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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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命は第一の宝 富城殿女房尼御前御書

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

富城殿女房尼御前御書ときどのにょうぼうあまごぜんごしょ

弘安3年(1279)11月25日、58歳、於身延、和文

 恩ある富木尼が病気であることを気づかい、命を永らえるよう祈ることを勧めている。

 いよ(伊予)房は学生がくしょうになりて候ふぞ。つねに法門きかせ給ひ候

へ。

 はるかにみまいらせ候はねば、をぼつかなく候ふ。

 たうじ(当時)とてもたのしき事は候はねども、むかしはことにわび

しく候ひし時より、やしなわれまいらせて候へば、ことにをん(恩)を

もくをもひまいらせ候ふ。それについては、いのちはつるかめのごと

く、さ
いわいは月のまさり、しを(潮)のみつがごとくとこそ、法華経

にはいのりまいらせ候へ。

 さてはえち(越)後房・しもつけ房と申す僧をいよどのにつけて候ふ

ぞ。しばらくふびんにあたらせ給へと、とき殿には申させ給ふ。恐恐謹

言。

十一月二十五日                   
日 蓮 花押

富城殿女房尼御前

【現代語訳】
法華経への祈りーいのちは鶴亀のごとく

 ※ 1予房日頂はもう学僧になりましたよ。ですから、怠らずに法門をご聴聞なさいます

ように。

 久しくお目にかかっておりませんので、その後、お身体のお具合いはいかがかと気が

かりです。

 私は、現在といっても別に安楽に暮らしているわけではありませんが、以前、ことに

苦難の生活を強いられていた時からあなたには引き続きご供養を受けておりますので、

ことさらに重いご恩を感じております。それにつけても、あなたのお身体について、寿

命は鶴や亀のように長く保ち、幸いは月が明るさを増し潮が満ちていくようにと、法華

経にお祈り申し上げています。

 さて、このたび、※ 2後房と※ 3野房という門弟を伊予殿につけてうかがわせます。この

二人は※ 4原の法難によって身をひそめているものですから、しばらくの間、面倒をみて

いただきたいと、ご夫君によろしくお願い申し上げてください。恐恐謹言。


十一月二十五日                         
日 蓮  花押

富城殿女房尼御前

【語註】

 ※1 
伊予房日頂:富木常忍は。妻が早世し、父の蓮忍も早く亡くなった。90歳の長
           寿を全うする老母と暮らしているところへ、子連れの女性を後妻に迎えた。この
           手紙の相手が、その後妻に入った尼御前であり、常忍の養子となった連れ子が幼
           い時に真間弘法寺(当時は天台宗)に入って出家し、のちに六老僧の一人となっ
           た日頂である。日蓮の佐渡配流期にも、身延隠棲期にも常に側にあって給仕・修
           学に勉めた。この時、28歳であった。

 ※2 越後房:駿河国富士郡下方の天台宗瀧泉寺の僧で、日興の教化により日蓮の門下
           に加わった日弁のこと。瀧泉寺にあって、下野房日秀とともに当地方に日蓮の教
           えを広め、熱原【あつわら】郷を中心に熱烈な信徒集団を結成したので瀧泉寺院
           主代平左近入道行智から弾圧された。その最も激しかった弘安2年(1279)の熱
           原法難の際には、日蓮は日弁を日秀ともども下総へ避難させている。

 ※3 下野房:駿河国の天台宗瀧泉寺の僧で日弁と行動をともにした日秀のこと。

 ※4 熱原の法難:弘安2年(1279)9月、駿河国富士郡熱原(現・富士市の一部)で
           日蓮門下の農民たちに加えられた弾圧。この法難では、百姓熱原神四郎ら20名
           が捕らえられて鎌倉に送られ、うち3名は斬首、他は禁獄の刑を受けた。指導者
           の日弁と日秀は下総の富木常忍のもとへ難を避けた。

