なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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入院生活は苦しく辛いものだが、僕の場合はむしろ楽しく幸せな毎日だった。というのは、治療に当たってくれた4人のお医者さんのうち3人が女の先生で、しかも全員が美人ときたから堪らない。
主治医のA・S先生はアラフォーでハイヒールにフレアスカートというスタイル。白衣のポケットに手を入れて颯爽と病棟の廊下を歩き、まるでテレビドラマに出てくる美人医師みたいだ。
担当医のY・K先生は白いズボンにスニーカーを履いた、小柄でお侠な女の子で、年齢は30歳そこそこ。治療方針などの説明を早口で捲し立てる。
主治医のA・S先生はアラフォーでハイヒールにフレアスカートというスタイル。白衣のポケットに手を入れて颯爽と病棟の廊下を歩き、まるでテレビドラマに出てくる美人医師みたいだ。
担当医のY・K先生は白いズボンにスニーカーを履いた、小柄でお侠な女の子で、年齢は30歳そこそこ。治療方針などの説明を早口で捲し立てる。
そして、毎日ガーゼを替えたり、カニューレの入れ替えをしてくれたのが、一番若いアラサーのY・N先生。金沢医科大学病院のホームページから勝手に画像を拝借して来たけど、見ての通り長い髪の可愛い女の子。黒いTシャツに白衣を羽織ったラフなスタイルで、この先生に治療をしてもらうと、痛いはずの治療でも痛くない。
こんな3人に診てもらっているから、辛い治療も楽しくなってしまう。もう一人男のS・K先生も毎日の治療に当たってくれるんだけど、朝夕の治療時間にS・K先生が病室に入って来ると、がっかりしてしまう始末だ。
執刀してくれたM教授とこの4人の先生の力で僕は命を救われたんだけど、特に3人の美人先生のお陰で楽しい入院生活をおくれました。本当にありがとうございました。(つづく)
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喉の奥に溜まった膿を排出するため緊急手術で左頸部を5センチ切開したのが5月2日。その傷がようやく癒え始めた9日の朝、M教授から呼び出された。CT検査の結果、顎のすぐ下の咽頭部に白い影があり、恐らく膿が溜まっていると思われるので、切開して膿を出しましょうとのこと。
「えっ、また首切るんですか?」
「えっ、また首切るんですか?」
「CTの画像を見てください。浮腫ということも考えられるけど、たぶん膿です」
「はあ、でも……(痛いし)」
「ここに溜まっている膿を出してしまったほうが、退院も早くなると思います」
「そうですか。それでは宜しくお願いします」
ということで、午前11時30分、僕はまた手術台の鯉となった。今回も部分麻酔だけ。痛い。でも、我慢しなくては。手術そのものは簡単に終わった。
今回は顎の真下を3センチ切開。脛に傷持つ身じゃないけど、首に傷2カ所。これじゃ、もうお嫁に行けない。(笑)
その上、切開してみたけど、膿は無かったそうで、ただの切り損。3月に勤めていた高校の首を切られ、5月には2回も首を切られ、情けなくて涙も出ない。

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この写真、誰か分かるよね?
そう、正岡子規。俳諧や短歌の革新を行った俳人・歌人として有名だ。ちなみに「子規」はホトトギスのこと。夜中に遠くの山から「テッペンカケタカ」という鳴き声が聞こえてくることがあるけど、これが一晩中続き鳴き止むことがないことから、「鳴いて血を吐く」と言われる鳥だ。子規は21歳の時に結核で喀血しており、自分自身をホトトギスに喩えてこの俳号を使った。結核で苦しんだ子規は27歳から34歳で亡くなるまでの7年間病床にありながら、多くの作品を残した。9年ほど前にNHKで放送されたテレビドラマ『坂の上の雲』で香川照之が熱演したのを覚えている方もおいでだろう。
画像はちょっと見難いけど、子規が息を引き取る前日の明治35年9月18日に詠んだ絶筆三句だ。右から「をとゝひのへちまの水も取らざりき」「糸瓜【へちま】咲て痰のつまりし佛かな」「痰一斗糸瓜の水も間に合わず」。この三首のうち「痰一斗糸瓜の水も間に合わず」は、恐らく中学か高校の国語の時間に習ったんだろうけど、強く印象に残って今でも覚えている。ヘチマの蔓を切って切り口を容器に差し込んでおくと水がたまる。これをヘチマ水と言って、飲むと痰が切れ咳が止まるとされ、子規の家でも庭にヘチマを育てていた。ちょうどその頃、僕の家でもヘチマを育てていたので、この句が印象に残った。肝心の「痰一斗」はへえ~と言う程度でしかなかった。一斗は18リットルだから、なんぼなんでもそんなに痰が出るわけがない。誇張した表現に間違いはないが、僕の場合も喉頭蓋に炎症があるので止めどなく痰が出てティシュに吐いて捨てるんだけど、二日で大型の箱に入ったティシュを使い切ってしまう。兎に角、「痰一斗」も必ずしも誇張じゃないと思えるほど痰が出る。
写真は気管切開してつけたカニューレの説明を奥さんにしているところ。このカニューレに溜まった痰は看護師さんに頼んで吸引してもらうんだけど、これがまた辛い。
吸引するためにカニューレにカテーテルを入れると、これが気管を刺激して猛烈に咳が出る。その上、痰を吸引するということは気管内の酸素も吸引することになるので、酸欠になって苦しくなる。
