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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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病といのち 南条兵衛七郎殿御書③

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

南条兵衛七郎殿御書なんじょうひょうえしちろうどのごしょ

 たとひ五逆十悪無量の悪をつくれる人も、こんだにもなれば得道とくどうなる

事これあり。提婆達多だいばだった鴦崛摩羅おうくつまら等これなり。たとひ根鈍こんどんなれども罪な

ければ得道なる事これあり。須利槃特すりはんどくこれ也。

 我等衆生は根の鈍なる事すりはんどくにもすぎ、物のいろかたちをわ

きまへざる事羊目ようもくのごとし。貪瞋癡とんじんちきわめてあつく、十悪は日日にをか

し、五逆をばおかさざれども五逆に似たる罪又日日におかす。

 又十悪五逆にすぎたる謗法ほうぼう人毎ひとごとにこれあり。させることばを以て法華

経をほうずる人はすくなけれども、人ごとに法華経をばもちゐず。又もち

ゐたるやうなれども念仏等のやうには信心ふかからず。信心ふかき者も

法華経のかたきをばせめず。いかなる大善だいぜんをつくり、法華経を千万部読

み書写し、一念三千の観道かんどうを得たる人なりとも、法華経のかたきをだに

もせめざれば得道ありがたし。

 たとへばちょうにつかふる人の十年二十年の奉公ほうこうあれども、きみの敵をし

りながらそうもせず、私にもあだまずば、奉公皆うせてかえつてとがに行は

れんが如し。当世とうせの人人は謗法の者としろしめすべし〈是れ二〉。

【現代語訳】

謗法の機

 たとえ※ 1逆罪・※ 2悪、あるいは計り知れない悪罪を犯した人でも、利根でさえあれば

成仏することもある。※ 3婆達多や※ 4崛摩羅などがこれである。あるいは、たとえ鈍根で

あっても罪がなければ成仏することがある。※ 5利槃特などがこれである。

 私たち末法の衆生は根性の愚鈍なること須利槃特以上であり、物の色や形を識別出来

ないことにおいては羊目と同じである。※ 6瞋癡の三毒がきわめて深く、十悪は日々に犯

し、五逆罪は犯さなくとも五逆罪に似た罪は日々犯している。

 また、十悪や五逆罪以上の謗法の罪を人ごとに犯している。特別なにかの言葉で法華

経を誹謗する人は少ないけれども、誰もが法華経を用いない。また、たとえ用いている

ようでも念仏などのようには信心が深くない。たとえ信心が深い者でも法華経の敵を責

めない。どのような大善根を修し、法華経を千万部読んだり書写したり、一念三千の観

心(理的な観念観法)を実践体得した人であっても、法華経の敵を責めなければ成仏す

ることはできない。

 たとえば朝廷に10年20年の間奉公した人であっても、主君の敵を知りながら、主君に

奏上もせず、私的にも排斥はいせきすることがなければ、長年の奉公の功績はすべて消失し、か

えって罰に処せられるのと同じである。以上のように、今の世の人びとは法華経誹謗の

罪を犯している者であると承知しなさい。〈これが第二点である〉。(つづく)

【語註】

 ※1 五逆罪:無間地獄に堕ちる5種の根本重罪をいう。五つの大罪とは「殺父」-
            父を殺すこと。「殺母」-母を殺すこと。「殺阿羅漢」-悟りを得た聖者を殺
            すこと。「破和合僧」-僧団を破壊すること。「出仏身血」- 生身の仏陀の
            身より血を出すことである。

  ※2 十悪:10種の悪の意。身で行う罪悪は①殺生(人畜等一切の生命を持つものの
           生命を奪うこと。また人の命を縮めたり、間接的に殺すこと)、②偸盗(他人の
           物を盗むこと、また贅沢をすれば余分に物をとり、人に不自由をかけるから一種
           の盗となる)、③邪婬(自分の色欲を満たすため他人に迷惑をかけること)、口
           でなす罪悪は④妄語(嘘をつくこと)、⑤綺語【きご】(無意味に飾り立てた不
           誠実な語言)、⑥両舌(人の仲を隔てる二枚舌)、⑦悪口【あっく】(人の悪い
           ことを吹聴すること)、意【こころ】の中で起す罪悪は⑧貪欲【とんよく】(貧
           るという迷妄の心、餓鬼道の業因)、⑨瞋恚【しんに】(怒る心、我が儘な心、
           地獄界の業因)、⑩愚癡または邪見(よこしまな見解)である。

