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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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法華経の行者 松野殿御返事②

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

松野殿御返事まつのどのごへんじ

 しかるに予は凡夫にて候へども、かかるべき事を仏かねて説きをかせ

給ひて候ふを、国主に申しきかせ進らせ候ぬ。それにつけて御用ひは無

くしていよいよあだをなせしかば力及ばず。この国既に謗法ほうぼうと成りぬ。法

華経の敵に成り候へば三世十方の仏神の敵と成れり。御心にも推せさせ

給ひ候へ。

 日蓮何なる大科たいか有りとも法華経の行者なるべし。南無阿弥陀仏と申さ

ば何なる大科有りとも念仏者にて無しとは申しがたし。南無妙法蓮華経

と我口にも唱へ候ふ故に、ののしられ、打ちはられ、流され、命に及びしか

ども、勧め申せば法華経の行者ならずや。

 法華経には行者を怨む者は阿鼻あび地獄の人と定む。四の巻には「仏を一

こう罵るよりも末代の法華経の行者をにくむ罪深し」と説かれたり。

七の巻には「行者の軽しめし人々、千劫阿鼻地獄に入る」と説き給へ

り。五の巻には「我が末世末法に入つて法華経の行者有るべし。その時

その国に持戒破戒等の無量無辺の僧等集まりて国主に讒言ざんげんして、流し失

ふべしと説かれたりしかるにかかる経文かたがた符合し候ひ了ん

未来に仏に成り候はん事疑ひなく覚え候ふ。委細は見参の時申すべ

し。

建治四年〈戊寅つちのえとら〉二月十三日           日 蓮 花押

松野殿御返事
 
【現代語訳】
受難と法華経の行者の確信

 ところが私は、自分自身は凡夫ですが、仏のお説に、日本は悲惨な状態に陥ることが

予言されている旨を国主に申し伝えておきました。ところが国主はそのことをご信用な

さらず、ますます迫害を加えるのでいたしかたありません。日本はもう謗法の国となっ

てしまいました。法華経の敵となったのですから、三世にわたる十方の諸仏諸神を敵に

まわしたことになります。眼前に展開する惨禍の根源をよくよくご推察なさってくださ

い。

私は、どんなに大きな罪科を負ったとしても法華経の行者であることに変わりはありま

せん。それは、南無阿弥陀仏と念仏を唱える人が、どんな大罪に陥っても念仏者でない

とは言えないのと同じです。私は、南無妙法蓮華経と高声に唱えるために、罵倒された

り、打擲ちょうちゃくされたり、配流されたり、ついには生命の危機を体験しましたが、それでも

ふるむことなく、南無妙法蓮華経の信行を人に勧説しているのですから、法華経の行者で

ないはずがありません。

 法華経には、法華経の行者を敵視する者は必ず阿鼻地獄に堕ちると説かれています。

すなわち第四巻の法師品には「仏を一中劫のあいだ罵り続ける罪よりも、末法時代に出

現した法華経の行者をにくむ罪の方が深大である」とあり、第七巻の不軽品には「法華経

の行者を軽侮した人々は、千劫のあいだ無間地獄に堕ちる」とあり、第五巻の勧持品に

は「仏の滅後、末世・末法に入って法華経の行者が出現するであろう。その時、その国

に、持戒の僧も破戒の僧も数えきれないほど集まって国主に讒言をし、法華経の行者を

流罪・死罪に遭うようにする」と説かれています。ところが、これらの経文は、どれも

これも私の身の上に合致しました。だから私は間違いなく法華経の行者であり、未来に

仏になれることは疑いないと思われます。委細はまたお目にかかった時に申し上げまし

ょう。

建治四年〈戊寅〉二月十三日                   日 蓮  花押

松野殿御返事

【解説】

 日蓮が「松野殿」と言っているのは、駿河国松野郷(現・静岡県庵原郡富士川町)の

領主であった松野六郎左衛門入道とその嫡男松野六郎左衛門尉の2人で、それぞれの妻

