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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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法華経譬喩品第3 この法を説いて聞かせるべきでない対象者

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舎利弗(中村晋也作『薬師寺・釈迦十大弟子』)

 舎利弗よ、あなたは信順の志が堅い、ましてや、私のこれらの他の声聞たちはなおさ
 らである。これらの声聞たちもまた、まさに私に対する信によって智慧に到達するの
 であり、信なくしてそれぞれの個人に智慧が見いだされるのではないのだ。

 尊大な人や高慢な人正しく修行しない人に、あなたはこの経を説くべきではない。
 実に愚かな者たちは、常に愛欲に酔っていて、無知であり、説かれた法を嘲笑 ちょうしょうする
 であろう。

 私の巧みなる方便を誹謗し、世間において常に存立しているブッダの導きに対してまゆ
 をしかめることをなし、教えという乗り物を誹謗 ひぼうるなら、この世におけるその人の果
 報は恐ろしいものであるということを、あなたは聞くがよい。

 私がこの世に存在し続けている間であれ、完全なる滅度に入った後であれ、このよう
 なこの経典を誹謗し、あるいはそれらの男性出家者たちに恨みをなすならそれらの愚
 かな者たちの果報がどのようなものであるかを私から聞くがよい。

ダウンロード
阿鼻地獄

 そのような愚かな者たちが、人間の状態において死んで後、それらの愚かな者たちの
 住むところはまるまる一こう(天文学的時間の長さ)の間阿鼻 あび地獄である。そして、
 それよりもさらに多くの幾中劫もの間、何度も生まれては死んで、その度にそこに堕
 ちるのである。

 地獄から抜け出す時は、そこからさらに畜生界に達し、極めて弱々し犬やジャッカル
 に生まれ、他の畜生たちの遊び道具となるのだ。
 
 その場合、それらの犬やジャッカルたちは、外見については、色黒で、斑点があり、
 れ物があって、かゆがっている。体の毛が抜け落ち、虚弱で、私の最上の覚りを大い
 に嫌悪し続けるのだ。

 生命あるものたちの中で、それらの犬やジャッカルたちは常に嫌悪されていて、石を
 投げつけられたり打たれたりして泣きわめき続けている、あちこちで、棒で威嚇 いかく
 れ、飢餓とかわきに悩まされ、身体はやつれている。 

 しかも、ブッダの導きを誹謗した愚かで理解力のない人たちは、ラクダ、あるいはロ
 バに生まれる。その上、重荷を運びながらむちや棒で打たれ、食べ物についての不安を
 いつも抱えている。

 しかもなお、それらの愚かなものたちは、そこにおいて片方の目がつぶれ、身体に障
 害のある嫌悪すべき野狐に生まれ、村の子供たちから石を投げつけられたり、打たれ
 たりして痛めつけられる。
 
 そこで死んで後、それらの愚かなものたちはさらに、700キロ (50由旬 ゆじゅん)に等しい
 長い体を持つ鈍感で愚鈍な生き物に生まれ〔腹ばいになって〕体をくねらせている

 このような経典を誹謗したので、足がなくて腹でうものに生まれて、極めて長い時
 間多くの生命あるものたちにまれ続け、それらの愚かなものたちは極めて激しい苦
 痛を受けている。

ダウンロード
畜生界

 それらの愚かなものたちが、人間に身体を得る時も、その場合、身体に障害があり、
 片足が不自由で、しかも背骨が湾曲していて、盲目で、愚鈍で、最も卑しい生まれ
 となり、私のこの経を信じないでいる。
 
 それらの愚かなものたちは、世間において信頼されなくなり、それらの愚かなものた
 ちの口から腐敗した臭いが漂っている。夜叉や病魔が、それらの愚かのものたちの身
 体に入り込んで、このブッダの覚りを信じることができないでいる。

 貧困で、虚弱で、常に他人からの召使いとして、命令されたことを遂行している、そ
 れらの愚かなものたちには多くの苦悩があり、世間において身寄りのないものとなっ
 て、過ごしている。

 そこにおいて、それらの愚かなものたちが人に奉仕しても、その人はそれらの愚かな
 ものたちに何かを与えようともしない。たとえ、与えられたとしても、たちどころに 
 無くなってしまうのだ。実に、悪事の結果は、このようなものである。

 そこにおいて、非常に適切な効能を持つ薬が、熟練した人たちによって調合して与え
 られ、それらの愚かなものたちが服用するとしても、それによって、それらの愚かな
 ものたちの病気はさらにひどくなり、その病気は決して治ることはない。

 しかも、他の人たちによってなされる盗みや、騒動、喧嘩、闘争、また同じく他の人
 たちによってなされる財産の強奪の被害が、悪しき行ないをなしたその報いとして、 
 その愚かなものたちの身の上に降りかかるのである。

 私のこのブッダの導きを誹謗したので、その愚かなものは、地上において教えを説い
 ている世間の保護者で、主長の中の王〔であるブッダ〕に決して会うことはなく、そ
 の人の住所は、まさにこのように〔ブッダに会うことも、教えを聞くことも、修行す
 ることもできないという〕不運の中にあるのである。
 
 さらにまた、その愚かなものは耳が不自由であったり、思慮かなかったりして、法を
 聞くことがない、このような覚りを誹謗すれば、その人には、心の静寂はいかなる時
 にも決して存在しないのだ。
 
 またさらに、ガンジス河の砂の数のように数え切れないほど多くの劫の間、その愚か
 なものは身体が愚鈍で、欠陥がある。この経典を誹謗したので、この悪い結果がある
 のだ。

 この人にとっては地獄が遊園の地であり、その人たちにとっては危険の地が邸宅であ
 るのだここに留まっているその人には常にロバや豚、野狐や〔地面を嗅ぎまわる〕
 犬が伴っている。

 さらにまた、人間という在り方を得たとしても、その愚かなものは、盲目、聾者、愚
 鈍の状態になり、常に貧困で、他人の召使いになる。その時、これらの悪業の結果が
 その人にとっての飾りであるのだ。
 
 その人にとっては諸々の病が衣服である。身体には数え切れないほど多くの傷、すな
 わち、かさぶた、疥癬 かいせん、さらに発疹、ハンセン病や、ハンセン病の白い斑点があり、
 さらに腐敗した臭いがある。
 
 この愚かなものには、身体が実在だとする誤った見解が確固としていて、その人の誤
 りの力は増大され、その愚かなものは、畜生の生まれを常に楽しんでいるのである。

 舎利弗よ、実に私のこの経典を誹謗する愚かなものの諸々の罪悪を私が今、ままるる
 一劫の間、説いたとしても、諸々の罪悪の終わりに到達することはできないのだ。 
(つづく)
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【 2022/05/31 05:15 】

第3章 譬喩(譬喩品第3)  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

法華経譬喩品第3 ブッダに到る乗り物は全世界で最勝

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舎利弗(中村晋也作『薬師寺・釈迦十大弟子』)

 舎利弗よ、まさにこのように偉大なる聖仙である私は、衆生の保護者であり、また父
 である。それらの愚かで、三界において愛欲に執着している、あらゆる生命あるもの
 たちは、私の息子たちである。

 また、三界は、あたかも幾百もの苦しみに満ちた極めて恐ろしいその燃え上がった邸
 宅のように、幾百もの多くの生・老・病〔・死の苦しみの火〕によって、あらゆる方
 向から余すところなく焼かれている。

 しかも私は、三界から解脱していて、静穏の境地にあり、林の中の人里離れた所に住
 んでいる。また、この三界は私の所有するものであり、そこで焼かれているのは、実
 に私の息子たちなのだ。

 私こそが、それらの子供たちにとっての保護者であると知って、私は、その三界にお
 ける諸々の苦悩を子供たちに示した。しかしながら、それらの子供たちは、すべて愛
 欲に執着した見解を持っている故に、愚かであり、私の言うことに耳を傾けることは
 なかった。

