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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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ブッダのことば その12


ブッダを知りませんか?

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激流を渡る
〔問い〕
 この世において人の最も勝れた富は何ですか。よく行なわれて安らぎをもたらすものは何ですか。そもそも、もろもろの味の中でより美味なものは何ですか。どのように生きる命が最も勝れているのですか。

〔ブッダ〕
 この世では信仰が人間の最も勝れた富である。教法がよく行なわれることが安らぎをもたらす。実にもろもろの味の中でより美味なものは真実である。最も勝れた生き方は智慧によって生きることである。

〔問い〕
 人はどのようにして激流を渡るのですか。どのようにして海を渡るのですか。どのようにして苦を超えるのですか。どのようにして清らかになるのですか。

〔ブッダ〕
 人は信仰によって激流を渡り、怠りなきことによって海を渡る。精進によって苦を超え、智慧によって清らかになる。
『スッタニパータ』181~184


 
ブッダはこの世で最も勝れた富は信仰であるという。僕はまだ雨季のインドに行ったことはないが、モンスーンがもたらす雨は激流となって大地をうねり、なにもかもを流していく。人の人生もとどまることを知らぬ欲望によって流され、一時の快楽に身をゆだね、苦悩しながら一生を終えていく。この激流を超えてかの岸にいたり安らぎを得るには、ただひたすらに智慧を求め、怠ることなく精進を続けていくしかない。

 最近は「終活」とやらが大流行らしい。人生の終わりを前向きに準備する活動のことだが、その内容は持ち物の整理、遺産相続、お葬式の準備、そしてお墓探しだ。僕のお寺のお檀家さんにも何人かの人が「終活」をやっておられる。東京などの都会にもお墓を持っているので、ご先祖の故郷・金沢のお墓はいわゆる「墓じまい」で処分された人。中には、自分が死んだら無宗教で葬式をやりますので、と公営墓地に引っ越された人もいる。みんな自分の子供には迷惑をかけたくないとの思いからのようだ。いや、それとも自分の子供が信じられないのかも知れない。
 
 というわけで「エンディングノート」を書くことが勧められており、本屋さんに行くとコーナーが出来ていて、何種類も置いてある。東日本大震災の影響で30代から書いておられる人もいるそうな。

 でも、どうもおかしいと僕は思う。みなさんがやっておられる「終活」は、自分が死んだあと、遺された子供や周囲の人に後事を託す、「死後の準備」でしかない。もっと大事なことがあるよね。それは、人生を終えて行く当の本人が、どこでどんなふうに死を迎えるのか。最後の瞬間をどんな心がまえで迎えるのか、という準備がごっそりと抜けてしまっている。

 「死んでからの準備」をいくらしていても、「死ぬまでの準備」をしていなかったら、なんの死生観も持たないまま、あたふたと後悔しながら死んでいかなければならない。そうならないために宗教はある。


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【 2015/03/24 10:33 】

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ブッダのことば その11


ブッダを知りませんか?

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最上の幸せ

 もろもろの愚者に親しまず、もろもろの賢者に親しみ、そして尊敬に値する者たちを尊敬すること、これが最上の幸せである。

 住むのに適した地方に住むこと、以前に福徳を積んだこと、また自分の正しい誓願があること、これが最上の幸せである。

 多く聞いていること(博識)と技能と規律とをよく学び、また言葉を善く説くこと、これが最上の幸せである。

 母や父に仕えること、子や妻を愛護すること、仕事に乱れがないこと、これが最上の幸せである。

 施与と、教法にかなった行為と、親族たちを擁護すること、非の打ちどころのない行為、これが最上の幸せである。

 もろもろの悪いことをせず、悪いことを離れ、飲酒を慎み、もろもろの善について怠りがないこと、これが最上の幸せである。

 尊重と謙譲と満足と知恩と常に教法を聞くこと、これが最上の幸せである。

 忍耐と善き言葉遣いともろもろの修行者に出会うこと、常に教法を語ること、これが最上の幸せである。

 心の訓練、清らかな行為、もろもろの聖なる真実を見ること、心の安らぎ(=涅槃)を体得すること、これが最上の幸せである。

 世の中の事柄に触れても、その者の心が動揺することなく、憂いなく、塵汚れを離れ、安楽であること、これが最上の幸せである。

 これらのことを実行して、あらゆるものに退散することなく、あらゆるところで心の平安に至る。これが彼らにとって最上の幸せである。

『スッタニパータ』259~269



 ブッダがジェータ林に滞在している時に、一人の人が「多くの人々は、幸せを願いながら、さまざまな幸せを念じています。最上の幸せをお説き下さい」と尋ねた。このジェータ林というのは前に「ブッダに帰依した人達」で書いたけど、スダッタ長者がブッダに寄進した祇樹給孤独園精舎、つまり祇園精舎のあったところだ。スダッタ長者は貧しい人や孤独で身寄りのない人たちに食事を提供していた人だから、恐らく祇園精舎にも多くの不幸な人々が集まって来ていたんだろう。ということは、この質問は不幸にうちひしがれた人からの質問だったということだね。僕らみたいにある程度幸せな人間の質問じゃないから、本当に真摯な質問だったわけだ。

 その問いに対するブッダの答えをみてみると、人生の師、導き手を持ち、みずから正しい誓願を起こし、自分を信じ、自分を生かす努力を怠らないこと。そして、妻や子・家族を愛し護り、懸命に自分の仕事に努め、足るを知って慎ましい生活をし、心の平安を求めて、堅実に誠実に日々暮らすこと、それが最上の幸せなんだよと、おっしゃっている。名誉や財産を得ることで幸せになれるわけではない。

 もうすぐ3月11日。あの東日本大震災からちょうど4年目を迎える。多くの人が一瞬にしていのちを失い、日常の生活を失ってしまった。あの頃日本中で、いのちの大切さ、日常のごく普通の生活がいかに大切なものか、そして人間の絆が叫ばれていた。でも、4年たった今どうだろう。まだまだ多くの人々が仮設住宅に住んだり、避難生活をしており、いっこうに被災地の復興が進まない現状にもかかわらず、多くの日本人はそんなこと忘れてしまったかのような毎日を送っている。

 今もう一度真剣に考えてみたいと思う。最上の幸せとは何かを。


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テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2015/03/09 16:33 】

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