たちは、前者は「松野尼(御前)」「松野殿後家尼(御前)」、後者は「松野殿女房」

と呼ばれている。

 松野六郎左衛門入道の次男は、弘長(1261~64)の頃に岩本実相寺に入って出家し、

当時そこに住していた日興の弟子となったが、これが後に六老僧の一人に数えられ、海

外布教の祖とされてる蓮華阿闍梨日持である。また入道の娘には、富士群上野の南条兵

衛七郎に嫁して、南条七郎次郎時光や南条七郎五郎を生んだ上野尼がいるので、松野一

族は日持や上野尼の縁によって日蓮に帰依し、日蓮晩年の有力な外護者となったのであ

る。

 日蓮が生きた時代には、飢饉や疫病などの災害がうち続き、人々は餓死や病に倒れ、

これに加えて蒙古襲来という民族的危機に直面し、人々は殺され傷つき、別離をよぎな

くされる非情は現実が繰り広げられた。

 飢饉・疫病は、餓鬼の世界をあらわした。文永・建治から弘安年間にかけても、飢饉

と疫病が全国的に広がった。その凄まじい現実は、この手紙の前半に記されている。

 「日本国は数年間飢饉が続いて、衣食がなくなり、家畜を食いつくした後には、とう

とう人肉を食う者まで出て、あるいは死人、あるいは幼児、あるいは病人たちの肉を切

り裂いて、魚や鹿の肉に混ぜて売ったので、みんな、知らないうちに人肉を買って食っ

ています。日本は、思いもよらないような大悪鬼の国となってしまった」と、驚くべき

悲惨な様相を書き示している。この時も疫病によって半分は病死するか、家族と死別せ

ねばならなかった。

 日蓮は、こうした災害や戦乱という日本全体に共通する時代苦を自己の痛苦として受

け止め、衆生の同一の苦を自らが代わって背負い、苦の衆生を救済するという代受苦の

精神に立脚していた、日蓮は、苦悩を抽象化したり心の悩みという観念の中に閉じ込め

たりしていない。社会的苦嘆が精神をも悪道に落とし込む事実を、どろどろした現実へ

の直視を通してつかんでいる。そして、苦の衆生と連帯しながら仏教がこの解決にいか

に応えるべきかを追求したのである。


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【 2024/03/28 05:39 】

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法華経の行者 松野殿御返事①

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

松野殿御返事まつのどのごへんじ

建治4年(1278)2月13日、57歳、於身延、和文

 人命の無常さを、社会の惨状の中でとらえ、迫害に退することなく法華経の行者として生きて来た確信を披歴している。飢渇・疫病に命を失っていく現実の凄まじさを直視する。

 種種の物送り給ひ候ひ了んぬ。

 山中のすまゐ思ひらせ給ふて、雪の中ふみ分けて御とぶらひ候ふ事、御

志定めて法華経、十羅刹じゅうらせつ知食しろしめし候ふらん。

 さては涅槃ねはん経に云はく「〔人命の停らざることは山水にも過ぎたり、

今日存すといえども明日保ちがたし〕」文。摩耶まや経に云はく「〔譬えば

旃陀羅せんだらの羊を駈けて
家に至るがごとし、人命もまたかくのごとく歩歩

死地に近づく〕」文。法華経に云はく「〔三界は安きこと無し、なお火

宅のごとし。衆苦充満して、はなはだ怖畏すべし〕」等云云。これらの

経文は我等が慈父大覚世尊、末代の凡夫をいさめ給ひ、いとけなき子ど

もをさし驚かし給へる経文なり。

 しかりといえども須臾すゆも驚く心なく、刹那も道心をおこさず、野辺に捨

てられなば一夜の中にはだかになるべき身をかざらんがために、いとま

を入れきぬを重ねんとはげむ。命終わりなば三日の内に水と成りて流れ、

塵と成りて地にまじはり、煙と成りて天にのぼりあともみへずなるべき

身を養はんとて、多くのたからをたくはふ。このことはりは事にふり候ひ

ぬ。

 ただし当世とうせていこそ哀れに候へ。日本国数年の間、打ち続きけかちゆ

