なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)
上野殿母尼御前御返事⑤
故七郎五郎殿は、当世の日本国の人々にはにさせ給はず。を上野殿母尼御前御返事⑤
さなき心なれども賢き父の跡をおひ、御年いまだはたちにも及
ばぬ人が、南無妙法蓮華経と唱へさせ給ひて仏にならせ給ひぬ。
「無一不成仏」は是なり。乞ひ願くは、悲母我子を恋く思食し
給ひなば、南無妙法蓮華経と唱へさせ給ひて、故南条殿・故五
郎殿と一所に生まれんと願はせ給へ。一つ種は一つ種、別の種
は別の種。同じ妙法蓮華経の種を心にはらませ給ひなば、同じ
妙法蓮華経の国へ生まれさせ給べし。三人面をならべさせ給は
ん時、御悦びいかがうれしくおぼしめすべきや。
そもそもこの法華経を開いて拝見仕り候へば、〔「如来すな
わち為に衣をもってこれを覆いたまう、また他方の現在の諸仏の
護念するところとならん」〕等云云。経文の心は東西南北八方、
並に三千大千世界の外、四百万億那由佗の国土に十方の諸仏ぞ
くぞくと充満せさせ給ふ。天には星のごとく、地には稲麻のや
うに並居させ給ひ、法華経の行者を守護せさせ給ふ事、譬ば大
王の太子を諸の臣下の守護するがごとし。
ただ四天王一類のまほり給はん事のかたじけなく候に、一切
の四天王・一切の星宿・一切の日月・帝釈・梵天等の守護せ
させ給ふに足るべき事なり。その上、一切の二乗・一切の菩薩・
兜率内院の弥勒菩薩・迦羅陀山の地蔵・補陀落山の観世音・清
涼山の文珠師利菩薩等、各々眷属を具足して、法華経の行者
を守護せさせ給ふに足るべき事に候に、またかたじけなくも、
釈迦・多宝・十方の諸仏のてづからみづから来り給ひて、昼夜
十二時に守られ給はん事のかたじけなさ申すばかりなし。
かゝるめでたき御経を、故五郎殿は御信用ありて仏にならせ
給ひて、今日は四十九日にならせ給へば、一切の諸仏、霊山浄
土に集まらせ給ひて、あるいは手にすへ、あるいは頂をなで、
あるいはいだき、あるいは悦び、月の始て出でたるがごとく、
花の始てさけるがごとく、いかに愛しまいらせ給らん。
給ひて、今日は四十九日にならせ給へば、一切の諸仏、霊山浄
土に集まらせ給ひて、あるいは手にすへ、あるいは頂をなで、
あるいはいだき、あるいは悦び、月の始て出でたるがごとく、
花の始てさけるがごとく、いかに愛しまいらせ給らん。
そもそも、いかなれば三世十方の諸仏はあながちに、この法
華経をば守らせ給ふと勘へて候へば、道理にて候けるぞ。法華
経と申すは、三世十方の諸仏の父母なり。めのとなり。主にて
ましましけるぞや。かえると申す虫は母の音を食とす。母の声
を聞かざれば生長する事なし。から(迦羅)ぐら(求羅)と申
す虫は風を食とす。風吹かざれば生長せず。魚は水をたのみ、
鳥は木をすみかとす。仏もまたかくのごとく、法華経を命とし、
食とし、すみかとし給ふなり。魚は水にすむ、仏はこの経にす
み給ふ。鳥は木にすむ、仏はこの経にすみ給ふ。月は水にやど
る、仏はこの経にやどり給ふ。この経なき国には、仏まします
事なしと御心得あるべく候。
【現代語訳】
妙法蓮華経の種子
亡くなられた七郎五郎殿は、現代の日本人としては珍しい人である。幼少の時から賢
い父のあとを継ぎ、まだ二十歳にもならないのに、南無妙法蓮華経を唱えて仏に成られ
た。「法華経を聞いた者は一人として成仏しない者はいない」と経文にあるとおりであ
る。願わくば母として我が亡き子を恋しく思ったならば、南無妙法蓮華経と唱えて、先
に亡くなられた夫の南条殿と亡き子供の五郎殿といっしょの所へ生まれかわるようにと
※1
願うようにしなさい。一つ種子は同じ一つの種子であり、別の種子は結局別のものであ
る。同一の妙法蓮華経の種子を心の田に植えれば、同じ妙法蓮華経の芽が生まれ花が咲
いて、同じ国へ生まれることができるのである。親子三人で顔を並べて見合う時に、そ
の悦びはいかに深いものであろうか。
法華経は諸仏の主人
さて、この法華経を開いて拝見してみると、法師品の中に、「如来はこの経を信ずる
人々を衣で覆い、数多くの仏によって守護してもらえるであろう」とある。この経文の
※2
意味は、東西南北の四方八方、ならびに三千大千世界の外、400万億那由佗の国土に、十
方の諸仏がぞくぞくとみち溢れ、天の星のように、また地上の稲や麻のようにたくさん
集まってこられて、法華経の行者を守護してくださる。例えば大王が太子を数多くの臣
下に命じて守護をさせるようなものである。
※3
人々を衣で覆い、数多くの仏によって守護してもらえるであろう」とある。この経文の
※2
意味は、東西南北の四方八方、ならびに三千大千世界の外、400万億那由佗の国土に、十
方の諸仏がぞくぞくとみち溢れ、天の星のように、また地上の稲や麻のようにたくさん
集まってこられて、法華経の行者を守護してくださる。例えば大王が太子を数多くの臣
下に命じて守護をさせるようなものである。
※3
ただ四天王の一族のものが守ってくれるだけでも有難いことなのに、すべての四天王
※4 ※5
を始め、星宿や日月・帝釈・梵天等までが守護してくださるということは、まことに満
足すべきことである。そのうえ、すべての二乗や菩薩、兜率の内院にいる弥勒菩薩、迦
※6
羅陀山の地蔵、補陀落山の観世音、清涼山の文殊師利菩薩等がそれぞれ随順する者をつ
れて、法華経の行者を守護してくださるということは、満足すべきことであるのに、さ
らにもったいないことには、釈迦・多宝を始め十方の諸仏が自ら来て昼夜を問わず守っ
てくださるとのことで、なんとも言いようがないほど有難いことである。
※4 ※5
を始め、星宿や日月・帝釈・梵天等までが守護してくださるということは、まことに満
足すべきことである。そのうえ、すべての二乗や菩薩、兜率の内院にいる弥勒菩薩、迦
※6
羅陀山の地蔵、補陀落山の観世音、清涼山の文殊師利菩薩等がそれぞれ随順する者をつ
れて、法華経の行者を守護してくださるということは、満足すべきことであるのに、さ
らにもったいないことには、釈迦・多宝を始め十方の諸仏が自ら来て昼夜を問わず守っ
てくださるとのことで、なんとも言いようがないほど有難いことである。
このような尊い法華経を故五郎殿は信仰されて仏に成られ、今日は四十九日忌を迎え
られたので、すべての諸仏が霊山浄土に集まり、あるいは掌に乗せられ、あるいは頭を
なで、あるいは抱いて喜び合い、ちょうど月が初めて昇ってきた時のように、また花が
初めて咲き出したように、大変に愛し慈しまれておられることであろう。
られたので、すべての諸仏が霊山浄土に集まり、あるいは掌に乗せられ、あるいは頭を
なで、あるいは抱いて喜び合い、ちょうど月が初めて昇ってきた時のように、また花が
