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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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祈りと混沌の世界-ベナレス①

2月24日(水)

深い河

 午前5時30分、ホテルを出てガンジス川のマニカルニカー・ガートに向かう。40代以上の方ならご存じだと思うけど、画像は平成7年に公開された遠藤周作原作の『深い河』。秋吉久美子がここベナレスで沐浴するシーンが話題になった。それから沐浴する日本人の若者が増えたんだけど、ヒンドゥー教を信じてもいない奴が沐浴してどうする、アホか。

 その上、聖なる川ではあるが、死体は流れるし、生活排水や工業廃水も流れ込んで来て、大腸菌うようよの世界でも有数の超汚い川なんだ。 ガンジス川両岸の都市では毎日30億リットルの汚水が発生し、12億リットルが未処理のまま流れ込んでいるそうだ。モディ首相は2014年5月の就任時に、ガンジス川の浄化を約束していた。インド政府は河畔にトイレ数千基を設置し、川が「公共下水道」となっている現状を打開する計画で、日本政府もこれに協力する。

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 バスを降りて、ガートまで700メートルを歩く。ベナレスの町中はまだ真っ暗。みんな迷子になると大変なので、ラケシュ君のあとを追って足早に歩くので、写真撮影が大変。ファインダーを覗いて撮影に夢中になっていると、すぐにみんなを見失ってしまう。

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 おっとっと、牛にぶつかりそうになる。インドの町中には野良牛があふれていて、こいつらが大量の糞を垂れる。ちょっと油断すると、これを踏みつけて嫌な思いをしなければならない。特に暗いベナレスの町中を歩く時は要注意だ。でも、足下ばかりに注意を払って下を向いて歩いていると、今度は牛にぶつかり、モ~大変。

 町中に溢れる野良牛は住民にとっては邪魔な奴だ。時には八百屋の売り物をしっけいして食べたりもする。そんな時は棒でぶたれたりもするが、本当は叩いたりしちゃいけない。なぜなら牛は神聖な動物だからだ。


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 これはこの前も使った画像だけど、右がヒンドゥー教の3大神の中で最も信仰を集めるシヴァ神。破壊神にして、なおかつブラフマー神の創造神としての役割をも担う神だ。そのシヴァ神が乗っているのがナンディという牛。だから牛も神聖な神であり、大切にしなければならず、殺したりすることはどんでもない。というわけで、インドは野良牛天国になっている。

 
ちなみに、シヴァ神の頭から噴水のようにあがっているのがガンジス川。ガンジス川はサンスクリット語でガンガー。 シヴァ神は天界から地上へ落下するガンガーの奔流を豊かな髪で受け止めて、ヒマラヤ山中に注いでいるそうだ。ガンガーは漢訳仏典では恒河【ごうが】と表記し、恒河沙【ごうがしゃ】といえばガンジス川の砂のことで、10の52乗。インド人の単位はスケールが大きい。

 聖なる山ヒマラヤに流れを発したガンガーは東に流れてベンガル湾に注ぐのだが、唯一このベナレスで北上(北流)する。北に向かうということはヒマラヤに向かって流れることだから、ガンガーが天に昇っていくイメージと重なり、ベナレスがヒンドゥー教最大の聖地とされる。だから、多くのヒンドゥー教徒はここベナレスで死ぬことを望む。ここで亡くなり遺灰がガンガーに流されれば、輪廻からの解脱を得られると信じているからだ。

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インド風コンビニ?


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 数珠売りが近づいてくる。「ジェンブデ、2シェンエ~ン」。「ナヒン チャヒエ(要らないよ)」。「ジェンブデ、 シェンエー~ン」。「ナヒン チャヒエ」。「ジェンブデ…」。五月蠅い、あっち行け。

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 道ばたで売っているニーム。ニームはアーユルヴェーダでは基本ともいえる大人気のハーブで、”奇跡の木”という別名もあるほど。ニームの枝には抗菌作用があることから、インド人はこれで歯を磨く。棒で歯を磨く?この棒の端を葉で噛んでブラシ状にして、それで歯を磨くんだけど、僕は歯周病だから噛むことすら出来ない。

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 数珠売りのおっさん、仲間を連れて来た。何回来ても買わないよ。

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 10分ほど歩いてやっとガートに着いた。さあ~、船に乗るぞ~。(つづく)



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【 2016/05/28 17:18 】

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ベナレスにマクドナルドがあった。!!!!

