なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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ブッダを知りませんか?
ヤショーダラー (耶輸陀羅【やしょだら】)
ヤショーダラーは「ブッダの生涯」にも登場したけど、ブッダが出家する前、カピラヴァットゥのシッダールタ太子であった頃のお妃さんだったね。彼女の出身については色んな説があるけど、南伝仏教ではかの極悪人とされたデーヴァダッタのお姉さんとされている。ということはブッダと従兄弟だったということだ。ヤショーダラーがラーフラを産んだ7日後、出家を決意していたシッダールタは、白馬カンタカに乗り、従者チャンダカに手綱を引かせて密かに城を出た。
チャンダカとカンタカだけが帰って来た時、スッドーダナ王、養母のマハーパジャーパティをはじめ多くの人々が嘆き悲しんでいる中で、ヤショーダラーは太子との別離を嘆きながらも、
「どうして太子を乗せて戻らなかったのですか」
と、チャンダカを責め、そこにいない太子に対しても、
「あの~人は行って行ってし~まった~、もう帰らない~。どうして私だけを残して出家したの~。どうして私を捨てたの~!」
と、かき口説いたという。そりゃそうだよね。ブッダだから何となくみんな容認してるけど、妻子を捨てて家出したんだからね。普通だったら「なんて非道い旦那なんだ。それも長男が生まれたばかりだというじゃないか。嫁さん可哀想に」って、非難されてもしゃあないし、嫁さんがカンカンになって怒っても当たり前だ。
しかし、しばらくして落ち着くと、
「今日から太子の修行が終わるまでの間、正式な寝床で休んだり、化粧したり、綺麗な着物を着たり、美味しいものを食べたりしない。たとえ、宮殿に住んでいても、太子と同じ山野にいるつもりで苦行者の生活をするわ」、という誓いを立てた。
6年後、シッダールタは悟りを開いてブッダとなった。ブッダとなった太子が生まれ故郷のカピラヴァットゥを訪れたのは、それからさらに6年経ってからのことである。ブッダを迎え城内は沸きかえったが、ブッダは宮殿に入らず、町の近郊にあるニグローダ園に滞在した。そして、町に出て托鉢し、1軒1軒まわって乞食【こつじき】して歩いた。
誇り高い父スッドーダナ王はこれを見て嘆いた。
「何ゆえ、あなたはわが家系に恥をかかせるのですか?ブッダに供する食事はすでに用意してあるのに……。名誉あるわが家系には行乞【ぎょうこつ】した者は一人もいない」
という父王に、ブッダは、
「王よ、それは王の家系であって、われらが教団のルールでは、いかなる者も常に行乞し、行乞によって生命を保ちます」
と述べたあと、弟子たちに向かって言った。
「お前たちに言う。修行者は少欲で足るを知り、人に交わることなく、群衆の中にいる時は黙して必要なこと以外は語るべからず。何びとをも罵【ののし】ることなく、戒律を守り、飲食において量を知るべし」
この「少欲知足【しょうよくちそく】は現在の飽食の時代にこそ大事な教えだよね。
スッドーダナ王はブッダによって道の何たるかを知り、ブッダとなった息子と、その弟子たちを王宮に招き、食事を供養した。
王宮のすべての人達は食事が終わると一カ所に集まって、ブッダの教えを受けた。ところが、ヤショーダラーだけは姿を見せなかった。やがてブッダは父王に乞食の鉢を持たせ、彼女の部屋へ行った。そして用意してあった椅子にブッダが座ると、どこからともなく飛び出して来たヤショーダラーがブッダのそばに走り寄りブッダの足の甲に頭をすりつけて礼拝した。それは長い間彼女が心の中に秘めてきたブッダへの愛の表現だった。
その時、スッドーダナ王がブッダに、
「ブッダよ、ヤショーダラーはあなたが黄色の衣を身につけていると聞けば自分も黄色い衣を身につけ、あなたが1日1食しか取らないと聞くと自分も1食しか取りませんでした。あなたが人から離れて林に籠もったと聞くと自分も1室に籠もり、ついにただ一人とも会うことをしませんでした。ただ、一途にあなたを思って、他人の言うことには耳をかしません。ブッダよ、私の娘はこのような徳を備えています」
と彼女の徳を告げると、ブッダは「よくわかりました」と静かにうなずいたそうだ。
スッドーダナ王が高齢で亡くなった後、養母のマハーパジャーパティがブッダの弟子となったというお話は前回したよね。この時にヤショーダラーも一緒にブッダの弟子となった。出家したあとはバッダカッチャーナと呼ばれることもある。
出家した彼女はかつての夫を師として敬い、思慕の念を見事に悟りへの意欲に振り向け、自ら反省する点において仏弟子NO1とされ、具懺愧【ぐざんき】第一と言われた。懺は「自らに省みて恥ずかしい」、愧は「他人に対して恥ずかしい」という意味で、懺愧は「ただただ恥ずかしい」という意味だよ。「ブッダのかつての妻であった自分が、他の修行者たちから批判を受けるようであってはならない」という思いがあったんだろうね。(つづく)
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ブッダを知りませんか?
お姉さんのマーヤーがシッダールタ太子(もちろん後のブッダ)を産んで7日後に亡くなり、妹のマハーパジャーパティがスッドーダナ王の正妃となって太子の養育にあたった。彼女はブッダの腹違いの弟ナンダを産んだが、太子を我が子のように可愛がって育てた。太子は子供の頃ずいぶん身体が弱かったようだから、かなり苦労したみたいで、その愛情は溺愛に近かったんじゃないかな。だから、太子が道を求めて出家した時、カピラヴァットゥの人々の中で、誰よりも嘆き悲しんだのが養母のマハーパジャーパティだった。
彼女が再び太子の姿を見ることができたのは、悟りを開いてブッダとなった太子が初めて故郷のカピラヴァットゥに帰った時だ。太子が修行している間、山野に寝て毒虫に刺されたり猛獣に襲われてはいないか、粗末な衣を着ているのではないかと、その身を案じながら、彼女は糸を紡ぎ衣を織りあげていた。彼女はブッダの前に出て、
「この新しい衣は、あなたのために私が自分で糸を紡ぎ、織ったものです。どうぞお受け取りください」
と言って衣をささげた。母親の愛情がいっぱい詰まった真新しい衣だ。ところが、ブッダは、
「ゴータミーよ、その衣を私自身にではなく、教団に布施してください。教団に布施されるなら、私も供養を受けましょう」
と言って、教団に布施することを勧めた。マハーパジャーパティは、かつて自分の手で育てたブッダのために織りあげたのだという強い思いがあったので、3回同じことを申し出たんだけど、ブッダの答えは同じだった。アーナンダのとりなしもあって、ようやく彼女も納得し、教団に布施したんだ。なんか悲しいね。そこまで意固地にならずに、貰ってあげれば良かったと僕は思うけど、みんなはどう思うかな?