【解説】

 この手紙は、富城殿御返事と日付が同じであり、富木常忍への手紙と同時に、尼御前

にも認められたものと考えられている。日弁・日秀を熱原の法難から避難させるため、

日頂が2通の手紙を預かり、下総に向かったのと考えられる。

 冒頭の2行は、追伸として後から書き込んだもので、日頂が学徳を備えた学生になっ

たことを知らせ、日頂を師として法門を聞くように述べているが、わが子が日蓮より大

きな期待を寄せらていることを聞いて、尼御前の喜びはいかばかりであっただろうか。

 「いのちはつるかめのごとく」と言われているのも、尼御前の長寿を願われての激励

である。さらに、たんに長寿を願うのみではなく、月が満ちて光を増し、潮がひたひた

と満ちてくるように、幸せに満ちみちた生涯であるようにとの思いも込められている。

 日蓮のこうした激励・祈りもあり、尼御前は病気がちではあったが、
信仰の功徳によ

このあと20年以上も生き、嘉元元年(1303)11月1日まで長生きしたと伝えられてい

る。

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【 2023/10/31 05:44 】

命は第一の宝  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

厄と功徳 太田左衛門尉御返事⑤

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

太田左衛門尉御返事おおたさえもんのじょうごへんじ

 しかるに、かくのごとき大事の義理のもらせ給う御経を書いて進ら

せ候えば、いよいよ信を取らせ給うべし。勧発品かんぼっぽんに云わく「まさに起っ

て遠く迎うべきこと、当に仏を敬うがごとくすべし」等云々。安楽行品

に云わく「諸天は昼夜に、常に法のための故に、しかもこれを衛護すない

天の諸の童子は、もって給使をなさん」等云々。譬喩品ひゆほんに云わく「そ

の中の衆生は、ことごとくこれ吾が子なり」
等云々。法華経の持者は教

主釈尊の御子なれば、いかでか梵天・帝釈・日月・衆星も昼夜朝暮に守

らせ給わざるべきや厄の年災難を払わん秘法には法華経に過ぎず

たのもしきかな、たのもしきかな。


 さては、鎌倉に候いし時は細々こまごま申し承り候いしかども、今は遠国に居

住候によって、面謁めんえつを期すること、さらになし。されば、心中に含みた

ることも、使者・玉章にあらざれば、申すに及ばず。歎かし、歎かし。


 当年の大厄をば、日蓮に任せ給え。釈迦・多宝・十方分身の諸仏の法

華経の御約束の実・不実は、これにて量るべきなり。またまた申すべく

候。


弘安元年戊寅四月二十三日               日蓮 花押

 太田左衛門尉殿御返事


【現代語訳】

法華経による除災

 このように大事な教えのこもっているお経を書いてさしあげたのであるから、いよい

よ信心を強くなされるがよい。勧発品に「法華経の行者を、って遠くまで出迎え、仏

を敬うようにせよ」とある。安楽行品には「諸天善神が昼夜の別なく、常に法のために

法華経の行者を守る、また天の諸々の童子が給使する」とあり、譬喩品に「今この世界

の人々は悉くこれわが子である」と説かれている。法華経を持つ者は、教主釈尊の御子

であるから、どうして梵天・帝釈、日月・多くの星も昼夜、朝暮に守らないことがあろ

うか。厄の年、災難を払う秘法は、法華経に過ぎたるものはない。たのもしきかな。た

のもしきかな。

 かつて鎌倉にいた時は、こまごま話を承ったが、今は遠い国に居住しているため、お

目にかかることもさらに期待できない。それ故、心中に思っていることも、使いや手紙

でなければ言うこともできなくなってしまった。嘆かわしい。嘆かわしい。今年のあな

たの大厄を日蓮に任せなさい。釈迦・多宝・十方分身の諸仏が、法華経においてお約束

されたことが、真実か真実でないかは、あなたのこの厄年による病を払い除けられるか

どうかで推し測ることができるのである。またまた申したい。

弘安元年戊寅四月二十三日                     日 蓮 花押

太田左衛門尉御返事


【解説】

 太田左衛門尉は大田乗明じょうみょうのこと。問注所の役人を務め、その役職名から左衛門尉ま

たは金吾と呼ばれていた。

 日蓮は松葉ケ谷まつばがやつの法難のあと一時難を逃れ、下総の富木常忍のもとに身を寄せている

が、この時、富木邸の近隣に在住していた乗明は、初めて日蓮の化導に浴している。乗

明の先祖は、高野山に大塔を供養するほど熱心な真言家であり、乗明もこれを継承して

いたが、やがてこれを捨てて、日蓮に帰依した。

 法華経の強信者であった乗明でも、病に冒され、気が弱くなることがあった。なかで

も弘安元年正月から4月頃にかけて煩わずらった病は相当重く、身心ともにたいへんに

苦しんだため、乗明は日蓮に供養の品を送り、自身の57歳の厄払いを願い出た。それ

に対して、日蓮が励ましの言葉を綴ったのがこの手紙である。その大半が、真言・天台

の人師の説について批判を下し、時には十二因縁について語り、また寿量品の要旨につ

いての解説であり、乗明の仏教理解がかなり深いものであったことが推測できる。

 日蓮は切々と苦しみを訴える乗明に、身心の病を癒やす大良薬として、「法華経」を

授けた。日蓮自身の全精神をこめつつ方便・寿量の二品を書写して、この所持を勧め

厄を日蓮にまかせよと息災治病の信心を指し示した病を治して人を救い、法華経救済を

日常生活に実現していくために心を砕いた日蓮の姿をあらわすものである。

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【 2023/10/28 05:40 】

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厄と功徳 太田左衛門尉御返事④

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

太田左衛門尉御返事おおたさえもんのじょうごへんじ

  華厳・真言の元祖、法蔵・澄観、善無畏・金剛智・不空等が、釈尊一

代聖教の肝心なる寿量品の一念三千の法門を盗み取って、本より自らの

依経に説かざる華厳経・大日経に一念三千有りと云って取り入るる程の

盗人にばかされて、末学まつがく深くこの見を執す。はかなし、はかなし。結句

は、真言の人師云わく「争って醍醐を盗んで各自宗に名づく」云々。ま

た云わく「法華経の二乗作仏・久遠実成は無明の辺域、大日経に説くと

ころの法門は明の分位なり」等云々。華厳の人師云わく「法華経に説く

ところの一念三千の法門は枝葉、華厳経の法門は根本の一念三千なり」

云々。これ、跡形も無き僻見なり。真言・華厳経に一念三千を説きたら

ばこそ、一念三千という名目をばつかわめ。おかし、おかし。亀毛・兎

角の法門なり。

 正しく久遠実成の一念三千の法門は、前四味ならびに法華経の迹門しゃくもん

十四品まで秘せさせ給いてありしが、本門・正宗に至って、寿量品に説

き顕し給えり。この一念三千の宝珠をば、妙法五字の金剛不壊ふえの袋に入

れて、末代貧窮の我ら衆生のために残し置かせ給いしなり。正法・像法

に出でさせ給いし論師・人師の中に、この大事を知らず。ただ竜樹・天

親こそ心の底に知らせ給いしかども、色にも出ださせ給わず。天台大師

は玄・文・止観に秘せんと思しめししかども、末代のためにや、止観十

章・第七正観の章に至ってほぼ書かせ給いたりしかども、薄葉に釈を設

けてさて止み給いぬ。ただ理観の一分を示して、事の三千をば斟酌しんしゃく

給う。彼の天台大師は迹化しゃっけの衆なり。この日蓮は本化ほんげの一分なれば、盛

んに本門の事の分を弘むべし。

【現代語訳】

 
華厳の元祖である法蔵・澄観や真言の元祖たる善無畏・金剛智・不空等が、釈尊一代

の聖なる教えの肝心かなめである寿量品の一念三千の法門を盗みとって、もともと自分

たちが拠り所とする華厳経・大日経には説いてなかったのに、一念三千がある、と言っ

て取り入れたのである。これほどのことをした盗人にだまされて、その末学の者は深く

この邪見に執われてきている。浅はかなことだ。その結果、真言の人師である弘法大師

は、「争って大日経の醍醐味を盗んで、それぞれ自分の信ずる宗に名づけたものだ」と

か、また、「法華経の二乗作仏(声聞・縁覚が成仏することを説く)・久遠実成(仏の

寿命の永遠さ)は無明の辺地を説いたもので、大日経に説かれる法門は成仏を明かした

もの」などと言っているのである。
 
 また華厳の人師である澄観は「法華経に説いている一念三千の法門は枝葉であり、

華厳経の法門に示す一念三千が根本である」などと言っている。これらは、まったく跡

形さえない誤った考えである。真言・華厳経に一念三千を説いているならば、一念三千

という名目を使ってもよかろうが、まったく無いものをあるように言うのはおかしなこ

とだ。まことにおかしい。亀に毛がはえており、兎に角があるというような亀毛兎角きもうとかく

法門である。

 まさしく久遠実成の一念三千の法門は、華厳阿含方等般若の四経ならびに法華経

迹門十四品までは内密に秘められてきたものである。それを法華経本門の正意を明かす

段階に至って寿量品を説き表わされ、この一念三千の宝珠を、妙法蓮華経の五字という

金剛のように壊れることのない袋に入れて、末代の心貧しきわれら衆生のために残しお

かれたのである。

 正法像法に出られた論師人師の中で、この大事な法門を知るものはいない。ただ、

竜樹天親の二人だけは心の底では知っていたけれども、外に向けては説かれなかっ

た。天台大師は、法華玄義・法華文句・摩訶止観の三大部を説き、その中に秘めておこ

うと考えられたけれども、末代の者のためにと、止観の第10章、第7正観の章に至って

この法門をほぼ書かれたのである。しかし、薄葉に解釈をするだけでとり止められた。

ただ、の一念三千(一念のうちに十界をそなえる人間の心を観つめることによって、

仏となる可能性を示す理念)を少しばかり示して、の一念三千(仏による衆生救済の

約束と実践)は配慮して書かれなかった。かの天台大師は、迹門の教えで教化された人

である。この日蓮は、本門の教化を受けたなかの一人であるので、盛んに法華経本門の

実践的教説である事の一念三千を弘めているのである。(つづく)

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【 2023/10/26 05:46 】

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厄と功徳 太田左衛門尉御返事③

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

太田左衛門尉御返事おおたさえもんのじょうごへんじ

 この方便品と申すは、迹門しゃくもんの肝心なり。この品には、仏十如じゅうにょ実相じっそう

の法門を説いて十界の衆生の成仏を明かし給えば、舎利弗等はこれを聞

いて無明の惑を断じ、真因の位に叶うのみならず、未来華光如来と成っ

て成仏の覚月を離垢世界の暁の空に詠ぜり。十界の衆生の成仏の始めは

これなり。当時の念仏者・真言師の人々、成仏は我が依経に限れりと深

く執するは、これらの法門を習学せずして、「いまだ真実を顕さず」の

経に説くところの名字ばかりなる授記を執する故なり。

 貴辺は、日来ひごろはこれらの法門に迷い給いしかども、日蓮が法門を聞い

て、賢者なれば本執をたちまちにひるがえし給いて、法華経を持ち給うのみ

ならず、結句は身命よりもこの経を大事と思しめすこと、不思議が中の

不思議なり。これはひとえに今のことにあらず。過去の宿縁開発せるに

こそ、かくは思しめすらめ。有り難し、有り難し。

 次に寿量品と申すは、本門の肝心なり。またこの品は、一部の肝心、

一代聖教しょうきょうの肝心のみならず、三世の諸仏の説法の儀式の大要なり。教

主釈尊、寿量品の一念三千の法門を証得し給うことは、三世の諸仏と内

証等しきが故なりただしこの法門は釈尊一仏の己証のみにあらず

諸仏もまたしかなり。我ら衆生の無始已来六道生死の浪に沈没せしが、

今、教主釈尊の所説の法華経にい奉ることは、乃往ないおう過去にこの寿量品

の久遠実成の一念三千を聴聞せし故なり。有り難き法門なり。


【現代語訳】

方便品・寿量品の大切さ

 この方便品というのは、法華経の迹門(人々を救う仏の足跡をのべた法華経前半の14

品)の中の肝心かなめである。この方便品には、仏が諸法の真実の相を十如にわける、

十如実相の法門を説いて十界(地獄餓鬼畜生修羅声聞縁覚菩薩仏)

の衆生が成仏することを明らかにされた。それで、舎利弗等はこれを聞いて無明煩悩の

迷いを無くし、仏となれる最初の段階に達し得たのみならず、未来には華光如来となっ

成仏の覚月は煩悩の垢を離れし世界の暁の空に輝けりと詠じたのであるこれが、

十界の衆生が成仏する始めである。

 現在の念仏者や真言師の人々が、成仏は自分たちの拠り所とする経に限るなどと深く

思い込んで固執するのは、これらの法門を習学せずに、「40余年間の経にはいまだ真実

を表わさない」経に説く名ばかり文字ばかりの授記(成仏の証明)の言葉に執われてい

るためである。

 あなたは、日頃はこれらの法門に迷われていたけれども、日蓮の法門を聞いて、賢者

だから、たちまちに今まで執われていた誤った考えをひる返されて、法華経を信じたも

つのみならず、ついには身命よりもこの法華経を大事と思われるようになった。この事

は不思議の中の不思議である。これはまったく、今生の事によるものではない。過去の

世で結んだ宿縁がこの世で開発されたことによって、このように思われるようになった

のであろう。まことにあり難い、あり難きことである。

 次に寿量品というのは、法華経本門(仏の生命の永遠さをあかす法華経後半の14品)

の肝心かなめである。この寿量品は、法華経一部ぜんたいの肝要の心であり、釈尊が一

代にわたって説かれた聖なる教えすべての肝要の心であるのみならず、三世の諸法が説

法される儀式の大要なのである。教主釈尊が、寿量品の示す一念三千の法門(永遠なる

仏に抱かれる衆生救済の心)を悟り得られたことは、三世の諸仏が心の内に悟ったもの

と等しかったためである。ただし、この法門は釈尊一仏が自己のうちに悟ったのみでは

なく、諸仏もまたこの悟りを得たのである。

 われら衆生は、はるか昔よりこのかた六道(地獄より天にいたる世界)における生死

の海の波の中に沈没してきたが、今経主釈尊の説かれた法華経に値いたてまつることが

できたのは、昔、過去の世において、この寿量品の説く、仏のいのちの永遠さを信じる

ことによって凡夫もまた久遠に生きられるという一念三千の法門を聴聞したことがあっ

たためである。まことにあり難き法門である。(つづく)





