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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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厄と功徳 日眼女釈迦仏供養事③

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

日眼女釈迦仏供養事にちげんにょしゃかぶつくようじ

 天台智者大師の釈に云はく「〔女に記せず〕」等云云。釈の心は「一

切経には女人仏にならず」と云云、次下に云はく「〔今経は皆記す〕」

と云云。「今の法華経にこそ竜女りゅうにょ仏になれり」と云云。天台智者大師

と申せし人は、仏滅度の後一千五百年に、漢土と申す国に出でさせ給ひ

て、一切経を十五返まで御覧あそばして候ひしが、「法華経より外の経

には女人仏にならず」と云云。妙楽みょうらく大師と申せし人の釈に云はく、

「〔一代に絶えたる所なり〕」等云云。釈の心は「一切経にたえたる法

門なり。」

 法華経と申すは星の中の月ぞかし、人の中の王ぞかし。山の中の須弥しゅみ

せん、水の中の大海のごとし。これ程いみじき御経に、「女人仏になる」

と説かれぬれば、一切経に嫌はれたるになにかくるしかるべき。譬へば

盗人・夜打・強盗・乞食・渇体かったいにきらはれたらんと、国の大王にめら

れたらんと、何れかうれしかるべき。

 日本国と申すは女人の国と申す国なり。天照太神と申せし女神のつき

いだし給へる島なり。この日本には男は十九億九万四千八百二十八人、

女は二十九億九万四千八百三十人なり、この男女は皆念仏者にて候ふ

ぞ。皆念仏なるが故に阿弥陀仏を本尊とす。現世の祈りもまたかくのご

とし。たとひ釈迦仏をつくりかけども、阿弥陀仏の浄土へゆかんと思ひ

本意の様には思ひ候はぬぞ中々つくりかかぬにはをとり候ふな


 今日眼女は今生の祈りのやうなれども、教主釈尊をつくりまいらせ給

ひ候へば、後生も疑ひなし。二十九億九万四千八百三十人の女人の中の

第一なりとをぼしめすべし。くはしくはまたまた申すべく候ふ。恐恐謹

言。

弘安二年己卯二月二日                
日 蓮 花押

日眼女御返事

【現代語訳】

 天台智者大師の法華経の注釈には「女には授記しない」とあります。これは、「法華

経以外のすべての経典は女性の成仏を認めない」ということです。また大師は前の句に

続けて「今経こんきょうみな授記する」といっています。これは、釈尊一代の説法のうちの最後

に説かれた法華経によって、はじめて竜女も仏になり、すべての女性の成仏が保証され

ということです。天台智者大師という方は釈尊が亡くなられて一千五百年の後に、

漢土という国(中国)にお生まれになり、一切経を15度までお読みになった結果、「法

華経以外の経典には女性の成仏が説かれていない」ということを発見された方です。そ

の説を受け継がれた妙楽大師という方の注釈に「一代に絶えたるところなり」とありま

す。これは、「法華経に説かれたところの、女性が成仏するという教えは、他のすべて

の経典には絶無のものだ」という文です。

 このように法華経という経典は、星の中の月のように輝くもの、人の中の王のように

偉いものです。また、山の中では※ 1弥山のように高く、水の中では大海のように深いも

のです。これほどすぐれたお経に「女性は仏になる」と説かれているのですから、ほか

のすべての経典で忌避されたところで、何の苦痛もないでしょう。たとえば、盗人・