初めて咲き出したように、大変に愛し慈しまれておられることであろう。
どうして三世十方の諸仏が、特にこの法華経を守るのであろうかと考えてみるのに、
それは道理のあることである。そのわけは法華経は三世十方の諸仏の父母であり乳母
であり、また主人である。蛙は母の声を食物とするので、母の声を聞かないと成長し
ない。迦羅求羅という虫は風を食物とするので、風が吹かないと成長しない。また魚
は水を頼りにし鳥は木を住家とする。仏もまたこのように法華経を命とし、食物とし
住家となされる。ちょうど魚が水の中に住むように、鳥が木に住むように、仏は法華
経に住みたもうのである。また月は水に宿るように、仏はこの経に宿られるのである。
この法華経のない国には仏もおられないものと心得えるように。(つづく)
【語註】
それは道理のあることである。そのわけは法華経は三世十方の諸仏の父母であり乳母
であり、また主人である。蛙は母の声を食物とするので、母の声を聞かないと成長し
ない。迦羅求羅という虫は風を食物とするので、風が吹かないと成長しない。また魚
は水を頼りにし鳥は木を住家とする。仏もまたこのように法華経を命とし、食物とし
住家となされる。ちょうど魚が水の中に住むように、鳥が木に住むように、仏は法華
経に住みたもうのである。また月は水に宿るように、仏はこの経に宿られるのである。
この法華経のない国には仏もおられないものと心得えるように。(つづく)
【語註】
※1 別の種は別の種:例えば、柿の種はどこまでいっても柿の種であり、ほかの種と
はなりえないことを意味する。柿の種が長いあいだにリンゴの種に変わることは
ありえないように、南無阿弥陀仏をいくら長い年唱えても、それは南無妙法蓮華
経にはならないことを意味しているのである。
※2 三千大千世界:宇宙のすべての世界。現代の太陽系に相当する一世界が1000集
まって小千世界(銀河系に相当する)、小千世界が1000集まって中千世界、中千
世界が1000集まって大千世界と呼ぶ。大千世界はその中に、小・中・大の3種の
千世界を含んでいるから、三千大世界ともいう。
※3 四天王:仏法に帰依する者を守護する四天王、すなわち持国天王(東方)、増長
天王(南方)、広目天王(西方)、多聞天王(北方、毘沙門天ともいう)。
※4 帝釈天:須弥山の山頂に住し、三十三天の頭領である。釈尊が修行中に帝釈は身
を変えてその信念をためし、釈尊が仏になってからは守護を司った。
※5 梵天:大梵天王は帝釈天とともに、つねに仏に従って説法を聞き、守護の役目を
果たす。
※6 補陀落:補陀落はサンスクリット語のポータラカの音訳。観音菩薩が降臨する霊
場。観音菩薩の化身とされるダライラマが住んだポタラ宮もこれにちなむ。
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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)
上野殿母尼御前御返事④
法華経第一の巻方便品にいはく、〔「世尊の法は久しくして、後要ら
ず当に真実を説きたまうべし」〕。またいはく、〔「正直に方便を捨て、
ただ無上道を説く」〕云云。第五の巻にいはく、〔「唯髻中の明
珠〕。またいはく、〔「独り王の頂上にこの一珠あり」〕。またいは
く、〔「彼強力の王の久く護れる明珠を今乃ち之を与るがごとし」〕
等云云。
文の心は、日本国に一切経わたれり、七千三百九十九巻なり。
彼々の経々は、皆法華経の眷属なり。例せば、日本国の男女の
数四十九億九万四千八百二十八人候へども、皆一人の国王の家
人たるがごとし。一切経の心は愚癡の女人なんどの唯一時に心
うべきやうは、たとへば大塔をくみ候には、先づ材木より外に足
代と申して多くの小木を集め、一丈二丈ばかりゆひあげ候なり。
かくゆひあげて、材木をもつて大塔をくみあげ候つれば、返つ
て足代を切り捨て大塔は候なり。足代と申すは一切経なり、大
塔と申すは法華経なり。
仏、一切経を説き給ひし事は、法華経を説かせ給はんための
足代なり。「正直捨方便」と申して法華経を信ずる人は、阿
弥陀経等の南無阿弥陀仏・大日経等の真言宗・阿含経等の律宗
の二百五十戒等を切りすて抛ちてのち、法華経をば持ち候な
り。大塔をくまんがためには足代大切なれども、大塔をくみあ
げぬれば足代を切り落すなり。「正直捨方便」と申す文の心是な
り。足代より塔は出来して候へども、塔を捨てゝ足代ををがむ
人なし。
今の世の道心者等、一向に南無阿弥陀仏と唱へて一生をすご
し、南無妙法蓮華経と一返も唱へぬ人々は、大塔をすてゝ足代を
をがむ人々なり。世間にかしこくはかなき人と申すは是なり。
【現代語訳】
正直に方便を捨てる
法華経第一の巻の方便品には、「世尊の説く法は最後に至ってまさに真実の法を説き
たもう」とあり、また「正直に方便の教えを捨て、ただ無上真実の教えを説く」とも言
っている。さらに第五の巻の安楽行品には、「転輪聖王の髪の中にある宝の珠」
と言い、「この宝の珠はただ転輪聖王の頭の上だけにある」とも言い、「彼の強力な王
が、久しい間護持してきた宝珠を、今初めて与えよう」とも説かれている。
この経文の意味は、日本の国に仏教が渡来して、全部で7399巻もある。これらの経典は
※1
みな法華経に随順するものである。例えば日本国の男女の数が49億9万4828人あるが、
みな一人の国王の家来であるのと同様である。法華経以外のすべての経は、愚かな女人
のただ一時的な気安めのようなものである。例えば大塔を造るにあたって、まず材木を
立てるよりも、外側に足場といって多くの小さな木を集め、一丈二丈と組み上げていく
ことから始めるのである。こうして組み上げた足場を利用して、次に材木を立て組み合
わせて大塔を造っていくのである。大塔が出来上がると足場は取りはずして片付けてし
まうのである。ここで足場というのは一切経のことであり、大塔というのは法華経にあ
たる。
仏が一切経をお説きになられたのは、法華経をお説きになるための足場であったので
ある。「正直に方便を捨て」といわれているように、法華経を信ずる人は、阿弥陀経等
の南無阿弥陀仏や大日経等の真言宗、阿含経等の律宗でいう250戒等を切り捨て、なげ
うって後に法華経をたもっているのである。大塔を造るためには足場も大切であるが、
大塔が出来上がってしまえば、足場は切り落としてしまうものである。正直に方便の教
えを捨てるというのはこのことをいうのである。足場から塔はできていくのであるが、
塔を捨てて足場を拝む人はいないのと同じである。
今の世の信仰に篤いといわれるような人々は、もっぱら南無阿弥陀仏を唱えて一生を
すごし、南無妙法蓮華経と一返も唱えたことのない人はちょうど大塔を捨てて足場を拝
