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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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真の孝養と仏道をめざして 光日房御書⑤

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

光日房御書こうにちぼうごしょ

 人間に生をうけたる人、上下につけてうれへなき人はなけれども、時

にあたり、人々にしたがひて、なげきしなじな(品々)なり。たとへば、

病のならひはいずれの病も、重くなりぬれば、これにすぎたる病なしとをも

うがごとし。主のわかれ、をや(親)のわかれ、夫妻のわかれ、いづれ

かおろかなるべき。なれども主は又他の主もありぬべし。夫妻は又かは

りぬれば、心をやすむる事もありなん。をやこのわかれこそ、月日のへ

だつるまゝに、いよいよなげきふかかりぬべくみへ候へ。をやこのわか

れにも、をやはゆきて子はとど(留)まるは、同じ無常なれどもことは

りにもや。をひたるはわ(母)はとどまりて、わか(若)き子のさきに

たつなさけなき事なれば、神も仏もうらめしや。いかなれば、をやに子

をかへさせ給ひてさきにはたてさせ給はず、とどめをかせ給ひて、なげ

かさせ給ふらんと心うし。心なき畜生すら子のわかれ(別)しのびがた

し。竹林精舎の金鳥こんちょうは、かひこ(卵)のために身をやき、鹿野苑ろくやおんの鹿

は、胎内の子ををしみて王の前にまいれり。いかにいわうや心あらん人

にをいてをや。されば王陵が母は子のためになづき(頭脳)をくだき、

神堯しんぎょう皇帝の后は胎内の太子の御ために腹をやぶらせ給ひき。此等をを

もひつづけさせ給はんには、火にも入り、頭をもわりて、我子の形をみ

るべきならば、をしからずとこそ、おぼすらめとをもひやられてなみだ

もとどまらず。

【現代語訳】

老母はとどまり若き故子が先立つー光日尼の嘆き

 人間として生を受けた以上、身分の上下にかかわらず憂いのない人はありませんが、

時により人によってその歎きはさまざまです。たとえば病の常としてどのような病でも

重くなれば、これ以上の辛い病はないと思うようなものです。これと同じように主従の

別れ、親子の別れ、夫婦の別れもいずれ劣らぬ歎きではありますが、たとえ主君は失っ

てもまた他の主君に仕えることもできます。夫婦もまたたとえ別れても、代わりを迎え

れば心を休めることもできましょう。しかしながら親子の別ればかりは、月日も経てば

経つほどその歎きはいよいよ深くなるばかりです。親子の別れでも親が先に亡くなり子

供が残ることは同じ無常ではありますが自然の道理ですからやむをえませんしかし、

老いたる母が生き残って、若い子供が先立つのはあまりにも哀れで神や仏がうらめしく

思われます。どうして親を、子供の代わりに死なせないで生き残らせ、このように歎か

せるのであろうかと悲しくてなりません。思慮分別のない畜生でも子との別れは堪えが

たいものです。竹林精舎のきじは子を助けるために卵を抱いたまま焼死し、鹿野苑の鹿は

子をはらんだ雌鹿のために、王の前に身を呈したということです。ましてや、思慮分別の

ある人間が子を惜しむのは当然のことです。それゆえ、漢の※ 1陵の母は、王陵が情に動

かされて二心を抱くことをとどめて頭を砕いて死に、唐の高祖の竇皇とう ※ 2后は胎内の子のた

めに腹を破られたということです。これらのことどもを思うにつけ、尼御前もわが子の

姿を見るためには、たとえ火に入っても頭を砕いても惜しくはないと考えるその胸中が

思いやられて涙も止まりません。'(つづく)

【語註】

 ※1 王陵の母:王陵は劉邦に仕えた将軍。項羽は王陵の母を人質にして王陵を従わせ
           ようとしたが、王陵の使者が項羽の元を訪れた際、王陵の母は「漢王に従うよう
           に。私のために二心を持ってはいけません」と使者に伝えさせると、自分は剣に
           伏して自殺した。項羽は怒ってこの母を釜茹でに処した。陵母伏剣。

 ※2 竇皇后:唐の高祖李淵の夫人で、太宗李世民の母。

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【 2023/11/30 05:32 】

真の孝養と仏道をめざして  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

真の孝養と仏道をめざして 光日房御書④

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

光日房御書こうにちぼうごしょ

 同じき四月八日に平の左衛門の尉に見参す。本よりごせし事なれば、

日本国のほろびんを助けんがために、三度いさめんに御用ひなくば、山

林にまじわるべきよし存ぜしゆへに、同五月十二日に鎌倉をいでぬ。た

だし本国にいたりて今一度、父母のはかをもみんとをもへども、にしき

をきて故郷へはかへれといふ事は内外のをきてなり。させる面目もなく

して本国へいたりなば、不幸の者にてやあらんずらん。これほどのかた

(難)かりし事だにもやぶれて、かまくらへかへり入る身なれば、又に

しきをきるへんもやあらんずらん。其時、父母のはかをもみよかしと、

ふかくをもうゆへにいまに生国へはいたらねども、さすがこひしくて、

吹く風、立つくもまでも、東のかたと申せば、庵をいでて身にふれ、庭

に立ちてみるなり。

 かかる事なれば、故郷の人はたとひ心よせにおもはぬ物なれども、我

国の人といへばなつかしくてはんべるところに、この御ふみをたびて、心

もあらずしていそぎいそぎひらきてみ候へばをとしの六月の八日

いや(弥)四郎にをくれ(後)てとかかれたり。御ふみも、ひろげ

つるまではうれしくて有つるが、今、このことばをよみてこそ、なにし

にかいそぎひらきけん。うらしまが子のはこなれや、あけてくやしきも

のかな。

 我国の事は、うくつらくあたりし人のすへまでも、をろかならずをも

うに、ことさらこの人は形も常の人にはすぎてみへし上、うちをもひた

るけしき、かたくなにもなしとみし。をりしも法華経のみざ(御座)な

れば、しらぬ人々あまたありしかばことばもかけずありしに、経はて(果)

させ給ひて、皆人も立ちかへる。この人も立ちかへりしが、使を入れて

申せしは、安房国のあまつ(天津)と申すところの者にて候が、をさな

くより御心ざしをもひまいらせて候上、母にて候人も、をろか(疎略)

ならず申し、なれ(馴)球究しき申し事にて候へども、ひそかに申すべ

き事の候。さき窮究まひりて、次第になれ(馴)まいらせてこそ、申し

入るべきに候へども、ゆみや(弓
)とる人にみやづかひてひま候はぬ

上、事きう(急)になり候ひぬる上は、をそれをかへりみず申すと、こ

まごまときこえしかば、なにとなく生国の人なる上、そのあたりの事は

はゞかるべきにあらずとて、入れたてまつりてこま窮究と、こしかたゆ

くすへかたりてのちには世間無常なりいつと申す事をしらず其上

武士に身をまかせたる身なり。又、ちかく申しかけられて候事、のがれ

(遁)がたし。さるにては後生こそをそろしく候へ、たすけさせ給へと

きこへしかば、経文をひいて申しきかす。彼れのなげき申せしは、父は

さてをき候ぬ。やもめにて候はわ(母)をさしをきて、さきに立ち候はん

事こそ、不孝にをぼへ候へ。もしやの事候ならば、御弟子に申しつたへ

てたび候へと、ねんごろにあつらへ候ひしが、そのたびは事ゆへなく候

へけれども、後にむなし(空)くなる事のいできたりて候ひけるにや。

【現代語訳】
東の風立つ雲までもー身延からの懐郷

 4月8日には平の左衛門尉頼綱と対面しました。そして日本を滅亡から救うために3

度諫め、それでも自分の意見が採用されなければ山林にのがれようとは、もとより覚悟し

ていたことですので、5月12日に鎌倉を発ってこの身延の山に入ったのです。ただ身延

の山に入る前に、一度故郷へ帰り両親の墓へお参りしたいと思いましたが、成功して故

郷に帰れとは儒仏の掟でありますので、3度の諫めも採用されないまま故郷へ帰ること

は不孝の者となりましょう。ただ、帰ることができないと考えていた佐渡流罪も赦され

て、再び鎌倉へ帰ることができたのですから、また幕府が自分の意見を採用する時もあ

ろうかと思われます。その時こそ両親の墓へお参りしようと思いますので、今は故郷に

帰りません。しかし、さすがに両親の眠る故郷は恋しく、吹いて来る風、立つ雲が東方

からといえば、思わず庵を出て身に触れ庭に立って見るばかりです。

弥四郎急死の知らせ

 したがって、たとえ親しみのない人でも故郷の人といえば非常になつかしく思われま

すのに、まして親しい尼御前からの手紙を頂戴し、心もはやって早速拝見しましたとこ

ろ、一昨年の6月8日に御子息の弥四郎殿が亡くなられたとのこと。お手紙を見るまでは

しく思っていましたが、いまこのお手紙を読み、どうしてこんなに急いでお手紙をひら

たかと、浦島太郎の玉手箱のように開けたことを悔いています。

後生こそ恐ろし、助けさせたまえー弥四郎という人

 故郷の安房の国のことは、日蓮に辛くあたった人のことでも懐かしく思っております

し、とりわけ弥四郎殿は容貌も人並み以上に勝れ、温和な人柄とお見受けしました。い

つぞやお会いしたのは法華経講説の席で、知らない人びとも多勢いましたので言葉もか

けませんでした。講説も終わり人びとも弥四郎殿も帰られましたが、やがて使いをよこ

し、自分は安房の国天津に居住する者ですが、幼少の時からあなたの御志を御慕いし、

私の母もまたあなたのことをおろそかには申していませんでした。馴れ馴れしい申し分

ではありますが、内密に申し上げたいことがございます。本来ならばお伺いいたし、御

懇意をいただいてから申し上げるべきですが、武士に仕える身分にて暇もなく、それに

急ぎ申し上げねばならない事情もありますので、失礼をかえりみず申し上げます。と懇

切に面会を求めてこられました。故郷の人でもあり、別にはばかる事もありませんので招い

ところ、こまごまと今までのことや行末のことなどを話してから、無常は世の習いであ

ればいつ命を失うかはわかりません。その上、自分は武士となった身であり、また近い

うちに刀を用いなければなりません。それにつけても後生が恐ろしく思われてなりませ

んので、どうか助けていただきたいと言われましたので、経文を引用して申し聞かせま

したまた弥四郎殿が歎いて言うには父はすでに亡くなりましたが寡婦の母がいます

この母より先に死ぬことは、この上ない不孝だと考えています。もし私が死ぬようなこ

とがあれば、是非母をお弟子にして頂きたいとねんごろに依頼されました。その時は何事も

なくすんだようでしたが、その後また死なねばならない事件が起こったのでしょうか。

(つづく)

