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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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病といのち 南条兵衛七郎殿御書⑤

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

南条兵衛七郎殿御書なんじょうひょうえしちろうどのごしょ

 国をしるべし国に随つて人の心不定ふじょうたとへば江南こうなんたちばな淮北
わいほく


にうつされてからたちとなる。心なき草木そうもくすらところによる。まして心

あらんもの何ぞ所によらざらん。

 されば玄奘げんじょう三蔵の西域さいいきと申すふみ天竺てんじくの国々を多く記したるに、国

ならいとして不孝ふこうなる国もあり、孝の心ある国もあり。瞋恚しんにのさかんなる

国もあり、愚癡ぐちの多き国もあり。一向いっこうに小乗を用る国もあり、一向大乗

を用る国もあり大小兼学けんがくする国もありと見へはべ又一向に殺生の

一向に偸盗ちゅうとうの国、又こめの多き国、又あわ等の多き国不定也。

 そもそも日本国はいかなるおしえを習ふてか生死しょうじを離るべき国ぞとかんがへたる

に、法華経に云く「如来の滅後において閻浮提えんぶだいうちに広く流布るぐせしめ断

絶せざらしむ」等云云。もんの心は、法華経は南閻浮提なんえんぶだいの人のための

有縁うえんの経也。弥勒みろく菩薩の云く「東方に小国有りただ大機のみ有り」等云

此の論の文の如きは閻浮提の内にも東の小国に大乗経の機ある

肇公じょうこうに云く「この典は東北の小国に有縁なり」等云云。法華

経は東北の国に縁ありとかゝれたり。安然和尚あんねんわじょうの云く「我が日本国皆

大乗を信ず」等云云。慧心えしん一乗要決いちじょうようけつに云く「日本一州円機純一えんきじゅんいつ

云云。釈迦如来・弥勒菩薩・須梨耶蘇摩すりやそま三蔵・羅什らじゅう三蔵・僧肇法師そうじょうほっし

安然和尚・慧心えしん先徳せんとく等の心ならば、日本は純に法華経の機也。

 一句一偈いっくいちげなりとも行ぜば必ず得道とくどうなるべし。有縁の法なるが故也。た

とへばくろかねを磁石のすうが如し、方諸ほうしょの水をまねくににたり。念仏

等の余善よぜん無縁むえんの国也。磁石のかねをすわず、方諸の水をまねかざるが

如し。

 故に安然の釈に云く「もし実乗じつじょうにあらずんばおそらくは自他をあざむ

ん」等云云。此の釈の心は、日本国の人に法華経にてなき法をさづくる

もの、我が身をあざむき人をもあざむく者と見えたり。

 されば法は必ず国をかんがみて弘むべし。の国によかりし法なれば

必ず
の国にもよかるべしとは思ふべからず〈是れ四〉。

【現代語訳】
仏法の流布と国

 国について知らなければならない国によって人びとの心は異なっているたとえば、

江南に生育する橘は江北に移されるとからたちに変わる。心のない草木でさえ場所によって

変化する。まして心を有する人間が住む場所によって異ならないはずがない。

 したがって※ 1玄奘げんじょう三蔵の西※ 2域記にインドの国々のことを多く記し、国の風習で、不

孝の人が多い国や孝行の人の多い国、怒りやすい人の多い国や愚かな人の多い国、もっ

ぱら小乗の教えを信ずる国やもっぱら大乗の教えを信ずる国、あるいは大乗と小乗とを

兼ねて修学する国などがある、という。また、もっぱら殺生を行う国やもっぱら盗みを

行う国、あるいは米の多く収穫できる国や粟などを多く収穫できる国など、さまざまな

国がある、と書かれている。

 それでは、いったい日本国はどのような教えによって生死の苦を離れ仏になることが

出来る国であろうか、と考えてみると、法華経普賢菩薩勧発品には「仏の入滅後におい

て、閻浮提(宇宙)にまで広くこの法華経を弘めて断絶させてはならない」とある。こ

の文の意味は「法華経は南閻浮提宇宙の南の方の世界の人に縁のある経典である」

ということである。弥勒菩薩の※ 3伽論には「東の方に小さな国があり、その国に住んで

いるのはすべて大乗の教えを受けることの出来る人びとである」とある。この瑜伽論の

文によると、閻浮提の中でも東方の小さな国に大乗経を信受する人びとがいるというこ

とである。※ 4肇の法華翻経後記ほっけほんぎょうこうきには※ 5梨耶蘇摩三蔵が※ 6摩羅什三蔵に語った言葉と

して「この法華経は東北の小さな国に縁がある」とある。法華経は東北の国に縁がある

と書かれている。※ 7然和尚は普通広釈に「わが日本国の人びとはすべて大乗の教えを信

ずると言っている慧心僧都の一乗要決には日本全国の人びとはすべて法華円教ほっけえんぎょう

を受ける機根である」とある。このように、釈迦如来をはじめとし弥勒菩薩・須梨耶蘇

摩三蔵・鳩摩羅什三蔵・僧肇法師・安然和尚・慧心先徳等のお考えによると、日本はも

っぱら法華経を信受すべき人びとの住んでいる国である。

 したがって、法華経を一句一偈でも修行すればかならず成仏することが出来る。なぜ

なら、法華経は日本国の人びとと深い縁を持った教えであるからである。たとえば、磁

石が鉄を引き込み、色々な方向に水が浸透していくようなものである。念仏などの他の

善行は縁のない国である。磁石のように見えても本当の磁石でなければ鉄を引き寄せる

ことができないし、水のように見えても水でなければ諸方面に浸透することがないのと

同じである。

 そのゆえに、安然和尚の普通広釈に「もし法華経の実乗(真実の教え)でなければ自

分も他人も欺くことになる」と言われている。この文の意味は、日本国の人びとに法華

経以外の教えを弘める者は、自分を欺き他人をも欺く者である、ということである。

 したがって、法を弘めるにはかならずその国がどのような国であるかをよく考えなけ

ればならない。他の国に適した法であるからと言ってかならずこの国にも適している、

などとは思ってはならない。〈これが第四点である〉。(つづく)

【語註】

 ※1 玄奘:中国、唐の僧、訳経家。法相宗の開祖。三蔵法師として知られる。原典
            によって経典を研究しようと,629年陸路でインドに向かい、戒賢論師に唯識
            説を学び,サンスクリット仏典を研究したのち諸方を歴訪して645年長安に帰
            着勅令により諸経論約 75部 1335巻を訳出経典翻訳は新しい訳語を用い、
            旧文体を一新し,サンスクリット原文に忠実であったので,新訳と称され,中
            国や日本の仏教教理の基本となった。

 ※2 西域記:玄奘著『大唐西域記』。『西遊記』の題材になったといわれるインド
            紀行により西域の事情を紹介した。

 ※3 瑜伽論:『瑜伽師地論』。玄奘訳。 100巻。チベット語訳が現存し,サンスク
            リット原文も逐次発見されて出版されつつある。原著者は,漢訳系統の説では
            弥勒が説いたとし,チベット伝では無着の著作とする。

 ※4 僧肇:中国、後秦代の僧。訳経僧鳩摩羅什門下の四哲の一人。幼少の頃から経
            史など古典に通じ、老・荘を愛好したが、『維摩経』をみて歓喜し、ついに出
            家した。のち姑臧(甘粛省)にあった羅什に師事し、401年師とともに長安に
            帰り、後秦第2代の皇帝姚興の命により逍遙園における羅什の訳業を助けた。

 ※5 須梨耶蘇摩:インド・カシュガルの大乗の論師。12歳の鳩摩羅什は須梨耶蘇摩
            に大乗の手ほどきを受けた。

 ※6 鳩摩羅什:中国の仏典翻訳僧のうち、最も偉大な者の一人。父はインド人、母
          は亀茲国王女という。7歳で出家し仏教を学び、さらに北インドに学んだ。その
        後中央アジア諸国をめぐり、大乗仏教に接し、亀茲国に帰国。のち、中国に招
            かれて長安に行き、訳経事業に従事、その間仏教を講じたりした。その訳出し
        た経典は莫大な数に上り、『出三蔵記集』によると 35部 297巻と言われてい
        る。翻訳した経典中おもなものは『阿弥陀経』『法華経』『大品般若経』『維
            摩経』など。

 ※7 安然:平安初期の天台宗の僧、天台密教の大成者。

 ※8 慧心:源信。平安中期の天台宗の僧。比叡山横川の恵(慧)心院に住したこと
            から恵心僧都とも呼ばれている。9歳で比叡山に入山し、良源を師と仰いで、
        13歳で出家、叡山の僧となる。たいへん多くの著述を残しているが、なかでも
            44歳の時に著した『往生要集』は、鎌倉浄土教発生の基礎として、当時から広
            く読まれた。彼以後、浄土思想が盛んになるなど、平安期の浄土信仰・芸術に
            影響をもたらした。

