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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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法華経の女人 四条金吾殿女房御返事③

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

四条金吾殿女房御返事しじょうきんごどのにょうぼうごへんじ

 ただし信心のよはきものをば、法華経を持つ女人なれどもすつるとみ

へて候ふ。れいせば大将軍心ゆわければしたがふものもかいなし。ゆみ

ゆわければ、つるゆるし。風ゆるなればなみちひさきはじねんのだうり

なり。

 しかるにさゑもん(左衛門)どのは俗のなかには日本にかたをならぶ

べき物もなき法華経の信者なり。これにあひつ(連)れさせ給ひぬるは

日本第一の女人なり。法華経の御ためには竜女とこそ仏はをぼしめされ

候ふらめ。「女」と申す文字をば「かかる」とよみ候ふ。藤の松にかか

り、女の男にかかるも、今は左衛門殿を師とせさせ給ひて、法華経へみ

ちびかれさせ給ひ候へ。

 また三十三のやくは転じて三十三のさいはひとならせ給ふべし。

「〔七難即ち滅し、七福即ち生ぜん〕」とはこれなり。年はわか(若)

うなり、福はかさなり候ふべし。あなかしこ。あなかしこ。


正月二十七日
                         日 蓮 花押

四条金吾殿女房御返事

【現代語訳】

 ただし、法華経を受持する女性は仏・神が守ってくださるといっても、信心が弱くて

は見捨てられてしまうようです。たとえば、大将軍が臆病だと従卒たちの意気は揚がら

ないでしょう。弓が弱いと弦はゆるみます。風が静かならば波が小さいというのは当然

の道理です。そのように、何でも弱いものには強い支援は期待できません。

 ところが、左衛門殿(四条金吾)は、在俗の人の中では日本に肩を並べる者がいない

ような堅固な法華経の信者です。そういう人を伴侶となさっていらっしゃるあなたは日

本第一の勝れた女性です。法華経のおかげで成仏をした竜女に当たる方だと、仏はお思

いになっていらっしゃるでしょう。「妻」という文字は「かかる」と読みます。藤が松

にかかって美しい花を咲かせるように、妻は夫の助力によって万全であるものですか

ら、あなたは左衛門殿を師とお頼みになって、法華経の信仰の世界に導いていただきま

すように。

 また、あなたがご心配になっていらっしゃる33歳の厄は、転じて33の幸いとおなりに

なるでしょう。仁王経の受持品に記されている、「7つの災難がたちまち消滅し、7つ

の幸福がたちどころに生起する」という一節の通りです。年齢は若くなり、幸福は増す

に違いありません。あなかしこ。あなかしこ。

正月二十七日                          
日 蓮  花押

四条金吾殿女房御返事

【解説】

 この手紙は、文永12年(1275)1月27日に書かれたものである。この1年程前の3

月に日蓮は佐渡流罪を許され、4月に侍所所司の平頼綱(平左衛門尉)と対面し、再度

の諌暁と行なうも、聞き入れられず、日蓮は5月17日に身延に入山した。

 四条金吾の身辺が本格的に物騒になるのは、その2年後の建治3年(1277)6月の桑

ケ谷問答以後のことであり、このころはまだ落ち着いていたようである。

 四条金吾の妻は33歳の厄年に当たることで日蓮に供養の品々を届けたそれに対し

て、日蓮は『法華経』を受持する者は、一切衆生の主であり、なかんずく『法華経』を

受持する女性は、一切の女性に勝れているのみならず、一切の男性にも優れていると論

じている。

 そして、仏教以外の外典や、『法華経』以外の一切経で女性を酷評する言葉として、

「女人をは地獄の使と定められ」「大蛇ととかれ」「まがれ木のごとし」「仏種をいれ

る者」といった言葉を列挙する。日蓮の著作には、女性を蔑視したこうした表現が各種

の経典から多数、引用・列挙されている。このような言葉を見ていると、確かに日蓮の