2月23日(火)

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 午後6時25分、ラマダ ホテル JHVに到着。民族衣装のドアマンが出迎えてくれる。ナマステ~。それにしてもでかいな~。2メートルを超えてそうだ。

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 僕の部屋は5111。なかなか落ち着いた部屋だ。

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 別に書き物があるわけじゃないけど、ともかくデスクに座ってみる。


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午後7時40分。晩飯。たったこれだけと思うかも知れないけど、日本を出る時から腹の調子が悪く、大事を取って量を少なめにしている。一度だけ下痢に見舞われたことがあって悲惨な目にあっているので、用心用心。チキンカレーにダールカレー、焼きそばにパスタ、野菜少々。毎回同じじゃ~ないかって?インドに来たらこんなもんですよ。毎回カレーしかないもんね。

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 夕食後、奥さんと一緒にホテル内の土産物店を覗いてみる。8年前に泊まったホテルであることはわかっていたんだけど、記憶がはっきりしなかった。ところが、土産物店に入った途端に記憶が鮮明に蘇ってきた。特に、奥さんはどこの店で何を買ったかもしっかり覚えていた。やっぱ、女性にとって旅のメインは買い物なんですね。

無題 

 今回の旅行は学年末試験前の1週間余り生徒に自習を押しつけたわけで、お詫びにお土産を買って来ると約束した。80名もいるので、一人100円位として、総予算は1万円まで。事前にネットで調べて候補にあげておいたのが、ガネーシャのキーホルダー。ガネーシャは学問の神様でもあるので、生徒にはちょうどいい。日本では350円程度なので、インドでは100円位で買えるだろうから、予算的にもちょうどいい。しかし、4軒ほど土産物店を回ったけど、一つも無かった。100円程度で買える神様のマグネットはあったんだけど、数が50個しかない。残念でした。また、他の町で探そう。

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 ところで、ラマダ ホテルの前にはベナレスで一番大きなIPモールというショッピングモールがある。2006年に開業したらしいが、服屋さんやら靴屋さんやらカフェやらフードコートやらがあるそうで、シネコンも入っているとのこと。なかでも道路に面してお馴染みのマクドナルドが!!!

 8年前はラマダホテルに入ったのが夜だったので、暗いインドの町に燦然と輝いているマクドナルドの看板を見た時に、ついにインドも近代化を果たしたと、感激したのを今でも覚えている。残念ながら、店に入る機会が無かったので、他の人のブログから画像拝借してきました。

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 これが噂のチキンマハラジャバーガー。ヒンドゥー教徒は牛は神聖な動物だから喰わないし、イスラーム教徒は汚れた豚は喰わない。したがって、インド人が食べる肉は必然的にチキンだけになる。これにフライドポテトとコーラがついて、172ルピー(344円)だそうだ。僕は日本のマクドナルドにも入ったことすらないので、値段はよく分からないけど、日本の半分くらいかな。

 でも、インド人の平均年収が約30万円だそうだ。月収じゃないよ、年収だよ。だからハンバーガーセットはインド人にとって、そう簡単に喰えるものじゃないってことだ。

 
朝方にちょっと覗いて撮った写真だけど、看板のDの字のところが割れちゃってる。あんまり、お客さん入ってないようだね。

 さあ、明日はいよいよガンジス川の沐浴見学だ。朝は早い。もう寝ようーっと。おやすみなさい。(つづく)

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【 2016/05/19 16:35 】

ブッダを訪ねて  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

インドの至宝・獅子柱頭

2月23日(火)

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 写真はアショーカ王柱の柱頭の獅子像(高さ213㎝)。1905年にここサールナートで発見された。

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 現在はサールナート博物館に保存されている。砂岩に彫られた四方を向いた四頭のライオンの下に法輪(ダルマ・チャクラ)が刻まれており、ブッダが世界の四方に向かって法輪を初めて転じた地点であることを示している。柱頭にライオンを用いているのは、百獣の王であるライオンがひとたび吼【ほ】えれば百獣のすべてが従うのになぞらえて、釈尊の説法を獅子吼【ししく】というからだ。
 
 円柱の冠板に帯状装飾として象と駿馬、雄牛と獅子が彫られている。マウルヤ朝はアレクサンドロス大王の東方遠征を機に成立した王朝であり、隣国セレウコス朝シリアとの関係が深く、ヘレニズムの影響がみられる。この獅子像もギリシア彫刻の影響を受けた見事な作品だ。

