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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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ブッダの生涯 その7


ブッダを知りませんか?

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 ブッダの最初の説法を初転法輪【しょてんぼうりん】というんだけど、ブッダは何を語ったんだろうか?残念ながら、実のところよく分かってないんだ。後代にどんどん追加されていったもんだから、サールナートで最初に何を語ったのかはっきりしない。ここは一般的に伝えられている内容を紹介していくね。ちょっと難しいかも知れないけど、頑張って読んでね。 
 
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初転法輪像(サールナート考古博物館蔵)

  中道

 さて、世尊は五人の比丘たちの群れに話しかけられた。
 「比丘たちよ。これら二つの極端は出家した者が近づいてはならないものである。二つとは何であるか。それは一つには、もろもろの欲望の対象において歓楽の生活に耽ることで、下劣で、卑しく、凡俗の者のするところであり、聖なる道を行う者のするものではなく、真の目的にそわないものである。また、それは二つには、自分を苦しめることに耽ることで、苦しく、聖なる道を行う者のするものではなく、真の目的にそわないものである。比丘たちよ、これらの二つの極端に近づくことなく、如来は中道をさとった。この中道は、真理を見る眼を生じ、真理を知る知を生じ、心の静けさ・すぐれた智慧・正しいさとり・涅槃へと導く
。」
(『マハーヴァッガ』)
 ※比丘=男性の出家者。 涅槃【ねはん】=悟りのこと。

 これはブッダの体験から出た言葉だね。出家する前は、宮殿でありとあらゆる贅沢品を与えられ、絶世の美女たちに囲まれ、あらゆる欲望を満足させる生活をしていた。そんな享楽を求める生活が無意味であると悟って、城を抜け出し、6年間森の中で苦行に励んだ。餓死寸前のところまで自分を追い込んでいったけど、結局悟りには到らなかった。そうした体験から快楽と苦行の二つを超越した「中道」を発見したわけだ。だけど、誤解してはいけないのが、決して中途半端ということじゃないよ。快楽を求めず、かといって自分にとって苦しいこともしない、生ぬる~い生活がいいと言ってるんじゃない。極端はダメよということだ。生ぬる~い生活は、それはそれで極端な生活なんで、拒否される。つまり、偏執や妄執にとらわれることなく、自由な状態に自分をおくことで、ブッダは弟子のソーナとこんな会話をしている。

 「ソーナよ。汝はどう思うか?もしも汝の琴の弦が張りすぎていたならば、そのとき琴は音声こころよく、妙なるひびきを発するであろうか?」
 「尊い方よ。そうではありません。」
 「汝はどう思うか?もしも汝の琴の弦が緩やかすぎたならば、そのとき琴は音声こころよく、妙なるひびきを発するであろうか?」
 「そうではありません。」
 「汝はどう思うか?もしも汝の琴の弦が張りすぎてもいないし、緩やかすぎてもいないで、平等な(正しい)度合いをたもっているならば、そのとき琴は音声こころよく、妙なるひびきを発するであろうか?」
 「さようでございます。」
 「それと同様に、あまりに緊張して努力しすぎるならば、こころが昂ぶることになり、また努力しないであまりにもだらけているならば怠惰となる。それ故に汝は平等な(釣り合いのとれた)努力をせよ。」
(『マハーヴァッガ』)

 琴の弦が張り過ぎていても、緩み過ぎていても、いい音色はしない。ちょうどいいところが、ちょうどいいということだね。ブッダはさらに中道をより具体的に説明する。

 「比丘たちよ、如来がさとったところの、真理を見る眼を生じ、真理を知る知を生じ、心の静けさ・すぐれた智慧・正しいさとり・涅槃へと導く、かの中道とは何であるか。これこそ聖なる八つの道(八正道)である。すなわち、正しい見解・正しい思考・正しい言葉・正しい行為・正しい生活・正しい努力・正しい念慮・正しい三昧である。比丘たちよ、これが如来がさとったところの、真理を見る眼を生じ、真理を知る知を生じ、心の静けさ・すぐれた智慧・正しいさとり・涅槃へと導く、かの中道である。」(『マハーヴァッガ』)
 ※如来=ブッダのこと。 三昧【さんまい】=瞑想。