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【 2023/10/24 05:38 】

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厄と功徳 太田左衛門尉御返事②

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

太田左衛門尉御返事 おおたさえもんのじょうごへんじ
 
 
御辺ごへんは「今年は大厄」と云々。昔、伏羲ふくぎ御宇ぎょうに、黄河と申す河より

亀と申す魚、八卦はっけと申す文を甲に負って浮かび出でたり。時の人、この

文を取り挙げて見れば、人の生年より老年の終わりまで厄の様を明かし

たり。厄年の人の危うきことは、少なき水に住む魚をとびからすなんどが伺

灯の辺りに住める夏の虫の火の中に入らんとするがごとくあやう

鬼神ややもすれば、この人の神を伺いなやまさんとす。神内と申す

時は、諸の神、身に在って、万事心に叶う。神外と申す時は、諸の神、

識の家を出でて万事を見聞するなり。当年は、御辺は神外と申して、諸

の神他国へ遊行すれば、慎んで除災得楽を祈り給うべし。また木性の人

にてわたらせ給えば、今年は大厄なりとも、春夏のほどは何事かわたら

せ給うべき。至門性経に云わく「木は金に遇って抑揚し、火は水を得て

光滅し、土は木に値って時にせ、金は火に入って消え失せ、水は土に

遇って行かず」等云々。指して引き申すべき経文にはあらざれども、予

が法門は、四悉檀ししつだんを心に懸けて申すならば、あながちに成仏の理に違わ

ざれば、しばらく世間普通の義を用いるべきか。

 しかるに、法華経と申す御経は、身心の諸病の良薬なり。されば、経

に云わく「この経は則ちこれ閻浮提えんぶだいの人の病の良薬ろうやくなり。もし人病有ら

んに、この経を聞くことを得ば、病は即ち消滅して、不老不死ならん」

等云々。また云わく「現世安穏にして、後に善処に生ず」等云々。また

云わく「諸余しょよ怨敵おんてきは、みな摧滅さいめつす」等云々。取り分け奉る御守りの

方便品・寿量品、同じくは一部書いて進らせたく候えども、当時は去り

難きひまども入ること候えば、略して二品奉り候。相構えて相構えて、御

身を離さず、重ねつつみて御所持あるべきものなり。

【現代語訳】
 あなたは、今年は大厄だという。昔、中国の※ 1犠の時代に、黄河という河より亀とい

う魚が、八卦という文を甲羅に背負って浮き出た、その時の人が、この文を取り上げて

みれば、人の生まれた年より年老いて死ぬまでの厄の有様を明らかにしてあった。厄年

の人の危険な事は、少ししか水のない所に住む魚を、鳶や烏などが捕ろうとうかがい、

燈の近くに住む夏の虫が火の中に入ろうとするように危うい状態にある。鬼神がややも

すれば、この人の魂を悩まそうとうかがっている。「神内」という時は、諸々の神がそ

の人の体にいて、万事心にかなうようになる。「神外」という時は、諸々の神は意識の

家から外に出て万事を見たり聞いたりすることである。今年、あなたは、「神外」とい

って諸々の神が他国へ遊行して、あなたの身から離れているから、つつしんで除災得楽

を祈られるがよい。

 また、あなたは本性の人であるから、今年は大厄に当たっているけれども、春夏の間

は何事もない。至門性経には「木は金にあうと抑揚し火は水に消え土は木にあって瘦

金は火に入ると消え失せ、水は土にあうと流れない」と相性のことが書かれている。

さして大切に引用して言うべき経文ではないけれども、私の法門は人々を教え導く4つ

の法施の方法(時代・個人への対応・邪悪打破・真実の第一義の教化)を心がけて言う

ことであるから、しいて成仏の道理に違わなければ、しばらく世間普通の内容を用いる

のである。

 しかしながら、法華経というお経は、身体と精神の諸々の病気に効く良薬である。だ

から、法華経には「この経はすなわち世界の人の病の良薬である。もし人が病んだ時、

この経を聞くことを得れば、病はたちまち消滅して不老不死になる」などと説かれてい

る。また、「現世は安穏にして後生は善処に生まれる」とある。さらに、「あらゆる一

切の怨敵が皆悉く滅びる」ともある。取り分けてお守りとして方便品・寿量品を書いて

差し上げた。同じことなら法華経一部を書いて差し上げたいと思っていたけれども、現

在は大事な用もあり、時間もかかるので、略して二品を書き送った。必ず必ず身から離

さず、つつみ重ねて大切に所持してもらいたい。

【語註】

 ※1 伏犠:中国神話の三皇の一人。蛇身人面,牛首虎尾で、八卦をつくり、漁猟法を
          民衆に教えた聖王。

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【 2023/10/21 05:32 】

厄と功徳  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

厄と功徳 太田左衛門尉御返事①

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

太田左衛門尉御返事おおたさえもんのじょうごへんじ

弘安元年(1278)4月23日、57歳、於身延、漢文

 厄のため(ここでは57歳を厄に入れている)病気がちであると嘆く太田左衛門尉に対し、厄の危険なことを示し、方便品、寿量品を書いて除災の守りとして送り、災難をはらう秘法は法華経にすぎるものはないと説いて信心を勧めた。大厄を日蓮に任せよという日蓮の師としての姿勢と成仏の教えに違わぬ限りにおいて世間の常識、慣習を用いるという考えを知ることができる。

 当月十八日の御状、同じき二十三日の午の剋ばかりに到来す。やがて

拝見仕り候いおわわんぬ。御状のごとく、御布施、鳥目十貫文・太刀・おう

一本・焼香二十両、給ひ候。

 そもそも、専ら御状に云わく「spれがし、今年は五十七にまかり成り候え

ば、大厄の年かと覚え候。なにやらんして正月の下旬の比より卯月のこ

の比に至り候まで、身心に苦労多く出来 しゅったい候。本より、人身を受くる者

は必ず身心に諸病相続して五体に苦労あるべしと申しながら、更に」

云々。

 このこと最第一の歎きのことなり。十二因縁と申す法門あり。意は、

我らが身は諸苦をもって体となす。されば、先世に業を造る故に諸苦を

受け、先世の集まれる煩悩が諸苦を招き集め候。過去の二因、現在の五

果、現在の三因、未来の両果とて、三世次第して一切の苦果を感ずるな

り。在世の二乗が、これらの諸苦を失わんとて、空理に沈み灰身滅智けしんめっち

、菩薩の勤行精進の志を忘れ、空理を証得せんことを真極と思うな

り。仏、方等ほうとう
の時、これらの心地を弾呵 たんかし給いしなり。しかるに、しょう

をこの三界に受けたる者、苦を離るる者あらんや。羅漢の応供 おうぐすら、な

おかくのごとし。いわんや底下 ていげの凡夫をや。さてこそ、いそぎ生死を離

るべしと勧め申し候え。これら体の法門はさて置きぬ。


【現代語訳】

 病気と厄年

 今月18日のお手紙が同じ23日の12時頃に届き、すぐに拝見した。お手紙にあるよう

に、お布施として銭10貫文と太刀、および扇1本、焼香20両をいただいた。

 お手紙には特に、「私は今年57歳になりましたので、大厄の年にあたるのではないか

と思います。そのためでしょうか、正月下旬の頃から4月のこの頃に至るまで、肉体的

にも精神的にも苦労が多くありました。もとより人間として生を受けた者は、必ず身に

も心にも諸々の病気が次々と続いて、五体に苦労が絶えないことはかねてから知ってい

ることではありますが、ことさら今年は病気がちです」とあった。

 身体の悪いことは最も大きな嘆きである。

 十二因縁という教えがある。それは、われわれの身体は、諸々の苦しみに基づいてい

るという意味である。だから、前世につくった業のために諸々の苦しみを受け、先の世

に起こした煩悩の集まりが諸々の苦しみを身体に招き集めたのである。過去における無

明煩悩による善悪の行ないといった二つの原因が胎内より現在までの肉体的、精神的苦

しみにおける五つの結果となっている。現在の三つの原因(愛欲・所有欲とその集成)

