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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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報恩について 佐渡御勘気鈔

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

佐渡御勘気鈔さどごかんきしょう

文永8年(1271)10月10日、50歳、於依智、和文

 相模国(神奈川県)依智より清澄寺大衆へ宛てた手紙。佐渡流罪へ向かって出立する日蓮が、法華経を身読した悦びと恩ある人を助ける確信を披歴したもの。

 九月十二日に御勘気を蒙て、今年十月十日佐渡の国へまかり候也。

 本より学文し候ひし事は仏教をきはめて仏になり、恩ある人をもたす

けんと思ふ。仏になる道は、必ず身命をすつるほどの事ありてこそ仏に

はなり候らめと、をしはからる。

 既に経文のごとく悪口あっく罵詈めり刀杖とうじょう瓦礫がりゃく数数見擯出さくさくけんひんずいと説れてかゝ

るめに値候こそ法華経をよむにて候らめと、いよいよ信心もおこり、後

生もたのもしく候死して候はば必ず各各をもたすけたてまつるべ


 天竺に師子尊者と申せし人は檀弥羅王だんみらおうに頚をはねられ、提婆菩薩は外

道につきころさる。漢土に竺道生と申せし人は蘇山と申す所へながさ

る。法道三蔵は面にかなやき(火印)をやかれて江南と申所へながされ

き。是皆法華経のとく(徳)仏法のゆへなり。

 日蓮は日本国東夷東条安房の国海辺の旃陀羅せんだらが子也。いたづらにくち

(朽)ん身を、法華経の御故に捨まいらせん事、あに石にこがねをかふるに

あらずや。各各なげかせ給べからず。

 道善の御房にもかう申しきかせまいらせ給べし。領家の尼御前へも御

ふみと存し候へども、先かゝる身のふみなれば、なつかしやと、おぼさ

ざるらんと申しぬると、便宜あらば各各御物語り申させ給候へ。  

十月 日                      日蓮  花押

【現代語訳】
恩ある人を助ける願い

 9月12日に、幕府の怒りを蒙って、同じく今年10月10日、佐渡の国へ向かおうとして

いる。

 もとより学問してきた事は、仏教を習いきわめて仏になり、恩ある人をも助けようと

思ったからである。仏になる道は、必ず身命を捨てる事があってこそ、仏にはなれると

推しはかってきた。そして、すでにこの経文のように、「法華経を弘める者は人々から

悪口され、罵られ、刀杖瓦礫によって斬られ、打たれ、投げつけられ、たびたび追放さ

れる」(法華経勧持品)と説かれている通りに、このような目に値ったのである。これ

こそ、法華経を身に読んだことになるのだと思うと、いよいよ信心も強くおこり、後生

も頼もしく感じられるのである。もし、死んだならば、必ずあなた方をお助けするであ

ろう。

 天竺に※ 1子尊者という人がいたが、この人は仏教を伝え弘めていた時、檀弥羅王の怒

りをうけて頸をはねられた。同じく天竺の※ 2婆菩薩は、法論に敗れた外道によって突き

殺された。中国の竺の道生という人は鳩摩羅什の弟子として仏道を弘めたが、人々から

罵られて蘇山という所へ流された。法道三蔵は、仏道を正そうとして宋の徽宗きそうを諫めた

ために、顔をかなやき(火印)で焼かれて江南という所へ流罪にされた。これらの人は

皆、法華経の恩徳を報じ、仏法のために、このように迫害されたのであった。

 日蓮は、日本国東夷、東条安房の国の海辺に
※ 3陀羅の子(漁夫の子)として生まれた

ものである。ただいたずらに、むなしく朽ち果てる身を、このように法華経のおんため

に捨てた事は、、石を金に変えたことになるのではあるまいか。だから、あなた方も、

日蓮の身の上について歎かないでもらいたい。道善御房にも、このように申し上げてほ

しい。領家の尼御前へも手紙を差し上げたいと思うけれども、この先流罪となる身の上

の者からの手紙であれば、懐かしいとも思われないであろう、と申していたと機会があ

ったならば、あなた方よりお話し下さるがよい。

十月  日                            日 蓮 花押

【語註】

 ※1 
師子尊者:釈尊の滅後1200年頃、中インドに生れ、第23祖鶴勒那【かくろく
     な】に法を受けカシミール罽賓国【けいひんこく】に教化をするところ
           が外道の嫉みに謀られ、その時の国王檀弥羅王は仏法を迫害し、師子尊者の首
           を斬り殺した。その時、国王の右臂も地に堕ちて7日後に死んでしまった。これ
           を忌んだ太子は後に師子尊者のために塔を建てたという。日蓮は2点で師子尊者
           を見ている。一つは仏教史上において、正法時代の正しい伝灯相承者としている
           こと、二つは死身弘法を志した師子尊者を自らの苦難の前例の一つに擬してい
           る。

