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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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なまぐさ坊主の真面目な闘病記④ーこっ、こっ、声が出ない

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 午後7時5分、手術室を出てICUへ。ICUはスマホ厳禁と言われたけど、看護師さんを拝み倒して自撮りさせてもらい、インスタとFBで無事生還をみんなに伝えた。

 
ベッドの横に奥さんと心配して駆けつけてくれた長男夫婦がいる。「わざわざ来てくれて、有り難う」と言おうとしたけど、こっ、こっ、声が出ない。そうだ、カニューレを入れている間は発声出来ないと、手術前に言われていたのをすっかり忘れていた。小学校の時に習った人体の構造を思い出してみる。発声の時には肺から口に向かって空気が送り出され、それによって声帯が振動して声になる。声帯の下に穴が開いてるから、そこから空気が漏れて声帯を振動させることが出来ない。僕は5日間声を失ってしまった。

 話すことが出来ないというのは実にやっかいなものだ。障害を持った人々の苦しみを体験し、今までの障害者への理解が如何に観念的で浅薄なものだったかを痛感させられる。身振り手振りや口の動きで意思を伝えようとするが全然伝わらない。結局、筆談という手段をとるしかないが、書くのに時間がかかり歯がゆくて仕様がない。連休に入った3日には尼崎から次男と孫が来てくれたが、孫と話しが出来ない。辛い。

  へんなところに穴が開いていると声が出ないだけじゃなく、空気が漏れるから鼻もかめないし、うんちをする時に気張ることも出来ない。(笑)
 

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 スピーチカニューレというものがある。先端に弁がついていて、発声時に空気を声帯のほうに送って発声を可能にするものだが、これに切り替えるにはいくつか条件がある。酸素吸入しなくてもSpO2(動脈血酸素飽和度)が保たれており、痰や誤嚥が少なくないと駄目だ。僕の場合は尿道カテーテルこそ一日で外されたものの、痰はやたらに出るし、唾液が気管に入り込む可能性も大で、酸素吸入も4日ほど続いた。

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 SpO2は血液中のヘモグロビンが運べる最高の状況に対し、実際にどの程度まで酸素を運べているかを意味しており、96%以上ないと駄目なんだって。パルスオキシメーターって知ってる。指にはさむだけで、このSpO2を計れる便利な機械だ。僕の場合、5月7日に酸素吸入しなくてもSpO2が97%になり、午前10時にやっとスピーチカニューレを着けることになった。ようやく話せるようになる。

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 「さあ、声を出してみてください。」

 先生に促されて声を出そうとするが、声が出て来ない。えっ、ひょっとして。手術前にK先生から、「膿を排出するために声帯の近くを触るので、声帯を痛めることが絶対に無いとはいえません」と言われている。もしかして、という不安が脳裏を横切った。42年間教師として教壇に立ち、話すことを仕事として来た。こちは今年3月に定年を迎えたのでいいが、僕には坊さんという大事な仕事がある。坊さんが声を失ったら致命的だ。

 少し焦りながら、もう一度腹の底から声を出してみる。出た~。痰がつかえてガラガラ声の上に何ともか細いが、声が戻って来た。ほっと胸をなで下ろす。

 ところが、このスピーチカニューレは弁がついているためか、かなり呼吸が苦しい。せっかく気管切開して呼吸が楽になっていたのに、最初の状態に戻った思うほどに苦しい。痰の排出が上手く行かないからみたいで、結局夕方にはもとのカニューレに戻した。というわけで、このあと10日間ほどは、寝る時にはもとのカニューレに戻し、昼間に存分に喋って、夜はだんまりという日が続くことになった。(つづく)

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【 2018/06/27 14:32 】

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なまぐさ坊主の真面目な闘病記③ー喉に穴開けちゃった

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 浅ノ川病院から救急車で金沢医科大学病院に搬送された僕は、まず救急医療センターで各種の検査を受けた後、ストレッチャーに乗せられて3階の手術部へ。そんなに難しい手術ではないみたいだけど、全身麻酔するので何が起きるかわからない。奥さんとの別れ際、「大丈夫だとは思うけど、万一のことがあったら、あとは宜しく頼む」と伝えた。悲壮感が漂う。その割に僕は余裕があり、手術室の部屋番号を確認。15号室まであったけど、あとからホームページでみたら手術室は14しかない。「4」は「死」を連想させて縁起が悪いから、4号室はないみたいだ。

