なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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ナンダ(難陀【なんだ】)
今回のお話の主人公はナンダ。ナンダといってもブッダの異母弟のナンダじゃないよ。「貧者の一燈」というお話は聞いたことがあると思うけど、この話の主人公がナンダという女の人だ。
ブッダが祇園精舎にいた時のことだ。シュラヴァスティーの城にナンダという一人の女乞食がいた。乞食【こじき】は差別用語とされて最近使われなくなったこともあり、この言葉を知らない若い子もいるみたいだけど、路上で物乞いをして生活している人たちで、まあホームレスに近いかな。今でもインドにはたくさんの乞食がいて、「バクシーシ」と言って近寄って来る。「バクシーシ」は日本語に訳せば「お恵みを」かな。1993年に初めてインドに行った時は、観光地でバスから降りるとあっという間に50人程の乞食が寄って来て、背中がゾクゾクってなったもんだけど、何回も行くうちに慣れちゃった。政府が強制的に排除しているのか、最近はめっきり乞食に会わなくなってしまった。つきまとわれなくて楽なんだけど、なんだか寂しい思いがするのは、なんなんだろうね。
なんなんだではなく、ナンダの話だった。ある時ナンダは、国々の王や大臣、町の人々が、ブッダとその教団にさまざまなものを供養するのを見て、自分が貧しくて何も供養するものがないことを嘆き悲しんだ。しかし、たとえわずかな供養でもいいから、自分で行乞【ぎょうこつ】してこれを得ようと考え、朝早くから休むことなく町に出て乞食をした結果、ようやく1ルピーの金を手にした。(インドでルピーが使われ出したのは16世紀らしいから、ブッダの時代にはルピーはないけどね)
喜んだナンダはその1ルピーを持って油屋に行き、燈火のための油を買おうとした。すると油屋の主人が、「1ルピーでは油を買うには少なすぎる。一体何にするんだ?」と聞いた。そこでナンダが、「みんながブッダに供養しているのに、私は貧しくて何も供養するものがない。だから、乞食をしてやっと手にした1ルピーなんです」と話した。すると主人は哀れんで、倍の油を分けてくれた。
一燈を持ったナンダは、ブッダのおられる精舎に行き、他の人々が供養した燈火の中に一緒に置いた。そして、こう誓った。
「私はいま貧乏です。ですからこの小さな燈火しかブッダに供養することができません。願わくはこの功徳をもって、来世は智慧の燈火を得て、すべての衆生のために闇を除かんことを」
誓い終わって精舎をあとにした。
夜の更けるのにともない、それぞれが供養した1万にもおよぶ燈火が、一つ、また一つと消えていく。ところが、ナンダの供養した一燈だけはあかあかといつまでも燃えていた。
これを見たブッダはこう言われた。
「この一燈の消えることはない。これは。広く衆生を救おうという大きな心を持った人の施した一燈だからである」
それを後に聞いたナンダは歓喜し、ブッダのところへ行って跪き、出家の許しを乞い、ブッダはこれを許したそうだ。
お寺や神社に行くと、多額の寄付をした人の名前を張り出してある場合が多い。もちろん、それはそれで尊いことなんだけど、どこかに慢心が見え隠れする。そして、そこには見返りを求める気持ちも……。ナンダの一燈が消えることがなかったのは、貧しいにもかかわらず心をこめて供養したということもあるけど、彼女が自分のためではなく他人のために祈ったからだよね。僕はそんな気持ちで供養したことあるだろうか?みんなはどう?(つづく)