 正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定の8つを八正道【はっしょうどう】というんだけど、これこそが中道だとおっしゃている。

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初転法輪の地に建つダメーク・ストゥーパ
 4つの聖なる真理

 ブッダはさらに大切な教えを説いた。

 「比丘たちよ、苦しみに関する聖なる真理とは、次のようである。生まれることも苦しみであり、老いることも苦しみであり、病むことも苦しみであり、死ぬことも苦しみであり、憎い者たちと会うことも苦しみであり、愛する者たちと別れることも苦しみであり、求めても手に入らないことも苦しみであり、要するに執着を起こすもとである身心・環境のすべては苦しみである。
 比丘たちよ、苦しみを引き起こす原因に関する聖なる真理とは、次のようである。これは再び迷いの生に導き、喜悦と貪欲【とんよく】をともない、あちらこちらに快楽を求めていく欲望である。すなわち、愛欲と生存欲と権勢・繁栄欲である。
 比丘たちよ、苦しみを消滅することに関する真理とは、次のようである。その欲望を完全に離れ去ることが消滅することであり、欲望を棄捨すること、捨離すること、執着を去ることである。
 比丘たちよ、苦しみを消滅することへ導く道に関する聖なる真理とは、次のようである。これこそ聖なる八つの道である。すなわち、
正しい見解・正しい思考・正しい言葉・正しい行為・正しい生活・正しい努力・正しい念慮・正しい三昧である。
(『マハーヴァッガ』)

 これを四諦【したい】とか四聖諦【ししょうたい】とか言うんだけど、漢語にすると途端に難しく感じるね。だから、あんまり使いたくないんだけど、使ったほうが日本人には理解し易いという面もあるんで、時々使うね。「諦」の字は現在は諦【あきら】めると読んで、give upの意味で使ってるけど、本来は「明らかにする」という言葉で、サンスクリット語では「サティヤ」と言うんだ。世界史で習ったと思うけど、インド独立の父マハトマ・ガンディーは自らの非暴力・不服従運動に「サティヤーグラハ」と名づけた。もともとの意味は「真理を把握する」という意味で、サティヤは真理のこと。苦・集・滅・道の4つの真理を四諦というんだけど、集諦は「じったい」と読むよ。そう言えば、集諦を「しゅうたい」と読んで醜態をさらした坊さんがいたな~。
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 ①苦諦。この世のありようは苦であるということ。四苦八苦って言葉知ってるよね。僕も今ブログ書くのに四苦八苦しているけど、もともとはそんな意味ではない。生・老・病・死が四苦で、これに怨憎会苦【おんぞうえく】・愛別離苦【あいべつりく】・求不得苦【ぐふとっく】・五蘊盛苦【ごうんじょうく】の4つを加えて八苦だ。ここで苦と言ってるのは、呼吸が出来なくて苦しいというような生理的な苦痛や、日常的な不安や苦悩という意味ではなく、「自分の思い通りにならない」ということ。もっと金持ちの家にもっと美男子に生まれたかったけど、そんなにうまくはいかない。年は取りたくないし、病気になりたくはない、死ぬのはもっと嫌だ。でも、どうにもならない。人は必ず年を取り、病になり、死んでいかなければならない。人生、会社の上司や姑さんなど嫌な奴に出会わなければならないし、愛する人と別れなければならない。財宝や地位や名誉を求めても、得られるのはほんの一部の人間だけ。そして、われわれが執着を起こすもとである身心・環境のすべてが苦であり、自分の思い通りにはならない。

 ②集諦。「縁起の法」で話したけど、すべてのものには原因がある。とすれば、苦しみにも原因があるはずだよね。ブッダはその原因は欲望、煩悩【ぼんのう】であるとした。それも、ひどく喉が渇いているいる時に、貪るように水を求めるような渇愛【かつあい】が苦しみを生むんだとね。求不得苦で説明すると、1億円欲しいと思っている人が1,000万円しか手に入らなかった時、9,000万円のギャップが苦しみになるというわけだ。

