なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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すると、偉大な人である弥勒菩薩と、それらの、幾100・1000・コーティ・ナユタもの多くの菩薩たちは、不思議な思いにとらわれ、驚くべき思いに満たされ、驚異の念を抱いた。
「そもそも、この世尊は、どのようにして束の間の時間を経たわずかの時間の経過のうちに、数えることもできないこれほど多くのこれらの偉大な人である菩薩たちを鼓舞し、さらに、この上ない正しく完全な覚りへ向けて成熟させられたのであろうか?」と。
すると、偉大な人である弥勒菩薩は、世尊に次のように申し上げた。
「世尊よ、この場合、どういうことでしょうか?王子であった時のブッダは、釈迦族の首都であるカピラ・ヴァストゥを出て、ガヤーという都城からそれほど遠くないところにある最も勝れた覚りの座に到って、この上ない正しく完全な覚りを覚られました。世尊よ、今、その時から40年が経ちました。
それなのに、世尊よ、これほど短い時間の経過のうちにブッダは、どのようにしてこの量り知ることのできないブッダのなすべきことをなし、またブッダは、どのようにしてブッダの〔牡牛のような〕威厳と、ブッダの勇猛ぶりを遂行されたのでありましょうか?
世尊よ、それほど短いわずかの時間の経過のうちに、ブッダがこの上ない正しく完全な覚りに向けて鼓舞し、成熟させられたこの菩薩の群衆、菩薩の集団は、世尊よ、幾100・1000・コーティ・ナユタ劫もの時間を経て教え続けたとしても、この菩薩の群衆・菩薩の集団の終わりを見いだすことはありません。
世尊よ、このように無量で、このように数えることもできないこれらの偉大な人である菩薩たちは、長い間、純潔の行ないを遵守し、幾100・1000もの多くのブッダたちのもとで善い果報をもたらす立派な行ないを積んだものたちであり、幾100・1000もの多くの劫を経て完成されたのです。
「そもそも、この世尊は、どのようにして束の間の時間を経たわずかの時間の経過のうちに、数えることもできないこれほど多くのこれらの偉大な人である菩薩たちを鼓舞し、さらに、この上ない正しく完全な覚りへ向けて成熟させられたのであろうか?」と。
すると、偉大な人である弥勒菩薩は、世尊に次のように申し上げた。
「世尊よ、この場合、どういうことでしょうか?王子であった時のブッダは、釈迦族の首都であるカピラ・ヴァストゥを出て、ガヤーという都城からそれほど遠くないところにある最も勝れた覚りの座に到って、この上ない正しく完全な覚りを覚られました。世尊よ、今、その時から40年が経ちました。
それなのに、世尊よ、これほど短い時間の経過のうちにブッダは、どのようにしてこの量り知ることのできないブッダのなすべきことをなし、またブッダは、どのようにしてブッダの〔牡牛のような〕威厳と、ブッダの勇猛ぶりを遂行されたのでありましょうか?
世尊よ、それほど短いわずかの時間の経過のうちに、ブッダがこの上ない正しく完全な覚りに向けて鼓舞し、成熟させられたこの菩薩の群衆、菩薩の集団は、世尊よ、幾100・1000・コーティ・ナユタ劫もの時間を経て教え続けたとしても、この菩薩の群衆・菩薩の集団の終わりを見いだすことはありません。
世尊よ、このように無量で、このように数えることもできないこれらの偉大な人である菩薩たちは、長い間、純潔の行ないを遵守し、幾100・1000もの多くのブッダたちのもとで善い果報をもたらす立派な行ないを積んだものたちであり、幾100・1000もの多くの劫を経て完成されたのです。
例えば、世尊よ、実に誰かある若い男で、若々しい青年が、髪は黒く、卓越した力強さを具えていて、生まれて25年であるとしましょう。その男が、100歳に達した息子たちを指して、次のように言うとしましょう。
『これらの良家の息子たちは、私の息子である』と。
また、それらの100歳に達した人たちも、25歳の男を指して、次のように言うとしましょう。
『これは、私たちの父であり、産みの親です』と。
ところが、世尊よ、その男の言葉は、世間の人々にとって信じられないことであり、信じ難いものであります。
世尊よ、まさにこのように、あなたはこの上ない正しく完全な覚りを覚られてまだ久しくありません。けれども、これらの量り知ることのできない多くの偉大な人である菩薩たちは、幾100・1000・コーティ・ナユタ劫もの長い間、純潔の行ないの修行を実践してきており、実に長い間を通してブッダの知において確定しており、幾100・1000もの三昧への門を出入りすることに熟練していて、大いなる神通を身に着けることを完了し、大いなる神通を既に身に着けております。ブッダの地位について熟知しており、ブッダの法を詠唱して聞かせるのに巧みであり、世間の人々にとって不思議で驚くべき人たちであり、大いなる努力精進の力と威力を獲得しています。
さらに世尊は、それらの菩薩たちについて次のようにおっしゃられます。
『まさに最初から、私はこれらの菩薩たちをこの菩薩の位に向けて鼓舞し、励まし、成熟させ、完成させたのである』と。また、『この上ない正しく完全な覚りを覚った私は、以上のあらゆる努力精進において勇猛ぶりを発揮したのだ』と。
そこで、世尊よ、私たちは、『ブッダは、誤謬なく真実を語るものである』というブッダの言葉を信によって理解するでありましょう。ブッダこそが、この意味をご存じであるはずであります。
しかしながら、世尊よ、新たに菩薩のための乗り物によって出て立った新発意 の偉大な人である菩薩たちは、疑惑に陥るでありましょう。ブッダが完全なる滅度に入られた後、この法門を聞いて、この点について、それらの新発意の菩薩たちは、信受することも、信ずることも、信順することもないでありましょう。それ故に、世尊よ、それらの新発意の菩薩たちは、法の破滅を招くようなことを行ない、そのような考えを心に抱くでありましょう。
それ故に、世尊よ、私たちが、この法に対して疑いがなくなり、未来の世において菩薩のための乗り物に属する良家の息子たち、あるいは娘たちが、この法を聞いて、疑惑に陥ることがないように、あなたは、まさにこの意味を適切に説いてください」
『これらの良家の息子たちは、私の息子である』と。
また、それらの100歳に達した人たちも、25歳の男を指して、次のように言うとしましょう。
『これは、私たちの父であり、産みの親です』と。
ところが、世尊よ、その男の言葉は、世間の人々にとって信じられないことであり、信じ難いものであります。
世尊よ、まさにこのように、あなたはこの上ない正しく完全な覚りを覚られてまだ久しくありません。けれども、これらの量り知ることのできない多くの偉大な人である菩薩たちは、幾100・1000・コーティ・ナユタ劫もの長い間、純潔の行ないの修行を実践してきており、実に長い間を通してブッダの知において確定しており、幾100・1000もの三昧への門を出入りすることに熟練していて、大いなる神通を身に着けることを完了し、大いなる神通を既に身に着けております。ブッダの地位について熟知しており、ブッダの法を詠唱して聞かせるのに巧みであり、世間の人々にとって不思議で驚くべき人たちであり、大いなる努力精進の力と威力を獲得しています。
さらに世尊は、それらの菩薩たちについて次のようにおっしゃられます。
『まさに最初から、私はこれらの菩薩たちをこの菩薩の位に向けて鼓舞し、励まし、成熟させ、完成させたのである』と。また、『この上ない正しく完全な覚りを覚った私は、以上のあらゆる努力精進において勇猛ぶりを発揮したのだ』と。
そこで、世尊よ、私たちは、『ブッダは、誤謬なく真実を語るものである』というブッダの言葉を信によって理解するでありましょう。ブッダこそが、この意味をご存じであるはずであります。
しかしながら、世尊よ、新たに菩薩のための乗り物によって出て立った新発意 の偉大な人である菩薩たちは、疑惑に陥るでありましょう。ブッダが完全なる滅度に入られた後、この法門を聞いて、この点について、それらの新発意の菩薩たちは、信受することも、信ずることも、信順することもないでありましょう。それ故に、世尊よ、それらの新発意の菩薩たちは、法の破滅を招くようなことを行ない、そのような考えを心に抱くでありましょう。
それ故に、世尊よ、私たちが、この法に対して疑いがなくなり、未来の世において菩薩のための乗り物に属する良家の息子たち、あるいは娘たちが、この法を聞いて、疑惑に陥ることがないように、あなたは、まさにこの意味を適切に説いてください」
釈尊成道の地に立つマハーボディ寺院(インド・ブダガヤ)
その時、偉大なる人である弥勒菩薩は、世尊に次の詩によって語りかけた。
「あなたが、カピラ・ヴァストゥという名前の釈迦族の定住するところにお生まれに
なった時、あなたは出家して、ガヤーという名前の都城の近くで覚りを得られました。
世間の指導者よ、それ以来のこの時間は、わずかなものです。
しかしながら、あなたの教化されたこれらの高貴で畏れることのない多くの人たち
は、幾コーティ劫にもわたって修行してきて、菩薩の大群衆を従え、神通の力に立
脚し、動揺することなく、十分に学識を積んでいて、智慧の力に通達しています。
大地を裂いて、今、ここにやって来た菩薩たちは、紅蓮華 が泥水によって汚されるこ
とがないように、汚されることはありません。それらの世間の人々の王の息子たちは、
すべて尊敬の念を持って、念 いを正して、合掌して立っています。
あなたの示されたこのような驚くべきことーそれを、これらの菩薩たちがどうして信
ずることができましょうか。疑惑を打破するためにその理由を示してください。あな
たは、その意味がまさにどのようであるかを示してください。
それは、若々しく髪の黒い誰かある男がここにいるとして、生まれて20年、あるいは
それ以上の若い男が、生まれて100年の人たちを自分の息子たちであると説き示すよ
うなものであります。
しわだらけで、白髪をたくわえているそれらの100歳の息子たちが、若い男のことを
『これは、私の父です』と発言するとしましょう。世間の保護者よ、若い男とその息
子たちがこのようであるということは、信じ難いことです。
まさにこのように、世尊は、若々しい青年でいらっしゃいますが、これらの大勢の菩
薩たちは、学識があり、思慮深く、智慧において畏れるところがなく、幾1000・コー
ティ劫もの間、十分に学んできたものたちであります。
それらの菩薩たちは、すべて決意が堅く、智慧において聡明で、端正な姿をしていて、
見るも美しく、法についての論議において畏れるところがなく、世間の人々の指導者
たちによって誉めたたえられています。
執着を離れた修行をしていて、林に住み、絶えず虚空界にあって他のものに依るとこ
ろがありません。これらの人格を完成した人の息子たちは、このブッダの境地を求め
ながら努力精進に励んでいます。
私たちは、世間の保護者から面と向かって聞きましたので、私たちには、何であれ疑
惑は決してありません。けれども、世間の人々の指導者が、完全なる滅度に入られた
後で、いったいどうして、このことが信じられるでしょうか?
