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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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イスタンブール2日目 その2

 8月4日(日)

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 絨緞屋を出たのが11時20分。かれこれ1時間半もすったもんだしていたことになる。さあ、いよいよスレイマニエ・ジャーミィだ。スレイマン大帝はオスマン帝国全盛期のスルタン。スレイマンは古代イスラエルの王ソロモンのアラビア語形。46年の長期にわたる在位期間中、13度の遠征を行い、東はイラク・アラビア半島、西は北アフリカのアルジェリア、北はハンガリーまでをも支配下に入れ、ヨーロッパからは壮麗王の名で恐れられた。寵愛した皇后はロクセラーナという奴隷からのし上がった女で、政界の裏で暗躍する。

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 そのスレイマン大帝のためにミマール・シナンが1557年に完成させた巨大なるジャーミィ。シナンが生まれたカッパドキア地方にそびえるエルジェス山(3916m)の形を真似たといわれ、まさしく山のような建築物だ。夢枕獏の『シナン』では、スレイマン大帝がアヤソフィアよりも巨大なジャーミィの建築をシナンに命じる。しかし、シナンは、アヤソフィアはこの世の奇跡であり、あれよりも巨大なものを造ることは不可能であると答え、大きさ以外は全ての点でアヤソフィアに勝るものを建てると約束する。7年の歳月と、当時の最高技術を駆使し、59m×58mの床面に直径26.5mの円形屋根を乗せ、高さ53mの大ドームを仕上げた。中に入ると、まるで宇宙空間のいるような錯覚を覚える。まさに神アッラーの存在を証明するかのようである。ステンドグラスからさし込む光が美しい。

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 美しいといえば、その光をバックに立ち、ショールで髪を覆ったガイドのシネムさんも美しい。大きな声では言えないんだけど、彼女実はかなりの酒豪らしい。60°も度数のあるラクが好きで、胡瓜を肴に飲むそうだ。「酔った姿を見てみたい」なんて言ったら、「先生のくせに、何てこと言うの」と顰蹙をかってしまったが、イスラーム教徒が飲む姿はやはり見てみたいもんだ。イスラーム教では飲酒はむち打ち100回の刑ですぞ。マレーシアではビールを飲んだモデル女性にむち打ちの刑が言い渡されている。トルコ人の半分くらいが、むち打ちになるんじゃないの。それに、シネムさんスマートなんだけど、下腹がややむっちりしている(どこ見てんのよっ、て奥さんに怒られた)、酒の飲み過ぎでないの。
 それに、シネムさんのお父さんは野生の豚を捕まえて食べるそうで、豚肉を食べることも勿論イスラーム教では厳禁。トルコではいい加減なイスラーム教徒が多いようだ。6月にイスタンブールで暴動が起きたが、エルドアン首相がアルコールの販売制限をしようとしたことも一因になっている。そりゃ、一度酒の味を覚えた連中から酒取り上げようとしたら、暴動起きて当たり前だよね。

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 シナンのお墓がスレイマニエ=ジャーミィの一角にあると聞いていたので、シネムさんに案内してもらった。日本人のツアー客でシナンの墓参りを希望する人はいないと思うけど、どうしても訪ねてみたかった。シナン本人が設計した墓だそうだ。シナンはスレイマニエ=ジャーミィを建てた17年後、87歳の時に、エディルネにセリミエ・ジャーミィを完成させる。ドームの直径32m。わずか1mではあるが、ついにアヤソフィアの31mを超えたのだ。静かにシナンの墓に手を合わせ、心の中でシナンに聞いてみた。あなたは24歳の時にデウシルメ制度によって徴用され、キリスト教からイスラーム教に改宗させられましたが、本当にアッラーを信じていましたか?スレイマン大帝に命ぜられた時、アヤソフィアを超える建築は不可能と答えられましたが、ひょっとしたら可能だったのでは?勿論、答えが返って来るはずもない。

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 シナンの墓参りを済ませ、土産物屋でマグネットを買った(マグネットが好きですね)。紺地に金でアラビア文字が書かれており、たった3リラ(155円)。ただ、何が書いてあるのか、シネムさんや店の人に聞いても分からない。帰ってから調べたら、どうもスレイマン大帝のサインらしい。芸能人顔負けのサインです。今回の旅で一番良い土産になりました。(つづく)

 
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【 2013/10/31 15:27 】

トルコ・ウズベキスタン  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

イスタンブール2日目 その3

   8月4日(日) 

 もうお昼の時間だが、その前にカーリエ博物館へ。予備知識にはなかった場所だ。もともとはビザンツ帝国時代の5世紀にコーラ修道院として建てられた。オスマン帝国時代に壁画はすべて漆喰で塗りつぶされ、ミナレットとミフラーブが付け加えられて、イスラーム教のジャーミィ(モスク)となり、共和国時代になって博物館となった。アヤソフィアと同じ運命をたどった教会である。アヤソフィアは「奇跡の建築」だったから壊さずにモスクとして再利用したのは分かるのだが、この教会はこぢんまりとした建物で、お世辞にも立派な建築とは言えそうもないのに、なぜオスマン帝国はこれを破壊しなかったのだろう?

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 その疑問は中に入ってすぐに解決した。建物内部にモザイク画やフレスコ画が溢れている。シナンに言わせれば、「人間の祈りの声がびっしり詰まっていて、かえって神が見えない。」と言うのだろうか、重苦しいほどの迫力がある。

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 天井にはイエスを中心に24人の使徒が描かれ、壁面には聖母マリアとキリスト像、キリストの生涯、アダムとイヴを救済しようと二人の手を取るキリストの姿など、美術鑑賞がお好きな人だったら一日中いても飽きないだろう。漆喰で500年間も封印されていたから、保存状態も抜群だ。あれ、ちょっと待てよ。偶像崇拝を認めないイスラーム教徒は、仏像の首をはねたり、仏画の目を削りとったりということを、当たり前のように行ってきた。もちろん現代においてはタリバーンがバーミヤンの大仏を破壊した行為は許されるべきものではない。しかし、歴史的に偶像を破壊してきたイスラーム教徒が、この教会の偶像を破壊せずに漆喰で塗り込めた理由が、モザイク画の美術的な価値を認めたからだすると、将来漆喰が剥がされる時が来ることを承知していたということになる。そうすると、オスマン帝国が将来キリスト教徒に滅ぼされることを予測していたということになり、…………?!ああ、もう分からない。午後1時もとっくに過ぎた、もうご飯にしよう。
 
 
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 今日のお昼も午後1時45分と、かなり遅くなりました。レストランは昨日の朝見学に行ったスィルケジ駅内にある、その名も「オリエント・エクスプレス」。アガサ・クリスティの写真なども飾ってあり、なかなかレトロな雰囲気だ。料理を運んで来るワゴンがオリエント急行の格好をしているのには、まいった。そこまでするか~。


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 まずはやっぱりビール。それも今日はしっかり冷えた生ビールだ。あ~あ、美味い。イスラム教の国で昼からビールが飲める幸せ。「TUBORC」という銘柄はデンマーク製。輸入してまで飲むんだね。

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 スープに野菜サラダを肴にビールをおかわり。さあ、メインは茄子のトマト煮、ご飯添え。あとはデザートのケーキとコーヒー。えっ、これで終わり。ちょっと物足りないな~。店の名前は急行でも、料理ははしょらないで各駅停車でお願いしま~す。

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 午後3時、金角湾を挟んで対岸の新市街側にあるガラタ塔に向かう。ガラタ塔は新市街のランドマークともなっている高さ67mの塔。もともとは灯台だったらしいが、14世紀にこの辺りを支配していたジェノヴァ人がビザンツ帝国への監視塔として使っていたらしい。バスは入れないので、麓から歩いて塔に向かう。ビールを飲んでいるので、坂道が辛い。ふと足下を見る


と鉄製の鈎が並んでいる。一方通行逆行防止装置だそうだ。なるほど、坂の上から来た車が鉄の鈎を踏むと、鈎が下に下がって通過出来る。しかし、下から来た車は鈎がタイヤに刺さって前に行けない。有無を言わさず、一方通行を守らせようというのだが、トルコは凄いね。ここまでしないと、駄目なんかな。エレベーターで展望台まで上がるが、料金は13リラ(715円)。


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 展望台は大勢の人で大混雑。一方通行なのだが、眺めのいい所を狙って逆行する奴がいる。誰だ。俺だ。すいませ~ん。いや~、何ともいい眺めですね~。


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 旧市街のアヤソフィア、ブルーモスク、スレイマン・モスクが一望に出来ます。さらにボスフォラス海峡から新市街まで。真っ青な空にイスタンブールの町が映えます。ただ、風が強いのと、眩しすぎて、ファインダー覗いても良く見えない。適当にシャッターを切ります。


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 いよいよ、ボスフォラス・クルーズかと思ったら、時間の都合でもう1箇所行くみたいです。エジプシャン・バザールの前を通り、混雑する商店街を抜けて、どこへ行くのかと思ったら、何とリュステム・パシャ・ジャーミィです。これで、もう4回目だよ。来るなら来るって、先に言ってよ。そしたら苦労を重ねて来る必要なかったじゃん。とは言っても、シネムさんには一言も言ってなかったし、時間の都合で急に見学を決めたのかも知れないし、インシャラー(神の御心のままに)です。今朝充分にタイ
ルの美しさを堪能したので、静かに祈る信者さんの後ろで、僕もシナンへの祈りを捧げた。(つづく)


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【 2013/10/31 06:46 】

トルコ・ウズベキスタン  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

イスタンブール2日目 その4

8月4日(日)

 午後4時25分、ボスフォラス・クルーズ出航。桟橋から中型のクルーズ船に乗り込む。100人ほど乗れそうだが、われわれのグループだけの貸切。本当は夕食を楽しみながらのナイトクルーズの予定だったが、アベノミクスによる円安の影響で、お昼に乗るはめになった。ライトアップされたイスタンブールの夜景を楽しみにしていたのに残念。晋三君恨みま~す。