が未来の二つの結果(老死)となり、過去・現在・未来の三世へと次々に続き、すべて

の苦しみを感じるのである。釈尊がおられた時代の二乗は、これらの諸々の苦しみを無

くそうとしてくうの理のみを習い煩悩をなくして、菩薩の勤行に努力することを忘れ、

空の理を得ることを最高と思ってしまったのである。仏は方等ほうとうの経を説かれた時、これ

らの弟子の心根をしかられた。しかし、生をこの世に受けた者で、この苦しみを離れら

れる者があろうか。供養されるにふさわしい1kome< 1漢すらなお苦しみから離れられない。ま

して最も劣った凡夫は言うまでもない。そうであるからこそ、いそぎ生死を離れるべし

と勧めているのである。これらの教えの内容については今これだけにとどめる。

【語註】

 ※1 羅漢:阿羅漢の略。漢訳には「応供」という意訳もある。煩悩をすべて無くした
          人のことで、小乗の悟りを得た聖者をさす。

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【 2023/10/19 05:34 】

厄と功徳  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

命は第一の宝 四条金吾殿御返事

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

四条金吾殿御返事しじょうきんごどのごへんじ
衆生所遊楽御書しゅじょうしょゆうらくごしょ


建治2年(1276)6月27日、55歳、於身延、和文

 南無妙法蓮華経と唱えることこそ最高の喜びであると述べ、苦しみにつけ、楽しみにつけ、題目を唱え続けることを勧めたもの。信仰生活のあり方が簡潔に示されている。

 一切衆生、南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり。経に云わ

く「衆生所遊楽しゅじょうしょゆう(衆生の遊楽する所)」云々うんぬん。この文、あに自受法じじゅほうらく

らくにあらずや。「衆生」のうちに貴殿もれ給うべきや。「所」とは、一

閻浮提えんぶだいなり。日本国は閻浮提の内なり。「遊楽」とは、我らが色心・依

正ともに一念三千・自受用身の仏にあらずや。法華経を持ち奉るより外

に遊楽はなし。「現世安穏げんせあんのん後生善処gosyouzennsyo
」とは、これなり。

 ただ世間の留難来るともとりあえ給うべからず。賢人・聖人もこ

のことはのがれず。

 ただ女房と酒うちのみて、南無妙法蓮華経ととなえ給え。

 苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合わせて南無

妙法蓮華経とうちとなえいさせ給え。これあに自受法楽にあらずや。

 いよいよ強盛の信力をいたし給え。恐々謹言。

建治二年丙子六月二十七日                                    日蓮 花押

四条金吾殿御返事
 


【現代語訳】

苦をば苦とさとるー唱題と遊楽

 すべての人にとって南無妙法蓮華経と唱えるほかに遊楽はない。法華経には、「わ

がこの土は安穏にして、天人常に充満せり。園林もろもろの堂閣、種々の宝をもって荘しょう

ごんし、宝樹花果多くして、衆生の遊楽する所なり」と示されている。この経文に、自ら

法悦を感ずることでなくてなんであろうか。この衆生の中に、あなたが漏れていないこ

とがあろうか。所とは、この世界である。日本国は世界の内にある。遊楽とは、私たち

の肉体も精神も住む国土もともに、永遠に命をとどめて衆生を救う仏の教えに自身が生

かされているということではあるまいか。だから法華経を信じ、たもつより外に遊楽はな

いのである。「現世安穏・後生善処」現世を安らかに、後生に仏となるというのは、

このことである。

 いかに世間の迫害が、自分の上にふりかかって来ようとも、とりあってはならない。

賢人・聖人と言われる人でも、迫害を受ける事から逃れられないのである。ただ、女房

と酒うち飲みて、南無妙法蓮華経と唱えなさるがよい。苦をば苦と悟り、楽をば楽と心

を大きくひらき、苦しみにつけ、楽しみにつけ、仏に心を思い合わせて南無妙法蓮華経

とうち唱えておられるのがよい。これこそ、法華経を信ずる法悦を自ら感受することで

なくてなんであろう。

 いよいよ強く、しっかりと法華経を信ずる力をもって励むがよい。恐々謹言。

建治二年丙子六月二十七日                     日 蓮 花押

四条金吾殿御返事

【解説】

 この手紙が四条金吾に送られた2年前の文永11年(1274)、日蓮が流罪の地・佐渡か

ら戻られたことに歓喜した金吾は、主君の江間氏を折伏しました。

 しかし、江間氏は日蓮に敵対する極楽寺良観の信奉者であったため、金吾は主君の不

興を買い、遠ざけられることになりました。さらに、同僚からの中傷もあり、金吾は江

間家の中で孤立し、命まで狙われる事態となりました。

 当時、金吾が「大難雨の如く来り候」と漏らしていることからも、大変苦しい状況に

置かれていたことがうかがえる。

 日蓮はこの手紙で、法華経如来寿量品の「衆生所遊楽」の文を引かれ、題目を唱えて

いくことが一切衆生にとって真実の遊楽であることを強調している。「苦をば苦とさと

り」唱題受持のうちに法悦を得る境地は、悲苦を通してこそ証悟し得る精神を明らかに

している。

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【 2023/10/17 05:39 】

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命は第一の宝 富木尼御前御書②

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

富木尼御前御書ときあまごぜんごしょ

 なげきる時は、ゆき(壱岐)・つしまの事、だざひふの事。

 かまくらの人々の天の楽のごと(如)にありしが、当時つくしへむか

へば、とどまる女こ、ゆくをとこ、はなるるときはかわ(皮)をはぐが

ごとく、かを(顔)とかをとをとりあわせ、目と目とをあわせてなげき

しが、次第にはなれて、ゆいのはま・いなぶら・こしごへ・さかわ・は

こねさか(箱根坂)。一日二日すぐるほどに、あゆみあゆみとをざかる

あゆみも、かわも山もへだて、雲もへだつれば、うちそうものはなみだ

なり、ともなうものはなげきなり。いかにかなしかるらん。かくなげか

んほどに、もうこのつわものせめきたらば、山か海もいけどりか、ふね

の内か、かうらい(高麗)かにてうきめにあはん。

 これひとへにとがもなくて日本国の一切衆生の父母たる法華経の行者日

蓮をゆへもなく或はのり或は打ち或はこうぢ(街路)をわたし、

ものにくるいしが、十羅刹じゅうらせつのせめをかほりてなれる事なり。またまた

これより百千万億倍たへがたき事どもいで来るべし。かかる不思議を目

の前に御らんあるぞかし。

 我等は仏に疑ひなしとをぼせば、なにのなげきかあるべき。きさきに

なりてもなにかせん天に生まれてもようしなし。龍女りゅうにょがあとをつぎ、

摩訶波舎波提比尼丘まかはじゃはだいびくにのれち(列)につらなるべし。あらうれし、あらう

れし。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱へさせ給ふ。恐恐謹言。

三月二十七日                    
日 蓮 花押

尼ごぜんへ

【現代語訳】
歎きの共有と女人成仏のすすめ

 もし、歎かわしいことに出会ったら、壱岐や対馬のこと、太宰府のことなどを思いや

ってごらんなさい。蒙古軍の来襲した現地ではどれほど大きな苦難が人々に襲いかかっ

ていることでしょうか。鎌倉の人々は天国の楽園にいるように生活を楽しんでいました

が、いざ兵士として筑紫へ向かう段になると、とどまる妻とく夫が、離別の時には生皮 なまかわ

ぐように辛く、顔と顔とをすり寄せ、目と目とを見交わして歎きあいますが、そう

して出発した夫は、鎌倉を後にして、由比ケ浜・稲村・腰越・酒勾 さかわ・箱根坂と下って行

きます。一日二日と日が経ち、一歩二歩と歩み遠ざかるうちに、川を渡り山を越え、雲

を隔てるようになるので、涙が頬を濡らし、歎きが胸をこがすばかり、どんなに悲しい

ことでしょう。こうして歎いているうちに、蒙古の軍兵が攻めてきたら、どこかの山か

海かで生け捕られ、閉じ込められる船の中か、連れて行かれた高麗かでひどい目にあう

ことでしょう。

 こんな悲惨な状況に立ちいたるというのも、少しの誤りもない私、そして日本国のす

べての人々を救う父母のような法華経の行者である私を、根拠もなしに、あるいは罵倒

し、あるいは殴打し、あるいは犯罪者として市中を引き回すような狂気の沙汰を演じた

為政者が、※ 1羅刹女の懲罰を受けるからなのです。今後ますます、現在よりも百千万億

倍も堪えがたいような事態が起こってくるでしょう。そういう、人の想像力の及びもつ

かないような恐ろしい光景を目の前にご覧になることになりますよ。

 しかし私たちは、成仏することが疑いないとお思いになれば、何を歎くことがあるで

しょうか。皇后となって現世の享楽を味わっても意味はありませんし、天女と生まれて

天界の悦楽にふけってもしようがないのであって、ただ仏になることだけが望ましいの

ですだから女性であるあなたは法華経の提婆達多品 だいばだったほんで成仏をした※ 2女の跡を継い

で、※ 3訶波闍波提比丘尼の列に連なるようにしなさい。そうしたら何と嬉しいことでし

ょうか。何と言ばしいことでしょうか。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。恐恐謹言。

三月二十七日                          
日 蓮  花押

尼御前へ

【語註】

 ※1 十羅刹女:法華経・陀羅尼品【だらにほん】に登場する10種の女鬼で、法華経
           の守護神である。日蓮聖人の時代には鬼子母神の子であるとする説があった。

 ※2 竜女:法華経・提婆達多品に登場する娑竭羅竜王【しゃからりゅうおう】の8歳
           の娘をさす。霊鷲山【りょうじゅせん】へ詣でて法華経の説法を聞き、宝珠を釈
           尊に献じて即身に成仏した。竜女は、提婆達多品前半の悪人(提婆達多)成仏と
           並ぶ、女人成仏の生証人であり、かつ、法華経が一切衆生の成仏を保証する勝れ
           た経典であることを示す役割を担って登場している。

 ※3 摩訶波舎波提比丘尼:中インド・カピラ城主浄飯王の第2妃。第1妃の摩耶夫人
           が悉達多【しっだった】(後の釈尊)を生むと7日にして亡くなったので、妹の
           摩訶波舎波提が養母となって悉達多を育て、自らも難陀【なんだ】を生んだ。浄
           飯王の滅後、羅疫羅【らごら】の母耶輸陀羅【やしゅだら】とともに出家し、仏
           教教団最初の比丘尼となった。

【解説】

 この手紙は、富木常忍の90歳を過ぎた母が亡くなり、その遺骨を納めるために身延の

地を訪ねた際の帰りに、富木常忍に持たせた富木尼あての手紙である。

 「をとこ(夫)のしわざはめ(女)のちからなり」を見て、「夫が駄目になるのも、

しっかりした人になるのも妻次第である」と解釈する人がいるようだ。それは、妻がし

っかり者で、夫が駄目亭主だという前提での解釈である。ところが、この場合は逆であ

る。文筆を主とする官僚として千葉氏に仕えるエリートの武士、富木常忍のもとに、子

連れで再婚した富木尼は、病気がちで床に臥せることが多かった。しかも、気丈な90歳

近い姑がいた。それだけに、肩身の狭い思いを常に抱き、「私がこんなだから、主人の

足を引っ張ってしまって申し訳ないと自らを卑下していたのではないかと思われる。

そのような背景を知って読むと、日蓮の言葉の温かさが身に染みる。

 富木尼に自信を持たせようという文章に続いて、日蓮は、何よりも気がかりなことと

して富木尼の日ごろからの病をとりあげ法華経の行者である富木尼には「非業の死」

があるはずがなく、業病であることもない。仮に業病であったとしても、『法華経』は

業病を転ずることができるから病が治らないことはなく寿命が延びないこともない、

あとは富木尼の心がけることとして「身を持し、心に物をなげかざれ」と忠告する。

 それでも富木尼に嘆き悲しみが出て来ることもあるだろう。その時は、蒙古に攻めら

れた人たちのことを思い起こすように励ましている。この手紙が書かれたのは、文永の

役から、1年5カ月後のことであった。

 日蓮は富木尼が取りつかれた不安を取り除くために阿闍世王や、陳臣の例を挙げ、

壱岐対馬の人たちの嘆き筑紫へ派遣される兵士の妻との別れの嘆きに思
いを至らせ、

十羅刹女の働きが歴史的事実として現れているということを示して、『法華経』の行者

の成仏は間違いないと、いろいろな角度から語って聞かせている。この手紙には、何よ

りも富木尼を励まし、安心させようという日蓮の思いやりが満ち満ちている。


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【 2023/10/15 10:59 】

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命は第一の宝 富木尼御前御書①

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

富木尼御前御書ときあまごぜんごしょ

建治2年(1276)3月27日、55歳、於身延、和文

 下総(千葉)中山から富木常忍が母の遺骨を奉じて身延に詣でたのに託して、病床にある尼御前(富木夫人)を慰め、励ましたもの。夫や姑によくつくしたことを讃え、灸治と信心による病気の回復をすすめ、また戦争で苦しむ人々の嘆きにも心をかよわせ、女人成仏の道を披歴している。

