なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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8月4日(金)
アヌラーダプラでの参観がすべて終わり、午後1時30分昼食。場所はTHe Lakeside at Nuwarawewa、 ヌワラウェワ・レイクサイド・ホテルのレストラン。ウェワは湖といっても人工の灌漑用貯水池のことだったよね。
チーズも入ったグリークサラダ。
メインはチキンのチーズとハーブ詰め。
フルーツも彩り鮮やかに。
レストランの隣のプールサイドには素敵なマダムが日光浴しながらタブレットで読書かな。失礼して望遠でパチリ。
またもプールサイドですが、今度は宿泊しているシナモン・ロッジのプールサイド。午後3時に昼食を終えて4時10分にホテルに帰った。夕食までの時間、僕と奥さんはなっちゃんのプール遊びに付き合う。あとの4人は昨日に続いてアーユルヴェーダ。
なんせ、昨日なっちゃんは爺と婆のアーユルヴェーダに2時間も付き合ってくれたから、今日はそのお返し。
爺も婆も人様に見せられるような身体ではないので、ただただなっちゃんの泳ぐ姿をプールサイドのソファに座って見るだけ。
ふと目を上げると、向こうから可愛いだろうと思われる子がこちらのほうに向かって来る。
おや、リスが来た。お前にも言葉通じしんな~。な~にもせんと、ボオッーとすること1時間あまり。日本では考えられない時間が過ぎて行った。
午後8時より夕食。今日のメニューはステーキ、烏賊のサラダ、ポーク、ポテトとシーフードフライ。すべて酒の肴。それにしても色合い悪いな。
ここんとこ野菜不足なんで、シーザーズサラダを追加。スリランカも残すところあと1日。ゆっくり寝て明日に備えようなんて考えは誰にも無く、この後二次会でまたへべれけ。お休みなさ~い。(つづく)
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まず出て来たパンにはなんと唐辛子が。だが、これがなんとも美味い。
チーズも入ったグリークサラダ。
ほうれん草のスープ。
メインはチキンのチーズとハーブ詰め。
なっちゃんが選択したシーフードも美味しそう。それにしても、なっちゃんは魚が好きですね~。
フルーツも彩り鮮やかに。
最後のスィーツまで大変美味しうございました。ポルトガル、オランダ、イギリスと長い間ヨーロッパ列強に支配されたせいか、食事も洗練されている。
レストランの隣のプールサイドには素敵なマダムが日光浴しながらタブレットで読書かな。失礼して望遠でパチリ。
またもプールサイドですが、今度は宿泊しているシナモン・ロッジのプールサイド。午後3時に昼食を終えて4時10分にホテルに帰った。夕食までの時間、僕と奥さんはなっちゃんのプール遊びに付き合う。あとの4人は昨日に続いてアーユルヴェーダ。
なんせ、昨日なっちゃんは爺と婆のアーユルヴェーダに2時間も付き合ってくれたから、今日はそのお返し。
爺も婆も人様に見せられるような身体ではないので、ただただなっちゃんの泳ぐ姿をプールサイドのソファに座って見るだけ。
そのうち、なっちゃんはプールの中で倒立を繰り返すようになり、僕もだんだん飽きてきた。
ふと目を上げると、向こうから可愛いだろうと思われる子がこちらのほうに向かって来る。
ほら、やっぱり可愛い。隣に行ってお話したいけど、なんせ言葉がなあ~。海外来るたびに英語が喋れないことを痛感して、帰国後なんとかしようと思うこと度々。意を決して Everyday Eglish なるものを買って、学校の行き帰りに1年あまりイヤホンで聴いたけど、さっぱり。何が聞くだけで話せるようになる、だ。

おや、リスが来た。お前にも言葉通じしんな~。な~にもせんと、ボオッーとすること1時間あまり。日本では考えられない時間が過ぎて行った。
午後8時より夕食。今日のメニューはステーキ、烏賊のサラダ、ポーク、ポテトとシーフードフライ。すべて酒の肴。それにしても色合い悪いな。
ここんとこ野菜不足なんで、シーザーズサラダを追加。スリランカも残すところあと1日。ゆっくり寝て明日に備えようなんて考えは誰にも無く、この後二次会でまたへべれけ。お休みなさ~い。(つづく)