 ※3 提婆達多:デーヴァダッタ。斛飯王の子で阿難の兄、釈尊の従弟にあたる。釈
            尊に従って出家したが嫉妬我儘の心があり、大衆を誘惑して新教団をつくり、
            阿闍世王とともに釈尊に敵対して種々の危害、三逆罪(出仏身血、殺阿羅漢、
            破和合僧)を犯した。その結果、遂に提婆達多は生きながらにして地獄に墜ち
            た。しかし法華経からみれば極悪非道の提婆達多も提婆品において天王如来と
            いう仏名を授けられ、成仏したことが次のように説かれる。昔、ある国王が仏
            教の悟りの境地を求めて、大乗の教えを説く師を四方に求めた。その時、阿私
            仙人が国王に「もしよく修行すれば、妙法華経という大法を説こう」と告げ
            た。国王は阿私仙人の言葉に従い、薪・菓・共をとり、水を汲み、食を設けた
            りして給仕に努め、遂に仏になることができた。そして、その時の国王とは今
            の釈尊であり、阿私仙人は今の提婆達多であると表明する。釈尊は提婆達多と
            いう善知識によって悟りを得ることができたことを理由として、提婆達多に対
            し無量劫ののち天王如来に成るという記別を授けられた。

 ※4 鴦崛摩羅:アングリマーラ。本名はアヒンサカ。彼は釈尊の弟子となる以前に
            あるバラモンに師事していたが、ある事件によって怒ったそのバラモンは彼を
            陥れようとして誤った教えを与えた。彼は師の教えに従って、次々と人を殺し
            てその指を切って髪飾りとしたことから、アングリマーラ(指で作った首輪)
            と呼ばれるようになった。 1000人の指を集めようとして 1000人目に自分の母
            を殺そうとした時、釈尊が教化したので、バラモンの教えを捨てて、弟子とな
            った。その後市民の迫害を受けたにもかかわらず、過ちをひたすら懺悔し、行
            を重ねたのでついに悟りを得たという。

 ※5 須利槃特:チューラパンタカ。釈尊の弟子で、舎衛城のバラモンの出身。兄を
            マハーパンタカといい、共に父母が旅行中に路辺で生れたため,、パンダカと名
        づけられたという。兄は頗る総明であったが、弟は極めて愚鈍であった。兄と
            共に仏門に入るが、3ヵ月かかっても一偈すら覚えることが出来ず、かえって
            傍で毎日その偈を聞いていた牧夫が通達してしまい、その牧夫に偈を習いに行
            ったという。釈尊はこれを愍み、一本の箒を与えてその名を記憶するようにと
            教えた。数日たっても記憶できなかったが、なおも一心にこれを思念し、遂に
            阿羅漢果を得たという。