 ③滅諦。苦しみの原因が欲望であるならば、苦しみを無くすには欲望を無くせばいいということで、簡単な理屈だね。だけど欲望を無くしたらどうなるだろう。食欲や睡眠欲を無くしたら、人間死んじゃうよね。だから、「消滅」とは言っているけど、完全に無くしてしまうという意味じゃないんだ。「消滅」と訳されている原語は「ニローダ」といって、「制止する」という意味。苦しみを無くすためには、ほしいままに動き回る欲望をコントロールするということだ。さっきの話しだけど、1億円欲しいと思っている人が1億円を手に入れたら満足するかというと、実は満足しない。次は2億円欲しくなる。欲望にはきりがないからね。だから、いつまで経っても苦しみが続く。ここから逃れるには、1億円欲しいと思う心をコントロールして1,000万円にしちゃう。そうすれば、1,000万円を手にして、十分に満足し幸せな気持ちになれる。

 ④道諦。じゃあ、どうやって欲望をコントロールするか?それには、さっき話した八正道を実践なさい、ということになる。 

 ブッダはこの四諦を誰にでもわかるように、易しい喩え話で説明したんだけど、これを「良医【ろうい】の四法」という。四諦は善いお医者さんが病人を治すのと同じだというんだね。①病人をよく見きわめて病気だと正しく判断する(苦)。②その病気の原因をみつける(集)。③その病気にあわせて手当てをする(滅)。④その病気が再び起こらないようにする方法を教える(道)。こんな喩え話をしたということは、ブッダは太子時代に医学の勉強もしたんだ、きっと。

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 写真はサルナートにある初転法輪の様子を再現した像なんだけど、あまりにもちんけで僕は好かない。どうも中国人が造ったらしい。

 5人の修行者の中でブッダの説かれたことを最初に理解したのがコンダンニャだ。「生起するものはすべて消滅するものである」という、穢れのない真理を見る眼が生じたそうだ。この時、ブッダは大喜びして、「コンダンニャが判った、ああコンダンニャが判った」と感嘆の言葉を発したそうだ。「判った」は「アンニャータ」と言うんで、このあとコンダンニャはアンニャータ・コンダンニャと呼ばれることになった。こうして、まずコンダンニャがブッダのもとで、受戒し出家した。これにバッディヤとヴァッパが続く。あとのお二人さん、マハーナーマとアッサジは、なかなか理解できなかったみたいだ。そこで、先に理解した3人が町へ托鉢に行って食べ物をもらって来て、その間にブッダがマンツーマンで二人を教える、という日々が続いて、ようやく二人もブッダの教えを理解したということだ。5人の修行者はブッダからさらなる教えを聴き、執着がなくなり、もろもろの煩悩をコントロールすることができる阿羅漢【あらかん】となった。尊敬や施しを受けるに相応しい聖者をアルハットというけど、これの漢訳が阿羅漢だ。(つづく)

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【 2014/04/14 15:54 】

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ブッダの生涯 その8


ブッダを知りませんか?

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 前回は5人の修行者がブッダのもとで受戒・出家したところまで話したけど、出家者のことをビクシュと呼ぶ。〝食を乞う者〟という意味で、漢訳では比丘【びく】。5人の比丘の誕生により、仏・法・僧の三宝がそろった。仏はもちろんブッダ、法はブッダの説く教え、そして僧は坊さんのことじゃなくて、僧伽【そうぎゃ】のこと。僧伽はサンスクリット語のサンガの音訳。サンガはもともと「集団」「集会」の意味なんだけど、仏教の教団のことを意味する。ちなみに僕のお寺で発行している季刊紙の名称はサンガ。サンガと言えば、Jリーグに京都サンガというチームがあるけど、京都はお寺さんがたくさんあるから、そっから付けられたチーム名なんだ。Jリーグ老舗のチームだけど、今はJ2に降格になってる。頑張って欲しいね。この仏・法・僧の三宝に帰依することが、仏教徒にとっては一番大事なことだ。三宝への帰依文は、パーリ語で「ブッダンサラナンガッチャーミ、ダンマンサラナンガッチャーミ、サンガンサラナンガッチャーミ」。仏教徒の国際会議では必ず唱える文句だよ。

