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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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報恩について 四恩抄④

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

四恩抄しおんしょう

 仏法を習ふ身には必ず四恩を報ずべきに候か。四恩とは、心地観経に

云く、一には一切衆生の恩、一切衆生なくば衆生無辺誓願度の願をおこ

難し。又悪人無くして菩薩に留難をなさずば、いかでか功徳をば増長せ

しめ候べき。

 二には父母の恩、六道に生を受るに必ず父母あり。其中に或は殺盜・

悪律儀・謗法の家に生れぬれば、我と其の科を犯さざれども其業を成就

す。
然に今生の父母は我を生て法華経を信ずる身となせり。梵天・帝釈

・四大天王・転輪聖王の家に生れて、三界四天をゆづられて人天四衆に

恭敬せられんよりも、恩重きは今のそれがしが父母なる

 三には国王の恩、天の三光に身をあたゝめ、地の五穀にたましいを養ふこ

と皆是国王の恩也。其の上、今度法華経を信じ、今度生死を離るべき国

主に値奉れり。いかでか少分のあだに依ておろかに思ひ奉るべきや。

 四には三宝の恩、釈迦如来無量劫の間、菩薩の行を立て給し時、一切

の福徳を集めて六十四分となして功徳を身に得給へり。其の一分をば我身

に用ひ給ふ。
今六十三分をば此の世界に留め置きて、五濁雑乱の時、非

法の盛ならん時、謗法の者国に充満せん時、無量の守護の善神も法味を

なめずして威光勢力減ぜん時、
日月光を失ひ天龍雨をくださず地神地味

を減ぜん時、草木根茎枝葉華菓薬等の七味も失ん時、十善の国王も貪瞋とんじん

をまし父母六親に孝せずしたしからざらん時、
我弟子、無智無戒にし

て髪ばかりを
そりて守護神にも捨られて、活命のはかりごとなからん比丘

比丘尼の命のさゝへとせんと誓ひ給へり。

 又果地の三分の功徳二分をば我身に用ひ給ひ、仏の寿命百二十まで世

にましますべかりしが八十にして入滅し、残る所の四十年の寿命を留め

置きて我等に与へ給ふ恩をば、
四大海の水をすずりの水とし、一切の草木

を焼て墨となして、一切のけだものゝ毛を筆とし、十方世界の大地を紙

と定めて
しる置くとも、争か仏の恩を報じ奉べき。

【現代語訳】

四恩を報ずる

 仏法を習う身になったならば、必ず四恩を報ずべきであろう。四恩とは、※ 1地観経に

次のように記されている。

 一つには、一切衆生の恩である。一切衆生がいなければ、どうして「限りなき衆生を

救わんことを誓願す」という願を起こすことができよう。また、悪人がいなくて、菩薩

に難を与えなければ、どうして法華経を行ずる功徳を増長させられようか。

 二つには父母の恩。六道に生を受けるには必ず父母がいる。そのうち特に、殺し、盗

みや悪しき生活をしたり、正法を謗る家に生まれたならば、自分からそれらの罪科を犯

さなくても、父母の罪を受けてその悪業の報いを現わすのである。しかしながら、今生

の父母は自分を生み、そして法華経を信ずる身としてくれたのである。梵天・帝釈・四

大天王・転輪聖王の家に生まれて、三界や四天下をゆずられて人天の四衆である比丘・

比丘尼・優婆塞・優婆夷すべてに尊敬されるよりも、さらに恩の重いのは、今の私が父

母から与えられたものである。

 三つには、国王の恩。天の日・月・明星の三つの光に身体を温め、地の五穀によって

魂を養うことが出来るのは、みなこれ国王の恩による。その上、今度法華経を信じ、今

度生死の絆を断ち切られる国王に値うことが出来た。どうして、少しばからの怨を受け

たからといって、疎かに思うことが出来ようか。

 四つには、三宝の恩。釈迦如来が測り知れない長い間、菩薩の修行をなされた時、一

切の福徳を積み集められた。それを64に分けて、その功徳を身に積まれ、その一分だけ

を我が身に用いられた。その他の63分をこの世界に留め置いて、濁り乱れた末法の時、

邪法の盛んな時、正法を謗る者が国に充満している時、無数の守護の善神が正法の味を

なめぬために威光勢力が減退している時、日月は光を失い天竜も雨を降らさず、地神も

地味を減じている時、草木が根・茎・枝葉・華・菓・薬などの七味を失っている時、十

善の功徳を持つ国王も、貪り、怒り、愚痴の三毒を増し、父母六親にも捨てられ、命を

いかす方法もない比丘・比丘尼なdの仏弟子の命の支えとしようと誓われて残して置か

れたのである。

 また、その功徳の果報のうち、3分の1の功徳をば、我が身に用いられた。仏はほんら

い120の寿命を持って、この世におられるはずであったのが、80にして入滅し、残りの

40年の寿命を留め置かれて我らに与えられたのである。この恩は、たとえ四大海の水を

硯の水とし、一切の草木を焼いて墨となし、一切の獣の毛を筆とし、十方世界の大地を

紙として書き記したとしても、どうして仏の恩に報いることができようか。(つづく)

【語註】

 ※1 心地観経:「大乗本生心地観経」の略。唐の般若の訳。心地を観じて妄想を滅
            し、仏道を成ずべきことを説くが、なかでも父母・衆生・国王・三宝の四恩を
            報ずべきことを説く。

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【 2023/12/30 05:40 】

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報恩について 四恩抄③

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

四恩抄しおんしょう

 此身に学文つかまつりし事、やうやく二十四五年にまかりなる也。法

華経を殊に信じまいらせ候し事はわづかに此六七年よりこのかた也。


信じて候しかども懈怠けたいの身たる上、或は学文と云ひ、或は世間の事にさ

え(障)られて、一日にわづかに一巻一品題目計也。

 去年こぞ五月さつき十二日より今年正月むつき十六日に至まで二百四十余日の程

昼夜十二時に法華経を修行し奉ると存し候其故は法華経の故に

かゝる身となりて候へば行住坐臥に法華経を読み行ずるにてこそ候

へ。
人間に生を受て是程の悦は何事か候べき。

 凡夫の習ひ我とはげみて菩提心をおこして、後生を願ふといへども、自

らを思ひ出し十二時の間に一時二時こそははげみ候へ。
是は思ひ出さぬ

にも御経をよみ、読ざるにも法華経を行ずるにて候か。無量劫の間、六

道四生を輪回し候ひけるには或は謀叛をおこし強盗夜打等の罪にてこそ

国主より禁をも蒙り流罪死罪にも行はれ候らめ。

 是は法華経を弘るかと思ふ心の強盛なりしに依て、悪業の衆生に讒言ざんげん

せられてる身になりて候へば定て後生の勤にはなりなんと覚候

是程の心ならぬ昼夜十二時の法華経の持経者は、末代には有がたくこそ

候らめ。

 又止事やむことなくめでたき事侍り。無量劫の間六道にめぐり候けるには、多く

の国主に生れ値ひ奉て、或は寵愛の大臣関白等ともなり候けん。しか

らば国を給り、財宝官禄の恩を蒙けるか。法華経流布の国主に値ひ奉

り、
其国にて法華経の御名を聞て修行し、是を行じて讒言を蒙り、流罪

に行れまいらせて候国主には未だ値まいらせ候はぬ歟。

 
法華経に云く「是の法華経は無量の国中に於て乃至名字をも聞くこと

を得べからず何に況んや見ることを得て受持し読誦せんをや」と
云云。

されば此讒言の人、国主こそ我身には恩深き人にはをわしまし候らめ。

【現代語訳】
 
 
この身に志をおこして学文に励んでより、ようやく24、5年になる。そのうち、法華

経をことさら信じるようになったのは、わずかこのかた6、7年にすぎない。また、法華

経を信じてはいても、怠けがちの身である上、或いは学文に励み、或る時は世間のこと

に煩わされて、一日にわずかに法華経1巻か1品または題目を唱えるばかりであった。

 ところが、流罪された去年の5月12日より今年正月16日に至るまで240余日の間は、

昼夜12時に法華経をたえず修行していることになったと思っている。その訳は、法華経

のゆえにこのような流罪の身となったのであるから、これこそ行住坐臥に法華経を読み

行ずるということになるということである。人間として生まれ、これ程の悦びが他にあ

ろうか。
 
 凡夫の習いとして、自から励み菩提心をおこして後生を願うとは言いながらも、実際

は昼夜12時の間の中で、わずか1時、2時ぐらい自ら思い出して励むものなのである。

今のこの身は、思い出さなくても御経を読み、読まなくても法華経を行ずることになる

のであると言えようか。

 長い長い間、六道四生を巡り巡って輪廻している時には、謀叛を起こし、強盗夜討な

どの罪によって、国主より刑に処せられたり、流罪、死罪となったこともあったであろ

う。今この身は、法華経を弘めると思う心が強盛なことによって、悪業をつくる人々に

讒言されて、このような流罪の身となったのであるから、必ず後生に救われる勤めを果

たしたことになるだろうと確信している。これ程、自ら志を起こす心もなく、昼夜12時

絶えざる間に読み、行ずる法華経の持経者は、末法の時代にはまことに稀なことであろ

う。

 また、このうえもなく喜ばしいことがある。はるかに長い期間を六道を巡り巡って来

た時には、多くの国土に生まれては価い、或いは国主に寵愛される大臣。関白などにも

なったことがあろう。もしそうであれば、国をもたまわり、財宝や官位、領地をもらう

恩を受けたであろう。法華経を流布する国主に値い、その国において法華経の御名を聞

いて修行したこともあろうが、しかし、法華経を行じて讒言をこうむり、流罪に処すよ

うな国主にはこれまで価ったことがあろうか。

 法華経に、「この法華経は、はかり知れない国の中において、その名字さえも聞くこ

とはできない。まして、それを見ることが出来、受持し読誦することは出来難いことで

ある」と記されている。こうしてみると、わが身を讒言した人、讒言によって流罪に処

した国主こそ、わが身には法華経を読み行じさせてくれた恩深き人であると言えるので

ある。(つづく)