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 ボスフォラス海峡は黒海とマルマラ海を結ぶ全長30㎞の海峡で、この海峡の西がヨーロッパ、東がアジアになる。黒海から地中海への南下政策を進めるロシアにとっては、喉から手が出るほど欲しかった海峡である。19世紀にロシアはこの海峡の航行権を獲得しようと必死になり、それを阻止しようとするイギリス、フランスと激しい駆け引きが繰り広げられた。クルーズ船ばかりでなく、貨物船もひっきりなしに航行しており、現在でも黒海と地中海を結ぶ大動脈であることがわかる。 

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 クルーズは第2ボスフォラス大橋(正式にはファーティフ・スルタン・メフメト橋)までの往復だ。この橋は日本の政府開発援助のもとに、石川島播磨重工業と三菱重工業により建設され、1988年に完成した。同年に完成した瀬戸大橋と姉妹橋だそうだ。近年アジア側の人口増加にともない二つの橋ではまかないきれなくなり、イスタンブールのアジア側とヨーロッパ側を結ぶ地下鉄の工事が行われている。われわれが帰国したあと、地下鉄が完成し、10月29日に完成式典が行われた。日本が技術と資金を提供しており、晋三君も参列した。途中で頼みもしていないのにオレンジジュースが出て来たが、1時間20分、心地よい潮風に当たりながら、青い海と周辺の景色を堪能した。

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  一旦、ホテルに戻り、午後7時から夕食。エジプシャンバザールのすぐ隣にあるレストラン・ハムディに歩いて向かう途中、イェニィ・ジャーミィの前でチャドルを来た二人の女性を見かけた。ね~、やっぱり綺麗に見えるでしょ。

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 レストラン・ハムディの4階でトルコ最後の夕食。本当は前面にガラタ橋を中心に海が見えるはずなのだが、8月8日に迎えるラマダーン開けの祭りのためのテントが張ってあって、何も見えない。残念。まあ、美しいシネムさんが目の前に坐っているから、良しとしよう。


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 まずは、トルコに来て慣れ親しんだエフェスビールで乾杯。まあ、毎回よく飲むもんです。あきれてしまいますね。トマトのスープにナンでちびちびやっていたんだけど、だんだんお腹がふくれたので、ラクに切り替えた。ラクはアニスというセリ科の植物で香がつけられており、水で割ると臭いがきつい。チェイサーを貰って、ストレートで飲んでいたら、シネムさんの後ろにいる禿げたボーイが、「そんな飲み方をするな」と言う。大きなお世話だ。

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 フットボールのような形をしているのは、料理の名前は分からないけど、トルコ風ミンチカツだ。トルコ風ピザに最後はシシ・ケバブ。やっぱ、牛肉のドネル・ケバブよりも、羊肉のシシ・ケバブのほうが美味い。

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 充分に満足して、さあ帰り支度。おしっこに行ったら、目の前に「tottolet」の文字。思わず吹き出しそうになった。TOTOとウオシュレットをくっつけたんじゃないか。パクリ天国は中国からアジアへと蔓延しているようだ。

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 午後9時に食事を終えて、ホテルに帰る。途中、イェニィ・ジャーミィのライトアップされた2本のミナレットの間に「ラーイラーハ・イラッラー」の文字が明るく輝いている。「アッラーのほかに神はなし」か。イスラームの国にいるんだな~と、感慨にふけりながら、歩いていると、「ヘーイ」の声。トルコ名物ジェラード・アイスクリームの屋台だ。

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 添乗員の奥村君がまず最初の犠 牲になってアイスクリーム屋の兄ちゃんにもてあそばれる。アイスクリームを取ろうとしても逃げていく。噛みつこうとしても逃げていく。上へ下へと俊敏に動くアイスクリームについて行けない。周りに大勢の人だかりが出来、笑いの渦に包まれる。


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 次はうちの奥さん。あ~あ、いい年してはしゃいじゃって。酔っている勢いもあって、Kさん、Fさん、Nさん、Yさんと、次から次へとアイスに振り回されていく。僕は酔いで目が回りそうなので、遠慮しておいた。


 奥村君からサバサンド食べに行きますかとの誘い。昨日GALミュージックホールで食べたサバが不味かったので、みんなサバサンドは不味いという先入観を植え付けられてしまっている。その上、いま晩飯が終わったばかり。腹一杯で、とても食べられそうにもない。2005年の愛知万博の時にサバサンドがあったので食べて見たけど、あんまり美味くなかった。せっかくトルコに来たんだから本場の味を味わってみたいという気持ちもあるし、心が揺れ動く。どうしよう。でもトルコに来ることは恐らく二度と無い。今食べなかったら、いつ食べるの。今でしょ。ということで食べに行くことにした。志願したのは20代のYさん、50代のO君、そして60代の僕。年寄りの冷や水と言わないでください。

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 時間は9時20分。町中に出ると人、人、人、人、人の山。ラマダーン開けの祭りの前だけど、日曜日のせいか、地下道にも臨時の店が出ており、もう人だらけ。その群衆をかきわけて、サバサンドを目指す。サバサンドはもともとは漁師のまかない飯。だから、今でもガラタ橋近くの桟橋に着けた船の上で鉄板で焼いて売られている。1個6リラ(330円)。

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 パンに焼いたサバとキャベツとタマネギを挟んだだけのものだが、これが実に美味い。日本から持参したキッコーマンの醤油をひとたらししたら、もう絶品。これで酒があれば最高なんだが、残念ながら酒は置いてない。う~ん、残念。とても1個は食べきれず、奥村君に手伝ってもらいました。ごちそうさまでした。ゲップ。(つづく)

【 2013/10/30 19:16 】

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ティムールの国へ

8月5日(月) 

 午前7時30分ホテルを出発、空港には8時5分に到着した。空港内は山ほどの荷物を持ったウズベク人でごった返している。トルコに買い出しにでも来ているのかな。荷物を預けるのに時間がかかって、なかなか前に進まない。いよいよ僕の番になったんだけど、重量オーバーで26キロもある。そりゃそうだわ、生徒のお土産用マグネット付タイルが150個、自分用のタイル、おまけに奥さんのドライフルーツまで入れてるんだもんね。グループ内で荷物が軽めの人とセットにしてもらって、何とかOK。そのあと安全検査に進んだところで、「森田さ~ん、スーツケース開けて下さい」の声。タイルのマグネットがひっかかったみたいだ。なにせ、150個のマグネットに、携帯やカメラの充電器、コンセント用アダプターなどのコードが一緒に写れば、時限爆弾に見えないこともないわ。せっかくきっちり梱包してあったのに、バラバラにされちゃった。くそ~。
 午前10時50分、20分遅れでウズベキスタン航空272便(HY272便)は、ウズベキスタンの首都タシケントをめざして出発した。アラハスマルドゥク(さようなら)イスタンブール、さよならトルコ。

 4時間余りのフライトで、午後4時25分(トルコとの時差2時間)タシケント空港に到着。お迎えのバスで第2ターミナルへ。バスから降りた途端に走り出すウズベク人。入国審査を受けるために並んでいると、次から次へとウズベク人が押し寄せてきて、入貢審査場は無法地帯と化してしまった。「1列に並べ」と言っても、「2列でいいんだ」と言って、人の前に出ようとする。子供連れだから先にさせろと言うおばさん達。もう大阪のおばちゃんの5倍くらい凄いおばさん達だ。絶対に前には行かせないという我々グループとまるで押しくらまんじゅう。添乗員の奥村君は顔を真っ赤にして怒っている。押され押されしているうちに、なぜかグループで僕が一番先に審査を受けることになった。パスポートと一緒に団体ビザのコピーを出すと、オリジ


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ナルでないと駄目だという。遠く離れた奥村君からO君がオリジナルを受け取って渡してくれて、何とか無事審査を通った。全員が審査を終えたのが5時30分。入国審査だけで1時間もかかっちゃったよ。ちなみに写真の団体ビザの下段のスタンプはホテルで出してくれた滞在証明書。これがないと違法滞在ということになり、多額の罰金もしくは国外強制の罪になるらしいので、ご注意。

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 入奥審査が終わったら、今度は税関。これがまた面倒くさくて、税関申告書を出さなければならない。所持している円、ドル、ユーロを申告。写真の右は出国時に提出したもので、当然お金を使っているはずだから、入国時より減っていなけければならない。増えていたら、当然問題になる。空港を出たのが、午後6時。いい加減にしておくれ。

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 アッサローム・アライクム(こんにちは)と出迎えてくれたのはザファール君。30歳独身。今回は書くことがたくさんあるので、彼については次回書くことにする。バスに乗るまでもないくらいだが、荷物があるので、バスでお隣の第3ターミナル(国内線)へ。またスーツケース開けさせられた。

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 午後7時10分、ブハラに向けて出発。ウズベキスタン航空1327便(HY1327便)は、ロシア製のイリューション114。64人乗りのプロペラ機だ。ロシア製といっても、部品はあちこちの国で作られており、組立はタシケントでやっているそうな。

 着実に乗り換えが出来るように、奥村君がイスタンブールでチケットを取ったので、席はバラバラ。僕は2列シートの窓側で、奥さんは一つ前の通路側。飛行機に乗り込むと、僕の席の隣に推定体重100キロぐらいのウズベクのおばさんが先に坐っている。窓際に坐ると窮屈そうなので、席を替わってあげようと思いチケットを見せて、「どうぞ」と言おうとしたら、さっさと窓際の席に移ってしまった。これ以心伝心。どうせすることもないし、ウズベク語で会話してみっかということで、日本で作って来た自作の「旅で使えるウズベク語」を見ながら、「アッサローム・アライクム」「メニン イスミム モリタ(私の名前は森田です)」「イスミンギス ニメ(あなたのお名前は?」と、話し始めたら、おばさん「Can you speak English?」ときた。すかさず、「No,I can't speak English.」と答えたもんだから、「You can speak English.」と返って来た。だからウズベク語で話してみたいんだって。同じ言葉が行ったり来たり。ああ、面倒くさいな。「small」と大きな声で言って、後は無言の行。苦痛の時間が1時間ほど続いた。前にいる奥さんは、なんだか楽しそうに隣の人と話している。羨ましいな~と思っていたら、奥さんから声がかかった。「前に来て、今まで撮った写真見せてあげて。」英会話が続かなくなったようだ。前に出てみると、なんと可愛

