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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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法華経提婆達多品第12 法華経を聞くために奴隷となった王

 第11章 ストゥーパの出現=続き
提婆達多品 だいばだったほん第12)
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 その時、世尊は、菩薩の群衆全体と、神々やアスラに伴われた世間の人々に語りかけ、次のようにおっしゃられた。

 「男性出家者たちよ、昔のことだが、過去の世において私は、無量で数えることもできない多くの劫にわたって、「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という経を探し求めて、むこともなく、休息することもなかったのだ。私は昔、多くの劫にわたって、幾100・1000もの多くの劫にわたって、王であった。この上ない正しく完全な覚りへ向けて誓願をなしていて、私の心が退転することはなかった。

 私は、6種類の完成(六波羅蜜 ろくはらみつ)の成就のために勤勉であったし、無量の布施をなした。金、宝石、真珠、瑠璃 るり螺貝 らがい碧玉 へきぎょく珊瑚 さんご、黄金、銀、瑪瑙 めのう琥珀 こはく、赤真珠、村や、町、城市、国、王国、王城、妻、息子、娘、女召使い、職人、雇い人、象、馬、車、さらには自分の身体までも布施するものであり、手、足、身体の最も重要な部分である頭、身体の各部分、そして生命をも与えるものであった。しかも、私に執着心が生ずることは未だかつてなかった。

 その時、この世間の人々は長寿であり、幾100・1000もの長い歳月を生きている間に、私は、世俗的な欲望のためではなく、法のために王位に就いていたのである。その私は、最年長の王子を王位に就かせると、四方に最も卓越した法を求めて奮励し、鐘を鳴らして次のように宣言したのである。

 
『私は、最も卓越した法を私に与え、その意味を示してくれる人の奴隷になろう』

ダウンロード (1)

 その時、一人の仙人がいて、私に次のように告げた。

 『大王よ、最も卓越した法についての教説で、「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という名前の経がある。もしもあなたが、私のために奴隷の仕事をすることを承諾するならば、私はあなたにその法を聞かせよう』

 私は仙人の言葉を聞いて、喜び、満足し、心が高揚し、狂喜し、愉悦と歓喜を生じて、その仙人のおられるところに近づき、次のように申し上げた。

 『あなたのために奴隷のなすべき仕事を私がなしましょう』

 私は、その仙人の奴隷となることに同意して、草や、土、飲み水、球根、根、果実などを採取する奴隷としての仕事をなしたし、私は門番の仕事でさえもやったのだ。昼間は、このような種類の仕事をなして、夜は寝ている〔仙人の〕寝台の脚の代わりを私は担ったのだ。

 
それでも、私は身体の疲れもなく、心に疲れが生ずることもなかった。そして、私がこのように〔奴隷の仕事を〕している間にまるまる1000年が過ぎ去ったのだ」

 するとその時、世尊はまさに以上の意味を明らかにしながら。次の詩を述べられた。

 「何劫もの過去のこと、私は思い出す。私が法にかなった正義の王であった時、私は
 法のためにその王国を統治したのであって、欲望を満たすためではなかった。最も卓
 越した法のためであったのだ。
 
 私は四方に次の号令を発した『私は法を説いてくれる人の奴隷となって仕えよう』
 と。その時、「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という名前の経を説く人で、
 聡明なる一人の仙人がおられた。

 その仙人が私に言われた。『もしも、あなたが法を渇望するならば、私の奴隷になり
 なさい。そうすれば、私は教えを説きましょう』と。私はその言葉を聞いて満足し、
 その時以来、私は奴隷にふさわしい仕事をなしたのである。

 
ダウンロード (2)
 正しい教えのために奴隷になったのであるから、身心の疲労も私を疲弊 ひへいさせることは
 なかった。その時、私は自分のためではなく、欲望のためでもなく、衆生のための誓
 願があったのだ。

 その時、その王は、「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という名前の経を得る
 まで、十方に赴いて努力精進に励み、奴隷以外の他の仕事をせずに、まるまる1000個
 もの長い間、怠ることがなかった。

 男性出家者たちよ、あなたたちは、それをどう考えるか?その時その情況で、誰か別の人がその王であったと見なすか?しかしながら、決してそのように見なすべきではない。それは、どんな理由によってか?私こそが、その時その情況でその王であったからである。(つづく)

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【 2022/11/29 05:26 】

第11章 ストゥーパの出現=続き(提婆達多品第12)  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

法華経見宝塔品第11 六難九易を挙げ滅後の弘教の困難さを強調

 ダウンロード (1)

 誰かある人が、ガンジス河の砂の数のように、幾千もの数多くのそれらの経典を説き
 明かすとしても、それは困難なことではない。

 人が、スメール山を片手で握りしめてつかみ、幾コーティもの多くの国土に放り投げ
 るとしても、それは困難なことではない。

 人が、この三千大千世界を足の親指一本で震動させ、幾コーティもの多くの国土に蹴
 りとばすとしても、それは困難なことではない。

 人が、この世界の最上部である有頂天 うちょうてんに立って、幾千もの他の経典について法を説
 くとしても、それは困難なことではない。

 しかしながら、世間の王〔であるブッダ〕が完全なる滅度に入った後、極めて恐ろし
 い後の時代に、人がこの経典を受持したり、語ったりするならば、それは極めて困難
 なことである。