 午後2時15分、いよいよ僕は手術台に乗せられ、まな板の鯉となった。手術にあたってくださったのがM教授をはじめ耳鼻咽喉科の4人の先生、浅ノ川病院からついて来てくださったY先生、救急科・麻酔科の先生、これに数名の看護師さんがいて、総勢10名を超えるスタッフ。大手術の雰囲気があり、緊張感が走る。

 まずM教授から僕の病状と手術内容の説明が行われる。それを冷静に聞いている僕がいる。

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 僕の病状は、まず左扁桃腺の炎症。これはよくある症状だけど、問題はその奥の喉頭蓋。喉頭蓋は気管と食道の分かれ目にある蓋のような部分で、食べ物が気管に入らぬよう弁の役目を果たしてるんだけど、この喉頭蓋が炎症を起こして大きく腫れ上がってて、これが実にやっかい。喉のほかの部分だと膿や分泌物は筋肉などを通して吸収されるらしい。ところが喉頭蓋は軟骨と粘膜で出来ていて、そのため炎症で生じた膿や分泌物はどこにも吸収されず、溜まりに溜まって気管を塞いでいる。このまま行くと窒息死してしまうので、先ずは気道を確保しなければならない。

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 そこで喉に穴を開けてカニューレという器具を取り付ける。まあ簡単に言ったら人工の鼻だ。すべてのチェックが終わって、午後2時30分、いよいよ手術が始まった。M教授が「森田さん。じゃあ始めますよ」。僕は軽く頷く。喉に穴をあける手術は局所麻酔で行う。「森田さん、痛くないですね?」と教授が聞いてくるんだけど、これがめっぽう痛い。「痛いですか?」と聞いてくれれば、「痛い」と答えるんだけど、「痛くないですね」と聞かれれば、「痛くない」と答えるしかない。教授はぐいぐいと喉に穴を開けていく。痛い、痛い、痛い。でも必死に堪える。

 その時日蓮聖人の顔が浮かんだ。「大聖人、もし僕にまだ法華経を弘める使命が残っているなら、僕を生かしてください。もし、なすべき使命がないような殺してください。」とお願いし、ひたすらお題目、南無妙法蓮華経を唱えた。

 気道の確保が終了し、こんどは左頸部を切開して膿を出していく。「森田さん、これから全身麻酔しますよ。」

 「はい、分かりました」と返事をした途端、僕は深い眠りに落ちた。(つづく)

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【 2018/06/21 09:50 】

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なまぐさ坊主の真面目な闘病記②ー説教をとるか、命をとるか?

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画像はイメージ

 Y先生の診断が始まった。鼻から内視鏡を入れて喉の奥を診ていく。


 「こりゃ~、ひどいですね。すぐ入院してください。」


 病名は左扁桃周囲頸部膿瘍、喉頭蓋炎、頸部膿瘍。なんだか難しい名前だけど、要するに左の扁桃腺が腫れて膿をもち、それが喉頭(のど仏)あたりの喉の奥まで広がって気管を塞いでいる。道理で、昨日の晩はご飯をのみこむ時に喉が随分痛かった。

 「先生、入院は出来ません。薬を出してください。それで何とか治します。」

「どうして?」


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 実は5月6日と7日にZ寺さんの千部法要が営まれる。Z寺さんにとっては5年に一度の大法要で、僕はその説教を1年も前から頼まれていた。(イラストは護国寺さんから借りました)。二日にわたって何を話そうか、構想を練り始めたのが半年前。それから苦心惨憺してやっと原稿が出来、何度が実際に話してみて時間を調整し、話は完成に近づいていた。自信作でもあったし、僕がキャンセルしたらZ寺さんにどんだけ迷惑か。

 「という訳で代役がいませんので、入院は出来ません。」

 「そんなことしたら、命にかかわるかも知れませんよ。」

 「説教中に死ぬなら、それも本望です。」

 「駄目です。命が大事なら入院しなさい。」

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 結局、断り切れずに入院することになった。抗生剤の点滴で扁桃や喉頭の炎症を抑えていく。これが効果あれば何とか6日までに回復して、説教壇に立てる。一縷の望みをかけ、Z寺さんにはまだ連絡しないように奥さんに伝え、僕はベッドで藻掻きながら点滴を受けた。

 ところが6時間経っても効果が現れず、症状は悪化する一方で、どんどん呼吸が苦しくなる。このままでは窒息すると判断したY先生が慌てて金沢医科大学のM教授に連絡をとり、午後2時、僕は再び救急車に乗るはめになった。(つづく)

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【 2018/06/17 11:07 】

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なまぐさ坊主の真面目な闘病記①ーいっ、いっ、息が出来ない!

