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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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法華経の女人 千日尼御前御返事①

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

千日尼御前御返事 せんにちあまごぜんごへんじ

弘安元年(1278)7月28日、57歳、於身延、和文

 はるばる佐渡の地から身延の日蓮のもとへと、90歳の阿仏房が、妻の千日尼の手紙を携えて訪ねて来た。これは、阿仏房が到着した翌日にしたためられた手紙である。千日尼からの手紙に、『法華経』は女人成仏を優先しているとする日蓮の法門を頼りにしているとあったことから、『法華経』の女人成仏について詳細に言及している。手紙の末尾に「佐渡国府阿仏房尼御前」とあるのは、建治元年6月16日付の『国府尼御前御書』に「同心なれば、此の文を二人して人によませて、きこしめせ」とあるように、「佐渡の国府(尼御前)と、阿仏房尼御前」の二人に対する意味であろう。

 弘安元年〈太歳戊寅〉七月六日、佐渡の国より千日尼と申す人、同じ

日本国甲州波木井郷 はきりのごうの身延山と申す深山 みやまへ、同じ夫の阿仏房を使 つかいとして

送り給ふ御ふみに云く、女人の罪障 ざいしょうはいかがと存じ候へども、御法門に

法華経は女人の成仏をさきとするぞと候しを、万事はたのみまいらせ候

て等云云。

 それ法華経と申し候御経 おんきょうれ仏の説きたまひて候ぞとをもひ候へ

ば、この日本国より西、漢土 かんどよりまた西、流沙 りゅうしゃ葱嶺 そうれいと申すよりはま

たはるか西、月氏 がっしと申す国に浄飯王 じょうぼんのうと申しける大王の太子、十九のとし

くらいをすべらせ給ひてだんどくせんと申す山に入り御出家 ごしゅっけ、三十にして仏と

ならせ給ひ、金色 こんじきと変じ、たましい三世 さんぜをかがみさせ給ふ。すぎにし

事、来るべき事、かがみにかけさせ給ひてをはせし仏の、五十余年が間

一代一切 いっさい経々 きょうぎょうを説きをかせ給ふ。この一切経の経々、仏の滅後一千

年が間、月氏国 がっしこくにやうやくひろまり候しかども、いまだ漢土・日本国等

へは来り候はず。

【現代語訳】
法華経は仏のこころをあらわす

 弘安元年(1278)太歳戊寅 たいさいつちのえとら7月6日、佐渡の国から千日尼という人が、同じ日

本国の甲州波木井郷の身延山という深山へ、夫である阿仏房を使者として送ってこられ

たお手紙の中に、「女性の罪障はいかに深いものかと存じてはおりましたが、お示し下

さった御法門によると、法華経は女性の成仏を真先に考えているということなので、こ

れを何よりもの頼みにいたしています」と記されていた。

 まず第一に法華経というお経は、どんな仏が説かれたのかと思ってみるのに、この日

本国より西の方向、中国よりもさらに西方で、※ 1沙・※ 2嶺という所よりもまた遥かに西

の方で、月支(インド)という国があり浄飯王という大王の太子がおられた。19歳のと

太子の位を捨てられて※ 3特山という山に登り御出家された30歳のとき仏になられ、

身体は金色に輝き、神は過去現在未来の三世を見きわめられ、過去のことも未来のこ

とも、鑑に映し出すようにご覧になられた仏が、50余年の間、一切経といわれる数多く

の教えをお説きになられた。この一切の教えは、仏の滅後1000年をへて、インドで次第

に広まっていったが、いまだ中国や日本には伝わってこなかった。(つづく)

【語註】

 ※1 
流沙:中国大陸の西方の大砂漠をさす。ゴビ砂漠およびタクラマカン砂漠をさし
     ていうことが多い。

 ※2 
葱嶺:パミール高原の中国名。

 ※3 
檀特山:釈尊の滅後に創作された過去世物語に登場する山の檀特山のこと。古代
           インドのガンダーラにあったとされ、そこで釈尊は、前世に菩薩として修行され
           た。インドから中国、日本へと仏教が伝わる中で、釈尊存命中の修行の地と勘違
           いして伝えられたのであろう。

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【 2024/01/30 05:39 】

日蓮聖人の手紙 法華経の女人  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

人間の絆 国府尼御前御書②

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

国府尼御前御書こうのあまごぜんごしょ

 北海の島にはなたれしかば、かの国の道俗は相州の男女よりもあだを

なしき。野中にすてられて、雪にはだへをまじえ、くさをつ(摘)みて

命をささえたりき。かの蘇夫そぶ(武)が胡国ここくに十九年、雪を食ふて世をわ
たりし、李呂りりょう(陵)が北海に六ケ年、がんくつにせめられし、我は身に


てしられぬ。これはひとえに、我が身にはとがなし。日本国をたすけんと

をもひしゆへなり。

 しかるに尼ごぜんならびに入道殿はかの国に有る時は人めををそれて

夜中に食ををくり、ある時は国のせめをもはばからず、身にもかわらん

とせし人々なり。さればつらかりし国なれども、そりたるかみ(髪)を

うしろへひかれ、すすむあし(足)もかへりしぞかし。いかなる過去の

えん(縁)にてやありけんと、をぼつかなかりしに、またいつしかこれ

までさしも大事なるわがおとこを御つかい(使)にてつかわされて候ふ。ゆ

めか、まぼろしか、尼ごぜんの御すがたをばみまいらせ候はねども、心

をばこれにとこそをぼへ候へ。日蓮こい(恋)しくをはせば、常に出る

日、ゆうべにいづる月ををがませ給へ。いつとなく日月にかげをうかぶ

る身なり。また後生には霊山浄土りょうぜんじょうどにまいりあひまいらせん。南無妙法

蓮華経、南無妙法蓮華経。

六月十六日                     
日 蓮 花押

さどの国のこうの尼御前

【現代語訳】

 北海の孤島佐渡に流された時には、あの島の連中は出家・俗人を問わず、相模国さがみのくに

人々よりもなおひどいことをしました。野原の中に棄て置かれ、雪の冷たさを防ぐ衣服

もなく、草をんでは食べて命を支えたものです。あの※ 1武が胡国の捕虜となって19年

間も雪をすすって生命を長らえたことや、※ 2陵が北海の匈奴との戦いに敗れて巌窟がんくつに6

か年も幽閉されたことの、その苦痛が身にしみてわかりました。私はそのような窮地に

立たされましたが、自分にはまったく過失のないことです。日本国を安らかにしようと

思ってしたことの結果が、あのような迫害を招くことになったのです。

 世間一般が私を敵視しているにもかかわらず、尼御前ならびに入道殿は、私が佐渡に

いたころ、ある時は人目をはばかってこっそりと夜中に食物を届けてくださり、ある時

は堂々と国府の役人に抵抗をして私の身代わりになろうとしてくださった方々です。あ

なた方がおいでになったからこそ、佐渡国はたしかに苦痛に満ちた所ではありましたけ

れど、いざ赦されて鎌倉へ旅立つ段になると、離れがたい心が湧きあがって、剃ったは

ずの後髪うしろがみを引かれ、踏み出した足をもとに戻したい気持ちが起きたものでしたよ。い

ったい、どういう前世の因縁で、そのようにご助力いただけたのかと、不思議に思って

いましたところ、また、思いがけず、このような遠国の山中にまで、あれほど頼りにな

さっている大切なご夫君を使者としてお遣わしくださいました。夢でしょうか、幻でし

ょうか。尼御前のお姿を拝見することはできませんが、お心は目の前に来ていらっしゃ

るように思われます。私を恋しく思われたならば、朝に登る日や、夕方に出る月をふり

仰いでください。私は、この世ではいつも日や月に姿を映して世の中を照らす身なので

すからね。また、死後には※ 3山浄土へ往ってそこでお会いいたしましょう。南無妙法蓮

華経。南無妙法蓮華経。

六月十六日                           
日 蓮  花押

佐渡の国の国府の尼御前

【語註】

 ※1 蘇武:漢の武帝に仕えた名臣。匈奴に捕えられたが節を曲げず、苦難の抑留生活
          19年を経て、次の昭帝の時代に帰国することを得た。妻が夫を想って打つ砧【き
          ぬた】の音が胡国に届いた話や、雁【かり】の足に手紙を結んで故国に生存して
          いることを知らせた話で知られている。

 ※2 李陵:前漢の武将で、李広の子。武帝に仕え、匈奴討伐に出征したが敗れて投降
          した。武帝はこれを聞いて怒り、彼の母・妻子を殺そうとした。司馬遷【しばせ

          ん】は、李陵を弁護したために武帝の怒りを買い、宮刑(去勢の刑罰)に処せら
          れた。李陵は匈奴単于【ぜんう】の娘と結婚して故国に帰らず、20余年して現地
          で死んだ。

