なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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すると、普賢という偉大な人である菩薩は、世尊に次のように申し上げた。
「世尊よ、〔恐るべき〕後の時代、後の状況において、後の500年が進行している時に、それらの説法者たちの欠点を探し、欠点を求めようとしても、決して誰もつけ入る機会を得ることがないように、また悪魔のパピーヤスも、悪魔の息子たちも、、悪魔の集団に属する神々の子たちも、悪魔の娘たちも、悪魔の眷属 たちも、それらの説法者たちの欠点を探し、欠点を求めようとしても、、決して誰もつけ入る機会を得ることがなく、さらには悪魔によって纏 いつかれることがなくなるまで、私は、このような経を受持する男性出家者〔以下の四衆〕たちの守護をなし、幸運を増進させ、刑罰を免れさせ、毒の働きを消滅させましょう。
その説法者の欠点を探し、欠点を求めようとしている神々の子、ヤクシャ、餓鬼、プータナ、クリティヤ、ヴェーターダたちも、決してつけ入る機会を得ることがないように、世尊よ、私は、その説法者の守護を絶えることなく常になしましょう。
また、その説法者が、この法門について思惟 する精神統一に専念し、そぞろ歩きに励むとき、世尊よ、私は、菩薩の群衆に囲まれ、6本の牙を持つ白い象に乗って、この法門の守護のために、その説法者のもと、その説法者のそぞろ歩きのための房舎に近づきましょう。
「世尊よ、〔恐るべき〕後の時代、後の状況において、後の500年が進行している時に、それらの説法者たちの欠点を探し、欠点を求めようとしても、決して誰もつけ入る機会を得ることがないように、また悪魔のパピーヤスも、悪魔の息子たちも、、悪魔の集団に属する神々の子たちも、悪魔の娘たちも、悪魔の眷属 たちも、それらの説法者たちの欠点を探し、欠点を求めようとしても、、決して誰もつけ入る機会を得ることがなく、さらには悪魔によって纏 いつかれることがなくなるまで、私は、このような経を受持する男性出家者〔以下の四衆〕たちの守護をなし、幸運を増進させ、刑罰を免れさせ、毒の働きを消滅させましょう。
その説法者の欠点を探し、欠点を求めようとしている神々の子、ヤクシャ、餓鬼、プータナ、クリティヤ、ヴェーターダたちも、決してつけ入る機会を得ることがないように、世尊よ、私は、その説法者の守護を絶えることなく常になしましょう。
また、その説法者が、この法門について思惟 する精神統一に専念し、そぞろ歩きに励むとき、世尊よ、私は、菩薩の群衆に囲まれ、6本の牙を持つ白い象に乗って、この法門の守護のために、その説法者のもと、その説法者のそぞろ歩きのための房舎に近づきましょう。
さらに、その説法者が、この法門について思惟する精神統一に専念していて、この正しい法門の中から一文一句でさえも忘れてしまっているようなとき、私は、その6本の牙を持つ白い象の王に乗って、その説法者の面前に姿を現わし、この法門を欠けることなく完全に口まねで反復させるでありましょう。
そして、その説法者は、私の身体を見て、またこの法門を欠けることなく完全に私から聞いて満足し、心が高揚し、狂喜し、愉悦し、喜悦と歓喜を生じ、この法門においてますます努力精進に取り組むでしょう。また、私を見ると同時に三昧を獲得し、「ダーラニーの回転」という名前のダーラニーを獲得し、「幾100・1000・コーティもの回転」という名前のダーラニーを獲得し、「すべての音声に巧みに回転する」という名前のダーラニーを獲得するでありましょう。
そして、その説法者は、私の身体を見て、またこの法門を欠けることなく完全に私から聞いて満足し、心が高揚し、狂喜し、愉悦し、喜悦と歓喜を生じ、この法門においてますます努力精進に取り組むでしょう。また、私を見ると同時に三昧を獲得し、「ダーラニーの回転」という名前のダーラニーを獲得し、「幾100・1000・コーティもの回転」という名前のダーラニーを獲得し、「すべての音声に巧みに回転する」という名前のダーラニーを獲得するでありましょう。
さらに世尊よ、〔恐るべき〕後の時代、後の状況における後の500年において、男性出家者であれ、女性出家者であれ、男性在家信者であれ、女性在家信者であれ、このような経を受持する人、書写する人、探求する人、読誦する人たちが三七日 、すなわち21日間、この法門においてそぞろ歩きに励み、専念するならば、それらの人たちのために、私は、あらゆる衆生が喜んで見る私の姿を現わすでありましょう。
すなわち21日目に、私は、実にその6本の牙を持つ白い象の王に乗って、菩薩の群衆に囲まれて、それらの説法者たちのそぞろ歩きの場所にやって来るでありましょう。やって来て、それらの説法者たちを完全に喜ばせ、教化し、励まし、歓喜させるでありましょう。
すなわち21日目に、私は、実にその6本の牙を持つ白い象の王に乗って、菩薩の群衆に囲まれて、それらの説法者たちのそぞろ歩きの場所にやって来るでありましょう。やって来て、それらの説法者たちを完全に喜ばせ、教化し、励まし、歓喜させるでありましょう。
そして、私は、それらの説法者たちが誰によっても決して攻撃されるべきでなく、人間や、人間以外のものたちが、これらの説法者たちにつけ入る機会を得ることがなく、女性たちが説法者たちを惑乱してくることがないように、それらの説法者たちにダーラニーを与えるでありましょう。私は、これらの説法者たちの守護をなし、幸運を増進させ、刑罰を免れさせ、毒の働きを消滅させるでありましょう。世尊よ、私は、それらの説法者たちにこれらのダーラニーの句を与えるでありましょう。
世尊よ、それらのダーラニーの句は、次の通りであります。
アダンデー、ダンダ・パティ、ダンダ・アーヴァルタニ、ダンダ・クシャレー、ダン
ダ・スダーリ、スダーラ・パティ、ブッダ・パシュヤネー、サルヴァ・ダーラニ、ア
ーヴァルタニ、サンヴァルタニ、サンガ・パリークシテー、サンガ・ニルガータニ、
ダルマ・パリークシテー、サルバ・サットヴァ・ルタ・カウシャルヤ・アヌガテー、
シンハ・ヴィクリーディテー、アヌヴァルテー、ヴァルタニ、ヴァルターリ、スヴァ
ーハー(薩婆訶 )。
世尊よ、これらのダーラニーの句が、ある偉大な人である菩薩の聴覚の能力の発現を得て聞こえるならば、それは、普賢という偉大な人である菩薩の加護だと知るべきであります。(つづく)
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その時、普賢 (普 く祝福されている人)という偉大な人である菩薩は、東の方向において、計算を超越した多くの菩薩たちと一緒に、衆生に囲まれて敬われていた。
その菩薩は、諸々の国土を震えさせ、紅蓮華 の雨を降らせ、幾100・1000・コーティ・ナユタもの楽器を演奏させながら、多くの神々、龍、ヤクシャ、ガンダルヴァ、アスラ、ガルーダ、キンナラ、マホーラガ、人間、人間以外のものたちに囲まれて、菩薩の威神力の偉大なこと、菩薩の三昧 の偉大なことをもって、また激しく燃える菩薩の光明の偉大なこと、菩薩のための乗り物の偉大なこと、菩薩の奇跡の偉大なことをもって敬われていた。
このように、考えることもできない諸々の神力による奇跡を用いて、普賢という菩薩は、このサハー世界に到達した。その菩薩は、山の王であるグリドラクータ山(霊鷲山 )のあるところ、また世尊のおられるところに近づいた。近づいてから、世尊の両足を頭におしいただくことによって敬意を表して、世尊の周りを7回、右回りに回ってから、世尊に次のように申し上げた。