むような人々である。世間でよくいう「かしこいようで、おろかな人」というのはこう
した人のことである。(つづく)
たもう」とあり、また「正直に方便の教えを捨て、ただ無上真実の教えを説く」とも言
っている。さらに第五の巻の安楽行品には、「転輪聖王の髪の中にある宝の珠」
と言い、「この宝の珠はただ転輪聖王の頭の上だけにある」とも言い、「彼の強力な王
が、久しい間護持してきた宝珠を、今初めて与えよう」とも説かれている。
この経文の意味は、日本の国に仏教が渡来して、全部で7399巻もある。これらの経典は
※1
みな法華経に随順するものである。例えば日本国の男女の数が49億9万4828人あるが、
みな一人の国王の家来であるのと同様である。法華経以外のすべての経は、愚かな女人
のただ一時的な気安めのようなものである。例えば大塔を造るにあたって、まず材木を
立てるよりも、外側に足場といって多くの小さな木を集め、一丈二丈と組み上げていく
ことから始めるのである。こうして組み上げた足場を利用して、次に材木を立て組み合
わせて大塔を造っていくのである。大塔が出来上がると足場は取りはずして片付けてし
まうのである。ここで足場というのは一切経のことであり、大塔というのは法華経にあ
たる。
仏が一切経をお説きになられたのは、法華経をお説きになるための足場であったので
ある。「正直に方便を捨て」といわれているように、法華経を信ずる人は、阿弥陀経等
の南無阿弥陀仏や大日経等の真言宗、阿含経等の律宗でいう250戒等を切り捨て、なげ
うって後に法華経をたもっているのである。大塔を造るためには足場も大切であるが、
大塔が出来上がってしまえば、足場は切り落としてしまうものである。正直に方便の教
えを捨てるというのはこのことをいうのである。足場から塔はできていくのであるが、
塔を捨てて足場を拝む人はいないのと同じである。
今の世の信仰に篤いといわれるような人々は、もっぱら南無阿弥陀仏を唱えて一生を
すごし、南無妙法蓮華経と一返も唱えたことのない人はちょうど大塔を捨てて足場を拝
むような人々である。世間でよくいう「かしこいようで、おろかな人」というのはこう
した人のことである。(つづく)
【語註】
※1 49億9万4828人:これだけの人口があったということになるが、これはその当
時、一般にこのくらいの人口があると考えられていたものであろう。なお、当時
は10万をもって億としたといわれているので、49億は今日の490万に相当する
ともいう。
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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)
上野殿母尼御前御返事③
上野殿母尼御前御返事③
この法華経の始に無量義経と申す経おはします。譬ば大王の行幸の
御時、将軍前陳して狼藉をしづむるがごとし。その無量義経にいはく、
〔「四十余年には未だ真実を顕さず」〕等云云。これは将軍が大王に敵
する者を大弓をもつて射はらい、また太刀をもつて切りすつるがごと
し。
御時、将軍前陳して狼藉をしづむるがごとし。その無量義経にいはく、
〔「四十余年には未だ真実を顕さず」〕等云云。これは将軍が大王に敵
する者を大弓をもつて射はらい、また太刀をもつて切りすつるがごと
し。
華厳経を読む華厳宗・阿含経の律僧等・観経の念仏者等・大日経の
真言師等の者共が法華経にしたがはぬをせめなびかす利剣の勅宣な
り。譬ば貞任を義家が責め、清盛を頼朝の打ち失せしがごとし。無
量義経の四十余年の文は、不動明王の剣索、愛染明王の弓箭なり。
真言師等の者共が法華経にしたがはぬをせめなびかす利剣の勅宣な
り。譬ば貞任を義家が責め、清盛を頼朝の打ち失せしがごとし。無
量義経の四十余年の文は、不動明王の剣索、愛染明王の弓箭なり。
故南条五郎殿の死出の山、三途の河を越し給はん時、煩悩山賊・罪業
の海賊を静めて、事故なく霊山浄土へ参らせ給ふべき御供の兵者
は、無量義経の「四十余年未顕真実」の文ぞかし。
【現代語訳】
無量義経について
※1
この法華経のすぐ前に無量義経というお経がある。例えば大王の行列に先立って、将
軍が先に進み乱暴をしようとする者をしずめるようなものである。その無量義経の中に
「仏は最初に法を説かれてからこのかた四十余年になるが、いまだ方便の教えのみであ
って、真実の教えは説かれていない」とある。これは将軍が大王に敵対する者を、大弓
でもって射払い、また太刀をもって切り捨てるようなものである。
軍が先に進み乱暴をしようとする者をしずめるようなものである。その無量義経の中に
「仏は最初に法を説かれてからこのかた四十余年になるが、いまだ方便の教えのみであ
って、真実の教えは説かれていない」とある。これは将軍が大王に敵対する者を、大弓
でもって射払い、また太刀をもって切り捨てるようなものである。
華厳経を読む華厳宗の人々、阿含経による律の僧ら、観無量寿経を信仰する念仏
宗の人ら、あるいは大日経を信ずる真言宗の人師らなどが、法華経にしたがって信仰し
ないのを攻めなびかすための名刀であり勅宣である。例えば阿部貞任を源義家が攻めほ
ろぼし、平清盛を源頼朝が打ち破ったようなものである。無量義経の「四十余年」の文
は、ちょうど不動明王の剣と索であり、愛染明王の弓と箭にあたる。
亡くなられた南条五郎殿が、死出の山や三途の河を渡ろうとする時に、煩悩の山賊や
※2
罪業の海賊が出て来て妨害しようとするのをしずめて無事に霊山浄土へまいるように守
※3
るお供の兵士は、この無量義経の「四十余年いまだ真実をあらわさず」の文である。
(つづく)
【語註】
※1 無量義経:法華三部経の一つで開経といわれている。一法が展転して無量無辺の
義を生じるので無量義経と名づけたといわれる。1巻。徳行品第1、説法品第2、
十功徳品第3の三品からできている。とくに説法品の中で「四十余年にはいまだ
真実をあらわさず。この故に衆生の得道差別して、疾く無上菩提を成ずることを
得ず」とあり、日蓮聖人はこの経文に大きな意義を寄せているのである。
※2 霊山浄土:日蓮聖人によると仏が法華経を説かれた山であり、仏が常に住み給う
浄土であって、時間や空間を超越した純粋に宗教的な世界である仏国土のこと。
法華経の行者の究極の境地である。身延入山後は身延山をもって霊山浄土である
という考えを持たれるに至っている。
※3 四十余年未顕真実:無量義経の「四十余年いまだ真実をあらわさず」という経文
は、日蓮聖人にとってはとりわけ重要な経文として扱われている。法華経と諸経
との相違をこの経文によって論述されているのである。