 私は巧みなる方便を用いて、これらの子供たちに3つの乗り物を説くのだ。しかも、
 三界に多くの悪しき状態があることを知って、私はそれらの子供たちを三界から脱出
 させるために方便を説くのである。

 それらの息子たちとは私を頼って教えを聞き6種類の神力と3種類の明知を具え、
 大いなる力を得た声聞たちであり、ここにいる独覚たちであり、今、不退転の菩薩で
 いるものたちである。

 賢者、舎利弗よ、私はそれらの平等な息子たちのために直ちに、この最も勝れた譬喩
 によってブッダに到るただ一つの乗り物(一仏乗)を説くのである。あなたたちは、
 それを受け容れるがよい。すべての人が勝利者となるであろう。

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最も勝れた乗り物(大白牛車)だいびゃくごしゃ

 しかし、そのブッダに到る乗り物は、この全世界において最も勝れたものであり、大
 いに心を喜ばせるものであり、卓越したものであって、両足で歩くもののうちで最上
 の人であるブッダの智慧である。そのように、それは威厳のあるもので、また人々に
 尊敬されるべきものである。

 そのブッダに到る乗り物には、そのように多くの力や、禅定、解脱、そして数え切れ
 ないほど多くの三昧 さんまいそなわっている。このような車は、最も勝れたものであり、ブッ
 ダの息子(菩薩)たちは、常にそれによって楽しむのである。

 それらのブッダの息子たちは、この乗り物によって遊びながら、幾日も幾夜も過ご
 し、幾半月も、幾季節も、幾月も、幾年も、実に幾中こうも、数え切れないほど多く
 もの劫を過ごすのである。

 宝石で造られたこの乗り物は、最も勝れたものであり、それによって多くの菩薩たち
 も、人格を完成された人に耳を傾ける声聞たちも、遊戯しながら、この覚りの座に赴
 くのである。

 舎利弗よ、あなたは今、このように知りなさい。十方をすべて探しても、人間の中で
 最上の人の方便を除いて、第二の乗り物はこの世のどこにも存在しないのである。
 
 あなたたちは、私の息子たちであり、私は、あなたたちの父である。私は、数え切れ
 ぬほど長い時間、火に焼かれていたあなたたちを、恐怖に満ちた恐るべき三界の苦難
 から救い出したのだ。
 
 その時、私は、心の安らぎ(涅槃)についてこのように語った。しかしながら、今、
 あなたたちは、まさにそのような心の安らぎに到っていない。あなたたちは、この世
 で6種の生存領域の循環(六道輪廻 ろくどうりんね)の苦しみから解放されただけなのだだか
 ら、あなたたちは、ブッダに属する乗り物(仏乗)を探し求めるべきである。

  ここに誰かある菩薩たちがいるならば、そのすべては私からブッダの導きについて聞
 くのだ。このようにして、多くの菩薩たちを導くのが、勝利者の巧みなる方便なので
 ある。

ダウンロード
四聖諦を説くブッダ(サンスクリット写本)

 その場合に、これらの衆生が卑しく嫌悪すべき愛欲にふけっている時、誤謬 ごびゅうなく語る
 世間の人々の指導者は、この世における「苦しみについての聖なる真理」(苦諦 くたい)を
 説くのである。

 さらにまた、この世において、苦しみの本質を理解できず、それを見ることもない愚 
 かで理解力のない人たちに私は『渇愛を生じることが「苦しみの起源」(集諦 じったい
 である』と道を示すのだ。

 
人が常に渇愛の制止を目的として無執着であること、これが、私の〔説く四聖諦 ししょうたい
 う
ちの〕第三の「苦しみの消滅についての真理」(滅諦 めったいである。人を誤謬なく解放す
 る道(道諦 どうたい)を修行して、人は渇愛の束縛から解き放たれるのである。

 
舎利弗よ、それらの人たちは何から解放されたのかというと、正しくないことへの執
 着から解放されただけなのである。それらの人たちは、未だに完全には解放されてい
 ないのだだから指導者であるブッダは今それらの人たちのことを安らぎ(涅槃)
 に達していないと言われるのだ。

 『この人は完全に解放されている』と、私が説かないのはいかなる理由であるか。そ
 れは最も勝れた最上の覚りに未だ達していないからであるこれが私の意向であり、
 私は法の王であり、一切衆生を安楽に到らせるためにこの世間に出現したのである。

 舎利弗よ、今、最後に私が説いたこの不の勝れた特徴(法印)を、神々に伴われた世
 間の人々の安寧のために、あなたは四方八方において教示するがよい。

 さらにまた、誰かある人が、この〔妙法蓮華経という〕経典を頭におしいただいて、
 あなたが説いたことに、『私はその教えを喜んで受け入れます』という言葉を語るな
 らば、その人を不退転の人であると、あなたは受け取るがよい。

 この経を信ずる人は、既に過去世においてブッダたちに会って、それらのブッダたち
 に恭敬 くぎょうをなしたのであり、このような法をすでに聞いている人なのである。

 あなたの説法を通して、私が説いた最高の法を信ずる人は、過去世において私にも、
 あなたにも、また私のこの男性出家者の集団のすべてにも会っているのである。
 
 この経典は、愚かな人々を惑乱させるものであり、私はこれを神通の智慧を持つもの
 たちのために説いたのである。この中には、声聞たちに理解できる対象は全く存在し
 ないし、独覚たちにとっても趣くところはここにはないのだ。(つづく)

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【 2022/05/27 05:11 】

第3章 譬喩(譬喩品第3)  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

法華経譬喩品第3 ブッダは巧みなる方便によって一仏乗を説く②

  ダウンロード
 
 そして、その人は家の外にいて、その邸宅が突然、燃え上がったとしよう。四方は、
 途切れることなく幾千もの炎によって完全に火に包まれている。
 
 火で燃やされた竹や木材、まさに同じく燃え上がった柱や障壁が、重く極めて恐ろし
 い音をたて、夜叉や餓鬼たちは叫び声を発している。

 また、幾百ものハゲワシたちは炎によって焼かれ、さらに鳩槃荼鬼くはんだきたちは顔が焼けた
 だれておろおろと歩き回り、そこにおいてあらゆる方向で幾百もの猛獣たちが火で焼
 かれながら、鳴き、叫んでいる。


ダウンロド

 そこにおいて狼たちは死に至りそれらの生き物たちは互いに他を食い合っている。
 糞便は焼かれて、不快な臭いが四方の世界に漂っている。

 百足むかでたちが逃げ出すと、鳩槃荼鬼たちがそれらを完全に食い尽くす。また、髪の毛が
 燃えている餓鬼たちは、気がと大火で身を焼かれながら動揺して歩き回っている。

 あらゆる方向に燃え進む幾千もの炎によって、その家がこのように恐ろしいものであ
 ることを観察しながら、その家の主人は門のところに立っていた。

 その人は、その時、自分の息子たちが家の中でおもちゃで夢中になって遊んでいるこ
 とを知り、その人は子供たちを救い出すために速やかにその家に入った。『私の幼い
 子供たちが火に焼かれて、まさにたちどころに死ぬことがないように』と。

 
ダウンロード

 その人は、息子たちに現在、家のおかれている危険な状況を告げた。『ああ、良家の
 息子たちよ、この家は恐ろしくて、苦難に満ちている。ここには、いろいろな種類の
 生き物たちがいる。しかも、この火は途切れることなく燃え盛っていて、大きな苦難
 に満ちているのだ。

 そこには、数多くの毒蛇や、極めて獰猛な心を持つ夜叉、鳩槃荼鬼、餓鬼たちが住ん
 でいる。また狼たちや犬とジャッカルの群れ、ハゲワシたちが食べ物を探し求めてい
 る。

 ここには、このようなものたちが数多く住んでいる。だからこの家は、火がなくても
 最高に極めて恐ろしいところであり、このように全く苦難に満ちているのだ。この火
 はあらゆる方向で燃え上がっている』と。