 ※3 霊山浄土:インドの霊鷲山は、絶対真実の教えである法華経が説かれた聖地であ
          るというところから、日蓮は、時間・空間の制約を超越した信仰的な浄土観をそ
          こに展開する。すなわち霊山浄土は、久遠実成【くおんじつじょう】の本仏釈尊
          が常に妙法を説き続けている仏の国であり、法華経の行者が究極的に到達する楽
          園なのである。そしてこの浄土は、娑婆世界から遊離した存在ではなく、法華経
          信仰とともに自在に顕現するものであるとする。その意味からして、日蓮は身延
          山を霊鷲山に照応する聖地であると認めている。

【解説】

 国府入道と、国府尼御前へ与えられた手紙はわずかに2編のみで、夫妻の事蹟を知る

は、ほとんど残っていない。しかし、2編の御書からは、阿仏房夫妻と親しい佐渡
の国

府の住人で、配流中の日蓮への外護を尽くした方であることがわかる。

 それだけ世話になった日蓮は、この手紙の中で、「佐渡国はたしかに苦痛に満ちた所

ではありましたけれど、いざ赦されて鎌倉へ旅立つ段になると、離れがたい心が湧きあ

がって、剃ったはずの後髪を引かれ、踏み出した足をもとに戻したい気持ちが起きた」

と、多少ユーモアを交えて、その別れの辛さを述べている。
 
 千日尼と同じく佐渡の日蓮に供養をささげ、夫を身延に送った国府入道の妻に、「い

つしかこれまで、もっとも大事なわが夫をお使いとしてよこされた。尼ごぜんあなたの

お姿を見なくても、その心はここに来られていると思うのである」と述べている。日蓮

は、訪れた夫のみならず、夫を使いとして身延の地にまで志のほどをはせる妻の力を痛

いほど見つめ続けていたのである。

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【 2024/01/27 05:37 】

日蓮聖人の手紙 法華経の女人  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

人間の絆 国府尼御前御書①

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

国府尼御前御書 こうのあまごぜんごしょ

建治元年(1275)6月16日、54歳、於身延、和文

 夫を佐渡から身延まで遣わし供養を送ったことを感謝し、法華経の行者供養の功徳を説いている。同時に、佐渡にいた頃の外護にあらためて感謝し、日蓮との心のきずなは決して失われることがないと示し、信仰的情愛の細やかさを伝えている。

 阿仏御房の尼ごぜんよりぜに三百文。同心なればこのふみを二人して人

によませてきこしめせ。

 単衣 ひとえぎぬ一領、佐渡の国より甲斐の国波木井 はきりの郷の内の深山まで送り給

ひ候ひ了んぬ。

 法華経第四法師品 ほっしほんに云はく、「〔人有りて仏道を求めて、しこうして

一却の中において、合掌して我前にありて、無数の偈をもちてめん、

この讃仏 さんぶつによるがゆえに、無量の功徳を得ん、持経者を歎美せんは、そ

の福またかれに過ぎん〕」等云云。文の心は、「釈尊ほどの仏を三業相

応して一中却が間ねんごろに供養し奉るよりも、末代悪世の世に法華経

の行者を供養せん功徳はすぐれたり」ととかれて候ふ。まことしからぬ

事にては候へども、仏の金言 こんごんにて候へば疑ふべきにあらず。そのうえ妙

楽大師と申す人、この経文を重ねてやわらげて云はく、「〔もし毀謗 きぼう

ん者はこうべ七分に破れ、もし供養せん者は福十号に過ぎん〕」等云云。釈

の心は、「末代の法華経の行者を供養するは十号具足しまします如来を

供養したてまつるにもその功徳すぎたり。また濁世 じょくせに法華経の行者のあ

らんを留難 るなんをなさん人々は頭七分にわるべし」と云云。

 それ日蓮は日本第一のゑせ(僻)者なり。その故は――天神七代はさ

てをきぬ、地神五代またはかりがたし。――人王始めて神武より当今ま

で九十代、欽明より七百余年が間、世間につけ仏法によせても日蓮ほど

あまねく人にあだまれたる者候はず。守屋 もりやが寺塔をやきし、清盛入道が

東大寺興福寺を失し彼等が一類は彼がにくまず将門貞たう(任)

が朝敵となりし、伝教大師の七寺にあだまれし、彼等もいまだ日本一州

比丘 びく比丘尼 びくに優婆塞 うばそく優婆夷 うばいの四衆にはにくまれず。日蓮は父母・

兄弟・師匠・同法(朋)・かみ一人・しも万民一人ももれず、父母のか

たきのごとく、謀反 むほん強盗にもすぐれて、人ごとにあだをなすなり。され

ばある時は数百人にのられ、ある時は数千人にとりこめられて刀杖の大

難にあう。所ををわれ国を出さる。結句は国主より御勘気二度、一度は

伊豆の国、今度は佐渡の島なり。されば身命をつぐべきかつて(糧)も

なし。形体を隠すべき藤の衣ももたず。

【現代語訳】
人間の絆

 単衣一領、佐渡の国からはるばると甲斐の国波木井の郷の深山までお送りいただきま

した。厚く御礼申し上げます。

 法華経第4巻の法師品に「人が仏道を求めて、一劫という長い間、合掌して仏の前に

ぬかずき、無数のを唱えて仏を讃美したとすると、その讃仏の行為によって量り知れ

ないほどの功徳を得るであろう。持経者を歎美する果報はさらにまさるであろう」と説

かれています。この文の内意を言うならば「釈尊ほどの貴い仏を、身・口・意の三業を

充足させて一中劫もの間、真心からご供養するよりも、末法の濁悪 じょくあくの世で法華経の行

者を供養する功徳の方がすぐれている」と説かれているのです。まこととは思えないこ

とではありますが、仏のおことばなのですから疑いをさしはさむ余地はありません。そ

ればかりではなく、※ 1楽大師という方は、この経文をさらにわかりやすく訳して、「も

し毀謗する者は頭が七つに割れ、供養する者は福徳が十の尊号を有する仏よりもまさる

であろう」と言っています。この解釈の内容は「末法の世で法華経の行者を供養するの

は、10の特性に応じたそれぞれの名号をそなえていらっしゃる如来をご供養申し上げるよ

りも、一段と功徳がまさっている。また、濁悪の末法の世に法華経の行者がいる場合、

その行者を誹謗し迫害する者は頭が7つに分かれ裂けるであろう」と言うのです。

 そもそも私は日本の歴史の中で最高の憎まれ者です。なぜなら――天神七代の間は問

題外とします。また地神五代の間も不明確だから除きましょう。――人の王の世となっ

て初代の神武天皇から今上まで90代、欽明天皇時代の仏教渡来から700余年を経ていま

すが、その間に、世間一般のことにつけても仏法のことに関しても、私ほど多く人々に

敵視され迫害された者はいません。たとえば、物部守屋が寺塔を焼き、平清盛入道が東

大寺や興福寺を破壊したことを仏教界はあまり憎んでいません。また、平将門や安倍 あべのさだ

とうは朝敵とされ、伝教大師は奈良の七大寺に敵視されましたが、彼らとても日本全土の

僧・尼・男性信仰者・女性信仰者といった人々に憎まれたわけではありません。それに

ひきかえ私は、父母・兄弟・師匠・同朋を始めとして上一人 かみいちにんから下万民 しもばんみんにいたるま

で一人残らずから、父母の仇敵のように憎まれ、謀反人や強盗に対するよりもひどい危

害を加えられています。そして、ある時は数100人の人々から悪口雑言を浴びせられ、

ある時は数1000人に取り囲まれて刀で切られたり杖で打たれたりするという大難に遭い

ました。また、在所を追い出され、国から放遂されもしました。結局、朝廷からの制裁

を二度受けました。その一度は伊豆国配流であり、次にはこのたびの佐渡への遠島であ

ります。そのようなことで、生命を長らえるべき食糧もなく、身体を覆うべき衣服も持

てない状況に陥りました。(つづく)

【語註】

 ※1 
妙楽大師:中国天台第六祖湛然【たんねん】(711~774)。『法華文句疏記
         【ほっけもんぐしょき】』『摩訶止観輔行伝弘決【まかしかんぶぎょうでんぐけ
          つ】』『法華玄義釈籤【ほっけげんぎしゃくせん】』といったいわゆる天台三大
          部の注釈書をはじめ、天台智顗【ちぎ】の著述の多くに注釈を加えて天台教学の
          正義を伝え広めた。日蓮は湛然の業績を賞揚している。