 話が逸れちゃったけど、仏教教団サンガはブッダと、5人の比丘、合計6人でスタートした。これがだんだん大きくなっていく。そのころヴァーラナシーの町にヤサという青年がいた。大富豪の息子でたくさんの女性を妻にして、愛欲にまみれた贅沢三昧の生活をしていたそうだ。生ぐさ坊主の僕には何とも羨ましい生活だけど、こんな生活も長く続くと飽きちゃうんだね。ある夜、ふと夜中に目覚めたヤサ君は、乱れた寝姿をさらしている女たちの醜いありさまに嫌悪感を覚え、家を出て鹿野苑にやって来たそうだ。人生に嫌気がさし、項垂れているヤサ君を散策中のブッダが見かけ、諄々と法と説いた。「欲望を満足させることによって幸せは得られず、四諦を悟り苦をなくすことができれば、幸せになれるんだよ」。ヤサ君はたちまちにうちに理解し、出家し比丘となった。これでサンガは7人。さらに、その友人4人、さらにその友人50人が比丘となり、これで61人。彼らがブッダ教団の最初の布教活動を始め、それぞれ手分けして伝道の旅に出かけて行くんだけど、出て行く比丘たちにブッダはこう告げた。

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 「比丘たちよ、私は天界のものであれ人間界のものであれ。一切の束縛から自由になった。そなたたちも同様に自由となった。諸人の利益と幸福のために、また、世の人へ共感をもって、神々と人間との利益・幸福のためにそなたたちは出かけていくがいい。二人して同じ道を行くべきでない。初めも善く、中ごろも善く、終わりも善く、道理と表現が備わった教えを説きなさい。この上なく完全で清らかな行いを人に示しなさい。世間には、心の眼が塵垢にそれほど覆われていないのに、教えを聞くことがないところから堕落している人々がいる。彼らは理法を悟るであろう。」(『相応部経典』)

 ここで一つ大事なことがある。ブッダは「二人して同じ道を行くべきでない」と言ってるよね。イエスは弟子たちに二人で伝道するように言ったんだけど、これは当然危険を回避するため。刑事さんも必ずペアを組んで捜査活動するけど、これも同じ理由だよね。ところが、ブッダは一人で伝道しろとおっしゃった。なぜなら、二人で伝道すれば、ブッダの教えを聞くチャンスが半減するからだ。
 仏教では最初から弟子たち一人一人それぞれがブッダの教えを説いていたということは、サーリプッタが説いたのもブッダの教え、モッガラーナが説いたのもブッダの教えだということだ。僕たちが信仰しているのは大乗仏教だということは知ってると思うけど、江戸時代の町人学者・富永仲基の大乗非仏説以来、大乗仏教はブッダが説いた教えではないという考え方がまかり通っている。もちろん、世界史で勉強したように、大乗仏教は紀元前後に新しい宗教運動として生まれたものだから、『法華経』や『維摩経』は約2500年前にインドに生まれたガウタマ・シッダールタが説いたものではない。キリスト教ではイエスが語ったことの他にイエスの教えはないけど、仏教では最初からブッダの口から出たものでなくても、人々を救い、安心に向かわせる教えであるならば、ブッダの教えとしてきたんだ。だから、大乗仏教もブッダの教えなんだ。

何であれ善く説かれたものであれば、それは全て釈尊のことばである」(『増支部経典』)

 ヤサの両親もブッダの教えを聞いて感動し入信したんだけど、出家はしなかった。ということで、この二人はサンガ成立後の在家信者第1号となる。在家の信者は、男性は優婆塞【うばそく】)、女性は優婆夷【うばい】と呼ばれるけど、ブッダは在家信者には次第説法という方法をとった。(ヤサ君に対しても同じ方法をとっている。)次第説法というのは仏教を知らない初歩の人々を導く方法なんだけど、まず説かれたのが、常に慈悲の心がけで、困っている人や修行者に衣食住の施しをしなさいということ。それから、生き物を殺さず、人の金銭財物を盗まず、嘘をつかず、よこしまな姦淫を犯さず、常に道徳的な生活を続けなさいということ。これはモーセの十戒にもあるよね。この二つを守っていれば、来世には天界に生まれて、幸福な生活ができるよ、と。わー、天界に行って美味しいもの食べて、美しい女の人も手に入るんだったら、ブッダにお布施しよう!って、これ違うんじゃない、と思うかも知れないね。でも、ブッダの四諦の教えって大学で習うような難しい理論だ。いや、大学院かな。そんな難しいことを小学生に説明しても誰も判らないよね。そこで、まず当時のインドの人々が理解しやすいように天界を持ち出したんだね。それが理解できたら、高校生なみに縁起の法、それが理解できたら四諦を説くというように、ステップバイステップの方法で人々を導いたんだ。四諦が理解できれば、天界に行っていい思いしようなんてのはあかんのだと、自然に判るから別に問題ない。
 
