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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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ブッダのことば その2



ブッダを知りませんか?


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怒 り

十分に抑制のきいた人間なら、悪をなすことはない。年齢にかかわらず、賢者であろうとなかろうと、抑制のきいた自己を保てる者は、怒ることもなければ、他人に怒りをふりむけたりもしない。そうした者は、賢者によって聖者とみなされる。
『スッタニパータ』216



 
僕は保護司をしてるんだけど、時々「えっ、この人が犯罪を……?」という人に出会う。Nさんもその一人。Nさんは会社のトラックを運転して、同じ会社のトラックに次々と体当たりして逮捕された。でも、出所後に僕が会ったNさんは温厚そのもので、そんな乱暴なことをしそうには見えない。刑務所で性格が変わってしまったということは考えられない。あることで社長に対する不信感・猜疑心が芽生え、それが一挙に爆発した結果だった。怒りがNさんの人生を変えてしまったんだ。

 仏教では「貪・瞋・癡【とん・じん・ち】の三毒」と表現し、この三毒を克服するように教える。「貪」はむさぼり、「瞋」は怒り、「癡」は愚かさをいう。自分の思うようにしたいという身持ちと、真理に対する無知が怒りを招く。ブッダはこの怒りの心を抑制したものこそが聖者であるという。

 
僕は肝臓の数値が悪く2カ月ごとに病院で血液検査を受けている。まあ、お酒の飲み過ぎが原因なんで、自業自得なんだけどね。いつもは午後3時30分に受け付けをして、血液検査、4時30分位に先生に診察してもらって、酒を飲み過ぎないように忠告されて帰る。ところが先月はなぜか受付時間がいつもより30分早い午後3時になっている。間違いかとも思ったが、とりあえず言われた通り午後3時に受け付けを済ませ、血液検査を受けて、待合室で待った。30分早く来たんだから、4時には名前を呼ばれると思っていたが、4時を過ぎても名前を呼ばれない。同じ頃に血液検査を受けた人は診察を済ませて帰って行った。だんだん僕の心に怒りの気持ちが芽生えて来る。いつもの4時30分を過ぎても名前が呼ばれず、僕の怒りは頂点に達し、看護婦さんに文句を言おうとした。その時、僕の心にブレーキがかかった。「いや、きっと急患が入って、僕が後に回されたんだ」「きっとそうだ。そう思うことにしよう」

 すんでのところで、怒りを押さえることが出来た。これで僕もブッダに一歩近づいたかな(笑)。

 それにしても、年を取れば心穏やかに柔和な性格になって行くもんだと思ってたけど、実際年を取ってみると、全くの逆。年を取ってからのほうが、腹の立つことが多い。これって、自分がおかしいのか、社会がおかしいのか、どっちだろう。

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【 2014/11/23 11:48 】

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ブッダのことば その1


ブッダを知りませんか?

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 前回まで39回にわたり、「ブッダの生涯」「ブッダの弟子たち」「ブッダに帰依した人たち」と、お話してきましたが、今回から「ブッダのことば」をお届けしていきたいと思います。なるべくブッダの生の声に近いテキストということで、原始仏典の中で最も成立が古いとされる『スッタニパータ』から選んだ言葉をお届けし、それについての僕なりの補足や感想も綴っていきます。仏教は僕たち自身がブッダになることをめざします。それはとりもなおさず、僕たち自身が苦しみや悩みを離れて幸せになり、周りの人びとをも幸せにしていくことだと、僕は思っています。苦しみの中にある人、悩める人、自分を不幸だと思っている人、あるいはどう生きていったらいいのか分からない人、そんな人々にとって救いとなる「ことば」が見つかれば幸いです。
参考文献:中村元『ブッダのことば』(岩波書店)、宮坂宥勝『今日を生きるブッダのことば』(春秋社)、島田裕巳『[ブッダ語録]オリジナル』(三五館)