 ※2 
提婆菩薩:聖提婆[しょうだいば](アーリヤデーヴァ)。3世紀ごろの南イ
            ンドの人で、竜樹の弟子。南インドで外道に帰依していた王を破折したり、他
            学派の論師を多数破折したが、一人の凶悪な外道に恨まれて殺された。主著は
           『百論』。

 ※3 
旃茶羅:チャンダーラの音写で、インドにおける社会階級の最下層をいう。イ
            ンドの社会階級制度にはバラモン(司祭)、クシャトリア(武士)、ヴァイシ
            ャ(庶民)、ジュードラ(奴隷)の四姓がある。旃陀羅はこの四姓からはずさ
      れ、下層のシュードラのさらに下に位置する最下層で、狩猟・屠殺を業とする
      者、獄卒に従事するものをいう。漢訳では屠家・執悪・下賤種・厳熾などと訳
            す。日蓮は自らの出自を「施陀羅が子」と述べている。日本では上下の社会階
            級制度としての施陀羅は存在しないから、この言葉はその意をとって、漁民の
            出自を述べたものである。他に「海人が子」「民が子」等と述べているが、自
            らの出自を語ったこれらの言葉は、宗教的な面からの位置づけであり、下層階
            級者との連帯感の喚起と、法華経の慈悲の広範な救済性を教示する意を含んだ
            ものとみることができよう。