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【 2024/04/30 05:33 】

病といのち  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

病といのち 南条兵衛七郎殿御書④

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

南条兵衛七郎殿御書なんじょうひょうえしちろうどのごしょ

 仏入滅の次の日より千年をば正法と申す。持戒じかいの人多く得道の人これ

あり。正法千年の後は像法ぞうぼう千年也。破戒者は多く得道すくなし。像法千

年の後は末法万年。持戒もなし破戒もなし、無戒者のみ国に充満せん。

 而も濁世じょくせと申してみだれたる世也。清世しょうせと申してすめる世には、じき

じょうのまがれる木をけづらするやうに、をすてを用ゐる也。正・像

より五濁ごじょくやうやういできたりて、末法になり候へば五濁さかりにすぎ

て、大風の大波ををこしてきしをうつのみならず、又波と波とをうつ

也。見濁けんじょくと申すは正・像やうやうすぎぬれば、わづかの邪法じゃほうの一をつ

たへて無量の正法をやぶり、世間の罪にて悪道におつるものよりも、仏

法を以て悪道につるもの多しとみへはんべり。

 しかるに当世とうせは正像二千年すぎて末法に入りて二百余年、見濁さかり

にして、悪よりも善根ぜんごんにて多く悪道に堕つべき時刻也。

 悪は愚癡ぐちの人も悪としればしたがわぬへんもあり。火を水を用ひてけ

すがごとし。善はただ善と思ふほどに、小善に付いて大悪のをこる事をし

らず。

 所以ゆえに伝教慈覚等の聖跡しょうせきあり。すたれあばるれども念仏堂にあらず

といゐてすてをきて、そのかたわらにあたらしく念仏堂をつくり、かの

寄進の田畠でんばたをとりて念仏堂によす。此等は像法決疑経ぞうぼうけつぎきょうの文のごとくな

らば、功徳すくなしと見へはんべり。此等をもちてしるべし。善なれど

も大善をやぶる小善は悪道に堕つるなるべし。

 今の世は末法のはじめなり。小乗経のごん大乗経の機みなうせはて

てたゞじつ大乗経の機のみあり。

 小船には大石たいせきをのせず。悪人愚者は大石のごとし。小乗経並びに権大

乗経念仏等は小船也。大悪瘡だいあくそう湯治とうじ等はやまい大なれば小治およばず。末

代濁世の我等には念仏等はたとへば冬田を作るが如しごと。時があはざる也

〈是れ三〉。

【現代語訳】

末法の時

 仏が入滅された次の日から1000年の間を正法時と言う。戒律をたもつ人も多く、成仏す

る人もあった正法時1000年間の後は像法時1000年間であるこの時代には戒律を破る

人が多く、成仏する人は少なかった。像法時1000年間の後は末法時10000年である。こ

の時代には戒律を持つことも戒律を破ることもなく、ただ無戒者だけが国に充満してい

る。

 しかも、濁世と言って乱れた世である。清世と言って清らかな世では、まっすぐな縄

で曲った木を削り直すように悪を捨てて善を用いる。正法時・像法時から※ 1濁(劫濁・

煩悩濁・衆生濁・見濁・みょう濁)がしだいに起こりはじめ、末法時になると盛んになり、

大風が大波を起こして岸を打つだけでなく、波と波とが打ち合うほどの大混乱を引き起

こす。五濁の中の見濁(思想上の乱れ)と言うのは、正法時・像法時ではそれほどでも

なく過ぎるが、末法時に入ると、少しの邪法でも伝え来て多くの正法を破壊するため、

世間の罪で悪道に堕ちる者よりも仏法において悪道に堕ちる者の方が多い、と思われ

る。

 しかも今の世は、正法時と像法時の2000年間が過ぎ※ 2法時に入って200余年になる。

見濁がもっとも盛んに起こり、世間的な罪悪よりも、善根を積んでいるようで実は誤っ

た見解に陥っている仏教信仰者の方が大勢悪道に堕ちる時代である。

 悪いことは愚かな者でも悪いと分るから、犯さないこともある。火を水で消すような

ものである。善いことは誰もがただ善であるとばかり思い込んでしまうので、小善に心

を奪われて大悪の起こることに気がつかない。

 したがって、伝教大師や慈覚大師の霊跡が荒廃していても、念仏堂ではない、と言っ

て捨て置き、そのかたわらに新しく念仏堂を建て、もとの霊跡に寄進されていた田畑を奪い取

って念仏堂に寄進している。このようなことは像法決疑経の文によれば、その功徳は少

ないと思われる。これらの例をもって知るべきである。たとえ善であっても大善を破る

ような小善は悪道に堕ちる原因となる。

 今の世は末法の初めである。小乗経や大乗経で救われる人びとはすべていなくなり、

ただ※ 3大乗経で救われるべき人びとだけがいる。

 小さな船には大石を乗せない。悪人・愚者は大石と同じである。小乗経や※ 4大乗経、

念仏などは小さな船である。大きな悪瘡などは病が重いので簡単な治療では治せない。

末法の濁悪の世に生きる私たちにとって念仏などは、たとえば冬に田を作るようなもの

である。まったく時が合わない。〈これが第三の点である〉。(つづく)

【語註】

 
※1 五濁:5つの濁り、穢れのこと。①劫濁は時代の濁りで、戦争、疫病、飢饉な
            どの時代的な環境社会の穢れをいう。②見濁は思想の乱れで、種々の邪悪な思
            想が流行することをいう。③煩悩濁は煩悩の流行をいう。貪りや怒りや世間知
            らずな迷いなどがはびこり、人心は乱れ、悪徳の横行する世相をいう。④衆生
            濁は人間の善行意欲が低下し、心に活気がなく、不健康で、苦労の多い世間と
            なり、同時に人間の質の低下をみる状態をいう。⑤)命濁は人間の寿命が短くな
            ることをいい、最後には寿命は10歳にまで縮まる。

 ※2 末法時:日本では1052年から末法の時代に入ったと考えられていた。

 ※3 実大乗経:仏の真実の覚りを明かしたもので、法華経をさす。

 ※4 権大乗経:真実を明かすための準備・方便として説かれたもので、大乗経典の
            中でも華厳経・般若経・阿弥陀経・大日経などの諸経をさす。

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【 2024/04/27 05:37 】

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病といのち 南条兵衛七郎殿御書③

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

南条兵衛七郎殿御書なんじょうひょうえしちろうどのごしょ

 たとひ五逆十悪無量の悪をつくれる人も、こんだにもなれば得道とくどうなる

事これあり。提婆達多だいばだった鴦崛摩羅おうくつまら等これなり。たとひ根鈍こんどんなれども罪な

ければ得道なる事これあり。須利槃特すりはんどくこれ也。

 我等衆生は根の鈍なる事すりはんどくにもすぎ、物のいろかたちをわ

きまへざる事羊目ようもくのごとし。貪瞋癡とんじんちきわめてあつく、十悪は日日にをか

し、五逆をばおかさざれども五逆に似たる罪又日日におかす。

 又十悪五逆にすぎたる謗法ほうぼう人毎ひとごとにこれあり。させることばを以て法華

経をほうずる人はすくなけれども、人ごとに法華経をばもちゐず。又もち

ゐたるやうなれども念仏等のやうには信心ふかからず。信心ふかき者も

法華経のかたきをばせめず。いかなる大善だいぜんをつくり、法華経を千万部読

み書写し、一念三千の観道かんどうを得たる人なりとも、法華経のかたきをだに

もせめざれば得道ありがたし。

 たとへばちょうにつかふる人の十年二十年の奉公ほうこうあれども、きみの敵をし

りながらそうもせず、私にもあだまずば、奉公皆うせてかえつてとがに行は

れんが如し。当世とうせの人人は謗法の者としろしめすべし〈是れ二〉。

【現代語訳】

謗法の機

 たとえ※ 1逆罪・※ 2悪、あるいは計り知れない悪罪を犯した人でも、利根でさえあれば

成仏することもある。※ 3婆達多や※ 4崛摩羅などがこれである。あるいは、たとえ鈍根で

あっても罪がなければ成仏することがある。※ 5利槃特などがこれである。

 私たち末法の衆生は根性の愚鈍なること須利槃特以上であり、物の色や形を識別出来

ないことにおいては羊目と同じである。※ 6瞋癡の三毒がきわめて深く、十悪は日々に犯

し、五逆罪は犯さなくとも五逆罪に似た罪は日々犯している。

 また、十悪や五逆罪以上の謗法の罪を人ごとに犯している。特別なにかの言葉で法華

経を誹謗する人は少ないけれども、誰もが法華経を用いない。また、たとえ用いている

ようでも念仏などのようには信心が深くない。たとえ信心が深い者でも法華経の敵を責

めない。どのような大善根を修し、法華経を千万部読んだり書写したり、一念三千の観

心(理的な観念観法)を実践体得した人であっても、法華経の敵を責めなければ成仏す

ることはできない。

 たとえば朝廷に10年20年の間奉公した人であっても、主君の敵を知りながら、主君に

奏上もせず、私的にも排斥はいせきすることがなければ、長年の奉公の功績はすべて消失し、か

えって罰に処せられるのと同じである。以上のように、今の世の人びとは法華経誹謗の

罪を犯している者であると承知しなさい。〈これが第二点である〉。(つづく)

【語註】

 ※1 五逆罪:無間地獄に堕ちる5種の根本重罪をいう。五つの大罪とは「殺父」-
            父を殺すこと。「殺母」-母を殺すこと。「殺阿羅漢」-悟りを得た聖者を殺
            すこと。「破和合僧」-僧団を破壊すること。「出仏身血」- 生身の仏陀の
            身より血を出すことである。

  ※2 十悪:10種の悪の意。身で行う罪悪は①殺生(人畜等一切の生命を持つものの
           生命を奪うこと。また人の命を縮めたり、間接的に殺すこと)、②偸盗(他人の
           物を盗むこと、また贅沢をすれば余分に物をとり、人に不自由をかけるから一種
           の盗となる)、③邪婬(自分の色欲を満たすため他人に迷惑をかけること)、口
           でなす罪悪は④妄語(嘘をつくこと)、⑤綺語【きご】(無意味に飾り立てた不
           誠実な語言)、⑥両舌(人の仲を隔てる二枚舌)、⑦悪口【あっく】(人の悪い
           ことを吹聴すること)、意【こころ】の中で起す罪悪は⑧貪欲【とんよく】(貧
           るという迷妄の心、餓鬼道の業因)、⑨瞋恚【しんに】(怒る心、我が儘な心、
           地獄界の業因)、⑩愚癡または邪見(よこしまな見解)である。