「世尊よ、私は、その世尊である宝威徳上王 (宝石の輝きによって名声が広がった王)というブッダの国土からここにやってまいりました。世尊よ、このサハー世界において、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門が説かれると聞きました。
私は、それを聴聞するために、世尊である釈迦牟尼如来のもとにやって来たのです。また、世尊よ、幾100・1000ものこれほどの数のこれらの菩薩たちも、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を聴聞するためにやってまいりました。
その故に、世尊よ、正しく完全に覚られた尊敬されるべきブッダは、どうかこの「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を、これらの偉大な人である菩薩たちのために詳しく説き示してください」
その菩薩は、諸々の国土を震えさせ、紅蓮華 の雨を降らせ、幾100・1000・コーティ・ナユタもの楽器を演奏させながら、多くの神々、龍、ヤクシャ、ガンダルヴァ、アスラ、ガルーダ、キンナラ、マホーラガ、人間、人間以外のものたちに囲まれて、菩薩の威神力の偉大なこと、菩薩の三昧 の偉大なことをもって、また激しく燃える菩薩の光明の偉大なこと、菩薩のための乗り物の偉大なこと、菩薩の奇跡の偉大なことをもって敬われていた。
このように、考えることもできない諸々の神力による奇跡を用いて、普賢という菩薩は、このサハー世界に到達した。その菩薩は、山の王であるグリドラクータ山(霊鷲山 )のあるところ、また世尊のおられるところに近づいた。近づいてから、世尊の両足を頭におしいただくことによって敬意を表して、世尊の周りを7回、右回りに回ってから、世尊に次のように申し上げた。
「世尊よ、私は、その世尊である宝威徳上王 (宝石の輝きによって名声が広がった王)というブッダの国土からここにやってまいりました。世尊よ、このサハー世界において、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門が説かれると聞きました。
私は、それを聴聞するために、世尊である釈迦牟尼如来のもとにやって来たのです。また、世尊よ、幾100・1000ものこれほどの数のこれらの菩薩たちも、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を聴聞するためにやってまいりました。
その故に、世尊よ、正しく完全に覚られた尊敬されるべきブッダは、どうかこの「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を、これらの偉大な人である菩薩たちのために詳しく説き示してください」
このように言われて、世尊は普賢という偉大な人である菩薩に、次のようにおっしゃられた。
「良家の息子よ、これらの偉大な人である菩薩たちは、実に覆いを除かれさえすれば了解するものたちである。しかもまた、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門は、いわゆる全体観に立つ、あるがままの真理なのである」
それらの菩薩たちが言った。
「世尊よ、これはその通りです。人格を完成された人よ、これはその通りです」
すると、その集会に集まっていた男性出家者・女性出家者・男性在家信者・女性在家信者たちを「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門に安住させるために、世尊は、さらにまた、普賢という菩薩に次のようにおっしゃられた。
「良家の息子よ、4つの属性を具えた男性と女性には、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門が手中のものとなるであろう。
4つとは何か?すなわち、第1に、世尊であるブッダたちによって加護されたものとなり、第2に、善い果報をもたらす立派な行ないを積んだものとなり、第3に、覚ることが確定された人の集団に配置されたものとなり、第4に、あらゆる衆生の救済のために、この上ない正しく完全な覚りに向けて心を発すことーの4つである。
良家の息子よ、これらの4つの属性を具えた男性と女性には、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門が、手中のものとなるであろう」(つづく)
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そして、出家してから、妙荘厳という王は、侍者に伴われて、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を考察し、修行し、完全に清めつつ、8万4000年の間、専念して時を過ごした。
さて、良家の息子たちよ、その妙荘厳という王は、その8万4000年の経過の後、「あらゆる功徳という装身具による荘厳」という名前の三昧を獲得した。この三昧の獲得と同時に、その時、実にターラ樹の7倍の高さまで空中に上昇した。
そこで、良家の息子たちよ、その妙荘厳という王は、虚空中に立って、その雲来音宿王華智というブッダに次のように申し上げた。
『世尊よ、私のこの二人の息子たちは、私の師であります。というのは、この二人は、神力による奇跡を用いて、私が大きな誤った見解に陥っていたことに気づかせて呼び戻し、ブッダの教えの中に立たせ、成熟させ、悟入させ、ブッダにお会いすることを勧めてくれたからです。世尊よ、私のその二人の子どもたちは、〔私の〕善き友(善知識)であり、過去に積んだ善い果報をもたらす立派な行ないをこのように私に思い出させるために、息子の姿で私の家に生まれて来たのであります』
妙荘厳という王からこのように言われて、雲来音宿王華智というブッダは、その妙荘厳という王に、次のようにおっしゃられた。
『それは、その通りである。大王よ、あなたが言ったように、それは、その通りである。大王よ、実に善い果報をもたらす立派な行ないを積んでいる良家の息子たちや、良家の娘たちにとって、生存の境遇において、生死を繰り返すいかなるところに生まれるとしても、師のなすべきことをなすことによって近づいて来て、この上ない正しく完全な覚りに向けて教え、悟入させ、成熟させる善き友を得ることは容易なのである。大王よ、ブッダに会うことを勧める人が、善き友であると理解するということ、これは大変に重要な条件である。
大王よ、あなたは、この二人の子どもたちを見ているであろう』
大王が言った。
『世尊よ、私は見ております。人格を完成された方よ、私は見ております』
世尊が言われた。
『さらにまた、大王よ、この二人の良家の息子たちは、65のガンジス河の砂の数に等しい正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダのもとで供養をするであろう。そして、衆生に対する憐みのために、また誤った見解にとらわれた衆生に正しい見解へ向けての努力精進を生じさせるために、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を受持するであろう』
すると、良家の息子たちよ、その妙荘厳という王は、その虚空から下りて来て、10本の指を合わせて合掌しその世尊である雲来音宿王華智というブッダに次のように申し上げた。