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いウズベクの女の子。名前はジーヴォーさんで、大学生だ。ブハラに帰省するらしい。もっと早くに呼んでよ。というわけで、デジカメの写真を見せながらの楽しい時間はあっという間に過ぎ、午後8時40分ブハラ空港に着いた。

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 バスに乗ってホテルに向かう途中、ザファール君が両替してくれた。20ドルが42,500スム。たった2枚の10ドル札が50枚ぐらになって、なんだか得した気分だ。100スムで5円ぐらいだ。ちなみに暑い国らしく、ミネラルウォーターは大きくて1.5リットルで3,500スム(175円)、炭酸入りもあるのには驚いた。なんだかんだで、午後9時15分、ホテルに到着。朝6時半に飯食ってから、機内食だけで腹減った。飯だ飯だ。レストランに直行。

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 まずは、やっぱりビールで乾杯。銘柄はドブリとモスコウ。何には泡のたたないものもあったが、ウズベキスタンもイスラーム国だもんね、仕方がない。

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 テーブルに並んだ料理はこんなもんかなという、野菜中心の質素な料理。

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 メインはトマト風味のラグマンかと思って聞いたら、「ナブルスケバブ ニュウデイ」という名前で特別料理だと言う。


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 答えたのがレストランのリーダーらしい、アクマル。こいつはいつも偉そうにレストランの隅のテーブルに坐り、足を組んでふんぞり返っている。お前、客の前で偉そうにすんなよ。明後日の朝まで、こいつの顔を見なければならない。(つづく)
【 2013/10/30 17:36 】

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ブハラ その1

 
ウズベキスタンの地理が分からない人が多いと思いますので、地図を掲載しておきます。

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8月6日(火)
 
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 午前5時46分。ブハラの日の出です。泊まったホテルは、グランド・ブハラ・ホテル。ブハラの町の南に位置する近代的な4つ星高級ホテルだ。部屋は810号室。旧市街がよく見渡せ、遠くにカラーン・ミナレットも見える。それにしても、昇ってきた太陽が丸くない。台形のようにも見えるのだが、乾燥地帯だからだろうか。
 ブハラは、サマルカンドとならぶソグディアナ(アムダリヤとシルダリヤに挟まれた地域)のオアシス都市で、シルクロードが繁栄した隋・唐の時代にはイラン系ソグド人の交易の中心だった。玄宗皇帝の時代に楊貴妃と浮き名を流し、やがて反乱を起こした安禄山はお父さんがソグド人だ。8世紀以後はイスラーム化が進み、875年中央アジア最古のイラン系イスラーム王朝であるサーマーン朝がアッバース朝から自立し、ブハラはその都となり、奴隷交易で繁栄した。サーマーン朝はイスラーム世界最大の医学者イブン=シーナーを輩出したことでも知られ、シーナーはブハラの近郊で生まれている。サーマーン朝はやがてトルコ系のカラ=ハン朝に滅ぼされ、カラ=ハン朝はやはりトルコ系のホラズム朝に滅ぼされ、ホラズム朝はチンギス=ハンに滅ぼされ…………。長くなるので、お勉強はこれくらいにして、朝ごはんにしましょ。

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 午前7時から朝食。宿泊客が少ないので、バイキングではなくセットメニューだ。まあこのほうが料理を取りに行く面倒がなくていい。パンにチーズ、ソーセージといった簡単なものに、卵焼きを焼いてもらった。コップに入っているのは牛乳かと思ったら、ヨーグルトだった。

 午前8時40分、観光の開始。バスを降りて、世界遺産に登録されている旧市街地を歩いてまわる。最初はホテルの部屋からも見えていたカラーン=ミナレット。当然真っ青な空に映えるミナレットが撮影できると期待していたのだが、残念ながらこの日は曇りで、そのうちパラパラと雨が降ってきた。ウズベキスタンの8月の平均降水量は2.5㎜。なんで、雨が降るの。ああ、そう言えば、平成12年にタクラマカン砂漠の北にあるクチャの町でも雨が降ったし、いつだったかインドのデリー空港では土砂降りで雷まで鳴っていた。僕は雨男ではないので、その時いつも一緒にいた奴の中に雨男がいる。誰かわかっているのだが、ここでは名前は伏せておこう。

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 ガイドのザファール君が、「晴れても、曇っても、雨が降っても、雪が降っても、大事なのは心の天気で~す」。なかなか、うまいことを言う。サマルカンド国立外国語大学の出身だそうだが、時に白目をむいて、テンポのいい日本語を話す。「~という話になっているんですね」が口癖のようで、誰かが質問をすると、池上彰みたいに「いい、質問ですね」と必ず言う癖もある。ザファール君、「ところで、皆さん、この塔は何メートル位あると思いますか?」。60メートル、35メートル、70メートル、と色んな答えが飛び出したが、僕は「46メートル位じゃないんですか」と答えた。ザファール君、僕だけ答え方が違うと言う。他の外国人に聞いても僕のような答え方はしない、と言うので、「僕は中国人です」と答えたら、笑いの渦となった。で、何が違うの?明確な数字ではなく、「位じゃないんですか」という答え方が、現地の人の答え方だそうだ。結局、位をつけた言い方が正しいと言いたいんだろうけど、カラーン・ミナレットが少し傾いて来ているからなのか、基礎部分が10メートルあるからなのか、わからずじまいのままだ。

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 カラーン・ミナレットは1127年にカラ=ハン朝のアルスラン・ハンが建立したもので、高さは約46メートル(実は『地球の歩き方』で答えを知っていた)。内部は105段のらせん階段があり、4,5年前までは登れたそうだ。『地球の歩き方』には現在修復中のため不可と書いてあるが、登れなくなった理由は落書きにあるそうだ。ペンで落書きされていた間は大目に見ていたそうだが、観光客が自分の名前を削るようになって禁止されたんだと。誰だ、マナーを守らないのは。まさか日本人ではないでしょうね。

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 続いて、カラーン・ミナレットとつながっているカラーン・モスク。1514年にシャイバニ朝によって建てられたモスク。カラーンはタジク語で“大きい”という意味で、その名の通り1万人が礼拝できたという大きなモスクだ。内部の写真撮影は2,000スム(100円)。

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 さらに続いて、お向かいのミル・アラブ・メドレセ。メドレセは世界史用語ではマドラサで、神学校のことだ。モスクと変わらない規模で建てられている。青と白のモザイクタイルからなる植物模様と文字模様を組み合わせた装飾が何とも美しい。1時間あまり充分にイスラーム建築を堪能したんだが、これで終わりではなく、イスラーム建築の見学はまだまだ続いた。(つづく)






【 2013/10/30 17:01 】

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ブハラ その2

8月6日(火) 

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 ポイカロン広場の建築群を見学したあと、タキへ。タキは大通りの交差点を丸屋根で覆ったバザール。外から見るとたこ焼き器をひっくりかえしたような建物だ。交差点なら誰しもが通らなければならないので、商店にならぶ品物を必ず目にすることになり、売れる確立があがる。うまいことを考えたものだ。昔は宝石商市場、帽子市場、両替商など、扱う商品によって分かれていたようだが、現在はいろんな土産物屋が軒を連ねている。 トイレに入ったら、500スム(25円)とられた。

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 最初からお土産に買う予定にしていたコウノトリのハサミ屋さんへ。コウノトリはブハラで一番好まれている鳥で、ブハラのシンボルでもある。コウノトリは幸運、豊作をもたらす鳥で、家の屋根にコウノトリが巣をつくったら、その家は幸せになると信じられている。このあとで行ったアブドゥールアジズ・ハン・メドレセのミナレットの上にもコウノトリの巣があった。

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 コウノトリのハサミには普通のと、金属も切れる優れものと2種類ある。店の兄ちゃんが、自慢げに金属を切ってみせる。優れものは1個22ドル。おまけしろと言ったら、20ドルにすると言う。もっとまけろと言っても、なかなか首を縦にふらない。こうなったら、値切るときの常套手段。ハサミ欲しい人、と希望者をつのる。4本、5本、2本……、次々に手があがって、合計20本。さあ、これでいくらにする、と迫って、結局1本17.5ドルでゲットした。うちの奥さんは4本買った。

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 つぎは、ウルグ・ベク・メドレセ(写真の左)とアブドゥールアジズ・ハン・メドレセ(写真の右)の神学校2箇所。ウルグ・ベクはティムールの第4子シャー=ルフの子で、ティムール朝第4代君主(在位1447~49年)。世界史では早慶クラスの大学でしか出題されないマイナーな人物。学芸を愛好し、サマルカンドに天文台を建設するなど名君であったが、内乱のため暗殺される。そのウルグ・ベクが1418年に建設したメドレセは、中央アジア最古の神学校。彼が天文学者であったことから、星をイメージしたタイルが使われている。その向かいにあるアブドゥールアジズ・ハン・メドレセはそれから200年以上も後の17世紀に建てられた神学校で、赤色のタイルも加わり、非常にカラフルだ。

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 街中を歩いていて気づいたのだが、日本ではガス管や水道管は地下に潜っているが、ウズベキスタンでは外付けになっており、時々道路をまたいで空中で向かいの家とつながっている。ウズベキスタンは地震もあるので、これ危なくないんかなと、人ごとながら心配になってしまう。

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 あと、出会う人出会う人に金歯の多いこと。メロン売りのおじさんが僕たちの方を見て、ニッて笑ったんだけど、獅子頭みたいに上の歯も下の歯も全部金歯。僕たちの子供の頃は日本人も金歯を入れた人が多かったけど、全部金歯というのはあまり記憶にない。ウズベキスタンの人は、全財産を金歯につぎ込んでるんかな。亡くなった時、金歯はどうするんだろう?日本だったら火葬だから、骨揚げの時にいっしょに金をひらえばいいけど、イスラーム教は土葬だからな。ひょっとしたら、ご遺体から金歯抜いたりして。まあ、どうでもいいや。

