なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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すると、多聞天王 (ヴァイシュラヴァナ大王・毘沙門天 )が、世尊に次のように申し上げた。
「世尊よ、私も、それらの説法者たちの幸福と安寧のために、それらの説法者たちに対する憐みのために、それらの説法者たちの守護と、擁護と、防護のためにダーラニーの句を説くことにしましょう。すなわち、
アッテー、タッテー、ナッテー、ヴァナッテー、アナデー、ナーデジ、クナディ、ス
ヴァーハー(薩婆訶 )。
世尊よ、これらのダーラニーの句によって、私は10ヨージャナ(約150㎞)の距離のところにあって、それらの説法者たちのために守護をなしましょう。このような経の受持者であるそれらの良家の息子たちや、良家の娘たちのために守護がなされるであろうし、幸運の増進がなされるでありましょう」
その時、増長天王 (ヴィルーダカ大王・鳩摩羅什訳では持国天になっている)がまさにその集会に参加して坐っていて、幾100・1000・コーティ・ナユタものクンバーンダ鬼たちに囲まれ、敬われていた。その増長天王は、座席から立ち上がって、上衣の左肩を残して右側の一方の肩だけ露 にし、世尊のおられるところに向かって合掌して敬礼し、世尊に次のように申し上げた。
「世尊よ、私もまた、多くの人々の安寧のために、ダーラニーの句を説くことにしましょう。そのようなそれらの説法者たちや、このような経の受持者たちの守護と、擁護と、防護のために、ダーラニーの神呪を説くことにしましょう。すなわち、
アガネー、ガネー、ガウリ、ガンダーリ、チャンダーリ、マータンヤ、プッカシ、サ
ンクレー、ヴルーサリ、シシ、スヴァーハー。
世尊よ、これらのそのダーラニーの神呪は、42・コーティものブッダたちによって説かれたものであります。このような説法者たちを凌駕しようとする人は、それらのブッダたちのすべてに敵意を抱いていることになるでありましょう」
「世尊よ、私も、それらの説法者たちの幸福と安寧のために、それらの説法者たちに対する憐みのために、それらの説法者たちの守護と、擁護と、防護のためにダーラニーの句を説くことにしましょう。すなわち、
アッテー、タッテー、ナッテー、ヴァナッテー、アナデー、ナーデジ、クナディ、ス
ヴァーハー(薩婆訶 )。
世尊よ、これらのダーラニーの句によって、私は10ヨージャナ(約150㎞)の距離のところにあって、それらの説法者たちのために守護をなしましょう。このような経の受持者であるそれらの良家の息子たちや、良家の娘たちのために守護がなされるであろうし、幸運の増進がなされるでありましょう」
その時、増長天王 (ヴィルーダカ大王・鳩摩羅什訳では持国天になっている)がまさにその集会に参加して坐っていて、幾100・1000・コーティ・ナユタものクンバーンダ鬼たちに囲まれ、敬われていた。その増長天王は、座席から立ち上がって、上衣の左肩を残して右側の一方の肩だけ露 にし、世尊のおられるところに向かって合掌して敬礼し、世尊に次のように申し上げた。
「世尊よ、私もまた、多くの人々の安寧のために、ダーラニーの句を説くことにしましょう。そのようなそれらの説法者たちや、このような経の受持者たちの守護と、擁護と、防護のために、ダーラニーの神呪を説くことにしましょう。すなわち、
アガネー、ガネー、ガウリ、ガンダーリ、チャンダーリ、マータンヤ、プッカシ、サ
ンクレー、ヴルーサリ、シシ、スヴァーハー。
世尊よ、これらのそのダーラニーの神呪は、42・コーティものブッダたちによって説かれたものであります。このような説法者たちを凌駕しようとする人は、それらのブッダたちのすべてに敵意を抱いていることになるでありましょう」
ハーリーティ―(右)とパンチカ(パキスタン・ペシャワール博物館)
すると、ランパーという名前の羅刹女 (ラークシャシー)や、ヴィランパー、クータ・ダンティー、プシュパ・ダンティー、マクタ・ダンティー、ケーシニー、アチャラー、マーラー・ダーリー、クンティー、サルヴァ・サットヴォージョーハーリー、そして息子や、従者に伴われた鬼子母神 (ハーリーティー)という名前の羅刹女ーそれらのすべての羅刹女たちが、世尊のおられることろに近づいた。近づいてから、声を一つにして世尊に次のように申し上げた。
「世尊よ、それらの説法者たちの欠点を探し、欠点を求めようとしても、決して誰もつけ入る機会を得ることがないように、私たちもまた、このような経の受持者たちや、説法者たちの守護と、擁護と、防護をなしましょう。それらの人たちのために好運の増進を図りましょう」と。
そこで、それらの羅刹女たちは、すべて声を一つにしてそろって一緒に唱和して、世尊にこれらのダーラニーの神呪を捧げた。すなわち、
「イティ、メー、イティ、メー、イティ、メー、イティ、メー、イティ、メー。ニメ
ー、ニメー、ニメー、ニメー、ニメー。ルヘー、ルヘー、ルヘー、ルヘー、ルヘー。
ストゥヘー、ストゥヘー、ストゥへー、ストゥヘー、ストゥヘー、スヴァーハー。
〔説法者の頭ではなく、もしろ私の〕この頭に登るとしても、誰であれ、説法者たちに敵対する意志を抱くようなことがあってはなりません。ヤクシャ(夜叉)であれ、ラークシャサであれ、餓鬼であれ、ピシャーチャ鬼であれ、プータナであれ、クリティヤであれ、ヴェーターダであれ、クンバーンダ鬼であれ、スタブダであれ、ウマーラカであれ、ウスターラカであれ、アパスマーラカであれ、ヤクシャのクリティヤであれ、人間以外のクリティヤであれ、人間のクリティヤであれ、一日おきに起こる熱病であれ、二日おきに起こる熱病であれ、三日おきに起こる熱病であれ、四日おきに起こる熱病であれ、連続して起こる熱病であれ、不規則に起こる熱病であれ、たとえ夢の中にいる人にとっての女の姿であれ、男の姿であれ、少年の姿であれ、少女の姿であっても、説法者たちを悩ますことをしてはなりません。それらの鬼たちのいるべき場所は、説法者たちのいるところには見いだされないのであります」
「世尊よ、それらの説法者たちの欠点を探し、欠点を求めようとしても、決して誰もつけ入る機会を得ることがないように、私たちもまた、このような経の受持者たちや、説法者たちの守護と、擁護と、防護をなしましょう。それらの人たちのために好運の増進を図りましょう」と。
そこで、それらの羅刹女たちは、すべて声を一つにしてそろって一緒に唱和して、世尊にこれらのダーラニーの神呪を捧げた。すなわち、
「イティ、メー、イティ、メー、イティ、メー、イティ、メー、イティ、メー。ニメ
ー、ニメー、ニメー、ニメー、ニメー。ルヘー、ルヘー、ルヘー、ルヘー、ルヘー。
ストゥヘー、ストゥヘー、ストゥへー、ストゥヘー、ストゥヘー、スヴァーハー。