【解説】

 日蓮の生涯は、報恩の誓願にはじまり、報恩への献身に終わる、といっても過言では

ない。数多くの手紙を故郷の人々に向けて書き送ったが、それらはいずれも自己の記し

た報恩の人生のありようを伝えたものである。

 日蓮は、釈迦仏・法華経にわが身を捧げ、その恩徳を体して生き抜いた魂の軌跡をこ

れらの手紙で綴っている。そして、一切衆生の救済に励むことによって、仏恩・法恩の

燈明を分け与えようとする法華経の行者の生き方と実践を示し続けている。それは、日

蓮自身をかくあらしめた釈迦仏・法華経の恩徳に対する無限の謝意であり、すべての人

々が人生の根本精神として、この恩徳を信じて生きるようさし示すことによって、釈迦

仏・法華経に報恩を捧げていく信仰的確信として明示したものである。

 日蓮にとって、人生の出発点ともいうべき求道修学の当初から目標にしたものが、こ

の報恩を実現しうる身となる誓願であった天福元年123312歳で清澄寺にのぼり、

道善房を師と仰ぎ、また浄顕房、義城房からも手ほどきを受けながら、日蓮は学問修行

に志し、この時「日本第一の智者となしたまえ」と虚空蔵菩薩に立願している。

 この手紙によれば、この立願は、「仏となって恩ある人を助けよう」という誓願をな

しとげ、身命を賭して仏道を歩む決意をこめたものであったことがわかる。報恩をめざ

して智者となる、という人生探求への熱烈な意志と願望から日蓮は出発したのである。

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【 2024/01/23 05:32 】

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報恩について 一谷入道御書⑦

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

一谷入道御書いちのさわにゅうどうごしょ

 そもそも蒙古国より責めん時は如何がせさせ給ふべき。此の法華経をいた

だき、頸にかけさせ給ひて北山へ登らせ給ふとも、年比としごろ念仏者を養ひ念

仏を申して、釈迦仏・法華経の御敵とならせ給ひて有りし事は久しし。

し命ともなるならば、法華経ばし恨みさせ給ふなよ。又閻魔王宮えんまおうぐう

しては何とか仰せあるべき。をこがましき事とはおぼすとも、其の時は

日蓮が檀那也とこそ仰せあらんずらめ。

 又是れはさてをきぬ此の法華経をば学乗房に常に開かさせ給ふべ

如何いかに云ふとも、念仏者・真言師・持斎なんどにばし開かさせ給

ふべからず。又日蓮が弟子となのるとも、日蓮が判を持たざらん者をば

御用ひあるべからず。恐恐謹言。

五月八日                      
日 蓮 花押

一谷入道女房

【現代語訳】

入道へのいましめ

 いったい蒙古国が攻めてきた時にはどうなされるお考えかこの法華経を頭に戴き

頸に懸けて北山へ登っても、永年にわたって念仏者に供養を捧げ念仏を称えて、釈尊と

法華経の敵となって久しかったのであるから、その謗法の報いで、命を落とすようなこ

とになったとしても、けっして法華経を恨んではならない。また、閻魔王の前では何と

申されるつもりだろうか。おこがましいことと思われても、その時は日蓮の檀那である

と申されるがよい。

 それはさておき、この法華経は学乗房に常に読ませてお開きになるがよい。人が何と

言おうとも、念仏者や真言師や持斎などには絶対に経巻を開かせてはならない。また、

日蓮の弟子と名乗る者があっても、日蓮の花押のある文書を持たない者をけっして信用

してはならない。以上、つつしんで申し上げました。

五月八日                            
日 蓮  花押

一谷入道女房

【解説】

 日蓮は佐渡流罪中、当初居住された塚原三昧堂から石田郷一谷村に移られ、地頭の本

間氏の配下にあった一谷入道(近藤清久と伝える)の屋敷内の建物を住居とされたよう

である。

 その一谷入道に宛てられた手紙が本抄である。宛名は入道の身辺などの配慮から、

「一谷入道女房」となっている。

 一谷入道は熱心な念仏信者で、阿弥陀堂まで建てた人物である。しかし、この入道に

手紙を書かれる直接の理由は、以下のようである。日蓮の佐渡流罪中、鎌倉から日蓮を

訪問した一人の尼があった。しかし、帰路の金銭がなく、その苦労を見かねた日蓮は、

一谷入道に借金の口添えをされ、そのとき法華経一部を渡すという約束をされた。その

後、流罪も赦免となり、日蓮は鎌倉から身延へと移った。そこで、その借金の返済を利

子を添えてなさろうとしたが、先の約束を破ることになるし、また念仏者に法華経を渡

すことにためらいがあった。ついに、入道の祖母が内心法華経を信じていたことを思い

起こされ、祖母あてに法華経十巻を渡されたのである。末尾には、この法華経は学乗房

に読ませて開かれるようにと指示され、念仏者や真言師等には絶対に開かせてはならな

い、といましめられている。

 以上のような理由によって執筆された手紙であるから、その内容は、日蓮の流罪の覚

悟、末法の法華経修行は不惜身命、折伏にあるということ、日本の仏法の様相と教主違

背の罪、この娑婆世界は教主釈尊の所領で阿弥陀仏は他土の仏であるということ、謗法