 そのように促されても、その愚かな子供たちは理解する力もなく、おもちゃのことに
 酔いしれていて、話をしている父のことを考えることもなく、それらの恐ろしい生き
 物たちのことを考えることもない。

 その時、その人はそこにおいて熟慮するであろう。『私は今、息子たちのことが心配
 で大変に苦しんでいる。息子たちがいなくなってしまうようなことがあったら、私に
 とっていなくなった息子たちが何の意味があるのか。もちろん、これらの子供たちが
 今、火によって焼かれるよなことがうあってはならない』と。

 その時、その人は方策(方便)を考えた。これらの幼児たちはおもちゃを声望してい
 る。しかしながら、ここには、遊びも楽しみも何もない。幼児たちには、ただこのよ
 うな愚かさがあるだけだ。

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 その人は、それらの子供たちに告げた。『子供たちよ、聞くがよい。私が持っている
 いろいろな種類の乗り物は、鹿や羊や、最も勝れた牡牛をつないであって、高くて、
 大きくて、見事に飾られている。

 それらの乗り物は、この邸宅の外にある。君たちは外に出て来て、それらの乗り物で
 やりたいことをやりなさい。君たちのために、私が作らせたのだ。それらの乗り物に
 満足して一緒に出て来なさい』

 それらの子供たちは、その乗り物のことを聞いて、勇気を起こし、実に大急ぎで直ち
 に邸宅から走り出て来た。べてのす子供たちは露地に立っている。苦難から解放され
 たのだ。

 そして、その人は子供たちが脱出したのを見て、村の真ん中にある十字路のところに
 行き、獅子のように立派な人のための座席に坐って、それらの人たちに言った。『あ
 あ、皆よ、今、私は安心しました。

 苦難に遭遇していた私の哀れな息子たちは、20人からなる私の愛すべき幼い実の子供
 たちである。それらの息子たちは、過酷で、多くの生き物たちで満ち満ちた、極めて
 恐ろしい、危険な家にいたのである。

 その家が幾千もの炎で満たされて燃えている時、それらの息子たちは、遊びが楽しく
 て夢中になっていた。私は、それらの息子たちをすべて今、危険から解放した。それ
 故に、私は今、息子たちと一緒に安らぎ(涅槃に)達したのである』

 その父が安楽になったのを知って、それらの子供たちは父に近づき、次のように言っ
 た。『お父さん、先ほど僕たちに話されたように、心が楽しくなる3種類の乗り物を
 僕たちにください。

 お父さんが邸宅の中で話したことが本当なら、それらの乗り物を僕たちにください。
 それらの乗り物をくださるのは、今こそ、その時です』

 その人は、金や、銀、宝石、真珠の蔵を持つ有力者であって、多くの金貨や、召使を
 所有していた。けれどもその人は、ただ一つの種類の乗り物を子供たちに与えるであ
 ろう。

ダウンロード

 それは宝石で造られた卓越した牛の車で、手すりが巡らされ、鈴のついた網で覆わ
 れ、日傘と旗で飾られ、真珠と宝珠の網で覆われている。
 
 そして、その牛の車には、黄金の花で作られた花環が、あちこちに垂れ下がってい
 て、勝れた布で覆われ、最も勝れた白い布が敷かれていた。
 
 そのように軟らかくて最も勝れた絹の褥が敷かれたそれらの車は、ハンサ島の模様
 のついた考えられほど高価さを持つ最も美しいコータンバカの布が敷かれていた。
 
 宝石で飾られたその車につながれ、多くの侍者たちに従われている牡牛たちは、白
 くて、栄養豊かで、力があり、非常に大きくて、見るも美しいものである。
 
 その人は、すべての息子たちに、このように最も勝れた、卓越した牛の車を与えた。
 しかもまた、それらの子供たちは、それらの牛の車によって満足し、狂喜して、遊び
 ながら四方八方に出かけて行くのだ。(つづく)

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【 2022/05/24 05:19 】

第3章 譬喩(譬喩品第3)  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

法華経譬喩品第3 ブッダは巧みなる方便によって一仏乗を説く①

 IMG_0001_NEW_0001_convert_20140619151440.jpg
舎利弗(中村晋也作『薬師寺・釈迦十大弟子』)

 舎利弗よ、その資産家は、それらの子供たちがその燃え上がる家から脱出したのを見て、安穏で幸運に解放され安全になったことを知り、自分自身が多大な財産を所有していることを知っているので、それらの子供たちにただ一つの勝れた乗り物を与えるであろう。まさにそのように、舎利弗よ、正しく完全に覚られた尊敬されるべきブッダもまた、その時、数え切れないほど多くの衆生が三界から解放され、苦しみや、恐怖、恐るべき苦難から自由になり、ブッダの教えにおける門を通って脱出し、すべての恐怖と苦難という荒野から解放され、心が寂静じゃくじょうとなった安らぎに達したのをご覧になるのだ。

 舎利弗よ、その時、正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダは、大いなる智慧の力と、説法における4つの畏れなきことの蔵が豊富であることを知って、これらの衆生のすべてが実に自分の息子たちであることを了解して、ただブッダに到る乗り物によってのみ、それらの衆生を完全なる安らぎ(涅槃)に到らせるのである。

 しかも、ブッダは衆生の個人個人に〔それぞれの意向の違いに応じて相異あいことなる〕完全なる安らぎを説くようなことはないのだ。ブッダは、ブッダの〔場合と全く同じ〕完全なる安らぎ、卓越した完全な安らぎによって、それらのすべての衆生を完全なる安らぎに到らせるのである。

 さらにまた、舎利弗よ、三界から解放されたそれらの衆生にブッダは禅定や、解脱、三昧、等至、聖なる最高の安楽、愉快なおもちゃを与えられるのだ。これらはすべて一様なものである。

ダウンロード
大いなる乗り物(大白牛車だいびゃくごしゃ

 舎利弗よ、3つの乗り物を示した後で、それらのすべての子供たちに、同一の大いなる乗り物であり、七宝で飾られ、あらゆる装飾品で飾られた、一様で勝れた乗り物だけを与え、すべての子供たちに最高の乗り物だけを与えたその資産家には虚言がない。まさにそのように、舎利弗よ、さきに巧みなる方便によって3つの乗り物を示して、その後に、衆生を大いなる乗り物のみによって完全なる安らぎに至らせるブッダもまた、虚言者ではないのである。

 それはどんな理由よってか?舎利弗よ、実にブッダは、多くの智慧の力と、説法における4つの畏れなきことという倉庫や蔵、家を持っていて、すべての衆生のために一切知者の智慧を具えた法を説くことができるからである。これによって、舎利弗よ、次のように知るべきである。

 『ブッダは、巧みなる方便の智慧を遂行することによって、ただ一つの大いなる乗り物のみを説くのである』と」

 するとその時、世尊は次の詩を述べられた。

 
「ある人の大きな家が老朽化していて、そのように露台が壊れていて、柱も根元で腐
 食しているとしよう。
 

 
窓や楼閣は一部が崩れ落ち、壁や、障壁、漆喰しっくいは崩壊しており、歳月を経て老朽化し
 た垂木たるきは抜け落ち、草葺きの屋根は至る所で崩落している。

 そこには、500を下らない生命あるものたちの住み家があり、多くの小さな部屋が密
 集し、嫌悪すべき糞便が満ち溢れている。
 
 はりがすべて落ちていて、壁や障壁もまさに同じく崩壊している。そこには数え切れな
 いほど多くのハゲワシや、同じく鳩やふくろうや、その他の鳥たちが住んでいる。

 そこには、大変な猛毒を持つ恐ろしい毒蛇や、あらゆる種類のサソリ、ネズミがあち
 こちにいて、これらの悪しき生き物たちの住み家となっている。

ダウンロード (2)