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【 2023/12/28 05:36 】

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報恩について 四恩抄②

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

四恩抄しおんしょう

 而るに仏の在世の時は濁世也といへども、五濁の始たりし上、仏の御

力をも恐れ、人の貪瞋癡とんじんち邪見も強盛ならざりし時だにも、竹杖外道ちくじょうげどう

神通第一の目連尊者を殺し、
阿闍世王あじゃせおうは悪象をはなちて三界の独尊ををどし

奉り、提婆達多は証果の阿羅漢蓮華比丘尼を害し、瞿伽利くぎゃり尊者は智慧第

一の舎利弗に悪名を立ちき。

 いかいわんや世漸く五濁の盛になりて候をや。況や世末代に入て法華経を

かりそめにも信ぜん者の人にそねみねたまれん事はおびただしかるべき

か。
故に法華経に云く如来の現在にすら怨嫉多し況や滅度の後をやと云

云。始に此文を見候し時はさしもやと思候ひしに、今こそ仏の御言みことばは違

はざりけるものかなと、殊に身に当て思ひ知られて候へ。

 日蓮は身に戒行なく心に三毒を離れざれども、此御経を若や我も信を

取り人にも縁を結ばしむるかと思て、随分世間の事おだやかならんと思

き。
世末になりて候へば、妻子を帯して候比丘も人の帰依をうけ、魚鳥

を服する僧もさてこそ候か。
日蓮はさせる(爾)妻子をも帯せず魚鳥を

も服せず。只法華経を弘めんとするとがによりて、妻子を帯せずして犯僧ぼんそう

の名四海に満ち、螻蟻ろうぎをも殺さざれども悪名一天にはびこれり。
恐くは在世

に釈尊を諸の外道がそしり奉しに似たり。是偏に法華経を信ずる事の、余

人よりも少し経文の如く信をもむけたる故に、
悪鬼其身に入てそねみを

なすかとをぼえ候へば、是程の卑賎無智無戒の者の、二千余年已前に説

れて候法華経の文にのせられて、留難に値べしと仏記しをかれまいらせ

て候事のうれしさ申し尽難く候。

【現代語訳】
 しかしながら、仏が世におられる時は、濁った世であったとはいえ、まだ※ 1濁の始め

であった上、仏のお力を恐れており、また人々の貪り、怒り、愚痴の三毒や邪見も強く

盛んでなかった。だがこの時でさえも、※ 2杖外道は神通第一とうたわれた仏弟子の※ 3

尊者を殺し、
※ 4闍世王は悪象を酔わせて放ち三界第一の釈尊を脅して殺そうとし、

※ 5婆達多は、悟りを得た阿羅漢の※ 6華比丘尼を打ち殺し、
※ 7伽梨尊者は智慧第一

の舎利弗に悪名をたてて謗った、ということがあった。

 まして、仏が入滅された後の世はしだいに五濁も盛んとなっており、この時はな

おさらである。かりそめにも法華経を信ずる者が、人に嫉まれ、妬まれりことがお

びただしいのは言うまでもないのである。

 その故に、法華経には「釈迦如来の世におられる時ですら、なお恨み、妬む者が

多い、まして況や入滅された後においておや」と記されている。

 初めてこの経文を拝見した時は、それほどでもなかろうと思ったのであるが、流

罪にあった今こそ、本当に仏のお言葉は嘘ではなかったとつくづく身に当って思い

知らされたのである。

 日蓮は、身に戒行をたもたず、心に貪り、怒り、愚痴の三毒を離れぬけれども、

この法華経に自ら信をとり人にも縁を結ばしめることがあろうかと思い、そうなれ

ば随分世間も穏やかになるであろうとも考えていた。だが、世が末になって来れ

ば、妻子をもつ比丘も人から帰依を受け、魚鳥を食べる僧も尊ばれるという有様な

のだが、日蓮はそのように妻子を持ち、魚鳥を食べた訳でもなく、ただ法華経を弘

めんとするだけのことを過失とされたことによって、妻子を持たずして破壊僧の名

は四海に満ち、蟻一匹殺さないのにもかかわらず悪名は天下にとどろいている。

 恐らく、在世の時に外道が釈尊を謗ったことにまったく似ていると言えよう。

 これは、ただひとえに法華経を信ずることが他の人よりも、少しばかり経文に示

すままに信を傾けたためである。そこで、これを嘆いて悪鬼が人々の身に入り込ん

で嫉みを加えたのかと深く考えれば、わが身にようなこれ程の卑賎で、無智・無戒

の者が、はかる2000余年以上前に説かれた法華経の文にのせられて、留難に値うと

仏が記された経文のように今まさに流罪になったのだと思うと、その嬉しさは言葉

では言い尽くすことは出来ないほどである。(つづく)

【語註】
 
 ※1 五濁:
劫濁、見濁、煩悩濁、衆生濁、命濁の5つ。末世において発生する避け
          がたい社会的、精神的、生理的な穢れのこと。

 ※2 竹杖外道:バラモン教の一派。

 ※3 目連尊者:釈迦十大弟子の一人。六師外道の一人サンジャヤの弟子であった
            が、舎利弗と共に釈尊の弟子となる。竹杖バラモンのために瓦石をこうむり、
            釈尊より先に死んだ。

 ※4 阿闍世王:古代インドのマガダ国王。父は頻婆沙羅王、母は韋提希夫人。
            母の韋提希夫人が身ごもった時、相師に占わせたところ「男子が生れるが、や
            がてその子は父王の怨となるであろう」と予言した。やがて生れた男子は、い
            まだ生れないときから怨みをもっているというので、未生怨と名づけられた。
            王はその子を恐れ、夫人とはかり高い建物の上から投げ捨てたが、ただ指を折
            っただけで助かった。太子のとき、父王の帰依する釈尊とその教団に対抗する
            提婆達多にそそのかされて逆心を起し、父王を殺し、母を幽閉して自ら王位に
            つき、釈尊をも迫害した。

 ※5 提婆達多:斛飯王の子で阿難の兄、釈尊の従弟にあたる。釈尊に従って出家し
            たが嫉妬我儘の心があり、大衆を誘惑して新教団をつくり、阿闍世王とともに
            釈尊に敵対して種々の危害、三逆罪(出仏身血、殺阿羅漢、破和合僧)を犯し
            た。

 ※6 蓮華比丘尼:本名ウッパラヴァンナー。神通第一の比丘尼で、提婆達多の過ち
           を諫めため殺害された。

 ※7 瞿伽梨尊者:釈迦族の出身で、釈迦の実父である浄飯王の命により出家し仏弟
            子となったが、驕慢心で我見が強かったために修行が完成せず、後に提婆達多
            の弟子となったという。

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【 2023/12/26 05:41 】

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報恩について 四恩抄①

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

四恩抄しおんしょう

弘長2年(1262)正月16日、41歳、伊豆伊東、和文

 伊豆流罪の翌年、安房天津の信徒工藤吉隆に書き送ったもの。法華経を信じ弘める者としての受難体験とその自覚を語っている。仏法を習う身としての智慧と法華経に生き抜く中で受けとったものへの報恩の念が披歴されている。