 2018年5月2日から25日まで生まれて初めての手術、入院を経験しました。一時期は死や言葉を失うことも覚悟しましたが、無事娑婆に戻ることができました。この貴重な経験を忘れないため、また入院中にいろいろ感じることがありましたので、暇に任せて綴っていきたいと思います。



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 5月2日午前3時過ぎのこと、突然に「ケ~ン」というオットセイの鳴き声のようなけたたましい声が!!!びっくりして目が覚めた。それが自分の喉から出た声だとわかり、さらにびっくり。その途端、巨人にでも首を絞められたかのようになり、息苦しくなった。くっ、く、苦しい。以前ネパールに旅行した時に、標高5,000メートルを超えるカロラ峠に行っった時も酸欠で苦しかったが、それどころではない。今にも息が止まりそうだ。

 慌てて階下に降り洗面所に直行、喉に何かが詰まっているかと思い、喉の奥に指を突っ込んでみるが、何も出てこない。呼吸は苦しくなる一方。今年の3月18日にS寺のM上人がまだ67歳という若さで大動脈解離で急死されたことを思い出す。あの時、お兄さんの自家用車ではなく救急車で運ばれていれば助かったかも知れない。それを思い出して、階段下に戻り、「救急車を呼んでくれ」と叫ぶが、ほとんど声が出ないのと、奥さんが爆睡していて起きない。ゼイゼイ言いながら階段を昇り、奥さんを起こす。

 そんなこんなで3時30分頃に救急車が来た。その頃には少し楽になり、自分で救急車に乗り込み、ベッドに横たわった。大学病院も考えたが、いつもは浅ノ川病院の内科に通っているので、救急隊員に浅ノ川病院に行ってくれるよう指示。過去に息子と婆さんの時に救急車に乗ってことはあったが、自分が運ばれるのは初めて。ピーポー、ピーポー、明け方の街をけたたましいサイレンとともに、病院に向かった。

 実は2,3日前から喉が痛かったが微熱しかなく、ただの風邪だと思い市販の風邪薬を飲んでいた。昨晩は食事が喉を通りにくく、酒すらもスムーズに喉を通らなかった。6、7日には大事な説教も頼まれているし、連休前の明日は耳鼻咽喉科に行ってみようとう思いながら寝た矢先の出来事だった。

 午前4時病院に運ばれたが、考えてみれば当直医に耳鼻咽喉科の先生がいるはずもない。ついつい、「診てもらえないんだったら、帰ります」と言ってしまった。病院とすれば当然、救急車で運ばれて来た人間を治療もせずに帰すわけには行かない。朝早いのにJ.Y先生が駆けつけてくれた。(つづく)

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【 2018/06/11 08:41 】

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インド洋の真珠スリランカースリランカ最後の夜

8月5日(土)

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 午後6時15分、ガンガラーマ寺院を出て、15分余りで独立記念ホールに到着。

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 独立記念ホール(インデペンデンス メモリアル ホール)は、イギリスから自治領セイロンとして独立した記念として1948年2月4日に建てられた建造物。

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 この建物覚えてますか?キャンディの仏歯寺にあった「王の集会所」と呼ばれていた建築物でしたね。1815年、ここでキャンディ王国がイギリスの植民地となる調印式が執り行われている。実は独立記念ホールはこの「王の集会所」を模したデザインとなっている。イギリスに130年余り支配されたシンハラ人の悔しさが何となく分かるよね。

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 だいぶ薄暗くなって来てるので分かりずらいけど、記念ホールの周囲にはスリランカのシンボル的ライオンのオブジェが置かれている。

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 ホールの前にある像はドン・ スティーブン・ セナナヤケの像。彼はセイロンの独立運動を指導した建国の父であり、初代大統領でもある。

 ちょっとスリランカの政治も勉強しとこうか。1815年にスリランカを支配下においたイギリスは、"少数派"のタミル人を行政府官吏に重用して、"多数派"のシンハラ人を統治させる「分割統治」を行った。「分割統治」はイギリスがインドでもやった汚い政治手段。内部対立を煽ることで自国への反抗心を削ごうとするもので、その結果ヒンドゥー教のインドとイスラーム教のパキスタンに分離独立してしまう。この分割統治の結果、シンハラ人は貧しい農村でコメの生産などに従事する一方、タミル人のみが優れた教育を受け、官吏以外にも商人や資本家など社会的に高い地位を占めるようになった。これが後に民族間の確執へと発展する火種となってしまう。