罪の重いこと、さらに一谷の流謫生活のあり様と一谷入道夫妻の外護、一谷入道の念仏

信仰、法華経一部十巻の送付のこと、蒙古襲来の実状、そして、入道へのいましめなど

を記して筆が置かれている。

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【 2024/01/20 05:39 】

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報恩について 一谷入道御書⑥

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

一谷入道御書いちのさわにゅうどうごしょ

 日蓮が申す事は、愚かなる者の申す事なれば用ひず。されども去る文

永十一年〈太歳申戌〉十月に蒙古国より筑紫によせて有りしに、対馬の

者かためて有りしに宗摠馬尉そうのそうまのじょう逃げければ、百姓等は男をば或いは殺

し、或いは生取いけどりにし、女をば或いは取集めて手をとをして船に結付yuituke
、或

いは生け取りにす。一人も助かる者なし。壱岐によせても又かくのごと

し。船おしよせて有りけるには、奉行入道豊前前司ぶぜんのぜんじは逃げて落ちぬ。松

浦が党は数百人打たれ、或いは生け取りにせられしかば、寄せたりける

浦々の百姓ども壱岐・対馬の如し。又今度は如何が有るらん。彼国の百

千万億のつわもの、日本国を引き回らして寄せて有るならば、如何に成るべ

きぞ。北の手は先づ佐渡の島に付て、地頭・守護をば須臾に打ち殺し、

百姓等は北山へにげん程に、或いは殺され、或いは生け取られ、或いは

山にして死ぬべし。

 そもそも是れ程の事は如何として起るべきぞと推すべし。前に申しつるが

如く此の国の者は一人もなく三逆罪の者也。是れは梵王帝釈日月

四天の、彼の蒙古国の大王の身に入らせ給ひて責め給ふ也。日蓮は愚な

れども、釈迦仏の御使・法華経の行者也となのり候を、用ひざらんだに

も不思議なるべし。其のとがに依て国破れなんとす。況や或いは国々を追

或いは引はり或いは打擲ちょうちゃく或いは流罪し或いは弟子を殺し、

或いは所領を取る。現の父母の使つかいをかくせん人々よかるべしや。日蓮は

日本国の人々の父母ぞかし、主君ぞかし、明師ぞかし。是れを背かん事

よ。念仏を申さん人々は無間地獄に堕ちん事、決定けつじょうなるべし。たのも

したのもし。

【現代語訳】

蒙古襲来の実状

 日蓮の言うことは愚か者の言うこととして世間では取り上げてもらえないしかし

去る文永11年(1274)甲戌10月に、蒙古の軍勢が筑紫に攻め寄せてきた。対馬では領

主の宗助そうのすけくに国が防戦したが破れて逃げ去ったので、百姓等は男は殺されるか生捕りに

され、女は取り集められて手に穴をあけて船に結び付けられるか、あるいは生捕りにさ

れたりして一人も助かる者はなかった壱岐に攻め寄せてきた時もまた同じであった

蒙古の軍船が押し寄せてくると、奉行入道や豊前前司は逃げてしまった。松浦でも松浦

党が数100人打たれ、あるいは生捕りにされてしまったので、浦々の百姓たちの惨状も

壱岐や対馬と同じであった。いま一度、蒙古が攻めてきたらどうなるだろう。蒙古の百

千万億という軍兵が日本国を包囲して四方から攻めて来たら、どうなることだろう。北

からの軍は、まず佐渡ヶ島に上陸して地頭や守護はあっという間に打ち殺され、百姓等

は北山へ逃げても、殺されるか、生捕りにされるか、あるいは山の中で餓死することに

なるだろう。

 そもそも蒙古の軍勢が襲来するという事件は、どうして起こってくるのか、よく考え

てみなければならない。前にも言ったように、日本国の人々は、みな三逆罪を犯してい

る者である。そのため、梵天王・帝釈天・日天・月天・四天王が、蒙古国の大王の身に

入って、日本国を責められているのである。日蓮は愚かな身であるが、釈尊の御使いで

あり、法華経の行者であると名乗って、法華経弘通による日本国の安泰を祈っているの

に、立正安国論以来の諫言を採用しようとさえしない。これは奇怪なことである。日蓮

の諫言を無視したという過失によって、いま国が滅びようとしているのである。まして

住居をつぎつぎと追われ捕らえられて引き廻され打擲され、あるいは流罪され、

弟子を殺され、檀那は所領を没収された。父母からの使者にもしもこのような迫害を加

えたら、その人に善い報いがあるはずはない。日蓮は日本国の人々の父母であり、主君

であり、明師でもある。このような存在に背いて念仏を称える人々は、※ 1間地獄に堕ち

ることが決定的なのであるそれにしても法華経が教説の通りに実証されていることは

実に頼もしいかぎりである。(つづく)

【語註】

 ※1 
無間地獄:八大地獄の一つ。無間は梵語アヴィーチの訳で、音写して阿鼻【あ
           び】地獄ともいう。間断なく苦を受けることから無間といい、閻浮提【えんぶだ
           い】の下二万由旬【ゆじゅん】の所にあり、諸地獄の中で最も苦しい場所で、五
           逆罪や謗法罪を犯した者が堕ちる所とされる。ここに生じた者は激しい苦を受け
           て絶えず叫びわめくから阿鼻叫喚【きょうかん】地獄ともいい、その境界は広く
           容易に脱出できないので阿鼻大城ともいう。