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※2
罪業の海賊が出て来て妨害しようとするのをしずめて無事に霊山浄土へまいるように守
※3
るお供の兵士は、この無量義経の「四十余年いまだ真実をあらわさず」の文である。
(つづく)
【語註】
※1 無量義経:法華三部経の一つで開経といわれている。一法が展転して無量無辺の
義を生じるので無量義経と名づけたといわれる。1巻。徳行品第1、説法品第2、
十功徳品第3の三品からできている。とくに説法品の中で「四十余年にはいまだ
真実をあらわさず。この故に衆生の得道差別して、疾く無上菩提を成ずることを
得ず」とあり、日蓮聖人はこの経文に大きな意義を寄せているのである。
※2 霊山浄土:日蓮聖人によると仏が法華経を説かれた山であり、仏が常に住み給う
浄土であって、時間や空間を超越した純粋に宗教的な世界である仏国土のこと。
法華経の行者の究極の境地である。身延入山後は身延山をもって霊山浄土である
という考えを持たれるに至っている。
※3 四十余年未顕真実:無量義経の「四十余年いまだ真実をあらわさず」という経文
は、日蓮聖人にとってはとりわけ重要な経文として扱われている。法華経と諸経
との相違をこの経文によって論述されているのである。
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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)
上野殿母尼御前御返事②
弘安3年(1280)10月24日、59歳、於身延、和文
母が亡き七郎五郎の四十九日忌に当たり、供養の品を送って来たことに感謝しつつ、法華経を信じた亡夫と亡き子の成仏をあかし、また霊山浄土において最愛の人と再会するよう信心をすすめたもの。
南条故七郎五郎殿の四十九日御菩提のために送り給ふ物の日記の
事。鵞目両ゆひ・白米一駄・芋一駄・すりだうふ・こんにやく・柿一篭
・ゆ(柚)五十等云云。
御菩提の御ために、法華経一部・自我偈数度・題目百千返唱へ奉り
候畢ぬ。
そもそも法華経と申す御経は、一代聖教には似るべくもなき御経に
て、しかも「唯仏与仏」と説かれて、仏と仏とのみこそしろしめされて、
等覚已下、乃至凡夫はかなはぬ事に候へ。されば竜樹菩薩の大論に
は、「仏已下はただ信じて仏になるべし」と見えて候。
事。鵞目両ゆひ・白米一駄・芋一駄・すりだうふ・こんにやく・柿一篭
・ゆ(柚)五十等云云。
御菩提の御ために、法華経一部・自我偈数度・題目百千返唱へ奉り
候畢ぬ。
そもそも法華経と申す御経は、一代聖教には似るべくもなき御経に
て、しかも「唯仏与仏」と説かれて、仏と仏とのみこそしろしめされて、
等覚已下、乃至凡夫はかなはぬ事に候へ。されば竜樹菩薩の大論に
は、「仏已下はただ信じて仏になるべし」と見えて候。
法華経の第四法師品にいはく、〔「薬王今汝に告ぐ、我所説の諸経
あり。しかもこの経の中において、法華最も第一なり」〕等云云。第五
の巻にいはく、〔「文殊師利、この法華経は諸仏如来の秘密之蔵なり。
諸経の中において、最もその上に在り」〕等云云。第七の巻にいはく、
〔「この法華経もまたまた是のごとし。諸経の中において、最もこれそ
の上なり」〕。またいはく、〔「最もこれ照明なり。最もこれその尊
なり」〕等云云。
これらの経文、私の義にあらず。仏の誠言にて候へば、定てよもあ
やまりは候はじ。民が家に生れたる者、我は侍に斉しなんど申せば必
ずとが来る。まして我れ国王に斉し、まして勝れたりなんど申せば、我
身のとがとなるのみならず、父母と申し、妻子といひ、必ず損ずる事、
大火の宅を焼き、大木の倒るゝ時小木等の損ずるがごとし。
仏教もまたかくのごとく、華厳・阿含・方等・般若・大日経・
阿弥陀経等に依る人々の、我が信じたるまゝに勝劣も弁へずして、我が
阿弥陀経等は法華経と斉等なり、はたまた勝れたりなんど申せば、その
一類の人々は我が経をほめられ、うれしと思へども、還てとがとなりて
師も弟子も檀那も悪道に堕ること箭を射るがごとし。ただし法華経の一
切経に勝れりと申して候はくるしからず。環て大功徳となり候。経文の
ごとくなるがゆえなり。
供養のために法華経一部八巻と自我偈数回、題目を百千返唱え奉った。
阿弥陀経等に依る人々の、我が信じたるまゝに勝劣も弁へずして、我が
阿弥陀経等は法華経と斉等なり、はたまた勝れたりなんど申せば、その
一類の人々は我が経をほめられ、うれしと思へども、還てとがとなりて
師も弟子も檀那も悪道に堕ること箭を射るがごとし。ただし法華経の一
切経に勝れりと申して候はくるしからず。環て大功徳となり候。経文の
ごとくなるがゆえなり。
【現代語訳】
供養と廻向
亡くなられた南条七郎五郎殿の四十九日忌の御菩提のためとして、お布施のお金二結
いと、白米と芋を一駄ずつ、すり豆腐・こんにゃく・柿を一篭・柚子を五十個など届け
て頂き、たしかに受領した。
いと、白米と芋を一駄ずつ、すり豆腐・こんにゃく・柿を一篭・柚子を五十個など届け
て頂き、たしかに受領した。
供養のために法華経一部八巻と自我偈数回、題目を百千返唱え奉った。
法華経とはどんなお経か
これらの経文はみな私が勝手に言っているのではなく、すべて仏のまことの教えであ
るので、少しのあやまりもない。一般の庶民に生まれた者が、「私は侍と同じである」な
どと言えば、必ず罪を受けることになる。ましてや「私は国王と同じである」と言ったり
「国王より優れている」などと言えば、自分自身の罪だけではなく、父母を始め妻子にま
で必ず危害を受けることになるのは、ちょうど大火が宅を焼き、大木が倒れる時に、そば
にある小さな木などは一緒に折れてしまうようなものである。
仏教もまたこのように華厳・阿含・方等・般若・大日経・阿弥陀経等に依り所を求め
た人々が、自分の信じたままに経の勝劣もわきまえないで、「我が阿弥陀経等は法華経
と同じである」と言い、あるいはまた「法華経よりも優れている」などといえば、その
同じ類の人々は我が信ずる経をほめられて嬉しく思うけれども、かえってそれが罪とな
り、師も弟子も檀那も一連の者は悪道に落ち入ることは矢で的を射るように間違いない
ことである。逆に、法華経が一切の他の経よりも優れていると説き示すことは一向にさ
しつかえのないことである。むしろ大きな功徳となるのである。このことは経文に示さ
れる通りである。(つづく)
【語註】
※1 等覚:仏に等しい菩薩。すなわちあと一歩で仏になれるという菩薩のことであ
る。
※2 竜樹菩薩:150~250年頃。南インドの仏教学者。梵名ナーガールジュナ。初め
小乗を学んだが、のちに大乗を求め偉大な仏教の教学を樹立した。『大智度論』