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8月4日(金)
正体はこいつ。ネットから借りてきた画像だけど、英語名はIndian Flying Fox、「空飛ぶキツネ」と呼ばれているインドオオコウモリ。確かに顔はキツネに似ている。こいつが羽根を広げると1.5メートルにもなるというから、われわれが知っている蝙蝠に比べ桁外れに大きい。人の生き血でも吸うぞという顔をしてるけど、マンゴーやバナナの果汁を吸って生きているというから、人を見た目で判断してはいけない。あっ、人じゃなく蝙蝠だけどね。写真は撮れなかったけど、インコやリスがその辺にいて、なんとまあスリランカは自然がいっぱいなんだろうね。
それも大群でいるよ。
ルワンウェリ・サーヤ大塔はドゥッタガーマニー王(在位B.C.161~137年)の時代から建立が始まった。ドゥッタガーマニー王はイスルムニヤ精舎の「恋人の像」のサーリヤ王子のお父ちゃん。ドゥッタガーマニー王は、一度は南インドから侵略してきたタミル軍に敗れ、東南部のローハナ地方に身を潜めていたが、晩年、首都アヌラーダプラを奪回した王として名高い。歴史書『マハーヴァンサ』には次のように記されている。
この大塔は、この王の在世中には完成せず、弟の次王サダー・ティッサ王によって竣工した。死が近づき、すでに視力の衰えた兄王を思いやり、弟王は未完成の大塔が今や完成したかのように、竹と白布で大塔を覆い、兄に見せたという。
完成した大塔は、ローマ皇帝アウグストゥスに謁見したスリランカ王の特使が持ち帰ったという地中海産の珊瑚で飾られ、また、仏舎利を納める室は金銀、珊瑚、宝石などで飾りたてられ、大塔の起工式にはインド各地の仏教センターから僧たちが招聘されたという。この未曾有の大建築は東大寺の大仏と同じく、仏教と国威を発揚するモニュメントとしての性格を持ってたんだね。
当初110メートルの高さを誇った空前絶後の大塔も煉瓦造りの宿命として、外敵の攻撃や王権の弱体化などで十分な手入れが出来ないとひび割れし、そこから植物が茂り崩壊が始まる。このため何度も大修理や修復が重ねられ、そのたびに形も変化していったらしい。12世紀に最後の修理が行われ現在の形になったが、都が放棄されて以降700年間、まったく放置されたままで瓦礫の山と化してしまった。
1893年、仏教教団により再建が始められ1930年代に中世の規模と形式を再現して完成され、今日の姿となった。創建時の110メートルの半分の55メートルとなったが、それでも巨大なダーガバである。インドでは仏塔のことをストゥーパと呼ぶが、スリランカではダーガバ。
ネパール最大級のストゥーパであるボダナートは高さ36メートルだから、ルワンウェリ・サーヤ大塔はその1.5倍もある。有名なインド・サーンチーの第1ストゥーパは16メートルなんで、高さではこの大塔と比較にならない。
遠くから撮すと高さが強調されるが大きさが分からない。近くによって撮すと逆に高さが分からなくなってしまい、悔しいけど素人の写真では今イチその大きさが実感できないだろうな。それにあまりにも純白なので古い建築物であることを忘れてしまいそうになるが、これは5年に1度白さを保つために塗り替えているからだ。日本だったら国宝級の建築物に新しいペンキを塗るなんてことは許されないが、スリランカでは文化財的価値よりも信者さんの崇拝の対象としての価値が優先される。あと、下の部分の赤い帯は信者さんたちによって奉納されたもので、これも取り替えられる。
基壇にはたくさんの象さんが重い仏塔を支えるかのように並んでいる。ジャヤン君の説明では大塔の高さは388フィートで、象の数も同じく388頭いると説明してたけど、これじゃ大塔の高さが103メートルになっちゃうので、象の数も怪しいもんだ。で、何頭いるか調べても分からんかった。
で、なんでこんなたくさんの象さんがいるのかというと、これだけ巨大な建築物を築き上げるためには、不等沈下などを防ぐためのしっかりとした基盤を築く必要があった。そこで、地面を深く岩盤まで掘り下げ、砕石や粘土、鉄の網、樹脂などを充填し、大象に踏み固めさせたんだって。そのイメージで群象が並んでいるけど、これは最近のもの。
大塔の周りを時計回りに1周する。本当は右遶三匝【うにょうさんそう】と言って3回まわるのが正式なんだけど、1回に省略。熱心に祈りを捧げる姿にここにも見られる。