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ウッパラヴァンナー(蓮華色比丘尼【れんげしきびくに】) その2
今回もこのインド美人をウッパラヴァンナーだと思って話を聞いてね。ウッパラヴァンナーについて伝わるもう一つのお話なんだけど、超美人であったことや名前の由来は同じ。
ウッパラヴァンナーはコーサラ国の都シュラヴァスティーの長者の娘に生まれた。なんせ超美人だったんで、年頃になると、国中の王や長者の息子たちがやって来て彼女にプロポーズした。こっちを立てればあっちが立たず、あっちを立てればこっちが立たずで、お父さん困ってしまった。随分悩んだあげく、お父さんは彼女を出家させてその場を切り抜けることにした。
というわけでブッダの弟子となったウッパラヴァンナーは間もなく覚りを開き、神通力をそなえたアルハットとなった。アルハットは漢訳では阿羅漢【あらかん】。十六羅漢とか、五百羅漢って聞いた事あると思うけど、自分の欲望をコントロールできるようになった修行者で、人々の尊敬や施しを受けるにふさわしい人のことだ。アルハットとなったウッパラヴァンナーはシュラヴァスティーの南方にあるアンダヴァナ(「暗い森」の意味)という森に住んだ。そこはその名の通り深い森で、尼僧が住むことは禁じられていたんだけど、彼女はそこに草庵を建て、そこからシュラヴァスティーの町に出て托鉢しては戻って来るという生活をしていた。
ウッパラヴァンナーにはアーナンダという名の従兄弟がいて、彼女が出家する前、彼女に熱烈な恋心を抱いていたんだけど、こいつがストーカーになってしまう。アーナンダって、もちろんブッダに最期まで付き従ったアーナンダじゃないよ。ストーカーのアーナンダはウッパラヴァンナーが森の中に一人で住んでいるのを知ると、その森に出かけ、彼女が托鉢に出かけた間に草庵に忍び込んでベッドの下に隠れて待った。やがてウッパラヴァンナーが帰って来て草庵に入ったんだけど、明るいところから室内に入ったもんだから、暗くてよく見えず、アーナンダが隠れていることに気がつかなかった。アーナンダは床に腰をおろしたウッパラヴァンナーを襲い、必死に抵抗する彼女を押さえつけ、ついに思いを遂げた。

彼女はこのことを包み隠さず修行者たちの前で告白した。ブッダは「悪行には必ず相応の報いがある」という教えを説いたが、後に修行者たちの間では、むしろ、その時ウッパラヴァンナーがどのように感じたかが話題になった。
「煩悩を除いて覚りを開いた人間だって情欲がないはずがない。ウッパラヴァンナーも乱暴された時に、快感がなかったはずないじゃん。彼女もコーラーパ(空洞のある木)や蟻塚ではなく、生身【なまみ】を持つ人間なんだから」
修行者たちのこのような言葉を聞いて、ブッダは言った。
「煩悩を除いて覚りを開いた者は愛欲にふけることもないし、情欲を満足させることもない。蓮の葉に落ちた水滴がそこに留まっていないで転げ落ちるように、愛欲も情欲の満足も覚りを開いた人の心に留まり残ってはいない」
このように説いてから、ブッダはコーサラ国のパセーナディ王を呼び、
「この王国ではたくさんの尼僧がいて修行しているが、森の中に住むのは危険が多すぎる。そこで尼僧が森の中に住むことを禁止し、彼女らのために王城内にある園林を開放して欲しい」と頼んだ。パセーナディ王はブッダの申し出を喜んで了承し、この時以来、尼僧たちは町中に留まって修行するようになったそうだ。
ところで、このウッパラヴァンナーって、前にも一度ちらっと出て来てるんだけど覚えてる?そうデーヴァダッタのところで出て来たよね。デーヴァダッタがブッダを殺そうとしていたところをとがめたのがウッパラヴァンナーだった。可哀想に、彼女はデーヴァダッタに殴り殺されて悲惨な最期を迎えたんだったよね。性暴力反対、暴力反対!(つづく)
