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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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ブッダの弟子たち その9


ブッダを知りませんか?

プンナ (富楼那【ふるな】)

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中村晋也作『薬師寺・釈迦十大弟子』

 プンナは正しくはプンナ・マンターニプッタといい、漢訳では富楼那弥多羅尼子【ふるなみたらにし】。彼はコンダンニャ長老の生まれ故郷であるドーナヴァットゥという村に生まれた。コンダンニャはブッダの最初の説法(初転法輪【しょてんぼうりん】)を聞いた5人の修行者の一人で、最初に覚ったといわれている。この時ブッダが喜んで、「アンニャー・コンダンニャ」(コンダンニャが覚った)と叫んだことから、以後はアンニャー・コンダンニャと呼ばれるようになった。プンナのお母さんはこのコンダンニャの妹で、マンターニという名前だ。もう気がついた?そうだね、サーリプッタの時に話したけど、プッタは子供のこと。だから、プンナの正式名は「マンターニの子のプンナ」ということだ。ああ、そうそう。ブッダが師事したウッダカ・ラーマプッタという仙人もいたよね。 

 プンナの出身地についてはスナーパランタ国のスッパーラカという説もある。スッパーラカはインド西海岸のムンバイの北にあったとされる古代の貿易都市だ。お父さんは裕福な貿易商で、プンナはお父さんが召使いの女性に産ませた子供だったそうで、両親の愛に恵まれずに育った。そんな訳だから、お父さんが死んだ時にプンナは何一つ財産を分けてもらえずに家から放り出され、身一つで貿易に仕事に乗り出したと言われている。
 
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 苦労して育った彼は人の気持ちをよくくみ取ることが出来たし、商才にも長けていたので、やがて海洋貿易で巨万の富を築いたそうだ。当時のインドの貿易商人は、メソポタミアまで出かけて交易していたと言われているから、さしずめプンナは古代版の船乗りシンドバッド だ。ちなみにシンドバッドって、アラビア語で「インドの風」という意味だよ。


 7度目の航海の時のことだ、彼の商船に乗り合わせていたコーサラ国のシュラヴァスティーから来た商人たちが朝晩に何か歌のようなものを歌っている。面白い歌だなと思ってプンナが何の歌か聞いてみた。そしたら、「これは歌じゃなくて、ブッダと呼ばれている人の教えなんだ。忘れないように、朝晩唱えてるんだよ」という返事。ほんの短い教えだったんだけど、それを聞いただけでプンナはブッダの教えが優れていることを理解した。港に帰り着いたプンナは、すにぐ財産を整理して兄ちゃんに譲ると、身一つでブッダのもとへと走った。

 シュラヴァスティーに着いたプンナは、貿易の仕事を通じて知っていたスダッタ長者のもとを訪ねた。スダッタ長者は祇園精舎を寄進したブッダの有力信者だよね。その紹介でブッダに会い、そのまま出家してしまった。もともと商人だからお話が上手だったうえに、苦労した人だったから、人の心にしみ入るような説法で多くの人を感動させ、「説法第一」と呼ばれるようになった。僕もいちおう日蓮宗の専任布教師なんだけど、なんの苦労もしてないし、おまけに生ぐさ坊主だから、通り一遍のお話しか出来なくて悩んでいる。爺ちゃんの本徹上人は知る人ぞ知る説教の名人だったんだけど、どっかでDNAが切断されたんかな~(笑)。


 ある時、プンナはマガダ国のラージャガハの竹林精舎に滞在していたブッダを訪ね、
「ブッダよ、私はいまだブッダの教えを聞いたことのない故郷スナーパランタで布教に努めたいと思います。どうか最後の教えをお説きください」と、お願いした。ブッダは請われるままに説法をしたあと、2人の間で問答が始まるんだけど、それはちょっと後にまわして、プンナの出身地について考えてみようか。

 ブッダの出身地カピラヴァットゥの近くのドーナヴァットゥとインド西海岸のスナーパランタと2つ説があるわけだけど、ドーナヴァットゥだとするとスナーパランタで布教したいと考えた理由が思いつかない。なにもそんな所に行かなくたって、布教しなければならない所はたくさんあっただろうしね。スナーパランタの出身だとすれば、自分の寿命が尽きる前に、故郷の人々にブッダの教えを伝えたいという気持ちは充分理解出来るよね。ああ、ちなみにプンナはブッダと同じ年の同じ月の生まれだそうだよ。プンナはスナーパランタ出身にしておこう。
 
 さて、2人の問答はこんなだった。

「プンナよ、スナーパランタの人々は気性が荒くて粗暴だという。もし、かの地の人々がお前を罵りあざけるようなことがあれば、お前はどうするつもりか?」
「ブッダよ、もしスナーパランタの人々が私を罵り、あざけるならば、私はこう思うことでしょう。この国の人々はとても善い人達だ。手を挙げて私を殴ったりしない、と」
「プンナよ、スナーパランタの人々が、もし手をあげてお前を殴ったらどうするつもりか?」
「ブッダよ、そのような場合には、私はこう考えるでしょう。この国の人々は善い人達だ。私を棒で殴ったりしない、と」
「プンナよ、彼らがお前を棒で殴ったらどうするつもりか?」
「ブッダよ、そのような場合には、私はこう考えるでしょう。この国の人々は実に善い人達だ。私を鞭で打ちすえたりしない、と」
「プンナよ、彼らが鞭でお前を打ちすえたらどうするつもりか?」
「ブッダよ、そのような場合には、私はこう考えるでしょう。この国の人々は実に善い人達だ。刀で私に斬りつけたりしない、と」
「プンナよ、彼らが刀で斬りつけたらどうするつもりか?」
「ブッダよ、そのような場合には、私はこう考えるでしょう。この国の人々は実に善い人達だ。刀で私を殺したりしない、と」
「プンナよ、彼らがお前を殺したらどうするつもりか?」
「ブッダよ、そのような場合には、私はこう考えるでしょう。世の中には刀で自分の命を絶つ者もあり、誰か自分を殺してくれないかと願う者さえいる。願わなくても私の命を絶ってくれた、と」

 これを聞いたブッダは、プンナを褒め称えて、こう言った。
「よく耐え忍ぶ心を学んだ。その心がけがあれば、まだ安らかでない人々を救えるだろう」

 西へと旅立ったプンナは、スナーパランタで一夏を過ごし、500人の人々を仏教に帰依させた後、この地で亡くなったそうだ。「
富楼那の弁」という言い方があるけど、立て板に水を流したような、口先だけのさわやかさを言ってるんじゃない。心の奥底に命を捨てる覚悟があって初めて、人々の心をうつお話ができたんだね。僕も見習わなくちゃ。(つづく)



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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2014/08/01 13:31 】

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