ブッダが帰郷した時、シャカ族の若者たちの多くが出家したという話は前にしたよね。その中には、マハーパジャーパティの実子のナンダや、ブッダの実子のラーフラもいたよね。やがて、ブッダの父スッドーダナ王が高齢で亡くなると、カピラヴァットゥの城内には、マハーパジャーパティとかつてブッダの妃であったヤショダラーの二人が主になって城を守っていた。貴族たちも出家した者が多く、独り身の女性ばかりが残されていた。だから、彼女たちの間で、出家してブッダの弟子となるほかない、という声が出るようになるのは当然のなりゆきだった。
スッドーダナ王が亡くなって間もない頃、カピラヴァットゥ郊外のニグローダ園に滞在しているブッダのもとに、カピラヴァットゥの女性たちを代表してマハーパジャーパティが訪れ、女性の出家を許していただきたいと申し出た。これまで女性が出家した例はなかったので、ブッダはこれを断った。マハーパジャーパティは3度お願いしたにもかかわらず、ブッダの答えは同じ。彼女は悲嘆のあまり大声で泣きながら城に帰った。でも女は強しだ。それでも出家を彼女の望む気持ちが揺らぐことはなかった。
その後ブッダはカピラヴァットゥをたって、ヴェーサリーの郊外にある重閣講堂に移った。マハーパジャーパティは、今度こそ出家を許してもらおうと、ついに髪を切って頭を剃り、黄色い衣を身にまとってブッダの後を追った。実力行使に出たわけだ。500人もの女性たちもそれにならって同行した。今まで絹の衣服に包まれて暮らしていた女性たちの裸足の足は傷つき腫れ上がり、血にまみれ、顔は塵と埃と涙にまみれてぐっちゃぐちゃ。しかし、ブッダのもとに着いたものの中には入れてもらえず、大声で泣きながら門の前に立った。話はぜんぜん違うけど、貧しい修道服1枚をはおり、裸足で泣きながらカノッサの城の門の前に立ったハインリヒ4世を思い出してしまった。
その声を聞きつけて中から出て来たのがアーナンダだ。彼女たちはアーナンダにすがるように、ブッダへ出家の取りなしをして欲しいと懇願した。
アーナンダは快くその願いを引き受け、
「ブッダよ、マハーパジャーパティが足を腫らし、塵にまみれ、泣きながら門の外に立っています。どうか、彼女らの願いをお聞き届けください」
と、懇願した。しかし、ブッダはそのありさまを知っても、出家を許さなかった。3度願っても3度とも許されなかった。「三顧の礼」の諸葛孔明ならここでOKするんだけど、ブッダはなかなかしつこい。そこでアーナンダはブッダに質問した。
「もし女性がブッダの教えに従って修行したならば、男性と同じように修行の効果をあげることができるものでしょうか?」
「アーナンダよ、それはできるはずである」
その答えを聞いたアーナンダは、叔母でもあるマハーパジャーパティがブッダに尽くした功績の数々を語り始めた。
「マハーパジャーパティはブッダの養い母にして、大恩をこうむらせた方。ブッダの母君が亡くなられた後、ブッダを立たせ、養い、乳を与えてくださったのです。だからお願いします。女性も出家することを許してください」
この作戦が大成功。ブッダも自分を我が子のように育ててくれた大恩を無視することが出来ず、ついに女性の出家を認め、マハーパジャーパティは仏教教団の尼僧第1号となった。彼女はすでに高齢に達していたんだけど、熱心に修行して覚りを開き、他の尼僧の模範とされた。ブッダが亡くなる3カ月前にヴェーサリーで亡くなったと伝えられてる。80歳で亡くなったブッダの養母だから、100歳くらいだったんだろうね。凄いな~。
ところで、ブッダがなかなか女性の出家を認めなかったのは、なぜなんだろうか?ブッダも女性差別をしたのかな?。いや、違うよ。ブッダがなかなかンウと言わなかったのは、男のほうの都合なんだ。だって、修行中の男性出家者にとって女性の存在は修行の妨げになるもんね。せっかく性欲をおさえようとして修行してるのに、美しい女性がそばにいてごらん。僕みたいな生臭坊主はすぐに修行諦めて、その女性と○○したいという妄想をいだいてしまうだろう。そうなったら禁欲生活が乱れて、教団を維持していくことが困難になる。その辺をブッダは憂慮したんだ。
だから、ブッダは女性の出家については8つの条件(八重法)をつけた。
※比丘【びく】は男性出家者、比丘尼【びくに】は女性出家者のことだよ。
① 比丘尼は半年ごとに比丘から教えを受けなくてはならない。
② 比丘尼は比丘のいないところで雨安居【うあんご】をしてはならない。
③ 比丘尼は雨安居の自恣【じし】(反省会、懺悔の会)のとき、比丘に対して見、聞きした疑いのある3つの罪を告白しなければならない。
④ 正学女【しょうがくにょ】(正式に出家する前の見習い期間)として2年間修行したあと、比丘・比丘尼のサンガの中で具足戒を受けなければならない。
⑤ 比丘尼は比丘を侮辱してはならない。在家の人に比丘の罪を語ってはならない。
⑥ 比丘尼は比丘の罪を挙げてはならないが、比丘は比丘尼の罪を叱責してもよい。
⑦ 僧残罪(軽い戒律違反)を犯したとき、半月間謹慎をしなければならない。
⑧ 古参の比丘尼でも、新米僧に出会ったときは敬礼・合掌しなければならない。
以上の8つなんだけど、かなり厳しい条件だよね。その上、出家する時に受ける戒は、男は250戒であるのに対し、女は348戒もある。ブッダの女性に対する厳しい扱いを男尊女卑のように言う人もいるけど、それは違う。やたらに厳しいのは現実的に女性が出家して修行を続ける上での困難さを見越してのもので、むしろ女性を保護する意味合いの規制だったようで、ブッダは決して女性差別なんかしていない。だって、修行すれば男性でも女性でも覚りを開くことが出来ると明言してるもんね。厳しい男尊女卑・階級社会だった2500年前のインドにあって、女性の出家を認めたのは仏教だけ。当時たくさんの宗教教団があったけど、どこも女性の出家を認めていない。ブッダが男女平等を認めたことは革命的なできごとだったんだ。
ところが、ブッダ亡き後、教団はしだいに女性差別のほうへと傾いていき、「女人五障説」という考え方が浸透していった。『法華経』の提婆達多品にこんな箇所がある。「女身は垢穢【くえ】にしてこれ法器にあらず、いかんぞよく無上菩提を得ん。……また女人の身にはなお五つの障【さわり】あり、一つには梵天王となることを得ず、二つには帝釈、三つには魔王、四つには転輪聖王、五つには仏身なり」。つまり、女の人は次の五つのものには絶対になれないというんだ。
① 梵天王【ぼんてんのう】:バラモン教の最高神ブラフマン。有頂天【うちょうてん】という天界に住 み、仏教を守護する。
② 帝釈天【たいしゃくてん】:バラモン教のインドラ神。仏教世界の中心にある須弥山【しゅみせん】頂上に住み、仏教を守護する。
③ 魔王:悪魔や魔物たちの王。
④ 転輪聖王【てんりんじょうおう】:天下を円満に治める理想的な帝王。
⑤ ブッダ
女の人は絶対に悟りを開いてブッダになれない。ブッダ亡き後、これが仏教の常識となった。提婆達多品のこの箇所は、文殊菩薩がわずか8歳の娑竭羅【しゃから】竜王の娘が8歳で悟りを開いたと言ったのを聞いたサーリプッタの言葉だ。「女人五障説」をあげて、「竜女が悟りを開いてブッダとなったというけど、昔から女はブッダになれないと決まってるんだ。そんな話は信じられんよ」と反論したわけだ。ところが、このあと竜女はサーリプッタに「じゃ、あんたの神通力を使って見てみなさいよ」と言って、竜女が南方の無垢世界で成仏する姿を見せるんだ。サーリプッタ、真っ青。えええー、女もブッダになれるんだ。というわけで、数ある経典の中で法華経だけが女人成仏を説いてるんだよ。(イラストは借り物。8歳の竜女だから、こんなに色っぽいわけがない)。