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【 2023/11/28 05:41 】

真の孝養と仏道をめざして  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

真の孝養と仏道をめざして 光日房御書③

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

光日房御書こうにちぼうごしょ

 ただし法華経のまことにおはしまし、日月我をすて給はずば、かへり

入りて又父母のはかをもみるへんもありなんと、心づよくをもひて、梵

天・帝釈・日月・四天はいかになり給ひぬるやらん。天照大神・正八幡

宮はこの国にをはせぬか。仏前の御起請はむなしくて、法華経の行者を

ばすて給ふか。もしこの事叶はずば、日蓮が身のなにともならん事はを

しからず。各々おのおの現に教主釈尊と多宝如来と、十方の諸仏の御宝前にして

誓状を立て給ひしが今日蓮を守護せずして捨て給ふならば、正直捨方しょうじきしゃほう

便べんの法華経に大妄語を加へ給へるか、十方三世の諸仏をたぼらかし奉れ

御失おんとがは、提婆達多だいばだったが大妄語にもこへ、瞿伽利尊者くぎゃりそんじゃ虚誑罪こおうざいにもまされ

たり。たとひ大梵天として色界しきかいの頂に居し、千眼天せんげんてんといはれて須弥しゅみ

頂におはすとも、日蓮をすて給ふならば、阿鼻の炎にはたきぎとなり、

無間大城にはいづるごおはせじ。此罪をそろしくをぼせば、いそぎいそ

ぎ国にしるしをいだし給へ、本国へかへし給へと、高き山にのぼりて大

音声をはなちてさけびしかば、九月の十二日に御勘気、十一月に謀反むほん

ものいできたり、かへる年の二月十一日に、日本国のかためたるべき大

将どもよしなく打ちころされぬ。天のせめという事あらはなり。これに

やをどろかれけん、弟子どもゆるされぬ。しかれどもいまだゆりざりし

かば、いよ球究強盛ごうじょうに天に申せしかば、頭の白き烏とび来りぬ。彼燕かのえん

のたむ(丹)太子の馬、烏のれい(例)、日蔵にちぞう上人の、山がらすかしら

もしろくなりにけり我がかへるべき期や来ぬらん、とながめしこれなり

と申しもあへず、文永十一年二月十四日の御赦免状、同三月八日に佐渡

の国につきぬ。同十三日に国を立ちて、まうら(網羅)というつ(津)

にをりて、十四日はかのつにとどまり、同じき十五日に越後の寺どまり

(泊)のつにつくべきが、大風にはなたれ、さいわひ(幸)にふつかぢ

(二日程)をすぎて、かしはざき(柏崎)につきて、次の日はこう(国

府)につき、十二日をへて三月二十六日に鎌倉へ入りぬ。

【現代語訳】


白頭の烏ー佐渡赦免

 ただし、法華経が真実の教えであり、日月天などの法華経を守護する諸天が日蓮を見

捨てなければ、また故郷へ帰り父母の墓へ参ることもできるであろうと心強く、法華経

の行者を守護する梵天・帝釈天・日月天・四天王らはどうなされたか、天照大神・正八

幡宮はこの日本におられないのか法華経の行者を守護するという仏前の起請を破って、

法華経の行者を捨てられたのかと思うばかりです。諸天の守護がなく、日蓮の身がどう

なろうとも惜しいとは思いません。ただ、あなた方が現に教主釈尊と多宝如来と十方の

諸仏の前で、法華経の行者を守護すると誓いを立てながら、いま日蓮を守護しないでそ

の誓いを捨てるならば、釈尊が「正直に方便を捨てる」と言われた法華経に大きな妄語

を加えることになりましょう。十方三世の諸仏を欺いた罪は、提婆達多の大きな偽りよ

りも
※ 1伽利尊者※ 2誑罪よりも重く深いものです。たとえ大梵天として色界の頂上に居

住し、帝釈天といわれて須弥山の頂上におられても、もし日蓮を守護しないで捨て去る

ならば、絶え間なく責め苦を受ける阿鼻地獄の炎を増す薪となって、その無間地獄から

されることは永久にないでしょう。この罪を恐ろしいと思われるならば、急ぎ日蓮が逮

捕されたとき予言したように内乱の現証を示されよ、日蓮を鎌倉へ帰されよと高い山に

登り、大音声をもって諸天へ強言しました。すると9月12日のとがめの日から、わずか3

ケ月後の11月に謀反を起こす者が現われ、翌年の2月11日には日本国を守るべき大将た

ちが理由もなく殺されました。諸天の呵責かしゃくが実行されたことはこれによって明らかで

す。これに驚いた幕府は牢につながれていた日蓮の弟子たちをただちに赦免しました。

しかし日蓮にはいまだ赦免がありませんので、さらに強盛に守護なきことを諸天に申し

聞かせますと、頭の白い烏が飛来してきました。これは何事かと考えてみますと、むか

し燕の国の丹太子が秦の国に人質になった時秦王が戯れにもし※ 3頭の烏が現われ、馬

に角が生えたならば許そうといったのを丹太子が祈り、ついに白頭の烏が現われ、馬に

が生じて本国へ帰ることを許された例があります。また※ 4蔵上人が「山がらすかしらも

しろくなりにけり我かへるべき期や来ぬらん」と詠んだことなどを思い合わせ、自分の

帰る時期も近づいたのであろうかと考えていますと、文永11年(1274)2月14日に赦免

状が下り、それが3月8日に佐渡の国へ届いたのです。13日に佐渡の配所を発って真浦の

津に着き、14日はそこに泊り、翌15日に越後の寺泊に着く予定が、大風のため船が流さ

れ2日後に※ 5崎へ到着しました。そしてその翌日には越後の国府に着き、12日間の旅程

をへて3月26日に鎌倉へ入りました。(つづく)

(語註)

 ※1 
瞿伽梨尊者:釈迦族の出身で、釈迦の実父である浄飯王の命により出家し仏弟子
        となったが、驕慢心で我見が強かったために修行が完成せず、後に提婆達多の弟子
        となったという。
「大智度論」にある伝説では、ある日の夜に、舎利弗と目連が急
        な雨天に見舞われ、陶師の家に止宿させてもらった。先に女人がいたが、暗かった
        ので2人とも知らなかった。女人が夜夢に精を失って晨朝水浴したのを、瞿伽梨が
        見つけて、2人が不浄を行ったと言いふらした。これを聞いた釈尊は彼を3度にわ
        たって呵責するも、瞿伽梨は悔い改めずに、ついに身体に疱瘡ができて死に、大蓮
        華地獄に堕したという。

 ※2 虚誑罪:妄語のこと。悪心をもって故意に人を欺き、悪道に堕とそうとする罪。
     十悪業の1つ。
 

 ※3 
白頭の烏:中国の戦国時代、秦に人質になっていた燕の太子、丹が帰国を望んだ
           ところ、秦王(始皇帝)が「烏の頭が白くなり、馬に角が生えたら許可しよう」
           と答えたという故事。「史記‐刺客伝賛注」「燕丹子」などにみえる。

 ※4 
日蔵:金峯山の日蔵とする説もあるが、平安時代の歌僧で、中古三十六歌仙の
           である増基法師とする説が妥当。日蓮が引用した「山がらす」の歌は、家集『い
           ほぬし』(別名「増基法師集」)に含まれ、『後拾遺和歌集』に人集された。

 ※5 
柏崎:現在の新潟県柏崎市。新潟県の海岸ぞいのほぼ中央に所在。鎌倉時代から
           港津として発達。文永11年(1274)3月、佐渡流罪を赦免された日蓮は、その
           帰路、大風に流されて寺泊に着く予定が当地に漂着した。