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【 2024/01/25 05:40 】

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報恩について 佐渡御勘気鈔

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

佐渡御勘気鈔さどごかんきしょう

文永8年(1271)10月10日、50歳、於依智、和文

 相模国(神奈川県)依智より清澄寺大衆へ宛てた手紙。佐渡流罪へ向かって出立する日蓮が、法華経を身読した悦びと恩ある人を助ける確信を披歴したもの。

 九月十二日に御勘気を蒙て、今年十月十日佐渡の国へまかり候也。

 本より学文し候ひし事は仏教をきはめて仏になり、恩ある人をもたす

けんと思ふ。仏になる道は、必ず身命をすつるほどの事ありてこそ仏に

はなり候らめと、をしはからる。

 既に経文のごとく悪口あっく罵詈めり刀杖とうじょう瓦礫がりゃく数数見擯出さくさくけんひんずいと説れてかゝ

るめに値候こそ法華経をよむにて候らめと、いよいよ信心もおこり、後

生もたのもしく候死して候はば必ず各各をもたすけたてまつるべ


 天竺に師子尊者と申せし人は檀弥羅王だんみらおうに頚をはねられ、提婆菩薩は外

道につきころさる。漢土に竺道生と申せし人は蘇山と申す所へながさ

る。法道三蔵は面にかなやき(火印)をやかれて江南と申所へながされ

き。是皆法華経のとく(徳)仏法のゆへなり。

 日蓮は日本国東夷東条安房の国海辺の旃陀羅せんだらが子也。いたづらにくち

(朽)ん身を、法華経の御故に捨まいらせん事、あに石にこがねをかふるに

あらずや。各各なげかせ給べからず。

 道善の御房にもかう申しきかせまいらせ給べし。領家の尼御前へも御

ふみと存し候へども、先かゝる身のふみなれば、なつかしやと、おぼさ

ざるらんと申しぬると、便宜あらば各各御物語り申させ給候へ。  

十月 日                      日蓮  花押

【現代語訳】
恩ある人を助ける願い

 9月12日に、幕府の怒りを蒙って、同じく今年10月10日、佐渡の国へ向かおうとして

いる。

 もとより学問してきた事は、仏教を習いきわめて仏になり、恩ある人をも助けようと

思ったからである。仏になる道は、必ず身命を捨てる事があってこそ、仏にはなれると

推しはかってきた。そして、すでにこの経文のように、「法華経を弘める者は人々から

悪口され、罵られ、刀杖瓦礫によって斬られ、打たれ、投げつけられ、たびたび追放さ

れる」(法華経勧持品)と説かれている通りに、このような目に値ったのである。これ

こそ、法華経を身に読んだことになるのだと思うと、いよいよ信心も強くおこり、後生

も頼もしく感じられるのである。もし、死んだならば、必ずあなた方をお助けするであ

ろう。

 天竺に※ 1子尊者という人がいたが、この人は仏教を伝え弘めていた時、檀弥羅王の怒

りをうけて頸をはねられた。同じく天竺の※ 2婆菩薩は、法論に敗れた外道によって突き

殺された。中国の竺の道生という人は鳩摩羅什の弟子として仏道を弘めたが、人々から

罵られて蘇山という所へ流された。法道三蔵は、仏道を正そうとして宋の徽宗きそうを諫めた

ために、顔をかなやき(火印)で焼かれて江南という所へ流罪にされた。これらの人は

皆、法華経の恩徳を報じ、仏法のために、このように迫害されたのであった。

 日蓮は、日本国東夷、東条安房の国の海辺に
※ 3陀羅の子(漁夫の子)として生まれた

ものである。ただいたずらに、むなしく朽ち果てる身を、このように法華経のおんため

に捨てた事は、、石を金に変えたことになるのではあるまいか。だから、あなた方も、

日蓮の身の上について歎かないでもらいたい。道善御房にも、このように申し上げてほ

しい。領家の尼御前へも手紙を差し上げたいと思うけれども、この先流罪となる身の上

の者からの手紙であれば、懐かしいとも思われないであろう、と申していたと機会があ

ったならば、あなた方よりお話し下さるがよい。

十月  日                            日 蓮 花押

【語註】

 ※1 
師子尊者:釈尊の滅後1200年頃、中インドに生れ、第23祖鶴勒那【かくろく
     な】に法を受けカシミール罽賓国【けいひんこく】に教化をするところ
           が外道の嫉みに謀られ、その時の国王檀弥羅王は仏法を迫害し、師子尊者の首
           を斬り殺した。その時、国王の右臂も地に堕ちて7日後に死んでしまった。これ
           を忌んだ太子は後に師子尊者のために塔を建てたという。日蓮は2点で師子尊者
           を見ている。一つは仏教史上において、正法時代の正しい伝灯相承者としている
           こと、二つは死身弘法を志した師子尊者を自らの苦難の前例の一つに擬してい
           る。

 ※2 
提婆菩薩:聖提婆[しょうだいば](アーリヤデーヴァ)。3世紀ごろの南イ
            ンドの人で、竜樹の弟子。南インドで外道に帰依していた王を破折したり、他
            学派の論師を多数破折したが、一人の凶悪な外道に恨まれて殺された。主著は
           『百論』。

 ※3 
旃茶羅:チャンダーラの音写で、インドにおける社会階級の最下層をいう。イ
            ンドの社会階級制度にはバラモン(司祭)、クシャトリア(武士)、ヴァイシ
            ャ(庶民)、ジュードラ(奴隷)の四姓がある。旃陀羅はこの四姓からはずさ
      れ、下層のシュードラのさらに下に位置する最下層で、狩猟・屠殺を業とする
      者、獄卒に従事するものをいう。漢訳では屠家・執悪・下賤種・厳熾などと訳
            す。日蓮は自らの出自を「施陀羅が子」と述べている。日本では上下の社会階
            級制度としての施陀羅は存在しないから、この言葉はその意をとって、漁民の
            出自を述べたものである。他に「海人が子」「民が子」等と述べているが、自
            らの出自を語ったこれらの言葉は、宗教的な面からの位置づけであり、下層階
            級者との連帯感の喚起と、法華経の慈悲の広範な救済性を教示する意を含んだ
            ものとみることができよう。