 ※6 貪瞋痴の三毒:われわれの心を汚し毒する三大煩悩。貪(むさぼり)ね,瞋(いか
            り)、痴(無知)。

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【 2024/04/25 05:31 】

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病といのち 南条兵衛七郎殿御書②

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

南条兵衛七郎殿御書なんじょうひょうえしちろうどのごしょ

 かうたしかにくいかえして実義じつぎをさだむるには、「世尊の法は久しく

して後かならずまさに真実を説くべし」「久しくこのようもくしていそいですみ

かに説かず」等とさだめられしかば、多宝仏たほうぶつ大地よりわきいでさせ給ひ

て、この事真実なりと証明しょうみょうをくわへ、十方の諸仏八方にあつまりてこう

長舌相ちょうぜっそう大梵天宮だいぼんてんぐうにつけさせ給ひき。二処三会にしょさんね、二界八番の衆生一

人もなくこれをみ候ひき。

 此等の文をみ候に、仏教を信ぜぬ悪人外道げどうはさておき候ひぬ。仏教の

中に入り候ても爾前権教にぜんごんきょうの念仏等を厚く信じて、十遍・百遍・千遍・

一万乃至六万等を一日にはげみて、十年二十年のあひだにも南無妙法蓮

華経と一遍だにも申さぬ人人は、先判せんぱんに付いて後判ごはんをもちゐぬ者にては

候まじきか。此等これらは仏説を信じたりげには我身わがみも人も思ひたりげに候へ

ども、仏説の如くならば不幸の者也。

 故に法華経の第二に云く「今この三界は皆これが有なり。その中の

衆生はことごとくこれが子なり。しかも今このところはもろもろの患難げんなん

多し。ただ我一人われいちにんのみよく救護くごをなす。また教詔きょうしょうすといえどもしか

も信受せず」等云云。

 もんの心は釈迦如来は此等これら衆生には親也、師也、主也。我等衆生の

ためには阿弥陀仏・薬師仏等は主にてはましませども、親と師とにはま

しまさず。ひとり三徳をかねて恩ふかき仏は釈迦一仏にかぎりたてまつ

る。親も親にこそよれ、釈尊ほどの親。師も師にこそよれ、主も主にこ

そよれ、釈尊ほどの師主ししゅはありがたくこそはべれ。この親と師と主との

おおせをそむかんもの、天神地祇てんじんちぎにすてられたてまつらざらんや。不孝第

一の者也。故に「雖復教詔而不信受すいぶくきょうしょうにふしんじゅ」等と説かれたり。
 
 たとひ爾前にぜんの経につかせ給ひて、百千万億こう行ぜさせ給ふとも、法華

経を一遍も南無妙法蓮華経と申させ給はずは、不孝の人たる故に三世十

万の聖衆しょうしゅうにもすてられ、天神地祇にもあだまれ給はんれ一〉。

【現代語訳】

 このように、明確にさきの40余年の説法を打ち消し、真実の教えを説き顕わされる時に

は、「仏は久しくして後に真実の法を説く」(法華経方便品)、「久しくこの肝要の法

を説かなかった」(法華経薬草喩品)などと明言されたので、多宝仏が大地からき出

でて来られて、この事は真実であると証明を加え(法華経見宝塔品)、十方の諸仏が八

方に集まって広長舌を大梵天宮までつけ、同じく真実を証明された(法華経神力品)。

この事実は、法華経の説法の場にいたすべての聴衆が見聞けんもんしたのである。

 これらの文を見ると、仏教を信じない悪人や外道はさておいても、仏教を信じながら

も法華経以前の方便の教えである念仏などをあつく信じ、1日に10遍・100遍・1000遍・

1万遍、あるいは6万遍などこなえ、10年、20年の間に一度も南無妙法蓮華経と唱えない

人びとは、親の譲状の先判を用い、後判を用いない者ではないだろうか。このような人

びとは、仏の教えを信じているように自分も思い他人も思っているようであるが、仏の

教えの通りに従えば不孝の者である。

 したがって、法華経の第2巻譬喩品には「今のこの世界はすべて私(仏)の所有する

ところであり、その中に住む衆生はことごとく私の子である。しかも、今、この世界に

は苦難が多い。ただ私一人だけがこれを救うことが出来る。私が教えさとしても衆生は迷

っていて信受しようとしない」と説かれている。

 この文の意味は、釈迦如来はこのような衆生の親であり、師であり、主である。私た

ち衆生にとって、阿弥陀仏や薬師仏などは主ではあっても親でも師でもない。主・師・

親の3つの徳をかね備えた恩の深い仏はただ釈迦如来だけである。親もいろいろあるが

釈尊ほどの親は他にはない。師もいろいろあり、主もいろいろあるが、釈尊ほどの師や

主は他にはない。このようにありがたい親と師と主との徳を備えられた釈尊の教えに背

く者が、天地の神々に捨てられないことがあろうか。このような人びとは不孝第一の者

である。そのゆえに「また教え諭すけれども信受しない」(法華経譬喩品)と説かれた

のである。

 たとえ法華経以前の経典を信じ、計り知れないほどの長い間修行をしても、法華経を

信じ一度でも南無妙法蓮華経と唱えなければ、不孝の人であるから、三世十方の聖衆

(仏菩薩)にも捨てられ、天地の神々にもあだまれるであろう。〈これが第一点であ

る〉。(
つづく)

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【 2024/04/23 05:31 】

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病といのち 南条兵衛七郎殿御書①

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

南条兵衛七郎殿御書なんじょうひょうえしちろうどのごしょ

文永元年(1264)12月13日、43歳、於鎌倉、和文

 安房の東条松原で襲撃され自らも傷を負った1カ月後の手紙である。南条時光の父・南条兵衛七郎が病に臥していると聞いて、病のない者も、ある者も、定めないものだとして、『法華経』を根本として後世に思いを定めることを説いている。

