fc2ブログ

なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

カテゴリ

最新記事

fc2カウンター

Facebook

月別アーカイブ

最新トラックバック

最新コメント

リンク

検索フォーム

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

インド洋の真珠スリランカーアヌラーダプラ②

8月4日(金)

src_40450987_convert_20180125161129.jpg  

 スリランカの史書によると、この島に仏教が伝来したのは、ヴィジャヤから数えて6代目のデーヴァーナンピヤ・ティッサ王(前260~210年)の時代であり、それを伝えたのはマウリヤ朝の全盛期を築いたアショーカ王の王子のマヒンダ長老であったという。これは世界史で習ったと思うけど、もうちょっと詳しく説明しようね。

 アショーカ王は、王子の時代に西インドの太守であったとき、この地の長者の娘との間に男児マヒンダと女児サンガミッターをもうけた。アショーカ王はカリンガ征服の際に多くの血を流したことを悔い仏教に帰依するが、その後、モッガリブッタ長老の勧めに従ってマヒンダとサンガミッターの出家を許した。

 アショーカ王の保護下に第3回の仏典結集【ぶってんけつじゅう】を主宰したモッガリブッタ長老は、この結集で正統と公認された上座部の仏教を遠隔地に伝えるため、大伝道事業に着手し、その一環としてマヒンダと4人の長老にスリランカ布教を命じた。

 マヒンダ一行は。まず彼の故郷の西インドに向かい、そこにしばらく留まったあと、空中に昇ってスリランカのミッサカ山(ミヒンタレー)の頂上に降下した。狩猟中のデーヴァーナン王は、その場でマヒンダに会見して大いに喜び、仏教に帰依した。紀元前247年6月の満月の日だったといわれており、マヒンダにちなんで、この地はミヒンタレーと呼ばれるようになった。二人が出会った地には現在アムバスタレー大塔が建っているが、今回の旅では残念ながら訪問できなかったので、写真はネットから借りてきた。

196_photo_isurumuniyav-ihara_convert_20180122154417.jpg

 イスルムニア精舎はスリランカ最古の寺院。日本における最古の寺院である飛鳥寺のようにこぢんまりとしたお寺だ。 平坦で起伏の少ないアヌラーダプラで、ここだけ聖性を主張するように10メートルほどの岩が屹立しており、その岩をくり抜いて本堂としているので、通称はロック・テンプルと呼ばれている。もとは石窟僧院であったが、その一部が残され、修復後に寺院となったもので、比較的最近になって石窟を覆うような形で、今の本堂の建物が建てられた。右手が本堂で、左手は宝物館、岩の上には白いダーガバ(仏塔)が見える。

DSC03165_convert_20180127161707.jpg

 本堂の右手には大きな沐浴池がある。

DSC03141_convert_20180125150347.jpg

 岩肌には可愛い象が彫られているが、象さんも沐浴してるようだね。おまけに、この象さん笑ってるよ。笑ってる象さんはスリランカでここだけなんだって。

DSC03144_convert_20180125150505.jpg  

 馬と豊穣の神パリジャニのレリーフと、『地球の歩き方』などには書いてあるんだけど、これがよく分からない。火の神アグニも彫られているらしいので、パリジャニはバラモン教の神だと思われる。バラモン教の神にパルジャニヤという雨の神がいて、これがパリジャニに変化したんだろう。雨は地上の植物を育て、豊かな恵みとなって人々にもたらされるから、豊穣の神とされるのは問題ない。

 問題は横にいる馬。普通インドの神さまの横に動物が書かれていれば、その動物はその神さまの乗り物になる。一番有名なのはシヴァ神の乗り物であるナンディという牛。でも、馬を乗り物にしている神さまは聞いたことがない。サールナートのアショーカ王柱には象・牛・ライオンと並んで馬も彫られているから、いちおう馬も聖獣なんだろうけど、馬はあまり重視されていない。なのに、何故ここに馬が彫られているのか?ウマく説明できる人、ウマせんか?。あっ、いませんか?