『世尊は、それをどうか説いてください。いかなる智慧を具えたブッダが、正しく完全に覚られた尊敬されるべきブッダなのでしょうか?その結果、ブッダの頭頂には、〔螺貝のように髻を束ねた〕螺髻が輝き、ブッダは清浄無垢な眼を持ち、両眉の真ん中には月や螺貝のような白い光沢を持つ巻毛の塊が輝き、口の中では滑らかにそろった歯の列が輝き、またブッダはビンバ樹の実のように〔赤い〕唇を持ち、人格を完成された人は美しい眼を具えておられます』
さて、良家の息子たちよ、その妙荘厳という王は、それほど多くの功徳によって、その世尊である雲来音宿王華智というブッダを称讃し、さらには幾百コーティ・ナユタもの他の功徳によってその世尊を称讃した後、その時、そのブッダに次のように申し上げた。
『世尊よ、希有なことであります。これほどまでに、このブッダの教えは偉大なる価値を持ち、ブッダによって説かれた法による指導は、考えることもできないほどの功徳を具え、これほどまでに、ブッダの戒律は立派に定められています。
世尊よ、今後、私たちは二度と心の欲望のままになることはないでありましょう。二度と誤った見解にとらわれることはないでありましょう。二度と怒りに支配されることはないでありましょう。二度と邪悪な心の起こるままにんることはないでありましょう。世尊よ、私は、これほどに悪いこれらの性質を具えて、世尊のもとに近づきたいとは願っていません』
その王は、その世尊である雲来音宿王華智というブッの両足を頭におしいただくことによって恭 しく挨拶してから、空中に到り、そこに留まった。
すると、その妙荘厳という王はと、その浄徳という王妃は、幾100・1000金もの値打ちのある真珠の首飾りを世尊の上方の空中に投げ上げた。その真珠の首飾りが投げ上げられるやいなや、真珠の首飾りは、その世尊の頭の上で、四角形で4本の柱を持ち、それぞれの部分が均等で、よく釣り合いのとれた見るも美しい楼閣をなって留まった。その楼閣の中に幾100・1000もの多くの褥 の敷かれた一つの台座が出現した。そして、その台座に結跏趺坐 しているブッダの姿が見られた。
すると、妙荘厳という王の心に次の思いが生じた。
『楼閣の中に、最も美しい色をした青蓮華の本性を具え、端正で、見るも美しいこのブッダの姿が見られるということは、ブッダのこの知は卓越した威神力を持ち、またブッダは考えることもできないほどの功徳を具えておられるのだ』
そこで、世尊である雲来音宿王華智というブッダは、四衆に足して語りかけられた。
『男性出家者たちよ、あなたたちは、妙荘厳という王が、虚空中にあって、獅子吼しているのを見ているであろう』
男性出家者たちが申し上げた。
『世尊よ、見ております』
世尊が言われた。
『男性出家者たちよ、実にこの妙荘厳という王は、私の教えの下で男性出家者となった後で、「広大さを持つところ」という世界において娑羅樹王(シャーラ樹の帝王)という名前の正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダとなるであろう。その劫は「突出した王」という名前であろう。
さらにまた、男性出家者たちよ、その娑羅樹王という正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダには、無量の菩薩の集団と、無量の声聞の集団が属しているであろう。その「広大さを持つところ」という世界には、掌のように平坦で、瑠璃でできているであろう。このように、その正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダは、考えることもできないものであろう』
さらにまた、良家の息子たちよ、あなたたちには、疑わしいこと、あるいは考え違い、あるいは疑惑があるかも知れない。その時その情況で、その妙荘厳という名前の王は、誰か他の人であったと。
しかしながら、良家の息子たちよ、あなたたちはそのように見なすべきではない。それは、どんな理由によってか?まさにこの華徳という偉大な人である菩薩こそが、その時その上場で、妙荘厳という名前の王であったのだ。
さらにまた、良家の息子たちよ、あなたたちには、疑わしいこと、あるいは考え違い、あるいは疑惑があるかも知れない。その時その情況で、その浄徳という名前の王妃は、誰か他の人であったと。しかしながら、良家の息子たちよ、あなたたちはそのように見なすべきではない。それは、どんな理由によってか?この光照荘厳(太陽の光明によって荘厳されている旗を持つ王)という名前の偉大な人である菩薩こそが、その時その情況で、浄徳という名前の王妃であったのだ。その人は、その妙荘厳という王や、それらの衆生に対する慈しみのために、妙荘厳という王の王妃となることを受け容れたのである。
さらにまた、良家の息子たちよ、あなたたちには、疑わしいこと、あるいは考え違い、あるいは疑惑があるかも知れない。その時その情況で、それらの二人の子どもたちは、誰か他の人たちであったと。しかしながら、良家の息子たちよ、あなたたちはそのように見なすべきではない。それは、どんな理由によってか?この薬王(薬の王)と、薬上(薬の王によって出現したもの)という二人の菩薩こそが、その時その情況で、その妙荘厳という王の二人の息子たちであったのだ。
良家の息子たちよ、薬王と、薬上というこれらの二人の偉大な人である菩薩たちは、このように、考えることもできないほど多くの功徳を具え、幾100・1000・コーティ・ナユタもの多くのブッダたちの下で善い果報をもたらす立派な行ないを積んでおり、これらの二人の善き人たちもまた、考えることもできないほど多くの美徳を具えているのである。
また、これらの二人の善き人たちの名前を心にたもつ人たちは、すべて神々に伴われた世間の人々によって敬意を表されるべきであろう。
しかしながら、実にこの「妙荘厳王の過去との結びつきの章」が説かれている間に、8万4000の生命あるものたちは、純粋で無垢な、あらゆるものごとにおいて真理を見る眼を清めたのである。
以上が、聖なる「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門の中の「妙荘厳王の過去との結びつきの章」という名前の第25章である。(妙荘厳王本事品第27おわり)
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すると、良家の息子たちよ、その妙荘厳という王は、その二人の子どもたちの神力による奇跡を見て、満足し、高揚し、心が満たされ、狂喜し、喜悦と歓喜を生じ、10本の指を合わせて合掌し、二人の子どもたちに次のように言った。
『良家の息子たちよ、あなたたち二人の師は誰であるか?あるいは、あなたたち二人は誰の弟子であるのか?』と。
そこで、良家の息子たちよ、その二人の子どもたちは、妙荘厳という王に次のように言った。
『大王よ、その世尊である雲来音宿王華智というブッダが、滞在し、存在し、時を過ごしておられ、宝石でできた菩提樹の根もとにある法座に坐って、神々に伴われた世間の人々の面前で「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という名前の法門を詳しく説き明かしておられます。大王よ、その世尊が私たちの師であり、私たちはその方の弟子なのです』
すると、その妙荘厳という王は、その二人の子どもたちに次のように言った。
『良家の息子たちよ、私たちはあなたたちのその師にお会いしよう。私たちは、その世尊のもとへ行こう』
すると、良家の息子たちよ、その二人の子どもたちは、その虚空から下りて来て、自分たちの生みの母のいるところに近づいた。近づいて、10本の指を合わせて合掌して、母に次のように言った。
『母よ、私たちは、私たちのこの父をこの上ない正しく完全な覚りへ向けて化導いたしました。私たちは、父のために師のなすべきことをなしました。それ故に、今、私たちのことを諦めて行かせてください。私たちは、その世尊のもとで出家するでありましょう』と。