【解説】

 日蓮の生涯は、報恩の誓願にはじまり、報恩への献身に終わる、といっても過言では

ない。数多くの手紙を故郷の人々に向けて書き送ったが、それらはいずれも自己の記し

た報恩の人生のありようを伝えたものである。

 日蓮は、釈迦仏・法華経にわが身を捧げ、その恩徳を体して生き抜いた魂の軌跡をこ

れらの手紙で綴っている。そして、一切衆生の救済に励むことによって、仏恩・法恩の

燈明を分け与えようとする法華経の行者の生き方と実践を示し続けている。それは、日

蓮自身をかくあらしめた釈迦仏・法華経の恩徳に対する無限の謝意であり、すべての人

々が人生の根本精神として、この恩徳を信じて生きるようさし示すことによって、釈迦

仏・法華経に報恩を捧げていく信仰的確信として明示したものである。

 日蓮にとって、人生の出発点ともいうべき求道修学の当初から目標にしたものが、こ

の報恩を実現しうる身となる誓願であった天福元年123312歳で清澄寺にのぼり、

道善房を師と仰ぎ、また浄顕房、義城房からも手ほどきを受けながら、日蓮は学問修行

に志し、この時「日本第一の智者となしたまえ」と虚空蔵菩薩に立願している。

 この手紙によれば、この立願は、「仏となって恩ある人を助けよう」という誓願をな

しとげ、身命を賭して仏道を歩む決意をこめたものであったことがわかる。報恩をめざ

して智者となる、という人生探求への熱烈な意志と願望から日蓮は出発したのである。

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【 2024/01/23 05:32 】

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報恩について 一谷入道御書⑦

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

一谷入道御書いちのさわにゅうどうごしょ

 そもそも蒙古国より責めん時は如何がせさせ給ふべき。此の法華経をいた

だき、頸にかけさせ給ひて北山へ登らせ給ふとも、年比としごろ念仏者を養ひ念

仏を申して、釈迦仏・法華経の御敵とならせ給ひて有りし事は久しし。

し命ともなるならば、法華経ばし恨みさせ給ふなよ。又閻魔王宮えんまおうぐう

しては何とか仰せあるべき。をこがましき事とはおぼすとも、其の時は

日蓮が檀那也とこそ仰せあらんずらめ。

 又是れはさてをきぬ此の法華経をば学乗房に常に開かさせ給ふべ

如何いかに云ふとも、念仏者・真言師・持斎なんどにばし開かさせ給

ふべからず。又日蓮が弟子となのるとも、日蓮が判を持たざらん者をば

御用ひあるべからず。恐恐謹言。

五月八日                      
日 蓮 花押

一谷入道女房

【現代語訳】

入道へのいましめ

 いったい蒙古国が攻めてきた時にはどうなされるお考えかこの法華経を頭に戴き

頸に懸けて北山へ登っても、永年にわたって念仏者に供養を捧げ念仏を称えて、釈尊と

法華経の敵となって久しかったのであるから、その謗法の報いで、命を落とすようなこ

とになったとしても、けっして法華経を恨んではならない。また、閻魔王の前では何と

申されるつもりだろうか。おこがましいことと思われても、その時は日蓮の檀那である

と申されるがよい。

 それはさておき、この法華経は学乗房に常に読ませてお開きになるがよい。人が何と

言おうとも、念仏者や真言師や持斎などには絶対に経巻を開かせてはならない。また、

日蓮の弟子と名乗る者があっても、日蓮の花押のある文書を持たない者をけっして信用

してはならない。以上、つつしんで申し上げました。

五月八日                            
日 蓮  花押

一谷入道女房

【解説】

 日蓮は佐渡流罪中、当初居住された塚原三昧堂から石田郷一谷村に移られ、地頭の本

間氏の配下にあった一谷入道(近藤清久と伝える)の屋敷内の建物を住居とされたよう

である。

 その一谷入道に宛てられた手紙が本抄である。宛名は入道の身辺などの配慮から、

「一谷入道女房」となっている。

 一谷入道は熱心な念仏信者で、阿弥陀堂まで建てた人物である。しかし、この入道に

手紙を書かれる直接の理由は、以下のようである。日蓮の佐渡流罪中、鎌倉から日蓮を

訪問した一人の尼があった。しかし、帰路の金銭がなく、その苦労を見かねた日蓮は、

一谷入道に借金の口添えをされ、そのとき法華経一部を渡すという約束をされた。その

後、流罪も赦免となり、日蓮は鎌倉から身延へと移った。そこで、その借金の返済を利

子を添えてなさろうとしたが、先の約束を破ることになるし、また念仏者に法華経を渡

すことにためらいがあった。ついに、入道の祖母が内心法華経を信じていたことを思い

起こされ、祖母あてに法華経十巻を渡されたのである。末尾には、この法華経は学乗房

に読ませて開かれるようにと指示され、念仏者や真言師等には絶対に開かせてはならな

い、といましめられている。

 以上のような理由によって執筆された手紙であるから、その内容は、日蓮の流罪の覚

悟、末法の法華経修行は不惜身命、折伏にあるということ、日本の仏法の様相と教主違

背の罪、この娑婆世界は教主釈尊の所領で阿弥陀仏は他土の仏であるということ、謗法

罪の重いこと、さらに一谷の流謫生活のあり様と一谷入道夫妻の外護、一谷入道の念仏

信仰、法華経一部十巻の送付のこと、蒙古襲来の実状、そして、入道へのいましめなど

を記して筆が置かれている。

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【 2024/01/20 05:39 】

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報恩について 一谷入道御書⑥

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

一谷入道御書いちのさわにゅうどうごしょ

 日蓮が申す事は、愚かなる者の申す事なれば用ひず。されども去る文

永十一年〈太歳申戌〉十月に蒙古国より筑紫によせて有りしに、対馬の

者かためて有りしに宗摠馬尉そうのそうまのじょう逃げければ、百姓等は男をば或いは殺

し、或いは生取いけどりにし、女をば或いは取集めて手をとをして船に結付yuituke
、或

いは生け取りにす。一人も助かる者なし。壱岐によせても又かくのごと

し。船おしよせて有りけるには、奉行入道豊前前司ぶぜんのぜんじは逃げて落ちぬ。松

浦が党は数百人打たれ、或いは生け取りにせられしかば、寄せたりける

浦々の百姓ども壱岐・対馬の如し。又今度は如何が有るらん。彼国の百

千万億のつわもの、日本国を引き回らして寄せて有るならば、如何に成るべ

きぞ。北の手は先づ佐渡の島に付て、地頭・守護をば須臾に打ち殺し、

百姓等は北山へにげん程に、或いは殺され、或いは生け取られ、或いは

山にして死ぬべし。

 そもそも是れ程の事は如何として起るべきぞと推すべし。前に申しつるが

如く此の国の者は一人もなく三逆罪の者也。是れは梵王帝釈日月

四天の、彼の蒙古国の大王の身に入らせ給ひて責め給ふ也。日蓮は愚な

れども、釈迦仏の御使・法華経の行者也となのり候を、用ひざらんだに

も不思議なるべし。其のとがに依て国破れなんとす。況や或いは国々を追

或いは引はり或いは打擲ちょうちゃく或いは流罪し或いは弟子を殺し、

或いは所領を取る。現の父母の使つかいをかくせん人々よかるべしや。日蓮は

日本国の人々の父母ぞかし、主君ぞかし、明師ぞかし。是れを背かん事

よ。念仏を申さん人々は無間地獄に堕ちん事、決定けつじょうなるべし。たのも

したのもし。

【現代語訳】

蒙古襲来の実状

 日蓮の言うことは愚か者の言うこととして世間では取り上げてもらえないしかし

去る文永11年(1274)甲戌10月に、蒙古の軍勢が筑紫に攻め寄せてきた。対馬では領

主の宗助そうのすけくに国が防戦したが破れて逃げ去ったので、百姓等は男は殺されるか生捕りに

され、女は取り集められて手に穴をあけて船に結び付けられるか、あるいは生捕りにさ

れたりして一人も助かる者はなかった壱岐に攻め寄せてきた時もまた同じであった

蒙古の軍船が押し寄せてくると、奉行入道や豊前前司は逃げてしまった。松浦でも松浦

党が数100人打たれ、あるいは生捕りにされてしまったので、浦々の百姓たちの惨状も

壱岐や対馬と同じであった。いま一度、蒙古が攻めてきたらどうなるだろう。蒙古の百

千万億という軍兵が日本国を包囲して四方から攻めて来たら、どうなることだろう。北

からの軍は、まず佐渡ヶ島に上陸して地頭や守護はあっという間に打ち殺され、百姓等

は北山へ逃げても、殺されるか、生捕りにされるか、あるいは山の中で餓死することに

なるだろう。

 そもそも蒙古の軍勢が襲来するという事件は、どうして起こってくるのか、よく考え

てみなければならない。前にも言ったように、日本国の人々は、みな三逆罪を犯してい

る者である。そのため、梵天王・帝釈天・日天・月天・四天王が、蒙古国の大王の身に

入って、日本国を責められているのである。日蓮は愚かな身であるが、釈尊の御使いで

あり、法華経の行者であると名乗って、法華経弘通による日本国の安泰を祈っているの

に、立正安国論以来の諫言を採用しようとさえしない。これは奇怪なことである。日蓮

の諫言を無視したという過失によって、いま国が滅びようとしているのである。まして

住居をつぎつぎと追われ捕らえられて引き廻され打擲され、あるいは流罪され、

弟子を殺され、檀那は所領を没収された。父母からの使者にもしもこのような迫害を加

えたら、その人に善い報いがあるはずはない。日蓮は日本国の人々の父母であり、主君

であり、明師でもある。このような存在に背いて念仏を称える人々は、※ 1間地獄に堕ち

ることが決定的なのであるそれにしても法華経が教説の通りに実証されていることは

実に頼もしいかぎりである。(つづく)

【語註】

 ※1 
無間地獄:八大地獄の一つ。無間は梵語アヴィーチの訳で、音写して阿鼻【あ
           び】地獄ともいう。間断なく苦を受けることから無間といい、閻浮提【えんぶだ
           い】の下二万由旬【ゆじゅん】の所にあり、諸地獄の中で最も苦しい場所で、五
           逆罪や謗法罪を犯した者が堕ちる所とされる。ここに生じた者は激しい苦を受け
           て絶えず叫びわめくから阿鼻叫喚【きょうかん】地獄ともいい、その境界は広く
           容易に脱出できないので阿鼻大城ともいう。