 しかしながら、人が、すべての虚空界 こくうかいを片方の握りしめた手の中に置くとして手の
 中に入れたまま歩き回るとしても、それは困難なことではない。

 しかるに、私が滅度した後、〔極めて恐ろしい〕後の時代において、人がこのような
 経を書写でさえもするならば、それは困難なことである。

 人が、大地の要素のすべてを爪の上に乗せて、乗せたまま歩き回り、ブラフマー神の
 世界にさえも赴くとしよう。

 この世において、一切世間の人々の前で、その困難なことをなしても、その人は、困
 難なことなどなしていないのであり、この人の努力はそれほど大したことではないの
 だ。

 それに対して、私が完全なる滅度に入った後〔極めて恐ろしい〕後の時代において、
 この経を瞬時の間でも説くならば、その人のほうが、この前者の人よりもさらに困難
 なことをなしているのである。
ダウンロード

 世界が劫火 ごうかで焼き尽くされている時、人がその中を歩き回り、火に焼かれることなく
 乾草 ほしくさの荷を運ぶとしても、これは困難
なことではない。

 それに対して、私が完全なる滅度に入った後、この経を受持して、一人の人にでさえ
 も聞かせるならば、この人のほうが、その前者の人よりもさらに困難なことをしてい
 るのである。

 八万四千の法の集大成(法蔵)、およびそれらの法についての解釈を受持し、教えら
 れた通りのことを幾コーティもの多くの生命あるものたちに説き示すとしても、

 その時、男性出家者たちのために教導して、私の弟子(声聞)たちを五神通を持つも
 のに至らしめるとしても、これは決して困難なことではないのである。

 それに対して、この経を受持したり、信じたり、信順したり、あるいは繰り返して説
 くならば、その人にとって、これはさらに困難なことである。

 ガンジス河の砂の数のように幾千.・コーティもの多くの六神通をそなえた極めて著名
 な人々を、阿羅漢の位に立たせるとしても、

 実に私が完全なる滅度に入った後で、私の最も勝れた経を受持する最上の人のほう
 が、それよりもさらに多くのなしがたい行ないをなしているのである。

 ブッダの智慧のために、私は幾千もの世界において多くの法を説いたし、今もまた私
 は説いているのだ。

 しかも、この経典は一切経の中で最も勝れたものであると言われていて、この経を受
 持する人は、勝利者の身体を受持することになるであろう。

 さあ、良家の息子たちよ、あなたたちの面前にブッダがおられるので、あなたたちの
 中で誰であっても、〔極めて恐ろしい〕後の時代にこの経を受持することに耐えるも
 のは、その誓いの言葉を語るがよい。

 受持し難いこの経を一瞬でも受持する人は、ことごとく世間の保護者たちのために偉
 大なる喜ばしい行為をなしているのである。

 その人は、常に世間の保護者たちによって称賛されており、誇りのある英雄であり、
 また速やかに神通を得て、覚りを得るであろう。

 この経を受持する人は、〔衣食住についての貪りや欲望を払い捨てて清浄に修行に励
 む〕頭陀行 ずだぎょうを実践する人であり、世間の保護者の嫡出子 ちゃくしゅつしであって、心を調伏 じょうぶくし 
 た境地(淳善地 じゅんぜんじ)に到達しているのである。

 人間の指導者が完全なる滅度に入った後で、この経を説き示すならば、その人は神々
 や人間に伴われた世間において眼を生じたものとなるのである。

 ブッダが滅度した後の時代において、一瞬の間だけでもこの経を説き示す人は、あら
 ゆる衆生にとって賢者であり、あらゆる衆生から称讃されるべきである」(つづく)

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【 2022/11/25 05:23 】

第11章 ストゥーパの出現(見宝塔品第11)  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

法華経見宝塔品第11 滅後の弘教をテーマに虚空会の儀式が開幕

 ウンロード
二仏並坐(妙応寺一塔両尊像)

 すると、多宝如来釈迦牟尼如来にその獅子座の座席の半分を与え、宝石造りの大いなるストゥーパの中で、次のように言った。

 「世尊である釈迦牟尼如来は、ここにお坐りになってください」

 そこで、釈迦牟尼如来は、多宝如来とともにその座席の半分に坐られた。そして、その二人のブッダが、その宝石造りの大いなるストゥーパの中央の獅子座に並んで座って、上方の空中に留まっているのが観察された。

 その時、それらの四衆たちに次の思いが生じた。

 「私たちは、これらの二人のブッダから遠く離れている。そういうわけで、今、私たちもまた、釈迦牟尼如来の威神力によって空中に昇りたいものだ」と。

 その時、釈迦牟尼如来は、それらの四衆たちに語りかけられた。

 「男性出家者たちよ、あなたたちの中の誰が、このサハー世界においてこの
「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を説き示すことに耐えられるであろうか?ブッダの私が、あなたたちの「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を付嘱して後に、ブッダの私は、完全なる滅度に入ることを欲しているのだ」

 そこで、世尊はその時、次の詩を述べられた。

 「既に滅度した指導者であるこの偉大なる聖仙が、この法を聴聞するために宝石で造
 られたストゥーパに入ってやって来た。男性出家者たちよ、誰が教えのために努力精
 進をなさないであろうか?