スリー・マハー菩提樹での読経を終えて、ルワンウェリ・サーヤ大塔に向かう。遺跡地区は公園として整備されており、石畳を700メートルほど北に歩く。大きな街路樹がつくる木陰が気持ちいい。
ふと見上げると電線に何かがぶら下がっている。写真じゃ見難いけど、一番上の真ん中少し左よりの所に何かいるの見えますかね。
正体はこいつ。ネットから借りてきた画像だけど、英語名はIndian Flying Fox、「空飛ぶキツネ」と呼ばれているインドオオコウモリ。確かに顔はキツネに似ている。こいつが羽根を広げると1.5メートルにもなるというから、われわれが知っている蝙蝠に比べ桁外れに大きい。人の生き血でも吸うぞという顔をしてるけど、マンゴーやバナナの果汁を吸って生きているというから、人を見た目で判断してはいけない。あっ、人じゃなく蝙蝠だけどね。写真は撮れなかったけど、インコやリスがその辺にいて、なんとまあスリランカは自然がいっぱいなんだろうね。
おしっこに行きたくなって、みんなに暫く待って貰ってトイレに行こうとしたら、こいつがいるよ。ホテルの周りにいっぱいいた奴、ハヌマーン・ラングールだ。なんか、おっさんみたいだ。
それも大群でいるよ。
トイレは2箇所あったんだけど、こいつらと目を合わせないようにしながら、近い方のトイレに駆け込んだ。おしっこが終わってトイレから出ようとしたら、ハヌマーン・ラングールがにょきっと手を出して来た。よく見たら猿じゃなくて怖い顔したおっさん。金くれってか。なんだよ、このトイレ有料か。こんな汚いトイレに金払えるかよと思ったけど、あまりにも怖い顔だってので、いくらか忘れたけど、金払って這々の体で逃げてきた。みなさん有料トイレには気をつけましょうね。
ルワンウェリ・サーヤ大塔はドゥッタガーマニー王(在位B.C.161~137年)の時代から建立が始まった。ドゥッタガーマニー王はイスルムニヤ精舎の「恋人の像」のサーリヤ王子のお父ちゃん。ドゥッタガーマニー王は、一度は南インドから侵略してきたタミル軍に敗れ、東南部のローハナ地方に身を潜めていたが、晩年、首都アヌラーダプラを奪回した王として名高い。歴史書『マハーヴァンサ』には次のように記されている。
この大塔は、この王の在世中には完成せず、弟の次王サダー・ティッサ王によって竣工した。死が近づき、すでに視力の衰えた兄王を思いやり、弟王は未完成の大塔が今や完成したかのように、竹と白布で大塔を覆い、兄に見せたという。
完成した大塔は、ローマ皇帝アウグストゥスに謁見したスリランカ王の特使が持ち帰ったという地中海産の珊瑚で飾られ、また、仏舎利を納める室は金銀、珊瑚、宝石などで飾りたてられ、大塔の起工式にはインド各地の仏教センターから僧たちが招聘されたという。この未曾有の大建築は東大寺の大仏と同じく、仏教と国威を発揚するモニュメントとしての性格を持ってたんだね。
当初110メートルの高さを誇った空前絶後の大塔も煉瓦造りの宿命として、外敵の攻撃や王権の弱体化などで十分な手入れが出来ないとひび割れし、そこから植物が茂り崩壊が始まる。このため何度も大修理や修復が重ねられ、そのたびに形も変化していったらしい。12世紀に最後の修理が行われ現在の形になったが、都が放棄されて以降700年間、まったく放置されたままで瓦礫の山と化してしまった。
1893年、仏教教団により再建が始められ1930年代に中世の規模と形式を再現して完成され、今日の姿となった。創建時の110メートルの半分の55メートルとなったが、それでも巨大なダーガバである。インドでは仏塔のことをストゥーパと呼ぶが、スリランカではダーガバ。
ネパール最大級のストゥーパであるボダナートは高さ36メートルだから、ルワンウェリ・サーヤ大塔はその1.5倍もある。有名なインド・サーンチーの第1ストゥーパは16メートルなんで、高さではこの大塔と比較にならない。
遠くから撮すと高さが強調されるが大きさが分からない。近くによって撮すと逆に高さが分からなくなってしまい、悔しいけど素人の写真では今イチその大きさが実感できないだろうな。それにあまりにも純白なので古い建築物であることを忘れてしまいそうになるが、これは5年に1度白さを保つために塗り替えているからだ。日本だったら国宝級の建築物に新しいペンキを塗るなんてことは許されないが、スリランカでは文化財的価値よりも信者さんの崇拝の対象としての価値が優先される。あと、下の部分の赤い帯は信者さんたちによって奉納されたもので、これも取り替えられる。
