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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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夫に先立たれた妻のために さじき女房ご返事

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

さじき女房御返事 にょうぼうごへんじ

建治元年(1275)5月25日、54歳、於身延、和文

 法華経の「文字の仏」に供養をささげた功徳は限りなく、まして亡夫にこの功徳が及
ぬことがないと示している。

 前欠女人は水のごとしうつは物にしたがう女人は矢のごとし

弓につがはさる。女人はふねのごとし、かぢ(楫)のまかするによるべ

し。しかるに女人はをとこ(夫)ぬす人なれば、女人ぬす人となる。を

とこ王なれば、女人きさきとなる。をとこ善人なれば、女人仏になる。

今生のみならず、後生もをとこによるなり。

 しかるに兵衛のさゑもんどの(左衛門殿)は法華経の行者なり。たと

ひいかなる事ありともをとこのめなれば法華経の女人とこそ、

仏はしろしめされて候ふらんに、また我とこころををこ(発)して、法

華経の御ために御かたびらをくりたびて候ふ。

 法華経の行者に二人あり。聖人は皮をはいで文字をうつす。凡夫はた

だひとつきて候ふかたびらなどを、法華経の行者に供養すれば、皮をは

ぐうちに仏をさめさせ給うなり。この人のかたびらは法華経の六万九千

三百八十四の文字の仏にまいらせさせ給ひぬれば、六万九千三百八十四

のかたびらなり。また六万九千三百八十四の仏、一々六万九千三百八十

四の文字なれば、このかたびらもまたかくのごとし。たとへばはるの野

の千里ばかりにくさのみちて候はんに、すこしきの豆ばかりの火をくさ

ひとつにはなちたれば、一時に無量無辺の火となる。このかたびらもま

たかくのごとし。一のかたびらなれども法華経の一切の文字の仏にたて

まつるべし。この功徳は父母・祖父母ないし無辺の衆生にもをよぼして

ん。まして我いとをしとをもふをとこごは申すに及ばずと、おぼしめす

べし。恐恐謹言。

五月二十五日                    日 蓮 花押

さじき女房御返事

【現代語訳】
文字の仏への供養

 (前略)女性は水のようなもので、器物の形にしたがって形を変えます。女性は矢の

ようなもので、弓につがわれてどこへでも飛んでいきます。女性は船のようなもので、かじ

にまかせて方向を変えます。だから、女性は夫が盗人だとその協力者として盗人扱いさ

れます。夫が王であるならば、女性は后となります。夫が善人であるならば、女性は仏

になります。女性が夫しだいで立場を変えるというのは、この世だけのことでなく、来

世でも同じことなのです。

 ところで、ご夫君の兵衛左衛門殿は法華経の行者です。だから、たとえどんなことが

あっても、仏は、あなたを、兵衛左衛門殿の妻だということによって、法華経信仰の女

性であるとお認めになるでしょうが、そのような受け身のことで満足することなく、自

発的な信仰心を起こして、法華経の御ために御かたびらをお送りくださいました。ありがた

いことです。

 法華経の行者に聖人と凡人との二類があります。聖人は、身の皮をいで法華経を書

写します。凡人は、ただ一着しかない帷を法華経の行者に供養すれば、それで聖人が皮

を袷いだのと同じことになると仏はお認めになるのです。この凡夫の帷は、法華経に記

されている文字の数、6万9384の一字一字の仏にご供養なさったのですから、6万9384

着の帷にほかなりません。つまり、法華経には、6万9384の仏が、いちいち6万9384の

文字として出現なさっているのですから、帷の数もそのようになるのです。たとえば、

千里四方もある春の野の草が茂りわたっているところで、小さな豆粒ほどの火を一本の

草につけると、たちまちに一面の火の海となるでしょう。あなたから送られた帷もまた

同じです。一着の帷ではあっても、法華経の6万9384体すべての文字の仏、お一人お一

人に献上するものとなるのです。この功徳は、あなただけではなくて、父母、祖父母ら

のご先祖から、さらに一切の衆生にも及ぶことでしょう。ましてあなたが愛していらっ

しゃるご夫君に及ぶことはいうまでもないとお思いください。恐恐謹言。

五月二十五日                          
日 蓮  花押

桟敷女房御返事


【解説】

 さじき女房とは、六老僧日昭にっしょうの兄、印東いんどう次郎左衛門尉祐信さえもんのじょうすけのぶの妻のこと。印東

祐信の父を祐照すけてるその妻の妙一尼をさじきの尼嫁をさじき女房と称したと言われてい

。さじきは桟敷のこと。昔、印東氏が源頼朝の由比ケ浜遠望のために、山上に桟敷を