 まあいずれにしてもバラモン教の神さまが掘られているということは、この岩山はもともとバラモン教の聖地だったということだ。

 
iStock-520768086_convert_20180127165355.jpg

 さあ、本堂から入ろうか。ここにもムーンストーンとガードストーン。

DSC03142_convert_20180125150429.jpg 

 階段外側にも見事な彫刻。下は象さんだけど、上はライオン?口から長い舌を出しているようにも見えるけど、ドラゴンか?謎のまま。

DSC03145_convert_20180128110954.jpg

 本堂に入る前に小さな御堂があり、中にはブッダの座像が安置されている。この像はマヒンダが技術者を連れてきて作成させたものと言われており、スリランカ最古の仏像ということになる。日本で言えば飛鳥寺の飛鳥大仏だね。大切な仏像だからガラスケース入れられており、そのために光の反射でうまく撮影できない。一番真ん中に写ってるのは僕の影。ブッダの体内に僕が入ったみたいで、悪い気はしないな。

DSC03148_convert_20180128111044.jpg

 本堂の涅槃仏。スリランカに来て随分と涅槃仏を見て来たので、もうお分かりですよね。上になっている左足がやや後方にずれてるんで、紛れもない涅槃仏。木像に見えるけど、岩を切り出して造られたものだ。足の指はピンク色だし、衣は真っ赤、なんとも派手な色合いだけど、この本堂の総ての石像の彩色は、日本の浅草寺の援助でおこなわれたんだって。

 スリランカでは仏像が色落ちするとすぐに塗り替えちゃうんで、見た目に新しいと思っても実は古い仏像であることが多い。日本人は彩色が落ち、木肌に虫食いの跡が残る木像仏にわびさびを感じ、けばけばしい色合いに仏像やピカピカの仏像に厳かさを感じないけど、奈良時代の仏像も造られた時はスリランカの仏像のように極彩色で彩られてたんだよね。

20170612-121835-largejpg_convert_20180128154401.jpg

 涅槃仏の頭の横の4体の仏像は、真ん中の朱色の衣の座像と立像はブッダで、向かって右はサーリプッタ(舎利弗)、左の茶色の衣はアーナンダ(阿難陀)だそうだ。ソーナンダ。

DSC03149_convert_20180128111115.jpg 

 本堂の一番奥は、巨石群に繋がっており、洞窟状になっている。そう、スリランカ初の仏教僧イスルムニヤさんは、ここで儀式を受け出家の身となられたんだそうだ。

DSC03150_convert_20180128111200.jpg

 仏像に供えられた造花が美しい。信者さんの手作りかね。日本人にはこうした素朴な信仰心が無くなって来ているようで、なんか寂しいね。

DSC03151_convert_20180128163352.jpg 

 ちなみに仏像の上の岩にくっついているものが何か分かる?これ「燕の巣」なんだってさ。「燕の巣」と言えば、アナツバメが唾液腺の分泌物で作る巣で、僕なんか一度も食べたことのない広東料理の高級食材。これ剥ぎ取って持って帰ったら高く売れるんかね、なんて馬鹿なことを考えなさんな、こんな神聖な場所で。
 すんません。さあ、次は宝物館へ行こう。(つづく)

↓ ランキング挑戦中  Brog Rankingのバナーをポチッと押してね! 
スポンサーサイト



テーマ:海外旅行 - ジャンル:旅行

【 2018/03/26 14:03 】

インド洋の真珠スリランカ  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

インド洋の真珠スリランカーアヌラーダプラ①

 8月4日(金)

DSC03134_convert_20180121160332.jpg 

 午前9時50分にアウカナ・ブッダをあとにして、アヌラーダプラに向かった。アヌラーダプラはシンハラ王朝の最初の都が置かれた町で、その歴史はヴィジャヤ王の統治から始まるとされる。ここでスリランカの建国伝説についてお話しようと思うのだが、長くなるのでスリランカで見かけた美しい花の写真をご覧いただきながら、読んでいただこう。この白い花は夾竹桃の仲間のプルメリア。

DSC03137.jpg

 大胡蝶。花もその名前も美しい。

 さて、この国の年代記には次のような話が載っている。ヴァンガ国の王女がマガダ国に赴く途中、ラーラ国でライオンに襲われ、洞窟の中でそのライオンと同棲して男児と女児を産んだ。男児のシーハバーフは16歳になったとき母と妹を連れて洞窟から抜け出し、ヴァンガ国に戻った。そして妻子の行方を求めてやって来た父を殺したあと、ラーラ国に移って王となり、妹を妃とした。