この点に疑惑をなして、菩薩たちが悪しき境遇に陥ることがないように、世尊よ、こ
れらの菩薩たちをあなたがどのようにして成熟させられたのかを、あなたは適切に説
明してください」
以上が、聖なる「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門の中の「大地の裂け目からの菩薩の出現の章」という名前の第14章である。(従地涌出品第15おわり)
↓ ランキング挑戦中 Brog Rankingのバナーをポチッと押してね! その時、世尊である釈迦牟尼如来によって化作され、他の世界において衆生に法を説いていたブッダの分身たちで、他の幾100・1000・コーティ・ナユタもの世界からやって来たそれらの正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダたちが、釈迦牟尼如来の周りの八方で、宝石造りの木の根もとにある大いなる宝石造りの獅子座に結跏趺坐して坐っておられた。
それらの正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダたちに属する各々自分の侍者たちもまた、その菩薩の大いなる群衆、菩薩の集団が、遍く大地の裂け目から出現し、虚空界に留まったのを見て、不思議な思いにとらわれ、各々自分のブッダたちに、次のように申し上げた。
「世尊よ、無量で数えることもできないこれほど多くの偉大な人である菩薩たちは、どこからやって来たのでしょうか?」
ブッダの侍者たちからこのように言われて、それらの正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダたちは、各々自分のそれらの侍者たちに次のようにおしゃられた。
「良家の息子たちよ、あなたたちはしばらく待ちなさい。この弥勒という名前の偉大な人である菩薩は、『釈迦牟尼如世尊の後で、直ちにこの上ない正しく完全な覚りに到るであろう』と予言されている人である。その弥勒菩薩が、この正しく完全に覚った尊敬されるべき世尊の釈迦牟尼如来にこの意味を尋ねている。だから、この釈迦牟尼如来は、この意味を説明されるであろう。だから、あなたたちはそれを聞くがよい」と。
その時、世尊は偉大な人である弥勒菩薩に語りかけられた。
「アジタ(弥勒の字)よ、素晴らしいことである。素晴らしいことである。アジタよ、あなたが私に尋ねた論題は、最も重要なことである。
そこで、世尊は、菩薩の一切の群衆に語りかけられた。
「良家の息子たちよ、実にそれ故にあなたたちはすべて、敬虔な心を持つがよい。そして、この菩薩の群衆のあなたたちは、すべて鎧でよく身を固め、意志の力を堅固に保つがよい。良家の息子たちよ、正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダの私は今、ブッダの知見、ブッダの〔牡牛のような〕威厳、ブッダの行為、〔遊戯のように容易にものごとをなす〕ブッダの振る舞い、ブッダの勇敢さ、ブッダの勇猛ぶりを説き明かそうとしているのだ」と。
すると、世尊は次の詩を述べられた。
「良家の息子たちよ、あなたたちはすべて敬虔な心を持つがよい。私は、虚妄のない
次の言葉を発しようとしている。賢者たちよ、今、あなたたちは実に気落ちしてはな
らない。ブッダたちの知は思議すべからざるものなのだ。
あなたたちはすべて、決意を堅くし、思慮深くあって、すべて心を集中し、そこに留
まっているがよい。未だかつて説かれたことのないブッダたちの実に希有なる法を今
聞くべきである。
あなたたちはすべて、決して疑惑を生じてはならない。実に私はあなたたちを最高の
覚りに向けて確立させるのだ。私は誤謬なく語るものであり、指導者である。そし
て、決して教え上げることのできない知が、私には具わっているのだ。
人格を完成した人によって覚られた深遠な法は、考えることもできないものであり、
それを量ることはできないのだ。私は今、それらの法を説き明かそう。あなたたちは
それらの法がどのようなものであり、またどのようにあるかを私から聞くがよい」
それらの正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダたちに属する各々自分の侍者たちもまた、その菩薩の大いなる群衆、菩薩の集団が、遍く大地の裂け目から出現し、虚空界に留まったのを見て、不思議な思いにとらわれ、各々自分のブッダたちに、次のように申し上げた。
「世尊よ、無量で数えることもできないこれほど多くの偉大な人である菩薩たちは、どこからやって来たのでしょうか?」
ブッダの侍者たちからこのように言われて、それらの正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダたちは、各々自分のそれらの侍者たちに次のようにおしゃられた。
「良家の息子たちよ、あなたたちはしばらく待ちなさい。この弥勒という名前の偉大な人である菩薩は、『釈迦牟尼如世尊の後で、直ちにこの上ない正しく完全な覚りに到るであろう』と予言されている人である。その弥勒菩薩が、この正しく完全に覚った尊敬されるべき世尊の釈迦牟尼如来にこの意味を尋ねている。だから、この釈迦牟尼如来は、この意味を説明されるであろう。だから、あなたたちはそれを聞くがよい」と。
その時、世尊は偉大な人である弥勒菩薩に語りかけられた。
「アジタ(弥勒の字)よ、素晴らしいことである。素晴らしいことである。アジタよ、あなたが私に尋ねた論題は、最も重要なことである。
そこで、世尊は、菩薩の一切の群衆に語りかけられた。
「良家の息子たちよ、実にそれ故にあなたたちはすべて、敬虔な心を持つがよい。そして、この菩薩の群衆のあなたたちは、すべて鎧でよく身を固め、意志の力を堅固に保つがよい。良家の息子たちよ、正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダの私は今、ブッダの知見、ブッダの〔牡牛のような〕威厳、ブッダの行為、〔遊戯のように容易にものごとをなす〕ブッダの振る舞い、ブッダの勇敢さ、ブッダの勇猛ぶりを説き明かそうとしているのだ」と。
すると、世尊は次の詩を述べられた。
「良家の息子たちよ、あなたたちはすべて敬虔な心を持つがよい。私は、虚妄のない
次の言葉を発しようとしている。賢者たちよ、今、あなたたちは実に気落ちしてはな
らない。ブッダたちの知は思議すべからざるものなのだ。
あなたたちはすべて、決意を堅くし、思慮深くあって、すべて心を集中し、そこに留
まっているがよい。未だかつて説かれたことのないブッダたちの実に希有なる法を今
聞くべきである。
あなたたちはすべて、決して疑惑を生じてはならない。実に私はあなたたちを最高の
覚りに向けて確立させるのだ。私は誤謬なく語るものであり、指導者である。そし
て、決して教え上げることのできない知が、私には具わっているのだ。
人格を完成した人によって覚られた深遠な法は、考えることもできないものであり、
それを量ることはできないのだ。私は今、それらの法を説き明かそう。あなたたちは
それらの法がどのようなものであり、またどのようにあるかを私から聞くがよい」
世尊は、これらの詩を告げてから、その時、偉大な人である弥勒菩薩に語りかけられた。
「アジタよ、私はあなたに説いて理解させよう。アジタよ、量り知ることもできず、数えることもできず、考えも及ばず、比べることもできず、計算することもできないこれらの菩薩たちで、あなたたちがかつて見たこともなく、今、大地の裂け目から出現したこれらのすべての偉大な人である菩薩たちは、私がこのサハー世界において、この上ない正しく完全な覚りを覚って後、私がこの上ない正しく完全な覚りに向けて鼓舞し、励まし、喜ばせ、成熟させたものたちなのだ。