 ※3 提婆達多:デーヴァダッタ。斛飯王の子で阿難の兄、釈尊の従弟にあたる。釈
            尊に従って出家したが嫉妬我儘の心があり、大衆を誘惑して新教団をつくり、
            阿闍世王とともに釈尊に敵対して種々の危害、三逆罪(出仏身血、殺阿羅漢、
            破和合僧)を犯した。その結果、遂に提婆達多は生きながらにして地獄に墜ち
            た。しかし法華経からみれば極悪非道の提婆達多も提婆品において天王如来と
            いう仏名を授けられ、成仏したことが次のように説かれる。昔、ある国王が仏
            教の悟りの境地を求めて、大乗の教えを説く師を四方に求めた。その時、阿私
            仙人が国王に「もしよく修行すれば、妙法華経という大法を説こう」と告げ
            た。国王は阿私仙人の言葉に従い、薪・菓・共をとり、水を汲み、食を設けた
            りして給仕に努め、遂に仏になることができた。そして、その時の国王とは今
            の釈尊であり、阿私仙人は今の提婆達多であると表明する。釈尊は提婆達多と
            いう善知識によって悟りを得ることができたことを理由として、提婆達多に対
            し無量劫ののち天王如来に成るという記別を授けられた。

 ※4 鴦崛摩羅:アングリマーラ。本名はアヒンサカ。彼は釈尊の弟子となる以前に
            あるバラモンに師事していたが、ある事件によって怒ったそのバラモンは彼を
            陥れようとして誤った教えを与えた。彼は師の教えに従って、次々と人を殺し
            てその指を切って髪飾りとしたことから、アングリマーラ(指で作った首輪)
            と呼ばれるようになった。 1000人の指を集めようとして 1000人目に自分の母
            を殺そうとした時、釈尊が教化したので、バラモンの教えを捨てて、弟子とな
            った。その後市民の迫害を受けたにもかかわらず、過ちをひたすら懺悔し、行
            を重ねたのでついに悟りを得たという。

 ※5 須利槃特:チューラパンタカ。釈尊の弟子で、舎衛城のバラモンの出身。兄を
            マハーパンタカといい、共に父母が旅行中に路辺で生れたため,、パンダカと名
        づけられたという。兄は頗る総明であったが、弟は極めて愚鈍であった。兄と
            共に仏門に入るが、3ヵ月かかっても一偈すら覚えることが出来ず、かえって
            傍で毎日その偈を聞いていた牧夫が通達してしまい、その牧夫に偈を習いに行
            ったという。釈尊はこれを愍み、一本の箒を与えてその名を記憶するようにと
            教えた。数日たっても記憶できなかったが、なおも一心にこれを思念し、遂に
            阿羅漢果を得たという。

 ※6 貪瞋痴の三毒:われわれの心を汚し毒する三大煩悩。貪(むさぼり)ね,瞋(いか
            り)、痴(無知)。

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【 2024/04/25 05:31 】

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病といのち 南条兵衛七郎殿御書②

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

南条兵衛七郎殿御書なんじょうひょうえしちろうどのごしょ

 かうたしかにくいかえして実義じつぎをさだむるには、「世尊の法は久しく

して後かならずまさに真実を説くべし」「久しくこのようもくしていそいですみ

かに説かず」等とさだめられしかば、多宝仏たほうぶつ大地よりわきいでさせ給ひ

て、この事真実なりと証明しょうみょうをくわへ、十方の諸仏八方にあつまりてこう

長舌相ちょうぜっそう大梵天宮だいぼんてんぐうにつけさせ給ひき。二処三会にしょさんね、二界八番の衆生一

人もなくこれをみ候ひき。

 此等の文をみ候に、仏教を信ぜぬ悪人外道げどうはさておき候ひぬ。仏教の

中に入り候ても爾前権教にぜんごんきょうの念仏等を厚く信じて、十遍・百遍・千遍・

一万乃至六万等を一日にはげみて、十年二十年のあひだにも南無妙法蓮

華経と一遍だにも申さぬ人人は、先判せんぱんに付いて後判ごはんをもちゐぬ者にては

候まじきか。此等これらは仏説を信じたりげには我身わがみも人も思ひたりげに候へ

ども、仏説の如くならば不幸の者也。

 故に法華経の第二に云く「今この三界は皆これが有なり。その中の

衆生はことごとくこれが子なり。しかも今このところはもろもろの患難げんなん

多し。ただ我一人われいちにんのみよく救護くごをなす。また教詔きょうしょうすといえどもしか

も信受せず」等云云。

 もんの心は釈迦如来は此等これら衆生には親也、師也、主也。我等衆生の

ためには阿弥陀仏・薬師仏等は主にてはましませども、親と師とにはま

しまさず。ひとり三徳をかねて恩ふかき仏は釈迦一仏にかぎりたてまつ

る。親も親にこそよれ、釈尊ほどの親。師も師にこそよれ、主も主にこ

そよれ、釈尊ほどの師主ししゅはありがたくこそはべれ。この親と師と主との

おおせをそむかんもの、天神地祇てんじんちぎにすてられたてまつらざらんや。不孝第

一の者也。故に「雖復教詔而不信受すいぶくきょうしょうにふしんじゅ」等と説かれたり。
 
 たとひ爾前にぜんの経につかせ給ひて、百千万億こう行ぜさせ給ふとも、法華

経を一遍も南無妙法蓮華経と申させ給はずは、不孝の人たる故に三世十

万の聖衆しょうしゅうにもすてられ、天神地祇にもあだまれ給はんれ一〉。

【現代語訳】

 このように、明確にさきの40余年の説法を打ち消し、真実の教えを説き顕わされる時に

は、「仏は久しくして後に真実の法を説く」(法華経方便品)、「久しくこの肝要の法

を説かなかった」(法華経薬草喩品)などと明言されたので、多宝仏が大地からき出

でて来られて、この事は真実であると証明を加え(法華経見宝塔品)、十方の諸仏が八

方に集まって広長舌を大梵天宮までつけ、同じく真実を証明された(法華経神力品)。

この事実は、法華経の説法の場にいたすべての聴衆が見聞けんもんしたのである。

 これらの文を見ると、仏教を信じない悪人や外道はさておいても、仏教を信じながら

も法華経以前の方便の教えである念仏などをあつく信じ、1日に10遍・100遍・1000遍・

1万遍、あるいは6万遍などこなえ、10年、20年の間に一度も南無妙法蓮華経と唱えない

人びとは、親の譲状の先判を用い、後判を用いない者ではないだろうか。このような人

びとは、仏の教えを信じているように自分も思い他人も思っているようであるが、仏の

教えの通りに従えば不孝の者である。

 したがって、法華経の第2巻譬喩品には「今のこの世界はすべて私(仏)の所有する

ところであり、その中に住む衆生はことごとく私の子である。しかも、今、この世界に

は苦難が多い。ただ私一人だけがこれを救うことが出来る。私が教えさとしても衆生は迷

っていて信受しようとしない」と説かれている。

 この文の意味は、釈迦如来はこのような衆生の親であり、師であり、主である。私た

ち衆生にとって、阿弥陀仏や薬師仏などは主ではあっても親でも師でもない。主・師・

親の3つの徳をかね備えた恩の深い仏はただ釈迦如来だけである。親もいろいろあるが

釈尊ほどの親は他にはない。師もいろいろあり、主もいろいろあるが、釈尊ほどの師や

主は他にはない。このようにありがたい親と師と主との徳を備えられた釈尊の教えに背

く者が、天地の神々に捨てられないことがあろうか。このような人びとは不孝第一の者

である。そのゆえに「また教え諭すけれども信受しない」(法華経譬喩品)と説かれた

のである。

 たとえ法華経以前の経典を信じ、計り知れないほどの長い間修行をしても、法華経を

信じ一度でも南無妙法蓮華経と唱えなければ、不孝の人であるから、三世十方の聖衆

(仏菩薩)にも捨てられ、天地の神々にもあだまれるであろう。〈これが第一点であ

る〉。(
つづく)

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【 2024/04/23 05:31 】

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病といのち 南条兵衛七郎殿御書①

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

南条兵衛七郎殿御書なんじょうひょうえしちろうどのごしょ

文永元年(1264)12月13日、43歳、於鎌倉、和文

 安房の東条松原で襲撃され自らも傷を負った1カ月後の手紙である。南条時光の父・南条兵衛七郎が病に臥していると聞いて、病のない者も、ある者も、定めないものだとして、『法華経』を根本として後世に思いを定めることを説いている。

