なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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8月2日(水)
これが僕らの部屋。なんとも豪華で、間取りも広くベッドルームとリビングルームに分かれている。
リビングルームでくつろぐなっちゃん。
バスルームも大きめのバスタブとシャワーブースに分かれている。
ホテルの開業は1980年だけど、2010年に改装してるから、まだ真新しくて、ピッカピカ。どこにも文句をつけるところがない。おまけに各部屋でWi-Fiが使えて無料ときてるから最高。インスタにアップするのに、いちいちロビーに行かなくていい。
ベッドも大きい。なっちゃんは婆ちゃんと一緒のベッドで寝てるので、昨日まではかなり窮屈だったけど、今日からはゆったり寝れる。
海外旅行で一番辛いのが朝の荷物詰め。前の日に目一杯観光して、遅い晩飯喰って、その後部屋で二次会やって、寝るのがいつも12時頃。翌朝の出発が早いから、朝の6時頃からスーツケースの整理しなくちゃいけない。これが毎日続くから、もうくたくた。移動のバスの中はみんなの高鼾。それが今回は3連泊だから、その作業から解放される。もう、最高~。
このホテルのレストランは午後7時30分にならないと開かない。まだ1時間もあるし、小腹がすいたので、昨日奥村君に貰ったバナナを食べることにした。ど~、この大きさ。なっちゃんの顔よりでかい。日本でこんなでかいバナナ見たことない。帰ってから話しても信じないだろうから、証拠写真を撮った。
さあ、ご飯食べに行こうか。これは昼間に撮った写真。実際には午後7時30分を過ぎているので真っ暗。非の打ちどころのないホテルだけど、難点が一つ。あまりにも広すぎて暗いとどっちに行ったらレストランなのか分からず、道に迷うこと。帰るころになってやっと道を覚えたけど、もっと道順を丁寧に示して欲しいな~。
ネットから拝借した写真だけど、レストランはプールのお隣にある。
レストランはシックなデザインで、落ち着いた雰囲気で食事を楽しめる。
品数豊富なメニューが所狭しと並ぶ。
正面は直接料理を作ってくれるブース。
これはサラダのコーナーかな。自分の好みにあったサラダを作ってくれる。ただし、行列が出来て時間がかかるのが難点。
何も書いてないから、何か分からない料理も一杯ある。一口つまんでみるわけにもいかないしね。
まあ、なんせ品数が多すぎて全部見て回ると時間がかかり過ぎて、いつまで経ってもご飯にありつけない。
こちらはアイスクリームのコーナー。中国語でも表記されてるね。ちなみに「巧克力醤」と書いてあるのは、チョコレートソースのことですね。
僕には用がないけど、デザートコーナー。ケーキと果物が綺麗に並んでるけど、これは別室。暑い国だから保存を考えてチルドルームになってる。丁寧なおもてなしですね。
料理を取りに行った仲間がなかなか帰って来ない。なんせ乾杯しないと始まらないので、食事が始まったのは結局午後8時。
僕の今晩のメニューは、ダールカレー、カシューナッツカレー、ラム、ベーコン、海老、ジャガイモ、揚げニンニク、その他。酒の肴ばっかり(笑)。
いえいえ、そんなことありません。ちゃんとパスタ作ってもらいました。ナポリタンにしたんだけど、ポロネーゼのほうが美味かったみたい。