うち・強盗・乞食・渇体といった多くのつまらない人々にけなされても、ただ一人しかい

ない偉大な国王にほめられれば、どれほど嬉しいか、いうまでもないことでしょう。

 日本国というのは〈女性の国〉ともいうべき国です。この国は天照太神と申し上げた

女神が島をお造りになったところから始まりましたこの日本には男は199万4828人

女は299万4830人います。この男女は、みな念仏の信者です。みな念仏の信者だから阿

弥陀仏を本尊としています。そして後世に極楽浄土へ往生することを願っているので

す。現世安穏の祈願も同じように阿弥陀仏に対してしています。その人たちが、もしか

りに釈尊のお像を造ったり描いたりしたとしても、結局は阿弥陀仏の極楽浄土に往生す

ることを願っているのであって、釈尊の霊山りょうぜん浄土での成仏を考えてはいません。つま

り、本心からではなくて、一時的な現世利益のために釈尊像を利用しているだけなので

すからかえってお像を造ったり描いたりしないよりももっと悪質なことなのです。

 ところで今のあなたは、37歳の厄を除けるためだというのですから、現世でのご利益

を祈るだけのことのようですが教主釈尊のお像をお造り申し上げなさったのですから

後世の成仏も間違いありません。299万4830の日本女性の中の、第一の果報者になると

お思いください。委細はまたお便りいたします。恐恐謹言。

弘安二年〈己卯〉二月二日                   
日 蓮  花押

日眼女御返事

【語註】

 ※1 
須弥山:梵語スメールを音写した山の名で妙高山と漢訳する。仏教の宇宙観で世
           界の中心にそびえる巨大な山。周囲には九山八海があり、南方に人間の住む閻浮
           提【えんぶだい】がある。頂上は漁利天【とうりてん】で帝釈天が統治し、中腹
           の四王天には四天王が警備を固めている。

【解説】

 日眼女は四条金吾頼基の妻とする説が有力。夫四条金吾が主君江馬光時から勘気を蒙

ったり、領地替えを命じられたり、起請文を書かされたりして、夫の多事多難の中で、

夫の志を励まし、その信仰を全うさせた事で知られる。

 日蓮は、厄とは「関節のふしぶしのようなもの」としている。それは、日常生活に忍

び寄る肉体と精神の危険を示す赤ランプということであろう。その除災のために釈迦仏

の像を造立した日眼女の現世安穏・後生善処の確かさを日蓮は明らかにした。

 日蓮の仏法においては釈迦像を用いない。にもかかわらず、日眼女の釈迦仏造立を称

賛したのは、在俗の日眼女の修学がまだ浅かったからであろうか。翌弘安3年に日蓮か

ら曼荼羅本尊が授与されている。


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【 2023/11/07 05:33 】

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厄と功徳 日眼女釈迦仏供養事②

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

日眼女釈迦仏供養事にちげんにょしゃかぶつくようじ

 今の日眼女は三十七のやく(厄)と云云。やくと申すはたとへばさい

(閲)にはかど、ます(升)にはすみ、人にはつぎふし(関節)、方に

四維よすみのごとし。風は方よりふけばよはく、角より吹けばつよし。病は

肉より起これば治しやすし、ふしより起これば治しがたし。家にはかきな

ければ盗人いる、人にはとがあれば敵便たよりをうく。やくと申すはふしぶし

のごとし。家にかきなく、人にとがあるがごとし。よきひやうし(兵士)