私は、菩薩のためのこの法のもとで、これらの良家の息子たちを成熟させ、確立させ、導き入れ、確定させ、悟入させ、完全に覚らせ、完全に清らかにしたのである。また、アジタよ、これらの偉大な人である菩薩たちは、このサハー世界の下方にある虚空界を住処として住んでいる。これらの良家の息子たちは、経典を一人で暗誦すること、解説すること、熟慮すること、根本的に思惟することに専念しており、快楽に執着することなく、交際を喜ぶことなく、休息することもなく、努力精進に励んでいるのだ。
アジタよ、これらの良家の息子たちは、孤独を楽しみ、孤独を喜ぶ者たちである。これらの良家の息子たちは、神々や人間たちの近くに住むこともなく、それらと交際することなく、修行することを喜びとしている。これらの良家の息子たちは、法を聞く楽しみを喜ぶものたちであり、ブッダの知の獲得に向けて専念しているのである。
「アジタよ、私はあなたに説いて理解させよう。アジタよ、量り知ることもできず、数えることもできず、考えも及ばず、比べることもできず、計算することもできないこれらの菩薩たちで、あなたたちがかつて見たこともなく、今、大地の裂け目から出現したこれらのすべての偉大な人である菩薩たちは、私がこのサハー世界において、この上ない正しく完全な覚りを覚って後、私がこの上ない正しく完全な覚りに向けて鼓舞し、励まし、喜ばせ、成熟させたものたちなのだ。
私は、菩薩のためのこの法のもとで、これらの良家の息子たちを成熟させ、確立させ、導き入れ、確定させ、悟入させ、完全に覚らせ、完全に清らかにしたのである。また、アジタよ、これらの偉大な人である菩薩たちは、このサハー世界の下方にある虚空界を住処として住んでいる。これらの良家の息子たちは、経典を一人で暗誦すること、解説すること、熟慮すること、根本的に思惟することに専念しており、快楽に執着することなく、交際を喜ぶことなく、休息することもなく、努力精進に励んでいるのだ。
アジタよ、これらの良家の息子たちは、孤独を楽しみ、孤独を喜ぶ者たちである。これらの良家の息子たちは、神々や人間たちの近くに住むこともなく、それらと交際することなく、修行することを喜びとしている。これらの良家の息子たちは、法を聞く楽しみを喜ぶものたちであり、ブッダの知の獲得に向けて専念しているのである。
金剛宝座(インド・ブダガヤ)
その時、世尊は次の詩を述べられた。
「無量で、思議することもできない、またその数を量ることもできないこれらの多く
の菩薩たちは、神通、智慧、学識を具えており、ブッダの知において多くのコーティ
劫もの間、修行してきたのだ。
これらのすべての菩薩たちは、私が覚りへ向けて成熟させたのであり、これらの菩薩
たちは、まさに私の国土に住んでいる。これらのすべての菩薩たちを成熟させたのは
私であり、これらの菩薩たちは実に私の息子なのだ。
これらのすべての菩薩たちは、荒野に住み、〔衣食住にわたって煩悩を振り払う〕頭
陀行 に専念していて、人と接触する場所を常に避けている。私のこれらの息子たちは、
私の最高の修行を私から習学しつつ、執着を離れた修行をなしているのである。
それらの勇者たちは、この私のこの国土の下方にある虚空界の住所に住んでいる。こ
の最高の覚りを完成させながら、怠慢であることなく、日夜、奮励している。
すべての菩薩は努力精進に専念し、思慮深くあって、無量の智慧の力に立脚している。
また、輝かしいこれらの菩薩は、畏れることがなく法を説くのだ。これらの菩薩は、
すべて私の息子たちである。
私はガヤーという都城の近くにあるあの菩提樹の根もとにおいて、この最高の覚りを
得て後、この上ない真理の車輪を転じ、これらの菩薩たちのすべてをこの最高の覚り
へ向けて成熟させたのである。
私の汚れない真実のこの言葉を聞いて、あなたたちは、すべて私を信ずるがよい。私
は、このように遥かな昔に最高の覚りを獲得していたのであり、しかも、これらのす
べての菩薩たちを最高の覚りへ向けて成熟させたのは私なのだ」(つづく)
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「無量で、思議することもできない、またその数を量ることもできないこれらの多く
の菩薩たちは、神通、智慧、学識を具えており、ブッダの知において多くのコーティ
劫もの間、修行してきたのだ。
これらのすべての菩薩たちは、私が覚りへ向けて成熟させたのであり、これらの菩薩
たちは、まさに私の国土に住んでいる。これらのすべての菩薩たちを成熟させたのは
私であり、これらの菩薩たちは実に私の息子なのだ。
これらのすべての菩薩たちは、荒野に住み、〔衣食住にわたって煩悩を振り払う〕頭
陀行 に専念していて、人と接触する場所を常に避けている。私のこれらの息子たちは、
私の最高の修行を私から習学しつつ、執着を離れた修行をなしているのである。
それらの勇者たちは、この私のこの国土の下方にある虚空界の住所に住んでいる。こ
の最高の覚りを完成させながら、怠慢であることなく、日夜、奮励している。
すべての菩薩は努力精進に専念し、思慮深くあって、無量の智慧の力に立脚している。
また、輝かしいこれらの菩薩は、畏れることがなく法を説くのだ。これらの菩薩は、
すべて私の息子たちである。
私はガヤーという都城の近くにあるあの菩提樹の根もとにおいて、この最高の覚りを
得て後、この上ない真理の車輪を転じ、これらの菩薩たちのすべてをこの最高の覚り
へ向けて成熟させたのである。
私の汚れない真実のこの言葉を聞いて、あなたたちは、すべて私を信ずるがよい。私
は、このように遥かな昔に最高の覚りを獲得していたのであり、しかも、これらのす
べての菩薩たちを最高の覚りへ向けて成熟させたのは私なのだ」(つづく)
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その時、偉大な人である弥勒菩薩と、8つのガンジス河の砂の数に等しい幾100・1000・コーティ・ナユタもの他の菩薩たちに次の思いが生じた。
「大地の裂け目から共々に出現し、世尊の面前に立って、世尊を称讃し、尊重し、尊敬し、供養し、そして世尊に丁寧に挨拶しているこの菩薩の大群衆、菩薩の大集団を、私たちはかつて見たことも、かつて聞いたこともない。これらの偉大な人である菩薩たちは、実にどこからやって来たのであろうか?」と。
その時、偉大な人である弥勒菩薩は、自分自身も疑念と疑惑を抱き、それらの8つのガンジス河の砂の数に等しい幾100・1000コーティ・ナユタもの菩薩たちの心の思いを心で察知して、その時、世尊に対して合掌して詩を諳んじて、まさにその意味を尋ねた。
「幾1000・コーティ・ナユタもの多くの無限の菩薩たちは、かつて見たことも、聞い
たこともないものであります。両足で歩くもののうちで最上の人よ、これらの菩薩た
ちについて説明してください。
これらの大いなる神通を持つ菩薩たちは、どこから、何故にやって来たのでしょうか?
姿形の点でも卓越した身体を持つこれらの菩薩たちは、どこからやって来たのでしょ
うか?
また、世間の王よ、一人ひとりの熟達した菩薩には、ガンジス河の砂の数のように量
り知れない多くの侍者たちが伴っています。
一人ひとりの見事な菩薩には、まるまる60のガンジス河の砂の数に等しい見事な侍者
たちが伴っていて、それらのすべてが覚りを目指して出で立っております。
このような大勢の人たちに伴われた勇者で救済者であるこれらの菩薩たちは、量の点
でまさに60のガンジス河の砂の数と同じでああります。
次に、50のガンジス河の砂の数からなる無数の侍者たちに伴われた他の菩薩たちは、
これよりさらに多い。また、40のガンジス河、30のガンジス河、
20のガンジス河の砂の数に等しい侍者たちに伴われた菩薩は、途切れる事なく並び、
10、または5のガンジス河の砂の数に等しい侍者がいる他の菩薩たちは、それよりも
さらに多いのです。
これが、ブッダの息子である救済者の一人ひとりに属する侍者であります。指導者よ、
このような人々は今、どこからやって来たのでありましょうか?