言う通り、「法華経より外の一切経をみ候には、女人とはなりたくも候はず」という思

いになってくる。

 仏教は、果たして女性差別の宗教だったのか?否、である。釈尊自身は女性も在家も

差別することはなかった。ところが、釈尊滅後において女性や、在家の差別が著しくな

ってくる。それは、釈尊滅後100年ごろの教団分裂に始まり、男性・出家者中心主義と

化した教団の権威主義化と併行して進行していった。その教団は、小乗仏教と
貶称され

た。

 その反省として、紀元前後に女性の地位回復を図る大乗仏教が登場するが、完全

に差別思想を脱却していないところもあったようだ。その両者の差別思想と、対立

を止揚する課題を負って、『法華経』が登場した。あらゆる人が成仏できることを

主張する『法華経』において、女性の成仏も主要なテーマとして論じられた。

 小乗仏教化する以前の釈尊の生の言葉に近い原始仏教の教えがスリランカから日

本にもたらされたの明治期であり日蓮はそれを見ることはなかったところが

日蓮は女性の名誉回復を図る『法華経』を正しく受け止めて、『法華経』を信奉す

る女性たちに機会あるごとに語って聞かせた。この手紙も、世間で言われる厄年に

対する四条金吾の妻の不安に応える形で、『法華経』の女性を讃嘆する言葉を挙げ

て、激励している。

 極端に言えば、厄年という通説などにとらわれる必要はないと言わんばかりであ

る。


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【 2024/04/04 05:42 】

日蓮聖人の手紙 法華経の女人  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

法華経の女人 四条金吾殿女房御返事②

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

四条金吾殿女房御返事しじょうきんごどのにょうぼうごへんじ

 日蓮、法華経より外の一切経をみ候ふには、女人とはなりたくも候は

ず。或る経には女人をば「地獄の使」と定められ、或る経には「大蛇」

ととかれ、或る経には「まがれ木」のごとし、或る経には「仏の種をい

(熬)れる者」とこそとかれて候へ。仏法ならず外典げてんにも;栄啓期えいけいきと申

せし者の、三楽をうたいし中に、「無女楽むじょらく」と申して天地の中に女人と

生ざる事を楽とこそたてられて候へ。

 わざわい三女よりをこれりと定められて候ふに、この法華経ばかり

に、「この経を持つ女人は一切の女人にすぎたるのみならず、一切の男

子にこえたり」とみへて候ふ。

 せんずるところは一切の人にそしられて候ふよりも、女人の御ために

は、いとを(愛)しとをもわしき男にふびんとをもわれたらんにはすぎ

じ。一切の人はにくまばにくめ。釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏ないし梵

王・帝釈・日・月等にだにも、ふびんとをもわれまいらせなば、なにく

るし。
法華経にだにもほめられたてまつりなば、なにかたつましかるべ

き。

 今三十三の御やくとて、御ふせをくりたびて候へば、釈迦仏・法華

経・日天の御まえに申しあげ候ひぬ。人の身には左右のかた(肩)あ

り。このかたに二つの神をはします。一をば同名神どうみょうしん、二をば同生神どうしょうしん

と申す。この二つの神は梵天帝釈月の人をまほらせんがために

母の腹の内に入りしよりこのかた一生をわるまで、影のごとく眼のごと

くつき随ひて候ふが、人の悪をつくり善をなしなむどし候ふをば、つゆ

ちりばかりものこざず、天にうた(訴)へまいらせ候ふなるぞ。華厳経

の文にて候ふを止観の第八に天台大師よませ給へり。
 
【現代語訳】
「法華経」以外の経の女性軽視

 私が法華経以外の一切経を拝読したかぎりでは、女性になる気はまったく起こりませ

ん。ある経には女性を「地獄の使者」であると決めつけており、ある経には女性は「毒

蛇」であると説かれ、ある経には「曲がった木」のように始末におえないとあり、ある

経には「仏になるたねってしまったもの」だと説かれています。仏典だけでなく、一

