に落ちた母・青提女【しょうだいに
ょ】を救ったことが盂蘭盆会の起源とされる。
※7 浄蔵・浄眼:薬王菩薩・薬上菩薩が過去世において王子であった時の名。妙荘厳
王と浄徳夫人との間に生まれた浄蔵・浄眼兄弟は、母ともども法華経に帰依し、
外道を信じる父の心を翻して仏道に導くことに成功した。妙荘王厳とは後の華
徳菩薩であり、浄徳夫人は後の荘厳相菩薩である。
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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)
千日尼御返事③
されば故阿仏房の聖霊は今いづくむにかをはすらんと人は疑ふと
も、法華経の明鏡をもつてその影をうかべて候へば、霊鷲山の山の
中に多宝仏の宝塔の内に、東むきにをはすと日蓮は見まいらせて候ふ。
もしこの事そらごとにて候わば、日蓮がひがめにては候はず、釈迦如来
の「〔世尊は、法久しうして後、要ずまさに真実を説きたまうべし〕」
の御舌と、多宝仏の「〔妙法華経は皆これ真実なり〕」の舌相と、四百
万億那由他の国土にあさ(麻)のごとく、いね(稲)のごとく、星のご
とく、竹のごとく、ぞくぞくとすきもなくつらねゐてをはしましし諸仏
如来の、一仏もかけ給はず広長舌を大梵王宮に指し付けてをはせし御舌
どもの、くぢら(鯨)の死にてくされたるがごとく、いわし(鰯)のよ
りあつまりてくされたるがごとく、皆一時にくちくされて、十方世界の
諸仏如来大妄語の罪にをとされて、寂光の浄土の金なる大地はたとわれ
て、提婆がごとく無間大城にかはと入り、法蓮香比丘尼がごとく身より
大妄語の猛火ぱといでて、実報華王の花のその(園)一時に灰燼の地と
なるべし。――いかでかさる事は候ふべき。故阿仏房一人を寂光の浄
土に入れ給はずは諸仏は大苦に堕ち給ふべし。ただをいて物を見よ、た
だをいて物を見よ。仏のまことそら事はここにて見奉るべし。
さては、をとこははしら(柱)のごとし、女はなかわ(桁)のごとし。
をとこは足のごとし、女人は身のごとし。をとこは羽のごとし、女はみ
(身)のごとし。羽とみとべちべちになりなば、なにをもんてかとぶべ
き。はしらたうれなばなかは地に堕ちなん。いへにをとこなければ人の
たましゐなきがごとし。くうじ(公事)をばたれにかいゐあわせん。よ
き物をばたれにかやしなうべき。一日二日たがいしをだにもをぼつかな
しとをもいしに、こぞの三月の二十一日にわかれにしが、こぞもまちく
らせどもみゆる事なし、今年もすでに七つき(月)になりぬ。たといわ
れこそ来たらずとも、いかにをとづれはなかるらん。ちりし花もまたさ
きぬ。をちし菓(このみ)もまたなりぬ。春の風もかわらず、秋のけし
きもこぞのごとし。いかにこの一事のみかわりゆきて、もとのごとくな
かるらむ。月は入りてまたいでぬ。雲はきへてまた来る。この人の出で
てかへらぬ事こそ天もうらめしく、地もなげかしく候へとこそをぼすら
め。いそぎいそぎ法華経をらうれう(粮料)とたのみまいらせ給ひて、
りやうぜん浄土へまいらせ給ひて、みまいらせさせ給ふべし。
をとこは足のごとし、女人は身のごとし。をとこは羽のごとし、女はみ
(身)のごとし。羽とみとべちべちになりなば、なにをもんてかとぶべ
き。はしらたうれなばなかは地に堕ちなん。いへにをとこなければ人の
たましゐなきがごとし。くうじ(公事)をばたれにかいゐあわせん。よ
き物をばたれにかやしなうべき。一日二日たがいしをだにもをぼつかな
しとをもいしに、こぞの三月の二十一日にわかれにしが、こぞもまちく
らせどもみゆる事なし、今年もすでに七つき(月)になりぬ。たといわ
れこそ来たらずとも、いかにをとづれはなかるらん。ちりし花もまたさ
きぬ。をちし菓(このみ)もまたなりぬ。春の風もかわらず、秋のけし
きもこぞのごとし。いかにこの一事のみかわりゆきて、もとのごとくな
かるらむ。月は入りてまたいでぬ。雲はきへてまた来る。この人の出で