 1947年にイギリスからの独立をはたしたインドは、紀元前3世紀に彫られたこの獅子柱頭を民族の誇りとして、1950年1月26日にこれを国章と定めた。

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 だから、僕たちがインドで一番お世話になる10ルピー紙幣にも建国の父・ガンディーとともにしっかり記されている。ちなみに2016年現在10ルピーは日本円で16円ほど、四捨五入して20円だ。朝ホテルの枕元に置くチップが20ルピー。たった40円程度なんだけど、インドに来て日が経つにつれて、これが高いと感じるのはなぜなんだろうね。

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 ライオンの下の法輪はインドの国旗の中央部に描かれており、真理と正義によって世界がよく治まることを象徴している

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2001年の映画「アソーカ」のサントラ盤

 アショーカ王はマウルヤ朝第3代国王でマウルヤ朝の全盛を築いた。兄弟を皆殺しにて即位した非道残虐な王であったらしいが、そんなアショーカ王の心を変えたのが即位9年目に起きたカリンガ(現在のオリッサ州にあった国)との戦争だった。この戦争は凄残を極め、カリンガでは10万人、マウルヤ軍も1万人の戦死者を出したそうだ。この戦いによって戦争の悲惨さを痛感したアショーカ王はブッダの教えに深く帰依し、ダルマ(倫理・法)による統治をめざし、その政治方針を広く国民に知らせるために岩壁や石柱に詔勅を刻んだ。

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 即位10年目からはブッダの足跡を訪ねてインド各地を巡礼するとともに、ダルマによる政治が実行されているか確認するため「法の巡幸」を開始した。仏跡地を中心に石柱が建立されたが、当初は30本ほどあったらしい。しかし、インドは地震のある国。ほとんどの石柱は倒壊し、サールナートの石柱も柱頭部分を除いて、発見された場所にそのまま保存されている。

 いつもはあまりガイドさんの説明を聞かないんだけど、今回は時間の余裕もあり奥村君が一生懸命に解説をしてくれたので、耳を傾けてみた。で、初耳だったのが、実は四頭の獅子の上にもともとは大きな法輪が乗っていたという。獅子柱頭は博物館に入って真っ正面に置かれているんだけど、その左後ろに欠けている大きな法輪が置かれている。それが乗っていたという。へえ~~~。

 
何回目のインド旅行の時か忘れたけど、ちゃんと立っていた状態のアショーカ王柱の木製のレプリカを2万円も出して買った。スジャータ・ホテルの売店に置かれている中では一番大きくて高さ45㎝もあり、沙羅双樹製とかなんとか言われて買ったけど、2万円は高すぎるよな。これを学校の授業で生徒に見せてるんだけど、もちろん獅子の上に法輪は乗っていない。長年、生徒に嘘を教えて来たことになる。やっぱ人の話はちゃんと聞かなあかんね。と、深く反省していたら、Hさんがその法輪をコンコンと叩いたたのに、びっくり。材質を確認したかったというんだけど、文化遺産を叩いちゃ駄目ですよ。警備員に見つかったら、えらいことでっせ。

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 この博物館で見逃してならないのは4世紀に彫られたという初転法輪仏。僕はインドで最も美しい仏像だと思っている。奥村君がいつもの調子で、「美しい仏像ですが、ちょっと違和感がありますね。まぶたが垂れていますが、寝不足なんでしょうか。下唇がやや厚いですが、昨日キスをし過ぎたのでしょうか」なんてふざけた解説をしている。僕は蹲踞の姿勢で仏像を拝んでいた。そしたら、「流石、世界史の先生ですね。そうなんです、この仏像は下から見ることを考えて彫られているんんですよ。」

 いいえ、そんな深い知識はありません。足が疲れて立っているのが辛いから、蹲踞していただけで~す。同行している石材店のTさんに、これと同じ仏像を作ったらいくらかかるか聞いたんだけど、見積もりはまだ来ていない。