そしてまた、一人ひとりの菩薩には、その菩薩から学ぶ同学者たちである4つの、ま
た3つの、また2つのガンジス河の砂の数に等しい侍者たちが伴っています。
また、〔一つのガンジス河の砂の数に等しい〕多くの数の侍者たちが伴っている他の
菩薩たちは、それよりさらに多く、幾1000・コーティ劫においても数え上げることは
できないでありましょう。
勇者で救済者である菩薩たちには、2分の1,あるいは3分の1,10分の1,20分の
1のガンジス河の砂の数に等しい侍者が伴っています。
また、〔それより少ない侍者に伴われた〕他の菩薩たちは、それよりさらに多く、こ
れらの菩薩たちの数は、幾100・コーティ劫を経て、一つひとつ数えても知ることは
できません。
また、少なくない侍者たちに伴われた他の菩薩たちは、それよりももっと多く、コー
ティ・コーティの、あるいは1・コーティの、あるいはまさに同じく2分の1・コー
ティの侍者たちに伴われています。
「大地の裂け目から共々に出現し、世尊の面前に立って、世尊を称讃し、尊重し、尊敬し、供養し、そして世尊に丁寧に挨拶しているこの菩薩の大群衆、菩薩の大集団を、私たちはかつて見たことも、かつて聞いたこともない。これらの偉大な人である菩薩たちは、実にどこからやって来たのであろうか?」と。
その時、偉大な人である弥勒菩薩は、自分自身も疑念と疑惑を抱き、それらの8つのガンジス河の砂の数に等しい幾100・1000コーティ・ナユタもの菩薩たちの心の思いを心で察知して、その時、世尊に対して合掌して詩を諳んじて、まさにその意味を尋ねた。
「幾1000・コーティ・ナユタもの多くの無限の菩薩たちは、かつて見たことも、聞い
たこともないものであります。両足で歩くもののうちで最上の人よ、これらの菩薩た
ちについて説明してください。
これらの大いなる神通を持つ菩薩たちは、どこから、何故にやって来たのでしょうか?
姿形の点でも卓越した身体を持つこれらの菩薩たちは、どこからやって来たのでしょ
うか?
また、世間の王よ、一人ひとりの熟達した菩薩には、ガンジス河の砂の数のように量
り知れない多くの侍者たちが伴っています。
一人ひとりの見事な菩薩には、まるまる60のガンジス河の砂の数に等しい見事な侍者
たちが伴っていて、それらのすべてが覚りを目指して出で立っております。
このような大勢の人たちに伴われた勇者で救済者であるこれらの菩薩たちは、量の点
でまさに60のガンジス河の砂の数と同じでああります。
次に、50のガンジス河の砂の数からなる無数の侍者たちに伴われた他の菩薩たちは、
これよりさらに多い。また、40のガンジス河、30のガンジス河、
20のガンジス河の砂の数に等しい侍者たちに伴われた菩薩は、途切れる事なく並び、
10、または5のガンジス河の砂の数に等しい侍者がいる他の菩薩たちは、それよりも
さらに多いのです。
これが、ブッダの息子である救済者の一人ひとりに属する侍者であります。指導者よ、
このような人々は今、どこからやって来たのでありましょうか?
そしてまた、一人ひとりの菩薩には、その菩薩から学ぶ同学者たちである4つの、ま
た3つの、また2つのガンジス河の砂の数に等しい侍者たちが伴っています。
また、〔一つのガンジス河の砂の数に等しい〕多くの数の侍者たちが伴っている他の
菩薩たちは、それよりさらに多く、幾1000・コーティ劫においても数え上げることは
できないでありましょう。
勇者で救済者である菩薩たちには、2分の1,あるいは3分の1,10分の1,20分の
1のガンジス河の砂の数に等しい侍者が伴っています。
また、〔それより少ない侍者に伴われた〕他の菩薩たちは、それよりさらに多く、こ
れらの菩薩たちの数は、幾100・コーティ劫を経て、一つひとつ数えても知ることは
できません。
また、少なくない侍者たちに伴われた他の菩薩たちは、それよりももっと多く、コー
ティ・コーティの、あるいは1・コーティの、あるいはまさに同じく2分の1・コー
ティの侍者たちに伴われています。
また、偉大なる聖仙たちのうちの他の菩薩たちは、もっと多く、計算を超越していて、
すべて、偉大なる智慧を具え、尊敬の念を持って立っています。
実に1000人、あるいは100人、あるいは50人の侍者たちに伴われた菩薩たちを数える
ことは、幾100・コーティ劫を経たとしても可能ではありません。
さらに勇者たちには、同様に20人、10人、5人、4人、3人、2人の侍者たちが伴って
いて、それらの菩薩たちの数を知ることはできません。
自分独りで歩き回り、そして独りだけで心の静穏に精通する菩薩たちで、しかも今こ
こに共々にやって来た菩薩たちを数えることは、実に可能ではありません。
たとえ人が、数を数える細い棒を手に取ってガンジス河の砂の数に等しい多くの劫に
わたって数えたとしても、その人はその終わりを見出すことはないでありましょう。
それにしても、偉大なる精神を持ち、努力精進に励み、救済者で、勇者であるこれら
のすべての菩薩たちは、どこから出現したのでしょうか?
誰が、これらの菩薩たちに法を説いたのでしょうか?誰が、これらの菩薩たちを覚り
に向けて確立させたのでしょうか?これらの菩薩たちは、誰の教えを好み、誰の教え
の受持者なのでしょうか?
大いなる智慧を持ち、神通を具えた聡明な菩薩たちが、実にすべての大地を引き裂い
て、四方に遍く出現されました。
賢者よ、何ものも畏れることのないこれらの菩薩たちの出現によって、この世界は遍
く引き裂かれてしまったのです。
これらの菩薩たちを、私たちは、かつていかなる時にも決して見たことがありません。
指導者よ、これらの菩薩たちの住むその世界の名前を私たちに教えてください。
私たちは、実に十方をしばしば歴訪しました。けれども、これらの菩薩たちを私たち
はいかなる時にも決して見たことがありません。
あなたの息子である菩薩の一人でさえも、私たちは決して見たことがありません。今
これらの菩薩たちは突然、出現したのです。賢者よ、〔それらの菩薩たちの過去の〕
行ないについて教えてください。
私たち、幾100・1000・ナユタもの菩薩たちのすべては、興味を持って、両足で歩く
もののうちで最上の人を見ています。
偉大なる勇者よ、量り知れない人よ、執着心のない人よ、これらの英雄にして、畏れ
ることのない菩薩たちが、どこからどうやって来たのか、説明してください」(つづく)
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そして、それらの菩薩たちは次々に出現すると、上方の空中に留まっているその大きな宝石造りのストゥーパのあるところに近づいた。そのストゥーパの中には、完全なる滅度に入っておられる正しく完全に覚られた尊敬されるべきブッダの多宝というブッダが、釈迦牟尼如来とともに獅子座に坐っておられた。
そして、それらの菩薩たちは、二人の正しく完全に覚られた尊敬されるべきブッダの両足に頭をおしいただくことによって恭しく挨拶して、さらに世尊である釈迦牟尼如来が自分自身の身体から化作され、十方の互いに異なる世界のすべての方角から集合し、種々の宝石造りの樹木の根もとにある獅子座に坐っておられるそれらのすべてのブッダの分身たちに対して恭しく挨拶し、敬礼した。そして、それらのブッダたちの周りを幾100・1000回と何度も右回りに回り、種々の種類の菩薩の賛辞によって褒め称えてから、一隅に立ち、合掌して、正しく完全に覚られた尊敬されるべき世尊の釈迦牟尼如来と、多宝如来に向かって敬礼した。
そして、それらの菩薩たちは、二人の正しく完全に覚られた尊敬されるべきブッダの両足に頭をおしいただくことによって恭しく挨拶して、さらに世尊である釈迦牟尼如来が自分自身の身体から化作され、十方の互いに異なる世界のすべての方角から集合し、種々の宝石造りの樹木の根もとにある獅子座に坐っておられるそれらのすべてのブッダの分身たちに対して恭しく挨拶し、敬礼した。そして、それらのブッダたちの周りを幾100・1000回と何度も右回りに回り、種々の種類の菩薩の賛辞によって褒め称えてから、一隅に立ち、合掌して、正しく完全に覚られた尊敬されるべき世尊の釈迦牟尼如来と、多宝如来に向かって敬礼した。
その時、それらの偉大な人である菩薩たちが大地の裂け目から出現し、ブッダたちを称讃し、種々の種類の菩薩の賛辞によって褒め称えているうちに、まるまる50中劫が過ぎ去った。そして、その50中劫の間、その正しく完全に覚られた尊敬されるべき世尊の釈迦牟尼如来は、沈黙しておられた。それらの四衆たちも、実にその50中劫の間、沈黙したままの状態でいた。
その時、世尊は、次のような神通を現わされた。その神通を顕現されたことによって、それらの四衆たちは、過ぎ去ったその50中劫のことを、食事を終えた午後の半日分のことだと思ったし、また幾100・1000もの虚空に囲まれたこのサハー世界が菩薩によって満たされているのを見た。
しかも、その菩薩の大群衆、菩薩の大集団には、指導者である4人の偉大な人である菩薩たちがいた。すなわち、上行(卓越した善行をなすもの)、無辺行(際限なき善行をなすもの)、浄行(清らかな善行をなすもの)、安立行(よく確立された善行をなすもの)という名前の偉大な人である菩薩である。
これらの4人の偉大な人である菩薩たちは、その菩薩の大群衆、菩薩の大集団の指導者たちであって、その菩薩の大群衆、大集団の最前に立って、世尊に向かって合掌し、世尊に次のように申し上げた。
「世尊におかれましては、病もなく、倦怠もなく、またご機嫌麗しく過ごしておられるでしょうか?世尊よ、あなたのもとにいる衆生は、勝れた性質を持ち、教化しやすく、化導したすく、清浄にしやすいでありましょうか?願わくは、世尊に心労を生じさせることがありませんように」
その時、それらの4人の偉大な人である菩薩たちは、世尊に次の2つの詩によって語りかけた。
「世間の保護者よ、あなたは快適に過ごしておられるでしょうか?光明を放たれる人
よ、あなたは、病から解放されて、あなたの身体に苦痛を感じることはございません
でしょうか?