を構え、後に、この旧蹟に居を構え住したことから、地名に由来してこう呼ばれた。

 さじき女房に、法華経の功徳の内容をあかしたのが、この手紙である。大切なものを

ささげる。その供養の志は一つのかたびらであろうとも、一切の「文字の仏」に奉るこ

とになる、という。限りなき仏の慈悲にひろがる功徳の広大さは、また限りなき救済の

普遍性につながる。まして、愛する夫が、法華経の文字の仏にささげられた功徳に包摂

されることはいうまでもないというのである。妻の、夫への愛は仏の愛となって、死者

の世界と生者の思いをつなげていき、それが亡夫の功徳となり、法華経の女人としての

妻の生き方と功徳になる、という廻向のありようを説いた。

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【 2023/08/26 05:33 】

夫に先だたれた妻のために  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

夫に先立たれた妻のために 妙一尼御前御消息②

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

妙一尼御前御消息みょういちあまごぜんごしょうそく

 しかるに聖霊は或は病子あり。或は女子あり。「われすてて冥途にゆ

きなば、かれたる朽木のやうなるとしより尼が一人とどまりて、この子

どもをいかに心ぐるしかるらん」となげかれぬらんとおぼゆ。

 かの心のかたがたには、また日蓮が事、心にかからせ給ひけん。仏語

むなしからざれば、法華経ひろまらせ給ふべし。それについては、この

御房は「いかなる事もありて、いみじくならせ給ふべし」と、おぼしつ

らんに、いうかいなくながし失せしかば、「いかにやいかにや法華経・

十羅刹じゅうらせつは」とこそをもはれけんに、いままでだにも、ながらえ給ひた

りしかば、日蓮がゆりて候ひし時、いかに悦ばせ給はん。またいゐし事

むなしからずして、大蒙古国もよせて、国土もあやをしげになりて候へ

ば、いかに悦び給はん。これは凡夫の心なり。

 法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる。いまだ昔よりき

かず、みず、冬の秋とかへれる事を。いまだきかず、法華経を信ずる人

の凡夫となる事を。経文には、「〔もし法を聞く者有れば、一として成

仏せざるは無し〕」ととかれて候ふ。

 故聖霊は法華経に命をすててをはしき。わづかの身命をささえしとこ

ろを、法華経のゆへにめされしは命をすつるにあらずや。かの雪山童子せっせんどうじ

半偈はんげのために身をすて薬王菩薩のひじをやき給ひしは彼は聖人な

火に水を入るるがごとし。これは凡夫なり、紙を火に入るるがごと

し。

 これをもつて案ずるに、聖霊はこの功徳あり。大月輪の中か、大日輪

の中か、天鏡をもつて妻子の身を浮かべて、十二時に御らんあるらん。

たとひ妻子は凡夫なればこれをみずきかず。譬へば耳しゐたる者の雷の

声をきかず、目つぶれたる者の日輪を見ざるがごとし。御疑ひあるべか

らず。定めて御まほりとならせ給ふらん。その上さこそ御わたりあるら

め。

 力あらばとひまいらせんとをもうところに、衣は一つぶでう、存外

の次第なり。法華経はいみじき御経にてをはすれば、もし今生にいきあ

る身ともなり候ひなば、尼ぜんの生きてもをわしませ、もしは草のかげ

にても御らんあれ。をさなききんだち(公達)等をば、かへりみたてま

つるべし。

 さどの国と申し、これと申し、下人一人つけられて候ふは、いつの世

にかわすれ候ふべき。この恩はかへりてつかへ(仕)たてまつり候ふべ

し。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。恐恐謹言。

五月  日                     
日 蓮 花押

妙一尼御前


【現代語訳】
法華経に命を捨てた功徳

 ところで亡きご夫君は、病気の男児がいますし、また女児もいます。「その子たちを

残して冥途へ行ったならば、枯れた木のように衰えている母の老尼が、一人ぼっちにな

って、この子供たちのことをどれほど心配することだろうか」とお歎きではないかと思

われます。

 また、亡きご夫君は、心の一方では、私のことが気になっていらっしゃったと思いま

す。仏のお言葉には嘘がないので、法華経は必ずお弘まりになるでしょう。それにつけ

ても、亡きご夫君は「日蓮が迫害されているような事態も好転して、法華経が隆盛にな

られるであろう」と思っていらっしゃったでしょうに、なかなかそうはいかず、幕府が
                                     ※1
理不尽にも私を配流したので、その時点では「これはどうしたことか。法華経よ。十羅