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【 2024/01/18 05:44 】

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報恩について 一谷入道御書⑤

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

一谷入道御書いちのさわにゅうどうごしょ

 案にたがはず両度まで流されて候ひし中に、文永九年の夏のころ、佐渡

石田郷一谷いしだのごういちのさわと云ひし処に有りしに、預りたる名主等は公と云ひ、

私と云ひ、父母の敵よりも宿世の敵よりもにくげにありしに、宿の入道と

いゐ、めといゐ、つかうものと云ひ、始めはおぢをそれしかども、先世

の事にやありけん、内々不便と思ふ心付きぬ。預りよりあづかる食は少

なし。付ける弟子は多くありしに、僅かの飯の二口三口ありしを、或い

はおしきに分け、或いは手に入れて食ひしに、宅主内々心あて、外には

をそるる様なれども、内には不便げにありし事、何の世にかわすれん。

我を生みておはせし父母よりも、当時は大事とこそ思ひしか。何なる恩

をもはげむべし。まして約束せし事たがうべしや。

 然れども入道の心は後世ごせを深く思ひてある者なれば、久しく念仏を申

しつもりぬ。其の上阿弥陀堂を造り、田畠も其の仏の物也。地頭も又を

そろしなんど思ひて直ちに法華経にはならず。是れは彼の身には第一の

道理ぞかし。然れども又無間大城は疑いなし。たとひ是れより法華経を遣 つかは

したりとも、世間もをそろしければ念仏すつべからずなんど思はば、火

に水を合わせたるが如し。謗法の大水、法華経を信ずる小火をけさん事

疑ひなかるべし入道地獄に堕つるならば還つて日蓮がとがになるべ

如何んがせん、如何んがせんと思ひわづらひて、今まで法華経を渡

し奉らず。渡しまいらせんが為にまうけまいらせて有りつる法華経をば、鎌

倉の焼亡に取り失ひ参らせて候由申す。かたがた入道の法華経の縁はなかり

けり。約束申しける我が心も不思議也。又我とはすゝまざりしを、鎌倉

の尼の還りの用途に歎きし故に、口入くにゅう有りし事なげかし。本銭もとせんに利分

を添て返さんとすれば、又弟子が云く、御約束違ひなんど申す。かたがた

退きわまりて候へども、人の思はん様は狂惑の様なるべし。力及ばずして法

華経を一部十巻渡し奉る。入道よりもうば(祖母)にてありし者は内々

心よせなりしかば、是れを持ち給へ。

【現代語訳】
一谷での流罪生活

 案の状、二度までも流罪となったが、そのうち文永9年(1272)の夏のころ、佐渡国

石田郷の一谷という所に移された。身柄を預かる名主侍からは、公私ともに父母の敵や

宿世の仇敵よりも憎々しげに取り扱われた。だが、宿の入道やその妻、またその家の使

用人たちははじめのうちは気味悪げに畏れていたが前世の縁でもあったのだろうか

内々に同情を寄せるようになった。身柄預かりの名主から渡された食糧は少なく、付き

従っている弟子は多かったので、わずか二口か三口の飯を折敷おしきに分けたり、手のひらに

受けて食べるという有様だった。これを見た宿の主人が、表面では恐れながらも、心の

中では同情を寄せて陰で世話をしてくれたことは、いつの世になっても忘れられない。

その時は、私を生んでくれた父母よりも大事であると思い、どのようなことをしてでも

この御恩に報いなければならないと思った。まして約束したことを反故ほごにするようなこ

とがあってはならないのである。

 ところが入道は後世のことを深く考えている人なので長年にわたって念仏を称え、

その上、阿弥陀堂を建立し、田畠まで阿弥陀仏に寄進されている人である。地頭の思惑

を恐れて、念仏を捨てて直ちに法華経を信仰されることもなかった。これは入道の身に

とってみれば、無理もないことであろう。しかし、念仏を捨てないかぎり、無間大城に

堕ちることは疑いないところである。たとえいま日蓮が入道に法華経をお渡ししても、

入道が世間の眼を畏れていまさら念仏を捨てることはできないと考えているならば、法

華経を送っても火に水を合わせるようなものである。謗法の大水が、法華経信仰がまだ

浅い状態の小火を消してしまうことは疑いないことである。入道が地獄に堕ちるなら

ば、かえって法華経をお渡しして※ 1法の罪を犯させたのは日蓮だということになる。だ

から今日までどうしようか、どうしようかと思い悩んで、約束した法華経を入道に今日

までお渡ししていなかったのであるしかもお渡しするために用意していた法華経は、

鎌倉の大火の時に喪失してしまった。いずれにしても入道は法華経に縁がなかったので

ある。どうして法華経をお渡しする約束などしたのか、今となっては不思議なことであ

る。それというのもあの時は、鎌倉の尼が、日蓮の身を案じてはるばる訪ねてくれたと

ころが、帰りの旅費が不足して途方に暮れていたので、気は進まなかったが、法華経を

お渡しするという約束で、借金をお願いしたのであった。法華経の代わりに借金に利子

を添えてお返ししようとも思ったがそれでは約束を破ることになると弟子たちが言う

どうしたらよいか、まことに困ったことになった。世間の人からは、日蓮は偽りを言っ

たと思われるかもしれない。やむを得ず、法華経一部十巻をお渡し申し上げる。念仏者

の入道よりも、法華経にひそかに心を寄せている入道の祖母が、どうかこの法華経をお

持ちになるように。(つづく)