〔説法者の頭ではなく、もしろ私の〕この頭に登るとしても、誰であれ、説法者たちに敵対する意志を抱くようなことがあってはなりません。ヤクシャ(夜叉)であれ、ラークシャサであれ、餓鬼であれ、ピシャーチャ鬼であれ、プータナであれ、クリティヤであれ、ヴェーターダであれ、クンバーンダ鬼であれ、スタブダであれ、ウマーラカであれ、ウスターラカであれ、アパスマーラカであれ、ヤクシャのクリティヤであれ、人間以外のクリティヤであれ、人間のクリティヤであれ、一日おきに起こる熱病であれ、二日おきに起こる熱病であれ、三日おきに起こる熱病であれ、四日おきに起こる熱病であれ、連続して起こる熱病であれ、不規則に起こる熱病であれ、たとえ夢の中にいる人にとっての女の姿であれ、男の姿であれ、少年の姿であれ、少女の姿であっても、説法者たちを悩ますことをしてはなりません。それらの鬼たちのいるべき場所は、説法者たちのいるところには見いだされないのであります」
そこで、それらの羅刹女たちは、声を一つにしてそろって一緒に唱和して、次の詩によって世尊に語りかけた。
「実にこの呪文を聞いて、それでも説法者を凌駕しようとする人があるならば、その
人の頭はアルジャカの樹の花房のように7つに裂けるでありましょう。
説法者を凌駕しようとする人は、母を殺害する者に属する道、また父を殺害する者に
属する道を突き進むでありましょう。
説法者を凌駕しようとする人は、胡麻の油を搾 る者に属する道、そして胡麻を打ち砕
く者に属する道を突き進むでありましょう。
説法者を凌駕しようとする人は、秤 によって重量を偽る者に属する道、そして測定の
際に数量を偽る者に属する道を突き進むでありましょう」
このように言って、クンティーをはじめとするそれらの羅刹女たちは、世尊に次のように申し上げた。
「世尊よ、私たちもまたこのようなそれらの説法者たちの守護をなしましょう。それらの説法者たちのために好運の増進、棒で殴られる刑罰を受けないですますこと、毒の効能を消失させることを、私たちはなしましょう」と。
羅刹女たちからこのように言われて、世尊は、それらの羅刹女たちに次のようにおっしゃられた。
「ご婦人方よ、素晴らしいことである。素晴らしいことである。この法門の名前だけでさえも受持する説法者たちの守護と、擁護と、防護をあなたたちがなそうということは。
ましてや、この法門を完全に獲得して受持するか、あるいは写本に作りなされたものに恭敬し、花や、末香、薫香、花環 、塗香 、焼香、衣、日傘、旗、幟 、勝利の旗によって、あるいは胡麻油の燈明、酥油 の燈明、香油の燈明、チャンパカ油の燈明、ヴァールシカ油の燈明、青睡蓮 の燈明、スマナスの燈明ーこのような幾100・1000もの多くの種類の供養の実行によって、恭敬し、尊重する説法者たちにいては言うまでもないことである。クンティーよ、あなたは、それらの説法者たちを侍者たちとともに守護するべきである」
ところで、この「ダーラニーの章」が説かれている時に、6万8000の生命あるものたちに何ものも生ずることはないという真理を認める知(無生法忍 )の獲得があった。
以上が、聖なる「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門の中の「ダーラニーの章」という名前の第21章である。 (陀羅尼品第26おわり)
↓ ランキング挑戦中 Brog Rankingのバナーをポチッと押してね! その時、薬王 という偉大な人である菩薩は、座席から立ち上がって、上衣の左肩を残して右側の一方の肩だけを露 わにし、右の膝頭を地面につけて、世尊のおられるところに向かって合掌して敬礼し、世尊に次のように申し上げた。
「世尊よ、良家の息子であれ、良家の娘であれ、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を体現するか、あるいは写本にするかして、受持する人は、どれほどの福徳を生ずるでありましょうか?」
薬王菩薩にこのように言われて、世尊は次のようにおっしゃられた。
「薬王よ、良家の息子であれ、良家の娘であれ、誰であっても、80のガンジス河の砂の数に等しい幾100・1000・コーティ・ナユタものブッダたちを称讃し、尊重し、供養する良家の息子、あるいは良家の娘は、その理由によって、どれほど多くの福徳を生ずるであろうか?薬王よ、あなたは、それをどう考えるか?」
薬王菩薩が言った。
「世尊よ、多いでしょう。人格を完成された人よ、多いでしょう」
世尊がおっしゃられた。
「薬王よ、私はあなたに告げよう。私はあなたに知らせよう。良家の息子であれ、良家の娘であれ、誰であっても、「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門から、4つの句で構成された詩をただ一つでさえも受持し、読誦し、理解し、その後さらに修行によって完成するならば、その良家の息子、あるいは良家の娘は、その理由によって、より多くの福徳を生ずるであろう」
すると、薬王菩薩は、その時、世尊に次のように申し上げた。
「世尊よ、私たちは、「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」というこの法門を体現したり、あるいは写本にしたりするそれらの良家の息子、あるいは良家の娘たちに、守護と、擁護と、防護のためのダーラーニー(呪文)の神呪 を与えるでありましょう。
「世尊よ、良家の息子であれ、良家の娘であれ、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を体現するか、あるいは写本にするかして、受持する人は、どれほどの福徳を生ずるでありましょうか?」
薬王菩薩にこのように言われて、世尊は次のようにおっしゃられた。
「薬王よ、良家の息子であれ、良家の娘であれ、誰であっても、80のガンジス河の砂の数に等しい幾100・1000・コーティ・ナユタものブッダたちを称讃し、尊重し、供養する良家の息子、あるいは良家の娘は、その理由によって、どれほど多くの福徳を生ずるであろうか?薬王よ、あなたは、それをどう考えるか?」
薬王菩薩が言った。
「世尊よ、多いでしょう。人格を完成された人よ、多いでしょう」
世尊がおっしゃられた。
「薬王よ、私はあなたに告げよう。私はあなたに知らせよう。良家の息子であれ、良家の娘であれ、誰であっても、「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門から、4つの句で構成された詩をただ一つでさえも受持し、読誦し、理解し、その後さらに修行によって完成するならば、その良家の息子、あるいは良家の娘は、その理由によって、より多くの福徳を生ずるであろう」
すると、薬王菩薩は、その時、世尊に次のように申し上げた。