これは画期的なことなんだけど、一つ問題がある。それは、竜女の娘がいったん男となって、それから成仏しているということだ。これを「変成男子【へんじょうなんし】」というんだけど、なんで女の身のままで仏になれないんだ、女性差別じゃないか、とカンカンになって怒る女の人の顔が目に見えるようだ。これを色んな先生が苦しい解釈をしておられる。「男であるお釈迦さまと同じ姿に変わったように見えた」とかね……。でも、サンスクリット本には、はっきりと「彼女の女性の生殖器が消えて男子の生殖器が生じ」と書かれている。ここは無理に変な解釈をせずに、素直に謝ったほうがいいと僕は思う。「法華経にも限界がありました、ご免なさい」ってね。
でも、もういっぺん言うね。女の人もブッダとなれると言ってるのは法華経だけだよ。(つづく)
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アングリマーラ(央掘摩羅【おうくつまら】)
アングリマーラは殺人鬼としてのあだ名で、本名はアヒンサーといった。アヒンサーはコーサラ国のパセーナディ王に仕える大臣の子として生まれ、もの凄い美男子で、スポーツ万能で、そのうえ勉強も出来て、タキシラでも学んだそうだ。タキシラって、知らない?パキスタンのガンダーラ地方の都市で、ヴェーダンタ学派をはじめ学問の中心となっていた町だ。後にはかのアレクサンドロス大王も遠征で訪れ、彼亡き後はインド・グリーク朝というギリシャ人の王朝が生まれている。僕も2006年にここを旅したんだけど、今はタリバーンの連中が支配していて危なくて行けない。
話がそれちゃったけど、まあ兎に角アヒンサーは学問大好きな青年だった。ちなみにアヒンサーというのは「非暴力」のことで、生き物を殺したり害したりすることを禁止するというインドの宗教の大事な教義だ。かのマハトマ=ガンディーのサティヤーグラハ運動でも中心的な政策となった。そんな意味の名を持つアヒンサーが殺人鬼となったのには当然訳がある。
アヒンサーは12歳の時から、パーラカシー村のマニバドラというバラモンに師事し、4ヴェーダを学んでいた。ヴェーダはバラモン教の聖典。一番古いのが『リグ=ヴェーダ』だったよね。マニバドラには500人のお弟子さんがいたんだけど、もともと才能がありその上一生懸命勉強したもんだから、あれよあれよという間にアヒンサーは頭角をあらわし一番弟子になってしまった。お師匠さんには若くて美しい奥さんがいたんだけど、ある時、この奥さんがお師匠さんの留守中にアヒンサーに言い寄ったんだ。なんせ、いい男だったからね。でも、彼は「お師匠さんは父、お師匠さんの奥さんは母と同じです」と言って、拒んだ。これを怨みに思ったお師匠さんの奥さんは、自分で着ている衣装をビリビリに引き裂いて、悲しそうな顔をして寝込んでいた。
帰ってきたマニバドラがわけを尋ねると、
「あなたが秀才で真面目な青年だと言っているアヒンサーが、あなたの留守中に私に言い寄ってきたのよ。私が言うことをきかないもんだから、怒って私に乱暴したのよ」
と、事実とは反対のことを告げて、ヨヨヨと泣き崩れた。これを聞いたマニバドラはかんかんに怒って、すぐに懲らしめてやろうとした。だけど、アヒンサーは力が強いんで、老齢の自分は力ではかなわない。その上、父親は大臣だから、下手をすると自分の地位が危うくなってしまうかも知れないと考え、アヒンサーを自滅させる恐ろしい方法で復讐することを思いついた。
マニバドラはアヒンサーを呼んで、
「この剣で7日の間に1000人の人間を殺し、その一人一人から1本の指を切り取り、紐を通して首飾り(マーラ)を作って持って来なさい。そうすればお前の修行は完成する」
と命令し、鋭利な剣を渡した。
これを聞いたアヒンサーはびっくりしてしまう。「お師匠さま、私にはそんな恐ろしいことは出来ません。だいいち人を殺して修行が完成するなどということがありましょうか?」
「五月蠅い!つべこべ言うんじゃない。一人前のバラモンになりたくないんか。師匠の言うことがきけないんだったら、お前は破門だ!!!」
そう言われたアヒンサーは「師の教えに背くことは出来ない」と、与えられた剣を手にシュラヴァスティーの町へと飛び出して行った。いくらお師匠さんの命令でも殺人なんて出来っこないから、アヒンサーはお師匠さんに催眠術をかけられたのかも知れないね。
こうしてアヒンサーは絶えず手を血で塗らして殺戮を繰り返し、切り取った指で作った首飾りをかけ、村や町を徘徊した。シュラヴァスティーの人々は逃げまどい、狂気に満ちた殺人鬼アヒンサーを「指の首飾りを持つ者」という意味で、アングリマーラと呼ぶようになった。
「指の首飾り」で思い出したのが、「生首の首飾り」をさげたこの女神さん。知ってる?シヴァ神の奥さんの一人なんだけど、カーリー女神だ。カルカッタ、いや今はコルカタだね。コルカタにあるカーリー寺院に祀られている凶暴な女神さんで、生け贄を欲しがるんだ。カーリー寺院には何回が行ってるけど、かわいい山羊さんが犠牲になるのを見たことがある。
またまた話がそれちゃったね、ご免。次から次へと犠牲者が出る中、人々はアングリマーラの悪鬼のような所業に恐怖し、王宮に訴え出たんだ。ちょうど王宮に滞在していたブッダがこれを聞いて、「私が行ってアングリマーラを救ってやろう」と言って、街中へと出て行った。
いっぽう、アングリマーラは999本の指をそろえて、あと1本で首飾りが完成するところまで来ていた。ところが、町中の人々が逃げたり隠れてしまっていて、いくら懸命に探しても人っ子一人おらず、あと1本がなかなか手に入らなかった。そんな時に一人の女の人が彼の前を通った。「しめしめ、やっと最後の獲物が手に入るぞ」と舌なめずりしながら近づくと、なんとアングリマーラの母親だった。殺人鬼であってもまさか自分の母親を殺すなんてことはしないだろう、と思うよね。ところが、999人を殺して尋常な思考力を失っていたアングリマーラは、母親に襲いかかろうとした。危うし、母親の運命やいかに!という緊迫した状況の時に、ブッダがアングリマーラの横をゆっくりと歩いて通り過ぎて行った。
アングリマーラは母親を突き放すと、ブッダを最後の獲物として追うことにした。1000人の命と1000本の指を奪えと命ぜられ、道行く人々を襲い、999人の命と999本の指をすでに奪い、1000人目としてブッダを狙うアングリマーラ。なんか、どっかで聞いたような……。そうそう、武蔵坊弁慶だ!1000本の太刀を奪おうと願を立て、道行く人々を襲って999本の太刀をすでに奪い、1000人目として義経を狙う弁慶。一緒じゃん。
ところが、アングリマーラが全力で追いかけているにも関わらず、ブッダになかなか近づくことが出来ない。しだいに苛立ってきて、ついに大声で叫んだ。
「おい、そこの坊さん。少し止まれ」
ブッダは静かに言った。
「私は最初から立ち止まっているよ。お前こそ早く止まりなさい」