般の書物にも、むかし※ 1啓期という者が人生の3つの安楽について歌った中に、「無女

楽」といって、広い生物界の中で女性に生まれないことを一つの安楽とお定めになりま

した。

 さらに、災厄の原点は、けつ王・いんちゅう王・しゅうゆう王の欲情を誘って亡国に導い

妹喜ばっき姐己だっき褒姒ほうじの三女性にあるとまでいわれて、どこを見ても女性は悪者扱いされ

ているのです。ところが法華経だけはそうではなくて、「この経を受持する女性は、他

の女性たちを越えるばかりでなく、すべての男性よりもなお勝れている」と認めていま

す。

法華経にほめられなば何か苦しかるべき

 結局こういうことなのです。女性にとっては、まわりのみんなに悪く言われているよ

りも、愛しいと思っている男性に好ましいと思われるに勝るkとはありません。そのよ

うに、すべての人が憎むというなら憎むにまかせましょう。ただ、釈尊・※ 2宝如来※ 3

方世界の諸仏から梵天王帝釈天日天月天らの神々さえが「愛しい者よ」とお思い

くださるならば、何の辛いことがありましょうか。法華経にさえほめられるならば、

どうして肩身の狭いことがありましょうか。

33の厄は転じて33の幸いとなるべし

 このたび33歳の厄年ということで、御布施をお送りいただきましたので、釈迦仏・法

華経・日天の御前に厄除けのご祈願をいたしました。そもそも人体には左右の肩があり

ますが、それぞれの肩に神がいらっしゃいます。一は※ 4名神、もう一は同生神と申しま

す。この二神は、梵天・帝釈天・日天・月天が人を守らせるために、その人が母の胎内

に宿った当初から生まれて一生を終わるまで、影のように、あるいは目のように付き添

っていまして、その人が悪事をはたらいたり善行を積んだりしたことを、露塵つゆちりほども残

さず天神に報告なさるのですよ。これは華厳経の入法界品の説について、天台大師が※ 5

訶止観の第8でくわしく解説なさっていることです。(つづく)


【語註】

 ※1 栄啓期:栄啓期は中国周代の人。栄啓期はこの世の楽しみとして、①人間とし
            て生まれたこと、②男として生まれたこと、③90歳まで生きたことーの3つを
            説いたという。この3つを三楽という。

 ※2 多宝如来:『法華経』見宝塔品で、『法華経』の説法が行われる所に宝塔とと
            もに出現し、説法の真実を証明し讃歎することを誓願していた過去仏。釈尊と
            多宝の二仏が並んで、釈尊滅後の弘通を付嘱する説法が展開されている。

 ※3 十方世界の諸仏:『法華経』見宝塔品で多宝仏の宝塔を開くに当たって四方・
            八方・十方から招集された諸仏。

 ※4 同名神、同生神:同名天、同生天のこと。人が生まれるとともに常にその人
            の両肩にいて、善悪の行為を記録して報告する神だとされる。

 ※5 摩訶止観:天台大師智顗の三大部の一つ。その第8に「城の主、剛ければ守る
            者強く、城の主が怯えれば守る者忙し。同名同生天は、これ神にして、よく人
            を守護す。心固ければすなわち強し。身の神、なおしかり」とある。

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【 2024/04/02 05:31 】

日蓮聖人の手紙 法華経の女人  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

法華経の女人 四条金吾殿女房御返事①

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

四条金吾殿女房御返事しじょうきんごどのにょうぼうごへんじ

文永12年(1275)正月27日、54歳、於身延、和文

 文永12年1月に四条金吾の夫人が33歳の厄年を迎えて、供養をしたことに対する手紙である。女人を軽視する経典や、外典の言葉を挙げつつ、『法華経』を受持する女性は「一切の女人にすぎたるのみならず、一切の男子にこえたり」というのだから、33の厄は、33の幸となると励ましている。

