なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)
富城殿女房尼御前御書
弘安3年(1279)11月25日、58歳、於身延、和文
富城殿女房尼御前御書
弘安3年(1279)11月25日、58歳、於身延、和文
恩ある富木尼が病気であることを気づかい、命を永らえるよう祈ることを勧めている。
はるかにみまいらせ候はねば、をぼつかなく候ふ。
たうじ(当時)とてもたのしき事は候はねども、むかしはことにわび
しく候ひし時より、やしなわれまいらせて候へば、ことにをん(恩)を
もくをもひまいらせ候ふ。それについては、いのちはつるかめのごと
く、さいわいは月のまさり、しを(潮)のみつがごとくとこそ、法華経
にはいのりまいらせ候へ。
さてはえち(越)後房・しもつけ房と申す僧をいよどのにつけて候ふ
ぞ。しばらくふびんにあたらせ給へと、とき殿には申させ給ふ。恐恐謹
言。
十一月二十五日 日 蓮 花押
富城殿女房尼御前
いよ(伊予)房は学生になりて候ふぞ。つねに法門きかせ給ひ候
へ。
へ。
はるかにみまいらせ候はねば、をぼつかなく候ふ。
たうじ(当時)とてもたのしき事は候はねども、むかしはことにわび
しく候ひし時より、やしなわれまいらせて候へば、ことにをん(恩)を
もくをもひまいらせ候ふ。それについては、いのちはつるかめのごと
く、さいわいは月のまさり、しを(潮)のみつがごとくとこそ、法華経
にはいのりまいらせ候へ。
さてはえち(越)後房・しもつけ房と申す僧をいよどのにつけて候ふ
ぞ。しばらくふびんにあたらせ給へと、とき殿には申させ給ふ。恐恐謹
言。
十一月二十五日 日 蓮 花押
富城殿女房尼御前
【現代語訳】
法華経への祈りーいのちは鶴亀のごとく
十一月二十五日 日 蓮 花押
富城殿女房尼御前
【語註】 伊予房日頂はもう学僧になりましたよ。ですから、怠らずに法門をご聴聞なさいます
ように。
ように。
久しくお目にかかっておりませんので、その後、お身体のお具合いはいかがかと気が
かりです。
かりです。
私は、現在といっても別に安楽に暮らしているわけではありませんが、以前、ことに
苦難の生活を強いられていた時から、あなたには引き続きご供養を受けておりますので、
ことさらに重いご恩を感じております。それにつけても、あなたのお身体について、寿
命は鶴や亀のように長く保ち、幸いは月が明るさを増し潮が満ちていくようにと、法華
経にお祈り申し上げています。
苦難の生活を強いられていた時から、あなたには引き続きご供養を受けておりますので、
ことさらに重いご恩を感じております。それにつけても、あなたのお身体について、寿
命は鶴や亀のように長く保ち、幸いは月が明るさを増し潮が満ちていくようにと、法華
経にお祈り申し上げています。
さて、このたび、越後房と下野房という門弟を伊予殿につけてうかがわせます。この
二人は熱原の法難によって身をひそめているものですから、しばらくの間、面倒をみて
いただきたいと、ご夫君によろしくお願い申し上げてください。恐恐謹言。
二人は熱原の法難によって身をひそめているものですから、しばらくの間、面倒をみて
いただきたいと、ご夫君によろしくお願い申し上げてください。恐恐謹言。
十一月二十五日 日 蓮 花押
富城殿女房尼御前
※1 伊予房日頂:富木常忍は。妻が早世し、父の蓮忍も早く亡くなった。90歳の長
寿を全うする老母と暮らしているところへ、子連れの女性を後妻に迎えた。この
手紙の相手が、その後妻に入った尼御前であり、常忍の養子となった連れ子が幼
い時に真間弘法寺(当時は天台宗)に入って出家し、のちに六老僧の一人となっ
た日頂である。日蓮の佐渡配流期にも、身延隠棲期にも常に側にあって給仕・修
学に勉めた。この時、28歳であった。
※2 越後房:駿河国富士郡下方の天台宗瀧泉寺の僧で、日興の教化により日蓮の門下
に加わった日弁のこと。瀧泉寺にあって、下野房日秀とともに当地方に日蓮の教
えを広め、熱原【あつわら】郷を中心に熱烈な信徒集団を結成したので瀧泉寺院
主代平左近入道行智から弾圧された。その最も激しかった弘安2年(1279)の熱
原法難の際には、日蓮は日弁を日秀ともども下総へ避難させている。
※3 下野房:駿河国の天台宗瀧泉寺の僧で、日弁と行動をともにした日秀のこと。
※4 熱原の法難:弘安2年(1279)9月、駿河国富士郡熱原(現・富士市の一部)で
日蓮門下の農民たちに加えられた弾圧。この法難では、百姓熱原神四郎ら20名
が捕らえられて鎌倉に送られ、うち3名は斬首、他は禁獄の刑を受けた。指導者
の日弁と日秀は下総の富木常忍のもとへ難を避けた。
【解説】
この手紙は、富城殿御返事と日付が同じであり、富木常忍への手紙と同時に、尼御前
にも認められたものと考えられている。日弁・日秀を熱原の法難から避難させるため、
日頂が2通の手紙を預かり、下総に向かったのと考えられる。
冒頭の2行は、追伸として後から書き込んだもので、日頂が学徳を備えた学生になっ
たことを知らせ、日頂を師として法門を聞くように述べているが、わが子が日蓮より大
きな期待を寄せらていることを聞いて、尼御前の喜びはいかばかりであっただろうか。
「いのちはつるかめのごとく」と言われているのも、尼御前の長寿を願われての激励
である。さらに、たんに長寿を願うのみではなく、月が満ちて光を増し、潮がひたひた
と満ちてくるように、幸せに満ちみちた生涯であるようにとの思いも込められている。
日蓮のこうした激励・祈りもあり、尼御前は病気がちではあったが、信仰の功徳によ
りこのあと20年以上も生き、嘉元元年(1303)11月1日まで長生きしたと伝えられてい
る。
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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)
四条金吾殿御返事
(衆生所遊楽御書)
建治2年(1276)6月27日、55歳、於身延、和文