欲 望

人びとがもろもろの欲望を求めているとき、もしもそれが思いどおりになるならば、人は望むものを得て、確かに心喜んでいるものとなる。

もしも欲が生じた者がそれを求めているとき、それらの欲望がかなえられないとき、あたかも矢に射貫かれたように、彼は悩み苦しむ。

あたかも足で蛇の頭を踏まないように、正しい観念をもち、もろもろの欲望を避ける者は、世の中においてこの執【とら】われをよく超える。

田畑、宅地、黄金、あるいは牛馬、奴隷、使用人、女性たち、親族たち、といったもろもろの欲望の対象を人が大いに貪り求めるなら、

もろもろの無力なもの(=煩悩)がまさにこの者を征服し、もろもろの危難がこの者を踏みつける。そのことによって、その者に苦がつきまとう。あたかも壊れた船に水が入り込むように。

だから、人は常に正しい観念をもち、もろもろの欲情を避けるがよい。それらの欲情を捨てて激流を渡るがよい。船の水を汲み出して彼の岸に至った者となるがよい。

『スッタニパータ』766~771



 平成26年11月16日放送のNHK『日本の話芸』で、桂文珍師匠がこんな枕で笑いをとっていた。

 60歳の旦那さんと、同い年の奥さんが田んぼの畦道を散歩していた。田植えの頃なので、カエルがあちこちでケロケロと鳴いている。その中に一匹だけ悲痛な鳴き声のカエルが……。よく見ると、草に足が絡んで動けなくなっている。旦那さん、さっそくこのカエルを助けてあげた。
 道の角を曲がったところで、親カエルが出て来て、「今ほどはどうもありがとうございました。お礼と言ってはなんですが、何でも望みを3つ叶えてさしあげたいと存じます」
 喜んだ奥さん、「私、2つお願いしていい」ということで、さっそく
「最近シミやシワが増えちゃった。これ取ってくれる?」
 カエルがポンと手をたたくと、シミやシワが消えてしまう。
「まあ、嬉しい。ダイヤの指輪が欲しいわね」
 カエルがポンと手をたたくと、奥さんの指には光輝くダイヤの指輪が。
「それじゃ、今度は……」
 ここで旦那さん、
「ちょっと待った。お前ばかりずるいじゃないか。」
ひそひそ話しで、カエルにこんなお願いをした。
「30歳若い奥さんに取り替えること出来る?」
 カエルがポンと手をたたくと、旦那さん30歳年取っちゃって、90歳になっちゃった。(笑)

 爆笑の渦になっていましたが、実は笑えない話です。一つ望みがかなうと、次の望みが湧いてくる。それがかなうと、また次が……。というわけで、人間の欲望にはきりがないんです。あなたは心あたりないですか?この人間の欲望を利用した詐欺事件があとを断ちません。今日もニュースで債権取引を装った詐欺事件で、暴力団の幹部が逮捕されました。被害総額はなんと15億円ですよ。

 ブッダはこの欲望が苦の原因となっているとして、欲望をコントロールすることを教えられた。「煩悩を滅する」という表現から、欲望を無くすことだと思っている人が多いけど、それは間違い。性欲が無くなれば人類は絶滅してしまうし、食欲や睡眠欲が無くなれば人間は生きてゆけない。学習意欲が無ければ向上することはできない。

 ブッダが言っているのは、渇愛【かつあい】と表現される際限なき物欲・名誉欲・肉体の快楽を求める欲望のこと。そうした奴隷的な欲望を正しい観念をもってコントロールすることで、人間は苦しみから逃れ、穏やかな日常を過ごすことができるようになる。つまり、幸せになれるんだね。

 幸福度=充足/欲望。その人が幸福と感じる度合いは、分母が欲望で、分子が充足(その欲望がどれだけ満たされたか)で決まる。つまり1万円欲しいと望んだ人が1万円手に入れれば、幸福度は100%。でも100万円欲しいと望んだ人が1万円手に入れても、幸福度は1%。欲望には切りがないから、いくら分子を大きくしていっても、幸福にはなれない。幸福になるには、分母を小さくする、つまり欲望を小さくしていくしかないんだ。


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【 2014/11/17 17:48 】

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ブッダに帰依した人たち その7


ブッダを知りませんか?