てかへらぬ事こそ天もうらめしく、地もなげかしく候へとこそをぼすら
め。いそぎいそぎ法華経をらうれう(粮料)とたのみまいらせ給ひて、
りやうぜん浄土へまいらせ給ひて、みまいらせさせ給ふべし。
【現代語訳】
そのようなわけですから、故阿仏房の聖霊は今どこにおいでになることだろうかと人
※1
は疑問に思うかも知れませんが、法華経の澄んだ鏡に影を映してみれば、霊鷲山にそび
※2
えている多宝塔の中に、東向きに坐って、釈迦・多宝の二仏と対面していらっしゃるお
姿が、私には拝見できるのです。もし、このことが間違っていたとすると、それは私の
偏見ではなくて、釈迦・多宝の二如来や十方の浄土にいらっしゃる無数の如来たちが嘘
をついたことになるのです。そうだとすると、釈迦如来が方便品で「仏はこれまで四十
余年の長い間、方便の説法をしてきたが、今からまさしく真実の教えを説かれるであろ
う」とおっしゃった御舌と、多宝如来が見宝塔品で「妙法蓮華経はすべて真実である」
※3
と証明なさった御舌と、四百億那由他という彭大な十方の諸国に、麻のように・稲のよ
うに・星のように・竹のように続々と連なっていらっしゃる諸仏が、神力品で広長舌を
大梵天宮にまで届かせて法華経の真実であることを絶讃なさったその御舌などが、みな、
死んで腐った鯨のように、群らがり腐った鰯のように、一時に朽ち腐って、全宇宙の仏
たちが大妄語の罪に落とされ、仏の住む常寂光の浄土の黄金の大地がバッと破れて、提
※4
婆達多のように無間地獄にドッと陥り、あるいは法(宝)蓮香比丘尼のように、身体か
ら大妄語の猛炎がパッと燃え上がって実報蓮華蔵世界の花の園にたちまち灰燼の地とな
ってしまうでしょう。――どうしてそのようなことがあり得ましょうか、あるはずのな
いことです。故阿仏房一人を寂光の浄土にお迎えすることができないとするならば、諸
仏は地獄に落ちて大苦におあいになるでしょう。落ち着いてよくよく観察してごらんな
さい。仏のいうところが真実であるか虚偽であるかは、阿仏房が成仏するかしないかに
よって判定できることなのです。
さてさて、家屋でいうならば、男は柱のようなもので、女は桁のようなものです。身
体でいうならば、男は足のようなもので、女は胴体のようなものです。鳥でいうならば、
男は羽のようなもので、女は体のようなものです。羽と体とが別々になってしまったら、
どうして飛ぶことができましょうか。柱が倒れたら、桁は地に落ちて家屋は壊れてしま
うでしょう。家庭に男主人がいないと、人の魂が抜けてしまったようなもので頼りな
いでしょう。社会的な権利義務に関することを誰に相談したらいいのでしょうか。おい
しいものを誰に食べさせたらよいのでしょう。男主人とは一日か二日会わなくても不安
がつのることでしょうに、あなたは、去年の3月21日に阿仏房殿に先立たれて、去年1
年間待ち暮らしたのにお会いできませんでした。そして今年もすでに7か月を経過して
しまいました。たとえ阿仏房殿ご自身が来られなかったとしても、どうして連絡だけで
もしてこないのでしょうか。去年散った桜が今年も咲きました。去年落ちた果実が今年
も生りました。春風は去年と変わらずやさしく吹き、秋の景色も去年と同じように心に
しみます。自然はそのように巡り来るというのに、どうして阿仏房殿の生命だけが消え
去っていって、もとに戻ることがないのでしょうか。月は入ってもまた出ますし、雲は
行ってもまた来ます。それなのに人は死んだらもう帰ってこないということこそ、天も
恨めしく、地も歎かわしいことです。ご夫君との永別を体験なさったあなたは、特にそ
※5
のようにお思いになることでしょう。急ぎ急ぎ、法華経を旅の食糧とお頼りして、霊山
浄土へいらっしゃって、阿仏房殿にお会いなさるようになさいませ。(つづく)
【語註】
※1 霊鷲山:中インド・マガダ国の首都王舎城の東北にある山で、釈尊が晩年の8年
間に法華経を説いた聖地。日蓮聖人は、そこで法華経が説かれたことに大きな意
義を認め、この山を身延山に擬してもいる。