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ウッパラヴァンナー(蓮華色比丘尼【れんげしきびくに】) その1
この写真がウッパラヴァンナー?もちろん、そんなはずはありません。こんな美しい人だったんだろうな~、という僕の願望です。ウッパラヴァンナーは西インドのアヴァンティ国ウッジェーニーの生まれで、幼い頃から大変美しく、その肌の色は青蓮華【しょうれんげ】の萼【がく】の色のようだったので、ウッパラ(青蓮華)ヴァンナーと呼ばれた。ヴァンナーは世界史でならったヴァルナ制のヴァルナと同じ言葉で、色という意味だ。
これが青蓮華の花。花の形を見てわかると思うけど、蓮華とは言ってるけど、正しくは青睡蓮のこと。漢訳仏典で蓮華と訳されているものには、実は4種類ある。パドマ=紅蓮華、ウトパラ=青睡蓮、クムダ=白睡蓮、プンダリーカ=白蓮華の4つ。
この写真は世界史で習ったよね。そう、グプタ様式を代表するアジャンター石窟寺院の壁画で、法隆寺金堂壁画にも影響を与えた、って習ったと思う。右手に持っている花をよく見てごらん。青蓮華の花だよね。そこから蓮華手菩薩と呼ばれている。
蓮華は仏教にとってシンボル的な花だけど、特に僕たち日蓮宗にとってはとても大事な花だ。なぜなら、僕たちが信奉しているのは『妙法蓮華経』だからね。サンスクリット語での題名はサダルマ・プンダリーカ・スートラ。これを鳩摩羅什が妙法蓮華経と訳した。岩本裕先生は「正しい教えの白蓮」と訳されたけど、『仏教、本当の教え』を書かれた植木雅俊先生は「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」と訳された。植木先生の訳のほうがしっくり来るよね。本文に出てくる蓮華はみんな白蓮華だと思っていたら、先生によると白蓮華は1回しか出て来ないんだって。おまけに、有名な「不染世間法 如蓮華在水」(世間の法に染まらざること、蓮華の水に在るが如し)の蓮華はパドマ(紅蓮華)だそうで、先生の本を読んで目から鱗が落ちちゃった。
あれあれ、話が随分逸れちゃった。元に戻すね。ウッパラヴァンナーは成長して婿を迎え、一人の女の子をもうけた。その娘が8歳になった頃、旦那さんが病気で亡くなり、ウッパラヴァンナーは使用人からとんでもないことを聞かされる。ウッパラヴァンナーのお父さんは早くに亡くなり、お母さんは未亡人となっていた。そのお母さんが淋しさに耐えかねて、婿さん、つまりウッパラヴァンナーの旦那と通じ合っていたというんだ。母と夫の不倫関係を知って怒り悲しんだウッパラヴァンナーは、娘を部屋に残したまま家を飛び出してしまった。
まもなく彼女はヴァーラナシー城にたどり着いた。城門の外に茫然自失の状態で立ちつくしていた時、城内に住む妻を失ったばかりの一人の長者がその余りの美しさに目を留め、彼女に話しかけた。
「そなたは誰の妻か?」
「私は誰の妻でもありません」
「もし独り身なら、私の妻になってくれないか」
彼女は承諾して、長者の妻となった。それから8年、彼女は夫によく尽くして、夫は事業に成功して大金持ちになった。
そのまま幸せな日々が続くかと思ったある日、夫は商用でウッジェーニーに出かけた。そこで一人の少女に出会うのだが、偶然にもその少女はかつてウッパラヴァンナーが産んだ娘だった。もちろん長者はそのことを知らない。母親の血を引いてその少女もひときわ容姿が優れていたので、長者は心が動いてしまう。すぐにその少女の養父と交渉し、値千金でその少女を貰い受けた。こらっ、助平爺。ウッパラヴァンナーという絶世の美女を嫁さんにしていながら、まだ他の女に手を出すんか。