「世尊よ、私たちは、「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」というこの法門を体現したり、あるいは写本にしたりするそれらの良家の息子、あるいは良家の娘たちに、守護と、擁護と、防護のためのダーラーニー(呪文)の神呪 を与えるでありましょう。
アニイェー、マニイェー、マネー、ママネー、チッテー、チャリテー、サメー、サミ
ター、ヴィシャーンテー、ムクテー、ムクタタメー、サメー、アヴィシャメー、サマ
サメー、ジャイェー、クシャイェー、アクシャイェー、アクシネー、シャーンテー、
サミテー、ダーラニ、アーローカ・バーシェー、プラティヤヴェークシャニ、ニディ
ル、アビヤンタラ・ニヴィシュテー、アビヤンタラ・パーリシュッデー、ムトクレー、
ムトクレー、アラデー、パラダー、スカーンクシ、アサマサメー、ブッダ・ヴィロー
キテー、ダルマ・パリークシテー、サンガ・ニルゴーシャニ、ニルゴーニ、パヤーパ
ヤ・ヴィショーダニ、マントレー、マントラークシャヤテー、ルテー、ルタ・カウシ
ャルイェー、アクシャイェー、アクシャヤ・ヴァナターイェー、ヴァックレー、ヴァ
ローダ、アマニヤナターイェー、スヴァーハー(薩婆訶 )。
世尊よ、これらのダーラニーの神呪の句は、62のガンジス河の砂の数に等しい多くの世尊であるブッダたちによって説かれたものであります。このような説法者たちや、このような経の受持者たちを凌駕 しようとするならば、その人は、それらの世尊であるブッダたちのすべてに敵意を抱いていることになるでありましょう」
そこで、世尊は、薬王菩薩に讃嘆の言葉を与えられた。
「薬王よ、素晴らしいことである。素晴らしいことである。あなたは、説法者である衆生のために利益をなしたのだ。衆生に対する憐みの故にダーラニーの句を告げて、守護と、擁護と、防護をなしたのである」
そこで、勇施 (施すことに勇敢なもの)という偉大な人である菩薩が、世尊に次のように申し上げた。
「世尊よ、このような説法者たちの欠点を探し、欠点を求めようとしても、決して誰もつけ入る機会を得ることができないように、私もこのような説法者たちの利益 のために、ダーラニーの句を与えることにしましょう。すなわち、ヤクシャであれ、ラークシャサであれ、プータナであれ、クリティヤであれ、クンバーンダ鬼であれ、餓鬼であれー欠点を探し、欠点を求めようとするものが、つけ入る機会を得ることがないように」と。
その時、勇施菩薩は、次のダーラニーの神呪を告げた。すなわち、
「ジュヴァレー、マハー・ジュヴァレー、ウッケー、トゥッケー、ムッケー、アデー、
アダーヴァティ、ヌリティイェー、ヌリティヤーヴァティ、イッティニ、ヴィッティ
ニ、チッティニ、ヌリティヤニ、ヌリティヤーヴァティ、スヴァーハー(薩婆訶)
世尊よ、これらのダーラニーの句は、ガンジス河の砂の数に等しい正しく完全に覚られた尊敬されるべきブッダたちによって説かれ、喜んで受け容れられたものであります。このような説法者たちを凌駕しようとするならば、その人は、それらのすべてのブッダたちに敵意を抱いていることになるのであります」(つづく)
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チャイティヤ窟(インド・アジャンター)
良家の息子たちよ、果樹園であれ、精舎であれ、在家の家であれ、森であれ、町であれ、木の根もとであれ、宮殿であれ、僧房であれ、洞穴であれーこの法門が読誦され、解説され、説き示され、書写され、考察され、語られ、朗詠され、写本になって存在する地上の場所には、どこであれブッダのためにチャイティヤ(塔廟)が造られるべきである。(注:ストゥーパはブッダの遺骨を安置する塔であるが、ここでのチャイティヤは法華経を安置する塔のことで、遺骨崇拝を否定し、経典崇拝を強調している)
それは、どんな理由によってか?地上のその場所は、実はすべてのブッダたちの覚りの座であると知られるべきであるからだ。また、地上のその場所において、正しく完全に覚った尊敬されるべきすべてのブッダたちが、この上ない正しく完全な覚りを覚られたのだと知るべきである。また、地上のその場所において、すべてのブッダたちが、真理の車輪を転じられたのであり、さらには地上のその場所において、すべてのブッダたちが、完全なる滅度に入られたのだと、知るべきである」
その時、世尊は次の詩を述べられた。
「神通の知に立ちつつ、世間の人々の安寧を願うブッダたちの〔法を法たらしめる〕
根本の理法は、思議すべからざるものであるが、無限の視力を持つブッダたちは、こ
の世におけるすべての身体を持つものたちの喜びのために、神力を示すのだ。
ブッダたちは、幾千もの光明を放出しつつ、舌をブラフマー神の世界に到達させてい
る。最高の覚りに向けて出て立った人たちのために、ブッダたちは驚くべき神力をこ
の世において示すのだ。
それは、どんな理由によってか?地上のその場所は、実はすべてのブッダたちの覚りの座であると知られるべきであるからだ。また、地上のその場所において、正しく完全に覚った尊敬されるべきすべてのブッダたちが、この上ない正しく完全な覚りを覚られたのだと知るべきである。また、地上のその場所において、すべてのブッダたちが、真理の車輪を転じられたのであり、さらには地上のその場所において、すべてのブッダたちが、完全なる滅度に入られたのだと、知るべきである」
その時、世尊は次の詩を述べられた。
「神通の知に立ちつつ、世間の人々の安寧を願うブッダたちの〔法を法たらしめる〕
根本の理法は、思議すべからざるものであるが、無限の視力を持つブッダたちは、こ
の世におけるすべての身体を持つものたちの喜びのために、神力を示すのだ。
ブッダたちは、幾千もの光明を放出しつつ、舌をブラフマー神の世界に到達させてい
る。最高の覚りに向けて出て立った人たちのために、ブッダたちは驚くべき神力をこ
の世において示すのだ。
さらにまた、ブッダたちは、咳払いの音を発し、また指を弾いて鳴らす音を一つ立て
る。十方にあるこの世界に、このすべての世間の人々にそれらの音を知らせるのだ。
さらに、『人格を完成された人が完全なる滅度に入った後、その時、一体どうすれば
それらの衆生は喜び、この経を受持するのであろうか』と考えて、世間の人々の安寧
のために慈愛を有するブッダたちは、これらの他の奇跡や功徳を示すのだ。
世間の指導者が完全なる滅度に入った後で、この最高の経を受持する人格を完成され
た人の息子たちについての称讃の言葉を、幾1000・コーティもの多くの劫にわたって
私は語るとしよう。
まさに諸々の方角の虚空界に限りがないように、それらの人たちの功徳には限りがな
く、立派なこの経を常に受持する人たちの功徳は思議することもできないのだ。