 所詮日本国の一切衆生の目をぬきたましいをまどはかす邪法、真言師には

すぎず。これはしばらくこれを置く。

 十は一切経と法華経との勝劣を説かせ給ふと見えたれども、仏の御

心はさには候はず。一切経の行者と法華経の行者とをならべて、法華経

の行者は日月等のごとし、諸経の行者は衆星燈炬しゅせいとうこのごとしと申す事を、

せんおぼしめされて候ふ。なにをもんてこれをしるとならば、第八のたと

の下に一の最大事のもんあり。いわゆるこの経文に云はく「有能受持是経うのうじゅじぜきょう

典者てんしゃ亦復如是やくぶにょぜ於一切衆生中亦為第一おいっさいしゅじょうちゅうやくいだいいち。=〔よくこの経典を受

持すること有らん者もまたまたかくのごとし。一切衆生の中においてま

たこれ第一なり〕」等云云。この二十二字は一経第一の肝心なり。一切

衆生の目なり。文の心は「法華経の行者はにちがつ大梵天だいぼんてん・仏のごと

し、大日経の行者は衆星・江河・凡夫のごとし」ととかれて候ふ経文な

り。さればこの世の中の男女僧尼は嫌ふべからず、法華経を持たせ給ふ

人は一切衆生のしう(主)とこそ、仏は御らん候ふらめ、梵王・帝釈たいしゃく

はあをがせ給ふらめとうれしさ申すばかりなし。

 またこの経文を昼夜に案じ朝夕によみ候へば、常の法華経の行者にて

は候はぬにはんべり。「〔この経典者〕」とて「しゃ」の文字は「ひと」

とよみ候へば、この世の中の比丘・比丘尼・うばそく・うばいの中に、法

華経信じまいらせ候ふ人々かとみまいらせ候へばさにては候はず。次ぎ

下の経文に、この「しゃ」の文字を仏かさねてとかせ給うて候ふには、

「〔もし女人ありて〕」ととかれて候ふ。

【現代語訳】
法華経をたもつ人は一切衆生の主

 詮ずるところ、日本国のすべての人々の、目をくらませ魂を迷わす邪法は、真言密教

の祈祷師のものに過ぎるものはありません。しかし、この件については今日は触れない

ことにします。

 法華経の薬王菩薩本事品に述べられている1※ 10の譬喩は、一切経と法華経との優劣をお

説きになっているように見えますが、釈尊のご本心はそうではありません。実は、一切

経の行者と法華経の行者とを比較して、法華経の行者は日や月のように光り輝く偉大な

存在であるのに対して、諸経の行者は星やともしびやたいまつの火のように無力なものだと

いうことを、究極の真理であるとお思いになって説いていらっしゃるのです。どうして

そのようなことがわかるかというと、第8番目の譬えの中に非常に大切なことが示され

ています。その経文というのは、「有能受持是経典者。亦復如是。於一切衆生中亦為第

一。=(よく法華経を受持する者も、またこれと同じで、一切衆生の中で第一にすぐれ

ている)」というのであってこの22字は法華経全体の中でも第一に肝心なところです。

一切衆生の眼目とすべき所です。この経文の内容は、「法華経の行者は日天・月天・大

梵天王・仏のように尊貴なものであり、それに比べれば大日経の行者は群星・江河・凡

人のように卑小なものである」ということなのです。ですから、この世の中の人は、在

俗の男女であるとか出家した僧尼であるとかいった区別なく、法華経を受持なさればす

べて一切衆生の主となるべき人であると、仏はご覧になることでしょうし、※ 2天王・帝

釈天は仰ぎ讃えなさることでしょう。そう思うと、嬉しさは言葉に出して言えないほど

です。
「者」とは女人のこと

 また、この経文を、昼に夜に思案し、朝に夕に読誦しますと、普通の法華経の行者と

は一味違ったものにおなりです。というのは、そこに「よく法華経を受持する者」とあ

りますが、その「者」の字は「ひと」と読みますので、この世の中の僧・尼および仏法

を信ずる在俗の男女の中の、法華経を信奉していらっしゃる人々一般のことを指すのか

と拝見しますと、そうではありません。なぜなら、この経文の後の方で、その「者」の

字について仏が再説なさっている所を見ますと、「もし女人あって、この薬王菩薩本事

品を聞いて、よく受持する者」と説かれており、「者」とは女性のことであることがわ

かるのです。(つづく)

【語註】

 ※1 
10の譬喩:法華経・薬王品で、法華経が最もすぐれた第一の経であることを説
            くために挙げた十の譬喩。もろもろの河江に対しては海が、諸山に対しては須
            弥山【しゅみせん】が、衆星に対しては月が、明るさでは日が、諸王の中では
            転輪聖王【てんりんじょうおう】が、三十三天の中では帝釈天が、衆生の中で
            は大梵天王が、凡夫より辟支仏【びゃくしぶつ】らが、三乗の中では菩薩が、
            諸法の中では仏法が、それぞれ第一であるように、法華経は一切経中の王であ
            るというのである。

 ※2 
梵天王:「梵」はブラフマンの音写で、ブラフマー神のこと。古代インドで世
      界の創造主、宇宙の根源とされたブラフマンを神格化したもの。仏教に取り入
              れられて仏法守護の神とされた。

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【 2024/03/30 05:38 】

日蓮聖人の手紙 法華経の女人  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

法華経の女人 乙御前母御書

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

乙御前母御書おとごぜんのははごしょ

文永10年(1273)11月3日、52歳、於佐渡一谷、和文

 乙御前の母は日妙聖人のこと。日妙聖人は鎌倉在住の女性檀越。夫と死別して久しく、しかも幼い女児(乙御前)をかかえる身でありながら、日蓮への帰依の志が深く、この前年には乙御前を連れて佐渡を訪ねている。その深い信心ゆえに、仏になることは必定と述べ、目連、章安、伝教、玄奘等が遠路はるかに法を求めたことに寄せて、女人の身で幾100里を遠しとせぬ求道の志を称えられている。