刹女の守護はないのか」と私も思ったものですが、結局はこうして健在でいられる身に

なったのですから、もしご夫君が今まで生き長らえていらっしゃったならば、私が佐渡

流罪をゆるされた時に、どれほどお喜びくださったことでしょう。また、私が前々から警

告を発していたことが的中して、大蒙古国からの攻勢もあって、日本国の安否が気づか

われるようになっていますので、この件もどれほどお喜びか知れません。もう帰らない

人に対してこのような繰り言をいうのは凡夫の浅はかさですね。

 今法華経を信じている人は寒い冬のようなものです冬は必ず花の咲く春になります

まだ昔から聞いたことも見たことがないでしょう、冬が秋に逆戻りしたなどということ

を。そのように、まだ聞いたことがありませんよ、法華経を信奉する人が成仏をしない

で凡夫のままでいるということを。だから法華経の方便品には「もし、法華経を聞くこ

とがあろう者は、一人として成仏しないことがない」と説かれているのです。


 亡きご夫君は、法華経のために命をお捨てになりました。細々と命を支えるだけの所

領を、法華経のために召し上げられたのですから、法華経に殉死したことになりましょ
               ※2
う。経典の中には、あの涅槃経の雪山童子が「諸行は無常である。これは生じたり滅し

たりする万象の法則なのだ」という半偈を教わり、後の半偈を知るために鬼神の前に身
           ※3
を投げたり、法華経の薬王菩薩が、過去の世で1200年もの長いあいだ自分の身を燃やし

て仏と法華経に供養したということが見えますが、それは聖人の話であって、火に水を

かければたきぎが燃えなくなるように命は後まで残りました。しかし、ご夫君の場合は凡夫

ですから、火に紙を入れると燃え尽きるように命が失せてしまいました。

 あれこれと考え合わせてみると、亡きご夫君はたいへん大きな功徳を積んでいらっし

ゃいます。だから今は、大月輪の中か、大日輪の中かにいらっしゃって、何でも明らか

に映す天の鏡にあなたがた親子の身を浮き出させて、24時間中お守りなさっていること

でしょう。たとえあなたがたは、凡夫の常としてご夫君を見ることも聞くこともできな

くても、それはたとえば、耳の不自由な人が雷の大音響を聞かず、目の不自由な人が太

陽の輝きを見ないようなものです。お疑いになってはいけません。ご夫君は必ずや守護

神におなりのことでしょう。いやそればかりでなく、いずれあなたがたの所をご訪問く

ださると思いますよ。

 私も、体力が許すものならばそちらへお尋ねしようと思っていたところなのですが、

かえって衣を一着お送りいただきましたこと、思いがけずありがたいことです。法華経

はことさらにすぐれたお経ですから、そのご利益 りやくによって、この世に生き長らえる身と

なりましたら、あなたがご健在であっても、あるいは万一のことがおありになったとし

ても
どうぞご覧になってください幼いお子さまたちのお世話は必ずいたしますから。

佐渡の国といい、ここ身延といい、召使いを一人遣わしてくださったことは、いつの世

にも忘れられないほどありがたく思っています。このご恩は、生まれ変わってからお返

しいたしましょう。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。

五月  日                           
日 蓮  花押

妙一尼御前

【語註】

 ※1 
十羅刹女:法華経・陀羅尼品【だらにほん】に登場する十種の女鬼で、法華経の
           守護神である。日蓮聖人の時代には鬼子母神の子であるとする説があった。 

 ※2 雪山童子:
釈尊が過去世において菩薩道を求めて修行していた時の名。雪山(イ
           ンドの北方に連なる山)で修行をしたのでこの名がつけられた。「諸行無常、是
           生滅法」という偈(四句から成る)の後半二句を知りたいために鬼神に生命を献
          上することを誓い、「生滅滅已、寂滅為楽」というそれを教わると、誓約どおり
          鬼神の前に身を投げる。鬼神は帝釈天の姿を現わして童子の行為を称えた。(涅
          槃経)
 