 御所労ごしょろうよし承り候はまことにてや候らん。世間のさだめなき事は病なき人も

留りがたき事に候へば、まして病あらん人は申すにおよばず。ただし心あ

らん人は後世ごせをこそ思ひさだむべきにて候へ。

 又後世を思ひ定めん事は私にはかなひがたく候。一切衆生の本師にて

まします釈尊のおしえこそもとにはなり候べけれ。

 しかるに仏のおしへ又まちまちなり。人の心の不定なる故

 しかれども釈尊の説教五十年にはすぎずさき四十余年の間の法門

華厳経には心仏及衆生是三無差別しんぶつぎゅうしゅじょうぜさんむさべつ阿含経あごんきょうには苦空無常無我くくうむじょうむが

大集経だいしつきょうには染浄融通ぜんじょうゆうづう大品経だいぼんぎょうには混同無二こんどうむに双観経そうかんきょう観経かんよう

阿弥陀経等には往生極楽。此等これらの説教はみな正法・像法ぞうぼう・末法の一切衆

生をすくはんがためにこそとかれはんべり候けめ。

 しかれども仏いかんがおぼしけん、無量義経に「方便力ほうべんりきを以て四十余

年にはいまだ真実をあらわさず」と説かれて、先四十余年の往生極楽等の一

切経は親の先判せんぱんのごとくくひかえされて、「無量無辺不可思議阿僧祇劫むりょうむへnふかしぎあそうぎこう

を過ぐるともついに無上菩提をじょうずることを得ずといゐきらせ給ひ

法華経の方便品に重ねて「正直に方便を捨ててただ無上道を説く」と

とかせ給へり。方便をすてよととかれてはんべるは、四十余年の念仏等

をすてよととかれて候。

【現代語訳】

病気の見舞いと信心の勧め

 御病気であるとうかがいましたが、まことでしょうか。世の中は無常であり、病気で

はない人であっても生き続けることは困難であるのですから、まして病気の人は言うに

及びません。ただ、道心どうしんのある人は死後のことこそ思い定めておかなければなりませ

ん。

真実の教法

 また、来世のことを思い定めるには、自分のはからいだけではとても出来るものでは

ない。すべての人びとの本師ほんし(本当の師、根本の師)である釈尊の教えこそがその根本

となるものである。

 ところが仏の教えはさまざまにある。それは人びとの心がそれぞれ異なっており、そ

の異なった人びとに応じて仏は法を説かれたからである。

 しかしながら、釈尊の御一代の説法は50年である。そのうち、前の40余年間の法門に

は、華厳経の「心はたくみな画師えしのようにすべてのものを作る。心と仏と衆生とは皆同じ

で、この3つに異なりはない」という教え、阿含経の「すべてのものは苦であり、空で

あり、無常であり、無我である」という教え、大集経の「けがれた迷いときよい悟りとはゆう

づうして一体であるという教え大品般若経の迷いの苦界と悟りの仏界とはその本性

において一つである」という教え、観無量寿経・無量寿経・阿弥陀経などの「阿弥陀仏

誓願力せいがんりきによって極楽浄土に往生する」という教えがある。これらの教えは皆、仏入

滅後の正法時・像法時・末法時のすべての人びとを救うために説かれたのであろう。

 ところが仏はどのように思われたのか、無量義経に「方便の力用はたらきをもって40余年の間

はまだ真実を説き顕わさなかった」と説かれ、さきの40余年間に説かれた「極楽に往生す

る」などを内容とするすべての経典を、親の譲状ゆずりじょうの先判(親の譲状が複数ある時は日

付の新しいものが有効で古いものは無効とされるのように打ち消され、無量義経に、

それらの教えでは「永劫えいごうにわたって修行してもついに成仏することは出来ない」と言い

切り、法華経方便品には重ねて「正直に方便を捨てて、ただ真実無上の教えを説く」と

説かれている。「方便を捨てよ」と説かれているのは、40余年間に説かれた念仏などの

教えを捨てなさい、ということである。(つづく)

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【 2024/04/20 05:37 】

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法華経の女人 月水御書⑥

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

月水御書がっすいごしょ

 但し女人の日の所作は苦しかるべからずと覚え候歟。元より法華経を

信ぜざる様なる人々が、経をいかにしても云うとめんと思ふが、さすが

にただちに経を捨てよとは云えずして、身の不浄なんどにつけて、
法華

経を遠ざからしめんと思ふ程に、又不浄の時、此を行ずれば経を愚かに

しまいらするなんどをどして罪を得させ候也。
此事をば一切御心得候

て、月水の御時は七日までも其気の有ん程は、
御経をばよませ給はずし

て、暗に南無妙法蓮華経と唱させ給ひ候へ。
礼拝をも経にむかはせ給は

ずして拝せさせ給ふべし。

 又不慮に臨終なんどの近づき候はんには、魚鳥なんどを服せさせ給ふ

ても候へ。よみぬべくば経をもよみ、及び南無妙法蓮華経とも唱させ給

ひ候べし。又月水なんどは申すに及び候はず。

 又南無一乗妙典と唱させ給ふ事、是同じ事には侍れども、天親菩薩・

天台大師等の唱させ給ひ候しが如く、只南無妙法蓮華経と唱させ給べき

歟。
是子細ありてかくの如くは申し候也。穴賢穴賢。  

文永元年卯月十七日                 日蓮  花押   

大学三郎殿御内  御報

【現代語訳】

 ただし女性の一日の所作には差し支えないと思います。元より法華経を信じていない

ような人々が、法華経をなんとかして嫌わせようと思うが、さすがにただちに経を捨て

よとは言えないので、身の不浄などとかこつけて、法華経を遠ざけようと思うので、ま

た不浄の時これを行ずれば経をおろそかにすることとなるなどと脅して、罪を得させよ

うとするのです。この事を一切心得られて、月水の時は7日ほどもその気のある時は、

御経を読まれずに、暗唱して南無妙法蓮華経と唱えるようにすればよいでしょう。礼拝

も経に向かわずに拝みなさい。

 また不慮に臨終などが近づいた時には、魚や鳥などを食べておられる時でも、読める

ならば経を読み、そして南無妙法蓮華経とも唱えたらよいでしょう。また月水などは言

うに及びません。

 また南無一乗妙典と唱えられることは、これと同じ事ですが、※ 1親菩薩・天台大師等

が唱えられたように、ただ南無妙法蓮華経と唱えるべきです。これは詳細があるのでこ

のように申し上げるのです。穴賢穴賢。

文永元年卯月十七日                        日蓮  花押   

大学三郎殿※ 2内  ※ 3

【語註】

 
※1 天親菩薩:新訳(玄奘訳)では世親。現在は世親の名が用いられている。5世
            紀頃の北インドガンダーラの論師。瑜伽・唯識思想の大成者無著の肉弟として
            生れ、初めは小乗を信じ、カシミールに入って『大毘婆沙論』を研鑽したが後
            に無著の教化を受けて大乗に転じた。『十地経論』『摂大乗論釈』『仏性論』
           『涅槃論』『妙法蓮華経優婆提舎』(『法華論』)など多くの論釈を著した。
            小乗にいるとき500部、大乗において500部の著があるとされ、世に千部の論主
            と称される。日蓮は天親を、法華経の真髄を会得しながらも、仏滅後遠からぬ
            正法の世に、概して清善の機根の人々に対し、龍樹などと同じく、内には法華
            経の真髄を蔵しながら、外には権大乗の弘通を行った人としてとらえている。

