なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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さて、アジャータサットゥ誕生の秘密だけど、聞きたい?そう、聞きたいよね。実はこんな話だ。
ビンビサーラ王と韋提希夫人との間にはなかなか子供ができなかった。多くの神々に祈って、子供が授かるように願ったんだけど、その兆しすら得ることすらなかった。その時、一人の占い師が占いの結果を王に上奏した。
「山中に一人の仙人がいる。もう少しで寿命が尽きるけれども、死後は必ず生まれ変わって王子となる」
これを聞いた王は大いに喜んで、「その仙人はいつ死ぬんだ?」と聞いた。
「もう3年もすれば寿命が尽きます」
「いや、わしゃ3年も待てない」ということで、王は使者を遣わして仙人に直接頼み込んだ。
「王さまには子供がおらず、後継ぎに困っておられる。方々の神々に祈ったが、未だに子供を得ることが出来ない。ところが占い師によれば、あなたが亡くなって、王子として生まれ変わるとのこと。お願いだから、恩恵を与えて、早くあの世に行ってちょうだい」
しかし、仙人は「私は3年を経て、はじめて死ぬのであるから、とても王の命令通り、すぐにあの世に行くことは出来ない」と告げた。
王は「私は一国の主である。わが意を受け入れない以上は殺すほかはない。きっと、生まれ変わって、我が息子とならないことはないだろう」と言い、使いはまた仙人の所へ行って、その旨を伝えた。
仙人は「我が命はまだ尽きてもいないのに、王は人を遣わして私を殺そうとする。もしも、王によって殺されて、王の子となったならば、逆に人を遣わして王を殺すであろう。この恨み晴らさでか!」と語って、死を受け入れた。
その夜、韋提希夫人は懐妊した。王はこれを聞いて喜び、早速に占い師を呼んで聞くと、男の子であって、将来王に害を与えることになるであろうと告げた。王は、「たとえ害を受けることがあっても、なんの恐れがあろうか」と不吉な予言を否定しようとしたが、憂いと喜びが交錯し、韋提希夫人に事情を話した。相談の結果、二人はこの子を抹殺することで将来の不安を無くすとともに、世間の噂になることも防ごうと考えた。そこで、出産の時に、高楼から産み落として、赤子を殺そうとした。しかし、赤子は手の指を折っただけで一命を取り留めた。これがアジャータサットゥ誕生の秘密で、アジャータサットゥは別名をバーラルチ(折指)を呼ばれたそうだ。父親を殺す運命を背負って生まれて来たのがアジャータサットゥであった。
手塚治虫の『ブッダ』では、父親を殺害すると予言されたビンビサーラ王が赤子のアジャータサットゥを絞め殺そうとした、となっている。
デーヴァダッタがビンビサーラ王殺害の話を持ちかけた時、アジャータサットゥは大いに怒ったそうだ。そこで、デーヴァダッタは「太子よ怒ってはならない。あなたの父王は実はあなたに対してどんなことをしてきてきたのか知ってるのかい」と言って、アジャータサットゥ誕生の秘密を話してきかせたんだ。太子の手の小指がその証拠であると告げた途端、太子は父子の情を捨てて、ビンビサーラ王を七重の牢獄に幽閉したというわけなんだ。
アジャータサットゥがお母さんの韋提希夫人も幽閉したという顛末については前回お話した通りだ。突然の幽閉に錯乱した韋提希夫人はブッダに救いを求めたそうだ。狭い部屋に閉じ込められた韋提希夫人はすっかりやつれながらも、霊鷲山におられるブッダを礼拝し、お会いしたいと願った。礼拝して頭をあげた時、ブッダはモッガラーナとアーナンダを従えて、すでに部屋の中におられた。韋提希夫人は自分の身につけていた首飾りなどを断ち切って、我が身を大地に投げ出して、号泣しながら、ブッダに訴えた。
「世尊、われ、むかしなんの罪ありてか、この悪子を生める。世尊、またなんらの因縁ありてか、提婆達多と共に眷属【けんぞく】となりたまえる。
ただ、願わくは世尊、わがために広く憂悩なきところを説きたまえ。われ、まさに往生すべし。閻浮提【えんぶだい】の濁悪世【じょくあくせ】をねがわず。この濁悪のところには、地獄・餓鬼・畜生盈満【ようまん】して不善聚多し。願わくは、われ未来に悪声を聞かず、悪人を見ざらん。いま世尊に向かいて五体を地に投じて、哀【あわれみ】を求めて懺悔【さんげ】す。ただ願わくは仏日、われをして清浄業のところを観せしめたまえ」
「ブッダよ、私は以前にどのような罪を犯したことによって、このように悪い子を生んだのでしょうか?また、ブッダはどんな因縁によって、デーヴァダッタを親族となさっておられるのでしょうか?