 シーハバーフには32人の王子があったが、長男のヴィジャヤは700人の従者と組んで乱暴な行為に明け暮れたため、父王の怒りをかって追放の身となった。

DSC03135.jpg 
 
 黄花大胡蝶。

 ヴィジャヤと従者を乗せた船はスッパーラカ、バールカッチャといった港に立ち寄ったあと、スリランカ島に上陸した。ヴィジャヤは島の夜叉【やしゃ】女クヴァンナーに勝ったあと、この夜叉女の助けを借りて島に住む夜叉を滅ぼし、都城を建設して彼女とそこで暮らした。彼の部下もそれぞれ町を建設し、そこに住んだ。

DSC03146_convert_20180121160409.jpg

 前にも紹介したサンタンカ。

その後、ヴィジャヤは南インドのマドゥライからパーンディヤ朝の王女を迎えて王妃とし、即位式を挙げた。部下たちもそれぞれ同国から妻を迎えた。落胆した夜叉女は、ヴィジャヤとの間にもうけた1男1女を連れて都を去ったが、途中で人々に殺されてしまった。二人の子供は逃れて山に入り、山岳民族の祖となった。

 ヴィジャヤ王のスリランカ上陸はブッダの涅槃の日のことであったとされるが、スリランカではブッダの涅槃は紀元前544年としているので、この年がシンハラ王国の建国の年ということになる。日本じゃまだ縄文時代だね。

a1555b575c693eaf15b57dde038b5b31_convert_20180108114351.png

 ということで、ヴィジャヤの家系がライオン(シーハ)の血を引くため、移住者の子孫は自分たちをシーハラ(シンハラ)、自分たちの住む島をシーハラ・ディーバ(島)と呼んだ。これが、アラビア人によってセランディーブと訛って呼ばれ、ポルトガル人によってセイラーン、イギリス人によってセイロンとよばれるようになった、という訳だ。

 だから、スリランカの国旗にはライオンが描かれている。これ、前にも話したかな。

 ヴィジャヤはインドのどこからやって来たんだろう?今の話でヴァンガ国はたぶんベンガルのことだし、マガダ国の名前も出てきているから東インドかなと思ってしまうけど、これは建国者の故郷を仏教誕生の地に重ね合わせたい気持ちからだろうね。ライオンが棲息していたのは西インドとされているので、西インドが出身地で、そこからインド西岸を南下してスリランカに移住したと思われる。

 アヌラーダプラが首都に定められたのは、それから約150年後の紀元前380年、第5代王パンドゥカーバヤの時代である。それから約1400年間、アヌラーダプラはシンハラ王朝の都として繁栄した。

IMG_0001_NEW_0001_convert_20180122154257.jpg

 ところで、ヴィジャヤが夜叉族を滅ぼしたということだけど、もともとこの島は夜叉や羅刹【らせつ】など魔物が住む島として知られていた。アーリヤ系の連中が先住民族のことを魔物扱いしてるんだろうけど、写真は羅刹王ラーバナ。頭が10個もある魔物だけど、世界史で習ったインドの二大叙事詩の『ラーマーヤナ』に出てくる化け物だ。

IMG_NEW_0007_convert_20180122154329.jpg

 左が英雄ラーマで右が愛妻のシータ姫。『ラーマーヤナ』はシータ姫がランカー島に住むラーバナに誘拐され、それをラーマが取り返すというお話だったよね。現在の国名は「ランカー」に「高貴な」とか「光輝く」という意味の「スリ」を頭につけて「スリランカ」だ。

id_pst_176b_convert_20171219151201.jpg

 この時にラーマを助けたのが猿王ハヌマーン。島に住む魔物を猿を連れて退治した、というと桃太郎を思い出すよね。『ラーマーヤナ』は日本の『桃太郎』の原形じゃないかって言われてるんだよ。
 

 午前11時、建国伝説を話しているうちにアヌラーダプラのイスルムニア精舎に着いた。ちょっと一服してから中に入ろう。(つづく)

↓ ランキング挑戦中  Brog Rankingのバナーをポチッと押してね!