南無妙法蓮華経と唱えることこそ最高の喜びであると述べ、苦しみにつけ、楽しみにつけ、題目を唱え続けることを勧めたもの。信仰生活のあり方が簡潔に示されている。
ただ世間の留難来るともとりあえ給うべからず。賢人・聖人もこ
のことはのがれず。
四条金吾殿御返事
四条金吾殿御返事
(衆生所遊楽御書)
建治2年(1276)6月27日、55歳、於身延、和文
南無妙法蓮華経と唱えることこそ最高の喜びであると述べ、苦しみにつけ、楽しみにつけ、題目を唱え続けることを勧めたもの。信仰生活のあり方が簡潔に示されている。
一切衆生、南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり。経に云わ
く「衆生所遊楽(衆生の遊楽する所)」云々。この文、あに自受法
楽にあらずや。「衆生」のうちに貴殿もれ給うべきや。「所」とは、一
閻浮提なり。日本国は閻浮提の内なり。「遊楽」とは、我らが色心・依
正ともに一念三千・自受用身の仏にあらずや。法華経を持ち奉るより外
に遊楽はなし。「現世安穏、後生善処」とは、これなり。
く「衆生所遊楽(衆生の遊楽する所)」云々。この文、あに自受法
楽にあらずや。「衆生」のうちに貴殿もれ給うべきや。「所」とは、一
閻浮提なり。日本国は閻浮提の内なり。「遊楽」とは、我らが色心・依
正ともに一念三千・自受用身の仏にあらずや。法華経を持ち奉るより外
に遊楽はなし。「現世安穏、後生善処」とは、これなり。
ただ世間の留難来るともとりあえ給うべからず。賢人・聖人もこ
のことはのがれず。
ただ女房と酒うちのみて、南無妙法蓮華経ととなえ給え。
苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合わせて南無
妙法蓮華経とうちとなえいさせ給え。これあに自受法楽にあらずや。
いよいよ強盛の信力をいたし給え。恐々謹言。
建治二年丙子六月二十七日 日蓮 花押
苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合わせて南無
妙法蓮華経とうちとなえいさせ給え。これあに自受法楽にあらずや。
いよいよ強盛の信力をいたし給え。恐々謹言。
建治二年丙子六月二十七日 日蓮 花押
四条金吾殿御返事
【現代語訳】
苦をば苦とさとるー唱題と遊楽
すべての人にとって、南無妙法蓮華経と唱えるほかに、遊楽はない。法華経には、「わ
がこの土は安穏にして、天人常に充満せり。園林もろもろの堂閣、種々の宝をもって荘
厳し、宝樹花果多くして、衆生の遊楽する所なり」と示されている。この経文に、自ら
法悦を感ずることでなくてなんであろうか。この衆生の中に、あなたが漏れていないこ
とがあろうか。所とは、この世界である。日本国は世界の内にある。遊楽とは、私たち
の肉体も精神も住む国土もともに、永遠に命をとどめて衆生を救う仏の教えに自身が生
かされているということではあるまいか。だから法華経を信じ、持つより外に遊楽はな
いのである。「現世安穏・後生善処」(現世を安らかに、後生に仏となる)というのは、
このことである。
いかに世間の迫害が、自分の上にふりかかって来ようとも、とりあってはならない。
賢人・聖人と言われる人でも、迫害を受ける事から逃れられないのである。ただ、女房
と酒うち飲みて、南無妙法蓮華経と唱えなさるがよい。苦をば苦と悟り、楽をば楽と心
を大きくひらき、苦しみにつけ、楽しみにつけ、仏に心を思い合わせて南無妙法蓮華経
とうち唱えておられるのがよい。これこそ、法華経を信ずる法悦を自ら感受することで
なくてなんであろう。
いよいよ強く、しっかりと法華経を信ずる力をもって励むがよい。恐々謹言。
建治二年丙子六月二十七日 日 蓮 花押
四条金吾殿御返事
【解説】
しかし、江間氏は日蓮に敵対する極楽寺良観の信奉者であったため、金吾は主君の不
興を買い、遠ざけられることになりました。さらに、同僚からの中傷もあり、金吾は江
間家の中で孤立し、命まで狙われる事態となりました。
当時、金吾が「大難雨の如く来り候」と漏らしていることからも、大変苦しい状況に
置かれていたことがうかがえる。
↓ ランキング挑戦中 Brog Rankingのバナーをポチッと押してね!がこの土は安穏にして、天人常に充満せり。園林もろもろの堂閣、種々の宝をもって荘
厳し、宝樹花果多くして、衆生の遊楽する所なり」と示されている。この経文に、自ら
法悦を感ずることでなくてなんであろうか。この衆生の中に、あなたが漏れていないこ
とがあろうか。所とは、この世界である。日本国は世界の内にある。遊楽とは、私たち
の肉体も精神も住む国土もともに、永遠に命をとどめて衆生を救う仏の教えに自身が生
かされているということではあるまいか。だから法華経を信じ、持つより外に遊楽はな
いのである。「現世安穏・後生善処」(現世を安らかに、後生に仏となる)というのは、
このことである。
いかに世間の迫害が、自分の上にふりかかって来ようとも、とりあってはならない。
賢人・聖人と言われる人でも、迫害を受ける事から逃れられないのである。ただ、女房
と酒うち飲みて、南無妙法蓮華経と唱えなさるがよい。苦をば苦と悟り、楽をば楽と心
を大きくひらき、苦しみにつけ、楽しみにつけ、仏に心を思い合わせて南無妙法蓮華経
とうち唱えておられるのがよい。これこそ、法華経を信ずる法悦を自ら感受することで
なくてなんであろう。
いよいよ強く、しっかりと法華経を信ずる力をもって励むがよい。恐々謹言。
建治二年丙子六月二十七日 日 蓮 花押
四条金吾殿御返事
【解説】
この手紙が四条金吾に送られた2年前の文永11年(1274)、日蓮が流罪の地・佐渡か
ら戻られたことに歓喜した金吾は、主君の江間氏を折伏しました。
ら戻られたことに歓喜した金吾は、主君の江間氏を折伏しました。
しかし、江間氏は日蓮に敵対する極楽寺良観の信奉者であったため、金吾は主君の不
興を買い、遠ざけられることになりました。さらに、同僚からの中傷もあり、金吾は江
間家の中で孤立し、命まで狙われる事態となりました。