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 ナン屋さんがあったので、おやつタイム。店先にできたてのナンが架けられており、営業中だとわかるようになっている。中を覗くと、おっさんが一生懸命にパン生地をこねている。それを子供が手伝っているんだけど、日本じゃもう見かけなくなってしまった光景だ。でも、今日は火曜日だけど、学校は?夏休みかな。焼きたてのナンは、ナンと言っても美味い。ナンてね。

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 お腹も満足したところで、こんどはティムと呼ばれるバザールで、ウズベキスタンの伝統的な刺繍であるスザナをみせてもらう。イスタンブールの絨緞屋の時と同じく、店員さんが所狭しとスザナを並べていく。こんどは男は関係なし。女性陣の長い交渉タイムが始まった。することがないので、周りをぶらぶらしていたら、可愛い女の子が絨緞を織っていた。今時の子だね、ヘッドホンで音楽聞きながら織っている。あちこちまわって戻って来たけど、まだ交渉が終わっていない。うちの奥さんはというと、買いたいんだけど、買っても置くところがないと悩んでいた。結局、ここでは買わなかったんだけど、買わずにおれないのが女です。(つづく)
 
 
【 2013/10/30 06:47 】

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ブハラ その3

8月6日(火)

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 スザナのお買い物をすませ、ラビハウズに向かう。その途中にマゴキ・アッタリ・モスク。マゴキとは“穴の中”という意味で、土砂に埋もれていたのを1936年にロシアの学者が掘り出したそうだ。このモスクの壁面は3層に分かれており、一番下の層が仏教寺院、真ん中がゾロアスター教寺院、一番上がモスクで、何度も破壊されては再建されたそうだ。

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 有名なラビハウズ。ハウズは池のこと。NHKの放送でやってたの見たことあるし、少し期待してたんだけど、思ったより小さくて、500坪くらい。こんな池だったら、日本中どこにでもある、と思ったんだけど。ちょっと待てよ。ここ乾燥地帯だよね。われわれの感覚で考えてはいけないんだ。砂漠を旅してきた旅人にとって、この池と周りの木陰はそれこそ天国だったんだ。今でも池の周りにはチャイハナがあって、社交場になっている。ただ、残念なことに、キャラバン隊の駱駝の像が池のほとりに建てられていた。こんなもの要らないよ。

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 次は1622年にブハラ=ハン国の大臣ナディール・ディヴァンベキが建てたナディール・ディヴァンベキ・メドレセ。それにしても、ウズベキスタンはやたらにメドレセがあり、これで4つ目。この国の人はよっぽどお勉強が好きなんだろうね。

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 ところで、このメドレセとっても珍しい建物なんだが、僕に世界史を習った生徒だったら分かるよね。そう、偶像崇拝を禁止しているイスラーム教だから、動物とか人を描いてはいけない。だから植物やアラビア文字を図案化したアラベスクという模様が使われるのだが、このメドレセの門には鳥と人間の顔が描かれている。2羽の鳳凰が白い鹿をつかんで、太陽に向かって飛んでおり、太陽の真ん中には顔が描かれている。なんで、こんなことになったかというと、大臣がキャラバンサライとして建て始めたんだけど、ハンが見て「素晴らしいメドレセ」と賞賛したため、ハンの怒りをかうのを恐れて急遽メドレセにしたという。本当かな?後世に残るメドレセを造りたかったハンが、大臣に責任を押しつけたんじゃないのかな。

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 疲れて休んでいると、子供達が近づいてきた。絵はがきを買えと言う。「ケレク ヨク」と言ったら、あっさり向こうへ行った。外国を訪れるとき絶対に必要な言葉は、土産物屋を追い払う言葉=「要らない」。ヒンドゥー語だったら「ナヒーン チャヒエ」、中国だったら「不要(プーヨー)」。土産物屋でない子供も集まってきて、国際親善タイム。

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 バスに乗って少し離れたチョル・ミナルへ。チョル・ミナルとは4本のミナレットという意味で、見た目そのまんまの名前。ミナレットの上部がドームになっているのは珍しい。真っ青な空だったら、ドームの青タイルが映えたんだろうけど、残念。写真撮影を終えて、土産物屋に入ってみるとソ連時代の将校の立派な帽子がある。値段は5,000円くらい。世界史の教材に買って帰ろうとしたら、ザファール君が「骨董品だから政府の証明書がないと国外には持ち出せない」という。骨董品って言うけど、ソ連が崩壊してまだ20年くらいしか経ってないじゃないか。こっそり持って帰ることも出来るしと思ったが、まずいタイルがある。今まで飛行機に乗る時2回ともスーツケースを開けさせられている。きっと空港で開けさせられて帽子が見つかり、証明書がないから没収、となるんだろうな。仕方ない諦めるしかない。がっかり。がっかりした途端にお腹がすいた。お昼ごはんにしましょ。(つづく)

【 2013/10/29 17:30 】

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ブハラ その4

8月6日(火) 

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 午後12時40分、お待ちかねの昼食です。キャラバンという名前の農家風のレストラン。店の前にはロバ車が立て掛けられており、ウェディングドレス姿のウズベク美人の写真も架けられている。結婚披露宴会場としても使われるんだろうか?

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 まずは生ビールで乾杯。4時間近く歩き回ったので、とにかく美味い。乾ききった喉にビールがしみこんでいく。お昼だというのにジョッキ3盃も飲んじゃった。銘柄はタシケントで開発されたサルバスト。8月2日にタシケント空港内のスタンドでも飲んだやつだ。それにしても、ここウズベキスタンはイスラーム教の国。飲酒はむち打ちの刑だよね。まあ、コーランに酒造ってはいけないとは書いてないけど、自国でビールを造ってもいいのかな。「造るだけで、私たちは飲みませんよ」と言いながら、飲んでるんだろうね。なにせ、この国は1991年までソ連の支配下にあった。エリツィンなんてウオッカの飲み過ぎて、大統領やめるはめになったくらいだから、ソ連は飲んべえの国。この地を管理していたロシア共産党の連中ががぶがぶ酒飲むのを見て、しだいにウズベク人も酒飲むようになったんだろう。

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 料理はフライドポテトが乗った野菜サラダ、ジャガイモ・人参・茄子・トマト・ゆで卵を角切りにしたサラダ、ウズベク風サムサ、焼き肉、と大変美味しゅうございました。

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 サマルカンドナン(あっ、ここはブハラだから、ブハラナンかな?)も最高でした。今回の旅行で一番美味かったんじゃないかな。一端ホテルに帰って午後2時から2時間はお昼寝タイム。ビールの酔いもまわって、爆睡してしまった。

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 午後4時から再び観光開始。イスチロハット公園の入り口でバスを降りて、最初はイスマイール・サーマニー廟。サーマーン朝の創始者イスマイール・サーマーニが父親のために建てた霊廟だが、後に彼も、彼の孫も葬られてサーマーン朝の霊廟となった。

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 煉瓦模様の美しい霊廟だが、正面に見られる模様が印象的だ。正方形の中に45°傾いた小正方形があり、さらにその中に小正方形がある。これが天井に使われているとラテルネンデッケと言って、シルクロードでよく見られる意匠で、敦煌の莫高窟にもあったような気がするが、何か関係あるんだろうか?

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 霊廟の近くに樹齢800年という葡萄の木があったので、一粒食べてみたが不味かった。

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 公園の中を歩いてバザールに向かう途中、土産物屋があって、彫金細工師が一生懸命仕事をしている。綺麗なお皿がいっぱい並べられていて、気持ちは惹かれるのだが、また荷物が重くなってしまうので、我慢。

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 ウズベクの老人をかたどった面白い陶器の人形もあるが、こんなもの買っても置くところもないし、これも我慢。(あとで、ザファール君の会社からお土産に貰った。肘をついて居眠りしているおっさんの人形だが、酒飲んでテレビを視ながらうたた寝している僕にそっくりだと、奥さんに言われてしまった。)(つづく)

 
 

 
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【 2013/10/29 17:07 】

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ブハラ その5

8月6日(火)

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 バザールの手前にチャシュマ・アイヨブがある。チャシュマは〝泉〟、アイヨブは旧約聖書に出てくる預言者ヨブのことで、〝ヨブの泉〟という意味である。人々が水不足で苦しんでいる時に、ヨブがここで杖を叩いたら、泉がこんこんと湧き出たそうだ。イスラーム教なのになんで旧約聖書のヨブが関係あるんだ、とお思いの方もおられると思うが、実はイスラーム教はキリスト教のアラブ版(イスラーム教徒には内緒にしておいて下さい。きっと殺されちゃいます)。キリスト教の神とイスラーム教の神アッラーは同じもの。ムハンマドはモーセもイエスもその他の預言者も認めており、自分が最大にして最後の預言者であるとおっしゃった。だから二つの宗教は根っこが同じで、兄弟みたいな宗教なんだ。だからこそ、キリスト教からみたら「俺たちのものをパクったな」という訳で、憎くてしようがない。だから1300年にもわたって喧嘩している。

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 チャシュマ・アイヨブの中には今でも泉が湧き出ているそうだが、中には入らなかった。ビニール袋を持ったウズベクのおじいさんが、よたよたと歩いている。な~んか、いいなあ。
 
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 午後4時50分、デフコン・バザールへ。デフコンはソ連時代の集団農場コルホーズの意味らしい。海外を旅していて一番面白いのがバザール。その国の人々の生活や習慣がよく分かるし、なんといっても活気にあふれていて、こっちも元気が出てくる。ウズベキスタンは野菜や果物が豊富だ。ジャガイモ、タマネギ、トマト、ズッキーニ、キャベツ、人参、スイカ。色とりどりの野菜類がところ狭しと並べられており、威勢のいい売り声が場内にこだまする。もちろんナンも売っている。同じイスラーム教の国でもパキスタンではバザールも男だらけで、女の人は全くと言っていいほど見かけなかったのに、この国では大半は女の人で、おばあちゃんの姿も見られる。ウズベキスタンは肝っ玉母さんの国のようだ。

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 奥さんはわりとイケメンの兄ちゃんからピーナッツとカシューナッツを買った。