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【 2023/11/25 05:43 】

真の孝養と仏道をめざして  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

真の孝養と仏道をめざして 光日房御書②

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

光日房御書 こうにちぼうごしょ

 日蓮はさせるとがあるべしとはをもはねども、この国のならひ、念仏者

と禅宗と律宗と真言宗にすかされぬるゆへに、法華経をば上にはたうと

むよしをふるまへ、心には入らざるゆへに、日蓮が法華経をいみじきよ

し申せば、威音王仏 いおんのうぶつの末の末法に、不軽菩薩 ふぎょうぼさつをにくみしごとく、上一 かみいち

にんよりしも万人にいたるまで、名をもきかじ、まして形をみる事はをもひ

よらず、さればたとひ失なくとも、かくなさるる上はゆるしがたし。ま

していわうや、日本国の人の父母よりもをもく、日月よりもたかくたの

みたまへる念仏を、無間の業と申し、禅宗は天魔の所為 そい、真言は亡国の

邪法、念仏者・禅宗・律僧等が寺をばやきはらひ、念仏者どもが頸をは

ねらるべしと申す上、最明寺 さいみょじう・極楽寺の両入道殿を阿鼻地獄 あびじごくに堕ち

給ひたりと申すほどの大禍ある身なり。此等程の大事を上下万人に申し

つけられぬる上は、たとひそらごとなりともこの世にはうかびがたし。

いかにいわうや、これはみな朝夕に申し、昼夜に談ぜしうへ、へい左衛 さえ

門尉 もんのじょう等の数百人の奉行人に申しきかせ、いかにとが(科)に行はる

とも申しやむまじきよし、したゝかにいゐきかせぬ。されば大海のそこ

のちびきの石はうかぶとも、そらよりふる雨は地にをちずとも、日蓮はか

まくらへは還るべからず。

【現代語訳】
諫めと憎悪ー赦免のされがたいことの回想


 日蓮はそれほどの罪科ある身とは思いませんが、日本の人びとは長い間、念仏者と禅

宗と律宗と真言宗の教えにだまされてきていますから、法華経を表面では尊崇している

ように見えますが、心からは信じておらず、日蓮が法華経を最勝の経であるといえば、

あたかも威音王仏の末法の人びとが※ 1軽菩薩を憎んだように、日本の上下のすべての人

びとは日蓮を憎みその名を聞くことすら嫌い、まして姿を見ようと思う者など一人もい

ません。したがって、たとえ罪科がなくても流罪にされた上は赦免されることはないで

しょう。まして日蓮は、日本国の人びとが父母よりも重く尊び、日月よりも高く仰いで

いる念仏を無間地獄に堕ちる業禅宗は天魔の所為真言宗は亡国の邪法であると破し、

念仏者・禅宗・律僧などの寺を焼き払い、念仏者の首をねよと申し述べたばかりか、

※ 2明寺入道時頼殿・※ 3楽寺入道重時殿は無間地獄に堕ちたとまで主張した大罪のある

身です。これほどの大事を上下万人に申し上げた以上、かりに虚事であるとしてもこの

流罪が赦免されることはないでしょう。ましてこれらのことは、すべて日蓮が常に語り

続けたばかりでなく、文永8年(1271)9月10日には※ 4左衛門尉ら、数100人の役人の

前で申し聞かせ、いかなる罪科に処せられても決してその主張を止めることはできない

と、強く言明したのですからなおのことです。したがって、たとえ大海の底の1000人の

力でようやく引くことのできる重い大石が浮かぶことがありましても、また天から降る

雨が大地に落ちないことがありましても日蓮が再び鎌倉へ帰ることはないと思います


(つづく)

【語註】

 ※1 不軽菩薩:法華経の常不軽菩薩品第二十に説かれる菩薩。釈尊の前世における衆
           生救済の菩薩行を説く本生物語の一つで、すべての人々がやがて成仏するであろ
           うことを尊び、軽蔑や迫害にもめげず四衆を礼拝した。日蓮聖人はこの不軽菩薩
           を末法における法華経弘通の理想とし、自己の信仰実践の規範とした。

 ※2 最明寺入道:第5代執権北条時頼のこと。幕府の勢威と北条氏の権力を強めた。
           禅僧蘭渓道隆に帰依し、建長寺内に最明寺を建立、最明寺入道とよばれた。執権
           辞任後も最大の権力者で、日蓮が文応元年(12060)に立正安国論を前の執権で
           ある時頼に上呈したのもこのため。日蓮は時頼こそ自説の理解者と見、また伊豆
           流罪赦免の理由も、讒言によって流罪されたことを知った時頼の処置であると受
           けとめた。

 ※3 極楽寺:神奈川県鎌倉市極楽寺町に所在。真言律宗の寺院、開山は良観房忍性、
           開基は北条重時と伝える。幕府の祈願所となり発展。日蓮聖人は法華経誹謗の拠
           点・悪所とした。

 ※4 平左衛門尉:平頼綱のことで、平金吾とも表記。鎌倉幕府侍所の所司。北条氏得
           宗の時宗貞時の被官文永8年(1271)9月12日、日蓮逮捕の指揮をした中心
           人物。このとき日蓮は、得宗被官の最大有力者だった頼綱に対し、2度目の諫言
           を、さらに佐渡流罪赦免後の文永11年(1274)4月に、3度目の諫暁を行なっ
           た。

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【 2023/11/23 05:48 】

真の孝養と仏道をめざして  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

真の孝養と仏道をめざして 光日房御書①

 
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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

光日房御書こうにちぼうごしょ
建治2年(1276)3月、55歳、於身延、和文

 身延より故郷の安房天津の光日房に宛てた手紙。光日尼よりわが子弥四郎の死が伝えられたことへの返報で、特に日蓮の望郷と亡き父母への心情、鎌倉から佐渡流罪を経て身延入山に至る自叙、愛子に先立たれた母に信心を勧め、故弥四郎が罪を滅して成仏したことなどを明かす。法華経弘通の厳しさと細やかな慈愛と日蓮自らの心情を吐露している。

 去文永八年太歳辛未九月のころより御勘気ごかんきt>をかほりて、北国の海中佐

渡のしまにはなたれしかば、なにとなく相州鎌倉に住しには、生国なれば

安房あわの国はこひしかりしかども、我国ながらも、人の心もいかにとや、

むつ(眤)びにくくありしかば、常にはかよう事もなくしてすぎしに、

御勘気の身となりて死罪となるべかりしが、しばらく国の外にはなたれ

し上は、をぼろげ(小縁)ならではかまくらへはかへるべからず。かへ

らずば又父母のはかをみる身となりがたしとおもひつづけしかば、いま

さらとびたつばかりくやしくて、などかかゝる身とならざりし時、日に

も月にも海もわたり、山をもこえて父母のはかをもみ、師匠のありやう

をも、とひをとづれざりけんとなげかしくて、彼の蘇武そぶ胡国ここくに入りて十

九年、かりの南へとびけるをうらやみ、仲丸なかまろが日本国の朝使としてもろ

こしにわたりてありしが、かへされずしてとしを経しかば、月の東に出

でたるをみて、我国みかさの山にもこの月は出でさせ給ひて、故里ふるさとの人

も只今月に向ひてながむらんと、心をすましてけり。これもかくをもひ

やりし時、我国より或人のびん(便)につけて、きぬをたびたりし時、彼

の蘇武がかりのあし、これは現に衣あり。にるべくもなく心なぐさみて

候。

【現代語訳】
故郷は恋しくてー佐渡からの望郷

 去る文永8年(1271)9月の頃、幕府の咎めを受けて北国の海に浮かぶ佐渡が島へ流

罪となりました。相模国の鎌倉に住んでいた頃は、故郷の※ 1房をなつかしく思っていま

したが、生まれた国でありながら人々がどう考えているか分かりかねましたので、あま

り故郷に帰ることなく過ごしてきました。しかし、今度はとがめを受けて死罪になるとこ

ろを流罪となったのですから、おそらく鎌倉へ帰ることはできないと思います。帰れな

ければ父母の墓へ参ることもできないと思いますと、今になって飛んで行きたいほど悔

しく、なぜこのような配流の身となる前に、毎日でも毎月でも海を渡り山を越えて父母

の墓に参り、師の※ 2善房の様子を問い訪ねなかったのかと残念に思っています。※ 3武は

胡国に使者として入りましたが拘留されること19年、この間、雁が南へ飛ぶのを見ては

うらやましく思いまた阿倍の仲丸仲麿は日本国の使者として中国に渡りましたが、

何年たっても還されず、月が東の山に出るのを見ては日本の三笠の山にもこの月が出

て、故郷の人びともこの同じ月を眺めているであろうと心を落ち着かせたということで

す。いま日蓮もそのように故郷のことを思っているところへ、故郷安房のあなたから使

者に托して衣服を頂戴しました。蘇武は手紙をもらっただけですが、日蓮は衣服まで頂

戴したのですから、心を慰められることは比較にならないほどです。(つづく)

【語註】

 ※1 安房:現在の千葉県南部。房総半島の南端に位置する。同国東条には天照大神の
           御厨があることさらに日蓮聖人自身の生国として格別な愛着をもちつづけた。
 
 ※2 道善坊:清澄寺の住僧。日蓮の出家当時の師。

 ※3 蘇武:漢の武帝につかえた名臣。中郎将として匈奴に使いしたが,単于に捕わ
     れ,節を曲げなかったため北海 (バイカル湖) のほとりに 19年間幽閉された。漢
           にはすでに死んだと伝えられたが、昭帝の時、皇帝が狩りで射落した雁の足に武
           の手紙がつけてあったと称して,蘇武の送還を匈奴に求め,ついに漢に帰ること
           ができた。