 さらにまた、あちこちに人間以外のものたちがいて、糞や尿が散らばっている、蛆虫うじむし
 や、昆虫、蛍が充満し、犬やジャッカルの吠える声で満ちている。

 そこには、恐ろしい狼たちがいて、人間の死体を貪り食っている。また、多くの犬や
 ジャッカルたちが住んでいて、それらの狼が〔死体を食い終わって〕出ていくのを待
 ち望んでいる。

 それらの犬やジャッカルという弱いものたちは、常に飢餓にさいなまれていて、あち
 こちで互いに噛みついたり、喧嘩したりしながら、吠える声が満ちている。その家は
 このように極めて恐ろしい所なのだ。

 また、極めて獰猛な心を持つ
夜叉やしゃたちが住んでいて、人間の死体を引き裂いている。
 そこには、あちこちに百足むかでや蛇、猛獣たちも住んでいる。

 また、それらは、あちこちに巣を作っては、子供を産みつける、夜叉たちは、それら
 の次々に産み落とされた子供たちの大部分を食い尽くすのだ。

 極めて
獰猛どうもうな心を持つそれらの夜叉たちは、他の生き物を食べて満足し、他の生き物
 の肉で身体が完全に満たされると、そこで激しい争いをする。

ダウンロード

 その邸宅の中の荒廃した部屋には、恐ろしくて獰猛な心を持〔ち、かめのような陰嚢いんのう
 持つ〕鳩槃荼鬼くはんだきたちが住んでいて、いろいろの大きさのものが歩き回っている。

 さらにまた、そこにおいてそれらの鳩槃荼鬼たちは、犬たちの足をつかんで、地面に
 仰向けにして、首のところを締め付けて威嚇いかくし、苦しませて楽しんでいる。

 同様に、裸で色黒で、力が弱くて、背が高い大きな死霊の餓鬼たちが住んでいる。そ
 の餓鬼たちは、貪り食うことを欲していて、食べ物を求めながら、あちこちで悲痛な
 叫び声を上げている。

 それらの餓鬼たちのあるものは針のように細い口をした牡牛おうしの顔を持つものであり
 人間の大きさを持つものや、また犬の大きさを持つものたちである。それらは、髪を
 振り乱し食べ物に対する貪欲さによって身を焼かれながら悲痛な声を発している。
 
 また、ここでは、それらの夜叉や餓鬼、諸々の悪鳥獣たちが、食べ物を探し求めなが
 ら、窓から四方を常に観察している。 

 このように恐るべきその家は、大きくて、高く、極めて弱体化していて、老朽化し、
 力弱く、頼りにならないもので、一人の人の所有するものであるとしよう。(つづく)

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【 2022/05/20 05:18 】

第3章 譬喩(譬喩品第3)  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

法華経譬喩品第3 玩具の三車は声聞乗・独覚乗・菩薩乗のこと

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舎利弗(中村晋也作『薬師寺・釈迦十大弟子』)

 そこで、舎利弗よ、ブッダは次のようにご覧になるのだ。

 『〈私は、智慧の力と、神通の力を持っている〉と考えて、もしもこれらの衆生に、適切でない手段でブッダの智慧の力と4つのおそれなきことを説いて聞かせたならば、これらの衆生はその法によって苦しみの集まりから逃れ出ることはないであろう。

 それは、どんな理由によってか?それらの衆生は、実に〔しきしょうこうしょくという〕5つの世俗的欲望(五欲)の対象や、三界における悦楽にとらわれていて、生まれること・老いること・病になること・死ぬこと・憂い・悲しみ・苦しみ・悩み・悲哀から解放されることなく、それらによって焼かれ、煮られ、熱せられ、苦痛を与えられている。屋根と覆いが燃え上がっている老朽化した邸宅のようなこの三界から逃げ出すことのないこれらの衆生は、ブッダの智慧をどうしたら理解するであろうか』と。

 その時、舎利弗よ、その資産家は、腕力が強いのに、腕力を差し置いて、巧みなる方便によってそれらの子供たちを、その燃え上がった家から脱出させ、脱出させた後に、それらの子供たちに立派な大いなる乗り物を与えた。まさにそのように、舎利弗よ、正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダもまた、ブッダの智慧の力と、4のつ畏れなきことをそなえているのに、ブッダの智慧の力と4つの畏れなきことを差し置いて、巧みなる方便という智慧によって、屋根と覆いが燃え上がっている老朽化した邸宅のようなこの三界から衆生を脱出させるために、3つの乗り物、すなわち声聞のための乗り物(声聞乗)、独覚果に到る乗り物(独覚乗)、菩薩のための乗り物(菩薩乗)が示されるのである。

 そして、3つの乗り物によって衆生の関心をひきつけ、これらの衆生に次のように語るのである。

 『あなたたちよ、あなたたちはこの燃え上がった家のような三界において、低劣な色・声・香・味・触〔という5つの
世俗的要望の対象〕に熱中してはならない。実にこの三界において〔
色・声・香・味・触に〕熱中しているあなたたちは、5つの世俗的欲望の対象にともなっている渇愛かつあいによって焼かれ、熱せられ、苦痛を与えられているのだ。
 
 あなたたちは、この三界から逃げ出しなさい。あなたたちは、3つの乗り物、すなわち声聞のための乗り物、独覚果に到る乗り物、菩薩のための乗り物を見出すだろう。私は、この点においてあなたたちに対する保証人であり、私は、あなたたちにこれらの3つの乗り物を与えるであろう。あなたたちは、三界から脱出するために専念するがよい』と。

 また、私は、次のようにしてこれらの衆生の関心をひきつけるのである。

 『ああ、衆生よ。これらの乗り物は、聖なるものであり、聖者たちによって称賛されており、大いなる喜びを具えている。あなたたちよ、あなたたちは、これらの乗り物によって愉快に遊び、喜び、自ら楽しむであろう。5つの働きと、5

つの能力、7つの覚りへの要件、禅定、解脱、三昧、等至によって、あなたたちは大きな喜びを得るであろう。また、あなたたちは、大いなる安楽と喜びを具えたものとなうであろう』と。

ダウンロード (7)
鹿の車と羊の車(題経寺帝釈堂本殿)

 舎利弗よ、その場合、賢い人の部類に属している衆生は、世間の人々の父であるブッダを信ずるのだ。賢い部類の人は信じてから、ブッダの教えに専念し、努力に傾倒する。その場合、他者の声(教え)を聞いてそれに従うことを求めている衆生の声聞たちは、自分自身の完全なる安らぎ(涅槃)を得るために、4つの聖なる真理(四聖諦)を覚知するためのブッダの教えに専念するのである。

 それらの衆生は、声聞のための乗り物を求めて三界から脱出したと言われるのだ。それはあたかも、ある子供たちが、鹿の車を求めてその燃え上がった家から脱出したようなものである。

 他の衆生は、師匠なしで得た智慧や、自己抑制と禅定による心の静止を求めつつ、自分自身の完全な安らぎ(涅槃)のために、因縁を覚知するためのブッダの教えに専念するのである。

 それらの衆生は、独覚果に到る乗り物を求めて三界から脱出したと言われるのだ。それはあたかも、ある子供たちが、羊の車を求めてその燃え上がった家から脱出したようなものである。

ダウンロード
牛の車(題経寺帝釈堂本殿)
 
 さらに、一切知者の智慧や、ブッダの智慧、独立自存するものの智慧、師匠なしで得る智慧を求めている他の衆生は、多くの人間の安寧と幸福のため、世間の人々に対する憐みのため、神々と人間といった衆生の大集団の利益と安寧、幸福のため、あらゆる衆生の完全なる安らぎ(涅槃)ために、ブッダの智慧の力と4つの畏れなきことを覚知するためにブッダの教えに専念するのである。
 