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 僕は買うものもないので、冷やかし半分で店をのぞいていったんだけど、店の手伝いをしていた小学6年生くらいの僕が厚さ8㎝くらいの札束を数えていた。カメラを向けたら、僕をキィッと睨んで、箱で手元を隠しやがった。人に見えないところで数えないと、危ないぞ少年。


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 写真の赤い服を着た派手な眉毛の金歯のおばさんは、もう一人のおばさんと、売り物の葡萄をがっついていて、売る気があるのかないのか。添乗員の奥村君がバナナ買おうと交渉しようとしても、まだ食べてる。今日の商売もう終わりかよ。


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 バザールを楽しんだあと、バラハウズ・モスクへ。ブハラ・ハン国のハン専用のモスクで、アルク城の前にある。祝いの日、ハンはアルク城からこのモスクまで絨毯を敷かせ、「歩くじょう」と言って歩いてきたそうだ(笑)。前面には彫刻されたクルミの柱が20本並んでいて、他のモスクとはちょっと趣が違う。

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 その名前の通り、モスクの前にはハウズ(池)があり、池に映った姿もなかなか美しい。

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 時間は午後5時40分。礼拝を呼びかけるアザーンの声があたりに響く。礼拝の時間だ。一人二人と人々がモスクに集まってくる。昔はハン専用のモスクだったが、現在は一般市民に開放されているようだ。

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 今時なのでモスクの玄関には、電光掲示板で5回の礼拝の時刻が示されている。せっかくなので、しばらくアザーンの声を聴いていたが、あんまり上手じゃなかった。 
 
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 次はお隣のアルク城。ブハラ・ハン国が1920年にソ連に攻略されて滅亡するまで、ブハラ・ハンの居城だった城だ。13世紀にはチンギス=ハンの攻撃により城は破壊され、住民のほとんどが虐殺されている。ブハラで一番多くの流血を見てきた城でもある。城壁に登ればブハラの町が一望できるそうだが、時間がなくて登れなかった。

 午後6時20分、バスでホテルに戻った。 晩ご飯はほぼ昨日と同じメニュー。適当に食べておいて、午後8時20分から団長さんの部屋で大宴会。なにしろ日本から持ってきたミネラル焼酎にまったく手をつけていない。ミネラル焼酎って、何だってか。500mlのミネラルウォーターのペットボトルに焼酎を詰めたものを、僕はこう呼んでいる。パキスタンではこれが威力を発揮した。パキスタンは外国人の酒の持ち込みも禁止している国。入国審査の時に荷物をチェックされて、酒が見つかれば没収だ。ミネラル焼酎はそのための対策としてパキスタンに持ち込んだ。レストランでは外国人用にノンアルコールビールがあるんだが、これにミネラル焼酎を加えて飲んだ。見つからないかとヒヤヒヤしながら飲んだんだが、トルコでもウズベキスタンでもイスラーム教の国なのにレストランでもビールが平気で出されるので、ミネラル焼酎の出番が一回もなかった。このままじゃ、また日本に持って帰ることになる。
 というわけで、みんなが日本から持ってきたウイスキーと焼酎に、さきイカなどのおつまみで大宴会だ。ところが昼間に合計6時間ほど歩いているので、疲れが出て、あっという間に泥酔状態。プツッ。これ、記憶が飛んだ音。団長さんの部屋で、臍出してうたた寝。目が覚めたら、もう7日の朝でした。(つづく)
 
 
【 2013/10/29 08:33 】

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青の都サマルカンドへ

8月7日(水)

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 このホテルのレストランの前には数枚の絵が飾られている。横には作者であるディルラボ・マバエヴァさんの写真とメッセージが書かれているが、肝心の絵の値段はどこにも書いてない。ウズベクのお爺さんの絵が気に入って、昨日ホテルのスタッフにたどたどしい英語で聞いたら、本人に電話してくれて50ドルだとのこと。そんな高いんなら要らないと断った。

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 朝7時に朝食を食べにレストランに行ったら、レストランの前にご本人が立っておられるではありませんか。わざわざ値段の交渉に来たんだろうけど、「要らないよ」と言って、レストランに入った。昨日の朝と何の変化もない料理。昨日は卵焼きを頼んだので、せめてこれぐらいは変化をもたせようと目玉焼きを頼んで、キッコーマン醤油をかけて食べた。

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 朝食を終えてレストランから出てくると、マバエヴァさんがまだ待っている。どうしても買わせたいようだ。こっちの言い値20ドルから始まって、最後35ドルに落ち着いた。金を払おうと財布を出すと、15ドルでいいから似顔絵を描かせろという。ホテルを出発するのは8時だから、あんまり時間がない。時間的に無理だろうと言ったんだけど、30分あればOKだと言う。まあこのブログを始めるために似顔絵は欲しかったし、サンプルとして掛けられている似顔絵がまずまずの出来だったので、しぶしぶながら頼むことにして、椅子に座った。彼女と対面してじっと顔を見ていると、誰かに似ている。う~んと、誰だっけ。体重は90kgぐらいありそうな、でっぷりとした体型。あっ、思い出した、森公美子だ。この森さん、なかなか欲で、食事を終えた仲間の女性陣がテーブルに置いてある小物を手にとって見出すと、それを売る交渉をしようとする。こら、時間が無いんだから、しっかり似顔絵を書け!

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 結局30分ほどかけて書いた絵がこれだ。なんじゃ、これは。どっこも似てないじゃないか。無駄な時間と金を使わせやがって。でも約束だから仕方ない、結局50ドルを払うことになった。馬鹿馬鹿しい。日本に帰ってから、マイピクに描いてもらったら、2625円でした。

 午前8時、いよいよサマルカンドに向けてバスで出発。ブハラとサマルカンドは直線距離にして270km離れており、アジアハイウェイ5号線をバスはひた走る。サマルカンドは世界史の受験では必須事項。アム川(アムダリア)とシル川(シルダリア)に挟まれたソグディアナ地方のオアシス都市。アレクサンドロス大王時代はマラカンダの名で知られ、隋唐時代の中国では康国の名で記された。インドに向かう玄奘三蔵もこの町を通過している。13世紀ホラズム朝の都となったが、チンギス=ハンにより徹底的に破壊され、住民の3/4が殺されたという。1370年にはティムール朝の都として栄光を取り戻し、「チンギス=ハンは破壊し、ティムールは建設した」と言われる。 

 まあ、お勉強はこれくらいにして、午前9時ちょっとギジュドゥバンの陶芸工房に寄り道。

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  陶芸家のアブドゥッロさんは6代目で、お父さんは九谷焼の窯元で2年間修業したそうだ。まず陶器博物館のほうで、アブドゥッロさんの講義と息子さんによるロクロの実演。

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 若き日のアブドゥッロさんがヒラリー=クリントンと一緒に写った写真も飾られていて、世界的に有名なんだと密かに主張している。なかなか気に入った壺があったんだけど、売り物じゃないと言われた。

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 この工房では男衆は焼き物、女衆はスザナを制作しており、娘さんと息子の嫁さんが一生懸命に刺繍をしている。さあ、ブハラでスザナを買いそびれた奥さんの購買意欲が頭をもたげてきて、アブドゥッラさんとの交渉が始まった。畳2畳分もある大きなスザナを買おうとしている。最初の言い値は450ドル。なかなか値段が下がらないので、お茶をいただいていた僕も呼ばれて三者会談。なかなか値段が下がらない。

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 こうなったら、制作者の奥さん本人に聞かないと駄目だというので、奥さんの登場となって、四者会談。「奥さんの金歯が素敵」とかなんとかお世辞のありったけを言って、400ドルで一件落着。でも、こんな大きいスザナ、どこに置くの?

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 午前9時50分、買い物も済ませ、一路サマルカンドへ。(つづく)
【 2013/10/29 06:42 】

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サマルカンド1日目 その1

8月7日(水)

 午後1時30分、ようやくサマルカンドに到着。途中ギジュドゥバンに1時間程寄り道したので、4時間半走ったことになる。町中に入ると、ガイドのザファール君がある建物に向かって合掌してお辞儀をしている。彼が卒業したサマルカンド国立外国語大学だ。「この大学がなければ、ザファールという厚かましい男はここにいなかったんですね。」だって。お腹もすいた、レストランに直行。

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 ブハラで昼飯を食べたレストランにはロバ車が置かれていたけど、このレストランの前には大きな馬車が置かれている。名前はロシア文字なので読めない。サマルカンドの町中にはちょいちょいラテン文字も見かけるが、圧倒的にロシア文字が多い。日本に帰ってから調べたら、店の名前は「Staraya Arba」、意味はわかんないけど、結構高級店らしい。

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 今日はまったく歩いていないんだけど、まずはやっぱりビール。飲み慣れてきたサルバストと、サマルカンドの地ビールのパルサーで乾杯。

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 チーズ入りパイ生地風の前菜をつまみに飲むんだけど、これがパクチーが入っていて臭い。好きな人は好きなんだろうけど、僕は苦手。キッコーマン醤油をかけて食べる。あとは、カボチャのスープにおなじみの胡瓜・ジャガイモ・人参・ゆで卵入り角切りサラダ。メインはマトンのホイル焼き。歩いていないせいか、皆あまり食欲がないみたいだ。  

 この後、サマルカンド一の観光スポットであるレギスタン広場(レギスタンは砂地の意味)に行くんだが、世界東洋音楽祭の予行演習が行われるため、午後3時以降は立ち入り禁止になるという連絡が入り、そそくさと食事を終わらせてレギスタン広場に向かった。だけど、世界東洋音楽祭って何だ?帰国してから調べてみたら、1997年から隔年で開かれている伝統音楽の祭典で、「シャルク・タロナラル」というそうだ。レギスタン広場は3つのメドレセ(神学校)が建つ場所なので、東大寺の大仏殿の前でコンサートを開くようなもんかな。今年は8月27日から始まり、53カ国代表396人が参加し、日本の尺八が3位になったそうな。