ただお願いするのは、ブッダよ、私のために、広く憂い悩みのない世界を説いていただきたい。私はその世界に往って生まれ変わりたい。私はこの濁りきった悪いこの世にいたくはありません。この世には地獄・餓鬼・畜生の世界に住む悪人が満ちています。その世界に生まれ変わってからは、悪い声を聞いたり、悪人を見たくありません。今、ブッダに向かって五体投地し、ブッダの救いを求めて懺悔します。願わくは、無明の闇を破って輝く太陽のごときブッダの徳によって、清浄な修行で得たブッダの世界を見せてください」
随分長くなったけど、『観無量寿経』からそのまま引用させてもらった。
苦悩や憂いのない世界を求めた韋提希夫人に対し、ブッダが説いたのが阿弥陀仏の極楽浄土の世界であった。でも、これって少しおかしいと思わない。だって、韋提希夫人が「私がどんな罪を犯したから、こんな悪い子を生んでしまったのだろうか?」と言ってるけど、大きな罪を犯してるじゃない。子供欲しさに仙人を殺したのはビンビサーラ王かもしれないけど、ことの顛末を知って我が子を殺そうと計画したのは紛れもない事実だ。それに「なんでブッダとデーヴァダッタが親戚なの?」と言ってるのは、明らかにデーヴァダッタに唆されたから太子が父親を殺そうとしたんだと、デーヴァダッタに責任転嫁しちゃってるよね。その上、ブッダに懺悔すると言ってるけど、自分が犯した罪を一切告白せずにする懺悔なんてあるんだろうか。それはただ口先だけの懺悔に聞こえる。まあ息子に幽閉されて錯乱状態だったにせよ、僕にはあまりにも身勝手な要求に思えてしまう。
こんなこと言ったら、浄土門のお坊さんに叱られちゃうかも知れないけど、ブッダは韋提希夫人の苦しみを癒すために極楽浄土の世界を示したに過ぎず、鎮痛剤で一時的に痛みを止めるようなもんじゃないかな(ちょっと、言い過ぎかな)。だって、極楽世界に「往って生まれる」だけで、悟りを開いてブッダになれるなんて一言も言ってないもんね。やはり、われわれがブッダとなれるのはこの娑婆世界だけで、ほかの世界では絶対ブッダになんかなれっこないんだよ。
以上のお話が「王舎城の悲劇」と言われている。結局、アジャータサットゥを唆したデーヴァダッタはたびたびブッダ暗殺を謀り、最後の自分の爪の間に毒を塗り、ブッダを傷つけて暗殺しようとしたが、自分の指先の小さな傷から毒が回りあえなく死んでしまう。一方、アジャータサットゥは父殺しの悪業の因縁なのか、悪性の腫れ物に苦しめられ、しだいに自分の罪を悔いるようになった。
この時、ブッダを訪ね懺悔するように勧めたのが、前回も出て来たけど医師のジーヴァカ(耆婆【ぎば】)だ。この人はパキスタンのタキシラでピンガラに7年間医学を学び、当時インド一の名医とうたわれた人だ。タキシラはガンダーラ地方の中心都市。「ガンダーラ紀行」で詳しく書いているので、興味あったら読んでみてね。
ブッダを訪ねたアジャータサットゥは、こう告白した。
ブッダを訪ねたアジャータサットゥは、こう告白した。
「私は、たとえデーヴァダッタの言葉に動かされたとはいえ、自らの手で父王を殺害してしまいました。デーヴァダッタの惨めな最期を耳にし、私もわが罪によって大地に飲み込まれてしまうのではないかと毎日恐れています。どうしたら安楽の生活に戻れましょうか?」
ブッダは法を説き、
「王よ、あなたは愚かさと不善によって父王を殺した。しかし、今日、罪科を認め、法に従って懺悔したので、その罪科を私は収めておきましょう。それは、自らの罪科を認め、法にならってこれを懺悔し、それによって将来、自ら慎むのであれば、これは聖者の戒めの栄えるもとであるからです」
ブッダは法を説き、
「王よ、あなたは愚かさと不善によって父王を殺した。しかし、今日、罪科を認め、法に従って懺悔したので、その罪科を私は収めておきましょう。それは、自らの罪科を認め、法にならってこれを懺悔し、それによって将来、自ら慎むのであれば、これは聖者の戒めの栄えるもとであるからです」
と、アジャータサットゥの懺悔を受け止めたたそうだ。どんな悪行をはたらいても、心から懺悔すれば、その人は聖者となれる。これはアングリマーラの時にもブッダが強調したことだったよね。
ラジギールの七葉窟
これを機にアジャータサットゥはブッダに帰依するようになり、不治の病と思われた腫れ物も癒えたそうだ。ブッダに帰依してからのアジャータサットゥは積極的にブッダを供養し、教団のために尽くした。ブッダが亡くなった直後にラージャガハで行われた第一結集【けつじゅう】の時には、アジャータサットゥは18の寺を修理し、七葉窟を修理し、修行僧を供養したと伝えられている。