長者はウッジェーニーにその少女を連れて帰り、自宅からあまり遠くない所に彼女をかくまい、儲けた金の半分を彼女のところに置いて、知らぬ顔で家に帰った。しかし、ウッパラヴァンナーは長者から渡された儲けが少ないのを不審に思い、長者を問いただした。長者は「途中で賊に襲われたんだ。今から取り返しに行ってくる」と言い残すと、また家を出て行った。長者が出かけた後に友人が来て、「彼は賊のところに行ったんじゃないよ」と、これまでのいきさつを告げ口しちゃった。
少々のことでは動揺しない強い女になっていたウッパラヴァンナーは帰宅した長者に、
「その娘さんをここへ連れてらっしゃい。私が面倒を見てあげるわ」
と言った。浮気がばれて冷や汗ものだった長者は、若い女を嫁さん公認で囲えるとあって、喜び勇んで少女を自宅に連れてきた。子供のいなかったウッパラヴァンナーは旦那の妾にもかかわらず、実の娘のように慈愛をこめてその少女の面倒を見た。
ある時、少女の髪をとかしてやりながら、ウッパラヴァンナーは少女の素性を何気なく聞いた。
「あなたのお母さんの名前は?」
「母の名はウッパラヴァンナーといいます。幼い時、私を置いて出て行ってしまいました」
ウッパラヴァンナーは昔捨ててきた我が娘だと知って仰天し、暗澹たる思いに陥った。
〝ああ、昔、母とわが夫を共有していたというのに、今また、娘とわが夫を共有するとは、なんという忌まわしい悪の巡り合わせか〟
ウッパラヴァンナーは家を飛び出し、心乱れるままに街中を彷徨【さまよ】い歩いた。夢遊病者のように歩き、ラージャガハにやって来たウッパラヴァンナーは男たちの誘いのまま、金を取って身を売る売春婦となってしまう。もう自暴自棄だね。
そんな時、一人の少年がやって来て、
「お前は出家者の心を動かすことが出来るか?」と面白半分に聞いた。
「私はこれまで多くの男たちの心を乱してきた。出家者だからといって、私のこの魅力に心惑わされずにいられましょうか」
少年は彼女をブッダの弟子モッガラーナのところへ連れて行った。彼女は美しい肢体で誘惑しようとするが、モッガラーナの心は岩のようにびくともしない。
そして、モッガラーナは彼女を諭した。
「汝、自らを深く省みよ。汝の身は厭【いと】うべきかな。穢れはとこしえに身体にあふれている。汝の身の不浄を人に語れば、あたかも夏の日の便所のように、その穢れた臭いに人はお前を捨てて遠くに去って行くだろう」
その言葉に打ち砕かれたウッパラヴァンナーはモッガラーナに身の上をすべてを打ち明け、
「お願いですから、その教えをさらに深く説いてください。私は教えに従って出家し、心を改めて道を求めたい」と、出家を願い出た。
モッガラーナは彼女を哀れんでブッダの教えを説いて聞かせ、ブッダのもとに連れて行った。
このいきさつを聞いたブッダは快くウッパラヴァンナーの出家を許した。
なんだか、この前亡くなった渡辺淳一の愛欲小説みたいなお話だね。実はウッパラヴァンナーについては違うお話も伝わっているんだけど、長くなるので次回お話するね。(つづく)
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蓮華は仏教にとってシンボル的な花だけど、特に僕たち日蓮宗にとってはとても大事な花だ。なぜなら、僕たちが信奉しているのは『妙法蓮華経』だからね。サンスクリット語での題名はサダルマ・プンダリーカ・スートラ。これを鳩摩羅什が妙法蓮華経と訳した。岩本裕先生は「正しい教えの白蓮」と訳されたけど、『仏教、本当の教え』を書かれた植木雅俊先生は「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」と訳された。植木先生の訳のほうがしっくり来るよね。本文に出てくる蓮華はみんな白蓮華だと思っていたら、先生によると白蓮華は1回しか出て来ないんだって。おまけに、有名な「不染世間法 如蓮華在水」(世間の法に染まらざること、蓮華の水に在るが如し)の蓮華はパドマ(紅蓮華)だそうで、先生の本を読んで目から鱗が落ちちゃった。