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【 2024/01/18 05:44 】

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報恩について 一谷入道御書⑤

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

一谷入道御書いちのさわにゅうどうごしょ

 案にたがはず両度まで流されて候ひし中に、文永九年の夏のころ、佐渡

石田郷一谷いしだのごういちのさわと云ひし処に有りしに、預りたる名主等は公と云ひ、

私と云ひ、父母の敵よりも宿世の敵よりもにくげにありしに、宿の入道と

いゐ、めといゐ、つかうものと云ひ、始めはおぢをそれしかども、先世

の事にやありけん、内々不便と思ふ心付きぬ。預りよりあづかる食は少

なし。付ける弟子は多くありしに、僅かの飯の二口三口ありしを、或い

はおしきに分け、或いは手に入れて食ひしに、宅主内々心あて、外には

をそるる様なれども、内には不便げにありし事、何の世にかわすれん。

我を生みておはせし父母よりも、当時は大事とこそ思ひしか。何なる恩

をもはげむべし。まして約束せし事たがうべしや。

 然れども入道の心は後世ごせを深く思ひてある者なれば、久しく念仏を申

しつもりぬ。其の上阿弥陀堂を造り、田畠も其の仏の物也。地頭も又を

そろしなんど思ひて直ちに法華経にはならず。是れは彼の身には第一の

道理ぞかし。然れども又無間大城は疑いなし。たとひ是れより法華経を遣 つかは

したりとも、世間もをそろしければ念仏すつべからずなんど思はば、火

に水を合わせたるが如し。謗法の大水、法華経を信ずる小火をけさん事

疑ひなかるべし入道地獄に堕つるならば還つて日蓮がとがになるべ

如何んがせん、如何んがせんと思ひわづらひて、今まで法華経を渡

し奉らず。渡しまいらせんが為にまうけまいらせて有りつる法華経をば、鎌

倉の焼亡に取り失ひ参らせて候由申す。かたがた入道の法華経の縁はなかり

けり。約束申しける我が心も不思議也。又我とはすゝまざりしを、鎌倉

の尼の還りの用途に歎きし故に、口入くにゅう有りし事なげかし。本銭もとせんに利分

を添て返さんとすれば、又弟子が云く、御約束違ひなんど申す。かたがた

退きわまりて候へども、人の思はん様は狂惑の様なるべし。力及ばずして法

華経を一部十巻渡し奉る。入道よりもうば(祖母)にてありし者は内々

心よせなりしかば、是れを持ち給へ。

【現代語訳】
一谷での流罪生活

 案の状、二度までも流罪となったが、そのうち文永9年(1272)の夏のころ、佐渡国

石田郷の一谷という所に移された。身柄を預かる名主侍からは、公私ともに父母の敵や

宿世の仇敵よりも憎々しげに取り扱われた。だが、宿の入道やその妻、またその家の使

用人たちははじめのうちは気味悪げに畏れていたが前世の縁でもあったのだろうか

内々に同情を寄せるようになった。身柄預かりの名主から渡された食糧は少なく、付き

従っている弟子は多かったので、わずか二口か三口の飯を折敷おしきに分けたり、手のひらに

受けて食べるという有様だった。これを見た宿の主人が、表面では恐れながらも、心の

中では同情を寄せて陰で世話をしてくれたことは、いつの世になっても忘れられない。

その時は、私を生んでくれた父母よりも大事であると思い、どのようなことをしてでも

この御恩に報いなければならないと思った。まして約束したことを反故ほごにするようなこ

とがあってはならないのである。

 ところが入道は後世のことを深く考えている人なので長年にわたって念仏を称え、

その上、阿弥陀堂を建立し、田畠まで阿弥陀仏に寄進されている人である。地頭の思惑

を恐れて、念仏を捨てて直ちに法華経を信仰されることもなかった。これは入道の身に

とってみれば、無理もないことであろう。しかし、念仏を捨てないかぎり、無間大城に

堕ちることは疑いないところである。たとえいま日蓮が入道に法華経をお渡ししても、

入道が世間の眼を畏れていまさら念仏を捨てることはできないと考えているならば、法

華経を送っても火に水を合わせるようなものである。謗法の大水が、法華経信仰がまだ

浅い状態の小火を消してしまうことは疑いないことである。入道が地獄に堕ちるなら

ば、かえって法華経をお渡しして※ 1法の罪を犯させたのは日蓮だということになる。だ

から今日までどうしようか、どうしようかと思い悩んで、約束した法華経を入道に今日

までお渡ししていなかったのであるしかもお渡しするために用意していた法華経は、

鎌倉の大火の時に喪失してしまった。いずれにしても入道は法華経に縁がなかったので

ある。どうして法華経をお渡しする約束などしたのか、今となっては不思議なことであ

る。それというのもあの時は、鎌倉の尼が、日蓮の身を案じてはるばる訪ねてくれたと

ころが、帰りの旅費が不足して途方に暮れていたので、気は進まなかったが、法華経を

お渡しするという約束で、借金をお願いしたのであった。法華経の代わりに借金に利子

を添えてお返ししようとも思ったがそれでは約束を破ることになると弟子たちが言う

どうしたらよいか、まことに困ったことになった。世間の人からは、日蓮は偽りを言っ

たと思われるかもしれない。やむを得ず、法華経一部十巻をお渡し申し上げる。念仏者

の入道よりも、法華経にひそかに心を寄せている入道の祖母が、どうかこの法華経をお

持ちになるように。(つづく)

【語註】

 ※1 
謗法:誹謗正法【ひぼうしょうぼう】の略。一般的には仏法をそしることをい
           うが、日蓮は教主釈尊の本意が示された法華経に背くことを謗法とみなす。日蓮
           は「謗【そしる】」を「背【そむく】の意味に解釈されており、仏法を誹謗して
           いるという意識がなくても、教主釈尊の本意に随順しようとする積極的な姿勢を
           示さない限りは謗法になるという。すなわち謗法とは、釈尊の本意に「随うか背
           くか」という二者択一の問題であり、この点で末法の人間存在は、すべて謗法の
           罪に陥った状態にあると主張される。日蓮は「法華経の行者」として教主釈尊に
           随順し迫害受難を体験したが、これは自己の謗法を克服すると同時に他者の謗法
           の罪を顕わし、ともに法華経の永遠なる世界に生きようとする宗教実践であった
           といえる。

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【 2024/01/16 05:38 】

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報恩について 一谷入道御書④

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

一谷入道御書いちのさわにゅうどうごしょ

 此の不孝の人々、一人二人百人千人ならず、一国二国ならず、上一人

より下万民にいたるまで日本国皆こぞて一人もなく三逆罪のものな

されば日月色を変じて此れをにらみ大地もいかりてをどりあが

大彗星天にはびこり、大火国に充満すれども僻事ひがごとありともおもは

ず。我等は念仏にひまなし。其の上、念仏堂を造り、阿弥陀仏を持ち奉

るなんど自讃する也。是れは賢き様にて墓なし。譬へば若き夫妻等が夫

は女を愛し、女は夫をいとおしむ程に、父母のゆくへをしらず。父母は

衣薄けれども我はねや熱し。父母は食せざれども我は腹に飽きぬ。是れ

は第一の不孝なれども、彼等はとがともしらず。況や母に背く妻、父にさ

かへる夫、逆重罪にあらずや。阿弥陀仏は十万億のあなたに有りて、此

の娑婆世界には一分も縁なし。なにと云ふとも故もなき也。馬に牛を合

わせ、犬にさるをかたらひたるが如し。但日蓮一人計り此の事を知りぬ。

命を惜しみて云はずば、国恩を報ぜぬ上、教主釈尊の御敵となるべし。

是れを恐れずしてありのまゝに申すならば、死罪となるべし。設ひ死罪は

まぬかるとも流罪は疑ひなかるべしとは兼て知りてありしかども、仏恩

重きが故に人をはばからず申しぬ。

【現代語訳】
謗法罪の重さ

 このような不孝者は一人や二人、100人や1000人ではなく、また一国や二国にとどま

らず、上は天皇から下は万民にいたるまで、日本国の人は一人残らず父母・主君・師匠

である釈尊に背く三逆罪の者である。よって太陽や月は色を変えてこの不孝者を睨み、

大地も怒って震動し、大彗星が出現し、大火が国中に頻発するという大凶事が続くので

ある。ところがこの道理に気づかない念仏者たちは、いつも念仏を称えているとか、念

仏堂を建立したとか、阿弥陀仏を固く信じているなどと自慢しているのである。これは

一見、賢いようであるが、実は愚かなことである。たとえば若い夫婦が互いのことは愛

しても、父母のことは忘れ、父母が寒さに凍えていても、自分たちは寝室を暖かくし、

父母が食に飢えていても、自分たちはいつも飽食しているようなものである。こうした

ことは最も不孝な行為であるけれども、彼らはそれが罪であることに気づいていないの

である。まして母に背く妻、父に逆らう夫は、重大な逆罪を犯していることにならない

か。阿弥陀仏は西方十万億土の彼方にいる仏で、この娑婆世界には少しも縁のない他仏

である。だから何をお願いしても無駄なことである。たとえば馬に牛を引き合わせ、犬

と猿を仲良くさせるようなものである。このような道理は、ただ日蓮一人だけが知り得

たことであった。命を惜しんでこの道理を説かなければ、国の恩を報じないばかりでな

く、教主釈尊の御敵となってしまう。命を恐れずに、ありのままに言うならば、死罪と

なるであろう。たとえ死罪は免れても流罪に処せられるに違いないとは最初からわかっ

ていたけれども、仏の御恩が重いから、他人を恐れずに敢えて言い出したのである。

(つづく)