 ※2 御内:手紙の宛名に添える言葉で、相手の妻、または一家全体にあてる場合に
            用いる。

 ※3 御報:身分の高い人に出す文書での返事を意味する。

【解説】

 この手紙の末尾に日蓮自ら、「大学三郎殿御内御報」と記しているように、鎌倉在住

の比企大学三郎能本の妻の質問に答えた手紙である。

 大学三郎は、鎌倉幕府の有力御家人であった比企能員の子で、四条金吾と並ぶ相模の

有力な信徒であり、龍口の法難の時は、命を賭して日蓮を護ることに奔走している。そ

のため、何らかの難に遭ったようだが、それも乗り越えて日蓮に帰依し続けた。

 その夫人からの質問は、①『法華経』の1部28品をすべて読誦すべきか、あるいは、

薬王品の1品を読誦すべきか、そして、②月水(月経)の時は読誦すべきか否かーの2

点にまとめてみることができよう。

 
①に対して日蓮は、方便品と寿量品の読誦、および南無妙法蓮華経を唱えることを勧

めている。

 ②について質問した夫人は、一度も「月水」という言葉を使わず、2回も「例の事」

という表現を用いている。それは、当時の女性たちの恥じらいだけでなく、忌み嫌われ

ているものを言葉で表現するのがはばかられるという意識の表われであろう。日蓮は、

6回も「月水」という語を用いていて、日蓮のほうは、何のとらわれもなく、あっけら

かんとしている。

 これまで、多くの女性が尋ね、多くの人が答えて来たけれども、一代聖教に月経を忌

み嫌う言葉がないからか、示されていない。そして、日蓮自身も、釈尊在世の女性修行

者たちが、月経の時だからと言って、忌み嫌われることはなかったと答える。

 そして、日蓮は月経について、①外からやってくる不浄(穢れ)ではない、②女性の

体に生理現象として現われる単なる変調、③生命の種を継承する原理に基づいたもの、

④体調が崩れるのは長病のようなものーだとして人体から排泄された屎尿と同じで

浄化して清潔にすれば、何の忌み嫌うこともないと結論する。これを読むと、日蓮の合

理的かつ道理にかなった思考を読み取ることが出来る迷信じみた発想は欠片もない。

 釈尊も徹底して迷信を排除していた。バラモン教の「穢れ」という観念を否定した。

旃陀羅【せんだら】と漢訳されたチャンダーラ(不可触民)は、排泄物や血液などの穢

れに触れるから、穢れているとされていたが、釈尊はこれを完全に否定した。

 迷信を徹底的に排除していた本来の仏教からすれば、月経は忌み嫌うことでも何でも

ない。生理現象の一つにすぎない。けれども現実的には、日本では身の回りに忌み嫌う

風習が根強い。そこで、日蓮は「随法毘尼」の考え方を提示する。仏教の根幹に抵触し

なければ地方、方面の生活習慣に随ってもいい、というものだ。日本国は神国として、

忌み嫌う人が多いのだから、それに敢えて逆らう必要はないとしつつも、日々の勤めに

は何の問題もないと言う。「其の気の有らん程」、すなわち体調が勝れない時には、無

理に経典を読まなければならないことはなく、「暗に南無妙法蓮華経と唱へさせ給ひ候

へ」という柔軟な思考を示している。
 
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【 2024/04/18 05:39 】

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法華経の女人 月水御書⑤

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

月水御書 がっすいごしょ

 又御消息の状に云く、日ごとに三度づゝ七の文字を拝しまいらせ候事

と、南無一乗妙典と一万遍申し候事とをば、日ごとにし候が、例の事に

成て候程は、御経をばよみまいらせ候はず。
拝しまいらせ候事も一乗妙

典と申し候事も、そらにし候は苦しかるまじくや候らん。それも例の事

の日数の程は叶うまじくや候らん。いく日ばかりにてよみまいらせ候は

んずる等云云。

 此の段は一切の女人ごとの御不審に常に問せ給ひ候御事にて侍り。又

いにしへも女人の御不審に付いて申したる人も多く候へども、一代聖教 しょうぎょう

にさして説れたる処のなきの故に、証文分明 ふんみょうに出したる人もおはせ

ず。

 日蓮ほぼ聖教を見候にも、酒肉五辛 ごしん婬事 いんじなんどの様に、不浄を分明に月

日をさしていましめたる様に、月水をいみたる経論を未だかんがへず候也。


世の時、多く盛んの女人尼になり、仏法を行ぜしかども、月水の時と申

して嫌はれたる事なし。

 是をもて推し量り侍るに、月水と申す物は外より来れる不浄にもあら

ず、只女人のくせ(癖)かたわ生死の種を継べきことわりにや。
長病 ながわずらい

様なる物也。例せば屎尿 しにょうなんどは人の身より出れども能く浄くなしぬれ

ば別にいみもなし。是のていに侍る事。されば印度・尸那 しななんどにもい

たくいむ(忌)よしも聞えず。

 但し日本国は神国也。此の国の習として、仏菩薩の垂迹 すいじゃく不思議に経

論にあひに(相似)ぬ事も多く侍るに、是をそむけば現に当罰あり。

委細に経論を勘へ見るに、仏法の中に随方毘尼 ずいほうびにと申す戒の法門は是に当

れり。此の戒の心は、いたう(甚)事かけ(欠)ざる事をば、少々仏教

にたがふとも其の国の風俗に違ふべからざるよし、仏一の戒を説き給へ

り。
此の由を知ざる智者共、神は鬼神なれば敬ふべからずなんど申す強

義を申して、多の檀那を損ずる事ありと見えて候也。若し然らば此の国

の明神、多分は此の月水をいませ給へり。
生を此国にうけん人々は大に

忌み給べき歟。

【現代語訳】
月水の時と申して嫌われることなし

 また御消息のお手紙には、日ごとに3度ずつ※ 1つの文字を拝しておられることと、※ 2

無一乗妙典と一万遍唱えることとを日ごとにしていますが、例の事になっている間は御

経は読みません。拝することも一乗妙典と唱えることも、暗唱することはよろしいので

しょうか。それも例の事の日数の間はいけないのでしょうか。何日ほどで読んだらよい

のでしょう、とあります。

 この件はすべての女性ごとの不審で、常に問われることでございます。また昔も女性

のご不審について申している人も多くおられます。

 ※ 3代聖教にさして説かれているところはありませんので、証文を明らかに出した人も

おりません。
日蓮がおおよその聖教を見たところ、酒肉・※ 4辛・※ 5事などのように、不

浄をはっきりと月日をさして禁じているように、※ 6水を忌む経論をいまだ検討していま

せん。

 釈尊が在世の時、多くの若い女性が尼になり、仏法を修行しましたが、月水の時とい

って区別はしておりません。このことから考えると、月水というものは外より来た不浄

でもなく、ただ女性特有のもので、生死の種を継ぐべき道理でしょう。また長い病のよ

うなものです。例えば屎尿などは人の身より出るが、よく清くさえすれば、別に嫌うも

のでもありません。これと同じことでしょう。従って
、インドや中国などでもそれほど

嫌うとも聞いていません。

 ただ、日本国は神国です。この国の習慣として、(神は)仏・菩薩の※ 7迹として不思議

なもので、※ 8論にあわないことも多くありますが、これに背けば現に罰があります。委

細に経論を考えますと、仏法の中の※ 9方毘尼という戒の法門がこれに当たります。この

戒の心は大きく違わなければ、少々仏教に違っていてもその国の風俗に違うべきではな

いと仏が一つの戒を説かれたのです。
このことを知らない智者たちは、神は鬼神である

から敬うべきではないなどという強硬な意見を言って、多くの檀那を損なうことがある

ようです。もしそうであるなら、この国の神々は、多分はこの月水を忌むので、生をこ

の国に受けた人々は大いに忌むべきでしょうか。(つづく)

【語註】

 ※1 7つの文字:南無妙法蓮華経の7文字のこと。

 ※2 南無一乗妙典:南無は、サンスクリット語のナマスの変化したナモーを音写し
            たもので、「~敬礼する・帰依する」の意味。その妙法蓮華経が、あらゆる人
            の成仏を可能とするする一乗一仏乗の教えを説く最勝の経典ということで、
           「一乗妙典」と置き換えて、「南無一乗妙典」としたのであろう。

 
※3 一代聖教:釈尊の一代で説かれたとされるすべての教え。

 ※4 五辛:辛味や臭気の強い5種類の野菜で、ねぎらっきょうにらにんにくはじかみのこ

        と。薑の代わりに野蒜のびるを挙げる経典もある。情欲・憤怒を増進する食べ物とし
            て、仏教では食べることが禁じられた。

 
※5 淫事:男女の交合のこと。

 ※6 月水:月経のこと。

 ※7 垂迹:仏教と神道とが結びついて生れた思想で,仏や菩薩が衆生を仏道に引き
            入れるために,かりに神々の姿となって示現すること。

 ※8 経論:三蔵の中の、律蔵を除く経蔵と論蔵。

 ※9 随方毘尼:仏法の根本の法理に違わない限りり、各国・各地域の風俗や習慣、
            時代ごとの風習を尊重し、随うべきであるとした教え。随方随時毘尼ともい
            う。毘尼はサンスクリットのヴィナヤの音写で、律(教団の規範・規則)の
            意。仏法では、正法という根本基準を立てた上で、成仏・不成仏という仏法の
            根本原理に関する事柄でなければ、世間一般の風俗・規範を尊重し用いてい
            く。
 
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【 2024/04/16 05:33 】

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法華経の女人 月水御書④

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

月水御書がっすいごしょ

 但し御不審の事法華経はいずれの品も先に申しつる様に愚かならねど

殊に二十八品の中に勝れてめでたきは方便品と寿量品にてはべり。余

品は皆枝葉にて候也。
されば常の御所作には、方便品の長行じょうごうと寿量品

の長行とを習い読せ給ひ候へ。又別に書き出してもあそばし候べく候。

余の二十六品は身に影の随ひ、玉に財の備はるが如し。
寿量品・方便品

をよみ候へば、自然に余品はよみ候はねども備はり候なり。

 薬王品・提婆品は女人の成仏往生を説れて候品にては候へども、提婆

品は方便品の枝葉。薬王品は方便品と寿量品の枝葉にて候。
されば常に

は此の方便品・寿量品の二品をあそばし候て、余の品をば時々御いとま

のひまにあそばすべく候。

【現代語訳】

二十八品の中に勝れためでたきは※ 1便品と寿※ 2量品

 ところで、ご不審に思われていることについて申し上げる。法華経はどの品も先に申

したように大事ではあるが、とくに28品の中で勝れており、立派であるのは方便品と寿

量品です。他の品はみな枝葉です。従って、日常の行ないとしては方便品の※ 3行と寿量

品の長行とを習い読んでください。また別に書き出してもよいでしょう。余の26品は、

身に影がしたがい、玉に財が備わるようなものです。寿量品・方便品を読まれたら自然

に他の品は読まなくても備わります。

 薬王品・※ 4婆品は女性の成仏往生を説かれている品ですが、提婆品は方便品の枝葉で

あり、薬王品は方便品と寿量品の枝葉なのです。従って、常にはこの方便品・寿量品の

2品を読まれて、他の品は時々時間のあるときに読んでください。(つづく)

【語註】

 ※1 方便品:『法華経』方便品第のことで、あらゆるものごとの真実の在り方(諸
            法実相)を明かし、これまで成仏できないと非難されてきた小乗仏教の出家者
            を代表して、あらゆる人の成仏が可能であることが明かされる。

 ※2 寿量品:『法華経』如来寿量品第16のことで、釈尊が40数年前ではなく、天文
            学的な遥かな過去(久遠)において成道していて、それ以来、いろいろな国土
            にそれぞれの名前の如来として出現し説法し、娑婆世界で説法教化してきたこ
            とが明かされる。