あれあれ、話が随分逸れちゃった。元に戻すね。ウッパラヴァンナーは成長して婿を迎え、一人の女の子をもうけた。その娘が8歳になった頃、旦那さんが病気で亡くなり、ウッパラヴァンナーは使用人からとんでもないことを聞かされる。ウッパラヴァンナーのお父さんは早くに亡くなり、お母さんは未亡人となっていた。そのお母さんが淋しさに耐えかねて、婿さん、つまりウッパラヴァンナーの旦那と通じ合っていたというんだ。母と夫の不倫関係を知って怒り悲しんだウッパラヴァンナーは、娘を部屋に残したまま家を飛び出してしまった。
まもなく彼女はヴァーラナシー城にたどり着いた。城門の外に茫然自失の状態で立ちつくしていた時、城内に住む妻を失ったばかりの一人の長者がその余りの美しさに目を留め、彼女に話しかけた。
「そなたは誰の妻か?」
「私は誰の妻でもありません」
「もし独り身なら、私の妻になってくれないか」
彼女は承諾して、長者の妻となった。それから8年、彼女は夫によく尽くして、夫は事業に成功して大金持ちになった。
そのまま幸せな日々が続くかと思ったある日、夫は商用でウッジェーニーに出かけた。そこで一人の少女に出会うのだが、偶然にもその少女はかつてウッパラヴァンナーが産んだ娘だった。もちろん長者はそのことを知らない。母親の血を引いてその少女もひときわ容姿が優れていたので、長者は心が動いてしまう。すぐにその少女の養父と交渉し、値千金でその少女を貰い受けた。こらっ、助平爺。ウッパラヴァンナーという絶世の美女を嫁さんにしていながら、まだ他の女に手を出すんか。

長者はウッジェーニーにその少女を連れて帰り、自宅からあまり遠くない所に彼女をかくまい、儲けた金の半分を彼女のところに置いて、知らぬ顔で家に帰った。しかし、ウッパラヴァンナーは長者から渡された儲けが少ないのを不審に思い、長者を問いただした。長者は「途中で賊に襲われたんだ。今から取り返しに行ってくる」と言い残すと、また家を出て行った。長者が出かけた後に友人が来て、「彼は賊のところに行ったんじゃないよ」と、これまでのいきさつを告げ口しちゃった。
少々のことでは動揺しない強い女になっていたウッパラヴァンナーは帰宅した長者に、
「その娘さんをここへ連れてらっしゃい。私が面倒を見てあげるわ」
と言った。浮気がばれて冷や汗ものだった長者は、若い女を嫁さん公認で囲えるとあって、喜び勇んで少女を自宅に連れてきた。子供のいなかったウッパラヴァンナーは旦那の妾にもかかわらず、実の娘のように慈愛をこめてその少女の面倒を見た。
ある時、少女の髪をとかしてやりながら、ウッパラヴァンナーは少女の素性を何気なく聞いた。
「あなたのお母さんの名前は?」
「母の名はウッパラヴァンナーといいます。幼い時、私を置いて出て行ってしまいました」
ウッパラヴァンナーは昔捨ててきた我が娘だと知って仰天し、暗澹たる思いに陥った。
〝ああ、昔、母とわが夫を共有していたというのに、今また、娘とわが夫を共有するとは、なんという忌まわしい悪の巡り合わせか〟
ウッパラヴァンナーは家を飛び出し、心乱れるままに街中を彷徨【さまよ】い歩いた。夢遊病者のように歩き、ラージャガハにやって来たウッパラヴァンナーは男たちの誘いのまま、金を取って身を売る売春婦となってしまう。もう自暴自棄だね。
そんな時、一人の少年がやって来て、
「お前は出家者の心を動かすことが出来るか?」と面白半分に聞いた。