 完全なる滅度に入ってから幾コーティもの多くの劫を経過していても、実にその指導
 者は今でも法を聴聞し、教えのために、あちこちに赴く。このような法は極めて得が
 たいのである。

 この指導者は過去の生存において誓願を立てていて完全なる滅度に入った時でも、
 十方のすべてにおけるこの全世界に法を聴聞することを尋ね求めるのである。

 ガンジス河の砂の数のように幾1000・コーティもの多くのこれらのブッダたちは、す
 べて私の身体から化作されたものたちでありそれらのブッダたちは義務を遂行して、
 完全なる滅度に入ったこの保護者に会うためにやって来たのだ。

 それぞれの自分の国土も、同じく弟子たちも、人間と神々のすべてをも放置して、す
 べてのものたちは、真理を見る眼が久しく住するように、正しい教えを保護するため
 にここへやって来たのである。

 私は、これらのブッダたちが坐る場所を確保するために、神通力によってあらゆる衆
 生を他の世界に移したし、そのようにして幾1000・コーティもの多くの世界を清らか
 にしたのである。

ダウンロード
 
紅蓮華

 『どうしたら、この真理を見る眼を明らかにすることができるであろうか?』ー私に
 は、このような不安があった。けれども、これらの無量のブッダたちは、紅蓮華 ぐれんげの集
 まりのように、木々の根もとに坐っている

 あたかも暗闇が火によって照らされるように幾コーティもの多くの木の根もとが、
 獅子座に坐っている指導者たちによって常に輝いて、存在し続けている。

 世間の指導者たちの心地よい香りは十分に漂い、これらの衆生は、すべて常にこの世
 にあって、香りを漂わせた微風にうっとりと魅了されている。

 私が完全なる滅度に入った後に、この法門を受持しようとするものは、世間の指導者
 たちの面前で速やかに決意の言葉を語るがよい。

 完全に覚った多宝という聖者は、確かに完全なる滅度に入っているが、この法門を受
 持しようとする決意をなす人の獅子吼 ししくを聞くであろう。

 多宝如来を第一として、第二のブッダである私と、これらの幾コーティもの多くの十
 方からやって来た指導者たちは、この法を説き示すことに耐えようとする勝利者の息
 子〔である菩薩〕からその決意を聞くであろう。

 また、その勝利者の息子は、私を常に供養するであろうし、またこの法を聴聞するた
 めに常に四方八方に赴く多宝という勝利者で、独立自存するものを常に供養するであ
 ろう。

 今ここに現われ来たって、この大地を美しく彩り輝かせているこれらの世間の人々の
 保護者たちに対しても、勝利者の息子は人々に経典を説き示すことによって、多くの
 莫大な供養をなすであろう。
 
 また〔勝利者の息子は、経典を説き示すことによって、〕この座席に坐っている私と、
 ストゥーパの中にいるこの世尊の多宝如来と、幾1000・コーティもの多くの国土か
 ら現われ来ったこれらの他の数多くの世界の保護者たちを見るであろう。

 ああ、良家の息子たちよ、あなたたちは思いを馳せるがよい。指導者たちは、あら
 ゆる衆生に対する憐みによって、この極めて困難な状況に耐えておられるのだ。
                                 (つづく)

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【 2022/11/22 05:29 】

第11章 ストゥーパの出現(見宝塔品第11)  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

法華経見宝塔品第11 扉を開くと多宝如来の姿が出現

 ダウンロード (3)

 するとその時、一つひとつの方角にある200万・コーティ・ナユタもの世界は、それらのブッダたちによって八方の方角から遍く占められた。そこで、それらのブッダたちは、それぞれ自分の獅子座に坐り、それぞれ自分の侍者たちを釈迦牟尼世尊のそばへと派遣された。その際、それらの侍者たちに宝石の花の房を与えて、次のように言われた。

 「あなたたちは、霊鷲山 りょうじゅせん(グリドラクータ山)に行くがよい。行ってから、さらにそこで、その正しく完全に覚った尊敬されるべき世尊の釈迦牟尼如来に敬意を表して後に、私たちの名において、世尊が菩薩の群衆や声聞の集団とともに無病息災 むびょうそくさいでいらっしゃるか、元気でいらっしゃるか、安穏に過ごしていらっしゃるかを尋ねるがよい。また、この宝石の集まりを振り撒き、次のように言うがよい。
 
 
『確かに、世尊であるブッダは、この宝石造りの大いなるストゥーパの扉を開くことについて承諾をされました』と」
 
 このように、それらのすべてのブッダたちは、それぞれ自分の侍者たちを派遣された。

 するとその時、世尊である釈迦牟尼如来は、自分の化作した分身のブッダたちが残らず集合し、それぞれ別々に獅子座に坐ったのをお知りになった。また、それらの正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダたちの侍者たちが、派遣されてやって来たのを知り、また、それらのブッダたちが宝塔の扉を開くことについて承諾すると告げたこをを知って、その時、自分の法座から立ち上がり、上方の空中に留まられた。