をもつてまほらすれば、盗人をからめとる。ふしの病をかねて
治すれば

命ながし。

 今教主釈尊を造立し奉れば、下女が太子をうめるがごとし。国主なお

この女を敬ひ給ふ何にいわんや大臣以下をや大梵天王釈提桓因王

日・月等、この女人を守り給ふ。いわんや大小の神祇をや。

 昔優塡うでん大王、釈迦仏を造立し奉りしかば、大梵天王・日・月等、木像

を礼しに参り給ひしかば、木像説きて云はく、「我を供養せんよりは優

塡大王を供養すべし」等云云、影堅ようけん王の画像の釈尊を書き奉りしもまた

またかくのごとし。

 法華経に云はく「〔もし人、仏のための故に諸の形像を建立す。かく

のごとき諸人等、皆すでに仏道を成しき〕」云云。文の心は「一切の女

人釈迦仏を造り奉れば、現在には日々月々の大小の難を払ひ、後生には

必ず仏になるべし」と申す文なり。

 法華経に云はく「〔もし人、仏のための故に諸の形像を建立す。かく

のごとき諸人等、皆すでに仏道を成しき〕」云云。文の心は「一切の女

人釈迦仏を造り奉れば、現在には日々月々の大小の難を払ひ、後生には

必ず仏になるべし」と申す文なり。

 そもそも女人は一代五千七千余巻の経々に、仏にならずときらはれま

します。ただ法華経ばかりに、「女人仏になる」と説かれて候ふ。

【現代語訳】

 今年、あなたは37歳のやくに当たるので、それが気がかりだということですね。そもそ

も厄というのは、たとえば賽子さいころでいえばかどますでいえばすみ、人体でいえば関節、東・

南・西・北の四方でいえば東南・南西・西北・北東という四維しいのようなものです。風は

正面から吹けば弱く当たりますが角から吹けば強くなります。病気は体の普通のところ

に起これば治しやすいのですが関節をおかされると治しにくくなります。家に垣根がない

と盗人が入ります。人に過失があると敵はそれにつけこみます。そのような例に当ては

めていうならば、厄というのは関節のようなもの、あるいは家に垣根がなく、人に過失

があるようなものです。勇猛な兵士に家を守らせれば盗人を捕えます。関節の病気を治

療すれば寿命は長くなります。

 このたび、あなたは教主釈尊のお像をお造り申し上げたのですから、卑しい下女が貴

い王子を出産したようなものです。国王でもその女性を尊敬なさいます。まして大臣以

下の人々が尊敬しないことがありましょうか。また、大梵天王・帝釈天・日天・月天ら

の天神がたがその女性をお守りくださいます。どうしてその他の大小の神々が守護なさ

らないことがありましょうか。

 昔、インドの
※ 1大王が、釈尊のお像をお造りになりましたので、大梵天王・日天・

月天らの天神たちが、その木像を礼拝しにおいでになりましたところ、木像が「私を供

養するよりは
大王を供養しなさい」とおっしゃいました。また※ 2堅王が画像の釈尊

をお書きになった時も同じでありました。

 法華経に「あるいは人が、仏のための故にもろもろの形像を建立する。このような諸

人ら、みなすでに仏道を成じた」とあります。この経文は、「釈尊のお像をお造りする

すべての女性は、現世では日々月々の大小の災難を払い、後生には必ず仏になるに決ま

っている」という内容の文です。

 そもそも女性は、釈尊が一生の間にお説きになった5000巻にも7000巻にも及ぶ経典

の中で、成仏することができないものとして忌避されていますが、ただ法華経だけに

「女性も仏に成る」と説かれているのです。
(つづく)

【語註】

 ※1 
優塡大王:インド・コーサンビーの王。釈尊が亡母摩耶夫人に説法をするため一
           夏利天に昇った時、仏がいなくなったことを悲しんだ王は、牛頭栴檀【ごずせ
           んだん】で五尺の仏像を刻んで拝んだという。これを仏像造立の初めとする。

 ※2 影堅王:頻婆娑羅王のこと。玄奘は影堅王と訳した、釈尊迦と同時代のマガダ国
          の王。釈尊に帰依し、あつく仏法を保護した。息子の阿闍世王に幽閉されて死ん
          だと伝えられる。

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【 2023/11/04 05:35 】

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厄と功徳 日眼女釈迦仏供養事①

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

日眼女釈迦仏供養事にちげんにょしゃかぶつくようじ

弘安2年(1279)2月2日、58歳、於身延、和文

 37歳の厄除けのため釈迦仏の像を造った日眼女の功徳の大きいことを述べ、この釈迦仏を造った功徳によって、現在の災難をはらい、後生は仏になると述べた。厄年は今日、男25,42歳、女19、33歳(数え年)だが、当時は37、57歳も厄年としている。