「え? 坊さんよ、あんたは歩きながら『私は止まっている』といい、俺が立ち止まっていのにる『お前こそ止まれ』という。坊さんよ、どうすればあんたは止まり、俺は立ち止まらないで近づくことができるのか?」
「アングリマーラよ。本当に私は立ち止まっている。私は常に一切の生きとし生けるものどもに対する暴力を抑制しているからだ。しかし、お前は生きものどもに対して害する心を抑制しておらず、日ごとに人の命を奪う。だからこそ私は立ち止まり、お前は立ち止まることが出来ないのだ」
韓国・海印寺の壁画
アングリマーラは突然雷に打たれたように剣を大地に投げ捨てて、ブッダの足下に身を伏して言った。
「お坊さん、あなたの真理にかなった言葉を聞き、今こそ千にも達する悪業を捨てようと決めました」
そこへ500人の兵を率いたパセーナディ王がブッダを訪ねて来た。きっと、アングリマーラの捕獲についてブッダのアドバイスが欲しかったんだろうね。車を下りて歩いて来る王を迎えて、ブッダは問いかけた。
「王よ、あなたはこのような兵を率いて、マガダ国でも攻めに行こうというですか?」
「ブッダよ、それは違う。私はいま国中の人の訴えを聞いて、アングリマーラという領内の連続無差別殺人犯を捕まえようとしているんだ」
ブッダは尋ねた。
「だったら王よ、もしその連続無差別殺人犯が頭髪と髭を剃り落とし、袈裟をまとい、世俗の生活を捨て出家し、凶悪な仕業を悔いて、殺生を離れ、広く善行を尽くそうとしていたら、彼をどうしますか?」
王はそんなことなど到底あり得ないと思い、
「もちろん、私は彼に礼を尽くし、喜んで彼を迎え、彼に保護を与えよう」と言ってしまった。
その時ブッダは右腕を上げ、片隅で静かに瞑想している一人の弟子を示し、「王よ、彼こそ王のたずねているアングリマーラである」と教えた。
「あのアングリマーラ」が目の前にいることを知った王は、身の毛がよだつほどの恐怖を覚えた。パセーナディ王といえば、当時のインドの2大強国の統治者だ。その王が心底震え上がるほどの恐怖を感じたというんだから、当時の人々がアングリマーラをどれほど恐れていたかが分かるよね。
「王よ、恐れることはない。人がもし犯した罪業を悔い改めたなら、この世を照らすこと、あたかも雲を離れた月のごとし。私の法を聞いて最勝のやすらぎに達した彼は、今なんびとをも傷つけ害することなく、かえって強きものも弱きものも、ともに慈しみ護ることでしょう」
王はやっと落ち着きを取り戻して、そばに控えていた修行者に聞いた。
「尊者よ、あなたはアングリマーラか?」
「はい、私は以前連続無差別殺人犯で、アングリマーラと呼ばれていました。しかし、今は迷いのもとを滅して、ブッダに帰依しています」
「そうか。ならば私はあなたに衣服や食事、医薬などを与えましょう」
「王よ、私はすでに満ち足りています。何も要りません」
アングリマーラはきっぱりと断った。王は首を振りふりブッダに向かって、
「偉大なるかな、ブッダ。あなたの導きは最上なり。私たちが武器をもってしても打ち伏せることができなかった者を、ブッダはよく武器なくて降伏させました」
そう言うと、兵を引き連れて城へ帰って行った。
えーっ、王さまはなんでアングリマーラを逮捕しないの、って思うよね。逮捕できない理由が2つあるんだ。一つはブッダとのやりとりの中で、「アングリマーラが出家者となり、悪行をすべて捨て善人になっていたら、彼に礼を尽くし、喜んで彼を迎え、彼に保護を与える」と宣言しちゃったということ。これでもし逮捕したら王さまはブッダに嘘をついたことになってしまう。もう一つの理由はインドにおける出家とは社会的な義務と権利をすべて放棄することだから、出家者は王が定めた世俗の法に従う義務がないんだ。ブッダの教団ではどんな悪事をはたらいた者でも、ひとたび懺悔して仏弟子となった以上、一人の修行者として平等に扱われ、やがて修行を完成した者となることができたんだ。
まあ、逮捕できないことは理屈では分かるけど、親や子供を殺された者にとっては納得いくわけがない。翌朝、町へ托鉢に出たアングリマーラを見た人々は、騒ぎ出し、ある者は土くれや棒切れを投げたり石を投げたりしたので、彼は頭に傷を負い、血を流し、鉢は壊され、着衣はぼろぼろに引き裂かれてしまった。ブッダはずたぼろになって帰って来たアングリマーラをいたわりながら、
「アングリマーラよ、今こそよく耐え忍ぶべし。お前の苦しみは、すべてお前が先に犯した罪のなせるところだ。他の人を恨んではいけないよ。一人深く、自らの内を観なさい」
「都大路に捨てられし 塵芥【ちりあくた】の堆【つみ】の中より げに香たかく こころたのしき白蓮は生ぜん」
と言い聞かせた。(つづく)
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ブッダを知りませんか?
まず、手はじめに新たに国王となったアジャータサットゥにブッダのところに刺客を差し向けるように頼んだ。(アジャータサットゥが国王となったいきさつについてはまた後でね)。国王に命ぜられた刺客たちが剣と盾、あるいは弓と矢を持ってブッダの命を狙った。ところがブッダの前に出ると彼ら刺客たちの心は怯え、身体は硬直してぶるぶると震え出してしまった。ブッダのオーラに圧倒されてしまったんだね。
それを見たブッダがにこやかに「友よ、恐れることはない」と声をかけたもんだから、彼らは武器を放り出してブッダの足下にひれ伏し、ブッダの帰依者となってしまった。ミイラ取りがミイラになっちゃったわけだ。エルバ島を脱出したナポレオンに対して国王ルイ18世が討伐軍を送った時、ナポレオンは討伐軍の前に立ちふさがり、「兵士諸君! 諸君らの皇帝はここにいる! さあ撃て!」と叫んだという。兵士たちはナポレオンの足下にひれ伏して寝返り、ナポレオンはなんなくパリに入城して皇帝に返り咲いた、という話を思い出すね。
デーヴァダッタは刺客たちがブッダの殺害に失敗したのを知り、悔しがった、それならば自分の手でブッダの命を絶とうと決心する。ある時ブッダが霊鷲山【りょうじゅせん】の山道を歩いている時、デーヴァダッタは山上から大きな岩を転がしてブッダの命を奪おうとした。ところが落とされた岩は峰と峰の間に挟まって支えられたので、ブッダの命に別状はなかった。だけど、その岩のかけらが足に当たり、ブッダは傷を負ってしまった。これを出仏身血【すいぶつしんけつ】と言っている。
ブッダは山上のデーヴァダッタに「お前は汚れた心を持ち、さらに不善の業【ごう】を積むなり」と言ったという。このデーヴァダッタの仕業を知った修行僧たちは驚き、ブッダのまわりを幾重にも取り囲んでブッダを守ろうと提案したそうだ。ところがブッダは、
「心配ない。ブッダは暴力をもってその命を奪われるものではない」、と諭したそうだ。
落石による暗殺に失敗したデーヴァダッタは、こんどはナーラギリという象を使った。ナーラーギリに大量の酒を飲ませ、身体を殴り、痛めつけ、激怒させ、頭を狂わせて、ラージャガハの街中を托鉢しているブッダに向かってナーラーギリを放した。カルタゴのハンニバルも象軍団を使ってローマを攻めたが、インドでも戦争に象軍団を使っていた。ナーラーギリは戦争用の象だったから、大変凶暴な性格で、町中を暴れ回り、あらゆる物を破壊しながら、ブッダに迫った。ブッダ危うし、ブッダの運命やいかに!