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アジャータサットゥ(阿闍世【あじゃせ】) その1
手塚治虫『ブッダ』
アジャータサットゥは前回お話ししたマガダ国王ビンビサーラとコーサラ・デーヴィーとの間に生まれた。コーサラ・デーヴィーはコーサラ国王パセーナディの妹だったよね。だから、パセーナディ国王を幽閉して王位を奪った息子のヴィドゥーダバ(ルリ王子)とは従兄弟になる。コーサラ・デーヴィーは別名ヴェーデーヒー。漢訳仏典では韋提希【いだいけ】と訳される。ヴェーデーヒーは「ヴェディーハの女」という意味だから、彼女はヴェディーハの出身ということになってしまう。ヴェディーハはヴァッジ国を構成していた8部族の一つで、これだとコーサラ国王の妹だという話とつじつまがあわなくなっちゃうんだけど、まあ2500年の前の話だから仕方ないよね。日本では『観無量寿経』の影響もあって、韋提希夫人でその名が通っているんで、このあとは韋提希夫人と呼ぶことにするね。
アジャータサットゥはビンビサーラ王の多くの王子の中でも最も力量のある王子だったんだけど、なぜかブッダの弟子の中ではシャカ族出身の秀才であるデーヴァダッタと気が合い、デーヴァダッタにたくさんの寄進をしたり、食事に招待したりした。
そうしたある日、ブッダに対抗して独立の教団をすくろうと企てていたデーヴァダッタは、アジャータサットゥをそそのかして、こんなことを言った。
「王子よ、昔は皆長命だったが、いまは短命になった。短命なのはあなたも同じだ。あなたはこのまま王子として世を去るおつもりですか?王になりなさい。父王を殺して王となるのです。私はブッダを殺して新しい教団の指導者となろう」
王子はデーヴァダッタを威力のある聖者と信じていたから、その言葉通り実行しようとした。
王子は刀を腰に隠して宮中に入ったまでは良かったんだけど、ブルブルと震えているのを大臣たちに見咎められ、刀を隠し持っていことがばれちゃった。なぜ刀を隠し持っているかを聞かれた王子は正直に「父を殺すためだ」と答え、尊敬するデーヴァダッタに勧められたからだと告白した。
大臣たちに取り押さえられた王子は、父ビンビサーラ王のところへ引き出された。
「王子よ、何故にそなたは私を殺そうとするのか?」
「大王よ、私は王位が欲しいのです」
「そなたが王位を欲しいというなら、今あげよう。この王位はそなたのものだ」
長い間ブッダの教えを聴き、父子争うことの非をわきまえていたビンビサーラ王は、王子の望みを知ると、自ら王位を退き、マガダ国のすべてのものをアジャータサットゥに譲った。しかし、デーヴァダッタに煽動されたアジャータサットゥはあくまで父を殺そうとし、父王を七重に囲った部屋に閉じこめ、食事をさせないで餓死させようとした。
しかし、アジャータサットゥの母である韋提希夫人は、ひそかに幽閉中の王のもとに食物を運んだ。それが発覚すると、彼女は自分の肌に麦粉と蜂蜜を混ぜて塗り込め、胸飾りの1つ1つに葡萄の汁を詰めて王の部屋に入り、王に与えた。
父王がいつまでも生きているのを不思議に思ったアジャータサットゥは家来に調べさせ、それが母親のはたらきによることを知ると、「私の母は賊だ。賊の仲間だからだ」と言って、母親を殺そうとした。チャンドラプラディーパ(月光)という大臣は「ヴェーダ聖典に説かれるところによると、昔からさまざまな悪王があって、王となるためにその父を殺した者は1万8千人にのぼるが、母を殺したというためしはない。王がもし、その母を殺したら、もはや王位につけておくことは出来ない」と言って、剣の柄に手をかけると、アジャータサットゥは後ずさりをした。さらに、智慧者ジーヴァカ(耆婆【ぎば】、この人はお医者さんでもある)も「母を殺してはならない」と諫めたので、アジャータサットゥは母親も一室に幽閉してしまった。
父王がいつまでも生きているのを不思議に思ったアジャータサットゥは家来に調べさせ、それが母親のはたらきによることを知ると、「私の母は賊だ。賊の仲間だからだ」と言って、母親を殺そうとした。チャンドラプラディーパ(月光)という大臣は「ヴェーダ聖典に説かれるところによると、昔からさまざまな悪王があって、王となるためにその父を殺した者は1万8千人にのぼるが、母を殺したというためしはない。王がもし、その母を殺したら、もはや王位につけておくことは出来ない」と言って、剣の柄に手をかけると、アジャータサットゥは後ずさりをした。さらに、智慧者ジーヴァカ(耆婆【ぎば】、この人はお医者さんでもある)も「母を殺してはならない」と諫めたので、アジャータサットゥは母親も一室に幽閉してしまった。
