fc2ブログ

なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

カテゴリ

最新記事

fc2カウンター

Facebook

月別アーカイブ

最新トラックバック

最新コメント

リンク

検索フォーム

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

ブッダのことば その6




ブッダを知りませんか?
               


a0274401_6453716[1]

破滅への道

 自らは豊かに暮らしているのに、年老いて衰えた母や父を養わない人がいる。ーこれは破滅への道である。

 多くの財産を持ち、黄金があり、食物がある人が、一人でいろいろなおいしいものを食べるならば、これは破滅への道である。

 生まれを自慢し、財産を自慢し、そして氏姓を自慢して、自分の親族を軽蔑する人がいる。ーこれは破滅への道である。

 女性に溺れ、酒に溺れ、賭博に溺れ、得ても得てもそのたびごとに失う人がいる。ーこれは破滅への道である。

『スッタニパータ』98~106




 『スッタニパータ』の「蛇の章」「破滅」で、ブッダは破滅への道を歩む人の具体例を12あげているが、そのうちの4つ。


o-CHO-HYUNAH-570_convert_20141224090547_convert_20141224104641_convert_20141224120250.jpg 

 韓国の検察当局が12月23日、大韓航空の趙顕娥【チョ・ヒョナ】前副社長(40歳)を航空保安法違反や強要などの疑いで逮捕状を請求する方針を固めた。いわゆる「ナッツリターン事件」だ。12月5日、客室乗務員がマカデミアナッツを袋のまま提供したことに激怒した趙顕娥が、客室乗務員に暴言・暴行を働き、離陸準備を始めていた飛行機を機長に命じて搭乗ゲートへ戻させた。趙顕娥は副社長を辞任したが、日頃から財閥の支配に不満を持っていた国民の怒りが爆発、大問題となった。それにしても、40歳にもなるいい大人がとる行動ではない。

 
趙顕娥は大韓航空を傘下に持つ韓進グループの趙亮鎬【チョ・ヤンホ】会長の長女。アメリカのコーネル大学ホテル経営学部、南カリフォルニア大学経営大学院を卒業後、大韓航空のホテル部門を皮切りにトントン拍子で出世して、36歳の若さで副社長となった。そして、今回の騒動。その根底には、まさしくブッダの言う「生まれを自慢し、財産を自慢し、そして氏姓を自慢する」甘い考え方がある。父親である趙会長が会見で、「私の育て方が悪かった」と謝罪したのには呆れて物が言えなかった。

006_convert_20141224104729_convert_20141224120144.jpg 

 「女性に溺れ、酒に溺れ、賭博に溺れ」は、「飲む打つ買う」の三拍子を諫めたもの。お酒の好きな僕としてはちょっと耳が痛いが、溺れているとまではいかないだろうと、言い訳をしておく。「今時、賭博なんて」とおっしゃる方もおいでだろうが、現代では投資という形で合法化され、正当化された賭博が流行している。アベノミクスによって株価が上昇したが、刻々と変わる株価に一喜一憂する姿は賭博以外の何ものでもない。

 韓国の検察当局が前副社長を逮捕する方針を固めた同じ23日、日本では東京駅で大騒ぎが起きた。東京駅100周年記念スイカの販売に予想を上回る9000人を超える人が殺到し、大混乱。8090枚を売った時点で販売が中止され、買えなかった人々が憤懣やるかたなく、なかば暴徒化した。あの東日本大震災の時に、沈着冷静に行動し、世界中から絶賛された日本人が、たかがICカードをめぐって暴徒化した。なんともやりきれない騒ぎだ。

 記念スイカの一部はその日のちにうインターネットオークションに競売に出され、販売価格の2,000円をはるかに上回る高値で取引され、中には20万円で落札された例もあったそうだ。集まった群衆の中には初めから転売目的だった連中がたくさんいたんだね。それこそ賭博じゃないですか。「濡れ手に粟」。何時の間にそんな日本人が多くなってしまったんだろうか。日本も破滅への道をまっしぐらに歩んでいなければいいが。

↓ ランキング挑戦中 バナーをポチッと押してね!

続きを読む ⇒
スポンサーサイト



テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2014/12/24 12:58 】

ブッダのことば  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

ブッダのことば その5




ブッダを知りませんか?

a0274401_6453716[1]

聞く耳をもつ

 各々に固執する謬見があり、さまざまに議論して、彼らはその練達の者だと自称する。「このように知る者は真理を知っている。これを非難しているものは不完全である」と。

 また、このように議論して、彼らは言い争う。そして、「他の論者は愚かで、真理に達した人ではない」と言う。これらの人々はみな自分こそ真理に達した人であると思って語っているが、これらのうちで、どの説が真実なのであろうか?