この経を常に受持する人は、私、釈迦牟尼や、これらのすべての指導者たち、そして
既に完全なる滅度に入っているこの世間の指導者である多宝如来を見ているのだ。ま
た、その人は、これらの多くの菩薩たちのすべてや、四衆たちを見ているのだ。
この経を受持するその人は、この世において今、私、釈迦牟尼を喜ばせ、さらに、こ
れらの指導者たちのすべてや、完全なる滅度に入っているこの勝利者の王である多宝
如来、さらにまた、十方にいる他のブッダたちを喜ばせているのだ。
この経を受持する人は、未来の過去のブッダたち、同じくまた、現在、十方におられ
るブッダたちのすべてを見て、よく供養するであろう。
しかも、真実の法であるこの経を受持する人もまた、覚りの座において熟考された人
間の中の最高の人たちの秘要の教えの知を、実に速やかに思い出すだろう。
この卓越した経を受持する人には、風が何ものにもとらわれることのないように、無
限の理解力があり、法と、意味と、語源的説明をもまた知るのである。
その人は、指導者たちが深い意味を込め語った諸々の経の間の関連を常に了解するの
だ。指導者の私が完全なる滅度に入った後でさえも、その人は諸々の経の真実の意味
を知るのである。
その人は、月のようなものであり、太陽に等しいものであって輝いている。その人は
光と輝きを生ずるものである。その人は、大地の上を歩き回りつつ、それぞれの所で
多くの菩薩たちを鼓舞するのだ。
実にそれ故に、この世においてこのような功徳を聞いて、私が完全なる滅度に入った
後、私のこの経を受持する賢明な菩薩たちには、覚りにおいて疑いはないであろう」
る。十方にあるこの世界に、このすべての世間の人々にそれらの音を知らせるのだ。
さらに、『人格を完成された人が完全なる滅度に入った後、その時、一体どうすれば
それらの衆生は喜び、この経を受持するのであろうか』と考えて、世間の人々の安寧
のために慈愛を有するブッダたちは、これらの他の奇跡や功徳を示すのだ。
世間の指導者が完全なる滅度に入った後で、この最高の経を受持する人格を完成され
た人の息子たちについての称讃の言葉を、幾1000・コーティもの多くの劫にわたって
私は語るとしよう。
まさに諸々の方角の虚空界に限りがないように、それらの人たちの功徳には限りがな
く、立派なこの経を常に受持する人たちの功徳は思議することもできないのだ。
この経を常に受持する人は、私、釈迦牟尼や、これらのすべての指導者たち、そして
既に完全なる滅度に入っているこの世間の指導者である多宝如来を見ているのだ。ま
た、その人は、これらの多くの菩薩たちのすべてや、四衆たちを見ているのだ。
この経を受持するその人は、この世において今、私、釈迦牟尼を喜ばせ、さらに、こ
れらの指導者たちのすべてや、完全なる滅度に入っているこの勝利者の王である多宝
如来、さらにまた、十方にいる他のブッダたちを喜ばせているのだ。
この経を受持する人は、未来の過去のブッダたち、同じくまた、現在、十方におられ
るブッダたちのすべてを見て、よく供養するであろう。
しかも、真実の法であるこの経を受持する人もまた、覚りの座において熟考された人
間の中の最高の人たちの秘要の教えの知を、実に速やかに思い出すだろう。
この卓越した経を受持する人には、風が何ものにもとらわれることのないように、無
限の理解力があり、法と、意味と、語源的説明をもまた知るのである。
その人は、指導者たちが深い意味を込め語った諸々の経の間の関連を常に了解するの
だ。指導者の私が完全なる滅度に入った後でさえも、その人は諸々の経の真実の意味
を知るのである。
その人は、月のようなものであり、太陽に等しいものであって輝いている。その人は
光と輝きを生ずるものである。その人は、大地の上を歩き回りつつ、それぞれの所で
多くの菩薩たちを鼓舞するのだ。
実にそれ故に、この世においてこのような功徳を聞いて、私が完全なる滅度に入った
後、私のこの経を受持する賢明な菩薩たちには、覚りにおいて疑いはないであろう」
以上が、聖なる「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門の中の「ブッダの神力の顕現の章」という名前の第20章である。 (如来神力品第21おわり)
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その時、大地の裂け目から出現したそれらの小千世界を構成する原子の数に等しい幾100・1000・コーティ・ナユタもの菩薩たちのすべては、世尊に向かって合掌し、世尊に次のように申し上げた。
「世尊よ、ブッダが完全なる滅度に入られた後、世尊のブッダの国土が何であれ、すべてのブッダの国土において、またそれがどこであっても、世尊が完全なる滅度に入られた所で、私たちはこの法門を説き示すでありましょう。世尊よ、私たちは、受持、読誦 、教示、解説 、書写の実行のために、このように勝れた法門を願い求めています」
すると、文殊師利をはじめとする、このサハー世界(娑婆世界)に住む幾100・1000・コーティ・ナユタもの多くの菩薩たちや、男性出家者・女性出家者・男性在家信者・女性在家信者、神々、龍、ヤクシャ、ガンダルヴァ、アスラ、ガルーダ、キンナラ、マホーラガといった人間、人間以外のものたち、さらにはガンジス河の砂の数に等しい偉大な人である菩薩たちが、世尊に次のように申し上げた。
「世尊よ、ブッダが完全なる滅度に入られた後で、私たちもまた、この法門を説き明かしましょう。世尊よ、私たちは、目に見えない身体で空中に立ち、声を聞かせましょう。そして、よい果報をもたらす立派な行ないを積んでいな衆生に立派な行ないを積ませましょう」
するとその時、世尊は、先ほどの大地の裂け目から出現した菩薩の群衆を迎え、大群衆を率いた群衆の師であるそれらの4人の偉大な人である菩薩たちのうち、師であり、偉大な人である上行 菩薩という一人の指導者に向かっておっしゃられた。
「上行よ、素晴らしいことである。素晴らしいことである。この法門のために、あなたたちは、そのようになすがよい。ブッダは、既にあなたたちを完成させているのである」
「世尊よ、ブッダが完全なる滅度に入られた後、世尊のブッダの国土が何であれ、すべてのブッダの国土において、またそれがどこであっても、世尊が完全なる滅度に入られた所で、私たちはこの法門を説き示すでありましょう。世尊よ、私たちは、受持、読誦 、教示、解説 、書写の実行のために、このように勝れた法門を願い求めています」
すると、文殊師利をはじめとする、このサハー世界(娑婆世界)に住む幾100・1000・コーティ・ナユタもの多くの菩薩たちや、男性出家者・女性出家者・男性在家信者・女性在家信者、神々、龍、ヤクシャ、ガンダルヴァ、アスラ、ガルーダ、キンナラ、マホーラガといった人間、人間以外のものたち、さらにはガンジス河の砂の数に等しい偉大な人である菩薩たちが、世尊に次のように申し上げた。