ききて衣食たへ、畜るひをば食つくし、結句人をくらう者出来しゅったいして、

或は死人・或は小児・或は病人等の肉を裂き取りて、魚鹿等に加へて売

りしかば人これを買ひくへり。この国存の外に大悪鬼となれり。

 また去年こぞの春より今年の二月中旬まで疫病国に充満す。十家に五家、

百家に五十家、皆やみ死し、或は身はやまねども心は大苦にあへり。

やむ者よりも怖しおそろ。たまたま生き残れりたれども、或は影のごとくそ

(添)ゐし子もなく、眼のごとくかおをならべし夫婦もなく、天地のごと

たのしみし父母もおはせず、生きても何にかせん。心あらん人々いかでか

世をいとはざらん。「〔三界は安きことなし〕」とは仏説き給ひて候へど

も法に過ぎて見え候ふ。

【現代語訳】
社会の惨状と命の無常さ

 いろいろのお品をお送りいただきました。お礼申し上げます。

 過日は、山中での不自由な生活を思いやりくださって、わざわざ深い雪を踏み分けて

お訪ねくださいましたこと、そのご誠意は、きっと法華経も※ 1羅刹女もお認めくださっ

ているでしょう。

 さてさて涅槃経に「人の命がとどまらないことは山中の急流よりも甚だしい。今日、存

在したといっても明日まであるかどうかわからない」とあり、※ 2耶経に「たとえば※ 3

羅が羊を追いたてて
家に至るようなものだ。人命もまたそのように一歩一歩死地に近

づくとあり法華経には三界は安らかであることがない、まるで火宅のようなもの

だ。いろいろな苦しみが充満していて甚だ怖畏すべき所である」とあります。これら

は、私たちの慈父でいらっしゃる大覚世尊が、人生の無常であることを末代の凡夫にお

教えになり、幼稚な子どもをハッと目ざめさせなさる経文です。

 しかしながら、その道理にすこしも気がつかず、寸時も仏道心を発さず、死んで野辺

に捨てられたならば、一夜のうちに裸になってしまう身を飾りたてようとして、無駄な

時間をかけ、衣服を重ねようと努める。あるいはまた、死ねば三日ほどの短い間に、水

となって流れ去り、塵となって地に混じり、煙となって空に昇り、跡形もなくなってし

まう身を保ち養おうとして、多くの財産を貯える。そういう浅はかな人間の営みについ

ては、昔からよくいわれていることです。

 それにしても、今の世の状態は悲惨です。日本国は数年間飢饉が続いて、衣食がなく

なり、家畜を食いつくした後には、とうとう人肉を食う者まで出て、あるいは死人、あ

るいは幼児、あるいは病人たちの肉を切り裂いて、魚や鹿の肉に混ぜて売ったので、み

んな、知らないうちに人肉を買って食っています。日本は、思いもよらないような大悪

鬼の国となってしまったのです。

 また、去年の春から今年の2月中旬まで、流行病が国じゅうに蔓延まんえんしました。10軒に

5軒、100軒に50軒の家の人々がみな病死し、あるいは病気にかからない人でも精神的

には大変な苦痛を味わいました。その恐怖感は病人にもまさるほどでした。たまたま生

き残ったとしても、あるいは影のように付き添っていた子に死なれ、あるいは両眼のよ

うに顔を並べていた夫や妻と別れ、あるいは天地のように頼りにしていた父母を失った

のでは、生きていても何の意味がありましょうか。分別のある人々はどうして人生を嫌

悪しないでいられましょうか。「三界は安らかなことがない」とは仏が説いていらっし

ゃることですが、それにしても現今の日本国の状態はあまりにひどすぎるように思わ

れます。(つづく)

【語註】

 ※1 
十羅刹女:法華経・陀羅尼品【だらにほん】に登場する十種の女鬼で、法華経
            の守護神である。日蓮の時代には鬼子母神の子であるとする説があった。

 ※2 摩耶経:釈尊の母摩耶は産後7日で死亡して漁利天【とうりてん】に昇った
            が、その母を供養するために漁利天へ赴いた釈尊が母と協力して法を説く前半
            と、下界にもどった釈尊が涅槃に入るのを悲しんで娑羅林まで降りてきた母に
            対して、釈尊と弟子の阿難とが説法する後半とより成る物語性の豊かな経典。