基壇にはたくさんの象さんが重い仏塔を支えるかのように並んでいる。ジャヤン君の説明では大塔の高さは388フィートで、象の数も同じく388頭いると説明してたけど、これじゃ大塔の高さが103メートルになっちゃうので、象の数も怪しいもんだ。で、何頭いるか調べても分からんかった。
で、なんでこんなたくさんの象さんがいるのかというと、これだけ巨大な建築物を築き上げるためには、不等沈下などを防ぐためのしっかりとした基盤を築く必要があった。そこで、地面を深く岩盤まで掘り下げ、砕石や粘土、鉄の網、樹脂などを充填し、大象に踏み固めさせたんだって。そのイメージで群象が並んでいるけど、これは最近のもの。
大塔の入り口には自動で表示が変わる看板がある。大塔の天辺のところを頂華って言うらしけど、これはミャンマーから寄贈されたものらしい。写真の右側の写真がそうだけど、かなりでっかい水晶みたいだね。これに太陽の光が当たるとキラキラ輝くそうなんだけど、この日はあいにく曇り空で残念ながら天辺が光り輝く写真は撮れなかった。
大塔の周りを時計回りに1周する。本当は右遶三匝【うにょうさんそう】と言って3回まわるのが正式なんだけど、1回に省略。熱心に祈りを捧げる姿にここにも見られる。
黄金の仏足。純金かね?純金ならもっと警備が厳しいだろうから、たぶん違うね。
参拝を終えての帰り道、ぐうたらな奴が。
ここにも1匹。
またもう1匹。スリランカは暑いから犬が住むとこじゃないよ。どっかへ引っ越したら。嫌だワン、てか。好きのせい、わしゃ構ワン。(つづく)
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8月4日(金)
お経本を広げて熱心にお経を読むおばさん達。何に向かってお祈りしてるんか、ってか。
お祈りの対象はこのスリー・マハー菩提樹。右の太い幹のほうじゃないよ。左のほうの金色の棒で支えられているか細い枝がとっても大切な菩提樹なんだ。
もともとこの木はアシュヴァッタ樹と呼ばれていたんだけど、ガウタマ・シッダールタがこの木の根元で悟りを開いてブッダとなられたんで菩提樹と呼ぶようになった。前にお話ししたマウリヤ朝のアショーカ王の娘サンガミッタって覚えてる。スリランカに仏教を伝えたマヒンダの妹だったよね。サンガミッタがインド・ブダガヤの菩提樹から採った枝をここへ運び、当時のデーワナンピヤ・ティッサ王が植樹したと伝えられている。
写真はインドのブダガヤのマハー・ボーディ寺院、柵の中には金剛宝座がある。われわれ仏教徒にとっては一番大切な場所、ブッダがお悟りを開かれた場所だ。世界中からやって来た仏教徒がこの菩提樹に向かって礼拝を繰り返しているけど、実は現在ここにある菩提樹は残念ながらブッダの時代のものではない。ブッダの時代のものは、6世紀にシャシャーンカ王という王さまによって切り倒されちゃったんだって。現在の菩提樹はスリランカのスリー・マハー菩提樹から育てたもので、3代目ということになる。
一心に祈りを捧げる巡礼者の姿から、彼らの強い信仰心が伝わってくる。しかし、純真に祈りを捧げる人間の姿はこうも美しいものか。スリランカに来て会う人々はみな穏やかで、刺々しいところが全くない。ブッダが心の中で生きている証拠だ。
こちらはお坊さんにご祈祷でもして貰ってるんかな。気になるのが真ん中の白い服のおっちゃん。信者さんと坊さんの間で何やってんだろう。坊さんと話ししてるみたいだけど、ご祈祷料の値下げ交渉かね。
僕たちもO君を導師にお経を唱えさせていただいた。
げっ、石垣にトカゲがいる。比較するものが写ってないんで、大きさが分からないと思うけど、体長50センチくらいかな。自然豊かなのはいいんですけど、こんな奴にはあまり遭遇したくないですな。(つづく)
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午前11時45分にイスルムニヤ精舎を出て、5分ほどでスリー・マハー菩提樹寺に到着。日本語に訳せば聖大菩提樹寺だ。道端に小さなひな鳥がチョコチョコと歩いている。
と思ったら、後ろから親鳥が。見たことのない鳥なんで調べてみたらRed-watted Lapwing。日本名はインドトサカゲリといって、チドリの仲間らしい。
お供え用の花。蓮?睡蓮?