「世尊よ、ブッダが完全なる滅度に入られた後で、私たちもまた、この法門を説き明かしましょう。世尊よ、私たちは、目に見えない身体で空中に立ち、声を聞かせましょう。そして、よい果報をもたらす立派な行ないを積んでいな衆生に立派な行ないを積ませましょう」
するとその時、世尊は、先ほどの大地の裂け目から出現した菩薩の群衆を迎え、大群衆を率いた群衆の師であるそれらの4人の偉大な人である菩薩たちのうち、師であり、偉大な人である上行 菩薩という一人の指導者に向かっておっしゃられた。
「上行よ、素晴らしいことである。素晴らしいことである。この法門のために、あなたたちは、そのようになすがよい。ブッダは、既にあなたたちを完成させているのである」
その時、世尊である釈迦牟尼如来と、既に滅度に入っている世尊の多宝 如来は、ストゥーパの中央の獅子座に坐っておられた。二人とも微笑 みを浮かべ、開いた口の中から舌を出された。そして、二人のその舌は、ブラフマー神の世界まで達し、さらに、その二人の舌から幾100・1000・コーティ・ナユタもの多くの光明が出現した。
それらの光明の中の一つひとつの光明から、金色 の身体と、偉大な人が持つ32の身体的特徴を具えた幾100・1000・コーティ・ナユタもの多くの菩薩たちが出現し、紅蓮華 の胎 の中にある獅子座に坐った。そして、それらの菩薩たちは、四方ハ方にある幾100・1000もの世界に散らばって行って、四方八方のすべてにおいて、空中に立って法を説き示した。
正しく完全に覚った尊敬されるべき世尊の釈迦牟尼如来と、多宝如来とが、あたかも、舌で神力による奇跡をなしたように、まさにそのように、幾100・1000・コーティ・ナユタもの他の世界からやって来て、それぞれ個別に宝樹の根もとの獅子座に坐っているそれらの正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダたちのすべても、また舌で神力による奇跡をなした。
そこで、釈迦牟尼如来と、それらすべての正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダたちは、まるまる幾100・1000年もの間、その神力の顕現をなした。
それらの光明の中の一つひとつの光明から、金色 の身体と、偉大な人が持つ32の身体的特徴を具えた幾100・1000・コーティ・ナユタもの多くの菩薩たちが出現し、紅蓮華 の胎 の中にある獅子座に坐った。そして、それらの菩薩たちは、四方ハ方にある幾100・1000もの世界に散らばって行って、四方八方のすべてにおいて、空中に立って法を説き示した。
正しく完全に覚った尊敬されるべき世尊の釈迦牟尼如来と、多宝如来とが、あたかも、舌で神力による奇跡をなしたように、まさにそのように、幾100・1000・コーティ・ナユタもの他の世界からやって来て、それぞれ個別に宝樹の根もとの獅子座に坐っているそれらの正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダたちのすべても、また舌で神力による奇跡をなした。
そこで、釈迦牟尼如来と、それらすべての正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダたちは、まるまる幾100・1000年もの間、その神力の顕現をなした。
そして、幾100・1000年もの経過の後、それらの正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダたちは、それらの舌を再び収めて、まさに一瞬間のそのまた瞬時のうちに、すべてのブッダたちが、獅子のように大きな咳払 いの音を同時に発し、また指を弾 いて鳴らす音を一つ立てられた。すると、その咳払いの大きな音と、指を弾いて鳴らす大きな音によって、十方にあるそれらの幾100・1000・コーティ・ナユタもの多くのブッダの国土のすべてが、震え、激しく震え、遍く震え、動き、激しく動き、遍く動き、揺れ、遍く揺れた。
しかも、〔十方にある〕それらのすべてのブッダの国土には、あらゆる衆生や、神々、龍、ヤクシャ、ガンダルヴァ、アスラ、ガルーダ、キンナラ、マホーラガ、人間、人間以外に至るものまでもがいて、それらのすべてのものたちもまた、ブッダの威神力によって、そこにいるままで、このサハー世界を次のように見たのだ。
すなわち、それらの幾100・1000・コーティ・ナユタものすべてのブッダたちが、それぞれ、宝樹の根もとで獅子座に坐っておられるのを見たし、また、世尊であり正しく完全に覚った尊敬されるべき釈迦牟尼如来を見たし、既に完全なる滅度に入っておられる世尊である多宝如来が、その宝石造りの大きなストゥーパの真ん中にある獅子座にあって、釈迦牟尼如来とともに坐っているのを見たし、それらの四衆を見たのである。
それらの衆生は、それを見て、希有なる思いを抱き、驚くべき思いに満たされ、大いなる歓喜を得た。そして、それらの衆生は空中から次のような声を聞いた。
「皆さん、無量で数えることもできない幾100・1000・コーティ・ナユタもの世界を通り過ぎると、そこにこのサハーという名前の世界がある。そこには釈迦牟尼という名前の正しく完全に覚られた尊敬されるべきブッダがおられる。その人は今、偉大なる人である菩薩のために広大なる菩薩のための教えであり、すべてのブッダが把握している「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という名前の法門である経を説き示されるのだ。
ああたたちは、その法門を高潔な心をもって喜んで受け容れるがよい。そして、その世尊であり正しく完全に覚られた尊敬されるべき釈迦牟尼如来と、その世尊である多宝という正しく完全に覚られた尊敬されるべきブッダとに敬礼 するがよい」
そこで、それらのすべての衆生は、空中からこのような声を聞いて、そこにいるままで合掌して、
「世尊であり正しく完全に覚られた尊敬されるべき釈迦牟尼如来に敬礼いたします」
という言葉を語った。
そして、世尊である釈迦牟尼如来と、多宝如来の供養のために、また「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」というこの法門のために、多種多様の花や、末香、薫香、花環 、塗香 、焼香、衣、日傘、旗、幟 、勝利の旗を、このサハー世界の存在するところへと投じた。さらにまた、いろいろな種類の装飾品や服飾品、半連の真珠の首飾りや、宝石をもまた投じた。そして、投じられたそれらの花や、末香、薫香、花環、塗香、焼香、衣、日傘、旗、幟、勝利の旗、さらにそれらの半連の真珠の首飾りや、宝石は、このサハー世界に到着した。そして、それらの花や、末香、薫香、花環、塗香、焼香、衣、日傘、旗、幟、勝利の旗の集まり、また半連の真珠の首飾り、宝石は、一つになったそれらの他の幾100・1000・コーティ・ナユタもの世界とともに、このサハー世界において、そこに坐っているすべてのブッダたちの頭上の虚空中において、大いなる花の天上の日傘となって遍く覆った。