※2 多宝仏:東方宝浄世界の主。法華経の説かれる所には必ず大宝塔の内に端座して
出現し、この経の正しさを証明する仏。釈尊が霊鷲山で法華経を説いた時にも、
地底から涌出【ゆじゅつ】して虚空に浮かんだ多宝塔の中から大音声を出して法
華経が真実の教えであることを称え、座席の半分を明けて釈尊を迎え入れた。こ
うして虚空中での法会が展開する。
※3 那由他:サンスクリット語の「ナユタ」を音訳した、「極めて大きな数量」の意
味で、一般的には10の60乗を指す。
※4 法蓮香比丘尼:菩薩戒を受けたにもかかわらず淫行をし、しかもそれを正当化す
る詭弁を弄したために、生きながら地獄に落ちた尼。
※5 霊山浄土:霊鷲山は、絶対真実の教えである法華経が説かれた聖地であるという
ところから、日蓮聖人は、時間・空間の制約を超越した信仰的な浄土観をそこに
展開する。すなわち霊山浄土は、久遠実成【くおんじつじょう】の本仏釈尊が
常に妙法を説き続けている仏の国であり、法華経の行者が究極的に到達する楽
園なのである。そしてこの浄土は、娑婆世界から遊離した存在ではなく、法華
経信仰とともに自在に顕現するものであるとする。その意味からして、聖人は
身延山を霊鷲山に照応する聖地であると認めている。
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体でいうならば、男は足のようなもので、女は胴体のようなものです。鳥でいうならば、
男は羽のようなもので、女は体のようなものです。羽と体とが別々になってしまったら、
どうして飛ぶことができましょうか。柱が倒れたら、桁は地に落ちて家屋は壊れてしま
うでしょう。家庭に男主人がいないと、人の魂が抜けてしまったようなもので頼りな
いでしょう。社会的な権利義務に関することを誰に相談したらいいのでしょうか。おい
しいものを誰に食べさせたらよいのでしょう。男主人とは一日か二日会わなくても不安
がつのることでしょうに、あなたは、去年の3月21日に阿仏房殿に先立たれて、去年1
年間待ち暮らしたのにお会いできませんでした。そして今年もすでに7か月を経過して
しまいました。たとえ阿仏房殿ご自身が来られなかったとしても、どうして連絡だけで
もしてこないのでしょうか。去年散った桜が今年も咲きました。去年落ちた果実が今年
も生りました。春風は去年と変わらずやさしく吹き、秋の景色も去年と同じように心に
しみます。自然はそのように巡り来るというのに、どうして阿仏房殿の生命だけが消え
去っていって、もとに戻ることがないのでしょうか。月は入ってもまた出ますし、雲は
行ってもまた来ます。それなのに人は死んだらもう帰ってこないということこそ、天も
恨めしく、地も歎かわしいことです。ご夫君との永別を体験なさったあなたは、特にそ
※5
のようにお思いになることでしょう。急ぎ急ぎ、法華経を旅の食糧とお頼りして、霊山
浄土へいらっしゃって、阿仏房殿にお会いなさるようになさいませ。(つづく)
【語註】
※1 霊鷲山:中インド・マガダ国の首都王舎城の東北にある山で、釈尊が晩年の8年
間に法華経を説いた聖地。日蓮聖人は、そこで法華経が説かれたことに大きな意
義を認め、この山を身延山に擬してもいる。
※2 多宝仏:東方宝浄世界の主。法華経の説かれる所には必ず大宝塔の内に端座して
出現し、この経の正しさを証明する仏。釈尊が霊鷲山で法華経を説いた時にも、
地底から涌出【ゆじゅつ】して虚空に浮かんだ多宝塔の中から大音声を出して法
華経が真実の教えであることを称え、座席の半分を明けて釈尊を迎え入れた。こ
うして虚空中での法会が展開する。
※3 那由他:サンスクリット語の「ナユタ」を音訳した、「極めて大きな数量」の意
味で、一般的には10の60乗を指す。
※4 法蓮香比丘尼:菩薩戒を受けたにもかかわらず淫行をし、しかもそれを正当化す
る詭弁を弄したために、生きながら地獄に落ちた尼。
※5 霊山浄土:霊鷲山は、絶対真実の教えである法華経が説かれた聖地であるという