 ※3 薬王菩薩:過去世で日月浄明徳仏の弟子(一切衆生喜見菩薩という)であったこ
          ろ、法華経を聞いて歓喜し、身を燃やして仏に供養した。1200年燃え続けた火
          が消えるとともに菩薩の身も滅したが、その功徳によってまた日月浄明徳仏の国
          の浄徳王の家に再生し、仏から滅後の弘教を依嘱された。そこで仏の遺骨を納め
          る八万四千の塔を建てて供養したが、なお満足せずに臂を燃して7万2000年の間
          供養し、無数の人々に菩提心を得させた。日蓮聖人は、薬王菩薩の不惜身命の事
          蹟に正法護持の理想的なあり方を見、自らの範とするとともに、それを門下に勧
          めている。

【解説】

 日蓮聖人は、夫を亡くした妻に向かって、夫婦離別の悲嘆に心を合わせつつ、夫婦の

えにしは決して切れることがないという信仰的生き方を説示した。

 妙一尼という妻のごとく、病気の子や女子を抱え、自身も年老いて丈夫でない体であ

る場合、ことさら夫を亡くしたことの辛さは、たとえようもなかったであろう。もしこ

こで、今度は自分が死んだならば、残された子供たちはどうなるのか、と思えば、その

不安と心配の気持ちは深まりこそすれ、脳裏から離れはしなかったであろう。しかも、

その心は先立っていった夫もまた抱いていた気持ちであった。「年老いた尼が独り残っ

て、この子の行末をいかに心配されることであろうか」という嘆きは、言葉をもはや超

えた所で、妻を想う夫の胸中に他ならなかった。

 日蓮聖人は夫が妻子の行末を思う悲嘆をそれに止まるものと狭く捕らえていない。

夫が老妻と病子にこめた思いというものが、同じように病子を救おうとした「仏の慈

悲」につらなる心である点を強調している。心の病に侵された
阿闍世王を救うことは、

一切の罪人や病人の身を嘆き、救済していく父母の愛をあらわすものであった。妙一尼

と子にも、この限りなき仏の愛は注がれている、と日蓮聖人は言おうとしたのである。

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【 2023/08/24 05:33 】

夫に先だたれた妻のために  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

夫に先立たれた妻のために 妙一尼御前御消息①

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

妙一尼御前御御消息みょういちあまごぜんごしょうそく

建治元年(1275)5月、54歳、於身延、和文

 妙一尼は鎌倉在住の女性檀越。源頼朝が常栄寺裏の山上に由比ヶ浜を遠望するために
作った桟敷が地名として残ったという、その桟敷の地に居住していたので「さじきの女
房」「さじきの尼御前」とも称する。印東三郎左衛門祐信(日蓮聖人書状の「兵衛のさ
えもんどの」)の妻で弁阿闍梨日昭の母であるという説の真偽は定かでないが、日昭と
縁が深かったことは確かである。日蓮聖人の佐渡流謫中に夫が死に、幼な子と老母が残
ったが、聖人への節を曲げることなく外護した。
 夫婦別離の悲しみをつづり、亡夫は法華経にささげた功徳でによって成仏し、妻子を
訪れ守っていることを示している。