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【 2023/11/21 05:42 】

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真の孝養と仏道をめざして 新尼御前御返事⑤

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

新尼御前御返事にいあまごぜんごへんじ

 領家はいつわりをろかにて或る時は信じ、或る時はやぶる不定なりし

が、日蓮御勘気ごかんきこうむりし時すでに法華経をすて給ひき。日蓮先よりけさ

んのついでごとに「〔信じ難く、解し難し〕」と申せしはこれなり。日

蓮が重恩の人なれば扶けたてまつらんために、この御本尊をわたし奉る

ならば、十羅刹じゅうらせつ定めて偏頗へんぱの法師とをぼしめされなん。また経文のご

とく不信の人にわたしまいらせずば、日蓮偏頗はなけれども、尼御前我

身のとがをばしらせ給はずしてうらみさせ給はんずらん。この由をば委

細にすけ阿闍梨あじゃりの文にかきて候ふぞ。召(め)して尼御前の見参に入れ

させ給ふべく候ふ。

 御事にをいては御一味なるやうなれども御信心は色あらはれて候

さどの国と申し、この国と申し、度度の御志ありて、たゆむけしき

はみへさせ給はねば、御本尊はわたしまいらせて候ふなり。それも終い

にはいかんがとをそれ思ふ事、薄氷うすらいをふみ、太刀に向かふがごとし。く

はしくはまたまた申すべく候ふ。

 それのみならず、かまくらにも御勘気の時、千が九百九十九人は堕ち

て候ふ人人に、いまは世間やわら(和)ぎ候ふかのゆへに、くゆる人人

も候ふと申すに候へども、これはそれには似るべくもなく、いかにもふ

びんには思ひまいらせ候へども骨に肉をばかへぬ事にて候へば

法華経に相違せさせ給ひ候はん事を叶ふまじき由、いつまでも申し候ふ

べく候ふ。恐恐謹言。

二月十六日                     
日 蓮 花押

新尼御前御返事

【現代親訳】

 領家の大尼御前は、頼りにならない愚かもので、私の教えを、ある時は信じ、ある時

は疑って、ふらふらしていましたが、私が佐渡に流された時に、とうとう法華経をお捨

てになりました。私が以前からお会いするたびごとに「法華経は信じがたくわかりにく

い経典です」と申し上げていたのは、このようなことを指すのです。大尼御前は、私が

重恩を蒙った方ですから、その現世安穏・後生善処のために、ご希望通りご本尊をお授

けしたい気持ちもあるのですがそれをしたならば法華経の守護神である※ 1羅刹女が、

私を私情におぼれた偏頗(片寄って不公平なこと)な法師であるとお思いになるでしょ

う。また一方、経文に説かれている通りに、不信の人にはご本尊を授けないということ

にすると、私は偏頗さは解消するといっても、大尼御前が自分の過失に気が付かないで

私をお恨みになるに違いありません。このことを※ 2の阿闍梨への手紙に詳しく書いてお

きました。いずれ彼を招いて大尼御前にお見せしていただきたいと思います。

 それにひきかえあなたの場合は、大尼御前の御一族ですから、行動はともにされてい

るようですが、ご信心については目に見えてしっかりしていらっしゃいます。私が佐渡

の国に流されていた頃といい、この身延山に隠棲してからといい、少しも変わらずたび

たびご芳志を示されて、怠る様子がお見えにならないので、ご本尊はお授けいたしまし

た。とはいっても、あなたのご信心が、最後まで変わることがないかどうかということ

にはまだ不安があって薄氷を踏みあるいは太刀に向かって立つような気持ちです。

詳しいことはまたいずれ申し上げましょう。

 信心が揺れ動くというのはあなたがただけの問題ではありません。鎌倉方面でも、私

が流罪にあった時に、1000人のうちの999人にものぼる脱落者が出ましたが、その中に

は私に対する世間の風当たりが和らいだ今になってみると、後悔して、また門下に加わ

りたいと希望する人がいるという報告を聞いています。まあ、そんな連中とは比較にな

らないほど重恩を受けた大尼御前のことですから、いささか心苦しく思いますが、「骨

と肉とは混同できない」という諺の通り、法華経に違背なさったのは絶対に許されない

ことだという道理を、あくまでも厳しく申し上げたいと思います。恐恐謹言。

二月十六日                           
日 蓮  花押

新尼御前御返事

【語註】

 ※1 十羅刹女:法華経・陀羅尼品【だらにほん】に登場する10種の女鬼で、法華経
           の守護神である。日蓮の時代には鬼子母神の子であるとする説があった。

 ※2 助の阿闍梨:伝未詳。日蓮の弟子か、あるいは協力者。阿闍梨の僧階を有してい
        るので清澄寺の老僧であろうか。

【解説】

 
新尼は安房国長狭郡東条の領家(荘園領主)の若女主人。領家の主人(一説には名越

朝時)が世を去ったので、夫人は尼となり「領家の後家尼」といわれた。後にその子に

妻を迎えたが、この子がまた若くして世を去ったために、嫁も後家尼となり、領家の尼

のことを大尼、子の嫁のことを新尼と呼んだのである。

 冒頭の部分で、「礒のほとりにて昔見しあまのりなり。色形あぢわひもかはらず。な

ど我父母かはらせ給ひけんと、かたちがへ(方違)なるうらめ(恨)しさ、なみだをさ

へがたし」と日蓮は送られて来た故郷の香りのする海苔を見て望郷の念を禁じえず、

父母をなつかしむの情抑え難きことを素直に記している。身延山における日蓮のいかに

も人間的な情緒の一面を浮き彫りにした一文である。

 大尼と新尼ともども日蓮に帰依して外護に勤めた。大尼は文永8年の竜口・佐渡法難

の折に退転したにもかかわらず、新尼は信仰を堅持して怠らなかった。新尼には本尊を

授与しているが、大尼からの要請があったにもかかわらず、大尼には本尊は授与されな

かった。たとえ重恩のある人であっても、日蓮は厳しい法の立場をとったのである。

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【 2023/11/18 05:39 】

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真の孝養と仏道をめざして 新尼御前御返事④

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

新尼御前御返事にいあまごぜんごへんじ


 しかるに日蓮、上行菩薩にはあらねども、ほぼ兼ねてこれをしれる

は、かの
菩薩の御計らひかと存じて、この二十余年が間これを申す。こ

の法門弘通せんには「〔如来の現在すらなお怨嫉おんしつ多し。いわんや滅度の

後においておや〕」「〔一切世間に怨多く信じ難し〕」と申して、第一

のかたきは国主並びに郡郷等の地頭領家万民等なり。これまた第二第三

の僧侶がうつたへについて、行者を或は悪口あっくし、或は罵詈めりし、或は刀杖とうじょう

等云云。

 しかるを安房の国東条の郷は辺国なれども日本国の中心のごとし。そ

の故は天照太神あとを垂れ給へり。昔は伊勢の国に跡を垂れさせ給ひてこ

そありしかども、国王は八幡はちまん加茂かも等を御帰依おんきえ深くありて、天照太神の

御帰依浅かりしかば、太神いかりおぼせし時、源の右将軍と申せし人、御

起請文きしょうもんをもつてあをか(会加)の小大夫に仰せつけて頂戴し、伊勢の

外宮げぐうにしのびをさめしかば、太神の御心に叶はせ給ひけるかの故に、日

本を手ににぎる将軍となり給ひぬ。この人東条の郡を天照太神の御栖おんすみか

定めさせ給ふ。さればこの太神は伊勢の国にはをはしまさず、安房の国

東条の郡にすませ給ふか。例せば、八幡大菩薩は昔は西府にをはせしか

ども、中ごろは山城の国男山おとこやまに移り給ひ、今は相州鎌倉鶴が岡に

給ふ。これもかくのごとし。

 日蓮は一閻浮提の内、日本国安房の国東条の郡に始めてこの正法を弘

通し始めたり。随ひて地頭敵となる。かの者すでに半分ほろびて今半分

あり。

【現代語訳】
正法弘通

 ところで私は、上行菩薩ではありませんが、末法時代の仏法のあり方について、およ

その事を予知したのは、上行菩薩のお計らいによるものであろうと思って、この20余年

の間妙法蓮華経の5字を広めることに努めてきましたこの法門を弘通するとなると、

法華経の法師品ほっしほんに「この経を信受するものは、如来の在世中でさえもうらねたみが多い。

まして滅後には、世間全般に怨みが多くて信じることが困難である。」と言われている

通り、三類の怨敵に苦しめられるわけですが、その第一の怨敵「俗衆増上慢ぞくしゅうぞうじょうまん」と

は国主ならびに郡・郷等の地頭・領家およびそれに従う人民です。この連中が、第二の

怨敵「道門どうもん増上慢」や第三の怨敵「僣聖せんしょう増上慢」といった僧侶たちの訴えるところに

随って、法華経の行者を、あるいは悪口をあびせ、あるいは罵倒し、あるいは打ったり

切ったりするのです。

 私たちの故郷、安房の国・東条の郷は、地図の上では辺境の国ですが、内容からいえ

ば日本国の中心のような所です。なぜなら、天照太神がお住みになっていらっしゃる所

だからです。天照太神は、昔は伊勢の国に住んでおいでになったのですが、国王が八幡

や加茂の神々ばかりを尊崇して、天照太神への御帰依が浅かったものですから、太神は

不快にお思いになっていらっしゃった――その時、源の右大将頼朝という人が、ご起請

文を記して会加※ 1 あおかの小大夫に命令して天照太神を奉戴ほうたいし、伊勢の外宮に安置なさったも

のですから、太神の御心にかなったのでしょう、頼朝は日本国を統治する将軍となりま

した。その頼朝が、安房の国・東条の郡を天照太神の御栖おんすみかとお定めになったのです。

だから、この太神は、今は伊勢の国にはおいでにならないで、東条の郷におすみになっ

ていらっしゃるはずです。たとえば、八幡大菩薩は、昔は筑前の太宰府においでになり

ましたが、中ごろは山城の国・男山に移られ、今は相模の国・鎌倉の鶴が岡に住んでい

らっしゃいます。天照太神も同様なのです。

 私は、世界の中で、日本国・安房の国・東条の郡ではじめて妙法蓮華経の5字に集約

された正法を弘通しはじめました。それで念仏信者の地頭が敵となりました。彼の勢力

はすでに半ばは減退したのですが、まだ半分ほどの力が残っています。(つづく)