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【 2024/01/13 05:36 】

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報恩について 一谷入道御書③

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

一谷入道御書いちのさわにゅうどうごしょ

 裟婆世界は五百塵点劫じんてんごうより已来教主釈尊の御所領也。大地・虚空・

山海・草木一分も他仏のものならず。又一切衆生は釈尊の御子也。譬へば

成劫のじょうごう始め、一人の梵王下りて六道の衆生をばうみて候ぞかし。梵王の一

切衆生の親たるが如く、釈迦仏も又一切衆生の親也。又此の国の一切衆

生のためには、教主釈尊は明師にておはするぞかし。父母を知るも師の

恩也。黒白を弁ふも釈尊の恩也。而るを天魔の身に入りて候善導・法然

なんどが申すに付て、国土に阿弥陀堂を造り、或いは一郡・一郷・一村

等に阿弥陀堂を造り、或いは百姓万民の宅ごとに阿弥陀堂を造り、或い

は宅々人々ごとに阿弥陀仏を書き造り、或いは人ごとに口々に或いは高

声に唱へ、或いは一万遍或いは六万遍なんど唱ふるに、少しも智慧ある

は、いよいよこれをすゝむ。譬へば火にかれたる草をくわへ、水に風を

合せたるに似たり。

 此の国の人々は一人もなく教主釈尊の御弟子御民ぞかし。而るに阿弥

陀等の他仏を一仏もつくらず、かかず、念仏も申さずある者は悪人なれ

ども、釈迦仏を捨て奉る色はいまだ顕れず。一向に阿弥陀仏を念ずる人

々は既に釈迦仏を捨て奉る色顕然也。彼の人々の墓なく念仏を申す者は

悪人にてあるぞかし。父母にもあらず、主君・師匠にてもおはせぬ仏を

ばいとをしき妻の様にもてなし、現に国主・父母・明師たる釈迦仏を捨

て、乳母の如くなる法華経をば口にも〔誦し奉らず〕、是れに不孝の

者にあらずや。

【現代語訳】

教主釈尊の徳と阿弥陀信仰の罪

 この娑婆世界は、※ 1百塵点劫という久遠の過去以来、法華経の教主釈尊の御所領であ

る。大地、虚空、山海、草木にいたるまで、何ひとつたりとも他の仏のものではない。

また一切衆生はすべて釈尊の子供である。たとえば、この世界ができあがった成劫の始

めに、一人の梵王が天から下って六道の衆生を生んだことから、梵王が一切衆生の親で

あるように、釈迦仏もまた一切衆生の親である。またこの国の一切衆生にとって、教主

釈尊は正しく教導してくださる明師である。父母をわきまえるのも師の恩であり、善悪の分

別を弁えるのも釈尊の恩である。ところが、天魔にとりつかれた善導や法然らの教えを

信じて、今の日本には国ごとに、一郡・一郷・一村ごとに阿弥陀堂を造り、ときには百

姓万民までがその家に阿弥陀堂を建てている。または家ごとに人ごとに、阿弥陀仏の名

号を書いたり仏像を造ったり、口々に高声に念仏を称え、しかも1万遍とか6万遍とか

称えるありさまである。少し智慧のある念仏者は、ますますこの称名念仏を人々に勧め

ている。それはあたかも火に枯れ草を投げ入れ、波に風を吹かせたようである。

 この日本国の人々は、一人残らず教主釈尊の弟子であり、その民である。その中で、

阿弥陀仏などの他仏を造ることも書くことも全くせず、また念仏も称えない人は、悪人

ではあっても、釈迦仏を捨てようとする様子はまだ顕れていない。これに対して、ひた

すらに阿弥陀仏を念じている人々は、釈迦仏を捨て去ったことが明白であるから、念仏

を称えれば功徳があるなどという浅はかな考えをもっている者こそ真の悪人というべき

である。父母でもなく、主君や師匠でもない阿弥陀仏を妻のようにいとおしみ、逆に我

ら衆生にとって国主であり、父母でも明師でもある釈迦仏を捨て、乳母のような法華経

をば、口にもまないということは、不孝者といわずして何であろうか。(つづく)

【語註】

 ※1 五百塵点劫:五百億塵点劫ともいう。法華経如来寿量品に、釈尊自らその成道が
           久遠であることを開顕されるが、その無量なる時間を示すために説かれた譬喩。
           すなわち五百千万億那由佗阿僧祇【なゆたあそうぎ】の三千大千世界をつぶして
           微塵となし東方の五百千万億那由佗阿僧祇の国をすぎて一塵を下し、こうして
           東方に行きこれらの微塵を尽くして過ぎ去ったあらゆる国をさらに微塵とな
           し、この一塵を一劫としたものを五百億塵点劫という。日蓮は化城喩品【けじょ
           うゆほん】の三千塵点劫とともに法華経の超勝性を示す教理として重視し、「三
           五の塵点劫」「三五の二法」などと列記する。ところで、釈尊の寿命が久遠であ
           れば、その弟子もまた釈尊との根源的関係を保つ限り、久遠の生命を維持するこ
           とになる。しかしながら娑婆世界の我等衆生は、久遠の釈尊から法華経の下種を
           受けながら、それを忘失し、背いてきたという。ここに日蓮の提起する宗教的罪
           の問題がある。

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【 2024/01/11 05:47 】

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報恩について 一谷入道御書②

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

一谷入道御書いちのさわにゅうどうごしょ

 日本国は仏法盛なるやうなれども、仏法について不思議あり。人是れ

を知らず。譬へば虫の火に入り、鳥の蛇の口に入るが如し。真言師・華

厳宗・法相・三論・禅宗・浄土宗・律宗等の人々は、我も法をえたり、

我も生死をはなれなんとはをもへども、立てはじめし本師等依経の心を

わきまへず、但我心のをもひつきてありしまゝに、その経をとりたてん

とをもうはかなき心ばかりにて、法華経にそむけば仏意に叶はざる事を

ばしらずしてひろめゆくほどに、国主万民これを信じぬ。又他国へわた

りぬ。又年もひさしくなりぬ。末々の学者等は本師のあやまりをばしら

ずして、師のごとくひろめならう人々を智者とはをもへり。源とにごり

ぬればながれきよからず、身まがればかげなをからず。真言の元祖善無ぜんむ

畏等i
はすでに地獄に堕ちぬべかりしが、或いは改悔して地獄を脱れたる

者もあり、或いは只依経えきょう計りをひろめて法華経の讃歎をもせざれば、生

死は離れねども〔悪道に堕ちざる〕人もあり。而るを末々の者此の事を

知らずして諸人一同に信をなしぬ。譬へば破れたる船に乗りて大海に浮

び、酒に酔へる者の火の中に臥せるが如し。

 日蓮是れを見し故に、忽ちに菩提心を発して此の事を申し始めし也。

世間の人々いかに申すとも信ずることはあるべからず。かへりて死罪流

罪となるべしとはかねて知てありしかども、今の日本国は法華経をそむ

き釈迦仏をすつるゆへに、後生に阿鼻大城あびだいじょうに堕つることはさてをきぬ。

今生に必ず大難に値ふべし。所謂いわゆる他国よりせめきたりて、上一人より下

万民に至るまで一同の歎きあるべし。譬へば千人の兄弟が一人の親を殺

したらんに、此の罪を千に分けては受くべからず。一々に皆無間大城に

堕ちて同じく一劫を経べし。此の国も又々かくのごとし。

【現代語訳】
背信の罪

 今の日本国は、表面的には仏法が盛んなようであるが、その仏法については不思議な

ことがあるしかし人々はそのことに気づいていないたとえば、虫が飛んで火に入り、

鳥が蛇の口に入るように、真言師・華厳宗・法相宗・三論宗・禅宗・浄土宗・律宗など

の人々は、自分は仏法の真実を得た、自分は生死を解脱したと思っているけれども、そ

もそもこれらの宗旨を立てた元祖たちは、その拠り所の経の意義さえ知らないで、ただ

自分の思い付きのままに、それぞれの経を取り立てようとしただけである。そんな浅薄

な心で、法華経に背けば仏の本意に叶わなくなるということを知らずに、各師がその宗

旨を弘めていったので、国主も万民もこれらを盲目的に信じてしまった。そしてわが国

に伝わってすでに長い年月が経っている。末流の学匠たちはそれぞれの元祖の誤りを知

らず、その教えを習い弘めた人々を智者と思ってしまった。その源が濁っていれば流れ

が清いはずはない。その身が曲がっていれば影が真直ぐなわけはない。真言師の元祖で

ある善無畏をはじめ、これらの元祖の中には、すでに地獄に堕ちるはずであったが、悔

い改めて地獄の苦報を免れた者もあり、あるいはただ各自の依経だけを弘めて法華経を

讃歎もしなければ謗りもしなかったので、生死は離れないまでも、悪道には堕ちないで

すんだ者もあった。それなのに、今の末々の者たちはこのことを知らないで、みな一同

にこれら元祖の間違った教えを信じている。これはたとえていうと、壊れた船に乗って

大海に浮かんでいたり、酒に酔っている人が火の中に寝るような危険なことである。

 日蓮は、このように間違った仏法が流布している様子を見たので、ただちに菩提心を

起こして真実の法華経の法門を説きはじめたのである。ところがどのように説明しても

世間の人々は信じようとはせずかえって流罪や死罪の法難に遭うだろうということは

はじめから覚悟していたけれども、今の日本国は法華経に背き釈迦仏をないがしろにし

ているから、後生には阿鼻地獄に堕ちることは決定的である。それどころか、今生にお

いても必ず大難に遭うことになるであろう。すなわち他国の軍勢が襲来して、上は天皇

から下は万民に至るまで大変な苦難に遭うことになる。たとえば1000人の兄弟が一人の

親を殺した場合、その罪を1000に分けて受けるのではなく、一人ひとりの兄弟がみな無

間地獄に堕ちて、一劫の長いあいだ苦報を受けなければならない。日本の国もまたこの

ように、衆生一人ひとりがその罪を被らなければならないのである。(つづく)