そこで、良家の息子たちよ、浄蔵と浄眼という二人の子どもは、自分たちの生みの母に、2つに詩によって語りかけた。
『母よ、私たちが出家して、家のない生活に入ることを許してください。実に私たち
は、出家するでありましょう。ブッダは、実に得がたい方なのです。
〔3000年に1度咲くといわれる〕ウドゥンバラの華のように、勝利者は、それよりさ
らに極めて得がたいのです。〔私たちのことを諦めて〕行かせてください。私たちは
出家いたします。ブッダに出会うという束の間の幸運な巡り合わせは得難いのです』
浄徳という王妃が言った。
『私は今、あなたたちを行かせてあげましょう。よろしい、子どもたちよ、行くがよ
い。私たちもまた、出家するでありましょう。ブッダは、実に得がたい方なのです』
すると、良家の息子たちよ、その二人の子どもたちは、これらの2つの詩を告げてから、それらの母と父の二人に次のように言った。
『母よ、父よ、どうぞ私たちとおいで下さい。私たちは、みんなで一緒になって行きましょう。その世尊である雲来音宿王華智というブッダにお会いし、敬礼し、お仕えし、法を聞くためにその世尊のもとへまいりましょう。
それは、どんな理由によってでしょうか?母よ、父よ、ブッダの出現は、ウドゥンバラの花に巡り合うのと同じように、実に得難いことなのです。また大海を漂う軛 の穴に海底からたまたま浮かび上がって来た亀の首がぴったりと入る場合のように、母よ、父よ、世尊であるブッダたちは、その出現に会い難い方々なのです。だから、私たちが、このような教えのもとに生まれて来たのは、最高の福徳を具えていた結果なのです。
それ故に、母よ、父よ、どうぞ〔私たちのことを諦めて〕行かせて下さい。私たちは、その世尊である雲来音宿王華智というブッダのもとへ行って、出家いたします。〔その理由は何かと言いますと、〕ブッダたちにお会いすることは実に得難いことであるからです。今日という時は、実に得難いものであり、このような法の王も、そうであります。このように瞬時の幸運な巡り合わせは、最高に得難いものなのです』
さらにまた、良家の息子たちよ、その時、その妙荘厳という王の後宮 の中から、8万4000人の後宮の女性たちが、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を受け容れることのできる真の器となった。
また、浄眼という子どもは、この法門のもとで修行をしたし、浄蔵という子どもは、『どのようにしたら、あらゆる衆生が、あらゆる悪を取り除くことができるのか?』と考えて、行く100・1000・コーティ・ナユタもの多くの劫の間、「あらゆる衆生の悪の除去」という三昧において修行した。
また、その二人の子どもの母であるその浄徳という王妃は、あらつるブッダの唱えたことや、あらゆるブッダの法における秘密の論題を知った。
すると、良家の息子たちよ、それらの二人の子どもたちによってブッダの教えへと導かれ、悟入させられ、成熟させられた妙荘厳という王は、すべての親族を侍者として、またその浄徳という王妃も、すべての親族を侍者として、さらに王の息子であるそれらの二人の子どもたちも、後宮の婦女たちや、大臣たちに伴われ、4万2000もの生命あるものたちとともに、ことごとくすべてが一緒になって、世尊である雲来音宿王華智というブッダのおられるところに近づいた。近づいてから、その世尊の両足を頭におしいただくことによって恭しく挨拶して、その世尊の周りに右回りに3度回って、一隅に立った。
すると、良家の息子たちよ、その世尊である雲来音宿王華智というブッダは、妙荘厳という王が、侍者たちを伴って近づいて来たのを知って、法に関する物語によって、教示し、教化し、励まし、喜ばせた。
すると、良家の息子たちよ、妙荘厳という王は、その世尊によって、法に関する物語を通して、正しくかつ適切に教示され、教化され、励まされ、喜ばせられて、その時、満足し、心が高揚し、心が満たされ、狂喜し、喜悦と歓喜を生じ、弟の頭に冠を結びつけて、王の位に就かせた。そして、その王は、息子や、親族、侍者に伴われ、さらに、その浄徳という王妃も、すべての侍女たちの群衆に囲まれ、また、その二人の子どもたちも、それらの4万2000の生命あるものたちとともに、ことごとくすべてが一緒になって、その世尊である雲来音宿王華智というブッダの教えに対する信によって、家を出て、家のない生活に入った。(つづく)
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その時、世尊は菩薩の群衆のすべてに語りかけられた。
「良家の息子たちよ、かつて、数えることのできない、さらに数えることのできない劫の過去の世における時のことであった。その時その情況で、雲雷音宿王華智 (雨雲によって轟 かされた雷鳴という素晴らしい音を持ち、星宿の王によって花で飾られた神通を持つもの)という名前のブッダが、光明荘厳(太陽の光明によって荘厳されているところ)という世界において、喜見(見るも楽しい)という劫に、この世に出現された。
しかもなお、良家の息子たちよ、その雲雷音宿王華智如来の説法のもとに、妙荘厳 という名前の王がいた。そして、その妙荘厳という王には、浄徳 (清浄無垢を与えられた人)という名前の妻がいた。
また、良家の息子たちよ、その妙荘厳という王には、二人の息子たちがいた。一人は、浄蔵 (清浄無垢の胎蔵を持つもの)という名前であり、もう一人は、浄眼 (清浄無垢の眼を持つもの)という名前であった。そして、それらの二人の子どもたちは、神通を具えていたし、智慧があり、福徳があり、知識を具え、菩薩としての修行に専念していた。
すなわち、布施の完成や、戒律の完成、忍耐の完成、努力精進の完成、禅定の完成、智慧の完成〔以上が六波羅蜜 〕、巧みなる方便の完成、そして慈しみ、憐み、喜び、偏見・差別を捨てて他者を平等に利すること、覚りに到るための37の法に至るまで専念していた。
二人は、それらのすべてにおいてその究極を極めていた。すなわち、「清浄無垢」という三昧、「星宿の王である月と太陽」という三昧、「清浄無垢の輝きを持つもの」という三昧、「清浄無垢の光明を持つもの」という三昧、「装飾による優雅さを持つもの」という三昧、「大いなる勢力の胎蔵を持つもの」という三昧の究極を極めていた。
そして、その世尊は、その時その情況で、それらの衆生に対する慈しみのために、また、その妙荘厳という王に対する慈しみのために、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を説かれた。
すると、良家の息子たちよ、浄蔵という子どもと、浄眼という子どもは、自分たちの生みの母のいるところに近づき、近づいてから10本の指を合わせて合掌して、母に次のように言った。
『母よ、あなたはおいでください。その世尊である雲雷音宿王華智如来にお会いし、敬礼し、お仕えするために、私たちは、そのブッダのもとへまいります。
それは、どんな理由によってでしょか?母よ、実にその雲雷音宿王華智如来が、神々に伴われた世間の人々の面前で、「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という名前の法門を詳しく説き明かされるからです。その法門を聞くために、私たち二人はまいります』
良家の息子たちよ、二人の子どもからこのように言われて、浄徳という王妃は、浄蔵と浄眼という二人の子どもに次のように告げた。