 抑も此流罪の身になりて候につけて二つの大事あり。一つには大なる

悦ひあり。其故は、此世界をば娑婆と名く、娑婆と申は忍と申す事也。

故に仏をば能忍と名けたてまつる。
此娑婆世界の内に百億の須弥山しゅみせん、百

億の日月、百億の四州あり。其中の中央の須弥山日月四州に仏は世に出

てまします。
此日本国は其仏の世に出てまします国よりは丑寅うしとらすみにあ

たりたる小島也。此娑婆世界より外の十方の国土は皆浄土にて候へば、

人の心もやはらかに、賢聖をのり悪む事も候はず。
此国土は、十方の浄

土にすてはて(果)られて候十悪・五逆・誹謗ひぼう賢聖・不孝父母・不敬沙

門等の科の衆生が三悪道に堕て無量劫を経て還て此世界に生て候

先生せんしょうの悪業の習気じっけ失せずして、やゝもすれば十悪五逆を作り、賢

聖をのり、父母に孝せず、沙門をも敬はず候也。

 故に釈迦如来世に出てましませしかば或は毒薬を食にまじへて奉り、

或は刀杖とうじょう悪象師子・悪牛・悪狗等の方便てだてを以て害し奉んとし、或は

女人を犯すと云ひ、或は卑賎の者、
或は殺生の者と云ひ、或は行合奉る

時はおもておおふて眼に見奉らじとし、或は戸を閉じ窓をふさぎ、或は国王大

臣の諸人に向ては邪見の者也、高き人を罵者のるものなんど申せし也。大集経・

涅槃経等に見えたり。
させるとがも仏にはおはしまさざりしかども、只此

国のくせかたわとして、悪業の衆生が生れ集りて候上、第六天の魔王が

此国の衆生を他の浄土へ出さじとたばかりを成してかく事にふれて

ひがめる事をなす也


 此たばかりも詮する所は、仏に法華経を説せまいらせじ料と見えて

候。其故は魔王の習ひとして、三悪道のわざを作る者をば悦び、三善道

の業を作る者をばなげく
三善道の業を作る者をばいたうなげ

かず三乗とならんとする者をばいたうなげく。又、三乗となる者をば

いたうなげかず、仏となる業をなす者をばあながちになげき、事にふれて障

をなす。

 法華経は一文句なれども、耳にふるゝ者は既に仏になるべきと思ひ

いたう第六天の魔王もなげき思故に方便をまはして留難をなし、

経を信ずる心をすてしめんとたばかる。

【現代語訳】
法華経身証の喜び

 そもそも、この流罪の身となったのにつけて思う二つの大事なことがある。

 一つには、大いなる悦びである。なぜ、大いなる悦びを持ったか、その理由はこうで

ある。この世界を娑婆と名づけている。娑婆というのは、忍ぶということである。そこ

で、仏を能忍と名づけたてまつるのである。この娑婆世界のうちには、100億の須弥山

と100億の日月そして、100億の四州とがある。そのうちの中央に須弥山がそびえ、日月

がこれを輝き照らし、東西南北の四大州が広がる世界に仏は出現されているのである。

この私たちの住む日本国は、その仏が世にお出ましになられた国より見ると東北の方角

のすみにあたる小島である。この娑婆世界より外にある十方の国土は、みな浄土である

から、人の心も穏やかで、賢人、聖人を罵ったり、憎むこともない。しかし、この娑婆

世界は、十方の浄土に見捨てられた、十悪(殺生・盗み・姦淫・嘘・二枚舌悪罵あくば

駄言だげん貪欲とんよく怒り愚痴を犯した者五逆(父・母・阿羅漢を殺す・仏身を損じ出血さ

せる僧団の和合を破壊する)を重ねた者、賢人聖人を謗った者、父母に不孝をした者、

沙門(修行者)を敬わなかった者などの罪を犯した人々で、地獄、餓鬼、畜生の三悪道

に堕ち、長い長い間数限りない苦しみを経て生まれ変わった者たちが、この娑婆世界に

いるのである。そのために、過去の世に犯した悪業に慣れ親しんだ習性は消え失せるこ

となく、ややもすれば十悪、五逆をつくり、賢聖を罵り、父母にも孝養を尽くさず、沙

門を敬おうともしないのである。

 そういうわけで、釈迦如来がこの娑婆世界に出現なされると、或いは毒薬を食物に混

ぜて捧げ、或いは刀杖をもって打ち、悪象、獅子、悪牛、悪犬などを放つなどさまざま

な方法を使って殺害しようとし、或いは女の人を犯したと言いふらし、或いは卑賎の者

とか殺生した者とか言い、或いは道で行きあった時には顔をふせて見まいとし、或いは

家の戸を閉じ窓を閉め切ったり、或いは国王、大臣などの人々に向かっては、邪見の者

である、身分高き人を罵る者である、などと言ったのである。これらのことは、大集経

・涅槃経などの経文に記されている。これという過ちさえも仏にはなかったにもかかわ

らず、ただこの娑婆世界の国は悪い癖を持ち、かたわになっている現われとして、悪業

をつくった人々が生まれ変わり集まっているからである。その上、第六天の魔王がこの

国の人々を他の浄土へ出すまいとばかり悪事をやらせて、事を起こしては間違ったこと

をするのである。

 この策略をするのも、つまる所は仏に法華経を決して説かせない、という料簡から出

たものとみられる。その訳は、魔王の習性というものが、三悪道の悪業をつくる者を見

ると悦び、修羅、人間、天の三善道の業をつくる者を見るとひどく嘆き悲しむというと

ころにある。また、三善道の業をつくる者をひどく悲しまず、それ以上の善たる声聞、

縁覚、菩薩の三乗になろうとする者を大そう嘆くのである。さらにまた、三乗となる者

を大そう嘆かずに、仏となる業をなす者を最も強く嘆き、折にふれてことごとに障害を

加えるのである。

 法華経は、一文一句なりとも耳に触れる者は、すでに仏になれるのであるから、そう

思うとひどく第六天の魔王も嘆き思うために、手立てをいろいろ尽くして難を加えよう

と試み、法華経を信ずる心を捨てさせようと騙す図りごとをめぐらすのである。

(つづく)