妙一尼御前御返事

 それ天に月なく日なくば、草木いかでか生ずべき。人に父母あり、一

人もかけば子息こども等そだちがたしその上過去の聖霊しょうりょうは或は病子あ

或は女子あり。とどめをく母もかいがいしからず。だれにいゐあつ

けてか、冥途にをもむき給ひけん。

 大覚世尊、御涅槃の時なげいてのたまわく、「我涅槃すべし。ただ心

にかかる事は阿闍世王あじゃせおうのみ。」迦葉童子菩薩かしょうどうじぼさつ、仏に申さく、「仏は平等

の慈悲なり。一切衆生のためにいのちを惜しみ給ふべし。いかにかきわ

けて、阿闍世王一人とをほせあるやらん」と問いまいらせしかば、その

御返事に云はく、「〔tato
えば一人にして七子有り、この七子の中に一子

病に遇へり。父母の心平等ならざるにはあらず、しかれども病子におい

ては心すなはちひとえに多きがごとし〕」等云云。天台、摩訶止観まかしかんにこ

の経文を釈して云はく「〔譬えば七子、父母平等ならざるにあらず、し

かれども病者においては、心すなはちひとへに重し〕」等云云とこそ仏

は答へさせ給ひしか。文の心は、『人にはあまたの子あれども、父母の

心は病する子にあり』」となり。

 仏の御ためには一切衆生は皆子なり。その中罪ふかくして世間の父母

をころし、仏経のかたきとなる者は病子のごとし。しかるに「阿闍世王

摩竭提国まかだこくの主なり。我大檀那たりし頻婆舎羅王びんばしゃらおうをころし、我がてきと

なりしかば、天もすてて日月にへんいで、地もいただかじとふるひ、万民みな

仏法にそむき、他国より摩竭提国をせむ。これ等はひとへに悪人提婆達だいばだっ

を師とせるゆへなり。結局は今日より悪瘡身に出て、三月の七日無間

地獄に堕つべし。これがかなしければ、我涅槃せんこと心にかかる」と

いうなり。「我阿闍世生をすくひなば、一切の罪人阿闍世王のごとし」

となげかせ給ひき。

 しかるに聖霊は或は病子あり。或は女子あり。「われすてて冥途にゆ

きなば、かれたる朽木のやうなるとしより尼が一人とどまりて、この子

どもをいかに心ぐるしかるらん」となげかれぬらんとおぼゆ。

【現代語訳】

病子への愛情

妙一尼御前御返事

およそ、天に月がなく日がなかったならば、草木はどうして生長できるでしょうか、生

長することができません。そのように、人には父と母とがいますが、その一人でも欠け

ると子どもは育ちにくいものです。ただでさえそうであるのに、亡きご夫君には、病の

男児もいれば女児もあり、おまけに、年老いて残る母も壮健ではないのですから、それ

らの心配の種を誰に托して冥途へ旅立ちなされたことでしょうか。
 ※1
 大覚世尊はご入滅の時に歎きながら「私は息を引き取るであろう。それにつけても心
      ※2
にかかるのは阿闍世王のことだけだ」とおっしゃいました。それを聞いた迦葉童子菩薩

が「仏の慈悲は平等であるはずです。生きとし生けるもののために全生命をかけてくだ

さらなければ困ります。なぜ取り分けて阿闍世王一人だけが気がかりだとおっしゃるの

でしょうか」とご質問申し上げると、仏は「『たとえば一人の親に七人の子がいる。こ

の七人の子の中の一子が病になった。父母の心は平等でないわけではない。しかし、病

の子に対しては、心が一番多くそそがれる』と経文にある通りなのだよ」とご返事なさ

いました。天台大師は摩訶止観の中で、仏のお言葉を解釈して「『たとえば七人の子が

いたとする。父母が子を愛する心は平等でないわけではない。しかし、病気の子に対し

ては、とりわけ多くの心配こころくばりをするものだ』と仏はお答えになりましたが、この経文

の内容は、『人にはたくさんの子がいても、父母の心は病をわずらっている子に特にそそが

れる』というのです」といっています。

 仏にとって、生きとし生けるものは、みんな子どもです。その多くの子どもの中の、

罪の深い性質に生まれついて、父母を殺したり仏経の敵となったりする者は、病の子に
                                     ※3
類するものです。ところで臨終を前にして仏がお歎きになったのは、「阿闍世王は摩竭
                               ※4
提国の主である。私の有力な後援者であった王婆娑羅王を殺し、私の敵となったので、

日月に異変が起こり、地神も怒って震動し、人民はみな仏法に背き、外国が摩竭提国を
                              ※5
攻めようとしている。こんなことになるのは、ひとえに悪人である提婆達多を師と仰い

でいるからなのだ。結局のところ王は、悪瘡愛情そうが体に出て、3月7日には無間地獄に堕ち

るであろう。それが悲しいので私は入滅することが心にかかるのだ」ということなので

す。そして、「私が阿闍世王を救ってしまえば、すべての罪人たちが阿闍世王と同じよ

うに救われることになるのだと、しみじみとおっしゃったのでした。(つづく)

【語註】

 ※1 
大覚世尊:釈尊の尊称。

 ※2 
阿闍世王:頻娑羅王を父とし韋提希夫人【いだいけぶにん】を母とする中イン
      ド・マガダ国の王。提婆達多にそそのかされ父を殺して王位につくが、後、その
          罪を恐れ、耆婆【ぎば】のすすめに従って釈尊に救いを求めた。五逆罪を犯した
    阿闍世王の成仏は、法華経の功徳の甚大さの証とされる。