【語註】

 ※1 
会加の小大夫:伊勢神宮の神官。養和元年(1181)、源頼朝の平家討伐祈祷の
           ために鎌倉に招かれた渡会【わたらい】光倫。寿永3年(1184)、頼朝は祈願
           成就にあたって、伊勢の内宮に武蔵国飯倉御厨【みくりや】を、また外宮に安
           房国東条御厨を寄進したが、光倫はその後者に関与した。

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【 2023/11/16 05:40 】

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真の孝養と仏道をめざして 新尼御前御返事③

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

新尼御前御返事にいあまごぜんごへんじ

 今この御本尊は教主釈尊五百塵点劫じんてんこうより心中にをさめさせ給ひて、

世に出現せさせ給ひても四十余年―その後また法華経の中にも迹門しゃくもん

せすぎて、宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し、神力品属累ぞくるいに事極

まりて候ひしが、金色こんじき世界の文殊師利、兜史多天宮としたてんぐう弥勒菩薩みろくぼさつ補陀落ふだらく

せんの観世音、日月浄明徳仏にちがつじょうみょうとくぶつの御弟子の薬王菩薩等の諸大士、我も

我もと望み給ひしかども叶はず。「これ等は智慧いみじく、才学ある人

人とはひびけども、いまだ日あさし、学も始めたり、末代の大難忍びが

たかるべし。我れ五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あ

り。これにゆづるべし」とて、上行菩薩等を涌出品ゆじゅつぽんに召し出させ給ひ

て、法華経の本門ほんもんの肝心たる「妙法蓮華経」の五字をゆづらせ給ひて、

「あなかしこあなかしこ、我滅度の後正法一千年、像法一千年に弘通す

べからず。末法の始めに謗法ほうぼうの法師一閻浮提に充満して、諸天いかりを

なし。彗星ほうきぼしは一天にわたらせ、大地は大波のごとくをどらむ。大早魃かんばつ

・大火・大水・大風・大疫病・大飢饉・大兵乱等の無量の大災難並びを

こり、一閻浮提の人人各各甲冑かっちゅうをきて弓杖を手ににぎらむ時、諸仏・

諸菩薩・諸大善神等の御力の及ばせ給はざらん時、諸人皆死して無間地

獄に堕ちること、雨のごとくしげからん時、この五字の大曼荼羅まんだらを身に

帯し心に存せば、諸王は国を扶け、万民は難をのがれん。ないし後生の

大火災を脱るべし」と仏記しをかせ給ひぬ。


【現代語訳】

 さて、このご本尊は、教主釈尊がこの世に出現なさる以前の※ 1百塵点劫の昔から心の

中に秘蔵していらっしゃったもので、現世において覚者となられてからでも、法華経を

説く以前の40余年間はお示しにならなかった―いや法華経の説法に入ってからでも※ 2

の初めの方は通り過ぎて、見宝塔品 けんほうとうほんにいたってはじめて説き起こし、本門の寿量品に

おいて真相を顕わし、神力品・属累品で完結したご本尊であります。これを弘めること

を希望して金色世界の※ 3殊師利菩薩※; 4史多天宮の※ 5勒菩薩、※ 6陀落山の※ 7世音菩薩、

日月浄明徳仏の御弟子の薬王菩薩ら多くの菩薩たちが、われもわれもとお申し出になっ

たのですけれども、釈尊はそれをお許しになりませんでした。そして「これらの菩薩た

ちは、智慧がすぐれ、才覚もある連中として評判は高いのだが、まだ法華経に帰依して

からの日も浅く学問も不十分であって、末法濁悪の世で遭遇する三類の怨敵の難に耐え

ることができないであろう。私には五百塵点劫の昔から大地の底に待機させている秘蔵

の弟子がいる。その者たちにこの大任を引き受けさせることにする」とおっしゃって、

※ 8行菩薩を上首とする地涌の菩薩たちを従地涌出じゅうじゆじゅつ品においてお召し出しになり、法

華経の※ 9門の肝心要かんじんかなめである「妙法蓮華経」の5字をお授けになって、「謹聴せよ、謹

聴せよ。私の死後、正法の行なわれる1000年間、また像法時代に入っての1000年間に

は、
この法を弘通してはいけない。末法時代になると、その初期から謗法の法師が世界

中に満ち満ち、諸天善神が怒りを爆発させ、彗星が天空いっぱいにとびまわり、大地震

が起きて大地は大波のように揺れ動くであろう。そして、大早魃・大火災・大洪水・大

流行病・大飢饉・大戦乱などの数知れない大災難が競い起こり、世界じゅうの人々が身

を甲冑で固めて手に手に弓や刀をにぎる時、また諸仏・諸菩薩・諸大善神らの御威光が

えて無力におなりになる時、あるいはまた人々がみな死んで雨が降るようにはげしく

無間地獄に陥る時、その時こそ、この妙法蓮華経の5字の大曼荼羅を身につけ心に信じ

るならば、為政者たちは国を安らかにすることができるであろうし、万民は災難を逃れ

られるであろう。いや現世が安穏になるばかりでなく、死後に地獄の火で焼かれる苦し

みからも脱れられるに違いない」と仏は記し置いていらっしゃるのです。(つづく)


【語註】

 ※1 
五百塵点劫:無限の時間をいう。五百千万億那由他阿僧祇【なゆたあそうぎ】
          (無数の量)の三千大千世界を砕いて微小な塵とし、それを五百千万億那由他劫
           を経過するごとに一つぶずつ取り去って、その塵がなくなった時、その経過した
           国土をまた砕いて微小な塵とし、その一つぶの塵を一劫として数えた時間。

 ※2 迹門:久遠実成【くおんじつじょう】の仏が衆生を救済するためにこの世に姿を
           現わして教えを説くという応迹【おうしゃく】の法門で、本門に対する語。法華
           経の前半14品をいう。
 
 ※3 文殊師利菩薩:釈尊の左脇に侍して仏の智・恵・証の三徳を司り、智恵の威徳を
           象徴する獅子に乗って」いる菩薩。過去世において日月燈明仏の弟子妙光菩薩で
           あった時に月日燈明仏の8人の王子を法華経によって順次教化成仏させた
           がその第8子の燃燈仏が釈尊の師であったという。

 ※4 兜史多天宮:兜率天と同じ。欲界六天の第四天で内院と外院とがあり、内院は将
           来成仏する菩薩の住む所で、釈迦如来もここから人間界に生まれて成仏をした。
           今は弥勒菩薩が住して説法をしている。外院は天衆の遊楽するところ。

 ※5 弥勒菩薩:釈迦如来の滅後56億7000万年を経てこの世に出生し、竜華樹【りゅ
           うげじゅ】のもとで成仏して三会【さんね】において説法をすることになってい
           る将来仏(未来仏)。今は兜率天の内院で天人たちのために法を説いている。な
           お三会とは、上・中・下根のすべての人びとをあまねく救うための3回の説法会
           である。

 ※6 補陀落山:インドの南海岸にあるという山で、観世音菩薩が住む霊地。

 ※7 観世音菩薩:わが国では仏法受容以来宗派を問わず信仰されてきたが、日蓮は観
           音を、阿弥陀仏の弟子で迹化【しゃっけ】他方の菩薩ではあるが釈尊の説法を聞
           いて法華経の行者を守護するようになったとしている。

 ※8 上行菩薩:法華経・涌出品で地から涌出した菩薩たちの4上首(上行・無辺行・
           浄行・安立行の四菩薩)の代表。日蓮聖人は佐渡流罪以後、釈尊から末法濁乱
         【じょくらん】の世を救うべく依嘱された上行菩薩とは自分にほかならないとい
           う自覚を不動のものとした。