ダウンロード (4)

 それらのすべての四衆たちは、座席から立ち上がって、合掌し、世尊の顔を仰ぎ見つつ不動のままでいた。

 すると世尊は、空中に留まっているその宝石造りの大いなるストゥーパの真ん中の所を右手の指で開かれた。開いて、さらに二つの壁を大きく拡げられた。あたかも、大きな都城の入口にある半球形をした大きな両扉が、かんぬきをはずされて拡げられるように、世尊は空中に留まっているその宝石造りの大いなるストゥーパの真ん中の所を右手の指で開いて中を顕わされた。

 その宝石造りの大いなるストゥーパが開かれると直ちに、世尊である多宝という正しく完全に覚られた尊敬されるべきブッダの姿が現れた。そのブッダは、身体は干からびきっているが、全身が完全にそろっていて、結跏趺坐して獅子座に坐り、あたかも三昧 さんまいに入っておられるかのように観察された。そして、多宝如来は、次のような言葉をおっしゃられた。

 「素晴らしいことです。素晴らしいことです。釈迦牟尼世尊よ、あなたは、この
「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を巧みに説かれました。釈迦牟尼世尊よ、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門をを集会の真ん中で説いておられるあなたは、実にまた素晴らしい。世尊よ、私はまさにこの「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を聴聞するために、ここにやってまいりました」

 すると、それらの四衆たちは、多宝如来が、完全なる滅度に入られてから幾100・1000・コーティ・ナユタもの多くの劫が経過しているにもかかわらず、そのように今、語っておられるのを見て、不思議な思いに満たされた。

 その時、それらの四衆たちは、正しく完全に覚られた尊敬されるべきブッダであるその多宝如来と、釈迦牟尼如来に、天上界と人間界の多量の宝石を振り撒いた。(つづく)

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【 2022/11/18 05:27 】

第11章 ストゥーパの出現(見宝塔品第11)  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

法華経見宝塔品第11 釈迦牟尼如来の分身のブッダたちの招集

 ダウンロード (1)

 さらにまた、その時、この三千大千世界は、ブッダで満たされていたが、世尊である釈迦牟尼如来の自己の身体から化作された分身のブッダたちは、未だに一つの方角からでさえも、誰も来ておられなかった。

 そこでさらに、世尊である釈迦牟尼如来は、次々にやって来るそれらのブッダの身体を持つ分身たちが坐るための場所を確保された。八つの方角のすべてにおける、200万・コーティ・ナユタもの無数のブッダの国土はすべて瑠璃で造られ、七宝や黄金の網で覆われ、鈴の網で飾られ、マーンダーラヴァと大マーンダーラヴァの花が撒き散らされ、天上の日傘が差し掛けられ、天上の花の環が垂れ下がり、天上の香料の香りで薫じられていた。

 また、釈迦牟尼如来は、それらの200万・コーティ・ナユタもの無数のブッダの国土のすべてを、村も、町、城市、国、王国、王城もなく、カーラ山もなく、ムチリンダ山も、大ムチリンダ山もなく、チャクラヴァーダ山も、大チャクラヴァーダ山もなく、スメール山もなく、そのほかの大きな山もなく、大きな海もなく、川も、大きな河川もなく、神々も、人間、アスラの集団もなく、地獄も、畜生界も、ヤマの世界もないものに整然とならしめられた。

 また、釈迦牟尼如来は、それらの多くのブッダの国土のすべてを平坦で、喜びに満ちて、七宝造りの樹木で飾られたただ一つのブッダの国土、ただ一つの大地に整然とならしめられた。また、それらの宝樹には、500ヨージャナの高さと幅があり、枝や、葉、花、果実を規則正しくつけていた。
 
 すべての宝樹の根もとには、天上の宝石でつくられた色とりどりで、見るも美しい500ヨージャナの高さと幅を持つ獅子座が設けられていた。それらの獅子座に、次々とやって来た分身のブッダたちは結跏趺坐して坐られた。このようにして、さらにまた釈迦牟尼如来は、一つひとつの方角の他の200万・コーティ・ナユタの世界も完全に清められた。

 それらの次々とやって来たブッダたちが坐るための場所を確保するために、釈迦牟尼如来は、一つひとつの方角のそれらの200万・コーティ・ナユタの世界もまた、
村も、町、城市、国、王国、王城もなく、カーラ山もなく、ムチリンダ山も、大ムチリンダ山もなく、チャクラヴァーダ山も、大チャクラヴァーダ山もなく、スメール山もなく、そのほかの大きな山もなく、大きな海もなく、川も、大きな河川もなく、神々や、人間、アスラの集団もなく、地獄も、畜生界も、ヤマの世界もないものに整然とならしめられた。また、それらのすべての衆生は、諸々の他の世界に移し置かれた。

ダウンロード (2)

 それらのブッダの国土もまた、瑠璃で造られ、七宝や黄金の網で覆われ、鈴のついた網で飾られ、マーンダーラヴァと大マーンダーラヴァの花が撒き散らされ、天上の日傘が差し掛けられ、天上の花の環が垂れ下がり、天上の香料の香りで薫じられ、宝樹で飾られていた。