 ※3 旃陀羅:梵語チャンダーラを音写した語。インドで身分を差別した四姓にも入
           れられない賎民のこと。日蓮は、竜ノ口法難から佐渡へ流される時点で、自分を
           旃陀羅であると位置づけたが、これは法華経が絶対平等の教えであり、その光に
           照らされれば仏も旃陀羅も一体不二であるという宗教的世界を体現した、その法
           華経の行者としての自覚の宣言である。

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【 2024/03/26 05:40 】

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法華経の心 智慧亡国御書④

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

智慧亡国御書ちえぼうこくごしょ

 今の代には正嘉の大地震、文永大せひせひ(彗星)の時、智慧かしこ

き国主あらましかば日蓮をば用ひつべかりしなりそれこそなから

文永九年のどしうち(同士打)、十一年の蒙古のせめの時は、周の

文王の大公望をむかへしがごとく、殷の高丁王の傅悦ふえつを七里より請せし

がごとくすべかりしぞかし。日月は生盲の者には財にあらず。賢人をば

愚王のにくむとはこれなり。しげきゆへにしるさず。法華経の御心と申

すはこれてひの事にて候ふ。外のこととをぼすべからず。

 大悪が大善の来るべき瑞相なり。一閻浮提いちえんぶだいうちみだすならば、閻浮提

内広令流布はよも疑ひ候はじ。

 この大進阿闍梨 だいしんあじゃりを故六郎入道殿の御はかへつかわし候ふ。むかしこの

法門を聞きて候ふ人々には、関東の内ならば、我とゆきてそのはかに自

よみ候はんと存じて候ふ。しかれども、当時のありさまは日蓮かし

こへゆくならば、その日に一国にきこへ、またかまくらまでもさわぎ候

はんか。心ざしある人なりとも、ゆきたらんところの人、人め(目)を

をそれぬべし。いままでとぶらい候はねば、聖霊いかにこひしくをはす

らんとをもへば、あるやうもありなん。そのほどまづ弟子をつかわして

御はかに自我偈をよませまいらせしなり。その由御心へ候へ。恐恐(後

欠)

【現代語訳】

 現代のことを言えば、正嘉の大地震や文永の大彗星など不吉な天災が続いた時に、智

恵のある賢王が位についていたら、私の進言を用いたに違いないでしょう。またそれが

なかったとしても、今度の文永9年(1272)の内乱や同11年の蒙古襲来の時には、あの

周の文王が大公望を迎えたようにあるいは殷の高丁王が傅悦を7里より招いたように、

私を登用しなければいけないことでした。照り輝く日月も目の見えない人には役に立ち

ません。賢人を愚王は憎むといいますが、私と今の国王との関係はそのようなもので

す。あまり繁瑣になるのでこれ以上は書きませんが、法華経の「諸法実相」とは結局の

ところ、いま述べたような内容の教えなのです。現実からは遠い理論だとお思いになら

ないでください。

 大悪がはびこるのは、大善が実現する瑞相です。だから世界中に害悪が充満して混乱

に陥れば、逆に、唯一の正法である法華経の題目が世界中に広く流布することの疑いな

い瑞相と思ってよいでしょう。

 この※ 1進阿闍梨を※ 2六郎入道殿の御墓参にさしむけます。私は、いろいろな弾圧を受

けながらも私の法門に賛同して行動をともにした古い同志たちが亡くなった場合には、

関東の内であるならば、自分自身でお参りして※ 3我偈を読誦しようと思っています。し

かし、今の世の中の状況は、私がそちらへ行くと、その日のうちに情報が国じゅうに広

がり、それが鎌倉までも伝わって騒ぎが大きくなるように思われます。私に志を通わせ

ている人であっても、訪問をすると、周囲の人の目を恐れることになって迷惑でしょ

う。そのようなことを考えて今まで参詣しないでいるので、故六郎入道の聖霊は、どれ

ほど私のことを恋しがっていらっしゃるだろうかと思うと、何ともじっとしていられな

い気持ちです。そのような次第で、まず弟子の大進阿闍梨をさしむけて、お墓に自我偈

をあげさせたのです。そのことをご承知ください。恐々(後欠)