そして、あなたのもとにいるそれらの衆生は勝れた性質を持ち、化導しやすく、清浄
にしやすいでありましょうか?願わくは、世間の保護者が教えを説かれる時、それら
の衆生が心労を生じさせることがありませんように」
これらの4人の偉大な人である菩薩たちは、その菩薩の大群衆、菩薩の大集団の指導者たちであって、その菩薩の大群衆、大集団の最前に立って、世尊に向かって合掌し、世尊に次のように申し上げた。
「世尊におかれましては、病もなく、倦怠もなく、またご機嫌麗しく過ごしておられるでしょうか?世尊よ、あなたのもとにいる衆生は、勝れた性質を持ち、教化しやすく、化導したすく、清浄にしやすいでありましょうか?願わくは、世尊に心労を生じさせることがありませんように」
その時、それらの4人の偉大な人である菩薩たちは、世尊に次の2つの詩によって語りかけた。
「世間の保護者よ、あなたは快適に過ごしておられるでしょうか?光明を放たれる人
よ、あなたは、病から解放されて、あなたの身体に苦痛を感じることはございません
でしょうか?
そして、あなたのもとにいるそれらの衆生は勝れた性質を持ち、化導しやすく、清浄
にしやすいでありましょうか?願わくは、世間の保護者が教えを説かれる時、それら
の衆生が心労を生じさせることがありませんように」
そこで、世尊は、その菩薩の大群衆、菩薩の大集団の指導者である4人の菩薩たちに次のようにおっしゃられた。
「これはその通りである。良家の息子たちよ、これはその通りである。私は、病もなく、倦怠もなく、快適な感触を抱いて過ごしている。また、実に私のもとにいるそれらの衆生は、勝れた性質を持ち、教化しやすく、化導しやすく、清浄にしやすい。だから、それらの衆生は、私によって清浄にされながら、私に心労を生じさせることはないのだ。
それは、どんな理由によってか?良家の息子たちよ、実に私のもとにいるこれらの衆生は、過去の正しく完全に覚ったブッダたちのもとにおいて修行を完備しているのであり、実に私を見るだけで、また私から教えを聞くだけで、私に信順し、ブッダの知に通達し、悟入するからである。
その場合に、声聞の位、あるいは独覚の位においてブッダに付き従った人たちであるといえども、私は今、それらの人たちをブッダの法の智慧に通達せしめ、最高の真理を聞かせるのである」
すると、それらの4人の偉大な人である菩薩たちは、その時、次の2つの詩を述べた。
「素晴らしいことです。素晴らしいことです。偉大なる勇者よ、私たちは喜んでおり
ます。なんとなれば、それらの衆生が、勝れた性質を持ち、化導しやすく、清浄にし
やすいからです。
また、指導者よ、あなたのこの深遠な知を聞く衆生が、深遠な知を聞いて、信順し、
さらに覚りに達するからです」
4人の菩薩たちからこのように言われて、世尊は、その菩薩の大群衆、菩薩の大集団の指導者である4人の菩薩たちに、感嘆の言葉を述べられた。
「素晴らしいことである。素晴らしいことである。良家の息子であるあなたたちが、ブッダを称讃するということは」(つづく)
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第14章 大地の裂け目からの菩薩の出現
さて、他の世界からやって来た偉大な人である菩薩たちのうち、8つのガンジス河の砂の数に等しい多くの菩薩たちが、その時、その集会の群衆の中から立ち上がった。それらの菩薩たちは、世尊に向かって合掌し、敬礼しながら、世尊に次のように申し上げた。
「もしも、世尊が私たちに許してくださるならば、世尊よ、私たちもまた、ブッダが完全なる滅度に入られた後、この法門をこのサハー(娑婆)世界において説き示し、読誦 し、書写し、供養し、この法門のために努力したいと思います。それ故に、世尊は、どうか私たちが法門を説き示し、読誦し、書写し、供養することを承諾してください」
その時、世尊は、それらの菩薩たちに次のようにおっしゃられた。
「やめなさい。良家の息子たちよ、あなたたちのその仕事が何の役に立とうか。良家の息子たちよ、この世において私のこのサハー世界には、60のガンジス河の砂の数に等しい幾100・1000・コーティ・ナユタもの多くの菩薩たちがいる。このような菩薩たちのうちの一人の菩薩に属する侍者たちは、まさに60のガンジス河の砂の数に等しい幾100・1000・コーティ・ナユタもの多くの菩薩たちである。
すなわち、それらの〔60のガンジス河の砂の数に等しい菩薩たちの〕うちの一人ひとりの菩薩には、それらの60のガンジス河の砂の数に等しい菩薩たちと全く同数の侍者たちがいるのである。それらの菩薩たちは、私が完全なる滅度に入ってから、後の時代、後の状況において、この法門を受持し、読誦し、説き示すであろう」
世尊が以上の言葉を語られるやいなや、その時、このサハー世界の大地が遍く裂けて亀裂が生じた。そして、それらの裂け目の内部から幾100・1000・コーティ・ナユタもの多くの菩薩が出現した。それらの菩薩たちは、金色 の身体と、偉大なる人が具える32種類の身体的特徴を具えていた。まさにこのサハー世界に在って、この広大な大地の下の虚空界において楽しく過ごしていたそれらの菩薩たちは、世尊のこのような言葉を聞いて、大地の下から共々に出現したのだ。
それらの一人ひとりの菩薩は、60のガンジス河の砂の数に等しい多くの菩薩を侍者としており、群衆を従え、大群衆を率いていて、その群衆の師であった。群衆を従え、大群衆を率い、その群衆の師であるこのように偉大な人である菩薩たちで、60のガンジス河の砂の数に等しい幾100・1000・コーティ・ナユタもの多くの菩薩たちが、このサハー世界の大地の裂け目から共々に出現したのだ。
ましてや、50のガンジス河の砂の数に等しい多くの菩薩たちを侍者とする偉大な人である菩薩たちについては言うまでもない。ましてや、40のガンジス河の砂の数に等しい多くの菩薩たちを侍者とする偉大な人である菩薩たち、ましてや、30のガンジス河の砂の数に等しい多くの菩薩たちを侍者とする偉大な人である菩薩たち、ましてや、20のガンジス河の砂の数に等しい菩薩たちを侍者とする偉大な人である菩薩たち、ましてや、10のガンジス河の砂の数に等しい菩薩たちを侍者とする偉大な人である菩薩たち、ましてや、5つ、4つ、3つ、2つのガンジス河の砂の数に等しい菩薩たちを侍者とする偉大な人である菩薩たちについては言うまでもない、
ましてや、一つのガンジス河の砂の数に等しい菩薩たちを侍者とする偉大な人である菩薩たち、ましてや2分の1のガンジス河の砂の数に等しい菩薩たちを侍者とする偉大な人である菩薩たち、ましてや、4分の1.6分の1,8分の1,10分の1,20分の1,30分の1,40分の1,50分の1,100分の1,1000分の1,1・コーティ分の1,100・コーティ分の1,1000・コーティ分の1,100・1000・コーティ分の1,100・1000・コーティ・ナユタ分の1のガンジス河の砂の数に等しい菩薩たちを侍者とする偉大な人である菩薩たちについては言うまでもない。
それらの一人ひとりの菩薩は、60のガンジス河の砂の数に等しい多くの菩薩を侍者としており、群衆を従え、大群衆を率いていて、その群衆の師であった。群衆を従え、大群衆を率い、その群衆の師であるこのように偉大な人である菩薩たちで、60のガンジス河の砂の数に等しい幾100・1000・コーティ・ナユタもの多くの菩薩たちが、このサハー世界の大地の裂け目から共々に出現したのだ。
ましてや、50のガンジス河の砂の数に等しい多くの菩薩たちを侍者とする偉大な人である菩薩たちについては言うまでもない。ましてや、40のガンジス河の砂の数に等しい多くの菩薩たちを侍者とする偉大な人である菩薩たち、ましてや、30のガンジス河の砂の数に等しい多くの菩薩たちを侍者とする偉大な人である菩薩たち、ましてや、20のガンジス河の砂の数に等しい菩薩たちを侍者とする偉大な人である菩薩たち、ましてや、10のガンジス河の砂の数に等しい菩薩たちを侍者とする偉大な人である菩薩たち、ましてや、5つ、4つ、3つ、2つのガンジス河の砂の数に等しい菩薩たちを侍者とする偉大な人である菩薩たちについては言うまでもない、
ましてや、一つのガンジス河の砂の数に等しい菩薩たちを侍者とする偉大な人である菩薩たち、ましてや2分の1のガンジス河の砂の数に等しい菩薩たちを侍者とする偉大な人である菩薩たち、ましてや、4分の1.6分の1,8分の1,10分の1,20分の1,30分の1,40分の1,50分の1,100分の1,1000分の1,1・コーティ分の1,100・コーティ分の1,1000・コーティ分の1,100・1000・コーティ分の1,100・1000・コーティ・ナユタ分の1のガンジス河の砂の数に等しい菩薩たちを侍者とする偉大な人である菩薩たちについては言うまでもない。