お経本を広げて熱心にお経を読むおばさん達。何に向かってお祈りしてるんか、ってか。
お祈りの対象はこのスリー・マハー菩提樹。右の太い幹のほうじゃないよ。左のほうの金色の棒で支えられているか細い枝がとっても大切な菩提樹なんだ。
もともとこの木はアシュヴァッタ樹と呼ばれていたんだけど、ガウタマ・シッダールタがこの木の根元で悟りを開いてブッダとなられたんで菩提樹と呼ぶようになった。前にお話ししたマウリヤ朝のアショーカ王の娘サンガミッタって覚えてる。スリランカに仏教を伝えたマヒンダの妹だったよね。サンガミッタがインド・ブダガヤの菩提樹から採った枝をここへ運び、当時のデーワナンピヤ・ティッサ王が植樹したと伝えられている。
写真はインドのブダガヤのマハー・ボーディ寺院、柵の中には金剛宝座がある。われわれ仏教徒にとっては一番大切な場所、ブッダがお悟りを開かれた場所だ。世界中からやって来た仏教徒がこの菩提樹に向かって礼拝を繰り返しているけど、実は現在ここにある菩提樹は残念ながらブッダの時代のものではない。ブッダの時代のものは、6世紀にシャシャーンカ王という王さまによって切り倒されちゃったんだって。現在の菩提樹はスリランカのスリー・マハー菩提樹から育てたもので、3代目ということになる。
だから、このスリー・マハー菩提樹はブッダが悟る瞬間を目撃した菩提樹の2代目ということになる。このことはインドとスリランカ両方の文献に記録が残っていて、紀元前288年のこととされる。今から2300年も前のことで、人の手によって植えられた記録に残る世界最古の木といわれている。日本が誇る屋久杉もびっくりだね。
菩提樹ともに渡来した「カプワ」と呼ばれる人々によって代々守られ続けており、19世紀に入って、象などの野生動物からこの菩提樹を守るため、周囲に石台や鉄柵が造られ、現在は白壁の中に厳かに祀られている。
菩提樹ともに渡来した「カプワ」と呼ばれる人々によって代々守られ続けており、19世紀に入って、象などの野生動物からこの菩提樹を守るため、周囲に石台や鉄柵が造られ、現在は白壁の中に厳かに祀られている。
今も枯れることなく青々とした葉をつける菩提樹を、スリランカ人々は「生きているブッダ」と信じ、崇めてきた。現在も重要な巡礼地のひとつとして、多くの国民が祈りを捧げに来ている。
白い服に身を包み、懸命に祈りを捧げる人たち。
一心に祈りを捧げる巡礼者の姿から、彼らの強い信仰心が伝わってくる。しかし、純真に祈りを捧げる人間の姿はこうも美しいものか。スリランカに来て会う人々はみな穏やかで、刺々しいところが全くない。ブッダが心の中で生きている証拠だ。

僕たちもO君を導師にお経を唱えさせていただいた。
げっ、石垣にトカゲがいる。比較するものが写ってないんで、大きさが分からないと思うけど、体長50センチくらいかな。自然豊かなのはいいんですけど、こんな奴にはあまり遭遇したくないですな。(つづく)
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8月4日(金)
チーズも入ったグリークサラダ。
メインはチキンのチーズとハーブ詰め。
フルーツも彩り鮮やかに。
レストランの隣のプールサイドには素敵なマダムが日光浴しながらタブレットで読書かな。失礼して望遠でパチリ。
またもプールサイドですが、今度は宿泊しているシナモン・ロッジのプールサイド。午後3時に昼食を終えて4時10分にホテルに帰った。夕食までの時間、僕と奥さんはなっちゃんのプール遊びに付き合う。あとの4人は昨日に続いてアーユルヴェーダ。
なんせ、昨日なっちゃんは爺と婆のアーユルヴェーダに2時間も付き合ってくれたから、今日はそのお返し。
爺も婆も人様に見せられるような身体ではないので、ただただなっちゃんの泳ぐ姿をプールサイドのソファに座って見るだけ。