ところが、どうだろう。突進してきたナーラギリはブッダの前まで来ると急に耳や鼻をたれて静かに止まり、まるで飼い犬のようにブッダの前に跪いてしまった。凶暴な象さんも、ブッダのオーラに屈服したんだね。
ことごとく暗殺計画に失敗したデーヴァダッタは最後に、自分の爪の間に毒を塗り、ブッダを傷つけて暗殺しようとした。ところが自分の指先の小さな傷から毒が回り、自分が死ぬ羽目になっちゃった。なんと間抜けな奴なんだろうね。
デーヴァダッタはブッダを殺そうとしていたところを蓮華色比丘尼(ウッパラヴァンナー)という尼さんにとがめられて、彼女を鉄拳で殺害したとも伝えられており、これを殺阿羅漢【さつあらかん】と言っている。前回お話ししたブッダの教団と別の教団をつくろうとした分派活動を破和合僧【はわごうそう】、さっきお話しした出仏身血と3つ合わせて三逆罪としている。この三逆罪により、デーヴァダッタは無間地獄【むげんじごく】に墜ちちゃったそうだ。これぞ自業自得というやつだね。
ブッダの過去世でのお話だ。
遠い昔、ブッダがまだ悟りを得ていない時に、本当の悟りを得たいと思って、一心に『法華経』の教えを求めていた。何度も生まれ変わり死に変わりして、その度に国王となって、ただひたすら『法華経』を求め、怠けることなく修行を続けた。ある時、王が「誰か私のために法華経を説いてくださるなら、私はその人の奴僕となって、死ぬまでお仕えする」と誓いを立てた。するとアシタ仙人が現れ、「あなたがその覚悟で修行するのであれば、私はあなたのために法を説いてあげよう」と申し出た。その言葉を聞いた王は大いに喜び、常に仙人の行くところに従って、薪【たきぎ】を拾い、水を汲み、木の実や草の実を採って、奴僕として仕え、身心飽きることなく精進を続けた。その結果ついに成仏することができた。
ブッダは仙人のお陰で本当の悟りを得ることができたと、自分の過去世の話をされたあと、驚くべき言葉を発した。
「爾【そ】の時の王とは則ち我が身是なり。時の仙人とは今の提婆達多是なり。……(中略)……
等正覚を成じて広く衆生を度すること、皆提婆達多が善知識に因るが故なり。」
「その王は私の前身であったが、実は私に『法華経』を説いてくれた仙人とはデーヴァダッタの前身だ」と言うんだ。ブッダが悟りの境地に至って、人々を導くことができたのもすべて、あなた達が悪人だと思っているデーヴァダッタという善知識のお陰だと言うんだね。善知識というのは、自分をよい方向に導いてくれる人のことだ。たとえば、NHK朝ドラの「花子とアン」の花子にとってのブラックバーン校長のような存在。あっ、ご免。今の若い人は朝ドラ視ないか。
デーヴァダッタはブッダに害を与えた人間だから、僕たちの眼から見ると悪人だ。でも、ブッダはその悪人のことすら「自分の心を最高位、最上級のものにするために、あえてデーヴァダッタはこのようなことをした」と言うんだね。君たちの周りにも君に害を加える人間がいると思うけど、その人達も君にとってひょっとしたら善知識なのかも知れないね。そんな気持ちで接すれば、恨みが湧いて来ることはないよ。
そして、この後ブッダはデーヴァダッタに対し天王如来という仏となることができると証明を与える。ブッダを殺そうとしたり、教団を乗っ取ろうとしたりした、悪人の代表のようなデーヴァダッタだが、過去世においては善いことをした。それを現世で思い出してくれれば、無量劫【むりょうこう】という長い時間がかかるけれど、必ず悟りを得ることが出来ると断言する。これが「悪人成仏」だ。悪人であっても、自分の過去世を振り返り、自分が行って来たことを反省、懺悔【さんげ】するならば、かならず仏となることが出来る。『法華経』はそう教えている。僕達だって、ブッダになれるんだよ。

『愛の戦士レインボーマン』って、知ってるかな?今から40年ほど前のテレビ番組だから、知ってるわけないか。 ヤマトタケシがレインボーマンに変身して「死ね死ね団」と戦うとうお話なんだけど、タケシに七色の戦士「レインボーマン」の素質を見出して弟子とし、死に際にレインボーマンを伝授したのがダイバ・ダッタという聖者。インドの山奥に住む150歳の聖者なんだけど、デーヴァダッタがモデルだ。ちなみに、レインボーマンに変身する時の呪文が、阿耨多羅三藐三菩提【あのくたらさんみゃくさんぼだい】を3回唱えた後、「レインボー・ダッシュ・○○(化身の名前)!」と叫ぶんだ。阿耨多羅三藐三菩提というのは、サンスクリット語で「最高の悟り」のことだ。笑っちゃうね。(つづく)
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ブッダを知りませんか?
デーヴァダッタはブッダの従兄弟にあたる。ブッダの父スッドーダナ王の弟ドートーダナの子で、「多聞第一」とされているアーナンダのお兄ちゃんだ。これは北伝仏教の説で、南伝仏教ではデーヴァダッタはシャカ族のデーヴァダハ城のスッパブッタの子、ブッダの妃であったヤショダラーの弟とされている。まあ、いずれにしてもブッダの近親者であることに間違いはない。ブッダが故郷のカピラヴァッツに帰った時に、弟のアーナンダ、アヌルッダ、ウパーリら6人とともに出家したと言う話は前にしたよね。
デーヴァダッタはブッダに反旗を翻した極悪人として有名だ。
ある朝のこと、アーナンダは衣を整え、鉢を持って、朝早くラージャガハの町に入った。その托鉢の姿をじっと見つめながら跡をついていく者があった。別にストーカーじゃないよ。托鉢中は話しかけてはいけない決まりがあるんだ。アーナンダが托鉢を終えると、その人物は「アーナンダよ」と声をかけて、彼の前に立ちはだかった。さあ、いったい誰だったでしょうか?なんと、兄ちゃんのデーヴァダッタだ。竹林精舎の中では言えない秘密の話があったんだ。
「アーナンダよ、私はブッダとは別に教団を持つことにしたよ」
アーナンダは兄ちゃんの突然の宣言に驚いて声も出なかった。どこをどう歩いたかも分からないほど夢中になって精舎にたどり着いたアーナンダは、ブッダにこのことを話した。かすかに苦渋の表情を見せたブッダは、静かにこう語った。
「善人には善はなしやすい 悪人には善はなしがたい 悪人には悪はなしやすい 善人には悪はなしがたい」
ブッダは、人は生まれながらに善人というものはなく、また悪人というものもありえない。人はただ、その行いによって善き人ともなり、悪しき人ともなると、いつも言っている。ふとしたことから悪い思いにとらえられ、悪しき行為を重ねるうちに、人はやがて、善はなしがたく、悪を繰り返す人間になってしまうと言うんだ。
「烏のごとく、少しも恥ずる思いがなく、たかぶりが強く、つつしみを知らず、粗暴な振る舞いをし、かつ心が穢れたもの、そういう人はこの世で生きるには苦しいだろう」
ブッダはデーヴァダッタの身に思いをはせ、悲しい顔をした。
デーヴァダッタはきわめて優秀で、ブッダに等しいほどの才能の持ち主で、サーリプッタが、「大神通あり、大威力あり」と絶賛したほどだった。しかし、次第に力をつけたデーヴァダッタは、ついにこんな考えを起こすようになった。
「さて、誰を手がかりにすれば、多くの利益【りやく】と高い尊敬を得ることができるだろうか。そうだ、マガダ国のアジャータサットゥ王子はまだ年は若いが、ビンビサーラ王の後継ぎだけに、将来権力を握ることは目に見えている。この王子を手がかりにして富と名声を得よう」
そして、すぐにラージャガハ城のアジャータサットゥ王子を訪ね、得意の神通力を使って王子の信頼を獲得してしまう。以来、王子は500の車をともなってデーヴァダッタを朝夕訪ね、500の釜で煮た食事をもって供養したという。
こうして利益と尊敬と賞賛に魅せられたデーヴァダッタは、ついにこんなことを考えるようになった。
「これからはブッダに代わって、この私が教団を導いていくべきではないか」
この考えを起こした途端、彼は正道を見失ってしまった。
ラージャガハに托鉢に出かけた修行僧たちは、アジャータサットゥ王子が毎朝毎晩、デーヴァダッタのもとへ500の車を率いて500の釜で煮た食事を運んでいる光景を見て口々にブッダに報告したが、ブッダはこう言ってたしなめた。
「お前たち、デーヴァダッタの利益と名誉を羨んではいけない。アジャータサットゥ王子は、デーヴァダッタに供養している限り、彼には破滅が待ち受けているのだから」
ん、破滅?このあとアジャータサットゥ王子の身に何が待ち受けていたかは、またいずれお話するから、楽しみに待っててね。


ある時、ブッダは大勢の人々の前で説法していた、その中には国王や大臣もいた。説法が終わると、デーヴァダッタがつと前に立ち、ブッダに向かってなんとこう言ったんだ。
面と向かって、ブッダに引退の勧告をしたわけだね。一座の人々はざわめきだってしまう。しかし、ブッダはいつもながらの静かさでこう答えた。
「やめなさい。デーヴァダッタ、汝がこの教団を統率するなんてことを望んではいけない」
それでもデーヴァダッタはあきらめず、2回、3回と要求を繰り返した。
「デーヴァダッタよ。私はサーリプッタやモッガラーナにだって、この修行僧達を託すつもりはない。汝のごとく、垂涎【すいぜん】をもってのぞむ者においてはなおさらのことである」
デーヴァダッタに対して、「涎【よだれ】を垂らして欲しがる者」と決めつけたんだ。こんなふうに大勢の前で罵られ、辱められたもんだから、デーヴァダッタは憤然と席を蹴ってその場を立ち去ってしまう。
人前で恥をかかせられたと逆恨みしたデーヴァダッタはブッダを憎むあまり命を狙うようになるんだけど、ブッダはサーリプッタに命じてラージャガハの町にこういう布告だ出した。
「以後、デーヴァダッタの身により、口によって為すところは、これ仏法僧にかかわりのないことである」
こうしてブッダはデーヴァダッタを破門してしまった。
デーヴァダッタがブッダに提唱した「五事の戒律」というのがある。
①生命ある限り、修行僧は林に住むべきである。村に住んではならない。
②生命ある限り、托鉢によって食物を得るべきである。信者の招待を受けて、その家で食事をしてはならない。
③生命ある限り、ぼろ布の衣(糞掃衣【ふんぞうえ】)をまとうべきである。信者からの施物の1枚の布を衣としてはならない。
④生命ある限り、樹下に住むべきである。屋根のある家に近づいてはならない。
実はデーヴァダッタの「五事の戒律」には罰則があり、教団の全員を一律に拘束するものだった。でもブッダは修行者おのおのの自主性に任せようとした。だって自分のための修行だよ。他人に言われ、強制されてするものではない。ブッダには拒否されてしまったけど、彼の考え方に賛成する者もいた。デーヴァダッタは賛同者500人を引き連れ、ブッダのもとを去った。 ブッダが亡くなる7年前のできごととされている。
ちなみに、5世紀にインドを訪れた法顕【ほっけん】や、7世紀の玄奘【げんじょう】はネパール国境付近やベンガル地方にデーヴァダッタの教団が存在しているという記録を残している。
後編では、いよいよブッダ暗殺計画と法華経に登場するデーヴァダッタについてお話しするね。(つづく)
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ブッダを知りませんか?