昨日の晩飯の時はペラヘラ祭の観覧がひかえていたので酒は呑んでいない。さあ、今日はしっかり呑むぞ、ということでビールはいい加減に止めて、アラックに切り替えた。4年前にトルコに行った時に飲んだ「ラク」と同じ仲間の蒸留酒。ヤシの木の花の蜜を採り、それを発酵させた「ラー」を蒸留したものがアラック。水で割ると白濁するはずなんだけど、ごらんの通りの琥珀色。アルコール度数が低いんかね。
晩飯が終わって10時頃から二次会。酔っぱらって迷子になるといけないんで、会場は僕の部屋のお二階のIさんとTさんの部屋。日本から持ってきた鯖缶などをおつまみに、ウイスキーと焼酎で宴会。
レストランで僕たちのグループの世話をしてくれてるクマーラ君というボーイさんに、氷とミネラルを持って来てくれるように頼んだ。部屋はレストランから随分離れてるから、運んでくるのも大変だ。チップを渡したのに、なかなか帰らない。もっとチップを要求しているのかと思ったら、単にお話がしたいだけらしく、身の上話やらなんやらえらい長時間話をして、やっと帰った。たんに仕事さぼっとっただけかもね。
今日は朝の5時から3つのお寺をまわって、もうくたくた。酒も呑みすぎて、もうへべれけ。明日はいよいよシーギリヤ・ロックだ。お休みなさ~い。(つづく)
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レストランで僕たちのグループの世話をしてくれてるクマーラ君というボーイさんに、氷とミネラルを持って来てくれるように頼んだ。部屋はレストランから随分離れてるから、運んでくるのも大変だ。チップを渡したのに、なかなか帰らない。もっとチップを要求しているのかと思ったら、単にお話がしたいだけらしく、身の上話やらなんやらえらい長時間話をして、やっと帰った。たんに仕事さぼっとっただけかもね。
今日は朝の5時から3つのお寺をまわって、もうくたくた。酒も呑みすぎて、もうへべれけ。明日はいよいよシーギリヤ・ロックだ。お休みなさ~い。(つづく)
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午後3時45分にダンブッラの山を下りて、4時20分にハバラナのホテルに着いた。ハバラナは明日登るシーギリヤ・ロックの北10キロほどにある。今日から3連泊するホテルはシナモン・ロッジ。玄関は古代ギリシアのエンタシス風の見事な列柱。
フロントは建物の外にある。サイクロンが来たら大変だろうね。
ウェルカムドリンクをいただいた後、大きな燭台に一人一人が火をつけていく。宿に着きましたという儀式なんかね。理由は分からないけど、みんな喜んで火をつける。
このホテルは常緑樹林に囲まれた緑豊かな広い庭園の中にあり、その広さは27エーカー以上あるそうな。東京ドーム2個分よりも広い敷地に、たくさんのコテージが並ぶ。ジャヤン君にその数を聞いたら、「たくさんある」との答え。ネットで調べたら137部屋あるそうだ。
コテージには平屋建てと二階建ての2種類あり、僕たちの部屋は二階建て。
生まれて初めてのリゾートホテルなんで、ついつい喜んでなっちゃんと一緒にベンチに座って記念撮影。
敷地内には湖沼があり多くの水鳥が群れている。展望台は大きな木の上に造られており、昔子供の頃に木の上に隠れ家と称して小さな小屋を造ったことを思い出す。
豊かな自然の中にあるホテルだから、珍客もやって来る。
僕たちの部屋にやって来たのはハヌマーン・ラングール。ハヌマーンはインドの2大叙事詩の「ラーマー=ヤナ」に登場するお猿の神さん。
ラーマ王子はハヌマーンに助けられて、ランカ(島のこと。現在のスリランカ)に住む化け物ラーバナからシータ姫を取り返す。猿を連れて島に化け物退治というと、みなさん鬼ヶ島に鬼退治に行った桃太郎を思い出すでしょ。そう、「ラーマー=ヤナ」は桃太郎の原型だという説がござるが、どうかね~。