ふと目を上げると、向こうから可愛いだろうと思われる子がこちらのほうに向かって来る。
おや、リスが来た。お前にも言葉通じしんな~。な~にもせんと、ボオッーとすること1時間あまり。日本では考えられない時間が過ぎて行った。
午後8時より夕食。今日のメニューはステーキ、烏賊のサラダ、ポーク、ポテトとシーフードフライ。すべて酒の肴。それにしても色合い悪いな。
ここんとこ野菜不足なんで、シーザーズサラダを追加。スリランカも残すところあと1日。ゆっくり寝て明日に備えようなんて考えは誰にも無く、この後二次会でまたへべれけ。お休みなさ~い。(つづく)
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アヌラーダプラでの参観がすべて終わり、午後1時30分昼食。場所はTHe Lakeside at Nuwarawewa、 ヌワラウェワ・レイクサイド・ホテルのレストラン。ウェワは湖といっても人工の灌漑用貯水池のことだったよね。
まず出て来たパンにはなんと唐辛子が。だが、これがなんとも美味い。
チーズも入ったグリークサラダ。
ほうれん草のスープ。
メインはチキンのチーズとハーブ詰め。
なっちゃんが選択したシーフードも美味しそう。それにしても、なっちゃんは魚が好きですね~。
フルーツも彩り鮮やかに。
最後のスィーツまで大変美味しうございました。ポルトガル、オランダ、イギリスと長い間ヨーロッパ列強に支配されたせいか、食事も洗練されている。
レストランの隣のプールサイドには素敵なマダムが日光浴しながらタブレットで読書かな。失礼して望遠でパチリ。
またもプールサイドですが、今度は宿泊しているシナモン・ロッジのプールサイド。午後3時に昼食を終えて4時10分にホテルに帰った。夕食までの時間、僕と奥さんはなっちゃんのプール遊びに付き合う。あとの4人は昨日に続いてアーユルヴェーダ。
なんせ、昨日なっちゃんは爺と婆のアーユルヴェーダに2時間も付き合ってくれたから、今日はそのお返し。
爺も婆も人様に見せられるような身体ではないので、ただただなっちゃんの泳ぐ姿をプールサイドのソファに座って見るだけ。
そのうち、なっちゃんはプールの中で倒立を繰り返すようになり、僕もだんだん飽きてきた。
ふと目を上げると、向こうから可愛いだろうと思われる子がこちらのほうに向かって来る。
ほら、やっぱり可愛い。隣に行ってお話したいけど、なんせ言葉がなあ~。海外来るたびに英語が喋れないことを痛感して、帰国後なんとかしようと思うこと度々。意を決して Everyday Eglish なるものを買って、学校の行き帰りに1年あまりイヤホンで聴いたけど、さっぱり。何が聞くだけで話せるようになる、だ。

おや、リスが来た。お前にも言葉通じしんな~。な~にもせんと、ボオッーとすること1時間あまり。日本では考えられない時間が過ぎて行った。
午後8時より夕食。今日のメニューはステーキ、烏賊のサラダ、ポーク、ポテトとシーフードフライ。すべて酒の肴。それにしても色合い悪いな。
ここんとこ野菜不足なんで、シーザーズサラダを追加。スリランカも残すところあと1日。ゆっくり寝て明日に備えようなんて考えは誰にも無く、この後二次会でまたへべれけ。お休みなさ~い。(つづく)
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8月4日(金)
宝物館には寺院北側の王宮庭園で発見されたと言われる見物が二つある。一つは「イスルムニヤの恋人」と名づけられた恋人の像で5世紀頃の作品とされている。この男女は紀元前2世紀にこの地を治めていたドゥッタガーマニーの息子サーリヤ王子と、その恋人マーラと言われ、歴史書『マハーヴァンサ』に、そのエピソードが書かれている。どんな二人かって、気になるよね。