【語註】

 ※1 
大進阿闍梨:日蓮の門弟で、富木氏・曾谷氏・四条氏らと縁の深い鎌倉在住の
            人物。竜の口法難以前にすでに阿闍梨号で呼ばれている高足であったが離反
            し、一時は復帰したものの再度離反して、かつての同信者たちを迫害した。弘
            安2年(1279)8月、落馬して死去。

 ※2 故六郎入道:高橋六郎兵衛入道のこと。駿河国賀島荘(静岡県富士市加島町周
            辺)に住んでいた門下であり、夫婦ともども信心に励みながら駿河の広布を支
            えていたと思われる。

 ※3 自我偈:法華経・如来寿量品の偈文。「自我(得仏来)」という語句で始まる
            偈というこ。日蓮は、一切経の眼目は法華経にあり、法華経の魂魄は自我偈に
            込められているとするが、それは、自我偈には、久遠実成の本仏釈尊が常住す
            る浄土とはこの娑婆世界にほかならないということ、したがってわれわれは至
            心の信行によりこの身このままで本仏と同化し仏となることができるという仏
            法の精髄が明示されているからである。

【解説】

 日蓮はこの手紙で、儒教・仏教における治世の歩みを示し、精神の腐敗が深まる悪世

末法の時代認識に立って、これを根本的に解決しようとしない治世の方策や偽善的な思

想を相待論から批判した。他方、絶待論の立場から、たとえ主観的には仏教を知らなく

ても、人民の困窮や嘆きを助けた人の心に、仏法の智慧が生かされている、と延べ、釈

尊の使いとして人民を救助した行為をとらえている。この両面に立って、「善悪の根本

枝葉を覚りきわめた」仏のありようを継承しつつ、人間の善悪の心をつかみ「世間の法

より外に仏法を行なわず、世間を治める法をよくよく心える」法華経の智者によって、

現世の安穏と治世が実現することを説くのである。

 日蓮が、災難や戦乱の根源と対策を明確にし、その故に受難を蒙った事実は、法華経

を理論にとどめず、「法華経の仏意」を実践したものであり、ここから仏の智慧に等し

い「法華経の智人」としての自覚を明らかにしたのである。亡国の「智慧」の批判を通

じて法華経の智者とは救国の智慧を社会政治に体現していく法華経の行者でもある、

という立正安国の道を指し示したものと言えよう。

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【 2024/03/23 05:40 】

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法華経の心 智慧亡国御書③

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

智慧亡国御書ちえぼうこくごしょ

 法華経の第一の巻の「〔諸法の実相〕」ないし「〔ただ仏と仏と乃し

よく究尽ぐうじんす〕」ととかれて候ふはこれなり。「本末究竟」と申すは、

「本」とは悪のね(根)善の根、「末」と申すは悪のをわり善の終わり