韋提希夫人が幽閉された後、ビンビサーラ王は餓死したのか?って。それが、死ななかったんだ。何故か?って。王の幽閉された部屋の東側の窓から、霊鷲山【りょうじゅせん】にいるブッダの姿が見え(どんだけ目がいいんだろうね。いやいや心の目で見てるんだよ。)、そのみ姿に礼拝することによって王の心に歓喜が生まれたからだそうだよ。これを知ったアジャータサットゥはその窓を塞ぎ、王の足を刺して立ち上がれないよにうしてしまった。
苦痛のあまり、ビンビサーラ王は声をあげてブッダに救いを求めたそうだ。この声を聞いたブッダは、モッガラーナを呼んで七重の牢獄へ行かせた。飢えに苦しむ王は、モッガラーナから天の神々の世界のうちで、最も食事が美味なのは毘沙門天【びしゃもんてん】であると聞き、次の世ではこの天に生まれたいと願ったそうだ。
ちょうどその時、ラージャガハの城内では、アジャータサットゥの息子が皮膚病にかかって苦しんでいた。アジャータサットゥは我が子可愛さのあまり患部をもみ、さすり、はては口で血の混じった膿を吸った。彼の口はたちまち血膿でいっぱいになり、それを地面に吐き出した。それを見た息子は驚いて激しく泣き出した。
閉じ込められた部屋の中から、これを見た韋提希夫人は大きなため息をついた。
「母上、どうしてため息をつかれるのですか?」
と尋ねるアジャータサットゥに、彼女は言った。
「我が子よ、あなたも子供の頃同じ病気にかかったことがありました。その時、あなたの父君も同じように血膿を口で吸い取られましたが、父君はそれを地面に吐き出さず、飲み込んでしまわれました。地面に吐き出された血膿を見て、あなたが驚いて泣いてはいけない、と父君は思ったからです」
これを聞いた時、初めてアジャータサットゥに憐れみの心が起こった。彼は居ても立ってもいられなくなり、急いで家臣たちを七重の牢獄に行かせ、「王の生存を告げた者には国の半分を与える」と言った。
しかし、ビンビサーラ王は、王の使いが牢獄に急いで来るのを見て、「また私を苦しめるために来るのであろう」と思い、自ら命を絶ち、かねてよりの願いであった毘沙門天の世界に生まれ変わったそうだ。
歴史上、父親を殺して即位した王はたくさんいる。昨年サマルカンドを旅行したんだけど、ティムール朝第4代君主のウルグ=ベクも息子に殺されている。あの英雄ティムールの孫で天文台を造ったりして文化的な功績を残した君主だけど、息子のアブドゥッラティーフに農家の庭先で惨殺されている。隋の煬帝もそうだね。父親の文帝を殺して即位した。兄弟を殺して即位した例になると、枚挙にいとまがないほどたくさんある。
でも、ちょっと待てよ。いくらデーヴァダッタに唆されたと言っても、いきなり父親殺害という行動に出るかな?実はデーヴァダッタはアジャータサットゥの誕生にまつわる秘密を彼に教えて、彼を煽動したんだ。どんな秘密かって。それは次回お話しようね。(つづく)
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ビンビサーラ王(頻婆娑羅【びんばしゃら】王)
手塚治虫『ブッダ』
ビンビサーラ王は「ブッダの生涯」にも登場してきたけど、マガダ国の王さまだったよね。ビンビサーラ王は国内改革に邁進し、首都ラージャガハ(王舎城)の造営を続けるとともに増大した国力を持って東隣のアンガ国を征服。また、前回お話したように、コーサラ国王パセーナディの実妹コーサラ・デーヴィーを嫁さんに迎えた時に、持参金としてカーシー国を貰い、東インドに強力な勢力を形成した。
ビンビサーラ王がブッダと初めて出会ったのは、出家したシッダールタがカピラヴァトゥからラージャガハにやって来た時のことだった。ラージャガハの町に入ったシッダールタは、出家者の作法どおり鉢を手に托鉢をして歩いた。その姿を宮殿の高殿から見ていたビンビサーラ王は、神々しく威厳のあるシッダールタの姿に感動し、「あれは神の使いであろうか」とつぶやいた。そして、そばにいる家臣たちに言った。
「あそこにいる托鉢僧を見てごらん。立派で清らかな姿をしている。それにちゃんとした礼儀作法も備えている。あの人は卑しい出身ではないようだ。皆の者、彼の跡を追いなさい。この修行者がどこへ行くか見届けてくるように」
そう命令したあと王はすぐに占い師にその修行僧を占わせた。占い師は、「もし俗世にあれば転輪聖王【てんりんじょうおう】として四方に君臨する大王になるであろう。もし出家学道に進めば、成道【じょうどう】してブッダとなり、人々を救うであろう」という結果を告げた。転輪聖王は古代インドにおける理想的な王のことで、サンスクリット語ではチャクラヴァルティラージャン。チャクラは「輪」、ヴァルティンは「動かすもの」、ラージャンは「王さま」のことで、「踊るマハラジャ」のラージャと同じ意味だ。それからチャクラというと、インド国旗のど真ん中に描かれている輪がアショーカ・チャクラと呼ばれている。アショーカ王がブッダ初転法輪の地サールナートに建立した石柱碑に刻まれた法輪だからそう呼ばれているんだけど、ダマルによって全インドを統一したアショーカ王なんかが転輪聖王と呼ばれるにふさわしいかな。