ところから、日蓮聖人は、時間・空間の制約を超越した信仰的な浄土観をそこに
展開する。すなわち霊山浄土は、久遠実成【くおんじつじょう】の本仏釈尊が
常に妙法を説き続けている仏の国であり、法華経の行者が究極的に到達する楽
園なのである。そしてこの浄土は、娑婆世界から遊離した存在ではなく、法華
経信仰とともに自在に顕現するものであるとする。その意味からして、聖人は
身延山を霊鷲山に照応する聖地であると認めている。
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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)
千日尼御返事②
九界六道の一切衆生各々心々かわれり。譬へば二人三人ないし百千人
候へども一尺の面の内じち(実)ににたる人一人もなし。心のにざるゆ
へに面もにず。まして二人十人、六道九界の衆生の心いかんがかわりて
候ふらむ。されば花をあいし、月をあいし、すき(酸)をこのみ、にが
きをこのみ、ちいさきをあいし、大なるをあいし、いろいろなり。善を
このみ、悪をこのみ、しなじななり。かくのごとくいろいろに候へども、
法華経に入りぬればただ一人の身、一人の心なり。譬へば衆河の大海に
入りて同一鹹味なるがごとく、衆鳥の須弥山に近づきて一色なるがごと
し。
候へども一尺の面の内じち(実)ににたる人一人もなし。心のにざるゆ
へに面もにず。まして二人十人、六道九界の衆生の心いかんがかわりて
候ふらむ。されば花をあいし、月をあいし、すき(酸)をこのみ、にが
きをこのみ、ちいさきをあいし、大なるをあいし、いろいろなり。善を
このみ、悪をこのみ、しなじななり。かくのごとくいろいろに候へども、
法華経に入りぬればただ一人の身、一人の心なり。譬へば衆河の大海に
入りて同一鹹味なるがごとく、衆鳥の須弥山に近づきて一色なるがごと
し。
提婆が三逆と羅睺羅が二百五十戒と同じく仏になりぬ。妙荘厳王
の邪見と舎利弗が正見と同じく授記をかをほれり。これ即ち「〔一と
して成仏せざるは無し〕」のゆへぞかし。四十余年の内の阿弥陀経等に
は舎利弗が「七日の百万反大善根」ととかれしかども、「〔いまだ真実
を顕さず〕」ときらわれしかば七日ゆ(湯)をわかして大海になげたる
がごとし。ゐ(韋)提希が観経をよみて無生忍を得しかども、「〔正
直に方便を捨つ〕」とすてられしかば法華経を信ぜずば返つてもとの女
人なり。大善も用ふる事なし。法華経にあはずばなにせん。大悪もなげ
く事なかれ。一衆を修行せば提婆が跡をもつぎなん。これ等は皆「〔一
として成仏せざるは無し〕」の経文のむなしからざるゆへぞかし。
の邪見と舎利弗が正見と同じく授記をかをほれり。これ即ち「〔一と
して成仏せざるは無し〕」のゆへぞかし。四十余年の内の阿弥陀経等に
は舎利弗が「七日の百万反大善根」ととかれしかども、「〔いまだ真実
を顕さず〕」ときらわれしかば七日ゆ(湯)をわかして大海になげたる
がごとし。ゐ(韋)提希が観経をよみて無生忍を得しかども、「〔正
直に方便を捨つ〕」とすてられしかば法華経を信ぜずば返つてもとの女
人なり。大善も用ふる事なし。法華経にあはずばなにせん。大悪もなげ
く事なかれ。一衆を修行せば提婆が跡をもつぎなん。これ等は皆「〔一
として成仏せざるは無し〕」の経文のむなしからざるゆへぞかし。
【現代語訳】
下は地獄界から上は菩薩界にいたるまでの九界、それに地獄道から天道までの六道に
住む一切の衆生の心はみな違っています。たとえば2人・3人といった少人数から、100
人・1000人という大勢の人々の顔は、みな1尺ばかりですが、まったく同じ顔は一つも
ありません。それぞれ心が違っているので顔も同じではないのです。まして2人・10人
どころか六道・九界の無数の衆生の心はどれほど変わっていることでしょうか。だから
人は、花を愛したり、月をめでたり、すっぱいのを好んだり、にがいのを好いたり、小