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【 2023/12/23 05:41 】

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真の孝養 刑部左衛門尉女房御返事④

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

刑部左衛門尉女房御返事おさかべさえもんのじょうにょうぼうごへんじ

 夫れ四十余年の大小顕密の一切経並に真言華厳三論法相ほっそう倶舎くしゃ

成実じょうじつ・律・浄土・禅宗等の仏・菩薩・二乗・梵釈・日月及元祖等は、

法華経に随ふ事なくばいかなる孝養をなすとも、我則堕慳貪がそくだけんどんとがまぬがるるべ

からず。故に仏本願に趣て法華経を説き給ひき。而るに法華経の御座に

は父母ましまさゞりしかば、親の生れてまします方便土と申す国へ贈り

給ひて候なり。其御ことばに云く而彼土に於て仏の智慧を求て是の経を聞く

ことを得し等云云。此経文は智慧ならん人々は心をとゞむべし。教主釈

尊の父母の御ために説かせ給ひて候経文也。此法門は唯天台大師と申せ

し人計りこそ知りてをはし候ひけれ。其外の諸宗の人々知らざる事也。

日蓮が心中に第一と思ふ法門也。父母に御孝養の意あらん人々は法華経

を贈り給べし。教主釈尊の父母の御孝養には法華経を贈り給ひて候。

 日蓮が母存生してをはせしに、仰せ候し事をもあまりにそむきまいら

せて候しかば、今をくれまいらせて候があながちにくや(悔)しく覚へ

て候へば、一代聖教を
かんがへて母の孝養を仕らんと存じ候間、母の御訪ひ

申させ給ふ人々をば我身の様に思ひまいらせ候へば、あまりにうれしく

思ひまいらせ候間、あらあらかきつけて申し候也。定めて過去聖霊も

たちまちに六道の垢穢くえを離て霊山浄土へ御参り候らん。此法門を知識に

せ給ひて度々きかせ給べし。日本国に知る人すくなき法門にて候ぞ。く

はしくは又々申すべく候。恐恐謹言。   

十月二十一日                   日蓮  花押   

尾張刑部左衛門尉殿女房  御返事

【現代語訳】
法華経の孝養

 法華経以前の40余年に説かれた大乗小乗顕教、密教等の一切の経文並びに真言・

華厳・三論・法相・倶舎・成実・律・浄土・禅宗等の仏、菩薩、二乗、梵天帝釈、日月

及び元祖等は、法華経に随わねば、どんな孝養をしても、仏自ら「我すなわち物惜しみ

の罪に堕ちる」と言われた罪を免れない。それ故仏は本願の通り法華経を説かれたので

ある。

 だが、法華経を説かれたみ座に仏の父母はおられなかったので、父母の生まれ変わっ

ている他の方便土という国に法華経を贈られた。そのお言葉に「かの土において仏の智

慧を求めて法華経を聞くことが出来るだろう」と言われた。

 この経文は智者と言われる人々は心をとどめるべきである。教主釈尊が父母のために

説かれた経文である。この法門はただ天台大師という人だけがご存知であった。その他

の諸宗の人々は知らないのである。日蓮の心中に第一と思う法門である。父母に孝養し

ようとする心のある人人々は法華経を贈られるがよい。教主釈尊は父母の孝養のために

法華経を贈られたのである。

 日蓮の母が存命であった頃、お言葉にあまりに背いてきたので、母が亡くなってしま

ったことがいかにも悔しく思うのである。それで、釈尊一代の聖教を考えて母に孝養し

ようと信心に励んでいるので母を弔おうとなさる人々は自分の事のように思われ、あ

まりに嬉しく思うのである。

 そこで、父母の孝養について大略を書き付けたのである。きっと亡くなられた聖霊も

この法華経を聞いてたちまち六道の汚れを離れて霊山浄土へ参られることであろう。こ

の法門を良い師について度々お聞きなさるがよい。日本国に知っている人は少ない法門

ある。詳しくはまたまた申し上げたい。恐惶謹言。

十月二十一日                           日 蓮 花押

尾張刑部左衛門尉女房御返事

【解説】

 日蓮は、父母を救おうとして救いえぬことを隠そうとはしていない。父母への孝養心

に足らず、母の存命中あまりに母の仰せに背いて来たことを、母に先立たれて悔しく思

う、と語った。この手紙は、法華経における孝養によって、母の恩をいかに受け止め、

どのように報じるべきかを切実に思っていたことを示している。

 そうした父母に対する恩愛の苦渋を噛みしめながら、法華経への献身によって仏の世

界、法華経の功徳に父母を包みこもうとした所に、日蓮の親に対する真実の孝養精神と

実践があったと言える。「自分を生んだ父母等に法華経の大善をすすめ、自らの頸を法

華経に捧げて、その功徳を回向せん」(種種御振舞御書)、という命がけの法華経弘通

によって、はじめて父母等の救済が成就できる、というのである。それは釈迦仏・法華

経への献身そのことが、父母のすべてにめぐり向う孝養となるという確信にほかならな

い。

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【 2023/12/21 05:31 】

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真の孝養 刑部左衛門尉女房御返事③

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

刑部左衛門尉女房御返事おさかべさえもんのじょうにょうぼうごへんじ

 外典げてんの孝経には、唯今生こんじょうの孝のみををしへて、後生ごしょうのゆくへを

しらず。身の病をいやして、心の歎きをやめざるが如し。内典五千余巻

には人天二乗の道に入て、いまだ仏道へ引導する事なし。夫れ目連こくれん尊者

の父をば吉占きっせん師子、母をば青提女しょうだいにょと申せしなり。母死して後餓鬼道に

堕ちたり。しかれども凡夫の間は知る事なし。証果の二乗となりて天眼

を開きて見しかば、母餓鬼道に堕ちたりき。あらあさましやといふ計り

もなし。餓鬼道に行てはんをまいらせしかば、わずかに口に入るかと見えしが

飯変じて炎となり、口はかなへの如く、飯は炭をおこせるが如し。身は

燈炬とうこの如くもえあがりしかば、神通を現じて水を出して消す処に、水変

じて炎となりいよいよ火炎のごとくもゑあがる目連自力には叶はざる間

仏の御前に走り参り申してありしかば、十方の聖僧を供養し、其生飯さば

取りて纔に母の餓鬼道の苦をば救ひ給へる計り也。

 釈迦仏は御誕生の後、七日と申せしに母の摩耶夫人まやぶにんにをくれまいらせ

ましましき。凡夫にてわたらせ給へば母の住処をしろしめすことなし。三

十の御年に仏にならせ給て、父浄飯王じょうぼんのうを現身に教化して証果の羅漢と

なし給ふ。母の御ためには、忉利天とうりてんに昇り給ひて、摩耶経を説き給て、

父母を阿羅漢となしまいらせ給ひぬ。此等をば爾前の経々の人々は孝養

の二乗孝養の仏とこそ思ひ候へども立ち還て見候へば不孝の声聞

不孝の仏也。目連尊者程の聖人が母を成仏の道に入れ給はず。釈迦仏程

の大聖の父母を二乗の道に入れ奉りて、永不成仏の歎きを深くなさせま

いらせ給ひをば、孝養とや申すべき、不孝とや云ふべき。而るに浄名居

士、目連をそしりて云く、六師外道が弟子也等云云。仏自身を責めて云く、

我則慳貪けんどんに堕ちなん此事はさだめて不可なり等云云。
然らば目連は知らざれ

とが浅くもやあるらん。仏は法華経を知ろしめしながら、生てをはする

父に惜み、死してまします母に再び値ひ奉りて説せ給はざりしかば、大

慳貪の人をばこれより外に尋ぬべからず。

 つらつら事の心を案ずるに、仏は二百五十戒をも破り、十重禁戒をも

犯し給ふ者也。仏法華経を説かせ給はずば、十方の一切衆生を不孝に堕

し給ふ大科まぬがれがたし。故に天台大師此事を宣べて云く、とが則仏に

云云。ある人云く、是れ十方三世の仏本誓に違背し衆生を欺誑ぎきょうすること

有るなり等云云。

【現代語訳】

 さて、儒教の孝経はただこの世だけの孝行のみを教えて後生の行方を教えない。これ

は、体の病気は治すが心の嘆きを止めることができないようなものである。仏教5000余

巻においても法華経以前は、人間や天上界、声聞、縁覚の道に入れることは出来たが、

仏道へ引導することは出来なかった。あの目連尊者の乳を吉占師子、母を青提女といっ

た。母が死んで餓鬼道に堕ちたのを、まだ凡夫の間は知ることは出来なかった。出家し

て悟りを開き声聞、縁覚の二乗の道に入り、天眼を得て、これを見ると、母は餓鬼道に

堕ちていることが分かった。ああ浅ましいと思うばかりであった。

 そこで、餓鬼道に行って母にご飯を食べさせようとすると、わずかに口に入ったか入

らぬかと思った時、そのご飯は炎に変わり、口はかまどのようになり、ご飯は炭をおこ

したようになった。その身体は松明のように燃え上がったので、目連尊者は神通力を現

わして水を出して消そうとした所、その水も変じて炎となり、火炎のごとく燃え上がる

ばかりであった。

 目連はもう自分の力には及ばないので、仏のみ前に急いで駆け込み、事情を申し上げ

た。そして、仏にお聞きしたように、十方の聖僧に飲食を供養し、その供養したご飯を

少しづつもらい受けて母に与えたところ、漸く母は餓鬼道の苦しみから救われたのであ

る。

 釈迦仏はご誕生の後7日目に母の摩耶夫人の死にあわれた。まだ凡夫であったから、

母の後生をご存知なかった。30歳で成道され、父の浄飯王を教化して、父も悟りを得て

阿羅漢となられた。母のために
忉利天に昇られ摩耶経を説かれ父母を阿羅漢になされ、

悟りを開かせられた。

 法華経以前の諸経の人たちは、これを孝養の二乗、孝養の仏と思っているが、ひるが

えって考えると、不孝の声聞、不孝の仏なのである。目連尊者ほどの聖人でも母を成仏

の道に入れられず、釈迦仏ほどの大聖でも父母をわずか二乗の道に入れるだけで、永く

成仏できないとの嘆きを深くなさしめたのは、果たして孝養であろうか、不孝と言うべ

きであろうか。

 だから、浄名(維摩)居士は目連を批判して、「目連はもともとバラモンの六師外道

の弟子ではないか」と言い、仏はご自身を責めて、「我もしこの法華経を父母に聞かせ

なかったならば、物惜しみの罪に堕ちねばならない。こんな事は決してあってはなら

ぬ」と仰せられた。

 目連尊者は法華経を知らなかったのであるから、その罪はまだ軽いのであるが、仏は

法華経を知りながら、生きておられる父に説くのを惜しみ、亡くなられた母にお会いし

て説かれなかったのだから、大けちん坊の人でなくて何であろう。

 しかしよく考えてみると、法華経を説かなかったなら、仏は自ら決めた250の戒も、

十重戒をも犯された者になる。仏がもし法華経をお説きにならなかったなら、三世十方

の一切の人々を残らず不孝に堕とした大罪を免れることは出来ない。だから、天台大師

はこのことについて、「過ちは仏のほうにある」と言い、ある人は、「これは三世十方

の諸仏が仏の本当の誓いに背いて人々を欺いたことになる」と言った。(つづく)

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【 2023/12/19 05:41 】

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真の孝養 刑部左衛門尉女房御返事②

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

刑部左衛門尉女房御返事おさかべさえもんのじょうにょうぼうごへんじ

 今日蓮案じて云く、此の経文は殊にさもやとをぼへ候。父母の御恩は

今初て事あらたに申べきには候はねども、母の御恩の事、殊に心肝しんかんに染

て貴くをぼへ候飛鳥の子をやしなひ地を走る獣の子にせめられ候

目もあてられず、魂もきえぬべくをぼへ候。それにつきても母の御恩

忘れがたし。胎内に九月ここのつきの間の苦み、腹はつづみをはれるが如く、くびは針

をさげたるが如し。いきは出づるより外に入る事なく、色は枯れたる草の

如し。臥せば腹もさけぬべし。坐すれば五体やすからず。かくの如くし

て産も既に近づきて、腰はやぶれてきれぬべく、眼はぬけて天に昇るか

とをぼゆ。かゝるかたきをうみ落しなば、大地にもふみつけ、腹をもさきて

捨つべきぞかし。さはなくして、我が苦を忍びて急ぎいだきあげて血を

ねぶり、不浄をすゝぎて胸にかきつけ、いだきかゝへて三箇年が間、慇懃ねんごろ

に養ふ。母の乳をのむ事、一百八十斛三升五合也。此乳のあたひは一合

たりとも三千大千世界にかへぬべし。されば乳一升のあたひを
かんがへて候

へば、米にあつれば一万一千八百五十こく五升、稲には二万一千七百束に余

り、布には三千三百七十たん也。かにいわんや一百八十斛三升五合のあたひ

をや。

 他人の物は銭の一文・米一合なりとも盗みぬればろう(牢)のすもり

(巣守)となり候ぞかし。而るを親は十人の子をば養へども、子は一人

の母を養ふことなし。あたゝかなるおとこをば懐きて臥ども、こゞへたる母

の足をあたゝむる女房はなし。給狐独園ぎつこどくおん金鳥こんちょうは子の為に火に入り、

きょう尸迦しか夫人は夫の為に父を殺す仏の云く父母は常に子をおもへども

子は父母を念はず等云云。影現王ようげんおうの云、父は子を念ふといえども、子

は父を念はず等是也。たとひ又今生には父母に孝養をいたす様なれども、

後生のゆくへまで問ふ人はなし。母の生てをはせしには、心には思はね

一月に一度、一年に一度は問しかども、死し給ひてより後は初七日より

二七日乃至第三年までは人目の事なればかたの如く問ひ訪ひ候へども、

年四千余日が間の程はかきたえ問ふ人はなし。生てをはせし時は一日片

のわかれをば千万日とこそ思はれしかども、十三年四千余日の程はつや

つやをとづれなし。如何いかにきかまほしくましますらん。


【現代語訳】

母の恩

 
今、日蓮が考え案じてみるにつけても、この経文は殊にもっともだと思うのである。

父母のご恩は今さらこと新しく申すまでもないことであるけれども、母のご恩の事は、

殊に肝に銘じ、心にしみ通って貴く思うのである。空飛ぶ鳥が子を養いながら、地を走

る獣の子に苦しめられることを見るにつけても、目もあてられず、魂も消えてしまうよ

うに思うのである。

 それにつけても、母のご恩は忘れることができない。胎内で9カ月間もの間苦しみ、

お腹は太鼓を張ったようになり、首は針をさげたように細くなり、息は出るだけで入る

息は少なく顔の色は枯草のようになり横に臥せればお腹は張り裂けんばかりとなり、

坐っても五体はだるくて休まらない。このようにしてお産も近づくと、腰は破れて切れ

るかと思われ、眼の玉は抜けて天に昇るかのように思われる。

 このように、わが身を苦しめる敵のようであるから、産み落としたならば、大地に投

げて踏みつけ、腹を裂いて打ち捨てでもするかと思うと、そうではなく、自分の苦しみ

を耐え忍んで、急いで抱き上げ血を拭いて汚れを洗い濯ぎ、胸にすりつけてしっかりと

抱きかかえ、3カ年の間というもの、夜もおちおち寝ずに親切に養い育てる。

 この間にわが子が母の乳を飲むのは、実に180石3升5合にもなる。この乳の価は僅

か1合であろうと三千大千世界に替えられぬ程である。それ故、乳1升の価を調べてみ

ると、米に相当すれば1万1850石5升、稲では2万1700束以上になり、布では3370反

に当たる。まして、180石3升5合の価はどれ程莫大であるかは計り知れない。

 他人の物は、たとえ銭1文、米1合でも盗めば、牢屋に入って暮らさねばならない。

それなのに、親は10人の子を養っても、子は一人の母を養おうともしない。肌温かき夫

を抱いて寝る妻は多いが、凍えた母の足を温める女房はいない。昔、給孤独園(祇園精

舎)にいた金色の鳥は子を助けるために火の中に飛び込み、反対に
※ 1尸迦夫人は、夫に

嫉妬し、父に告げ口したため、父はこれを怒り、夫と戦い、そのために父を殺してしま

った、と伝えられる。

 私が「父母は常に子を思わぬ暇とてないけれども、子は父母を思わない」と言い、影

現王が「自分はこれ程わが子のことを思えども、子は父の事を思わない」と言われたの

も、こうしたことの事実である。たとえこの世では、父母に孝養するように見えても、

亡くなった後生の行末まで心配する人はいない。

 親が生きておられる時は、本心からではなくても、一月に一度、一年に1回くらいは

心配することもあるけれども、亡くなった後は、初七日から二七日(14日)ないし三回

忌までは、世間体もあるので形ばかり心配し、弔いはするが、これから13年4000余日の

後までは絶えて問う人はない。それを、あなたは母の生きておられた時、一日片時の別

れでさえ、千万日も別れていたように思われていたのであるから、13年4000余日の間、

今か今かと亡き母の訪れを待ち望んでいることであろう。亡き母からの便りがないの

で、どんなにか聞きたいと思っていることであろう。(つづく)