 また、それらのすべての宝樹は、500ヨージャナの高さを持ち、その根もとには500ヨージャナの高さの獅子座が化作された。そこで、それらのブッダたちは、それぞれ別に、宝樹の根もとにある獅子座に結跏趺坐して坐られた。

 さらにまたその時、釈迦牟尼世尊によって化作され、東の方角におけるガンジス河の砂の数に等しい幾100・1000・コーティ・ナユタものブッダの国土において衆生に法を説き示していたブッダたちのすべてが、サハー世界にやって来られた。さらに十方からそれらの分身のブッダたちがやって来て、八方に坐られた。(つづく)

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【 2022/11/15 05:26 】

第11章 ストゥーパの出現(見宝塔品第11)  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

法華経見宝塔品第11 十方のブッダの国土で説法しているブッダの招請

 ダウンロード (7)

 すると、大楽説菩薩は、世尊に次のように申し上げた。

 「世尊よ、私たちは、世尊の威神力によってそのブッダの身体を拝見させていただきたいものです」

 大楽説菩薩からこのように言われて、世尊は次のようにおっしゃられた。

 「しかもまた、大楽説よ、世尊である多宝如来の誓願は、重要なものであった。このブッダの誓願とは、次のことである。
 
 『実に他の諸々のブッダの国土において、世尊であるブッダたちが、この
「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を説かれる時、その時、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を聴聞するため、私の全身を安置したこのストゥーパはブッダたちのもとへ赴くであろう。

 なお、それらの世尊であるブッダたちが、このストゥーパを開いて、私の全身を四衆に見せたいと願うならば、ブッダは、自分の身体から
化作 けさした分身で、互いに異なる名前を持ち、十方の互いに異なるブッダの国土において衆生に法を説いている分身たちのすべてを招集し、その後で、それらの分身たちとともにこのストゥーパを開いて、私の全身を四衆に示すべきである』

 だから、大楽説よ、私によって化作され、十方において互いに異なるブッダの国土である幾千もの世界で衆生に法を説いている多くのブッダの身体を持つものたち(分身諸仏)がいる。そのすべてをここに連れてくるべきであろう」

 すると、大楽説菩薩は、世尊に次のように申し上げた。

 「まず第一に、世尊よ、ブッダによって化作されたそれらのブッダの身体を持つものたちのすべてを私に礼拝させていただきたい」
 
 するとその時、世尊は、眉間の巻毛の塊から一条の光を放出された。放出されたその光線によって、直ちに世尊であるブッダたちが、東の方向の500万・コーティ・ナユタものガンジス河の砂の数に等しい多くの世界に住しておられるのがすべて観察された。

 そして、水晶で造られたそれらのブッダの国土が観察された。それらのブッダの国土は、宝樹によって輝かしく、天幕の細長い布片や花環で見事に飾られ、幾百・千もの多くの菩薩たちで満たされ、天上の日傘が広げられ、七宝や黄金の網で覆われているのが観察された。それぞれのブッダの国土において、世尊であるブッダたちが美しく妙なる声で衆生に法を説いておられ、幾百・千もの菩薩たちによってそれらのブッダの国土が満たされているのが観察された。

ダウンロード (2)

 東南の方向においてもこのようであり、南の方向、西南の方向、西の方向、西北の方向、北の方向、東北の方向、下の方向、上の方向においてもこのようであった。

 このように、十方の一つひとつの方角にあまねく幾100・1000・コーティ・ナユタものガンジス河の砂の数に等しい多くのブッダの国土と、幾100・100・コーティ・ナユタものガンジス河の砂の数に等しい多くの世尊であるブッダたちが世界におられるのもすべて観察された。

 その時、十方におけるそれらの正しく完全に覚られた尊敬されるべきブッダたちは、各自の菩薩の群衆に語りかけられた。

 「ところで、良家の息子たちよ、私たちは、多宝という正しく完全に覚られた尊敬されるべきブッダの遺身を安置したストゥーパを供養するために、世尊であり正しく完全に覚られた尊敬されるべき釈迦牟尼如来のサハー世界(娑婆世界)に行くべきであろう」
 
 すると、それらの世尊であるブッダたちは、それぞれ自分の侍者たちを伴って二人連れや、三人連れで、このサハー世界にやって来られた。

 実に以上のように、その時、このサハー世界のすべては、宝樹で荘厳され、瑠璃で造られ、七宝や黄金の網で覆われ、大きな宝の香料の香りで薫じられ、マーンダーラヴァ(曼荼羅華 まんだらけ)と大マーンダーラヴァの花が撒き散らされ、鈴のついた網で飾られ、八方に道が伸びるロータリーに黄金の糸が張られていて、村も、町、城市、国、王城もなく、カーラ山(黒山)もなく、ムチリンダ山(目真隣陀山 もくしんりんだせん)も、大ムチリンダ山(摩訶 まか目真隣陀山)もなく、チャクラヴァーダ山(鉄囲山 てっちせん)も、大チャクラヴァーダ山(大鉄囲山)もなく、スメール山もなく、そのほかの大きな山もなく、大きな海もなく、川も、大きな河川もなく、神々や人間、アスラの集団もなく、地獄も、畜生界も、ヤマの世界もなく、整然となされていた。