『ところで、良家の息子たちよ、あなたたち二人の父であるこの妙荘厳という王は、〔ヴェーダに通じた〕バラモンたちを信じておられます。それ故に、あなたたちはそのブッダに会うために出かける機会を得ることはないでしょう』
そこで、良家の息子たちよ、浄蔵と浄眼という二人の子どもは、10本の指を合わせて合掌して、自分たちの生みの母に次のように言った。
『私たちは、この誤った見解の家系に生まれました、しかしながら、私たちは、法の王〔であるブッダ〕の息子であります』と。
すると、浄徳という王妃は、それらの二人の子どもたちに次のように告げた。
『素晴らしいことです。素晴らしいことです。良家の息子たちよ、あなたたちは、自分たちの父であるその妙荘厳という王に対する慈しみのために、何か奇跡を見せてあげなさい。そうすれば、おそらく、王はあなたたち二人のことを信じて下さることでしょう。そして、心に清らかな信を抱いて、私たちにその世尊である雲来宿王華智如来のもとへ行くことを承諾して下さることでしょう』
すると、良家の息子たちよ、浄蔵という子どもと、浄眼という子どもは、その時、ターラ樹の7倍の高さの空中に上昇して、父であるその妙荘厳という王に対する慈しみのために、ブッダによって許可されている2通りの奇跡を現わした。
その二人は、実に虚空へと行き、横になってみせ、虚空を歩き回り、虚空において塵を振り払い、虚空において下半身から水の流れを解き放ち、上半身から火の塊を燃え上がらせ、また上半身からミスの流れを解き放ち、下半身から火の塊を燃え上がらせた。
さらに二人は、虚空において大きくなった後で小さくなり、小さくなった後で大きくなった。そして、虚空において姿が見えなくなったかと思えば、地上に姿を現わし、地上に姿を現わしたかと思えば、虚空に姿を現わした。実に、良家の息子たちよ、その二人の子どもたちは、これほどの神力による奇跡を用いて、自分たちの父であるその妙荘厳という王を化導 したのである。(つづく)
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聖観音像(インド・9世紀)
すると、無尽意は、心が歓喜し満億して、次の詩を述べた。
「麗しい眼、慈しみの眼を持ち、智慧と知によって卓越した眼を持つ人よ、憐みの眼
を持ち、清らかな眼を持つ人よ、愛されるべき美しい顔と美しい眼を持つ人よ、
純粋無垢にして清浄な輝きを持つ人よ、暗闇のない知を持つ人よ、太陽の輝きを持つ
人よ、吹き消されることのない焔の光を持つ人よ、あなた(釈迦牟尼)は自ら輝きな
がら、世界を照らしておられます。
憐みの徳と慈しみの雷鳴を響かせ、勝れた徳を具えた、慈しみの心を持つ大いなる雲
よ、あなたは、不死(甘露)の法の雨を降らせ、生命あるものたちの煩悩の火を鎮め
られます。
また、喧嘩や、論争、闘争において、人との争いごとの渦中にある人が多いなる恐怖
に陥っている時も、観世音を念ずれば、邪悪な敵の集団は退散するでありましょう。
観世音は、雷雲のような音声を有し、太鼓のような響きを具え、大海のような轟 きを
持ち。ブラフマー神の美しい声を具えています。このように音声の領域で完成に達し
ている観世音を念ずるべきであります。
あなたたちは、清らかな人である観世音をよくよく念ずるべきであり、疑うことがあ
ってはなりません。観世音は、死や、災厄、艱難 において、保護者となり、避難所と
なり、最後の休息所となるのです。
あらゆる威徳の完成に達していて、あらゆる衆生に対する憐みと慈しみの眼を持ち、
威徳が人格化された存在であり、偉大な威徳の大海である観世音に敬意を表すべきで
あります。
世間の人々に対して憐み深いこの人は、未来の世においてブッダとなるでありましょ
う。私は、あらゆる苦しみ、恐怖、憂いを消滅させる観世音に対して敬礼します。
【以下の偈頌は鳩摩羅什訳にはなく、後世に浄土教思想が混入したものと考えられる】
阿弥陀如来(ネパール・タンカ)
世自在王(世間において自在である王)を指導者とし、世間の人々によって供養され
ている法蔵(法の源)という男性出家者は、幾百もの多くの劫にわたって修行して、
塵芥のないこの上ない覚りを獲得し〔阿弥陀という如来となり〕ました。
観世音は、その阿弥陀という指導者を、右と左から脇侍 として扇ぎながら、立ってい
ました。また、「あらゆるものごとが幻のようであること」という三昧によって、あ
らゆる国土に行って、勝利者に供養しました。
西の方角に、幸福の源である塵埃 のない極楽(スカーヴァティー)世界があり、まさ
にそこに阿弥陀という指導者で、衆生を制御する人が、現在、ただ今おられます。
また、そこには、女性たちの誕生はないし、男女の性的結合の習慣もまた全くありま
せん。それらの勝利者の嫡出子である菩薩たちは、両親なしに自然発生したものたち
であって、純潔であり、紅蓮華の胎の中に坐っています。
また、まさにその阿弥陀という指導者も、塵埃のない心を喜ばせる紅蓮華 の胎 の中に
ある獅子座に一緒に坐っていて、あたかもシャーラ王(=ヴィシュヌ神)のようにま
ばゆく輝いています。
同様に、その観世音もまた世間の人々の指導者であり、この三界には、その人に等し
いものは存在しません。そういうわけで、私、無尽意は、その「観世音を称讃して、
福徳を積み重ね、速やかにあなた(釈迦牟尼)のように人間の中の最上の人になろ
う」と。
すると、持地(大地を支えるもの)という偉大な人である菩薩は、座席から立ち上が
って、上衣の左肩を残して右側の一方の肩だけ露 にして、右の膝頭を地面につけて、
世尊のおられるところに向かって合掌して敬礼し、世尊に次のように申し上げた。
「世尊よ、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門の中の観世音という偉大な人である菩薩についてのこの章、すなわち、観世音という偉大な人である菩薩の神変についての教説であり、『あらゆる方向に顔を向けたものの章』という名前の観世音という菩薩の神力による奇跡についての教説を聞く衆生は、善い果報をもたらす立派な行ないが乏しいことはないでありましょう」
しかもなお、この「あらゆる方向に顔を向けたものの章」が世尊によって説かれている間に、その集会の中の8万4000もの生命あるものたちは、この上ない無比の正しく完全な覚りに向けて心を発した。
以上が、聖なる「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門の中の「あらゆる方向に顔を向けたものの章」という名前の第24章である。(観世音菩薩普門品第25おわり)
↓ ランキング挑戦中 Brog Rankingのバナーをポチッと押してね!十一面千手観世音菩薩(チベットのタンカ)
その時、世尊は次の詩を述べられた。
「無尽意という菩薩は、妙相具 (色とりどりの旗を持つもの)である私、釈迦牟尼
に、『いかなる理由でこの勝利者の息子は、観世音と言われるのでしょうか?』と、
その意味と理由について尋ねた。
すると、その情況を省察して、具足妙相尊 (色とりどりの旗を持つもの)である私
は、弘誓深如海 (海のように広大な誓願を持つもの)である観世音について、無尽
意に告げた。『観世音という菩薩の修行について、あなたは聞くがよい。』
考えることもできない幾百もの多くの劫にわたり、幾千・コーティもの多くのブッダ
たちによって、観世音という菩薩の誓願がどのように清められたのか、あなたは、私
の言及することから聞くがよい。
この世において、順次に観世音という名前を聞き、その菩薩を見て、また同様に念ず
ることは、生命あるものたちにとって空しからざることであり、生存におけるあらゆ
る苦悩や憂いを消滅させることになるのである。