・『中観論』などをはじめ著書も多く、「空」の思想を論理的に体系づけたこと
は有名。
※3 薬王菩薩:法華経の「薬王菩薩本事品第23」に説かれている。薬王菩薩が昔、
仏道を求めて苦行したときのことが記されている。わが身を燃して仏を供養した
という。
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そもそも法華経というお経は、仏一代の聖教の中では、他に類例のない立派なお経で
あって、しかも「ただ仏と仏のみ」と説かれているように、仏と仏のみがよく理解でき
※1
るのであって、仏以下の等覚ないし凡夫はとても簡単には理解できないものである。し
※2
たがって竜樹菩薩の大智度論には、「仏以下の者はただ信の力によってのみ仏に成れ
る」と記されている。
あって、しかも「ただ仏と仏のみ」と説かれているように、仏と仏のみがよく理解でき
※1
るのであって、仏以下の等覚ないし凡夫はとても簡単には理解できないものである。し
※2
たがって竜樹菩薩の大智度論には、「仏以下の者はただ信の力によってのみ仏に成れ
る」と記されている。
※3
法華経の第四巻法師品には「薬王、今汝に教えるが、数多く説かれてきたお経の中で、
この法華経が最も第一である」とあり、第五の巻安楽行品には、「文殊師利よ、この法
華経は諸仏如来の秘密の宝蔵であって、諸経の中でも最も上に位置するお経である」と
あり、さらに第七の巻の薬王品には、「この法華経もまたこのように諸経の中では最上
に位置するものである」と説かれており、また「最も明らかに照らし、この上なく尊い」
とも記されているのである。
法華経の第四巻法師品には「薬王、今汝に教えるが、数多く説かれてきたお経の中で、
この法華経が最も第一である」とあり、第五の巻安楽行品には、「文殊師利よ、この法
華経は諸仏如来の秘密の宝蔵であって、諸経の中でも最も上に位置するお経である」と
あり、さらに第七の巻の薬王品には、「この法華経もまたこのように諸経の中では最上
に位置するものである」と説かれており、また「最も明らかに照らし、この上なく尊い」
とも記されているのである。
これらの経文はみな私が勝手に言っているのではなく、すべて仏のまことの教えであ
るので、少しのあやまりもない。一般の庶民に生まれた者が、「私は侍と同じである」な
どと言えば、必ず罪を受けることになる。ましてや「私は国王と同じである」と言ったり
「国王より優れている」などと言えば、自分自身の罪だけではなく、父母を始め妻子にま
で必ず危害を受けることになるのは、ちょうど大火が宅を焼き、大木が倒れる時に、そば
にある小さな木などは一緒に折れてしまうようなものである。
仏教もまたこのように華厳・阿含・方等・般若・大日経・阿弥陀経等に依り所を求め
た人々が、自分の信じたままに経の勝劣もわきまえないで、「我が阿弥陀経等は法華経
と同じである」と言い、あるいはまた「法華経よりも優れている」などといえば、その
同じ類の人々は我が信ずる経をほめられて嬉しく思うけれども、かえってそれが罪とな
り、師も弟子も檀那も一連の者は悪道に落ち入ることは矢で的を射るように間違いない
ことである。逆に、法華経が一切の他の経よりも優れていると説き示すことは一向にさ
しつかえのないことである。むしろ大きな功徳となるのである。このことは経文に示さ
れる通りである。(つづく)
【語註】
※1 等覚:仏に等しい菩薩。すなわちあと一歩で仏になれるという菩薩のことであ
る。
※2 竜樹菩薩:150~250年頃。南インドの仏教学者。梵名ナーガールジュナ。初め
小乗を学んだが、のちに大乗を求め偉大な仏教の教学を樹立した。『大智度論』
・『中観論』などをはじめ著書も多く、「空」の思想を論理的に体系づけたこと
は有名。
※3 薬王菩薩:法華経の「薬王菩薩本事品第23」に説かれている。薬王菩薩が昔、
仏道を求めて苦行したときのことが記されている。わが身を燃して仏を供養した
という。
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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)
2018年3月に星稜高校を退職してから、暇にまかせて「世界史のミラクルワールド」「法華経」を綴ってきました。今年、70歳。あと何年、まともな状態でいられるかわかりませんが、人生の集大成として日蓮聖人の御遺文にチャレンジしてみようと思います。全文読破できるかわかりませんが、とりあえず、340通ほど残されているお手紙から。
なお、分類は『現代語 日蓮聖人の手紙』(石川教張編著・国書刊行会)、遺文・現代語訳は『昭和定本 日蓮聖人遺文』(身延山久遠寺発行)、『日蓮聖人全集』(春秋社)、『日蓮の手紙』(植木雅俊著・角川ソフィア文庫)を参考にしました。合掌
なお、分類は『現代語 日蓮聖人の手紙』(石川教張編著・国書刊行会)、遺文・現代語訳は『昭和定本 日蓮聖人遺文』(身延山久遠寺発行)、『日蓮聖人全集』(春秋社)、『日蓮の手紙』(植木雅俊著・角川ソフィア文庫)を参考にしました。合掌
上野殿後家尼御前御書①
弘安3年(1280)9月6日、59歳、於身延、和文
後家尼の子七郎五郎(上野=南条七郎次郎時光の弟)がわずか16歳で死去したことを悼み、母を慰め、法華経の信者であった、亡き七郎五郎の成仏の疑いないことを述べたもの。
南條七郎五郎殿の御死去の御事。
人は生まれて死するならいとは、智者も愚者も上下一同に知りて候
へば、始めてなげくべしをどろくべしとわをぼへぬよし、我も存じ、
人にもをしへ候へども、時にあたりてゆめかまぼろしか、いまだわき
まへがたく候ふ。
まして母のいかんがなげかれ候ふらむ。父母にも兄弟にもをくれは
てて、いとをしきをとこ(夫)にすぎわかれたりしかども、子どもあ
またをはしませば、心なぐさみてこそをはし候ふらむ。いとをしきて
こご(子)、しかもをのこご、みめかたちも人にすぐれ、心もかいが
いしくみへしかば、よその人々もすずしくこそみ候ひしに、あやなく
つぼめる花の風にしぼみ、満月のにわかに失せたるがごとくこそをぼ
すらめ。
まことともをぼへ候はねば、かきつくるそらもをぼへ候はず。またま
た申すべし。恐恐謹言。
九月六日 日 蓮 花押
上野殿御返事
追伸 この六月十五日に見奉り候ひしに、あはれ肝ある者かな、男なり
男なりと見候ひしに、また見候はざらん事こそかなしくは候へ。さは候
へども釈迦仏・法華経に身を入れて候ひしかば臨終目出たく候ひけり。
男なりと見候ひしに、また見候はざらん事こそかなしくは候へ。さは候
へども釈迦仏・法華経に身を入れて候ひしかば臨終目出たく候ひけり。