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手塚治虫『ブッダ』
 
 弟子たちを伝道の旅に発たせたブッダはたった一人でブダガヤへと向かった。当時、ネーランジャラー河のほとりのウルヴェーラー村にウルヴェーラー・カッサパという結髪行者がいた。ウルヴェーラーって、覚えてる?ブッダが苦行を続けた場所だったよね。ということは、苦行時代のブッダは近くで大教団を率いているウルヴェーラー・カッサパの名声を聞いていたということだね。
 結髪行者というのは髪を巻き貝のように結い上げた行者なんだけど、この人は火の神アグニを祀るバラモンで、弟子が500人もいたそうだ。火を祀るというとイランに生まれたゾロアスター教を思い浮かべると思うけど、実はアーリヤ人とイラン人はもともと同じ民族。アーリヤがなまってイランになったんだ。この連中には古くから火を祀る習慣があり、おそらくウルヴェーラー・カッサパもゾロアスター教みたいな祭祀をやってたんだろうね。ちなみに、このアグニが日本に来ると烏枢沙摩明王【うずさまみょうおう】といって、なぜかトイレの神さまになっている。

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 ウルヴェーラー・カッサパのもとを訪ねたブッダは、神聖な火の聖堂に泊めて欲しいと頼んだ。するとカッサパは、「聖火堂には恐ろしいナーガ(竜王)がいるけど、それでもよかったらどうぞ」って、答えたそうだ。ブッダがナーガの吐く火に焼かれて死んでしまうだろうとは思いつつ、若い修行僧であるブッダの力量を試すために承諾したんだね。その夜、聖火堂でブッダとナーガは互いに神通力で火炎を放って戦い、そのため聖火堂はまるで火事で燃えているかのように見えたそうだ。翌朝、神通力を失って疲れ果てたナーガを托鉢の鉢に入れて聖火堂を出たブッダは、さわやかな顔でカッサパに挨拶した。焼けこげて死んだだろうと内心ほくそえんでいたカッサパはびっくり!!この後、カッサパとブッダの神通力競争が行われ、負けたカッサパは髪を切り、頭の飾りや火を祀る祭式の道具をすべて河に流し、ブッダの弟子となり出家した。上流から流れてきた兄ちゃんの髪の毛や祭式の道具を見た弟二人も、兄ちゃんがブッダの弟子となったことを知り、ブッダに帰依し出家した。
 これを「ウルヴェーラーの神変」というんだけど、ブッダが神通力を使ったというのは何となく違和感が残るよね。それは、後年ブッダが弟子たちに神通力の使用を禁止したからだ。神通力は人を惑わせてしまう。オウム真理教の麻原彰晃が空中浮揚する姿が多くの優秀な若者を引きつけたようにね。僕は生ぐさ坊主だから修行はしないけど、修行によって超人的な能力は身につんだとく思う。でも、それは苦を滅するという目的には関係のないことだし、かえって違った方向に導かれていく可能性があるので、ブッダはその使用を禁止したんだ。
 ウルヴェーラー・カッサパは120歳だっと伝えられている。35歳の若造であるブッダが、長い間教団を指導してきた古老の考え方を変えさせたというのが凄いよね。こうしてカッサパ3兄弟を弟子にしたブッダの教団は一挙に1000人の弟子を抱えることになった。

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 ブッダは弟子たちを引き連れて、マガダ国の都ラージャガハに入った。6年前のビンビサーラ王との約束を果たすためだ。悟りを開いてブッダとなられた暁に、もう一度ラージャガハに来て自分を導いてくれるよう頼まれたよね。町中大騒ぎだ。なにせ見たこともない人物がブッダと呼ばれ、1000人の弟子を率いている。おまけに、ついこの前までマガダ国の人々の尊敬を集めていたカッサパ3兄弟がブッダの後ろに従っている。「おい、どっちが師匠でどっちが弟子なんだ」という声があちこちであがる。それを見たウルヴェーラー・カッサパがブッダの足に礼拝し、ようやくブッダが師であると納得したそうだ。この足に額をつけて礼拝することを、頭面接足帰命礼【ずめんせっそくきみょうらい】といって、最高の敬意の表し方なんだ。僕たち坊さんは法要の中で、いつもブッダの足を手のひらに受けて礼拝してるんだよ。