 
ダウンロード

 以上のように、その時、その集会に集まった人たちを除いて、このサハー世界において6種の生存領域(六道)に生まれた衆生のすべては他の諸々の世界に移し置かれた。
 
 すると、それらの世尊であるブッダたちは、侍者を一人連れ、また二人連れてこのサハー世界にやって来られた。また、それらのブッダたちは、次々にやって来て、宝樹の根もとにある獅子座に近づいて、時間を過ごしておられた。また、一つひとつの宝樹は、高さが500ヨージャナ(約7500㎞)あり、枝や葉や花弁が規則正しい間隔をもっていて、花と果実で飾られていた。一つひとつの宝樹の根もとには、大きな宝石で飾られた高さが500ヨージャナの獅子座が設けられていた。そこには、ブッダが独りひとり、結跏趺坐 けっかふざして坐っておられた。このようにして、ブッダたちは、三千大千世界のすべてにおけるあらゆる宝樹の根もとに結跏趺坐して坐っておられた。(つづく)

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【 2022/11/11 05:33 】

第11章 ストゥーパの出現(見宝塔品第11)  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

法華経見宝塔品第11 巨大なストゥーパの出現とその理由

 第11章 ストゥーパの出現(見宝塔品けんほうとうほん第11)


ダウンロード (4)

 その時、世尊の面前において、その集会の真ん中の地面から高さが500ヨージャナ(約7500㎞)あり、周囲もその高さにふさわしい大きさを持つ七宝でできたストゥーパ(宝塔)が出現した。そのストゥーパは、宙に昇ると空中に静止した。それは、輝かしく、見るも美しく、花をしつらえた5000もの手すり(欄楯らんじゅん)で見事に装飾され、幾千もの多くの塔門によって荘厳され、幾千もののぼりと勝利の旗が垂れ下がり、宝石を連ねた幾千ものひもが懸かり、幾千もの細長い布や鈴が下がっていて、タマーラ樹の葉と栴檀せんだんの木の香りを放って、この全世界がその香りによって満たされた。

 そして、このストゥーパの日傘の列は、七宝、すなわち、金、銀、瑠璃るり琥珀こはく瑪瑙めのう、赤真珠、水晶で造られていて、四大王天に属する神々の宮殿までも高くそびえていた。また、そのストゥーパの上のほうで、三十三天(
忉利天とうりてん)に属する神々の子たちが、天上のマンダーラヴァ(曼陀羅華まんだらけや、大マンダーラヴァの花をその宝石造りのストゥーパの中から次のような声が聞こえてきた。

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 「素晴らしいことです。素晴らしいことです。釈迦牟尼世尊よ、あなたは、この白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を見事に説かれました。世尊よ、これはその通りです。人格を完成された人よ、これはその通りです」

 すると、それらの四衆たちは、その宝石造りの大いなるストゥーパが宙に浮いて空中に留まっているのを見て、喜びを生じ、喜悦と歓喜と澄みきった思い(浄信)で心が満たされた、その時、四衆たちは座席から立ち上がり、合掌したままでいた。

 するとその時、大楽説だいぎょうせつ(大いなる弁才を持つもの)という名前の偉大な人である菩薩は、神々や人間、アスラに伴われた世間の人々が、以上の瑞相ずいそうを目の当たりにして不思議な思いを抱いているのを知って、世尊に次のように尋ねた。

 「世尊よ、このような宝石造りのストゥーパが世間において出現する理由は何であり、原因は何でありましょうか?あるいは、世尊よ、この宝石造りの大いなるストゥーパの中からこのような声を出しておられるのはどなたであようか?」

 このように尋ねられて、世尊大楽説という偉大な菩薩に次のように答えられた。

 「大楽説よ、この宝石造りの大いなるストゥーパの中には、ブッダ自身の一揃ひとそろいの全体をなす身体が存在しており、これは、そのブッダのストゥーパなのである。そのブッダが、声を放たれたのだ。

 大楽説よ、下の方向に幾100・1000・コーティ・ナユタもの無数の世界を通り過ぎると、宝浄ほうじょう(宝石によって清められたところ)という名前の世界がある。そこに多宝たほう(多くの宝を持つもの)という名前の正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダがいた。そのブッダの過去世における誓願は、次のことであった。

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 『私はかつて菩薩として修行を行なっていた。私は、菩薩のための教えであるこの白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を聞かなかった間には、この上ない正しく完全な覚りにおいて完成されることはなかった。けれども、私はこの「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を聞いて、その後に、私はこの上ない正しく完全な覚りにおいて完成されたのである』

 しかもまた、大楽説よ、その故に世尊である多宝というブッダは、完全なる滅度に入る時、神々、悪魔、ブラフマー神に伴われた世間の人々や、沙門とバラモンとに伴われた生きとし生けるものの面前において、次のように告げたのである。