心は父君と一所に霊山浄土に参りて、手をとり頭を合わせてこそ悦ば
れ候ふらめ。あはれなり、あはれなり。
【現代語訳】
同悲と救済の心
南条七郎五郎殿がお亡くなりになられたということを伺いました。
人は生まれて死ぬものだということは、智者であろうと愚者であろうと、身分の高い
低いにかかわらず知っていますから、人が死んだからといって、その時にはじめて歎く
とか驚くとかするには及ばないものだということは、自分も承知しているし、人にも教
訓していますが、さて実際に、ご子息のご逝去に直面してみると、夢ではないか、幻で
はないかと気が顛倒してしまって分別を失っています。
この私でさえそのような心情なのですから、ましてお母さまのお歎きはどれほど深い
ことかとお察しいたします。あなたは、父母にも兄弟にもみな死に別れた上、いとしい
ご夫君をもお亡くしになりましたが、子どもがたくさんいらっしゃるので、それを心の
慰めとしていらっしゃったことでしょう。ところがこのたび、可愛いお子さん、しかも
男の子、容貌も人並みはずれて良く、心も頼りがいがあるように思われたので、周囲の
人たち誰もが末の楽しみなことだと見ていましたほどの、そんなすばらしいご子息をお
亡くしになって、まだ開きたての花が風に吹かれて無情にも萎れてしまったような、あ
るいは明るい満月が突然雲にかくれてしまったような、やりきれないお気持ちでいらっ
しゃることでしょう。
ことかとお察しいたします。あなたは、父母にも兄弟にもみな死に別れた上、いとしい
ご夫君をもお亡くしになりましたが、子どもがたくさんいらっしゃるので、それを心の
慰めとしていらっしゃったことでしょう。ところがこのたび、可愛いお子さん、しかも
男の子、容貌も人並みはずれて良く、心も頼りがいがあるように思われたので、周囲の
人たち誰もが末の楽しみなことだと見ていましたほどの、そんなすばらしいご子息をお
亡くしになって、まだ開きたての花が風に吹かれて無情にも萎れてしまったような、あ
るいは明るい満月が突然雲にかくれてしまったような、やりきれないお気持ちでいらっ
しゃることでしょう。
まだ本当のこととは思えませんので、そのことについて何かを申し上げる気持ちがお
こりません。いずれ心の整理がついてからお便りします。恐々謹言。
九月六日
日 蓮 花押
上野殿御返事
追伸 今年の六月十五日に、ご子息とお会いしました折、ああ気力にあふれた子だな、
男らしい、立派なものだ、と拝見しましたが、そのまま二度とお目にかかることができ
なくなってしまったことを悲しく思います。そうは申しましても、釈迦仏・法華経を信
仰していらっしゃったので、最期が安らかだったそうですね。霊魂はお父上のいらっし
ゃる霊山浄土においでになって、手を取り、顔を寄せ合ってお喜びなさることでしょう。
その場面を想像すると、しみじみとした感動が心の底から湧いてきます。
【解説】
後家尼の夫南条兵衛七郎は、幕府に仕えながら日蓮と巡り会うことによって、法華経
信仰に人生をまっとうした人で、駿河国(静岡県)富士郡上野郷に住んでいた所から、
上野殿とも称された。文永2年(1265)に病気で亡くなった。
その子には、亡父の跡を継承して日蓮に対する法華経の奉公を貫いた七郎次郎時光が
おり、その弟に七郎五郎がいた。
七郎五郎が誕生した時にすでに父は亡く、母の手一つで育てられた。弘安3年には、
熱原の法難に伴う前年来の迫害が和らいだこともあり、そのお礼のためであろう、6月
15日に、兄・時光と共に御供養を携えて身延の日蓮わ訪ねた。その3カ月後の9月に七
郎五郎が突然死去した。わずか16歳であった。
この知らせをうけた日蓮は、翌日、「まことに亡くなられたとも思えない」と、驚き
の気持ちを隠そうともせず、七郎五郎の死を悼みつつ、母の悲嘆に心をあわせる。「そ
の時に当たってみると夢や幻のように思われ、いまだに世の常であることを分別できな
い」。こういう日蓮はただひたすらに死の悲しみに身も心もおいている。人の定めであ
るとか、死ぬものだ、とか言って片づけてはいない。悟りすましていない。死は世の習
い、という人生の理が、死を直前にした時、信じられぬほどの驚きと悲哀をもたらすも
のであることを、日蓮は率直に語っている。
その時、世尊である正しく完全に覚られた尊敬されるべき釈迦牟尼如来は、その法座から立ち上がると、それらのすべての菩薩たちを一まとまりに集合させ、神通の顕現によって完成された右の掌で、それらの菩薩たちの右手をとって、その時、次のようにおっしゃられた。
「良家の息子たちよ、幾100・1000・コーティ・ナユタもの数え切れない劫をかけて達成したこの上ない正しく完全な覚りを、私は、あなたたちの手に託し、付嘱し、委ね、委嘱しよう。
良家の息子たちよ、その覚りが広く普及し、流布するように、そのようにあなたたちはなすべきである」
さらに再び、さらに三たびも、世尊は、右の掌で菩薩たちの右の手をとって、菩薩の群衆のすべてに対して次のようにおっしゃられた。
「良家の息子たちよ、幾100・1000・コーティ・ナユタもの数え切れない劫をかけて達成したこの上ない正しく完全な覚りを、私は、あなたたちの手に託し、付嘱し、委ね、委嘱しよう。
良家の息子たちよ、あなたたちは、この上ない正しく完全な覚りを会得し、受持し、読誦し、完全に理解し、説き示し、解説するべきであり、またすべての衆生に聞かせるべきである。
良家の息子たちよ、私は、嫉妬心がなく、とらわれた心がなく、畏れることのないブッダの知を与えるものであり、如来の知、独立自存するものの知を与えるものである。
「良家の息子たちよ、幾100・1000・コーティ・ナユタもの数え切れない劫をかけて達成したこの上ない正しく完全な覚りを、私は、あなたたちの手に託し、付嘱し、委ね、委嘱しよう。
良家の息子たちよ、その覚りが広く普及し、流布するように、そのようにあなたたちはなすべきである」
さらに再び、さらに三たびも、世尊は、右の掌で菩薩たちの右の手をとって、菩薩の群衆のすべてに対して次のようにおっしゃられた。
「良家の息子たちよ、幾100・1000・コーティ・ナユタもの数え切れない劫をかけて達成したこの上ない正しく完全な覚りを、私は、あなたたちの手に託し、付嘱し、委ね、委嘱しよう。
良家の息子たちよ、あなたたちは、この上ない正しく完全な覚りを会得し、受持し、読誦し、完全に理解し、説き示し、解説するべきであり、またすべての衆生に聞かせるべきである。
良家の息子たちよ、私は、嫉妬心がなく、とらわれた心がなく、畏れることのないブッダの知を与えるものであり、如来の知、独立自存するものの知を与えるものである。