 鵞目がもく一貫並びにつつ(筒)ひとつ給ひ候ひ了んぬ。

 やのはしる事は弓のちから、くものゆくことはりう(竜)のちから、

をとこのしわざはのちからなり。いまときどののこれへ御わたりある

事、尼ごぜんの御力なり。

 けぶりをみれば火をみる、あめ(雨)をみればりう(竜)をみる。を

とこを見れば女をみる。今ときどのにけさん(見参)つかまつれば、尼

ごぜんをみたてまつるとをぼう。

 ときどのの御物がたり候ふは、「このはわ(母)のなげきのなかに、

りんずう(臨終)のよくをはせしと、尼がよくあたり、かんびやうせし

事のうれしさ。いつのよ(世)にわするべしともをぼへず」と、よろこ

ばれ候ふなり。

 なによりもをぼつかなき事は御所労なり。かまへてさもと三年、はじ

めのごとくに、きうぢ(灸治)せさせ給へ。病なき人も無常まぬがれが

たし。ただしとしのはてにはあらず。法華経の行者なり。非業の死には

あるべからず。より業病にては候はじ。たとひ業病なりとも、法華経の

御力たのもし。

 阿闍世王あじゃせおうは法華経をたもちて四十年の命をのべ、陳臣ちんしんは十五年の命をの

べたり。尼ごぜんまた法華経の行者なり。御信心月のまさるがごとし、

しを(潮)のみつるごとし。いかでか病もせ、寿ものびざるべきと強

盛にをぼしめし、身を持し、心に物をなげかざれ。

【現代語訳】

妻の力

 ※ 1一貫、ならびに酒一筒お届けいただきました。お礼申し上げます。

 矢が飛ぶのは弓の力によるものですし、雲が行くのは竜の力によるものです。そのよ

うに、夫の行ないは妻の力によるというのが人の世の習いです。いま富木殿が、この山

深い身延の里までおいでくださったことは、ひとえに妻であるあなたのお力によるもの

と感謝いたします。

 煙を見ればそれを上らせている火を見る思いがし、雨を見ればそれを降らせている竜

を見る思いがします。そのように、夫の行ないを見ればそれをさせている妻を見る思い

がしますいま富木殿にお目にかかりましたらあなたとお会いしたように思われます。

 富木殿がお話の中で、「このたび母が亡くなった悲しみは深いけれど、臨終のありさ

まが良かったことと、妻が母によく尽くして看病をしてくれたことの嬉しさは、いつの

世までも忘れることができない」と言って喜んでいらっしゃいましたよ。

病気回復への励まし

 さて、何よりも気がかりなのは、あなたのご病気です。きっと治るに違いないと信じ

て、3年間、当初のように灸治をなさってください。死というものは病気のない人でも

免れがたいものです。しかし、あなたは、まだそれほどの年齢ではないし、まして法華

経の行者ですから、非業の死などは絶対にありません。病気の方も、まさか※ 2
病ではな

いでしょう。もしかりに業病だとしても、法華経の疾病平癒の威力は頼もしいものです

から大丈夫です。

 インドの※ 3
闍世王は、法華経を信仰して40年間の命を延ばしましたし、中国の※ 4
臣も

同様に15年間の命を延ばしました。あなたは法華経の行者です。ご信仰心は、月が丸く

なっていくように、潮が満ちていくように、ますます盛んになっていらっしゃいます。

どうして病気が消滅し寿命が延びないはずがあろうかという信念をしっかりとお持ちに

なって、身体をいたわり、心に苦悩がないようにしてください。(つづく)

【語註】

 ※1 銭一貫:鵞目とは、鵞鳥の目にように丸く穴があいている銭の異称。一貫文は銭
          1000枚のことで、当時の記録によれば、米1石(10斗=役180リットル)を買
          えたという。

 ※2 業病:悪業の報いとしてかかると考えられた難病。

 ※3 阿闍世王:「敵を生じないもの」を意味するアジャータシャトルの音写。前5世
           紀頃のインドのマガダ国王。父のビンビシャーラ王を殺して王位に就いたが、の
           ち釈尊の教えに従い、仏教教団の保護者になった。

 ※4 陳臣:天台大師智顗の兄。張果仙人から1カ月後に死ぬと予言されたが、天台大
             師から小止観の教えを受け修行することによって15年間寿命を延ばしたという。

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【 2023/10/14 05:38 】

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命は第一の宝 可延定業御書②

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

可延定業御書かえんじょうごうごしょ

 今女人の御身として病を身にうけさせ給ふ。心みに法華経の信心を立

てて御らむあるべし。しかも善医あり。中務三郎左衛門尉なかつかささぶろうさえもんのじょう殿は法華

経の行者なり。

 命と申す物は一身第一の珍宝なり。一日なりともこれをのぶるならば

千万両の金にもすぎたり。法華経の一代の聖教に超過していみじきと申

すは寿量品じゅりょうほんのゆへぞかし。閻浮えんぶ第一の太子なれども短命なれば草より

もかろし。日輪のごとくなる智者なれども夭死わかじにあれば生犬いけるいぬに劣る。早

く心ざしの財をかさねて、いそぎいそぎ御対治あるべし。

 これよりも申すべけれども、人は申すによて吉事よきこともあり、また我志の

うすきかとをもう者もあり。人の心しりがたき上、先々に少々かかる事

候ふ。この人は人の申せばすこそ(少)心へずげに思ふ人なり。なかな

か申すはあしかりぬべしただなかうど中人もなくひらなさけに

また心もなくうちたのませ給へ。

 去年こぞの十月これに来たりて候ひしが、御所労の事をよくよくなげき申

せしなり。「当時大事のなければをどろかせ給はぬにや、明年正月二月

のころをひは必ずをこるべし」と申せしかば、これにもなげき入つて候

ふ。「富木殿もこの尼ごぜんをこそ杖柱つえはしらともたのみたるに」なんど申し

て候ひしなり。随分にわび候ひしぞ。きわめてまけじたまし(不負魂)