 御守書きてまいらせ候ふ。

 三界のあじる、教主釈尊一体三寸の木像造立の檀那日眼女にちげんにょ。御供養の御

布施、前に二貫今一貫云云うんぬん

 法華経の寿量品に云はく、「〔或は己身こしんを説き、或は他身を説く〕」

等云云。東方の善徳仏・中央の大日如来・十方の諸仏・過去の七仏・三

世の諸仏、上行菩薩等、文殊師利・舎利弗しゃりほつ等、大梵天王だいぼんてんのう・第六天の魔

王・釈提桓因王しゃくだいかんにんのう日天にってん月天がってん明星天みょうじょうてん・北斗七星・二十八宿・五

星・七星・八万四千の無量の諸星、阿修羅王天神地神山神海神・

宅神・里神・一切世間の国々の主とある人、何れか教主釈尊ならざる。

天照太神・八幡大菩薩もその本地は教主釈尊なり。例せば釈尊は天の一

月、諸仏菩薩等は万水に浮かぶる影なり。釈尊一体を造立する人は十方

世界の諸仏を作り奉る人なり。譬へば頭をふればかみ(髪)ゆるぐ、心

はたらけば身うごく。大風吹けば草木しづかならず、大地うごけば大海

さはがし。教主釈尊をうごかし奉れば、ゆるがぬ草木やあるべき、さわ

がぬ水やあるべき。

 
【現代語訳】
釈迦仏造立の功徳と女人成仏

 お守りを書いて進呈いたします。

 ※ 1界の教主釈尊のたけ3寸の御木像を一体お造りになった檀那日眼女から、ご供養の御

布施として、前に銭二貫、今また銭一貫をお届けいただきました。お礼申し上げます。

 法華経の寿量品に「仏の教えは一切衆生の苦しみを除き、仏の道に導くためのもので

ある。だから仏は、あるいは仏の身を説いたり仏以外の身を説いたりし、あるいは仏の

身を示したり仏以外の身を示したりし、あるいは仏としての行ないを示したり仏以外の

ものの行ないを示したりして、いろいろな教化のしかたをする」と説かれています。し

たがって、東方無憂むう世界の※ 2徳仏も、中央にいらっしゃる大日如来も、広く十方世界の

諸仏も、遠く過去の世に出現された七仏も、さらに三世にわたる諸仏も、それから、※ 3

行菩薩ら本化地涌じゆの菩薩たち、※ 4殊師利のような迹化しゃっけの菩薩、舎利弗らの声聞、三界の

主である※ 5梵天王、欲界に君臨する第六天の※ 6王、忉利天とうりてんを支配する※ 7釈天、あるいは

※ 8天・月天・明星天・北斗七星・二十八宿・五星・七星をはじめとする八万四千の数え

きれないほどの諸星、その他、阿修羅王・天神・地神・山神・海神・宅神・里神といっ

た世界中の諸所の主となっていらっしゃる神々、それら諸尊のどなたが、教主釈尊の

※ 9迹でないことがありましょうか。わが国の祖神おやがみ天照太神や守護神八幡大菩薩もみ

なその本地は教主釈尊なのですよ。たとえば、釈尊は天空に輝く一つの月、諸仏諸菩薩

らはあちこちの水に浮かぶ月の影のようなものです。だから、釈尊のお像一体を造立す

る人は、十方世界に充満する諸仏をお作りする人に他ならないのです。たとえば、頭を

振れば髪の毛がゆれるでしょう。心が起これば体もそれにつれて動きます。大風が吹け

ば草木はざわざわと音を立てますし、大陸に地震が起きれば大海は波立ちます。それと

同じように、お像をお作りして釈尊に喜んでいただければ、諸仏・諸菩薩・天地神明の

すべてが、あなたを護るために腰を上げてくださらないはずがありましょうか。

(つづく)

【語註】

 ※1 三界:一切の衆生が輪廻転生する3つの迷いの世界。最も下が欲界で、食欲・淫
           欲などの欲望のさかんな世界。中間が色界で、欲望を離れたものの世界で清浄な
           物質より成る。最も上が無色界で、物質的なものがなく純粋に精神だけが存在す
           る世界である。三界はさらに25の世界(二十五有)に分けて説かれている。