良家の息子たちよ、私は大施主である。良家の息子たちよ、あなたたちも、嫉妬することなくまさに私から学ぶべきである。あなたたちは、このブッダの知見と卓越した巧みなる方便に達して、このブッダの知見と卓越した巧みなる方便を求めてやって来た良家の息子たちや、良家の娘たちにこの法門を聞かせるべきである。
また、常信を持たない衆生をこの法門において鼓舞するべきである。良家の息子たちよ、このようにして、あなたたちは、ブッダへの報恩をなすであろう。
世尊であり正しく完全に覚られた尊敬されるべき釈迦牟尼如来からこのように言われて、それらの偉大な人である菩薩たちは、大いなる喜悦と歓喜に満たされ、大いなる尊敬の念を生じて、釈迦牟尼如来のおられるところに向かって、体を屈め、体を曲げ、体を屈し、頭を下げ、合掌して、すべての菩薩たちは、釈迦牟尼如来に言葉を一つにして次のように申し上げた。
「世尊よ、私たちは、ブッダが命じられたように、そのようにいたしましょう。また、私たちは、すべてのブッダたちの命令を実行し、達成いたしましょう。世尊は、心配なさらないで、安楽に過ごしてください」
二度も、三度も、その菩薩の群衆のすべては、言葉を一つにして次のように申し上げた。
「世尊は、心配なさらないで、安楽に過ごしてください。世尊よ、私たちは、ブッダが命じられたように、そのようにいたしましょう。また、私たちは、すべてのブッダたちの命令を達成いたしましょう。
また、常信を持たない衆生をこの法門において鼓舞するべきである。良家の息子たちよ、このようにして、あなたたちは、ブッダへの報恩をなすであろう。
世尊であり正しく完全に覚られた尊敬されるべき釈迦牟尼如来からこのように言われて、それらの偉大な人である菩薩たちは、大いなる喜悦と歓喜に満たされ、大いなる尊敬の念を生じて、釈迦牟尼如来のおられるところに向かって、体を屈め、体を曲げ、体を屈し、頭を下げ、合掌して、すべての菩薩たちは、釈迦牟尼如来に言葉を一つにして次のように申し上げた。
「世尊よ、私たちは、ブッダが命じられたように、そのようにいたしましょう。また、私たちは、すべてのブッダたちの命令を実行し、達成いたしましょう。世尊は、心配なさらないで、安楽に過ごしてください」
二度も、三度も、その菩薩の群衆のすべては、言葉を一つにして次のように申し上げた。
「世尊は、心配なさらないで、安楽に過ごしてください。世尊よ、私たちは、ブッダが命じられたように、そのようにいたしましょう。また、私たちは、すべてのブッダたちの命令を達成いたしましょう。
すると、世尊である正しく完全に覚られた尊敬されるべき釈迦牟尼如来は、他の世界から一緒にやって来たそれらのすべての分身のブッダたちを帰らせられた。そして、安楽に過ごすように、それらの分身のブッダたちにおっしゃられた。
「正しく完全に覚った尊敬されるべき分身のブッダたちは、安楽に過ごすがよい」と。
釈迦牟尼如来は、その世尊である多宝というブッダのその宝石造りのストゥーパを、元あったその場所に帰して立たせ、その多宝という正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダにもまた、安楽に過ごすようにおっしゃられた。
世尊が、以上のことをおっしゃられると、他の世界からやって来て宝樹の根もとの獅子座に坐っていた無量で数えることもできないそれらの分身のブッダたちも、多宝というブッダも、その菩薩の群衆のすべても、また大地の裂け目から出現した上行をはじめとするそれらの無量で数えることもできない偉大な人である菩薩たちも、さらにはそれらの偉大なる声聞たちも、またそれらの四衆たちも、また神々や、人間、アスラ、ガンダルヴァに伴われた世間の人々も、心が満たされ、世尊の言われたことを聞いて歓喜した。
以上で、吉祥なる「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門の中の「付嘱の章」という名前の第27章が完結した。 (嘱累品第22おわり)
あらゆるものごとは、原因によって生じる。ブッダは、それらのあらゆるものごとの原因について説かれた。また、それらのあらゆるものごとの滅尽も説かれた。偉大なる沙門は、このように説かれる方である。
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普賢よ、〔恐るべき〕後の時代、後の状況において、後の500年が進行している時に、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を受持している男性出家者を見る人は、次のような心を生じるべきである。
『この良家の息子は、覚りの座に赴き、悪魔の所有する闘争の車輪に打ち勝ち、真理の車輪を転ずるであろう。この良家の息子は、法の太鼓を打ち鳴らし、法の螺貝 を吹き鳴らし、法の雨を降らせ、法の獅子座に登るであろう』
〔恐るべき〕後の時代、後の状況において、後の500年が進行している時、この法門を受持する男性出家者たちは、貪欲ではないであろう。衣を貪ることもなく、托鉢 用の鉢を貪ることもないであろう。それらの説法者たちは、正直であり、また、それらの説法者たちは、固定的な実体がなく(空 )、自性がなく(無相 )、欲望を離れている(無願 )という三種の解脱を得ているであろう。
また、それらの人たちには、現世と来世に福徳の果報が生ずるであろう。このような経を受持し、説法する男性出家者たちに困惑を及ぼすものたちは、来世に生まれつきの盲目となるであろう。また、このような経を受持する男性出家者たちに、非難の言葉を聞かせるものたちの身体は、実に現在において斑点を生ずるであろう。
このような経を書写する人に嘲笑をなし、軽蔑するものたちは、隙間 のある歯を持ち、歯がまばらとなり、醜い唇を持ち、扁平になった鼻を持ち、手足が逆につき、目が逆につき、悪臭を放つ身体を持ち、腫 れ物や、水泡、疥癬 、発疹、かゆみが全身に拡がるであろう。
このような経を書写する人たちや、経を読誦する人たち、経を受持する人たち、経を説き示す人たちに対して、真実であれ、不快な言葉を聞かせるものたちにとって、このことは甚だ重い悪業 であると知られるべきである。
それ故に、普賢よ、この法門を受持する男性出家者たちに対しては、遠くからでも立ち上がってブッダに対して尊敬がなされるように、そのようにまさにそれらの経を受持する男性出家者たちに対して、尊敬がなされるべきである」
さて、この「普賢菩薩による鼓舞の章」が、教示されているうちに、ガンジス河の砂の数に等しい偉大な人である菩薩たちにとって、幾100・1000・コーティ回も回転するダーラニーの獲得があった。
以上が、聖なる「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門の中の「普賢菩薩による鼓舞の章」という名前の第26章である。(普賢菩薩勧発品第28おわり)