 1951年にスリランカ自由党を創設したバンダラナイケは「シンハラ人優遇政策」を掲げ、1956年の選挙で圧勝。シンハラ語を唯一の公用語とするシンハラ・オンリー政策など急進的な政治を展開。タミル人はこれに強い反感を抱き、同年以降、シンハラ人との間で大規模な衝突が頻発。1983年には本格的内戦となり、2009年に内戦が終結するまでに約7万人が戦死、約28万人ものタミル人が国内避難民となるという悲劇となった。

 イギリスが自らの責任を認め謝罪したという話は聞いたことがない。それはスリランカ内戦だけの話ではない、パレスチナ問題もしかり。大英帝国が聞いて呆れるね。

 
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 午後7時15分、夕食。スリランカ最後の食事は海岸近くにあるSeaFish Restaurant & Bar。

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 みんなお腹がすいているのか、我先にと店内へ。

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人気の店なのか店内はかなり混んでいる。レストランというよりもバーと言ったほうが良いが、ブルーの照明でなかなかいい雰囲気だ。

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 まずは生ビールで乾杯したあとシーバースをロックで。しかし、今回の旅ではよく呑んだね~。いきなりバンコクの空港でちょっとしたつまみで呑んだのが37,000円。その後、昼食5回と夕食5回の飲み代が〆て109,980ルピー、日本円で82,210円。これ6人で呑んだんだからね。飲み代だけで一人20,000円だぞ。

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 さて、料理のほうは先ずはフカヒレスープ。かと思ったら、ビーフン。トウモロコシと卵のスープでした。
 
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 メインデッシュはワタリガニの唐揚げ、海老の天ぷら、烏賊リング。

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 それに、カジキマグロの香味焼き。日本と同じく四方を海に囲まれているだけあって、シーフードが絶品。なっちゃんはカジキマグロ2枚をペロリ。あとは要らないと言うんで、おつまみ用に烏賊リングを全部貰った。

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 食後のデザートは奥村君が途中で買ったランブータン。マレー語で〝毛の生えたもの〟という意味だそうで、何とも奇妙な果物だ。

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 皮を剥くとこんな感じ。楊貴妃が愛して止まなかったと言われているライチ(茘枝)や龍眼と同じ仲間で、味もよく似ている。

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 午後9時、レストランをあとに空港へ。午後9時30分、空港に到着。タイ国際航空TG308便はやや遅れて、午前1時30分テイクオフ。使用機材はエアバスA330-300。

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 スリランカ時間の午前1時55分、夜食。チキンカレー。
 
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 バンコク時間の午前6時にスワンナプーム空港に到着。バスでターミナルビルへ。ここで愛知県からおいでたIさんとお別れ。6日間も一緒にいたから、分かれる時についホロリ。

 午前8時55分、30分遅れでTG672便は大阪に向けてテイクオフ。使用機材はエアバス380-800。

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 午前9時20分、朝食。シーフードの焼きうどん。これが結構美味い。

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 奥さんはオムレツ。

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 旅の締め括りはやっぱりこれ。焼きうどんをつまみにダブルのロックを3杯。ほろ酔い加減で、午後4時20分関西空港に到着。乗り換え時間があまりないんで、入国手続きを済ませたあと、慌ただしく皆さんとお別れ。金沢組は午後5時14分発のはるか42号に乗車。新大阪駅でサンダーバード39号に乗り換えて、金沢に到着したのが午後8時56分。

 今回は6泊7日のわりと短い旅だったけど、中身の非常に濃い旅だった。なっちゃんとも本当の爺と孫の関係になれたし、点数つければ150点かな。

 2019年はミャンマーの予定。また来年の9時頃から旅行記アップしますんで、ご愛読のほど宜しくね。(おわり)

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【 2018/06/06 14:33 】

インド洋の真珠スリランカ  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

インド洋の真珠スリランカーガンガラーマ寺院

8月5日(土)

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 午後5時過ぎに博物館を出て、最後の買い物のため雑貨店に少しだけ寄って、5時40分ガンガラーマ寺院に着いた。この寺はコロンボでも最大級の寺院で、改革仏教の指導者の一人であったヒッカドゥウェ・スマンガラ(1827~1911年)により設立された。割と新しいお寺で、格式のある伝統的寺院とは随分趣が違う。