 それらの衆生は、大いなる乗り物を求めて三界から脱出したと言われるのだ。その理由によって、偉大な人である菩薩と言われるのだ。それはあたかも、子供たちが、牛の車を求めてその燃え上がった家から脱出したようなものである。(つづく)

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【 2022/05/17 05:19 】

第3章 譬喩(譬喩品第3)  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

法華経譬喩品第3 「三車火宅の譬え」を説く②

 ダウンロード (1)

  その資産家は、それらの子供たちの意向を知っていて、好みを了解しているとしよう。また、それらの子供たちの欲するものには、多くの種類のおもちゃがある。それらのおもちゃは、多種多様で、愉快なもので、望まれ、願われていて、好まれ、心を魅了するものだが、得難いものである。そこで、その資産家は、それらの子供たちの意向を知りつつ、子供たちに次のように言った。

 『子供たちよ、ここに君たちにあげるおもちゃがある。それをもらわないと、君たちは後悔するだろう。それらのおもちゃは、愉快で、珍しく、びっくりするものであり、色とりどりで、多くの種類がある。すなわち、牛の車、羊の車、鹿の車のおもちゃである。君たちが望み、願い、愛し、君たちの心をとりこにするもので、それらのすべてを私は、君たちが遊べるように邸宅の門の外に置いている。

 君たちは、こちらへ来なさい。この邸宅から逃げ出しなさい。そうすれば、褒美ほうびをもらうことや、おもちゃについての関心を抱いている君たちのそれぞれに、私はそのおもちゃの車を与えよう。君たちは、急いでこちらに来なさい。それらのおもちゃをもらうために逃げ出してきなさい』

ダウンロード (2)
 
 その時、望み通りで、想像し願い求めてきた通りの、愛らしくて心をとりこにするおもちゃの名前を聞いて、それらの子供たちは、それらの愉快なおもちゃをもらうために、実に速やかに〔走り出した〕。勇気を得て、力強い速さで、互いに他人のことを見向きもせずに、『誰が、最初か』『誰が、それより先か』と言って、互いに体を押し合いながら、燃え上がるその家から、実に速やかに飛び出してきた。
 
 すると、その資産家は、それらの子供たちが無事で安穏に解放されたのを見て、安全になったと知ると、町の十字路の路地に坐った。こうして、その資産家は喜悦と歓喜を生じ、不安も障害もなくなって、心配しなくてよくなったとしよう。
 
 そこで、それらの子供たちは、その父のいる所に近づいて、次のように言った。
 
 『お父さん、僕たちにそのいろいろ愉快なおもちゃをください。すなわち、牛の車、羊の車、鹿の車のおもちゃを』
 
 そこで、舎利弗よ、その資産家は、それらの自分の息子たちに、七宝で造られ、手すりがめぐらされ、鈴のついた網の垂れ下がった、高くて、広く、素晴らしい希有なる宝石で飾られ、宝石の網で造られて華麗であり、花環で飾られ、綿布と毛布が敷かれ、天幕とヴェールで覆われ、両側に赤いクッションを備え、白くて純白の、極めて速い牡牛がつながれ、多くの侍者たちに従われ、旗を立てた、風の速さを持つ牛の車だけを与えるとしよう。その資産家は、風の力と速さを持つ一様で同一の種類の牛の車だけを、一人ひとりの子供に与えた。

ダウンロード (3)

 それは、どんな理由によってか?舎利弗よ、まさにそのように、その人は裕福であり、大きな財産を持ち、多くの倉庫や蔵、家を持っているからである。その資産家は、次のように考えるであろう。

 『私は、これらの子供たちに、他の乗り物を与えることはやめよう。それは、どんな理由によってか?実にこれらの子供たちは、すべて私の息子たちであり、私にとってすべてが可愛らしく、愛おしいものであるからだ。また、私にはこのように大いなる乗り物(大乗)がいくらでもある。しかも、私は、これらの子供たちをすべて不平等にではなく、平等に考えるべきである。

 また、私は多くの倉庫や蔵、家を持っていて、私は、あらゆる衆生にもまたこのように大いなる乗り物を与えるであろう。まして況んや、自分の息子たちのためにはなおさらのことである』と。

 そして、その時、それらの子供たちは、それらの大いなる乗り物に乗って、不思議で驚くべき思いにとらわれるであろう。

 舎利弗よ、あなたはそれをどう考えるか?それらの子供たちに、
さきには3つの乗り物を示しておきながら、後にはそれらの子供たちのすべてに大いなる乗り物だけを与え、勝れた乗り物だけを与えたとすれば、その人には、まさに虚言があることにならないだろうか?」

ダウンロード (5)

 舎利弗が言った。

 「世尊よ、実にそのようなことはありません。人格を完成された人よ、実にそのようなことはありません。世尊よ、その資産家は、巧みなる方便によって、それらの子供たちをその燃え上がる家から脱出させ、生命を救いました。それらの子供たちを守ったということ、まさにこの理由によってその人は虚言者ではないでありましょう。それは、どんな理由によってでしょうか?世尊よ、自分の身体が無事であったことでこそ、すべてのおもちゃが得られたからであります。

 また、世尊よ、たとえその資産家が、それらの子供たちに一つの車も与えなかったとしても、世尊よ、その人は確かに虚言者ではないでありましょう。それは、どんな理由によってでしょうか?世尊よ、まさに同様に、この人はその直前に『私は、巧みなる方便によってこれらの子供たちを、その大きな苦しみの集まりから解放させよう』と考えていたからです。

 世尊よ、このことからしても、その資産家に虚言はないでありましょう。ましてや、多くの倉庫や蔵、家があるということを考えて、まさに息子たちに対する慈しみを抱き、称賛することによって、その人は一様で同一の乗り物、すなわち大いなる乗り物を与えたのであって、世尊よ、その人に虚言はありません」

 舎利弗からこのように言われて、世尊は、尊者舎利弗に次のようにおっしゃられた。

 「舎利弗よ、素晴らしいことである。素晴らしいことである。舎利弗よ、これはその通りである。これは、あなたが言う通りである。まさにこのように、舎利弗よ、正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダは、すべての恐怖が消え去っており、あらゆる苦難や、当惑、心配、苦悩、憂い、無知による暗黒、迷妄による暗黒というヴェールの覆いから、あらゆる点において、完全に解放されているのである。

 ブッダは、知の10種の力、説法における4つの畏れなきこと、ブッダに具わる18の特別の性質を具え、神通力によって大いに力があり、世間の父であり、卓越した巧みなる方便と知の最高の完成に至っていて、大いなる慈悲を持ち、むことのない心を持ち、衆生の幸せを求め、憐み深いのである。
 
ダウンロード (6)

 そのブッダは、生まれること・老いること・病になること・死ぬこと・憂い・悲しみ・苦しみ・悩み・悲哀によって無知という暗黒や、迷妄という暗黒のヴェールの覆いの中に留まっている衆生を貪愛とんあい、憎悪、迷妄の三毒から解放し、この上ない正しく完全な覚りへと教化するために、三界に生まれてくるのである。その三界は、大きな苦しみと悩みという火の集まりによって、屋根と覆いが燃え上がっている老朽化した邸宅のようなものである。

 そのブッダは、三界に出現するや否や、衆生が、生まれること・
老いること・病になること・死ぬこと・憂い・悲しみ・苦しみ・悩み・悲哀によって焼かれ、煮られ、熱せられ、苦痛を与えられているのを見る。それらの衆生は、享楽のゆえに愛欲を原因として、種々の苦しみを受けているのである。

 現世に、〔俗世間における名声・利益を〕むさぼることにより、またそれらを得ることによって、来世には、地獄や、畜生としての在り方や、閻魔えんまの世界において種々の苦しみを受けるであろう。神々や人間として生まれても貧困であり、嫌な人との人間関係を持ち(怨憎会苦おんぞうえく)、愛しい人と離れ離れになる(愛別離苦あいべつりく)という諸々の苦しみを受けるのである。