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しかし、世尊よ、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門が、このジャンブー州(閻浮提 :人間の住む世界)において流布 し、偉大な人である菩薩たちが、その法門を手中のものとするならば、それらの説法者たちは、世尊よ、次のように知られるべきです。
『普賢という偉大な人である菩薩の威神力によって、また、普賢という偉大な人である菩薩の威光によって、この法門は私たちの手中にあるのだ』と。
世尊よ、それらの衆生は、普賢という菩薩の修行を得たものとなるでありましょう。また、それらの衆生は、多くのブッダたちのもとで善い果報をもたらす立派な行ないを積んだものとなるでありましょう。さらに、世尊よ、それらの衆生は、ブッダの手で頭をなでられたものとなるでありましょう。
世尊よ、この経を書写し、受持するならば、私のために喜ばしい行為をなしているのであります。この経を受持する人たち、またこの経の意味を覚る人たちは、世尊よ、この経を書写して後、この世で死んで、三十三天の神々たちの仲間として生まれて来るでありましょう。そして、生まれると同時に、これらの人たちに8万4000の天女が近づくでありましょう。それらの人たちは、神々の子となり、太鼓の大きさの宝冠をかぶって、それらの天女たちの真ん中に住するでありましょう。
世尊よ、この法門を書写して後に、福徳の集合はこのようなものであります。ましてや、この法門を解説 し、一人で暗誦 し、思索し、心に留める人たちは、言うまでもないことであります。それ故に、世尊よ、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門は、尊敬され、全精神を傾けて書写されるべきものであります。
心を散乱せずに、心を込めてこの経を書写する人には、1000ものブッダたちが手を差し伸べるであろうし、また、臨終の時には、1000ものブッダたちがこの人の面前に出現するでありましょう。また、悪しき境遇に陥ることはないでありましょう。
その人はこの世で死んで、兜率天 (トゥシタ天)の神々たちの仲間として生まれるでありましょう。そこには、その偉大なる人である弥勒菩薩がいて、32種類の勝れた身体的特徴を具え、菩薩の群衆に囲まれ、幾100・1000・コーティ・ナユタもの天女たちに敬われて法を説き示すでありましょう。
それ故に、世尊よ、良家の息子であれ、良家の娘であれ、賢者は、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を敬って書写し、敬って解説すべきであり、敬って暗誦すべきであり、敬って心に留めるべきであります。世尊よ、この法門を書写し、解説し、独りで暗誦し、修行し、心に留めて後に、その賢者にはこのような無量の威徳が生ずるでありましょう。
それ故に、世尊よ、良家の息子であれ、良家の娘であれ、その賢者は、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を受持するべきであります。〔それによって、〕その人には、それほど多くの功徳と称讃があるでありましょう。それ故に、世尊よ、この法門が私の加護によってこのジャンブー州に流布するように、世尊よ、私もまた、まず初めにこの法門を加護することにいたしましょう」と。
すると、その時、世尊である正しく完全に覚られた尊敬されるべき釈迦牟尼如来は、普賢という偉大な人である菩薩に感嘆の言葉を発せられた。
「素晴らしいことである。素晴らしいことである。普賢よ、あなたは、まさにここで、確かに、このように多くの人々の安寧のために、多くの人々の幸福のために、世間の人々に対する憐みのために、衆生の大集団の利益と安寧、幸福のために約束をした。またこのように、考えることもできない勝れた本性を具え、偉大なる憐みに支配された高潔な心によって、また不可思議なことに支配された決意によって、そのあなたは、まさに自発的にそれらの説法者たちのために加護をなした。
誰であれ、普賢という偉大な人である菩薩の名前を心にたもつ良家の息子たちは、私、釈迦牟尼如来に会ったことになると、知られるべきである。それらの人たちは、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を、その釈迦牟尼世尊のもとで直接、聞いたことになるのであり、釈迦牟尼如来に供養したことになるのであり、さらに釈迦牟尼如来が法を説き示している時、『素晴らしいことです』という感嘆の言葉をブッダが発せられることになると知られるべきである。それらの人たちは、この法門を是認して受け容れたことになるであろう。釈迦牟尼如来によって、それらの人たちの頭の上に手が置かれたことになるであろう。また、それらの人たちによって、釈迦牟尼世尊は衣で覆われたことになるであろう。
また、このような経を聞いたり、書写したり、受持したり、読誦したりして後、それらの人たちには、この経を聞き、書写し、受持し、読誦すること以外の他のことは、快いものではなくなるであろう。それらの衆生は、生まれつきの徳を具えているものたちであると知られるべきである。それらの人たちには、個々人に賢明な心の働きが具わっているであろう。それらの衆生は、自己の福徳の力を所持しているものたちであるし、また、それらの衆生は、他の衆生にとって見るも喜ばしいものとなるであろう。
普賢よ、良家の息子たちであれ、良家の娘たちであれ、それらの人たちは、ブッダの教えを受け容れたものたちであると知られるべきである。それらの人たちには、ローカーヤタ(順世外道)に傾倒することはないであろうし、それらの人たちにとって、詩書に専念している衆生は快くないものたちであり、舞踏者や、力士、格闘家たちも快くないものたちであり、酒を売るもの、羊の肉を売るもの、鶏の肉を売るもの、豚肉を売るもの、淫売のために女性を抱えているもの(淫売屋の主人)たちといった衆生は、それらの人たちにとって、快いものではないであろう。
このような経を受持する男性出家者たちを、貪愛・憎悪・迷妄〔すなわち、貪欲 ・瞋恚 ・愚痴 の三毒 〕や、嫉妬、もの惜しみ、他人を軽蔑すること、自分を自慢すること、増上慢、誤った自負が、煩 わせることはないであろう。また、普賢よ、それらの説法者たちは、自分で得たものに満足している(小欲知足)であろう。(つづく)
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