 ※9 本門:久遠実成の仏が本体を現わす法門で、迹門に対する語。法華経の後半14
           品をいう。

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【 2023/11/14 05:37 】

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真の孝養と仏道をめざして 新尼御前御返事②

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

新尼御前御返事にいあまごぜんごへんじ


 峯に上りてわかめやを(生)いたると見候へば、さにてはなくしてわ

らびのみ並び立ちたり。谷に下りてあまのりやをいたると尋ぬれば、あ

やまりてやみるらん、せり(芹)のみしげりふ(茂伏)したり。古郷の

事はるかに思ひわすれて候ひつるに、今このあまのりを見候ひて、よし

なき心をもひいでて、う(憂)くつらし。かたうみ(片海)・いちかわ

(市河)・こみなと(小湊)の礒のほとりにて昔見しあまのりなり。色

形あぢわひもかはらず。など我父母かはらせ給ひけんと、かたちがへ

(方違)なるうらめ(恨)しさ、なみだをさへがたし。

 これはさてとどめ候ひぬ。ただ大尼御前の御本尊の御事おほせつかは

されておもひわづらひて候ふ。その故はこの御本尊は天竺てんじくより漢土へ渡

り候ひしあまたの三蔵、漢土より月氏へ入り候ひし人人の中にもしるし

をかせ給はず。西域さいいき等のふみども開見候へば、五天竺の諸国寺寺の本尊皆

しるし尽くして渡す。また漢土より日本に渡る聖人、日域より漢土へ入

る賢者等のしるされて候ふ寺寺の御本尊、皆かんがへ尽くし、日本国最

初の寺元興寺がんごうじ・四天王寺等の無量の寺寺の日記、日本紀と申すふみより

始めて多くの日記にのこりなく註して候へば、その寺寺の御本尊またか

くれなし。その中にこの本尊はあへてましまさず。

 人疑ひて云はく、「経論になきか。なければこそそこばくの賢者等は

画像にかき奉り、木像にもつくりたてまつらざるらめ」と云云。しかれ

ども経文は眼前なり。御不審の人人は経文の有無をこそ尋ぬべけれ。前

代につくりかかぬを難ぜんとをもうは僻案びゃくあんなり。例せば釈迦仏は悲母

孝養のために忉利天とうりてんに隠れさせ給ひたりしをば、一閻浮提いちえんぶだいの一切の諸人

しる事なし。ただ目連もくれん尊者一人これをしれり。これまた仏の御力なりと

云云。仏法は眼前なれども機なければ顕れず、時いたらざればひろまら

ざる事、法爾ほうにの道理なり。例せば大海の潮の時に随ひて増減し、上天の

月の上下にみち(盈)かく(虧)るがごとし。



【現代語訳】

望 郷 

 峰に登って和布わかめが生えているかと見まわすと、そうではなくてわらびばかりが立ち並んで

います。谷にくだって甘海苔あまのりが生えているかと尋ねてみると、探し方が悪いのでしょうか

せりばかりが茂り伏しています。そのように海産物とはまったく縁のない所なので、故郷

のことはすっかり忘れていましたのに、今この甘海苔を目にして、わけもなく胸がいっ

ぱいになって、つらくなりました。これは、まさしく、片海・市河・小湊の磯のあた

りで昔見た甘海苔に違いありません。色も形も味もまったく同じです。何もかも昔通り

であるのに、ああ、どうして私の父母だけがお亡くなりになって帰ってきてくださらな

いのかと、まるで見当違いの恨めしさに、涙が流れて止めることができません。

本 尊

 愚痴をこぼすのはやめましょう。さてさて大尼御前がご本尊の授与を希望なさってい

るとうかがって困惑しています。なぜなら、私が顕わし示したご本尊は、インドから中

国へお渡りになった多くの学僧たちや、中国からインドへお入りになった人々でも、一

人もお現わしになられていないものです。玄奘 げんじょう三蔵の西域記などの書物を見ますと、

全インドの諸国の寺々の本尊がみな記録しつくされて伝えられています。また中国から

日本に渡来した聖人や、日本から中国へ入った賢人たちが記録なさっている中国の寺々

のご本尊もみな検討しつくし、わが国のものについても、最初の寺である元興寺・四天

王寺をはじめとする数えきれないほどの多くの寺々の日記類、また寺院関係以外でも、

日本紀という文書をはじめする多くの史書・日記に残りなく記されていますから、その

寺その寺のご本尊はすべて判明します。その中に私の信奉するご本尊は一度もお姿を現

わしていらっしゃいません。

 ある人は疑って言うでしょう。「日蓮の顕わした本尊は経論にもとづいていないので

はないか。だからこそ過去の多くの賢者たちは、図像にもえがかれず、木像にも作られな

かったのであろう」と。しかし、経文は厳然として存在します。ご不審の方々は経文に

証拠があるかないかをしっかりと調査すべきでしょう。だいたい前の時代に作らなかっ

たとか画かなかったとかいうことを根拠として非難しようとするのは誤りです。たとえ

ば、釈尊は母摩耶夫人 まやぶにん転生 てんしょうを導くために※ 1利天に上って説法をなさいましたが、世

界中の人々は誰一人としてそれを知りませんでした。ただ十大弟子の中で神通第一とさ

れる※ 2連尊者だけがそれを知っていたのですが、これまた仏の神通力によるものである

のです。このように、仏法は目の前にるのですが、それを感じ受ける機根がなければ

顕われないし、時期が熟さなければ広まらないということは、自然法爾じねんほうにの道理なので

す。たとえば、大海の水が時に随って満ちたり干いたりし、天空の月が時に応じて満ち

たり欠けたりするようなものです。(つづく)

【語註】

 ※1 忉利天:欲界六天の第二天で須弥山【しゅみせん】の頂上にある。中央に善見城
         (喜見城)があり、その四方の峰に八天ずつあるので、中央と合わせて三十三天
           ある。そこを統治するのが帝釈天である。

 ※2 目連:摩訶目犍連【まかもっけんれん】の略。バラモンの子であったが舎利弗
        【しゃりほつ】誘われて仏弟子に加わり、神通第一として十大弟子の一人に加えら
          れた。餓鬼道に落ちた母青提女【しょうだいにょ】を救ったことが盂蘭盆会の起
          源とされる。

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【 2023/11/11 05:40 】

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真の孝養と仏道をめざして 新尼御前御返事①

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

新尼御前御返事にいあまごぜんごへんじ

文永12年(1275)2月16日、54歳、於身延、和文

 身延より故郷安房東条に住む領家の新尼御前に宛てたもの。入山した身延の情景と懐郷の思いをつづり、法華経信仰に背いた領家の尼にはたとえ重恩の人であっても尊い本尊を授与し難いと述べつつ、薄氷の思いで法華経と日蓮への供養に励む新尼に授けたことを明かしている。人情と信仰との葛藤から法華経の信心を重んじていく日蓮の立場を示している。

 あまのり(海苔)一ふくろ送り給び了んぬ。また大尼御前おおあまごぜよりあまの

り畏こまり入りて候ふ。

 この所をば身延のたけと申す。駿河の国は南にあたりたり。かの国のうき

しまがはらの海ぎはより、この甲斐の国波木井はいきりごう身延のみねへは百余里に

及ぶ余の道千里よりもわづらはし富士河と申す日本第一のはやき

北より南へ流れたり。この河は東西は高山なり。谷深く、左右は大

石にして高き屏風びょうぶを立て並べたるがごとくなり。河の水は筒の中に強兵

が矢を射出したるがごとし。

 この河の左右の岸をつたい、或は河を渡り、或る時は河はやく石多け

れば、舟破れて微塵みじんとなる。かかる所をすぎゆきて、身延の嶺と申す大

山あり。東は天子の嶺、南は鷹取たかとりの嶺、西は七面の嶺、北は身延の嶺な

り。高き屏風を四つついたて(衝立)たるがごとし。峯に上りてみれば

草木森森たり。谷に下りてたづぬれば大石連連たり。大狼おおかみこえ山に充満

し、暇猴ましらのなき谷にひびき、鹿のつまをこうるこえあはれしく、乙のひび

きかまびすし。春の花は夏にさき、秋の菓は冬になる。たまたま見るも

のはやまかつ(山人)がたき木をひろうすがた、時時よりよりとぶらう人は昔な

れし同法ともどち(朋)なり。かの商山しょうざん四 皓しこうが世を脱れし心ち、竹林 ちくりんしち

けんが跡を隠せし山もかくやありけむ。

【現代語訳】
身延の情景

 甘海苔一袋、頂戴いたしました。また、※ 1尼御前よりの甘海苔もあわせてお送りいた

だきましたこと、お礼申し上げます。

 このたび庵室を結んだ所を身延の嶽といいます。駿河の国は南に当たっています。そ

の浮島が原の海岸から、この甲斐の国・波木井の郷・身延の嶺への距離は100余里に及

びます。しかも他の道を1000里行くよりも険難なところです。富士川という日本一の急

流が北から南へ流れています。この川の東西は高山がそびえています。深い谷底を川が

流れているといった具合で、左右は大石で高い屏風を立て並べたようにそそり立ってい

ます。川の水は筒の中に強兵が矢を射込んだように速く流れています。

 この川の左右の岸をつたい、あるいは河を渡って行くのですが、時には、流れが急で

石が多いので舟が破れて木葉微塵 こっぱみじんとなってしまいます。そういう難所を過ぎて行くと、

身延の嶺という大きな山があるのです。東は天子の嶺、南は鷹取の嶺、西は七面の嶺、

そして北が身延の嶺なのです。だから高い屏風を4枚衝立 ついたてにしたようです。峰に登って

みれば草木が森々 しんしんと生い繁っています。谷に下ってながめると大石がごろごろと連なっ

ています。狼のほえる声が山々をゆるがし、猿の鳴き声が谷々にこだまし、雄鹿の妻を

求める鳴音 なねくが哀れに聞こえ、乙の声がやかましく響きわたります。寒いので、一般には

春咲く花が夏に開き、秋になる果実が冬にならないと実を結びません。人影はほとんど

なく、偶然見かけるのは山樵 やまがつたきぎを拾っている姿、それに、昔からいっしょに活動し

た同志が時々尋ねてくるだけです。あの秦末に※ 2皓が乱をさけて商山にのがれた心地、ま

た晋の世に※ 3林の七賢が隠れた山はこのようなものであったのかと思い合わされます。

(つづく)