ましてや、100・1000・コーティ・ナユタもの多くの菩薩たちを侍者とする偉大な人である菩薩たち、ましてや、幾コーティもの侍者を有する偉大な人である菩薩たち、ましてや、幾100・1000もの侍者を有する偉大な人である菩薩たち、ましたや、1000の侍者を有する偉大な人である菩薩たち、ましてや、500の侍者を有する偉大な人である菩薩たち、ましてや、400、300、200の侍者を有する偉大な人である菩薩たち、ましてや、100の侍者を有する偉大な人である菩薩たち、ましてや、50の菩薩の侍者を有する偉大な人である菩薩たち、乃至 、40、30、20、10、5、4、3、2の菩薩たちを侍者とする偉大な人である菩薩たち、ましてや、一人の侍者を連れた偉大な人である菩薩たち、ましてや、侍者のいない、一人でいることを楽しんでいる偉大な人である菩薩については言うまでもない。
このサハー世界の大地の裂け目から共々に出現した偉大な人である菩薩たちの数も、それを計算することも、何に譬えるかも、それに何が匹敵するかも知ることはできない。(つづく)
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このサハー世界の大地の裂け目から共々に出現した偉大な人である菩薩たちの数も、それを計算することも、何に譬えるかも、それに何が匹敵するかも知ることはできない。(つづく)
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するとその時、世尊はまさに以上の意味を重ねて示しつつ、次の詩を述べられた。
「人格を完成された人たちによって称賛された卓越した経であるこのような法を、常
に慈悲の力を示しつつ、常にあらゆる衆生を憐みながら、説き示すべきである。
〔恐るべき〕後の時代において、在家であれ、出家であれ、また覚りを求めない人で
あれ、それらのあらゆる人々に対して、その菩薩は、その時、慈悲の力を現わすべき
である。『法を聞いて後に、それらの人たちが、法を罵 ることがないように。
しかも、覚りを得て後、私がブッダの位に立った時、その時、私は巧みなる方便に立
脚して、それらの人たちを導き、この最高の覚りを聞かせてやりたい』と。
もちろん軍隊を統率する転輪王は、戦士たちの活躍に満足して、いろいろな種類の黄
金の飾りを戦士たちに与えるであろう。さらに、象や、馬、戦車、歩兵、町や村を与
えるであろう。
転輪王は、ある戦士たちの活躍に満足して、手の飾りや、銀と黄金の糸を与え、さら
に、その転輪王は満足して、真珠、宝石、螺貝、碧玉、珊瑚、そして種々の召使いを
与えるであろう。
しかも、そこにおいて、誰かある戦士が、最高の勇敢さによってその転輪王を驚かせ
る時、『この戦士は、希有なることを成し遂げた』と了解して、その転輪王は王冠を
はずし、髻 の中の宝石を与えるであろう。
「人格を完成された人たちによって称賛された卓越した経であるこのような法を、常
に慈悲の力を示しつつ、常にあらゆる衆生を憐みながら、説き示すべきである。
〔恐るべき〕後の時代において、在家であれ、出家であれ、また覚りを求めない人で
あれ、それらのあらゆる人々に対して、その菩薩は、その時、慈悲の力を現わすべき
である。『法を聞いて後に、それらの人たちが、法を罵 ることがないように。
しかも、覚りを得て後、私がブッダの位に立った時、その時、私は巧みなる方便に立
脚して、それらの人たちを導き、この最高の覚りを聞かせてやりたい』と。
もちろん軍隊を統率する転輪王は、戦士たちの活躍に満足して、いろいろな種類の黄
金の飾りを戦士たちに与えるであろう。さらに、象や、馬、戦車、歩兵、町や村を与
えるであろう。
転輪王は、ある戦士たちの活躍に満足して、手の飾りや、銀と黄金の糸を与え、さら
に、その転輪王は満足して、真珠、宝石、螺貝、碧玉、珊瑚、そして種々の召使いを
与えるであろう。
しかも、そこにおいて、誰かある戦士が、最高の勇敢さによってその転輪王を驚かせ
る時、『この戦士は、希有なることを成し遂げた』と了解して、その転輪王は王冠を
はずし、髻 の中の宝石を与えるであろう。
初転法輪像(インド・サールナート)
まさにそのように、ブッダである私は、法の王であり、忍耐力を具え、多くの智慧の
蔵を持ち、私は、人々の安寧のために憐憫の情を抱き、同情しつつ、法によってこの
全世界を統治するのである。
また、その時、衆生が苦しめられているのを見て、私は幾1000・コーティもの多くの
経を説く。この世において、煩悩を打破している清らかな衆生の勇敢な前進ぶりを知
って、
その時、偉大なる医者で、法の王である私もまた、幾100・コーティもの多くの法門
を説きつつ、衆生が能力を具え、智慧を有しているのを知って、髻の中の宝石のよう
なこの経を私は説いたのだ。
私は世間において、この最後の経を説こう。それは、私のすべての経の中で最高のも
のであり、私が長い間、保護してきたもので、これまで決して説くことのなかったも
のである。私は今、それを説き聞かせよう。あなたたちはみな、聞くがよい。
私が完全なる滅度に入った後で、実践されるべきこれらの4つの在り方は以上のよう
なものである。だから、最高で最上の覚りを願い求める人たちで、私のために仕事を
してくれる人たち、
その人には、憂いも、障害も、醜さも、病もない。さらに、その人には皮膚の黒さも
なく、粗末な町に住むこともないのだ。
その偉大なる聖仙は、常に麗しい容姿を持ち、あたかもブッダのように供養されるべ
きで、その聖仙には常に、侍者として若々しい神々の子たちが伴っているのだ。
その偉大なる聖仙の継続する身体には、いかなる時にも短剣や、毒薬、さらには棒や
土 塊 でさえも及ぶことは決してない。その偉大なる聖仙に罵りの言葉でさえも言うよ
うなことがあれば、その人の口は閉ざされてしまうであろう。
蔵を持ち、私は、人々の安寧のために憐憫の情を抱き、同情しつつ、法によってこの
全世界を統治するのである。
また、その時、衆生が苦しめられているのを見て、私は幾1000・コーティもの多くの
経を説く。この世において、煩悩を打破している清らかな衆生の勇敢な前進ぶりを知
って、
その時、偉大なる医者で、法の王である私もまた、幾100・コーティもの多くの法門
を説きつつ、衆生が能力を具え、智慧を有しているのを知って、髻の中の宝石のよう
なこの経を私は説いたのだ。
私は世間において、この最後の経を説こう。それは、私のすべての経の中で最高のも
のであり、私が長い間、保護してきたもので、これまで決して説くことのなかったも
のである。私は今、それを説き聞かせよう。あなたたちはみな、聞くがよい。
私が完全なる滅度に入った後で、実践されるべきこれらの4つの在り方は以上のよう
なものである。だから、最高で最上の覚りを願い求める人たちで、私のために仕事を
してくれる人たち、
その人には、憂いも、障害も、醜さも、病もない。さらに、その人には皮膚の黒さも
なく、粗末な町に住むこともないのだ。
その偉大なる聖仙は、常に麗しい容姿を持ち、あたかもブッダのように供養されるべ
きで、その聖仙には常に、侍者として若々しい神々の子たちが伴っているのだ。
その偉大なる聖仙の継続する身体には、いかなる時にも短剣や、毒薬、さらには棒や
土 塊 でさえも及ぶことは決してない。その偉大なる聖仙に罵りの言葉でさえも言うよ
うなことがあれば、その人の口は閉ざされてしまうであろう。
私が完全なる滅度に入った後に、この経を受持する人は、この世において生命あるも
のたちにとっての親族であり、光明を発し、幾コーティもの多くの生命あるものたち
の暗闇を取り除きながら、太陽を活発に遍歴しているのだ。
その偉大なる聖仙は、夢の中で〔自分の〕素晴らしい姿を見る。すなわち、その聖仙
は、自己の身体が獅子座に坐っていて、多くの種類の法を男性出家者たちや、女性出
家者たちに説き明かしているのを見るのだ。
その偉大なる聖仙は、夢の中でガンジス河の砂の数のように多くの種類の神々や、ヤ
クシャ、アスラ、龍たちを見る。夢の中でその偉大なる聖仙は、合掌しているそれら
のすべてのものたちに最高の法を説いているのだ。