の人にて、我かたの事をば大事と申す人なり。かへすがへす身の財をだ

にをしませ給わばこの病いえがたるべし。一日の命は三千界の財にもすぎ

て候ふなり。まづ御志をみみへさせ給ふべし。法華経の第七の巻に、

「三千大千世界の財を供養するよりも、手の一指を焼きて仏法華経に

供養せよ」ととかれて候ふはこれなり。

 命は三千にもすぎて候ふ。しかもよわいもいまだたけさせ給はず、しかも

法華経にあわせ給ひぬ。一日もいきてをはせば功徳つもるべし。あらを

しの命や、あらをしの命や。御姓名並びに御年をわれとかかせ給ひて、わ

ざとつかわせ。大日月天だいにちがつてんに申しあぐべし。
 
 いよどの(伊予殿)もあながちになげき候へば日月天の自我偈じがげをあて

候はんずるなり。恐恐謹言。

                          日 蓮 花押
尼御前御返事

【現代語訳】
治療と祈り

 今、あなたは、女性であって身に病気をお受けになりました。法華経の予言に当たる

お立場なのですから、試みに法華経の信心をしっかりと持って修行してごらんなさい。

ただでさえ良い効果があがるに違いないのですが、しかもそのうえ、身近に名医がいま

す。中務三郎左衛門殿がそれです。この人は法華経の行者ですから一段と安心です。

 寿命というものは、人にとって第一の宝です。一日でもこれを延ばすならば千万両

の金にも過ぎる価値のあるものです。法華経がすべての経典の中で断然すぐれている

のも、釈尊の寿命が久遠であることを説いた寿量品があるからなのですよ。世界第一

の栄光を担う皇太子であっても、短命では草よりも無意味です。また太陽のように輝

く智者であっても、若死にをしたのでは犬ほどの価値もありません。※ 1
務三郎左衛門

尉殿に対して、早く誠意を尽くしてお願いをし、急いで治療なさらなければいけませ

ん。

 中務三郎左衛門殿には、私からもお頼みしようとは思いますが、人はいろいろで、仲

介者を立てて交渉をした方がよいこともあるし、そのようにすると依頼する本人の誠意

が薄いと思う者もいます。中務三郎殿の場合は、仲介者が間に入ると、少し面白くなく

思う人です。だから私から頼むのはかえって具合が悪いでしょう。仲介者を立てずに、

真心から、ただ一心にお願いなさるのが良いと思います。

 中務三郎殿は去年の10月にここにおいでになりましたが、その折、あなたのご病気の

ことをとても心配だといっていました。そして、「現在は症状が軽いからあまり慌てて

いらっしゃらないようですが、明年の正月から2月ごろには必ず悪化するでしょう」と

言いましたので、私の方も不安がつのって参りましたよ。中務三郎殿は、「富木殿も尼

御前を杖とも柱とも思って頼りとしていらっしゃるのに、お気の毒なことだ」と言って

いました。とても歎かわしげでいらっしゃいましたよ。だいたいあの方は、非常に負け

じ魂の強い人で、同志たちのことを大切にする人です。そのことを心得たうえで、よく

お願いしてごらんなさい。くれぐれも誠意のある行動をしなくてはいけません。それを

怠ったらこの病気は治りにくくなるでしょう。人の一日の寿命は、三千世界の財宝にも

まさって貴いものなのです。まず誠意を尽くしてそれを認めてもらうようになさらなけ

ればいけません。法華経第七巻の薬王菩薩本事品に「※ 2
千大千世界の財宝をもって供養

するよりも、手の指一本を焼いて仏と法華経とに供養せよ。その方が功徳がすぐれてい

る」と説かれているのはそのことを言っているのであって、何よりも誠意を示すことが

大切です。

 命は三千大千世界にも増して尊いものです。それに、あなたは年齢もそれほどお高く

はありません。しかも、法華経にめぐりあって信仰をなさっていらっしゃいます。です

から、一日でも長生きなされば、それだけ功徳がつもるに違いない方です。このように

考えるとあなたの命はとても尊いものであり無駄にしてはいけないものなのですよ。

ご姓名とご年齢をご自身でお書きになり、とくに使者を立ててここまで届けさせてくだ

さい。大日月天の御前で病気平演のお祈りをいたしますから。

 ※ 3
予殿も、あなたのご病気を非常に心配していらっしゃるので、日月天に自我偈を読

誦して平癒祈願をなさっているでしょう。恐恐謹言。

                                日 蓮  花押
尼御前御返事

【語註】

 ※1 中務三郎左衛門尉:四条中務三郎左衛門尉頼基のこと。鎌倉時代中期から後期に
         かけての武士。日蓮の有力檀越。官位が左衛門尉であったので左衛門尉の唐名で
           ある金吾と称され四条金吾とも言われる。

 ※2 三千大千世界:須弥山【しゅみせん】を中心に四方・四維【しい】・上下に広が
           る宇宙を小世界といい、小世界が1000あつまったものを小千世界といい、小千
           世界が1000あつまったものを中千世界といい、中千世界が1000あつまったもの
           を大千世界という。大千世界は小・中・大という3種の千世界よりなるので三千
           大千世界ともいうが、これが一仏の教化する範囲なのである。

 ※3 伊予殿:伊予房日頂(1252~1317)のこと。日頂は富木常忍の養子で、幼い時
           に真間弘法寺(当時は天台宗)に入って出家し、後に日蓮聖人の門下となって六
           老僧の一人に数えられるようになった。日蓮聖人の佐渡配流期にも、身延隠棲期
           にも常に側にあって給仕・修学に勉めた。

【解説】

  この手紙は富木常忍の妻である尼御前に出されたものである。尼御前は文永11年9月

頃から病を患っており、その後、回復に向かったが、依然として再発の恐れがあった。

その病状を翌10月に身延へ登山した四条金吾から聞いた日蓮が、尼御前を慰なぐさめら

れ、病気平癒の方途を示されたものである。

 この手紙には年号と日付がないが、夫の富木常忍に宛てた文永12年2月7日の『富木

殿御返事』と一対の手紙と考えられている。

 この手紙の中で特に注目されるのは、日蓮が病身の尼御前に向かって生命の尊さを強

調していることである。「一日の命は三千世界にも過ぎるもの」「第一の珍宝」と述べ

ているのは、人間の生命を尊重した日蓮の精神を示すものである。

 尼御前は病気がちの身でありながら、夫の杖・柱となり、姑につくした人であった。

その老母が死ぬまで看病し、亡くなると遺骨を身延へ納めるよう夫を送り出した。その

「弓の力」の働きぶりは、「富木尼御前御書」によく示されているところである。

 日蓮は、この法華経の女人へ直接に、あるいは医術に勝れた四条金吾や夫の常忍を通

して、治療に励むよう勧め、法華経の良薬を信服して息災延命を祈るよう説いている。

「ああ惜しい命である」という、切なるまでの心を込めて、病気に悩む人の命の大切さ

を訴えかけている。それは、日蓮が法華経こそ身心の重病を癒やす教えであることを確

信していたからであろう。同時に、人は誰しも命を尊び、死を恐れ、与えられた限りあ

る命を精一杯生かす責任を持っており、また仏の命の中にわが命を生かしていく道を求

めるべきことを願ったからであろう。

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【 2023/10/12 06:02 】

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命は第一の宝 可延定業御書①

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

可延定業御書かえんじょうごうごしょ

文永12年(1275)2月7日、54歳、於身延、和文

 富木常忍の妻に与えたもの。法華経は病の良薬であり、女性を救う教えであることを説き、日蓮自身も母の病を祈った例をあげ、法華経の信心を勧めて病を治すよう諭した。さらに信者の医者でもある四条金吾に治療を頼むよう指示している。日蓮が生命を最も貴いものと述べて、姓名・年齢を書き送るよう指示して、日月天に病気平癒を祈ったことをも知ることができる。

 それ病に二あり。一には軽病、二には重病。重病すら善医にあふて急

に対治すれば命なお存す。何かにいわんや軽病をや。

 ごうに二あり。一には定業じょうごう、二には不定業ふじょうごう。定業すらよくよく懺悔さんげ

れば必ず消滅す。何かにいわんや不定業をや。

 法華経第七に云はく〔この経はすなわちこれ閻浮提えんぶだいの人の病の良薬ろうやく

なり〕」等云云。この経文は法華経の文なり。一代の聖教しょうきょうは皆如来の

金言こんごん、無量劫より以来不妄語の言なり。なかんづくこの法華経は仏の

「〔正直に方便を捨て〕」と申して真実の中の真実なり。

 多宝証明たほうしょうみょうを加へ、諸仏舌相を添へ給ふ。いかでかむなしかるべき。

その上最第一の秘事はんべり。この経文は後五百歳二千五百余年の時、

女人の病あらんととかれて候ふ文なり。

 阿闍世王あじゃせおうは御年五十の二月十五日、大悪瘡身に出来せり。大医耆婆ぎば

力も及ばず、三月七日必ず死して無間大城に堕つべかりき。五十余年が

間の大楽一時に滅して、一生の大苦三七さんしち日にあつまれり。定業限りあり

しかども仏、法華経をかさねて演説して、涅槃経となづけて大王にあた

え給ひしかば、身の病たちまちに平愈し、心の重罪も一時に露と消えに

き。仏滅後一千五百余年、陳臣ちんしんと申す人ありき。いのち知命にありと申し

て五十年に定まりて候ひしが、天台大師にあひて十五年の命をべて、

六十五までをはしき。その上、不軽菩薩ふぎょうぼさつは〔更に寿命を増す〕ととかれ

て、法華経を行じて定業をのべ給ひき。


 彼等は皆男子なり女人にはあらざれども法華経を行じて寿をの

また陳臣は後五百歳にもあたらず冬の稲米・夏の菊花のごとし。

当時の女人の法華経を行じて定業を転ずることは秋の稲米冬の菊花、

誰かをどろくべき。されば日蓮悲母ははをいのりて候ひしかば、現身に病を

いやすのみならず、四箇年の寿命をのべたり。

【現代語訳】
法華経修行と延命

 そもそも、病気には二類あります。その一つは軽病、他の一つは重病です。重病でさ

えも、名医を得て早く治療すれば回復して命を長らえることができます。まして軽病が

治しやすいことはいうまでもありません。

 また、業――われわれの知らない過去の営みを現在に影響させ、現在の営みを未来に

影響させるところの永遠不滅のはたらき――にも二類があります。その一つは定業であ

他の一つは不定業です。報いを受けることが過去の世から決定している定業でさえ、

よくよく懺悔すれば必ず消滅します。まして不定業が消滅しないはずがありません。

 法華経第七巻の薬王菩薩本事品に「この経は、全世界の人々の病気の良薬である」と

説かれています。この経文は、他の経典のものではなくて、法華経のものであることが

肝心です。なぜなら、釈尊一代の説法は、みな如来の真実のお言葉で、永遠の過去から

この方、寸分の誤りもないお説なのですが、それらの中でもとくにこの法華経は、釈尊

ご自身が「正直に説き、方便の説を捨てる」と申されている通りの、真実中の真実の教

えなのだからです。だからこそ多宝如来が「真実の教えである」と証言なさり、十方の

世界から来集した諸仏が舌を梵天ぼんてんまで届かせるという所作で法華経を称賛なさったので

す。そのように、すべての仏たちによって正しさが証明されている法華経ですから、ど

うして虚妄であるはずがありましょうか。

 その上、法華経の薬王菩薩本事品には、非常に大切な密事が記されています。それは

釈尊が亡くなられてから第5番目の500年、つまり2500余年を経た時、女人が病気にか

かるであろうと予言されている経文です。この経文と尼御前のご病気とが符合するわけ

ですが、そのことはさておき、法華経の良薬で病気が治った例を挙げてみましょう。

 インドの※ 1
闍世王は、御年50歳の2月15日にたいへん悪性のはれものが身体にできま

した。名医の※ 2
婆も治すことができません。3月7日には瀕死の状態になって、無間地

獄に落ちるばかりになりました。50余年にわたる栄華の楽しみは一時に消滅して、一生

の間の苦しみが発病以来の21日間に集中する思いでした。こうして定業が限界に達した

のですが釈尊が法華経を重ねて説いて、それを涅槃経と名づけて大王にお与えになっ

たところ身体の病気はただちに治り心の重罪も一時に露のように消えました。また、

釈尊の入滅後1500余年を経たころ、中国に※ 3
臣という人がいました。その人の寿命は、

論語の為政篇に「五十にして天命を知る」といわれる通りの50歳に決まっていたのです

が、天台大師に会って法華経を習い、そのおかげで15年の命を延ばして65歳まで健在で

した。それからまた※ 4
不経菩薩は法華経を修行して、「さらに寿命を増す」と説かれて

いる経文通りに定業をお延ばしになりました。

 これらの人々は、みな男性です。法華経に予言されているような女性ではないのに法

華経を修行して寿命を延ばしました。特に陳臣の如きは釈尊滅後1500年の人ですから、

時代的にも法華経の予言にはずれています。冬の稲米や夏の菊花のようなもので、時節

に合っていませんそれに反して現代は釈尊滅後2500余年に当たっているのですから

女性が法華経の修行により、定業を逆転されて寿命を延ばすのは、秋の稲米や冬の菊花

のように時節が符合していることで、それが成功したからといって誰も驚くにはあたり

ません。そういうわけで、私自身の場合も、母の病気を法華経で祈りましたところ、現

に病気が治ったばかりでなく、4か年間の寿命を延ばしました。(つづく)