このハヌマーンに似てるってんでハヌマーン・ラングールと名付けられた。「ラングール」はヒンディー語で「長い尻尾」の意味。これが中国に伝わって孫悟空になったという話もござる。
ハヌマーンの家来としてインドで大切にされてるけど、スリランカも一緒なんだね。たぶん餌を求めてやって来るんだろうけど、10匹ぐらいの大群になると気味が悪い。だから、部屋の窓を開けとくのは禁物。お猿さんだけじゃなく、虫も入って来るからね。でも不思議と蚊はいなかった。
リゾートホテルというのは貧乏人がせかせかと旅するんじゃなくて、ゆったり長期滞在して身体と心を癒すのが目的だから、ブランコもある。運動場にあるのと訳が違ってなんか金持ちになった気分で、なっちゃんも大喜び。
ハンモックまである。なっちゃん人生初の体験で、これまた大喜び。
かく言う僕もハンモックで寝たことはない。ちょっと試しに寝てみる。寝心地は良くない。これ寝返りうったら絶対に落ちるよな。二人とも写真撮ってくれないんで、自撮り。これじゃ網に掛かった魚だね。(つづく)
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8月2日(水)
奥さんの後ろのブッダが傘のようなものかぶってるけど、これムチャリンダ竜王だね。ブッダが菩提樹の下で悟りを開かれた後、その余韻を楽しまれるように瞑想を続けられたんだけど、ムチャリンダ樹の下にお坐りになられた時、時季はずれの雨が7日間降り続き、冷たい風が吹いたそうだ。その時ムチャリンダ竜王がブッダの身体を覆って風雨から守ったという言い伝えがある。竜というと中国の竜を思い浮かべると思うけど、漢訳仏典の竜の原語はナーガで蛇のことだ。インドで蛇と言えば、もちろんコブラ。コブラは興奮すると鎌首を広げるから、傘のようになって釈尊の身体を風雨から守ることが出来る。
中には立像も16体ある。
しかし、これだけブッダの像が並ぶと壮観だね。
ここにも涅槃仏がある。と思ったら、これが違うんですね。足をよく見てごらん。右足と左足がきっちり揃ってるよね。第1窟の涅槃仏は足がややずれていたけど、これが涅槃に入られた証拠。足が揃ってるのは、単に休憩しているだけなんだって。写真じゃわかりにくいけど、眼も開けている。病が重くて横になっておられるのか、リラックスして昼寝をしているのか分からんけど、インドでも日本でも休憩しているブッダなんて聞いたことがない。
実は、第2窟のみものは仏像よりも壁や天井一面にびっしりと描かれた壁画。その総面積は2100平方メートルにもなるそうだ。今まであちこちの石窟寺院を見てきた。インドのアジャンター石窟、シルクロード・クチャのキジル千仏洞、クムトラ千仏洞、敦煌の莫高窟などなど。規模ではそれらの石窟寺院にはかなわないけど、これだけ壁画で埋め尽くされた石窟は他にない。これを見ただけでもスリランカに来た価値がある。
第2窟を出ると、池には睡蓮。蓮じゃないよ。葉に深い切れ込みがあるし、水面より高く出た葉が無いから、これは睡蓮。透き通るような青紫が美しい。青い睡蓮はスリランカの国花。ところで、日本の国花は知ってる?パスポートの表紙には菊が描かれてるけど、実は正式には決まってなくて、菊と桜の両方がいちおう国花なんだってさ。
これがご本尊のブッダ座像。
並んで写真撮ってみたけど、何となく僕に似てない?ブッダと僕が似てるはずないか(笑)。実は仏さんと並んで写真撮るのは御法度。理由は簡単、仏さんに尻向けてるからね。後から聞いて、知りました。ご免なさい。