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【 2024/01/09 05:31 】

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報恩について 一谷入道御書①

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

一谷入道御書いちのさわにゅうどうごしょ

 建治元年(1275)5月8日、54歳、於身延、和漢混交文

 身延山より佐渡一の谷に住む一谷入道の妻にあてた手紙。仏恩とこれに背く不孝について明かしたもの。

 去(い)ぬる弘長元年〈太歳辛酉〉五月十三日に御勘気をかをほり

伊豆国伊東の郷というところに流罪せられたりき。兵衛介頼朝ひょうえのすけよりとも

のながされてありしところなり。さりしかどもほどもなく同き三年〈太

歳癸亥〉二月に召し返されぬ。又文永八年〈太歳辛未〉九月十二日、重

ねて御勘気を蒙りしが、たちまちに頸をはねらるべきにてありけるが、子細あ

りけるかの故に、しばらくのびて、北国佐渡の島を知行する武蔵前司むさしのぜんじ

りて、其の内の者どもの沙汰として彼島に行き付てありしが、彼の島の

者ども因果の理をもわきまへぬあらゑびすなれば、あらくあたりし事は申す

計りなし。然れども一分も恨むる心なし。其の故は日本国の主として少

しも道理を知りぬべき相模殿だにも、国をたすけんと云ふ者を子細も聞

きほどかず理不尽に死罪にあてがう事なればいわうやそのすへ

の人々のことはよきもたのまれず、あしきもにくからず。此の法門を申

し始めしより命をば法華経に奉り、名をば十方世界の諸仏の浄土になが

すべしと思ひ位けし也。
 
 弘演といゐし者はきみ衛の懿公いこうの肝を取て我が腹を割て納めて死に

予譲よじょうといゐし者は、主の智伯ちはくがはぢをすゝがんがために剣をのみて

死せしぞかし。此れはたゞわづかの世間の恩をほうぜんがためぞかし。

いわうや無量劫より已来このかた、六道に沈淪ちんりんして仏にならざることは、法華

経の御ために身ををしみ命をすてざるゆへぞかし。されば喜見きけん菩薩と申

せし菩薩は、千二百歳が間、身をやきて日月浄明徳仏にちがつじょうみょうとくぶつを供養し、七

万二千歳が間ひぢをやきて法華経を供養し奉る。其の人は今の薬王菩薩

ぞかし。不軽ふきょう菩薩は法華経の御ために多劫が間、罵詈めり毀辱きにく杖木じょうもく

瓦礫がりゃくにせめられき。今の釈迦仏に有らずや。されば仏になる道は、時に

よりてしなじなにかわりて行ずべきにや。今の世には法華経はさる事に

ておはすれども、時によて事ことなるならひなれば、山林にまじわりて

読誦すとも、また里に住して演説すとも、持戒にて行ずとも、ひじをや

ひてくやうすとも、仏にはなるべからず。

【現代語訳】
流罪に対する覚悟

 去る弘長元年(1261)辛酉5月13日、鎌倉幕府の咎めを受けて、伊豆の国伊東の郷と

いうところに流されたここは兵衛介源頼朝の流されたところであった。ところが、ほ

どなく、翌々年の弘長3年癸亥2月にゆるされて鎌倉に帰った。
 
 だが、また文永8年(1271)辛未9月12日、再び幕府の咎めを受けて捕らえられ、今

度こそすぐにも頸を刎られるはずであったがどんな理由からかしばらく処刑が延期と

なって北国佐渡ヶ島の守護をつとめる武蔵前司(北条宣時)に預けられ、その家臣らの

計らいで佐渡ヶ島に遠流される身となった。この島の人たちは仏教の因果の道理も知ら

ず、性格も荒々しい人が多かったので、流人の身につらく当たったことは言語に絶する

ほどであった。しかしながら、少しも恨みに思ってはいない。なぜなら、この日本国の

主として少しは道理を弁えていなければならないはずの相模守北条時宗殿でさえ、日本

国を滅亡の危機から助けようとする者に対して、その言い分を詳しく聞こうともせず、

理不尽にも死罪にしようとしたのだから、ましてや下々の人たちのことは、善いといっ

ても頼みにはならず、悪いといっても憎いとは思わないのである。日蓮は法華経の法門

を説きはじめた当初から、身命を法華経のために捧げ、その名を十方世界の諸仏の浄土

に流そうと決意していたのであるから、迫害が来ることは覚悟していたのである。

報恩と仏道

 中国の故事によると、衛の懿公の臣下であった弘演という人は、主君が他国の者に殺

された時、その肝を取って自分の腹を割いて納め、主君の恩に報いて死んだという。ま

た智伯の臣下であった予譲という人は、主君が趙の襄子に殺されてその遺骨が辱められ

たので、その恥をすすごうとしたが果せず、ついに剣にわが身を伏して死んだという。

これらは、いずれも世俗の世界のことで、しかもわずかな恩に報いるための行為であっ

た。

 これに比べて仏法の世界においては、我々衆生が無量劫の遠い過去から今にいたるま

で、六道に流転して仏に成ることが出来ないでいるのは、法華経のために身を投じ、命

を捨てることが出来なかったからである。喜見菩薩という人は、1200年の間、わが身を

焼いて日月浄明徳仏を供養し、7万2000年の間、その臂を焼いて法華経に供養されたと

いう。今の薬王菩薩がこれである。また※ 1軽菩薩は法華経を弘通するために多劫の間、

人々から罵られそしられ杖木で打たれ、瓦石を投げつけられるような迫害にあった。

この菩薩が釈迦仏の前身である。だから仏に成るための修行の方法は、時代により種々

に変わっていくべきものである。今の世の中においては、法華経はそれなりに重んじら

れてはいるけれども、時代によってその修行方法は異なるのであるから、山林に籠って

経を読誦しても、また人里に出て演説しても、戒律を守って修行しても、臂を焼いて供

養しても、仏に成ることはできないのである。(つづく)

【語註】

 ※1 不軽菩薩:法華経常不軽菩薩品に登場する菩薩で、常不軽菩薩という。過去の威
           音王仏の滅後、像法の時代に、増上慢の比丘たちに対して「我深く汝等を敬う」
           云々の24字をもって専ら礼拝の修行をし、迫害や軽蔑に屈しなかった。この不
           軽菩薩は釈尊の過去世の姿であり、不軽菩薩を迫害した比丘たちは、無間地獄の
           苦報を受けたが、今また釈尊の法華経の会座にあって成仏の保証を得たという。
           日蓮は末法の時代における自らの法華経弘通と、それに伴う迫害受難を不軽菩薩
           の故事になぞらえている。なかでも折伏による弘経活動が、加害者に法華経を下
           種する行為であると位置づけられることは特徴的である。