 また、まさにその苦しみの集まりの中にいながら、遊び、喜び、自ら楽しんでいる。恐れることもなく、怖がることもなく、恐怖に陥ることもな、気づくこともなく、理解することもなく、尻込みすることもなく、そこから脱け出すことを求めようともしない。しかも、まさにその燃え上がった家のような三界に満足し、ただあちらこちらに走り回っている。だから、その大きな苦しみの集まりによって苦しめられても、苦しみの思いや、意識を自覚することもないのだ。

 そこで、舎利弗よ、ブッダは次のようにご覧になるのだ。

 『私は、確かにこれらの衆生の父である。実に私は、これらの衆生をこのような大きな苦しみの集まりから解放させなければならない。また私は、これらの衆生が真実に遊び、喜び、自ら楽しみ、そして遊戯することができるように、これ
らの衆生に量り知ることもできない、考えることもできないブッダの智慧の喜びを与えなければならない』と。(つづく)


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【 2022/05/13 05:22 】

第3章 譬喩(譬喩品第3)  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

法華経譬喩品第3 「三車火宅の譬え」を説く①

 IMG_0001_NEW_0001_convert_20140619151440.jpg
舎利弗(中村晋也作『薬師寺・釈迦十大弟子』

 そこで、尊者舎利弗は、世尊に次のように申し上げた。

 「世尊よ、私は世尊の間近で面と向かって、この上ない正しく完全な覚りに到るであろうという私へのこの予言を聞いて、疑いがなくなり、疑惑が消滅しました。また世尊よ、世尊はかつて、これらの自在を得た1200人を、まだ学ぶべきことのある位に立たせられ、次のように教え、次のように導かれました。

 『男性出家者たちよ、私の説く真理の教え(法)と出家者の守るべき規則(律)は、次のことを究極とする。すなわち、生・老・病・死の憂いを超越して、安らぎ(涅槃)に達することである』と。

 また世尊よ、まだ学ぶべきことのある有学うがくと、もはや学ぶべきことのない無学からなる世尊のすべての弟子たちの中には、自己

にとらわれた見解(我見がけん)や、あらゆるものは存在するという見解(有見うけん)、あらゆるものは存在しないという見解(無見むけん)など、すべての誤った見解を離れていて、『実に我々は、すでに安らぎの境地に立っている』と自分のことを自認しているこれらの

2000人の男性出家者たちがいます。それらの男性出家者たちは、世尊の間近でかつて聞いたこともないこのような法を聞いて、疑惑に陥っています。

 世尊よ、世尊は、これらの男性出家者たちの疑惑を取り除くために、これらの四衆たちが、疑いもなく、困惑もなくなるように、その本当のことをお話しください」

 舎利弗からこのように言われて、世尊は、尊者舎利弗に次のようにおっしゃられた。

 「舎利弗よ、正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダは、種々の信順の志を持ち、種々の素質と考えを持った衆生の意向を理
解して、種々の教化方法を遂行することによる教説、すなわち多種多様な因縁、原因、例証、根拠、語源的説明などの巧みなる方便によって、法を説くのだと、そのように私はかつて、あなたに説明したではないか。

 ブッダは、まさにこの上ない正しく完全な覚りについてあらゆる法を教授することによって、まさに菩薩のための乗り物(菩薩乗)へと教化するのである。ところで実に、舎利弗よ、まさにこの意味を明示するために、私はあなたにさらに譬喩をなそう。そ
れは、どんな理由によってか?この世において、隋一の学識ある人たちは、語られたことの意味を譬喩によって了解するからである。
ダウンロード (6)

 舎利弗よ、例えば村、あるいは町、あるいは城市、あるいは地方、あるいは地方のある地域、あるいは王国、あるいは王城のどこかある所に今、衰弱した老人で、老齢に達した年長者であるが、裕福で、大きな財産を持ち、大いに享楽した暮らしを送っている一人の資産家がいるとしよう。

 また、その資産家の大きな邸宅は、高くそびえて、また広く、建てられて長年経過し老朽化しているが、200、あるいは300、あるいは400、あるいは500もの命あるものたちの住む所であって、その邸宅にはただ一つの門がある。その邸宅は、草で覆われていて、最上層が落下し、柱の根元は腐って、壁や障壁、漆喰しっくいは崩落している。
 
  
ダウンロード (5)
 
 そして、その邸宅がまさに突然、あらゆる側面において大きな火の塊によって悉く燃え上がったとしよう。その資産家には、5人、あるいは10人、あるいは20人もの多くの子供たちがいる。そして、その資産家はその邸宅から外へ脱出した。

 舎利弗よ、そこで、その資産家はその自分の邸宅が、大きな火の塊によってあらゆる方向から燃え上がっているのを見て、恐れ、おののき、恐怖に心を乱された。そして、次のように考えた。

 『私は、この大きな火のかたまりによって苦しめられず、焼かれないで、この燃え上がる家から、門を通って、このように速やかに、うまく脱出することも、逃げることもできる。けれども、幼い子供たちであるこれらの私の息子たちは、まさにこの燃え上がっている邸宅の中で、それぞれのおもちゃによって遊び、喜び、自ら楽しんでいる。また、この家が燃え上がっていることを知らないし、気づいてもいないし、理解してもいなければ、考えてもいないし、心の動揺に陥ってもいない。子供たちは、この大きな火の塊によって熱せられつつも、また大きな苦しみの集まりと遭遇していても、全く同じで、苦しみのことを考えることもない。それらの子供たちは、脱出しようという考えさえも起こさない』と。

 また舎利弗よ、その資産家は力があり、腕力があるとしよう。その資産家は、次のように考えた。

 『私は力があり、また腕力がある。そういうわけで、今、私はこれらのすべての子供たちを一つに寄せ集めて、腰に抱えて、この家から脱出させるとしよう』と。

 さらに、その資産家は次のように考えた。

 
『実にこの邸宅は、ただ一つの入口があるだけで、しかも戸が閉まっている。子供たちは移り気で、あちこちと動き回っている。だから、子供たちはこの大きな火の塊によって、不幸な災厄に陥るであろう。そういうわけで、私は今、これらの子供たちを励まそう』と。

ダウンロード (7)

 その資産家は以上のように考えて、それらの子供たちに語りかけた。

 『君たちよ、こちらへ来なさい。子供たちよ、逃げ出しなさい。この家は大きな火の塊によって燃え上がっている。君たちのすべてが、まさにここで、この大きな火の塊によって焼かれたり、不幸な災厄に遭わないように』

 ところが、それらの子供たちは、このように子供たちの安寧を願っているその資産家の言葉を聞いても、理解せず、身震いすることもなく、驚くことも、怖がることも、恐怖に陥ることも、考えることも、逃げ出すこともなく、この家が燃え上がっていることが、そもそも、どういうことなのかということを知ることもなく、了解することもない。

 その一方で、あちこちを走り回ったり、駆け回ったりしては、繰り返しその父を仰ぎ見ているだけである。それは、どんな理由によってか?もちろん、それは幼児性の本性によるものであるからだ。

 そこで、その資産家は、次のように考えるとしよう。

 『この邸宅は燃え上がり、大きな火の塊によって遍く燃え盛っている。もちろん、私も、これらの子供たちも、まさに今、この大きな火の塊によって不幸な災厄に遭うことがないように。そういうわけで、私は今、巧みなる方便によって、これらの子供たちをこの家から脱出させることにしよう』と。(つづく)

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【 2022/05/10 05:38 】

第3章 譬喩(譬喩品第3)  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

法華経譬喩品第3 舎利弗への未来成仏の予言

 ダウンロード (1)

 舎利弗からこのように言われて、世尊は、舎利弗に次のようにおっしゃられた。

 「舎利弗よ、神々に伴われ、悪魔に伴われ、ブラフマー神(梵天ぼんてん)に伴われたこの世間の人々の面前で、また沙門やバラモンに伴われた人々の面前で、私はあなたに語り、あなたに分からせてやろう。