当時、金吾が「大難雨の如く来り候」と漏らしていることからも、大変苦しい状況に
置かれていたことがうかがえる。
日蓮はこの手紙で、法華経如来寿量品の「衆生所遊楽」の文を引かれ、題目を唱えて
いくことが一切衆生にとって真実の遊楽であることを強調している。「苦をば苦とさと
り」唱題受持のうちに法悦を得る境地は、悲苦を通してこそ証悟し得る精神を明らかに
している。
いくことが一切衆生にとって真実の遊楽であることを強調している。「苦をば苦とさと
り」唱題受持のうちに法悦を得る境地は、悲苦を通してこそ証悟し得る精神を明らかに
している。
波木井の御影(身延山久遠寺蔵)
富木尼御前御書②
かまくらの人々の天の楽のごと(如)にありしが、当時つくしへむか
へば、とどまる女こ、ゆくをとこ、はなるるときはかわ(皮)をはぐが
ごとく、かを(顔)とかをとをとりあわせ、目と目とをあわせてなげき
しが、次第にはなれて、ゆいのはま・いなぶら・こしごへ・さかわ・は
こねさか(箱根坂)。一日二日すぐるほどに、あゆみあゆみとをざかる
あゆみも、かわも山もへだて、雲もへだつれば、うちそうものはなみだ
なり、ともなうものはなげきなり。いかにかなしかるらん。かくなげか
んほどに、もうこのつわものせめきたらば、山か海もいけどりか、ふね
の内か、かうらい(高麗)かにてうきめにあはん。
これひとへに失もなくて日本国の一切衆生の父母たる法華経の行者日
蓮を、ゆへもなく、或はのり、或は打ち、或はこうぢ(街路)をわたし、
ものにくるいしが、十羅刹のせめをかほりてなれる事なり。またまた
これより百千万億倍たへがたき事どもいで来るべし。かかる不思議を目
の前に御らんあるぞかし。
我等は仏に疑ひなしとをぼせば、なにのなげきかあるべき。きさきに
なりてもなにかせん、天に生まれてもようしなし。龍女があとをつぎ、
摩訶波舎波提比尼丘のれち(列)につらなるべし。あらうれし、あらう
れし。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱へさせ給ふ。恐恐謹言。
三月二十七日 日 蓮 花押
尼ごぜんへ
富木尼御前御書②
なげき出て来る時は、ゆき(壱岐)・つしまの事、だざひふの事。
かまくらの人々の天の楽のごと(如)にありしが、当時つくしへむか
へば、とどまる女こ、ゆくをとこ、はなるるときはかわ(皮)をはぐが
ごとく、かを(顔)とかをとをとりあわせ、目と目とをあわせてなげき
しが、次第にはなれて、ゆいのはま・いなぶら・こしごへ・さかわ・は
こねさか(箱根坂)。一日二日すぐるほどに、あゆみあゆみとをざかる
あゆみも、かわも山もへだて、雲もへだつれば、うちそうものはなみだ
なり、ともなうものはなげきなり。いかにかなしかるらん。かくなげか
んほどに、もうこのつわものせめきたらば、山か海もいけどりか、ふね
の内か、かうらい(高麗)かにてうきめにあはん。
これひとへに失もなくて日本国の一切衆生の父母たる法華経の行者日
蓮を、ゆへもなく、或はのり、或は打ち、或はこうぢ(街路)をわたし、
ものにくるいしが、十羅刹のせめをかほりてなれる事なり。またまた
これより百千万億倍たへがたき事どもいで来るべし。かかる不思議を目
の前に御らんあるぞかし。
我等は仏に疑ひなしとをぼせば、なにのなげきかあるべき。きさきに
なりてもなにかせん、天に生まれてもようしなし。龍女があとをつぎ、
摩訶波舎波提比尼丘のれち(列)につらなるべし。あらうれし、あらう
れし。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱へさせ給ふ。恐恐謹言。
三月二十七日 日 蓮 花押
尼ごぜんへ
【現代語訳】
歎きの共有と女人成仏のすすめ
こんな悲惨な状況に立ちいたるというのも、少しの誤りもない私、そして日本国のす
べての人々を救う父母のような法華経の行者である私を、根拠もなしに、あるいは罵倒
し、あるいは殴打し、あるいは犯罪者として市中を引き回すような狂気の沙汰を演じた
為政者が、十 羅刹女の懲罰を受けるからなのです。今後ますます、現在よりも百千万億
倍も堪えがたいような事態が起こってくるでしょう。そういう、人の想像力の及びもつ
かないような恐ろしい光景を目の前にご覧になることになりますよ。
しかし私たちは、成仏することが疑いないとお思いになれば、何を歎くことがあるで
しょうか。皇后となって現世の享楽を味わっても意味はありませんし、天女と生まれて
天界の悦楽にふけってもしようがないのであって、ただ仏になることだけが望ましいの
です。だから女性であるあなたは、法華経の提婆達多品 で成仏をした竜 女の跡を継い
で、摩 訶波闍波提比丘尼の列に連なるようにしなさい。そうしたら何と嬉しいことでし
ょうか。何と言ばしいことでしょうか。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。恐恐謹言。
三月二十七日 日 蓮 花押
尼御前へ
【語註】
※1 十羅刹女:法華経・陀羅尼品【だらにほん】に登場する10種の女鬼で、法華経
の守護神である。日蓮聖人の時代には鬼子母神の子であるとする説があった。
※2 竜女:法華経・提婆達多品に登場する娑竭羅竜王【しゃからりゅうおう】の8歳
の娘をさす。霊鷲山【りょうじゅせん】へ詣でて法華経の説法を聞き、宝珠を釈
尊に献じて即身に成仏した。竜女は、提婆達多品前半の悪人(提婆達多)成仏と
並ぶ、女人成仏の生証人であり、かつ、法華経が一切衆生の成仏を保証する勝れ
た経典であることを示す役割を担って登場している。
※3 摩訶波舎波提比丘尼:中インド・カピラ城主浄飯王の第2妃。第1妃の摩耶夫人
が悉達多【しっだった】(後の釈尊)を生むと7日にして亡くなったので、妹の
摩訶波舎波提が養母となって悉達多を育て、自らも難陀【なんだ】を生んだ。浄
飯王の滅後、羅疫羅【らごら】の母耶輸陀羅【やしゅだら】とともに出家し、仏
教教団最初の比丘尼となった。
【解説】
この手紙は、富木常忍の90歳を過ぎた母が亡くなり、その遺骨を納めるために身延の