たとえ、邪悪な心を持つものが、殺害の目的で人を火の燃え盛る穴の中に投げ入れる
としても、観世音を念ずれば、水がふりまかれたように火は消えるのだ。
たとえ、龍や、海の怪物であるマカラ魚、アスラ、精霊たちの住処である大海の難処
に入り込むとしても、観世音を念ずれば、いかなる時にも、決して水の王である海の
中に沈むことはないのだ。
たとえ、邪悪な心を持つものが、殺害の目的で人をスメール山の頂上から突き落とす
としても、観世音を念ずれば、太陽のように空中をゆっくりと進んで落下するのだ。
たとえ、殺害の目的で金剛石でできた山々を人の頭に投げつけるとしても、観世音を
念ずれば、それらの山々は毛穴をも傷つけることはできないのだ。
たとえ、剣を手に持ち殺害の意志を有する敵の集団に取り囲まれたとしても、観世音
を念ずれば、その時その瞬間にそれらの敵たちは友好的な心を持つものとなるのだ。
たとえ、死刑判決を受けた人が処刑場に到り、死刑執行人の支配下にあるとしても、
観世音を念ずれば、その時、処刑のための剣は粉々にあるであろう。
たとえ、今、木製や、鉄製の手枷 、鉄の鎖、足枷で縛られているとしても、観世音を
念ずれば、手枷や、鎖、足枷は、実に速やかに千切れるのだ。
「無尽意という菩薩は、妙相具 (色とりどりの旗を持つもの)である私、釈迦牟尼
に、『いかなる理由でこの勝利者の息子は、観世音と言われるのでしょうか?』と、
その意味と理由について尋ねた。
すると、その情況を省察して、具足妙相尊 (色とりどりの旗を持つもの)である私
は、弘誓深如海 (海のように広大な誓願を持つもの)である観世音について、無尽
意に告げた。『観世音という菩薩の修行について、あなたは聞くがよい。』
考えることもできない幾百もの多くの劫にわたり、幾千・コーティもの多くのブッダ
たちによって、観世音という菩薩の誓願がどのように清められたのか、あなたは、私
の言及することから聞くがよい。
この世において、順次に観世音という名前を聞き、その菩薩を見て、また同様に念ず
ることは、生命あるものたちにとって空しからざることであり、生存におけるあらゆ
る苦悩や憂いを消滅させることになるのである。
たとえ、邪悪な心を持つものが、殺害の目的で人を火の燃え盛る穴の中に投げ入れる
としても、観世音を念ずれば、水がふりまかれたように火は消えるのだ。
たとえ、龍や、海の怪物であるマカラ魚、アスラ、精霊たちの住処である大海の難処
に入り込むとしても、観世音を念ずれば、いかなる時にも、決して水の王である海の
中に沈むことはないのだ。
たとえ、邪悪な心を持つものが、殺害の目的で人をスメール山の頂上から突き落とす
としても、観世音を念ずれば、太陽のように空中をゆっくりと進んで落下するのだ。
たとえ、殺害の目的で金剛石でできた山々を人の頭に投げつけるとしても、観世音を
念ずれば、それらの山々は毛穴をも傷つけることはできないのだ。
たとえ、剣を手に持ち殺害の意志を有する敵の集団に取り囲まれたとしても、観世音
を念ずれば、その時その瞬間にそれらの敵たちは友好的な心を持つものとなるのだ。
たとえ、死刑判決を受けた人が処刑場に到り、死刑執行人の支配下にあるとしても、
観世音を念ずれば、その時、処刑のための剣は粉々にあるであろう。
たとえ、今、木製や、鉄製の手枷 、鉄の鎖、足枷で縛られているとしても、観世音を
念ずれば、手枷や、鎖、足枷は、実に速やかに千切れるのだ。
呪文の力や、呪術、薬物、また、精霊や、ヴェーターダといった、人の身体を潰滅さ
せるものは、観世音を念ずれば、それらを発揮して身体を潰滅させようとする働きが、
逆に、その〔身体を潰滅させようとする〕自分自身に還っていくのである。
たとえ、ヤクシャや、龍、アスラ、精霊、ラークシャサといった人間の精気を奪い去
るものたちに取り囲まれたとしても、観世音を念ずれば、それらは毛穴でさえも傷つ
けることはできないのだ。
たとえ、鋭い牙と鈎爪 を持つ非常に恐ろしい猛獣たちに取り囲まれたとしても、観世
音を念ずれば、速やかに、それらの猛獣たちは四方八方のあらゆる方角に走り去るの
だ。
たとえ、燃え上がる炎のような光線を放つ、邪悪で、恐ろしい眼差しで人を毒する蛇
によって取り囲まれたとしても、観世音を念ずれば、それらの蛇たちは、実に速やか
に毒がなくなるのだ。
囂々 たる雷の音を鳴り響かせ、雷光を有する雲が出現し、その雲が雷電と雨水を放出
するとしても、観世音を念ずれば、実に速やかに、その瞬間に雷雲は消えてしまうの
だ。
観世音は、衆生が、幾百もの多くの苦しみに悩まされ、多くの苦しみに苛 まれている
のを見て、省察して、勝れた知の力を持っている。それ故に、神々に伴われた世間にお
いて救済者なのである。
観世音は、神通力を極めるに到っており、広大な知と巧みなる方便を既に学んでいて、
十方におけるすべての世界のあらゆる国土に余すことなく現われるのである。
また、地獄や、畜生界、ヤマの支配下にあって、不遇な境遇や、悪しき境遇に対する
恐怖をいだき、生・老・病の苦しみによって苛まれている生命あるものたちにとって、
それらの恐怖や苦しみは順次に消滅するのだ』と」
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せるものは、観世音を念ずれば、それらを発揮して身体を潰滅させようとする働きが、
逆に、その〔身体を潰滅させようとする〕自分自身に還っていくのである。
たとえ、ヤクシャや、龍、アスラ、精霊、ラークシャサといった人間の精気を奪い去
るものたちに取り囲まれたとしても、観世音を念ずれば、それらは毛穴でさえも傷つ
けることはできないのだ。
たとえ、鋭い牙と鈎爪 を持つ非常に恐ろしい猛獣たちに取り囲まれたとしても、観世
音を念ずれば、速やかに、それらの猛獣たちは四方八方のあらゆる方角に走り去るの
だ。
たとえ、燃え上がる炎のような光線を放つ、邪悪で、恐ろしい眼差しで人を毒する蛇
によって取り囲まれたとしても、観世音を念ずれば、それらの蛇たちは、実に速やか
に毒がなくなるのだ。
囂々 たる雷の音を鳴り響かせ、雷光を有する雲が出現し、その雲が雷電と雨水を放出
するとしても、観世音を念ずれば、実に速やかに、その瞬間に雷雲は消えてしまうの
だ。
観世音は、衆生が、幾百もの多くの苦しみに悩まされ、多くの苦しみに苛 まれている
のを見て、省察して、勝れた知の力を持っている。それ故に、神々に伴われた世間にお
いて救済者なのである。
観世音は、神通力を極めるに到っており、広大な知と巧みなる方便を既に学んでいて、
十方におけるすべての世界のあらゆる国土に余すことなく現われるのである。
また、地獄や、畜生界、ヤマの支配下にあって、不遇な境遇や、悪しき境遇に対する
恐怖をいだき、生・老・病の苦しみによって苛まれている生命あるものたちにとって、
それらの恐怖や苦しみは順次に消滅するのだ』と」
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また、良家の息子よ、観世音という偉大な人である菩薩に敬礼をなし、その菩薩の名前をたもつ人たちには有益な結果があるであろう。
良家の息子よ、ある人は、観世音という偉大な人である菩薩に敬礼をなし、その菩薩の名前を心にたもつ。また、ある人は、62のガンジス河の砂の数に等しい世尊であるブッダたちに敬礼して、それらの世尊であるブッダたちの名前を心にたもつ。また、ある人は、この世に滞在し、存在し、時を過ごしておられる多くの世尊であるブッダたちに、衣や、布施のための食べ物、寝具や座具、病気を治す薬、生活必需品によって供養を行なう。良家の息子よ、あなたはそれをどう考えるか?その良家の息子、あるいは良家の娘は、この因縁によってどれほどの福徳の生成を生ずるであろうか?」