 舎利弗よ、私はあなたを過去から現在に至るまで、数え切れないほど多くのブッダたちのもとで、この上ない正しく完全な覚りに向けて成熟させたのである。

 また、舎利弗よ、あなたは長い歳月にわたって、私から学んだのである。舎利弗よ、そのあなたは、あなたが菩薩であるという
誡に沿って、またあなたが菩薩であるという秘密によって今、私の教えの中に生まれてきたのである。

 舎利弗よ、そのあなたは、私がかつて菩薩であった時に加えた不思議な力(加持かじ)によって、あなたがなしたその過去の修行と誓願、さらにはあなたが菩薩であるという
誡、あなたが菩薩であるという秘密を思い出すことがないのだ。それなのにあなたは、『私は、安らぎ(涅槃ねはんh)を得ている』と思っていた。

 舎利弗よ、その私は、あなたが過去において修行したこと、誓願したこと、知を覚知したことをあなたに思いださせることを欲していて、私は、この広大なる菩薩のための教えであり、すべてのブッダが把握している「妙法蓮華経」という法門の経を声聞たちに説き明かすのである。

 またさらに、舎利弗よあなたは、未来の世に世間において、量り知れず、考えることもできない無量のこうにわたって、数え切れないほど多くのブッダの正しい教えを受持して、また種々の供養をなして、まさにこの菩薩としての修行を完成して、華光けこう如来紅蓮華ぐれんげの輝きを持つもの)とう名前の正しき完全に覚ったブッダとなるであろう。

 舎利弗よ、さらにその時、華光如来離垢りくという名前の国土は平坦で、喜びにあふれ、素晴らしく、最高に極めて美しく、全く清らかで、豊かで、繁栄しており、安穏で、豊富な食糧に恵まれ、多くの人々と女性の群衆が充満し、また神々が入り乱れ、大地は瑠璃るりで造られ、八方に道が伸びるロータリーに黄金の糸が張られているであろう。そして、それらのロータリーには、宝の樹木があって、七宝からなる花と果実を常に着けているであろう。

ダウンロード (3)

 舎利弗よ、その華光如来もまた、まさに3つの乗り物について法を説くであろう。さらにまた、舎利弗よ、そのブッダは汚濁した時代に出現することはないであろう。けれどもなお、誓願の意志によって法を説くであろう。

 また、舎利弗よ、その劫の時代は大宝荘厳だいほうしょうごん(貴重なる宝石で飾られたもの)というう名前であろう。舎利弗よ、あなたはそれを何と考えるか?いかなる理由によって、その劫は大宝荘厳と言われるのか?舎利弗よ、ブッダの国土においては〔覚りを求める人である〕菩薩は宝だと言われるからだ。

 その時、その「塵芥じんかいがない」という世界には、それらの多くの菩薩たちがいるであろう。それらの菩薩たちは、無量、無数で、考えも及ばず、比べることもできず、量ることもできないもので、ブッダによる計算以外では計算を超越しているのだ。そういう理由によって、その劫は大宝荘厳と言われるのである。

 さて、その時、舎利弗よ、それらの菩薩たちは、大部分がそのブッダの国土において〔一歩ごとに足の下に生ずる〕宝石の紅蓮華の上を遊歩するものとなるであろう。また、それらの菩薩たちは、覚りを求めて初めて発心したものたちではなく、長い間、善い果報をもたらす立派な行ないを積み、幾百・千もの多くのブッダたちのもとで純潔の行ないを実行し、ブッダによって称賛され、ブッダの智慧に熟達し、大いなる神通を身に具えて出現し、あらゆる法の導き方に精通し、温和で、思慮深いであろう。舎利弗よ、そのブッダの国土は、ほとんど全くこのような菩薩たちで満たされるであろう。

 さらに、舎利弗よ、その華光如来というブッダの寿命の長さは、ブッダとなる前の王子であった時のことを除いて12中劫であるだろう。また、それらの衆生の寿命の長さは、8中劫であるだろう。

 また、舎利弗よ、その華光如来というブッダは、12中劫の経過の後、堅満けんまん(堅固さで満たされたもの)という名前の偉大な人である菩薩に対して、次のようにこの上ない正しく完全な覚りに到るであろうという予言をなしてから、完全な滅度に入るだろう。

 『男性出家者たちよ、この堅満菩薩は、私に続いてこの上ない正しく完全な覚りを得るであろう。そして、華足けそく安行(紅蓮華の上を牡牛のように遊歩するもの)という名前の正しく完全に覚られたブッダとして、世間に出現するであろう』と。

 舎利弗よ、その華足安行というブッダの国土もまた、まさに同様であるだろう。

 さらにまた、舎利弗よ、その華光如来が完全なる滅度に入った後で、そのブッダの正しい教え正法)は32中劫の間、存続するであろう。それから、そのブッダの正しい教えが失われて、そのブッダの正しい教えに似た教え(像法)が32中劫の間、存続するであろう」


ダウンロード
鹿野苑(現サールナート)に立つダメーク・ストゥーパ

 すると、それらの男女の出家者・男女の在家信者の四衆たちや、神々、龍、夜叉、阿修羅、人間、人間以外のものたちは、この上ない正しく完全な覚りに到るという舎利弗へのこの予言を、世尊の間近で面と向かって聞いて、満足し、高揚し、心が満たされ、狂喜し、喜悦と歓喜を生じ、それぞれ自分の衣で世尊を覆った。

 また、神々の帝王である帝釈天たいしゃくてんや娑婆世界の主である梵天ぼんてん、他の数え切れないほど多くの神々の子たちが、天上の衣で世尊を覆った。さらに天上の曼陀羅華まんだらけ曼珠沙華まんじゅしゃけの花を世尊に降りかけた。また、天上の衣を上空において旋回させた。また、幾百・千もの楽器や、太鼓を上空において打ち鳴らし、大いなる花の雨を降らせて、次のように言葉を告げた。

 
「以前、世尊はヴァーラーナシーのリシパタナ(仙人の住む所)にある鹿野苑ろくやおんにおいて、この真理の車輪を転じられましたが、今、世尊は再びこの上ない第二の真理の車輪を転じられました」と。

ダウンロード (1)
多宝山から望む霊鷲山

 そして、それらの神々の子たちはその時、次の詩を告げた。

 「対抗し難い身体を持たれる方よ、あなたは、世間において真理の車輪を転じられま
 した。偉大なる勇者よ、ヴァーラーナシーにおいて〔しきじゅそうぎょうしきの5つの〕
 集まり(五蘊ごうん)の生起と消滅についての真理の車輪を転じられました。

 指導者よ、そのヴァーラーナシーの鹿の園においては第一の真理の車輪が、このマガ
 ダ国の霊鷲山りょうじゅせんにおいては第二の真理の車輪が転じられました。指導者よ、それらの
 人
たちにとって信じ難い法が今、説かれました。

 世間の保護者の面前で、私たちは、これまで多くの法を聞きました。けれども、この
 ような法を以前には決して聞いたことがありません。

 偉大なる勇者よ、偉大なる聖仙たちの深い意味が込められた言葉を聞いて私たちは喜
 びましょう。恐れるところのないこの聖なる舎利弗に、まさに未来における成仏の予
 言をなされたということを。

 私たちもまた、世間においてこのようにこの上ないブッダとなり、深い意味が込めら
 れた言葉によってこの上ないブッダの覚りを説き続けたいものです。

 われわれがこの世において、あるいは過去の他の世のにおいてなした有徳の行為、ま
 たブッダに出会ったということ、それが覚りを求める願望をかなえるものとなって欲
 しいものです。(つづく)

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【 2022/05/06 05:16 】

第3章 譬喩(譬喩品第3)  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

法華経譬喩品第3 舎利弗の反省と決意

 第1章 譬 喩(譬喩品第3)