地を訪ねた際の帰りに、富木常忍に持たせた富木尼あての手紙である。
「をとこ(夫)のしわざはめ(女)のちからなり」を見て、「夫が駄目になるのも、
しっかりした人になるのも妻次第である」と解釈する人がいるようだ。それは、妻がし
っかり者で、夫が駄目亭主だという前提での解釈である。ところが、この場合は逆であ
る。文筆を主とする官僚として千葉氏に仕えるエリートの武士、富木常忍のもとに、子
連れで再婚した富木尼は、病気がちで床に臥せることが多かった。しかも、気丈な90歳
近い姑がいた。それだけに、肩身の狭い思いを常に抱き、「私がこんなだから、主人の
足を引っ張ってしまって、申し訳ない」と自らを卑下していたのではないかと思われる。
そのような背景を知って読むと、日蓮の言葉の温かさが身に染みる。
富木尼に自信を持たせようという文章に続いて、日蓮は、何よりも気がかりなことと
して、富木尼の日ごろからの病をとりあげ、法華経の行者である富木尼には「非業の死」
があるはずがなく、業病であることもない。仮に業病であったとしても、『法華経』は
業病を転ずることができるから、病が治らないことはなく、寿命が延びないこともない、
あとは、富木尼の心がけることとして、「身を持し、心に物をなげかざれ」と忠告する。
それでも富木尼に嘆き悲しみが出て来ることもあるだろう。その時は、蒙古に攻めら
れた人たちのことを思い起こすように励ましている。この手紙が書かれたのは、文永の
役から、1年5カ月後のことであった。
日蓮は、富木尼が取りつかれた不安を取り除くために、阿闍世王や、陳臣の例を挙げ、
壱岐・対馬の人たちの嘆き、筑紫へ派遣される兵士の妻との別れの嘆きに思いを至らせ、
十羅刹女の働きが歴史的事実として現れているということを示して、『法華経』の行者
の成仏は間違いないと、いろいろな角度から語って聞かせている。この手紙には、何よ
りも富木尼を励まし、安心させようという日蓮の思いやりが満ち満ちている。
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もし、歎かわしいことに出会ったら、壱岐や対馬のこと、太宰府のことなどを思いや
ってごらんなさい。蒙古軍の来襲した現地ではどれほど大きな苦難が人々に襲いかかっ
ていることでしょうか。鎌倉の人々は天国の楽園にいるように生活を楽しんでいました
が、いざ兵士として筑紫へ向かう段になると、留 まる妻と征 く夫が、離別の時には生皮
を袷 ぐように辛く、顔と顔とをすり寄せ、目と目とを見交わして歎きあいますが、そう
して出発した夫は、鎌倉を後にして、由比ケ浜・稲村・腰越・酒勾 ・箱根坂と下って行
きます。一日二日と日が経ち、一歩二歩と歩み遠ざかるうちに、川を渡り山を越え、雲
を隔てるようになるので、涙が頬を濡らし、歎きが胸をこがすばかり、どんなに悲しい
ことでしょう。こうして歎いているうちに、蒙古の軍兵が攻めてきたら、どこかの山か
海かで生け捕られ、閉じ込められる船の中か、連れて行かれた高麗かでひどい目にあう
ことでしょう。
ってごらんなさい。蒙古軍の来襲した現地ではどれほど大きな苦難が人々に襲いかかっ
ていることでしょうか。鎌倉の人々は天国の楽園にいるように生活を楽しんでいました
が、いざ兵士として筑紫へ向かう段になると、留 まる妻と征 く夫が、離別の時には生皮
を袷 ぐように辛く、顔と顔とをすり寄せ、目と目とを見交わして歎きあいますが、そう
して出発した夫は、鎌倉を後にして、由比ケ浜・稲村・腰越・酒勾 ・箱根坂と下って行
きます。一日二日と日が経ち、一歩二歩と歩み遠ざかるうちに、川を渡り山を越え、雲
を隔てるようになるので、涙が頬を濡らし、歎きが胸をこがすばかり、どんなに悲しい
ことでしょう。こうして歎いているうちに、蒙古の軍兵が攻めてきたら、どこかの山か
海かで生け捕られ、閉じ込められる船の中か、連れて行かれた高麗かでひどい目にあう
ことでしょう。
こんな悲惨な状況に立ちいたるというのも、少しの誤りもない私、そして日本国のす
べての人々を救う父母のような法華経の行者である私を、根拠もなしに、あるいは罵倒
し、あるいは殴打し、あるいは犯罪者として市中を引き回すような狂気の沙汰を演じた
為政者が、十 羅刹女の懲罰を受けるからなのです。今後ますます、現在よりも百千万億
倍も堪えがたいような事態が起こってくるでしょう。そういう、人の想像力の及びもつ
かないような恐ろしい光景を目の前にご覧になることになりますよ。
しかし私たちは、成仏することが疑いないとお思いになれば、何を歎くことがあるで
しょうか。皇后となって現世の享楽を味わっても意味はありませんし、天女と生まれて
天界の悦楽にふけってもしようがないのであって、ただ仏になることだけが望ましいの
です。だから女性であるあなたは、法華経の提婆達多品 で成仏をした竜 女の跡を継い
で、摩 訶波闍波提比丘尼の列に連なるようにしなさい。そうしたら何と嬉しいことでし
ょうか。何と言ばしいことでしょうか。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。恐恐謹言。
三月二十七日 日 蓮 花押
尼御前へ
【語註】
※1 十羅刹女:法華経・陀羅尼品【だらにほん】に登場する10種の女鬼で、法華経
の守護神である。日蓮聖人の時代には鬼子母神の子であるとする説があった。
※2 竜女:法華経・提婆達多品に登場する娑竭羅竜王【しゃからりゅうおう】の8歳
の娘をさす。霊鷲山【りょうじゅせん】へ詣でて法華経の説法を聞き、宝珠を釈
尊に献じて即身に成仏した。竜女は、提婆達多品前半の悪人(提婆達多)成仏と
並ぶ、女人成仏の生証人であり、かつ、法華経が一切衆生の成仏を保証する勝れ
た経典であることを示す役割を担って登場している。
※3 摩訶波舎波提比丘尼:中インド・カピラ城主浄飯王の第2妃。第1妃の摩耶夫人
が悉達多【しっだった】(後の釈尊)を生むと7日にして亡くなったので、妹の
摩訶波舎波提が養母となって悉達多を育て、自らも難陀【なんだ】を生んだ。浄