【語註】
 
 ※1 
憍尸迦夫人: 憍尸迦は帝釈天が人間時代における名前。その夫人は阿修羅の娘
            で、舎脂(シャチー)。

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【 2023/12/16 05:39 】

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真の孝養 刑部左衛門尉女房御返事①

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

刑部左衛門尉女房御返事おさかべさえもんのじょうにょうぼうごへんじ

弘安3年(1281)10月21日、59歳、於身延、和漢混交

 亡き母の13回忌に供養した志をほめ、法華経こその真の孝養を教えるものと説いたもの。

 今月飛来の雁書に云く、此の十月三日、母にて候もの十三年に相当れ

り。銭二十貫文等云云。

 外典げてん三千余巻には忠孝の二字を骨とし、内典ないでん五千余巻には孝養を

眼とせり不孝の者をば日月も光ををしみ地神もいかりをなすと見へて



 ある経に云く六道の一切衆生仏前に参り集たりしに、仏、彼等が身の

上の事を一々に問ひ給ひし中に地神に汝大地より重きものあり

と問ひ給ひかば、地神敬んで申さく、大地より重き物候と申す。仏

の曰く、いかに地神偏頗へんぱをば申すぞ。の三千大千世界の建立は皆大地

の上にそなわれり。所謂いわゆる須弥山しゅみせんの高さは十六万八千由旬ゆじゅん、横は三百三

十六万里也。大海は縦横八万四千由旬也。,其外そのほかの一切衆生草木等は皆

大地の上にそなわれり。此を持てるが大地より重き物有らんや、と問ひ

給ひしかば、地神答て云く、仏は知しょくしながら人に知せんとて問ひ給ふ

。我地神となること二十九こう也。其間、大地を頂戴して候にくびも腰も

痛むことなし。虚空こくうを東西南北へ馳走ちそうするにも重きこと候はず。ただ不孝

の者のすみ候所が身にあまりて重く候也頚もいたく腰もおれぬべ

膝もたゆく、足もひかれず、眼もくれ、魂もぬけべく候。あわれ此

人の住所の大地をばなげすてばやと思ふ心たびたび出来し候へば、不孝

の者の住所は常に大地ゆり候。されば教主釈尊の御いとこ提婆達多だいばだったと申

せし人は閻浮提えんぶだい第一の上臈じょうろう、王種姓しゅしょう也。然れども不孝の人なれば、我

等彼の下の大地を持つことなくして、大地破れて無間地獄に入り給き。

我等が力及ばざる故にて候と、かくの如く地神こまごまと仏に申し上げ

候しかば、仏はげにもげにもと合点せさせ給ひき。又仏歎て云く、我滅

後の衆生の不孝ならん事、提婆にも過ぎ、瞿伽利ぐぎゃりにも超たるべし等云云

取意。涅槃経に、末代悪世に不孝の者は大地微塵よりも多く、孝養の者

は爪上の土よりもすくなからんと云云。

【現代語訳】
不孝の罪

 この10月送って寄こされた手紙によれば、「10月3日は母の13年に当たり、供養とし

て銭20貫文を贈る」とのこと、ありがたくお受けした。

 それ、儒教3000余巻の説くところいかに多くとも「忠孝」の2字が骨髄であり、仏教

の説く5000余巻にわたる教えのうちでは「孝養」こそ眼目である。不孝の者には太陽や

月も光を惜しみ、地神も怒るのであると経文に見えている。ある経文には次のような話

がある。

 ある時、仏のみ前に地獄から天上界にいたる一切の人々が集まっていたところ、仏は

一つ一つ彼らの身の上のことをお尋ねになられ、次のような問答を地神となされた。

 仏「お前は大地の神であるが、大地より重いものがあるか」

 地神「謹んで仏さまに申し上げますが、大地より重いものがございます」

 仏「おかしなことを申すな。この三千大千世界の山でも川でも、一切のものはみな大

地の上に備わっている。いわゆる須弥山の高さは16万8000由旬(1由旬=約14㎞)幅

は336万里、大海は縦横あわせて8万4000由旬、その外の一切の人々から草木に至るま

で皆大地に載せられている。それ程のものを持ちこたえている大地よりも重いものが他

にあろうか」

 地神「(仏はご存じでありながら、人々に分からせようと考えて問われているのであ

ろうと思い)私が地神となってから29劫という長い年月を経ています。その間大地を頂

戴していますが、首も腰も痛かったことはございません。虚空の中を東西南北に駆け回

っても重いとは感じませんでした。ただ不孝の者の住んでいるところは耐えきれないほ

ど重く感じて首も痛く腰も砕けるようで膝もだるく、足も持ち上がらず、眼も眩み、

魂も抜けてしまうかと思うのです。それで仕方なく、この不孝の者の住む大地を投げ捨

てようと思うことは度々ありました。不孝の者の住む所が常に揺れ動くのはこのためで

す。だから、教主釈尊の従兄弟に当たられる提婆達多という人は、世界一の貴い王の血

筋でありましたが、不孝の人であったので、私どもは彼が住んでいる大地を持ちこたえ

られず、大地は敗れて無間地獄に堕ちてしまいました。私どもの力の及ばないためであ

りました」

 地神がこのように細々と仏に申し上げると、仏は「そうだ、そうだ」と合点して頷か

れ、また歎かれて、「私が滅度してから以後の人々の不孝は殺生を働いた提婆達多より

も深く、仏の弟子を誹謗したため地獄に堕ちた提婆の弟子の
瞿伽梨よりも超えている」

と言われた。涅槃経には「末代悪世には不孝の者は大地微塵よりも多く、孝養の者は爪

の上の土よりも少ない」と説かれている。(つづく)

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【 2023/12/14 05:35 】

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真の孝養と仏道をめざして 清澄寺大衆中③

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

清澄寺大衆中せいちょうじだいしゅうちゅう

 法華経と申す御経は別の事も候はず。我は過去五百塵点劫かこごひゃくじんてんごうより先の

仏なり。又舎利弗しゃりほつ
等は未来に仏になるべしと。これを信ぜざらん者は無

間地獄に堕つべし。我のみかう申すにはあらず、多宝仏も証明し、十方

の諸仏も舌をいだしてかう候。地涌千界じゆせんがい
・文殊・観音・梵天・帝釈・

日・月・四天・十羅刹らせつ
法華経の行者を守護し給はんと説かれたり。され

ば仏になる道は別のやうなし。過去の事、未来の事を申しあてて候が、

まことの法華経にては候なり。

 日蓮はいまだつくし(筑紫)を見ず、えぞ(西戎)しらず。一切経を

もて勘へて候へばすでに
ひぬ。もししからば、各々不知恩の人なれば

無間地獄に堕ち給ふべしと申候は、たがひ候べきか。今はよし、後をご

らんぜよ。日本国は当時のゆき(壱岐)対馬のやうになり候はんずるな

り。其後、安房の国にむこ(蒙古)が寄せて責め候はん時、日蓮房の申

せし事のあうたりと申すは、偏執の法師等が口すくめて無間地獄に堕ちん

事、不便なり不便なり。

正月十一日                     日 蓮 花押

安房の国清澄寺大衆中

このふみは、さど(佐渡)殿とすけあさり(助阿闍梨)御房と虚空蔵の

御前にして、大衆ごとによみきかせ給へ。

【現代語訳】
蒙古襲来の危機を直視して

 法華経というお経は特別のことを説いたものではありません。法華経には久遠実成くおんじつじょう

の釈尊つまり自分は実に過去五百億塵点劫の昔にすでに成仏していた仏であることと

二乗作仏さぶつ、つまり諸経では成仏できないとされていた舎利弗らの二乗も、未来には必ず

仏になれるということが説かれています。このことを信じない者は、無間地獄に堕ちる

でありましょう。これは日蓮が言うのではなく、多宝如来も十方の諸仏も真実であるこ

とを証明されています。※ 1涌千界の菩薩や文殊・観音・梵天・帝釈天・日・月・四天・

羅刹女らせつにょたちも法華経の行者を守護すると説かれているお経です。そうであるならば、

仏になる道は他にありません。過去や未来のことを間違いなく説きあかすのが法華経で

あり、この法華経を受持していくのが真の法華経の行者であり、成仏への道なのです。

 日蓮はいまだ筑紫の国を見たこともなければ、蒙古国のことも知りませんが、一切経

を閲読して考えた結果蒙古が攻め寄せてくるという予言が的中しましたしたがって、

あなた方は法華経の恩を知らない人たちですから、無間地獄に堕ちるであろうと日蓮が

主張してきたことも、また間違いなくあたるでしょう。今は善いでしょうが、後に必ず

後悔するでしょう。日本国は蒙古から攻められて、今の壱岐・対馬のようになるでしょ

う。そして、この安房の国に蒙古が攻め寄せてきた時、誤った教えを信じていた法師た

ちは口をすぼめて、日蓮房の申していたことは間違いなかったと言いながら、無間地獄

に堕ちていくことは何とも気の毒なことです。

正月十一日                           
日 蓮  花押

安房の国清澄寺大衆中へ

 この手紙は、日向にこう殿と※ 2阿闍梨御房殿とで、虚空蔵菩薩の御前で清澄寺の大衆一同に

読み聞かせていただきたいと存じます。

【語註】

 ※1 
地涌千界:法華経従地涌出品第15に説かれる地涌の菩薩のこと。千界は千世界
            の意で、神力品第21で「千世界微塵等の菩薩摩訶薩、地より涌出せる者」とあ
            るゆえに、六万恒沙(多数の意)の地涌の菩薩を地涌千界という。

 ※2 
助阿闍梨:日蓮の弟子で、日蓮の教説を信奉した清澄寺の住僧と考えられる。
            新尼御前御返事(文永12年)によれば、領家の尼のもとに親しく出入りしてい
            たことがわかる。
 