 をとごぜんのはは                   日 蓮

  いまは法華経をしのばせ給ひて仏にならせ給ふべき女人なり。かへ

  すがへす、ふみ(文)ものぐさき者なれども、たびたび申し候ふ。

  また御房たちをもふびん(不便)にあたらせ給ふとうけ給はる。申

  すばかりなし。

 なによりも女房のみ(身)として、これまで来て候ひし事。これまで

ながされ候ひける事は、さる事にて御心ざしのあらわるべきにやありけ

んと、ありがたくのみをぼへ候ふ。

 釈迦如来の御弟子あまたをはししなかに、十大弟子として十人ましま

ししが、なかに目犍連もくけんれん尊者と申せし人は神通第一にてをはしき。四てん

と申して日月のめぐり給ふところをかみすぢ髪筋一すぢき切)

らざるにめぐり給ひき。これはいかなるゆへぞとたづぬれば、せんしや

う(先生)に千里ありしところをかよいて仏法を聴聞せしゆへなり。ま

た、天台大師の御弟子に章安と申せし人は、万里をわけて法華経をきか

せ給ひき。伝教大師は三千里をすぎて止観をならい、玄奘三蔵は二十万

里をゆきて般若経を得給へり。

 道のとをきに心ざしのあらわるるにや。かれは皆男子なり。権化ごんげの人

のしわざなり。今御身は女人なり。ごんじち(権実)はしりがたし。い

かなる宿善にてやをはすらん。

 昔女人すいをと(好夫)をしのびてこそ或は千里をもたづね、石とな

り、木となり、鳥となり、蛇となれる事もあり。

 十一月三日                    
日 蓮 花押

 をとごぜんのはは

  をとごぜんがいかにひとなりて候ふらん。法華経にみやづかわせ給

 ふほうこう(奉公)をば、をとごぜんの御いのちさいわいになり候は

 ん。

【現代語訳】

 乙御前の母よ。                          日 蓮

  あなたは、もはや法華経への信仰心が浸みわたって、当然、成仏なさる女性です。

  手紙というものは面倒なものですけれども、このことは大切なことなので、たびた

  び申し上げる次第です。どうか、自信をもってますますご信仰にお励みください。

  それから、鎌倉にいる弟子の僧侶方に対しても、いろいろとご外護げごくださっている

  と聞いております。感謝の気持はことばで言いつくせないほどです。

 さて過日、女性の身でありながら、わざわざこの佐渡が島まで訪ねて来てくださった

のは、なみたいていのことではなくて、まるで、私が佐渡に流されたのは、私自身の問

題ではなくて、あなたの法華経信仰の深さを表わすために起きた事件なのではないかと

さえ思われて、ありがたさで胸がいっぱいです。このことについて思い起こされる話を

2つ3つ記しましょう。

 釈迦如来のたくさんのお弟子たちの中で代表的な十人を十大弟子と言っていますが、

その一人の※ 1
連尊者は、神通力がすぐれていることで第一の方でした。※ 2天下といっ

て日月の光の届く範囲の全世界を、髪の毛一本そこなうことなく修行し布教して巡られまし

た。どうしてそのようなことができたかといいますと、前世において千里の道をかよって

釈尊の説法をお聞きした功徳のおかげですまた天台大師のお弟子の章安 ※ 3 しょうあんという人

万里の道のりを隔てた大師を尋ねて法華経の教えを聴聞されました。あるいはまた

教大師は、3000里の海山を越えて中国で※ 4訶止観を習学し、中国の玄奘三蔵は、20万里

の長途を克服してインドから般若経を伝来なさいました。

 このように、道が遠いことによって、その難儀に堪えた人の志の深さが推し測れると

言うものでしょう。それにしても章安たちはみな男性です。そして仏菩薩が人の身とな

って現われた権現さまの仕事をしました。ところがあなたは五障があるといわれる女性

です。権現さまにせよ本当の仏菩薩にせよ縁の遠い存在のはずです。それなのに成仏が

確実であるというのは、前世でどんな善業をお積みになったというのでしょうか。

 昔、女が、愛しい男を恋い慕うあまり、あるいは1000里の道をも遠しとせずに跡を追

ったり、あるいは帰ってくるのを待ち続けてその場で石や木になってしまったり、ある

いはまた鳥や蛇に生まれ変わって慕いつづけたという話が伝えられています。それらと

同じように、今のあなたは、法華経にすべてを捧げつくしていらっしゃるから、わざわ

ざ佐渡までおいでになって、法華経の行者である私をご供養くださり、またご自身の信

仰の深さと成仏の確かさとをお示しになったのでしょう。

 十一月三日                         
日 蓮  花押

 乙御前の母よ

  乙御前はどんなに大きくなったことでしょうか。あなたが法華経の教えを守ってい

らっしゃるその功徳は、きっと乙御前の生涯を幸せなものとすることでしょう。

【語註】

 ※1 目犍連:目連ともいう。バラモンの子であったが舎利弗【しゃりほつ】に誘わ
            れて仏弟子に加わり、神通第一として十大弟子の一人に加えられた。餓鬼道に
            堕ちた母青提女【しょうだいにょ】を救ったことが盂蘭盆会の起源とされる。

 ※2 四天下:須弥山【しゅみせん】の四方の大海にある四つの大陸。弗婆提【ほつ
        ぼだい】(東)・閻浮提【えんぶだい】(南)・瞿陀尼【くだに】(西)・欝
            単越【うったんのつ】(北)の四州をいう。人間が住んでいるのは閻浮提であ
            る。

 ※3 章安大師:中国天台の第二祖灌頂【かんじょう】。22歳の折に天台山修禅寺へ
          赴いて智顗から天台の教観を習い、爾後14年間、智顗の入滅にいたるまで随侍
            した。智顗の没後その遺教百余巻を集収記録して後代に伝えるとともに、自ら
            も多くの著述を世に残した。