 ※3 長行:経典は、散文と韻文から成っており、散文の箇所を長行、韻文を偈とい
            う。

 ※4 提婆品:『法華経』提婆達多品第12のことで、悪人の提婆達多と、女人の龍女
            の成仏が明かされている。

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【 2024/04/13 05:31 】

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法華経の女人 月水御書③

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

月水御書がっすいごしょ

 法華経に於ては、仏自ら一句の文字を「正直に方便を捨てて但だ無上

道を説く」と定めさせ給ぬ。
其の上、多宝仏大地より涌出させ給て、妙

法華経皆是真実と証明を加
へ、十方の諸仏皆法華経の座にあつまりて、

舌を出して法華経の文字は
一字也とも妄語なるまじきよし助成をそへ給

へり。
譬へば大王と后と長者等の一味同心に約束をなせるが如し。

 若し法華経の一字をも唱へん男
女等十悪五逆四重等の無量の重

業に引れて悪道におつるならば
月は東より出させ給はぬ事はありと

大地は反覆する事はありとも大海の潮はみちひぬ事はありとも、

われたる石は合うとも、
江河の水は大海に入らずとも、法華経を信じたる

女人の、世間の罪に引れて悪道に堕
る事はあるべからず。

 若し法華経を信じたる女人、物をねたむ故、腹のあしきゆへ、貪欲とんよく

深きゆへなんどに引れて悪道に堕るならば、釈迦如来・多宝仏・十方の

諸仏、
無量曠劫こうごうよりこのかた持ち来り給へる不妄語戒たちまちに破れて、

調達が虚誑罪こおうざいにも勝れ、瞿伽利くぎゃりが大妄語にも超えたらん。いかでかしかるべ

きや。
法華経をたもつ人たのもしく有がたし。但し一生が間一悪をも犯さず、

五戒・八戒・十戒・十善戒・二百五十戒・五百戒・無量の戒を持ち、一

切経をそらに浮べ、一切の諸仏菩薩を供養し、無量の善根をつませ給と

も、
法華経ばかりを御信用なく、又御信用はありとも諸経諸仏にも並べて

おぼし、又並べて思し食さずとも、他の善根をばひまなく行じて時々法

華経を行じ、法華経を用ひざる謗法ほうぼうの念仏者なんどにも語らひをなし、

法華経を末代の機に叶はずと申す者をとがとも思し食さずば、一期の間行

させ給ふ処の無量の善根もたちまにうせ、並に法華経の御功徳もしばらく隠れ

させ給て、
阿鼻大城に堕させ給はん事、雨の空にとゞまらざるが如く、

峰の石の谷へころぶが如しと思し食すべし。十悪五逆を造れる者なれど

も、法華経にそむく事なければ、往生成仏は疑なき事にはべり。

 一切経をたもち、諸仏菩薩を信じたる持戒の人なれども、法華経を用

る事無ければ、悪道に堕つる事疑ひなしと見えたり。予が愚見をもて近

来の世間を見るに、多くは在家・出家・誹謗の者のみあり。

【現代語訳】

法華経を信じたる女人の、悪道に堕る事はあるべからず

 法華経においては、仏は自ら一句の文字を正直に方便を捨てて、ただ無上道を説く

と定められました。その上、多宝仏が大地から涌き出て来られて「妙法華経皆是真実」

と証明を加え、十方の諸仏は皆法華経の座に集まって舌を出して、法華経の文字は一字

たりとも妄語ではないと助証を添えられました。例えば、大王と后と長者等の一味が同

じ心で約束をされたようにです。

 もし法華経の一字でも唱える男女等が、※ 1悪・※ 2逆・※ 3重等の無量の重業に引かれて

悪道に堕ちるならば太陽や月が東より出なくなっても大地が反覆する事があっても、

大海の潮の満ち引きがなくなっても、割れた石が元通りになろうとも、大河の水が大海

に入らないようになっても、法華経を信じる女性が世間の罪に引かれて悪道に堕ちる事

はありません。

 もし法華経を信じる女性が、物をねたむゆえに、意地が悪いために、貪欲が深いゆえ

に、などに引かれて悪道に堕ちるならば、釈迦如来・多宝仏・十方の諸仏が※ 4量曠劫よ

りこのかた持ち続けてきた不妄語戒は、たちまちに破れて、※ 5婆達多の※ 6誑罪よりも勝

れ、※ 7伽利の大妄語をも超えるでしょう。どうしてそのようなことがあるでしょう。


華経を持つ人はたのもしく有り難いのです。
ただし一生の間、一悪も犯さず、五戒・八

戒・十戒・十善戒・二百五十戒・五百戒・無量の戒を持ち、一切経を暗唱し、一切の諸

仏・菩薩を供養し、無量の善根を積んだとしても、法華経を信用せず、また信用はして

も諸経・諸仏と同じであると思ったり、並べて思わなくても他の善根を常に行じて、時

々法華経を行じたり、法華経を信じない謗法の念仏者などと語りあい、法華経は末代の

機にはあわないという者を罪とも思わなければ、一生の間に修行した無量の善根もたち

まちに消え失せ、法華経の功徳もしばらく隠れてしまい、阿鼻大城に堕ちることは、雨

が空にとどまらないように、峰の石が谷へ転げ落ちるようなものであると思いなさい。

十悪・五逆を造った者であっても、法華経に背く事がなければ、往生成仏は疑いのない

事なのです。

 一切経をたもち、諸仏・菩薩を信じる持戒の人でさえ法華経を用いる事が無ければ悪

道に堕ちる事は疑いなしとあります。わたしが愚見をもって近年の世間を見れば、多く

が在家・出家ともに誹謗の者ばかりです。(つづく)

【語註】

 ※1 十悪:10種の悪のこと。①殺生(人畜等一切の生命をもつものの生命を奪う
            こと。また人の命を縮めたり、間接的に殺すこと)、②偸盗(他人の物を盗む
        こと、また贅沢をすれば余分に物をとり、人に不自由をかけるから一種の盗と
            なる)、③邪婬(自分の色欲を満たすため他人に迷惑をかけること)、④妄語
          (嘘をつくこと)、⑤綺語(無意味に飾り立てた不誠実な語言)、⑥両舌(人の
            仲を隔てる二枚舌)、⑦悪口(人の悪いことを吹聴すること)、⑧貪欲(貧る
            という迷妄の心)、⑨瞋恚(怒る心、わがままな心)、⑩愚癡または邪見(よ
            こしまな見解)。

 
※2 五逆:無間地獄に堕ちる5種の根本重罪をいう。①殺父(父を殺すこと)②殺
            母(母を殺すこと)③殺阿羅漢(悟りを得た聖者を殺すこと)④破和合僧(僧
            団を破壊すること)⑤出仏身血(生身の仏陀の身より血を出すこと)の5つ。 

 
※3 四重:四重罪のこと。殺生・偸盗・邪淫・妄語の4つの重罪。

 ※4 無量曠劫:始めがわからないほどの遠い過去。

 ※5 提婆達多:斛飯王の子で阿難の兄、釈尊の従弟にあたる。釈尊に従って出家し
            たが嫉妬我儘の心があり、大衆を誘惑して新教団をつくり、阿闍世王とともに
            釈尊に敵対して種々の危害、三逆罪(出仏身血、殺阿羅漢、破和合僧)を犯し
            た。その結果、遂に提婆達多は生きながらにして地獄に墜ちたとされる。

 ※6 虚誑罪:妄語のこと。悪心をもって故意に人を欺き、悪道に堕とそうとする
            罪。

 ※7 瞿伽利:釈迦族の出身で、浄飯王の命令によって出家し、釈尊の弟子となる
            が、後に提婆達多の徒となる。舎利弗、目連の所行を故意に誹謗して止めず、
            釈尊は再三にわたって責めたが、瞿伽利はこれを聞き入れず、ついに、その報
            によって生きながら地獄に堕ちたという。

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【 2024/04/11 08:43 】

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法華経の女人 月水御書②

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

月水御書がっすいごしょ

 然るに如来の世に出させ給て候し国よりしては、二十万里の山海をへ

だてゝ、東によれる日域辺土の小嶋にうまれ、五障の雲厚うして、三従

のきづなにつながれ給へる女人なんどの御身として、法華経を御信用候

は、ありがたしなんどとも申すに限りなく候。

 およそ一代聖教をひらき見て、顕密二道を究め給へる様なる智者学匠だに

も、近来は法華経を捨て念仏を申し候に、何なる御宿善ありてか、此の

法華経を一偈一句もあそばす御身と生れさせ給けん。

 されば此の御消息を拝し候へば優曇華うどんげを見たるまなこよりもめづらし

一眼の亀の浮木の穴にへるよりも乏き事かなと、心ばかりは有り

がたき御事に思まいらせ候間、
一言一点も随喜の言を加て、善根の余慶

にもやとはげみ候へども、只恐くは雲の月をかくし、塵の鏡をくもらす

が如く、短くつたなき言にて、殊勝にめでたき御功徳を申し隠し、くもらす

事にや候らんと、いたみ思ひ候ばかり也。

 然りと云ども貴命きめいもだす黙止べきにあらず。一滴を紅海に加へ

爝火しゃっかを日月にそへて、水をまし光を添ふるとおぼすべし。

 づ法華経と申すは八巻・一巻・一品・一偈乃至題目を唱ふるも、功

徳は同じ事と思し食すべし。譬へば大海の水は一滴なれども無量の江河

の水を納めたり。
如意宝珠にょいほうじゅは一珠なれども万宝をふらす。百千万億の

滴珠てきじゅも又これ同じ。法華経は一字も一の滴珠の如し。
乃至万億の字も又

万億の滴珠の如し。諸経諸仏の一字一名号は、江河の一滴の水、山海の

一石の如し。一滴に無量の水を備へず、一石に無数の石の徳をそなへも

たず。
若し然らば、此の法華経はいずれの品にても御坐おわしませ、只御信用

御坐おわさん品こそめづらしくは候へ。

 総じて如来の聖教は、何れも妄語の御坐すとは承り候はねども、再び

仏教を勘へたるに、如来の金言の中にも大小権実顕密ごんじつけんみつなんど申す事、

経文より事起て候。随て論師人師の釈義にあらあら見えたり。

 詮を取て申さば、釈尊の五十余年の諸教の中に、先四十余年の説教は

猶うたがはしく候ぞかし。仏自ら無量義経に、四十余年未顕真実と申す

経文まのあたり説かせ給へる故也。

【現代語訳】

法華経は一字も一の滴珠の如し

 ところが、如来が世に出現された国からは20万里の山海をへだてた東にある日本とい

う辺土の小島に生まれ、※ 1障の雲が厚く※ 2
従の絆につながれた女性の御身として、法華

経を御信用されることは有り難いことで、どのように申してもきりがありません。

 そもそも一代聖教を開き見て、※ 3密の二道を究められたような智者や学匠でさえ、近

ごろは法華経を捨てて念仏を称えているのに、何なる御宿善があってこの法華経を一偈

一句も唱える御身と生まれてこられたのか。 

 それゆえこの御消息を拝見したら、※4曇華を見た眼よりも珍しく、※ 5眼の亀が浮木の

穴に値うよりも稀れなことかと、心より尊いことであると思いましたので、一言一点で

も随喜の言葉を加えて、善根の余慶にもなるようにと励みましたが、ただ恐らくは雲が

月をかくし、塵が鏡をくもらすように、短く拙いことばで殊勝にめでたい御功徳を隠し

て曇らせる事になるのではと痛みいる思いでございます。

 しかしながら、お尋ねに対して黙っているわけにもまいりませんので、一滴を大海に

加え、火を太陽や月に添え、水を増し光を添えると思っていただきたい。

 まず法華経というのは、8巻・1巻・1品・1偈・1句から、題目を唱えるのも功徳

は同じ事と思ってください。たとえば大海の水は一滴であっても無量の大河の水を納め

ています。如意宝珠は一つの珠であっても万宝をふらします。百千万億の滴や珠もまた

これ同じで、法華経は一字でも一つの滴珠のようなのです。そして万億の字もまた万億

の滴珠のようなものです。

 他の経や諸仏の一字一名号は大河の一滴の水山海の一石のようなものです一滴に

無量の水を備えておらず、一石に無数の石の徳を備えもっていません。したがってこの

法華経は何れの品であってもただ信用される品が尊いのです。

 総じて如来の聖教は何れも妄語があるとは聞いておりませんが、再び仏教を考えてみ

ると、如来の金言の中にも※ 6と小・※ 7と実・顕と密などということが経文から起こって

おります。従って学者や人師の釈義におおよそ見えています。肝心を取って言えば、釈

尊の50年余りの諸教の中で先の40年余りの説教は疑わしいのです。仏が自ら無量義経に

「40年余りは未だ真実を顕さず」という経文を明らかに説かれているからです。

(つづく)