 ※3 
摩竭提国:マガダ国。古代インドに栄えた16大国の中でも強力富裕な国で、釈
           尊の説法教化の中心地。首都はラージャガハ(王舎城)。

 ※4 
婆娑羅王:マガダ国王ビンビシャーラ。老年にいたっても子がないのを愁えてい
           た時、山中で修行中の仙人が死ねば后妃韋提希の子として再生するという占相師
           のことばを聞いて仙人を殺す。后妃は占相師の予言通り懐妊出産するが、頻婆舎
           羅王はやがてその子(阿闍世王)に殺されることになる。

 ※5 
提婆達多:中インド・カピラ城の斛飯王【こくぼんのう】の子で阿難の兄、釈尊
           には従弟にあたる(異説あり)。幼時より釈尊に対抗意識を持ち、一時は釈尊の
           弟子となったが後に教団を去って分派行動をした。また阿闍世王をそそのかして
           父王を殺させ、改心した阿闍世王が釈尊に帰依すると釈尊を亡きものにしようと
           するなど、典型的な極悪人とされる。しかし一方、釈尊が前生で妙法蓮華経を得
           るために給仕した阿私仙人【あしせんにん】こそ今の提婆達多であり、釈尊の成
           仏は提婆達多を善知識として実現したものであるということが法華経・提婆達多
           品によって説かれてもいる。

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【 2023/08/22 05:36 】

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夫に先立たれた妻のために 持妙尼御前御返事

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

持妙尼御前御返事じみょうにごぜんごへんじ

弘安2年(1279)11月2日、58歳、於身延、和文

 夫婦別離の辛さを語り、信心を導いた亡夫に廻向の題目を唱えるよう、その妻に勧めたもの。

 御そう(僧)ぜんれう(膳料)送り給ひ了んぬ。

 すでに故入道殿のかくるる日にておはしけるか。とかうまぎれ候ひけ

るほどに、うちわすれて候ひけるなり。よもそれにはわすれ給はじ。

 蘇武そぶと申せしつわものは、漢王の御使に胡国ここくと申す国に入りて十九

年、め(妻)もおとこ(夫)をはなれ、おとこもわするる事なし。あま

りのこひ(恋)しさに、おとこのきぬを秋ごとにきぬたのうへにてうちけ

るが、おもひやとをりてゆきにけん、おとこのみみにきこへけり。ちん

し(陳子)といいしものは、めおとこ(夫婦)はなれけるに、かがみ

をわりてひとつづつとりにけりわするる時は鳥いでて告げけり

さうし(相思)といゐしものは、おとこをこひてはかにいたりて木とな

りぬ。相思樹そうしじゅと申すはこの木なり。

 大唐へわたるに、しが(志賀)の明神と申す神をはす。おとこのもろ

こしへゆきしをこひて神となれり。しま(島)のすがたおうな(女)に

にたり。まつらさよひめ(松浦佐与姫)といふこれなり。

 いにしへよりいまにいたるまで、をやこのわかれ、主従のわかれ、い

づれかつらからざる。されどもおとこをんなのわかれほどたとへなかり

けるはなし過去遠々より女の身となりしがこのおとこ娑婆しゃば最後のぜ

んちしき(善知識)なりけり。

 ちりしはなをちしこのみもさきむすぶなどかは人の返へらざるらむ。

こぞもうくことしもつらき月日かなおもひはいつもはれぬものゆへ。

 法華経の題目をとなへまいらせてまいらせ。

十一月二日                     日 蓮 花押

持妙尼御前御返事

【現代語訳】
 ※1
 御僧膳料をお送りいただきました。お礼申し上げます。

 今日はもう故ご夫君のご命日がめぐってきたのでしたか。私は多忙にまぎれて失念し

ておりました。しかし、あなたとしてはお忘れになれないことですね。申しわけなく存

じます。
      ※2
 昔、中国の蘇武という勇士は、漢王の使者として胡国という国に行ったまま捕虜とな

って19年間も帰れませんでしたが、妻も夫を想いつづけ、夫も妻を忘れることなく過ご

しました。妻は、あまりの恋しさに、秋ともなれば夫の着物をきぬたの台にのせて打ってい

ましたが、その切なる思いがかよっていったのでしょうか。夫の耳に音が聞こえたという
       ※3
ことです。また陳子という人は、夫婦が別れる時に鏡を破って一片ずつを分けて持って
                                                                                                                                  ※4
いましたが、相手のことを忘れると鏡が鳥になって警告したそうです。それから相思と