 もしも他人の教えを認めない者が愚かであって、動物のような者で、智慧の劣った者であるならば、彼らはすべて愚者であり、智慧の劣った者であるということになる。というのも、これらすべての者たちは一人残らず自分の謬見に固執しているからだ。

 またもしも自分の見解によって清らかとなり、完全清浄な智慧ある者、真理に達した人となるのであれば、彼らの見解は等しく完全であるから、彼らのうちには智慧の劣った人はいないことになる。

 わたしは、愚か者たちが互いに言い合っていることについて、「これが真実である」とは説かない。彼らは各々自分の見解をこそ真実だとみなしている。だから、彼らは論争相手を愚者だときめつける。

 (問い)
 ある者たちが「真実で、その通りである」ということを、他の者たちは、「虚偽で、嘘である」と言います。このように彼らは異なった執見をいだいて、言い争います、どうして諸々の道の人は一つの真実を説かないのですか?

 (ブッダ)
 なぜならば真実は一つであって、第二の真実はないからである。そのことを知る者は、知りながら争うことはない。彼らはめいめい異なった真理をほめたたえている。それ故に諸々の道の人は一つだけの真実を説かない。
 
『スッタニパータ』878~884


 

 12月15日、オーストラリアのシドニーで武装した男が菓子店に押し入り、客などを人質に立てこもる事件が起き、銃撃戦の結果犯人は射殺され、人質2人が死亡した。犯人はイラン出身の自称イスラム国の聖職者で、黒地に白いアラビア文字で「アラーのほかに神なし」と書かれた旗を人質に掲げさせた。

 続く16日にはパキスタンのペシャワールの軍系列の学校を武装集団が襲撃し、銃を乱射。児童・生徒など141人が犠牲になった。イスラム過激派の反政府勢力「パキスタン・タリバーン」が犯行声明を出した。「パキスタン・タリバーン」はノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんを銃撃した集団であり、子供達を狙った卑劣な犯行は許されるものではない。ちなみに、ペシャワールはクシャーナ朝の都であって、プルシャプラで、ガンダーラ美術の中心となった町だ。

 二つの事件はともにイスラム教徒が起こした犯行。20世紀、中東のアラブ人たちは石油利権獲得をめざす欧米列強の争いに巻き込まれ、勝手に国境線を引かれた。その虐げられ、翻弄されて来た歴史は理解しているつもりであり、彼らの怒りも充分に理解出来る。しかし、ムハンマドはアラーを唯一の神と認めない人々を殺してもいいとは言っていないはずだ。

 自分の考えに固執して他の考えを認めなければ、言い争いは果てしなく続く。ブッダはその解決策として、他人の考えを受け入れることの重要性を示唆している。これは何も宗教だけの問題ではない。誰にでも必要なことである。聞く耳をもつこと、それこそが自己を解き放っていくことになる。

img_bd047ca1944f6fcbe0537e3167120537150702.jpg 

↓ ランキング挑戦中 バナーをポチッと押してね!
続きを読む ⇒

テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2014/12/17 10:54 】

ブッダのことば  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

ブッダのことば その4




ブッダを知りませんか?



a0274401_6453716[1]

生の快楽

 洞窟(=身体)に執われ、多くの欲望によって覆われて暮らしている者は、愚かさの中に沈んでいる。まさにそういうたぐいの者は、欲望に覆われた身体、言葉、意【こころ】のはたらきから離れ、解放されることはない。なぜならば、世の中にあって、もろもろの欲望は決して捨てやすいものではないからである。

 欲望が足枷【あしかせ】となり、生の快楽に縛られた彼らは、未来や過去の欲望を期待しながら、まさに、これら現在のもろもろの欲望、過去、未来のもろもろの欲望を熱望するために、解放されることはない。まして他人が解放してくれるはずもない。

 彼らは、もろもろの欲望を貪り求め、追求し、溺れて、物惜しみをし、不正に執われ、死ぬ間際に苦しみに襲われて、悲嘆する。ー「ここで死んでから、われらはそなるのだろうか」うと。

 だから人は、まさにここにおいて人は学ぶべきである。およそ世の中で、「不正である」と知れば、そのために不正をしてはならない。なぜならば賢者たちは「その人の命は短い」と説くからである。

 世の中において、生ける者がもろもろの生存に対する渇望に執われて震えているのを、わたしは見る。下劣な人たちは、さまざまな生存に対する渇望を離れないで、死に直面して泣き悲しむ。

 彼らはあたかも水量が少なく流れの尽きかけた川にいる魚のようである。渇望や誤った見解による自我の執われによって我がものと思い、物事に執われて震えている者たちを見るがよい。これを見て、もろもろの生存に対して、執われなく行動しながら、我執なくふるまうがよい。
『スッタニパータ』772~777



 習近平主席が中国共産党の最高幹部だった周永康元党政治局常務委員の党籍を剥奪し、逮捕する方針を決めたという。共産党のトップ7人組の座にあった永康さんが栄光の地位から転落することになった。

 賄賂など汚職で資産を蓄え、差し押さえられた額がなんと2兆円。中国は昔も今も汚職天国。清の乾隆帝の権臣であった和珅は乾隆帝の死により失脚、自殺を命ぜられたが、没収された資産が10億両。当時の国家歳入の10倍だったという。現在の中国の歳入は160兆円ほどだから、周永康は和珅に比べればたいしたことはないが、それでも2兆円とは驚きだ。