続いて第4窟、パッツィーマ・ヴィハーラ「西洋の寺」。キャンディ王朝末期に造られた、比較的小さな石窟で、途端に狭く感じる。右の方に比較的新しい黄色に塗られた仏像があるの、分かるかな。実はこれ、以前に観光客がこの仏像の手のひらに座り写真撮影をしたため、法力が失われたとして、もとの塗りを剥がして塗り直したんだってさ。マナーはしっかり守りましょうね。(おまえが言うな)。
帰りは正規の階段を降りた。
かなり急勾配で、これ登らなくて良かったよ。ほんと。
その途中で会ったのが、この兄ちゃん。なにやら骨董品を売っている。みんなは素通りして行ったけど、骨董品を売っているのを見ると見捨てておけないのが僕。
窮屈な第1窟を出て、今度は第2窟。この窟はマハー・ラージャ・ヴィハーラ。「踊るマハラジャ」というインド映画があったけど、「偉大なる王の寺」という意味だ。偉大な王とは石窟を開いたワッタガーマニー・アバヤのことで、石窟内には王の像も置いてあるそうだが、どれが王の像か結局分からんかった。
この石窟は幅52m、奥行き25mもあり、ダンブッラの石窟の中でも群を抜く広さ。そこにところ狭しと仏像が並ぶ。まず、最初に眼に飛び込んできたのがストゥーパを囲むブッダの座像。全部で6体ある。
この石窟は幅52m、奥行き25mもあり、ダンブッラの石窟の中でも群を抜く広さ。そこにところ狭しと仏像が並ぶ。まず、最初に眼に飛び込んできたのがストゥーパを囲むブッダの座像。全部で6体ある。
奥さんの後ろのブッダが傘のようなものかぶってるけど、これムチャリンダ竜王だね。ブッダが菩提樹の下で悟りを開かれた後、その余韻を楽しまれるように瞑想を続けられたんだけど、ムチャリンダ樹の下にお坐りになられた時、時季はずれの雨が7日間降り続き、冷たい風が吹いたそうだ。その時ムチャリンダ竜王がブッダの身体を覆って風雨から守ったという言い伝えがある。竜というと中国の竜を思い浮かべると思うけど、漢訳仏典の竜の原語はナーガで蛇のことだ。インドで蛇と言えば、もちろんコブラ。コブラは興奮すると鎌首を広げるから、傘のようになって釈尊の身体を風雨から守ることが出来る。
第2窟には56体もの仏像が収められている。そのうち40体が座像。
中には立像も16体ある。
しかし、これだけブッダの像が並ぶと壮観だね。
ここにも涅槃仏がある。と思ったら、これが違うんですね。足をよく見てごらん。右足と左足がきっちり揃ってるよね。第1窟の涅槃仏は足がややずれていたけど、これが涅槃に入られた証拠。足が揃ってるのは、単に休憩しているだけなんだって。写真じゃわかりにくいけど、眼も開けている。病が重くて横になっておられるのか、リラックスして昼寝をしているのか分からんけど、インドでも日本でも休憩しているブッダなんて聞いたことがない。
洞窟の奥の真ん中に金網で囲まれた壺が。何これ?
天井を見上げると岩の割れ目から水が滴り落ちている。ご丁寧に魚の絵まで描いてある。この滴り落ちる水を下の壺で受けてるんだね。ここは岩山のてっぺん近くなのに、どこから水が滴り落ちてくるのか分かっていないそうだ。そこから「水の湧き出る岩」=ダンブッラと呼ばれいて、ここの地名の由来となっている。
おまけにこの水は涸れることなく滴り落ちて下の壺に溜まるんだけど、絶えず雫が落ちているにもかかわらず、壺の水は減りもしないし増えもしないそうだ。何とも不思議な聖なる水で、重要な儀式の時だけ坊さんが飲むそうだ。金網を張ってあるのは、「トレビの泉」みたいにコインを放り込む不届きな観光客がいっぱい出て来たからだそうだよ。