カニシカ王(
迦膩色迦【カニシカ】王)

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 前回はアショーカ王のお話をしたので、世界史を教えている者としては、どうしても話さなくてはならないということで、今回はカニシカ王。高校の世界史ではクシャーナ(クシャーン)朝最盛期の王さまで、第4回仏典結集を行った、くらいしか教えない。まあ、カニシカ王が発行した金貨の写真は掲載されてるけどね。

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 クシャーナ朝についてちょっと説明しとこうね。もともと中国の西、陝西・甘粛地方に住んでいた月氏が匈奴に敗れて敗走、バクトリア地方に大月氏国を建てた。この国の支配下にあったイラン系クシャーナ族が自立して1世紀に建てたのがクシャーナ朝だ。カニシカ王は第4代国王で、在位期間は130~170年というのが有力な説。アショーカ王から約400年ほどあとに登場した王さまだ。中央アジアからガンジス川中流域までを支配して、クシャーナ朝の全盛期を築いた。都はガンダーラ地方の中心地プルシャプラ(現在のペシャワール)。クシャーナ朝はシルクロードの要地をおさえて、ローマとの貿易で繁栄。大量のローマ金貨が持ち込まれ、王さまはこれを鋳つぶして写真のような金貨を発行した。

 カニシカ王は政務のあい間に常に仏典を学び、毎日、一人の僧を宮廷に招いて教えを説かせたそうだ。しかし、同じブッダの教えを説いていると言っても、その僧によって説くところがそれぞれ違う。仏教はすでに20ほどの部派に分かれていたから、まあ当然と言えば、当然なんだけど、王の疑問は深まるばかりだった。

 そこで、脇【きょう】尊
。どうして、者(パールシュヴァ)に質問してみた。

「仏教は源は一つであり、その理に違
いはないはずである僧侶達の話す内容に違いがあるのか?」

 尊者は答えて言った。「ブッダが世を去ってから長い年月が経ち、弟子たちは分派し、師弟は意見を異にしています。そこで、それぞれの僧が別の意見を持つような結果となったのです。しかし、どの説も皆正しい。修行すれば成果を得ることができる。ブッダが予言されていたが、金でできた杖が折れてばらばらになっても、金という素材は変わらない。教えも多くに分かれてもその内容は変わらない」

「諸部派の教えのうち、私が修行するのにどれが最善だろうか?どうか、尊者よ教えて欲しい」

「諸部派のうち、説一切有部【せついっさいうぶ】を超えるものはありません。王が修行をされたいならば、これに依るのがいいでしょう」

「それなら、その部派の伝承にしたがって、仏典を編集し、解説してください。及ばずながら、私は仏教の興隆に役立ちたいと思います。」

 脇尊者は了承し、王は命令を下して、すぐれた仏教僧を招集させた。王は本国のガンダーラで会を開きたいと思ったが、その地は蒸し暑く、不適当であった。また、マハーカッサパがかつて最初の結集を開いたラージャガハの石窟で開催しようとしたが、脇尊者が反対して言った。

「ラージャガハはいけません。かの地は外経を信じる者が多く、とても仏典の編集など出来ません。カシミールこそ土地は肥沃で、物産も豊か、仏典編集にふさわしい土地です」

 
こうして、カニシカ王が主催する仏典の編集会議はカシミールで開かれることになった。いよいよ会議を始めようとしたが、集まった僧の数が多すぎて議論が混乱しそうであった。そこで王は僧たちに言った。

「僧たちのうちで、悟りを開いている者はとどまれ。煩悩をもつ者は去れ」

 王の命令で、多くの僧たちが帰って行った。しかし、まだ人数が多すぎた。王はふたたび命令した。

「学問をし尽くして学ぶべきものの無い人はとどまれ。いまだ学ぶべきもののある人は去れ」

 こうして多くの僧が去ったが、まだ多すぎたので、王はまた命令した。

「聖者の位の3つの認識能力(三明【さんみょう】)と6つの神通力をもつ者はとどまれ。それ以外の者は去れ」

 それでもまだ多すぎたので、命令が下った。

「僧たちの中で。経・律・論の三蔵をきわめ、5つの学問(五明処)を
身につけた者だけが残れ。他の者は去れ」

 こうして残った僧が499人いたんだって。これに世友尊者(ヴァスミトラ)を加えた500人の僧が集まって仏典編集の会議を開き、長い時間を費やして討論した結果、ついに完成したのが『阿毘達磨大毘婆沙論【あびだるまびばしゃろん】』だった。これは説一切有部の根本教義を集大成した文献。この時代にすでに大乗仏教運動が起こっていたんだけど、カニシカ王が保護したのは小乗仏教を呼ばれた、部派仏教のほうだったんだね。