話がそれちゃった。元に戻すね。
そんなことがあったことなど全く知らないシッダールタは托鉢を終えると、住処【すみか】にしている城外のパンダヴァ山に向かった。彼の跡を追っていたビンビサーラ王の使者は住まいを突き止めると城に戻って、王に報告した。
「あの修行者はパンダヴァ山の洞窟の中で、虎や牡牛のように、また獅子のように静かに坐しています」
ビンビサーラ王はさっそく壮麗な車を仕立てて山に向かい、急な道は車を降りて歩いて行った。洞窟の中では先ほどの修行僧が静かに瞑想している。
ビンビサーラ王はさっそく壮麗な車を仕立てて山に向かい、急な道は車を降りて歩いて行った。洞窟の中では先ほどの修行僧が静かに瞑想している。
ビンビサーラは修行僧に近づくと丁寧に挨拶して坐った。
「修行中の御身は見るところ青春の力に富み、人生の初めにある若者です。容姿も端麗で、おそらく高貴なクシャトリヤのようだ。いずれ転輪聖王にもなられよう。生まれはどちらですか?」
王の質問に対してシッダールタは答えた。
「あちらのヒマラヤの中腹に、ひとつの民族がいます。昔からコーサラ国に属していて、富と勇気を備えています。私はその太陽の末裔と言われたシャカ族から出家したのです」
「あちらのヒマラヤの中腹に、ひとつの民族がいます。昔からコーサラ国に属していて、富と勇気を備えています。私はその太陽の末裔と言われたシャカ族から出家したのです」
「おお、それでよくわかりました。ところで、私はあなたにマガダ国の半分を与え、象の群を先頭とする精強な軍隊と財宝とを提供する用意がある。いかがかな?」
「私は欲望をかなえるために出家したのではありません。確かにこの世においては転輪聖王より位の高いものはありません。しかし、私はすでにこれを捨てたのです。出離は安穏であるとみて、努め励んでいます。成道してすべての人々を生死の大苦から救いたいというのが願いです。私の心はこれを楽しんでいるのです」
ここでシッダールタがシャカ族の王子であると知ったビンビサーラ王が、即座に軍隊と財宝の提供を申し出たことは突飛な話ではない。当時、マガダ国はやはり大国であるコーサラ国と敵対関係にあり、いつかは大きな戦いになることは分かっていた。つまり、コーサラ国を倒すために、その従属国であるシャカ族と同盟を結んでおいて、南と北から挟み撃ちにしようと考えたビンビサーラ王の戦略的判断だった。
もちろん、シッダールタはこの申し出を断った。いかなる説得も彼の求道の決心を変えさせることは出来なかった。諦めたビンビサーラ王は、「では、ひとつ約束してください。あなたが成道し、ブッダとなられた時、必ずこの町に戻って来て、私と我が人民のために説法してください」と言い残して山を下りていった。
シッダールタがブダガヤの菩提樹の下で悟りを開きブッダとなったのは、それから6年後のことであった。ブッダは最初の説法の後、ウルヴェーラーに戻りカッサパ3兄弟を弟子とした話も前にしたよね。ブッダはこの3兄弟の弟子を加えて1000人にふくれ上がった僧の大集団を率いて、ラージャガハに入った。
ビンビサーラ王は、今やブッダとして国中に名の知れたシッダールタが帰って来てくれたと、飛び上がらんばかりに喜び、12万人のバラモンや王族・貴族・市民を引き連れてブッダのもとを訪れた。
マガダ国の人々は、見たこともない男がブッダと呼ばれて先頭に立ち、これまで尊敬を集めていたバラモンの大指導者カッサパ兄弟がその後ろに従っているのを不思議に思った。「どちらが師匠で、どちらが弟子なのか?」という声があちこちであがった。それを見たウルヴェーラー・カッサパは、
「私はバラモンの祭式が感覚的な喜びのみを目的とすることに不満を感じ、あらゆる執着を離れたブッダの法に満足しました。形あるものの穢れあることを悟ったゆえ、二度と生け贄と祭祀に手を染めることはない。ブッダこそ我が師です」
と言って、ブッダの足に額をつけて礼拝した。そこでブッダは人々に言った。
「これまでの多くの教えは、このブッダの教えのごとく涅槃【ねはん】導くものにあらず」
ウルヴェーラー・カッサパがブッダの足に額をつけて礼拝したけど、この礼拝は頭面接足帰命礼【ずめんせっそくきみょうらい】といって、最高の敬意の表し方なんだ。僕たち坊さんは法要の中で、いつもブッダの足を手のひらに受けて礼拝してるんだけど、みんな見たことあるかな?