チューラパンタカ(周利槃特【しゅりはんどく】)
この変なおじさん誰だか知ってる?今の若い人は知らないかもね。一世を風靡した赤塚不二夫の『天才バカボン』に出てくる「レレレのおじさん」だ。いつも箒【ほうき】をもって掃除をしていて、「おでかけですか~?レレレのレ~」が口癖なんで、「レレレのおじさん」と名づけられた。実はこのおじさんのモデルになったのが、チューラパンタカだとされている。ちなみに、バカボンも「馬鹿なボンボン」という意味じゃなくて、ブッダの敬称だよ。サンスクリット語でBhagavat(ヴァガヴァット)、「世の中で最も尊い」という意味だ。これを鳩摩羅什は「世尊」と意訳し、玄奘は「婆伽梵【ばかぼん】」と音訳した。バカボンのパパの口癖である「これでいいのだ~」も、実は悟りの境地を表してるんだって。赤塚不二夫恐るべし~。
チューラパンタカはラージャガハの大富豪の娘と召使いとの間に生まれた。二人は駆け落ちしたが、やがてみごもった彼女は実家に帰って出産したいと旦那に相談した。旦那は同意したんだけど、罰を恐れて腰を上げようとしなかった。そりゃそうだよね。彼女のカースト(正式にはヴァルナ)はヴァイシャだけど、旦那はシュードラだからね。カースト制度ではカーストの異なる者同士の結婚は基本的に許されていない。男性が上位で女性が下位のカーストである場合は認められることもあったが、その逆は絶対に認められなかった。旦那は彼女の父親に殺されて文句言えない立場なんだ。そんなわけで、臨月が近づいた彼女は一人でラージャガハに帰ろうとしたんだけど、その途中の道端で男の子を産んだ。道路で生まれたんで、この男の子はパンタカ(道路の意味)と名づけられた。次男坊も同じように実家に帰る途中の道端で生まれたんで、長男をマハーパンタカ(大道路)と改名し、次男坊をチューラパンタカ(小道路)と名づけたそうだ。
兄ちゃんのマハーパンタカは非常に賢かったんだけど、弟のチューラパンタカは生まれつき愚鈍だった。先に出家した兄ちゃんの勧めでチューラパンタカも出家したが、
「かぐわしい香りの真紅の蓮華が 暁に鼻開いて香るように あまねく照らすブッダを身よ。空に輝く太陽のようにー」
という一句を4カ月かかっても暗記することができなかった。そのために坊さん仲間からことあるごとに「お前は馬鹿だ、愚か者め」と罵られていた。これだけ記憶力が悪いというのは、ひょっとしたら障害をもっていたのかも知れないね。
何とかして弟を一人前の修行僧にしてやろうとした兄ちゃんも終に堪忍袋の緒が切れて、「お前はアホか。こんなに学習が進まないんだったら、もう仏道は無理だから、さっさとここを出て家に帰ってしまえ!」
チューラパンタカは兄ちゃんに怒られたことが辛くて、祇園精舎の門外に出て、涙を流して立ちつくしていた。そこへちょうどブッダが通りかかり、やさしく頭を撫でながら、泣いているわけを尋ねた。
「汝はなぜここで悲しんで泣いているのか?」
「私はいま兄から、お前は仏道を修めようとしても何も覚えられないのだから、ここにいる必要はない。すぐに家に帰れと言われ、悲しくて泣いています。
と訴えたので、ブッダは哀れに思って、こう教えた。
「お前は自分の愚かさを悲しむことはないんだよ。私が望んでいる悟りの道は、お前の兄の言うようなことではないんだから」
ブッダはチューラパンタカの手をとって一緒に自室に戻り、坐らせて教えを説き始めた。その時ブッダは彼に1本の箒を持たせてこう言った。
「《この箒もて塵【ちり】を払わん、垢【あか】をのぞかん》。お前はこの言葉を何度でも繰り返しなさい」
愚鈍なチューラパンタカでもこの短い句は覚えられたんだね。以来、彼はいつでも箒をもってこの言葉を繰り返し続けた。賢そうな弟子達は薄笑いを浮かべながら、彼の行動を見ていた。しかし、チューラパンタカは愚鈍なるがゆえに何の疑問も覚えず、毎日毎日、同じ言葉を繰り返していた。
ところが、ある日、彼は突然こう思った。
「ブッダの言われた塵とは心の塵のこと、垢とは心の垢のことではないか。人はそれぞれ心に汚れがある。そのわが心の塵を払い、わが心の垢を除くこと、これが仏道の修行なのではないか。人の世の迷いは垢なり。智慧はこれ心の箒なり。われ、いま智慧の箒もて、愚かなるわが迷いを払うべし」
彼はすぐにブッダのもとに駆けつけてこう言った。
「ブッダよ、私は智慧の箒でもって、わが心の塵を払います」
ブッダはにっこり微笑みながら、こう言った。
「善きかなわが弟子よ。お前の言う通りだよ。智慧はよく人の世の迷いを除く。わが弟子に修めて欲しいのはまさにこのことなのだ」
チューラパンタカは愚かなるがゆえに、ついに悟りを得た。
「愚かなるものも おのれ愚かなりと思うは 彼これによりてまた賢きなり おのれ賢しと思うは 彼こそまこと愚かといわるべし」
何が愚かで、何が賢いか、ブッダはわれわれに問いかけている。チューラパンタカは自分が愚かであると思い、ブッダを信じ、何の疑いもなく言われたままに、箒を持ち、ただひたすらに文句を唱えた。その一途な行動がついに悟りを開かせたのだが、チューラパンタカは本当に愚かだったのだろうか?