さいのが目にかなったり、大きいのに心を奪われたり、嗜好はいろいろです。また善を
好み、悪に溺れるなど、価値観もさまざまです。このように、人は種々雑多なものでは
ありますが、法華経の世界に入ってしまえば、ただ一人の身、ただ一人の心となってし
まいます。たとえば、多くの川の水が大海に入ることによって同じ塩味となるような、
あるいは、多くの鳥が須弥山に近づけばみな黄金一色となるようなものです。
あの三逆罪を犯した大悪人の提婆達多も、二百五十戒を保って釈尊の十大弟子の
中に加えられた羅睺羅も、法華経によって同じく仏となりました。バラモンの教えに
執着していた邪見の妙荘厳王も、正見で十大弟子中の智慧第一とされた舎利弗も、法華
経では同じように成仏することが予告されました。これは法華経が、「この経を信じる
者は、一人として成仏しないものはない」という経典だからなのです。釈尊が法華経を
説かれる以前の四十余年間の説法のうちの、阿弥陀経などでは、仏が舎利弗に「七日間、
阿弥陀仏の名号を百万反唱えたならば、その大善根の功徳によって必ず極楽浄土に往生
する」といわれていますが、後に法華経をお説きになる段階で「過去の四十余年間の説
法はみな方便であって、いまだ真実を顕わしていない。これから説くのが真実の教えで
ある」と宣言なさったので、法華経以前の一切経は、あたかも七日間沸かしつづけた湯
をむざむざと大海に投げ入れたようなもので、何の効力もないものとなりました。また、
韋提希夫人は観無量寿経を読んで無生忍の悟りを得ましたが、法華経において釈尊みず
からが「正直に過去の方便の説を捨てる」と宣言なさったものですから、せっかくの韋
提希夫人も、もし法華経を信じることがなかったならばもとの凡女にかえってしまうは
めになったわけです。このようなわけですから、大善だからといってそのまま認めるわ
けにはいきません。なぜなら法華経に裏づけられなければ意味がないからです。また、
大悪だからといって必ずしも歎くに当たりません。なぜなら法華経の一乗法を修行した
ならば提婆達多と同じように成仏できるからです。これらはみな、法華経の「一として
成仏しないものはない」という文句に嘘がないからなのです。(つづく)
※1 九界:十界から、仏界を除いた、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天・声聞・縁
覚・菩薩の九つの世界。
※2 六道:迷いと悟りの世界を十種に分けたうちの、迷いの六界。地獄・餓鬼・畜
生・修羅・人間・天上の六界。衆生はこの六界を輪廻転生するという。
※3 提婆達多:中インド・カピラ城の斛飯王【こくぼんのう】の子で阿難の兄、釈尊
には従弟にあたる(異説あり)。幼時より釈尊に対抗意識を持ち、一時は釈尊の
弟子となったが後に教団を去って分派行動をした。また阿闍世王【あじやせ】を
そそのかして父王を殺させ、改心した阿闍世王が釈尊に帰依すると釈尊を亡きも
のにしようとするなど、典型的な極悪人とされる。しかし一方、釈尊が前生で妙
法蓮華経を得るために給仕した阿私仙人【あしせんにん】こそ今の提婆達多であ
り、釈尊の成仏は提婆達多を善知識として実現したものであるということが法華
経・提婆達多品によって説かれてもいる。
※4 羅睺羅:釈尊の出家以前の実子で、母は耶輸陀羅【やしゅだら】。出家して釈尊
の十大弟子の一人に数えられ、密行第一とされる。
※5 妙荘厳王:過去世の雲雷音宿世華智【うんらいおんしゅくせけち】仏時代の国王
で、外道の教えを深く信じていた人。浄徳夫人と浄蔵【じょうぞう】・浄眼【じ
ょうげん】二子の尽力によって仏道に帰依する心を発【おこ】、仏から未来に成
仏して娑羅樹【しゃらじゅ】王仏となるという証言を与えられた。釈尊は、かの
妙荘厳王は今の華徳【けとく】菩薩であると説いた。
※6 無生忍:無生法忍の略。なにごとも不生不滅であるという認識を確立して迷いの
世界を超脱した境地。