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 博物館から出てきたら土産物屋の大集団に襲われた。左がソーラーで廻る金ぴかのマニ車。ちょっと僕が興味を示したもんだから、しつこくついて来る。向こうの言い値は2,000円。 「ナヒン チャヒエ」(ヒンドゥー語で要らない)と言っても、引き下がらない。2つでいくらか聞きたくて、指を2本だしたら、右の仏像のレプリカを出してきた。これと合わせて3,000円だという。仏像は初めてインドに来た時に買って、生徒にグプタ様式の仏像だと嘘を言って見せている。もううちにあるから要らないというのに、バスの中まで入り込んで来そうな勢いだ。

 僕のバスのタラップを踏んだ途端に、「ニシェンエン」と言った来た。よし、買った。仏像は学年末試験のことを頼んできたS先生にお土産で渡した。マニ車は寺の本堂前の窓際でて日クルクル廻っている。

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 このあと日蓮宗の法輪寺さんによって一読した。お寺の近くに真っ赤な花をつけた見事な大木が。こんな花今まで見たこと無いな~。火焔樹という花なんだって。いつもはもう少し後の時期に満開になるらしいが、今年は春の訪れが早くてこの時期に満開になっているそうだ。通りでいつもより暑く感じる。あちこち回ってお腹がすいた。ホテルに帰ろう。(つづく)


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【 2016/05/15 17:52 】

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ブッダ初転法輪の地サールナート

2月23日(火)
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 午後1時40分ホテルを出発し、2時サールナートに到着。サールナートはブッダの時代には鹿野苑【ろくやおん】と呼ばれていた。名前のとおりたくさんの鹿がいたんだろうけど、「仙人の集まるところ」とも呼ばれていて、たくさんの修行者が集まっている場所だった。 だから、現在でも仏教徒だけではなく、ヒンドゥー教徒やジャイナ教徒の巡礼地になっている。
 
 最初に訪ねたのはチョーカンディー・ストゥーパ (迎仏塔) 。上部の八角形の塔は1588年にムガル帝国のアクバル帝が父フマユーン帝のサールナート訪問を記念して建てたもんだそうで、仏教とは何の関係ない。

 
ブダガヤの菩提樹の下で悟りを開いたブッダは、自分の悟りの内容はあまりにも難しくて理解できる人はいないだろうから、このまま死んでしまおうと考えた。それだと仏教は後の世に伝わることはなかった。これを救ったのがブラフマー神(梵天)。ブラフマー神が「願わくは憂いに沈み、生死に悩める衆生を導きたまえ。起【た】て、勇気ある者よ。世間に遊行したまえ。法を説きたまえ」って、3回お願いした。これを梵天勧請と言うんだけど、それで、ようやくブッダは布教する決心をしたんだ。
 
  さて、ブッダは説法をする決心はしたが、最初に誰に説くかが問題だ。なにせ地球上でブッダだけが知る深い悟りの内容なので、普通の人だと理解できるわけがない。思いついたのが、かつての先生であったアーラーラ・カーラーマだ。ところが、先生は7日前に亡くなっていました。あ~ら~ら、残念。次に思いついたのが、やはりかつての先生であったウッダカ・ラーマプッタ。ところが、またまた残念なことに、この先生も昨日の晩に亡くなっていた。あとブッダが知っている人で、ブッダの悟りを理解できそうな人というと、ブッダとともに苦行にあけくれた5人の仲間しかいない。彼らはブッダが苦行をやめた時に、「あいつは苦行を放棄した。あいつは堕落者だと」と、ブッダのもとを去り、当時は鹿野苑にいた。そこでブッダはブダガヤから300キロも離れた鹿野苑に足を進めたというわけだ。恐らく歩いて10日ほどかかったんだろうね。

 
その5人がブッダを迎えたところに建つのがチョーカンディー・ストゥーパ だ。さて、鹿野苑にいた昔の修行仲間だけど、コンダンニャ、バッディヤ、ヴァッパ、マハーナーマ、アッサジの5人だ。ブッダが遠くのほうからやって来るのを見つけた5人は、「おいおい、堕落した奴がやって来たぞ。努力をやめ、贅沢に走った奴なんかに挨拶なんかするなよ。迎えに行くんじゃないぞ」と話し合った。ところが、どうだろう。ブッダが近づいて来ると、5人はじっとしていられなくなり、いそいそと立ち上がると、ブッダのもとへ走り寄って、うやうやしく礼拝してブッダを迎えたそうだ。ブッダがよっぽど凄いオーラを発していたんだろうね。