さあ、これが噂のお二人さん。マーラは美貌だがカーストが低く、周囲は二人の恋を認めようとしなかった。しかし、王子は諦めきれず、王子の身分を捨ててマーラと一緒になったんだって。ブ仏教ではカーストを否定している。その仏教を国の宗教としたシンハラ王朝で、カーストの違いが結婚の障害になったという話はちょいと信用できないんだけどなあ。建前と本音の違いかね。
独立後インド初の首相となったネルーは公的にはカーストを否定していたが、娘インディラがカーストに属さないゾロアスター教徒の男性と恋に落ちた時に結婚を許さなかった。これもまあ、建前と本音の違いということだ。マハトマ=ガンディーがその男性を自分の養子とすることで二人は結婚を許された。だから、ネルーの娘なのにインディラ=ガンディーなわけなんだよ。知ってた?
もっと根本的な疑問としてマーラという女性が本当にいたのか?普通にマーラといったら、ブッダが菩提樹の下で悟りを開くための瞑想に入ろうとした時に、それを妨害しようとした魔神のことを指す。だから、マーラは固有名詞ではなく、王子を誘惑する欲望を指しているのかな、と僕は思うわけです。ちなみに、マーラがブッダの修行の邪魔をした故事から、坊さんの修行の妨げになる欲望の象徴として、男性のチン◯◯を「魔羅」と呼ぶんだよ。
岩と岩の間にマッチ棒みたいなものがいっぱい並んでるけど、これがつっかい棒となって上の岩が転がってくるのを防いでるんだって。ほんな、アホな。
岩山の中腹には仏足石。ブッダが亡くなってから500年程は仏像が造られることが無かったので、代わりに菩提樹や仏足石が崇拝の対象となった。ブッダの足はご覧の通り扁平足。真ん中に彫られている法輪はブッダの教えを意味しており、指先には卍も彫られている。
展望台から東の方角にはアヌラーダプラの町全域が見渡せる。
見事な菩提樹の木。言うまでもなくブッダはこの木の下で悟りを開かれたのだが、上座部仏教では仏像よりも重要視されている。この国の仏教徒にとって誇りとされる菩提樹は、このアヌラーダプラにあるのだが、今からその菩提樹を参拝にいく。どんな菩提樹か、って。それはあとのお楽しみ。(つづく)
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本堂を出て宝物館に向かう途中の岩の裂け目。写真じゃよく分からないけど、上のほうに何やら黒いものがへばりついている。よ~く眼を凝らして見ると、なんとこれが蝙蝠【こうもり】の大群。昼間だから出て来ないだろうけど、夕方になっていっせいに飛び出してきたら、さぞかし気持ち悪いだろうね。僕のお寺でも昔は夏の夕方には飛び回っていたもんだけど、最近はさっぱり見なくなった。森の環境が悪くなってるんだろうね。
宝物館には寺院北側の王宮庭園で発見されたと言われる見物が二つある。一つは「イスルムニヤの恋人」と名づけられた恋人の像で5世紀頃の作品とされている。この男女は紀元前2世紀にこの地を治めていたドゥッタガーマニーの息子サーリヤ王子と、その恋人マーラと言われ、歴史書『マハーヴァンサ』に、そのエピソードが書かれている。どんな二人かって、気になるよね。
さあ、これが噂のお二人さん。マーラは美貌だがカーストが低く、周囲は二人の恋を認めようとしなかった。しかし、王子は諦めきれず、王子の身分を捨ててマーラと一緒になったんだって。ブ仏教ではカーストを否定している。その仏教を国の宗教としたシンハラ王朝で、カーストの違いが結婚の障害になったという話はちょいと信用できないんだけどなあ。建前と本音の違いかね。
独立後インド初の首相となったネルーは公的にはカーストを否定していたが、娘インディラがカーストに属さないゾロアスター教徒の男性と恋に落ちた時に結婚を許さなかった。これもまあ、建前と本音の違いということだ。マハトマ=ガンディーがその男性を自分の養子とすることで二人は結婚を許された。だから、ネルーの娘なのにインディラ=ガンディーなわけなんだよ。知ってた?