ぞかし。善悪の根本枝葉をさとり極めたるを仏とは申すなり。

 天台云はく「〔それ一心に十法界を具す〕」等云云。章安云はく

「〔仏なおこれを大事となす。何ぞ解し易きことを得べけんや〕」妙楽

云はく「〔すなはちこれ終窮究竟の極説なり〕」等云云。法華経に云は

く「〔皆実相と相い違背せず〕」等云云。天台これを承けて云はく

「〔一切世間の治生産業は皆実相と相い違背せず〕」等云云。

 智者とは世間の法より外に仏法を行はず。世間の治世の法をよくよく

心へて候ふを智者とは申すなり。

 いんの代の濁りて民のわづらいしを、大公望たいこうぼう出世して殷のちゅうくびを切

りて民のなげきをやめ、二世王が民の口ににがかりし、張良出でて代を

をさめ民の口をあまくせし。これらは仏法以前なれども、教主釈尊の御

使ひとして民をたすけしなり。外経の人々はしらざりしかども、彼らの

人々の智慧は内心には仏法の智慧をさしはさみたりしなり。

【現代語訳】

 法華経第一巻の方便品に、「諸法の実相」について、それは相・性・体・力・作・

因・縁・果・報の一つ一つが全部そなわり、その本末が一分の狂いもなく調和しているも

のなのだが、その実相は「ただ仏と仏とのみいましよく究め尽くす」と説かれていますが、

これは、仏がいま述べたところの仏法の実質と世間の現実とが別のものではないことを

言っているのです。また法華経のその一節に「本末究竟」とありますが、この「本」と

は善悪の根源であり、「とはが一つ一つの事実として現われた枝葉であるので

す。そういう善悪の根本から枝葉までの因果関係を一括して覚ったお方が仏なのです。

 これらの真理を別の文献で示すならば、天台大師は摩訶止観会本に「それ一心に十法

界を具える」といい、

 智者というものは、世の中の現実の相と関わりないような仏法を実践することはあり

ません。つまり、政治・経済その他の世を治める手だてをよくよく心得ながら仏法を修

行する者をこそ智者というのです。

 中国で、殷の紂王の悪政により世が乱れ人民が苦しんだ時には大公望が世に出て王の

首を切り人民の悩みを除きました。また秦の二世王の酷政で人民が逼迫ひっぱくした時には張良

が世に出て善政を敷き人民の生活を豊かにしました。これらは仏法伝来以前のことです

が、大公望や張良は教主釈尊の御使いとして人民を助けたのです。外経の人々は知らな

かったのですが、大公望や張良の智恵は、内実は仏法の智恵を包み込んでいたものでし

た。(つづく)

【語註】

 ※1 章安大師:中国天台の第二祖灌頂。22歳の折に天台山修禅寺へ赴いて智顗【ち
            ぎ】から天台の教観を習い、爾後14年間、智顗の入滅にいたるまで随侍した。
             智顗の没後その遺教百余巻を集収記録して後代に伝えるとともに、自らも多く
            の著述を世に残した。

 ※2 妙楽大師:中国天台第六祖湛然【たんねん】。法華文句疏記・摩訶止観輔行伝
            弘決・法華玄義釈籤といったいわゆる天台三大部の注釈書をはじめ、天台智顗
            の著述の多くに注釈を加えて天台教学の正義を伝え広めた。日蓮は湛然の業績
            を賞揚している。