【解説】

 
真言宗と対論のため伊勢公所持の空海の十住心論・秘蔵宝
鑰・二教論などの借用を依

頼。ついで仏法の邪正を正す行動を回想した幼児における虚空蔵菩薩への誓願や、建長

5年(1253)の清澄寺道善房持仏堂でのいわゆる立教開宗、東条景信と領家の尼との土

地争いに、日蓮が味方して勝利に導いたことなど、日蓮伝の貴重な資料となるものが多

い。

 領家の尼は日蓮にとって重恩の人であり、父母が恩を蒙った女性であった。日蓮が世

間的恩を報じようとしたのは、かつて地頭の押妨に対抗して、清澄、二間の両寺を領家

方に奪い返した行為にみることができる。
しかし、法華経を一度は信じながら、日蓮一

門が弾圧を受けると信仰を退転させてしまった人でもある。

 法華経への恩を忘れた人となって後生に悪道に堕ちてしまうことを哀れに思いながら

も、父母が恩を蒙った人であるから、なんとしても後生は助けてあげたいと祈っている

と、間接的に恩ある領家の尼が悔い改める道に引き返すように願った日蓮の葛藤する心

をくみとることができる。

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【 2023/12/12 05:37 】

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真の孝養と仏道をめざして 清澄寺大衆中②

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

清澄寺大衆中せいちょうじだいしゅうちゅう

 これを申さば必ず日蓮が命と成るべしと存知せしかども、虚空蔵菩薩こくうぞうぼさつ

の御恩をほう(報)ぜんがために、建長五年四月二十八日、安房の国東

条の郷、清澄寺道善の房持仏堂じぶつどうの南面にして、浄円房と申す者並に少々

の大衆にこれを申しはじめて、その後二十余年が間退転なく申す。或は

所を追ひ出され、或は流罪等、昔は聞く不軽菩薩ふぎょうぼさつの杖木等を。今は見る

日蓮が刀剣に当る事を。

 日本国の有智無智上下万人の云く日蓮法師は古の論師人師大師

先徳にすぐるべからずと。日蓮この不審をはらさんがために、正嘉・文

永の大地震大長星を見てかんがへて云く我朝に二つの大難あるべしいわ

ゆる自界叛逆難じかいほんぎゃくなん他国侵逼難たこくしんぴつなん也。自界は鎌倉にごん大夫たゆう殿御子孫、

どしうち(同士打)出来しゅったいすべし。他国侵逼難は四方よりあるべし。其

中に西よりつよくせむべし。これひとえに仏法が一国こぞりよこしまなるゆへ

に、梵天帝釈の他国に仰せつけてせめらるるなるべし。日蓮をだに用ひ

ぬ程ならば、将門まさかど純友すみとも貞任さだとう利仁としひと・田村のやうなる将軍、百千万

人ありとも叶ふべからず。これまことならずば、真言と念仏等の僻見を

ば信ずべしと申しひろめ候き。

〔なかんずく〕、清澄山の大衆は日蓮を父母にも三宝にも、をもひをと

させ給はば、今生には貧窮の乞者とならせ給ひ、後生には無間地獄むげんじごくに堕

ちさせ給ふべし。故いかんとなれば、東条左衛門景信とうじょうさえもんかげのぶが悪人として、

清澄のかいしゝ(飼鹿)等をかり(狩)とり、房々の法師等を念仏者の

所従にしなんとせしに、日蓮敵をなして領家のかたうどとなり、清澄きよすみ

二間ふたまの二箇の寺、東条が方につくならば日蓮法華経をすてんと、せいじ

やう(精誠)の起請きしょうをかいて、日蓮が御本尊の手にゆい(結)つけてい

のりて、一年が内に両寺は東条が手をはなれ候しなり。この事は虚空蔵

菩薩もいかでかすてさせ給ふべき。大衆も日蓮を心へずにをもはれん人

々は、天にすてられたてまつらざるべしや。かう申せば愚癡の者は、我

をのろう(呪咀)と申すべし。後生に無間地獄に堕ちんが不便なれば申

すなり。

 領家の尼ごぜんは女人なり、愚癡ぐちなれば人々のいひをど(嚇)せば、

さこそとまし球究候らめ。されども恩をしらぬ人となりて、後生に悪道

に堕ちさせ給はん事こそ不便に候へども又一つには日蓮が父母等

恩をかほらせたる人なれば、いかにしても後生をたすけたてまつら

んとこそいのり候へ。

【現代語訳】
清澄開教と受難

 このことを申し始めれば、必ず日蓮の命は奪われるだろうと承知していましたが、虚

空蔵菩薩の御恩に報いるために、建長5年(1253)4月28日、安房の国東条の郷の清澄

寺にある道善房の※ 1仏堂の南面で、浄円房やわずかの清澄寺の人たちに、諸宗の誤って

いることと法華経の勝れていることを初めて申し述べました。その後、20余年の間、や

めることなく説き続けてきたために居所を追われ、あるいは流罪となりました。これは

昔、※ 2軽菩薩が法華経を弘めて人びとから杖木で打たれましたが、今は日蓮が同じ法華

経を弘通したために刀剣の難にあっているのです。

 日本国の智者も愚者も万人一同に、日蓮法師がどうして昔の論師・人師・大師・先徳

より勝れていると言えるのかと言い日蓮の主張を信じようとしません。そこで日蓮は、

この不審をはらすために正嘉元年(1257)の大地震、そして文永元年(1264)に大彗

星が現われたのを見て、近く日本に2つの大難がおこることを予言しました。※ 3界叛逆

難と※ 4国侵逼難がそれです。内乱である自界逆難は鎌倉の権の大夫北条義時殿の子孫

に同士討ちが起こり、他国からの侵略である他国侵逼難は、四方より起こるが、その中

でも西の方から強く攻めてくるであろう。それというのも、日本中の仏法がことごとく

誤っているため、正法を守護する梵天・帝釈天が他国に命じて攻めさせるからである。

今、この日蓮の教えを採用しなければ、平将門・藤原純友・安倍貞任・藤原利仁・坂上

田村麿のような将軍が百千万人いてもかなうはずがないこの予言が違っているならば

真言宗や念仏の誤った教えを信じたらよいであろうと申し弘めてきたのです。

 とりわけ、清澄寺の人びとは、この日蓮を父母や三宝と同じように思わなければ、こ

の世では貧しい乞食となり、来世には必ず※ 5間地獄に堕ちることになりましょう。その

理由は、悪人であった地頭※ 6条景信がかつて清澄寺の飼っている鹿を狩り取ったり、

寺々の法師たちを念仏者にしようとした時、日蓮がそれに反対して領家の味方となり、

清澄と※ 7間の寺が東条景信につくならば日蓮は法華信仰を捨てようと、心をこめて起請

文を書き日蓮の本尊に結びつけて祈ったところ、祈りが通じたのか1年もたたないうち

に両寺は東条景信の手を離れることになったのです。このことはよもや虚空蔵菩薩もお

忘れになることはありません。清澄の人々も日蓮をいぶかしく思う人は、必ずや諸天に

捨てられることになりましょう。このように言いますと、愚かな人たちは日蓮は自分た

ちを呪うのかと思うかも知れませんが、そうではなく、来世に無間地獄に堕ちるのが気

の毒に思うので申し上げているのです。
 
 ※ 8家の尼御前は女性であり、愚かな人でありますから、人びとにおどかされて日蓮の教

えに背いたのでありましょう。しかし、法華経の御恩を忘れて、来世に悪道に堕ちるこ

とはいかにも気の毒でありますしまた日蓮の父母が御恩を受けた人でもありますので

何とかして地獄に堕ちることから助けてあげたいと祈っているのです。(つづく)

【語註】

 ※1 持仏堂:個人の帰依、礼拝する持仏を安置する堂。日蓮は建長5年(1253)4
       月28日、清澄寺の持仏堂の南面で立教を宣言した。日蓮はその持仏堂を「諸仏
           坊の持仏堂」、「道善之房持仏堂」と書き記すが、その堂には日蓮の持仏である
           釈尊像が安置され、その持仏を背に立教を宣言したのである。

 ※2 不軽菩薩:法華経の常不軽菩薩品第20に説かれる菩薩。釈尊の前世における
            衆生救済の菩薩行を説く本生物語の一つで、すべての人々がやがて成仏するで
            あろうことを尊び、軽蔑や迫害にもめげず四衆を礼拝した。日蓮はこの不軽菩
            薩を末法における法華経弘通の理想とし、自己の信仰実践の規範とした。

 ※3 自界叛逆難:国内に叛逆者が出て、争いや同志討ちが起こること。薬師経に説
            く七難の一つ。日蓮は立正安国論で、日本が正法である法華経に背くから、自
            界叛逆・他国侵逼の二難が起こることを指摘。この自界叛逆難は北条氏一門の
            争いである文永9年(1272)2月の北条時輔の乱となって現実化し、日蓮は立
            正安国論を仏の未来記に擬した。

 ※4 他国侵逼難:他国が侵略してくる災難のこと。薬師経に説く七難の一つ。日蓮
            は立正安国論で、日本が法華経に背くゆえに自界叛逆・他国侵逼の二難が起こ
            ることを予知、警告した。そして、文永5年(1268)閏正月、日本を侵略する
            内容の蒙古国国書の到来により、他国侵遭難は現実のものとなった。

 ※5 無間地獄:間断なく苦を受け、楽をする間がない地獄のこと。阿鼻地獄とも言
            う。八大地獄の最下に置かれ、五逆罪や正法を誹謗するなど重罪を犯したもの
            が堕ちるとされる。日蓮は、今の日本国の人びとはみな無間地獄への道を歩ん
            でいるとし、題目の受持こそが無間地獄への道を塞ぐものとした。

 ※6 東条左衛門景信:安房国長狭郡東条の地頭。熱心な念仏者で、建長5年の立教
            開宗に、浄土教を批判する日蓮を清澄寺から追放した。追放の理由には、地頭
            として勢力拡大をはかった領家の尼との土地争いに、日蓮が領家の尼に味方し
            たため敗退させられたことも加わろう。文永元年(1264)11月、清澄寺追放後
            はじめて安房に帰省した日蓮一行に、景信がその宿怨をはらすべく襲撃したの
            が小松原法難である。

 ※7 二間:二間寺のこと。安房国長狭郡(現在の千葉県安房郡)に所在した。現廃
            寺。日蓮は常に清澄寺と並べて書き記しており、清澄寺と密接な関係にあった
            と考えられる。

 ※8 領家の尼:安房国長狭郡東条郷に居住。領家の尼は日蓮の両親が恩を受けた重
        恩の人。ために建長5年頃の地頭東条景信と領家の土地争いに、日蓮は領家に
            味方して勝訴した。やがて領家の尼は日蓮に帰依したが、文永8年(1271)の
            龍口法難のおり、退転して法華信仰を捨てた。

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【 2023/12/09 05:40 】

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真の孝養と仏道をめざして 清澄寺大衆中①

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

清澄寺大衆中せいちょうじだいしゅうちゅう

建治2年(1276)1月11日、55歳、於身延、和漢混交文

 諸経の勝劣を知り、法華経の正義を失う各宗の邪正を正して立教を宣言し、受難を受けるに至った法華経の智者・行者の生涯を明かす。故郷から受けた恩に謝意を込め、領家の尼を導きつつ、念仏、真言の影響下にある清澄寺の人々を戒めたもの。