飯王の滅後、羅疫羅【らごら】の母耶輸陀羅【やしゅだら】とともに出家し、仏
教教団最初の比丘尼となった。
【解説】
この手紙は、富木常忍の90歳を過ぎた母が亡くなり、その遺骨を納めるために身延の
地を訪ねた際の帰りに、富木常忍に持たせた富木尼あての手紙である。
「をとこ(夫)のしわざはめ(女)のちからなり」を見て、「夫が駄目になるのも、
しっかりした人になるのも妻次第である」と解釈する人がいるようだ。それは、妻がし
っかり者で、夫が駄目亭主だという前提での解釈である。ところが、この場合は逆であ
る。文筆を主とする官僚として千葉氏に仕えるエリートの武士、富木常忍のもとに、子
連れで再婚した富木尼は、病気がちで床に臥せることが多かった。しかも、気丈な90歳
近い姑がいた。それだけに、肩身の狭い思いを常に抱き、「私がこんなだから、主人の
足を引っ張ってしまって、申し訳ない」と自らを卑下していたのではないかと思われる。
そのような背景を知って読むと、日蓮の言葉の温かさが身に染みる。
富木尼に自信を持たせようという文章に続いて、日蓮は、何よりも気がかりなことと
して、富木尼の日ごろからの病をとりあげ、法華経の行者である富木尼には「非業の死」
があるはずがなく、業病であることもない。仮に業病であったとしても、『法華経』は
業病を転ずることができるから、病が治らないことはなく、寿命が延びないこともない、
あとは、富木尼の心がけることとして、「身を持し、心に物をなげかざれ」と忠告する。
それでも富木尼に嘆き悲しみが出て来ることもあるだろう。その時は、蒙古に攻めら
れた人たちのことを思い起こすように励ましている。この手紙が書かれたのは、文永の
役から、1年5カ月後のことであった。
日蓮は、富木尼が取りつかれた不安を取り除くために、阿闍世王や、陳臣の例を挙げ、
壱岐・対馬の人たちの嘆き、筑紫へ派遣される兵士の妻との別れの嘆きに思いを至らせ、
十羅刹女の働きが歴史的事実として現れているということを示して、『法華経』の行者
の成仏は間違いないと、いろいろな角度から語って聞かせている。この手紙には、何よ
りも富木尼を励まし、安心させようという日蓮の思いやりが満ち満ちている。
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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)
富木尼御前御書①
建治2年(1276)3月27日、55歳、於身延、和文
富木尼御前御書①
建治2年(1276)3月27日、55歳、於身延、和文
下総(千葉)中山から富木常忍が母の遺骨を奉じて身延に詣でたのに託して、病床にある尼御前(富木夫人)を慰め、励ましたもの。夫や姑によくつくしたことを讃え、灸治と信心による病気の回復をすすめ、また戦争で苦しむ人々の嘆きにも心をかよわせ、女人成仏の道を披歴している。
阿闍世王は法華経を持ちて四十年の命をのべ、陳臣は十五年の命をの
べたり。尼ごぜんまた法華経の行者なり。御信心月のまさるがごとし、
しを(潮)のみつるごとし。いかでか病も失せ、寿ものびざるべきと強
盛にをぼしめし、身を持し、心に物をなげかざれ。
【現代語訳】
煙を見ればそれを上らせている火を見る思いがし、雨を見ればそれを降らせている竜
を見る思いがします。そのように、夫の行ないを見ればそれをさせている妻を見る思い
がします。いま富木殿にお目にかかりましたら、あなたとお会いしたように思われます。
富木殿がお話の中で、「このたび母が亡くなった悲しみは深いけれど、臨終のありさ
まが良かったことと、妻が母によく尽くして看病をしてくれたことの嬉しさは、いつの
世までも忘れることができない」と言って喜んでいらっしゃいましたよ。
さて、何よりも気がかりなのは、あなたのご病気です。きっと治るに違いないと信じ
て、3年間、当初のように灸治をなさってください。死というものは病気のない人でも
免れがたいものです。しかし、あなたは、まだそれほどの年齢ではないし、まして法華
経の行者ですから、非業の死などは絶対にありません。病気の方も、まさか業病ではな
いでしょう。もしかりに業病だとしても、法華経の疾病平癒の威力は頼もしいものです
から大丈夫です。
インドの阿闍世王は、法華経を信仰して40年間の命を延ばしましたし、中国の陳臣も
同様に15年間の命を延ばしました。あなたは法華経の行者です。ご信仰心は、月が丸く
なっていくように、潮が満ちていくように、ますます盛んになっていらっしゃいます。
どうして病気が消滅し寿命が延びないはずがあろうかという信念をしっかりとお持ちに
なって、身体をいたわり、心に苦悩がないようにしてください。(つづく)
【語註】
※1 銭一貫:鵞目とは、鵞鳥の目にように丸く穴があいている銭の異称。一貫文は銭
1000枚のことで、当時の記録によれば、米1石(10斗=役180リットル)を買
えたという。
※2 業病:悪業の報いとしてかかると考えられた難病。
鵞目一貫並びにつつ(筒)ひとつ給ひ候ひ了んぬ。
やのはしる事は弓のちから、くものゆくことはりう(竜)のちから、
をとこのしわざは女のちからなり。いまときどののこれへ御わたりある
事、尼ごぜんの御力なり。
をとこのしわざは女のちからなり。いまときどののこれへ御わたりある
事、尼ごぜんの御力なり。
けぶりをみれば火をみる、あめ(雨)をみればりう(竜)をみる。を
とこを見れば女をみる。今ときどのにけさん(見参)つかまつれば、尼
ごぜんをみたてまつるとをぼう。
とこを見れば女をみる。今ときどのにけさん(見参)つかまつれば、尼
ごぜんをみたてまつるとをぼう。
ときどのの御物がたり候ふは、「このはわ(母)のなげきのなかに、
りんずう(臨終)のよくをはせしと、尼がよくあたり、かんびやうせし
事のうれしさ。いつのよ(世)にわするべしともをぼへず」と、よろこ
ばれ候ふなり。
りんずう(臨終)のよくをはせしと、尼がよくあたり、かんびやうせし