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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)
千日尼御返事①
弘安3年(1280)7月2日、59歳、於身延、和文
千日尼御返事①
弘安3年(1280)7月2日、59歳、於身延、和文
阿仏房の遺子藤九郎守綱が佐渡からはばるる父の墓に参詣するため、身延に登ったのに対して、遺子守綱の孝養を褒め、また千日尼の悲しみを慰めて、信心を励ました手紙。
こう入道殿の尼ごぜんの事、なげき入って候ふ。またこいしこいしと
申しつたへさせ給へ。
申しつたへさせ給へ。
鵞目一貫五百文・のり・わかめ・ほしい(干飯)・しなじなの物給ひ
候ひ了んぬ。法華経の御宝前に申し上げて候ふ。
候ひ了んぬ。法華経の御宝前に申し上げて候ふ。
法華経に云はく「〔もし法を聞く者有らば一として成仏せざること無
し〕」云云。文字は十字にて候へども「法華経を一句よみまいらせ候へ
ども、釈迦如来の一代聖教をのこりなく読むにて候ふ」なるぞ。故に妙
楽大師云はく「〔もし法華を弘むるにはおよそ一義を消するも皆一代を
混してその始末を窮めよ〕」等云云。「始」と申すは華厳経、「末」と
申すは涅槃経。華厳経と申すは仏、最初成道の時、法慧・功徳林等の
大菩薩、解脱月菩薩と申す菩薩の請に趣いて仏前にてとかれて候ふ。そ
の経は天竺・竜宮城・兜率等は知らず、日本国にわたりて候ふは六十
巻・八十巻・四十巻候ふ。「末」と申すは大涅槃経、これも月氏・竜宮
等は知らず、我が朝には四十巻・三十六巻・六巻・二巻等なり。これよ
り外の阿含経・方等経・般若経等は五千・七千余巻なり。これ等の
経々は見ずきかず候へども、ただ法華経の一字一句よみ候へば、彼々の
経々を一字もをとさずよむにて候ふなるぞ。譬へば「月氏」・「日本」
と申すは二字。二字に五天竺・十六の大国・五百の中国・十千の小国・
無量の粟散国の大地・大山・草木・人蓄等をさまれるがごとし。譬へ
ば鏡はわづかに一寸二寸三寸四寸五寸と候へども、一尺五尺の人をもう
かべ、一丈二丈十丈百丈の大山をもうつすがごとし。さればこの経文を
よみて見候へば、この経をきく人は一人もかけず仏になると申す文な
り。
九界六道の一切衆生各々心々かわれり。譬へば二人三人ないし百千人
候へども一尺の面の内じち(実)ににたる人一人もなし。心のにざるゆ
へに面もにず。まして二人十人、六道九界の衆生の心いかんがかわりて
候ふらむ。されば花をあいし、月をあいし、すき(酸)をこのみ、にが
きをこのみ、ちいさきをあいし、大なるをあいし、いろいろなり。善を
このみ、悪をこのみ、しなじななり。かくのごとくいろいろに候へども、
法華経に入りぬればただ一人の身、一人の心なり。譬へば衆河の大海に
入りて同一鹹味なるがごとく、衆鳥の須弥山に近づきて一色なるがごと
し。
【現代語訳】
男は羽、女は身
※1
国府入道殿の尼御前のこと、夫を亡くされてから、どうされているかと嘆きいってい
ます。また、恋しい、恋しいと言っているとお伝えください。
国府入道殿の尼御前のこと、夫を亡くされてから、どうされているかと嘆きいってい
ます。また、恋しい、恋しいと言っているとお伝えください。
銭1貫500文、のり、わかめ、干飯など種々のご供養品をお届けいただきました。謹
んで法華経のご宝前にご奉告いたしました。
んで法華経のご宝前にご奉告いたしました。
法華経の方便品に「法華経を信じるものは、一人として成仏しないものはない」とあ
ります。この一句は、文字はわずかに10字でありますが書かれている内容は、「法華経
を一句読んだだけで、釈迦如来が一生かかってお説きになった聖教全部を読んだのと同
じ功徳がある」ということなのです。だから妙楽大師は法華玄義釈籤に「もし法華経
を弘めようとするならば、ただ一義を解釈するにも、釈尊が一生かかって説かれた教え
のすべてにわたり、その始から末までを考窮しなければならない」と言っています。そ
の「始」とは華厳経であり、「末」とは涅槃経です。華厳経というのは、釈尊が初めて