そこで、世尊は、それらの上行菩薩をはじめとする偉大なる人である菩薩たちにおっしゃられた。
「良家の息子たちよ、正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダたちは、考えることもできない威神力を持っているのである。良家の息子たちよ、この法門の付嘱 のために、私は、幾100・1000・コーティ・ナユタもの多くの劫にわたり、種々の法などによって多くの功徳を語ろう。けれども、この法門の功徳について語っても、私がその功徳の彼方に行き着くことはないのだ。
良家の息子たちよ、私は、この法門において、すべてのブッダの法、すべてのブッダの威神力、すべてのブッダの秘要〔の教え〕、すべてのブッダの深遠な領域を要約して説いたのである。
それ故に、良家の息子たちよ、ブッダの私が完全なる滅度に入った後、その時、あなたたちは、この法門を恭敬して、受持し、説き示し、書写し、読誦し、解説し、修行し、供養すべきである。(つづく)
さて、得大勢よ、世尊であるその威音王という正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダの教えの下で、常不軽という〔言葉が意味する①「常に軽んじない」と主張し、②「常に軽んじている」と思われ、その結果、③「常に軽んじられる」ことになるが、最終的には、④「常に軽んじられない」ようになったー〕ものであると、このように四衆たちに是認されていた菩薩、またそれほど多くのそれらの正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダたちに出会った菩薩、その時その情況でその常不軽という名前の偉大な人である菩薩は、誰か別の人であったというこのような疑い、あるいは考え違い、あるいは疑惑が、あなたに生ずるかもしれない。
しかしながら、得大勢よ、あなたは、そのように見なすべきではない。それは、どんな理由によってか?この私、釈迦牟尼こそが、その時その情況で常不軽という名前の偉大な人である菩薩であったからだ。
得大勢よ、もしも、私が以前、この法門を会得することがなく、受持していなければ、私はこのように速やかにこの上ない正しく完全な覚りを覚ることはなかったであろう。私は、この正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダたちのそばでこの法門を受持し、読誦し、説き示した。その故に私は、このように速やかにこの上ない正しく完全な覚りを覚ったのだ。
得大勢よ、その世尊の教えのもとで、幾百人もの男性出家者、幾百人もの女性出家者、幾百人もの男性在家信者、幾百人もの女性在家信者であったそれらの〔の四衆たち〕にも、その偉大なる人である常不軽菩薩は、この法門を説き聞かせたのである。
『私は、あなたがたを軽んじません。あなたがたは、すべて菩薩としての修行を行ないなさい。あなたがたは、正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダになるでありましょう』と。
得大勢よ、もしも、私が以前、この法門を会得することがなく、受持していなければ、私はこのように速やかにこの上ない正しく完全な覚りを覚ることはなかったであろう。私は、この正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダたちのそばでこの法門を受持し、読誦し、説き示した。その故に私は、このように速やかにこの上ない正しく完全な覚りを覚ったのだ。
得大勢よ、その世尊の教えのもとで、幾百人もの男性出家者、幾百人もの女性出家者、幾百人もの男性在家信者、幾百人もの女性在家信者であったそれらの〔の四衆たち〕にも、その偉大なる人である常不軽菩薩は、この法門を説き聞かせたのである。
『私は、あなたがたを軽んじません。あなたがたは、すべて菩薩としての修行を行ないなさい。あなたがたは、正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダになるでありましょう』と。
その菩薩に対して憎悪の心を抱いた人たちは、200万・コーティ・ナユタ劫の間、決してブッダを見ることもなく、ダルマ(法)という語も、サンガ(僧伽 ・僧団)という語も聞くことがなかった。そして、それらの四衆たちは、1万劫の間、阿鼻地獄において過酷な苦痛を受けた。そして、それらの四衆たちは、すべてその行ないに起因する障害から解放されて、まさにその偉大な人である菩薩によって、この上ない正しく完全な覚りに向けて成熟させられたのである。
それは、実にこの集会の中の、跋陀婆羅 (吉祥なる守護者)以下、500人の菩薩たち、師子月 (月のように美しい獅子)以下、500人の女性出家者たち、思仏 (人格を完成したという思いを持つもの)以下、500人の女性在家信者たちであり、そのすべてが、この上ない正しく完全な覚りへ向けて、不退転の者となされたのだ。
このように、この大いなる利益のある法門の受持、読誦、解説は、偉大なる人である菩薩にこの上ない正しく完全な覚りをも得させることをもたらすのだ。この故に、得大勢よ、ブッダが完全なる滅度に入られた後で、偉大なる人である菩薩は、そこにおいてこの法門を間断なく受持し、読誦し、説き示すべきである」と。
そこで、世尊はその時、次の詩を述べられた。
「私は、過去の世を思い出す。その時、威音王という勝利者がおられ、大いなる威徳
を具え、人間や神々に供養され、人間、神々、ヤクシャ(夜叉)、ラークシャサ(羅
刹 )の指導者であった。
その勝利者が、完全なる滅度に入られて、正しい教えが雑乱状態になった後に、その
時、男性出家者である独りの菩薩がいて、その人は常不軽という名前で呼ばれていた。
その時、その菩薩は、覚りを証得したと思い込んでいる〔増上慢の〕他の男性出家者
たち、同じく女性出家者たちに近づいて、『私には、いかなる時にも決して軽蔑の心
はありません。まさにあなたがたは、最高の覚りへ向けて修行を行ないなさい』と。
その菩薩は、常にこのように語って聞かせ、それらの四衆たちの悪口 や罵詈 に耐えて
いた。命の終わりが近づいた時、その菩薩はこの経を聞いた。
その時、賢者は死なずして、非常に長い寿命を神通力によって現わし、その時、その
指導者のその教えのもとで、この経を説き示したのである。