 新春の慶賀自他幸甚幸甚。〔去年こぞ来らず、いかん。定めて子細あらん

か。そもそも参詣を企て候〕ば、伊勢公の御房に十住心論じゅうじゅうしんろん秘蔵宝鑰ひぞうほうやく

二教論にきょうろん等の真言の疏を借用候へ。〔かくのごときは真言師蜂起の故に

これを申す〕。又止観の第一第二御随身候へ。東春とうしゅん輔正記ふしょうきなんどや

候らん。円智房の御弟子に観智房の持ちて候なる宗要集かし(貸)たび

候へ。それのみならず、ふみ(文)の候由も人々申し候し也。早々に返

すべきのよし申させ給へ。今年は殊に仏法の邪正たださるべき年か。

 浄顕の御房・義城房等には申し給ふべし。日蓮が度々殺害せられんと

し、並に二度まで流罪せられ、頸を刎られんとせし事は、別に世間のとが

に候はず。生身の虚空蔵菩薩こくうぞうぼさつより大智慧を給はりし事ありき。日本第一

の智者となし給へと申せし事を、不便とやおぼしけん。明星の如くな

る大宝珠を給ひて、右の袖にうけとり候し故に、一切経を見候しかば、

八宗並に一切経の勝劣ほぼこれを知りぬ。

 其上、真言宗は法華経を失う宗也。これは大事なり。先づ序分に禅宗

と念仏宗の僻見びゃっけんを責めて見んと思ふ。その故は、月氏がっし漢土の仏法の邪

正はしばらく〔これを置く〕。日本国の法華経の正義を失ふて、一人も

なく人の悪道に堕つる事は、真言宗が影の身に随ふがごとく、山々ごと

に法華宗に真言宗をあひそひ(副)て、如法の法華経に十八道をそへ、

せんぼうに阿弥陀経を加へ、天台宗の学者の灌頂をして真言宗を正とし、法

華経を傍とせし程に、真言経と申すは爾前権経にぜんごんきょうの内の華厳・般若にも

劣れるを、慈覚・弘法これに迷惑して、或は法華経に同じ、或は勝れた

りなんど申して、仏を開眼するにも仏眼大日の印真言をもつて開眼供養

するゆへに、日本国の木画の諸像、皆無魂無眼むこんむげんの者となりぬ。結句は天

魔入り替つて、檀那をほろぼす仏像となりぬ。王法の尽きんとするこれ

なり。この悪真言かまくら(鎌倉)に来りて、又日本国をほろぼさんと

す。そ
の上、禅宗・浄土宗なんどと申すは、又いうばかりなき僻見の者

なり。

【現代語訳】
亡国の宗

 新春を迎え慶賀申し上げます。去年、この身延にお見えになりませんでしたが、何か

変わったことがあったのではと案じています。もし身延山に参詣されるようでしたら、

※ 1勢公から※ 2住心論・秘蔵宝鑰・二教論の真言宗の書物を借用してお持ちいただきたい

のです。これは近ごろ真言師らが日蓮と対論しようと騒ぐので、その対策のために必要

なのです。また、摩訶止観の第一巻・第二巻、東春・輔正記などもお持ちいただきたい

のです。さらに円智房の弟子の観智房が所持している宗要集も借りていただきたいので

す。そのほかにも、観智房は多くの書物を所持していると聞いていますが、早々にお返

しするからといって借りていただきたいと思います。今年こそ、仏法の邪正が糺明され

る年だと思われます。

 ※ 3顕房・義城房らに次のことどもを申し伝えていただきたいと思います。日蓮がこれ

までたびたび殺害されようとし、また伊豆・佐渡と2度まで流罪され、首を切られよう

としたのは、世間の罪を犯したからではありません。日蓮は幼少のころ、生身の※ 4空蔵

菩薩から大きな智慧をたまわったことがあります。日蓮がそのおり、日本第一の智者と

なしたまえと祈りましたことを気の毒に思われたのでありましょうか、明星のような大

宝珠を右の袖に授かりました。そのおかげで一切経を読み、八宗並に一切経の勝劣をほ

ぼ知ることができるようになったのです。

 ※ 5言宗は法華経を滅ぼす宗旨ですが、これを責めることは重要事ですので、まず序分

禅宗と念仏宗の誤った教義を破折したのです。真言宗が法華経を滅ぼすについては理由

あります。インドや中国における仏法の邪正はしばらくおいて、日本国の人びとが法華

経の正義を破り、一人残らず悪道に堕ちるのは、影が身に随うように、どこの寺でも法

華宗に真言宗を付け加えたからです。そして、法華経の正しい修行に真言の十八道の修

行を加えたり、法華懺法に※ 6弥陀経を加えて阿弥陀懺法を始めたり、天台宗の学僧が法

を伝える灌頂を行なうのに、真言宗を正とし、法華経を傍としたからです。もともと真

言の経は、法華経以前に説かれた権教の中の華厳経や般若経よりも劣った経であります

のに、※ 7覚大師や※ 8法大師はこれに迷い、理においては法華経と同じであるとか、ある

いは勝れているなどと主張して、仏像の開眼供養を行なうにも、大日経の仏眼法の印真

言によったため、日本国中の木像や絵像の諸像はみな魂のないものとなったのです。最

後には天魔が仏像に入れ替わって、供養する信者をも滅ぼす仏像となったのです。朝廷

が滅亡しようとしているのもこのためなのです。この悪法である真言が鎌倉に伝わり、

今や日本全体を滅ぼそうとしています。その上、禅宗・浄土宗なども何ともいいようも

ないほどの誤った考えの者たちです。(つづく)

【語註】

 ※1 伊勢公:清澄寺の住僧。日蓮は空海著の十住心論・秘蔵宝鑰・弁顕密二教論の借
           用を伊勢公に依頼するが、それが伊勢公個人あるいは清澄寺所蔵本かは不明。右
           の点から伊勢公は日蓮の教説に同調、あるいは信奉した一人といえる。他の遺文
           にその名は見えない。

 ※2 十住心論:空海著の秘密曼荼羅十住心論のこと。10巻。人間の心の在り方、宗
           教意識の発達に応じて10段階に分類し、真言密教を最勝、最上位に位置づける
           理由を明らかにしたもの。空海の代表的著作の一つ。

 ※3 浄顕房・義浄房:安房国清澄寺の住僧。道善房の弟子で、12歳で清澄寺に登っ
           日蓮の教育にあたった兄弟子。建長5年(1253)4月28日の立教開宗のおりに
       は、東条景信の迫害から日蓮を守り清澄寺から下山させた。日蓮の教説を理解し
           ながら改宗せず、清澄寺にとどまった。

 ※4 虚空蔵菩薩:虚空のように無量の智慧・福徳を蔵する菩薩。真言密教における求
           聞持法の本尊としても有名。

 ※5 真言宗:教主を大日如来とし、根本経典は大日経・金剛頂経・蘇悉地経など。空
           海が入唐して恵果から真言密教を伝授、大同元年(806)帰国後、高野山の金剛
           峯寺・京都の東寺を中心に真言密教を弘めた。日蓮は真言宗を最勝とする十住心
           教判や顕劣密勝判を法華経の立場から厳しく批判した。

 ※6 阿弥陀経:無量寿経・観無量寿経とともに浄土三部経の一つ。阿弥陀仏が説法し
           ている西方極楽浄土の荘麗な様子、阿弥陀仏の名号を称えることにより、その極
           楽世界に往生できることなどを説く。日蓮は同経を、権実判の立場から法華経が
           説かれる前の方便の教え、権教と位置づけた。

 ※7 慈覚大師:延暦寺第三代の円仁。常行三昧に引声念仏を導入して叡山浄土教の源
           流を形成。さらに叡山に密教を導入し、天台密教の基礎を確立。法華経より密教
           が勝るという理同事勝の主張に対し、日蓮は最澄の法華一乗主義を否定した獅子
           身中の虫であると厳しく批判した。

 ※8 弘法大師:日蓮は法華経の「正直捨方便」の金言を無視し、法華経を大日経の下
           に位置づけたとして空海を厳しく批判した。

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【 2023/12/07 05:40 】

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真の孝養と仏道をめざして 日房御書⑦

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)



 法華経を信ずる人は、かまへて球究法華経のかたきををそれさせ給

へ。念仏者と持斎と真言師と、一切南無妙法蓮華経と申さざらん者を

ば、いかに法華経をよむとも、法華経のかたきとしろしめすべし。か

たきをしらねばかたきにたぼら(誑)かされ候ぞ。あはれあはれ、け

さんに入つてくわしく申し候はばや。又、これよりそれへわたり候さん

位房 みぼう佐渡公 さどこう等に、たびごとにこのふみ(文)をよませてきこしめすべ

し。又、この御文をば明慧房にあづけ(預)させ給ふべし。なにとなく

我智慧はたらぬ者が、或はをこつき、或はこのふみをさいかく(才覚)と

してそしり候なり。或はよも此御房は、弘法大師にはまさらじ、よも慈

覚大師にはこへ(超)じなんど、人くらべをし候ぞ。かく申す人をばも

のしらぬ者とをぼすべし。

建治二年〈太歳丙子〉三月 日            
日 蓮 花押

                     甲州南部波木井郷の山中
【現代語訳】
法華経の敵を知るー光日尼に信心の励まし

 法華経を信仰する者は、心にかけて法華経の敵を恐れなければなりません。念仏者や

戒律をたもつ者や真言僧、また南無妙法蓮華経と唱えない者はすべて、どのように法華経

を読もうとも法華経の敵と考えるべきです。敵を知らなければ敵に欺かれるものです。

早くお会いして詳しくお話をしたいものです。また、※ 1位房や※ 2渡公が安房に行くたび

に、この手紙を読ませて聴かれるとよいでしょう。また、この手紙は明慧房に預けてお

くとよいと思います。思慮のない者たちが日蓮をあざけったり、またこの手紙から日蓮の学

識を知りそしったりするでしょう。あるいは、日蓮がいかに賢くとも※ 3海よりは

勝れていまい、よもや慈※ 4大師円仁には及ぶまいなどと比較する人もいるでしょうが、

たとえそのようなことをいう人がいても、それは仏教を知らない者のいうことだと思い

捨ておきなさい。

建治二年三月 日                        
日 蓮  花押

                            甲州南部波木井郷の山中

【語註】

 ※1 
三位房:日蓮の弟子、三位房日行のこと。下総国(千葉県)の出身で早くから日
           蓮の門下に入った。日蓮門下の中で重きをなし、日興の富士弘教の補佐や諸宗問
           答の主任を命ぜられ活躍した。しかし才智におぼれ、ともすると日蓮の指導にそ
           むくことがあり、たびたび訓戒を受けていた。熱原の法難のころ退転し、不慮の
           をとげたと推定される。

 ※2 佐渡公:直弟子日向のこと。13歳で日蓮に師事、佐渡阿闍梨・民部阿闍梨とよ
           ばれた。藻原を拠点に上総一帯に教えを弘め、のち身延に登って日興とともに日
           蓮の廟所に給仕した。日興が身延を去った後は、身延久遠寺の経営と弟子の育成
           にあたり、その基礎をかためた。

 ※3 空海:日本真言宗開祖。延暦23年(804)入唐し、恵果より真言秘密の教えを学
           び、伝法灌頂を受けて帰国。真言宗と密教の最勝を主張する。日蓮は法華経の
          「正直捨方便」の金言を無視し、法華経を大日経の下に位置づけたとして厳しく
           した。

 ※4 
慈覚大師円仁:延暦寺第三代。常行三昧に引声念仏を導入して叡山浄土教の源流
           を形成。さらに叡山に密教を導入し、天台密教の基礎を確立。法華経より密教が
           勝るという理同事勝の主張に対し、日蓮は最澄の法華一乗主義を否定した獅子身
           中の虫であると厳しく批判した。
 