世尊からこのように言われて、無尽意という偉大な人である菩薩は、世尊に次のように申し上げた。
「世尊よ、多くであります。人格を完成された人よ、多くであります。その良家の息子、あるいは良家の娘は、この因縁によって多くの福徳の生成を生ずるでありましょう」
世尊が言われた。
「しかも、良家の息子よ、それほど多くの世尊であるブッダに対して恭敬をなす人、および、観世音という偉大な人である菩薩に対して一度だけでも敬礼をなし、観世音という菩薩の名前を心にたもつ人、その両者の場合に、それぞれ福徳の生成は同じであり、いずれかが勝っていることもなく、超過していることもないのだ。
そして、それらの62のガンジス河の砂の数に等しい多くの世尊であるブッダたちに対して恭敬をなし、それらのブッダたちの名前を心にたもつ人、また、観世音という菩薩に対して敬礼をなし、〔その菩薩の〕こ名前を心にたもつ人、これらの二人の福徳の集合は、幾100・1000・コーティ・ナユタ劫の間にわたっても、消滅させることは容易ではないのだ。
良家の息子よ、観世音という偉大な人である菩薩の名前を心にたもつことで得る福徳は、このように無量なのである。
そこで、無尽意という菩薩は、世尊に次のように申し上げた。
「世尊よ、観世音という菩薩は、このサハー世界においてどのように遊行 し、どのように衆生に法を説き示すのでしょうか?観世音という菩薩の巧みなる方便の及ぶ範囲は、いかなるものでしょうか?」
良家の息子よ、ある人は、観世音という偉大な人である菩薩に敬礼をなし、その菩薩の名前を心にたもつ。また、ある人は、62のガンジス河の砂の数に等しい世尊であるブッダたちに敬礼して、それらの世尊であるブッダたちの名前を心にたもつ。また、ある人は、この世に滞在し、存在し、時を過ごしておられる多くの世尊であるブッダたちに、衣や、布施のための食べ物、寝具や座具、病気を治す薬、生活必需品によって供養を行なう。良家の息子よ、あなたはそれをどう考えるか?その良家の息子、あるいは良家の娘は、この因縁によってどれほどの福徳の生成を生ずるであろうか?」
世尊からこのように言われて、無尽意という偉大な人である菩薩は、世尊に次のように申し上げた。
「世尊よ、多くであります。人格を完成された人よ、多くであります。その良家の息子、あるいは良家の娘は、この因縁によって多くの福徳の生成を生ずるでありましょう」
世尊が言われた。
「しかも、良家の息子よ、それほど多くの世尊であるブッダに対して恭敬をなす人、および、観世音という偉大な人である菩薩に対して一度だけでも敬礼をなし、観世音という菩薩の名前を心にたもつ人、その両者の場合に、それぞれ福徳の生成は同じであり、いずれかが勝っていることもなく、超過していることもないのだ。
そして、それらの62のガンジス河の砂の数に等しい多くの世尊であるブッダたちに対して恭敬をなし、それらのブッダたちの名前を心にたもつ人、また、観世音という菩薩に対して敬礼をなし、〔その菩薩の〕こ名前を心にたもつ人、これらの二人の福徳の集合は、幾100・1000・コーティ・ナユタ劫の間にわたっても、消滅させることは容易ではないのだ。
良家の息子よ、観世音という偉大な人である菩薩の名前を心にたもつことで得る福徳は、このように無量なのである。
そこで、無尽意という菩薩は、世尊に次のように申し上げた。
「世尊よ、観世音という菩薩は、このサハー世界においてどのように遊行 し、どのように衆生に法を説き示すのでしょうか?観世音という菩薩の巧みなる方便の及ぶ範囲は、いかなるものでしょうか?」
無尽意からこのように言われて、世尊は無尽意という菩薩に次のようにおっしゃられた。
「良家の息子よ、観世音という偉大な人である菩薩が、ブッダの姿で衆生に法を説き示す諸々の世界が存在するし、菩薩の姿で衆生に法を説き示す諸々の世界が存在するのだ。
観世音という菩薩は、ある人たちのためには、独覚の姿で衆生に法を説き示すのだ。ある人のためには声聞の姿で、ある人たちのためには梵天 (ブラフマー神)の姿で、ある人たちのためには帝釈天 (シャクラ神)の姿で、ある人たちのためにはガンダルヴァの姿で衆生に法を説き示すのだ。
夜叉 (ヤクシャ)によって教化されるべき衆生のためには、夜叉の姿で法を説き示すのだ。自在天 (イーシュヴァラ神)によって教化されるべき衆生のためには自在天の姿で、大自在天 (マヘーシュヴァラ神)によって教化されるべき衆生のためには大自在天の姿で、転輪王 によって教化されるべき衆生のためには転輪王の姿で、ピシャーチャ鬼によって教化されるべき衆生のためにはピシャーチャ鬼の姿で、毘沙門天 (ヴァイシュラヴァナ神)によって教化されるべき衆生のためには毘沙門天の姿で、将軍によって教化されるべき衆生のためには将軍の姿で、バラモンによって教化されるべき衆生のためにはバラモンの姿で、執金剛神 (金剛杵 を手に持つもの)によって教化されるべき衆生のためには執金剛神の姿で法を説き示すのだ。
良家の息子よ、観世音という菩薩は、このように、考えることもできないほど多くの功徳を具えているのである。それ故に、良家の息子よ、あなたたちは、観世音という菩薩に供養するがよい。良家の婿須よ、この観世音という菩薩は、恐怖にさらされた衆生に畏れなきことを施すのである。
この理由によって、この菩薩は、このサハー世界において、施無畏者 (畏れなきことを施すもの)と認められているのである。
「良家の息子よ、観世音という偉大な人である菩薩が、ブッダの姿で衆生に法を説き示す諸々の世界が存在するし、菩薩の姿で衆生に法を説き示す諸々の世界が存在するのだ。
観世音という菩薩は、ある人たちのためには、独覚の姿で衆生に法を説き示すのだ。ある人のためには声聞の姿で、ある人たちのためには梵天 (ブラフマー神)の姿で、ある人たちのためには帝釈天 (シャクラ神)の姿で、ある人たちのためにはガンダルヴァの姿で衆生に法を説き示すのだ。
夜叉 (ヤクシャ)によって教化されるべき衆生のためには、夜叉の姿で法を説き示すのだ。自在天 (イーシュヴァラ神)によって教化されるべき衆生のためには自在天の姿で、大自在天 (マヘーシュヴァラ神)によって教化されるべき衆生のためには大自在天の姿で、転輪王 によって教化されるべき衆生のためには転輪王の姿で、ピシャーチャ鬼によって教化されるべき衆生のためにはピシャーチャ鬼の姿で、毘沙門天 (ヴァイシュラヴァナ神)によって教化されるべき衆生のためには毘沙門天の姿で、将軍によって教化されるべき衆生のためには将軍の姿で、バラモンによって教化されるべき衆生のためにはバラモンの姿で、執金剛神 (金剛杵 を手に持つもの)によって教化されるべき衆生のためには執金剛神の姿で法を説き示すのだ。
良家の息子よ、観世音という菩薩は、このように、考えることもできないほど多くの功徳を具えているのである。それ故に、良家の息子よ、あなたたちは、観世音という菩薩に供養するがよい。良家の婿須よ、この観世音という菩薩は、恐怖にさらされた衆生に畏れなきことを施すのである。
この理由によって、この菩薩は、このサハー世界において、施無畏者 (畏れなきことを施すもの)と認められているのである。
そこで、無尽意という偉大な人である菩薩は、世尊に次のように申し上げた。
「世尊よ、私たちは、観世音という菩薩に、法のための施物、法のための贈り物を贈りましょう」
世尊が言われた。
「良家の息子よ、今、その贈り物にとって、時にかなっているのだと、あなたが思うものを贈るがよい」