いう人は、権力者に妻を奪われて自殺しましたが、妻も夫の墓のもとで思い死にをし、

二本のからまり合った木となったといいます。相思樹というのはこの木です。

 日本では中国へ渡る九州の地に志賀の明神という神がいらっしゃいますこの神は、

夫が中国へ旅立っていったのを恋い慕ってその地から離れなかった女性が神となったも
                    ※5
のです。だから島の姿が女性に似ています。松浦佐夜姫というのがその女性です。

 昔から今にいたるまで、親子の別れといい、主従の別れといい、どちらの方が辛いと

いうことなく、いずれも苦痛なものなのですが、しかし、それらにもまして、たとえよ

うもなく苦しいのは夫婦の別れです。今日、ご夫君の命日をお迎えになったあなたのお

悲しみは限りないものと思われます。しかし、あなたは過去の遠い昔から何回となく女

性としてお生まれになったことでしょうが、このご夫君は、娑婆世界で、もうこれ以上

に尊い境地はないという法華経信仰を手解てほどきした最終的な仏法指導者だったのですね


 世間の和歌にも「自然界では、散った花も、落ちた果実も、季節がめぐってくれば、

また咲き、また結ぶのに、逝った人は、どうして二度と帰ってくることができないので

あろうか」「亡き人を偲ぶ思いの晴れ間がないので、去年も物憂く、今年も辛い日月を

送ることである」と詠まれています。

 法華経の題目をお唱えになってご供養なさいます

ように。

十一月二日                           
日 蓮  花押

持妙尼御前御返事

【語註】

 ※1 御僧膳料:
僧侶の食膳を供養する費用。

 ※2 蘇武:漢の武帝に仕えた名臣。匈奴に捕えられたが節を曲げず、苦難の抑留生活
      19年を経て、次の昭帝の時代に帰国することを得た。妻が夫を想って打つ砧の音
           が胡国に届いた話や、雁の足に手紙を結んで故国に生存していることを知らせた
           話で知られている。

 ※3 陳子:中国・南朝・陳の太子に仕えた徐徳言。陳が滅ぼされて妻と別れなければ
    ならなくなった時に、鏡を割ってその一方を妻に持たせたが、それが縁になって
          再会を果たしたという(太平広記)。別に、鏡を破り片方ずつを持って別れた夫
    婦の、妻が不義をした時に、鏡が鵠【かささぎ】となって夫に告げたという話も
          ある(神異経)。

 ※4 相思:中国・戦国時代の宋の大夫韓憑【かんひょう】のことで、康王に妻を奪わ
           れて自殺した。夫を追って自殺した妻と相思との二人の墓から生えた木が互いに
           からまりあったという。

 ※5 松浦佐夜姫:肥前国松浦に住んでいたという女性。宣化天皇の代、朝鮮半島の任
     那救援に出征する愛人大伴狭手比古【おおとものさでひこ】を領巾振峯【ひれふ
       りのみね】(現・佐賀県唐津市の鏡山)で領巾を振って見送り、悲しみの余りそ
           こから去ることができずに石になってしまったという。

【解説】

 持妙尼は富士山麓、駿河の賀島の庄を領有していた高橋六郎兵衛入道の妻で、夫の病

を機に出家され回復を祈られました。しかし、夫の寿命は尽きてしまいます。

 持妙尼は折々に身延山へ供養の品々を送り届けています。この手紙も夫の追善供養の

僧膳料に対する感謝の礼状です。

 手紙は「入道殿の命日がきたのですね。諸事にまぎれ忘れていましたが、あなたは決

して忘れることはないでしょう」という書き出しで始まり、中国の3組の夫婦とわが国

の松浦佐夜姫の故事を記し、夫婦の別離ほどつらく悲しいものはないとして、和歌2首

で結んでいます。

 失意の夫人に寄り添おうとされた日蓮聖人の大慈大悲が伝わってきます。夫の生前は

病で信仰心を触発し、他界後も供養の念を促してくれる存在であり、夫こそが善知識で

あると気づいた持妙尼御前は、強く生き抜くための一歩を踏み出せたのではないでしょ

うか。

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テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2023/08/19 05:32 】

夫に先だたれた妻のために  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |
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