 ※2 善徳仏:十方(四方と四維と上下)に遍満する仏の国のうちの、東方無憂世界
            の主である仏。

 ※3 上行菩薩:法華経・涌出品【ゆじゅつほん】で地から涌出した菩薩たちの4上
            首(上行無辺行浄行安立行の四菩薩)の代表。日蓮聖人は佐渡流罪以後、
            釈尊から末法濁乱【じょくらん】の世を救うべく依嘱された上行菩薩とは自分
            にほかならないという自覚を不動のものとした。

 ※ 4 文殊師利菩薩:釈尊の左脇に侍して仏の智・恵・証の三徳を司り、智恵の威徳
            を象徴する獅子に乗っている菩薩。過去世において日月燈明仏の弟子妙光菩薩
            であった時に、月日燈明仏の8人の王子を法華経によって順次教化・成仏させ
            たが、その第8子の燃燈仏が釈尊の師であったという。

 ※5 大梵天王:インドの思想で宇宙を創造した最高の神。仏教では色界初禅天の主
           で、帝釈天と並ぶ最高の守護神とする。

 ※6 魔王:魔の王。魔は魔羅【まら】の略で、人の心を乱し、善行を妨げ、不幸をも
           たらす悪鬼神。魔王は欲界第六天である他化自在天の主で、仏道に背き、人々を
           惑わす。

 ※7 帝釈天:釈提桓因と同じ。インドの雷神インドラが仏教にとり入れられ、大梵天
           王と並ぶ最も有力な護法の天神となったもの。漁利天の主で須弥山頂の善見城
        (喜見城)に住み、四天王を率いて仏法を外敵から護る。特に阿修羅王とは激闘を
          した。

 ※8 日天子・月天子・明星天子:それぞれ太陽・月・星を神格化したもので、総称し
          て三光天子と呼ぶ。日蓮は、法華経の行者の守護神として崇めている。