 『男性出家者たちよ、実に私が完全なる滅度に入った後、私のために宝石造りの大いなるストゥーパを一つ造るべきである。さらに、私のために他の諸々のストゥーパを造るべきである』と。

 しかもまた、大楽説よ、その世尊である多宝というブッダの神通力による祈願とは、次のことであったのだ。

  『私のこのストゥーパは、十方のあらゆる世界に存在していて、そのブッダの国土がどこであれ、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門が説き示されるならば、私の全身を安置したこのストゥーパは、それぞれのブッダの国土に出現するであろう。

 世尊であるブッダたちがそれぞれ、この
「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を説いている時、そのストゥーパは集会の群衆の真上の空中に留まるであろう。また、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を説いておられるそれらのブッダたちに対して、私の全身を安置したこのストゥーパが、〈素晴らしいことです〉という感嘆の言葉を語るであろう

 だから、大楽説よ、この
「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門をこのサハー世界(娑婆世界)において、私(釈迦牟尼)が説いているので、この集会の群衆の中央から、その世尊であり、多宝というブッダの遺骨を安置したこのストゥーパが出現したのである」(つづく)



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【 2022/11/08 05:25 】

第11章 ストゥーパの出現(見宝塔品第11)  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

法華経法師品第10 ブッダ滅後の実践規範としての衣座室の三軌

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 薬王よ、ブッダが完全なる滅度に入った後で、後の時代、後の状況において、誰であれ、この法門を四衆に説き示すならば、その偉大な人である菩薩は、ブッダのしつに入って、ブッダのころもを着て、ブッダのに坐ってこの法門を四衆に説き示すべきである。
 
 では、薬王よ、ブッダの室とは何であろうか。実に一切衆生に対する慈悲という精舎しょうじゃがブッダの室である。その良家の息子は、そのブッダの室に入るべきである。

 また、薬王よ、ブッダの衣とは何であろうか。実に偉大なる忍耐に対する喜びがブッダの衣である。その良家の息子、あるいは良家の娘は、そのブッダの衣を着るべきである。

 また、薬王よ、ブッダの法座とは何であろうか。実にあらゆるものごとがくうであるということに悟入することがブッダの法座である。その良家の息子は、そのブッダの座に坐るべきであり、そこに坐ってこの法門を四衆に説き示すべきである。

 菩薩は、ひるむことのない心を持って、菩薩の群衆の面前で、菩薩のための乗り物によって出で立った四衆たちに対してこの法門を説き示すべきである。また、薬王よ、他の世界に住する私は、その良家の息子のために、化作けさされたものたちを使って聴衆を近づかせるであろう。法を聴聞させるために、私は、化作されたものたちと、男性出家者・女性出家者・男性在家信者・女性在家信者たちを派遣するであろう。それらの人たちは、その説法者の言葉を拒まないであろうし、罵詈めりしないであろう。

 さらにまた、もしもその人が荒野に行ったとするならば、そこにも私は、この人のために、多くの神々、龍、ヤクシャ、ガンダルヴァ、アスラ、ガルーダ、キンナラ、マホーラガたちを法を聴聞させるために派遣するであろう。また、薬王よ、他の世界に住する私は、その良家の息子のために顔を現わすであろう。

 また、その人が独りで暗誦している時、この人が、この法門から諸々の文句を忘れてしまっているならば、私は、それらの文句をその人のために口まねで反復させるであろう」
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 そこで、世尊は次の詩を述べられた。

 「すべての怠惰を遠ざけてから、このような経典を聞くべきである。これを聞くこと
 は、まさに得難いことであり、信順することもまた得難いことである。

 それはちょうど誰かある人が水を求めて砂漠で井戸を掘らせるようなものである。
 そして、掘り返されているうちに繰り返し乾いた土を見るとしよう。

 そこでその人は、乾いた土を見た後に、『ここから水は遠いところにあるだろう。こ
 こに積まれた乾いた土が、遠いというしるしである』と考えるであろう。
 
 けれども、その人が、湿った軟らかい土が掘り出されているのを繰り返して見るなら
 ば、その時、その人に、『水はここから遠くにあるのではない』という確信が生ずる
 であろう。

 まさにこのようにこの経を聞くこともなく繰り返して修行することもない時には、
 そのようなそれらの菩薩たちは、ブッダの智慧から遠く離れているのである。

 しかし、声聞についての確固とした主張であるこの深遠な経典の王を一度でも聞いた
 り、あるいは考えたりするならば、

 ちょうど湿った土のところに至って、『水が近くにある』と言われるように、それら
 の賢い人たちは、ブッダの智慧のすぐ近くにいるのである。

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 賢い人は、勝利者である私の室に入り、私の衣を着て、私の座席に坐って、畏れるこ
 となくこの経を説くべきである。

 そして、慈悲の力が私の室であり、忍耐に対する喜びが私の衣であり、また空なるこ
 とが私の座席である。まさにそこに立脚して賢い人はこの経を説き示すべきである。

 この経を説いている人に対して土塊つちくれや、棒、あるいは槍で危害を加えることや、ある
 いは悪口あっく罵詈めりを浴びせることが起こるならばその場合私のことを思い出しつつ、
 それに耐えるべきである。
 