悟りを開かれた時に、法恵・功徳林・金剛幡・金剛蔵の4大菩薩が、解脱月という菩薩
の要請に応じて仏の前でお説きになった経典です。この経は、インド・竜宮城・兜率天
などに収蔵されていたころに何巻あったかは知りませんが、漢訳されて日本国に渡来し
たのは60巻・80巻・40巻の諸本です。次に「末」というのは大涅槃経です。これもイン
ドや竜宮城などの場合はわかりませんが、日本には40巻・36巻・6巻・2巻などの諸本が
伝えられています。この2経のほかの、阿含経・方等経・般若経などは5000巻あるとも
7000余巻あるともされます。これらの膨大な経典類を見たり聞いたりなさらなくても、
ただ法華経の一字一句さえお読みすれば、すべての経典を一字もらさず読んだことにな
るのですよ。たとえば「インド」「日本」といえばたったの2字にすぎませんが、それ
らの2字の中に、5つの天竺・16の大国・500の中国・1000万の小国・無数の粟粒のよ
うな微小国の、大地・大山・草木・人畜などのすべてが納まっているようなものです。
また、たとえば鏡はわずかに1寸・2寸・3寸・4寸・5寸といった小さなものですが、
1尺・5尺の人の姿を映し、1丈・2丈・10丈・100丈の大山をも映すようなものです。
そのようなわけで、前に示した法華経の方便品の一句を読んでみると、それは「この経
の教えに随う人は、一人も欠けることなく仏になる」という文なのです。(つづく)
ります。この一句は、文字はわずかに10字でありますが書かれている内容は、「法華経
を一句読んだだけで、釈迦如来が一生かかってお説きになった聖教全部を読んだのと同
じ功徳がある」ということなのです。だから妙楽大師は法華玄義釈籤に「もし法華経
を弘めようとするならば、ただ一義を解釈するにも、釈尊が一生かかって説かれた教え
のすべてにわたり、その始から末までを考窮しなければならない」と言っています。そ
の「始」とは華厳経であり、「末」とは涅槃経です。華厳経というのは、釈尊が初めて
悟りを開かれた時に、法恵・功徳林・金剛幡・金剛蔵の4大菩薩が、解脱月という菩薩
の要請に応じて仏の前でお説きになった経典です。この経は、インド・竜宮城・兜率天
などに収蔵されていたころに何巻あったかは知りませんが、漢訳されて日本国に渡来し
たのは60巻・80巻・40巻の諸本です。次に「末」というのは大涅槃経です。これもイン
ドや竜宮城などの場合はわかりませんが、日本には40巻・36巻・6巻・2巻などの諸本が
伝えられています。この2経のほかの、阿含経・方等経・般若経などは5000巻あるとも
7000余巻あるともされます。これらの膨大な経典類を見たり聞いたりなさらなくても、
ただ法華経の一字一句さえお読みすれば、すべての経典を一字もらさず読んだことにな
るのですよ。たとえば「インド」「日本」といえばたったの2字にすぎませんが、それ
らの2字の中に、5つの天竺・16の大国・500の中国・1000万の小国・無数の粟粒のよ
うな微小国の、大地・大山・草木・人畜などのすべてが納まっているようなものです。
また、たとえば鏡はわずかに1寸・2寸・3寸・4寸・5寸といった小さなものですが、
1尺・5尺の人の姿を映し、1丈・2丈・10丈・100丈の大山をも映すようなものです。
そのようなわけで、前に示した法華経の方便品の一句を読んでみると、それは「この経
の教えに随う人は、一人も欠けることなく仏になる」という文なのです。(つづく)
【語註】
※1 国府入道殿の尼御前:佐渡に住む日蓮の信者。夫の国府入道と共に、佐渡に流さ
れた日蓮に帰依し,国の責めをはばからず、献身的に奉仕したという。日蓮が許
されてのち,建治元年(1275)の日蓮書状によると夫を使いとして身延山に単衣を
届け、弘安元年(1278)には自身も身延を訪れている。阿仏房の妻の千日尼とも
親しかった。
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