 ※9 垂迹【すいじゃく】:仏・菩薩が民衆を救うため、仮の姿をとって現れること。

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【 2023/11/02 05:36 】

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命は第一の宝 富城殿女房尼御前御書

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

富城殿女房尼御前御書ときどのにょうぼうあまごぜんごしょ

弘安3年(1279)11月25日、58歳、於身延、和文

 恩ある富木尼が病気であることを気づかい、命を永らえるよう祈ることを勧めている。

 いよ(伊予)房は学生がくしょうになりて候ふぞ。つねに法門きかせ給ひ候

へ。

 はるかにみまいらせ候はねば、をぼつかなく候ふ。

 たうじ(当時)とてもたのしき事は候はねども、むかしはことにわび

しく候ひし時より、やしなわれまいらせて候へば、ことにをん(恩)を

もくをもひまいらせ候ふ。それについては、いのちはつるかめのごと

く、さ
いわいは月のまさり、しを(潮)のみつがごとくとこそ、法華経

にはいのりまいらせ候へ。

 さてはえち(越)後房・しもつけ房と申す僧をいよどのにつけて候ふ

ぞ。しばらくふびんにあたらせ給へと、とき殿には申させ給ふ。恐恐謹

言。

十一月二十五日                   
日 蓮 花押

富城殿女房尼御前

【現代語訳】
法華経への祈りーいのちは鶴亀のごとく

 ※ 1予房日頂はもう学僧になりましたよ。ですから、怠らずに法門をご聴聞なさいます

ように。

 久しくお目にかかっておりませんので、その後、お身体のお具合いはいかがかと気が

かりです。

 私は、現在といっても別に安楽に暮らしているわけではありませんが、以前、ことに

苦難の生活を強いられていた時からあなたには引き続きご供養を受けておりますので、

ことさらに重いご恩を感じております。それにつけても、あなたのお身体について、寿

命は鶴や亀のように長く保ち、幸いは月が明るさを増し潮が満ちていくようにと、法華

経にお祈り申し上げています。

 さて、このたび、※ 2後房と※ 3野房という門弟を伊予殿につけてうかがわせます。この

二人は※ 4原の法難によって身をひそめているものですから、しばらくの間、面倒をみて

いただきたいと、ご夫君によろしくお願い申し上げてください。恐恐謹言。


十一月二十五日                         
日 蓮  花押

富城殿女房尼御前

【語註】

 ※1 
伊予房日頂:富木常忍は。妻が早世し、父の蓮忍も早く亡くなった。90歳の長
           寿を全うする老母と暮らしているところへ、子連れの女性を後妻に迎えた。この
           手紙の相手が、その後妻に入った尼御前であり、常忍の養子となった連れ子が幼
           い時に真間弘法寺(当時は天台宗)に入って出家し、のちに六老僧の一人となっ
           た日頂である。日蓮の佐渡配流期にも、身延隠棲期にも常に側にあって給仕・修
           学に勉めた。この時、28歳であった。

 ※2 越後房:駿河国富士郡下方の天台宗瀧泉寺の僧で、日興の教化により日蓮の門下
           に加わった日弁のこと。瀧泉寺にあって、下野房日秀とともに当地方に日蓮の教
           えを広め、熱原【あつわら】郷を中心に熱烈な信徒集団を結成したので瀧泉寺院
           主代平左近入道行智から弾圧された。その最も激しかった弘安2年(1279)の熱
           原法難の際には、日蓮は日弁を日秀ともども下総へ避難させている。

 ※3 下野房:駿河国の天台宗瀧泉寺の僧で日弁と行動をともにした日秀のこと。

 ※4 熱原の法難:弘安2年(1279)9月、駿河国富士郡熱原(現・富士市の一部)で
           日蓮門下の農民たちに加えられた弾圧。この法難では、百姓熱原神四郎ら20名
           が捕らえられて鎌倉に送られ、うち3名は斬首、他は禁獄の刑を受けた。指導者
           の日弁と日秀は下総の富木常忍のもとへ難を避けた。