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【 2024/03/21 05:31 】

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法華経の心 智慧亡国御書②

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

智慧亡国御書ちえぼうこくごしょ

 今の代は外経も、小乗経も、大乗経も、一乗法華経等も、かなわぬよ

(世)となれり。ゆへいかんとなれば、衆生の貪・瞋・癡の心のかしこ

きこと、大覚世尊の大善にかしこきがごとし。譬へば犬は鼻のかしこき

事人にすぎたり。また、鼻の禽獣をかぐことは、大聖の鼻通にもをとら

ず。ふくろうがみみ(耳)のかしこき、とびの眼のかしこき、すずめの

舌のかろき、りうの身のかしこき、皆かしこき人にもすぐれて候ふ。そ

のやうに末代濁世の心の貪欲・瞋恚・愚癡のかしこさは、いかなる賢人

聖人も治めがたき事なり。その故は貪欲をば仏不浄観の薬をもて治し、

瞋恚をば慈悲観をもて治し愚癡をば十二因縁観をもてこそ治し給ふ

いまはこの法門をとひて、人ををとして貪欲・瞋恚・愚癡をますな

り。譬へば火をば水をもつてけす、悪をば善をもつて打つ。しかるにか

へりて水より出でぬる火をば、水をかくればあぶらになりて、いよいよ

大火となるなり。

 今、末代悪世に世間の悪より、出世の法門につきて大悪出生せり。こ

れをばしらずして、今の人々善根をす(修)すれば、いよいよ代のほろ

ぶる事出来せり。今の代の天台真言等の諸宗の僧等をやしなうは、外は

善根とこそ見ゆれども、内は十悪五逆にもすぎたる大悪なり。しかれば

代のをさまらん事は、大覚世尊の智慧のごとくなる智人世に有りて、仙

予国王のごとくなる賢王とよりあひて、一向に善根をとどめ、大悪をも

て八宗の智人とをもうものを、或はせめ、或はながし、或はせ(施)を

とどめ、或は頭をはねてこそ、代はすこしをさまるべきにて候へ。

【現代語訳】

 ところが今の世は乱れに乱れて、外経も、小乗経も、大乗経も、一乗経である法華経

も、みな通用しないようになりました。なぜなら、人々の貪欲・瞋恚・愚痴の強烈なこ

とは、大覚世尊の大善の壮麗さに比べても劣らないほどに凄いからです。たとえば、犬

嗅覚きゅうかくの鋭さは人間の遠く及ばないところです。そして鳥や獣の臭いをかぎつける能

力は、世尊の鼻根神通力に匹敵するほど勝れています。あるいは、ふくろうの耳が小さな音

を聞きつけること、とびの目が遠くのものを見つけること、雀の舌が軽くまわること、竜

の身のこなしが敏捷びんしょうなこと、どれもこれも、どんな優秀な人よりも勝っています。そ

のように、末法濁悪の世の人心の貪欲・瞋恚・愚痴の強烈さは並はずれていて、どんな

賢人・聖人が出現しても鎮めることができません。なぜなら、昔は仏が、貪欲という病

気は※ 1浄観という薬で、瞋恚という病気は※ 2悲観という薬で、愚痴という病気は※ 3二因

縁観という薬ですっきりとお治しになったのですが今は、あまりに病気が重いので、

それらの教えを説くと、かえって人を堕落させて貪欲・瞋恚・愚痴を増大することにな

ります。たとえば、火は水で消し、悪は善で懲らしめるものですが、猛火に水をかける

とまるで油をかけたようにかえって火勢が強くなるようなもので、極悪のものを善に導

こうとするとかえって反発して救いようのない悪道に陥るのです。

 現今の末法濁悪の世にあっては、世俗の悪よりも大きな、出家の世界での仏法の大悪

が発生しました。人々はこのことを知らないで、大悪の仏法に奉仕することを善い行な

いと勘ちがいして励むので、ますます世の衰亡する事件が起こるのです。今の時代の天

台宗や真言宗など各宗の僧尼を供養するのは、外見上は善を施しているように見えるけ

れども、内容は※ 4※ 5逆にも過ぎた大悪を犯すことになります。したがって、世の中の

平穏を取り戻すには、大覚世尊と同じような秀れた智慧を具えた智者が出現して、※ 6

国王のような賢明な国王と力を合わせて、厳格に偽の善行を禁止し、大悪を信じる僧尼

のことを全仏教界の智者だと誤解している連中を、あるいは攻撃し、あるいは配流し、

あるいは布施を止め、あるいは首をはねたりしなければなりません。そうすれば世の混

乱は少し治まるはずであるのです。(つづく)

【語註】

 ※1 不浄観:外界の不浄な様相を観じてむさぼりの心をなくす観法。邪心を停止する
           観法五種(五停心観)の第一。
 
 ※2 慈悲観:慈悲の念を起こして一切衆生のいかりをなくす観法。邪心を停止する観
           法五種の第二。

 ※3 十二因縁観:一切が因縁によって生滅するという道理を観じて愚かさをなくす観
           法。邪心を停止する観法五種の第三。単に因縁観ともいう。

 ※4 十悪:人間としての正しいあり方をさまたげる十の悪。身で行なう殺生・偸盗
          【ちゅうとう】・邪淫【じゃいん】の三悪、口で言う妄語(うそ)・両舌(二枚
           舌)・悪口【あっく】・綺語【きご】(飾りことば)の四悪、心に思う貪欲【と
           んよく】(むさぼり)・瞋恚【しんに】(いかり)・邪見の三悪のこと。

 ※5 五逆:五つの逆罪(重罪)。父を殺す・母を殺す・聖者を殺す・仏の身を傷つけ
          て血を流す僧団の和合を乱す無間地獄に堕ちる重罪なので五無間業ともいう

 ※6 仙予国王:大乗経典を信奉して正法護持に勤めた過去世の国王。大乗経典を誹謗
           した婆羅門ばらもんを殺害したが地獄に堕ちることがなかった仙予国王は
           今の釈尊であるという。 

 
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テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2024/03/19 08:12 】

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