その偉大なる聖仙は、夢の中で、ブッダが幾コーティもの多くの生命あるものたちに
法を説いていて、黄金の皮膚の色を持つ保護者が幾千もの光明と甘美な声を発してい
るのを見る。
しかも、その偉大なる聖仙は、その夢の中で、両足で歩くもののうちで最上の人であ
る賢者を称讃しながら合掌して立っていて、その偉大なる医者である勝利者は、四衆
のために最高の法を説いている。
また、その偉大なる聖仙は、その両足で歩くもののうちで最上の人の説法を聞いて、
喜び、歓喜を生じて、その賢者に供養をなす。さらに、その偉大なる聖仙は、夢の中
でダーラニーを得て後に、不退転の知を速やかに獲得するのだ。
のたちにとっての親族であり、光明を発し、幾コーティもの多くの生命あるものたち
の暗闇を取り除きながら、太陽を活発に遍歴しているのだ。
その偉大なる聖仙は、夢の中で〔自分の〕素晴らしい姿を見る。すなわち、その聖仙
は、自己の身体が獅子座に坐っていて、多くの種類の法を男性出家者たちや、女性出
家者たちに説き明かしているのを見るのだ。
その偉大なる聖仙は、夢の中でガンジス河の砂の数のように多くの種類の神々や、ヤ
クシャ、アスラ、龍たちを見る。夢の中でその偉大なる聖仙は、合掌しているそれら
のすべてのものたちに最高の法を説いているのだ。
その偉大なる聖仙は、夢の中で、ブッダが幾コーティもの多くの生命あるものたちに
法を説いていて、黄金の皮膚の色を持つ保護者が幾千もの光明と甘美な声を発してい
るのを見る。
しかも、その偉大なる聖仙は、その夢の中で、両足で歩くもののうちで最上の人であ
る賢者を称讃しながら合掌して立っていて、その偉大なる医者である勝利者は、四衆
のために最高の法を説いている。
また、その偉大なる聖仙は、その両足で歩くもののうちで最上の人の説法を聞いて、
喜び、歓喜を生じて、その賢者に供養をなす。さらに、その偉大なる聖仙は、夢の中
でダーラニーを得て後に、不退転の知を速やかに獲得するのだ。
また、その聖仙の保護者は、その偉大なる聖仙の意向を知って、その偉大なる聖仙に
牡牛 のように偉大な人の位に到るであろうという予言をする。『良家の息子よ、あな
たもまた、この世で未来の世において、この上ないめでたい知を得るであろう。
あなたのブッダの国土もまた、広大なものであるだろう。また、あなたの四衆たちは
まさに私の四衆たちと同じように、大変に敬虔 であり、合掌して、汚れのない広大な
法を聞くであろう』と。
さらにまた、その偉大なる聖仙は、夢の中で岩の洞穴において法を修行している自分
の身体を見る。法を修行して後、また〔法を法たらしめる〕根本の理法(法性 )に
到達して後、三昧 を得たその偉大なる聖仙は、勝利者に出会うのだ。
夢の中で、身が金色 で、幾百もの福徳の相を具えているブッダに出会って、法を聞
き、聞いて後に、偉大なる聖仙は、集会においてその法を説き明かした。実にその偉
大なる聖仙の見る夢は、このようなものなのだ。
夢の中でも、王国や、後宮 、同じく親族一同をすべて捨てて、すべての愛欲を捨て
去って出家し、このようにして覚りの座に近づいた。
覚りを求めるその人は、その菩提樹の根もとにあるその獅子座に坐り、こうして7日
間が経過した後、ブッダたちの知を獲得するであろう。
覚りを獲得して、その獅子座から立ち上がって、その偉大なる聖仙は、実に汚れのな
い真理の車輪を転じ、四衆たちに幾1000・コーティ劫もの考えることもできない長い
間、法を説いた。
そこにおいて、汚れのない法を説き示し、幾コーティもの多くの生命あるものたちを
涅槃に到らせた後に、油がなくなって燈明が燃え尽きるように、その偉大なる聖仙は
涅槃に入って消え去るのだ。その偉大なる聖仙の見る夢はこのようなものである。
文殊師利よ、〔恐るべき〕後の時代に、私が巧みに説き示したこの最高の法であるこ
の経を説き明かす人には、無限の多くの功徳が常に具わるであろう」
以上が、聖なる「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門の中の「安楽の住所の章」という名前の第13章である。 (安楽行品第14おわり)
↓ ランキング挑戦中 Brog Rankingのバナーをポチッと押してね!文殊師利よ、過去・未来・現在の正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダたちによって、この法門は常に守護されているのだ。文殊師利よ、多くの世界においてこの法門の説かれる声、あるいは音声、あるいは名前を聞くことは得難いのである。
文殊師利よ、それは、あたかも軍隊を統率する転輪王 がいて、武力によってその自分の王国を征服するようなものである。そこで、その転輪王の対抗者で敵対者である敵の王たちが、その転輪王と戦闘状態に陥ることになる。その時、その軍隊を統率する転輪王には、種々の戦士たちがいて、それらの戦士たちは、それらの敵と戦うのだ。
そこで、その転輪王は、それらの戦士たちが戦っているのを見て、それらの戦士たちに満足し、狂喜する。その転輪王は、満足するや否や、狂喜して、それらの戦士たちに種々の恩賞を与える。
すなわち、村か、あるいは村の土地を与え、町か、あるいは町の土地を与え、衣服を与え、帯や、手の飾り、足の飾り、首飾り、耳飾り、黄金の糸、半連の真珠の首飾り、金貨、黄金、宝石、真珠、瑠璃 、螺貝 、碧玉 、珊瑚 でさえも与え、象や、馬、戦車、歩兵、女召使い、召使いでさえも与え、乗り物や輿 も与える。
しかしながら、決して誰にも髻 の中の宝石を与えることはないのだ。それは、どんな理由によってか?王には、頭頂の髻の中にその宝石がたった一つしかないからだ。
しかしながら、文殊師利よ、王がその髻の中の宝石でさえも与える時、王のその〔歩兵・騎兵・象軍・戦車の〕4種類の兵より成る完全な軍隊はすべて、不思議な思いにとらわれ、驚くべき思いを抱くのだ。
まさにこのように、文殊師利よ、法の所有者でありる正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダもまた、自分の腕の力という軍勢によって征服し、福徳の力という軍勢によって征服した法によって、三界における法の王国を支配するのである。
ところが、悪魔のパーピーヤス(波旬 )が、そのブッダの三界を侵略してくるのだ。そこで、ブッダの聖なる戦士たちもまた、悪魔と戦うのだ。その時、文殊師利よ、それらの聖なる戦士たちが戦っている時、法の所有者であり、法の王である正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダもまた、それを見て、それらの四衆たちを喜ばせるために種々の幾100・1000の経を説いた。そして、これらの人たちに涅槃 の都城 である卓越した法の都城を与え、〔小乗の〕涅槃によってそれらの人たちを誘引した。けれども、「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」というこのような法門を説くことはなかった。
文殊師利よ、それは、あたかもそれらの戦士たちが戦っている時、軍隊を統率するその転輪王が、戦士たちの偉大なる雄々しい行動に驚くや否や、自分の所有するすべてのうちの最後のもので、あらゆる世間の人々にとって信じ難く、驚きである髻の中のその宝石を与えるようなものだ。文殊師利よ、あたかもその王の髻の中のその宝石が、頭頂にあって長い間、保護されてきたように、三界における法の王で、法によって王国を支配している正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダもまた、まさにそのように法門を説くのだ。
ブッダは、声聞たちと菩薩たちが、色 ・受 ・相 ・行 ・識 の五蘊 (五陰 )という魔(陰魔 )、あるいは煩悩という魔(煩悩魔 )と戦っているのを見たり、さらに、それらの〔の魔〕と戦っているものたちが、貪愛・憎悪・迷妄〔すなわち、貪欲 ・瞋恚 ・愚痴 の三毒 〕を滅して、あらゆる三界から出離し、一切の魔を撃退し、偉大なる雄々しい行動をなした時、正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダもまた、大いに喜ぶや否や、それらの聖なる戦士たちに、すべての世間の人々にとって受け容れ難く、すべての世間の人々にとって信じ難く、未だかつて説かれたことも、示されたこともない、このような法門を説かれるのだ。ブッダは、髻の中の卓越した宝石に似た、あらゆる衆生に一切知者となることを得させる法門を声聞たいに与えるのだ。