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竹林精舎跡

 ビンビサーラ王は多くの人々とともにブッダの説法を聴き、すぐに弟子となった。この時、ともにブッダの説法を聴いた人々は12万人いたそうなんだけど、そのうち1万人が在家信者になったんだって。凄いね。そして、ビンビサーラ王がブッダに寄進したのが竹林精舎で、これが仏教寺院の第1号となる。サンスクリット語ではヴェーヌバナ・ビハーラ。ビハーラは最近仏教ホスピスの意味で使われているけど、もともとの意味は僧院。ビハール州の地名もこのビハーラからきている。この頃の僧院は必ず街や村から近からず遠からずという場所に建てられた。なぜなら、街にあまりに近いと街の喧噪が瞑想の邪魔になるし、なんと言っても街中だといろいろ誘惑も多い。かと言ってあまり街から離れると托鉢に行くのが大変だし、信者さんたちが説法を聴きに行くにも不便だ。ということで、竹林精舎のあたりが一番いい場所だったんだ。

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ビンビサーラ・ロード

 ラージャガハを中心に伝道活動を行ったブッダが瞑想の場所としたのが、グリドラ・クータという山。ラージャガハの東の城外にある150メートルくらいの山で、漢訳仏典では霊鷲山【りょうじゅせん】と訳される。霊鷲山については、次回詳しく説明するけど、ブッダはこの山にとどまることが多く、僕たちが信奉する法華経もこのお山で説かれた。ビンビサーラ王はブッダの説法を聴くために、頂上にある香室まで続く道路を寄進したんだけど、これがビンビサーラ・ロードとして今も残っており、僕も6回この道を歩かせてもらった。ああ、こんな話していたらインドに行きたくなっちゃった。(つづく)


 
【 2014/04/11 13:08 】

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ブッダの生涯 その9


ブッダを知りませんか?

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 ヴァーラナシー郊外の鹿野苑で産声をあげたブッダの教団サンガは、カッサパ3兄弟の集団が加わり1,061人になったところまで前回話したんだったよね。その後、サンガには サーリプッタとモッガラーナという二人の超大物の弟子が加わった。この二人はサンジャヤ仙人の弟子だったんだけど、ブッダの説く真理の法にふれ、サンジャヤの500人の弟子の半分を率いてサンガに加わった。これでサンガは1,311人。さらにマハーカッサパやアーナンダなどが加わっていくけど、サンガの規模はだいたい1,200~1,300人ぐらいだったみたいだ。僕らがいつも読んでいる鳩摩羅什【くまらじゅう】訳の『妙法蓮華経』の『序品第一』では、「一時仏住。王舎城。耆闍崛山中。与大比丘衆。万二千人倶。(あるとき仏は王舎城の耆闍崛山の中に住したまい、大比丘衆万二千人とともなりき)」となっている。これだとブッダの教団は12,000人になるんだけど、実は法華経のサンスクリット本では1,200人と書かれており、これが実態に近いと僕は思っている。じゃあ、鳩摩羅什は間違って訳したのか?って。僕の尊敬する鳩摩羅什が、間違うはずがない。意訳だよ。本当はここでサーリプッタやモッガラーナについて話したいんだけど、「ブッダの生涯」が終わった後、「ブッダの弟子群像」で紹介することにして、今回はブッダ最後の旅について話そう。



 ブッダはガンジス川流域を中心に45年間にわたり伝道の旅を続けられ、クシナガラで80年の生涯を終えられるが、その最後の旅を記したのが『大パリニッバーナ経』だ。漢訳では『大般涅槃経【だいはつねはんぎょう】』となるが、中村元先生がパーリ語原本から訳された『ブッダ最後の旅』にもとづいて話していこう。