ウルヴェーラー・カッサパの礼拝する姿を見て納得した人々に向かって、ブッダは布施の話や4つの聖なる真理の教えを説いた。この時、多くの人々に汚れない真理を見る眼が生じ、1万人の人々が在俗信者になることを表明したという。凄いよね。たった1回の説法で、1万人の信者さんを獲得しちゃうんだもんね。ブッダ恐るべし!
ビンビサーラ王も勿論この中に入っており、その喜びようは大変なもので、王はブッダにこう話したそうだ。
「私は昔、まだ太子であった時に5つの願いを持っていました。第一に国王になること、第二は私の国にブッダをお招きすること、第三に私がそのブッダに仕えること、第四にブッダが私のために説法してくださること、第五には私がブッダの法を悟ることでした。今まさにこの5つの願いは成就しました」
嬉しくてたまらないビンビサーラ王は、ブッダと弟子たちに食事を供養した。そしてさらに、ブッダに住居を寄進したいと提案した。黙って頷いたブッダを見た王は、さっそく場所選びを始め、ラージャガハの入り口の外側にある竹林園を選んだ。
竹林精舎跡
「この竹林園は城から遠くもなく、近くもなく、行き来に便利であり、すべて希望する人が行ったり来たりできる。そして昼は喧噪が少なく、夜は声が少なく、人垣離れて静かであり、瞑想に適している。私はこの竹林園をブッダとその僧たちに寄進しよう」
これが後に竹林精舎と呼ばれ、仏教教団第1号のお寺となった。サンスクリット語ではヴェーヌバナ・ビハーラ。ビハーラは最近仏教ホスピスの意味で使われているけど、もともとの意味は僧院。ビハール州の地名もこのビハーラからきている。この頃の僧院は必ず街や村から近からず遠からずという場所に建てられた。なぜなら、街にあまりに近いと街の喧噪が瞑想の邪魔になるし、なんと言っても街中だといろいろ誘惑も多い。かと言ってあまり街から離れると托鉢に行くのが大変だし、信者さんたちが説法を聴きに行くにも不便だ。ということで、竹林精舎のあたりが一番いい場所だったんだ。ビンビサーラ・ロード
ラージャガハを中心に伝道活動を行ったブッダが瞑想の場所としたのが、グリドラ・クータという山。ラージャガハの東の城外にある150メートルくらいの山で、漢訳仏典では霊鷲山【りょうじゅせん】と訳される。ど、ブッダはこの山にとどまることが多く、僕たちが信奉する法華経もこのお山で説かれた。ビンビサーラ王はブッダの説法を聴くために、頂上にある香室まで続く道路を寄進したんだけど、これがビンビサーラ・ロードとして今も残っており、僕も6回この道を歩かせてもらった。
ビンビサーラ王はブッダと同年齢だったとも、5歳年下だったとも伝えられているが、ブッダに帰依した最初の王となった。ビンビサーラ王はラージャガハでの再会の日から37年の間、ブッダの教えを親しく聴いたと言われるが、晩年の彼を待っていたのは過酷な運命の仕打ちだった。その話は次回のアジャータサットゥの時にしよう。乞うご期待!(つづく)
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ビンビサーラ王はブッダと同年齢だったとも、5歳年下だったとも伝えられているが、ブッダに帰依した最初の王となった。ビンビサーラ王はラージャガハでの再会の日から37年の間、ブッダの教えを親しく聴いたと言われるが、晩年の彼を待っていたのは過酷な運命の仕打ちだった。その話は次回のアジャータサットゥの時にしよう。乞うご期待!(つづく)
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ブッダを知りませんか?
パセーナディ王(波斯匿【はしのく】王)
手塚治虫『ブッダ』
パセーナディはサンスクリット語だとプラセーナジット。こっちのほうが格好良く聞こえるかな。前回スダッタ長者の話に出て来たジェータ太子のお父さんで、コーサラ国の王さまだ。コーサラ国はマガダ国と並ぶインドの2大強国の一つ。パセーナディ王の実妹コーサラ・デーヴィーをマガダ国のビンビサーラ王に嫁がせた時には、カーシー国を持参金としたというから、いかに力があったか分かるよね。カーシー国はインド16大国の一つで、現在のヴァーラナシー(昔のベナレス)を都としていた国だ。ああ、そうそう、インド2大叙事詩の『ラーマーヤナ』の主人公ラーマ王子はコーサラ国の王子という設定になってるんだけど、知ってた?