事のうれしさ。いつのよ(世)にわするべしともをぼへず」と、よろこ
ばれ候ふなり。
なによりもをぼつかなき事は御所労なり。かまへてさもと三年、はじ
めのごとくに、きうぢ(灸治)せさせ給へ。病なき人も無常まぬがれが
たし。ただしとしのはてにはあらず。法華経の行者なり。非業の死には
あるべからず。より業病にては候はじ。たとひ業病なりとも、法華経の
御力たのもし。
めのごとくに、きうぢ(灸治)せさせ給へ。病なき人も無常まぬがれが
たし。ただしとしのはてにはあらず。法華経の行者なり。非業の死には
あるべからず。より業病にては候はじ。たとひ業病なりとも、法華経の
御力たのもし。
阿闍世王は法華経を持ちて四十年の命をのべ、陳臣は十五年の命をの
べたり。尼ごぜんまた法華経の行者なり。御信心月のまさるがごとし、
しを(潮)のみつるごとし。いかでか病も失せ、寿ものびざるべきと強
盛にをぼしめし、身を持し、心に物をなげかざれ。
【現代語訳】
妻の力
銭一貫、ならびに酒一筒お届けいただきました。お礼申し上げます。
矢が飛ぶのは弓の力によるものですし、雲が行くのは竜の力によるものです。そのよ
うに、夫の行ないは妻の力によるというのが人の世の習いです。いま富木殿が、この山
深い身延の里までおいでくださったことは、ひとえに妻であるあなたのお力によるもの
と感謝いたします。
うに、夫の行ないは妻の力によるというのが人の世の習いです。いま富木殿が、この山
深い身延の里までおいでくださったことは、ひとえに妻であるあなたのお力によるもの
と感謝いたします。
煙を見ればそれを上らせている火を見る思いがし、雨を見ればそれを降らせている竜
を見る思いがします。そのように、夫の行ないを見ればそれをさせている妻を見る思い
がします。いま富木殿にお目にかかりましたら、あなたとお会いしたように思われます。
富木殿がお話の中で、「このたび母が亡くなった悲しみは深いけれど、臨終のありさ
まが良かったことと、妻が母によく尽くして看病をしてくれたことの嬉しさは、いつの
世までも忘れることができない」と言って喜んでいらっしゃいましたよ。
病気回復への励まし
さて、何よりも気がかりなのは、あなたのご病気です。きっと治るに違いないと信じ
て、3年間、当初のように灸治をなさってください。死というものは病気のない人でも
免れがたいものです。しかし、あなたは、まだそれほどの年齢ではないし、まして法華
経の行者ですから、非業の死などは絶対にありません。病気の方も、まさか業病ではな
いでしょう。もしかりに業病だとしても、法華経の疾病平癒の威力は頼もしいものです
から大丈夫です。
インドの阿闍世王は、法華経を信仰して40年間の命を延ばしましたし、中国の陳臣も
同様に15年間の命を延ばしました。あなたは法華経の行者です。ご信仰心は、月が丸く
なっていくように、潮が満ちていくように、ますます盛んになっていらっしゃいます。
どうして病気が消滅し寿命が延びないはずがあろうかという信念をしっかりとお持ちに
なって、身体をいたわり、心に苦悩がないようにしてください。(つづく)
【語註】
※1 銭一貫:鵞目とは、鵞鳥の目にように丸く穴があいている銭の異称。一貫文は銭
1000枚のことで、当時の記録によれば、米1石(10斗=役180リットル)を買
えたという。
※2 業病:悪業の報いとしてかかると考えられた難病。
※3 阿闍世王:「敵を生じないもの」を意味するアジャータシャトルの音写。前5世
紀頃のインドのマガダ国王。父のビンビシャーラ王を殺して王位に就いたが、の
ち釈尊の教えに従い、仏教教団の保護者になった。
※4 陳臣:天台大師智顗の兄。張果仙人から1カ月後に死ぬと予言されたが、天台大
師から小止観の教えを受け修行することによって15年間寿命を延ばしたという。
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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)
可延定業御書②
可延定業御書②
今女人の御身として病を身にうけさせ給ふ。心みに法華経の信心を立
てて御らむあるべし。しかも善医あり。中務三郎左衛門尉殿は法華
経の行者なり。
てて御らむあるべし。しかも善医あり。中務三郎左衛門尉殿は法華
経の行者なり。
命と申す物は一身第一の珍宝なり。一日なりともこれをのぶるならば
千万両の金にもすぎたり。法華経の一代の聖教に超過していみじきと申
すは寿量品のゆへぞかし。閻浮第一の太子なれども短命なれば草より
もかろし。日輪のごとくなる智者なれども夭死あれば生犬に劣る。早
く心ざしの財をかさねて、いそぎいそぎ御対治あるべし。
千万両の金にもすぎたり。法華経の一代の聖教に超過していみじきと申
すは寿量品のゆへぞかし。閻浮第一の太子なれども短命なれば草より
もかろし。日輪のごとくなる智者なれども夭死あれば生犬に劣る。早
く心ざしの財をかさねて、いそぎいそぎ御対治あるべし。
これよりも申すべけれども、人は申すによて吉事もあり、また我志の
うすきかとをもう者もあり。人の心しりがたき上、先々に少々かかる事
候ふ。この人は人の申せばすこそ(少)心へずげに思ふ人なり。なかな
か申すはあしかりぬべし。ただなかうど(中人)もなく、ひらなさけに、
また心もなくうちたのませ給へ。
うすきかとをもう者もあり。人の心しりがたき上、先々に少々かかる事
候ふ。この人は人の申せばすこそ(少)心へずげに思ふ人なり。なかな
か申すはあしかりぬべし。ただなかうど(中人)もなく、ひらなさけに、
また心もなくうちたのませ給へ。
去年の十月これに来たりて候ひしが、御所労の事をよくよくなげき申
せしなり。「当時大事のなければをどろかせ給はぬにや、明年正月二月
のころをひは必ずをこるべし」と申せしかば、これにもなげき入つて候
ふ。「富木殿もこの尼ごぜんをこそ杖柱とも恃みたるに」なんど申し
て候ひしなり。随分にわび候ひしぞ。きわめてまけじたまし(不負魂)
の人にて、我かたの事をば大事と申す人なり。かへすがへす身の財をだ