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 ある時ブッダはマガダ国の都ラージャガハの東の城外にあるグリドラ・クータに滞在していた。この山は法華経が説かれた場所としても知られ、さっきの『序品第一』では耆闍崛山【ぎしゃっくせん】の名前で出て来た。グリドラはハゲワシのことなんで、霊鷲山【りょうじゅせん】と意訳される。写真は頂上付近にある岩なんだけど、どう鷲に見える?この岩が鷲に見えるからグリドラ・クータになったという説と、この山が鳥葬の場所だったからだという説がある。今でもチベットの仏教徒やムンバイのゾロアスター教徒が鳥葬を行っているけど、僕はこっちの説を支持している。なぜかって?「ブッダの弟子群像」で詳しくお話するけど、スダッタ長者がブッダと出会った場所がマガダ国の寒林だと伝えられている。寒林って墓場のこと。ブッダはよく墓場で瞑想したらしいんだ。人間死ねば、みな骸骨となる。欲を捨て去るのに一番いい場所だもんね。そんな訳で、僕は霊鷲山にはハゲワシが食い残した骸骨が散乱していたと考えてるんだ。

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 霊鷲山は『法華経』の他にも、『観無量寿経』などが説かれたお山として知名度は高いんだけど、長い年月の間に場所が判らなくなっていたんだ。それを発見したのが、大谷光瑞が率いたかの大谷探検隊。1903年1月14日に、朝日に照らされたこの山を仏典上の霊鷲山と特定し、数年後にインド考古局のジョーン・マーシャルの調査で国際的に承認された。マーシャルって、モエンジョ・ダーロの発掘でも知られている人だ。ブッダはこの山が大のお気に入りで、しばしば滞在された。頂上にはブッダが説法をしたという香室跡があり、ここに座り目を閉じるとブッダの息吹が感じられて、何度訪れても涙が湧いている。
 
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 香室から少し下った所にアーナンダが瞑想した場所と伝えられている自然窟がある。アーナンダは年の離れたブッダの従兄弟で、25年間ブッダの身の回りの世話をし、最後の旅にもつき従った人だ。この頃は50歳ぐらいかな。

 前置きが随分長くなっちゃったけど、この頃のマガダ国の王さまはアジャータサットゥ王。お父さんのビンビサーラ王を殺害して王位についた王さまなんだけど、そのいきさつについてはまたいずれ話そう。当時アジャータサットゥ王は隣国のヴァッジ国を征服しようという野望を抱いていた。ヴァッジ族はヴェーサリーを都とし、商業民族として大いに繁栄していた。これを我が物にしようと考えたんだけど、なかなか攻める決心がつかない。そこで、アジャータサットゥ王は大臣にブッダの意見を聞いて来るように命じた。アジャータサットゥ王はお父さんのビンビサーラ王ほど熱心な信者ではなかったけど、名高いブッダを無視することが出来なかったんだ。

 霊鷲山にやって来た大臣は、王の意向を伝え、ブッダに意見を求めた。ブッダは直接大臣に答えずに、ブッダの背後で扇をあおいで風を送っていたアーナンダに、7つの項目をヴァッジ族が守っているかどうかを尋ねた。①しばしば会合を開き、よく人が集まって来るか?②共同して決議し、共同して行動するか?③新しい制度を設けたり、すでに決められている制度を棄てたりせず、昔からの制度風習を守っているか?④年長者を敬い、尊び、その言うことをよく聞くか?⑤婦女や童女ら力弱きものを暴力で汚したり、何かを強制したりしないか?⑥古くからある聖域を敬い、昔からのしきたりの供養を怠っていないか?⑦宗教家たちを尊敬し、よそから来た宗教家たちにも安らかな住居を施しているか?
  実は、この7つの項目はかつてブッダがヴァッジ族に説いた、国が衰えないようにするための方策なんだ。自分がヴァッジ族に教えたことを、今でもちゃんと守っているかどうか、聞いたんだね。そのすべての問いにアーナンダは、「ヴァッジ族はちゃんと守っています」と答えた。その度に、ブッダは「ヴァッジ族には繁栄が期待され、衰亡がないであろう」と答えたんだって。ブッダはヴァッジ族を攻撃しても攻め滅ぼすことは出来ないよと示唆すると同時に、この7不亡国法を守っていればマガダ国も安泰だよと言いたかったんだ。大臣は大喜びで帰ったそうだけど、ブッダ最後の旅がなんでこの話で始まっているか、わかる?そう、マガダ国に対するブッダの遺言だ。今の日本に当てはめてごらん。僕は心配だな~。
 大臣が帰ったあと、ブッダはラージャガハに住む修行僧を集め、7つの不亡国法と同じような、修行僧に衰亡をもたらさない7つの法を説き、いよいよ霊鷲山を後にして最後の旅に出る。ブッダはアーナンダをはじめとして、多くの弟子を引き連れ、ラージャガハを出ると北へ北へと向かった。 まるで自分の死期を知り、故郷のカピラヴァッツに向かっているかのようだ。