「私はこれまで多くの男たちの心を乱してきた。出家者だからといって、私のこの魅力に心惑わされずにいられましょうか」
少年は彼女をブッダの弟子モッガラーナのところへ連れて行った。彼女は美しい肢体で誘惑しようとするが、モッガラーナの心は岩のようにびくともしない。
そして、モッガラーナは彼女を諭した。
「汝、自らを深く省みよ。汝の身は厭【いと】うべきかな。穢れはとこしえに身体にあふれている。汝の身の不浄を人に語れば、あたかも夏の日の便所のように、その穢れた臭いに人はお前を捨てて遠くに去って行くだろう」
その言葉に打ち砕かれたウッパラヴァンナーはモッガラーナに身の上をすべてを打ち明け、
「お願いですから、その教えをさらに深く説いてください。私は教えに従って出家し、心を改めて道を求めたい」と、出家を願い出た。
モッガラーナは彼女を哀れんでブッダの教えを説いて聞かせ、ブッダのもとに連れて行った。
このいきさつを聞いたブッダは快くウッパラヴァンナーの出家を許した。
なんだか、この前亡くなった渡辺淳一の愛欲小説みたいなお話だね。実はウッパラヴァンナーについては違うお話も伝わっているんだけど、長くなるので次回お話するね。(つづく)
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キサー・ゴータミーはコーサラ国の都シュラヴァスティーの貧しい家に生まれ、痩せていたことからキサー(痩せた)・ゴータミーと呼ばれた。また、ドウッガタ・クラッサ・ディーター(貧しい家の娘)という舌を噛みそうな名前でも呼ばれたそうだ。恐らくシュードラだったと思うけど、貧しい家の娘なんていくらでもいただろうから、その中でもよっぽど貧しい家だったんだろうね。
そんな彼女も年頃になって同じ村の男と結婚し、かわいい男の子を産んだ。はじめは貧しい家の出であることで軽蔑されていた彼女だったが、男の子を産んでからは皆に大切にされるようになった。幼い頃から貧しさと苦労の連続だった彼女にも、ようやく幸せが訪れようとしていた時、突然この子が死んでしまう。悲しみに沈んでいた彼女に追い打ちをかけるように、今度は旦那さんが死んでしまう。『長老尼の詩』(テーラー・ガーター)には「貧苦なる女にとっては二人の子どもは死に、夫もまた路上で死に、母も父も兄弟も同じ火葬の薪で焼かれました」と書かれている。旦那さんが道端で倒れて死に、両親・兄弟を一緒に火葬にしたというから、コレラとか天然痘とかの流行病で命を失ったのかも知れないね。旦那さんが死んだあとキサー・ゴータミーは二人目の子供を出産したようだが、この子も生まれて早々にこの世を去ってしまう。彼女は半狂乱となり、死んだ子供の遺体を抱いて放心したように、街中をさまよい歩いた。
親にとって、特に母親にとって、一番辛いことは我が子を失うことだ。辛くないお葬式なんてもちろん一つもないけど、親に先立った子供のお葬式がなんと言っても辛い。僕もいくつか経験しているけど、一番辛かったのが子宮頸ガンで亡くなった26歳の女の子のお葬式だ。母子家庭だったんだけど、母親にとってはそれこそ目に入れても痛くないほど可愛がっていた子だったから、お母さんはお葬式の間中泣きじゃくっていた。そしていよいよご遺体を火葬炉に入れる段になって、お母さん半狂乱になって、「自分も一緒に炉に入る」と言ってきかない。本当に飛び込みそうな勢いで、みんなで止めるのに苦労した。キサー・ゴータミーの場合は次から次に身内を亡くし、生まれたばかりの子供まで亡くしたのだから、気が狂わんばかりになったのも当然と言える。
愛児の亡骸を抱いたキサー・ゴータミーは、
「この子を生き返らせる薬を下さい」
と言って、家ごとに頼んで歩いた。人々は