にをしませ給わばこの病治がたるべし。一日の命は三千界の財にもすぎ
て候ふなり。まづ御志をみみへさせ給ふべし。法華経の第七の巻に、
「三千大千世界の財を供養するよりも、手の一指を焼きて仏法華経に
供養せよ」ととかれて候ふはこれなり。
せしなり。「当時大事のなければをどろかせ給はぬにや、明年正月二月
のころをひは必ずをこるべし」と申せしかば、これにもなげき入つて候
ふ。「富木殿もこの尼ごぜんをこそ杖柱とも恃みたるに」なんど申し
て候ひしなり。随分にわび候ひしぞ。きわめてまけじたまし(不負魂)
の人にて、我かたの事をば大事と申す人なり。かへすがへす身の財をだ
にをしませ給わばこの病治がたるべし。一日の命は三千界の財にもすぎ
て候ふなり。まづ御志をみみへさせ給ふべし。法華経の第七の巻に、
「三千大千世界の財を供養するよりも、手の一指を焼きて仏法華経に
供養せよ」ととかれて候ふはこれなり。
命は三千にもすぎて候ふ。しかも齢もいまだたけさせ給はず、しかも
法華経にあわせ給ひぬ。一日もいきてをはせば功徳つもるべし。あらを
しの命や、あらをしの命や。御姓名並びに御年を我とかかせ給ひて、わ
ざとつかわせ。大日月天に申しあぐべし。
法華経にあわせ給ひぬ。一日もいきてをはせば功徳つもるべし。あらを
しの命や、あらをしの命や。御姓名並びに御年を我とかかせ給ひて、わ
ざとつかわせ。大日月天に申しあぐべし。
いよどの(伊予殿)もあながちになげき候へば日月天の自我偈をあて
候はんずるなり。恐恐謹言。
日 蓮 花押
尼御前御返事
【現代語訳】
治療と祈り
今、あなたは、女性であって身に病気をお受けになりました。法華経の予言に当たる
お立場なのですから、試みに法華経の信心をしっかりと持って修行してごらんなさい。
ただでさえ良い効果があがるに違いないのですが、しかもそのうえ、身近に名医がいま
す。中務三郎左衛門殿がそれです。この人は法華経の行者ですから一段と安心です。
寿命というものは、人にとって第一の宝です。一日でもこれを延ばすならば千万両
の金にも過ぎる価値のあるものです。法華経がすべての経典の中で断然すぐれている
のも、釈尊の寿命が久遠であることを説いた寿量品があるからなのですよ。世界第一
の栄光を担う皇太子であっても、短命では草よりも無意味です。また太陽のように輝
く智者であっても、若死にをしたのでは犬ほどの価値もありません。中務三郎左衛門
尉殿に対して、早く誠意を尽くしてお願いをし、急いで治療なさらなければいけませ
ん。
お立場なのですから、試みに法華経の信心をしっかりと持って修行してごらんなさい。
ただでさえ良い効果があがるに違いないのですが、しかもそのうえ、身近に名医がいま
す。中務三郎左衛門殿がそれです。この人は法華経の行者ですから一段と安心です。
寿命というものは、人にとって第一の宝です。一日でもこれを延ばすならば千万両
の金にも過ぎる価値のあるものです。法華経がすべての経典の中で断然すぐれている
のも、釈尊の寿命が久遠であることを説いた寿量品があるからなのですよ。世界第一
の栄光を担う皇太子であっても、短命では草よりも無意味です。また太陽のように輝
く智者であっても、若死にをしたのでは犬ほどの価値もありません。中務三郎左衛門
尉殿に対して、早く誠意を尽くしてお願いをし、急いで治療なさらなければいけませ
ん。
中務三郎左衛門殿には、私からもお頼みしようとは思いますが、人はいろいろで、仲
介者を立てて交渉をした方がよいこともあるし、そのようにすると依頼する本人の誠意
が薄いと思う者もいます。中務三郎殿の場合は、仲介者が間に入ると、少し面白くなく
思う人です。だから私から頼むのはかえって具合が悪いでしょう。仲介者を立てずに、
真心から、ただ一心にお願いなさるのが良いと思います。
介者を立てて交渉をした方がよいこともあるし、そのようにすると依頼する本人の誠意
が薄いと思う者もいます。中務三郎殿の場合は、仲介者が間に入ると、少し面白くなく
思う人です。だから私から頼むのはかえって具合が悪いでしょう。仲介者を立てずに、
真心から、ただ一心にお願いなさるのが良いと思います。
中務三郎殿は去年の10月にここにおいでになりましたが、その折、あなたのご病気の
ことをとても心配だといっていました。そして、「現在は症状が軽いからあまり慌てて
いらっしゃらないようですが、明年の正月から2月ごろには必ず悪化するでしょう」と
言いましたので、私の方も不安がつのって参りましたよ。中務三郎殿は、「富木殿も尼
御前を杖とも柱とも思って頼りとしていらっしゃるのに、お気の毒なことだ」と言って
いました。とても歎かわしげでいらっしゃいましたよ。だいたいあの方は、非常に負け
じ魂の強い人で、同志たちのことを大切にする人です。そのことを心得たうえで、よく
お願いしてごらんなさい。くれぐれも誠意のある行動をしなくてはいけません。それを
怠ったらこの病気は治りにくくなるでしょう。人の一日の寿命は、三千世界の財宝にも
まさって貴いものなのです。まず誠意を尽くしてそれを認めてもらうようになさらなけ
ればいけません。法華経第七巻の薬王菩薩本事品に「三千大千世界の財宝をもって供養
するよりも、手の指一本を焼いて仏と法華経とに供養せよ。その方が功徳がすぐれてい
る」と説かれているのはそのことを言っているのであって、何よりも誠意を示すことが
大切です。
ことをとても心配だといっていました。そして、「現在は症状が軽いからあまり慌てて
いらっしゃらないようですが、明年の正月から2月ごろには必ず悪化するでしょう」と
言いましたので、私の方も不安がつのって参りましたよ。中務三郎殿は、「富木殿も尼
御前を杖とも柱とも思って頼りとしていらっしゃるのに、お気の毒なことだ」と言って
いました。とても歎かわしげでいらっしゃいましたよ。だいたいあの方は、非常に負け
じ魂の強い人で、同志たちのことを大切にする人です。そのことを心得たうえで、よく
お願いしてごらんなさい。くれぐれも誠意のある行動をしなくてはいけません。それを