テーマ:海外旅行 - ジャンル:旅行

【 2018/03/18 08:48 】

インド洋の真珠スリランカ  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

インド洋の真珠スリランカーアウカナ・ブッダ

8月4日(金)

DSC03128_convert_20180117165104.jpg 

 午前7時、朝食。メニューはフランクフルト、ベーコン、ゆで卵にサラダ。写真には写ってないけど、ゴーヤジュース。

DSC03130.jpg

 名前聞くの忘れたけど、レストランで3日間僕たちの世話をしてくれたボーイさん。

IMG_NEW_0006_convert_20180118153204.jpg
 
 今日はシンハラ王朝最初の都が置かれたアヌラーダプラに向かうんだけど、ちょっと寄り道して先ずはアウカナへ。アウカナはハバラナから西約30キロにあり、ホテルを午前8時に出発し、約1時間で到着した。写真のアウカナ・ブッダを見るためだけの目的で、ここに立ち寄った。

 アウカナ・ブッダの正面はテラス状になっているので、ここで記念写真を撮る。ここはガル・ヴィハーラみたいに厳しくはないけど、ブッダにお尻を向けて撮影することは禁止されている。だから、ブッダの正面は避け、少しずらして撮さないといけない。

IMG_1181_convert_20180117165333.jpg

 アウカナ・ブッダはスリランカの5大仏像のひとつに数えられている。巨大な貯水池カラー・ウェワを建設したダートゥセーナ王がその記念として建立したんだって。ダートゥセーナ王はシーギリヤ・ロックの頂上に宮殿を造った狂気と孤独の王カーシャパ王の親父さんだ。

 蓮の台座から頭の先までの高さは約11.36メートル。昨日見たガル・ヴィハールの立像が7メートルだから、その大きさに圧倒される。右手に注目して欲しい。施無畏印なら手のひらを正面に向けるんだけど、そうじゃない。腕を折り曲げたポーズはアブハヤ・ムドラと言われ、人々の安寧を祈る姿だそうだ。

3956a3154008a0b40cd0f542eaab525f_convert_20171212170402.jpg

 そう言えば、ダンブッラ石窟寺院にずらっと並んでいたブッダはみんな同じポーズをしていたよね。あの時は暗いこともあって気がつかなったけど、なんか「いよっ!」って挨拶されているみたいな違和感を感じてた。

IMG_0321_convert_20180117165238.jpg

 この仏像の鼻から水を垂らすと、真っ直ぐ下、ちょうど足と足の間に落ちるそうで、この仏像の設計がいかに優れているかが分かる。この仏像は1600年前に建てられた当時のままで、傷らしい傷もない。スリランカでは地震もあるだろうに、一度も倒れたことがないというのは奇跡に近い。この仏像は1枚岩から掘り出されており、後ろの部分は岩に繋がっていることも倒れない大きな理由だけど、緻密な設計も関係してるんだろうね。

IMG_0321_convert_20180118161102.jpg

 あっ、1箇所だけ修理したところがあるんだった。頭の上に火焔状のものが乗っかってるよね。これシラスパタと言って、ブッダが現世にいることを表すシンボルなんだってさ。この部分のダメージが酷かったんで、20世紀に新しく付け替えたんだって。

120a0dd5_convert_20180119161237.jpg

 シラスパタはスリランカの仏像にだけあるもので、普通僕らが見る仏像の頭の上にも盛り上がっている部分があるけど、これは肉髻【にっけい】と言うんだ。写真のガンダーラ仏にも見事な肉髻が乗っている。これブッダの特徴である三十二相の一つで、ブッダの計り知れない智慧で脳味噌がパンパンになって隆起したことを表している。三十二相にはその他に、眉間に白い毛が渦巻いている白毫相【びゃくごうそう】、お◯ん◯んが体内に隠されている陰蔵相【おんぞうそう】、扁平足なんかがあるよ。僕は扁平足だけブッダと一緒だ。

 さっきのアウカナ・ブッダの写真をもう一度見てみて。ガンダーラ仏と違って眉間の白毫が無いよね。これ南インドの様式なんだってさ。
 


P1040696_convert_20180121141437.jpg 

 さあ、みんなで記念写真撮るよ~、ブッダに尻を向けないように斜に構えて、並んで。あれっ、Oさんがいない。なにっ、疲れたから駐車場で休んでるってか。まあ、いいや。また、次の旅行でもアウカナなんちゃって。

 アウカナ・ブッダはガル・ヴィハーラと違って無粋な屋根がなくて、すっきりしてる。でも、もともとは仏像を保護するために赤煉瓦の囲いとアーチ状の屋根があったんだってさ。それが景観をそこねると言うことで、1999年にはずしちゃったそうだ。ガル・ヴィハーラは逆に最近屋根をつけちゃった。スリランカ政府、えらい混乱してますね。(つづく)


↓ ランキング挑戦中  Brog Rankingのバナーをポチッと押してね!

テーマ:海外旅行 - ジャンル:旅行

【 2018/03/08 16:23 】

インド洋の真珠スリランカ  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |
 | ホーム |