 周永康の奥さんは2000年に自動車の衝突事故で亡くなっているが、なんと衝突していた車を運転していたのは警察官二人。二人は十数年の実刑判決を受けたが、3、4年で出所したそうだ。周永康が部下に命じて奥さんを殺害したことは明らかだ。再婚した相手が28歳年下の超美人の元テレビレポーター。囲っていた愛人が29人というから呆れたもんだ。71歳だよ。

 色と欲と権力を手にした周永康であったが、権力争いのはてに習近平に葬り去られてしまった。

 ブッダはわたしたちに決して難しいことを求めているわけではない。無知を克服し、正しく考え、欲望から解放されなさい。それこそが、不幸から脱する道にほかならない。

 ただ、無知を克服することも、正しく考えることも、欲望から脱することも、それを実践することは容易ではない。容易ではないからこそ、ブッダは口を酸っぱくして、繰り返し説いている。『スッタニパータ』を読むと、「生の快楽に縛られるな」「欲望を離れなさい」。その繰り返しだ。

 周永康のことを笑うのは簡単だ。では、あなたは果たして欲望に縛られていないのか?


無題 

↓ ランキング挑戦中 バナーをポチッと押してね!
続きを読む ⇒

テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2014/12/11 17:38 】

ブッダのことば  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

ブッダのことば その3



ブッダを知りませんか?

a0274401_6453716[1]

差 別

 人は生まれによって賤【いや】しい者となるのではなく、生まれによってバラモンとなるのではない。行ないによって賤しい者となり、行ないによってバラモンとなる。
『スッタニパータ』136


 紀元前1500年頃にインドに侵入したアーリヤ人はヴァルナ制(カースト)と呼ばれる強固な階級身分制度をつくりあげた。その制度においては宗教儀式をつかさどるバラモンを頂点に、武士・貴族階級のクシャトリヤ、一般庶民層のヴァイシャが続き、最下層に隷属民シュードラが位置づけられた。さらには、4ヴァルナの枠外にダリト(不可触民)と呼ばれるアウト・カーストが存在し、死体処理や屠殺といった不浄の仕事にあまんじている。現在のインド憲法第17条でカーストは禁止されているが、厳然として今でもこの制度は生き残っている。

 ブッダはこのヴァルナ制を否定した。ブッダは行動主義者である。人間の価値は生まれによって決まるのではなく、行ないによってのみ決まる。カーストを否定したことによって、ブッダの教えは広く信仰されることになったが、残念ながらカーストを否定したために、インド社会からはじき出されてしまった。


7b813b56-s.jpg 

 今年8月にアメリカ合衆国のミズーリ州で黒人青年マイケル・ブラウンさんが警察官に射殺された。大陪審が警察官を不起訴とする判断を下したことに激怒した住民らが警察を銃撃したり、建物に放火したりするなど暴徒と化し、デモは全米各地に広がっている。警察官が無抵抗の青年を射殺したのかどうか。大陪審が白人よりの判断をしたのかどうか。どちらも僕には分からない。でも、黒人の多くがこの事件と大陪審の判断を黒人差別としてとらえていることは間違いのない事実であり、彼らがそう考えるのは、黒人は常に差別と偏見にさらされているからだ。

 アメリカ独立宣言は冒頭で、「すべての人間は生まれながらにして平等で あり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」と、人間の平等を高らかにうたっているが、人間の中にネイティブ・アメリカン(インディアン)と黒人は含まれていない。自由の国アメリカはもともと白人だけが自由な国だったのだ。その後、リンカンによって奴隷解放宣言が出され、南北戦争後に奴隷の法的自由が認められても、黒人に対する人種差別は残った。キング牧師らの努力によってようやく1964年に公民権法が制定され、黒人に対する差別は撤廃されたはずだが、依然として差別は残っている。黒人のオバマが大統領になった今でも……。恐らく黒人に対する差別が無くなることはないだろう。

 社会的な差別、身分的な差別が存在するのは、何もインドやアメリカ合衆国の社会に限られることではない。あらゆる社会に差別は存在し、僕たちの生きる日本もその例外ではない。「橋のない川」で知られる非差別部落に対する差別などは、まさに生まれに対する差別であり、ブッダはそれをまっこうから否定している。

 僕たちの社会には生まれに対する差別の他にも多くの差別や偏見が存在する。昨年東京都議会などで問題となった女性に対する差別。以前ならハンセン病患者、現代はHIV患者への差別や偏見。障害者、非正規雇用者、派遣労働者、性的少数者、……。あげれば、切りがない。悲しいことに、人は自分より立場の弱い人間を見いだして、差別する。そうしなければ、自分が差別の対象となる不安があるからだ。学校におけるいじめ問題も根っこにこれがある。

 仏教、なかんずく法華経は、すべての人を対等に見ることを強調する。それは、すべての人はブッダとなる可能性をもつ存在だからである。

↓ ランキング挑戦中 バナーをポチッと押してね!
続きを読む ⇒

テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2014/12/01 16:00 】

ブッダのことば  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |
 | ホーム |