すると、無尽意という菩薩は、幾100・1000金もの値打ちのある真珠の首飾りを自分の首から外し、観世音という菩薩に、法のための贈り物として差し上げた。
「善き人よ、あなたは、この法のための贈り物を、私から受け取ってください」
けれども、その観世音という菩薩は、受け取らなかった。そこで、無尽意という菩薩は、観世音という菩薩に次のように言った。
「良家の息子よ、あなたは、私たちに対する憐みの故に、この真珠の首飾りを受け取ってください」
すると、観世音という菩薩は、無尽意という菩薩に対する憐みの故に、またそれらの四衆たちや、それらの神々、龍、ヤクシャ、ガンダルヴァ、アスラ、ガルーダ、キンナラ、マホーラガ、人間、人間以外のものたちに対する憐みの故に、無尽意という菩薩から、その真珠の首飾りを受け取った。
受け取ると、それを切って2つの部分になした。2つの部分になしてから、一方の半分を釈迦牟尼世尊に与えた。2つ目の半分を、世尊である多宝如来の全身が安置されている宝石造りのストゥーパに捧げた、
「良家の息子よ、観世音という偉大な人である菩薩は、このような神変によってこのサハー世界を遊行するのである」(つづく)
第24章 あらゆる方向に顔を向けたもの
その時、無尽意(不滅の心を持つもの)という偉大な人である菩薩は、座席から立ち上がって、上衣の左肩を残して右側の一方の肩だけ露にして、右の膝頭を地面につけて、世尊のおられるところに向かって合掌して敬礼し、世尊に次のように申し上げた。
「世尊よ、いかなる理由で、観世音(自在に観るもの)という偉大な人である菩薩は、観世音と言われるのでしょうか?」
無尽意からこのように言われて、世尊は無尽意という偉大な人である菩薩に、次のようにおっしゃられた。
「良家の息子よ、この世において諸々の苦しみを受けている幾100・1000・コーティ・ナユタものそれほど多くの衆生が、もしも、観世音という偉大な人である菩薩の名前を聞くならば、それらの衆生はすべて、その苦しみの塊から解放されるであろう。
「世尊よ、いかなる理由で、観世音(自在に観るもの)という偉大な人である菩薩は、観世音と言われるのでしょうか?」
無尽意からこのように言われて、世尊は無尽意という偉大な人である菩薩に、次のようにおっしゃられた。
「良家の息子よ、この世において諸々の苦しみを受けている幾100・1000・コーティ・ナユタものそれほど多くの衆生が、もしも、観世音という偉大な人である菩薩の名前を聞くならば、それらの衆生はすべて、その苦しみの塊から解放されるであろう。
さらに、良家の息子よ、もしも幾100・1000・コーティ・ナユタもの衆生が、大海の真ん中で、金貨、黄金、宝石、真珠、金剛石(ダイヤモンド)、瑠璃、螺貝、碧玉、珊瑚、瑪瑙、硨磲、赤真珠などを積んだ船に乗っている時、その船が暴風によって羅刹女(ラークシャシー)の島に打ち上げられたとして、その島において、誰か一人でも、観世音という偉大な人である菩薩の名前を呼んで救助を求めるならば、それらの衆生はすべてその羅刹女の島から解放されるであろう。
実にまた、良家の息子よ、こういう理由で、観世音という偉大な人である菩薩は、観世音と承認されるのだ。
良家の息子よ、もしも誰かある人が、死刑の判決を受け処刑されるべき状況に置かれていて、観世音という偉大な人である菩薩の名前を呼んで救助を求めるならば、それらの死刑執行人たちのそれらの剣はこなごなに砕けるであろう。
しかもまた、良家の息子よ、もしもこの三千大千世界が、ヤクシャ(夜叉)やラークシャサたちによって満たされているとしても、観世音という偉大な人である菩薩の名前を了解することによって、それらの邪悪な心を持つものたちは、その人を見ることさえもできないであろう。
しかもまた、良家の息子よ、もしも、罪のある人であれ、罪のない人であれ、実に誰かある人が、木製や、鉄製の手枷、鉄の鎖、足枷で縛られているとしても、その観世音という偉大な人である菩薩の名前を了解することによって、速やかにそれらの枷や、鉄の鎖、足枷は、亀裂を生じるであろう。
良家の息子よ、観世音という偉大な人である菩薩の威神力は、このようなものである。
実にまた、良家の息子よ、こういう理由で、観世音という偉大な人である菩薩は、観世音と承認されるのだ。
良家の息子よ、もしも誰かある人が、死刑の判決を受け処刑されるべき状況に置かれていて、観世音という偉大な人である菩薩の名前を呼んで救助を求めるならば、それらの死刑執行人たちのそれらの剣はこなごなに砕けるであろう。
しかもまた、良家の息子よ、もしもこの三千大千世界が、ヤクシャ(夜叉)やラークシャサたちによって満たされているとしても、観世音という偉大な人である菩薩の名前を了解することによって、それらの邪悪な心を持つものたちは、その人を見ることさえもできないであろう。
しかもまた、良家の息子よ、もしも、罪のある人であれ、罪のない人であれ、実に誰かある人が、木製や、鉄製の手枷、鉄の鎖、足枷で縛られているとしても、その観世音という偉大な人である菩薩の名前を了解することによって、速やかにそれらの枷や、鉄の鎖、足枷は、亀裂を生じるであろう。
良家の息子よ、観世音という偉大な人である菩薩の威神力は、このようなものである。
良家の息子よ、もしもこの三千大千世界が、剣を手に持つ悪漢や、怨敵、盗賊たちで満たされているとして、その三千大千世界の中を一人の隊商の隊長が、値がつけられないほど貴重な宝石をたくさん携えた大規模な隊商を率いて、旅行くとしよう。それらの人たちは、旅行きながら、剣を手に持つそれらの盗賊や、悪漢、怨敵たちに遭遇するであろう。また、遭遇してさらに、怖がり、慄き、自分たちが無防備であることを認めるであろう。 そして、その隊商の隊長は、その隊商の一団に次のように言うであろう。
『畏れてはならない。良家の息子たちよ、畏れてはならない。あなたたちは、すべて畏れなきことを授けて下さる観世音という菩薩に、声を一つにして一緒に叫んで救助を呼びかけるがよい。それによって、あなたたちは、この盗賊の恐怖や、怨敵の恐怖から実に速やかに解放されるであろう』
すると、その隊商の一団の実にすべてがそれぞれ、観世音に、『畏れなきことを授けて下さるあの観世音という菩薩に敬礼いたします。敬礼いたします』と、声を一つにして呼びかけるとしよう。実に名前を了解すると同時に、その隊商の一団は、あらゆる恐怖から解放されるであろう。
良家の息子よ、観世音という偉大な人である菩薩の威神力は、このようなものである。
良家の息子よ、貪愛(貪欲)によって行動する衆生は、観世音という偉大な人である菩薩に敬礼をなして、貪愛のないものとなるのだ。憎悪(瞋恚)によって行動する衆生は、観世音という偉大な人である菩薩に敬礼をなして、憎悪のないものとなるのだ。愚かさ(愚痴)によって構想する衆生は、観世音という偉大な人である菩薩に敬礼をなして、愚かさのないものとなるのだ。
良家の息子よ、観世音という偉大な人である菩薩は、このように大いなる神通を持っているのである。
さらに、良家の息子よ、男の子の誕生を願う女性が、観世音という偉大な人である菩薩に敬礼をなすならば、その女性には、男の子が生まれるであろう。その男の子は端正で、輝かしく、見るも美しく、男の子らしい特徴を具えていて、多くの人々に愛され、心を魅了し、善い果報をもたらす立派な行ないを積んだものであるだろう。
女の子の誕生を欲する女性には、女の子が生まれるであろう。その女の子は端正で、輝かしく、見るも美しく、青蓮華のように最高に美しい色を具え、女の子らしい特徴を具えていて、多くの人々に愛され、心を魅了し、善い果報をもたらす立派な行ないを積んだものであるだろう。
良家の息子よ、観世音という偉大な人である菩薩のい赤神力は、このようなものである。(つづく)