「死んでしまった子に飲ませる薬があるものか」
と言って嘲り笑った。
ある男がこの様子を見て、「この女は子供の死にショックを受けて気が狂ったに違いない。彼女を立ち直らせることが出来るのはブッダしかいない」と考え、彼女にブッダのところへ行って薬を貰うにように勧めた。彼女は言われた通りブッダのもとに行き、
「この子を生き返らせる薬を下さい。この子にまで死なれたら、私は生きていくことができません。どうか、お願いします」と涙ながらに頼んだ。
ブッダは彼女の心を知って、次のように答えた。
「よく来た、ゴータミーよ。それでは、町に行って芥子【けし】の種を2,3粒貰って来なさい。私がその子を生き返らせる薬を作ってあげよう。ただし、その芥子の種はまだ一度も死人を出したことのない家から貰ってきたものでないと駄目だよ」
ちょっと話が逸れるけど、芥子の実って見たことある?そうだね、あんパンに付いてるあのつぶつぶの実がそうだね。七味唐辛子にも入ってる。でも、芥子と言えばあのアヘンの原料だ。イギリスが中国に大量に持ち込んで、アヘン戦争の原因となった麻薬の材料だ。じゃあ、芥子の実を植えてアヘン作っちゃおうかな、なんて悪いこと考えちゃ駄目だよ。食用になってる芥子の種は加熱処理がされていて、発芽しないようになってるからね。
ブッダに死んだ子供を生き返らせる薬を作ってあげると言われて喜んだ彼女は、町へ行って1軒1軒訪ね歩いたんだけど、死人を出したことのない家なんてあるはずはなかった。何軒か歩くうちに、彼女はブッダが自分に何を教えようとしているかがわかった。胸にこみあげてくるものを押さえながら、彼女は町外れの墓地に行き、わが児の亡骸を抱いて言った。
「いとしい子よ、私はお前一人だけが死んだのだと思って取り乱したが、死ぬのはこの世に生をうけた人の定めであった」
彼女がわが子を墓地に葬ってブッダのもとに戻ると、ブッダはこう尋ねた。
「ゴータミーよ、芥子の種は手に入ったか?」
「ブッダよ、もう芥子の種の必要はございません。町中のどの家でも、死人を出したことない家などないことがわかりました。どうか私に安心【あんじん】の道をお教え下さい」
許しを得てブッダの弟子となったキサー・ゴータミーの進歩は速く、やがて覚りの位に達したという。彼女は粗末な衣を着てひたすら修行を続けたということで、尼僧の中で第一人者であるとブッダから認められ、「粗衣【そえ】第一」と言われたそうだ。(つづく)
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ブッダを知りませんか?
ヤショーダラー (耶輸陀羅【やしょだら】)
ヤショーダラーは「ブッダの生涯」にも登場したけど、ブッダが出家する前、カピラヴァットゥのシッダールタ太子であった頃のお妃さんだったね。彼女の出身については色んな説があるけど、南伝仏教ではかの極悪人とされたデーヴァダッタのお姉さんとされている。ということはブッダと従兄弟だったということだ。ヤショーダラーがラーフラを産んだ7日後、出家を決意していたシッダールタは、白馬カンタカに乗り、従者チャンダカに手綱を引かせて密かに城を出た。
チャンダカとカンタカだけが帰って来た時、スッドーダナ王、養母のマハーパジャーパティをはじめ多くの人々が嘆き悲しんでいる中で、ヤショーダラーは太子との別離を嘆きながらも、
「どうして太子を乗せて戻らなかったのですか」
と、チャンダカを責め、そこにいない太子に対しても、
「あの~人は行って行ってし~まった~、もう帰らない~。どうして私だけを残して出家したの~。どうして私を捨てたの~!」