おまけにこの水は涸れることなく滴り落ちて下の壺に溜まるんだけど、絶えず雫が落ちているにもかかわらず、壺の水は減りもしないし増えもしないそうだ。何とも不思議な聖なる水で、重要な儀式の時だけ坊さんが飲むそうだ。金網を張ってあるのは、「トレビの泉」みたいにコインを放り込む不届きな観光客がいっぱい出て来たからだそうだよ。
実は、第2窟のみものは仏像よりも壁や天井一面にびっしりと描かれた壁画。その総面積は2100平方メートルにもなるそうだ。今まであちこちの石窟寺院を見てきた。インドのアジャンター石窟、シルクロード・クチャのキジル千仏洞、クムトラ千仏洞、敦煌の莫高窟などなど。規模ではそれらの石窟寺院にはかなわないけど、これだけ壁画で埋め尽くされた石窟は他にない。これを見ただけでもスリランカに来た価値がある。
ブッダの生涯やスリランカの歴史がところ狭しと描かれている。これは降魔成道印を結んだブッダ。お悟りを開かれたところだ。
2000年も経ってるのにえらく綺麗に残っていると思うけど、実はわれわれが見てるのはそんなに古いもんじゃないんだ。何故かと言うと、信者さんが焚くお香で壁画が黒く煤けてしまう度に修復されたそうで、今見ているのは18世紀に描かれたものなんだってさ。文化財保護の観点からすると、とんでもないことをやっちゃったわけだ。でも、坊さんたちは文化財として石窟を守ってるわけじゃなく、あくまでも信仰の対象だから、まあ仕方ないんだけど、やっぱり残念だね。
第2窟を出ると、池には睡蓮。蓮じゃないよ。葉に深い切れ込みがあるし、水面より高く出た葉が無いから、これは睡蓮。透き通るような青紫が美しい。青い睡蓮はスリランカの国花。ところで、日本の国花は知ってる?パスポートの表紙には菊が描かれてるけど、実は正式には決まってなくて、菊と桜の両方がいちおう国花なんだってさ。
第3窟の入り口。第3窟はマハー・アルト・ヴィハーラ、「偉大な新しい王の寺」と呼ばれている。18世紀後半の王、キルティ・スリ・ラージャーハーが、倉庫として使われていた石窟を広げてチャイティア窟としてもので、57体の仏像がある。
これがご本尊のブッダ座像。
並んで写真撮ってみたけど、何となく僕に似てない?ブッダと僕が似てるはずないか(笑)。実は仏さんと並んで写真撮るのは御法度。理由は簡単、仏さんに尻向けてるからね。後から聞いて、知りました。ご免なさい。
これも足の指が揃ってるから涅槃仏じゃなくて、寝釈迦。全長9mある。
続いて第4窟、パッツィーマ・ヴィハーラ「西洋の寺」。キャンディ王朝末期に造られた、比較的小さな石窟で、途端に狭く感じる。右の方に比較的新しい黄色に塗られた仏像があるの、分かるかな。実はこれ、以前に観光客がこの仏像の手のひらに座り写真撮影をしたため、法力が失われたとして、もとの塗りを剥がして塗り直したんだってさ。マナーはしっかり守りましょうね。(おまえが言うな)。
最後に第5窟。デワナ・アルト・ヴィハーラで、「最も新しい寺」の意味で、 1915年に作られた最も新しい石窟。狭い石窟に寝釈迦像が窮屈そうに収められてる。ご免、撮影に疲れて足元だけ。
40分ほど石窟を見学して外に出ると、光が眩しい。遠くには明日登るシーギリヤ・ロックも見える。
帰りは正規の階段を降りた。
かなり急勾配で、これ登らなくて良かったよ。ほんと。
その途中で会ったのが、この兄ちゃん。なにやら骨董品を売っている。みんなは素通りして行ったけど、骨董品を売っているのを見ると見捨てておけないのが僕。