そして、その菩薩は、覚りを証得していると思い込んでいるそれらの多くのものたち
を、すべて覚りへ向けて成熟させ、そこで死亡して後に、その菩薩は幾1000・コーテ
ィものブッダたちに出会った。
その人は、順次に福徳をなして、常にこの経を説き示して後、その勝利者の息子は覚
りに達した。その時のその勝利者の息子が、まさに私、釈迦牟尼であったのだ。
そしてまた、その時、覚りを証得していると思い込んでいた男性出家者たち、覚りを
証得していると思い込んでいた女性出家者たち、そして、そこにいた男性在家信者た
ち、あるいは女性在家信者たちに至るまで、それらの四衆たちは、賢者であるその菩
薩によって覚りに到るという予言を語って聞かせられたのである。
それらの四衆たちは、幾コーティもの多くのブッダたちを見た。そして、それらの人
たちとは、これらの500人を下回ることのない菩薩たちであり、同じく私の面前にい
るこれらの男性出家者・女性出家者・〔男性在家信者・〕女性在家信者たちである。
そのすべてに私は、最高の法を聞かせた。まさにそれらの四衆たちのすべてを私は成
熟させたのだ。そして、私が完全なる滅度に入った後、これらの意志の固い者たちの
すべてが、この世においてこの最高の経を受持するであろう。
幾コーティ劫もの考えることもできない長い時間のうちに、このような法が聞かれる
ことは、いかなる時にも決してない。まさに幾100・コーティものブッダが存在するけ
れども、それらのブッダたちもまたこの経を説き示すことはないのだ。
それ故に、独立自存するものが、自発的に説かれたこのような法を聞き、この法に繰
り返して出会い、私がこの世において滅度に入った後で、この経を説き示すべきであ
る。
以上が、聖なる「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門の中の「常に軽んじない菩薩の章」という名前の第19章である。 (常不軽菩薩品第20おわり)
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ところで、得大勢よ、死が近づき、命の終わりが迫った時、その偉大な人である常不軽菩薩は、「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を聞いた。
しかも、その法門は、かつてその世尊である威音王という正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダによって、200万・コーティ・ナユタの20倍の詩をもって説かれたものであった。
そして、その偉大な人である常不軽菩薩は、命の終わりが近づいた時、空中からの音声を通してこの法門を聞いた。その菩薩は、誰も語っていない空中からの声を聞き、この法門を受持し、〔前章で述べた〕このような眼〔による視覚の能力〕の清らかさ、耳〔による聴覚の能力〕の清らかさ、鼻〔による臭覚の能力〕の清らかさ、舌〔による味覚の能力〕の清らかさ、身〔による触覚の能力〕の清らかさ、意〔による知覚の能力〕の清らかさ、すなわち六根清浄を獲得した。これら6つの感覚の能力の清らかさを獲得すると、直ちに自身の生命を存続させる働きに神通力をかけて、さらに次の200万・コーティ・ナユタ年もの間、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を説いた。
そして、それらの増上慢の衆生で、以前にこの菩薩から『私は、あなたがたを軽んじません』と語って聞かせられ、この菩薩にこの常不軽という名前をつけた男性出家者・女性出家者・男性在家信者・女性在家信者たちのすべてが、その菩薩の具えるすぐれた神通力の威力や、人に理解させる雄弁の力の威力、智慧の力の威力を見て、教えを聞くためにその菩薩に随従するものとなった。
そして、その菩薩は、それらのすべての四衆からなる増上慢の衆生たちと、その他の幾100・1000・コーティ・ナユタもの多くの生命あるものたちを、この上ない正しく完全な覚りへ向けて教化したのだ。
さて、得大勢よ、偉大な人であるその菩薩は、その大成という世界で死亡して後に、日月燈明 (月の音の王)という共通の名前を持つ2000・コーティもの正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダたちに出会い、そのあらゆる場合においてこの法門を説き示した。
さらにその菩薩は、過去から続けて積み重ねてきた善い果報をもたらす立派な行ない〔の果報〕によって、「太鼓の音の王」(漢訳名なし)という共通の名前を持つブッダたちのうちの実に200万・コーティ・ナユタものブッダたちに順次出会い、そのすべての場合において、まさにこの「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門に出会い、四衆たちにこの法門を説き示した。
さらにその菩薩は、まさに過去の善い果報をもたらす立派な行ない〔の果報〕によって順次に雲自在燈王 (雲の音の王)という共通の名前を持つブッダたちのうちの実に200万・コーティものブッダたちに出会い、そのすべての場合において、まさにこの「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門に出会い、四衆たちにこの法門を説き示したのである。
そしてその人は、そのすべての場合において、〔前章で述べた〕このような眼の完全な清らかさを具え、耳、鼻、舌、身、意の完全な清らかさを具えていた。
さて、得大勢よ、偉大な人であるその常不軽菩薩は、幾100・1000・コーティ・ナユタもの、これほど多くのブッダたちを恭敬し、尊敬し、尊崇し、供養し、讃仰し、崇拝をなして後に、さらに他の幾100・1000・コーティ・ナユタもの多くのブッダたちを恭敬し、尊敬し、尊崇し、供養し、讃仰し、崇拝をなして後に、そのあらゆる場合において、まさにこの「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門に出会った。出会った後にその菩薩は、その過去の善い果報をもたらす立派な行ないが十分に成熟したことによって、この上ない正しく完全な覚りを覚ったのだ。(つづく)
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得大勢菩薩よ、そこには、すべてに先立つ、最初のブッダであるその威音王如来がいた。その世尊が、完全なる滅度に入った後に、正しい教えが衰亡し、また正しい教えに似た教えも衰亡しつつあり、その教えが増上慢の男性出家者たちによって攻撃されている前に、常不軽 (サダーパリブータ)という名前の男性出家者の菩薩がいた。
得大勢よ、いかなる理由で、その偉大な人である菩薩は、常不軽と呼ばれたのであろうか?