 ※4 摩訶止観:法華玄義・法華文句とともに天台三大部の一で、天台宗の実践法門
            である観心の方法を説く。

【解説】

 手紙の中に「道の遠きに心ざしのあらわるるにや」と、あります。遠路遥かに法を求

めた人物として日蓮があげたうちの一人である玄奘三蔵は、経典を求めて中国からイン

ドへ17年間、20万里の旅をしました。そうしてもたらされた経典を求めて日本から荒波

を越え、中国へ渡った人たちが大勢いました。

 日蓮は釈尊の真意をつかむためまさしく命を懸けられました。真理を求める人は常に

命懸けです。

 そんな求道者に共通する心は「できるか、できないか」ではなく「やるか、やらない

か」の腹のくくりの有無だったのです。何事も初めの志、すなわち「初一念」が最も重

要なのです。

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【 2024/03/07 05:39 】

日蓮聖人の手紙 法華経の女人  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

法華経の女人 日妙聖人御書⑥

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

日妙聖人御書にちみょうしょうにんごしょ

 実語の御経をば正直の者心得候ふなり。今実語の女人にておはすか。

まさに知るべし、須弥山しゅみせんをいただきて大海をわたる人をば見るとも、こ

の女人をば見るべからず。砂をむして飯となす人をば見るとも、この女

人をば見るべからず。まさに知るべし、釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸

仏、上行・無辺行等の大菩薩、大梵天王・帝釈・四王等、この女人をば

影の身にそうがごとくまほり給ふらん。日本第一の法華経の行者の女人

なり。故に名を一つつたてまつりて不軽菩薩の義になぞらえん。日妙聖

人等云云。

 相州鎌倉より北国佐渡の国、その中間一千余里に及べり。山海はるか

にへだて山は峨峨、海は濤濤。風雨時にしたがう事なし。山賊海賊充満

せり。すくすく(宿々)とまりとまり(泊々)民の心虎のごとし犬のご

とし。現身に三悪道の苦をふるか。その上当世の乱世去年より謀叛の者

国に充満し、今年二月十一日合戦。それより今五月のすゑいまだ世間安

穏ならず。しかども一(ひとり)の幼子あり。あづくべき父もたのもし

からず。離別すでに久し。かたがた筆も及ばず。心わきまへがたければ

とどめ了んぬ。

文永九年〈太歳壬申みずのえさる〉五月二十五日         
日 蓮 花押

日妙聖人

【現代語訳】

 仏の真実のお言葉である法華経を信仰なさるのは、正しく直き心の方でいらっしゃい

ます。まさにあなたは、その仏の真実のおことばを信じる女性でいらっしゃるというこ

とでしょう。確かに云えることは、須弥山を抱いて大海を歩き渡る人を見つけることが

出来たとしても、前記のような女性を発見することは困難だということです。あるいは

砂を蒸して米飯を作り上げる人を見つけることが出来たとしても、前記のような女性を

発見することは困難であるのです。そしてまた確かに言えることは、釈迦如来・多宝如

来・十方世界の無数の浄土にいらっしゃる分身の諸仏、また上行菩薩や無辺行菩薩など

の大菩薩、それから大梵天王・帝釈天・四天王らの尊者たちが力を合わせて、前記の女

性を、影の身に添うようにお護りくださるに違いないということです。そのような意味

で、まさにあなたは日本第一の法華経の行者の女性であります。そこで法名をひとつお

つけ申し上げて、常不軽菩薩が人々の未来成仏を保証なさった故事の跡を踏むことにい