で、買ったのがこのコイン。V・O・Cと書かれているよね。V・O・Cはオランダ東インド会社の略。オランダ東インド会社は1658年から1796年までスリランカを支配していた。1737年の発行だから本物に間違いないだろう。3,000ルピー(2,250円)の言い値を、時間が無いので、2,000円で買った。また新しい世界史の授業で使えるアイテムが増えたけど、3月に学校退職するのに使うことあるんかね。無駄な買い物だったかもね。(つづく)
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8月2日(水)
われわれを最初に出迎えてくれたのはお猿さん。頭頂部の毛が帽子のように見えるから、スリランカの固有種のトクモンキーだ。小猿だけかと思ったら、周りには大人の猿がいてこっちを睨んでいる。なっちゃんがおしっこしたいと言うんで、その辺の藪でさせようとしたら近づいて来る。猿と目を合わせると襲ってくることがあると奥村君に聞いているので、猿のいない所まで我慢させた。
履き物を預け、裸足になって境内を進む。
この岩山には多くの洞窟があり、現在80ほど確認されている。これらの洞窟は紀元前3世紀頃からすでに修行僧が生活するためのビハーラ窟として使われていたそうだ。紀元前1世紀、シンハラ王朝第19代国王のワラガムバー王はタミル人によってアヌラーダプラから追放され、この洞窟で保護されたそうだ。15年後にアヌラーダプラへ帰還した国王は、感謝の念を持って礼拝を行うためのチャイティア窟を造営したのが、この石窟寺院の始まり。インドのアジャンター石窟よりはやや新しい。
小さなカメラマン、いやカメラウーマンも撮影に余念がない。
さあ、中に入るよ。ダンブッラ石窟寺院は全部で5窟あるが、先ずは第1窟から。正式にはデーワ・ラージャ・ヴィハーラ、「神々の王の寺」で、ダンブッラでは一番古い石窟。
この窟の主は涅槃仏。全長約14メートルと巨大な涅槃仏で、狭い窟内に目一杯に横たわっておられる。インド最大の涅槃仏はアジャンター第26窟のもので全長7メートルだから、その2倍もある。したがって、全身をカメラに収めるのは難しい。
足元から撮すとこんな具合で、今度はお顔がよく見えなくなってしまう。こんな大きな仏像をあとから運び込むことは出来ないから、この涅槃仏が壁と同じ自然石に彫られたものだということが分かる。ところで、この涅槃仏の身体は黄金色なのに、足の裏は真っ赤。花火のような花模様がいくつも描かれている。仏足には普通は法輪を描くんだけど、この模様は法輪らしくない。スリランカの仏教徒が法輪を花模様と間違ったんかね。
スリランカで仏像の足の裏を赤くするのは、紀元前5世紀にヴィジャヤ王がインドから到着した際に、彼の手のひらが真っ赤であったことに由来していると「地球の歩き方」には書いてある。でも、ネットで見るとヴィジャヤ王の足の裏がスリランカの赤土で赤く染まったからだとなっていて、こっちの方が信憑性があるけど、王さまの足であってブッダの足ではない。
スリランカは赤道に近いため太陽光線の強さは半端ではない。滞在中の最高気温は38度で、最近の日本でもそれに近い気温の日があるから、さほど驚かないが、なんせ日差しは強い。スリランカのお寺では靴を脱いでお参りするので、戸外の日当たりだといくら靴下を履いていても足の裏が焦げそうになる。
実はブッダはスリランカを遊行して歩かれており、足の裏が火傷して真っ赤になっちゃったと思いたい気持ちが足の裏を赤くさせたというのが僕の説だけど、どう?