ちなみに、茗荷を食べると物忘れがひどくなる、って言われてるよね。でも、これはウソ。チューラパンタカが自分の名前も忘れてしまうほどだったんで、首から名荷をかけさせた。名荷って、名前を書いた札、つまり名札のこと。ところが彼は名荷をかけたことさえも忘れてしまった。こうなったらもう認知症だけど、名荷と茗荷の音がいっしょなんで、茗荷を食べると物忘れがひどくなるということになっちゃったらしい。
なお、茗荷と生姜は同じ頃に中国から入って来たそうだけど、香りの強いほうを「兄香【せのか】」、弱いほうを「妹香【めのか】」と呼んだのが語源とされている。知ってた?(つづく)
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カッチャーヤナの出自についてはもう一つ説があり、インド中部のアヴァンティ国ウッジェーニーの出身だとも伝えられている。
アヴァンティ国は古代インドの十六大国の一つで、インド中部にあった国だ。ウッジェーニーは現在のマディヤ・プラデーシュ州のウッジヤインで、サーンチーのストゥーパの西200㎞ぐらいのところにある。アヴァンティ国は一時期マガダ国に対抗する勢力となったんだけど、最終的にはマガダ国に滅ぼされてしまう。カッチャーヤナはこのアヴァンティ国のチャンダパッジョータ王の補佐役をしていたバラモンの子として生まれた。ブッダの名声を耳にしたチャンダパッジョータ王は、ブッダをアヴァンティ国に迎えるために7人の王臣をブッダのもとに送ったが、この時に同行したカッチャーヤナはブッダの魅力に惹かれてしまい、そのまま出家してしまった。後に故国に帰ったカッチャーヤナは、王をはじめ多くの人々を仏教に導いている。
カッチャーヤナはブッダの十大弟子の中でも「論議第一」とされている。人々の心を巧みにつかんで語ったプンナが「説法第一」とされるのに対し、カッチャーヤナは学者や他宗の人との論議に優れていたからだとされるが、それはちょっと違うような気がする。なぜなら、ブッダは議論というものを嫌ったからだ。ブッダの教えは苦しんでいる人、悩んでいる人を適切に導き救うための治療薬・処方箋のようなものであって、学会で議論し優劣を争うよな性格のものではない。ブッダはいつも弟子達に戯論【けろん】に耽るなと諭していた。だから、カッチャーヤナが「論議第一」と呼ばれたのは、ブッダの説く難しい教えを、相手の理解度に応じて、興味を刺激しながら、分かり易く解説する役割を努めたということだろうと思う。だって、カッチャーヤナにはアヴァンティ国に帰ってブッダの教えを王と人々に正しく説かなければならないという使命感があった。そのためには先ず彼自身がブッダの教えを正確に把握しなければならない。その努力の結果として、ブッダの説法の内容を理解出来ない修行者に対し、ブッダに代わって解説出来るだけの力量を身につけることが可能となったんだ。
「一夜賢者の偈【いちやけんじゃのげ】」もカッチャーヤナが巧みに解説したと伝えられている。

ブッダと一緒に入った気分で、ゆったりと湯に浸かりながら、満点の星空を眺め、至福の時を過ごした。ホテルに帰ってから聞いたんだけど、温泉精舎の辺りは夜な夜な盗賊が出没するそうで、我々がいい気で温泉に浸かっている間、ホテルのスタッフが見張っていてくれたそうだ。折角温まっていたのに、そんな話を聞いた途端いっぺんに湯冷めしちゃった。
話が逸れちゃったけど、サミッディが身体を渇かしているところへ、天人が現れて「『一夜賢者の偈』を知ってるか?」と聞いてきた。サミッディが「知らない」と言うと、天人は「是非、ブッダに教えてもらいなさい」と言って、消えてしまった。翌日、サミッディは早速ブッダのもとへ行って、教えてもらった。
過去を追うな。
未来を願うな。
過去は既に捨てられたものだ。
そして、未来は、未だ到来せず。
それ故、ただ現在のものを
それがあるところにおいて観察し、
揺らぐことなく、動ずることなく、
よく見極めて、実践せよ。
ただ今日なすべきことを熱心になせ。
誰が明日、死のあることを知らん。
まことに、かの死神の大軍と
遇わずにすむはずがない。
このように見極めて、熱心に
昼夜おこたることなく努める者、
かかる人を一夜賢者といい、
寂静者、寂黙者というのである。(『中部経典』)
これだけ唱えるとブッダは立ち去ってしまった。サミッディはいまいち意味が分からなかったんで、カッチャーヤナに解説をお願いしたそうだ。「ブッダをさしおいて、私が解説するのは……」と、辞退しようとしたんだけど、サミッディが「多忙なブッダに解説の負担までかけたくない」と言うので、カッチャーヤナはやむなく解説したそうだ。
過去に執着することなく、また未来に期待をかけることなく、今日の一日を疎かにせず、懸命に生きる者こそ、真の賢者である。サミッディはカッチャーヤナの解説を感激しながら聞いたそうだ。こんなふうに、ブッダの教えを相手の理解度に応じて解説したことから、「論議第一」と呼ばれたんだね。
カッチャーヤナがアヴァンディ国のクララガラのバヴァッタ山にいた時のことだ。カッチャーヤナにはソーナコーティンカンナという名の青年が侍者として仕えていた。あんまり長い名前なんでこの後はソーナと呼ぶね。ソーナは在家信者だったんだけど、カッチャーヤナの身近で説法を聴くうちに、出家して修行することを望むようになった。でも、カッチャーヤナは許さなかった。しかし、ソーナが再三にわたって熱心に許しを求めたので、カッチャーヤナもとうとうソーナの出家を認めた。
仏教教団の定めでは、出家生活に入るためには具足戒【ぐそくかい】という戒律を受けることが必要とされ、そのためには和尚と呼ばれる師、司会役の戒師、実際に戒を授ける教授師、それに証人としての出家者7人の、合計10人の出家者が出席しなければならなかった。これを三師七証と言ってる。もちろんちゃんとした資格を有した高僧達で、僕みたいな生ぐさ坊主は駄目。この具足戒を授ける場所を戒壇というんだけど、8世紀初めの日本には戒壇もなかったし、三師七証の資格のある坊さんも不足していた。そこで、はるばる中国から招いたのが鑑真だった。鑑真は6回目の渡航でようやく来日に成功し、翌天平勝宝6年(754年)4月、東大寺大仏殿前で、聖武太上天皇、光明皇太后、孝謙天皇らに菩薩戒を授け、沙弥、僧に具足戒を授けた。戒壇院が建立されたのは翌年のことだった。授戒の儀式が日本に正式の伝わったのは、ブッダが亡くなってから1200年も後のことだったんだね。
ブッダ在世中のインドでも、マガダ国やコーサラ国なら10人の坊さんを集めるのは簡単だったけど、もともと出家修行者の数の少ないアヴァンティ国ではすぐに10人集めるのは不可能だった。結局カッチャーヤナは3年がかりでようやく10人の坊さんを集めて、ソーナに戒を授け、出家させることができたそうだ。
3年がかりで出家の希望がかなえられたソーナは熱心に修行に励むうちに、ブッダの説法を直接聞きたいと思うようになった。そりゃそうだよね。僕だってブッダが生きておいでなら、直接悩みを聞いてもらい、指導してもらいたいもんね。で、その希望を師のカッチャーヤナに申し出ると、師は快くそれを許し、「ブッダにお会いしたら、次のように申し上げて欲しい」と、ブッダへの4つの願い事をソーナに託した。
①アヴァンティ国では出家者の数がきわめて少なく、ソーナを出家させるために10人の僧侶を集めるのに3年もかかりました。これからは具足戒を授ける時に必要な僧侶の数を減らすことを許していただきたい。
②アヴァンティ国の土は黒く、牛のひづめで踏み固められていて、一重の履き物では歩きにくいので、履き物を重ねることを許していただきたい。
③この地方ではたびたび水浴して身体を浄める風習があるので、この風習に従うことを許していただきたい。
④この国では獣の皮の敷物を使う習わしがありますので、この習わしに従うことを許していただきたい。
ソーナは師の言葉をしっかりと心にとどめ、長い旅を続けた後に、コーサラ国のシュラヴァスティーにある祇園精舎に着いた。ブッダは辺境の地からはるばるやって来たソーナを温かく迎え、アーナンダに宿舎の用意をさせた。翌朝、ブッダの前でソーナはカッチャーヤナの願いを正確にブッダに告げ、アヴァンティ国の事情を細かく説明した。
ブッダは辺境の地の仏弟子の言うことを漏らさず聞いた後、次のように言った。
「修行者たちよ、これからアヴァンティ国のような辺境では、5人の僧侶だけで具足戒を授けることを認めよう。また、カッチャーヤナの申し出た通り、風土や文化の違いによって守ることの難しい二、三の戒についても、土地に合わせて改めることを許そう。」
インドは広大な国で、話す言葉は現在でも200種類以上もある。世界史の授業でも話したんで記憶している子もいると思うけど、インドの第一公用語はヒンディー語だけど、それ以外にタミル語やカシミール語など全部で18の言語が公用語として認められてる。写真は10ルピー紙幣だけど、アラビア数字の10の下にそれぞれの言葉で10ルピーと書かれている。こんなにたくさんの言語が載ってる紙幣は世界中どこを探してもない、とても珍しい紙幣だ。
言葉だけじゃなく、風俗や習慣もさまざまなインドで、仏教が一般民衆のものとなるには、カッチャーヤナのように辺境の地で懸命に布教する弟子たちの努力と、教え自体の中にも、それぞれの地方の習俗慣習を取り込む必要があったということだね。(つづく)
ブッダを知りませんか?