【語註】

 ※1 
謗法:誹謗正法【ひぼうしょうぼう】の略。一般的には仏法をそしることをい
           うが、日蓮は教主釈尊の本意が示された法華経に背くことを謗法とみなす。日蓮
           は「謗【そしる】」を「背【そむく】の意味に解釈されており、仏法を誹謗して
           いるという意識がなくても、教主釈尊の本意に随順しようとする積極的な姿勢を
           示さない限りは謗法になるという。すなわち謗法とは、釈尊の本意に「随うか背
           くか」という二者択一の問題であり、この点で末法の人間存在は、すべて謗法の
           罪に陥った状態にあると主張される。日蓮は「法華経の行者」として教主釈尊に
           随順し迫害受難を体験したが、これは自己の謗法を克服すると同時に他者の謗法
           の罪を顕わし、ともに法華経の永遠なる世界に生きようとする宗教実践であった
           といえる。

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【 2024/01/16 05:38 】

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報恩について 一谷入道御書④

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

一谷入道御書いちのさわにゅうどうごしょ

 此の不孝の人々、一人二人百人千人ならず、一国二国ならず、上一人

より下万民にいたるまで日本国皆こぞて一人もなく三逆罪のものな

されば日月色を変じて此れをにらみ大地もいかりてをどりあが

大彗星天にはびこり、大火国に充満すれども僻事ひがごとありともおもは

ず。我等は念仏にひまなし。其の上、念仏堂を造り、阿弥陀仏を持ち奉

るなんど自讃する也。是れは賢き様にて墓なし。譬へば若き夫妻等が夫

は女を愛し、女は夫をいとおしむ程に、父母のゆくへをしらず。父母は

衣薄けれども我はねや熱し。父母は食せざれども我は腹に飽きぬ。是れ

は第一の不孝なれども、彼等はとがともしらず。況や母に背く妻、父にさ

かへる夫、逆重罪にあらずや。阿弥陀仏は十万億のあなたに有りて、此

の娑婆世界には一分も縁なし。なにと云ふとも故もなき也。馬に牛を合

わせ、犬にさるをかたらひたるが如し。但日蓮一人計り此の事を知りぬ。

命を惜しみて云はずば、国恩を報ぜぬ上、教主釈尊の御敵となるべし。

是れを恐れずしてありのまゝに申すならば、死罪となるべし。設ひ死罪は

まぬかるとも流罪は疑ひなかるべしとは兼て知りてありしかども、仏恩

重きが故に人をはばからず申しぬ。

【現代語訳】
謗法罪の重さ

 このような不孝者は一人や二人、100人や1000人ではなく、また一国や二国にとどま

らず、上は天皇から下は万民にいたるまで、日本国の人は一人残らず父母・主君・師匠

である釈尊に背く三逆罪の者である。よって太陽や月は色を変えてこの不孝者を睨み、

大地も怒って震動し、大彗星が出現し、大火が国中に頻発するという大凶事が続くので

ある。ところがこの道理に気づかない念仏者たちは、いつも念仏を称えているとか、念

仏堂を建立したとか、阿弥陀仏を固く信じているなどと自慢しているのである。これは

一見、賢いようであるが、実は愚かなことである。たとえば若い夫婦が互いのことは愛

しても、父母のことは忘れ、父母が寒さに凍えていても、自分たちは寝室を暖かくし、

父母が食に飢えていても、自分たちはいつも飽食しているようなものである。こうした

ことは最も不孝な行為であるけれども、彼らはそれが罪であることに気づいていないの

である。まして母に背く妻、父に逆らう夫は、重大な逆罪を犯していることにならない

か。阿弥陀仏は西方十万億土の彼方にいる仏で、この娑婆世界には少しも縁のない他仏

である。だから何をお願いしても無駄なことである。たとえば馬に牛を引き合わせ、犬

と猿を仲良くさせるようなものである。このような道理は、ただ日蓮一人だけが知り得

たことであった。命を惜しんでこの道理を説かなければ、国の恩を報じないばかりでな

く、教主釈尊の御敵となってしまう。命を恐れずに、ありのままに言うならば、死罪と

なるであろう。たとえ死罪は免れても流罪に処せられるに違いないとは最初からわかっ

ていたけれども、仏の御恩が重いから、他人を恐れずに敢えて言い出したのである。

(つづく)

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テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2024/01/13 05:36 】

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