ところが、ブッダのお顔をアップにすると、どう見ても眼を開けていらっしゃる。眼を開けたまま涅槃に入られたんか?下半身は亡くなったけど、上半身はまだ生きておられる?なんか不自然だけど、まあいいか。
第1窟には他に5体の仏像が置かれているが、ブッダの足元に立っている赤い衣を着た像は弟子のアーナンダ(阿難)だそうだ。そーなんだ。(笑)
アーナンダはブッダの従兄弟にあたり、ブッダの晩年から亡くなるまでの25年の間、片時もブッダのそばを離れることなく誠心につかえ、その教えを最も多く記憶していたということから、「多聞第一」とされている。でも、ちょっと疑問が残るな~。
何故かと言うとね、日本で描かれる涅槃図の中の阿難は写真のように、ブッダが亡くなった余りの悲しみで気絶してしまった姿で描かれる。
これはクシナガラの涅槃堂のアーナンダ。涅槃仏の台座に彫られているが、このアーナンダは気絶はしていないが、悲しみに暮れている様子はうかがえる。でも、ダンブッラのアーナンダ像は悲しんでいるようには見えないし、おまけに突っ立ってる。なんか違うと思うんですけどね。
午後1時30分にスパイスガーデンを出発、50分ほどでダンブッラに到着。ダンブッラはマータレーの北46キロ、文化三角地帯の三角の重心の位置にある。石窟寺院は高さ180メートルほどの岩山の頂上付近にあり、正規の参道は380段ほどの階段を登らなければならない。そんなとこ登ったら足が壊れてしまって、明日シーギリヤ・ロックに登れなくなるから、横着して脇道を中腹までバスで行き、そこから坂道を登った。それでもかなりしんどい。
われわれを最初に出迎えてくれたのはお猿さん。頭頂部の毛が帽子のように見えるから、スリランカの固有種のトクモンキーだ。小猿だけかと思ったら、周りには大人の猿がいてこっちを睨んでいる。なっちゃんがおしっこしたいと言うんで、その辺の藪でさせようとしたら近づいて来る。猿と目を合わせると襲ってくることがあると奥村君に聞いているので、猿のいない所まで我慢させた。
10分ほどで石窟寺院の入り口に到着。
履き物を預け、裸足になって境内を進む。
6色の仏旗がはためている菩提樹。仏旗は左から青、黄、赤、白、橙、そして一番右の列には5色を上から順番に並べた縞模様となっており、1885年にコロンボ委員会で仏教のシンボルとして採択された。
この岩山には多くの洞窟があり、現在80ほど確認されている。これらの洞窟は紀元前3世紀頃からすでに修行僧が生活するためのビハーラ窟として使われていたそうだ。紀元前1世紀、シンハラ王朝第19代国王のワラガムバー王はタミル人によってアヌラーダプラから追放され、この洞窟で保護されたそうだ。15年後にアヌラーダプラへ帰還した国王は、感謝の念を持って礼拝を行うためのチャイティア窟を造営したのが、この石窟寺院の始まり。インドのアジャンター石窟よりはやや新しい。
小さなカメラマン、いやカメラウーマンも撮影に余念がない。
さあ、中に入るよ。ダンブッラ石窟寺院は全部で5窟あるが、先ずは第1窟から。正式にはデーワ・ラージャ・ヴィハーラ、「神々の王の寺」で、ダンブッラでは一番古い石窟。
この窟の主は涅槃仏。全長約14メートルと巨大な涅槃仏で、狭い窟内に目一杯に横たわっておられる。インド最大の涅槃仏はアジャンター第26窟のもので全長7メートルだから、その2倍もある。したがって、全身をカメラに収めるのは難しい。
足元から撮すとこんな具合で、今度はお顔がよく見えなくなってしまう。こんな大きな仏像をあとから運び込むことは出来ないから、この涅槃仏が壁と同じ自然石に彫られたものだということが分かる。ところで、この涅槃仏の身体は黄金色なのに、足の裏は真っ赤。花火のような花模様がいくつも描かれている。仏足には普通は法輪を描くんだけど、この模様は法輪らしくない。スリランカの仏教徒が法輪を花模様と間違ったんかね。
スリランカで仏像の足の裏を赤くするのは、紀元前5世紀にヴィジャヤ王がインドから到着した際に、彼の手のひらが真っ赤であったことに由来していると「地球の歩き方」には書いてある。でも、ネットで見るとヴィジャヤ王の足の裏がスリランカの赤土で赤く染まったからだとなっていて、こっちの方が信憑性があるけど、王さまの足であってブッダの足ではない。
スリランカは赤道に近いため太陽光線の強さは半端ではない。滞在中の最高気温は38度で、最近の日本でもそれに近い気温の日があるから、さほど驚かないが、なんせ日差しは強い。スリランカのお寺では靴を脱いでお参りするので、戸外の日当たりだといくら靴下を履いていても足の裏が焦げそうになる。
実はブッダはスリランカを遊行して歩かれており、足の裏が火傷して真っ赤になっちゃったと思いたい気持ちが足の裏を赤くさせたというのが僕の説だけど、どう?