 私自身の身体は堅固であり、幾1000・コーティもの数え切れないほど多くの国土にお
 いて、考えることもできない幾コーティ劫もの長い間、私は衆生のために私の法を説
 くのである。

 私が完全なる滅度に入った後は、この経を説き示すその勇者のために、私は、多くの
 化作けさされたものたちを派遣するであろう。

 男性出家者・女性出家者、そして男性在家信者・女性在家信者たちは、その説法者に
 供養をなすであろう。四衆は平等であるのだ。
 
 そしてまた、土塊や、棒、同様に悪口、罵詈、非難をその説法者に加える人たちがあ
 れば、化作されたものたちは、この説法者を守るために悪口、罵詈、非難を加える人
 たちを阻止するであろう。

 また、荒野においてであれ、山においてであれ、人々によって見捨てられた寂しい場
 所で、その説法者が独りで住みながら、この経をいつも一人で暗誦している時にも、

 私は、この説法者のために輝かしい私の身体をそこに現わすであろう。また、この説
 法者が独りで暗誦して口ごもったところを、私は繰り返し声に出して聞かせるであろ
 う。

 また、その説法者が森の修行者として、独りでそこに住んでいるならば、私はその説
 法者のために、伴侶として神々やヤクシャたちをたびたび派遣するであろう。

 四衆のためにこの経を説き示すそのその説法者には、次のような徳がある。森や洞穴
 で独りで過ごし、この経を独りで暗誦することをしながら、その説法者は、実に私を
 見るであろう。

 その説法者の弁舌は滞ることがなく、その説法者は、多くの語源的説明や真理の教え
 を了解していて、幾1000・コーティもの数え切れないほど多くの生命あるものたちを
 満足させるのだ。それは、もちろんブッダによって加護されていることによるのであ
 る。

 また、その説法者を頼りにしている衆生もまた、すべて速やかに菩薩となるのだ。そ
 して、その説法者との交際を楽しみつつ、ガンジス河の砂の数のように無数のブッダ
 たちに出会うのである。
 
以上が、聖なる「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門の中の「説法者の章」という名前の第10章である。
 (法師品第10おわり)
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【 2022/11/04 05:28 】

第10章 説法者(法師品第10)  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

法華経法師品第10 井戸掘りの譬えで覚りからの遠近を示す

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 しかるに、
薬王よ、そのブッダのチャイティヤを敬礼したり、供養したり、見たりする機会を得る衆生はすべて、この上ない正しく完全な覚りから近いところにいると知られるべきである。

 それは、どんな理由によってか?薬王よ、在家と出家の多くの人たちが、菩薩としての修行を行なうけれども、これらの人たちは〔まだ〕この法門を見たり、聞いたり、書写したり、供養したりする機会を得ていないからだ。薬王よ、この法門を聞かない間は、それらの人たちは菩薩としての修行において熟達していないのである。

 しかるに、この法門を聞き、聞いて後に信順し、到達し、了解し、把握するならば、それらの人たちは、その時、この上ない正しく完全な覚りの近くにいて、そこに近づいたものとなるであろう。

 薬王よ、それはちょうど、誰かある人が水を求め、水を探しているようなものである。その人が、水を得るために地上の堅い不毛の地(砂漠)において井戸を掘らせるとしよう。乾燥した白っぽい土が運び去られているのを見ている間は、その人は、『水はここから、ずっと遠いところにある』と知るであろう。

 ところで他の時に、水分を含んだ湿った土が泥のぬかるみとなって、水滴をしたたらせて運び出されていたり、また、井戸を掘るそれらの人々の手足が泥のぬかるみで汚れているのを、その人が見るとしよう。その時、薬王よ、その人は、初めて現れたその瑞相を見て、『水はすぐ近くにある』と考えて、惑いも、疑いもなくなるであろう。

 
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 薬王よ、まさにこのように、これらの偉大な人である菩薩たちは、この法門を聞かず、会得せず、到達せず、理解せず、考察しない限り、この上ない正しく完全な覚りから遠くにいるのだ。

 ところが、薬王よ、偉大な人である菩薩たちがこの法門を聞いて、会得し、受持し、読誦し、精進し、独りで暗誦し、考察し、修行する時、それらの菩薩たちはこの上ない正しく完全な覚りに近づいたものとなるであろう。薬王よ、衆生のこの上ない正しく完全な覚りは、この法門から生ずるのである。それはどんな理由によってか?実にこの法門は、最高の深い意味を込めて語られたことを開示するものであり、偉大な人である菩薩たちの完成のために、正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダたちが、法を秘匿ひとくした理由が、ここに明言されているからである。

 薬王よ、誰であれ、菩薩がこの法門に驚き、畏れ、恐怖に陥るならば、その菩薩は、偉大な人である菩薩の中の新たな菩薩のための乗り物で出発したものと知られるべきである。しかしながら、もしも声聞のための乗り物に属する人が、この法門に驚き、畏れ、恐怖に陥るならば、薬王よ、その人は声聞のための乗り物に属する増上慢の人と知られるべきである。(つづく)

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【 2022/11/01 05:27 】

第10章 説法者(法師品第10)  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |
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