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 午後2時30分、かろうじて間に合ったが、広場に立ってがっかり。音楽祭のためのステージやら照明器具があり、全景が見えない。おまけにメドレセの屋根には工事のおっさんの姿まで見える。その上、さらにどんよりとした曇り空で、「青の都」なのに真っ青な空がない。もう、最悪。出演者や観客にとっては最高の場所なんだろうけど、他の場所でやってよ。
  
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 30分しかないから、急ぎ足で見学していく。まずはウルグ・ベク・メドレセ。ブハラのウルグ・ベク・メドレセが建てられた2年後の1420年に建てられた神学校だ。

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 星をモチーフにした青いタイルが美しい。青空だったら、もっと映えるのに、残念。

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 当時ウルグ・ベクはまだ26歳で、サマルカンド知事を務めていた。なにせ学問が大好きで、数学者・天文学者・神学者・歴史家の顔を持つ。メドレセ内部に学者たちと語らうウルグ・ベクの像もあった(たぶん座っているのがウルグ・ベク)。だけど、政治家・武将としての器ではなく、父シャー・ルフが死んだ1447年にティムール帝国のハン位を継いだが、たちまち内乱となり、2年後に長男との争いに敗れてしまう。ハン位を長男に譲り、メッカ巡礼に旅立つのだが、長男が使わした刺客によって暗殺されてしまう。その長男もウルグ・ベクの忠僕によって暗殺され、その50年後にティムール帝国はウズベク族に滅ぼされてしまう。 
  
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 次はお隣のティラカリ・メドレセ。ブハラ=ハン国時代の1660年に建設された。ザファール君が建物の中に入る前に、「自分を喜ばせたい人は、下を向いて中に入って下さい。絶対顔をあげないように。私がいいと言ったら、顔を上げて下さい。」と、おっしゃる。言われる通りに、みんな下を向いて中に入った。

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 「いいですよ。顔を上げて下さい」。顔を上げた途端、みんな一斉に、ワーオ、スッゲエ。なんちゅうピカピカ、キンキラリン。秀吉の黄金の茶室も真っ青になるほどの、キンピカピカだ。“ティラカリ”って、「金箔された」という意味で、ソ連時代に修復されたそうだが、使った金の量が3kgだって。
  

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 レギスタン広場最後のメドレセはシェルドル・メドレセ。これもブハラ=ハン国時代の1636年に完成したメドレセで、完成までに17年もかかったそうだ。お向かいのウルグ・ベク・メドレセを模倣して造られそうで、確かによく似ている。

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 “シェルドル”は「ライオンが描かれた」という意味で、その名の通り入り口のアーチに子鹿を追うライオンが描かれている。どうみても虎か豹にしか見えないけど、そのライオンが人面の描かれた日輪を背負っている。あれっ、この顔どっかで見たぞ。そうだ、ブハラのナディール・ディヴァンベギ・メドレセだ。

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 ねっ、似てるでしょ。この2つのメドレセ、同じ頃に建設されているので、おそらく同じ建築家が造ったんだと思う。あれこれ調べたけど、そこまで踏み込んだ解説はなかった。造らせたハンの名前もどこにも出てなかったけど、時期的に考えて恐らくイマーム・クリという人物だろう。ブハラのところでも書いたけど、偶像崇拝を厳禁するイスラーム教では、人間の顔や動物を描くことは御法度。建築家は責任をとって自殺したというから、可哀想なもんだ。自分の権力を誇示するためムハンマドの教えに逆らったイマーム・クリは、当然緑園(イスラーム教の天国)には行けなかったでしょうね。(つづく)
 
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【 2013/10/28 18:28 】

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サマルカンド1日目 その2


8月7日(水)

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 午後3時、レギスタン広場からタシケント通りをぶらぶら歩いてビビハニム・モスクへと向かった。タシケント通りは800mほど続く、お土産屋さんが並ぶショッピング通りだ。ソ連統治時代にバザールとショッピングモールが分けられて、タイル敷きの近代的な通りとなったそうだ。掃除も行き届いているし、それぞれのお土産屋さんもショーウインドウがあって、綺麗なんだけど、なんか味気ない。ブハラのラビハウズのように偽物の駱駝がいて、その横には偽物の井戸があった。中を覗いてみたら、旅人の喉を潤す水ではなく、ペットボトルのゴミの山だ。お客さんも閑散としていて、シルクロードのオアシスの町に来たという実感がまるでわかない。昔ながらの汚くて、五月蝿くて、そこらへんで駱駝や驢馬が糞をたれていて、臭くて、ごった返しているバザールのほうが観光客喜ぶと思うけどね。

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 20分ほど歩いて、ビビハニム・モスクに到着。ビビハニムとは“第一婦人”のことで、本名はサライ・ムルク・ハーヌムといい、チンギス=ハンの末裔だ。ご存じの通り、イスラーム教では妻は4人まで持ってもいいことになっているが、5人以上は駄目。ティムールは側室も入れると50人近くの女性がいたようで、まあ羨ましいというか、なんというか。話がそれちゃったけど、その第一婦人がティムールのインド遠征の凱旋にこたえて贈ったモスクだそうで、中央アジア最大の広さを誇り、サッカー場がすっぽり入る敷地に巨大な建築群が立ち並ぶ。

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  とにかくでかい。どんなにでかいかは、門の前に立っている僕の身体が見えないくらい小さいので分かってもらえると思う。目一杯さがって撮影しても全体が入りきらない)。

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でかいと言えば、中庭中央に置かれている大理石のラウヒ(書見台)もでかい。オスマーン・クラーンと呼ばれる7世紀に書かれた世界最古のコーランを置くためのもので、ウルグ・ベクが寄進したらしい。オスマン・クラーンはティムールがダマスクスから持ち帰ったものもので、現在はタシケントのジュマ・モスクに保管されているとのこと。

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 ビビハニム・モスクは1399年に着工し、ティムールの死の1年前、1404年に異例の早さで完成した。しかし、落成後まもなくから煉瓦の落下が始まり、落下はとどまることなく、しだいに廃墟と化したそうである。あまりにも工事を急ぎすぎてしっかり基礎を造らなかったことと、あまりにも巨大過ぎたその構造に問題があったみたいだ。現在ユネスコの協力も得て修復が進んでいるが、すべて修復が終わったわけではない。建物の中には今でも煉瓦の落下が続いていそうなものもあり、完全修復までにはまだ時間がかかりそうだ。

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 午後4時、ビビハニム・モスクの見学を終えて、お隣のシヨブ・バザールへ。シヨブ・バザールはサマルカンド最大のバザールで、昨日行ったブハラのバザールとは規模が違う。ここでもやはりおばさんが主役。


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 僕は生徒を眠らせないために、時々民族帽をかぶって世界史の授業をすることがある。今までもウイグル帽やキルギス帽をかぶって授業をした。ちょっとこっ恥ずかしいけど、生徒を笑わせて眠気を吹き飛ばそうという作戦だ。奥村君にインドのターバンを買ってもらって、試したことがあるんだけど、これは結局巻くことが出来ず諦めた。今回の旅行でもトルコのカーリエ博物館のところでトルコ帽を買ったんだけど、シヨブ・バザールでもウズベク帽を8,000スム(400円)で買った。これをかぶってバザールの中を歩いたら、ウズベクの人々に笑われてしまった。

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 奥さんのお目当ては蜂蜜。奥村君から話しは聞いていたので、蜂蜜屋さんのコーナーに直行。ここは金沢の近江町市場みたいなもんで市民の台所だから、お土産に持って帰るような体裁のいいものは置いてない。瓶詰めのほかにペットボトルに詰めたものもある。それもリサイクルのボトル。奥さんは300g入り2本と、蜂の巣のままのを1パック買った。しめて26,000スム(1,300円)。

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 時間があまったので、奥さん今度はスカーフを漁りだした。おっさんの店で買ったんだけど、最初の言い値が1枚30,000スム(1,500円)。「ディスカウント」って言ったら、すぐに10ドル。ちょっと早くない、このおっさん計算出来ないんじゃないか。「4枚で30ドルでどうだ」と迫ったら、あっさり4枚で32ドルでOK。ほぼ半値で買えちゃった。ラッキー。買うものも買ったんだけど、渋滞に巻き込まれてお迎えのバスがなかなか来ない。することもなくたむろしていると、スカーフを首からいっぱいぶら下げた腹のでかいおばさんが近づいて来る。お腹に赤ん坊がいるみたいだけど、これがまたしつこい。今買ったばかりのスカーフを見せて、「ケレク・ヨク(要らない)」と言っても、むこうへ行かない。ウズベクの女はなんとたくましい。(つづく)
【 2013/10/28 17:36 】

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サマルカンド1日目 その3

8月7日(水) 
 
 午後5時15分、さあいよいよグリ・アミール廟だ。今回の旅で一番楽しみにしていた場所に入るが、その前にティムールについて勉強しておこう。  
 チンギス=ハンの再来と言われたティムールは、1336年、サマルカンド南方のケシュ(現在のシャフリサブス)で、西チャガタイ=ハン国(チンギス=ハンの次男坊が建国)のトルコ系小貴族の子として生まれた。ティムールは“鉄”のこと。チンギス=ハンの実名テムジンは“鉄の男”だから、名前は共通する。戦傷で右足が不自由になったことから、ペルシア語で「ティムーリ・ラング(跛者ティムール・びっこのティムール)」で呼ばれ、ヨーロッパでは訛ってタメルランの名で呼ばれた。
 
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 チンギス=ハンの子孫を称してモンゴル帝国の再現をめざし、1369年、サマルカンドを都にティムール帝国を興した。ティムールはチンギス=ハンの血を引いていなかったので、生涯ハンを名乗らずアミール(将軍の意味)を名乗った。東チャガタイ・イル・キプチャクの諸ハン国を支配下に置き、インドにも侵入、1402年のアンカラの戦いではオスマン帝国を破り、大帝国を建設した。さらに、モンゴルの元を滅ぼした明を撃つべく、1404年中国遠征を開始。そのままいけば、明の永楽帝との間で一戦交えるはずだったが、1405年2月ティムールはオトラルで病死する。