【語註】

 ※1 大尼御前:安房国長狭郡東条の領家の女主人。日蓮の幼い頃からその一族に恩恵
           を与えていた人で、東条郡の地頭景信から領家の土地を侵犯されそうになった時
           には、日蓮の尽力を得て事なきを得ている。

 ※2 
商山の四皓:中国で秦末に国乱を避けて陜西省の商山に入った隠士。東園公・綺
           里季・夏黄公・角里【ろくり】先生の4人で、いずれも髪やひげが皓白【こうは
           く:白い】であったのでいう。漢の高祖の厚遇をもってする招聘にも応じなかっ
           た。

 ※3 竹林の七賢:中国・晋の時代に世の俗塵を避けて竹林に集まり、清談に明け暮れ
           た阮籍など七人の隠士。

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【 2023/11/09 05:40 】

真の孝養と仏道をめざして  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

厄と功徳 日眼女釈迦仏供養事③

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

日眼女釈迦仏供養事にちげんにょしゃかぶつくようじ

 天台智者大師の釈に云はく「〔女に記せず〕」等云云。釈の心は「一

切経には女人仏にならず」と云云、次下に云はく「〔今経は皆記す〕」

と云云。「今の法華経にこそ竜女りゅうにょ仏になれり」と云云。天台智者大師

と申せし人は、仏滅度の後一千五百年に、漢土と申す国に出でさせ給ひ

て、一切経を十五返まで御覧あそばして候ひしが、「法華経より外の経

には女人仏にならず」と云云。妙楽みょうらく大師と申せし人の釈に云はく、

「〔一代に絶えたる所なり〕」等云云。釈の心は「一切経にたえたる法

門なり。」

 法華経と申すは星の中の月ぞかし、人の中の王ぞかし。山の中の須弥しゅみ

せん、水の中の大海のごとし。これ程いみじき御経に、「女人仏になる」

と説かれぬれば、一切経に嫌はれたるになにかくるしかるべき。譬へば

盗人・夜打・強盗・乞食・渇体かったいにきらはれたらんと、国の大王にめら

れたらんと、何れかうれしかるべき。

 日本国と申すは女人の国と申す国なり。天照太神と申せし女神のつき

いだし給へる島なり。この日本には男は十九億九万四千八百二十八人、

女は二十九億九万四千八百三十人なり、この男女は皆念仏者にて候ふ

ぞ。皆念仏なるが故に阿弥陀仏を本尊とす。現世の祈りもまたかくのご

とし。たとひ釈迦仏をつくりかけども、阿弥陀仏の浄土へゆかんと思ひ

本意の様には思ひ候はぬぞ中々つくりかかぬにはをとり候ふな


 今日眼女は今生の祈りのやうなれども、教主釈尊をつくりまいらせ給

ひ候へば、後生も疑ひなし。二十九億九万四千八百三十人の女人の中の

第一なりとをぼしめすべし。くはしくはまたまた申すべく候ふ。恐恐謹

言。

弘安二年己卯二月二日                
日 蓮 花押

日眼女御返事

【現代語訳】

 天台智者大師の法華経の注釈には「女には授記しない」とあります。これは、「法華

経以外のすべての経典は女性の成仏を認めない」ということです。また大師は前の句に

続けて「今経こんきょうみな授記する」といっています。これは、釈尊一代の説法のうちの最後

に説かれた法華経によって、はじめて竜女も仏になり、すべての女性の成仏が保証され

ということです。天台智者大師という方は釈尊が亡くなられて一千五百年の後に、

漢土という国(中国)にお生まれになり、一切経を15度までお読みになった結果、「法

華経以外の経典には女性の成仏が説かれていない」ということを発見された方です。そ

の説を受け継がれた妙楽大師という方の注釈に「一代に絶えたるところなり」とありま

す。これは、「法華経に説かれたところの、女性が成仏するという教えは、他のすべて

の経典には絶無のものだ」という文です。

 このように法華経という経典は、星の中の月のように輝くもの、人の中の王のように

偉いものです。また、山の中では※ 1弥山のように高く、水の中では大海のように深いも

のです。これほどすぐれたお経に「女性は仏になる」と説かれているのですから、ほか

のすべての経典で忌避されたところで、何の苦痛もないでしょう。たとえば、盗人・

うち・強盗・乞食・渇体といった多くのつまらない人々にけなされても、ただ一人しかい

ない偉大な国王にほめられれば、どれほど嬉しいか、いうまでもないことでしょう。

 日本国というのは〈女性の国〉ともいうべき国です。この国は天照太神と申し上げた

女神が島をお造りになったところから始まりましたこの日本には男は199万4828人

女は299万4830人います。この男女は、みな念仏の信者です。みな念仏の信者だから阿

弥陀仏を本尊としています。そして後世に極楽浄土へ往生することを願っているので

す。現世安穏の祈願も同じように阿弥陀仏に対してしています。その人たちが、もしか

りに釈尊のお像を造ったり描いたりしたとしても、結局は阿弥陀仏の極楽浄土に往生す

ることを願っているのであって、釈尊の霊山りょうぜん浄土での成仏を考えてはいません。つま

り、本心からではなくて、一時的な現世利益のために釈尊像を利用しているだけなので

すからかえってお像を造ったり描いたりしないよりももっと悪質なことなのです。

 ところで今のあなたは、37歳の厄を除けるためだというのですから、現世でのご利益

を祈るだけのことのようですが教主釈尊のお像をお造り申し上げなさったのですから

後世の成仏も間違いありません。299万4830の日本女性の中の、第一の果報者になると

お思いください。委細はまたお便りいたします。恐恐謹言。

弘安二年〈己卯〉二月二日                   
日 蓮  花押

日眼女御返事

【語註】

 ※1 
須弥山:梵語スメールを音写した山の名で妙高山と漢訳する。仏教の宇宙観で世
           界の中心にそびえる巨大な山。周囲には九山八海があり、南方に人間の住む閻浮
           提【えんぶだい】がある。頂上は漁利天【とうりてん】で帝釈天が統治し、中腹
           の四王天には四天王が警備を固めている。

【解説】

 日眼女は四条金吾頼基の妻とする説が有力。夫四条金吾が主君江馬光時から勘気を蒙

ったり、領地替えを命じられたり、起請文を書かされたりして、夫の多事多難の中で、

夫の志を励まし、その信仰を全うさせた事で知られる。

 日蓮は、厄とは「関節のふしぶしのようなもの」としている。それは、日常生活に忍

び寄る肉体と精神の危険を示す赤ランプということであろう。その除災のために釈迦仏

の像を造立した日眼女の現世安穏・後生善処の確かさを日蓮は明らかにした。

 日蓮の仏法においては釈迦像を用いない。にもかかわらず、日眼女の釈迦仏造立を称

賛したのは、在俗の日眼女の修学がまだ浅かったからであろうか。翌弘安3年に日蓮か

ら曼荼羅本尊が授与されている。


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【 2023/11/07 05:33 】

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厄と功徳 日眼女釈迦仏供養事②

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

日眼女釈迦仏供養事にちげんにょしゃかぶつくようじ

 今の日眼女は三十七のやく(厄)と云云。やくと申すはたとへばさい

(閲)にはかど、ます(升)にはすみ、人にはつぎふし(関節)、方に

四維よすみのごとし。風は方よりふけばよはく、角より吹けばつよし。病は

肉より起これば治しやすし、ふしより起これば治しがたし。家にはかきな

ければ盗人いる、人にはとがあれば敵便たよりをうく。やくと申すはふしぶし

のごとし。家にかきなく、人にとがあるがごとし。よきひやうし(兵士)