 ところで、第4回仏典結集が行われたカシミール地方はカラコルム山脈の麓。紀元前2世紀前より罽賓【けいひん】国が支配していたが、紀元前1世紀にクジラ・カドフィセスに敗れ、クシャーナ朝の支配下に入った。ここで仏典結集が行われたということは、説一切有部の中心だったんだろね。4世紀半ば、9歳の鳩摩羅什が母とともに罽賓国に留学し、3年間、槃頭達多【ばんずだった】に学んだと伝えられているが、恐らく説一切有部を学んだんだろうね。


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 カニシカ王は馬鳴【めみょう】(アシュヴァゴーシャ)を中インドから招き、プルシャプラ郊外にカニシカ伽藍と呼ばれる大塔を建てたそうだ。この大塔の規模の大きかったことは、6世紀の初めにこの地を訪れた中国の宋雲の記録にもあるんだけど、基壇の1片が87メートルというとてつもなく大きいストゥーパだったそうだ。1908~09年にその跡から写真の舎利容器が発掘され、中からブッダの骨片が3つ出て来たそうだ。2006年にペシャワール博物館に行った時にこの舎利容器を見たんだけど、あれはどうもレプリカだったみたいだ。


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 ところで、写真のコインはシャンカルダールのストゥーパを見に行った時に現地のおっさんから買ったものなんだけど、僕はカニシカ王の発行したものだと信じている。詳しいことが分からないので、知ってる人がいたら是非教えて下さ~いね。

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【 2014/11/14 17:39 】

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ブッダに帰依した人たち その6


ブッダを知りませんか?

アショーカ王(阿育【あいく】王)

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 ブッダがマガダ国の都ラージャガハの竹林精舎に滞在していた時のこと、ある朝早く、多くの修行僧をしたがえて托鉢をしていた。
 その時、ラージャガハのある町かどで、二人の子供が泥の家を作って遊んでいた。一人はジャヤといい、もう一人はヴィジャヤという名であった。彼らはそこに通りかかったブッダが、たぐいまれな32の優れた特色をもった姿をしているのを見て思わず立ち上がった。ジャヤは「麦こがしをさしあげます」と言って、一すくいの土塊【つちくれ】をブッダの持っている鉢の中に入れて供養の意をあらわし、ヴィジャヤはただ合掌礼拝してブッダに敬意を表した。ジャヤはブッダに土塊の施物をささげてから、「この功徳によって、私は世界を統一する王となり、ブッダに供養できますように」という願いを起こした。

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 ところで、「麦こがし」って、何だか分かる?。「きな粉」みたいだけど、きな粉は大豆の粉。麦こがしは大麦を炒って挽いた粉だよ。みんな食べたことないだろうな。麦こがしは「はったい粉」とも言って、僕らが小さい頃はおやつ代わりによく食べさせられたもんだ。砂糖を入れて、熱湯をかけて練って食べるんだけど、チベット人の主食になっているツァンパみたいなもんだ。ツァンパは以前チベットに行った時に食べたけど、麦こがしより美味しかった。ただし、熱湯を入れてから手で捏ねるから、火傷しそうなくらいに熱くて、なかなか口に運べなかった記憶がある。

 話をもとに戻そうね。ジャヤが未来において王となるべき善根を積んだ時、ブッダは微笑んで、一緒にいたアーナンダにこう語ったという。「アーナンダよ、この子供は土塊の布施という善根を植えたことによって、ブッダの入滅の後100年経った時、パータリプトラの都にアショーカという名の王として生まれ、正義の王、理想の帝王となって、私の遺骨を各地に祀り、84,000のストゥーパを建てて人々を利益するであろう」