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 最初に訪れたのがラージャガハの北11キロにあるナーランダー村。この村の富商パーヴァーリカのマンゴー林で説法したと伝えられている。マンゴーというと沖縄や宮崎産のものを思い浮かべると思うけど、木の高さが1メートルぐらいしかないのに、マンゴー林で説法したって、どういうこと?と、不思議に思うだろうね。でもあれはハウス栽培のマンゴー。インドのマンゴーの木は高さ40メートルにもなる大木だ。常緑樹なんで灼熱の太陽光線や雨を防いでくれて、その上夏場には栄養価の高いマンゴーの実が食べ放題で、マンゴー林は説法の婆として最適なんだ。僕も一度奥村君にもらって食べたけど、もう最高。6~7月ごろが収穫期なんで、一度その頃にインドに行こうと思いながら、まだ実現していない。

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 世界史で習ったと思うけど、ナーランダーにはグプタ朝時代の5世紀にナーランダー僧院が建立された。僧院といってもただのお寺ではなく、いわゆる仏教大学。多い時には1万人もの坊さんが勉学に励んでいたそうで、中国からやって来た玄奘や義浄もここで勉強した。12世紀にイスラーム教徒に破壊されちゃって廃墟になったんだけど、1915年から発掘が始まり、現在は公園になっている。ナーランダー僧院跡で一番目立つのが、写真のストゥーパで、サーリプッタを埋葬したものだと伝えられている。実はサーリプッタはこのナーランダー村の出身なんだ。だから二重の意味で仏教にとってはこのナーランダーは非常に重要な場所。だから、ブッダは本当はナーランダーに来ていないんだけど、来たことにした、というのが中村元先生の説だ。まあ、来たことにしておこう。

 この後、ブッダの一行はパータリ村(現在はパトナ)に到着する。パータリ村はマガダ国ナンダ朝やそれを滅ぼしたマウリヤ朝の時代にはインド全体の首都パータリプトラとして繁栄を極めることになるけど、ブッダの時代はガンジス川の船着場にすぎなかった。この村で在俗の信者さんたちに迎えられたブッダは、「戒めを犯したために、行いの悪い人にはこの5つの罰がある」と言って、諄々と説法を始めた。その5つの罰とは、①大いに財産を失う、②悪い評判が近づく、③どこに行っても、不安で、びくびくしている、④死ぬ時に精神が錯乱している、⑤身体がやぶれて死んだ後に地獄に生まれる。逆に、「戒めをたもっていることによって、品性ある人」には、①財産が大いに豊かになる、②善い評判が起こる、③どこに行っても、びくびくすることがない、④死ぬ時に精神錯乱することがない、⑤死んだ後に天の世界に生まれる、と説いたそうだ。ブッダというと哲学的な難しい話ばっかりしていると思われがちだけど、こんな現世利益的な説法もしたんだね。僕なんか酒ばっか飲んでるから、きっと死ぬ時は精神錯乱するんだろうな。

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パータリ村を出てブッダはガンジス川を渡ったんだけど、人々はその場所を「ゴータマの渡し」と呼ぶようになったそうだ。現在、それがどこなのかは不明だ。ただ、パトナにブッダガートと呼ばれている場所があり、ひょっとしたらそこがそうかも知れないと、2002年に一度訪ねてみた。ちょっと期待して行ったんだけど、写真を見ての通り、ゴミだらけで、がっくり。行かなきゃ良かったと後悔した。

 ガンジス河を渡ったブッダは、一路ヴェーサーリーをめざす。(つづく)


【 2014/04/03 12:21 】

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