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 チョーカンディー・ストゥーパ から800メートルほど離れたところにサールナート僧院跡があり、広さがなんと16,000坪。東京ドームよりもやや広め。サールナート僧院跡の中でもひときわ目を引くのが、高さ34メートルのダメーク大塔。グプタ朝時代の5世紀に建てられたもののようだが、イスラーム教徒の破壊により痛ましい姿になっている。ダメーク大塔の建つ場所こそブッダが5人の修行者に初めて説法した場所と伝えられている。車輪を転がすようにブッダの教えが弘まって行くということで、ブッダが説法することを「転法輪」といい、その初めだから、これを「初転法輪【しょてんぼうりん】)と言う。

 5人の修行者の中でブッダの説かれたことを最初に理解したのがコンダンニャだ。「生起するものはすべて消滅するものである」という、穢れのない真理を見る眼が生じたそうだ。この時、ブッダは大喜びして、「コンダンニャが判った、ああコンダンニャが判った」と感嘆の言葉を発したそうだ。「判った」は「アンニャータ」と言うんで、このあとコンダンニャはアンニャータ・コンダンニャと呼ばれることになった。こうして、まずコンダンニャがブッダのもとで、受戒し出家した。これにバッディヤとヴァッパが続く。あとのお二人さん、マハーナーマとアッサジは、なかなか理解できなかったみたいだ。そこで、先に理解した3人が町へ托鉢に行って食べ物をもらって来て、その間にブッダがマンツーマンで二人を教える、という日々が続いて、ようやく二人もブッダの教えを理解したということだ。5人の修行者はブッダからさらなる教えを聴き、執着がなくなり、もろもろの煩悩をコントロールすることができる阿羅漢【あらかん】となった。尊敬や施しを受けるに相応しい聖者をアルハットというけど、これの漢訳が阿羅漢だ。

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 ダメーク大塔の周りをお題目を唱えながら、右繞【うにょう】する。右繞というのは、仏像なんかの周りを時計回りに廻る仏教の儀式のこと。

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 「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経………」とお題目を唱え、右繞する。また、この地を訪ねることが出来た喜びに、自然と涙がこぼれる。

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 大塔を見上げながら歩いていたから下を見ていない。
ん、何かに蹴躓いたと思ったら、ここにもぐうたらな犬。こらっ、邪魔だどけ。 踏んづけちゃうぞ。

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一人の少年が何かを欲しそうな顔でついてくる。僕、いくらついて来ても、何もあげないよ。おじさん、ケチだから。

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東晋の僧法顕【ほっけん】は『仏国記』に、ここに僧院があったことを記し、唐の僧玄奘【げんじょう】は『大唐西域記』に、鹿野伽藍【がらん】は8つに分かれていて、1,500人の僧が学んでいるのを見たと伝えている。その伽藍はイスラーム教徒に破壊されてしまったんだけど、1905年から発掘されて、現在は遺跡公園になっている。 

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 奉献ストゥーパが多数建てられており、往事を忍ぶことが出来る。

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 ミャンマーの参拝団かな、熱心にお経を唱えている。8年前に来た時にはほとんど人がいなかったんだけど、巡礼する人が増えてきているみたいだね。(つづく)

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【 2016/05/09 17:44 】

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インドに女のコックさんがいた!!!!!!!

2月23日(火)

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 午前8時ホテルを出発、8時50分空港に到着。テロ対策のため、空港に入るにはパスポートとチケットを見せなければならない。嫌な時代になったもんだ。空港のロビーでは実物大の親子の象の像(笑)が出迎えてくれた。午前10時15分、エアインディア406便(AI406)でヒンドゥー教の聖地ベナレスに向けて出発。

 ベナレスは古代インドの十六王国の一つ「カーシー国」。古くからシルクの産地として知られ、ブッダもカピラ国の王子時代は身にまとうものといえば、上着から下着まで全部カーシー産のシルクだったそうだ。実はベナレスというのはイギリス統治時代の呼称で、現地の言葉ではワーラーナシーとかバラナシと呼ぶ。でも、日本人にはベナレスのほうが馴染みがあって、わかりやすいと思うので、ベナレスで通すね。

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 20分ほどしたら、軽食が出た。お腹はすいてないけど、取り敢えず食べる。あっ、白くて四角いのは豆腐じゃなくて、チーズですよ。