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【 2024/01/06 05:42 】

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報恩について 四恩抄⑥

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

四恩抄 しおんしょう

 第二に大なる歎と申すは、法華経第四に云く「若し悪人有て不善の心

を以て一劫の中に於て現に仏前に於て常に仏を毀罵 きめせん其の罪尚軽し、

若し人一つの悪言を以て在家・出家の法華経を読誦する者を毀呰 きしせん其

の罪甚だ重し」等と云云。

 此等の経文を見るに、信心を起し、身より汗を流し、両眼より涙を流

す事雨の如し。我一人此国に生れて多くの人をして一生の業を造らしむ

る事を歎く。
かの不軽菩薩を打擲 ちょうちゃくせし人、現身に改悔 かいげの心を起せしだに

も、猶罪消難くして千劫阿鼻地獄に堕ちぬ。今我にあだを結べる輩は未だ

一分もあなどる心もおこさず。
是体 これていの人の受る業報を大集経に説て云く、

「若人あて千万億の仏の所にして仏身より血を出さん。意に於て如何。

此人の罪をうる事むしろ多しとせんや否や。
大梵王言さく、若人只一仏の

身より血を出さん、無間の罪尚多し。無
量にして算をおきても数をしら

ず、阿鼻大地獄の中に堕ちん。何に況や
万億の仏身より血を出さん者を

見んをや。
終によく広く彼人の罪業果報を説く事ある事なからん。但し

如来をば除き奉る。仏の言はく、大梵王
若し我が為に髪をそり、袈裟を

かけ、片時も禁戒をうけず、
欠犯をうけん者を、なやまし、のり、杖を

もて打なんどする事有らば、罪をうる事
彼よりは多し。  

弘長二年壬戍正月十六日                日蓮 花押

工藤左近尉殿

【現代語訳】
大いなる嘆き

 第二に、大いなる嘆きというのはこうである。法華経の第4巻・法師品には「もし、

悪人がいて不善の心をもって、長い間仏の前において常に仏を攻撃し罵ったとしても、

その罪はなお軽い。もし、仏の滅後たった一言でも悪罵をもって在家出家をとわず法華

経を読誦する者を謗るならば、その人の罪は非常に重い」と示されている。

 これらの経文を見るにつけても、いよいよ信心を起こし身より汗を流し、両眼より涙

を雨のように流すのである。そして、自分一人がこの国に生まれて、多くの人々に法華

経を謗る悪業を造らしめたことを思うと、歎く心が起こるのである。かの不軽菩薩を打

ち据えた人々は、生きている時に悔い改める心を起こしたにもかかわらず、なおその罪

は消えることなく長い長い間阿鼻地獄の炎の中に堕ちてしまった。今、私に怨を加えた

者たちは、まだ少しも後悔する心さえ起こすことがない。こうした状態の人々が受ける

報いについて、大集経には、「もし人がいて千万億の仏の所にいて、仏の身を傷つけて

血を出させたならば、この人の受ける罪はどんなに多いだろうか」と仏が大梵天王に言

うと、大梵天王は「ただ一仏の身から血を出すことでさえ、その罪は量り知れないほど

の多くの罪を犯すこととなり、とれも数えられぬほどである。必ず阿鼻地獄の中に堕ち

るであろう。まして、万億にのぼる多くの仏の身より血を出さしめる者がいるならば、

その人の罪の量り知れぬ深さは、釈迦如来を除いてはとれもその罪業と罪の報いを言い

表わすことは出来ない」と答えた。すると仏は、「大梵天王よ、もし私のために髪を剃

り袈裟をかけ、たとえ片時でさえも戒律を受けず守ることなく、また受けても破ってし

まう者であろうとも、その者を悩まし、罵り、杖をもって打ったりなどすることがある

ならば、その受ける罪は仏の身から出血させることよりも多いのだ」と言われた、と示

されているのである。

弘長二年壬戌正月十六日                      日 蓮 花押

工藤左近尉殿

【解説】

 四恩は『心地観経』に説く、父母の恩・一切衆生の恩・国王の恩・三宝の恩である。

日蓮が『心地観経』の説を受け、伊豆流罪中の、弘長2年(1262)に著したのが『四恩

抄』である。

 『四恩抄』の四恩の順序が、①一切衆生の恩、②父母の恩と入れ替わっているのは、

流罪という法華経の行者の受難を契機に謗法者の迫害を一切衆生の恩と受けとめた意識

的置き換えと考えられる。日蓮は『心地観経』の四恩説に依りつつも、その説くところ

は法華経の行者の主体的自覚的把握が示されている。

 ①一切衆生の恩:経には生々世々輪廻の中で父となり母となりした一切衆生の恩とす

るが、日蓮は衆生無辺誓願度の願を発す。衆生済度の誓願、菩薩行実践の対象であり、

その中で、悪人が難を加え、法華経の行者たらしめてくれる一切衆生の恩と受け取って

いる。

 ②父母の恩:この世に生を受け、養育された恩は、あらゆる倫理道徳が説くが、日蓮

も父母の大いなること報恩の至誠が説いている。しかし単に世俗的恩にとどまらず、

「今生の父母を我を生みて法華経を信づる身となせり」と、自分を生み、そして正法の

行者としてくれた感恩を述べているのである。その上「恩を棄て無為に入るは真実報恩

の身なり」「法華経のかたきになりぬれば父母国主の事をも用ひざるが孝養」と、父母

の恩に報いることは、恩を棄て出家の道を歩み導いて仏道を成ずることであるという。

 ③国王の恩:国王(主)の恩のほか、国土の恩、生国の恩もこの中に含めて日蓮はと

らえている。賢王の治世や国土の恵みといった受動的恩観に終らず、「争か少分の怨に

依ておろかに思い奉るべきや」といい、伊豆流罪が「只法華経を弘めんとする失」によ

って、法華経を行ずることが、経文を生きた実語として自己に実証することになった。

「国主こそ我身には恩深き人にをわしまし候らめ」という。法華経の行者として主体的

自覚のもとに、これを受けとめ、更に「生国の恩をほうぜん」する積極的姿勢が、国主

を賢王たらしめずにおかない三度の国家諫暁にみられる国恩観があったといえよう。

 ④三宝の恩:四恩の中で最も重視される。「ひとり三徳をかねて恩ふかき仏は釈迦一

仏にかぎりたてまつる(略)この親と師と主との仰せをそむかんもの(略)不孝第一の

者也」と述べ、寿量品の教主釈尊の仏恩に背くことが不孝第一となし、法華経の重恩を

謗ずる者があれば「不知恩の畜生」と断定する。即ち、三宝への知恩が冒頭の「仏弟子

は必ず四恩をしって」という三宝の恩に基礎づけられた衆生の恩・父母の恩・国王の恩

であり、法華経の修行、不惜身命の弘通によってのみ真の四恩がまっとうされ、知恩報

恩の利他行が実践できるとする。

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【 2024/01/04 05:37 】

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報恩について 四恩抄⑤

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

四恩抄⑤

 法の恩を申さば法は諸仏の師也。諸仏の貴き事は法に依る。されば仏

恩を報ぜんと思はん人は法の恩を報ずべし。

 次に僧の恩をいはゞ仏宝法宝は必ず僧によて住す。譬ば薪なければ火

無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習

ひ伝へずんば、正法像法二千年過ぎて末法へも伝はるべからず。
故に大

集経に云く、五箇の五百歳の後に無智無戒なる沙門をとがありと云て、是

を悩すは、此の人仏法の大燈明を滅せんと思へと説かれたり。然らば僧

の恩を報じ難し。されば三宝の恩を報し給べし。
古の聖人は雪山童子・

常啼菩薩・薬王大士・普明王等、此等は皆我身を鬼のうちかひ(打飼)

となし、身の血髄をうり、臂をたき、頭を捨て給き。然るに末代の凡

夫、三宝の恩を蒙りて三宝の恩を報ぜず。
いかにしてか仏道を成ぜん。

然に心地観経・梵網経等には仏法を学し円頓の戒を受ん人は必ず四恩を

報ずべしと見えたり。某は愚癡の凡夫血肉の身也。三惑一分も断ぜず。

只法華経の故に罵詈めり毀謗きぼうせられて、刀杖を加られ、流罪せられたるを以

て、大聖の臂を焼き、髄をくだき、頭をはねられたるになぞら(擬)へ

んと思ふ。是一つの悦び也。

【現代語訳】

 
次に法の恩について言うならば、法とは諸仏の師である。諸仏の貴いことは、法によ

るのである。従って、仏の恩を報じようと思う人は法の恩を報ずべきである。

 次に僧の恩について言うならば、仏宝、法宝は必ず僧によって存在するものである。

例えば、薪がなければ火もつくことはない。大地がなければ草木は生長出来ない。仏法

があるといっても、僧がいてそれを習い伝えなければ、正法、像法の世2000年過ぎてな

お、末法の世に伝わることはない。そこで大集経には「5箇の500年2500年の後、

末法の世における無智・無戒の沙門に過ちがあると言って悩ます人は、仏法の大いなる

燈明を滅すものと思え」と説かれている。それ故に、僧の恩は報じ難いのである。これ

らのことを思って、仏・法・僧三宝の恩を報じなさるがよい。

 昔の聖人には、雪山童子・常
啼菩薩・薬王菩薩・普明王などの人々がいた。雪山

童子は我が身を鬼に施して法を求め、常
啼菩薩はその身をバラモン僧に売って、

自ら血髄を出して菩薩に供養し、薬王菩薩は法華経の大恩を報ぜんがために肘を

燃やして香油燈に替え、仏に供養した。普明王は鹿足王に捕まり、沙門を供養し

ようという約束を果たした後、首を切られようと頭を差し出した。このように、

命を捨ててこそ恩を報じることが出来るのに、末代の凡夫たる今の人々は、三宝

の恩を報じることがない。これでは、どうして仏道を成し遂げられよう。それ故

に心地観経・梵網経などには、「仏法を学び、円頓の戒(円満に具わり、たちど

ころに成仏し得る戒)を受けようとする人は、必ず四恩を報ずべきである」と記

されている。

 私自身は、愚痴の凡夫である。心の迷いや悩みを少しも断ち切れぬ血肉の身で

ある。けれども、ただ法華経の故に罵られ、謗られ、さらに刀杖を加えられ、流

罪とされたことによって、昔の聖人のように肘を焼き、骨の髄を砕き、頭をはね

られた足跡になぞらえることが出来ると思うと、これこそ第一の悦びと思うので

ある。(つづく)

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【 2024/01/02 06:38 】

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