【語註】

 ※1 阿闍世王:頻婆娑羅王【びんばしゃらおう】を父とし韋提希夫人【いだいけぶに
          ん】を母とする中インド・マガダ国の王。提婆達多【だいぼだった】にそそのか
          され父を殺して王位につくが、後、その罪を恐れ、耆婆のすすめに従って釈尊に
          救いを求めた。五逆罪を犯した阿闍世王の成仏は、法華経の功徳の甚大さの証と
          される。

 ※2 耆婆:釈尊在世中の名医でマガダ国の大臣となった人。父殺しの罪に恐れおのの
     く阿闍世王を釈尊のもとへ行かせて入信させた。過去世の持水・流水、中国の扁
           鵲【へんじゃく】らとともに名医の代表としてあげられる。

 ※3 陳臣:智宮【ちぎ】の兄陳鍼【ちんしん】のこと。占相師張果に死期の近いこと
          を知らされ、智宮の勧めによって方等懴法【ほうとうせんぼう】を修し、15年の
     寿命を延ばしたという。

 ※4 常不軽菩薩:出会う人すべてを尊敬し、罵られても打たれても礼拝・讃嘆をくり
           かえしたので常不軽と名づけられた菩薩。その功徳によって法華経を得、転生中
           もそれを説き続けたので今生で成仏の果を得たという。釈尊が過去世において菩
           薩道を修行していた時の名である。

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【 2023/10/10 05:38 】

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仏のはからい 法華証明鈔②

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

法華証明鈔ほっけしょうみょうしょう

 しかるにこの上野うえのの七郎次郎は末代の凡夫、武士の家に生れて悪人と

は申すべけれども、心は善人なり。ゆえは日蓮が法門をばかみ一人いちにん

下万民しもばんみんまで信じ給はざる上、たま球究信ずる人あれば、あるい所領しょりょう

田畠たはた等にわづらひをなし、結句けっくは命に及ぶ人々もあり。信じがたきに

ちゝ故上野殿は信じまいらせ候ぬ。

 又此者このもの嫡子ちゃくしとなりて、人もすゝめぬに心中より信じまいらせて、上

下万民にあるひはいさめ、或はをどし候つるに、ついに捨つる心なくて

候へば、すでに仏になるべしと見へ候へば、天魔外道げどうが病をつけてをど

さんと心み候か。

 命はかぎりある事なり。すこしもをどろく事なかれ。又鬼神きじんめらめ、

此の人をなやますはつるぎをさかさまにのむか。又大火をいただくか、三世

十方の仏の大怨敵だいおんてきとなるか。あなかしこあなかしこ。

 此の人のやまいをたちまちになをして、かへりてまほりとなりて、鬼道きどう

大苦だいくをぬくべきか。其義そのぎなくして現在には頭破ずはぶんとがに行はれ、後生ごしょう

には大無間地獄だいむけんじごくつべきか。ながくとどめよ永くとどめよ。日蓮がことば

いやしみて後悔のちぐえあるべし、後悔あるべし。

二月廿八日

伯耆房ほうきぼう

【現代語訳】
命は限りあるものなり

 しかるにこの上野に住む※ 1郎次郎は、末代の凡夫であり武士の家に生まれて人を切っ

たり傷つけたりする悪人ではあるけれども、心は善人である。その理由は日蓮の法門を

上一人から下は万民に至るまで信じようとしないうえにたまたま信ずる人があると、

あるいは持っている地所や、あるいは田畠にまで難題をつけて取り上げ、結局は命まで

取られそうになる人々がいる。このように信じ難いのに、父である※ 2
上野殿は法華経を

信仰されたのである。

 またこの七郎次郎は、その父の※ 3
子としてだれも勧めないのに、心の底から法華経を

信じられた。周囲に大勢の人々からあるいは注意されたりあるいは脅迫されても、つい

に法華信仰を捨てる心がなかったのでてっきり仏に成るものとばかり思っていたのに

このたびは天魔外道が病気をおこさせて脅かそうとしているのであろうか。

 命は限りあるものである。少しも驚くことはない。また※ 4
神めらよ、この人を病気で

悩ますようなことをすれば、かえって鬼神めらは剣をさかさまに呑み込まされるか、ま

たは大火を抱くような目に遭うのであって、三世十方の仏の大怨敵となるであろう。た

いへんに恐ろしいことではないか。

 この七郎次郎の病気をたちまちのうちに治して、逆に守護神となり鬼病の大苦を抜き

去るべきである。この事を実行しなかったならば、現世では頭が七つに割れるという罪

科を受け、次の世では大無間地獄に落ち入るであろう。永くこの鬼病を中止させるべき

である。日蓮のこの言葉を軽く見るようなことをすると、あとで必ず後悔しなくてはな

らないことになる。後悔することになる。

二月二十七日

※ 5耆房に下す

【語註】

 ※1 七郎次郎:南条兵衛七郎の次郎(次男)、すなわち南条時光のこと。

 ※2 故上野殿:亡くなった南条兵衛七郎のこと。

 ※3 嫡子:正妻から生まれた家督を相続するべき子。南条時光は次男であったが、長
           男の七郎太郎が文永11年(1274)に亡くなったので、時光が嫡子となった。

 ※4 鬼神めらめ:
鬼神が法華経の信行者を悩ますと、仏の大怨敵となることを強調し
           たもので、ここからは鬼神めらに向かって厳しくあやまりをただしていることに
           なる。「頭破作七分」は陀羅尼品に説かれている。

 ※5 伯耆房:六老僧の一人である伯耆房日興のこと。南条時光の看病にあたっていた
          日興がこの手紙を時光に読んで聞かせたのであろう。

【解説】

 弘安5年といえば、10月13日に日蓮が入寂した年である。この手紙は、その8カ月ほ

ど前に書かれた。日蓮は弘安4年の春以来、体調が勝れず、身延の冬の厳しい寒さで病

状を悪化させて新年を迎えていたこの時も日蓮の体調は芳しくなかったのであろう。

この3日前の2月25日に、日朗に代筆させて、南条時光の看病にあたっていた日興に病

への対応を指示していたそれでも満足しなかったのであろう。28日になって日蓮は、

病を押して自ら筆を執ってこの手紙をしたためた。

 手紙の冒頭に「法華経の行者 日蓮」と記して花押がある。普通は文末に書く署名・

花押が最初の行に書かれているのは、「鬼神めらめ、法華経の行者日蓮の言うことをよ

く聞くがよい」という思いを込めているのであろう。

 はじめに、法華経を信ずる者は必ず成仏することを述べたあと、若い南条時光があま

たの迫害に挫けず法華経信仰を堅持したことを称讃する。そして、その南条時光を苦し

める「鬼神めら」を日蓮は、「剣を逆さまに呑む気か」「大火を抱える気か」「三世十

方の仏の大怨敵となる気か」と激しく叱責する。「頭破作七分となり、大無間地獄に堕

ちてもいいのだなーー」とまで迫って、時光の病を直ちに治すだけでなく、守護者とな

べきだとる詰め寄り、日蓮の気魄が文面にあふれている。

 この時、24歳であった南条時光は、この病に打ち勝ち、元気を回復し、74歳の長寿を

全うした。

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【 2023/10/07 05:24 】

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仏のはからい 法華証明鈔①

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

法華証明鈔ほっけしょうみょうしょう

弘安5年(1282)2月28日、61歳、於身延、和文

 日蓮は南条時光が大病で伏しているとの報を聞き、自らの病状も顧みず、筆をとってしたためたのが、この手紙である。末代悪世に『法華経』を受持する者は、過去に十万億の仏を供養した人であると釈尊が語り、それを多宝仏が「皆是れ真実」と証明し、十方の諸仏も証明したことだと述べ、その『法華経』を心中より信じてきて仏となるべき南条時光を悩ます鬼神を厳しく叱責し、直ちに南条時光の病を治せと命じている。