【語註】

 ※1 五障:女性がもっている5種の障害。女性は梵天王、帝釈・魔王、転輪聖王、
            仏身の五つになれないとするもの。『法華経』提婆品の竜女成仏段に見られ、
            舎利弗が女人は汚れていて法器に非ずと難じ、更に五障をあげて難じている。
            これに対して竜女は、事実の即身成仏を現じて難に答える。

 ※2 三従:中国で女性の生涯を通じての従属的地位を表した道徳的教え。『礼記』
            など儒学の古典に根拠をもち、婦人は〈いまだ嫁せずして父に従い、すでに嫁
            して夫に従い、夫死して子に従う〉べきものとされた。

 ※3 顕密:顕教と密教。顕教は広く民衆に向かって開かれ、その世界観を明瞭な言
            葉で説くが、密教は真言宗のように、自己を非公開的な教団の内に閉鎖し、秘
            密の教義と儀礼を師資相承によって伝持しようとする。

 ※4 優曇華:球状をしたいちじく科の樹、またはその花、果実をいう。この花は
            3000年に一度だけ咲くといい、如来が下生する時、あるいは転輪聖王が出現す
            る時に咲くといわれる。この木は花なくして実を結ぶともいわれ、経典・論書
            には稀有なこと、あいがたいことをたとえるのに使われ、『法華経』方便品で
            は、諸仏が法華経を説くことは、優曇鉢の華が一度だけ咲くようなものである
            と説かれている。

 ※5 一眼の亀:仏や仏の説く正法に巡り合うことがいかに難しいかを示す譬えに登
            場する亀。『法華経』妙荘厳王本事品第27には「仏に巡り合うことが難しいの
            は、一眼の亀が浮き木の穴に巡り合うのと変わらない」とある。日蓮は「松野
            殿後家尼御前御返事」に、次のように説明している。深海の底に一匹の亀がい
            た。眼は一つしかなく、手足もひれもない。腹は鉄が焼けるように熱く、背の
            甲羅は雪山(ヒマラヤ)のように冷たい。1000年に一度しか海面に上がること
            ができない。この亀の願いは海面で栴檀の浮き木に巡り合い、その木の穴に入
            って腹を冷やし、甲羅を日光で温めることである。しかし、亀の体にあった穴
            がある栴檀の浮き木に巡り合う可能性はないに等しい。もし巡り合ったとして
            も亀は浮き木を正しく追うことができない。人々が法華経に巡り合い受持して
            いくことは、この一眼の亀が栴檀の浮き木に巡り合うのと同じくらい難しいと
            説かれる。この話は、「盲亀浮木」の譬えともいう。

 ※6 大と小:大乗仏教と小乗仏教。

 ※7 権と実:権教と実教。権教は仏が衆生を実教に導き入れるために、衆生の受容
            能力に応じて説いた権【かり】の教え、経典のこと。実教は仏が自らの覚りを
            そのまま説いた真実の教え、経典のことで、天台宗の教判では、法華経のみを
            実経と位置づける。

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【 2024/04/09 05:37 】

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法華経の女人 月水御書①

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

月水御書がっすいごしょ

文永元年(1264)4月17日、43歳、於鎌倉、和文

 鎌倉幕府で儒学を教授する儒官であった比企大学三郎能本の夫人が、『法華経』読誦の在り方や、月水(月経)の時のその心構えなどについて質問してきたことに対して答えた手紙。

 伝へ承はる御消息の状に云く、法華経を日ごとに一ぽんづつ、二十八日

が間に一部をよみまいらせ候しが、当時は薬王品やくおうぼんの一品を毎日の所作しょさ

にし候。ただもとの様に一品づつをよみまいらせ候べきやらんと云云うんぬん

 法華経は一日の所作に一部八巻二十八品或は一巻或は一品

一句・一字、或は題目ばかりを南無妙法蓮華経と只一遍となへ、或は又

一期の間に只一度となへ
或は又一期の間にただ一遍唱るを聞て随喜

或は又随喜する声を聞て随喜し、是体これていに五十展転てんでんして末になりな

ば志もうすくなり、随喜の心の弱き事、二三歳の幼穉ようちの者のはかなきが

如く、
牛馬なんどの前後をわきまへざるが如くなりとも、他経を学する人の

利根にして智慧かしこく、舎利弗・目連・文殊・弥勒の如くなる人の、

諸経を胸の内にうかべて御坐まさん人々の御功徳よりも、勝れたる事百

千万億倍なるべきよし、経文並に天台・妙楽の六十巻の中に見え侍り。

されば経文には「仏
の智慧を以て多少を籌量ちゅうりょうすとも其の辺を得ず」と

説れて、仏の御智慧すら此の人の功徳をばしろしめさず。

 仏の智慧のありがたさは、此の三千大千世界に七日、若は二七日なん

どふる雨の数をだにもしろしめして御坐候なるが、只、法華経の一字を

唱へたる人の功徳をのみしらしめさずと見えたり。いかいわんや、我等逆罪の

凡夫の此の功徳をしり候なんや。

 然りと云へども如来滅後二千二百余年に及で、五濁さかんになりて年

久し。事にふれて善なる事ありがたし。
たとひ善を作人も一の善に十の悪

を造り重ねて、結句は小善につけて大悪を造り、心には大善を修したり

と云ふ慢心を起す世となれり。

【現代語訳】
一部読誦か、一品読誦か?

 ことづけられた御消息のお手紙に、「『法華経』28品を1日に1※ 1ずつ、28日間に1

※ 2部を読誦しておりましたが、現在は※ 3王品の1品を毎日の日課としております。ただ、

もとのように1品ずつを読むべきでしょうか?」とありました。

 法華経は1日の勤めとして、1部8巻・28品、あるいは1巻、あるいは1品・1偈

・1句・1字、あるいは題目だけを南無妙法蓮華経とただ1遍唱えたり、また一生の間

にただ1度唱えたり、また一生の間にただ1遍唱えるのを聞いて随喜したり、また随喜

する声を聞いて随喜し、このように※ 4十展転して、終わりになれば志も薄くなり、随喜

の心の弱き事が2、3歳の幼い者のはかないように、また牛や馬などが前後をわきまえ

ないのと同じようにはかなくなっても、他経を学ぶ人が利根で智慧もかしこく、舎利弗

・目連・文殊弥勒のような人で諸経を胸の内にうかべておられる人々の御功徳よりも、

勝れていることが百千万億倍であると、経文並びに天台・妙楽の60巻の中に明かされて

います。

 したがって経文には「仏の智慧をもって多少を籌量(考え量る)ともその辺を得ず」

と説かれており、仏の智慧ですらこの人の功徳を知ることはできません。仏の智慧のあ

りがたさは、この三千大千世界に7日、もしくは14日間など降る雨の数でさえもご存じ

であるがただ法華経の1字を唱える人の功徳は知ることが出来ない、と経文にありま

す。まして我ら逆罪の凡夫がこの功徳を知る事は出来ません。

 しかしながら、如来滅後2200年余りに及んで、五濁が盛んとなって年も久しい。何事

につけても善いことは珍しい。たとえ善を作る人も1つの善のために10の悪を作り重ね

て、結局は小善のために大悪をつくり、心では大善を修したという慢心を起こす世とな

ってしまった。(つづく)

【語註】

 ※1 品:パリヴァルタを漢訳したもので、仏典の「章」のこと。

 ※2 1部:書物などの「ひとまとまり」「ひとそろい」の意味で、ここでは8巻・
          28品からなる『法華経』の全体を指す。

 ※3 薬王品:『法華経』薬王菩薩本事品第23のことで、薬王菩薩の過去の因縁が説
           かれている。それに付随して、女人が男子になって阿弥陀如来の極楽浄土に往生
           するということも説かれているが、後世、浄土教の思想を混入させたもので、
          『法華経』の思想とは言えない。

 ※4 五十展転:『法華経』随喜功徳品第18に説く。仏の教えを聴聞し随喜したもの
            が自分の力に応じて語り伝えると、それを聞いた人が更に他の人に伝える。こ
            のようにして次へ次へと第50人目の人にまで及んだとする。このようにして展
            転した時の50人目の人の聞経随喜の功徳ですら莫大なものである、とする。

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【 2024/04/06 05:39 】

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法華経の女人 四条金吾殿女房御返事③

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

四条金吾殿女房御返事しじょうきんごどのにょうぼうごへんじ

 ただし信心のよはきものをば、法華経を持つ女人なれどもすつるとみ

へて候ふ。れいせば大将軍心ゆわければしたがふものもかいなし。ゆみ

ゆわければ、つるゆるし。風ゆるなればなみちひさきはじねんのだうり

なり。

 しかるにさゑもん(左衛門)どのは俗のなかには日本にかたをならぶ

べき物もなき法華経の信者なり。これにあひつ(連)れさせ給ひぬるは

日本第一の女人なり。法華経の御ためには竜女とこそ仏はをぼしめされ

候ふらめ。「女」と申す文字をば「かかる」とよみ候ふ。藤の松にかか

り、女の男にかかるも、今は左衛門殿を師とせさせ給ひて、法華経へみ

ちびかれさせ給ひ候へ。

 また三十三のやくは転じて三十三のさいはひとならせ給ふべし。

「〔七難即ち滅し、七福即ち生ぜん〕」とはこれなり。年はわか(若)