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 午前11時20分、予定よりも早くベナレスに到着。僕たちを迎えてくれたのは立派な大型バス。添乗員の奥村君とガイドのラケシュ君を入れても全部で17人しかいなので、一人が2つの座席を占領して、このバスでクシナガラまで旅をする。それにしても町中えらい混んでるな。

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 と思ったら、この人がベナレスを視察に来てるんだって。この人知ってる?そう、インドの首相ナレンドラ・モディ。2014年にマンモハン・シンに替わってインドの首相になった。シン首相はネルー、インディラ・ガンディーの流れをくむ国民会議派だけど、モディ首相はインド人民党(BJP)。

  インド人民党はヒンドゥー至上主義の政党で、1992年にはアヨーディヤのバーブリ・マスジットといわれるイスラーム教モスクを襲撃して破壊するという事件を起こしている。モディ首相はこの政党を率いているわけで、カチンコチンのヒンドゥー教徒だ。インドの総人口約13億人中、イスラーム教徒は約2億人。イスラーム教徒との関係が悪くならなければいいが、ちょっとこの先のインドが心配な気もする。

 
この人が沢山のお付きの人を従えてベナレスに来ているせいで、各グループから今晩泊まるホテルの部屋の2、3つを彼らに提供しなければならなくなり、奥村君とIさんは別のホテルに泊まることになった。クソッ。

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 午後12時40分、ようやくホテルに着いた。結局、空港から40分以上もかかってしまった。今晩泊まるホテルはラマダ ホテル JHV。外資系の5つ星ホテルだ。ここのレストランで取り敢えず昼飯にありつく。

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 立派なレストランじゃないですか。

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 並んでいる料理も種類が多くて、美味しそうですね~。

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 おやっ、女のコックさんが、マサラ入りのパスタを作ってくれるそうだ。お名前はアノンちゃん、22歳。インドに女のコックさんがいたんですね~。この前の猫じゃないけど、7回目のインドで初めて女のコックさんに会いました。

 
インドにはインディラ・ガンディーという女性の首相がいたよね。1984年にシク教徒に暗殺されちゃったけど。日本にはまだ女性の首相は誕生していないので、インドのほうが女性の地位が高いと思っている人がいるかもしれないけど、とんでもない。インドのヒンドゥー社会は滅茶苦茶女性の地位が低いんだ。

 『マヌ法典』って知ってる。2世紀頃までに完成したヒンドゥー教徒の行動を規定した生活指導書なんだけど、この中に「幼き時は父に、嫁しては夫に、老いては息子に従うべし。げに女の自立はなしがたし。」と書かれている。これって中国の『礼記』で説かれる「女三従の教え」と一緒だよね。ヒンドゥー教でも女は潜在的に危険な力を有すると信じられていて、女性は生涯男に従属すべきと説かれている。

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 その上、サティーという習慣もあった。高位カーストにあった習慣なんだけど、旦那さんが死ぬと、残された夫人が夫を焼く火の中に身を投じて殉死した風習だ。ヨーロッパで魔女を火あぶりの刑にしたように、未亡人が生きながら焼かれたんだ。あんまり残酷なんで、1829年にイギリス植民地政府が法律で禁止した。でも現在でも希に行われる。1987年9月4日、18歳のループ・カンワルが病死した夫の遺体とともに焼かれ話題になった。8カ月にもみたない結婚生活だったそうだ。

 またヒンドゥー社会にはダウリーという習慣がある。娘が結婚する時に、親が花婿側に持参金や家財道具を贈る習慣。日本では新郎側が結納金を渡して、花嫁側がそれで結婚に必要な道具を揃えるけど、インドでは花嫁側からだけ。これが少ないと、嫁に行った先で家族・親戚中に虐め倒されて、あげくの果てに殺される。そんな男は再婚して、また同じことをする。インドではダウリー殺人事件が今でもしょっちゅう起きている。

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 そんなわけで、女性のコックさんなんて、昔は考えられなかった。インドも少しづつだけど進歩してるんだね。パスタにはクリーム味とケチャップ味があったけど、僕はアノンちゃんにマサラのたっぷり入った激辛のケチャップ味パスタを作ってもらった。これにチキンカレーと焼きそば、もちろんビールをつけて、いただきま~す。

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 デザートはハルヴァ。牛乳と砂糖などで作ったお菓子。昔食べたことがあるような素朴な味だ。大変、美味しゅうございました。(つづく)

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テーマ:海外旅行 - ジャンル:旅行

【 2016/05/02 17:07 】

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