                  法華経の行者 日 蓮  花押

 末代悪世まつだいあくせに法華経を経のごとく信じまいらせ候者をば、法華経の御鏡

にはいかんがうかべさせ給ふと拝見つかまつり候へば、過去に十万億まんのく

仏を供養せる人なりと、たしかに釈迦仏の金口きんく御口おんくちより出でさせ給ひ

て候を、一仏なれば末代の凡夫はうたがいやせんずらんとて、ここより東

方にはるかの国をすぎさせ給ひておはします、宝浄世界の多宝仏、わざ

わざと行幸みゆきならせ給ひて釈迦仏にをり向ひまいらせて、妙法華経皆是真みょうほけきょうかいぜしん

じつ証明しょうみょうせさせ給ひ候き。

 この上はなにの不審か残るべき。なれどもなを球究末代の凡夫はをぼ

つかなしとをぼしめしや有りけん十万の諸仏をしあつめさせ給ひ

広長舌相こうちょうぜっそうと申して無量劫むりょうこうよりこのかたながくそらごとなきひろく

ながくおおいなる御舌おんしたを、須弥山しゅみせんのごとく虚空おおぞらに立てならべ給ひし事は、

おびただしかりし事なり。

 かう候へば、末代の凡夫の身として法華経の一字二字を信じまいらせ

候へば、十万の仏の御舌を持物たもつものぞかし。いかなる過去の宿習にてかか

る身とは生まるらむとよろこびまいらせ候上、経文は過去に十万億の仏にあ

いまいらせて供養をなしまいらせて候ける者が、法華経ばかりをば用ひま

いらせず候けれども仏くやうの功徳莫大なりければ、謗法ほうぼうの罪に依りて

貧賤ひんせんの身とは生れて候へども、又この経を信ずる人となれりと見へて

候。

 これをば天台の御釈おんしゃくに云く、〔「人の地に倒れてかえって地よりたつがご

とし」〕等云云。地にたうれたる人はかへりて地よりをく。法華経謗法

の人は三悪さんなくならびに人天にんでんの地にはたうれ候へども、かへりて法華経の

御手にかゝりて仏になるとことわられて候。

【現代語訳】

多宝如来の証明

                          法華経の行者 日 蓮  花押

 仏が入滅なされてのち、世も末となって濁った悪い事の多い世に、法華経を経文の通

りに信仰する人が、法華経の鏡にはどのように映って見えるかといえば、過去の世で永

い間に十万億の仏を供養した人があると、確かに釈迦仏が自ら法師品の中でおっしゃっ

ておられる。しかしただ一人の仏の言葉だということになると、末世の凡夫は疑いの心

を持つであろうと考えられ、ここより東の方へ遥かにいくつもの国を過ぎた彼方にある

宝浄世界の※ 1宝仏が、わざわざおいでになられ、釈迦仏とご対面なされ、「妙法蓮華経

はみなこれ真実なり」と証明なされたのである。

 こうした点から考えても、このうえ何の疑問も残らぬはずである。それなのになお末

代の凡夫は頼りないものとお考えになられて、十方の諸仏を召集なされ、※ 2
長舌相とい

って無限の長い昔から今日まで嘘を言ったことのない広く長い御舌を、※ 3
弥山のように

大空に向かって立てられた事は、非常に大事な意義をもったことであった。

 このような次第であるので、末代の凡夫の身として法華経の一字でも二字でも信じるな

らば、十方の仏の御舌(つまり法を)たもつことになるのである。私はどのような過去

の世からの因縁によって、このような有難い身として生まれてきたのかと悦んでいる次

第である。そのうえ経文によると、過去に10万億の仏に会いたてまつって、供養をした

功徳により、法華経だけを信用したわけではないが、仏を供養した功徳があまりに大き

かったので謗法の罪によって今生には貧しく身分の低い者として生まれたのであるが

またこのように法華経を信ずる人となったものとみえる。

 この事を妙楽大師の法華文句記会本では「人が地に倒れて、かえって地より起き上が

るようなものだ」と解釈している。すなわち地に倒れた人はかえってその地から立ち上

がるものである。法華経を謗った人は地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ち、ならびに人・

天の間をさまよい地に倒れるけれども、かえってそれが縁となり法華経の御手に導かれ

て、ついに仏に成ることができるとおっしゃっておられるのである。(つづく)

【語註】
 
 ※1 多宝仏:
多宝如来のこと。宝塔品で大地から大宝塔に乗って湧き出し、法華経の
           説法が「皆これ真実である」と証明した仏。東方宝浄世界の教主。

 ※2 広長舌相:仏の身に備わる十二相のひとつで、うそいつわりを言わないことの現
      われとされる。神力品に説かれている。真実で虚妄のないことを証明する舌相で
          ある。
 
 ※3 須弥山:仏教の宇宙観で、この宇宙の中心をなす巨大な山のこと。頂上に帝釈天
           の宮殿があるといわれている。

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【 2023/10/05 05:37 】

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仏のはからい 妙心尼御前御返事②

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

妙心尼御前御返事みょうしんあまごぜんごへんじ

 入道殿は今生にはいたく法華経を御信用ありとは見え候はねども、過

去の宿習のゆへかのもよをしによりて、このなが病にしづみ、日々夜々

に道心ひまなし。今生につくりをかせ給ひし小罪はすでにきへ候ひぬら

ん。謗法の大悪はまた法華経に帰しぬるゆへにきへさせ給ふべし。ただ

いまに霊山りょうぜんにまいらせ給ひなば、日いでて十方をみるがごとくうれし

く、とくし(死)にぬるものかなと、うちよろこび給ひ候はんずらん。

中有ちゅううの道にいかなる事もいできたり候はば、「日蓮がでし(弟子)な

り」となのらせ給へ。わずかの日本国なれども、さがみ(相模)殿のう

ちのものと申すをば、さうなくおそるる事候ふ。日蓮は日本第一のふた

う(不当)の法師。ただし法華経を信じ候ふ事は、一閻浮提いちえんぶだい第一の聖人

なり。その名は十方の浄土にきこえぬ。定めて天地もしりぬらん。「日

蓮が弟子」となのらせ給はば、いかなる悪鬼などなりとも、よもしらぬ

よしは申さじとおぼすべし。

 さては度々の御心ざし申すばかりなし。恐恐謹言。

 さる(猿)は木をたのむ。魚は水をたのむ。女人はおとこをたのむ。

わかれのをしきゆへにかみをそり、そでをすみにそめぬ。いかでか十方

の仏もあはれませ給はざるべき、法華経もすてさせ給ふべきとたのませ

給へ、たのませ給へ。

八月十六日                     日 蓮 花押

妙心尼御前御返事

【現代語訳】
病と道心

ご夫君は、以前はあまり熱心に法華経をご信仰なさっているとは見えませんでしたが、

前生ぜんしょうで積んだ善行のおかげででもあるのでしょうか、このたびの長い病気を機縁とし

て日々夜々に法華経信仰に励む身となられましたもうこの世で犯した小さな罪は消え

てしまったことでしょういやそればかりではなく謗法の大悪といえども法華経に帰依

したことでお消しになったに違いありませんもし今この世を辞して霊山浄土においで

になったとしても太陽が昇って十方が明るく見渡せるように嬉しく早く死んでよかっ

たなとお喜びになることでしょう。万一浄土へ行く途中で支障が起こるようなことが

ありましたら「日蓮の弟子である」とお名乗りください。小さな日本国の中でも執権

北条時宗殿の身内のものに対しては意味もなく畏敬することがありますまして私は

俗的には日本一の反逆法師ですが法華経信仰の上では閻浮提第一の聖人ですそういう

日蓮の名は十方世界の浄土に響きわたっているはずですきっと天も地も知っているに違

いありません。だから「自分は日蓮の弟子である」とお名乗りになるならば、どんなに

恐ろしい悪鬼どもでも、まさか「日蓮などという者は聞いたことがない」などというこ

とはないでしょう。ご安心なさってください。

 それにしてもたびたびご供養の品をお届けくださる御志を、とてもありがたく思って

います。恐恐謹言。

追伸 猿は木を頼りとします魚は水を頼りとします。そのように、女性は夫を頼りとす

るものです。あなたはご夫君との永の別れを惜しんで、髪を切り、墨染の衣を着る尼僧

となりましたね。そのお気持ちをどうして十方の仏がお哀れみくださらないはずがあり

ましょうか。また法華経も決して自分を見捨てなさることはないと信じて、ひたすら信

行増進に励まれますように。

八月十六日                           日 蓮  花押

妙心尼御前御返事

【解説】

 妙心尼は駿河国在住と思われる女性檀越で、重病の夫と幼児をかかえて、夫の病気平

癒と後生善処および子の無事生育の祈願を日蓮聖人に請うていた。

 日蓮は業病を決して不治のものとあきらめる見方をとっていない。「定業ですら、よ

くよく懺悔すれば必ず消滅する」と言ったように、信ずる心の強さ、ひたむきさという

ものが病を癒やし、運命を切り開く精神のエネルギーとなり得ることを強調した。病め

る社会のただ中にあって、命を尊び仏の救いを信じて、自らを励ましていく生き方を貫

けるかどうか、病はまさにその試練なのだというのである。その意味で、「病は仏のは

からい」である。

 病気というのは人間にとって一つの身心にわたる危機に直面したということである

丈夫な時は、命や病気の苦悩に気づくことはない。いざ、病におかされて初めて、健康

のありがたさ命の尊さを思う自分はいったい今までに何ほどのことをして来たのか、

懺悔の念がわき起こる。そしてまた、悔いのない生涯をまっとうする人生をこと改めて

思い、誓うことがあるのではないか。「病によって道心がおこる」という意味はこれで

あろう。

 病気のわが身を見つめることは、自己の不遜なごう慢さや絶対化を否定して、限りあ

る命を真実の生き方にかけていくことであろう。妙心尼の夫が、病気から道心をおこし

て、法華経を信仰するに至った心の底は、このような思いであったに違いない。

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【 2023/10/03 05:36 】

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