と、かき口説いたという。そりゃそうだよね。ブッダだから何となくみんな容認してるけど、妻子を捨てて家出したんだからね。普通だったら「なんて非道い旦那なんだ。それも長男が生まれたばかりだというじゃないか。嫁さん可哀想に」って、非難されてもしゃあないし、嫁さんがカンカンになって怒っても当たり前だ。
しかし、しばらくして落ち着くと、
「今日から太子の修行が終わるまでの間、正式な寝床で休んだり、化粧したり、綺麗な着物を着たり、美味しいものを食べたりしない。たとえ、宮殿に住んでいても、太子と同じ山野にいるつもりで苦行者の生活をするわ」、という誓いを立てた。
6年後、シッダールタは悟りを開いてブッダとなった。ブッダとなった太子が生まれ故郷のカピラヴァットゥを訪れたのは、それからさらに6年経ってからのことである。ブッダを迎え城内は沸きかえったが、ブッダは宮殿に入らず、町の近郊にあるニグローダ園に滞在した。そして、町に出て托鉢し、1軒1軒まわって乞食【こつじき】して歩いた。
誇り高い父スッドーダナ王はこれを見て嘆いた。
「何ゆえ、あなたはわが家系に恥をかかせるのですか?ブッダに供する食事はすでに用意してあるのに……。名誉あるわが家系には行乞【ぎょうこつ】した者は一人もいない」
という父王に、ブッダは、
「王よ、それは王の家系であって、われらが教団のルールでは、いかなる者も常に行乞し、行乞によって生命を保ちます」
と述べたあと、弟子たちに向かって言った。
「お前たちに言う。修行者は少欲で足るを知り、人に交わることなく、群衆の中にいる時は黙して必要なこと以外は語るべからず。何びとをも罵【ののし】ることなく、戒律を守り、飲食において量を知るべし」
この「少欲知足【しょうよくちそく】は現在の飽食の時代にこそ大事な教えだよね。
スッドーダナ王はブッダによって道の何たるかを知り、ブッダとなった息子と、その弟子たちを王宮に招き、食事を供養した。
王宮のすべての人達は食事が終わると一カ所に集まって、ブッダの教えを受けた。ところが、ヤショーダラーだけは姿を見せなかった。やがてブッダは父王に乞食の鉢を持たせ、彼女の部屋へ行った。そして用意してあった椅子にブッダが座ると、どこからともなく飛び出して来たヤショーダラーがブッダのそばに走り寄りブッダの足の甲に頭をすりつけて礼拝した。それは長い間彼女が心の中に秘めてきたブッダへの愛の表現だった。
その時、スッドーダナ王がブッダに、
「ブッダよ、ヤショーダラーはあなたが黄色の衣を身につけていると聞けば自分も黄色い衣を身につけ、あなたが1日1食しか取らないと聞くと自分も1食しか取りませんでした。あなたが人から離れて林に籠もったと聞くと自分も1室に籠もり、ついにただ一人とも会うことをしませんでした。ただ、一途にあなたを思って、他人の言うことには耳をかしません。ブッダよ、私の娘はこのような徳を備えています」
と彼女の徳を告げると、ブッダは「よくわかりました」と静かにうなずいたそうだ。
スッドーダナ王が高齢で亡くなった後、養母のマハーパジャーパティがブッダの弟子となったというお話は前回したよね。この時にヤショーダラーも一緒にブッダの弟子となった。出家したあとはバッダカッチャーナと呼ばれることもある。
出家した彼女はかつての夫を師として敬い、思慕の念を見事に悟りへの意欲に振り向け、自ら反省する点において仏弟子NO1とされ、具懺愧【ぐざんき】第一と言われた。懺は「自らに省みて恥ずかしい」、愧は「他人に対して恥ずかしい」という意味で、懺愧は「ただただ恥ずかしい」という意味だよ。「ブッダのかつての妻であった自分が、他の修行者たちから批判を受けるようであってはならない」という思いがあったんだろうね。(つづく)
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