プンナ (富楼那【ふるな】)
プンナは正しくはプンナ・マンターニプッタといい、漢訳では富楼那弥多羅尼子【ふるなみたらにし】。彼はコンダンニャ長老の生まれ故郷であるドーナヴァットゥという村に生まれた。コンダンニャはブッダの最初の説法(初転法輪【しょてんぼうりん】)を聞いた5人の修行者の一人で、最初に覚ったといわれている。この時ブッダが喜んで、「アンニャー・コンダンニャ」(コンダンニャが覚った)と叫んだことから、以後はアンニャー・コンダンニャと呼ばれるようになった。プンナのお母さんはこのコンダンニャの妹で、マンターニという名前だ。もう気がついた?そうだね、サーリプッタの時に話したけど、プッタは子供のこと。だから、プンナの正式名は「マンターニの子のプンナ」ということだ。ああ、そうそう。ブッダが師事したウッダカ・ラーマプッタという仙人もいたよね。
プンナの出身地についてはスナーパランタ国のスッパーラカという説もある。スッパーラカはインド西海岸のムンバイの北にあったとされる古代の貿易都市だ。お父さんは裕福な貿易商で、プンナはお父さんが召使いの女性に産ませた子供だったそうで、両親の愛に恵まれずに育った。そんな訳だから、お父さんが死んだ時にプンナは何一つ財産を分けてもらえずに家から放り出され、身一つで貿易に仕事に乗り出したと言われている。
苦労して育った彼は人の気持ちをよくくみ取ることが出来たし、商才にも長けていたので、やがて海洋貿易で巨万の富を築いたそうだ。当時のインドの貿易商人は、メソポタミアまで出かけて交易していたと言われているから、さしずめプンナは古代版の船乗りシンドバッド だ。ちなみにシンドバッドって、アラビア語で「インドの風」という意味だよ。
7度目の航海の時のことだ、彼の商船に乗り合わせていたコーサラ国のシュラヴァスティーから来た商人たちが朝晩に何か歌のようなものを歌っている。面白い歌だなと思ってプンナが何の歌か聞いてみた。そしたら、「これは歌じゃなくて、ブッダと呼ばれている人の教えなんだ。忘れないように、朝晩唱えてるんだよ」という返事。ほんの短い教えだったんだけど、それを聞いただけでプンナはブッダの教えが優れていることを理解した。港に帰り着いたプンナは、すにぐ財産を整理して兄ちゃんに譲ると、身一つでブッダのもとへと走った。
シュラヴァスティーに着いたプンナは、貿易の仕事を通じて知っていたスダッタ長者のもとを訪ねた。スダッタ長者は祇園精舎を寄進したブッダの有力信者だよね。その紹介でブッダに会い、そのまま出家してしまった。もともと商人だからお話が上手だったうえに、苦労した人だったから、人の心にしみ入るような説法で多くの人を感動させ、「説法第一」と呼ばれるようになった。僕もいちおう日蓮宗の専任布教師なんだけど、なんの苦労もしてないし、おまけに生ぐさ坊主だから、通り一遍のお話しか出来なくて悩んでいる。爺ちゃんの本徹上人は知る人ぞ知る説教の名人だったんだけど、どっかでDNAが切断されたんかな~(笑)。
ある時、プンナはマガダ国のラージャガハの竹林精舎に滞在していたブッダを訪ね、
「ブッダよ、私はいまだブッダの教えを聞いたことのない故郷スナーパランタで布教に努めたいと思います。どうか最後の教えをお説きください」と、お願いした。ブッダは請われるままに説法をしたあと、2人の間で問答が始まるんだけど、それはちょっと後にまわして、プンナの出身地について考えてみようか。
ブッダの出身地カピラヴァットゥの近くのドーナヴァットゥとインド西海岸のスナーパランタと2つ説があるわけだけど、ドーナヴァットゥだとするとスナーパランタで布教したいと考えた理由が思いつかない。なにもそんな所に行かなくたって、布教しなければならない所はたくさんあっただろうしね。スナーパランタの出身だとすれば、自分の寿命が尽きる前に、故郷の人々にブッダの教えを伝えたいという気持ちは充分理解出来るよね。ああ、ちなみにプンナはブッダと同じ年の同じ月の生まれだそうだよ。プンナはスナーパランタ出身にしておこう。
さて、2人の問答はこんなだった。
「プンナよ、スナーパランタの人々は気性が荒くて粗暴だという。もし、かの地の人々がお前を罵りあざけるようなことがあれば、お前はどうするつもりか?」
「ブッダよ、もしスナーパランタの人々が私を罵り、あざけるならば、私はこう思うことでしょう。この国の人々はとても善い人達だ。手を挙げて私を殴ったりしない、と」
「プンナよ、スナーパランタの人々が、もし手をあげてお前を殴ったらどうするつもりか?」
「ブッダよ、そのような場合には、私はこう考えるでしょう。この国の人々は善い人達だ。私を棒で殴ったりしない、と」
「プンナよ、彼らがお前を棒で殴ったらどうするつもりか?」
「ブッダよ、そのような場合には、私はこう考えるでしょう。この国の人々は実に善い人達だ。私を鞭で打ちすえたりしない、と」
「プンナよ、彼らが鞭でお前を打ちすえたらどうするつもりか?」
「ブッダよ、そのような場合には、私はこう考えるでしょう。この国の人々は実に善い人達だ。刀で私に斬りつけたりしない、と」
「プンナよ、彼らが刀で斬りつけたらどうするつもりか?」
「ブッダよ、そのような場合には、私はこう考えるでしょう。この国の人々は実に善い人達だ。刀で私を殺したりしない、と」
「プンナよ、彼らがお前を殺したらどうするつもりか?」
「ブッダよ、そのような場合には、私はこう考えるでしょう。世の中には刀で自分の命を絶つ者もあり、誰か自分を殺してくれないかと願う者さえいる。願わなくても私の命を絶ってくれた、と」
これを聞いたブッダは、プンナを褒め称えて、こう言った。
「よく耐え忍ぶ心を学んだ。その心がけがあれば、まだ安らかでない人々を救えるだろう」
西へと旅立ったプンナは、スナーパランタで一夏を過ごし、500人の人々を仏教に帰依させた後、この地で亡くなったそうだ。「富楼那の弁」という言い方があるけど、立て板に水を流したような、口先だけのさわやかさを言ってるんじゃない。心の奥底に命を捨てる覚悟があって初めて、人々の心をうつお話ができたんだね。僕も見習わなくちゃ。(つづく)