をもつてまほらすれば、盗人をからめとる。ふしの病をかねて
治すれば

命ながし。

 今教主釈尊を造立し奉れば、下女が太子をうめるがごとし。国主なお

この女を敬ひ給ふ何にいわんや大臣以下をや大梵天王釈提桓因王

日・月等、この女人を守り給ふ。いわんや大小の神祇をや。

 昔優塡うでん大王、釈迦仏を造立し奉りしかば、大梵天王・日・月等、木像

を礼しに参り給ひしかば、木像説きて云はく、「我を供養せんよりは優

塡大王を供養すべし」等云云、影堅ようけん王の画像の釈尊を書き奉りしもまた

またかくのごとし。

 法華経に云はく「〔もし人、仏のための故に諸の形像を建立す。かく

のごとき諸人等、皆すでに仏道を成しき〕」云云。文の心は「一切の女

人釈迦仏を造り奉れば、現在には日々月々の大小の難を払ひ、後生には

必ず仏になるべし」と申す文なり。

 法華経に云はく「〔もし人、仏のための故に諸の形像を建立す。かく

のごとき諸人等、皆すでに仏道を成しき〕」云云。文の心は「一切の女

人釈迦仏を造り奉れば、現在には日々月々の大小の難を払ひ、後生には

必ず仏になるべし」と申す文なり。

 そもそも女人は一代五千七千余巻の経々に、仏にならずときらはれま

します。ただ法華経ばかりに、「女人仏になる」と説かれて候ふ。

【現代語訳】

 今年、あなたは37歳のやくに当たるので、それが気がかりだということですね。そもそ

も厄というのは、たとえば賽子さいころでいえばかどますでいえばすみ、人体でいえば関節、東・

南・西・北の四方でいえば東南・南西・西北・北東という四維しいのようなものです。風は

正面から吹けば弱く当たりますが角から吹けば強くなります。病気は体の普通のところ

に起これば治しやすいのですが関節をおかされると治しにくくなります。家に垣根がない

と盗人が入ります。人に過失があると敵はそれにつけこみます。そのような例に当ては

めていうならば、厄というのは関節のようなもの、あるいは家に垣根がなく、人に過失

があるようなものです。勇猛な兵士に家を守らせれば盗人を捕えます。関節の病気を治

療すれば寿命は長くなります。

 このたび、あなたは教主釈尊のお像をお造り申し上げたのですから、卑しい下女が貴

い王子を出産したようなものです。国王でもその女性を尊敬なさいます。まして大臣以

下の人々が尊敬しないことがありましょうか。また、大梵天王・帝釈天・日天・月天ら

の天神がたがその女性をお守りくださいます。どうしてその他の大小の神々が守護なさ

らないことがありましょうか。

 昔、インドの
※ 1大王が、釈尊のお像をお造りになりましたので、大梵天王・日天・

月天らの天神たちが、その木像を礼拝しにおいでになりましたところ、木像が「私を供

養するよりは
大王を供養しなさい」とおっしゃいました。また※ 2堅王が画像の釈尊

をお書きになった時も同じでありました。

 法華経に「あるいは人が、仏のための故にもろもろの形像を建立する。このような諸

人ら、みなすでに仏道を成じた」とあります。この経文は、「釈尊のお像をお造りする

すべての女性は、現世では日々月々の大小の災難を払い、後生には必ず仏になるに決ま

っている」という内容の文です。

 そもそも女性は、釈尊が一生の間にお説きになった5000巻にも7000巻にも及ぶ経典

の中で、成仏することができないものとして忌避されていますが、ただ法華経だけに

「女性も仏に成る」と説かれているのです。
(つづく)

【語註】

 ※1 
優塡大王:インド・コーサンビーの王。釈尊が亡母摩耶夫人に説法をするため一
           夏利天に昇った時、仏がいなくなったことを悲しんだ王は、牛頭栴檀【ごずせ
           んだん】で五尺の仏像を刻んで拝んだという。これを仏像造立の初めとする。

 ※2 影堅王:頻婆娑羅王のこと。玄奘は影堅王と訳した、釈尊迦と同時代のマガダ国
          の王。釈尊に帰依し、あつく仏法を保護した。息子の阿闍世王に幽閉されて死ん
          だと伝えられる。

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【 2023/11/04 05:35 】

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厄と功徳 日眼女釈迦仏供養事①

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

日眼女釈迦仏供養事にちげんにょしゃかぶつくようじ

弘安2年(1279)2月2日、58歳、於身延、和文

 37歳の厄除けのため釈迦仏の像を造った日眼女の功徳の大きいことを述べ、この釈迦仏を造った功徳によって、現在の災難をはらい、後生は仏になると述べた。厄年は今日、男25,42歳、女19、33歳(数え年)だが、当時は37、57歳も厄年としている。

 御守書きてまいらせ候ふ。

 三界のあじる、教主釈尊一体三寸の木像造立の檀那日眼女にちげんにょ。御供養の御

布施、前に二貫今一貫云云うんぬん

 法華経の寿量品に云はく、「〔或は己身こしんを説き、或は他身を説く〕」

等云云。東方の善徳仏・中央の大日如来・十方の諸仏・過去の七仏・三

世の諸仏、上行菩薩等、文殊師利・舎利弗しゃりほつ等、大梵天王だいぼんてんのう・第六天の魔

王・釈提桓因王しゃくだいかんにんのう日天にってん月天がってん明星天みょうじょうてん・北斗七星・二十八宿・五

星・七星・八万四千の無量の諸星、阿修羅王天神地神山神海神・

宅神・里神・一切世間の国々の主とある人、何れか教主釈尊ならざる。

天照太神・八幡大菩薩もその本地は教主釈尊なり。例せば釈尊は天の一

月、諸仏菩薩等は万水に浮かぶる影なり。釈尊一体を造立する人は十方

世界の諸仏を作り奉る人なり。譬へば頭をふればかみ(髪)ゆるぐ、心

はたらけば身うごく。大風吹けば草木しづかならず、大地うごけば大海

さはがし。教主釈尊をうごかし奉れば、ゆるがぬ草木やあるべき、さわ

がぬ水やあるべき。

 
【現代語訳】
釈迦仏造立の功徳と女人成仏

 お守りを書いて進呈いたします。

 ※ 1界の教主釈尊のたけ3寸の御木像を一体お造りになった檀那日眼女から、ご供養の御

布施として、前に銭二貫、今また銭一貫をお届けいただきました。お礼申し上げます。

 法華経の寿量品に「仏の教えは一切衆生の苦しみを除き、仏の道に導くためのもので

ある。だから仏は、あるいは仏の身を説いたり仏以外の身を説いたりし、あるいは仏の

身を示したり仏以外の身を示したりし、あるいは仏としての行ないを示したり仏以外の

ものの行ないを示したりして、いろいろな教化のしかたをする」と説かれています。し

たがって、東方無憂むう世界の※ 2徳仏も、中央にいらっしゃる大日如来も、広く十方世界の

諸仏も、遠く過去の世に出現された七仏も、さらに三世にわたる諸仏も、それから、※ 3

行菩薩ら本化地涌じゆの菩薩たち、※ 4殊師利のような迹化しゃっけの菩薩、舎利弗らの声聞、三界の

主である※ 5梵天王、欲界に君臨する第六天の※ 6王、忉利天とうりてんを支配する※ 7釈天、あるいは

※ 8天・月天・明星天・北斗七星・二十八宿・五星・七星をはじめとする八万四千の数え

きれないほどの諸星、その他、阿修羅王・天神・地神・山神・海神・宅神・里神といっ

た世界中の諸所の主となっていらっしゃる神々、それら諸尊のどなたが、教主釈尊の

※ 9迹でないことがありましょうか。わが国の祖神おやがみ天照太神や守護神八幡大菩薩もみ

なその本地は教主釈尊なのですよ。たとえば、釈尊は天空に輝く一つの月、諸仏諸菩薩

らはあちこちの水に浮かぶ月の影のようなものです。だから、釈尊のお像一体を造立す

る人は、十方世界に充満する諸仏をお作りする人に他ならないのです。たとえば、頭を

振れば髪の毛がゆれるでしょう。心が起これば体もそれにつれて動きます。大風が吹け

ば草木はざわざわと音を立てますし、大陸に地震が起きれば大海は波立ちます。それと

同じように、お像をお作りして釈尊に喜んでいただければ、諸仏・諸菩薩・天地神明の

すべてが、あなたを護るために腰を上げてくださらないはずがありましょうか。

(つづく)

【語註】

 ※1 三界:一切の衆生が輪廻転生する3つの迷いの世界。最も下が欲界で、食欲・淫
           欲などの欲望のさかんな世界。中間が色界で、欲望を離れたものの世界で清浄な
           物質より成る。最も上が無色界で、物質的なものがなく純粋に精神だけが存在す
           る世界である。三界はさらに25の世界(二十五有)に分けて説かれている。

 ※2 善徳仏:十方(四方と四維と上下)に遍満する仏の国のうちの、東方無憂世界
            の主である仏。

 ※3 上行菩薩:法華経・涌出品【ゆじゅつほん】で地から涌出した菩薩たちの4上
            首(上行無辺行浄行安立行の四菩薩)の代表。日蓮聖人は佐渡流罪以後、
            釈尊から末法濁乱【じょくらん】の世を救うべく依嘱された上行菩薩とは自分
            にほかならないという自覚を不動のものとした。

 ※ 4 文殊師利菩薩:釈尊の左脇に侍して仏の智・恵・証の三徳を司り、智恵の威徳
            を象徴する獅子に乗っている菩薩。過去世において日月燈明仏の弟子妙光菩薩
            であった時に、月日燈明仏の8人の王子を法華経によって順次教化・成仏させ
            たが、その第8子の燃燈仏が釈尊の師であったという。

 ※5 大梵天王:インドの思想で宇宙を創造した最高の神。仏教では色界初禅天の主
           で、帝釈天と並ぶ最高の守護神とする。

 ※6 魔王:魔の王。魔は魔羅【まら】の略で、人の心を乱し、善行を妨げ、不幸をも
           たらす悪鬼神。魔王は欲界第六天である他化自在天の主で、仏道に背き、人々を
           惑わす。

 ※7 帝釈天:釈提桓因と同じ。インドの雷神インドラが仏教にとり入れられ、大梵天
           王と並ぶ最も有力な護法の天神となったもの。漁利天の主で須弥山頂の善見城
        (喜見城)に住み、四天王を率いて仏法を外敵から護る。特に阿修羅王とは激闘を
          した。

 ※8 日天子・月天子・明星天子:それぞれ太陽・月・星を神格化したもので、総称し
          て三光天子と呼ぶ。日蓮は、法華経の行者の守護神として崇めている。

 ※9 垂迹【すいじゃく】:仏・菩薩が民衆を救うため、仮の姿をとって現れること。

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【 2023/11/02 05:36 】

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