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 グリ・アミール廟はアミールの墓の意味で、風雲児ティムールが眠る。もともとは彼の最愛の孫で王位継承者であったムハンマド・スルタンが建てたメドレセがあったが、1403年に彼が29歳の若さで戦死すると、ティムールは隣に廟を建設した。1405年にティムールがオトラルで亡くなった時、すでに生まれ故郷のシャフリサブスにティムールの廟は築かれていた。しかし、シャフリサブスへの道が雪で閉ざされていたため、遺体はサマルカンドに運ばれ、グリ・アミール廟で孫と一緒に眠ることになった。

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 真ん中にティムールが眠っているんだけど、黒緑色の軟玉製の墓石がティムールの墓。その東側にムハンマド・スルタン、西側にティムール帝国3代目のシャー・ルフ、南側にシャー・ルフの子で4代目のウルグ・ベク、北側にティムールの師ミルサイード・ベリケが眠る。しかし、これらはみな墓の位置を印した墓石で、亡骸は地下3mの墓室に葬られている。これはアグラのタージ・マハルと同じ構造。観光客が見ているシャー・ジャハーンとムムターズ・マハルのお墓には遺体は入っておらず、お二人さんは地下に眠っている。あっ、知っていると思うけど、タージ・マハルを建てたシャー・ジャハーンはティムールの子孫だよ。
ティムール  

 ティムールの棺には「私が死の眠りから起きた時、世界は恐怖に見舞われるだろう」という言葉が刻まれていたそうだ。でもソ連の連中は無神論者だからそんなことは信じない。ミハイル・ゲラシモフという学者が1941年6月19日に棺をあばいて学術調査を行った。その結果、ティムールはやはり右足が不自由だったことや、ウルグ・ベクが斬首されたことなど、歴史記述が正しかったことが判明した。写真のティムール像はゲラシモフが頭蓋骨から復元したものだ。ザファール君にどこにあるのか聞いたら、「ロシアにあるんでしょ」、というそっけない返事。調べてみたらタシケント歴史博物館にあるそうだ、いい加減な。
 ゲラシモフは棺の内側に文章を発見し、解読した結果「墓を暴いた者は、私よりも恐ろしい侵略者を解き放つ」という言葉が現れた。そして、その言葉通り、6月22日にナチス・ドイツがバルバロッサ作戦を開始、ソ連になだれ込んで来た。びっくり仰天、慌ててティムールとウルグ・ベクの頭蓋骨を丁重にもとに戻したそうな。

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 ティムールの死後50年ほどして帝国はウズベク族に滅ぼされてしまう。そのウズベク族の国が現在のウズベキスタン。「なんで自分たちが滅ぼした連中を英雄として扱ってるの?」、ってザファール君に聞いたんだけど、明確な答えが返って来なかった。ウズベキスタンのあちこちにティムール像が建っており、民族と国家を象徴する英雄となっており、なかにはティムールをウズベク人とする考えもあるという。どう考えても、おかしい。まあ、ごちゃごちゃ言わずに、ティムールさまさまで外貨稼げればいいじゃん、という声が聞こえてきそうだ。グリ・アミール廟のティムールの案内板に、アンカラの戦いが1400年になってたんだけど。ティムールで稼ぐんだったら、ちゃんと直しといたほうがいいよ。(つづく)
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【 2013/10/28 16:56 】

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サマルカンド1日目 その4

8月7日(水)  

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 ティムールの気配を充分に堪能して、午後6時15分いったんホテルに入ります。ホテルはレギスタン広場のすぐ北にあるアジア・サマルカンド。玄関はメドレセ風だが、中庭にはプールもあるなかなか洒落た4つ星高級ホテルだ、と『地球の歩き方』には書いてある。

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 しばらく休憩して、午後7時5分バスに乗ってレストランへ。20分ほど走って着いたレストランは葡萄棚のある、農家風レストラン。奥村君に聞いたけど、名前は分からなかった。 

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 まずはサマルカンドの地ビール、パルサーで乾杯。それとミネラル焼酎だ。前にも話したけど、ミネラルウォーターのペットボトルに入れた焼酎だ。昨晩、団長さんの部屋で大宴会をした時に出したんだけど、みんなウィスキーばっかり飲んで、ほとんど1本そのまま残った。それを奥村君が持って来て、やっとサマルカンドのレストランにミネラル焼酎の登場とあいなった。でも、ビールがふんだんにあるもんだから、ほとんど誰も飲まない。結局、下戸のザファール君に日本からはるばる持ってきた焼酎を全部あげちゃった。 

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 最初の写真がアーモンド。堅くて殻をあけるのが大変。次がサラダ。お次が茄子の料理とサムサ3種類。サムサはブハラでも出たけど、タンドゥールという窯で焼いた肉やタマネギの入ったパイ。インドのものはカレー風味だが、ウズベキスタンのものはそんなにスパイシーではなく、あっさりしている。さらに有名なサマルカンドナン。カットされているけど、もともとは直径30cmほどある。ナンの王様というだけあって、冷めても美味しい。日本へのお土産に買って帰るつもりだったんだけど、結局買う機会がなかった。サマルカンドでは2年経ったものでも食べられると言うけど、本当かね。そして、最後がメインのプロフ。要するにピラフなんだけど、たっぷりの人参と肉が上に乗っていて、意外と美味い。全体的に野菜中心のヘルシーな料理だ。


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 夕食会にはガイドのザファール君と運転手のハッサン君も参加した。ハッサン君は寡黙で、真面目な運転手。ザファール君は30歳でまだ独身だが、ハッサン君は28歳で奥さんがいる。毎回バスを降りるたびに、ザファール君が言う言葉。「おいよいよいよ~い。今日お世話になった運転手さんは、ハッサンさ~んで~す。」最初はみんな笑ったけど、2回目からは誰も笑わない。その「おいよいよいよいよ~い」って、どこで習った日本語。ハッサン君が生の青とうがらしを注文して美味しそうに食べているので、1本もらって食べたけど、辛いのなんの。インドで食べた時はそう辛いと思わなかったんだけど、気候が違うせいかな?こんなものを食べるくらいだから酒を飲むんだろうと思って聞いたら、やっぱり上戸だ。日本の焼酎を勧めたんだけど、断られた。ウズベキスタンでも飲酒運転は当然禁止で、罰金は90ドルだって。新卒の給料が18~19ドルだから、日本の罰金より高いよね。だけど、ここイスラームの国だから、本当は鞭打ちの刑でしょ。

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 夕食が終わって、レストランから出てきたら、ウズベクの子供たちがいる。可愛い子供たちだったので、一緒に写真を撮ろうとすると、小さいほうの子が怖がって逃げていく。おじさん、そんなに怖い? ホテルへの帰り道、バスは右に左に揺れる揺れる。道路工事をしているのかも知れないけれど、周りは真っ暗で何も見えない。インドでは悪路は当たり前だけど、今回の旅ではこれが初めて。ああアジアを旅しているなあと、かえって面白かった。

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 午後9時10分、ホテルに到着。ホテルの部屋は二間続きになっていて、めっぽう広い。冷蔵庫の上にミニバーのプライスリストが置いてある。少し飲み足りないので、ビールを飲もうと冷蔵庫を開けたら、中はからっぽ。おまけにコンセントが抜いてある。このホテル、本当に4つ星高級ホテルなの?(つづく)


【 2013/10/28 16:38 】

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サマルカンド2日目

8月8日(木) 

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 午前7時、朝食。パンとチーズ・ソーセージ・目玉焼きといった、ごくありきたりの朝飯。これはウズベキスタンだというものはないが、鶏団子入りスープはなかなか美味かった。

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僕は甘いものが嫌いだから食べなかったけど、蜜蜂の巣がそのまんま出されていて、自分で蜂蜜を削って食べるのは女性陣に人気だったみたいだ。 1カ月続いたイスラーム教のラマダーン(断食)もいよいよ今日が最後だ。今晩はラマダーン明けの盛大な祭りが行われるんだろうけど、残念なことに今晩ウズベキスタンを発たなければならない。
 午前8時、今回の旅で最後の観光に出発。今日は晴れ。ウズベキスタンに来て初めて真っ青な空が見える。出発前にホテルの玄関に掛かっている温度計を見たら41℃だ。横にいた外人さんと一緒にワーオ!!朝から41℃だったら、午後は何度になるの!!って、その時は思ったんだけど、あとからよく考えてみたら、温度計には朝日が燦々とあたっていた。 脅かすんじゃないよ。
 
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 まずはシャーヒズィンダ廟群へ。この廟群はサマルカンド有数の聖地で、アフラシャブの丘の南麓にある。アフラシャブの丘はもともとのサマルカンドの町があった丘だが、13世紀にチンギス=ハンにより徹底的に破壊され、今は茫漠たる枯れた大地が続くだけだ。
 7世紀にこの地に布教のためやってきた予言者ムハンマドの従兄クサム・イブン・アッバースが、ここで礼拝をしている最中にゾロアスター教徒に襲われて首をはねられてしまったそうな。ところが、首がないままに知らん顔(あっ、顔はないか)で礼拝を終え、自分の首を抱えて深い井戸へと入っていった。彼はそこで永遠の命を得て、イスラームが危機に陥った時に、救いに現れるという。そんな伝説から、 シャーヒズィンダとは“生ける王”という意味だそうだ。

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 ウルグ・ベクが建てた入り口の門をくぐると、すぐに階段がある。この階段を数えながら上がり、その数が行きも帰りも同じだったら天国に行けると、『地球の歩き方』には書いてある。でも、ザファール君は最初から40段あると教えてくれた。数えながら上って、ちょうど40段だったら天国に行けるんだって。みんな数えながら上がる。1段1段が高いので短い足の日本人には一苦労だ。「さあ、上がりましょ。頑張れ、日本」、というザファール君の応援を受けて、みんな息を切らしながら上る。僕は41段だったから天国には行けない。階段を上りきって、全員一斉にワーオ!!なんと美しい。

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 澄み切った青空に、青や緑や紫のタイルが映える。ティムールの愛したお妃さんや、ティムールゆかりの人々を祀った11もの廟がほぼ一直線に立ち並んでいる。いわゆる死者の通りなのだが、そんな雰囲気は微塵もない。いや、見事というしかない。カメラの好きな人だったら、1日中いても飽きないだろう。僕もさかんにシャッターを切る。昔みたいにフィルムだったら大変だ。