 こんな前生譚【ぜんしょうたん】(前世の因縁物語)があって、紀元前304年頃アショーカはマウリヤ朝第2代ビンドゥサーラ王の多数の王子の一人として生まれた。成年に達したアショーカはタキシラで起きた反乱を鎮圧して功績をあげ、父王の死で長兄らとの王位争いに勝って即位した。この時、99人の異母兄弟を殺したと言われる。即位後も暴虐な王として恐れられ、王の通った所はすべて焼き払われ草木が1本も生えていない、と言われるほどの暴君だったと伝えられている。そんなアショーカ王にとって転機となったのが、即位8年に行われたデカン高原東北部のカリンガとの戦争だった。カリンガを征服したものの、両軍あわせて数十万の犠牲者を出すという、壮絶な戦いとなった。このことを悔いたアショーカ王は仏教に深く帰依し、征服戦争を放棄すると、仏教の理想を実現するための政策を行った。高校の世界史ではダルマ(法)を理想とする統治を行った、と習ったよね。

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 アショーカ王は、国民に法を広めるために自ら仏跡へ巡礼に行き、各地で法を説き、石柱や岩壁に法勅を刻んだ。写真の左はブッダ生誕の地ルンビニーの石柱法勅、右はヴァイシャリーの石柱法勅。ほとんどの石柱法勅は倒壊してしまっており、ヴァイシャリーのものだけが唯一立った状態で残っている。

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 磨崖法勅は辺境地帯に造られたのでなかなか見ることができないが、平成18年にパキスタンのシャーバーズ・ガリのものをようやく写真におさめることが出来た。
 また、アショーカ王はブッダ入滅の後に建てられた8つのストゥーパのうち7つから仏舎利【ぶっしゃり】(ブッダの遺骨)を取り出し、新たに建てた84,000のストゥーパに分納したと伝えられている。仏教は「八万四千の法門」なんて言い方もするけど、84,000は「たくさん」という意味で、実際に84,000建てたという意味じゃないよ。

 このほか道路や街路樹の整備、宿泊所・井戸の設置、人間や動物の施薬院の創設など、社会福祉事業も行った。アショーカ王はこうした政策を国外にも弘めようとして、アフガニスタン・シリア・エジプト・マケドニアなどに仏教伝道師を派遣したとされているが、残念ながらこれらの地域に仏教が弘まることはなかった。唯一伝道に成功したのがスリランカ。出家した王子マヒンダが派遣され、スリランカは上座部仏教の中心地となり、ここから東南アジアへと仏教が弘まって行った。

 アショーカ王自身は仏教徒だったけど、仏教だけでなくあらゆる宗教を平等に保護した。彼が行った「法による政治」とは、慈悲と不殺生の精神で、広い国内に住むさまざまな宗教・生活様式を持つ人々を統合するためのものだったんだね。パレスチナのユダヤ教徒とイスラーム教徒の争い、シリアやイラクにおけるシーア派とスンナ派の争いなど、世界中で宗教の違いから来る紛争が続いているけど、そんな今こそアショーカ王の統治方法を見習ってもらいたいもんだ。

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 写真はアショーカ王がブッダの初転法輪【しょてんぼうりん】の地サールナートに建てた石柱法勅の柱頭。世界史の授業で習ったよね。4頭背中合わせの獅子の彫刻は、ブッダの教えが四方に行き渡ることの象徴で、現在インドの国章として用いられており、その下の法輪は国旗の紋章として使われている。

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 また、王の援助のもと、パータリプトラ(現在のパトナ)に5,000人の坊さんが集まり、第3回仏典結集【けつじゅう】が行われたとされるが、詳しい年代はわかっていない。

 そんな善政を行ったアショーカ王であったが、晩年その地位を追われ、幽閉されたとも伝えられている。コーサラ国のパセーナディ王、マガダ国のビンビサーラ王、タージ=マハルを建てたムガル帝国のシャー=ジャハン。インドって、こんなんばっかだね。

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【 2014/11/06 16:40 】

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