【解説】

 日蓮が国を思うという時には、必ず自らの生まれた故郷への思慕と報恩の謝念に根ざ

している。その懐郷の心情は、なによりも父母に向けられていたが、「故郷の人でたと

え私に心を寄せようと思っていないものでも故国の人だといえば、それだけで懐かしく

思」い、辛く当たった人でも疎かにしないといったように、石もて追われた故郷であれ

ばあるほど望郷と故郷への報恩の心を強く働かせている。

 故郷の人の中では父母をはじめ、清澄寺に入ってより師と頼んだ道善坊などがいる。

この他には、日蓮とその父母が恩をこうむった領家の尼や光日尼が、幼少の日蓮に深く

縁を結んだ人々である。光日尼は、日蓮が12歳より清澄寺の虚空蔵菩薩に「日本第一の

智者となしたまえ」と立願したことを知っていた。自らも日蓮を疎かに思っておらず、

陰ながら信奉していた女性であった。

 この手紙は、その光日尼から子弥四郎死去の知らせを聞き、母子の救いをさし示した

ものであるが、そこには故郷特に亡き父母への恋しさ、帰郷しえぬ悔しさと佐渡や身延

の地で抱き続けてきた切なるまでの心情を率直に告白している。そしてまた、法華経を

失う諸宗を批判し、為政者を諫め、迫害を受けた佐渡から身延入山に至る生涯を光日尼

を通じて故郷に報告し、法華経の行者としての魂を故郷にしるし留めようとした自叙伝

としても需要な内容を持っている。

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【 2023/12/05 05:35 】

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真の孝養と仏道をめざして 光日房御書⑥

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

光日房御書こうにちぼうごしょ

 又御消息に云く、人をもころしたりし者なれば、いかやうなるところ

にか生れて候らん、をほせをかほり候はんと云々。それ、針は水にしず

む。雨は空にとどまらず。蟻子ありを殺せる者は地獄に入り、死にかばね

(屍)を切れる者は悪道をまぬがれず。いかにいわんや、人身をうけた

る者をころせる人をや。ただし大石も海にうかぶ、船の力なり。大火も

きゆる事、水の用にあらずや。小罪なれども、懺悔さんげせざれば悪道をまぬ

かれず。大逆なれども、懺悔すれば罪きへぬ。所謂いわゆる、粟をつみ(摘)た

りし比丘は、五百生が間牛となる。うりをつみし者は三悪道に堕ちにき。

羅摩 らま王・抜提 ばつだい王・毗楼真 びるしん王・那睺沙 なごさ王・迦帝 かてい王・毗舎佉 びしゃやきゃ王・月光王・

光明王・日光王・愛王・持多人 じたにん王等の八万余人の諸王は、皆、父を殺し

て位につく。善知識にあはざれば、罪きへずして阿鼻地獄 あびじごくに入りにき。

波羅奈 はらな城に悪人あり、其名をば阿逸多 あいったという。母をあひ(愛)せしゆへ

に父を殺し妻とせり。父が師の阿羅漢 あらかんありて、教訓せしかば阿らかむを

殺す。母又、他の夫にとつぎしかば、又母をも殺しつ。つぶさに三逆罪をつ

くりしかば、鄰里 りんりの人うとみ(疎)しかば一身たもちがたくして、祇泹 ぎおん

精舎にゆいて出家をもとめしに、諸僧許さざりしかば、悪心強盛にして

多くの僧坊をやきぬ。然れども、釈尊にひ奉りて出家をゆるし給はり

にき。北天竺に城あり。細石となづく。彼城に王あり。龍印 りゅういんという。

父を殺してありしかども、後に此をおそれて彼国をすてて、仏にまいり

たりしかば、仏懺悔を許し給き。阿闍世あじゃせ王は、ひととなり(成)三毒

じょうなり。十悪ひまなし。其上父をころし、母を害せんとし、提婆達多だいばだった

を師として無量の仏弟子を殺しぬ。悪逆のつも(積)りに、二月十五

日、仏の御入滅の日にあたりて無間地獄くけんじごくの先相に、七処に悪瘡出生し

て、玉体しづかならず。大火の身をやくがごとく、熱湯をくみかくるが

ごとくなりしに、六大臣まいりて六師外道げどうを召されて、悪瘡をいやすべき

やう申しき。今の日本国の人々の禅師律師念仏者真言師等を善知

識とたの
みて、蒙古国を調伏し、後生をたすからんとをもうがごとし。

其上、提婆達多は阿闍世王の本師也。外道の六万蔵、仏法の八万蔵をそ

ら(諳)にして、世間・出世のあきらかなる事、日月と明鏡とに向ふが

ごとし。今の世の天台宗の碩学の、顕密二道を胸にうかべ、一切経をそ

らんぜしがごとし。此等の人々諸の大臣阿闍世王を教訓せしかば、仏に

帰依し奉る事なかりし程に、摩竭提まかだに天変度々かさなり、地夭ちようしきりな

る上、大風・大旱ばつ・飢饉・疫癘えきれいひまなき上、他国よりせめられて、

すでにかうとみえしに、悪瘡すら身に出でしかば、国土一時にほろびぬ

とみえし程に、にわかに仏前にまいり、懺悔して罪きえしなり。


 これらはさてをき候ひぬ。人のをやは悪人なれども、子、善人なれば

をやの罪ゆるす事あり。又、子、悪人なれども、親、善人なれば子の罪

ゆるさるる事あり。されば故弥四郎殿は、たとひ悪人なりともうめる母、

釈迦仏の御宝前にして昼夜なげきとぶらはば、いかでか彼人うかばざる

べき。いかにいわうや、彼人は法華経を信じたりしかば、をやをみちび

く身とぞなられて候らん。

【現代語訳】

罪と懺悔ー弥四郎の救い

 またお手紙に、弥四郎はかつて人を殺害した者であるから、後生はどのような所へ生

まれてくるのか御教示いただきたいとのことですが、針が水の中に沈み、雨が空中にと

どまらないように、蟻を殺した者も地獄に堕ち、死んだ屍体を切った者も地獄・餓鬼・

畜生の三悪道へ堕ちることから免れることはできません。まして、人間を殺したとすれ

ばなおさらのことです。しかし、大石も船の力を借りて海に浮かぶことができ、大火も

水の働きによって消すことがきるように、小さな罪でも悔い改めなければ必ず悪道に堕

ちますが、大きな罪を犯した人でも悔い改めればその罪は消えます。そうした例は大変

多くあります。憍梵波提 ※ 1 きょうぼんはだいは過去世に粟を盗んで牛が食べるように反芻したため、

500生のあいだ牛に生まれかわり、また瓜を盗んだために三悪道に堕ちた者もいます。

羅摩王・抜提王・
楼真王・那沙王・迦帝王・王・月光王・光明王・日光王・

愛王・持多人王などのインド古代の8万余人の諸王は、みな父を殺して王位についた者

ですが、人を導く高僧に会わなかったために、犯した罪を悔い改めることができず、つ

いに無間地獄に堕ちてしまいました。また波羅奈城(バラナシ、ベナレス)に阿逸多と

いう悪人が住んでいましたが、その母に恋慕をいだき、ついに父を殺し母を妻としまし

たので、父の師匠であった阿羅漢がこれを戒めたところ、その阿羅漢をも殺してしまい

ました。ところが母がまた他の夫に嫁いだところ、その母をも殺してしまいました。か

くて、殺父・殺母・殺阿羅漢の三逆罪のすべてを犯したために、近隣の人びとの排斥に

耐えることができず、祇園精舎へ赴き出家することを願いましたが、諸僧が許さなかっ

たので怒り狂った悪人阿逸多はついに多くの僧坊を焼き払ってしまいましたしかし、

釈尊にあい心から過去に犯した罪を悔い改めたので出家を許されたのです。また北イン

ドに細石という城があり、その王を龍印といいました。龍印は父を殺してその位につい

たのですが、後にその罪を恐れ国を捨てて仏のもとに赴き悔い改めたのでその罪を許さ

れました。また中インドのマガダ国の阿闍世王は、生まれつき貪欲とんよく瞋恚しんに愚痴ぐちの三毒

がきわめて強く常に十悪を犯しさらに父を殺し、母をも殺そうとしたばかりでなく、

悪人の提婆達多を師匠として多くの仏弟子を殺しました。こうした人並みはずれた悪事

が重なり、2月15日の釈尊の御入滅の日に、無間地獄へ堕ちる先相として身体の7ケ所

に悪瘡ができました。阿闍世王のその苦しみは全身を大火で焼き、熱湯を浴びせられる

ようでしたので、王に従う6大臣は当時中インドに勢力のあった6人の外道論師を招い

その悪瘡を治療するよう命じましたこれはあたかも、今の日本国の人びとが禅師・

律師・念仏者・真言師らを高僧と信頼して、蒙古国を調伏し、後生を助けてもらおうと

思っているようなものです。その上、阿闍世王の師である提婆達多は外道の六万蔵、仏

法の八万蔵をそらんじて、仏法の教えにも世間の学問にも明るかったことは、あたかも

日月や鏡に向かうようなものでした。今の天台宗の碩学が顕教・密教の二教に通じ、一

切経をそらんじているのと同じです。このような提婆達多や六師外道、6大臣が阿闍世

王を教導したため、阿闍世王は釈尊に帰依することもなく過ごすうちに、摩竭提国に天

変地異が続発し、大風・大旱魃・飢饉・疫病などが続きました。さらに他国から攻め寄

せられ、阿闍世王の身には悪瘡が出て、まさに国は滅びようとしたのです。しかし、阿

闍世王は深く前非を悔い、急ぎ仏の前におもむき懺悔したためにその罪も消えたという

ことです。

 これらのことはさておいて、親が悪人でもその子が善人ならば、親の犯した罪が赦さ

れることもあり、また子供が悪人でも親が善人ならば、子供の罪が赦されることもあり

ます。だから、亡くなられた弥四郎殿がたとえ悪人でありましても、生母の尼御前が釈

尊の御宝前で昼夜に弔われるならば必ず成仏いたしましょう。ましてや、弥四郎殿は生

前、深く法華経を信じていたのですから、今は成仏されてかえって親である尼御前を導

く身となられていることでしょう。(つづく)

【語註】

 ※1 憍梵波提:釈尊の弟子中で解律第一といわれ、戒律を理解することに秀でたと
           いう。

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テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2023/12/02 05:38 】

真の孝養と仏道をめざして  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |
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