その偉大な人である菩薩は、男性出家者であれ、女性出家者であれ、男性在家信者であれ、女性在家信者であれ、まさに出会う人には、誰にでも近づいて、次のように告げるのだ。
『尊者がたよ、私は、あなたがたを軽んじません。あなたがたは、軽んじられることはありません。それは、どんな理由によってでしょうか?あなたがたは、すべて菩薩としての修行を行ないなさい。あなたがたは、正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダになるでありましょう』と。
得大勢よ、このようにして、男性出家者でありながら、偉大な人であるその菩薩は、他者に対して教理の解説もなさず、自分自身のための聖典の学習もなすことがない。その一方で、遠くにいる人でさえも誰であれ、まさに出会う人のすべてに近づいて、先のように語って聞かせるのだ。男性出家者であれ、女性出家者であれ、男性在家信者であれ、女性在家信者であれ、誰にでも近づいて次のように告げるのだ。
得大勢よ、いかなる理由で、その偉大な人である菩薩は、常不軽と呼ばれたのであろうか?
その偉大な人である菩薩は、男性出家者であれ、女性出家者であれ、男性在家信者であれ、女性在家信者であれ、まさに出会う人には、誰にでも近づいて、次のように告げるのだ。
『尊者がたよ、私は、あなたがたを軽んじません。あなたがたは、軽んじられることはありません。それは、どんな理由によってでしょうか?あなたがたは、すべて菩薩としての修行を行ないなさい。あなたがたは、正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダになるでありましょう』と。
得大勢よ、このようにして、男性出家者でありながら、偉大な人であるその菩薩は、他者に対して教理の解説もなさず、自分自身のための聖典の学習もなすことがない。その一方で、遠くにいる人でさえも誰であれ、まさに出会う人のすべてに近づいて、先のように語って聞かせるのだ。男性出家者であれ、女性出家者であれ、男性在家信者であれ、女性在家信者であれ、誰にでも近づいて次のように告げるのだ。
『ご婦人がたよ、私は。あなたがたを軽んじません。あなたがたは、軽んじられることはありません。それは、どんな理由によってか?あなたがたは、すべて菩薩としての修行を行ないなさい。あなたがたは、正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダになるでありましょう』
得大勢よ、その偉大な人である菩薩は、その時、男性出家者であれ、女性出家者であれ、男性在家信者であれ、女性在家信者であれ、誰であってもそのように語って聞かせるのだ。
このように語って聞かせられた四衆たちは、この菩薩に対して、そのほとんどすべてが怒り、危害を加え、嫌悪感を生じ、罵 り、非難した。
『聞かれてもいないのに、この男性出家者は、軽んじない心を持っていると、どうしてわれわれに説き示すのであろうか?この上ない正しく完全な覚りに到るであろうという、望まれてもいない虚偽のことを、私たちに予言するということは、私たち自身を軽んじることになるのだ。〔それとともに、その菩薩は、自分自身を軽んじられることになすのだ〕』と。
さて、得大勢よ、その偉大な人である菩薩が、このように罵られたり、非難されたりしているうちに、多くの歳月が経過した。けれども、その菩薩は、誰に対しても決して怒ることはなく、憎悪(瞋恚 )の心を生じることもなかった。
そして、この菩薩が、このように語って聞かせる時、土塊 、あるいは棒切れをこの菩薩に対して投げつける人々のためにも、その菩薩は実に遠くから大きな声を出して語って聞かせたのだ。
『私は、あなたがたを軽んじません』と。
常にその菩薩からこのように語って聞かせられていたそれらの増上慢の男性出家者・女性出家者・男性在家信者・女性在家信者たちが、その菩薩に常不軽という名前をつけたのである。(つづく)
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第19章 常に軽んじない菩薩
常不軽菩薩品 第20)
常不軽菩薩品 第20)
その時、実に世尊は、得大勢 (大いなる勢力をかち得たもの)という偉大な人である菩薩に語りかけた。
「しかるに、得大勢菩薩(=勢至 菩薩・阿弥陀如来の脇侍)よ、以上のようなことからまず第一に、このような法門を未来に謗 ったり、またこのような経を受持する男性出家者・女性出家者・男性在家信者・女性在家信者たちを罵 ったり、非難したり、真実ならざる粗暴な言葉で話しかけるものたちには、言葉で表現することができないほど好ましくない結果が生じるであろうと、知るべきである。
ところが、このような経を受持し、読誦し、教示し、理解し、そして他人のために詳細に説き明かす人たちには、私がこれまで既に説いたように望ましい結果が生ずるであろう。そして、〔前章で述べた〕このような眼・耳・鼻・舌・身・意の6つからなる感覚の能力の完全なる浄化(六根清浄)に達するであろう。
得大勢よ、その昔、数えることもできない、さらに数えることもできない、広大で、無量の、考えることもできない劫だけ過去の世で、それよりさらにずっと過去において、その時その情況で、威音王 (恐ろしく響く音声の王)という名前の正しく完全に覚ったブッダで、尊敬されるべき人が世間に出現した。なわち、離衰 (享楽を離れた)という劫において、また大成 (偉大なる創成)という世界において、学識と行ないを完成した人であり、また人格を完成した人で、世間をよく知る人で、人間として最高の人で、調練されるべき人の御者で、神々と人間の教師で、目覚めた人で、世に尊敬されるべき人が出現したのだ。
その世尊である威音王如来は、その大成という世界において、神々や、人間、アスラたちに伴われた世間の人々の前で、法を説いた。
すなわち、声聞のためには、4つの聖なる真理(四聖諦)に結びついた法、および生・老・病・死・悲愁・悲嘆・苦悩・悲哀・憂悩の超越のための涅槃に達する縁起(十二因縁)の在り方を説いた。偉大な人である菩薩たちのためには、この上ない正しく完全な覚りに関して、6種類の完成(六波羅蜜)に結びついたブッダの知見に達する法を説いた。
ところで、得大勢よ、世尊であるその威音王というブッダの寿命の長さは、40のガンジス河の砂の数に等しい幾100・1000コーティ・ナユタ劫であった。そのブッダが完全なる滅度に入られた後に、ジャンブー州を構成する原子の粒の数と等しい幾100・1000・コーティ・ナユタ劫にわたって正しい教えが存続し、四大洲〔を構成する〕原子の粒の数と等しい幾100・1000・コーティ・ナユタ劫にわたって正しい教えに似た教えが存続した。
その大成という世界において、世尊である威音王如来が完全なる滅度に入られた後で、正しい教えに似た教えが衰亡して、威音王という同じ名前の正しく完全に覚ったブッダが世間に出現した。そのブッダは、尊敬されるべき人で、学識と行ないを完成した人で、人格を完成した人で、世間をよく知る人で、人間として最高の人で、調練されるべき人の御者で、神々と人間の教師で、目覚めた人で、世に尊敬されるべき人であった。
このように〔滅度と出現を〕繰り返して、その大成という世界に200万・コーティ・ナユタもの威音王という名前の正しく完全に覚ったブッダが出現した。(つづく)
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