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 おや、いきなりヒンドゥー教の神さまですか。6つの顔に12本の手、孔雀に乗ってるからスカンダかな。スカンダはシヴァ神の次男で、神軍の最高指揮官。仏教寺院なのになんでスカンダを祀ってあるんだという疑問もわくが、スカンダは仏教に取り入れられて韋駄天【いだてん】と呼ばれ、護法神となってるから、まあ許されるかな。韋駄天と言えば足の速い人のたとえにされてるよね。ちなみに、「御馳走」というのは、韋駄天がブッダのために方々を駆け巡って食物を集めたことから生まれた言葉なんだよ、知ってた?

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 これはヴィシュヌ神かな?青い身体をしていて、手が4本。後ろの左手には法螺貝を持ってるんでヴィシュヌ神に違いないと思うけどね。ただ一つ疑問があるのは、左手にいる鳥だけど、鶏冠はあるしどう見てもこれ鶏だよね。これがヴィシュヌ神の乗り物ガルーダだと言われても、今イチ納得がいかない。ヴィシュヌ神は仏教とあまり関係ないと思ったら、スリランカの仏教徒の間ではヴィシュヌ神はスリランカの守護神であり、かつ仏教の守護神として信仰を集めているんだってさ。

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 おやおや、とうとうガネーシャのお出ましですか。こうなったら、もう仏教寺院に参詣に来ているという感覚がありません。

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 でも、信者さんの捧げた灯明は何とも美しい。
 
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 ここからが、いよいよ本番の本堂。どでかいブッダ座像。一番右下にOさんが写ってるから、その大きさが分かるよね。

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 そんなにも広くない空間に仏像が犇めきあってるという感じですな。

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 なんか胸一杯になっちゃうね。

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 壁画もあるからね。

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 いつもならガードストーンに彫られているヤクシニーも、半端なくでかい。

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 当然、一対で立っておられる。

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 でも、この部屋に入ってからずっと何か違和感みたいなものを感じてるんだけど、何だろう?天井を見上げて、気がついた。これって、キリスト教会じゃん。

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 隙間なく空間を埋め尽くしている仏像と壁画。どなたさまかは知らないけれど、空中で手を合わせているおびただしい数の人間(?)

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 今までいろんなお寺にお参りしたけど、こんなにごちゃごちゃとした装飾は初めて見た。まるでシスティナ礼拝堂だね。スリランカにはポルトガル人がカトリックを持ち込んでるんで、その影響を受けたというか、キリスト教の要素を取り込んだんかも知れんな。個人的にはあまり好きじゃない。

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 中庭のダーガバ。ガードストーンが一対、しっかりと据えられている。

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 象牙が飾られたスタイルはキャンディの仏歯寺を思い出させる。柱の竜の彫刻はなんか中国っぽい。

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 こちらは日本の金剛力士像にそっくり。このお寺は何でもありなんだ。

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 これは一体何でしょうか。アロエも載ってるけど、仏さまへのお供えなんでしょうね。ジャヤン君に聞くの忘れちゃいました。

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 さあ、いよいよ宝物殿です。こちらはピッカピカ。

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 このブッダ像はみんな微笑んでいて、並べ方もユニークですね。なんとなくジャワ島のボロブドゥールを思い起こさせます。行ったことはないけどね。(笑)

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 このブッダ像にお供えされている左右の金ピカの蓮の花。一部分しか写ってないけど、僕のお寺にある常花【じょうか】と全く同じですね。

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 さあ、本日のクライマックス。ブッダの髪の毛を拝ませていただきます。なんでもバングラデシュで発見されたものが、ここに運び込まれたというのですが、まあ信じましょうね。

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 これが、その有り難い仏髪。白い綿の上に一筋黒いものが見えるけど、どうもそれが仏髪らしい。この仏髪を拝ませていただいた上に、お坊さんの手で頭に仏舎利をいただかせていただいた。

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 最後にお坊さんにおまじないの紐を腕に巻いてもらってお終い。現在の生きている上座部仏教を体験させてもらったわけだが、上座部仏教の新興宗教みたいで、違和感があった。坊さんと話す機会があれば、良かったのにね、残念。これで、スリランカの寺巡りはすべて終了。ご苦労さんでした。(つづく)


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【 2018/06/03 09:26 】

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