うなり、福はかさなり候ふべし。あなかしこ。あなかしこ。


正月二十七日
                         日 蓮 花押

四条金吾殿女房御返事

【現代語訳】

 ただし、法華経を受持する女性は仏・神が守ってくださるといっても、信心が弱くて

は見捨てられてしまうようです。たとえば、大将軍が臆病だと従卒たちの意気は揚がら

ないでしょう。弓が弱いと弦はゆるみます。風が静かならば波が小さいというのは当然

の道理です。そのように、何でも弱いものには強い支援は期待できません。

 ところが、左衛門殿(四条金吾)は、在俗の人の中では日本に肩を並べる者がいない

ような堅固な法華経の信者です。そういう人を伴侶となさっていらっしゃるあなたは日

本第一の勝れた女性です。法華経のおかげで成仏をした竜女に当たる方だと、仏はお思

いになっていらっしゃるでしょう。「妻」という文字は「かかる」と読みます。藤が松

にかかって美しい花を咲かせるように、妻は夫の助力によって万全であるものですか

ら、あなたは左衛門殿を師とお頼みになって、法華経の信仰の世界に導いていただきま

すように。

 また、あなたがご心配になっていらっしゃる33歳の厄は、転じて33の幸いとおなりに

なるでしょう。仁王経の受持品に記されている、「7つの災難がたちまち消滅し、7つ

の幸福がたちどころに生起する」という一節の通りです。年齢は若くなり、幸福は増す

に違いありません。あなかしこ。あなかしこ。

正月二十七日                          
日 蓮  花押

四条金吾殿女房御返事

【解説】

 この手紙は、文永12年(1275)1月27日に書かれたものである。この1年程前の3

月に日蓮は佐渡流罪を許され、4月に侍所所司の平頼綱(平左衛門尉)と対面し、再度

の諌暁と行なうも、聞き入れられず、日蓮は5月17日に身延に入山した。

 四条金吾の身辺が本格的に物騒になるのは、その2年後の建治3年(1277)6月の桑

ケ谷問答以後のことであり、このころはまだ落ち着いていたようである。

 四条金吾の妻は33歳の厄年に当たることで日蓮に供養の品々を届けたそれに対し

て、日蓮は『法華経』を受持する者は、一切衆生の主であり、なかんずく『法華経』を

受持する女性は、一切の女性に勝れているのみならず、一切の男性にも優れていると論

じている。

 そして、仏教以外の外典や、『法華経』以外の一切経で女性を酷評する言葉として、

「女人をは地獄の使と定められ」「大蛇ととかれ」「まがれ木のごとし」「仏種をいれ

る者」といった言葉を列挙する。日蓮の著作には、女性を蔑視したこうした表現が各種

の経典から多数、引用・列挙されている。このような言葉を見ていると、確かに日蓮の

言う通り、「法華経より外の一切経をみ候には、女人とはなりたくも候はず」という思

いになってくる。

 仏教は、果たして女性差別の宗教だったのか?否、である。釈尊自身は女性も在家も

差別することはなかった。ところが、釈尊滅後において女性や、在家の差別が著しくな

ってくる。それは、釈尊滅後100年ごろの教団分裂に始まり、男性・出家者中心主義と

化した教団の権威主義化と併行して進行していった。その教団は、小乗仏教と
貶称され

た。

 その反省として、紀元前後に女性の地位回復を図る大乗仏教が登場するが、完全

に差別思想を脱却していないところもあったようだ。その両者の差別思想と、対立

を止揚する課題を負って、『法華経』が登場した。あらゆる人が成仏できることを

主張する『法華経』において、女性の成仏も主要なテーマとして論じられた。

 小乗仏教化する以前の釈尊の生の言葉に近い原始仏教の教えがスリランカから日

本にもたらされたの明治期であり日蓮はそれを見ることはなかったところが

日蓮は女性の名誉回復を図る『法華経』を正しく受け止めて、『法華経』を信奉す

る女性たちに機会あるごとに語って聞かせた。この手紙も、世間で言われる厄年に

対する四条金吾の妻の不安に応える形で、『法華経』の女性を讃嘆する言葉を挙げ

て、激励している。

 極端に言えば、厄年という通説などにとらわれる必要はないと言わんばかりであ

る。


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【 2024/04/04 05:42 】

日蓮聖人の手紙 法華経の女人  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |

法華経の女人 四条金吾殿女房御返事②

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

四条金吾殿女房御返事しじょうきんごどのにょうぼうごへんじ

 日蓮、法華経より外の一切経をみ候ふには、女人とはなりたくも候は

ず。或る経には女人をば「地獄の使」と定められ、或る経には「大蛇」

ととかれ、或る経には「まがれ木」のごとし、或る経には「仏の種をい

(熬)れる者」とこそとかれて候へ。仏法ならず外典げてんにも;栄啓期えいけいきと申

せし者の、三楽をうたいし中に、「無女楽むじょらく」と申して天地の中に女人と

生ざる事を楽とこそたてられて候へ。

 わざわい三女よりをこれりと定められて候ふに、この法華経ばかり

に、「この経を持つ女人は一切の女人にすぎたるのみならず、一切の男

子にこえたり」とみへて候ふ。

 せんずるところは一切の人にそしられて候ふよりも、女人の御ために

は、いとを(愛)しとをもわしき男にふびんとをもわれたらんにはすぎ

じ。一切の人はにくまばにくめ。釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏ないし梵

王・帝釈・日・月等にだにも、ふびんとをもわれまいらせなば、なにく

るし。
法華経にだにもほめられたてまつりなば、なにかたつましかるべ

き。

 今三十三の御やくとて、御ふせをくりたびて候へば、釈迦仏・法華

経・日天の御まえに申しあげ候ひぬ。人の身には左右のかた(肩)あ

り。このかたに二つの神をはします。一をば同名神どうみょうしん、二をば同生神どうしょうしん

と申す。この二つの神は梵天帝釈月の人をまほらせんがために

母の腹の内に入りしよりこのかた一生をわるまで、影のごとく眼のごと

くつき随ひて候ふが、人の悪をつくり善をなしなむどし候ふをば、つゆ

ちりばかりものこざず、天にうた(訴)へまいらせ候ふなるぞ。華厳経

の文にて候ふを止観の第八に天台大師よませ給へり。
 
【現代語訳】
「法華経」以外の経の女性軽視

 私が法華経以外の一切経を拝読したかぎりでは、女性になる気はまったく起こりませ

ん。ある経には女性を「地獄の使者」であると決めつけており、ある経には女性は「毒

蛇」であると説かれ、ある経には「曲がった木」のように始末におえないとあり、ある

経には「仏になるたねってしまったもの」だと説かれています。仏典だけでなく、一

般の書物にも、むかし※ 1啓期という者が人生の3つの安楽について歌った中に、「無女

楽」といって、広い生物界の中で女性に生まれないことを一つの安楽とお定めになりま

した。

 さらに、災厄の原点は、けつ王・いんちゅう王・しゅうゆう王の欲情を誘って亡国に導い

妹喜ばっき姐己だっき褒姒ほうじの三女性にあるとまでいわれて、どこを見ても女性は悪者扱いされ

ているのです。ところが法華経だけはそうではなくて、「この経を受持する女性は、他

の女性たちを越えるばかりでなく、すべての男性よりもなお勝れている」と認めていま

す。

法華経にほめられなば何か苦しかるべき

 結局こういうことなのです。女性にとっては、まわりのみんなに悪く言われているよ

りも、愛しいと思っている男性に好ましいと思われるに勝るkとはありません。そのよ

うに、すべての人が憎むというなら憎むにまかせましょう。ただ、釈尊・※ 2宝如来※ 3

方世界の諸仏から梵天王帝釈天日天月天らの神々さえが「愛しい者よ」とお思い

くださるならば、何の辛いことがありましょうか。法華経にさえほめられるならば、

どうして肩身の狭いことがありましょうか。

33の厄は転じて33の幸いとなるべし

 このたび33歳の厄年ということで、御布施をお送りいただきましたので、釈迦仏・法

華経・日天の御前に厄除けのご祈願をいたしました。そもそも人体には左右の肩があり

ますが、それぞれの肩に神がいらっしゃいます。一は※ 4名神、もう一は同生神と申しま

す。この二神は、梵天・帝釈天・日天・月天が人を守らせるために、その人が母の胎内

に宿った当初から生まれて一生を終わるまで、影のように、あるいは目のように付き添

っていまして、その人が悪事をはたらいたり善行を積んだりしたことを、露塵つゆちりほども残

さず天神に報告なさるのですよ。これは華厳経の入法界品の説について、天台大師が※ 5

訶止観の第8でくわしく解説なさっていることです。(つづく)


【語註】

 ※1 栄啓期:栄啓期は中国周代の人。栄啓期はこの世の楽しみとして、①人間とし
            て生まれたこと、②男として生まれたこと、③90歳まで生きたことーの3つを
            説いたという。この3つを三楽という。

 ※2 多宝如来:『法華経』見宝塔品で、『法華経』の説法が行われる所に宝塔とと
            もに出現し、説法の真実を証明し讃歎することを誓願していた過去仏。釈尊と
            多宝の二仏が並んで、釈尊滅後の弘通を付嘱する説法が展開されている。

 ※3 十方世界の諸仏:『法華経』見宝塔品で多宝仏の宝塔を開くに当たって四方・
            八方・十方から招集された諸仏。

 ※4 同名神、同生神:同名天、同生天のこと。人が生まれるとともに常にその人
            の両肩にいて、善悪の行為を記録して報告する神だとされる。

 ※5 摩訶止観:天台大師智顗の三大部の一つ。その第8に「城の主、剛ければ守る
            者強く、城の主が怯えれば守る者忙し。同名同生天は、これ神にして、よく人
            を守護す。心固ければすなわち強し。身の神、なおしかり」とある。

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テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2024/04/02 05:31 】

日蓮聖人の手紙 法華経の女人  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |
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