パセーナディ王は早くからブッダに帰依し、多くの精舎を建てたり、大勢の修行僧を招いて食事の供養をしたりして仏教教団を保護したんだけど、晩年は息子ヴィドゥーダバ(ジェータ太子の弟)にうとまれ、失意のうちに死んだ不幸な王さまなんだ。
パセーナディ王には多くのお妃さんがいたんだけど、中でもシュラヴァスティーの造園師の娘マッリカーと、シャカ族の大臣マハナーマンと召使い女との間の子ヴァーサバ・カッティヤーの二人がよく知られている。このヴァーサバ・カッティヤーとの結婚は、パセーナディ王がシャカ族出身のブッダに厚く帰依し、シャカ族と親戚になることを望んだ結果なんだけど、これがシャカ族の悲劇の原因となってしまった。
誇り高いシャカ族はシャカ族の純血を守るため、他の民族とは結婚しないという伝統があった。しかし、コーサラ国の属国であるシャカ族がパセーナディ王の申し出を断れば、なんらかの手段で報復してくるに違いない。一計を案じたシャカ族は大臣マハーナーマンが召使い女に産ませた娘ヴァーサバ・カッティヤーを王族の娘と偽ってパセーナディ王に嫁がせた。
何も知らないパセーナディ王はこの麗しい娘を第一夫人として寵愛し、生まれたのがヴィドゥーダバだ。漢訳仏典では毘瑠璃【びるり】や瑠璃【るり】と訳され、手塚治虫の『ブッダ』ではルリ王子の名前で登場する。8歳になった頃、母親の実家であるシャカ族の地へ行って、弓術などの修練に励んで来るようにお父さんに命じられたヴィドゥーダバは、カピラヴァットゥでシャカ族の子弟と共に弓術を学んだ。ちょうどその頃、城の中に新たな講堂が完成し、神々や王族などのみが登ることができる神聖な獅子の座に、ヴィドゥーダバが登り座ったのをシャカ族の人びとが見て、「お前は下女の産んだ子だ。それなのにまだ諸天さえ登っていない獅子座に座った」と、ヴィドゥーダバを捕らえて門外に追い出し鞭を打って地面に叩きつけた。母親の生まれによって恥辱を受けたヴィドゥーダバは父王を怨み、ついに父王を廃して王位を奪ってしまう。
それは、パセーナディ王がブッダの居室に入り、親しくブッダと語り合っていた時のできごとであった。パセーナディ王が信頼していた将軍カーラーヤナは迅速に行動を起こして、王権をあらわす王冠・かさ・剣などの5つのものを持ち去り、ヴィドゥーダバ王子に与えて王位につけ、パセーナディ王の妃ヴァーサバ・カッティヤーを城から追い出してしまった。
パセーナディ王がブッダと楽しく語り合い、満ち足りた心で外に出ると、供をして来たカーラーヤナ将軍の姿はなく、1頭の馬と一人の侍女が残されているだけであった。パセーナディ王は侍女から全てを聞き、ヴィドゥーダバ王子に対抗するには甥にあたるマガダ国王アジャータサットゥに頼るしかないと考え、遠いマガダ国の都ラージャガハに向かった。長い道のりを歩いてラージャガハに着いた時には、すでに夜遅くであったために城門は閉まっていた。一晩過ぎてあくる朝、泥とほこりで雑巾のようになった老人の亡骸が城門の前にころがっていた。(手塚治虫の『ブッダ』では幽閉された後、脱走してラージャガハに向かったことになっている)
パセーナディ王は晩年、ブッダにこんなことを言っている。
「ブッダよ、あなたも王族であり、私も王族です。あなたもコーサラ人であり、私もコーサラ人です。あなたも80歳であり、私も80歳です」
ブッダをコーサラ人と言ってるのは、シャカ族のカピラヴァットゥがコーサラ国の属国だったからだね。パセーナディ王はブッダを同族出身の聖者として扱い、同い年でもあることから、人生のよき友人と思っていたんだろうね。そのことを考えると、彼がブッダの居室で心を開いてさまざまなこと(人生や宗教のことだけではなく、王室のこと、家族のこと、政治のことなども話題になったに違いない)を語り合い、満ち足りた心で外に出て、王位が奪われていることを知った時の驚きは想像にあまりある。
「ブッダよ、あなたも王族であり、私も王族です。あなたもコーサラ人であり、私もコーサラ人です。あなたも80歳であり、私も80歳です」
ブッダをコーサラ人と言ってるのは、シャカ族のカピラヴァットゥがコーサラ国の属国だったからだね。パセーナディ王はブッダを同族出身の聖者として扱い、同い年でもあることから、人生のよき友人と思っていたんだろうね。そのことを考えると、彼がブッダの居室で心を開いてさまざまなこと(人生や宗教のことだけではなく、王室のこと、家族のこと、政治のことなども話題になったに違いない)を語り合い、満ち足りた心で外に出て、王位が奪われていることを知った時の驚きは想像にあまりある。