この吸引を日中に何度となく行って、寝る前の午後10時頃に最後の吸引をしてもらって寝る。ところが午前1時頃にはもう痰がカニューレから溢れて、ブザーを押して看護師さんを呼ぶ。もう授乳期の赤ん坊みたいなもんだ。でも看護師さんに遠慮していたら、「痰のつまりし佛」になってしまうので、夜中でも何度もブザーを押す。
「痰一斗 吸引せがんで ブザーおす」(つづく)
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手術をした際に入院は2週間程度と言われていた。それが23日間も入院を強いられたのは、おそらく喉頭蓋が菌に冒されて麻痺してしまったのが原因なんだろうけど、嚥下機能が上手く働かなくなってしまったからだ。食べ物を飲み込もうとすると、これが気管のほうに入って行こうとして、誤嚥性肺炎を起こしかねない。ということで、食事テストが終わった翌日の10日から摂食機能療法が始まった。言語療法士のR・Fさんの指導で、まず首を上下左右に動かす運動から。続いて舌の運動。舌を出したり引っ込めたり、舌を左右に動かしたり。さらに、ほっぺたを膨らます運動。
さあ、今度は声を出す運動。「ア~~~~」と、なるべく長~く声を出す。次に低い音から高い音に変化させたり、逆に高い音から低い音へ。続いて歯切れ良く、「パパパパパッ」「タタタタタッ」「カカカカッ」「ラララララッ」。これをパタカラ運動というらしいけど、こんなことを20~30分も続ける。馬鹿馬鹿しくてやってられないけど、これをやらないと飯が食えないと思うと必死だ。
リハビリを続けること8日。ついに5月17日の昼食から食事を摂れることになり、8日間入れていた鼻のチューブを抜いた。5月1日の夕食を食べて以来、何と16日ぶりの食事だ。だけど、主食の重湯はいいとして、おかずの形が無い。全部ピューレになっている。口に入れると何となく味で元の姿を思い浮かべることは出来るが、これじゃ鶯の練り餌だ。僕は鶯じゃない!でも、そんな贅沢は言っていられない。食べられるだけでも幸せじゃないか。僕はベッドに正座して食事をいただいた。有り難くて、自然と涙がこぼれて来る。
嚥下食は2日で卒業し、19日の昼食から形のあるおかずになった。ただし、主食は五分粥。翌日には全粥に昇格したが、普通のご飯が食べられるようになったのは、もっともっとあと。リハビリをさらに続けることさらに5回。5月24日午後に食道造影検査を行ってOKが出たあとの24日夕食からで、結局病院で普通のご飯を食べたのは2回だけだった。
こうして次第に食事は摂れるようになったものの、水分に関してはとろみがないと許してもらえず、ペットボトルのお茶にとろみをつけて飲まなければならない。とろみのついた水やお茶ほど不味いものはない。暑いときだから、冷たい水をぐびぐびと飲みたいけど、それが出来ない。案外これが一番辛かったかもね。(つづく)
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手術後1週間ほど食事はあたらず、点滴だけで過ごした。僕の食事は、写真のビークフリード輸液。これでアミノ酸、電解質、ビタミンB1および水分を補給する。これに生理用食塩水とゾシンという抗生剤。僕の場合、喉の奥にやまほどの菌がいる。白血球数が基準値の9,000を遙かに超えて20,000以上あった。これを抗生剤で叩いていくわけだが、副作用で肝臓機能が低下したので、途中でメロペンという抗生剤に変えた。まあ兎に角、点滴だけで命を繋いでいるから、みるみる体重が減って、14日に計った時には65.5キロしかなかった。入院して12日間で5キロのダイエットに成功したわけだ。(笑)
3月に学校を退職するまでは、学校までの往復5キロを歩いて通っていたが、退職して歩かなくなってしまった。これではいけないと思い、4月から毎朝ウォーキングを始めた。新たにトレーニングウェアとシューズを買い、朝5時から卯辰山を上り下りするコースを5キロを1時間ほどかけて歩いた。目標は半年で5キロ減量。何のことはない。たった12日で目標を達成してしまった。(爆笑)
点滴だけでは通常のカロリーの半分ほどしかない。切開した傷の回復のためにはもっとカロリーを摂らなければならない。という訳で、5月9日の午後に主治医のS先生に食事テストをしてもらった。食べてみるのは嚥下食のレベル2。お粥とぺースト状になったおかず。この日はなんとカレーだ。鼻から内視鏡を入れて、喉の奥を見ながら、食べていく。まず、お粥に梅干し。8日ぶりに口にした食物は味が強く感じられて、えらい酸っぱい。一口飲み込んでみるが、なかなか上手く飲み込めない。ようやっと、ゴックン。次はカレー。お粥にカレーをかけて食べるのは初めてだけど、これもようやっとのことで、ゴックン。S先生と言語療法士のFさんがカメラを覗いていて言った言葉が、「駄目ですね」。
喉頭蓋が麻痺してしまっているのか、食べたものが肺のほうに入って行こうとするのを止めることが出来ない。結局、経鼻胃管を挿入することになった。要するに鼻からチューブを入れて、直接胃に栄養剤を入れていくことになった。なんとも無様な姿で、情けない。
このあとの、僕の食事は写真の栄養剤。これを1回に1,000㏄、40分ほどかけて胃に入れていく。5月11日に点滴はやっと取れたんだけど、鼻からチューブの状態は17日まで続き、結局僕は16日間飯が食えなかった。ほぼ、断食だね。

ああ、そうそう。なぜか分からんけど、5月11日の夕食にだけネスレのアイソカルがおまけについてました。(つづく)
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