ブッダの足の指をよく見てもらうと、やや右足と左足がややずれているのが分かるよね。これは、ブッダでも自身をもう制御できない状況になった、つまり、亡くなってしまったことを意味している。
ところが、ブッダのお顔をアップにすると、どう見ても眼を開けていらっしゃる。眼を開けたまま涅槃に入られたんか?下半身は亡くなったけど、上半身はまだ生きておられる?なんか不自然だけど、まあいいか。
第1窟には他に5体の仏像が置かれているが、ブッダの足元に立っている赤い衣を着た像は弟子のアーナンダ(阿難)だそうだ。そーなんだ。(笑)
アーナンダはブッダの従兄弟にあたり、ブッダの晩年から亡くなるまでの25年の間、片時もブッダのそばを離れることなく誠心につかえ、その教えを最も多く記憶していたということから、「多聞第一」とされている。でも、ちょっと疑問が残るな~。
何故かと言うとね、日本で描かれる涅槃図の中の阿難は写真のように、ブッダが亡くなった余りの悲しみで気絶してしまった姿で描かれる。
これはクシナガラの涅槃堂のアーナンダ。涅槃仏の台座に彫られているが、このアーナンダは気絶はしていないが、悲しみに暮れている様子はうかがえる。でも、ダンブッラのアーナンダ像は悲しんでいるようには見えないし、おまけに突っ立ってる。なんか違うと思うんですけどね。
天井にはびっしりとフレスコ画が描かれていて、狭い空間なのでやや息苦しい。
やっと第1窟を出てほっとする。と、第1窟の左側に見慣れた神さまの絵が。右の神さまはヒンドゥー教の3大神の一つであるヴィシュヌ神。ガルーダという鷲に乗ってるはずなんだけど、なんか鳩みたいに見えるね。左の神さまはヴィシュヌ神の奥さんのラクシュミーだろうね。仏教では吉祥天。赤い蓮に乗っておられるので間違いないだろうけど、後ろになんで孔雀がいるんだろう。
管理人さんがいるんで、怒られるかと思って内部の写真は撮らなかったんだけど、中にはブッダとともにヴィシュヌ神が祀られており、第1窟の「神々の王の寺」の名前の由来になっている。スリランカはインドの影響を強く受けており、当然ヒンドゥー教が入って来ていても不思議ではないんだけど、スリランカは仏教国だという固定観念があって、まさかヒンドゥー教の神さまが祀られているとは思いもしなかった。やっぱ、現地に来ないと分からんこと一杯あるよね。目から鱗が落ちちゃった。(世界史の教師なのに勉強不足)。
このあと第2窟から第5窟まで続くんだけど、読んでるみんなは退屈だろうから、続きはまた今度ね。(つづく)
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管理人さんがいるんで、怒られるかと思って内部の写真は撮らなかったんだけど、中にはブッダとともにヴィシュヌ神が祀られており、第1窟の「神々の王の寺」の名前の由来になっている。スリランカはインドの影響を強く受けており、当然ヒンドゥー教が入って来ていても不思議ではないんだけど、スリランカは仏教国だという固定観念があって、まさかヒンドゥー教の神さまが祀られているとは思いもしなかった。やっぱ、現地に来ないと分からんこと一杯あるよね。目から鱗が落ちちゃった。(世界史の教師なのに勉強不足)。
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