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舎利弗(中村晋也作『薬師寺・釈迦十大弟子』)その時

 その時、舎利弗は満足して、心が高揚し、狂喜し、愉悦し、喜悦と歓喜を生じ、世尊のおられるところに向かって合掌して敬礼し、世尊を仰ぎ見ながら、次のように世尊に申し上げた。

 「世尊よ、世尊の間近で今、このような言葉を聞いて、私は不思議で驚くべき思いに満たされ、大いなる歓喜を得ました。それは、どんな理由によってでしょうか?世尊よ、私はこれまで世尊の間近でこのような教えを聞くことがなかったので、ほかの菩薩たちを見たり、菩薩たちの得る未来の世におけるブッダとしての名前を聞いても、私はこのようなブッダの知見から落伍していると思って、とても悲しみ、大変に悩んでいたからです。
 
 そして、世尊よ、昼間の休息を取るため、山や岩の洞穴、森や林、園林、河、樹木の根もとといった静かな所に行く時も、私はいつもこのように悲しみ、悩みながらそぞろ歩きをして休息をとっておりました。

 『確かに〔諸々の法の根源である〕真理の世界に入ることは同じであっても、世尊は私たちに貧弱な乗り物(小乗を)与えられたのだ』と。

 また、世尊よ、その時、私に次のような考えが生じました。

 『この過ちは、実に私たちのものであって、世尊の過ちではない』と。

 それは、どんな理由によってでしょうか?もしも、卓越した説法、すなわちこの上ない正しく完全な覚りについての説法を私たちが、世尊に期待していたならば、世尊よ、私たちは、まさにそれらの法について完成されたことでありましょう。

 しかるに世尊よ、菩薩たちがまだそばにいなかった時、世尊の深い意味が込められた言葉を理解しない私たちは、世尊がまさに最初に語られた説法を聞いて、性急にそれを究極の教えだと思い込んで、受持し、修行し、思いをめぐらし、考えました。そのために、世尊よ、この私は実に自分を非難することによって、昼と夜の大部分を過ごしているのです。

 けれども、世尊よ、私は今日、安らぎを得ました。世尊よ、私は今日、完全に解脱しました。世尊よ、私は今日、阿羅漢の位に達しました。世尊よ、私は今日、世尊の最年長の息子としてブッダの胸から生まれ、口から生まれ、法から生まれ、法から化作され、法の相続人であり、法によって完成されました。世尊よ、私は今日、今まで聞いたこともないこのような驚くべきこの法を世尊の間近で世尊の言葉を通して聞いて、苦悩が取り除かれました。


 ダウンロード (1)

 するとその時、舎利弗は次の詩によって世尊に申し上げた。

 「偉大なる指導者よ、この言葉を聞き、私は不可思議な思いにとらわれ、大いなる歓
 喜を生じています。私には、これ以上何も疑問はありません。私は今、最上の乗り物
 (一仏乗)において成熟させられました。

 人格を完成された人たちの驚嘆すべき声は、生命あるものたちの疑惑と憂いを取り払
 います。人格を完成された人の声を聞いて、私は汚れが尽きて、私の憂いはすべて除
 かれました。

 これまでは、昼間の休息にそぞろ歩きしながら森や林、園林、しかも木の根元、さら
 にまた岩の洞穴をしばしば訪れて私は次のように憂慮の思いを抱いておりました。

 『ああ、私は邪悪な心によってあざむかれていた。汚れのない同一の法の中にあって、迷
 いの世界である三界において私が、最上の法を未来の世に説くというようなことは恐
 らくないであろう。

 ブッダの身体に具わる32種類の特徴は私から消え去り、また黄金の色の皮膚の性質も
 失われ、ブッダに具わるこれらの10の力や、8つの解脱はすべて無に帰している。同
 一の法の中にあって、ああ、私は愚かである。

 また、偉大な聖者たちの身体に具わっている完全で、最も勝れた、特殊な80種類の副
 次的特徴も、ブッダに具わる18種類の特別の性質も、それらは、私から消え去ってい
 る。私は誤った考えに欺かれているのだ』

 また世間の人々の安寧を願って同情しておられるあなたにお会いしながらも、私は、
 昼間の休息に独りで歩き回りながら、『ああ、私は考えることも及ばず、滞ることも
 ない智慧を欠いているのだ』と、私は思い込んでいました。

 保護者よ、私は昼と夜の大部分をこのように考えながら過ごしています。私はまず第
 一に、世尊にお尋ねしたい。『いったい、私はブッダの知見から落伍しているのでし
 ょうか?あるいは、そうでないのでしょうか?』と。
 
 また、勝利者たちの王よ、世間の指導者であるあなたが、他の多くの菩薩たちを称讃
 されるのを見てからというもの、私がこのように考えている間に、いつも昼と夜は経
 過していきます。

 その私は、このブッダの法を聞いて、勝利者は、覚りの座において、思議を超え、量
 り知れないほどきめ細かい、汚れを離れた知を確立され、深い意味を込めて、実にこ
 のようにこの知を語られるのだと考えました。

 
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舎利弗が修行したとされる霊鷲山の洞窟

 確かに私は、かつて誤った見解に固執していたし、仏教以外の外道げどうに尊敬された遊行
 者でありました。そこで、保護者は私の意向をお知りになって、誤った見解から解放
 するために安らぎ(涅槃)について話されました。

 私はそれらの邪見を完全に脱却して、あらゆるものごとがくうであることを覚知したの
 で、『私は安らぎを得たのだ』と思いました。しかし、これは、真の安らぎであると
 は認められません。

 完全な安らぎは、32種類の特徴を具えた身体を持ち、人間、神々、夜叉やしゃ羅刹らせつらによ
 って尊敬される最高の人であるブッダになった時、生ずるのであります。

 実に、神々に伴われた世間の人々の前で、あなたが私に最上の覚りへと到るであろう
 と予言をされた時、その声を聞いて、私のすべての疑惑は除かれました。私は今、安
 らぎに到りました。

 しかしながら、最初に指導者の語られたことを聞いた時、激しい恐怖心が私に怒りま
 した。『ああ、実に恐ろしいことだ。あの悪魔が地上にブッダの姿を仮作けさして現われ
 悩乱しているのではないことを願いたい』と。

 けれども、諸々の原因や因縁、そして数え切れないほど多くの譬喩によってその最も
 勝れたブッダの覚りが示され確立された時私は法を聞いて疑いがなくなりました。

 あなたが私に、完全なる滅度に入られた過去の勝利者である数え切れないほど多くの
 ブッダたちを称讃され、さらに、巧みなる方便に立脚して、それらの過去のブッダた
 ちがこの法をどのように説き示したのかを称讃された時、

 また、多くの未来のブッダたちや、現在、世間において最高の真理を見ておられるブ
 ッダたちが、幾百もの巧みなる方便によって法を未来に説かれるであろうし、また現
 在、説いておられるのを、あなたが称讃された時、

 また、あなたが出家されてからこの方、あなた自身の修行はどのようであったのか、
 あなたが覚られた真理の車輪はどのようなものであるのか、そしてあなたの説法は
 どのようであり続けたのか、ということを称讃された時、
  
 その時、私は『これは悪魔ではない。世間の保護者が真実の行ないを示されたのだ。
 もちろん、そこには悪魔たちのつけいるところは存在しない。私の心が、疑心にとら
 われていただけである』と知りました。

 けれども私が、甘く深遠で美しいブッダの声によって喜ばせられた時、私のあらゆる
 疑惑は打ち破られ、疑心は消滅し、私はブッダの智慧の中に立っています。

 神々に伴われたこの世間において、私は確実にブッダとなって尊敬されるでありまし
 ょう。そして、多くの菩薩たちを鼓舞しつつ深い意味を込めてこのブッダの覚りを説
 くでありましょう」(つづく)

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テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2022/05/03 05:22 】

第3章 譬喩(譬喩品第3)  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |
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