 御所労ごしょろうよし承り候はまことにてや候らん。世間のさだめなき事は病なき人も

留りがたき事に候へば、まして病あらん人は申すにおよばず。ただし心あ

らん人は後世ごせをこそ思ひさだむべきにて候へ。

 又後世を思ひ定めん事は私にはかなひがたく候。一切衆生の本師にて

まします釈尊のおしえこそもとにはなり候べけれ。

 しかるに仏のおしへ又まちまちなり。人の心の不定なる故

 しかれども釈尊の説教五十年にはすぎずさき四十余年の間の法門

華厳経には心仏及衆生是三無差別しんぶつぎゅうしゅじょうぜさんむさべつ阿含経あごんきょうには苦空無常無我くくうむじょうむが

大集経だいしつきょうには染浄融通ぜんじょうゆうづう大品経だいぼんぎょうには混同無二こんどうむに双観経そうかんきょう観経かんよう

阿弥陀経等には往生極楽。此等これらの説教はみな正法・像法ぞうぼう・末法の一切衆

生をすくはんがためにこそとかれはんべり候けめ。

 しかれども仏いかんがおぼしけん、無量義経に「方便力ほうべんりきを以て四十余

年にはいまだ真実をあらわさず」と説かれて、先四十余年の往生極楽等の一

切経は親の先判せんぱんのごとくくひかえされて、「無量無辺不可思議阿僧祇劫むりょうむへnふかしぎあそうぎこう

を過ぐるともついに無上菩提をじょうずることを得ずといゐきらせ給ひ

法華経の方便品に重ねて「正直に方便を捨ててただ無上道を説く」と

とかせ給へり。方便をすてよととかれてはんべるは、四十余年の念仏等

をすてよととかれて候。

【現代語訳】

病気の見舞いと信心の勧め

 御病気であるとうかがいましたが、まことでしょうか。世の中は無常であり、病気で

はない人であっても生き続けることは困難であるのですから、まして病気の人は言うに

及びません。ただ、道心どうしんのある人は死後のことこそ思い定めておかなければなりませ

ん。

真実の教法

 また、来世のことを思い定めるには、自分のはからいだけではとても出来るものでは

ない。すべての人びとの本師ほんし(本当の師、根本の師)である釈尊の教えこそがその根本

となるものである。

 ところが仏の教えはさまざまにある。それは人びとの心がそれぞれ異なっており、そ

の異なった人びとに応じて仏は法を説かれたからである。

 しかしながら、釈尊の御一代の説法は50年である。そのうち、前の40余年間の法門に

は、華厳経の「心はたくみな画師えしのようにすべてのものを作る。心と仏と衆生とは皆同じ

で、この3つに異なりはない」という教え、阿含経の「すべてのものは苦であり、空で

あり、無常であり、無我である」という教え、大集経の「けがれた迷いときよい悟りとはゆう

づうして一体であるという教え大品般若経の迷いの苦界と悟りの仏界とはその本性

において一つである」という教え、観無量寿経・無量寿経・阿弥陀経などの「阿弥陀仏

誓願力せいがんりきによって極楽浄土に往生する」という教えがある。これらの教えは皆、仏入

滅後の正法時・像法時・末法時のすべての人びとを救うために説かれたのであろう。

 ところが仏はどのように思われたのか、無量義経に「方便の力用はたらきをもって40余年の間

はまだ真実を説き顕わさなかった」と説かれ、さきの40余年間に説かれた「極楽に往生す

る」などを内容とするすべての経典を、親の譲状ゆずりじょうの先判(親の譲状が複数ある時は日

付の新しいものが有効で古いものは無効とされるのように打ち消され、無量義経に、

それらの教えでは「永劫えいごうにわたって修行してもついに成仏することは出来ない」と言い

切り、法華経方便品には重ねて「正直に方便を捨てて、ただ真実無上の教えを説く」と

説かれている。「方便を捨てよ」と説かれているのは、40余年間に説かれた念仏などの

教えを捨てなさい、ということである。(つづく)

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【 2024/04/20 05:37 】

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