たしましょう。法名を「日妙聖人」と号します。

 あなたが相州鎌倉からわざわざ訪れて下さったここ北国佐渡の国までは、その間1000

余里に及びます。山・海を遥かに隔てており、山は峨々としてそびえ、海は濤々として

高鳴り、風雨が時を定めず襲いかかり、山賊や海賊がのさばりまわっています。宿泊を

重ねた所々の人の心は、虎のように犬のように恐しいものです。生身のままで三悪道の

苦しみを経験したように思われます。その上、今は世が乱れて、去年から謀叛者が国に

満ちあふれ、今年の※ 1月11日に合戦があって、それから現在5月の末まで世間は不安な

状態が続いています。そうだというのに、あなたは一人の幼な子をかかえており、その

子を養育するはずの父親はいません。離別してからもうずいぶん久しいですね。それら

のことを思えば、お気の毒で筆を進めることも出来なくなります。胸がつまって考えが

まとまりませんので、これで止めます。ごめん下さい。

文永九年〈太歳壬申〉五月二十五日                日 蓮  花押

日妙聖人

【語註】

 ※1 2月11日に合戦:北条時輔の乱のこと。

【解説】

 この手紙において「日妙聖人」と名付けられる女性が、鎌倉から佐渡へ来訪したのは

文永9年5月、龍口の法難から8カ月後のことであった。鎌倉では、多くの弟子檀那た

ちは牢に入れられたり、所領を没収されたり、追放されるという目に遭っていた。「千

が九百九十九人は堕ちて候」(『新尼御前御返事』)といった状況下にあっても、この

女性は信心を貫き、幼い娘(乙御前)を伴って佐渡まで日蓮を訪ねて来た。

 
「相州鎌倉より北国佐渡の間其の中間一千余里」という道の遠さもさることながら、

世相もすさんでいた。山賊や海賊が横行しているだけでなく、2月には北条時輔の乱と

いう京都と鎌倉で同時多発的に企てられた謀叛を鎮圧する内乱があったばかりで、「今

五月のすゑ、いまだ世間安穏ならず」といった有様であった。その中で、危険を冒して

母娘二人の佐渡来訪であった。しかも、帰りの旅費がおぼつかないことを知って、日蓮

は『法華経』一部10巻を渡すことを条件として、一谷入道に旅費を借金し、それを持た

せて帰したほどであった。

 日蓮は、釈尊の六波羅蜜の修行や、玄奘三蔵と伝教大師の求法の旅と比較して、この

女性の求法の志は劣るものではないと称讃する。しかも、それらの求法者たちがすべて

男性であることにも比してこの女性の志を称えて日本第一の法華経の行者の女人

と称し、常不軽菩薩の義にならって「日妙聖人」という名前を与えた。

 「聖人」とは、一般に徳が高く、高潔な人格の教祖や高弟を称するものである。その

ことを考えても、日蓮は、男女を分け隔てすることはなかったことが分かる。

 「風はつなぐとも、とりがたきは女人の心なり」とか、「女人をば河に譬へたり。一

切まがられるゆえなり」とあるのは、日蓮の女性観を述べたものではないことに注意し

なければならない。『法華経』以外の経典や、世間で言われている考えであり、日妙聖

人との違いを比較するために並べられたものである。

 手紙の末尾に、幼子を「あづくべき父もたのもしからず。離別すでに久し」とあるこ

とから、この女性は、夫とは生別であったのであろう。日蓮は、身延に入山後も寡婦と

なって久しい母娘の行く末を見守り続けた。 


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【 2024/03/05 05:43 】

日蓮聖人の手紙 法華経の女人  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |
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