【解説】

 この手紙は、富城殿御返事と日付が同じであり、富木常忍への手紙と同時に、尼御前

にも認められたものと考えられている。日弁・日秀を熱原の法難から避難させるため、

日頂が2通の手紙を預かり、下総に向かったのと考えられる。

 冒頭の2行は、追伸として後から書き込んだもので、日頂が学徳を備えた学生になっ

たことを知らせ、日頂を師として法門を聞くように述べているが、わが子が日蓮より大

きな期待を寄せらていることを聞いて、尼御前の喜びはいかばかりであっただろうか。

 「いのちはつるかめのごとく」と言われているのも、尼御前の長寿を願われての激励

である。さらに、たんに長寿を願うのみではなく、月が満ちて光を増し、潮がひたひた

と満ちてくるように、幸せに満ちみちた生涯であるようにとの思いも込められている。

 日蓮のこうした激励・祈りもあり、尼御前は病気がちではあったが、
信仰の功徳によ

このあと20年以上も生き、嘉元元年(1303)11月1日まで長生きしたと伝えられてい

る。

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【 2023/10/31 05:44 】

命は第一の宝  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

厄と功徳 太田左衛門尉御返事⑤

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

太田左衛門尉御返事おおたさえもんのじょうごへんじ

 しかるに、かくのごとき大事の義理のもらせ給う御経を書いて進ら

せ候えば、いよいよ信を取らせ給うべし。勧発品かんぼっぽんに云わく「まさに起っ

て遠く迎うべきこと、当に仏を敬うがごとくすべし」等云々。安楽行品

に云わく「諸天は昼夜に、常に法のための故に、しかもこれを衛護すない

天の諸の童子は、もって給使をなさん」等云々。譬喩品ひゆほんに云わく「そ

の中の衆生は、ことごとくこれ吾が子なり」
等云々。法華経の持者は教

主釈尊の御子なれば、いかでか梵天・帝釈・日月・衆星も昼夜朝暮に守

らせ給わざるべきや厄の年災難を払わん秘法には法華経に過ぎず

たのもしきかな、たのもしきかな。


 さては、鎌倉に候いし時は細々こまごま申し承り候いしかども、今は遠国に居

住候によって、面謁めんえつを期すること、さらになし。されば、心中に含みた

ることも、使者・玉章にあらざれば、申すに及ばず。歎かし、歎かし。


 当年の大厄をば、日蓮に任せ給え。釈迦・多宝・十方分身の諸仏の法

華経の御約束の実・不実は、これにて量るべきなり。またまた申すべく

候。


弘安元年戊寅四月二十三日               日蓮 花押

 太田左衛門尉殿御返事


【現代語訳】

法華経による除災

 このように大事な教えのこもっているお経を書いてさしあげたのであるから、いよい

よ信心を強くなされるがよい。勧発品に「法華経の行者を、って遠くまで出迎え、仏

を敬うようにせよ」とある。安楽行品には「諸天善神が昼夜の別なく、常に法のために

法華経の行者を守る、また天の諸々の童子が給使する」とあり、譬喩品に「今この世界

の人々は悉くこれわが子である」と説かれている。法華経を持つ者は、教主釈尊の御子

であるから、どうして梵天・帝釈、日月・多くの星も昼夜、朝暮に守らないことがあろ

うか。厄の年、災難を払う秘法は、法華経に過ぎたるものはない。たのもしきかな。た

のもしきかな。

 かつて鎌倉にいた時は、こまごま話を承ったが、今は遠い国に居住しているため、お

目にかかることもさらに期待できない。それ故、心中に思っていることも、使いや手紙

でなければ言うこともできなくなってしまった。嘆かわしい。嘆かわしい。今年のあな

たの大厄を日蓮に任せなさい。釈迦・多宝・十方分身の諸仏が、法華経においてお約束

されたことが、真実か真実でないかは、あなたのこの厄年による病を払い除けられるか

どうかで推し測ることができるのである。またまた申したい。

弘安元年戊寅四月二十三日                     日 蓮 花押

太田左衛門尉御返事


【解説】

 太田左衛門尉は大田乗明じょうみょうのこと。問注所の役人を務め、その役職名から左衛門尉ま

たは金吾と呼ばれていた。

 日蓮は松葉ケ谷まつばがやつの法難のあと一時難を逃れ、下総の富木常忍のもとに身を寄せている

が、この時、富木邸の近隣に在住していた乗明は、初めて日蓮の化導に浴している。乗

明の先祖は、高野山に大塔を供養するほど熱心な真言家であり、乗明もこれを継承して

いたが、やがてこれを捨てて、日蓮に帰依した。

 法華経の強信者であった乗明でも、病に冒され、気が弱くなることがあった。なかで

も弘安元年正月から4月頃にかけて煩わずらった病は相当重く、身心ともにたいへんに

苦しんだため、乗明は日蓮に供養の品を送り、自身の57歳の厄払いを願い出た。それ

に対して、日蓮が励ましの言葉を綴ったのがこの手紙である。その大半が、真言・天台

の人師の説について批判を下し、時には十二因縁について語り、また寿量品の要旨につ

いての解説であり、乗明の仏教理解がかなり深いものであったことが推測できる。

 日蓮は切々と苦しみを訴える乗明に、身心の病を癒やす大良薬として、「法華経」を

授けた。日蓮自身の全精神をこめつつ方便・寿量の二品を書写して、この所持を勧め

厄を日蓮にまかせよと息災治病の信心を指し示した病を治して人を救い、法華経救済を

日常生活に実現していくために心を砕いた日蓮の姿をあらわすものである。

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テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2023/10/28 05:40 】

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