王となったヴィドゥーダバはシャカ族殲滅を企て進撃したんだけど、途中1本の枯れ木の下に、道をふさぐようにブッダが坐っていた。進軍してきたヴィドゥーダバが「ブッダよ、他に青々と繁った木があるのに、なぜ枯れ木の下に坐っておられるのか?」と尋ねると、ブッダは静かにこう答えたそうだ。「親族の木陰は葉がなくても涼しい」。滅び行く一族と枯れ木とを重ねたんだね。
昔からの言い伝えに、「遠征の時に僧に会ったなら兵を撤退させよ」というのがあって、ヴィドゥーダバ王は軍を引き返した。同じことが3度繰り返され、4度目の時も同じ場所にブッダが坐っていたが、この時はシャカ族の因縁ということで何もしなかったそうだ。そこで、恨みの心が消えないヴィドゥーダバ王はその横をすり抜けてカピラヴァットゥに進撃し、シャカ族をついに滅ぼしてしまった。この話から「仏の顔も三度まで」ということわざが生まれたんだよ。
でも、これ本当は「仏の顔も三度撫づれば腹立つる」の略で、「仏の顔も三度」が正しくて、「まで」はいらないんだってさ。この「三度」というのは、仏さまの顔を撫でる事で、いくら慈悲深い仏さまでも、顔を三度も撫でれば怒るということ。つまり、「普段どんなに優しく穏やかで滅多に腹など立てないような人でも、道理に合わない無法無体を重ねられれば、仕舞いには怒り出す」ということだそうだ。だから仏さまは3度目に怒るんで、4度目じゃないんだって。ちょっと、話が変わってしまったようだね。
この時、マハーナーマンがその責任を感じ「自分が池に潜っている間に逃げた人は助けてやってくれ」と懇願したので、ヴィドゥーダバ王はそれを許した。いつまで経っても池から出てこないので兵に見に行かせると、マハーナーマンは池の草に自らの髪の毛をくくりつけ、再び上がって来ることがないようにして死んでいたそうだ。こうしてヴィドゥーダバ王は実のお爺ちゃんも殺してしまったわけだ。その上、シャカ族を殲滅して城に戻ったヴィドゥーダバ王は兄ちゃんのジェータ太子も殺しちゃったんだって。なんと酷いことをする奴なんだろうね。ブッダは「彼とその軍隊は7日後に死ぬだろう」と予言したそうだけど、その予言どおり戦勝の宴の最中に落雷にあって死んじゃったそうだ。
先日亡くなった南アフリカ共和国のマンデラ元大統領が言ったよね。「恨みと憎しみは自分を牢獄に入れるのに等しい。他人を許すことは自分を昇華させることに等しい」と。(つづく)
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昔からの言い伝えに、「遠征の時に僧に会ったなら兵を撤退させよ」というのがあって、ヴィドゥーダバ王は軍を引き返した。同じことが3度繰り返され、4度目の時も同じ場所にブッダが坐っていたが、この時はシャカ族の因縁ということで何もしなかったそうだ。そこで、恨みの心が消えないヴィドゥーダバ王はその横をすり抜けてカピラヴァットゥに進撃し、シャカ族をついに滅ぼしてしまった。この話から「仏の顔も三度まで」ということわざが生まれたんだよ。
でも、これ本当は「仏の顔も三度撫づれば腹立つる」の略で、「仏の顔も三度」が正しくて、「まで」はいらないんだってさ。この「三度」というのは、仏さまの顔を撫でる事で、いくら慈悲深い仏さまでも、顔を三度も撫でれば怒るということ。つまり、「普段どんなに優しく穏やかで滅多に腹など立てないような人でも、道理に合わない無法無体を重ねられれば、仕舞いには怒り出す」ということだそうだ。だから仏さまは3度目に怒るんで、4度目じゃないんだって。ちょっと、話が変わってしまったようだね。
この時、マハーナーマンがその責任を感じ「自分が池に潜っている間に逃げた人は助けてやってくれ」と懇願したので、ヴィドゥーダバ王はそれを許した。いつまで経っても池から出てこないので兵に見に行かせると、マハーナーマンは池の草に自らの髪の毛をくくりつけ、再び上がって来ることがないようにして死んでいたそうだ。こうしてヴィドゥーダバ王は実のお爺ちゃんも殺してしまったわけだ。その上、シャカ族を殲滅して城に戻ったヴィドゥーダバ王は兄ちゃんのジェータ太子も殺しちゃったんだって。なんと酷いことをする奴なんだろうね。ブッダは「彼とその軍隊は7日後に死ぬだろう」と予言したそうだけど、その予言どおり戦勝の宴の最中に落雷にあって死んじゃったそうだ。
先日亡くなった南アフリカ共和国のマンデラ元大統領が言ったよね。「恨みと憎しみは自分を牢獄に入れるのに等しい。他人を許すことは自分を昇華させることに等しい」と。(つづく)
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