怠ったらこの病気は治りにくくなるでしょう。人の一日の寿命は、三千世界の財宝にも
まさって貴いものなのです。まず誠意を尽くしてそれを認めてもらうようになさらなけ
ればいけません。法華経第七巻の薬王菩薩本事品に「三千大千世界の財宝をもって供養
するよりも、手の指一本を焼いて仏と法華経とに供養せよ。その方が功徳がすぐれてい
る」と説かれているのはそのことを言っているのであって、何よりも誠意を示すことが
大切です。
命は三千大千世界にも増して尊いものです。それに、あなたは年齢もそれほどお高く
はありません。しかも、法華経にめぐりあって信仰をなさっていらっしゃいます。です
から、一日でも長生きなされば、それだけ功徳がつもるに違いない方です。このように
考えると、あなたの命はとても尊いものであり、無駄にしてはいけないものなのですよ。
ご姓名とご年齢をご自身でお書きになり、とくに使者を立ててここまで届けさせてくだ
さい。大日月天の御前で病気平演のお祈りをいたしますから。
はありません。しかも、法華経にめぐりあって信仰をなさっていらっしゃいます。です
から、一日でも長生きなされば、それだけ功徳がつもるに違いない方です。このように
考えると、あなたの命はとても尊いものであり、無駄にしてはいけないものなのですよ。
ご姓名とご年齢をご自身でお書きになり、とくに使者を立ててここまで届けさせてくだ
さい。大日月天の御前で病気平演のお祈りをいたしますから。
伊予殿も、あなたのご病気を非常に心配していらっしゃるので、日月天に自我偈を読
誦して平癒祈願をなさっているでしょう。恐恐謹言。
誦して平癒祈願をなさっているでしょう。恐恐謹言。
日 蓮 花押
尼御前御返事
【語註】
※1 中務三郎左衛門尉:四条中務三郎左衛門尉頼基のこと。鎌倉時代中期から後期に
かけての武士。日蓮の有力檀越。官位が左衛門尉であったので左衛門尉の唐名で
ある金吾と称され四条金吾とも言われる。
※2 三千大千世界:須弥山【しゅみせん】を中心に四方・四維【しい】・上下に広が
る宇宙を小世界といい、小世界が1000あつまったものを小千世界といい、小千
世界が1000あつまったものを中千世界といい、中千世界が1000あつまったもの
を大千世界という。大千世界は小・中・大という3種の千世界よりなるので三千
大千世界ともいうが、これが一仏の教化する範囲なのである。
※3 伊予殿:伊予房日頂(1252~1317)のこと。日頂は富木常忍の養子で、幼い時
に真間弘法寺(当時は天台宗)に入って出家し、後に日蓮聖人の門下となって六
老僧の一人に数えられるようになった。日蓮聖人の佐渡配流期にも、身延隠棲期
にも常に側にあって給仕・修学に勉めた。
【解説】
この手紙は富木常忍の妻である尼御前に出されたものである。尼御前は文永11年9月
頃から病を患っており、その後、回復に向かったが、依然として再発の恐れがあった。
その病状を翌10月に身延へ登山した四条金吾から聞いた日蓮が、尼御前を慰なぐさめら
れ、病気平癒の方途を示されたものである。
この手紙には年号と日付がないが、夫の富木常忍に宛てた文永12年2月7日の『富木
殿御返事』と一対の手紙と考えられている。
この手紙の中で特に注目されるのは、日蓮が病身の尼御前に向かって生命の尊さを強
調していることである。「一日の命は三千世界にも過ぎるもの」「第一の珍宝」と述べ
ているのは、人間の生命を尊重した日蓮の精神を示すものである。
尼御前は病気がちの身でありながら、夫の杖・柱となり、姑につくした人であった。
その老母が死ぬまで看病し、亡くなると遺骨を身延へ納めるよう夫を送り出した。その
「弓の力」の働きぶりは、「富木尼御前御書」によく示されているところである。
日蓮は、この法華経の女人へ直接に、あるいは医術に勝れた四条金吾や夫の常忍を通
して、治療に励むよう勧め、法華経の良薬を信服して息災延命を祈るよう説いている。
「ああ惜しい命である」という、切なるまでの心を込めて、病気に悩む人の命の大切さ
を訴えかけている。それは、日蓮が法華経こそ身心の重病を癒やす教えであることを確
信していたからであろう。同時に、人は誰しも命を尊び、死を恐れ、与えられた限りあ
る命を精一杯生かす責任を持っており、また仏の命の中にわが命を生かしていく道を求
めるべきことを願ったからであろう。
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頃から病を患っており、その後、回復に向かったが、依然として再発の恐れがあった。
その病状を翌10月に身延へ登山した四条金吾から聞いた日蓮が、尼御前を慰なぐさめら
れ、病気平癒の方途を示されたものである。
この手紙には年号と日付がないが、夫の富木常忍に宛てた文永12年2月7日の『富木
殿御返事』と一対の手紙と考えられている。
この手紙の中で特に注目されるのは、日蓮が病身の尼御前に向かって生命の尊さを強
調していることである。「一日の命は三千世界にも過ぎるもの」「第一の珍宝」と述べ
ているのは、人間の生命を尊重した日蓮の精神を示すものである。
尼御前は病気がちの身でありながら、夫の杖・柱となり、姑につくした人であった。
その老母が死ぬまで看病し、亡くなると遺骨を身延へ納めるよう夫を送り出した。その
「弓の力」の働きぶりは、「富木尼御前御書」によく示されているところである。
日蓮は、この法華経の女人へ直接に、あるいは医術に勝れた四条金吾や夫の常忍を通
して、治療に励むよう勧め、法華経の良薬を信服して息災延命を祈るよう説いている。
「ああ惜しい命である」という、切なるまでの心を込めて、病気に悩む人の命の大切さ
を訴えかけている。それは、日蓮が法華経こそ身心の重病を癒やす教えであることを確
信していたからであろう。同時に、人は誰しも命を尊び、死を恐れ、与えられた限りあ
る命を精一杯生かす責任を持っており、また仏の命の中にわが命を生かしていく道を求
めるべきことを願ったからであろう。
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