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 一番奥のほうにクサム・イブン・アッバース廟がある。さっきお話しした伝説の人が眠る場所だ。シャーヒズィンダ廟群は14~15世紀に建てられたものだが、この廟だけ11世紀で一番古い。チンギス=ハンの来襲の時も破壊されなかったので、サマルカンドで最も古い建造物となっている。透かし彫りの格子越しにクサム・イブン・アッバースの墓石が見えるそうなんだけど、僕には見えなかった。

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  なにせ首をはねられても礼拝を続けた人の魂が眠る場所なので、ここは大変なパワースポットだ。この廟に3回詣でると、メッカに詣でたのと同じなんだって。だから、僕たち観光客ばかりではなく、地元の人達もけっこうお参りに来ている。僕たちがこの廟の見学している時も、熱心な信者さんがご祈祷らしきものを受けていた。イスラーム教にご祈祷があるかどうか分からないけど、一番右のウズベク帽をかぶっている髭のおっさんが、なんか呪文みたいなものを唱えて、隣に座っているおっさんも耳に「ヒュー」と息を吹き込んでいた。こんな作法は仏教には無いと思うけど、あんがい日本でやった流行るかも知れないね。

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 このシャーヒズィンダ廟群の周りは現代人のための霊園墓地になっている。日本でいうと高野山みたいなもんかね。たくさんのお墓が建ち並んでいるんだけど、よく見ると墓石に亡くなった人の肖像が刻まれている。日本ではペットのお墓で最近流行っているけど、人間のものはちょっと趣味悪いよね。ウズベキスタンではソ連時代から流行し始めたらしいんだけど、偶像崇拝を禁止しているイスラーム教では当然やってはいけないことですよね。 ロシア人が始めたんだろうけど、真似しちゃだめですよ。
 
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 午前9時15分、最後の見学地ウルグ・ベク天文台跡です。中に入る前におしっこに行ったら有料トイレ、500スム(25円)です。男女それぞれ何カ所かあるのに、管理しているおばさんが1カ所しか使ってはいけないという。金取ってんだから、使わせろと言っても駄目。結局、女性陣に先に済ませてもらって、男性陣があとから使うしかなかった。きっと、掃除の手を省こうというんだ。ウルグ・ベクに怒られるぞ。

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 まずは博物館で色んな資料を見ながら説明を聞いたんだけど、いまいち良く分からない。だけど、ウルグ・ベクが六分儀を使った太陽の観測記録から割り出した1年の長さが365日6時間10分8秒。現在コンピューターを使って割り出した365日6時間9分9.6秒とたった1分しか違わないから、凄いことなんだ。現在、六分儀の地下部分11mだけが残っているけど、当時は全体で40mあったというから、大天文台だったんだね。『天地明察』という映画をご覧になった方もおられると思うけど、為政者にとって日食や月食を正確に割り出すことは、人心を掌握する上で大変重要なことだった。韓国テレビドラマの『善徳女王』でも暦の話が出てきたし、中国の皇帝は暦を独占して世に君臨した。ウルグ・ベクの研究は単なる研究ではなかったんだろうけど、その辺を馬鹿息子が理解していなかった。結局ウルグ・ベクを殺害した後、この馬鹿息子が天文台を破壊してしまった。偉大な科学者だったんだけど、子育てには失敗したということだ。立派なウルグ・ベクの像があったので、記念撮影していたら、ウズベキスタンの女学生も見学に来ていた。旅の最後に写真撮らせてもらいました。さあ、あとは日本に帰るだけだ。(つづく)

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【 2013/10/28 06:17 】

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日本に帰ります

8月8日(木) 

 シャーヒズィンダ廟群とウルグ・ベク天文台跡を見学した後、午前10時15分一端ホテルに帰り、日本に帰る支度。チェックアウトを済ませ、正午丁度にホテルを出発。まずは腹ごしらえです。

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 プラタン(platan)というなかなか洒落たお店で、『地球の歩き方』にも掲載されています。

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 当然、生ビールで乾杯。最初の料理は豆のサラダ。写真を見ると、うずら豆の煮物みたいに見えるけどれっきとしたサラダです。続いて、いつものゆで卵入り人参・じゃがいもサラダにプロフ。昨晩食べたプロフよりもヨーロッパ風に洗練された感じです。さらに鶏団子入りの麺のスープ。これはあっさりしていて口に合います。

 
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 さあ、そしてメイン料理はチキンのグリル。炎があがっていて、美味しそうですね。いや、実際に美味しかったんだけど、視覚に飛び込んできたイメージほどは………。

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 最後はデザート。これナポレオンという名前のミルフィーユのようなお菓子。パイに、コンデンスミルクなどを挟んで層になっているんだけど、意外に美味い。まあ、甘いものをあんまり食べない僕が美味いというんだから、女性陣は喜んだんじゃないかな。うちの奥さんなんか日本にお土産に持って帰りたいって、レストランのスタッフに聞いたくらいだ。生クリーム入っているから、無理ですって。残念でした。

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 さあ、腹ごしらえも終わったところで、午後1時15分タシケントに向けて出発。サマルカンドとタシケント間の距離は約350km。ハッサン君に頑張ってもらいましょう。

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 午後2時45分、ティムールの門を通過。岩山がくり抜かれたようになっていて、ティムールの時代には大きなアーチ型の門があったという。ティムールは1404年11月27日にサマルカンドを出発、明を打倒するためこの門を通って中国へと出陣、翌年2月18日オトラルでついに帰らぬ人となった。風雲児ティムール、68年の生涯であった。

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 午後3時10分。場所がどこなのかさっぱり分かりませんが、トイレ休憩です。やっぱり有料トイレで、500スム(25円)。最後のスムを使い果たしました。42,500スムもあったのに、1スムもありません。隣に売店があって、冷凍庫の中に美味しそうなアイスクリームが山のようにあります。奥さんをはじめ女性陣がいっせいに「食べた~い。でも、スムがな~い。お恵みを」の声。幸い、スム持ちがいて、女性陣の食欲は満たされました。ついでに、バスも給油したんだけど、ガソリンは1リッター1ドル、天然ガスだと50~70セントだそうだ。

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 売店のウズベクの女の子です。


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 午後5時30分、シルダリヤを通過。ダリヤは川のことだから、シルダリヤ川と表記するのはアホ。天山山脈に源を発し、アムダリヤとともにアラル海に注ぐ。ソ連時代に綿花栽培のための灌漑が行われた結果、両河川からの流入量が激減して、アラル海は縮小し、往年の30%になってしまった。「20世紀最大の環境破壊」と言われる。

 午後6時25分、タシケント空港に到着。バスを降ります。ザファール君が「ハッサンさん、どうもお世話になりました。頑張ってウズベキスタンの人口増やしてくださいね」と、最後の軽口をたたき、そのザファール君ともお別れして、まずスーツケースを預けます。スーツケースの中はタイルだらけなので、当然、20kgの制限重量は軽くオーバーしてます。軽そうなYさんのスーツケースとペアにしてもらって、OKとなりました。

 僕のスーツケースはトルコを出国する時と、ウズベキスタン入国の時と、2回とも開けさせられています。大量のマグネット付タイルが問題でした。2度あることは3度ある。当然、今回も開けさせられると思ったんですが、税関も無事通過、安全検査も無事通過して、待合室に入ります。お呼びの声がかかりませ~ん。あれ~、なんでだ。おかしいな。でも、良かったじゃん。ラッキーと思った、のもつかの間、「ホンジュン・モリタ」って呼び出しの声。やっぱりね、ガクッ。奥村君と一緒にスーツケースを開けに行きます。検査場の近くかと思ったら、階段を降りて建物の外に出て、コンテナに積み込む所まで連れていかれました。スーツケースの鍵を出して、開けようとしたら、Yさんのスーツケースに僕の名前のタグが付いています。Yさんのとペアにして預けた時に、係官がアベコベに付けちゃったんだ。急いで、待合室に走り、「Yさ~ん、スーツケース開けて下さいって」。でも、僕のスーツケース、なんでOKになったのかね?
 
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 時間は午後7時45分。フライトまで時間がたっぷりあるし、免税店にはろくなものもないし、2日と同じスタンドでまたまた大宴会。テーブルの上に空になったビールの缶が林立します。 左からドイツのBeck's 、ノルウェーのRingnes,ドイツのWarsteiner 。本当に最後の最後まで飲む連中ですね。

 午後9時5分、ウズベキスタン航空527便(HY527便)は定刻通り成田に向けて離陸。ハイル(さようなら)ウズベク、ラフマット(ありがとう)。トルコもウズベキスタンももう行かないと思うけど、ヘビーなパキスタンと違ったイスラーム圏で、まずます面白かったよ。機内はガラガラ。みんな思い思いに好きなところに席を移します。

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 何もすることがないので、来た時といっしょでボーリングゲームに熱中。午後10時。お食事の時間です。義務的にいただきます。無理矢理腹におさめて、あとはお休みなさ~い。

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 ロシア文字(キリル)文字で左がマヨネーズ、右がケチャップ。

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8月9日(金)

 午前5時30分。飛行機の窓から見る日の出。飛行機は東に向かって飛んでいるので、角度が悪く太陽が昇るところは撮影できません。午前8時25分、予定よりも早く成田に到着。入国審査を済ませ、Yさんとお別れしてリムジンバスで羽田に向かいます。お盆休みのためか大渋滞で2時間以上かかって羽田空港へ。羽田空港も帰省客でごった返しています。日本の美味いビールで乾杯といきたいところなんですが、小松空港に車が置いてあるので、ゴーゴーカレーだけで我慢。午後1時5分発のJL1279便で小松へ。午後2時5分小松空港着。空港に預けてあった車を運転し、帰宅したのが午後3時30分。さっそく冷蔵庫からビールを出し、無事帰宅を祝って、かんぱ~い。びっしりつまった9日間の旅行、ご苦労さんでした。次はどこに行こうかな。(おわり)
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【 2013/10/26 16:33 】

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