もう一つの「王族の像」はサーリヤ王子とマーラの結婚後のものだ。中央にドゥッダガーマニー王とその妻、王の左側にサーリヤ王子、王の妻のかたわらにマーラ。しかし、マーラのカーストが低かったために、この像の中では隅に慎ましく彫られているにすぎない、と『地球の歩き方』なんかには書いてある。
だけど、王のすぐ左手にいる人物は誰なのか、という疑問がわいてくるの僕だけか。手に払子【ほっす】らしきものを持っているんで坊さんかなと思うけど、髪の毛は長いみたいだし。これ一体だーれ?もう一つ、王は王子の結婚に反対したのに、なんで4人が仲良く像におさまってるのか、という疑問。
だけど、王のすぐ左手にいる人物は誰なのか、という疑問がわいてくるの僕だけか。手に払子【ほっす】らしきものを持っているんで坊さんかなと思うけど、髪の毛は長いみたいだし。これ一体だーれ?もう一つ、王は王子の結婚に反対したのに、なんで4人が仲良く像におさまってるのか、という疑問。
もっと根本的な疑問としてマーラという女性が本当にいたのか?普通にマーラといったら、ブッダが菩提樹の下で悟りを開くための瞑想に入ろうとした時に、それを妨害しようとした魔神のことを指す。だから、マーラは固有名詞ではなく、王子を誘惑する欲望を指しているのかな、と僕は思うわけです。ちなみに、マーラがブッダの修行の邪魔をした故事から、坊さんの修行の妨げになる欲望の象徴として、男性のチン◯◯を「魔羅」と呼ぶんだよ。
宝物館の脇から裏手に出て、展望台になっている岩山のてっぺんに向かう。今にも落ちてきそうな岩が頭上に。そう言えば、落ちてきそうで落ちない奇岩として有名だった南阿蘇村の「免の石」が、2016年の熊本地震で落ちちゃったけど、この岩大丈夫なんだろうね。

岩と岩の間にマッチ棒みたいなものがいっぱい並んでるけど、これがつっかい棒となって上の岩が転がってくるのを防いでるんだって。ほんな、アホな。
岩山の中腹には仏足石。ブッダが亡くなってから500年程は仏像が造られることが無かったので、代わりに菩提樹や仏足石が崇拝の対象となった。ブッダの足はご覧の通り扁平足。真ん中に彫られている法輪はブッダの教えを意味しており、指先には卍も彫られている。
ようやく岩山のてっぺんに到着。こうして上から見ると、まさしくロック・テンプル。岩山をうまく利用してお寺が造られている。
展望台から東の方角にはアヌラーダプラの町全域が見渡せる。
西の方角に広がる湖は灌漑用に掘られたティッサ・ウェワ湖。スリランカには灌漑用貯水池であるウェワが中小規模のものも含めると1万にものぼり、三毛作を可能にし、農業生産を飛躍的に向上させた。5世紀、グプタ朝のインドに経典を求めて旅した東晋の坊さん法顕は、帰路は海路をとりスリランカに立ち寄っている。帰国後に著した『仏国記』に当時のアヌラーダプラの溜池と灌漑技術、水管理の方法についての詳細な研究が残している。遣唐使として中国に渡った空海はこの本を読み、帰国後に香川県の満濃池の大改築を行ったという。スリランカの灌漑技術が日本に伝えられたとしたら、日本はえらい昔からスリランカのお世話になっていたわけだ。
ここにも綺麗な花が咲いている。黄色いシャワーを浴びているように見えるので、ゴールデン・シャワー。
見事な菩提樹の木。言うまでもなくブッダはこの木の下で悟りを開かれたのだが、上座部仏教では仏像よりも重要視されている。この国の仏教徒にとって誇りとされる菩提樹は、このアヌラーダプラにあるのだが、今からその菩提樹を参拝にいく。どんな菩提樹か、って。それはあとのお楽しみ。(つづく)
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