文殊師利よ、実にこれはブッダたちの最高の説法であり、ブッダたちの最後の法門であり、すべての法門の中で、この法門は全く深遠なもので、すべての世間の人々にとって受け容れ難いものでる。
文殊師利よ、その軍隊を統率する転輪王が、長い間、保護してきた髻の中の宝石を取り外して、戦士たちに与えたように、まさにそのように、文殊師利よ、ブッダもまた長い間、保護してきた、あらゆる法門の頂点(頭頂)にあり、ただブッダによってのみ知られるべきこの法の秘伝を、ブッダは今、説き明かされたのである」と。(つづく)
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そのほか、さらに文殊師利よ、ブッダが完全なる滅度に入った後、正しい教えが滅亡に向かっている時、この法門を受持することを望んでいる偉大な人である菩薩がいる。その男性出家者は、在家者と出家者たちのそばから遥かに遠く離れて過ごすべきであり、慈しみに基づいた過ごし方をするべきである。
覚りを目指してまだ出て立っていない衆生のすべてに対して、熱望を生じさせるべきであり、またこの男性出家者は、次のように考えを起こすべきである。
『ああ、これらの衆生は、ブッダの巧みなる方便である深い意味を込めて語られた言葉を聞くこともなく、知ることもなく、理解することもなく、質問することもなく、信じることもなく、信順することもない極めて愚かな性質を持つものたちである。また、これらの衆生は、この法門に悟入することもなく、理解することもない。けれども、私は、この上ない正しく完全な覚りを覚って後、誰が、どこに住していようとも、まさにそこにおいてその人を、神通の力によって引きつけ、信じさせ、悟入させ、成熟させるであろう』
文殊師利よ、以上の4つの在り方を具えた偉大な人である菩薩はブッダが完全なる滅度に入った後、この法門を示しながら他者に苦痛を与えるという過失がなく、男性出家者・女性出家者・男性在家信者・女性在家信者たちによって、また、王や王子、王に仕える大臣、王に仕える高位の人、バラモンや資産家たちによって称賛され、尊重され、尊敬され、供養されるのだ。また、空中に住する神々たちは、この菩薩を信じて、法を聞くためにこの菩薩の後に付き従うであろう。そして、神々の子たちは、この菩薩を守護するために常に付き従うであろう。この人が村の中にいても、あるいは精舎の中にいても、法について尋ねる人たちが昼夜に近づいてきて、その菩薩の解説を聞くことによって満足し、心が高揚し、狂喜するであろう。
それは、どんな理由によってか?文殊師利よ、この法門は、すべてのブッダたちによって守護されているからである。(つづく)
それは、どんな理由によってか?文殊師利よ、この法門は、すべてのブッダたちによって守護されているからである。(つづく)
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そのほか、さらに、文殊師利よ、ブッダが完全なる滅度に入った後、正しい教えが滅亡に向かっている時、この経を受持している菩薩は、妬 むこともなく、偽ることもなく、欺瞞 もない偉大な人である菩薩であって、菩薩のための乗り物に属する他の人たちに非難の言葉を言うこともなく、罵 ることもなく、呵責 することもないのだ。
また、声聞のための乗り物に属するものたちであれ、独覚果に到るための乗り物に属するものたちであれ、菩薩のための乗り物に属するものたちであれ、他の男性出家者・女性出家者・男性在家信者・女性在家信者たちに不安な思いを生じさせることはないのだ。
『良家の息子たちよ、あなたたちは、この上ない正しく完全な覚りから遠く隔たった所にいる。従って、あなたたちは、この上ない正しく完全な覚りの中に見出されることはないのだ。あなたたちは、あまりにも怠慢に過ごしている。だから、あなたたちはブッダのその知を覚ることはできないのだ』と、このようなことを言って、菩薩のための乗り物に属する誰にであれ、不安な思いを生じさせるようなことは決してないのだ。
また、法に関する論争をなさず、あらゆる衆生に対する慈悲の力を捨て去ることはない。すべてのブッダに対して父という思いを抱き、すべての菩薩に対して師という思いを抱く、十方の世間にいる偉大な人である菩薩に対して常に高潔な心を持って、また尊敬の念を持って敬礼するのだ。
また、法を説きつつも、その人は、法に対する平等な熱意から、より少ないこともなく、より多いこともなく法を説くのだ。また、この法門を説き明かしながら、法に対する熱意からでさえも、誰であれ他より一層勝れた好意を、決して特定の人に対して示すことはない。
文殊師利よ、この第3の在り方(法)を具えた偉大な人である菩薩は、ブッダが完全なる滅度に入った後、正しい教えが滅亡に向かっている時、この法門を説き明かしながら、快い感触を楽しみ、危害を加えられることなく、この法門を説き明かすのだ。
また、この菩薩が法を詠唱すると、一緒に詠唱する同伴者たちが現われ、さらに、この菩薩から法を聞こうとする者が出現するであろう。それらの人たちは、この法門をこの菩薩から聞き、信じ、信受し、受持し、完全に理解し、自ら書写し、他者にも書写させ、そして写本になしてから、称賛し、尊重し、尊敬し、供養するであろう」
世尊は、以上のことを話された。人格を完成された人は、以上のことを語られると、その後、その師は次のように話された。
「説法者は、不正直や、高慢、また狡 さも、余すところなく捨て去るべきであり、同
様にこの経を説き明かすことを求める賢者は、決して嫉妬 をするべきではない。
その人は、決して誰に対しても非難の言葉を言うべきではないし、また、見解をめぐ
っての論争も決してなすべきではない。『あなたは、この上ないブッダの知を得るこ
とはないであろう』と言って、他者に不安な思いを抱かせる状態を決して作り出すべ
きではない。
人格を完成した人の息子であるその菩薩は、常に誠実で、柔和で、〔侮辱や苦難を〕
耐え忍んでいる。この法を繰り返して説き示すがよい。その人には、いかなる時にも
決して倦怠感が生ずることはないのだ。
『十方の世間において、衆生に対する慈しみによって行動する菩薩はすべて、私の師
である』と考えて、賢者は、それらの菩薩に対する尊敬の念を抱くべきである。
両足で歩くもののうちで最上の人であるブッダたちを念じて、勝利者たちに対して常
に父という思いをなすべきである。そして、高慢な思いをすべて捨て去った時、その
人には法を説くに当たって障害となるものは存在しないのだ。
このような第3の在り方を聞いて、その時、賢者はその在り方を守るべきである。そ
の賢者は、安楽に過ごすことに心を集中して、幾コーティもの多くの生命あるものた
ちによってしっかりと守護されるのだ。(つづく)
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「説法者は、不正直や、高慢、また狡 さも、余すところなく捨て去るべきであり、同
様にこの経を説き明かすことを求める賢者は、決して嫉妬 をするべきではない。
その人は、決して誰に対しても非難の言葉を言うべきではないし、また、見解をめぐ
っての論争も決してなすべきではない。『あなたは、この上ないブッダの知を得るこ
とはないであろう』と言って、他者に不安な思いを抱かせる状態を決して作り出すべ
きではない。
人格を完成した人の息子であるその菩薩は、常に誠実で、柔和で、〔侮辱や苦難を〕
耐え忍んでいる。この法を繰り返して説き示すがよい。その人には、いかなる時にも
決して倦怠感が生ずることはないのだ。
『十方の世間において、衆生に対する慈しみによって行動する菩薩はすべて、私の師
である』と考えて、賢者は、それらの菩薩に対する尊敬の念を抱くべきである。
両足で歩くもののうちで最上の人であるブッダたちを念じて、勝利者たちに対して常
に父という思いをなすべきである。そして、高慢な思いをすべて捨て去った時、その
人には法を説くに当たって障害となるものは存在しないのだ。
このような第3の在り方を聞いて、その時、賢者はその在り方を守るべきである。そ
の賢者は、安楽に過ごすことに心を集中して、幾コーティもの多くの生命あるものた
ちによってしっかりと守護されるのだ。(つづく)
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